「正義中毒」が蔓延する社会をいかに変えるか――中野信子(脳科学者)【佐藤優の頂上対決】
12/22(火) ディリー新潮
激化する不倫バッシングに、些細な失言をあげつらっては炎上させるネット空間。
そしてコロナ禍の中で現れたマスク警察や自粛警察。
平穏な日常が失われた時代に、他人を叩く「正義」が跋扈している。
いまや怪物と化したこの「正義」を制御する方法はあるのか。
脳科学研究からの提言。
* * *
佐藤 帯に「自伝」とある最新作『ペルソナ』を拝読しました。
中野 ありがとうございます。
佐藤 ただ、これは一般的な自伝ではないですね。
中野 そうですね。現在から過去へと遡る形で書いていますし、思考にフォーカスしていますから、時代が前後したり、何があったのか具体的なことには触れずに、その時に感じたことだけを書いているところもあります。
ですから自伝といっても「内面の自伝」なんです。
佐藤 別の言い方をすると「精神の歴史」ですね。
中野先生の生い立ちを追ったり、成績表を見つけたりしてきても、中野さんの心の中までは書けませんから、それを書き残しておくことは大切です。
でも自分のことですから、なかなか書きにくかったでしょう。
中野 しんどかったですね。
佐藤 本の中で、人間というものは、確固たる一貫したものがあるのではなく、さまざまな要素を寄せ集めたモザイク、キメラ(ライオンの頭に山羊の体、蛇の尻尾を持つギリシア神話上の怪物)だという部分には非常に共感しました。
中野 脳から見れば、一貫している方がおかしいんです。
脳は毎晩、夢を見ながら再構成される。
いわば、人間は毎朝生まれ変わっているようなものです。
よく中野信子は何者かわからない、と言われますが、日々、変わっているわけですから、そんなことを言われても困る(笑)。
佐藤 脳から見れば、キメラでない人はいないわけですね。
中野 とくに私たちの世代は、ロスト・ジェネレーションですから。
公害まみれの1970年代に生まれ、凄絶な校内暴力の只中で学生時代を送り、過酷な受験戦争にも晒されてきました。
それを勝ち抜いて入った大学を卒業したら、就職氷河期。
「失われた世代」である私たちは、自我を確立させすぎないことによって、環境に合わせる能力を温存し、生き延びてきたんじゃないかと思うんです。
佐藤 日本全体がどんどん失速していった時代でした。
中野 そうでしたね。
「団塊ジュニア世代」という言い方もありますが、人数が多いというのは、多数の中に埋没することが運命づけられているということです。
集団と個の関係も、かなり意識させられてきました。
佐藤 中野先生は書く仕事、大学で教える仕事、研究する仕事に加えてテレビ出演と、ほんとうに多方面で活躍されています。
当然、それぞれで見せる顔も違っていますよね。
中野 かなり違うと思います。
今年はコロナもあって、やはり書く仕事が増えました。
パソコンの画面に向かっている時間がほとんどでしたね。
そのためなのか、世界の手触りが変わってきたという感覚があります。
佐藤 どういうことですか。
中野 日本人の多くは「不安遺伝子」を持っていて、自分をネガティブな方向に寄せていく傾向があります。
自分が考えているよりももっとダメだと思うことで、何が起きてもたじろがないよう準備をしている。
佐藤 自己防御ですね。
私にもその傾向があります。ネガティブに考えておくことで、自分を守るわけですね。
中野 そうです。でもネガティブに寄せていくと、ほんとうに自分が自信を持つための最後のよすがまで消してしまうことがあります。
だから人は他の人に会うことで、本来の自分の基準はここだとキャリブレーション(較正(こうせい)・調整)しながら生きている。
でも外に出て人とコンタクトする時間が減りましたから、較正の機会が失われてしまった。
それで世界の見え方が変わってきたのだと思います。
佐藤 確かに人と会うことで、自分の立ち位置ははっきりしますね。
中野 人と直接会わなくても、LINEなどSNSでやりとりすればいいじゃないか、と言う人もいますが、そうしたやりとりって、コミュニケーションじゃなくて「自問自答」なんですよね。
佐藤 そう思います。あの短さの中で自分をどう表すかですから。
中野 Zoomでやりとりしている時も、相手の顔を見ているのではなく、そこにある自分の顔を見ている人が多い。
佐藤 Zoomでは、コミュニケーションは深まりませんよ。
すでに知っている学生や作家、編集者が相手なら補助手段になりますが、それは前からの関係があるからです。
初対面の人だと難しい。
中野 変な喩えですが、蟹を食べたことがあれば、カニカマを食べても本物の蟹の味を思い出しますが、食べたことがなければわからない、ですね(笑)。
東大女子の受難
佐藤 自分をネガティブな方向に寄せるというのは、東大女子がバカなフリをする、あれもそうですね。
上野千鶴子先生もよく言われたことですが。
中野 そうしないと生きていけなかったと多くの人が告白していますね。
1994年入学の私の代では、東大の女子の比率は16%程度だったと思います。
工学部に進学するとさらに少なくなり、応用化学科は50人中5人。理学部応用物理科だと、学年に1人とかゼロという年もありました。
佐藤 やはり理系はかなり少ない。
中野 女子の場合、東大に入った時点で「第三の性」みたいな扱いを受けるんです。
東大女子は入れないインカレのサークルがありましたし、入れるサークルでも飲み会となると、男子5千円、女子千円、東大女子3千円と区別されていました。
佐藤 私は外務省時代の1996年から2002年まで教養学部の後期課程で教えていました。
国際関係論と地域文化論の両方が重なっている講座で、国際関係論コースは、内部進学点では法学部よりも高いんですね。
だから独特の雰囲気がありました。
中野 もともと頭のいい子が行くとこではありますが、みなさん、やっぱりすごくプライドをお持ちですよ。
佐藤 東大生は外から見ると、同じ頭で成績のいい人たちですが、文科一類、二類、三類の違いや、学部に上がる際の内部進学点の差などを見ていくと、かなり幅があって非常に面白い。
それを社会に出ても引きずっている東大出身者もいます。
中野 理系は当時、8割方は大学院へ進学しましたが、最近は起業する人が多くなりました。
ただ彼らが考えているのは、起業して3年くらいで大きくし、上場で大金を手にしたらあとは投資家として生きるというモデルではないでしょうか。
社会に資する企業を、粘り強く淡々と作っていこうというのとは少し違っているように思います。
佐藤 この連載や、以前に「プレジデント」でも企業トップと対談をしてきましたが、東大出身のトップはさほどいないんですね。
ボード(取締役会)までは多いのですが。
中野 トップになりたがらないんじゃないですか。
佐藤 やりたがらないのか、それとも何かマイナスの要因があるのか。
私は、東大生の一番の弱点はトレンドに弱いところだと思っているんです。
中野 トレンドに弱い自覚があるからこそ、学歴を必要とする。
佐藤 官僚をはじめ、いろんな東大出身者と付き合ってきて、最近、東大文系の劣位集団の特徴に気がつきました。
中野 へぇ、どんなところですか。
佐藤 大学入試時の2次試験で出た4問の数学の問題について、滔々(とうとう)と話をする人。
僕は2問解けたとか、2問半だとか、ここは部分点がついているとか、お酒を飲みながら2時間以上、それで盛り上がる。
中野 何年も前の話なのに、ちょっと痛々しいですね。
佐藤 普通は問題など覚えていないでしょう。
だから彼らはいま必ずしも幸せじゃないんだな、と思います。
文系の人は特に数学にこだわりますね。
中野 数学はやっかいな分野で、私は「女子なのに数学ができるんだね」と言われたこともあります。
女であることと理系であることが両立しないという浅い通念があった。
佐藤 アカデミズムの世界では、まだまだ女性であることでいろいろ障壁にぶつかるでしょう。
中野 それはもう大変です。
女だと論文書いても「ふーん、子供は産んだの?」とか「旦那はどういう人なの?」と言われますし、独身なら「女を捨てている」とかね。
佐藤 セクハラもあるでしょう。
中野 腐るほどありました。
先生から抱きつかれても「やめてください」と邪険にすると、評価が下がって奨学金を受けるのに不利になるので、告発できないんです。
そういう時の賢明な対処法があって、「先生も疲れているんですね」と、やんわり腕を解いて宥める。
佐藤 そうすると、バカのフリをするではないけれど、自分の感情も意思も押し隠して生きることになる。
中野 何も知らないフリをしながら、例えば心の中に「少年」の自分を飼っておいて、それが分かる人とは通じ合う。
そんな感じでした。
佐藤 お互いに同じようなものを持っている人同士なら分かり合える。
中野 そういう人に出会えると楽しかったですね。
ただ知らないように振る舞うことに慣れてしまうと、本当に自分の基準がわからなくなってくる。
脳内化学物質セロトニン
佐藤 『ペルソナ』にもありますが、中野先生は社会が押し付けてくる正義や健全さに一貫して違和感を表明されています。印象的なのは「正義中毒」という言葉です。
これは中野先生の造語だと思いますが、いつから使い始めたのですか。
中野 今年の初めに『人は、なぜ他人を許せないのか?』という本を出しましたが、もともとはバカ論を書きませんか、というお話でした。
誰かをバカ呼ばわりする時に、ヒトには独特の高揚感が生じるようである。
その生理的機序を考えているうちに、これは「集団バイアス」に関係していると考えるようになりました。
自分たちは正義、他の集団は貶(おとし)めていい、というバイアスです。
そうした現象は世界中に見られます。
佐藤 それがさまざまな紛争の元になっていますね。
中野 私はバカという言葉が好きではないので、この現象についての本を書かせてくださいと掛け合いました。
そして「正義中毒」という言葉に行き当たったんです。
佐藤 そうしたらコロナがやってきて、マスクをしないと糾弾したり、お店を開けているだけで嫌がらせをする正義中毒が次々と出てきた。
自粛警察なんて、まさに正義中毒です。
中野 だから何か予言の書のようになってしまったのですが、コロナ以前から不倫バッシングや不用意な発言の炎上は多々あって、ずっと続いていることですよね。
佐藤 年々、そうした現象が激しくなっている気がします。
中野 私はネットと自然災害によって加速したと考えています。
ネットは多様に見えて、嫌なものはスルーできますね。
SNSは、言ってみれば「同じ意見の繭」です。
そうしたツールが広まる中で、観測史上初めて、というような大きな自然災害が次々に起きた。
そこでは共同体の絆が強調され、一丸となって支援することが求められました。
そこに同調できない人は、悪になったわけです。
佐藤 危機には同調圧力が高まります。
中野 危機に直面すると、正義のありどころがわからなくなるので、自分の正義を振りかざして、社会を守ろうとするんですね。
でも危機ではそれぞれの正義が分散します。
だからスーパーでお惣菜を買おうとしただけで、見知らぬおじさんから「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」と言われてしまう。
その人にとっては、母親がお惣菜を買うのは、些細なことでも不正義です。
いまは、そういう現象がどんどん起きている。
佐藤 中野先生はこうした現象を脳からも説明されていますね。
中野 セロトニンですね。
精神の安定や安心感の源となる脳内化学物質ですが、集団形成にも関係し、ネガティブエフェクトとしては、妬みの感情も強めるようなのです。
これは社会の維持に大きな役割を果たす一方、そこから逸脱する者を懲らしめなければ、という感情を引き起こします。
佐藤 それがバッシングになる。
中野 人間は共同体に一定の貢献をし犠牲も払う一方で、利益を享受しています。
そこにただ乗りするフリーライダーを許さない。
それでバッシングが生まれますが、日本人はその傾向が強い。
ただ日本人はセロトニンの量を調節するセロトニントランスポーターの密度は低いんです。
これに関しては、まだ見つかっていない別の要素があるのかもしれません。
佐藤 正義中毒現象はまだまだ続きそうですね。
中野 いまがどれだけ不安定で、社会のリソース(資産)が減っているかという証拠です。
実はもう豊かでない社会を生きているんですよ。
自分よりちょっと得をしているだけでも他人が許せない。
佐藤 それを皮膚感覚でわかっていたのが公明党ですね。
10万円の特別定額給付金は初め、所得制限をつけて30万円給付で進んでいました。
でも例えば年収250万円で線を引いたら、260万円の人はものすごく怒りますよ。
そうすると社会の分断がより深刻になる。
それで彼らが覆した。
中野 どんな金額でも所得制限すれば、反発は避けられないでしょうね。
正義は戦略でしかない
佐藤 中野先生は、フリーライダーたちに、人々が惹きつけられてしまうことも指摘されています。
中野 彼らの多くはダークトライアドと言って、代表的なのはサイコパスです。
脳の内側前頭皮質の活動が活発でないという特徴があります。
集団の価値基準や同調圧力を意に介さず堂々と振る舞うので、あたかもその人の基準が全体の基準のような印象を与え、一部からは強い支持を集めます。
佐藤 いわゆる社会のトリックスターやボーダー(境界性パーソナリティ障害)、ヤクザの中にもいるでしょうね。
みんな、周りを巻き込んでいく特殊な能力を持っていますから。
中野 社会のリソースをうまく掬(すく)い上げられますから、社会で要職にあったり、企業のCEOになる人も多い。
彼らに付いていくと、自分も得をすると思わせる何かがある。
佐藤 だからフォロワーがいる。
中野 短い言葉をうまく使って人を感動させたり、敵をいなしたり、洗脳とまではいかなくても支持を取り付ける特殊能力があります。
それは規範から自由だからそう見えるということもあります。
佐藤 女性にもモテますね。
中野 女性はサイコパス、マキャベリスト、ナルシストの3要素を持っている男性に惹かれやすいことがわかっています。
まさに不倫相手となる男性たちです。
彼らは「新奇探索性」に富み、性的にもアクティブですから、その遺伝子を広く拡散する。
女性にしてみれば、ダークトライアドの男性との子孫を作れば、その子孫もあちこちでその遺伝子をバラまきますから、効率よく自分の遺伝子を残せるわけです。
佐藤 遺伝子に支配されている。
中野 彼らの魅力に抗えないのは、脳の中の古い皮質が私たちに指令を出しているからです。
でも、そもそも結婚の形態は、ある地域に生きる集団にとって、そこで最も繁殖に適した形がスタンダードになったものにすぎません。
それは一夫一婦制も同じです。
実は私たちが「倫理的」ととらえているものは、ごく最近になって形成されたのかもしれず、不倫=悪というのも、一夫一婦制が定着した後に後付けで広まった概念と考えたほうがいいと思います。
佐藤 正義についても同じことがいえますね。
中野 その通りです。
正義も別に不変でも普遍でもなく、ただ種として生き延びるためにビルトインされた戦略のひとつにすぎません。
佐藤 そこが中野先生の思索の核心部分ですね。
中野 もちろん正義は重要ですが、そこだけを強調してしまうと、過剰に自責的になる人たちが出てきます。
私はポジティブ心理学が苦手で、一定の効果はありながらも、かえって鬱になる人を生み出したと思います。
その反動により、ネガティブ感情の意味を考える研究が進んできました。
佐藤 これから中野先生ご自身は、どんな研究をするつもりですか。
中野 グループ・ダイナミクス(人の行動や思考が集団から影響を受け、逆に集団に対しても影響を与える特性)に興味がありますから、集団の意識について、心理学からリサーチしてみたいと思っています。
佐藤 具体的にはどの部分を掘り下げようとしているのですか。
中野 集団の意識を定量化することで、価値や意思が決まりますよね。
まさに民主主義は民意の定量化の仕組みです。
佐藤 その基礎にはみんな同質で同じ存在というアトム的な人間観があります。
中野 でもほんとは違いますよね。
能力も取り巻く環境もみんな違う。
さまざまな人がいるのだから、定量化でない意思決定の方法が必要です。
佐藤 それはファシズムに近くなりませんか。
中野 ファシズムに行かない方向での仕組みは、もう思いついているのですが、どう説明すれば誤解を生まないか、考えています。
民主主義でもファシズムでもないところで、集団の中の民意をどう拾い、どう未来に活かしていくのか、そこを考察していきたいと思っています。
中野信子(なかののぶこ)
脳科学者 1975年東京生まれ。東京大学工学部応用化学科卒。
2008年同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。
08〜10年、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRIセンター)に勤務。
15年より東日本国際大学教授。
テレビのコメンテーターとしても活躍する。
『サイコパス』『不倫』『悪の脳科学』『空気を読む脳』など著書多数。
「週刊新潮」2020年12月17日号 掲載