2023年08月10日

「出撃したら、絶対に帰ってくるな。必ず死んでこい!」…特攻隊員が絶対命令の「体当たり攻撃」からなぜ生還できたのか

「出撃したら、絶対に帰ってくるな。必ず死んでこい!」…特攻隊員が絶対命令の「体当たり攻撃」からなぜ生還できたのか
8/10(木) 現代ビジネス

 太平洋戦争末期に実施された”特別攻撃隊”により、多くの若者が亡くなっていった。
 だが、「必ず死んでこい」という上官の命令に背き、9回の出撃から生還した特攻兵がいた。
飛行機がただ好きだった男が、なぜ、絶対命令から免れ、命の尊厳を守りぬけたのか。  
※本記事は鴻上尚史『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』から抜粋・編集したものです。

嘘の戦死報告
12月8日は、3度目の開戦記念日だった。
ようやく耳が回復した佐々木は、カガヤン飛行場にあった短波ラジオで、開戦記念の大本営発表を聞いた。
 それは、12月5日、万朶隊の一機が特攻攻撃により、戦艦か大型巡洋艦一隻を大破炎上させたという放送だった。
万朶隊として、佐々木と石渡軍曹の名前が挙げられた。
 佐々木は烈しく混乱した。
佐々木にとって、2度目の戦死発表だった。
今回はカガヤンにいることはちゃんと無線で連絡し、返電も来ている。
 さらに、発表の内容も理解できなかった。
「万朶隊の一機」が大破炎上させたと発表しながら、11月15日、2回目の出撃で一番機として飛び立ち、行方不明になった石渡軍曹の名前が加えられていた。
 放送を一緒に聞いた整備担当の少尉は、「12月5日の攻撃を、今日発表したのは開戦記念日の景気づけだよ。
そのために、佐々木伍長をもう一度殺したのさ。その方が気勢が上がるからな」と、うがって言った。

 佐々木は、「あの時、爆弾は確かに当たっていた。あれは、間違いなく撃沈している。それを大破炎上ぐらいに言うとは、なんということだ。だいいち、どうして石渡軍曹と一緒に発表するんだろう」と憤慨した。
 そして、「2度も戦死を発表されたということは、猿渡参謀長達は、今度こそ自分を戦死させようとして、ますます厳しく出撃させるようになるだろう」と考えた。
そして、そう思えば思うほど「俺は決して死なないぞ」と心の中で歯を食いしばった。

 12月9日の朝日新聞は「三度目の出撃奏功。佐々木伍長戦艦に体当たり」という見出しを一面に掲げた。
 記事は、「万朶隊佐々木友次伍長が石渡俊行軍曹とともに単機憤怒の殴り込みだ」と書いた。
一機に二人搭乗していたという設定のようだった。
 佐々木の故郷、当別村は大本営発表と新聞記事によって、再び、大騒ぎになった。
2度目の大がかりな葬式が行われたのだ。

不時着  9日午後4時、佐々木はカローカンに戻るためにカガヤン飛行場を離陸した。
兵隊が大勢出て、激励しながら見送った。
誰もが、佐々木の童顔を見るのは、これが最後だろうと思った。
 佐々木は直進を避け、ネグロス島の南部を迂回しながら飛んでいくうちに雨が烈しくなり、マニラのあるルソン島の手前、ミンドロ島に近づくと悪天候のために航路の測定が難しくなった。
 雨雲を抜けようと高度を上げ下げしているうちに、目の下に見えたのがルバング島だと気付いた。
すぐに機首を東北に変更した。すでに日没になっていた。
 雨はますます烈しく、なにも見えなかった。
計器だけが手がかりの計器飛行を続けた。混乱して海面すれすれを飛んだりしながら、ようやくマニラの街の光がかすんで見えてきた。  ホッとして燃料計を見ると
赤い警報灯が4つ光っていた。
それは、燃料がほとんどなく、あと15分か20分しか飛べないことを示していた。

 カローカン飛行場はマニラの北にあった。
すぐに場所が分かれば、なんとかなる。
だが、マニラ市街以外は一面の暗闇だった。
雨の中、佐々木は旋回を続けながら、着陸の合図である飛行機の前照灯を点滅させた。
だが、飛行場の応答らしい灯は返って来なかった。
 不時着しかないと佐々木は思った。
佐々木の頭の中には、マニラからカローカンにかけての地形図があった。
それを暗黒の底に投射して、国道を見つけ出した。
 闇の中から電灯の光が近づいてきた。
速度は200キロから220キロに抑えた。機体の脚は引っ込めたままにしている。  電灯の光が一瞬のうちに後ろに流れ去り、前照灯の光の輪の中に、地面がぐっと浮き上がった。
着陸の姿勢を取ると、すぐに大きな衝撃が起こり、機体は烈しい音を立てて地面を跳ね上がり、ぶつかり、地面の上を滑った。
烈しい衝撃に佐々木は意識を失った。九九双軽は止まった。

 佐々木が意識を取り戻した時、辺りは闇の中で静まり返っていた。
どれぐらい意識を失っていたか分からなかった。
 今にもフィリピン人ゲリラが襲ってくるような恐怖に駆られた。
日本兵が彼らに捕まると、なぶり殺しにされると言われていた。
 佐々木は操縦席から飛び出し、機体の陰で様子をうかがった。体にはかすり傷もなかった。

 雨はやんでいて、遠くに電灯の光が見えた。
辺りはまばらに耕した田畑のようだった。
佐々木は灯に向かって走り出した。
途中で、溝に落ちてずぶ濡れになったが、そのまま走った。やがて、家の床下にもぐり込んだ。
 ゲリラの村かもしれなかった。近くで犬が吠えた。

向かいの家の窓が開いて、フィリピン人が上半身をのぞかせた。
その窓の光が、佐々木の体を照らしだした。
男と佐々木は目があった。
体の大きな、荒っぽい感じのフィリピン人だった。
佐々木は恐怖を感じた。自分は素手で、何の武器もない。

 男は大声を出して佐々木を手招きした。そして広場に案内した。
 そこには、日本語が分かる若い男がいた。
電灯のついた家に案内されると『ボカウェ村役場』という日本語の看板がかかっていた。
けれど、常駐の日本人も日本軍もいなかった。
同時に、幸運なことに、佐々木を狙うゲリラもいなかった。
その夜、佐々木はフィリピン人村長の家に泊めてもらった。
マニラから北に15〜16キロの所にある村だった。

「臆病者」
  翌日、佐々木はボカウェ村から3キロほど離れた所にいた.
日本軍の小部隊まで馬車で送ってもらい、さらに、日本軍に自動車でカローカン飛行場に運ばれた。
 飛行場大隊長は佐々木の顔を見て驚いた表情になった。カ
ガヤン飛行場を出発したという連絡があったが帰って来ないから、今度こそ佐々木もやられたとみんなで話していたのだ。

 佐々木が不時着機の収容を頼むと、すぐに村崎少尉が整備員を集めた。
佐々木も現場に向かうトラックに同乗した。
 不時着現場は田んぼの中だった。機体は頭部を土に突っ込み、尾翼を逆立てていた。
両翼は、鳥の死骸のように、左右に落ち崩れていた。
操縦席の前蓋がぐしゃぐしゃに潰れているのを見た時、佐々木は自分が無傷で助かったことが心底不思議で、そしてゾッとした。

 夜間飛行で、飛行場以外の場所に不時着した場合は、パイロットのほとんどは死ぬか重傷を負うことが多かった。
それが、軽い打撲だけで助かったのだ。
 機体が接地して停止するまでの滑走距離は、300メートルほどだった。
田んぼに稲がなく、地盤が硬かったから、なんとか機体は止まったのだ。
雨と暗闇の中、無傷の胴体着陸は奇跡としか言いようがなかった。

 村崎少尉も地面が見えないまま胴体着陸したことに心底驚いていた。
「この状態じゃあ、燃料が残っていたら、いっぺんに火葬になるところだったな」村崎少尉は冗談めかして言ったが、佐々木の技量と勇気に感心しているようだった。
 佐々木がカローカンに戻ると、司令部から出頭の命令が来ていた。
すぐに出向くと、猿渡参謀長が頭から怒鳴りつけた。
「この臆病者! よく、のめのめと帰ってきたな。
貴様は出発の時になんと言われたか覚えているか!」
 佐々木は黙って参謀長の顔を見返した。
 参謀長はさらに激昂した。

「レイテ湾には、敵戦艦はたくさんいたんだ。弾を落としたら、すぐに体当たりをしろ。
出発前にそう言ったはずだ。貴様は名誉ある特攻隊だ。
弾を落として帰るだけなら、特攻隊でなくてもいいんだ。
貴様は特攻隊なのに、ふらふら帰ってくる。貴様は、なぜ死なんのだ!」

 猿渡参謀長は、佐々木が大型船を撃沈したという戦果にはまったく触れなかった。
「その上、貴様はカガヤンまで逃げて、2日も3日も隠れておった。
ようやく帰ってきたかと思えば、飛行機を壊してしまう。
貴様、飛行機を壊せば、特攻に出ないですむと思ってやったのだろう。
貴様のような卑怯未練な奴は、特攻隊の恥さらしだ!」

 他の参謀達も、佐々木を見つめた。
 佐々木は涙が出るほど悔しかった。
だが、怒りを抑え、ゆっくりと、カガヤンでは体の調子が悪くて寝ていたと説明した。
 佐々木の言葉が終わる前に、猿渡参謀長は吐き捨てるように叫んだ。
「弁解などするな! それより、明日にでも出撃したら、絶対に帰ってくるな。必ず死んでこい!」
 佐々木は少しの反論も許されなかった。

 司令部を出た後、佐々木は直掩隊の操縦士に会った。
佐々木が体当たりをしたと報告した操縦士だった。
彼は佐々木の顔を見て絶句した。
生きているとは思わなかったのだ。
 事情を聞けば、操縦士は、佐々木が爆弾を落としたところまでは見ていたが、その後、大型船が爆発したのか、沈んだのかを見る前に引き返していた。
彼は、自分も気がついたらたった一機になっていたので、急いでその場を離れたと正直に言った。

 佐々木は、操縦士の事情も理解したが、自分が命懸けでやったことを正確に見てもらえなかったことが腹立たしかった。  宿舎に戻ると、鉾田飛行場時代に知りあった津田少尉に会った。
津田少尉は九九双軽を空輸しろという命令を鉾田で受けてフィリピンに来たら、いきなり特攻隊にされたと憤慨していた。佐々木は、自分も似たようなものですと答えた。

 津田少尉は「佐々木は戦艦を沈めたそうだが、本当か」と尋ね、佐々木は「戦艦ではないが、自分は2隻は沈めたと見ています」と返した。
 津田少尉は感心し、けれど、特攻隊がどうして帰ってこられるんだと、不思議そうに尋ねた。
佐々木は「体当たりをしなければいいんです」とあっけらかんと答えた。
津田少尉は驚いた顔で佐々木を見た。
 「万朶隊は5人の将校さんが、攻撃に出る前に戦死したんです。
佐々木は将校5名分の船を沈めるまでは、死なないつもりです。
最後の6番目は自分のものですから、このときは、どうするか、まだ分かりません」
 佐々木の表情は真剣だった。  

「体当たりをしないで、戦艦を沈めるにこしたことはない。
しかし、特攻隊が体当たりしないで生きていたら、うるさいだろう」津田少尉は正直に聞いた。
 「いろいろ言われますが、船を沈めりゃ文句ないでしょう」佐々木は人懐こい目を細くして、笑いを浮かべた。
佐々木は、この頃には、同じようなことを上級下級の区別なく、また新聞記者にも率直に、公然と語り始めていた。
誰がなんと言おうと、どんなに参謀達に怒鳴られようと、体当たりでは死なないということをはっきりと宣言しているかのようだった。

      鴻上 尚史
posted by 小だぬき at 10:30 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック