2024年03月16日

一度異論を唱えたら死んでも許さない…共産党の恐ろしい体質の根源的問題 元党幹部は「所詮はムラ社会なんです」

一度異論を唱えたら死んでも許さない…共産党の恐ろしい体質の根源的問題 元党幹部は「所詮はムラ社会なんです」
3/15(金) デイリー新潮

 松竹伸幸氏が『シン・日本共産党宣言 ヒラ党員が党首公選を求め立候補する理由』(文春新書)を上梓したのは、2023年1月のことだった。
松竹氏は1955年に生まれ、74年に共産党へ入党した。
大学は一橋大学の経済学部に進み、全学連(全日本学生自治会総連合)の活動に邁進した。

 全学連の活動を継続するため、経済学部を卒業すると、同じ一橋大学の社会学部に学士入学した。
その後も民青(日本民主青年同盟)役員、共産党国会議員の秘書などを歴任し、党内で要職を担った。担当記者が言う。

「松竹氏は2005年、党の月刊誌に論文を寄稿し、自衛隊について論じました。
ところが、内容に問題があると志位和夫氏など幹部から問題視され、松竹氏と幹部の間で議論が繰り広げられたのです。
結局、『自衛隊は違憲と明記していなかった』ことは同意し、自己批判文を掲載することで決着したと思われました」

 ところが、これで終わる共産党ではない。
翌06年、松竹氏は勤務していた共産党中央委員会を退職せざるを得なくなってしまう。
実質的な“放逐”だが、捨てる神あれば拾う神ありという諺の通り、松竹氏に救いの手が差し伸べられた。

「京都に鈴木元氏という伝説的なベテラン党員がいました。
鈴木氏が助け船を出し、松竹氏は京都のかもがわ出版に入社することになったのです。
松竹氏は党と軋轢が生じたとはいえ、思想信条は変わりません。
あくまで護憲派の立場からジャーナリストとして活動を開始しました。
その姿勢は、文春から上梓した新書でも貫かれています」(同・記者)

失笑を買った志位氏
松竹氏の『シン・共産党宣言』は、転向した元党員が共産党に悪罵(あくば)を並べ立てる、という内容ではない。
共産党は今の日本に必要だと考えている党員が、党改革のため党首公選制、自衛隊合憲、日米安保堅持など現実路線の転換を訴えたものだ。

「いずれも説得力のある指摘ばかりです。普通の政党なら建設的な提言と受けとめられるはずです。
自民党の国会議員が岸田文雄首相を真面目に批判する書籍を出版して、離党勧告が出されることはないでしょう。
ところが、共産党は違いました。
『党の規約違反』と一方的に松竹氏を除名したのです。
さらに鈴木さんも著書の『志位和夫委員長への手紙 日本共産党の新生を願って』(かもがわ出版)で党首公選を主張したことなどから、同じように除名されました」(同・記者)

 これに世論は沸騰した。
朝日新聞や毎日新聞は左派の政治運動に比較的、理解を示す論調で知られている。
だが、この除名騒動については猛反発。両紙とも社説で「時代にそぐわぬ異論封じ」と批判した。

 すると当時は党委員長だった志位氏は会見で「朝日に指図されるいわれはない」と食ってかかった。発言内容だけでも噴飯物だが、「産経に指図されるいわれはない」と社名を言い間違えていた。発言内容と言い間違いの両方で失笑を買ったのだ。

敵意むき出しの反論
「そして今年3月7日、松竹氏は共産党を相手取って東京地裁に提訴しました。
訴えは2つあり、党員としての地位確認と、損害賠償の請求です。
前者は除名の根拠となった党規約は憲法が保障する出版の自由を侵害していると主張。
除名処分は違法であり、松竹氏は今も党員であると認めてほしいという内容でした。
後者は党機関紙『しんぶん赤旗』の報道で松竹氏の名誉が傷つけられたとして、約550万円の賠償を求めるというものでした」(同・記者)

 それでも共産党は強硬姿勢を崩さない。
まさに聞く耳を持たないのだ。
しんぶん赤旗の電子版は翌8日、「除名された元党員の提訴で日本共産党広報部がコメント」を配信し、改めて松竹氏を批判した。記事の前半部分だけを引用する。

《松竹伸幸氏の提訴はまったく不当なものである。
松竹氏の除名処分は、党規約にもとづいて厳正かつ適正に行われたものであり、この処分が適切だったことは、党の最高機関である党大会で再審査請求が審査され却下されたことによって、最終的に決着済みの問題である》

「訴状を精査して対応を検討する」という定番のコメントもあるはずなのだが、共産党は使わなかった。
赤旗の記事を映すPCの画面には、6行にわたって強い敵意に満ちた文章が並ぶ。
なぜ、これほどの“ガチンコ・バトル”に発展してしまうのだろうか。ベテランの政治記者も「理解できません」と首をひねる。

民主集中制
「日本社会には『事を荒立てない』という風潮が根強く、それは政界でも変わりません。
かつての仲間が離党して他党に入ったとしても、顔を合わせれば紳士的に対応します。
党が別れても、実は交流が続いているケースも珍しくありません。
ところが共産党は昔から、そうした“人情”がないのです。
共産党から距離を置き、評論活動で注目を集めた“OB”に対しても、共産党は常に敵対的な姿勢でした」

 読売新聞の代表取締役主筆・渡邉恒雄氏、読売新聞から日本テレビ社長に就任した氏家齊一郎氏、そしてセゾングループの堤清二氏は東大時代、共産党活動に従事し、なおかつ党から除名されたというエピソードで知られている。
 除名から数十年が経過し、3氏が共産党の仲間と「あの時はあの時として、懐かしいなあ」と酒を共に呑む──こんな光景は絶対にあり得ない。
なぜ共産党は一度でも党に異を唱えた者は絶対に許さないのか、元参議院議員で共産党のナンバー4にあたる政策委員長を務め、2005年に離党した筆坂秀世氏に聞いた。

「そうはいっても、党幹部と党員だと違いますね。
他界した党員の遺族と関係者から、『生前、よく筆坂さんの話をしていました』と、離党した私が弔辞を依頼されたことがありました。
イデオロギーより人情優先というわけです。
しかし党の中堅幹部から上になると、人情よりイデオロギーでしょう。
今の共産党幹部にも、松竹さんと親交のあった人はいるはずです。
しかしながら共産党は『民主集中制』が原理原則ですから、党が松竹氏を除名した以上、全ての党員が無条件で従うしかありません。
除名された松竹さんと交流するなど、絶対に許されないのです」

ムラ社会の共産党
 民主集中制とは1934年、スターリン時代のソ連共産党規約に初めて明記された。
ルーツはレーニンに遡り、党員の団結と規律維持を目的としたと考えられている。要するに「共産党の党員なら、党の言うことは無条件で従え」──という命令だ。

「しかし、実は民主集中制もタテマエに過ぎません。
日本共産党の党員、特に専従の党員が従っているのは党規約ではなく、“メシの種”だからです。
順を追って説明しましょう。
日本共産党の実情は、究極のムラ社会です。
松竹さんが除名されたということは、まさに村八分と同義です。
そして専従の党員は党から給与をもらわなければ生活できません。
異論を唱えてクビになることを最も恐れます。
党の規約と言うより、食い扶持を稼ぐために村八分の掟に従い、松竹さんを排除するのです」(同・筆坂氏)

 村八分なのだから、関わってしまうと自分に重罪が科せられる。
酒を酌み交わすどころか、真面目に議論を戦わせただけでも“共産党ムラ”の掟に反してしまう。
松竹氏を助けた鈴木氏が同じように除名されたのも、ムラの秩序を維持するだめだという。

「例えば今の共産党は党勢拡大を党員に指示しています。
不可能な要求であるのは明らかですが、異論は出ません。
上の命令に従うという民主集中制の実例に見えても、実は違うのです。
誰もがメシの種を失うのが怖くて反対意見を表明しないだけです。
ですから、私は昔から、専従の党員が多すぎると指摘してきました。
もし専従を減らし、多くの党員が自分の食い扶持を稼ぎながら党活動に従事するようになれば、きっと党内議論は活発化するでしょう。
松竹さんの意見に賛同する党員も一気に増えるはずです」(同・筆坂氏)

デイリー新潮編集部
新潮社
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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