生活保護は誰のため 「最底辺であるべき」なのか
3/18(月) 毎日新聞
2013年からの生活保護の基準額引き下げは憲法に反するなどとして、全国で行われている「いのちのとりで」訴訟で、行政の敗訴が続いています.。
1審判決が出ている26件のうち、15件が減額処分を取り消しました(2024年2月22日現在)。
23年11月の名古屋高裁判決は、減額処分を取り消し、国に1人1万円の慰謝料を支払うよう命じました。立命館大学准教授の桜井啓太さんに聞きました。【聞き手・須藤孝】
◇ ◇ ◇ ◇
――原告勝訴が相次いでいます。
桜井氏
行政訴訟は、行政側が圧倒的に有利で、原告の勝率は1割程度と言われています。勝率が5割を超えているのは異例です。
――名古屋高裁判決では国家賠償も認められました。
◆賠償まで認められることはさらにまれです。
国の行為の違法性だけでなく、背後にある故意、重大な過失も認めたことになります。
判決文からは行政への厳しい警告を感じます。
◇「食えればいい」ではない
――名古屋高裁判決をどう読みましたか。
◆判決文には
<人が3度の食事ができているというだけでは、当面は飢餓や命の危険がなく、生命が維持できているというにすぎず、到底健康で文化的な最低限度の生活であるといえないし、健康であるためには、基本的な栄養バランスのとれるような食事を行うことが可能であることが必要であり、文化的といえるためには、孤立せずに親族間や地域において対人関係を持ったり、当然ながら贅沢(ぜいたく)は許されないとしても、自分なりに何らかの楽しみとなることを行うことなどが可能であることが必要であったといえる>とあります。
憲法25条1項にある「健康で文化的な最低限度の生活」は、少なくとも現代においては「単に食えればいい」という程度の低いものではないと示しました。
憲法25条2項の「国の責務」に触れたことも重要です。 本来の責務を忘れて違法に基準を引き下げたことへの強い非難を感じます。
◇社会全体の基準
――最低限度についての考え方を示したということでしょうか。
◆生活保護は最低生活を保障する制度なのですが、「最低」という言葉について誤解があります。
「生活保護を受ける人は、社会の最底辺であるべきだ。だから可能な限り低い水準でよい、食えさえすればいい」。このような考え方は、最低保障ではありません。劣等処遇という時代遅れの価値観です。
◇分断をあおった自民党公約
――もとは、生活保護給付水準を10%引き下げるとした、12年衆院選での自民党公約です。
◆厚生労働省も含めて関係者は、自民党公約との直接の関係は否定しますが、本当は「1割削減ありき」で引き下げたと分かっています。
ただ、自民党はこの公約を掲げた衆院選で大勝しました。世論は支持したといえるかもしれません。
世論や国民感情からまったく自由な、真に中立的な生活保護費の基準はありません。
だからこそ、我々有権者が問われているのではないでしょうか。
――いつも、生活保護を受ける人の問題にされます。
◆生活保護費の基準は、どんな人でもこれ以上、下に落ちてはならないという理念ですから、国民全体の問題です。
困窮のリスクは誰にでもあるのに、不正受給や保護の長期化ばかりが取り上げられます。
不正受給は1%以下です。保護を受ける期間も、1年だけ必要な人も、20年必要な人も、死ぬまで使う人も、結果的に一生使わない人もいます。
でも、そんなことはたいしたことではありません。
大切なことは、誰もが最低ラインの下にまで落ちないことです。
社会から貧困を駆逐できているかどうかです。
――自民党公約はなにが目的だったのでしょう。
◆だれかがずるをしていると言って分断をあおること自体が目的だったのではないでしょうか。
同じ社会の一員を仮想敵にするのは、社会の土台を切り崩すことです。
本当に貧しくなるのは我々の社会です。
――桜井さんは生活保護ケースワーカーをされていました。
◆大学を卒業してから10年間、生活保護の現場で働いてきました。
基準の引き下げが行われた13年は生活保護ケースワーカーをしていた時期に重なります。
行政機構の最末端、ヒラのケースワーカーとはいえ、自分自身、保護の引き下げ行為に行政側として関わり、実際に引き下げ決定の通知を担当世帯の方に配り、保護の決定処理をしていました。
その意味でこの訴訟について考える時は、加害の側の一端に立っていたという事実に痛みを感じます。(政治プレミア)