「わがまま」と「多様性」を分ける違いとは?
2022.1.16 Diamondオンライン
中野善壽:ACAO SPA & RESORT代表取締役会長・CEO
他人と物理的・心理的な距離が広がり、「1億総孤独」といえる現代。
他者に依存せず、「個」として自立するには、どうすればいいのでしょうか。
寺田倉庫の経営改革などを果たし、NHK「SWITCHインタビュー達人達」でコシノジュンコ氏と対談し話題となった「77歳・伝説の経営者」、中野善壽氏は、「孤独を生きることで、自分の感性を信じ、磨き抜くことができる」と語ります。
中野氏は孤児同然の幼少期を過ごし、孤独のなかを生きてきました。
しかし、そこで自分の感性を磨き、「個」として自立していきます。
社会に出てからは「孤独を武器」に、伊勢丹・鈴屋での新規事業展開や、台湾企業の経営者として数々の実績をあげてきたのです。
本連載では、中野氏の新刊『孤独からはじめよう』に掲載されている「他人に依存せず、自立して、素の自分をさらけ出して生きる」51の人生哲学から抜粋。
「一人で生きるのが当たり前の時代」に肩肘を貼らず、自分に期待し、颯爽と人生を楽しむ考え方を紹介します。
適度な距離感で、多様な他者を理解する
孤独に生きよ、と言うと、時々こんな反論が返ってくることがあります。
「わがままな人が増えたら困ります」
これは、大きな誤解。
僕が言う孤独とは、考え方の違う他者を排除する態度とはまったく違います。
むしろ、一人の時間を愛し、自分が大切な「個」を保とうとするからこそ、他者の「個」も尊重できるのです。
僕は、真の社会性とは、いろいろな他者に対する理解を深められる姿勢だととらえています。
自分とは違う境遇の人の思いに寄り添って、そのまま受け入れられるかどうか。
例えば、コロナ禍で収入を失い、生活に苦しむ方が、今どんな思いでいるのか。
自分がやれることを想像するだけで、自然と身体が動いてしまう。
これが本当の社会性というものではないでしょうか。
「空気を読む」とか「忖度する」とか「規律を乱さない」とか、過剰に他者に合わせられる資質を社会性と呼ぶのはおかしい。
自分とは違う、異質の「個」を理解しようと心を開き、受け入れられる人こそ、社会性のある人だと思います。
適度な距離感で、互いの孤独を尊重し合う
自分の「個」を大事にする。 他人の「個」も認める。
この関係になるには、適度な距離感が必要だと思います。
密着し過ぎると、お互いの姿が見えないでしょう。
どんな色、形をしているかがわからない。
「僕と君は一心同体。何も言わなくてもわかるだろう」なんて、傲慢でしかない。
相手を理解しよう、尊重しようという気持ちがなくなったら、人はどこまでも自分本位に、わがままになっていきます。
離れてこそわかる、お互いの色や形、そして行動の癖。
君はそうなんだね。 僕はこうなんだよ。 そんな対話ができるのは、孤独になれる者同士。
「わがまま」とは、むしろ対極にある。
僕はそう思います。
(本原稿は、中野善壽著 『孤独からはじめよう』から一部抜粋・改変したものです)
孤独を力に変え、前に進む術を。
現代は、孤独の力を見失いがちな時代です。
あまりにも情報が多く、顔の見えない他者の声が無数に聞こえては流れていき、内なる自らの声がかき消されてしまいます。 いつしか消耗し、虚しさを持て余して、恨みを垂れる。
そんな繰り返しは、もうやめようと僕は言いたい。
もっと純粋な気持ちで、ありのままの自分で生きようと。
孤独を味方にすれば、選択肢は広がり、共に事を成す仲間は増え、家族や友人をより愛せるようになるのです。