2022年09月02日

小池栄子が生き残り続けるワケ。水着イメージを早々に払拭した演技力とキャラ

小池栄子が生き残り続けるワケ。水着イメージを早々に払拭した演技力とキャラ
2022年09月01日 SPA!

◆女優としての高評価は最近じゃない
 女優の小池栄子(41)が売れっ子なのは今さら言うまでもない。
現在はNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で政子を演じる一方、フジテレビの月9『競争の番人』で公正取引委員会の主査・桃園千代子に扮している。

小池は「仕事を趣味にして生きている」(8月21日、アフラックの記者会見)そうだから、満足な状態のはず。
目下の悩みは「もっとお芝居が上手になりたい」(同)とのことなので、正真正銘の仕事人間である。

 小池が女優として急成長したのは最近と見る向きもあるようだが、それは違う。
早くから女優として高く評価されていた。
27歳だった2008年には死刑囚(豊川悦司)と獄中結婚する主人公を演じた映画『接吻』で毎日映画コンクールなどの主演女優賞を受賞した。
 2016年には読売演劇大賞の最優秀女優賞を得ている。
舞台に立つ人間なら誰もが憧れる賞だ。
2002年には大竹しのぶ(65)、翌2003年には寺島しのぶ(49)が獲っており、受賞は演技巧者であることの証明でもある。

◆好感度の高さは女優業以外にも
 にもかかわらず、なぜ女優としての実績を認識してなかった向きもあるのかというと、情報番組やバラエティでも引っ張りダコだからだろう。
18年も続いているテレビ東京の経済情報番組『カンブリア宮殿』では作家の村上龍氏(70)と共にMCを務めている。
フジテレビ『芸能人が本気で考えた!ドッキリGP』の司会もやっている。
10月から再開されるTBS『クレイジージャーニー』でも松本人志(58)らと司会を務める。

 女優として売れっ子でありながら、これほど情報番組やバラエティに出る人は極めて珍しい。
演技力は別とし、本人のキャラクターも視聴者受けするので、番組にとっては魅力なのだ。
 そのキャラはよく知られているとおり。飾り気がなく、異性にも強者にも媚びず、力強さと明るさと清潔感があり、知的でフェア。引く手あまたとなるはずである。

 企業は小池が世間から好かれていることをよく知っている。
小池が出演中のCMはアフラック、味の素、花王、ソフトバンク(ワイモバイル)など10社。
40代以上の芸能人ではトップクラスだ。
CMの多さは好感度の高さを表す。
企業は芸能人をCMへ起用する前、その芸能人が消費者にどう思われているのかを徹底的に調べるためだ。

 好感度の高さは女優業にもプラス。
視聴者や観客は女優のキャラをどこかで意識しながら演技を見ているからである。
吉永小百合(77)を始め、大物女優や人気女優と呼ばれる人たちは例外なく好感度が高い。
テクニックがあるだけで大女優や人気女優になるのは難しい。

◆タクシー三昧だった幼少期の告白にも
 小池が生まれ育ったのは東京・下北沢。
幼かった当時をインタビューで振り返るとき、こう口にすることがある。
「幼稚園のころ、祖父と遊びに行くときはいつもタクシー。歩きませんでした」
 祖父が東京・下北沢でパチンコ店を営み、裕福だったためだが、下手をすると反感を買いかねない言葉である。
ところが、小池にはその心配がない。
歯に衣着せぬ物言いをする人だが、発言が問題になった試しもない。
 これも好感度が高いから。
そうでない女優がタクシー三昧だった過去を明かしたり、遠慮せずにズバズバと発言をしたりしたら、まず間違いなく反感を買うだろう。  
中学からは九段にある私立の女子中高一貫校で学んだ。
いわゆるお嬢様学校だ。
在学中の6年間はダンス部に所属した。人気者だったという。このキャラなら、そうだろう。 

 中3のころから街頭でスカウトから声を掛けられるようになる。
本人にも女優への憧れはあったが、現実的な夢は保育士。
誘いは断り続けた。
だが、17歳だった1997年のときに元所属事務所代表の野田義治氏(76)に熱心に口説かれ、芸能界入りに反対だった両親の説得にも当たってくれたため、憧れの女優を目指すことを決意した。

◆水着になることに反発
  デビューは高3だった1998年。フジテレビの深夜ドラマ『美少女H』に出演した。
その後も藤原紀香(51)が高校教師に扮したフジの学園ドラマ『ナオミ』(1999年)に生徒役で出るなど女優としての滑り出しは順調だった。
 ところが、すぐに転機が訪れる
野田氏から水着写真集『Eiko』(同年)の仕事を打診されたのだ。
デビュー前の約束で、「水着の仕事はしない」ことになっていたが、身長166・B91・W66・H87(当時の公称サイズ)の小池を水着写真集業界が放っておかなかった。
小池は当初、断って芸能界を去るつもりだった。
「何で知らない人の前で水着を着て、セクシーポーズを取らなくちゃいけないのか。恥ずかしかったし、約束が違うという気持ちもありました」(日刊スポーツ、2006年5月21日付)

 その気持ちを母親に伝えた。
母親は芸能界入りに否定的だったので、引退を支持してくれると思っていた。
ところが、母親の言葉は予想に反するものだった。
「おまえを信じてる。頑張れ」(同上)

 当時はデビューから1年余。辞めるのは女優として足跡を残してからでも遅くはない、と母親は考えたのだろう。
この言葉に背中を押され、小池は写真集の仕事を受けた。
 以後、小池は2004年までに計11冊も水着写真集を出した。
だが、その記憶が薄らいでいる人が多いのではないか。
芸能人にとって水着写真集は両刃の剣。知名度はアップするが、後々まで色眼鏡で見られてしまう場合もある。

ところが小池は水着のイメージが早々と払拭された。
水着姿よりキャラの魅力が勝ったからだ。

◆女優業に一途にまい進
 水着の仕事と並行して女優業に精力的に取り組んだことも大きかった。
映画は故・森田芳光監督の『模倣犯』(2002年)、堤幸彦監督(66)の『2LDK』(2003年)、中島哲也監督(62)の『下妻物語』(2004年)などに出た。

実力ある監督たちの教えを立て続けに受けた。
 舞台にも立った。松尾スズキ氏(59)の演出による名作『ドライブ イン カリフォルニア』にも2004年に登場している。連続テレビ小説『こころ』(2003年度上期)にも出た。
寝る間もないくらい忙しかったはずだ。
その分、鍛えられ、演技は瞬く間にうまくなった。

 野田氏は筆者の取材に対し、小池の性格を「一途」と評していた。
事実、ずっと仕事一途。
本人も「仕事を趣味にして生きている」と言うくらいである。
 だから若くしてデビューしながらスキャンダルの類は一度もない。
21歳だった2002年に元格闘家の坂田亘氏(49)と知り合うと、ほどなく交際を開始。2007年に結婚した。
坂田氏は現在、小池の個人事務所の代表も務め、公私ともにパートナーである。

◆前回の大河出演では巴御前を名演
 ちなみに小池と坂田氏は2009年、一部スポーツ紙に破局の危機を報じられたことがある。根拠は不明だった。
こういった場合、芸能人側はもちろん抗議するが、それで済ませてしまうことが大半だ。
だが、小池は民事訴訟を起こした。
力強くフェアなキャラのとおりだった。勝ったのが小池であるのは言うまでもない。

 大河への出演は『鎌倉殿の13人』が2作目。
くしくも前回の出演作も源平合戦が描かれる『義経』(2005年)だった。
演じたのは、木曽義仲(同作では小澤征悦)の愛妾で武者の巴御前。今も語り継がれる名演を見せた。
 中高の6年間、ダンス部にいたくらいなので、殺陣はキレッキレ。
それより見る側の胸を打ったのは義仲の子・義高(同・富岡涼)へ降り注いだ愛情だ。
演技とは思えぬほどだった。

義高が源頼朝(同・中井貴一)の人質になることが決まった際には最後まで頑として反対した。
その後、義高が頼朝の命令によって殺されるのは知られているとおりである。
 当時、小池は義仲を鎌倉に送り出すシーンを振り返り、「ああ、手放したくないと思った」と語った(ステラ2005年5月27日号)。本人も愛情深いのだろう。
「演技力は衰えたり、目減りしたりしない」とよく言われるが、キャラも一生もの。
小池の時代はまだ続く。

<文/高堀冬彦>
 放送コラムニスト/ジャーナリスト
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味・好きな事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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