プーチンがお手本にする「狂気の独裁者」ヨシフ・スターリン、そのヤバすぎる末路
3/24(木) 現代ビジネス
ロシア革命を経てレーニンの亡き後、1953年で息絶えるまでソビエト連邦共和国の最高指導者であり、絶対権力をほしいままにしたヨシフ・スターリン。
じつはプーチンはこのスターリンをロールモデルにしていると言われている。
前編記事『プーチンよりもヤバい…ロシア、旧ソ連の独裁者「ヨシフ・スターリン」“銃殺”と“粛清”の歴史』では、猜疑心の強いスターリンが権力の座についたのちの大粛清の中身についてをお伝えした。
自らの側近を次々と銃殺していくスターリンの加速していく狂気はどんな末路を迎えたのか…。
自らの警備隊長も粛清
スターリンは次のターゲットと心の中で定めた人間を昇進させることさえした。
自分が信頼を勝ち得ていると思った時、その名前はスターリンの抹殺リストに密かに書き込まれているのだ。
「ロシア全史を通じて最も血まみれの年」とされる1937年、スターリンは自らの警備隊長パウケルも銃殺刑に処した。 その年、59歳になるスターリンはクレムリンから30kmほどの秘密の別荘に居を構えていた。
夜型のスターリンが執務を終える深夜、数台の黒塗りの高級車がクレムリンを出て政府専用道路を走り去る。
どの車にスターリンが乗っているかは極秘だったが、彼の隣には常にパウケルが乗っていた。
そのパウケルがある日突然、消された。
パウケルは罪を犯したわけではない。
ただ他の政治局員が、犬や子供の服を手に入れる便宜を図っていただけだった。
もはや銃殺刑に合理的な理由などなかった。
「スターリンは孤独でした。2人の妻を亡くし、親族は粛清。子供たちとの関係もうまくいかなかった。
私は彼の孫3人を取材しましたが、祖父に会ったことがあるのは長男ヤーコフの娘・ガリーナだけでした。
それも生涯で5回ほどだと言います。
スターリンの次男ワシーリィに至っては警備隊長を養育係として育った、と聞きました。
スターリンの家族への愛情が一般人の感覚とかけ離れていたのは、間違いないように思います」(『スターリン家族の肖像』の著者・福田ますみ氏)
たしかにスターリンは家庭に恵まれなかった。
最初の妻は1907年に長男ヤーコフを産むが、腸チフスにかかり22歳の若さで死去。
そして二度目の妻は'32年、クレムリン内の住居で頭を銃で撃ち抜いて自殺するのだ。
陸軍士官となったヤーコフは'41年、第二次大戦の独ソ戦でナチス・ドイツの捕虜となる
スターリンの息子を捉えたことに気づいたナチスは捕虜となっている自軍の元帥との交換を申し出るが、スターリンは拒否。父に見捨てられたことを知ったヤーコフは、強制収容所で死去した。
一説には、電気柵に自ら突進して射殺されたと言われる。
次男ワシーリィはアルコール中毒で身を持ち崩し、最も愛した一人娘のスヴェトラーナさえも父の死後、アメリカへと政治亡命した。
'40年、トロツキーが亡命先のメキシコで暗殺された。
スターリンの放った刺客がトロツキーの頭をたたき割ったのだ。
レーニンと共に始めた革命を受け継ぐ者はついにスターリン1人になった。
家族、同志、側近、そして敵……。すべてが彼の前から姿を消した。
東北大学・東北アジア研究センター教授の寺山恭輔氏はこう語る。
「ロシア革命後に創設された暴力装置チェーカーは、スターリン時代のNKVDを経て、戦後にKGBへと受け継がれていきました。
ソ連末期にその組織に入ったのがプーチンです。
KGBはエリツィンにより解体されましたが復活し、プーチンは伝統的な手法を駆使しながら現在の体制を作り上げた。
また彼は昨年末、ソ連共産党時代に抑圧された被害者を記憶するために創設された民間人権団体『メモリアル』の解散を命じています」
死の床で狂気の一瞥
スターリンの最期は、狂気と孤独に冒された独裁者にふさわしいものだった。
'53年2月28日。スターリンの別荘にフルシチョフ、ベリヤら4名の政治局員が呼びつけられた。
いつものように映画鑑賞のお供を仰せつけられた彼らが辞去したのは翌3月1日午前4時だった。
翌日、いつもならばスターリンは正午前には起きてくるのに気配がない。
しかし警備員たちは、無断で部屋に入ることを禁じられており、勝手な行動によって処罰されるのを怖れた。
午後10時になってようやく部屋に入った警備員の一人が、床に倒れている主人を発見する。脳卒中だった。
そして4日後の3月5日、ついに独裁者は息を引き取った。
臨終に居合わせた唯一の親族、一人娘のスヴェトラーナの評伝『スターリンの娘』にはこう記されている。
---------- 〈最後の瞬間が来たと思われた。父は、突然、両目をかっと開き、部屋の中にいた全員を見渡した。狂気と怒りが入り混じった恐るべき一瞥だった〉 ---------- そして左手を持ち上げ、上のほうを指した。
彼女にはそれが部屋の中にいた者に呪いをかけるような身振りに見えたという。
スターリンが権力を握っていた約30年間でのソ連邦内の死者は4000万人とも言われている。
ヒトラーは580万人のユダヤ人を虐殺したが、スターリンはその7倍もの同胞を犠牲にしたのだ。
慶應義塾大学名誉教授・横手慎二氏は言う。
「ロシアには、国家と国民を天秤に掛けた時、国民がどう思うかは大して重要ではなく、国家のほうがはるかに大切だという考えがある。
これを植え付けたのはスターリンであり、この思想はプーチンの頭の中に深く入り込んでいます。
しかもプーチンは、ウクライナは地域の寄せ集めにすぎず、通常の国家ではないと思っている。
もちろんウクライナ人はこのプーチンの考え方を許せない。
ウクライナ侵攻が勃発したのは不思議でも何でもないと思います」
2月21日、プーチン大統領はまるで玉座のような椅子にひとり座り、ウクライナ東部の「自称共和国」2つを承認した。
ここ数年、彼の周りには人の姿がない。
他を寄せつけぬ頑なな姿勢は、史上最悪の独裁者と同じ末路を感じさせずにはおかないのだ。
『週刊現代』2022年3月26日号より