2023年08月18日

【終戦記念日スペシャル対談:湯川れい子氏×神立尚紀氏】人間爆弾「桜花」とニッポンの戦後の78年(後編)

【終戦記念日スペシャル対談:湯川れい子氏×神立尚紀氏】
人間爆弾「桜花」とニッポンの戦後の78年(後編) 
2023.8.15 週刊ポスト

 終戦から今年で78年。
戦時を知る世代も高齢となり、その数は年々減っている。
後世にどのように戦争と平和を伝えていけばいいのか──軍人の家系に育った音楽評論家・湯川れい子氏(87)と、これまで500人以上の元軍人・遺族にインタビューをしてきたジャーナリスト・神立尚紀氏(60)が、貴重な思い出と証言を交えて語り合った。【前後編の後編】

「桜花」発案者の戦後
桜花2.jpg
神立:
(湯川の次兄・湯野川)守正さんはフィリピン・レイテ島沖で敵艦隊への体当たり攻撃を内示されたものの、桜花輸送中の空母が撃沈され、出撃することはありませんでした。
特攻兵器・桜花を発案したとされる大田正一という人物についてはご存じでしたか。

湯川:
いいえ。神立さんがお書きになった『カミカゼの幽霊』、たいへん興味深く拝読しました。
大田さんについては知りませんでしたが、兄も終戦後、地下に潜るようにとの指令を受けていたこともあり、とても感銘を受けました。

神立:
守正さんとお話ししている中で大田の名前が出たことは?

湯川:
それも一度もありませんでした。

神立:
そうですか。それにしても守正さんが生きて帰ってきたときは驚かれたでしょう。

湯川:
夜、米沢の家で突然顔を見たときは、腰を抜かさんばかりに驚きました。
母はもしかしたら生きているのを知っていたのかも……。

神立:
無事復員し、家族水入らずの平穏な暮らしが戻ったわけですね。

湯川:
そうはいかなかったんです。
兄がしょっちゅう夢にうなされて、夜中に汗だくで飛び起きるんですよ。
「まだ行くな!まだ死ぬな!!」と叫んで。いまでいうPTSDのような状態でした。
特攻に行く部下を見送る夢を見ていたのでしょうね。

神立:
取材者である私にはそういった弱い所は一切見せず、最後まで軍人精神を横溢させていました。
ひとたび出撃すれば搭乗員の命が絶対に助からない桜花についても「いまの日本にこれしかないんだったら、これを有効に使ってアメ公どもを地獄に叩き込んでやろうと思っていた」と話してくれました。

本土決戦の準備で小松基地にいたときも、「もし敵が上陸してきたら、自分の部隊だけで敵の一個師団をやっつけてやるぞ」と非常に戦意旺盛な方でした。

湯川:
いや、それも兄の真実だったと思います。
ただ戦後に妹の私が見た兄は、本当に本当に苦しんでいましたよ。

more AdChoices NEWSポストセブン NEWSポストセブン
【終戦記念日スペシャル対談:湯川れい子氏×神立尚紀氏】

 1945年4月、沖縄本島へ上陸した米軍に未使用状態で鹵獲(ろかく)された桜花 1945年4月、沖縄本島へ上陸した米軍に未使用状態で鹵獲(ろかく)された
  終戦から今年で78年。戦時を知る世代も高齢となり、その数は年々減っている。
後世にどのように戦争と平和を伝えていけばいいのか

神立:
 神立:
無事復員し、家族水入らずの平穏な暮らしが戻ったわけですね。 湯川:そうはいかなかったんです。兄がしょっちゅう夢にうなされて、夜中に汗だくで飛び起きるんですよ。「まだ行くな!まだ死ぬな!!」と叫んで。いまでいうPTSDのような状態でした。特攻に行く部下を見送る夢を見ていたのでしょうね。

神立:
大田正一は戦後、名前や年齢を偽って生きたんですが、そういった思いもあったのかもしれません。

湯川:
大田さんは残虐な兵器の発案者として白眼視されがちですが、戦況を考えると、あのような自爆兵器が開発された現実はわかると兄は言っていました。
自分の乗る機の翼に火がついたら、もう敵機や敵艦にぶち当たっていくしかない。
国やそこに住む家族を守ろうと思って戦っている人間にとって、それは仕方がない必然だったと。それが戦争だと。
特攻は絶対に許されないことですが、大田さんが考えなくても、別の誰かが考えたんじゃないかと思います

「戦争は悪い」の先を書く
神立:
これまで多くの元軍人やご遺族の方にお話を聞いてきましたが、終戦のとき20歳だった人でも、現在は98歳になります。
元零戦パイロットでご存命の106歳の方もいらっしゃいますが、今後新しい取材というのはなかなか難しい。
これまでお聞きしたことをさらに掘り起こす作業に移らねばと思っています。

湯川:
戦争を知る世代が、次々と鬼籍に入っていますからね。

神立:
夫を戦争で亡くした女性が戦後に再婚するケースは多いのですが、戦後60年を経過したくらいから、その再婚相手が亡くなったのを機に慰霊祭に参加する女性も多いんです。
「やっと最初の夫のお参りができます」と。再婚相手の方には気の毒ですが、そういう感情をずっと抱えてきた女性も多いことを知り、感慨深かったです。

湯川:
戦後、次兄が自衛隊に戻るんですが、私と母は大反対しました。
そのとき、次兄は「戦争は戦争の悲惨さ、戦争をすることがいかに間違いかということを体験した人間にしか止められないんだ」と言ったんです。
それは本当にそうだろうと思いますね。

神立:
最前線で何人もの部下を失った人にしか言えない言葉の重みがありますね。
特攻隊員の生き残りの中には、指揮した人間が許せないと言って恨む人もいます。

湯川:
次兄は「傷のないやつ、瑕疵がないやつが組織のトップになるが、それが間違いのもとだ」と言っていました。
失敗の経験がないから、何度も同じ間違いを犯すことになる。
これはいまの日本の政治を見ていても思うことです。

神立:
特攻もそうですが、平和なときなら絶対にありえない愚かな行為に人を駆り立てるのが戦争ですからね。

湯川:
私がいつも思い出すのはジョン・レノンとオノ・ヨーコさんの言葉。
湾岸戦争とか、世界で戦乱が起きるたびにメッセージを出してってお願いをしたのですが、返ってくるのは「War is over, if you want it」だけ。ほかのフレーズを出してって言っても絶対に出てこないんです。
結局、一人ひとりが戦争を終わらせようと考えない限り戦争はなくならない――彼女たちは、あの段階からわかっていたんですよね。

神立:
もはや「戦争は悪い」なんていうのは決まりきったことなので、これからは「こういう人がこういう人生を歩んだんだよ」という描写を通じて、淡々と人の心の奥に訴えていくような、後の世代にも伝わるような本を書いていければと思っています。

湯川:
ありがとうございます。
音楽も平和な場所でしか存在しない。
だからこそ、これからも戦争体験者の志を引き継ぎ、伝え続けていけるよう、私も頑張ろうと思います。
私はちょっと年を取り過ぎちゃったけど(笑)。

(了。前編から読む)
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック