特攻隊、戦果と意義の客観的見直しを 軍事作戦の邪道ではあるが…3倍の敵と刺し違え、戦後の抑止力≠ノも
12/13(水) 夕刊フジ
【井上和彦 歪められた真実】
戦後の日本社会では、「特攻隊」は悲劇の象徴でしかなく、軍部を批判する絶好の材料となってきた。
だから特攻作戦の意義や戦果を再評価し、特攻隊の顕彰を口にしようものなら、たちまち「戦争を美化している」などと、お門違いの批判を浴びるはめになる。
戦後の日本は特攻隊への評価は、完全な言論統制下にあるといってよかろう。
しかし、事実として、特攻隊は大きな戦果を挙げ、米軍将兵の心胆を寒からしめていたのである。
こうした史実を歪(ゆが)め、特攻隊員に対して偽善的な哀れみの情を込めて無駄死だとか犬死などというのは、英霊に対する冒瀆(ぼうとく)なのだ。
1944(昭和19)年10月25日、フィリピン・マバラカット基地から出撃した関行男大尉率いる神風特別攻撃隊「敷島隊」による最初の攻撃から終戦までの約10カ月間に、海軍の特攻機2367機が敵艦隊に突入して2524人が散華した。そして、陸軍は同1129機が出撃し、1386人が散華した(※資料によって人数は異なる)。
一方、連合軍は甚大な被害を受けていたのである。
筆者の調べによれば、特攻隊によって撃沈または撃破された連合軍艦艇は278隻に上り、資料によっては300隻を超えるとしたものもある。
人的被害もまた驚くほど大きかった。
米海軍だけでも、特攻機の体当たりによる被害は、戦死者が約1万2300人、重傷者は約3万6000人に上り、さらに、あまりの恐怖から戦闘神経症患者が続出している。
つまり日米両軍の戦死傷者の数だけを単純比較すれば、特攻隊は、実に3倍の敵と刺し違えていたことになる。
《日本の奴らに、神風特攻隊がこのように多くの人々を殺し、多くの艦艇を撃破していることを寸時も考えさせてはならない。》(安延多計夫著『あゝ神風特攻隊』光人社NF文庫) これは米海軍ベイツ中佐の言葉である。
戦後の日本は、こうしたことを軍事的見地から客観的に検証し、実戦を経験した軍人の証言に真摯(しんし)に耳を傾けてこなかった。
特攻隊員は、その意志に反して強制的に志願させられたかのごとく言われ、あろうことかかわいそうな若者≠ノ仕立てられてきた。
だが、特攻隊員の肉声はそのようなものではなかった。
彼らは至純の愛国心を胸に戦い、命を祖国のために捧げたのである。
もちろん特攻は軍事作戦の邪道である。
だが、その戦果と意義を客観的に見直し、まずは散華された特攻隊員を顕彰すべきではないか。
特攻隊は、世界の人々の日本人観に多大な影響を与え、戦後も「日本に手を出すと痛い目に遭う」と思わせる抑止力≠ニなって日本を守り続けてきた。
つまり、かつての特攻隊の武勇は、戦後日本の抑止力ともなってきたことを忘れてはならない。
(軍事ジャーナリスト) =おわり