高市早苗氏「外国人が奈良公園のシカを蹴る」発言を称賛する人が知らない、キックより残忍な“日本人のシカ虐待”
10/4(土) ダイヤモンド・オンライン
自民党総裁選で先行する高市早苗氏の「外国人が奈良のシカを蹴る」という発言に、称賛の声が上がっています。
しかし、日本人がキックどころではない残忍な方法でシカを虐待してきた“不都合な歴史”は、あまり語られません。
多くの人が知らない、この問題に潜む本当の構図と、語られることのない衝撃の事実を暴き出します。(ノンフィクションライター 窪田順生)
● 自民党総裁選の行方 高市「鹿キック」発言
「小泉vs高市」という2強対決でほぼ決まりと言われる自民党総裁選。
本命・小泉進次郎氏がステマ疑惑、大量離党問題と「文春砲」に“2週連続被弾”するなかで、対抗馬・高市早苗氏にはここにきて思わぬ「追い風」が吹いている。
「外国人観光客の鹿キック問題」である。
ご存じのない方のために概要を説明すると、発端は9月22日に開かれた自民党総裁選の所見発表演説会。
ここで高市氏は、集まった国会議員たちが戸惑うようなこんな“第一声”をあげた
「皆様こんにちは。高市早苗、“奈良の女”です。大和の国で育ちました。
奈良の女としては、奈良公園に1460頭以上住んでいる鹿のことを気にかけずにはいられません」
「そんな奈良の鹿をですよ。足で蹴り上げるとんでもない人がいます。殴って怖がらせる人がいます。
外国から観光に来て、日本人が大切にしているものをわざと痛めつけようとする人がいるんだとすれば、皆さん、何かが行き過ぎている」
実は男性が鹿を蹴り上げている動画というものは確かに存在する。
だが、この男性が日本人なのか外国人観光客なのかはわかっていない。
しかも、奈良公園の鹿を保護している団体「奈良の鹿愛護会」が外国人観光客のそのような行為を「見たことがない」と述べたことで、「出所不明の情報で外国人差別を煽るのはいかがなものか」と叩かれてしまったのだ。
ただ、結果としてこの「鹿キック」発言は、高市人気アップのきっかけとなる。
ネットやSNSは「よくぞ言ってくれた」と大絶賛。
「中国人観光客が鹿の頭を叩いたり、蹴ったりするのは日常的に見る」と高市氏を擁護する人たちも現れ、自民党の党員・党友票も増えたという報道もある。
これにはいろいろな意見があるだろうが、個人的には「でしょうね」というくらいで、それほど驚きはない。
どういう綺麗事を並べたところで、「選挙」の本質というものは、大衆の潜在的な不満・不安を刺激することで自分の支持にもっていく、という“扇動競争”という面があることは否定できない。
そこで「外国人憎悪」を煽るという手法は、古今東西の政治家がやってきたことであり、2025年現在も最も効果の高い“選挙プロパガンダ”のひとつだ。
先の選挙で参政党が掲げた「日本人ファースト」や、アメリカ大統領選でトランプ氏が「移民がペットを食べている」と繰り返し主張して、移民反対派の溜飲を下げたことを見ても明らかだろう。
そんな王道でベタな選挙プロパガンダを今回、高市氏もやってみたというだけの話なのだ。
● 奈良公園の鹿と暴力 日本人も加害の歴史
…という冷めた意見を耳にすると、「神の使いである鹿が外国人にキックされて怒りがわかないとは貴様、それでも日本人か!」と愛国者の皆さんから飛び蹴りをくらいそうだが、もしも本当に心の底から、鹿の安全を願っているのなら“マナーの悪い外国人観光客”を敵視、攻撃したところで、あまり意味はない。
「事実」を客観的に振り返ると、キックどころではない残忍さで奈良公園の鹿を痛めつけ、命を奪ってきたのは他でもない我々日本人だからだ。
2021年2月、奈良公園内で雌のシカ1頭(推定11歳)が、斧(おの)のようなもので頭部をかち割られて、殺された。
やったのは不良外国人…などではなく、三重県松阪市のとび職(当時23)だった。
2010年3月にはやはり雌の鹿が、クロスボウで射抜かれて死んだ。
解剖をしたところお腹には赤ちゃんがいた。
これも外国人ではなく、三重県津市の会社役員(40)である。
戦時中も奈良の鹿はよく殺された。
東大寺の僧侶で仏教学者の堀池春峰氏は「十九年末、奈良公園のシカを殺して食べた人たちが三十人ほど逮捕されました。
その中に東大寺の関係者が三人いました」(朝日新聞1993年4月6日)と告白している。
これらはあくまで「鹿殺し事件」として立件されたものだけなので、その前段階で蹴ったり叩いたりという暴力などが無数にあるということは容易に想像できよう。
さて、そこで愛国心あふれる人々が納得いかないのは、なぜ古来から神の使いとされてきた「奈良の鹿」を、こんな形で惨殺する日本人が定期的にあらわれてしまうのか、ということだ。
ひとつは戦時中の悲劇のように「鹿肉」欲しさである。
2010年も主犯の会社役員は、「鹿肉を売って儲けたかった」と述べている。
ただ、実はこのような営利目的よりも遥かに多いのが「攻撃されてイラっときた」という理由だ。
実際に奈良公園の鹿を見に行ったことがある人はわかるだろうが、実はあの鹿はかなり「凶暴」だ。
「かわいいなあ」と近づくとこづかれたり、体当たりをされたりして驚いた人もいるはずだ。
それくらいで済めばまだマシで、気性の荒い鹿の場合、あの立派な角でブスリということもある。
例えば昨年9月の奈良公園の鹿による人身事故は43件もあった。
秋は雄鹿の発情期で気性が荒くなるため、体当たりされたり、鹿の角で怪我をしたりする人が急増するのだ。
ここまで言えば勘のいい方はおかわりだろう。
この「鹿による体当たり攻撃」が、実は鹿キックをはじめとする「鹿虐待」のトリガーになっているのだ。
● 観光客の怒りと報復 「鹿キック」の真相
わかりやすいのは、先ほど紹介した斧でシカを殺したとび職の男性だ。
実はこの人は犯行前、友人たちと一緒に餌をあげるなどして鹿と戯れていた。
しかし、それからほどなく彼はブチギレしてしまう。
鹿が自分の車に体当たりしてきたというのだ。
男性は検察の調書でこう述べている。
「私のものに被害を加えられると、自分に被害を加えられるように感じた。
あの時は殺すしか考えられなかった」(朝日新聞 2021年5月14日)
この「やられたらやり返す、倍返しだ」的な暴力の連鎖が、外国人観光客の「鹿キック」の原因である可能性が高い。
実は奈良公園の鹿というのは、100年以上前から外国人観光客にとって「神秘の動物」だった。
大正3年に発行された小説家・田山花袋の「日本一周」(博文館)の中には、田山の知人のこんな言葉が紹介されている。
「外国人などには、ああして鹿が遊んでいるといふことが非常にめづらしいものと見えますね。
私があちらにいる時分世話になつた人をつれて行くと、あれが非常に気に入って、それは大喜びでしたよ。
そして、どうしてあああ馴れて遊んでいるのだろうって、不思議にしていましたよ」(日本一周 前編 536ページ)
ただ、それは勝手に「幻想」を抱いているだけに過ぎない。
実は鹿は人間に馴れているわけではなく、ここが自分の餌場、縄張りだと認識してリラックスしているだけだ。
にも関わらず、「人に馴れている」と思い込んでいる外国人観光客は、ドッグカフェのノリで鹿に近づき、エサをあげ、撫でる。
しかし、現実の鹿は人に馴れているわけではないので、体当たりなどの攻撃をしてくる。
ペットのようにすり寄ってくるのかと思っていたかわいい動物にいきなり襲われたら恐怖をする。
そして、次に「なんだ、この野郎」と怒りが込み上げる。
その中には「報復」として鹿の頭を叩いたり、蹴り上げたりする不届者も一定数あらわれるというワケだ。
● 日本人の過ちを知らず 外国人を批判する危うさ
なぜ筆者がそのように断言できるのかというと、歴史を振り返れば、このような「やられたらやり返す」という暴力の連鎖で、鹿が虐待されたり、殺されたりという悲劇が昔から延々と繰り返されているからだ。
江戸時代、春日大社近くの豆腐屋で、店頭にあった豆腐を鹿がムシャムシャと食べてしまった。
怒った店主は追い払おうと、鹿に向かって包丁を投げたところブスリと命中してしまい、鹿は絶命した。
当時のルールでは、春日大社の神鹿を殺した者は首を切られることが決まっていた。
「えっ? 確かに悪いことだけれど罰が重過ぎない?」と驚く人も多いだろうが、実はこれでもかなり刑は軽くなった方だ。中世では「石子詰」(いしこづめ)という中世ヨーロッパの魔女狩りのような残酷な処刑をされた、と明治の辞典に説明がある。
【石子詰】土中に穴を掘りて、罪人を生きながらに入れ、大小の石にて埋め殺すこと。中古、大和国 奈良の鹿を殺したる者も、この刑に処せられたり(ことばの泉:日本大辞典21版 明治37年)
このような厳しい刑罰があったということは、大昔から、鹿にひどいことをされてカチンときて、思わず手が出たり足が出たりしてしまう不届者が定期的にあらわれてきたということである。
こういう「鹿虐待の前科」が山ほどあるにもかかわらず、そんな恥ずかしいことを我々日本人は1人もしていませんと言わんばかりに、外国人の行為だけにフォーカスを当てるのはかなり違和感がある。
日本人が主にやってきた「悪事」なのに、最近やってきた外国人観光客にすべて押し付けて、急に「被害者ヅラ」をするのは、あまり褒められた話ではない。
しかも、もっと言えば、日本人が世界に誇る「武士道」でも、正義を守る勇気を持つ者こそが、真の武士とされているではないか。
● 江戸の名判官の慧眼 現代政治の愚かさ
先ほど紹介した、鹿を包丁で殺してしまった豆腐屋だが、実は無罪放免になっている。
「名判官物語 : 徳川時代の法制と大事件の裁判」(小山松吉 中央公論社)によれば、京都所司代を務めていた板倉重矩という大名が、そもそも、鹿が豆腐屋の食べ物を勝手に漁ったことが悪いとして、十分に餌を与えていない春日大社側にも「管理責任」があると指摘。
鹿を殺したら斬首というのは古いしきたりだとして、「今日以後人間を以て獣に代ふることが許し難し」という裁きを下したのである。
我々の立派な先人は、古い因習で思考停止に陥ることなく、正義の目で鹿トラブルを分析して、根本的な原因を「管理が十分ではない」と看破していたのである。
そんな武士道を体現した板倉重矩の没後400年、時は流れて令和の人気政治家は「鹿を蹴った外国人を許してはいけない!」と気を吐いて、一部の国民から「これぞ日本人!」と拍手喝采を浴びている。
果たして、これは「武士道」なのか。
ひょっとして、我々は江戸時代の人々がもっていた大事な何かを失くしてしまっているのかもしれない。
窪田順生

