なぜ自分の「得」にもならないのに、他人に親切にできるのか 太古から続く「誰かとつながりたい」感覚
7/12(土) AERA DIGITAL
継続する人間関係において最初こそ相手にやさしくできても、それをずっとつづけられる人は少なくない。
ものごとをありのままとらえようと試みる「現象学」を専門とする哲学者の稲垣諭さんは、「やさしいがつづかない」と思っている人にも「小さなやさしさ」があり、誰かとつながりたい感覚が根底にあると説く。
新刊『やさしいがつづかない』(サンマーク出版)より、「私たちは孤独が怖い」を抜粋する。
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■「小さなやさしさ」は義務でもルールでもないのに
突然ですが、犬を散歩させていて、向こう側から別の犬がやってくるときのことをイメージしてみてください。
「がるるっ」という一触即発のあの雰囲気、わかりますか?
飼い主も「吠えないでね、吠えないでね」と呪文のように唱えているあの瞬間です。
このように動物たちが顔を合わせて出会うときにはいつでも緊張が高まります。
特に捕食─被食関係にあればなおさらです。
それに対して私たち人類は、まったく見知らぬ人と出会っても特に何もしません。ただすれ違うだけです(たまに、オットセイのように「おうおう」とにらみ合って喧嘩したりする人たちもいますが……)。
山登りしているときは、安全確認の意味も含めて、すれ違う人の誰とでも挨拶を交わすだけでなく、その先にぬかるんでいるところがあれば、教えてあげたりもします。これもちょっとしたやさしさの交換です。
私は、些細なことで困っている人に手を差し伸べる行為を「マイクロ・カインドネス(micro-kindness)」と呼んでいます[稲垣諭『「くぐり抜け」の哲学』(講談社、2024)、3─4「マイクロ・カインドネスを信じる」を参照]。
文字通りこれは「小さなやさしさ」のことです。
実はこうした行為は、やらなくても特に問題がありません。
義務でもなければ、ルールがあるわけでもない。
しかし私たちは、咄嗟にそうしたことをしてしまいます。
もし落とし物をして、その人が気づかないままでいれば、やがて困るかもしれない。そう想像することももちろんできます。
が、そんな想像を働かせる手前で身体がぱっと動き、声をかけて、手を差し伸べてしまう。
その瞬間の何気ない動作は、相手を助けたいとか、見返りがほしいとか、自分の利益になるとかの思考とは関係がありません。
それこそ今目の前にいる人と、意識や思考、さらには共感にも先立って、私たちがやさしさでつながろうとしてしまう瞬間です。
これは食卓で「そこの醤油取って」と言われて「はいっ」と手渡す、ほんの些細なことでさえそうなのです。
こうした小さな善意たちは、あなたの中にもきっとあるはずです。
どうして私たち人類は、自分にとって直接的な得になるとは思えないマイクロ・カインドネスを行うのでしょうか。
もしこうした小さなやさしさがなければ、世界はもっとギスギスと殺伐としたものになっていたはずです。
■利他行為の起源はいまだにわからない謎
進化論や人類学、遺伝学などさまざまな学問によって調べられていますが、この見知らぬ他人への直接的な利他行為の起源はいまだにわからないことが多いです。
私たちの遺伝子に組み込まれた行動なのか、文化社会的に伝達され刷り込まれるものなのかも謎のままです。
はるか昔、私たちホモ・サピエンスが生まれる前の祖先の人口は極めて少なかったことがわかっています。
異論もありますが、遺伝子解析によると約93万年前には私たちの祖先の人口は98%減少し、約1280人だった可能性があるといわれています。[Hu W. et al.,Genomic inference of a severe human bottleneck during the Early to Middle Pleistocene transition, Science, 381, 979–984(2023).DOI: 10.1126/science.abq7487]
そしてその規模感は81万5000年前までつづき、私たちの祖先は絶滅寸前だったようです。
実際、たくさん存在していたヒト属の種はみんな滅びてしまいました。
ホモ・サピエンスという私たち人類が生まれた頃(20万年ほど前)も、最初は5000人程度だったのではないかと推測されています。[大塚柳太郎『ヒトはこうして増えてきた─20万年の人口変遷史─』(新潮社、2015)]
私たちの祖先は、何万年もかけてアフリカから世界中に散らばっていき、数を増やしていくことになりますが、アフリカを出た後も再度アフリカに戻っていったりもしています。
現在の地球の人口(80億人超え)からすると考えられないことですが、それほど数が多くなく、しかも都市も、国家も、民族も、集落もなく、移動しながら暮らしていた時代です。
私たちはビクビク怯えながら樹々や洞窟に隠れたりして日々を送っていたのかもしれません。
たまにどこかで、見知らぬ誰かにばったりと出くわすこともあったでしょう。
もし、あなたに似た人物が、そこで怪我をして苦しんでいたらどうでしょうか。
私たちの祖先は、最初は怪しみながらも、そっと近づいて彼らの手当てをしてあげたのかもしれません。
もっていた食べ物を差し出していたのかもしれません。
マイクロ・カインドネスをもつ私たちは、そうした太古の人々のやさしさの起源について想像したくなってしまいます。
人間は社会性を大切にする動物です。
ひとりでいると孤独で寂しさを感じ、心細くなります。
誰かとつながりたいと身体全体が叫びを上げるようです。
■私たちはひとりではないことを相手に伝えている
人間の脳は、10万年前からそこまで大きく変化していないのですから(大きく変わったのは環境です)、この誰かとつながりたいという感覚は、太古の昔を生きた私たちの祖先が感じていたものと等しい可能性もあります。
その意味でもマイクロ・カインドネスは、たとえ見知らぬ人であっても手を差し伸べ、つながることで、私たちはひとりではないことを相手に伝えている行為なのです。
ですので、あなたがやさしいがつづかないと悩み、思い詰めているとすれば、まずスタートすべきは、この「小さなやさしさ」があることを信じることです。
そしてこのやさしいがあなたの中に生きつづけているかぎり、やさしくないと自分を責める必要はありません。
稲垣 諭(いながき・さとし) 哲学研究者

