2023年02月17日

誤解は放っておいて自然に消えるのを待つべし

養老孟司「それは誤解」と説明しても、相手は相手で「自分が正解」と思っているからたいてい無駄。
誤解は放っておいて自然に消えるのを待つべし
2/16 婦人公論

「考えても答えは出ません。それでも考え続けます」と話すのは、東京大学の名誉教授で解剖学者、『バカの壁』などのベストセラーを持つ85歳の養老孟司さんだ。
養老先生は子供の頃から「考えること」について意識的で、一つのことについてずっと考える癖があったことで、次第に物事を考え理解する力を身につけてきたそうです。
著書では脳と心の関係から、自分を自由にしてくれる養老流ものの見方、考え方を解説しています。
その先生いわく、「あの人は私をわかっていない」「私を誤解している」などと思うのは、誤解ではない「正解」があるという前提に立っているからだそうで――。
* * * * * * *
自分も他人もわからなくて当たり前
いまでも虫を相手にしているときが、一番落ち着くのですから、世間からズレていることは間違いありません。
でも、年を取って世間や他人との折り合いのつけ方がようやくわかってきました。
人のことをわかりたいというのは、裏を返せば自分のことがわからないということです。
わかるわけがありません。自分は変わるからです。
いや、自分だけじゃなく相手も変わる。
自分のことさえわからないのだから、他人のことがわからないのは当たり前です。

だったら他人だって、あなたのことがわかるはずがありません。
それなのに、「あの人は私をわかっていない」「私を誤解している」などと人は言います。

正解なんてあると思わないほうがいい
「わかってない」「誤解している」というのは、誤解ではない「正解」があるという前提に立っているからです。
人は変わるのだから、正解なんてあると思わないほうがいい。
大事なのはその誤解をどう受け入れるかです。

はっきり言うと、誤解は誤解のままで、気づくまで放っておくしかありません。
励ますつもりで言ったのに、嫌味に取られる。
言った、言わないでしょっちゅうケンカしている夫婦もいる。
そういう誤解を解こうと思って説明してみても、たいていの場合、徒労に終わります。

講演で百人を前に私が言ったことに、百人のうちの何人がどう反応するか、こちらはわからない。
質疑応答で何か反応が返ってくる。 それに対して、他の誰かがまた反応する。明らかに誤解だという感じを受けることはあります。 でも、誤解の解きようがありません。
誤解が渦を巻いている中で「いやいや、私は本当はこういうことを言いたかったんで」なんて言いかぶせてもほとんど意味がありませんから。

放っておくと自然に解けて消えていく
誤解されたままなんて嫌だと思うかもしれません。
だけど「それは誤解です」と言ったって、相手は相手で自分が正解だと思っているから、たいてい無駄に終わります。
誤解の多くは、放っておくと自然に解けて消えていきます。どうでもよくなるんです。
長い時間がかかるかもしれませんが、それまでは自分も周りも受け入れるしかありません。

その時間を「損」と思うと、短時間で、合理的に「誤解を正そう」という話になる。
そこで無理矢理「これが正解なんだよ」と説明しても無駄なことです。
せめて自分が相手を誤解しないようにしよう。相手をよく理解しよう。

でも、相手だって変わっていきます。
常に同じ正解があるわけじゃない。
だとしたら、理屈や論理でわかるはずがありません。
理屈や論理は、いつも「同じ」であるものしか扱えないからです。

いつでも使える方法はない
じゃあどうするか。
その都度その都度、瞬間で感じ取るしかありません。
生きているというのはその瞬間、瞬間で、状況は常に違ってきます。諸行無常です。
人の機嫌なんてしょっちゅう変わる。
同じことを言っても、昨日と今日では反応が違ってくる。
だから、いつでも使える方法はありません。

物事にはタイミングがあり、いい時機かどうかはその都度気づくしかない。
その方法は、人から教えてはもらえないし、教えようがありません。
人によって、時間によって、場所によって、すべて状況が違うわけですから、一般化ができないのです。

※本稿は、『ものがわかるということ』(祥伝社)の一部を再編集したものです。
posted by 小だぬき at 01:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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