2023年07月23日

社会に異議 誰かが言わないと 作家・赤川次郎さん

池上彰のこれ聞いていいですか?
社会に異議 誰かが言わないと  
作家・赤川次郎さん
2023/7/22 毎日新聞

文学界には政治や社会問題について発言することを控える風潮があると言われる中で、ベストセラー作家の赤川次郎さん(75)は異彩を放つ。
新型コロナウイルスの感染拡大で、開催か中止かを巡って大きく揺れた2021年夏の東京オリンピック・パラリンピックに「五輪中止 それしか道はない」と声を上げたのだ。
ジャーナリストの池上彰さんとの対談では、時代の空気感にあらがう理由などについて語った。
  
       *
池上
 推理小説を好きになったのは、NHKに入局したてに勤務した放送局や通信部時代でした。
警察担当の時、先輩から「松本清張の作品を読め。汚職事件が題材になっているから取材の勉強になるんだ」と勧められまして。
そんな時に、赤川さんの「三毛猫ホームズ」といった作品が飛び込んできたのです。
こういうミステリーがあるのかと。
毎年ものすごいペースで作品を発表されていますが、創作の秘訣(ひけつ)はどのようなものでしょうか。  

赤川
 30代、40代は1年間で24冊といったペースで作品を出していました。今はだいぶ落ちています。
夕方に音楽を聴いてリラックスして、執筆はもっぱら深夜ですから、まさに昼夜逆転の生活を送っています。

池上
 手書きで執筆しているとうかがっています。  

赤川
 手で原稿を書くほうが早いというか、パソコンだと漢字に変換する時にタイムラグがあります。そこで文章のリズムが失われるのが嫌で、ずっと手書きで書いています。
ただ、編集者の方々は読みにくい字に苦労していますね。  

池上
 私はニュースを扱う仕事ですから書く題材には困らない。
しかし、作家はゼロから創り出す。これは大変な労力が必要だと推察します。  

赤川
 先の心配はしていません。締め切りがくれば何とかなる、と。
それに子どもの頃の経験が大きいですね。
戦後、手塚治虫さんをはじめ大勢の漫画家が活躍し、漫画雑誌が何冊も世に出ました。
僕は3歳ぐらいから漫画を夢中で読み、まねをして描いていました。
ストーリーを自分で考えることは、その頃から習慣になっていて。
ですから今でも物語を作るということに苦労したことはないですね。

池上
 朝日新聞の読者投稿欄に、赤川さんの氏名が載っていたのを見て驚きました。
21年6月の朝刊で「東京五輪は中止すべきだ」という内容でした。  

赤川
 新聞社側と相談すれば寄稿といったスタイルも取れたかもしれませんが、あくまで僕は読者として発言する形にしたかったのです。
字数が少なかったので苦労しましたけど。
載った後、関係者や知人に会う度に「読みました」と言われましたね。そういえば図書券をもらいました(笑い)。  

池上
 五輪には、やむにやまれぬ思いがあったということですね。  

赤川
 コロナ禍の中での強引な開催に黙っていてはいけない、という気持ちがありました。
特に東京五輪は大手新聞社がスポンサーになっていましたから発言力が弱いと感じていました。
それだけに誰かが言わないといけない、と。
僕の投稿後、朝日新聞の「素粒子」で取り上げていただいた。
「胸のすく思い」と。うれしかったのですが「それで終わり? 新聞社として何とかしないの?」とがっかりしたのも事実です。  
女性週刊誌にコラムを書いていますが、社会に対して発言するのは自分のためでもあるのです。自分で書いたから責任を持つ。
後から変な言動をしないようにと、自分を律する意味もあるのです。

「五輪」「国葬」議論が不足

池上
 安倍晋三元首相が銃撃されて亡くなってから1年です。
振り返ると「国葬」が何となく決まってしまった。あの頃はおかしいと思っても言い出しにくい空気感がありました。

赤川
 本当にそうです。反対しづらい空気が広がっていました。
だからこそ報道機関が中心となって、五輪も国葬も「本当にやる価値があるのか」という国民的な議論をすべきでした。  

池上
 作家は事件や社会で話題になった出来事を作品に取り入れますが、政治問題や社会情勢について自ら発言される方は少ないですね。  

赤川
 確かにあまりいないですね。
政治や社会問題に関心がないのかと思ってしまいます。
僕らの世代は学生運動を経験していますが、一つ下の世代の人々は政治に何を言っても変わらないと、ちょっとしらけているのかもしれません。  

池上
 日本の若者には、社会を変えたという成功体験がないことが大きいかもしれません。
一方、フランスを見ていると、若者たちにはフランス革命での成功体験がいまだに受け継がれているように思えます。  

赤川
 日本の学生運動は結局、何も変えられませんでしたから。  

池上
 赤川さんの作品には刑事がよく出てきますが、主役ではありません。
しかも間抜けだったり、事件解決の役に立たなかったり。その理由とは?  

赤川
 テレビドラマは刑事ものばかりですが、現実は立派な刑事ばかりというわけではありませんから。
先日も捏造(ねつぞう)を証言した公安刑事がいました。
しかし大ニュースになりませんでした。おかしいと思いませんか? 我慢しているのが美徳は間違い  

池上
 作品に登場する刑事らの言動を通して反権力、反権威といったことを表現しているのでしょうか。  

赤川
 エンターテインメントの中にでも、警察の在り方といった批判的なことを盛り込んではいます。  

池上
 そのような視点が作品のあちこちににじみ出ているから、より面白さがあるのでしょうね。  

赤川
 面白さだけではなく、自分が持っているモラルの基準みたいなものを読者の方には伝えたいという思いがあります。
作家として活動し始めた頃に発表した「マリオネットの罠」という長編ミステリーは15人ぐらいが殺されます。
たくさん殺されたほうが面白いだろうという考えがありました。
 しかし、年を取るにつれて殺される人数が減って、最近の作品では1人から2人かな。
昔ならば絶対殺していたという場面でも、最近の作品ではギリギリのところで命を取り留めた、という展開にしています。
架空の人間でもあまり殺したくないからです。
子どもを大人まで育て上げるのは大変なことですし、反対に人が亡くなるのも大変なこと。
僕も人生でいろいろ経験しましたから、簡単に人を殺してはいけないと強く思うのです。
架空の人物だとしてもそれは同じ。
そういったことで、命の大切さが伝わればいいなと。  

池上
 ただ、他の作家では多くの人が犠牲になる作品も目に付きます。  

赤川
 ある賞を選考した時、最終段階に2点残りました。その2冊で殺される人を合計したら100人を超えていた。
こんなに簡単に人を殺していいのかと……。
もちろん今の社会を見れば、大量殺人はあり得るかもしれません。それを作品の中に盛り込めば、現代を描く上でふさわしいのかもしれません。
でも、ちょっと違う気がします。
悪を描くのと、悪事を描くのは違う。
誰の中にもある悪を描くのが小説であって、悪事だけを取り出して書いても悪を表現したことにはならない。
それに残酷な描写は嫌いで。気が弱いものですから。  

池上
 現実には、安倍晋三元首相が銃撃されて命を落とすという事件が起きました。  

赤川
 思いもよらない事件でしたね。お悔やみ申し上げます。
 ただ、事件だけを見ていると、なぜ事件が起きたのかという原因を見落としてしまいます。
今回の事件の背景を調べる中で、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)と自民党との関係が明らかになりました。
当然、追及すべき問題です。
統一教会という名前は何十年も目にしてこなかったけれども、実はずっと存在していた。こういう問題はジャーナリズムがずっと見張っていないといけません。
 安倍政権の政治も銃撃事件から切り離して検証しなければなりません。
「積極的平和主義」といった変な日本語は安倍政権の時に誕生しました。
また、閣議決定が大きな権限を持つようになってしまった。
閣議決定で方向性を決めてしまい、国会は数の力で押し切ってしまう。  

池上
 国会での与野党の議席の差が大きすぎます。
野党には、何を言っても無駄という無力感があるのでしょうか。
やはり与野党の勢力が伯仲していて、議論して、解決に向けて妥協もしながら結論を出す。
以前は「熟議」という言葉もありましたが、今はほとんど聞かれません。

赤川
 国会で議論しなければならないことを、あらかじめ閣議決定して、国会では形だけ「議論はやりました」と済ませてしまう。このような閣議決定の使い方は独裁政治に近いと思っています。
 世界では、米国のトランプ前大統領、ロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席といった独裁に近い政治が国民から支持されています。
ロシアと中国は、再び帝国主義を掲げたかのように領土を拡大したいとの意思を感じます。その熱意、情熱はどこからくるのでしょうか。  

池上
 「昔の栄光を再び」ということなのでしょう。
ロシアはウクライナに侵攻していますが、武力ではなくて、音楽や文学といった素晴らしい芸術を世界に広げたほうが影響力を発揮できると思うのですが。  

赤川
 戦争の根底には、力で人を支配する快感があるのでしょう。
銃を持って人を脅して、力で言うことを聞かせる。
それには一種、麻薬のような快感があるのだと。それを理性で抑えるようにしていかないと、武力紛争はなくならないのでは。
国同士の争いに発展させないためには、文学や芸術の力が大きいと思っているのですが。  

池上
 ロシア文学が人気になれば、ロシアのことをもっと知りたいという人が増えて、国を超えた交流が生まれていきます。  

赤川
 もちろんミサイルがいつ飛んでくるか分からない状況は一刻も早く止めるべきで、「文学が大事」と言ってはいられないのは分かっています。
 それでも僕は19世紀のヒューマニズムの文学で育った人間ですので、ヒューマニズムを取り入れていない作品はエンターテインメントではないという考えです。
人との信頼関係に軸足をおいていないと物語は書けません。
人間性を大事にした作品に、多くの人々が触れてくれたら、との思いがあるのです。  

池上
 そのような作品が読まれれば、世界は変わっていくかもしれない。  

赤川
 そうですね。もちろん、それだけで文学の中で世界を描けるとは思いません。
作家の数だけ、主義主張があるわけですから。
 僕が今気になっているのは、日本人の諦めの良さ。
東日本大震災であれだけの被害を受けたのに被災地で暴動などは起きませんでした。
被災者の皆さんは我慢するというか、耐え忍んで……。
でも別の視点で見れば、悲しみを怒りに変えるエネルギーが日本人は足らない。
自然災害は防げませんが、備えをきちんとしていなかった、多くの命を助ける仕組みができていなかった、原発で大事故が起きた時の対策がなかった。そのようなことに、日本人は怒らないといけない。
我慢しているのが日本人の美徳、というのは間違いですよ。
 日本は長く戦争に巻き込まれずに今日まできましたが、東日本大震災から大きな出来事が続いています。新型コロナウイルスの世界的な流行、そしてウクライナ侵攻。とんでもない時代に生きている気がしてなりません。
子どもや孫の世代に、このままの世の中を引き継いでいいのか……。  

池上
 だからこそ、政治的な発言をされていくと。  

赤川
 発言はしていきます。「いけない」と思うことは言っておかないと。
その決意には、ある方との出会いも大きかった。
反戦、平和を訴え続けたジャーナリストのむのたけじ(本名・武野武治)さんと、1度だけ講演会でご一緒して、対談したことがあります。
「朝日新聞をやめたのは間違いだった。残って民主化を実現すべきだった」とお話しされたことが記憶に残っています。
貴重な機会でした。
 昔の米国映画を見ると、政府の陰謀に巻き込まれた人物が、証拠を手にして駆け込むのはニューヨーク・タイムズといった新聞社でしょう。
ここに行けば守ってくれるという新聞社に対する信頼感がありました。本当にうらやましい。
日本の報道機関にも弱者を守るために存在しているという立ち位置をきちんと守っていただきたい。
また、さっきお話しした公安の警察官が捏造(ねつぞう)を認めた証言は大きなニュースにすべきでした。
警察権力に捏造されたら誰しもが犯罪者になってしまう恐れがあることに気が付かないのでしょうか。
 一方、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本が優勝した時に、ある新聞社は号外を出しました。
テレビやスマホで試合を見ているのに必要はあったのでしょうか? 情けないことです。  

池上
 赤川さんのご意見は人ごとではありません。
自分も報道の責任の一端を担っていますから。日々の仕事で自問自答していきます。


【構成・瀬尾忠義】
お礼申し上げます 
posted by 小だぬき at 06:37 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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