2022年04月23日

痴漢、イジメ、ウクライナ侵攻…なぜ被害者の“落ち度”を探そうとする人がいるのか

痴漢、イジメ、ウクライナ侵攻…なぜ被害者の“落ち度”を探そうとする人がいるのか
4/22(金)  デイリー新潮

「じつはこれは失礼な行為である」 「厳密にはこれも失礼に当たる」
 当失礼研究所は、そんなふうに重箱の隅をつついて「失礼」を作り出すために、研究を重ねているわけではありません。  基本の失礼は押さえつつも、自分と周囲が日々を平和に穏やかに過ごすために、失礼とどう付き合っていけばいいかを考えていく所存です。
 ***
「スキを見せたに違いない。むしろ本人のせいではないか」
「露出度の高い服を着ているから、そういう目に遭うんだ」
 性犯罪の被害者は、罵詈雑言を吐くのを生きがいとするネットの匿名野郎だけでなく、身内を含めた周囲からも、あるいは警察官からも、そういった言葉を投げかけられます。
「親切で言ってあげてるんだ」と言い張る人もいますが、傷ついている被害者をさらに深く傷つけるのは、どんな言い訳を引っ張り出してきても、正当化なんてできません。

 イジメの被害者に対しても同じ。
「イジメられる側にも問題があったんじゃないか」
「自分にできる対策を取らないから、イジメられるんじゃないか」
 イジメる側を責める声より、被害者を責める声のほうが目立つケースは、残念ながらよくあります。

 強盗やスリの被害者はもとより、たまたま乗っていた電車で暴漢に襲われた被害者にも、ときには自然災害の被害者にも、世間様は極めて熱心に、本人にもきっと原因があったはずだと考えずにはいられません。

 このところよく目にするのが、 「侵略される国の側にも問題があるんじゃないか」  という言い種
有名無名を問わず、しょせんは安全な場所から無責任に眺めている人が、断片的な情報を元に「悲惨な被害を受けている側」の“落ち度”を探して、訳知り顔で指摘する──。
どうしてそんな無神経なことができるのでしょう。
 ちょっと冷静に考えれば、 「被害者の落ち度を探して批判するのは間違っている。悪いのはあくまでも加害者である」
「こうしたほうが危険が減るという対策の話と、被害者の“落ち度”を責める話は、まったく別である」  という当たり前の結論になります。

ここで例に挙げたどのケースも、「失礼」という言葉では言い表せないぐらい、被害者に対して残酷で罪深い愚かな行為に他なりません。

「公正世界仮説」とは
 そうした行為を腹立たしく思ういっぽうで、恐ろしいのが、自分の中にも同じ「癖」があると認めざるを得ないこと。
正直に白状しますが、これまでに私は、たとえば痴漢のニュースを見た瞬間、反射的に被害者の“落ち度”を探したくなったことが何度かありました。
 もちろん、次の瞬間に「それは違うだろ」と自分に突っ込みを入れて邪念を振り払います。
しかし、なぜ反射的にそう思ってしまうのか、とても不思議でした。自己嫌悪にもさいなまれました。

「おいおい、お前はひどいヤツだな。自分は絶対にそうは思わない。加害者に怒りを覚えるのみだ」
 そう自信をもって言い切れる人もいるでしょう。お恥ずかしい限りです。
ただ、ふたたび正直に申し上げると、言い切れる人の大半は、自分にウソをつくのが上手か、自分の気持ちを直視するのが苦手か、そのどちらかではないかと……。

 ある時、長いあいだ謎だった感情について、腑に落ちる説明をしてくれる理論を知りました。その名も「公正世界仮説」。  世界は公正にできている。理由もなくひどい目に遭うはずがない。
被害者には必ず原因があるはずだ。
自分はきちんと生きているので、被害を受ける心配はない。……人は誰しも、そういう仮説を信じたい傾向があるという考え方です。

 人間は弱い生き物なので、あの手この手で「安心」の手がかりを探さずにはいられません。
ひどい目に遭うのが偶然だとすると、自分にも可能性があることになります。
自分には関係ないのだと「安心」を得るために、被害は必然だと思い込み、それが高じて理不尽な批判や攻撃をしてしまう。ああ、なんて身勝手な構図でしょうか。

「公正世界仮説」は半世紀以上前に提唱され、研究が重ねられてきました。
ここ数年、ネットにおける被害者への誹謗中傷や、貧困問題にまつわる「自己責任論」(貧しいのは本人に努力が足りないからだ)などへの批判の高まりとともに、あらためて注目を集めています。
 新型コロナに感染した人が、「自業自得だ」「感染するような行動をしていたからだ」と責められる風潮があったのも(いまだにありますけど)、これが影響していると言っていいでしょう。

「自分は感染しないはず」と思い込むには、運悪く感染した人に“落ち度”があってくれないと困るわけです。
 2020年の夏頃、新型コロナへの感染は「自業自得」と考える人の割合が、日本は各国と比較して飛び抜けて高かったという調査結果が話題になりました。
「ああ、やっぱり」という印象でしたが、昔から日本には「自業自得」のほかにも、「被害者が悪い」と言いたいことわざや慣用句がたくさんあります。

「因果応報」「自分でまいた種」「身から出た錆」「雉も鳴かずば撃たれまい」「罰(ばち)が当たる」……。
 気を付けているつもりでも、「被害者の“落ち度”を責めたくなる」という甘い誘惑は、常に虎視眈々と私たちを惑わそうと狙っています。
“落ち度”を探したくなったら  なかなか厄介な「公正世界仮説」ですが、マイナス面ばかりではありません。
「努力はいつか報われる」「お天道様は見ている」「正直者の頭に神宿る」という前提を信じることで、私たちは日々をきちんと一生懸命に生きることができます。

 だからといって、自分の心の平安を保つために、被害者を責めていい理由にはなりません。
恥ずかしくて卑劣な失礼を避けるには、どうすればいいのか。
「そんなことを考えてはいけませんよ」と自分にお説教しても、たぶん解決しません。

 私自身は「公正世界仮説」を知って、大げさに言うと生まれ変わることができました。
被害者の“落ち度”を探したくなるたびに、武田鉄矢さんの口調で「このバカチンが!」と己を叱責しています。
 ほかにも、自分を大きく見せようとしたりなど、私たちの日常生活は、失礼を生む甘い誘惑にあふれています。
失礼を追い払うために、ジタバタと戦い続けましょう。

 自分が気を付けると同時に、世の中に山ほどいる「被害者の“落ち度”を責めるのが好きな人」も、なるべく減らしたいのは山々です。
しかし残念ながら、その気持ちよさに溺れている人は、何を言われても自分を変える気はありません。
 きっと報いを受けると信じて、とりあえずは距離を置きつつ冷たい目で見守っておきましょう。
ん? これは「公正世界仮説」の悪い使い方なのか、いい使い方なのか……。


石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。「失礼とは何か」を追究する失礼研究所所長。コラムニスト。
大人力研究の第一人者でもある。『大人力検定』など著書多数。

ニャロメロン
1988年大分県生まれ。大分大学漫画研究部在席時より、サイト「週刊メロンコリニスタ」を立ち上げ、ツイッター等でも漫画を発表。
『凝縮メロンコリニスタ』『ベルリンは鐘』『バンバンドリドリ』『マウントセレブ金田さん』等、著書多数。


「週刊新潮」2022年4月21日号 掲載
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック