2024年09月05日

他人をコントロールする禁断の方法が実験で判明、苦痛なはずの「納税」すら楽しくなる!?

他人をコントロールする禁断の方法が実験で判明、
苦痛なはずの「納税」すら楽しくなる!?
ターリ・シャーロット:神経科学者
上原直子:翻訳家
2024.9.2 ダイヤモンドオンライン

「税金を払わせる研究」で解明された“人をコントロールする”方法とは。
ビジネスシーンでも応用可能な「禁断のマネジメント術」を精神科医が解説する。
※本稿は、ターリ・シャーロット著、上原直子訳『事実はなぜ人の意見を変えられないのか 説得力と影響力の科学』(白揚社)の一部を抜粋・編集したものです。

なぜ、あいつの言うことを
素直に受け入れたくないのか

「コントロールすること」と「影響を与えること」は密接に関連している。
誰かの信念や行動に変化を与えるとき、あなたはある程度その人をコントロールしている。
逆に影響を及ぼされるとき、あなたは相手のコントロールを許している。

 だから「人間」と「コントロール」の繊細な関係を理解することは、「影響力」を理解するための基礎となる。
それが理解できれば、私たちが影響されるのをいつ拒み、いつ受け入れるのかを、より正確に予測することができるかもしれない。

 他人に影響を与えるためには、コントロールしたいという衝動を押さえ込み、相手が主体性を必要としているのを理解することだ。
人は自分の主体性が失われると思ったら抵抗するし、主体性が強まると考えたら、その経験を受け入れ報酬とみなすものだからだ。

 この原理をとてもわかりやすく示しているのが税金だ。
税金を納めるのは、正直なところ嬉しい行為ではない。
納税は正しい行動だと心から同意していても、自分が稼いだお金の30%か20%を(もしくは10%だとしても)、嬉々として政府に差し出す人はあまりいないだろう。

 実際、この苦役をすっかり回避してしまおうと考える人もいる。
アメリカにおける年間脱税額は、4580億ドルにも上るのだ。
しかもこの数字には、合法的に税制の抜け穴を利用する人々の手に落ちる額は含まれていない。

 そこで想像してみてほしい。
あなたは政府の役人で、この数字を大幅に減らす任務を負っている。
国民に税金を払わせる従来の方法としては、罰金を増額する、税務調査を強化する、国にとっての税金の重要性を広報する、などが挙げられる。
それはそれで有効だが、不払い率は高いままだ。
さて、あなたならどんな方法をとるだろう?

寄付や買い物はいいのに
なぜ納税だけが苦痛なのか?

 ひょっとして、税金をもっと楽しく支払えるようにはできないだろうか?
極端なアイデアに聞こえるかもしれないが、まずは納税がなぜ苦痛なのかを考えてみよう。

 税金として収入から相当額が差し引かれるわけだが、人が税金を嫌がる理由はそれだけではない。
給料の30%を自分が選んだ慈善団体に寄付する分には、誰もさほどの不快感を覚えないに違いない。

 税金が他の支出よりも耐え難いのは、そこに選択の余地がないからだ。
寄付をするときや食料を買うときは、いつどんなものにお金を使うのかを自分で決めることができるが、税については自由がない。
支払いたいかどうか聞いてくれる人もいないし、払ったお金がどこに行くのかも定かではない。

 人々が主体性を取り戻せたら、税金が支払われる率も上がるだろうか?
それを検証するために、3人の研究者が実験を行った。
彼らはハーバード大学の研究室に学生たちを招き、様々なインテリアの写真を評価してもらった。

 報酬として10ドルがもらえることになっていたが、学生は「研究税」としてそのうち3ドルを支払うよう要求される。
3ドルは封筒に入れ、退出前に研究者へ手渡さなくてはならない。
学生たちにとっては残念な提案である。
これを順守したのは半数にすぎず、残りの学生は封筒に何も入れないか、要求よりも低い額を入れた。

 この実験では、もう1つのグループが用意されていた。
そちらの学生たちには、支払った研究税の使い道を主任研究員に提案できると伝えた(たとえば将来の研究参加者に飲み物や軽食を提供するなど)。
すると驚いたことに、単に意思表示の機会を与えただけで、順守率が約50%から70%に上昇したのだ!これは劇的な変化である。
この上昇率を国税に当てはめたとしたら、あなたの国ではどれだけの意味をもつだろう?

他人に行動を強制するには
「納得感」を与えることが効果的

 この結果がハーバード大学のエリート学生限定ではないことを確認するため、より大人数で多様性に富むアメリカ人のサンプルを対象にオンライン調査が行われた。

 今回の参加者の一部には、連邦税の使われ方に関する最新情報を読む機会が与えられる。
さらにそのなかの一群には、自分の払った税金をどのように使ってほしいか(教育には何%、社会保障や医療には何%といった具合に)意見を求めた。
最後には参加者全員に、もしも怪しげな税制の抜け穴があったとして、それを使えば税金が1割減るとしたら、抜け穴を利用するかどうかを質問した。

 税金の使い道について希望を述べる機会が与えられなかった群では、3人に2人(約66%)が法の抜け穴を利用したいと答えた。
対して、発言の機会が与えられた群でそう答えたのは半分以下(44%)だった。
この研究から、税金の使い方について情報を与えるだけでは不十分だということが明らかになった。
変化をもたらすには、主体感を与えることが大切なのだ。

 皮肉に感じるかもしれないが、他人の行動を変えたければ、コントロール感を与えるべきだ。主体性を奪われたら、人は怒り、失望し、抵抗するだろう。
社会に影響を与えることができるという感覚が、意欲や順守率を高めるのだ。

 実験の参加者は実際にコントロールを任されたわけではなかった──自分たちの税金を何に使ってほしいか尋ねられただけなのだ。
それでも、彼らの行動を変えるには十分だった。
選択肢を与えられたら、たとえそれが仮定の話でも、コントロール感は増大し、それによって人々の意欲は高まるのだ。

ラットだってハトだって人間だって
生物は選択の機会があることに歓喜する

 なぜ私たちはコントロールを楽しむのか?
自分自身で選択した結果は、押しつけられたものより自分の好みやニーズに合っていることが多い。
だから私たちは、自分でコントロールできる環境の方が、高い満足度をもたらすことを知っている。

 選ぶという行為はコントロールの1つの手段だ。
たとえば、あなたが観る映画を私が決めてあげるよりも、自分自身で決めた方が、自分が楽しめる映画を(たいていは)選ぶことができるだろう。
自由選択後の結果は好ましいという経験を繰り返すうちに、私たちの心の中では選択と報酬の関係が強固になり、選択そのものが報酬──探し求め享受するもの──になってしまったようだ。

 ラトガーズ大学の神経学者マウリチオ・デルガード率いる研究チームは、実験から次のような結果を導き出した。
選択の機会が与えられることがわかると人は喜びを感じ、脳の報酬系である腹側線条体が活性化する。
人間は選択それ自体を報酬と捉え、選択肢を与えられたら、「選ぶこと」を選ぶのだ。

 選ぶことが好きなのは人間だけではない。
動物も自由選択を好む。しかも動物たちは、選んでも結果が変わらない状況下でも、選ぶことを選ぶ。

 エサに通じる2本の走路があるとしよう──第1の走路はまっすぐ伸び、第2の走路にはエサまでのあいだに右か左に折れる分岐点がある。そこでラットにどちらかの走路を選ばせると、後者を選ぶそうだ。

 ハトでも同じことが言える。
ハトに2つの選択肢を与える──第1のキーをつつくと、エサが与えられる。第2のキーは2つに分かれていて、同じエサを得るためには2つのうち1つを選ばなくてはならない。
このときハトは、選択肢のある第2のキーを選ぶという。もらえるエサに違いがないことをハトはすぐに学ぶが、それでも選択することでもらえるエサの方を好むらしい。

ただ与えられたものよりも
自分で選んだものに価値がある

 人間もラットやハトと同じだ。
主体性、コントロール、そして選択を求める気持ちは、選択が必ずしも最終結果を改善しない状況にまで及ぶ。

 デルガードの実験を例に考えてみよう。
デルガードが参加者に与えた選択は、バナナ・ナッツアイスクリームかミント・ピスタチオアイスクリームかといった嗜好の強いものではなく、画面に映った2つの形(たとえば、紫色の楕円とピンクの星)だった。

 どちらかの形を選ぶと、5分5分の確率で金銭的報酬が受け取れる。
どちらが正しい答えかを知る基準はないので、参加者が自分で選ぼうとコンピュータに選んでもらおうと、まったく違いはないはずだった。
それにもかかわらず、デルガードの実験が証明したのは、たとえ選択することに利点がないように見えても、私たちは自分の思うままに決断したがるということだ。
この傾向は人間の生態に深く根差している。

 よく考えてみれば、ただ与えられたものよりも、自分で獲得したものに対して内なる報酬を感じる機構の方が、適応という点では筋が通っている。

 ある行動が食べ物やお金や名声をもたらすことがわかれば、その後もまた同等のものを得るために、あなたは同じ行動を繰り返すだろう。
かし、何の努力もせずただ食べ物やお金や名声を与えられたら、この先同じものをくれるほどその人が親切なのかどうかは知りようがない。

 つまり、まったく何もせずに1000ドルを獲得したら、1000ドルは手元に残るが、将来どうやって稼ぐかという知識は残らない。
反対に、たとえば調度品を売って1000ドル儲けたなら、1000ドル得するだけでなく、収入を得るための青写真が手に入る。

 あなたが取り組む物事は、望ましいものとして脳に記憶されなくてはならない。
その価値は、そのもの本来の実用性と、将来利益を得るための情報の両方にある。
生物としての人類が、自ら獲得に関わったもの──自らコントロールできるもの──を好むのは、適応のなせる業なのだ。

選択肢が多すぎて選べない人間を
コントロールするための仕掛けは?

 人間は選択を好むため、選ぶことを選ぶ。
でも、複雑で骨の折れる問題に遭遇したら、決断を望まないこともある。
たとえば、選択肢を与えすぎると、人は圧倒されて何も選べなくなる。

他人をコントロールする禁断の方法が実験で判明、苦痛なはずの「納税」すら楽しくなる!?

『事実はなぜ人の意見を変えられないのか-説得力と影響力の科学』(白揚社) ターリ・シャーロット 著、上原直子訳

 これは、シーナ・アイエンガーとマーク・レッパーの有名なジャムの研究で実証された。
アイエンガーとレッパーは、高級ジャムの種類が20以上あるときよりも6種類しかないときの方が、購入される確率が高いことを発見した。
選択肢があるのは素晴らしいことだが、あまり多いと人はあっけにとられて、店を手ぶらで去ってしまうのだという。

 では、多数の選択肢から選ばせたいときはどうしたらいいのか?
選択の樹形図を作ってみるのも1つの方法だ。
ジャムの問題に当てはめてみよう。
20種類のジャムをただずらりと陳列する代わりに、フレーバーごとに分けてみる。これで客は、ひとまずストロベリー、アプリコット、ブルーベリー、マーマレード、ラズベリーの5種類から1つの味を選べばいい。

 フレーバーが決まったら──たとえばアプリコットだとしたら、次は異なる4つのブランドから好きなアプリコットジャムを選ぶ。
こうすれば選択のプロセスが簡易化されて、無理なく選ぶことができる。
posted by 小だぬき at 10:35 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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