何年続くかわからない「老後」。
還暦を迎え「一回引退」と思ったら気がラクになりました
7/22(土) クウネル・サロン
〈クウネル・サロン〉プレミアムメンバーで、整理収納アドバイザーの青木美詠子さんは、先日60歳のお誕生日を迎えられました。
「還暦」という節目を迎えて、心に去来することとは??
60歳を迎えて、「残りの人生」について考えてしまいます
今月、還暦を迎えました。
自分でも驚きです。
50歳になる時も「わー、50かあ」という感慨がありましたが、60歳はさらに。一言では言えませんが、「私が還暦か。本当に60年も生きてきたんだな」と思ったり、「残りはどれくらいあるんだろう」と考えたりします。
この頃、芸能人から知人、親戚、さまざまな方の訃報も、より身近に感じるようになりました。
今年70歳、71歳で連続して亡くなったミュージシャンの訃報には、なぜかぐっときて「え。もし70歳だったら、あと10年?すぐだ」と愕然。
いっぽうで「人生100年時代」と言われていて、「本当にそんなに生きるのなら、健康もお金も持つのかな」と思います。
老後というのは、考えてもわからず、相反する可能性の中で漂うようなところがありますね。
そんなことを考え続ける中、最近ひとつ思うことがありました。
それは「誰でも平等に旅立っていくのだ」ということ。
有名な俳優、歌手、小説家、経営者、スポーツ選手などなど、どんな偉業を成し遂げた人も、死なない人はいなくて、そして少しずつ忘れられていくのです。
残酷な言い方ですが。
そしてその手前では、どんな人でも衰えを感じたり、人気や仕事が減ったり、引退とかを味わっているのです。
一握りのそうではない人もいますが、そんなトップの人も、トップゆえの凄い情熱があるはずで、その気持ちに比べると、最後まで意欲通りに活躍できていないのでは。
それを表明していないだけで、私達にはわからない苦しみがあるのだと思います。
歳をとると、気力は衰えるもの?
私も衰えを感じます。
この歳で「また本の出版ができたら」とか考えているのに、ままならず、実力不足で成果が出ていないと思ってしまいます。世の中から見たらもう十分なのかもしれないけれど、もっとやりたい人にとっては、ただ足りないのです。
でもいっぽうで、今までずっと長く頑張ってきたので、ここにきて気力の衰えも感じ、「もういいのかな」と思うことも。
同世代の友達と「気力って衰えるね」話で盛り上がったこともありました。
完全に引退して田舎に帰る同級生もいて、しみじみ「そういう歳か」と認識します。
それで私も心の中で「一回引退」と思ってみると、状況は変わらなくても、気もラクになったりします。
でもまた、ふと気力が湧いて、「やっぱりこれはやりたい」なんて思う時もあります。
そうすると「この歳になってもまだ願望が強いなんて、その仕事が好きなんだな」とも思え、その気持ちを持ったまま、成果が出なくとも、最後まで行くのは、幸せなことかもしれないと思えました。
いい結論は出ませんし、これからも複雑な気持ちを持ったまま、揺れ動いていくことだけがわかります。
そこに健康や老後資金の悩み、夫婦や介護のことなどが絡み合って、より重たい状況になっていくのですよね。
この世代は、そういうすべてを抱えたまま、悩んだあげく「楽しく日々をやっていくしかない」という結論に達し、明るく過ごしているんだとわかりました。
人生はうまくいかないことが起こるからこそおもしろい
最近なぜか、このふたつの歌詞をよく頭に思い浮かべます。
「全てが思うほどうまくはいかないみたいだ」 (「夜空ノムコウ」作詞:スガシカオ)
「人生はあなたが思うほど悪くない」 (「元気を出して」作詞:竹内まりや)
人生はいくら努力しても、自分が思ったように、全部の夢が叶っていくわけじゃない。
でも、そんなにすごく悪いものではないということ。
逆に全部の願望が自動的に次々と叶う天国のような場所なら、面白みはなく、退屈でノイローゼになるかも。
ちっともうまくいかないから、叶った時がとびきり嬉しいのだと思います。
だから辛いことも味わいながら、叶ったことに感謝し、この人生を送っていく、ということなのでしょうか。
私もあきらめつつ、あきらめないで、楽しんだり、苦しんだりしながら、暮らしていけばいいですかね。
そんなことを思う還暦でした。