安倍氏銃撃事件で露呈した「固定観念の罠」、
動機・銃撃能力・警備体制…
田岡俊次:軍事ジャーナリスト
2022.7.14 Diamondオンライン
「民主主義への挑戦」なのか 銃撃事件が浮き彫りにしたもの
安倍晋三元首相銃撃事件が発生した直後、与野党の政治家や報道機関は、「政治的テロ」かのように捉えての言動や報道が相次いだ。
「言論を銃撃、暴力で封殺する行いは断じて許すことはできない」などと犯人を激しく非難し、「民主主義が決してテロに屈してはならない」と訴えた。
だが山上徹也容疑者(41)を奈良県警が取り調べたところ、独善的な政治理念といった“高尚”な動機ではなく、個人的な不遇の鬱憤を晴らす行動だったことが分かってきた。
これに似た事件が起きたのが、2008年6月、東京・秋葉原で起きた25歳の青年による殺傷事件だ。
買い物客で雑踏する歩行者天国にトラックで突入、大型ナイフで人々を刺してまわり、7人が死亡、10人を負傷させた。
青年は、青森県の進学高校を卒業したが大学に入らず、職場を転々、自殺をほのめかしていたという。
メディアは青年が派遣社員として働いていたことから不遇で「社会に不満を抱いた派遣社員の犯罪」と伝えた。
その後の裁判では教育に熱心だった母親への鬱積した感情が主な動機だったことが明らかになる。
ある種の固定観念が問題の本質を捉え間違えたり、本当の課題を見えにくくしたりする「罠」といってもいいだろう。
元自衛官だったことを 銃撃能力と結び付ける無理
山上容疑者も奈良県随一とされた高校の優等生で応援団長を務めて人望もあったようだが、卒業後は家庭の都合からか大学には進学せず、専門学校に入った。
2年間専門学校で学んだ後、2003年から2005年まで3年間は任期制自衛官として海上自衛隊に勤めた。
任期制自衛官というのは、3カ月の基礎訓練後、階級が最下位の2等海士(2等水兵)となり、3年後本人が希望し、選考に通ればさらに2年間継続任用される。
これに対して、防衛大学校や一般大学出身者は入隊すると菅長(下士官の最上位)に任じられ、1年後には3尉(少尉)の士官となる。
中学、高校で優等生だった山上容疑者にとっては、鬱屈した思いを抱くことがあったのではないか。
継続任用されずに除隊したのは嫌気が差したか、協調性に欠けると見られたのかもしれない。
今回の事件では、山上容疑者が短期ながら海上自衛隊にいたことで、射撃や拳銃製作の知識、経験を得たかのように報じられている。
だが2等水兵は、小銃射撃については、基礎教育で一応習う程度だ。
彼は護衛艦「まつゆき」の砲雷科に属したが、扱うのは口径76ミリの艦砲や対空、対艦、対潜水艦ミサイルで、拳銃とはほとんど無縁だ。
約17年も前に海上自衛隊にいたことを今回の銃撃事件に結び付けるのは無理がある。
これも固定観念からの見方だ。
あまりに短絡的な動機 旧統一教会幹部と同一視
山上容疑者は取り調べに対し、建設業者だった父が亡くなった後、母が韓国に本部があるキリスト教の亜流の統一教会(現在は「世界平和統一家庭連合」)に入信し、多額の寄付をし、家も売却するなど家庭が崩壊したことを恨んで、その宗教団体の幹部を成敗しようとして爆弾や拳銃を作った、と語っているという。
だが宗教団体の幹部を殺害するのは難しいと判断し、昨年9月、世界平和統一家庭連合の集会で約5分間のリモート演説をして、その幹部を称賛した安倍元首相を狙ったと動機を語っているという。
かつて警察庁が「最も悪質な商法」と断言して取り締まりを指示した「霊感商法」や大学のキャンパスで正体を隠した勧誘、「合同結婚式」などで非難された宗教団体を、自民党の最大派閥を率いる安倍氏が称賛する演説をしたのは、いかがなものかと思われる。
だが、安倍氏が韓国系の宗教団体の信者ではなかったことは明白で、山上容疑者の母親が多額の寄付をしたことに安倍氏は何の責任もない。
その宗教団体幹部と同一視する発想はあまりに短絡的で、山上容疑者の殺意は八つ当たりのようなものだ。
今にして思えば安倍氏は見境がないといってもいいほど、外国人に対し好感を与える“天才的八方美人”で、韓国の宗教団体への祝辞もその一端にすぎなかったのだろうと思われる。
なるべく敵を作らず、友好国を増やすのに努めるのは外交の定石だが、安倍氏の対外的言動は他国の好感を得ることはできても首尾一貫しないことが少なくなかった。
実際、安倍外交自体、外交の定石とはいえ、方向性がはっきりしなかったことは否めない。
対中外交では、第1次安倍内閣の成立当初から安倍氏は中国との「戦略的互恵関係」を唱え、尖閣諸島問題では2014年11月に習近平国家主席と会談し「双方が異なる見解をを有する」ことを認めて互恵関係の原点に立ち戻り関係を改善することで握手した。
中国が進める「一帯一路」計画に対しては2017年6月に協力を表明、安倍氏が習氏を国賓として招いたが、コロナ禍で実現しなかった。
日中関係改善に尽力したことは事実だ。
だがその一方で、2016年8月に「自由で開かれたインド太平洋」を目指す米国の中国包囲網結成に賛同し、米中戦争を念頭に同盟と防衛力強化を進め、米、印、豪などとの共同演習を行った。
安倍元首相の死去に際して、北朝鮮を例外にウクライナ問題で対立が激化するロシアのプーチン大統領や台湾など多くの国々からも続々と急逝を悼む弔電が送られ、安倍氏が友好に貢献したことに感謝した。
だがそれぞれ利害が異なる国々がこぞって安倍氏の友好的政策を評価したのは、安倍氏が相手国に気に入られるような矛盾した言動を続けた証左とも思われる。
弔意と感謝を示すのは礼儀と同時に、日本が約束したことを再確認する手法でもあるだろう。
成果のほどは確定しないが、よくもこれだけ八方美人を演じられたものと感服せざるを得ない。
こうした中でも、韓国の旧統一教会への祝辞はやり過ぎの感があり、それが安倍氏の命取りとなってしまった。
杓子定規だった警護体制 テロの対象者や実行者も変化
固定観念の「罠」ということでいえば、テロ防止でも、今回の事件は教訓を残した。
今回、安倍元首相の警備では、東京の警察庁から派遣されていた要人警護を専門とするSPは1人で、しかも役割はおそらく本省との連絡官にすぎず、警護の中心は奈良県警の警察官が当たっていた。
現職の閣僚などには、通常は数人のSPが付くのだが、安倍元首相は退任後は一衆議院議員ということで、SPを1人しか付けなかったようだ。
だが安倍氏は自民党内の最大派閥を率いる実質的には最大の権力者の一人で、それだけに憎まれることも多かったはすだ。SPは要人の前後左右に4人は付けるのが現実的だったろう。
官僚の杓子定規の判断が災いしたといえる。
要人警護では対象の人物の官職の上下よりは、襲われる可能性の大小をもっぱら考える戦術的判断が重要なはずだ。
さらにいえば、テロの対象者や実行者に対する観念も変える必要があるかもしれない。
従来の極右、極左のテロリストは何らかの組織に属した者が一般的だったから、公安当局が兆候を知り、事前防止がある程度できた。
だが、今回の安倍元首相銃撃や秋葉原の無差別殺傷のように将来への絶望感や個人的な動機から要人殺害や多数の人々を殺傷しようとする個人的なテロは予防が難しい。
日本は銃器の取り締まりが厳しいとはいえ、鉄パイプや火薬の材料となる薬物、陸上競技のスタートピストル用の雷管などを使い、先込み銃を作ることはそう難しくない。
爆弾も自爆テロ用なら簡単に作れるから、今回の事件の模倣犯が出る危険が案じられる。
2019年7月に京都市伏見区で起きた京都アニメーション制作会社の放火(死者36人、負傷者33人)や2021年12月に大阪市曽根崎で起きた精神科医院の放火(死者26人、負傷者1人)もそうした一匹狼のテロ事件だった。
こうしたテロを考えれば、放火による大量殺人を防ぐため、火の手が上がると自動的に天井から水あるいは消火液を散布するスプリンクラーの設置に関係省庁と自治体が取り組むことも、「テロとの戦い」に有効な対策になると考えられる。
(軍事ジャーナリスト 田岡俊次)