倉本聰×江原啓之
「日本はブレーキのない車。感謝を忘れた心と自然破壊という悲劇」「便利であることと、豊かさは似て非なるもの」
3/18(火) 婦人公論.jp
北海道・富良野の大自然の中に暮らす倉本聰さんを、江原啓之さんが訪ねました。
倉本さん原作の『ニングル』がオペラ化され、江原さんがその舞台に演者として立ったことがご縁なのだとか。
作品に込められた「真の豊かさとは何か」について、語り合います
(構成:丸山あかね 撮影:本社・武田裕介)
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◆日本社会はブレーキのない車
江原
アイヌ語で「ニン」は「小さい」、「グル」は「人」という意味で、『ニングル』はアイヌに伝わる小人伝説がもとになっているということですが。
倉本
面白そうだと調べていくなかで、ニングルを見たという人に遭遇しましてね。
3人組のお婆さんたちが娘時代に見たと言っていて、「髭が生えていた」とか「裃(かみしも)を着ていた」とか「下駄を履いていた」といった話をしてくれたんです。
江原
へぇ〜。
倉本
神主のような装いだったと証言する人もいました。
ニングルが電車に乗ろうとしているところを目撃した人もいて。
江原
ワハハハハ。
倉本
コロポックルは妖精だけど、ニングルは自然界の神なのかもしれないと感じたことが、小説を書こうという発想につながりました。
人間社会がおかしくなったのは便利さを追求したからだと思い始めた頃と、時期が重なっていたんです。
たとえばテレビのチャンネルをリモコンで操作する。
人間は知能が発達したことによって、サボることを覚えたというのが持論です。
江原
便利であることと、豊かさは似て非なるものですよね。
倉本
「豊か」を辞書で引くと、「リッチであること」のあとに「且つ幸せであること」と記されています。
ならば便利であることが幸せをもたらしたのかといったら、そんなことはない。
もたらされたのは、感謝を忘れた心と自然破壊という悲劇でしょう。
このことに気づいてほしいという思いから生まれた作品が『ニングル』なのです。
江原
インターネットやメールの発達によって、人々は直接的な対話を失ってしまいました。
とはいえ私も文明の進化の恩恵を受けて暮らしているので、大きなことは言えないというのがつらいところです。
倉本
僕だって寒ければヒーターをつけるし、原稿は手書きですが、人と連絡をとりあう手段には電話を使っています。
時代が進化するのは世の常で、そのこと自体が悪いわけではない。
問題は日本という国がブレーキのない車だということですよ。
江原
このあたりで止めておこうと考える聡明さに欠けていると。
倉本
最近、頭に来ているのは夜桜のライトアップです。
月の光に照らされる夜桜にこそ情緒があるわけで、ライトを煌々とつけて余計なエネルギーを消費して喜んでいるなんて言語道断。
第一、下からライトをあてるのは、スカートの中を覗いているようなもので、実に下品な発想だと思いますね。
もっとも、金があれば何をしてもいいという風潮が下品なわけですけれど。
◆英霊たちに申し訳なくてたまらない
江原
人々の欲望がエスカレートする一方で、この国の若い人の死因で最も多いのが自死だというのですから皮肉なものです。
倉本
僕も時々、もう死にたいと思いますよ。
こんなに人々の心が汚れている世の中に生きていたくない、とね。
江原
でも先生、だからこそ『ニングル』のような作品が必要なのではありませんか?
倉本
僕は自分の仕事を「心の洗濯屋」だと思っていますが、洗濯した端から汚れてしまうんですから、やりきれませんよ。
江原
どうにもならないところまで来ているということなのでしょうか?
倉本
逆に江原さんに訊きたいですよ。
江原
スピリチュアリズムは、たましいを磨いて綺麗なものへと浄化させるための考えなのですが……。
残念ながら、人は行きつくところまで行かなければ、綺麗なものが出てこないのだろう、と思うのです。
倉本
躓き転んでいることに気づくべきなのに、鈍感すぎると。
江原
ええ。私は先生の『歸國(きこく)』という作品によって開眼しました。
終戦から65年を経た終戦記念日の深夜に、南の海で玉砕した英霊たちを乗せた汽車が東京駅に到着するというところから始まる舞台ですが、「こんな日本のために戦ったわけじゃない」という英霊たちの悲痛な叫びや切ない思いに触れ、号泣してしまいました。
倉本
僕は終戦直後の渋谷を知っているんです。
今のスクランブル交差点のある場所は瓦礫(がれき)の山で、戦争のすさまじさを物語っていました。
その同じ場所で若者がチャラチャラしているのを見ると、腸(はらわた)が煮えくり返るというか、英霊たちに申し訳なくてたまらないんですよ。
江原
私は『歸國』には、ずいぶんと大勢の人が出演しているのだなと思いながら鑑賞していたのですが、実際の登場人物は少なかったのですよね。
倉本
ハハハ。その話を伺ったとき僕は、「ならば飲みに行くだろうから、近所の飲み屋に『安くしてやってくれ』と頼まなくちゃ」とか言って受け流していたけれど、その実、嬉しかったんです。
江原
英霊は先生に感謝して、喜んでいたと思います。
倉本
そうですか。舞台『歸國』は劇場のキャットウォークに英霊が並んで、一斉に客席に銃を向けているところで終わるという演出に変えて、再演したいと思っています。
江原
ぜひ、拝見したいです。
◆進化ばかりに囚われず、もっと足元を見てほしい
倉本
僕は、オペラには『ニングル』より『歸國』のほうが向いているんじゃないかという気がしたんだけど。
江原
『歸國』のオペラ化も実現したいです。
英霊に銃を突きつけられた人たちが、大切なことに気づいてくれると信じて。
感動する人がいる限り希望があると思うのです。
倉本
自分も何か行動に移さなければいけない、という観る人の思いが感動につながるのだろうという気はします。
江原
私たちにできることって何だと思われますか?
倉本
高齢者は、何もなくても心豊かに暮らしていた時代のことを下の世代に伝える義務があるでしょう。
若い人たちには、進化ばかりに囚われず、もっと足元を見て生きてほしい。
いずれにしても僕にできることがまだ残っていると思っています。
江原
それこそが希望です。
これからも健筆を振るわれ、人々の心が洗われるような作品を世に送り出してください。
私も人々に心が浄化されたと言っていただけるような歌声を、届けていきたいと思います。
今日は貴重なお話をいただきまして、ありがとうございました。
(構成=丸山あかね、撮影=本社・武田裕介)