メーデー 出典 ウィキペディアより引用
「メーデー」とは本来五月祭を意味し、この日に春の訪れを祝う祭がヨーロッパの各地で催されてきた。
この祭では労働者と使用者(労使)双方が休戦し、共に祝うのが慣習であったが、これが近代に入り現在の「メーデー」へと転化し、今日の「労働者の日」メーデーが誕生した。
労働者の日としてのメーデーは、1886年5月1日に合衆国カナダ職能労働組合連盟(後のアメリカ労働総同盟、AFL)が、シカゴを中心に8時間労働制要求(8-hour day movement)の統一ストライキを行ったのが起源。
1888年にAFLは引き続き8時間労働制要求のため、1890年5月1日にゼネラル・ストライキを行うことを決定したが、1886年の統一スト後にヘイマーケットの虐殺(Haymarket massacre)といわれる弾圧を受けていたため、AFL会長ゴンパースは1889年の第二インターナショナル創立大会 でAFLのゼネスト実施に合わせて労働者の国際的連帯としてデモを行うことを要請、これが決議され、1890年の当日、ヨーロッパ各国やアメリカなどで第1回国際メーデーが実行された。
なお、メーデー起源の国であるアメリカ合衆国をはじめ、メーデーとは異なる時期に「レーバーデー(労働者の日)」を定めている国々もある。
日本の今
・・・労働組合の全国中央組織の再編による組織対立の激化で、1989年以降は統一メーデーの開催ができなくなり、日本労働組合総連合会(連合)と非連合系の全国労働組合総連合(全労連)や全国労働組合連絡協議会(全労協)による分裂開催となった。
また、前後がゴールデンウィークで長期休暇を取る例が増え、さらには若い世代の労働運動離れもあり、労働組合活動が低調になってきて参加者数が減少したことを理由に、連合は2001年以降4月の最終土曜日もしくは昭和の日(水・木・金曜日に当たる場合)といった「4月(April)にメーデー(May Day)」を行うようになり、一方で全労連や全労協のメーデーは5月1日開催を続けており、その分裂と対立の構図は解消されていない。・・・
出典 ウィキペディア