「やめたいのにやめられない」の正体とは?
2022.4.17 Diamondオンライン
ダイエット、禁煙、節約、勉強──。
何度も挑戦し、そのたびに挫折し、自分はなんて意志が弱いのだろうと自信をなくした経験はないだろうか?
目標を達成するには、「良い習慣」が不可欠だ。そして多くの人は、習慣を身につけるのに必要なのは「意志の力」だと勘違いしている。
だが、科学で裏付けされた行動をすれば、習慣が最短で手に入り、やめたい悪習も断ち切ることができる。
その方法を説いた、アダム・グラント、ロバート・チャルディーニら一流の研究者が絶賛する1冊、『やり抜く自分に変わる超習慣力 悪習を断ち切り、良い習慣を身につける科学的メソッド』(ウェンディ・ウッド著、花塚恵訳)より一部を公開する。
「まずいポップコーンでも食べてしまう」 習慣の威力
私は同僚のデイヴィッド・ニールとともに、誰もが大好きな映画館の高すぎる軽食を使い、報酬の効果の継続についての検証を試みた。
大学の敷地内にある映画館に出向き、観客にポップコーンを配って食べてもらうことにしたのだ。
古くなったポップコーンは美味しくないが、具合が悪くなることはない。
まずはポップコーンを大量につくり、それを1週間ほどラボに放置した。
映画館では本編の上映が始まる前に、短い予告編が数本流れる。
実験に協力してくれる参加者たちには、これは映画の嗜好に関する調査だと告げた。
そして映画のお供として、ポップコーンの入った袋と水のボトルを各自に渡した。
半数の参加者のポップコーンは古く、残りの半分はつくりたてだ。
予告編が終わると、参加者からポップコーンの袋を回収した。どのくらい食べたかを測定するためだ。
また、彼らには映画館でポップコーンを食べる頻度についても回答してもらった。
これが習慣の強度を測る尺度となる。
映画館でポップコーンを食べる習慣がないと報告した参加者の行動は合理的で、古くなったポップコーンよりつくりたてのポップコーンのほうが圧倒的にたくさん食べられていた。
つくりたてのポップコーンは平均して70パーセント食べられていたが、古くなったポップコーンは40パーセントしか食べられていなかった。
実験の場所がキャンパス内の映画館だったことを踏まえると、古くなったポップコーンでも食べたのは、ポップコーンが無料だったからとも言えるのかもしれない。
だが、映画館でポップコーンを食べる習慣がある参加者になると、ポップコーンの鮮度に関係なく、袋の60パーセント以上が食べられていた。
のちに、古くなったポップコーンは最悪だったと全員が口を揃えた。
それでも、習慣のせいで食べることをやめられず、映画館に入るといつものようにポップコーンを食べた。
その場で得られる楽しみといったものには、まったく無頓着のようだった。
実験を行う前の予想では、参加者は自分が食べているものについて自ら検討し、食べ続けるかどうかを判断すると思っていた。
だが、習慣を引き出す合図があまりにも強力だった。
照明が暗くなり、予告編が流れ、手にはポップコーンの入った袋。これらが揃うと、いつもどおりの行動をとらずにはいられなかったのだ。
「摩擦」を加えるとどうなるか
その後、食べる習慣に摩擦を生む小さな修正を加えた。
ポップコーンの袋に紙製の持ち手をつけたのだ。そして、参加者の半数には、利き手(たいていは右手)で持ち手を握って反対の手を使って食べるようにと指示した。
機会があればあなたも試してみるといい。
ふだんナイフとフォークを使って食べている人が、箸を初めて使うときのような感じがする。
残りの半数の参加者は逆で、利き手でないほうの手で袋を支え、利き手を使って食べた。
つまり、いつも手でものを食べるときと基本的には同じだったということだ。
利き手でない手を使って食べた人にとっては、いつもと同じ食事ではなくなった。
ポップコーンを意識してつまみあげ、慎重に口に運ばねばならなくなったのだ。
この摩擦の増加により、映画館でポップコーンを食べる習慣がしっかりと定着していた学生でも、古くなったポップコーンは30パーセント、つくりたてのポップコーンは40パーセントしか食べなかった。
いつもの状態で食べたときと比べると、かなり減っている。
習慣になっている動作がほんのわずかに妨害されるだけで、自分のすることについて考えざるをえなくなったのだ。
そのとたん、彼らは過去に培ったポップコーンを食べる習慣に従った行動はとれなくなり、その場で現実に体験していることにもとづいて行動した。
つまり、古くなったポップコーンはまずいから食べなかったのだ。
大手メディアはこの種の研究成果を喜んで報じるので、私たちの研究はつかの間の名声を得た。
ただし、彼らは結果を誤って解釈した。
健康関連の雑誌は、ポップコーンの袋に持ち手をつけた実験から、利き手でないほうの手でものを食べるようにすれば、ダイエットに効果があるとの結論を導き出した。
利き手でない手を使うことを、食べる量を減らす手段になると彼らはとらえたのだ。
メディアの取材を受けた私は、その方法は裏目に出る恐れがあると指摘した。
というのは、利き手でない手を使って食べると、食べているものの味に注意が向くと思われるからだ。
実験で利き手でないほうの手を使って食べた参加者たちは、つくりたてのポップコーンすらあまり美味しいとは感じず、古くなったものに至っては嫌でたまらなかった。
それを思うと、ポッコーンがつくりたてであっても、食べているものに注意を向ければ食べる量が減る、というのはたしかに納得がいく。
だが、それが大好物だとしたらどうか。
その場の体験に注意を向けているときに大好物を食べれば、いつも以上にたくさん食べてもおかしくない。
利き手でない手を使って食べることは、ダイエットに適したテクニックではない。
ただ単に自動的に食べる習慣を妨害し、食べ物への意識を高めるだけのことだ。
【本記事は『やり抜く自分に変わる超習慣力 悪習を断ち切り、良い習慣を身につける科学的メソッド』(ウェンディ・ウッド著、花塚恵訳)を抜粋、編集して掲載しています】