年金支給開始年齢「再度引き上げ」は必至、やはり“虚構”の年金財政
一橋大学名誉教授 野口悠紀雄
2023.4.13 ダイヤモンドオンライン
単純化したモデルで 年金財政の本質を見る
個人が老後のためにどれだけ自分で蓄積しなければならないかは、高齢化が進む日本では一大関心事だが、それは公的年金がどうなるかによって大きな影響を与える。
だから、年金財政の長期見通しは大変重要だ。
ただし、年金財政の見通しはさまざまな要素が関連するので複雑だ。
政府による直近の財政検証(2019年)は、人口や労働参加、物価や賃金などの経済の状況などで6つのケースを想定して、収支計算をしているが、これでは、想定の妥当性を評価するのは難しく、いかなる要因がどのように影響するかも判別しがたい。
しかし、もっとも重要なポイントを抜き出して、できるだけ単純化した形で年金財政の今後を考えてみれば、悲観的にならざるを得ない。
2000年の法改正で老齢厚生年金の支給開始年齢の60歳から65歳への引き上げが決められて、現在、段階的に実施されているが、再度の引き上げが避けられそうにない。
「ゼロ成長経済」想定すると 1人当たり年金額23%削減必要
重要なポイントを単純化して考えることは、問題の本質を理解しやすい。
最初にゼロ成長経済を想定しよう。
つまり物価上昇率も賃金上昇率もゼロだとする。そして2020年から40年の20年間を考える。
また、ある年齢階層での総人口に対する保険料・税負担者と年金受給者の比率は、どの年齢階層でも同一と仮定する。
したがって以下では、保険料・税負担者数と年金受給者数でなく、人口を考えることにする。
また、15〜64歳人口が保険料や税を負担し、65歳以上人口が年金を受給するとする。
国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、20年から40年の期間に、15〜64歳人口は、7405.7万人から5977.6万人へと、0.807倍になる。
他方、65歳以上人口は、3619.1万人から3920.6万人へと、1.083倍になる。
これは、出生中位、死亡中位の推計だ。
実際の出生率はこの想定より低くなっているが、40年頃までの15歳以上人口を考える限り、この数字にはほとんど影響はない。
20年における負担総額(保険料+税負担)をCとする。政府は、保険料率を現状より上げないとしている。国庫負担率も変わらないとすると、40年における負担総額は15〜64歳人口が減少するのに伴って、0.8Cに減少する。
一方、20年における年金給付総額をBとする。そして、40年における一人当たり年金給付は、20年のb倍になるとする。すると、40年における給付の総額は1.1bBとなる。
したがって、20年後をバランスさせるには、0.8C=1.1bBとなることが必要だ。
単純化のため、負担総額と給付総額はバランスすると考える。
つまりB=Cだとする(正確にいうと、運用益を除く収支はマイナスだ。2020年度の厚生年金勘定では、収入が47.2兆円、支出が48.1兆円)。
すると、b=0.8/1.1=0.73とならければならない。
つまり、一人当たり年金額を23%カットしなければならない。
これをどうやって実現するのだろうか?
マクロ経済スライドだけでは 年金財政はバランスしない
現行制度で、その手段として考えられているのが、「マクロ経済スライド」だ。
少子高齢化のもと将来の現役世代の保険料負担が重くなる過ぎないように、政府は保険料水準の上限を決めるとともに、上限に達するまでの毎年度の保険料水準を決めたが、この収入の範囲内で年金を給付するため、現役世代の人数の変化や平均余命の伸びに伴う給付費増加に応じて給付水準を自動的に調整する。
この仕組みは2004年に導入されたが、これにより一人当たり給付を毎年r%カットする。すると、20年後には、一人当たり給付は、(100-r/100)^20倍になる。
rは0.9%と設定されているので、この値は0.83になる。
つまり、一人当たり給付を約17%カットすることが予定されているのだ。
しかし、年金財政をバランスさせるには、上記のように一人当たり給付を23%カットする必要があるので、これだけでは足りない。
実質賃金が上昇すると 年金財政は大きく好転
以上ではゼロ成長経済を想定したが、つぎに、その想定を変更し、物価上昇率はゼロだが、実質賃金が対前年比でw%だけ上昇するとしよう。
すると、その年の保険料総額は、ゼロ成長の場合に比べてw%だけ増える。
他方で、その年の新規裁定者の年金も同率だけ増える。
ただし、既裁定者の年金額は影響を受けない。
保険料の増加は、15〜64歳の人口すべてについて生じることだから、新規裁定による給付増加の約50倍の効果があることになる。
つまり、実質賃金が上がることの効果としては、保険料収入が増加することのほうが圧倒的に大きい。
そこで、以下では、新規裁定者の年金増加は無視し、保険料総額増加だけを考えることにする。
実質賃金が毎年w%上がると、20年後には賃金は、(1+w/100)^20倍になる。
w=1.1%の場合、20年後に現在の1.244倍になる。
したがって、20年後の負担総額は、0.8×1.244=0.995倍になる。
給付は上述のように、1.1×0.83=0.913倍になるので、収支は好転する。
このように、実質賃金上昇の効果は大きい。
不自然に高い実質賃金を想定 支給開始年齢引き上げが不可避
ところで、2019年財政検証では、不自然に高い実質賃金伸び率を仮定している。
経済成長や労働参加が最も進んだケース1では年率1.6%だ。
ケース2からケース4でも年率1%台を想定している。
年金財政が均衡するという結論になる最大の要因は、このように高い実質賃金上昇率を仮定しているからだ。
しかし、日本経済の現実の姿を見ると実質賃金は減少している。
19年財政検証の際には、高い実質賃金の想定の問題が十分議論されることはなかった。
22年に歴史的な物価上昇による大幅な実質賃金低下を経験した国民は、実質賃金の見通しに敏感になっている。
だから、今回の財政検証で、前回と同じような虚構を押し通すのは難しいのではないだろうか。
さらに、実際には、マクロスライドは物価が下落したり上昇分が小さかったりしてこれまで十分に機能していない。
今後も機能しない可能性が強い。
すると、支給開始年齢引き上げが不可避になるだろう。
それは、人々が自力で準備すべき老後資金に大きな影響を与えることとなる。
自己責任で準備必要な老後資金増大
極めて重大な問題なのに議論されず 以上をまとめると次の通りだ。
公的年金の財政見通しに影響を与える要因としては次のものがある。
第一は保険料・税の負担者数と年金受給者数だ。 これらは年齢階層別の人口によってほぼ決まる。
そして2040年までの期間に関する限り、もはや動かすことができない。
ゼロ成長経済を想定し、一人当たり給付が現在と変わらないとすると、20年後の給付総額は保険料総額を大きく上回る。
第二の要因は、マクロ経済スライドだ。
これによって一人当たり年金額が削減される。
ただし、これによっても20年後の収支バランスは達成できない。
第三の要因は実質賃金の上昇率だ。
年率1%程度の上昇が実現できれば、収支バランスが実現できる。
2019年財政検証は、高い実質賃金上昇率を仮定することによって、年金財政が破綻しないとの結論を導いているのだ。 しかし、この見通しは非現実的と言わざるを得ない。
かつ、マクロ経済スライドの実施には物価上昇率が0.9%を上回ることが必要だ。
この制約があるため、これまでも機能しない年が多かった。今後もそうなる可能性がある。
すると、受給開始年齢の再度の引き上げが必要とされる可能性が高い。
そして仮にそうなると、個人が自己責任で用意すべき老後資金の額は増大する。
これが極めて重大な問題であるにもかかわらず、いまのところ政府はこのことを取り上げようとしないし、野党やマスメディアも問題にしていない。
しかし正面から向き合わねばならない日がいつか訪れるだろう。
(一橋大学名誉教授 野口悠紀雄)