2023年12月06日

強まる嫌煙社会 喫煙者ゼロは理想だが… 「たばこ=悪、一辺倒の風潮は恐怖」

強まる嫌煙社会 喫煙者ゼロは理想だが… 
「たばこ=悪、一辺倒の風潮は恐怖」
12/4(月) 産経新聞「世論輿論」

「喫煙者と非喫煙者の議論は平行線で分かりあえることはない」と、ある同僚がたばこを小欄のテーマにすることについて難色を示していたが、確かにその通りかもしれない。
寄せられた意見は賛否が分かれるものの、やはり喫煙者に否定的な意見が目立った。
《喫煙者は嫌煙の気持ちが絶対に分かりません。ワガママで言い訳ばかり、よく考えつくなという気がします》
寄せてくれた意見の一部だが、特に非喫煙者からの指摘はかなり手厳しい。

そもそもたばこは、日常生活の中で平然と火をつけ、吸い込んだ煙を吐くという行為だけに、非喫煙者からすれば耐え難いものであることに相違ない。
私事で恐縮だが、およそ20年前、結婚を機にたばこをやめた。
むろん妻が非喫煙者だったため「自主規制」したまでだ。

このころから受動喫煙がクローズアップされ、徐々に喫煙場所が少なくなった。
喫煙するために喫煙ルームのような場所を探す必要があり、「そんなに面倒ならいっそやめてしまおう」との思いも後押しした。
喫煙者の多くが思うことらしいが、自身の煙はなんとも思わないのに、他人の煙はうっとうしい。
ゆえに非喫煙者が喫煙者に厳しくなることは十分理解できる。

《すれ違ったときの服から臭う強烈な臭いは好きではありません。
しかしまだ我慢できるのです。
たばこはそんなものではありません。
それが近くから臭いでもしたら息を止めて通り過ぎます》 こうした意見も寄せられた。

健康に悪いという問題だけでなく「臭い」についても、他のものと比較にならないのがたばこのようだ。
すでに非喫煙者になった身としては、この世からたばこがなくなればいいとすら思う。
ただ、かつて喫煙していた後ろめたさは常にある。

やめたからといって手のひらを返したようにたばこ批判をするのは、説得力にかける気がしてならない。
同様の思いを抱く方からも意見をいただいた。

《私も元喫煙者ですが、今は嫌煙になっています。
屋外喫煙の煙が流れてきたら、心の中では「なんでお前の吐いた汚い煙を臭わないといけないのか」と、昭和、平成初期と職場の非喫煙者に煙を提供していたことを棚に上げて思います》とつづっている。
このようにかつての喫煙者ですら現在の喫煙者には厳しい意見が相次ぐ。
そして極端な嫌煙派からは、受動喫煙によって非喫煙者まで健康を害し、最終的に死に至らしめるといった論も目立つ。

ただ、一度立ち止まって考えてみてほしい。
受動喫煙が要因で病となった人は少なからず存在するだろう。
だが、会社や家庭の応接室に灰皿が必須で、たばこの煙が蔓延(まんえん)していた時代に生き、現在80代や90代を健康に迎えている人は多い。
日本は国際社会においても指折りの長寿国だ。
さらに言うまでもないが、日本は自由が保障された民主主義国家である。
まして多様性が重視される社会で、マナーを守っている喫煙者の言い分も否定するのであれば、それは過剰反応ではないかと思えてしまう。

たばこばかりが非難され、自動車の排ガスを問題視しないことに疑問を抱く男性は、現状をこう指摘する。

《喫煙だけが無条件に悪とされ、喫煙者ならいくらたたいてもよいという今の風潮には、恐怖すら覚えます》
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック