2025年06月16日

「戦車 = 絶対必要」は大間違い? 軍事オタクごり押しも、本土決戦論の空洞と「撃ち漏らし」想定の限界

「戦車 = 絶対必要」は大間違い? 軍事オタクごり押しも、本土決戦論の空洞と「撃ち漏らし」想定の限界
2025.06.15 Merkmal

「上陸前提」の想定破綻

戦車に関連する記事は反響が大きい。
以前の「軍事オタクはなぜ“戦車”に執着するのか? 「いいえ、航空機・艦船にも執着します」(2025年5月11日配信)にも多くの反応を得た。
元中級幹部自衛官の筆者(文谷数重、軍事ライター)としても好評を得られて何よりである。

そのなかには「戦車は不可欠である」旨の意見もあった。

・敵は日本本土に上陸してくる

・100%の海上撃破は不可能である

・米軍来援までの持久が必要だ

といった内容だ。これらの指摘は妥当なのだろうか。

残念だが、反論となるものではない。
いずれの前提条件も非現実的だからだ。
「『戦車不要論』は間違い」の結論から、無理に戦車が不可欠となる状況を作り出した本末転倒でしかない。

戦争と本土侵攻の混同

第1は、なによりも戦争を本土侵攻と短絡する無理である。「戦車不可欠論」は
「戦争になれば仮想敵国は必ず日本本土に侵攻する」
との大前提に立っている。

その上で必要不可欠と主張している。
しかし、実際はそうにはならない。
たしかに仮想敵国である中国と戦争となる可能性はあるだろう。
ただ、それはそのまま日本本土への上陸戦を意味しない。

まず、一般的に、たいていの戦争は係争地限りで終わる。
日本でも日清、日露の戦争は朝鮮半島と中国東北部だけが戦場であった。

また、仮想敵国の中国は日本本土の領土主張の対象としてはいない。
両国の主張が衝突するのは尖閣と東シナ海中間線だけである。
この点では日本本土に攻め込む必要はない。

そして、中国は戦争規模を限定する傾向も強い。
もともと軍事力行使には慎重である。
その上で戦闘解決を選ぶ際も常に局限と抑制を心がけている。
それからすれば戦争拡大となる日本本土への侵攻は望まない。
つまり、日本本土への上陸戦は現実味がない。

しかし、「戦車不可欠論」はその現実味のない上陸に備えて平時からの戦車整備も主張している。これも誤りである。

仮に本土上陸戦が起きるとしても今から備える必要はない。
それは海空自衛隊が完全撃破され、すべて手遅れとなる戦争末期だからである。

太平洋戦争もそうだ。本土決戦準備は1944(昭和19)年夏のマリアナ失陥以降、つまりは日本の敗北が決まったあとのことだ。

平時なら海空戦力の整備が優先する。
戦争における主力であり、平和な今にも活用している戦力だからだ。
中国と日本は軍艦や戦闘機で対峙している。戦車で対峙しているわけではない。

「撃ちもらし上陸論」の無理

第2は「上陸部隊は海空戦力では阻止できない」の無理である。

いわば「撃ちもらし上陸論」である。
敵国が上陸戦を決意した場合、海空自衛隊では完全撃破できない。その残余が上陸するので戦車は不可欠との主張である。

これは全く非現実的である。
なぜなら、上陸船団の3割も撃破すれば作戦は中止となるからだ。
その段階で上陸側は戦力不足である。兵員や兵器、物資もまた3割の消耗している。そうなると上陸戦はうまくは行かない。作戦目的は達成できないとみてよい。

作戦を継続しても損害は増えるだけでもある。
船団が行きで3割沈めば帰りも3割沈む。上陸部隊に至っては全滅する可能性も高い。
実際の戦史をみても「撃ちもらし上陸」の例はない。

名は秘すが、有名な戦史研究家もこれについては
「3割沈んだ上で上陸戦を敢行した例は、ア・バオア・クー攻略戦しか知らない」
と一蹴している。

そして、この「撃ちもらし上陸論」は戦車の不可欠性を補強する内容でもない仮に、撃ちもらしが上陸しても孤立した小部隊に過ぎない。
後続部隊の到着も補給も期待できない根無し草である。

その点でどうとでもなる。戦車を持たない沿岸防備部隊でも前進は阻止できるし、海空戦力の支援下で撃破掃蕩もできる。

あるいは「放置でよい」ともなる。
任務を達成できない以上、当の上陸部隊は前進よりも部隊の保全を図る。それなら竹矢来で囲めば終わりだ。

事前展開しない不思議

第3は「米軍来援までの陸上持久に必要」の無理である。
「以前の防衛庁は『敵国の日本上陸と米国来援までの持久』を公式設定としていた。だから戦車は必要」との内容だ。

これは陸自の出番を作るためのご都合設定である。
そうしなければ戦時に陸自が活躍する機会はない。
予算要求どころか存在価値も示せなくなってしまう。

1978(昭和53)年の『朝日新聞』はその背景に言及している。
防衛庁が日本防衛のシナリオを作る際に
「各自衛隊の顔を立てるため陸海空が全部活躍できる状況を作為した」
との統幕首脳の裏話を紹介している(「侵攻のシナリオ 陸・海・空まちまち」『朝日新聞』1978年12月19日朝刊 p.4)。

米軍来援を待つというのも、考え難い状況である。
通例なら米軍は事前展開をする。
同盟国が侵略を受ける危険性がある。それなら緊急展開を実施してそのプレゼンスで脅威を封殺する。それが米国流だ。
戦争をせず派遣だけで済むメリットは大きい。

それを開戦まで放置し、その後に流血の決意で米軍を派遣する予定としている。
予防接種で済むものをわざわざ肺炎になるまで待つという非合理である。

それが本当なら日本は安保条約を見直した方がよい。
事前展開をしてくれない国が、開戦後に来援するかは怪しいからだ。
そして、この「来援までの持久論」もまた戦車の不可欠性を補強する内容ではない。
米軍来援を待つ事態となっても戦車の必要性は高まらない。

米軍の来援は早い。
仮に、開戦後となっても米海空戦力は3日目には到着し始める。
実際に1990(平成2)年の湾岸危機では展開決定の翌日に第一陣がサウジアラビアに到着している。
その段階で対日上陸戦は成立しなくなる。
米海空戦力来援により上陸側が制海権と制空権を確保する見込みが立たなくなるからだ。

都合の良い逆算

「戦車不可欠論」の反論は無理に溢れているのである。

たしかに、いずれの状況も物理的には実現可能ではある。仮想敵国である中国には

・開戦と同時に日本に上陸戦を挑む

・上陸船団が3割撃破されても作戦を継続する
との選択肢がある。

米国にも、事前展開はせず開戦以降に軍隊を送る選択肢はある。
しかし、採用する見込みは皆無だ。わざわざ不利を選ぶ選択である。下策、下下策どころか有害な愚策でしかない。

結局は「『戦車不要論』は間違えている」から逆算した反論にすぎない。それに合わせて諸条件を都合よく配置しただけだ。

今の軍事オタクに必要なのはそのような無理筋の反論ではない。まずは自らの足許を見直すことだ。
界隈が常識としている「『戦車不要論』は間違い」を疑うことである。
それは、戦車予算をつけるために40年前の陸自が考え出した方便でしかない。

(文谷数重(軍事ライター))
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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