「総裁選予測」を大外ししたワケ 「LINE頼み、地方出張も激減」で取材力も低下
10/8(水) デイリー新潮
女性で初めて自民党総裁の椅子に座った高市早苗氏
自民党総裁選が終わって最初の月曜日、10月6日放送のテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」とTBSの「ひるおび」では、政治解説コーナーが謝罪から始まるという異例の一幕があった。
この2番組で政治解説を行っているジャーナリストの田崎史郎氏が、「お詫びをします」と頭を下げて小泉進次郎農水相の勝利を予測してきたことにふれ「自分の取材が甘かったです」と平身低頭に述べた。
これらのみならず他のテレビ各社のニュースや情報番組でも、局員の記者、フリージャーナリスト含めて小泉候補優位という報道が大半だった。
予測が外れ、解説を担当したジャーナリストが謝罪をするという現象は、現在のテレビ各局の政治取材の様々な課題を浮き彫りにしている。
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まるで「推し活」のように
政治報道、なかでも総裁選や総選挙は、苛烈な権力闘争を取材するゆえに、刻々と情勢は変わるものである。
またライバル陣営を陥れるための真偽入り乱れた情報が飛び交う戦いでもある。
これは政治記者が入社後、最初に教えられることだ。
だからこそ局の総力を挙げて数多くの取材を積み重ね、各陣営の思惑を乗り越えた真相や核心をその都度視聴者に伝えていくことが求められる。
放送にあたってはクレジットを入れて、流動的な要素があることなども合わせて伝えるリスクヘッジも意識されている。
しかし昨今の情報番組は、「勝ち馬予想」や、「推し活」のような候補者のもてはやしに注力している実情がある。
だから田崎氏は「外した」と責任を感じて謝罪までしたのだと思う。
もちろんそうした番組の演出に問題があるのみならず、取材側にも課題は多数存在している。
選挙後、高市早苗総裁の「ワークライフバランスを捨てます」発言が一部で批判をされたが、皮肉なことに政治記者の「ワークライフバランス」重視の姿勢こそが、今回の小泉候補優位の予測につながった側面があると、取材現場の声から感じている。
LINEで夜回りをする政治記者たち
筆者が永田町を取材した時代に辛かったのは、毎朝毎晩、取材対象者のもとを回り続けることだった。
秘書から予定を把握するのは夜回りには不可欠だが、それでも政治家は隠密行動が多く、出入りしそうな料亭やホテルを張り込むなど努力を重ねてきた。
しかし現在の政治記者たちは、効率的な取材のために、まずは議員とLINEでつながることを重要視している。
ある男性の与党担当記者は「LINEであれば忙しい合間にも返してもらえるし、通話だってできる。
裏どりには欠かせない取材ツールだ」と話す。
もちろん彼のLINEには大量の永田町関係者が登録されている。
ある女性野党担当記者は「LINEって顔写真はもちろんだが、オリジナルスタンプを送ったりできるし、印象を残すアピールもたくさんできる。
囲みの夜回り取材をいくつもするより、LINEはサシ取材だからよほど効率的」と、「取材ツール」としての強みを強調する。
メモはLINEのスクショ
しかし異なる見方をするベテラン政治デスクもいる。
「今の若い記者に取材メモは? と聞くとLINEのスクショを送ってくる記者がいて驚いたことがある」と話す。
LINEは基本的に短文形式のツール。
ある情報の真偽を閣僚経験者に確認取材した記者のLINE画面を見ると、相手からの「外してはないね」とか「大筋ではいいでしょ」など、忙しい合間をぬって返したらしい、曖昧な返答が書かれているものがあった。
これで「裏が取れた」と判断をしているとしたら、極めて不安を感じる内容だった。
前出の政治デスクも「リアルなやりとりであれば、顔色や声のトーンなどを言葉と合わせ、真偽の解釈ができる。
囲み取材であれば、解釈を番記者同士で議論することもできる。
しかし、LINEという“飛び道具”では、こうした温度感に乏しい取材となってしまう。
しかしテレビは速報メディアだから、やはりすぐに相手と接触しやすいLINE取材をやめろとは言いにくい」と不安を感じつつ、容認しているそうだ。
しかし、今回の総裁選で誰に投票するのかという重要でセンシティブな問いに、果たしてLINEというツールで真剣に答えてもらえるのだろうか。
票読みは議員をどれだけ現場取材でつぶしていくのかが重要だが、曖昧な態度や本音を見せない回答の読み解き、偽情報を流すケースへの対応には、取材側の技術が問われる。
支援者の意思が明確な、小泉陣営以外の候補者の票読みが甘かったことが、その点を露呈しているように感じている。
激減している「選挙区」取材
今回の総裁選では、一回目の投票で高市候補が党員票で他候補を圧倒。
また、決選投票でも都道府県連の票で小泉候補を大きく上回った。
高市総裁の勝利には「地方の声」が大きく貢献していたわけで、逆に言えば、この「地方の声」を見誤ったことが、テレビ局の報道が外れた要因でもある。
かつての政治取材の世界では、有力議員の地元選挙区には頻繁に足を運べと言われてきた。
寺で行われる後援会の車座集会などに顔を出せば、東京育ちの記者には接することのできない、地方の有権者の温度感がわかる。
私自身も東京と地方の政治意識の差にショックを感じることが多々あった。
外交や安全保障よりも農道や信号機の設置など、身近な話題が多い。
地方の政治感覚を学ぶことで、自民党政治を底流から支える人々の深層心理を知ることができた。
しかし今や「働き方改革」「労働時間削減」ということで、週末のこうした地方出張は姿を消している。
市民会館レベルでの講演となれば、地方局のカメラが撮影をして映像を東京に送ってくれる。
この形式であれば表面的な発言をカバーし報道することはできる。
AIが発言のメモ起こしもしてくれる。
しかし地元有権者の本音や不満を理解することはできない。
今回の総裁選でも、高市候補への地方の熱量が議員をここまで動かすこと、それだけ各議員にとって地元地盤が盤石ではなくなってきていることをどこの社も正確にとらえきれていなかった。
効率的な官僚秘書官取材
また、テレビ局の記者たちは、日々の取材の中で、高市候補への否定的な感情を刷り込まれていた可能性もある。
政策の内容や調整状況を知るために記者に必要なのが、官邸や閣僚を担当する官僚秘書官への取材だ。
彼らは記者対応の役割も事実上担っており、彼らに聞けば、効率的に、法案のスケジュールや調整状況、政策の骨子や数字を把握することが可能になる。
しかし、当然、彼らはその時々の政権寄りのスタンスを取り、時に国民目線から乖離していることもある。
岸田内閣では「育休中の学びなおし支援」が批判を集め、石破内閣では「米価高騰」への対応が遅れたことは、スーパーエリート官僚の意識も国民から離れたところにあることを示している。
そうした官僚は、今回の総裁候補で言えば、そつなく政策を遂行していく「林芳正」型の政治家か、見栄えが良くて御しやすい「小泉進次郎」型の政治家を好みがちである。
一方、財務省とは真逆の積極財政論者で、総務大臣時代には、たびたび官僚と衝突してきた高市新総裁には警戒感を持つものも少なくない。
そうした秘書官たちと日々接する中で、テレビ局の記者たちも、知らず知らずに高市氏へのマイナスの感情が生まれ、そうした先入観が予測に影響した可能性もある。
そもそも、高市総裁は総務大臣時代、政治的公平性を欠く放送局に対して「停波の可能性」を言及するなど、テレビ局への牽制を繰り返してきた。
こうした経緯から、メディア側にも高市氏への警戒感を持つ記者も多く、リベラルな論調の放送局などからは、思想的な意味での距離もあるだろう。こうした様々な「高市不安」が、「小泉期待」へと無意識につながってしまった側面があったのかもしれない。
LINEと東京だけの取材で失うものは
LINE取材、選挙区取材の激減、官僚秘書官への取材。どれもが昨今の「働き方改革」で当たり前となっている政治取材のトレンドだ。
しかし、今回の総裁選で、こうした取材では決して辿り着けなかったのが、麻生太郎元総理の胸中だったであろう。
デジタルとかけ離れた、アナログな昭和・平成政治のドン、麻生太郎氏がどのように1票1票を読み、周到に指示を出したのか。それは決して東京での、LINEをベースにした浅い取材ではわからないはずだ。
総理時代にひどくたたかれたことから、メディアを決して信用しないといわれる彼の心の内側を、テレビ記者は読み解けなかった。
そして、各種報道で伝えられているように、高市総裁の勝利を決定づけたのは、麻生氏の一声である。
麻生氏の今総裁選での地方票の読みの正確さは、地方の有力者との血の通った人間関係を持つ最後の政治家の底力をまざまざと見せつけた。
そこにメディアは残念ながら迫れなかった。
近年、取材の効率ばかりを追求してきたテレビ局をはじめとするメディアは、今回の“敗戦”を機に、改めてその手法について議論を重ねたほうが良いのかもしれない。
多角一丸(たかく・いちまる)
元テレビ局プロデューサー、ジャーナリスト
デイリー新潮編集部

