セールスを断る時、絶対に言ってはいけないNGワードとは?
川添 愛:言語学者、作家
2024.6.7 ダイヤモンドオンライン
ささいな言葉の行き違いで、SNS上ではしばしばトラブルが発生しているし、リアルでの対人コミュニケーションでも簡単に誤解が起きるもの。
言語学者の筆者によれば、人と人との間で飛び交う言葉には、本来、複数の解釈があるのが当たり前なのだとか。
ふだんの言葉遣いで気をつけるべき点を解説してもらった。
※本稿は、川添 愛『世にもあいまいなことばの秘密』(ちくまプリマー新書)の一部を抜粋・編集したものです。
混乱必至の「止められますか」
受け身、尊敬、可能、自発のどれ?
「意図している語義とは違う方」に取られるとやっかいな助動詞の代表格は、「(ら)れる」でしょう。
たいていの辞書には、「(ら)れる」の語義として(1)受け身、(2)尊敬、(3)可能、(4)自発という、四つの意味が列挙されています。
社会言語学者の井上史雄さんは、エッセイの中で次のようなエピソードを挙げています。
(前略)ある会社の部長が部下を乗せて車を運転していたところ、駐車場を見付けた部下が「部長、あそこに止められますか?」といいました。すると部長は「私の運転技術を疑うのか!」と怒ってしまった。
部下にしてみれば「お止めになりますか?」という尊敬の意味でいったのに、部長には「止めることができるか?」に聞こえてしまったんです。(強調筆者)
このエピソードの誤解の原因は、話し手が「尊敬」の意味で「(ら)れる」を使ったのに、聞き手は「可能」の意味に取ってしまったことにあります。
「(ら)れる」に多くの意味があることを考えると、こういう取り違えが起こるのも仕方がないような気がします。
この言葉の曖昧さを実感するため、次の例題を考えてみてください。
例題:次の各文の「(ら)れる」は、複数の解釈が可能です。
(1)受け身、(2)尊敬、(3)可能、(4)自発の四つから、少なくとも二つずつ選んでみてください。
〈1〉山田先生は道行く人に駅の場所を尋ねられた。
〈2〉犯人がこの中にいると思われる。
〈3〉山田先生は初日の出を見られた。
〈1〉は、「受け身」と「尊敬」の解釈が可能です。
受け身の場合は「道行く人が山田先生に駅の場所を尋ねた」と同じ意味になり、尊敬の場合は「山田先生は道行く人に駅の場所をお尋ねになった」と言い換えることができます。
また、人によっては取りづらいかもしれませんが、「可能」の解釈もあります。その場合は、「山田先生は道行く人に駅の場所を尋ねることができた」と言い換えられます(↑ちなみに、この「られます」も「可能」の「られる」です)。
〈2〉は、「受け身」と「自発」の解釈が可能です。受け身の場合は「犯人がこの中にいると(誰かに)疑われてしまう」、自発の場合は「犯人がこの中にいると思うのが自然である」という意味になります。
〈3〉は「尊敬」と「可能」の解釈ができます。尊敬の場合は「山田先生は初日の出をご覧になった」、可能の場合は「山田先生は初日の出を見ることができた」と言い換えることができます。
以上のように、可能の「(ら)れる」は「〜することができる」、尊敬の「(ら)れる」は「お〜になる」などの尊敬表現に言い換えれば曖昧さが消えます。
ちなみに「(ら)れる」が「られる」という形で出てくるのは、「見る」のような上一段活用の動詞、「止める」のような下一段活用の動詞、「来る」のようなカ行変格活用の動詞に付くときです。
これに対し、「行く」のような五段活用の動詞、「する」のようなサ行変格活用の動詞に付くときは「れる」になります。
ただし、可能の「(ら)れる」については、「来られる」を「来れる」、「見られる」を「見れる」などと言う場合があります。これがいわゆる「ら抜き言葉」です。
ら抜き言葉は「言葉の乱れ」と言って嫌がる人もいるので、どういった場面で使うかは気をつけた方がよいでしょう。しかし、ら抜き言葉を使うことで、可能の意味がはっきりし、「られる」の曖昧さが軽減する効果があることは事実です。
余談ですが、井上史雄さんは著書『日本語ウォッチング』(岩波新書)の中で、「筆者はラ抜きことばを使っていないつもりだった。(中略)ところが、同僚が研究データとして録画した自分の講義のビデオテープをあとで見たら、なんと自分でも使っていた。
(中略)「見れる」とはっきり言っていて、すっかり自信をなくした」と書いておられました。
専門家にとっても、「使わないようにする」のは難しいようです。ちなみに、私も日常では「ら抜き」をよく使っています。
「大丈夫です」は大丈夫ではない?
承諾なのか、断っているのか
私たちの日常には、物事を遠回しに言う「婉曲的な言い方」がたくさんあります。
しかしそれだけに、すれ違いも多いようです。次の会話例をご覧ください。
佐藤さん: 鈴木さん、なんか悩みがあるんだって? 私で良かったら、話聞くよ。
こっちは明日の七時以降だったら空いてるけど、どう?
鈴木さん: (どうしよう。佐藤さんには相談したくないなあ。よし、断ろう)あ、大丈夫です。
佐藤さん:じゃあ、待ち合わせは駅前でいい?
鈴木さん:あの、大丈夫です。
佐藤さん:じゃ、明日7時に駅前で。
鈴木さん:(断ってるのに、なんで通じないんだろう……)
皆さんにも、こういった「断ったつもりなのに通じない」という経験はないでしょうか。
日本語の「大丈夫」には「それでOKです」という肯定の意味の他に、「そんなことをしてもらう必要はありません」と断りを入れる意味もあります。
「大丈夫」はこういった正反対の意味を持つため、日本語を外国語として勉強している人々にとっては難しい表現だと言われています。
私も以前、セルフサービスのカフェで食器を下げるときに、食器を返却する場所が分からず迷ったことがありました。「たぶん、すぐそこのカウンターに返却すればいいんだろうな」と思ったのですが、いまいち自信がありません。
そこで店員さんに「食器はそこに返却すればいいですか?」と尋ねたところ、「あ、大丈夫ですよ〜」という返事が返ってきました。
私は、これが「そこに返却してもらってOKです」という意味なのか、「私たちが運びますので、お客様に返却していただかなくても結構です」という意味なのか、分かりませんでした。
ちなみにたった今、私は説明の中で「OKです」と「結構です」という言葉を使いましたが、これらも実は曖昧です。以前、雑誌に載せる文章の校正をしているときに、編集者から「ここの数字の.表記を、漢数字から洋数字に変えますか?」という問い合わせがありました。私は「変えていいです」という意味で「OKです」と言ったのですが、相手は私が「そのままでOKです」、つまり「変える必要はない」と言ったと解釈しました。
書影『世にもあいまいなことばの秘密』(ちくまプリマー新書)
『世にもあいまいなことばの秘密』(ちくまプリマー新書)
川添 愛 著
最近は、「大丈夫です」や「OKです」を単独で使うのはやめて、「ご提案のとおりでOKです」とか「お気遣いいただかなくても大丈夫です」などと言うようにしています。
このように、より具体的な言葉と一緒に使えば曖昧さが消えます。
また、こうすることで、「大丈夫です」「OKです」といったやんわりした言葉の真価が発揮されるような気がします。
というのも、「ご提案のとおりにしてください」とか「お気遣いは要りません」などのように命令文や否定文の形で言い切ってしまうよりも、「OKです」「大丈夫です」などを付けた方が印象が柔らかくなるからです。
「結構です」にも、「それで良いです」という意味と、「要りません」という意味があります。
こういった曖昧さが、電話を使った詐欺の手口にも使われることもあります。
たとえば、電話口のセールスで「これこれこういう商品がありますが、いかがですか?」と質問されたときに「結構です」と断ると、「承諾した」とみなされ、勝手に商品や契約書が送り付けられることがあるそうです。
こういうときは、「要りません」とはっきり否定の形で言いきるのが有効でしょう.