2025年06月04日

“ミスタープロ野球”長嶋茂雄の珠玉の名言・迷言

“ミスタープロ野球”長嶋茂雄の珠玉の名言・迷言
2025年06月03日 THE DIGEST

「サバは魚へんにブルー」「ミート・グッバイ」「打つと見せかけてヒッティングだ」…“ミスタープロ野球”長嶋茂雄の珠玉の名言・迷言<SLUGGER>

長嶋がプロ野球史上最高のスターとなったのは、プレーの素晴らしさもさることながら愛すべきキャラクターだったのも大きい。(C)Getty Images

6月3日に死去した“ミスタープロ野球”こと長嶋茂雄は、数多の名言・迷言でも知られていた。
プレーだけでなく、その言葉の端々からにじみ出る愛すべきキャラクターも、彼が絶大な人気を博した大きな要因だった。
そんなミスターの名言・迷言の数々を紹介しよう。

●「I live in Edo」

 立教大時代、英語の授業で「I live in Tokyo.」(私は東京に住んでいる)を過去形にせよ、という問題が出た。もちろん正解は「I lived in Tokyo.」だが、学生・長嶋の答案は「I live in Edo」。
過去形どころか過去にタイムスリップしてしまったミスターだった。

●「サバは魚へんにブルー」

●「ミート・グッバイ」

 大学時代は珍回答も見せたミスターの得意技は“インチキ英語”。「サバ(鯖)」の漢字を「魚へんにブルー」と表現するのはこの人しかいないだろう。
「肉離れ」を「ミート・グッバイ」(Meat Goodbye)と呼ぶのも、妙にリズムと語感が良くて使いたくなる。
他にも「失敗は成功のマザー(母)」、「メークドラマ」、「僕にもデモクラシーがある」(プライバシーと言いたかったらしい)など枚挙にいとまがない。

●「こっちの子は英語がうまいなあ」「やたら外車が多いなあ」


 1961年、川上哲治監督率いる巨人は、初めてアメリカ(フロリダ州ベロビーチ)でキャンプを張った。当時、川上が理想としていた『ドジャースの戦法』を本場で学び取ろうとしてのことだ。アメリカの大地に降り立ったミスターは感想を聞かれて「こっちの子は英語が上手い」「やたら外車が多い」と回答。子供が英語を話せるのも外車が多いのも当たり前なのだが...。


●「左足のストッキングがない!」


 現役時代のある日の試合前のことである。ロッカールームでいきなりミスターがこう言って騒ぎ出し、チームメイトは大わらわ。あちこちひっくり返して探すも見つからず、みんながあきらめかけていた時、「あったよ、悪い悪い」とミスターが言う。一同が目をやると、何と右足に両方のストッキングを履いていたのだ。


 なお別の日には、チームメイトの柴田勲の背番号7のユニフォームを間違って着た挙句、その上に自分の背番号3のユニフォームを重ね着して試合前練習で汗を流していた……なんてこともあったという。

●「あ、そうか! 試合があったんだ」


 これも現役時代の話。不振だったミスターは試合前練習で特打ちに臨み、何かにとりつかれたかのように鬼気迫る150本の打ち込みを終えた。猛練習の甲斐あっていい感触を得たのか、満足げに風呂に入って汗を流すミスター。上がると、そのまま帰り支度を始めてしまった。思わず周囲が「何やってるんですか?」と聞くと、ミスターははっと気づいてひと言。「そうか、試合があったんだ!」......あまりに練習に打ち込みすぎて、試合のことをすっかり忘れていたのである。


●「いいなあ。オレ、バースデーアーチは一度も打ったことないよ」


 長嶋とともにV9巨人の主砲として“ONコンビ”を組んだ王貞治は、5月20日の誕生日にバースデーアーチを通算3本放っている。通算0本のミスターは王のことをうらやましがっていたらしい。なお、ミスターの誕生日は2月20日。その時期はオフシーズンなのだから、打てるわけがない。


●「こんにちは、ジャイアンツの長嶋シゲルです」


 ラジオにゲスト出演した時の第一声、自己紹介でいきなり自分の名前を間違えるのが、天才の天才たるゆえんなのだろうか? しかも一度きりではない。数年後、また別の番組に出演した時の締めくくりに、「長嶋茂雄でした」と言うはずが、何度やっても「長嶋シゲルです」に聞こえると、ディレクターが困惑しきり。当のミスター本人は「あっ、オレそういえばシゲルって言ってたな」とこともなげに言い、そのディレクターは寝込んでしまったとか……。

●「じゃあ、僕はカツ丼」


 立教大の後輩で、ミスターに心酔していることで知られる元日本テレビアナウンサーの徳光和夫が、オススメの蕎麦屋にミスターを連れていった。事前に徳光が連絡を入れ、大将もミスターが来ると張り切って仕込み。いざ店に着いたミスターは、大将と熱い談義をかわし、蕎麦を打つ手並みに絶賛を送ったりした。だが、いざ注文の段になると……「長嶋さんは何にします?」「じゃあ、僕はカツ丼で」。お客さん、蕎麦は……?


●「洋服着るの初めてか?」


 74年、監督に就任したミスターはドラフト1位で鹿児島実業のエースだった定岡正二を指名した。定岡は、その年の夏の甲子園で力投する姿をTV中継で見て以来のミスターのお気に入り。監督になって初めて指名した選手ということもあってか、溺愛ぶりは半端ではなかった。


 そんな定岡にとって初の春季キャンプで、ミスターはなぜか「詰襟から洋服着るんだなあ」「洋服着るの初めてか?」と話しかけ、定岡は思わずポカン。おそらくミスターは「スーツ着るの初めてか?」と聞きたかったのだろう。定岡は「さすがに洋服くらい着たことありますよ監督......」と思ったに違いない。

●「そこでバットを振ってみろ」


 巨人の監督を一度解任され、いわゆる“浪人生活”を送っていた87年、打撃不振に苦しむ掛布雅之(阪神)が、ミスターに電話でアドバイスを求めた。ミスターは熱心に掛布の打撃フォームの欠点を指摘した後、「そこでバットを振ってみろ!」とひと言。スマホなどなかった当時、固定電話で受話器を抱えたままどうやってバットを振ればいいんだと掛布は途方に暮れたものの、この時の助言でスランプは脱したという。


●「打つと見せかけてヒッティングだ」


 これは第2期監督時代の話。後に通算533犠打の世界記録を打ち立てることとなる“バントの神様”川相昌弘を代打に起用したミスターが、そばに行ってこっそり耳打ちした。「川相、打つと見せかけてヒッティングだ」。バントなの!? 打てばいいの!? どっちなの!? と川相も当惑したという。


 なお、ミスターは代打を送った際に、思わずバントのジェスチャーをしてしまったこともある。当然ながら相手野手陣は猛チャージをかけてきてバントは失敗。ミスターは「サインがバレてるんじゃないか⁉」と驚いていたが、そりゃそうですよ監督……。


●「今年、初めての還暦を迎えまして...ましてや年男ということで」


 1996年2月20日、ミスターは60歳、つまり還暦を迎えた。嬉しさのあまりこんなコメントが飛び出したが、60歳の人間にとって還暦は当然、初めて。ましてや干支がひと回りするから還暦というのであって、年男なのも当たり前のことである。ただ、ミスターが亡くなった今、2度目の還暦(120歳)を迎えるまで長生きしてほしかったと切に思う。もうあの“長嶋節”を聞くことはできないのだ。

●「若い君たちには夢がある。希望を捨てずに頑張ってほしい」


 最後に、一風変わった名言を紹介しよう。熱心なファンでもミスターのこんなフレーズは聞いたことがないと思うだろうが、それは当たり前だ。これは正確には発言されなかったものなのだから。


 74年10月14日、「わが巨人軍は永久に不滅です」で知られるミスターの引退スピーチには、本来なら一茂ら子供たちに向けて、この一節が挿入されるはずだった。ミスターは引退スピーチに並々ならぬこだわりを持ち、わざわざ後楽園飯店(現在も後楽園ホールビル2階にある老舗中華料理店)に子供たちを集めて、入念にリハーサルまで行ったという。


 ところが、いざ本番でよりによってこのフレーズをド忘れ。結局、「お蔵入り」となってしまった。球史に残る名スピーチの裏にもこのようなエピソードがあるのが、何ともミスターらしい。


文●筒居一孝(SLUGGER編集部)
“ミスタープロ野球”長嶋茂雄の珠玉の名言・迷言
2025年06月03日 18時49分THE DIGEST

「サバは魚へんにブルー」「ミート・グッバイ」「打つと見せかけてヒッティングだ」…“ミスタープロ野球”長嶋茂雄の珠玉の名言・迷言<SLUGGER>

長嶋がプロ野球史上最高のスターとなったのは、プレーの素晴らしさもさることながら愛すべきキャラクターだったのも大きい。

6月3日に死去した“ミスタープロ野球”こと長嶋茂雄は、数多の名言・迷言でも知られていた。
プレーだけでなく、その言葉の端々からにじみ出る愛すべきキャラクターも、彼が絶大な人気を博した大きな要因だった。そんなミスターの名言・迷言の数々を紹介しよう。

●「I live in Edo」

 立教大時代、英語の授業で「I live in Tokyo.」(私は東京に住んでいる)を過去形にせよ、という問題が出た。もちろん正解は「I lived in Tokyo.」だが、学生・長嶋の答案は「I live in Edo」。過去形どころか過去にタイムスリップしてしまったミスターだった。

●「サバは魚へんにブルー」

●「ミート・グッバイ」

 大学時代は珍回答も見せたミスターの得意技は“インチキ英語”。「サバ(鯖)」の漢字を「魚へんにブルー」と表現するのはこの人しかいないだろう。
「肉離れ」を「ミート・グッバイ」(Meat Goodbye)と呼ぶのも、妙にリズムと語感が良くて使いたくなる。
他にも「失敗は成功のマザー(母)」、「メークドラマ」、「僕にもデモクラシーがある」(プライバシーと言いたかったらしい)など枚挙にいとまがない。

●「こっちの子は英語がうまいなあ」「やたら外車が多いなあ

 1961年、川上哲治監督率いる巨人は、初めてアメリカ(フロリダ州ベロビーチ)でキャンプを張った。
当時、川上が理想としていた『ドジャースの戦法』を本場で学び取ろうとしてのことだ。
アメリカの大地に降り立ったミスターは感想を聞かれて「こっちの子は英語が上手い」「やたら外車が多い」と回答。
子供が英語を話せるのも外車が多いのも当たり前なのだが...。

●「左足のストッキングがない!

 現役時代のある日の試合前のことである。
ロッカールームでいきなりミスターがこう言って騒ぎ出し、チームメイトは大わらわ。
あちこちひっくり返して探すも見つからず、みんながあきらめかけていた時、「あったよ、悪い悪い」とミスターが言う。
一同が目をやると、何と右足に両方のストッキングを履いていたのだ。

 なお別の日には、チームメイトの柴田勲の背番号7のユニフォームを間違って着た挙句、その上に自分の背番号3のユニフォームを重ね着して試合前練習で汗を流していた……なんてこともあったという。

●「あ、そうか! 試合があったんだ

 これも現役時代の話。
不振だったミスターは試合前練習で特打ちに臨み、何かにとりつかれたかのように鬼気迫る150本の打ち込みを終えた。
猛練習の甲斐あっていい感触を得たのか、満足げに風呂に入って汗を流すミスター。
上がると、そのまま帰り支度を始めてしまった。
思わず周囲が「何やってるんですか?」と聞くと、ミスターははっと気づいてひと言。
「そうか、試合があったんだ!」......あまりに練習に打ち込みすぎて、試合のことをすっかり忘れていたのである。

●「いいなあ。オレ、バースデーアーチは一度も打ったことないよ

 長嶋とともにV9巨人の主砲として“ONコンビ”を組んだ王貞治は、5月20日の誕生日にバースデーアーチを通算3本放っている。
通算0本のミスターは王のことをうらやましがっていたらしい。なお、ミスターの誕生日は2月20日。その時期はオフシーズンなのだから、打てるわけがない。

●「こんにちは、ジャイアンツの長嶋シゲルです

 ラジオにゲスト出演した時の第一声、
自己紹介でいきなり自分の名前を間違えるのが、天才の天才たるゆえんなのだろうか?
 しかも一度きりではない。
数年後、また別の番組に出演した時の締めくくりに、「長嶋茂雄でした」と言うはずが、何度やっても「長嶋シゲルです」に聞こえると、ディレクターが困惑しきり。
当のミスター本人は「あっ、オレそういえばシゲルって言ってたな」とこともなげに言い、そのディレクターは寝込んでしまったとか……。

●「じゃあ、僕はカツ丼

 立教大の後輩で、ミスターに心酔していることで知られる元日本テレビアナウンサーの徳光和夫が、オススメの蕎麦屋にミスターを連れていった。
事前に徳光が連絡を入れ、大将もミスターが来ると張り切って仕込み。
いざ店に着いたミスターは、大将と熱い談義をかわし、蕎麦を打つ手並みに絶賛を送ったりした。だが、いざ注文の段になると……「長嶋さんは何にします?」「じゃあ、僕はカツ丼で」。お客さん、蕎麦は……?

●「洋服着るの初めてか?

 74年、監督に就任したミスターはドラフト1位で鹿児島実業のエースだった定岡正二を指名した。
定岡は、その年の夏の甲子園で力投する姿をTV中継で見て以来のミスターのお気に入り。
監督になって初めて指名した選手ということもあってか、溺愛ぶりは半端ではなかった。

 そんな定岡にとって初の春季キャンプで、ミスターはなぜか「詰襟から洋服着るんだなあ」「洋服着るの初めてか?」と話しかけ、定岡は思わずポカン。
おそらくミスターは「スーツ着るの初めてか?」と聞きたかったのだろう。
定岡は「さすがに洋服くらい着たことありますよ監督......」と思ったに違いない。

●「そこでバットを振ってみろ

 巨人の監督を一度解任され、いわゆる“浪人生活”を送っていた87年、打撃不振に苦しむ掛布雅之(阪神)が、ミスターに電話でアドバイスを求めた。
ミスターは熱心に掛布の打撃フォームの欠点を指摘した後、「そこでバットを振ってみろ!」とひと言。
スマホなどなかった当時、固定電話で受話器を抱えたままどうやってバットを振ればいいんだと掛布は途方に暮れたものの、この時の助言でスランプは脱したという。

●「打つと見せかけてヒッティングだ

 これは第2期監督時代の話。後に通算533犠打の世界記録を打ち立てることとなる“バントの神様”川相昌弘を代打に起用したミスターが、そばに行ってこっそり耳打ちした。
「川相、打つと見せかけてヒッティングだ」。
バントなの!? 打てばいいの!? どっちなの!? と川相も当惑したという。

 なお、ミスターは代打を送った際に、思わずバントのジェスチャーをしてしまったこともある。
当然ながら相手野手陣は猛チャージをかけてきてバントは失敗。
ミスターは「サインがバレてるんじゃないか⁉」と驚いていたが、そりゃそうですよ監督……。

●「今年、初めての還暦を迎えまして...ましてや年男ということで

 1996年2月20日、ミスターは60歳、つまり還暦を迎えた。
嬉しさのあまりこんなコメントが飛び出したが、60歳の人間にとって還暦は当然、初めて。ましてや干支がひと回りするから還暦というのであって、年男なのも当たり前のことである。
ただ、ミスターが亡くなった今、2度目の還暦(120歳)を迎えるまで長生きしてほしかったと切に思う。
もうあの“長嶋節”を聞くことはできないのだ。

●「若い君たちには夢がある。希望を捨てずに頑張ってほしい

 最後に、一風変わった名言を紹介しよう。
熱心なファンでもミスターのこんなフレーズは聞いたことがないと思うだろうが、それは当たり前だ。
これは正確には発言されなかったものなのだから。

 74年10月14日、「わが巨人軍は永久に不滅です」で知られるミスターの引退スピーチには、本来なら一茂ら子供たちに向けて、この一節が挿入されるはずだった。
ミスターは引退スピーチに並々ならぬこだわりを持ち、わざわざ後楽園飯店(現在も後楽園ホールビル2階にある老舗中華料理店)に子供たちを集めて、入念にリハーサルまで行ったという。

 ところが、いざ本番でよりによってこのフレーズをド忘れ。結局、「お蔵入り」となってしまった。
球史に残る名スピーチの裏にもこのようなエピソードがあるのが、何ともミスターらしい。

文●筒居一孝(SLUGGER編集部)
posted by 小だぬき at 14:02 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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