88歳・伊東四朗の“老い”との付き合い方、脳細胞の減少を実感も『薔薇・憂鬱・蝋燭』を書く意外な理由
1/18(日) 週刊女性PRIME
『伊東家の食卓』(日本テレビ系)で覚えた裏ワザで印象に残っているのは、「Tシャツの畳み方ですね。今朝やろうとしたら忘れていました。情けないですね(笑)。今度、誰かに教わります」。
難しい漢字3つをいつでも書けるようにしている
時折ユーモアを交えながら、寄る年波には抗えないと笑うのは、喜劇役者として活躍する伊東四朗さん。
2025年5月には、大衆演劇の舞台で優れた業績を示した芸術家を表彰する「第50回 菊田一夫演劇賞特別賞」を受賞。
1997年から続く文化放送のラジオ番組『伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛(オヤジパッション)』では、毎週土曜午後3時から2時間、リスナーからの投稿に耳を傾け、語り続けるーー。
88歳、米寿を迎えた今なお精力的に活動する、その姿は“若々しい”とすら感じるのだが。
「1日に何十万個という脳細胞がなくなっているというのは、本当だなと実感しますね。
ただ、どこかで歯止めをかけないといけませんから、『蝋燭』『憂鬱』『薔薇』、この難しい漢字3つをいつでも書けるようにしています。
思い出しては、空中に書いているんですけど、はたから見ればおかしな人に見えるでしょうねぇ」(伊東さん、以下同)
少し前までは、記憶力を維持するために円周率を千桁まで言うこともできたし、アメリカ50州すべての州を誦んじることもできたという。だが、
「“頑張らない”のも大事なことなんですね。
今は薔薇という漢字が書けたら、最大限の上出来だと思っています。
根拠なんてありません。書けたら大丈夫だろうくらいの気持ちです。
それに、頑張りすぎると疲れちゃいますからね」
稽古をする時間もないくらい多忙だった
「てんぷくトリオ」を結成すると、伊東さんは茶の間の人気者になった。
来る仕事は拒まず、流れに身を任すことを信条にしてきたと話す。
「誠心誠意、全力でやる」が、その一方で、頑張りすぎないようにしていたとも明かす。
「頑張りすぎている舞台は見ても疲れます。
お客さんにはリラックスして、笑ってほしい。肩をこらせるようなことをしたら失礼ですよ」
伊東さんは、過去のインタビューで、「お客さんが駅に着く前に忘れちゃうような、ただただ乾いてる喜劇をやりたいんです」と語っている。
「覚えられているっていうのもプレッシャーなんです。
劇場を出ていくときに、『面白かったな』でいい。
それ以上でも以下もなく、その言葉にすべて詰まっていますから。
家に戻っても、まだ覚えられているなんて望みません(笑)」
そうは言うが、この世には忘れたくても忘れられない─脳裏に焼きつくものがある。
例えば、伊東さんが演じた“ベンジャミン伊東”。1976年に放送を開始した『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』(現・テレビ朝日系)から生まれたキャラクター“ベンジャミン伊東”は、電線軍団を率いてこたつに上り、『電線音頭』を歌い踊る。
同番組は当時、人気絶頂だった国民的アイドルグループ・キャンディーズと、伊東四朗、小松政夫さんという異色の組み合わせが話題に。瞬く間に大ブームとなった、歌とコントを巧みに融合させた番組だった。
「よくやっていたなと思います。
稽古をする時間なんてないですから、小松っちゃんもキャンディーズも即興でやっていた。
“ベンジャミン伊東”も、制作スタッフから『今度、電線軍団っていうものをつくる。キャンディーズと小松政夫を入れるから、伊東さんはこたつの上で踊ってくれ』って丸投げされて誕生したくらい。
自分でも、あれがいちばんバカだったと思います(笑)」
藤田まことさんや美空ひばりさんを驚かせた笑い
実は、今年10月からCSホームドラマチャンネルで『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』が約50年ぶりに放送されている。
あらためて見直すと、“どうかしている”くらいハチャメチャだ。
「何かのパーティーのとき、エレベーターで藤田まことさんと一緒になったんです。
私を見ると、ガッと腕をつかんで『四朗ちゃん、アンタ、大丈夫か!?』って心配してきた。
本当に私の頭が飛んじゃったと思ったらしいんです。
大先輩を騙せているんだなって自信になりましたね」
踊り狂う“ベンジャミン伊東”に触発された全国の子どもたちは、われ先にこたつの上を目指した。
『電線音頭』は社会現象になるほどだった。
「美空ひばりさんに会ったら、『四朗ちゃん、アレやめてくんない。息子がこたつを壊しちゃうから』って言われて恐縮したことも。
こたつの上に人が跳び乗ったら、そりゃ壊れますよ」
伊東さんは、どこまでも飄々と語る。
それに乗じて、「今の笑いはどう見えているのですか?」と聞いてみた。
野暮に思えたが、当時を知る喜劇役者はもう数えるほどしかいない。
盟友だった小松さんも泉下の人となった。
昭和、平成の笑いを知る伊東さんに聞いてみたかった。
「私には、今の笑いが良いか悪いかということは言えないんです。
お客さんにウケていれば、それが正解なんだなと思うだけです。
笑いっていうのは、そういうもの。
今、いちばん笑わせているものが、今の笑いだと思います。
そういう意味では、再放送されたことで、今の時代の中に『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』を入れてもらったことはうれしいことですね」
三宅健くんだけには負けたくなかった
狂気的なキャラクターを演じたにもかかわらず、その後、伊東さんはNHK朝の連続テレビ小説『おしん』(1983年)では主人公の父親役に抜擢され、俳優としての活躍の場を広げていく。
「きっと会議では、『おしんの父親にベンジャミンはないだろ』という意見があったと思います。
それでも押し通してくれる人がいるんですね。
応援してくれる人が、今いるならその関係を大切にしてほしいですね。
そういう人たちに支えられて、私は今までやってこれました」
取材中、伊東さんは“今”という言葉を、何度も繰り返す。
88歳になっても、『伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛』を楽しめるのも、今を知れるからだと語る。
「私みたいな年寄りになると、今の世の中を知ることが難しい。
ですから、とにかく聞こうという姿勢が大切なんですね。
知りもしないで、『違和感がある』なんて言ったら、途端に年寄りになっちゃいますから。
なるべく今の時代の中へ入り込んでいこうという気持ちを持つようにしています」
『伊東家の食卓』に出演していたときも、それを第一に考えていたという。
「人の話、特に若い人の話を聞くと、『これが今なんだな』ってわかりますよね。
ですから、『伊東家の食卓』のときは、特に三宅健くんと話をしていました。
当時、彼は10代後半。たくさん触発されました。
番組の中でゲームをするときも、絶対に三宅くんだけには負けるまい……といったって、負けるんですけど、そういう気持ちでやると、お客さんは楽しんでくれるんじゃないかなと思っていました。
『年寄りでも結構やるじゃん』。そういうところが、番組の中に出たらいいなと思ってやっていましたね」
どんなステージにいようが、今を見つめること。
伊東さんは、今の自分を楽しむからこそ、時に老いを自虐のネタにする。
今の自分を知っているからこそ、無理をせず頑張りすぎない。今を大切にする─。
それが伊東さんが現役でい続けられる秘訣なのかもしれない。
「90歳の目標などはあるのですか」という質問を用意していたが、聞くのをやめることにした。
今を生きている伊東さんに、そんな先のことを聞くのは、1年後の天気を予想するくらい「わからない」のだから。
取材・文/我妻弘崇

