「子どもの留守番は虐待?」埼玉県のトンデモ条例廃案に感じる、怒りを通り越した不安
武藤弘樹:フリーライター
2023.10.14 ダイヤモンドオンライン
子どもの留守番は虐待なのか。
突如として議論を呼んだ自民党埼玉県議団が提出した条例改正案は、ひとまず大きな反発を受けて取り下げられるに至った。しかし、子どもにどの程度留守番をさせるかの基準は議論が分かれるところでもあり、今後もこのような問題提起が行われる可能性はある。(フリーライター 武藤弘樹)
大ブーイングの虐待禁止条例改正案 不穏さは完全に晴れず
「子どもの留守番は虐待」などの新たな基準を盛り込んだ条例改正案が、世論や身内からの壮大な反対にあって、これを発議していた自民党埼玉県議団が自ら案を撤回する形でひとまず落着した。
県議団の田村琢実団長は10月10日に行われた会見で、「今日取り下げを決定したので今後はゼロベース」と説明しつつも、「改正案自体に瑕疵はなかったが、安全配慮義務への言及がなかったことなどの点で、ひとえに説明不足で誤解を招き、県民・国民の皆様を不安にさせてしまったことをお詫びします」といったトーンに終止し、その“説明不足”で不安にさせられている県民・国民は、もはや説明不足といった次元ではなく、その改正案自体が瑕疵の塊にしか思えず、本会議可決という当面の危急は回避できてホッとしたものの、「今後大丈夫なの……?」という新たな不安の種を植え付けられたのであった。
県議団が多数派閥のゴリ押しをせずに、すんでのところで踏みとどまった点は評価したいが、民意や人々の生活実態からあまりにもかけ離れた条例改正案が提出されたという突拍子のなさから、県議団に他の団体が関与している噂なども複数出てきているくらいであって、完全に晴れやかな終幕を迎えたとは到底言い難い。
裏の事情に言及するほどの材料が現時点では手元にないので、本稿ではそこには触れないことにして、会見で語られた言葉や海外の子育て事情などを手がかりに、一児の子を持つ庶民として、「埼玉県で今後同種の条例が可決される可能性」について占ってみたい。
なぜこのような条例改正案が? その理念は隙だらけ
そもそも、なぜかような虐待禁止条例改正案が出たのかをまとめると、以下である。
・子どもの放置に起因する悲惨な事故をなくしたい。
・学童保育の待機児童解消のための仕組みづくり。
・改正案を通じて子どもの放置をなくす社会的気運を高める狙いもあった。
その理念自体は大いに賛同できるのだが、その理念のアウトプットは全体的に隙だらけとなった。
待機児童解消には学童保育クラブの受け皿をさらに拡充していくべきという全国的な課題が無視された感があった(待機児童がいない県も15あるが、埼玉県は全国で2番目に待機児童が多い)し、虐待につながる「放置」の定義を唐突にものすごく広げようとしたのも乱暴であった。
たとえば国内の現行法のネグレクトであれば「食事を与えない・家に閉じ込める・重い病気になっても病院に連れていかない」などと定義されているのに対し(児童虐待の防止等に関する法律 第二条)、埼玉県議団の改正案では「子ども(小学3年生以下)だけの留守番・おつかい・登下校・公園で遊ぶ」などを広くまとめて「放置(虐待)」に当たり、さらにそれを見かけた人は通報しなければならないとしたのであった。
世論のあれだけの反発を瞬時に招いたのは、現実に即していない改正案の非合理性に加えて、多くの人の人格と保護者の子育て方法を否定しにかかって、国民の怒りを買ったからである。
それまで問題なくすこやかに育てられたり育ったりしてきたつもりなのに、急に赤の他人から「その子育ては虐待」と、自分や自分の保護者に向かって指を突きつけられたら、誰でも「失礼な」と思うに決まっている。
子育てなんてただでさえ暗中模索であり、保護者は苦悩しながら各人がやれる範囲内での最大限の努力で、日々子どもと向き合っている。
号泣する我が子を断腸の思いで毎朝園に預け、夕方になれば少し早足でお迎えを急ぐ毎日である。
その人なりの「最大限」が至らずに、あるいはほぼゼロで虐待となるケースもありはするが、「自分はちゃんと努力できているのか」「自分はダメな親なのではないか」などの根源的な葛藤すら抱えて取り組む“子育て”なる事業は、他人から安易に否定されていい領域のものではない。
子どもが第一義に考えられて然るべきだが、むやみに保護者を否定する向きも歓迎はできない。
保護者あっての子どもなのだから、保護者のあらを無理くり探すより、まずは保護者をサポートできる道を探った方が建設的である。
かくして改正案に反対する正論は、国民感情と結びついて巨大な渦となり、国内を席巻したのであった。
日本と異なる海外の留守番事情 子どもの自立心を育むイベントでは?
一方、欧米諸国では子どもの留守番を虐待と定義づけている国が散見される。
子どもだけの留守番には、地震や火事などの災害、侵入者による犯罪、感電や滑落の事故などのリスクが増すことと、実際にそれが起きたとき子どもだけでは対応しきれないであろうことがその主な理由である。
日本と諸外国を比べるときは、それぞれの環境の違いに留意しなければならない。
治安のよい日本では保護者が子どもを留守番させることに、諸外国の保護者に比べれば抵抗を覚えないはずである。
一方、多くの州で子どもの留守番に関するガイドラインを持つ米国では、ベビーシッターやナニー、学童保育的なサービスが充実していて、子どもの留守番を回避させやすい仕組みが整っている。
また、子育てスタイルの違いもある。
試しに世界の母子のベッドシェア率を見てみると、大まかに「子どもの自立心を育む西洋」と「ある程度大きくなるまではみっちりお世話する東洋」の感がある(※余談だが、以下の参考記事によれば子どもの独り寝に自立心の早期育成効果はないらしい)。
【参考】PRESIDENT WOMAN 「最新の研究が明かす「子どもは何歳から一人で寝るのがいいのか」 https://president.jp/articles/-/32764
日本人にとって、乳幼児期からなるべくそばにいて面倒を見てきた子どもに留守番をさせるということは、保護者と子ども本人にとって一大イベントであり、子どもの自立心を育む契機として保護者がそれを捉え、子どもにもその姿勢で接すれば(留守番ができた子を褒めるなど)、留守番が子どもにとってプラスの影響を与えうることもごく自然に考えられる。
だから、留守番が必ずしも悪いものと断じる必要はないのではないか。
欧米ブランドに弱いのが日本であり、筆者自身もその筆頭だが、なんでもかんでも欧米的価値観をありがたがることなく、日本は日本の良さを見出していけばよろしい――。 と考えていたところ、興味深い論文を発見した。
東京都足立区の小学1年生を対象に行った調査によると、「週1回1時間以上留守番をする子どもは問題行動が増える」という結果が出たというのである。
【参考】国際健康推進医学分野 「『日本における留守番と子どものメンタルヘルスとの関連:足立区子どもの健康・生活実態調査から』に関する論文がアクセプトされました」 https://tmduglobalhealthpromotion.com/research/515/
「子どもを家に一人にすることと子どもの精神的健康との関係:日本におけるA-CHILD調査結果/https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpsyt.2018.00192/full
これは日本人としては「本当に?」と思えるような内容であり、現に筆者も書きながらそう思っているが、論文を読んでみると、どうやらそういうことらしい。
ただこの論文も、
・同分野の研究(留守番が児童に及ぼす効果を調べたもの)が他にないこと。
・今回の調査と研究が横断的および縦断的でないこと。
・生活環境の異なる別の地域(たとえば地方など)ではまったく異なる結果が出るかもしれない可能性 など、今回の結果が全てではなく、今後さらに研究していく必要があることは自ら指摘している。
子どもの留守番は一つの文化 すぐ変えろというのは無理な話
筆者は自分の体験を通して、先に書いたような「留守番が自立心を育むことにポジティブな影響を与える」ケースがあることをまだ信じているし、「留守番を通して育った子どもは問題行動が増える」ということも実感できておらず、率先して「そんなわけない」と言いたいくらいだが、子どもにとってより良い選択肢があるのなら検討する価値はあるとも考えている。
ただ、子どもの留守番は、国内ではひとつの文化というくらい生活の一形態として続けられてきたから、それが良いか悪いかは別にして、すぐ変えろというのは無理な話である。
研究が進み、国内の理解や感情、価値観がそれによって徐々に変化していくのであれば、もしかしたら「日本でも子どもに留守番させるのはやめておこう」と多くの人が考えるような未来が来るかもしれない(本当にもしかしたらの話である)。
埼玉県県議団がかような改正案を出すべきは、その未来になってから、が適切である。