2022年06月26日

生きていくために、いちばん大切なこととは?

生きていくために、いちばん大切なこととは?
バク@精神科医:精神科医
2022.6.25 Diamondオンライン

他人とうまくコミュニケーションできないことからくる孤独感や閉塞感、自己肯定感の欠如、SNSによる誹謗中傷やバッシングなど、私たちは、いま多くの生きづらさを感じさせる事柄に取り囲まれています。
そんな中にあって、毎日を心安らかに、できるだけ快適に生きていくためには、どうすればいいのでしょうか?

発達障害(ADHD)、うつ病など、生きづらさを抱えながらも精神科医として活躍するバク先生は、ツイッターでのつぶやきが共感・絶賛され、今、人気急上昇中。
そんなバク先生の初の著書『発達障害、うつサバイバーのバク@精神科医が明かす 生きづらいがラクになる ゆるメンタル練習帳』(ダイヤモンド社)の中には、生きづらさを解消するための実践的なヒントが詰め込まれています。
本連載では、同書の中から心がスッと軽くなるアドバイスをお届けします。

休憩することは、サボりではない
 自分へのプレゼントだけでなく、そもそも自分を休ませたり、慈しんだり、自分で自分を大事にすることにすら罪悪感を持つ人がいます。前回のJさんもそんなタイプでした。
 ですから2万円の使い道を考える前に、私はJさんに「休み」を設けることを提案しました。
「毎日やっている家事をちょっと休憩する時間を、週に2回でいいからつくりましょう。
その時間は自分の好きなことをやって、それで欲しいものができたら、2万円を使ってみませんか」

 ちょっと休憩するなんて、言われなくても誰でもできるんじゃないのと思われますか? 
 そう思えるなら、あなたは凄く幸せな人か、実はこの話を十分に理解できていない人かもしれません。

 この世の中には、休憩することをサボっていると誤解している人が山のようにいます。
休憩はサボることと違い、一回ではやり遂げられないことを最後までやりぬくために、必ず取らないといけない行動の一つです。

あなたは人生、ちゃんと 休憩しながら送れていますか?
仕事の場合では、厚生労働省の定める労働基準法で「休憩」については厳密に定められています。
 たとえば、6時間以上8時間以下の勤務時間の場合は、少なくとも45分以上で、8時間以上の勤務時間の場合は、少なくとも1時間以上の「休憩」を取る権利が労働者には存在している、と明記されています。
 この「休憩」中にちょっとでも仕事をすると、その時間は「休憩」に含まれません。
就労時間の上限も1日8時間、週に40時間までと制限されています。
 なぜ、このような条件が定められているかと言うと、これ以上の労働時間が長期間継続した場合、過労死する可能性が非常に高くなることが判明しているからです。

 これが家事などのように、いつからいつまでが労働なのかわかりにくい場合、完全に家事をしない時間は非常にとりにくく、無理をしていることにも気づきにくいのです。
 人生は長いので、必ず適度、適切に休憩を取らないと倒れて当たり前です。
あなたはちゃんと人生、休憩しながら送れていますか?

「自分をケアすること」は、 生きていくうえで最優先にするべきこと
 かつてブッダは悟りを得ようと、苦しい修行をずっと続けていました。
 けれども、断食修行を続けても悟りが開ける気配すらありません。
ブッダはボロボロの体を清めるために近くを流れる川にフラフラと向かいます。あまりに身なりもボロボロで、痩せ細っていたためか、ブッダは樹に間違えられます。
 そして、たまたま近くで樹の神様へ感謝を捧げていたスジャータさんという人が、ブッダを樹の神様だと思い込みミルクがゆをご奉納しました。
多分ブッダも相当悩んだと思います。
 受け取ってしまったら、数年にわたって苦行をしてきた自分が間違えていたと認めてしまうことになるのではないか?
これまでの苦行が無駄になるのではないか?
他の僧仲間にも苦行を断念したとバカにされるに違いない。
 いろいろな思いが去来しつつも、ブッダはここで「過去の間違った考えにとらわれた自分」と決別することを選び、ミルクがゆを口にします。

脳がエネルギー不足でマトモに動かないとき、人はうつになりますし、判断力は概ね欠如し間違った選択をします。
苦行中のブッダもそうだったのではないでしょうか。
 ミルクがゆで脳にエネルギーが回るようになったブッダは、身体も回復。心身共に健康、穏やかな気持ちで近隣の菩提樹の下に座し「人間は、あまりにしんどいことを自分に課しても得るものはない!」と悟ります。
これが仏教の出発点です。

 過去の偉人ですら、「やり過ぎはダメ。しんどいだけでは何も成し遂げることはできない」と言っているのに、現代の私たちが、自分に厳しくしたところで得られるものは病気だけだと思います。
 そう考えると、「自分をケアすること」は、生きていく上で最優先にするべきことです。

野生動物だって、基本は自分が生存することが最優先で、他者のために生きている動物なん「利他」を強調しすぎてはいけない
 シマウマのように群れのために一匹だけが犠牲になる草食動物もいますが、それは「自分だけが犠牲になる」というわけではありません。
単純に彼らは群れ全体の生存を優先し、自分たちの種族が今後生き残ることを目標に動いているだけです。

 たとえば、体の弱い一体がライオンに襲われているうちに、他の皆が逃げる。
残酷と思われるかもしれませんが、自然の中では生存のために必要なことです。

 現代社会の人間は昨今やたら、「誰かのために生きる」ということを強調し、よいことだと言う流れですが、これはとても不自然なことなのです。  

【POINT】
「誰かのため」ではなく、自分を最優先にして生きる。

posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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