2022年04月01日

プーチンが受け継いだ「目的のためには手段を選ばない」哲学

保阪正康 日本史縦横無尽
プーチンが受け継いだ「目的のためには手段を選ばない」哲学
2022/03/31 日刊ゲンダイ

 武装解除後に収容所に入れられた日本軍の将兵は1000人単位で大隊をつくり、列車に乗せられた。
2カ月分の食料を持参してというわけにはいかず、多くの兵士は着の身着のままで列車に乗った。
「ダモイ(帰国できる)」というのが合言葉であった。
この大隊編成、そして列車に乗せられたのは9月に入ってからとされている。
それまでは総勢60万人を超える「捕虜」の名簿作りや大隊の編成を行い、8月中は収容所内で待機という状態であった。  戦争が終わり、故郷へ帰れるという喜びは、兵士たちに心の安らぎを与えていた。
その喜びが全く裏切られるとは考えてもいなかったのである。

 極東ソ連軍は、日本が降伏の意思を鮮明にした8月15日以降、クリール列島(千島列島)の占守島から島伝いに侵入してきた。
軍事的に制圧地域を拡大しようとしたのだろう。
8月18日の払暁からである。これに対して北部軍の司令官・樋口季一郎は反撃を命じ、戦闘が起きた。
双方に戦死者が出たが、マッカーサー司令部の仲介などもあり、停戦が成立した。
最後の戦闘だったせいか、この時の日本軍は士気も高く、ソ連軍に対し、自軍の7倍もの損害を与えている。

 その後、極東ソ連軍の第87狙撃軍団が千島列島の島々に次々と上陸し、日本軍の武装解除を進めていった。
8月29日に択捉、9月1日から4日にかけて国後、色丹などの日本軍を武装解除している。
ソ連は9月2日(ミズーリ号での降伏文書調印)の後も軍事行動を起こしているのだから、法的には問題である。
ただ、この武装解除も北海道には手をつけることはできなかった。
 付け加えておけば北方4島は、千島列島とは別に日本固有の地であり、ソ連が敗戦の混乱に乗じて不法に制圧したことは明らかである。

日本でも戦後のある時期に千島列島の全てがソ連の不法な軍事行為で奪われたとの見方もあった。
しかし今は北方4島について、日本固有の地であり、この返還を求める動きが継続していると言っていいだろう。

 このように見ていくと、スターリンの戦略を大局で言えば、「目的のためには手段を選ばない」に徹しきっていることがわかる。
プーチンはその哲学を忠実に継いでいることになる。

第2次世界大戦終結時の混乱と政治の空白期が生まれた時に、ソ連は巧妙にその手法を用いた。
それが20世紀の特徴であり、スターリンの哲学を清算して21世紀に入ったと思ったらそうではなかったのである。
posted by 小だぬき at 09:45 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]