”上”の意向に沿わない裁判官は冷や飯を食べている…ぬぐい切れない司法への「不信感」と「本来あるべき姿」
2/12(水) 現代ビジネス
「裁判官」という言葉からどんなイメージを思い浮かべるだろうか?
ごく普通の市民であれば、少し冷たいけれども公正、中立、誠実で、優秀な人々を想起し、またそのような裁判官によって行われる裁判についても、信頼できると考えているのではないだろうか。
残念ながら、日本の裁判官、少なくともその多数派はそのような人々ではない。
彼らの関心は、端的にいえば「事件処理」に尽きている。
とにかく、早く、そつなく、事件を「処理」しさえすればそれでよい。
庶民のどうでもいいような紛争などは淡々と処理するに越したことはなく、多少の冤罪事件など特に気にしない。
それよりも権力や政治家、大企業等の意向に沿った秩序維持、社会防衛のほうが大切なのだ。
裁判官を33年間務め、多数の著書をもつ大学教授として法学の権威でもある瀬木氏が初めて社会に衝撃を与えた名著『絶望の裁判所』 (講談社現代新書)から、「民を愚かに保ち続け、支配し続ける」ことに固執する日本の裁判所の恐ろしい実態をお届けしていこう。
『絶望の裁判所』 連載第57回
『日本のメディアが作り出した「ステレオタイプ」に騙されるな!…元判事が暴く「裁判官のリアル」』より続く
司法本来のあるべき姿
最後に、日本の裁判所のあり方、現状について、総括的なまとめの考察をしておきたい。
私は、日本の国民、市民は、裁判所が、三権分立の一翼を担って、国会や内閣のあり方を常時監視し、憲法上の問題があればすみやかにただし、また、人々の人権を守り、強者の力を抑制して弱者や社会的なマイノリティーを助けるという、司法本来のあるべき力を十分に発揮する様を、まだ、本当の意味では、一度としてみたことがないのではないかと考える。
これは、私だけの意見ではない。
海外の学者や知識人が日本の社会や政治のダイナミクスを分析するときには、おおむねこのような意見が述べられている。
もちろん、左派の人々に限らない。リベラルあるいは中立的な政治思想の持主のみならず、保守的な人々でさえ同じような分析を行っている。アメリカで私が聴いたアジア法専科の大学院生たちの分析も同様であった。
日本の裁判所、裁判官は、これまでは、広い意味における社会秩序の維持や利害の調整という側面において、それなりの貢献をしてきた。
だから、国民、市民の裁判所、裁判官に対する評価は、たとえば政治家や行政官僚に対する評価よりは高い。
にもかかわらず、人々の間には、司法のあり方、裁判のあり方に対する不満や不信がくすぶり続けている。
日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。
元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行され、たちまち増刷されました。
「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」「なぜ、日本の政治と制度は、こんなにもひどいままなのか?」「なぜ、日本は、長期の停滞と混迷から抜け出せないのか?」
これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。
法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
裁判官は最高裁事務総局の言いなり!?
それはなぜだろうか?
その理由について、この書物では、私の33年間の裁判官経験、それよりは10年ほど短い研究者、学者としての経験に基づき、さまざまな分析を行ってきた。
先の不満や不信については、前近代から超近代までが隣り合わせに雑居しているという日本社会の独特のあり方や、人々の意識のもち方にも一つの原因はあるだろう。
しかし、そうした部分、つまり誤解に基づく部分を捨象してもなお、人々の不満や不信には理由があると私は思う。
それは、前記のとおり、人々が、まだ、司法のあるべき姿を本当の意味では一度もみていないからであり、だからこそ、人々は、よくはわからないが何だか変だ、憲法に書いてあることや学校で学んだことと実際の裁判のあり方とはどこかが違う、と感じているのではないだろうか?
法科大学院の学生たちと話してみて私が驚いたことの一つは、多くの普通の学生が、裁判官は判決の内容によって左遷されるなどの不利益を被ることがあるのではないかという疑いを抱いていることであった。
「最高裁や事務総局の意向に沿わない裁判官が冷や飯を食っているって本当ですか?」と尋ねる学生が、何人もいるのである。
「どこでそういうことを聞いたの?」と私が尋ねると、「どこで聞いたのかなあ? はっきりどこで聞いたかってことは覚えてないけど、でも、みんなそう言ってますよ。ねえ……」と言って、仲間の顔を見る。すると、仲間も、こっくりとうなずく。
これが、法科大学院のごく普通の学生たちの一般的な認識なのであり、また、おそらくは、日本の知識人、控え目にいってもその多数の、一般的な認識、少なくとも疑問なのではないだろうか?
そして、私は、学生たちの質問に対して、胸を張って「いや、そんなことは全然ないよ」とは、到底答えられないのである。
また、司法制度改革が行われ、弁護士数も裁判官数も増加しているにもかかわらず、前記のとおり、地裁における民事新受事件の数が全体として減少傾向にある事実にも留意すべきであろう。
こうした現象は、はしがきにも記したような国民、市民の司法に対する失望が何ら改善していないことをうかがわせるものではないだろうか?
一体何のための司法制度改革、裁判所・裁判官制度改革であったのかが、問われなければならないであろう。
『裁判官の「不祥事」は驚くほど多い!…痴漢、児童買春、ストーカー…「法の番人」である裁判官たちの不祥事は「司法の危険信号」!』へ続く
日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行され、たちまち増刷されました。
「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」「なぜ、日本の政治と制度は、こんなにもひどいままなのか?」「なぜ、日本は、長期の停滞と混迷から抜け出せないのか?」
これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
瀬木 比呂志(明治大学教授・元裁判官)