2021年11月14日

岸田首相の新しい資本主義はスカスカで不気味だ

岸田首相の新しい資本主義はスカスカで不気味だ
リーダーに不向きで「分配」を語る資格もない
2021/11/13 東洋経済オンライン
山崎 元 : 経済評論家

岸田文雄首相が掲げる「新しい資本主義」とは、いったいどのような内容なのか。
首相がこの言葉を使ったのは自由民主党の総裁選挙のころからだが、同氏はその内容を体系的に語ったことが一度もない。
内容を定義せず、理解もせずに、単に言葉の響きがいいから、「新しい資本主義」をキャッチフレーズとして訴えたのだろうか。
これは、政治家としての岸田氏に対しては大変失礼な疑問だろう。

何とも奇妙な「新しい資本主義実現会議」
しかし、新しい資本主義実現会議という何とも奇妙な有識者会議を立ち上げた経緯を見ると、無礼も失礼もなかったようだ。この会議の存在自体が、岸田氏の「新しい資本主義」という言葉に、もともと中身がなかったことを告白している。
「新しい資本主義」という中身のない言葉に、愚かな有権者は共感するのではないかという岸田氏の気分のほうがよほど失礼だった。

「新しい資本主義を目指します。その中身は、これから考えます。支持してください」という白紙委任状を求めるメッセージだったのだ。
何とずさんで、いい加減なことか。
しかし、先般の総選挙では、自民党が事前に予想されていた以上の議席数(絶対安定多数となる261議席)を獲得し、野党第1党の立憲民主党は大幅に議席を減らした。
この背景は、「与党の政策には中身がなかったが、野党の政策にはダメな中身がはっきり見えた」ということだった。
立憲民主党の自滅だ。

本稿は、もっぱら岸田政権を批判的に検討するのだが、一方で野党にも「もっとしっかりしてほしい!」と申し上げておく。

11月8日に、新しい資本主義実現会議の第2回会合が開かれた。
内閣官房のホームページを見ると、事務局が作った「緊急提言(案)」と、6名の委員が作った提出資料が掲載されている。委員の提出資料は、短い発言のための「メモ的な性質」のもので、現段階でいいとも、悪いとも、言えるようなものではない。

新しい資本主義とはいったい何なのか?
そもそも「『成長と分配の好循環』と『コロナ後の新しい社会の開拓』をコンセプトとした新しい資本主義」(「緊急提言(案)」の冒頭の文章)と言われても、新しい資本主義とは何であるかを理解できる委員は1人もいないだろう。
委員としての選出は当人にとって名誉なことかもしれないが、こんな委員会に付き合うのはご苦労なことだと思う。
提言を読むと、成長戦略として、
「1.科学技術立国の推進」
「2.わが国企業のダイナミズムの復活、イノベーションの担い手であるスタートアップの徹底支援」
「3.地方を活性化し、世界とつながる『デジタル田園都市構想』の起動」
「4.経済安全保障」が掲げられ、それぞれの項目に複数の政策に関わる作文が並んでいる。

 次に、分配戦略として、
「1.民間部門における中長期も含めた分配強化に向けた支援」
「2.公的部門における分配機能の強化」と項目が立てられて、それぞれに細目の説明が並ぶ。
文書としては、A4で17ページほどの暑苦しいものだ。
これは、かつて小泉純一郎内閣でスタートした「骨太の方針」が、年数を重ねるごとに細目が増えて「小骨だらけの方針」に様変わりした後の文書を思わせる出来映えだ。
あの文書も読んでつまらなかったが、霞が関的には、「あの文書でひとこと触れておくと、後で予算をつけてもらいやすい」という意味を持つ文書だった。
官僚にとっては予算を取るためには文言を載せる働きかけが必要だったし、官僚や政府の政策を食い扶持にしているビジネスマンには、情報価値のある文書だった。

今回の中身のないふわふわした会議も、そこで何かを話して議事録に載せておくと、「新しい資本主義」の括りの下で、岸田政権の政策として予算がつく種類の「儀式」の場となっていくのだろう。
官僚にとっては使えるツールだ。

本欄にはビジネスパーソンの読者も多いだろうから、あくまでも「ビジネスの基本」として述べておくが、林立する各種会議の提出資料や議事録は「予算」との関連で読み込むべきだ。
また、政府との商売にかかわっている向きは、会議の委員や事務局の官僚と個人的に親しい関係を作ると好都合な場合がありうる。
筆者は元商社マンなので、後輩ビジネスパーソンのために書いておく。

また、この会議以外にも、「デジタル田園都市構想」の会議など、複数の同種の会議が立ち上げられた。
岸田首相は、「人の話を聞く」がご本人売り物なので、話を聞く場をたくさん作りたいのかもしれない。
だが、ご本人にはっきりしたメッセージとその根本になる考えがないので(少なくとも明確な言葉で提示されていない)、「人の話に流される」のではないかとの不安がつきまとう。
組織のリーダーとするにはまったく不向きなキャラクターだ。

「耳」だけが発達していて、その間にある臓器に栄養が回っていないのではないか、と皮肉を言いたくなる。
前任の菅義偉氏は、国民にはわざわざ「自助」を強調し、官僚には人事権を振りかざす「冷たい人」だったが、経済政策で何を考えているのかは明確だったので、岸田氏よりは「リーダーとしての安心感」があった。

彼の説明不足のインターフェースの悪さは首相に不向きだったが、今の岸田首相を見ていると、菅さんが少しだけ懐かしく思える。

「バラマキ政策」の基本もわかっていない首相
岸田首相が、総裁選で当初掲げて後に引っ込めた金融所得課税の引き上げのように、一時は公明党案を丸のみして決着するかに見えた「18歳以下の子供に一人一律10万円」の給付金案も、「年収960万円の所得制限をつけて、5万円の支給プラス、後に5万円のクーポン」などと、ぐずぐずに変形された。

首相自身に、判断の基準となる考え方が確立されていないから、「耳」(=他人の話)に「脳」(=自分の考え)が負けて、方針がコロコロ変わる。
危なくて頼ることのできないリーダーであることが、本件からもよくわかる。

有力な取材先であり新聞の消費税も負けてくれる財務省に媚びを売りたいマスコミは、現金給付政策を「バラマキ(政策)」と批判的に書くが、「現金のバラマキ」自体は政策として悪くない。
今回の公明党案は、「18歳以下」という支給対象が合理性を欠くことと、1回限りの支給なので継続的な安心感につながらないこと(だから昨年の「1人10万円」は消費に回らなかった)が欠点だったが、一律に支給される公平性とスピードおよび現金給付であることによる政府の国民生活への非介入性は好ましい政策だった。

一部をクーポンにしたがるのは、「消費に回してほしい」という景気対策上の意図が反映したのかもしれないが、そもそも再分配なのだから、困っている家計に現金が給付されることそれ自体が好ましいとまずは理解すべきだ。
給付が一時的なのだし、「貯蓄しておかないと心配だ」と思う家計が給付金を貯蓄に回すのは合理的な経済行動だ。
景気に対する効果で分配の主な効果を評価しようというのは、「景気バカ」エコノミストにありがちな、卑しい政策評価だ。

岸田首相には「新しい資本主義」を語る資格がない
それにしても、今回の「1回限り」の給付金を見ると、今後、選挙のたびに各党が給付金をぶら下げて有権者の買収にかかるのだろう。何とも品のない国の将来が見える。
  また、所得制限の愚かさは、年収が959万円の家計と961万円の家計の行動への影響を考えるとすぐにわかるし、そもそも再分配の効果は「給付」マイナス「負担」の「差額」で評価すべきものなので、「給付金の制度だけを見る」近視眼的な政策決定は不適切だ。
一律に支払って、適切な時期に(決して「今」ではない。インフレ目標達成後だ)、富裕者には追加的に多く負担してもらえば、給付はスピード感を持ってローコストに行えるし(所得チェックの手間などが不要になる)から、税金を公平に取るなら、再分配全体の効果も公平なはずだ。

今年になってデジタル庁を作るようなデジタル後進国であるわが国にあっても実施可能な再分配政策である。
肝心なことは、「再分配の規模」「追加的税金の内容」「適切な増税の時期」を判断することだ。
これら3点を的確に整理できないような首相には、「分配」を語る資格はないし、従って、「成長と分配の好循環」をコンセプトとするらしい「新しい資本主義」を語る資格などまったくない。

岸田首相には、少しは自分で物事考えて、ブレない判断基準を養ってほしい。
今のところ、「新しい資本主義」は中身のない悪い冗談にすぎない。
こんな話を大真面目にやっている国は不気味である。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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