2022年04月28日

日本の仏教、ロシア正教…なぜ"人々を救済すべき"宗教が侵略戦争に積極加担するのか

日本の仏教、ロシア正教…なぜ"人々を救済すべき"宗教が侵略戦争に積極加担するのか
2022年04月27日 PRESIDENT Online

ウクライナへの侵攻を「聖なる戦い」として演出しているロシア正教が世界中から非難されている。
ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳さんは「仏教・神道・キリスト教など日本の宗教も、日清・日露・第2次大戦に積極加担していた過去がある。
国家権力と結びついた宗教は暴走を始め、人民救済という本分を忘れてしまう」という――。

■なぜ、宗教が戦争を止めずに賛美し加担するのか
ロシア正教会が戦争に積極的に関与し始めている。
ウクライナに出征する兵士や戦車に、司祭が聖水を振りかける場面などが報じられるなど、プーチン政権との蜜月の関係に非難が相次いでいる。
宗教の立場で「聖なる戦い」を演出し、国民を鼓舞するのが目的だ。

国家と宗教との緊密な関係は、今日のウクライナ戦争に始まったことではない。
日本の仏教も、戦争や植民地政策に積極加担していた過去があった。
聖戦――。それは、神の名において行われる戦争のことである。
宗教が始めた戦争は枚挙にいとまがない。もっとも有名なのは中世における十字軍の遠征だろう。
十字軍は聖地エルサレム奪還のため、ローマ教皇の名の下に組織された。
そして、中東地域における覇権拡大のため、およそ200年にわたる戦いを繰り広げた。

近年では、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ以降の戦争がある。
イラクやアフガニスタンなどで繰り広げられた戦いは、キリスト教とイスラム教の宗教戦争でもあった。
当時のブッシュ大統領は、イスラム原理主義組織との戦いを「十字軍の戦い」と表現した。
対し、イスラム原理主義組織もまた「ジハード(イスラムを守り抜く戦い)」と呼び、泥沼の20年戦争へと突入した。

■同じ「キリスト教系の神」同志のウクライナ戦争
今回のウクライナ戦争はどうだろう。
ロシアの主たる宗教はロシア正教だ。
プーチン大統領自身もロシア正教に帰依している。正教は、キリスト教の一派であり、その名のとおり「正しい教え」を意味する。
正教会はそれぞれの国の名を冠し、「ロシア正教会」「ウクライナ正教会」「日本正教会」などと呼んでいる。
一方、ウクライナの宗教構造は複雑だ。
大きく分けるとウクライナ正教およびカトリック教の勢力が強い。
ウクライナにおける正教会は、ロシア正教会からの独立を目指してきた歴史があり、現在は3つに分裂している。

ウクライナ大使館によれば、ひとつはプーチン政権に近いロシア正教会モスクワ聖庁の権威を認めるウクライナ正教会。
2つ目は、そこから独立し、ウクライナ政府を後ろ盾とするウクライナ正教会。
さらに、ウクライナ独自のウクライナ自治独立正教会がある。

今回のウクライナ戦争によって、ウクライナ国内ではロシア正教会モスクワ聖庁系の司祭が追い出されている。
しかし広い視座でみれば、両国は同じキリスト教系の正教会の国であり、また、ウクライナを軍事面で支える欧米諸国もまたキリスト教国である。
ウクライナ戦争は同じ「神」のもとでの戦争なのだ。

ロシア正教会のトップ、キリル総主教はウクライナ侵攻が始まってから、この戦争を支持し、正当化する発言を繰り返している。
ワシントン・ポストによればキリル総主教は、モスクワ大聖堂での礼拝で戦勝祈願を実施した。
ロシア国家親衛隊の将軍に聖火を手渡し、祈りを捧げた。
また、ロシア正教はウクライナに侵攻する戦車や兵士らに聖水を浴びせるなど、聖戦を強調する動きが目立っている。

ロシア正教会では、シリアにおける空爆の際にもロシアのミサイルに聖水をまくなど、戦争への協力姿勢を明確にしている。 こうしたロシア正教の戦争賛美の立場に、東方正教会(ロシア・中東・東欧を中心とする15の自立教会の連合体)は反発を強めている。
仏教者である私からみても、ロシア正教の動きには強い違和感がある。

■日本にも戦争に宗教が加担した過去がある
だが、日本もまた、近代の戦争において、仏教などが戦争に積極的に加担していた過去がある。
明治維新以降、日本は国家神道の道を歩み出す。
神道が国家と一体化し、「神の国」のもとで日清・日露戦争、日中戦争、太平洋戦争が繰り広げられた。
この国家神道体制に付き従うように、仏教やキリスト教も戦争協力の姿勢をみせていく。
なかでも、明治維新政府に接近し、戦争に積極加担したのが東西本願寺の浄土真宗教団だった。

浄土真宗は岩倉使節団と共に世界各地を視察して回ったことがきっかけで、政界に接近する。
朝鮮半島の支配権をめぐって日清戦争が始まると、「軍隊慰問」「戦死者追弔」などをうたい文句に大陸に従軍僧を派遣した。
浄土真宗の動きに同調し、他の仏教宗派も富国強兵策に参画していく。
日清戦争では、仏教界の関与はまだまだ序章だったが、日露戦争時にはエスカレートする。
浄土真宗を筆頭に多くの宗派が大陸に進出した。

植民地の拡大に乗じて中国、満州、朝鮮半島、台湾などの極東アジアに寺院や布教所を次々開設していったのだ。
その背景に、各仏教教団の教線は日本国内では飽和、限界状態になっていたことがいえる。
仏教教団もまた、侵略戦争は無限の大陸へと布教を広げる好機だった。
国家と宗教界が、互いに互いを必要とする関係にあったのだ。
つまり、国家の側からみれば、領土拡大を進め、最前線に寺院が建立されることは、そこがわが国の主権の及ぶ地であることの既成事実が成立することになる。
政府にとって仏教界の大陸進出は実に好都合、というわけだ。

植民地政策には、決まって宗教が関わる。
たとえば、北海道における仏教界の進出の画期となったのは1804(文化元)年、徳川幕府11代将軍家斉が3つの寺(有珠善光寺、等?院、国泰寺)を、幕府直轄の官寺に定めたことである。
3つの寺の設置は、ロシアの南下政策や諸外国を牽制する意図があった。

明治に入ると、政府はアイヌの土地の完全なる植民地化に舵を切る(同化政策)。
北海道には開拓使が設置され、1872(明治4)年までにアイヌの土地を収用してしまった。

■国家権力と結びついて暴走し、人民救済を忘れる
北海道開拓が進むに従って、東北や北陸を中心とする内地から人々がムラ単位で入植していった。
その際に、寺院や神社が一緒にくっついていった。
宗教施設は、移民のコミュニティを強化する役割であり、故郷の象徴でもある。
また寺院は、開拓中に死んでいったムラ人の弔いという重要な機能も担った。

北海道の開拓には、浄土真宗教団が真っ先に手を挙げている。
1869(明治2)年、まず、東本願寺が北海道開拓に乗り出す。
東本願寺の北海道進出を機に、他宗でも同様の動きがみられた。
興味深いのは浄土宗の増上寺が、1869(明治2)年9月に日高地方や色丹島などの開拓を認められ、入植を始めたことである。
驚くべきことに北方領土の一角である色丹島全体が増上寺の寺領であったのだ。
北海道はあまりにも広く、また新政府の予算も潤沢ではなかったため、地方行政府や有力寺院などに土地を分け与えて支配させた。これを分領支配という。

開拓した色丹島は、正式に増上寺の寺領として組み込まれた。
だが、寺領であったのはわずか1年ほど。1870(明治2)年、新政府に上知(土地の召し上げ)されている。
いずれにしても、北方四島には明治以降、入植者が相次いだ。
そこには、浄土真宗本願寺派、真宗大谷派、浄土宗、曹洞宗、日蓮宗など計24の寺院(無人の地蔵堂などを含む)が建立されたとの記録がある。

太平洋戦争時、仏教は、ロシア正教のウクライナ戦争協力以上の戦時加担をした。
戦闘機や軍艦の献納運動などを積極的に展開していった。
戦時色が濃くなると、宗教団体を国家の管理下におく宗教団体法が施行され、「信教の自由」が奪われる。
宗教はさまざまな活動の制限や干渉を受けるが、もはや仏教界は政府や軍部と同化しており、完全にファッショに染まっていた。

日本が敗戦を宣言した直後、ロシアは北方四島に侵攻。今度は日本人が追い出され、寺や神社はことごとく壊された。
その代わりに、ロシアが真っ先に建立したのがロシア正教の教会だった。
結果的に日本の近代戦争は仏教に大きな代償を払わせた。都市部の寺院は空襲で破壊された。
4600カ寺以上、およそ6%に相当する寺院が焼失した。
先人から受け継いだ貴重な文化財が灰燼(かいじん)に帰してしまった。

国家権力と結びついた宗教は暴走を始め、人民救済という本分を忘れてしまう。
結果的にはその宗教自身も瓦解(がかい)することになる。
それは、歴史が証明しているのだ。
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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト 1974年生まれ。
成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。
著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。
浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、
(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。
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posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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