2025年03月31日

なぜ豊かだった日本はここまで衰退してしまったのか「不幸の正体」

なぜ豊かだった日本はここまで衰退してしまったのか「不幸の正体」
3/29(土) 現代ビジネス

経営者、従業員、高齢者、若者……「みんな苦しい」のは一体なぜなのか?

私たちを支配する「苦しさ」にはごくシンプルな原因があり、ちゃんと対処する方法がある。
経営学の道具を使えば、人生が大きく変えられる。どういうことだろうか。

15万部ベストセラー『世界は経営でできている』で大きな話題を集めた気鋭の経営学者・経営者の岩尾俊兵氏による渾身の最新作『経営教育』(角川新書)では、「みんな苦しい」の謎をあざやかに解き明かす。
(※本記事は岩尾俊兵『経営教育』から抜粋・編集したものです)

ここで「日本企業はなぜ価値創造の民主化を捨ててしまったのか?」「アメリカ企業はいかにして価値創造の民主化を取り入れたのか?」という二つの疑問に答えていきたいと思います。

日本企業が価値創造の民主化を捨ててしまった原因を考える前に、そもそも価値創造の民主化が生まれた背景を考える必要があります。
筆者はそれが戦後の「人間の脳みそ以外に資源がない」という状況にあったと考えています。
しかも、誰もが豊かさを渇望していて需要が大量にあり、朝鮮戦争の特需もありました。
「何を作れば売れるか」も欧米を真似すればいいので明らかでした。
欧米というゴールに向かって全力疾走すれば勝てる時代です。

需要が明らかで働けば働くほど豊かになれる状態でしたから、まさにヒトこそが価値の源泉だったわけです。
同時に、農地改革や財閥解体、公職追放などによって、地主や株主は権力を失いました。
1945年の前後10年の時期に、賃金と物価は約200倍になりましたが、株価と地価はせいぜい10~100倍にしかなりませんでした。

インフレは、相対的にはカネがヒトよりも価値がない状態です。
ヒトのほうが価値を持つからこそ、給料も物価も上がっていくわけです。
こうしたインフレ状況は「自分の労働力こそが富の源泉だ」という信念を社会全体に浸透させたと思われます。

このとき、経営には大原則があります。
それは「希少資源を持つ会社は成功する」という原則です。
ですからインフレ下では希少資源であるヒトを集めて最大限活用する価値創造の民主化が成功したわけです。

しかし、総合GDPがアメリカに次いで世界第2位、一人当たりGDPもスイスに次いで世界第2位という、両者を合わせて考えれば日本の豊かさが頂点に達した80年代から大変化が起こります。

カネとヒトの価値逆転という不幸

この時期の前後に、
@変動相場制(第二次ニクソンショック以降)、
Aグローバル化(冷戦終結以降)、
B資本主義という、「通貨価値が上下に大きく変動する3要素」が揃いました。

変動相場制によって通貨に価値の裏付けがなくなります。
グローバル化によって通貨が世界中を移動するようになりました。
さらに、資本主義によってなんでもお金で買える世の中になったわけです。
これら三つとも、お金の価値が極端に上がるか/極端に下がるかという状況をもたらします。

お金に価値の裏付けがなくなれば、お金の価値は下がるのが普通でしょう。
しかし、1980年代から2020年代までの40年間で、日本だけが半分の20年も通貨価値が上がってしまうデフレになりました。
日本以外の先進国はせいぜい1~2年のデフレしか経験していないのにもかかわらず、です。

その背景には国際政治と日本自身のパニックがありました。

まず、1985年のプラザ合意によって円高誘導が決まります。
さらに、80年代後半には冷戦終結によって日本のお隣に中国という低賃金国が出現することになりました。

日本の円が高くなることが決まっているのだから、円をなるべく使わないほうが得します。
では円を使わざるをえないものは何か。
それは日本人の給料であり、日本での生産費用であり、日本製品であり、日本企業の株です。
では代わりに誰を雇って、どこで生産をして、何を買うか。

当然ながら、中国で人を雇って、中国に生産拠点を移し、アメリカ製品を買って、アメリカの株に投資するということになります。

こうして日本企業は高くなった円を国内で吸い上げて海外で使うようになったわけです。
個人投資家も同様です。日本株よりもアメリカ株という風潮は今でも続いています。

日本は33年連続で対外純資産額世界1位です。
前ページのグラフ(図6‐4)から分かる通り、国外に持っている資産と負債を差し引きすると資産が400兆円以上も多いのです。
アメリカと対比するとさらに興味深いです。アメリカは対外純負債2000兆円ほどですから、日本はアメリカと比べても2400兆~2500兆円もの大金を海外に対して持っているということになります。

こうして日本には対外的な円高と国内的なデフレが同時にやってきました。
きっかけは国際政治でした。
とはいえ、日本企業も日本人も高まり続ける円の価値に踊らされてこれを海外に投資するだけで、国内で価値を創るという仕事を重視しなくなりました。
日本で「生産をしない」のだから国内総「生産」=GDPが下がるのは当たり前です。

しかも、日本ではカネの価値が2倍、3倍、4倍と急激に上がったのに対して、ヒトの価値創造能力はそこまで急激には上がりませんでした。
ですから、実際にヒトよりもカネを重視する投資思考が成功を収めるようになりました。

経営の原則は「希少資源を持つ会社は成功する」です。
平成日本では希少資源がヒトからカネへと180度変わってしまいましたので、価値創造の民主化を愚直に続ける会社が競争に勝てなくなったのです。

カネが希少資源に変わってしまったら成功するのは「希少なカネの使い方が上手い企業」でしょう。
ですから、円高・デフレ下の平成日本ではカネを守るための経営戦略、カネを守るためのファイナンス、カネを守るためのコーポレートガバナンスが流行しました。
カネを守る術はアメリカが先行していましたから、闇雲にアメリカに追従する似非経営が流行してしまったのです。
しかもたちが悪いことに、それが経営の原則からして「実際に成功する」という状況だったのです。

実際、昭和の有名経営者といえば本田宗一郎や松下幸之助のような「ヒトが集まってくるリーダー」、平成の有名経営者といえば「カネが集まってくる(投資家ウケする)インフルエンサー」というイメージではないでしょうか。
こうして日本企業は価値創造の民主化を捨てていったわけです。

岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)
posted by 小だぬき at 01:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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