「多数派の専制生む民主主義 国民の安心を取り戻すには」東浩紀
7/15(火) AERA DIGITAL
東浩紀/批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役
批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。
時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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民主主義は多数決がすべてではない。
少数派の意見を尊重できなければ健全な民主主義は育たない。
これはよく言われることだが実行は難しい。
現実には、私たちは多数決しか集団的な意思決定の手段をもっていないからである。
たとえその差が数%にすぎなくても、多数派の意思を集団全体の意思だとみなす。
暴力といえば暴力だが、いまのところそれに代わる手段はない。少数派の尊重は、そのうえでの理念にすぎないのだ。
したがって、少数派が尊重されるためには、まずは多数派がその方針に同意することが必要になる。
自分と異なる意見に耳を傾けよう、自分と異なる生活習慣の人々も認めようと、最初に多数派に思ってもらう必要があるのだ。
おかしいと感じるかもしれないが、それが民主主義の現実だ。
だから健全な民主主義を育てるためには、教育や啓蒙が必要不可欠になる。
それだけではない。加えて重要なのは、多数派の市民に「安心感」を提供することだ。
ひとはみな自分の生活が第一だ。
いくら少数者や弱者、外国人への配慮が大事だと、あるいはあなたもいつ彼らの立場になるかもしれないと言われたとしても、将来に不安があれば配慮の余裕はなくなっていく。
こんなふうに抽象的なことを書き連ねたのは、来たる参院選で、排外主義的な主張を掲げた政党や候補者が目立ち始めているからである。
排外主義は危険だ。批判せねばならない。
しかし、排外主義を批判だけで抑え込むのも不可能だ。
民主主義にはそもそも多数派の専制を生み出す傾向がある。
その罠を逃れるためには、多数派が安心して生活し、心の余裕をもてるような豊かな環境の整備が必要不可欠だ。
現在の問題は、そもそもその環境が失われていることにある。
「日本人ファースト」という言葉がかくも魅力的に響く現状、それ自体を問題視すべきだ。
貧すれば鈍する。扇動家の甘言を拡散させないためには、政治がまず国民の安心を取り戻さねばならない。それが選挙後の課題となろう。
※AERA 2025年7月21日号

