2022年05月02日

養老孟司氏が指摘「健康診断に一喜一憂する人」に決定的に欠けている“ある視点”

養老孟司氏が指摘「健康診断に一喜一憂する人」に決定的に欠けている“ある視点”
2022.4.28 finasee

資産形成の目的を問われると、多くの人が「老後の資金のため」と答えます。
その資金には、医療費や介護費用も含まれるのでしょう。
「老いたら、何らかの病気になり、医療のお世話になる」。漠然とそう思っている人がほとんどだからです。
447万部のベストセラー『バカの壁』(新潮新書)でも知られる養老孟司氏は病院嫌いで、「現代の医療システムに巻き込まれたくない」と、長年健康診断も受けないできたそう。
しかし、2020年には突然の体調不良から大病が発覚、東大病院に入院することに――。
その経験を通じ、養老氏は医療、老い、死について、あらためて何を思ったのか。教え子であり、主治医でもある中川恵一氏との共著『養老先生、病院へ行く』(エクスナレッジ)に綴られています。その第1章を特別に公開します(全4回)。
●第3回はこちら ※本稿は養老孟司、中川恵一『養老先生、病院へ行く』(エクスナレッジ)の一部を再編集したものです。

過去の医療にはもう戻れない
がん予防では禁煙がとても重要だといわれています。
中川さんによると、喫煙者は膀胱がんになる確率が2倍になり、肺がんになる確率は5倍になるそうです。
それはデータの解釈としては確かでしょう。
では1日1箱(20本)タバコを吸う人と、3日で1箱吸う人ではどうなのか。
20歳からタバコを吸い始め、40歳でやめて、今60歳の人はどうなのか。
タバコとの付き合いは千差万別です。それを1つに丸めて、全体の数値を出して確率を提示しているのが統計データです。
中川さんはタバコを吸わないのに、膀胱がんになっています。
タバコと無縁に生きている人でも、がんにかかることがあるのです。

では医療における統計を否定すればよいのかというと、そんなことは不可能です。
そう願ったとしても、過去の医療に戻ることはありません。
現在、病院に行くというのは、この医療システムに完全に取り込まれてしまうことなのです。
これが2020年6月に、病院に行くべきかどうかで悩んだ理由です。

一方で、未来の医療は個人に合った医療にするとか、オーダーメードの医療にするとか言われています。
ただしそれをやるには、膨大な情報量が必要です。
AI化が進んで、いずれそんな時代がくるかもしれませんが、今は過渡期というか、昔の医療と未来の医療の中間にいるわけです。
その中間にいるときは、どうすればよいのでしょうか。

新型コロナの対策では、みんなが勝手なことを言って、どういう対策をたてればいいのかはっきりしないまま1年以上も終息できずにいます。
でもそんなことは、はっきりしなくて当然です。
誰かが1つの論理で決めていかなければはっきりさせることはできません。

自分が医療を受けるのも同じです。自分で決めるしかないのです。
ところが、普通の人は決めるための十分な知識を持ち合わせていません。
自分で決めるために、セカンド・オピニオン(納得のいく治療法を選択することができるように担当医とは別の医療機関の医師に「第2の意見」を求めること)という制度もありますが、病気について十分な知識がなければ、結局、確率が高いほうを選ぶしかありません。

データよりも身体の声を聞くことが大事
医者のほうも、データばかり見ていると、確率的にあなたはこうだから、この治療が最善です、終わり。というようなことになってしまいます。
本当は治療しながら仕事を続けたいとか、家族との関わりとか、患者個人の事情をよく聞き出して、それに沿って治療方針を決めることが大事なのです。
中川さんはそういうタイプの医者ですが、データに乗っかって楽をしている医者が圧倒的に多いような気がします。

統計的データは、あくまで判断材料の1つです。
今後、医療システムの中にAIが本格的に入ってくるはずですが、事情は変わりません。
もしも最終的な判断をAIに預けるような医者が出てきたら、どうしようもありません。
身体がある状態を示す要因は複合的です。健康診断や人間ドックで、まったく異常が見つからなかったのに、突然倒れてしまうことがあります。
血圧とか血液検査の数値とか、身体の状態から情報化されるのはほんの一部です。
だから、予想外の病気が見つかることがあります。

私のような胸の激痛がまったく出ない心筋梗塞もその1つでしょう。
数値に目を奪われていると、健康のためにはそれだけが重要なことのように思われてきます。
健康診断に一喜一憂する人は、この罠にはまっているといえます。
もちろん、私のように健康診断を受けないことを勧めるわけではありません。

ただ、データさえ見ていれば病気にはかからない、という論理に囚われないようにする必要はあると思います。
なかなか難しいことではありますが。 自分の身体の異変に気づいて、例えばがんかもしれないと思ったとき、ネットで検査して、「万人に1人」という数字が出てきたとします。
確率が低いので、「これは違うな」と思うかもしれません。
身体に異変を感じていながら、それを無視する結果になるので、これは危険です。

私がさんざん悩んだ末に病院に行くことにしたのは、体調が悪くてどうしようもなかったからです。
前述したように、病院に行く前の3日間は眠くて眠くて、ほとんど寝てばかりいました。
それが身体の声だったのでしょう。
動物は意味ではなく感覚だけで生きています。猫が日当たりのよいところにいるのは、そこにいるのが気持ちよいからです。すべての猫を見たわけではありませんが、少なくともうちの猫(まる)は正直です。
そこにいたいからそこにいる。身体の声に従って生きているのです。

ただ、身体の声を聞こえるようにするには、自分が「まっさら」でなければなりません。
私は花粉症がありますが、症状がひどくても、これまで薬は飲まないようにしてきました。
薬で症状を抑えてしまうと、身体の声が聞こえなくなるのではないかと思うからです。
しかし、今回のように病院に行って、医療システムに取り込まれてしまうと、医者が出す薬を飲まないわけにはいきません。退院後は仕方がないので、処方された薬を毎日きちんと飲んでいます。
身体は自分だけのものではないので、これまた仕方がありませんね。

これからも医療とは距離をとって生きていく
なぜ病院に行きたくないのか、いろいろ理屈を言ってきましたが、今回は医療に助けられたことに感謝はしています。
しかし、原則として医療に関わりたくないという気持ちは今も変わりません。
中川さんも言っていましたが、受診の予定を7月にしていたら、もはや生きていなかったかもしれません。
そもそもかつての東大病院というのは、どこの医者に診てもらっても匙を投げられ、最後の望みとして患者さんがやってくる病院だったからです。
とりあえず、今回は生きて帰ってきました。
それどころか、病院嫌いの私が再び入院して、白内障の手術も受けました。 おかげで、メガネなしで本が読めるようになりました。
本を読むのが仕事の一部なので、これはとても助かっています。

ただ、白内障の手術を受けたことで、中川さんなどは私の医療に対する考え方が変わったのではないかと言っていますが、実は何も変わっていません。
これからも、身体の声に耳を傾けながら、具合が悪ければ医療に関わるでしょうし、そうでないときは医療と距離をとりながら生きていくことになるでしょう。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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