陰謀論にハマるのは「頭が悪いから」ではない…"でっちあげの話”を信じてしまう脳のトリッキーな機能
1/30(金) プレジデントオンライン
私たちが持っている記憶は、本当に正しい内容なのか。
筑波大学の櫻井武教授は「人間は断片的な出来事を時系列に並べ、文脈を補完することで『記憶』というストーリーを完成させている。
それは必ずしも事実であるとは限らない」という――。
※本稿は、櫻井武『意識の正体』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。
■あなたの記憶は、本当に正しいのか
もともと私たちは、断片的な出来事を「物語」として再構成することで、時間の連続性を創り出している。
たとえ記憶の空白があっても、「たぶんこうだったのだろう」と文脈を補完し、自らの経験に一貫したストーリーを与える。この“物語化”の力こそが、自己という感覚の土台である。
私たちは出来事を時系列に並べ、因果関係を補完することで理解しようとする傾向がある。
「Aの後にBが起きたから、AがBを引き起こしたのだろう」といった理解は、明確な根拠がなくても自然と受け入れられてしまう。
この“因果性の錯覚”は、18世紀の哲学者デイヴィッド・ヒュームが指摘したとおり、私たちの心の癖でもある。
■SNSで陰謀論が広まる脳科学的理由
この癖は進化の過程で生存に役立った可能性がある。
「物音がする→獣が来た→逃げろ」という経験からくる「物音がする→逃げろ」という推論は、正しいかどうかよりも“素早い判断”であることが重要だったのだ。
だからこそ、人間の意識は、記憶を「時間順に」「因果的に」並べて意味づけようとするようにできている。
たとえそれが事実に反する“でっちあげ”であっても、物語のある事件のほうが、断片の集積よりも心理的に受け入れやすい。
それゆえ、人は出来事に何らかの理由を求めずにはいられない。
理解できないものでも、何らかの理由があると納得したような気がするのだ。
SNSで陰謀論が広まるのも、この“前後関係で隙間を埋めようとする心理”が働くからだろう。
陰謀という「理由」をつくってもらえれば、不可解な出来事も納得がいったような気がするからだ。
■記憶を再構築し、ストーリーを作る
こうした時系列に“仮の”因果関係を構築する構造は、睡眠中の脳活動にも見られる。
海馬から大脳皮質への情報転送、感情的記憶の再整理、文脈づけ――こうした“無意識下の情報処理”によって、私たちの記憶の筋書きは静かに編集されている。
つまり、私たちは眠っている間に、過去を整理し、未来に備え、自分という物語を再構築している。
この営みは、バラバラな記憶の断片を“物語”でつなぐことで、私たちに“現実”という一貫性を与えているのだ。
では、もしこの「記憶」という記録がなければ、私たちの“自己という物語”はどうなってしまうのか。
それをまざまざと示すのが、「H.M.」として知られるある男性の症例である。
■ショートストーリー「記憶機能を失った男」
彼の名前は、ヘンリー。
かつて多くの人が「H.M.」というイニシャルでしか知らなかった男だ。
彼は幼い頃、自転車事故に遭った。
その後から、意識が突然遠のく「発作」が現れるようになった。
年を重ねるごとに発作は激しさを増し、ついには薬も効かなくなった。
1953年、27歳のヘンリーは、てんかんの治療のために脳手術を受けることになった。
ハートフォード病院のウィリアム・スコヴィル医師は、脳の「内側側頭葉」と呼ばれる部分を両側とも切除した。
そこには、のちに記憶の中枢として知られる「海馬」が含まれていた。手術は成功し、発作は劇的に減った。
しかし、その代償はあまりにも大きかった。
彼は、その日から、新しい陳述記憶(物語として覚える記憶)を一切つくることができなくなったのだ。
■愛する父の死を知ったヘンリーは
担当医師が部屋に入る。
ヘンリーはにこやかに挨拶する。
「こんにちは。初めまして」。
だがその医師は、すでに100回以上、彼に会っている人物だった。
5分後、ヘンリーは再び、その人を「初めて見る人」として迎えるのだった。
彼は日々のすべてを「今、起きたこと」として経験し、しかし、すべてをすぐに忘れていった。
彼にとって、目覚めた世界は常に“最初の朝”だった。
ある日、父が亡くなったという知らせを受けた。
父を愛していたヘンリーは深く悲しんだ。
だが、しばらくしてまたその話を聞いたとき、彼は再び、初めてのように驚き、そして、また涙を流した。
彼は、同じ悲しみを何度も何度も、味わうことになった。
■ヘンリーが覚えていること
それでも、彼にはチェスを指す力やクロスワードパズルを解く力もあった。
あるかたちを繰り返しなぞる訓練では、着実に上達していった。
目の前で起きたことや聞いたことに対して、通常の人と同じように感情をあらわにすることもできたし、物事の好みも表現できた。
それは、「記憶」には種類があり、彼が失ったのは“陳述記憶”だけであり、“身体で覚える記憶(手続き記憶)”や“一時的な思考に用いる記憶(作業記憶)”、そして感情に関わる“情動記憶”は残っていたことを示していた。
彼の症例は、記憶が単一のものではなく、多数の異なる脳の仕組みによって支えられていることを世界に教えた。
それ以上に、私たちが忘れてはいけないのは――。ヘンリーが、記憶をもたずに生きるとはどういうことかを、身をもって教えてくれたということだ。
彼にとって人生は、始まりはあっても、連続がなかった。
鏡の中の自分が年老いていても、彼はそれが自分だとは信じられなかった。
彼の中の“私”は、27歳のまま時を刻まなかったのだ。
彼にとっての「今」は、永遠にその当時のまま、静かに繰り返されていた。(ショートストーリー終わり)
■手術前の記憶は思い出すことができた
このショートストーリーは事実に基づいている。
H.M.(ヘンリー・モレゾン)は、陳述記憶をもたないまま、27歳からの50年近くを生きた。
その人生は、マギル大学の心理学者ブレンダ・ミルナーによって記録され、人類の記憶に関する知見の礎となった。
彼は、過去のことを思い出すことは可能だった。
高校生のときに住んでいた家の間取りや住所も完璧に思い出すことができた。
しかし、手術後に経験した新しい出来事は一切覚えられなかったのだ。
彼は手術によって海馬の大部分を切除されていた。
このことから海馬が新しい陳述記憶の形成に重要な働きをしていることがわかった。
また、古い記憶を引き出すのに海馬は必要がないことも示された。
海馬が必要なのは、新しい陳述記憶をつくるときだ。
そして、その記憶は2年くらいの時間をかけて大脳皮質に移行していく。
■記憶は「私」というストーリーを作っている
彼はもうこの世界にはいない。
けれども、彼の脳は――その陳述記憶をもたなかった脳は――今も神経科学の歴史にその名を刻んでいる。
ヘンリーの人生は、神経科学における記憶に対する理解を飛躍的に進めた。
彼の“連続性を失った人生”は、逆説的に、記憶が「意識の連続性」「自己の連続性」をいかに支えているかを我々に突きつける。
私たちが「私」であると感じられるのは、ひとえに記憶が時間軸をつないでくれているからなのだ。
つまり記憶とは、単なる情報の保存庫ではなく、「私」という物語を織り続ける織機であり、意識が断続的であっても“人生のつながり”を錯覚させてくれる、最も根源的な装置なのかもしれない。
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櫻井 武(さくらい・たけし)
筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構副機構長

