なぜ、小保方晴子氏の不正は世界から異様に注目されたのか? ――あなたが知らない科学の真実
スチュアート・リッチー,矢羽野薫 の意見
2024.2.6 ダイヤモンドオンライン
「すべての科学研究は真実である」と考えるのは、あまりに無邪気だ――。
科学の「再現性の危機」をご存じだろうか。
心理学、医学、経済学など幅広いジャンルで、過去の研究の再現に失敗する事例が多数報告されているのだ。
鉄壁の事実を報告したはずの「科学」が、一体なぜミスを犯すのか?
そんな科学の不正・怠慢・バイアス・誇張が生じるしくみを多数の実例とともに解説しているのが、話題の新刊『Science Fictions あなたが知らない科学の真実』だ。
単なる科学批判ではなく、「科学の原則に沿って軌道修正する」ことを提唱する本書。
イギリスで発刊された本書の中から、今回は、かつて「STAP細胞」で日本中を騒然とさせた小保方晴子氏に関する本書の記述の一部を抜粋・編集して紹介する。
小保方氏は「目を引く証拠を大量に集めていた」
2014年、日本の理化学研究所(理研)の研究チームが、人工多能性幹細胞(iPS細胞)に関連して新たな成果を報告する2つの論文を『ネイチャー』に発表した。
幹細胞と違って、iPS細胞は成熟した大人の細胞から作製できるため、胚由来の細胞を使う必要が少なくなる。
この種類の幹細胞を作製する標準的なプロセスを発見した科学者は2012年にノーベル医学・生理学賞を受賞しているが、問題は、手間がかかって効率が悪く、数週間を要して多くの無駄が出ることだ。
理研の研究グループは、STAP(刺激惹起性多能性獲得)と呼ばれる別の方法で幹細胞を作製することに成功したと発表した。
成熟した細胞を弱酸性の溶液に浸す(あるいは、物理的な圧力など軽度のストレスを与える)だけで、面倒な手順をかけずに多能性幹細胞に変わるとされた。
研究リーダーの小保方晴子は、顕微鏡写真、グラフ、成熟細胞がリプログラミングされて多能性を獲得したことを示すDNAのブロッティング※画像など、目を引く証拠を大量に集めていた。
※ブロッティングとは、分子生物学の実験で生成したり調べたりする化学物質の組成を解析する手法で、さまざまな種類がある。
世界の研究者が気づき始めた「画像の矛盾」
これは画期的な成果で、小保方は日本で一躍、脚光を浴びた。
彼女個人と風変わりな研究環境(ペットの亀を飼っている、研究室をムーミンのキャラクターで飾る、白衣の代わりに祖母からもらった割烹着を着る)に関する記事が日本中にあふれ、めずらしい女性研究者の輝かしい例として持ち上げられた。
ただし、長くは続かなかった。論文の発表から数日後には、ほかの研究者が画像の矛盾に気がつき始めた。
特にDNAブロッティングの4本の「レーン」は、同じブロッティングのものとされていたが、よく見ると1本だけ背景がほかのものより濃くて、端が不自然にとがっていた。
検証の結果、この1本は別のブロッティングの写真から切り貼りして、別のレーンに合うように微妙にサイズを変えていることが判明した。
論文の本文にそのような説明はなく、透明性を重視する科学者の行動とは到底、思えなかった。
画像の複製・反転・色の調整…次々と異常が明らかに
その後もさらに多くの異常が明らかになった。
写真の一部は現像後に色が調整されていた。
小保方は画像の複製もおこなっていた。2本目の論文で異なる対象とされている写真のうち2枚は同じ写真で、もう驚きさえないが、片方を裏返しにしただけだった。
一方で、普通はあまりないことだが、世界中の研究室が小保方たちの実験結果を再現しようと躍起になった。
STAP細胞の欠点の1つは、あまりに単純な手法だったために、ほかの研究者が簡単に再現を試みることができたことかもしれない。
ある細胞生物学の教授は、再現実験の経過報告を発表できるサイトを作った。
肯定的な結果や有望な結果は緑色の字で、再現に失敗したものには赤色の字で表示したが、次々に届く報告はほぼすべて赤色だった。
「STAP細胞の物語」あまりに悲しい結末
画像の検証や再現実験を通じて圧力が高まるなか、理研は調査委員会を設置し、画像の改ざんを認定した。
小保方たちは『ネイチャー』に論文の撤回を申請し、2014年6月までに撤回された。小保方は同年12月に理研を退職した。
さらに詳細な調査がおこなわれ、小保方の罪状は画像の改ざんだけではないことが判明した。
古い研究の画像を新しいものと偽って添付したり、細胞の成長速度を示すデータを捏造したりしていたのだ。
多能性を示す証拠はどれも、彼女がサンプルに胚性幹細胞(ES細胞)を混入させたために生じていた。
STAP細胞の物語はあまりに悲しい結末を迎えた。
幹細胞の研究で知られる優秀な生物学者で小保方の論文の共著者だった笹井芳樹は、不正行為には直接関与していなかったが、理研の報告書では小保方の結果をダブルチェックしなかった「重大な責任」があると指摘され、2014年8月に理研の建物内で首を吊って自殺したのだ。
52歳だった。彼は遺書で、小保方の不正が発覚したことで始まったメディアの騒動に触れていた。
不正な論文が“異常なほど”世界の注目を集めた
これは、不正な論文が異常なほど注目を集めた事例だ。
小保方氏の論文は世界でも権威ある『サイエンス』と『ネイチャー』に掲載された。
これほどわかりやすい偽物がこれらの学術誌の審査を通過したことだけでも十分に問題だが、その名声ゆえに論文はすぐに世界の注目を集め、詮索にさらされた。
このような不正が科学界の最高レベルでおこなわれているのであれば、知名度の低い学術誌では、はるかに多くの不正が目立たないようにおこなわれているのだろう。
(本稿は、『Science Fictions あなたが知らない科学の真実』の一部を抜粋・編集したものです)