2026年02月10日

中道改革連合破滅の原因―「正しいこと」は通用しない

中道改革連合破滅の原因―「正しいこと」は通用しない
古谷経衡/作家/評論家
2/9(月) YAHOOニュース

「野党の議員になって何の意味があるんですか?」

 数年前に私が或る女性から言われたこの言葉が未だに忘れられない。
これは、「もし自分が国会議員になるとしたら、何党から出馬するか?」という他愛もない会話の一幕である。
私が「少なくとも自民党では無い、野党だろうなあ」と答えると、彼女はこのように返したのだ。
つまり、野党の議員には存在価値がない、という意見である。
彼女にとって野党議員は「批判ばかりで何もしないのだから、存在する意義がない」と映っていた。

 この女性は、政治に全く関心がなく、人生で一度も投票所に行ったことがない―、という人間ではない。
所謂知的産業に従事し、それなりの高等教育(四年制大学)を受け、様々な経験や知見が豊富なはずのいち民間人であり、かつ、それなりの人生経験を踏んだアラフォーの年齢であった。

 民主主義社会の中では、必ず反対意見が肝要であり、それが健全な民主社会を形成する―、という政治的常識は溶けている。
とにかく「他人を批判するものは悪」。そういった観念が、ティーンでなくても中年や高齢者にまで、社会全体に蔓延している。

・高市さんは、他党を決して批判しない

「高市さんは、他党を決して批判しない」―。
こんな文言が、選挙期間中にSNSで自民党支持の理由として乱舞していた。
あらゆる分野において批判することは悪だと思い切っている。
批判ではなく対案を出そう―。聞き知ったフレーズだが、誰かを批判する文脈の中にはその反対が含意されているわけだから、批判自体が対案である―、という概念がない。

 そもそも野党の存在意義は、遡れば明治期の自由民権運動の時代から、体制(薩長等)への批判が根底である(有司専制への反発)、という歴史的・政治的常識・知識も無い。
兎に角、舌鋒鋭く正論を言うと、「悪役」「感じが悪い」「空気を読んでいない」とされる。

 私の青少年時代(1990年代中盤以降)からこういう傾向は確かにあった。
体制(学校や親など)を批判するのは損得勘定が出来ない馬鹿だ、という風潮が染みつきつつあった。
尾崎豊はすでに「痛い」嘲笑の対象だった。
バブル崩壊に伴う平成不況により経済が長期に低落し、生活態度が防御的になるにつれ、自然と「いかに正義を貫くか」ではなく、「いかに上手く、賢く振舞って生きていくか」が優先されるし、それこそがクレバーで合理的な選択となった。

 確かにそれはある種の生活や保身の知恵だが、それを何十年も続けると「批判自体に意味がない」という思想に延長されていく。
そしてこの世代が、今や私と同じ四十代前後になり、選挙に行く主力層の重要なひとつとなっているのである。
これこそが今の有権者、そして実際に投票所に行く層の偽らざる皮膚感覚ではないのか。

 このような感覚の持ち主からすれば、高市総理は「野党に攻撃されて可哀そうな被害者」に映る。
「高市さんがいじめられて可哀そうだよ」―。
そういう理屈で高市総理を具体的な検証なく支持する。
所謂裏金問題や宗教団体との癒着といった疑惑は評価基準には入らない。

ある人物(中年男性)はこう言った。
「仲間をかばうことは、誰だってあるじゃない。高市さんだけが悪いわけじゃないでしょ」

 ではなぜ同じ自民党の石破総理ではそういった擁護や憐憫の感情が湧かなかったのか。
曰く「石破さんは食べ方が汚い」から。石破前総理のおにぎりの食べ方が汚くて許せないのだという。

 還暦を過ぎた良い歳をした常識人のはずの、自称「右でも左でもない普通の日本人」のそんな投稿に、山のようなイイネが付く。
「食べ方が汚い政治家は、育ちが悪いのであり、そんな人物が唱える政策は信用できない」という理屈を展開する。

 まるで幼児のような感覚で政治家への評価を決めているのだが、これは特別でも例外でもなく、もはや日本人有権者のスタンダードに近い感覚であると考えた方が良い。

 政策はどうでもよい。そもそも政策自体が良く分かっていない。
政策を吟味する教育や経験も圧倒的に不足している。
なぜなら批判そのものが禁忌であり悪であるとする環境であれば、政策を比較検討する議論など成立しないからである。

 前提的な政治的知識が余りにも足りない。
東京大学を卒業したのに、参議院に解散があると思い込んでいる人物を私は知っている。
アラスカがアメリカの州ではなく独立国だ、と思い込んでいる早稲田卒の女性にも会ったことがある。
「政治経済」等の授業を取らなくても、他の科目で代替すれば合格には関係が無いからだ。
この国では学歴と教養がまったく比例していない。
単に雰囲気、空気、イメージの産物で政治家の善か悪かを決めるし、それ以外の尺度を持たないのだ(まあ、そこまで言っては気の毒だから、そういった傾向がある、と修正しておく)。

・明確に話し、何も語らない

 イギリスのメディアが高市人気を評して、「選挙に勝つ方法・明確に話し、何も語らない」と概観したのはまさに言い得て妙である。
もはや日本の有権者の多くは、政策ではなく、イメージ(その由来はネット動画や画像など)で、その政治家を信用できるかどうかを決めている。
いや、そもそもかなり前からそうだったのかもしれない。

 やおら攻守を逆転すると、かつての麻生太郎内閣不支持の圧倒的な理由は「漢字が読めない」から。
そう放言してさも政治に関心があるように装っていた当該人物は、「法令遵守」を「そんしゅ」と読んでいたのだから話にならない。
すでに「とっくの昔に」溶けていた日本人有権者の政治的感覚が、今次衆院選挙でようやく顕在化しただけなのかもしれない。

 正しいことを主張しさえすれば、賢明な有権者はそれを良心で判断し、自党を支持してくれるはずである―。
そう信じた、その発想そのものが今次衆院選挙における中道改革連合の破滅的な敗北の原因ではないか。

 つまり有権者の政治的意識を相当高く見積もっていたのである。
人間は時として正しさになびかない。
正しいことに必ずしもついて行かない。
人類が押しなべて「正義」の方向を選択するのであれば、なぜナチ党は選挙を経て政権を握ったのであろうか。
そういった人類の「愚鈍」「愚昧」な部分に目を向けず、半ば無視する格好で、「正義を貫けば支持される」と思い込んだ、良くいえば性善説的な、悪くいえばユートピア的思想こそが、中道改革連合大失敗の大根幹であろう。

 そも中道、というネーミングセンスからして際どい。
中道という言葉自体には、仏教における八正道を完遂し、解脱に至るまでの過程そのものを指す意味と、所謂政治的な右翼と左翼の中間、という二つの意味が含意されているのだが、一般的にイメージされるのは圧倒的に後者であろう。

 しかし、現在ほとんどの日本人有権者は、政治的中道のなんたるか以前に、右翼とは何か、左翼とは何か、ということを知らない。
日常的には便宜的に右翼を「保守」、左翼を「リベラル」などと言い換えて使っているが、それにしても保守とかリベラルとかの言葉の意味さえ全く知らない。

・建物のメンテナンスですか?

 私は若いころ、自分の名刺に「保守本流」と印刷していた。
それは少しでも名刺にインパクトを持たせようという私なりの工夫であった。
この名刺を受け取った或る会社経営者の中年男性は、顔をキョトンとさせ、「保守?保守って、古谷さんは何の配管をメンテナンスしてるんですか?」と聞き返されたことがある。

 保守という言葉を理解するためには、最低限度の政治的素養が必要だが、それがゼロである。
なぜなら学校教育で政治思想の「シ」の字も教わらないからだ。
そういった環境で社会人になった人物は、政治的保守を建物の維持管理の方であると思い込む。
そんな人々が「ふつう」なのだから、中道など分かるはずがない。
右と左があっての中間なのだが、それが意味不明だから中道も当然意味不明だ。
まだしも「立憲民主党」「公明党」のままの方が良かったであろう。
しかし、彼ら中道の執行部がそれを悔やんでもすでに遅い。

 こういった市井の有権者の皮膚感覚を中道改革連合は想像することが出来ず、「中道」とはバランスの取れた政治姿勢である、という旨を彼らは遮二無二訴え続けた。
それ自体がとっくに理解不能になっていることを、彼らこそが理解できなかったのである。

 正義・正論さえ訴えていれば有権者の良心は呼び覚まされる、という中道改革連合のある種の目論見は破滅した。
いうまでも無く、そもそも良心以前にそれを共有する政治的な前提が溶けてしまって存在していないからだ。

・日本の有権者は幼稚なのか

 私は、仕事上少なからず海外で取材する経験に恵まれた。
日本の近隣諸国に限ってみれば、軍事独裁政権や権威的政権を市民の力で打倒し、下からの民主主義的傾向の発露といった形で成就させた国々―それは韓国・台湾・フィリピンである―の若者や学生などと交流する経験を有した。

 彼らは濃淡はあれど、「自らの手で独裁政権を転覆させ、民主化に成功した」という経験と知見があるので、どんな社会の階層であっても、またどんな年齢であっても、性差の別なく「政治に無関心で無知」という人種は馬鹿にされる傾向を有している。
無関心は罪であり、無知は恥であると考えている。
政治的批判は社会をより良くするための良薬であり、それ自体が悪だという発想は(よほどの利害関係がない限り)存在していない。

 どんな有権者も、最低限度のファクトを抑え、政権党に対する政策的な意見を有し、例えそれが選挙権を持たない中学生などであっても、政治的に正しいことをすることが「善」であるという前提のものとで生活している。

 このような経験を踏まえると、あえて直感的に言えば、日本人有権者が最も突出して幼稚である。
政策を判断する前提知識を有さず、イメージと雰囲気(例えばおにぎりの食べ方)で政治家を評価するのが、おおむね「ふつう」であり、それ自体が異常で歪んでいると考えない社会は、私の知る限り少なくとも中国と北朝鮮以外等の東アジアでは日本だけである。

 良い悪いは度外視して、このような現下の有権者の感覚を無視し、彼らの政治的意識を過分に高く評価した結果が、中道改革連合の破滅を招いたのである。このような事実は、恐らく彼らにとって認めがたい現実であろうが、それをまず是認することが、野党再建にとってのささやかな一里塚になるのではないか。(了)


<シリーズ衆院選2026総括,古谷経衡>
posted by 小だぬき at 01:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック