2008年11月12日
義家さんについての疑問
自民党参議院議員 義家氏の「日教組・組合」に対する敵視。
彼は「ヤンキー先生」で当選した人ですが、元教員としての彼の実践に???をつけたくなる発言内容でした。
作家 石川達三氏の「人間の壁」を是非読んで欲しいと思いました。
日教組・組合が大きな闘争を組んだのは、勤務評定(予算不足の付けを教員定数減で乗り切ろうとした政策)、指導要領改悪(45分授業導入・道徳の導入)、主任制導入(分掌に手当格差を持ち込む)、全国学力テスト(学校間の格差助長・差別化)、人事異動の広域化問題(夫婦で別々な遠隔地に異動させる政策)等々、現文科省の教育破壊・歪みに対してです。
各分会段階でも「セブンイレブン」と揶揄された勤務時間、不明朗な校内指名人事、現場を無視した上位下達の指示・職務命令など 現場教師の健康や子ども達の教育環境整備に関してです。
「ニワトリが先か卵が先か」というと旧文部省の政策の歪みに日教組・組合が現場の願いを代表して闘ったというのが 日教組・組合の歴史です。
一部組合員・県教組の活動を「鬼の首をとった」ように問題視しムリに組織全体の問題にすり替えていますが、その地の教育委員会が日教組・組合をご用組合として無原則に共存共栄策をとった地域に問題が集中しているのが現実です。
何か学校問題が起きると 「ウソも繰り返せば事実になる」かのように日教組・組合攻撃をすれば事が解決すると 自分達の政策の一貫性のなさを棚上げして議論する「政治家」達。
本来は、学校長に教育課程を地域にそって編成する権限・責任を与え、
各分会を交渉当事者として責任を持たせ 現場の協力体制・勤務態勢を学校事に構築していくのが筋だと思うのですが・・・
学力不足の子ども達を救う体制や一部父母の暴走を学校として対処するためにも 現場の「自由裁量度」「協力体制の構築」が課題として浮かび上がると思うのは小だぬきだけでないと思います。
今の現場教師の「分掌出張の多さ」「各課題別出張」、「報告・提出文書」の多さ・・。学校長の出張の多さなどを 減らすだけでも教師の子どもと向き合う時間が増えるのですが・・。
宅急便の「ヤマト運輸」では、組合は経営の歪みや問題点を現場の視点で教えてくれるものだ、会社の介入は好ましくないとの創業者の言葉が生きていると聞きます。
この視点が日教組・組合にも当てはまると信じています。
2008年11月14日
埼玉県民の日
デジカメの予備電池、ヨドバシポイントを使って購入。
充電池の予備が必要だと思ったのは、海浜学園引率時に7時間対応電池だから大丈夫と充電器だけ持参したのですが、肝心の所でビデオ電池切れで再充電終了まで撮影が不可になったトラウマかもしれません。
日付けから再設定しないと、再撮影ができず 焦った記憶があり、それ以降 予備を用意するようにしています。もう20年以上前の話ですが、ウツ傾向は 徐々に進行していたのではと思います。
また、一昨年の父の動脈瘤・心筋梗塞手術、今年の腹部動脈瘤手術の後遺症で「声のかすれ」がでて治らないでいたのですが、昨日は専門医の外来に付きそうことが出来ました。うつの心身疲労が帰宅後に出たのが幸いしました。
今日は「埼玉県民の日」
意外と知られていないのですが、学校などは子ども達は休日ですが、教職員は「出勤日」になっています。日直に当たった?人は義務出勤?。多くの職員は、教材準備とか書類の作成などで出勤しています。今年は年休で3連休に・・、という余裕?を持てる人は 少ないのではと思われます。新指導要領の移行準備や英語の導入など、課題が山積みですものね。休職していなければ「出勤」を選択するしかないな・・と回想する小だぬきです。
また 第一回の「障害基礎年金」の振り込み日
22年度の障害再認定では 労働可能な「認定外」までにしたいなぁと思いつつ、節約生活に努めています。第二の人世の助走期間になるよう カードポイントなどを有効利用する術を学んでいます。経済より健康重視の「退職選択」ですもの。
ズボン騒動記で書いた 余裕あるズボンのおかげで 何とか3時間程度は外出する身体になってきています。
2008年12月03日
好奇心が持てれば楽しい・・
12月の学校は、今学期最後の「授業参観」「懇談会」、それと進度調整(運動会などで科目により時間不足になる時がある)
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それから通信簿作成になるのですが、これがやっかいなのです。 塾などでテストの成績はいいが、忘れ物や宿題など提出物をださない子。
テストはいいが、授業に対する姿勢が不十分(私語・姿勢)な子。
テストなどはやや点数が悪いが 真面目に努力し提出物もしっかりしている子
個別指導をしても なかなか理解が難しい子。
等々を考えているうちに終業式が近づくという図式になります。
また、
@ テストも授業態度も提出物も申し分ないなら「悩まない」のですが・・・・
A 理解ができない子が「学習の積み上げ不足」なのか「なんらかの障害」を持つ場合では、成績づけに何らかの配慮が加えられます(所見などで・・)
個人下書き→学年間での見直しなどで清書にとりかかります。
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教員は一人一人の個性や能力のいい面を見つけ評価し 通信簿にしていきます。
在職中、悲しかったのは 「父母より」の記述がなかったり、次の学期に「なくした」という家庭もでることです。提出されても何かこぼしたのかシミがついた状態で返ってきたことすらあります。
その上、Aが増えたら「お小遣いがもらえるんだ」とか「○○を買ってもらえる」という子ども達も少ない数ではなくでています。本来は「知る・分かる」ことがご褒美なのですが・・。
終業式まであと2週間ちょっと。提出物の忘れはないか、テスト直しはしてあるか・・・。
お子さんに家庭での学習習慣が身についているか・・・・。
お父さん・お母さんも ちょっとお子さんの「学習の姿勢」を見てあげてください。
今の子のすごい所は「ポケモンカード」をはじめ 好きなことにはものすごい集中を示す点です。
学習も本来は「知らない・できない」ことが「分かる・できた」という とても素敵なものなのですから・・・・。
TVなどでの「お馬鹿キャラ」より麻木久美子さんのように「知りたい・分かりたい」という好奇心一杯の人の方が爽やかですもの。
2008年12月04日
教職員の不祥事
教員であっても○○個人の犯罪なのに、評論家やマスコミによって「今の教員は・・・」「今の学校は・・・」と事件をいとも簡単に一般化してしまう点です。
不祥事が起こるたびに 何回も 文科省→県教委→市教委→管理職→教職員に「服務について」とか「教職員のモラルについて」などの通知や指導??が現場に下りているのでしょう。
行政や管理職は「おまえらも同質だ!!」「ちゃんと通知・指導したからな! あとは 自分で同じ過ちをするな!!」と言わんばかりに評論家やマスコミに迎合して 個人の犯罪を全職員可能性あり要注意にすり替えるのです。
犯罪を犯した○○や被害者のケアを論点にするのではなく、見事に教育・医療問題全般にすり替えてしまうのです。
そのたびに「オレ達は信用されていないのか!!」「犯罪予備軍扱いか・・・」と現場の志気低下、仕事へのプライドをキズつけられていくのです。
親御さん・お子さんにとっては、巡り会った○○教員が 教員の姿として記憶に刻まれるのだなぁ・・という 当たり前といったら当たり前のことを現場では重視します。
いくら多数派は違うといってみても 「ハズレ」と思われた時点で信頼関係は崩壊してしまいますもの。
教員○○の個別的言動の不祥事・・・。より多くの教員は真摯に子どもたちと向き合っていることを心の隅にでも信じて欲しいなと 休職タヌキは思います。
確かに 心ない言動をしないよう研鑽する大切さは 教育・医療関係者に求められるのは当然と思います。
小だぬきも「うつ」との闘いを通して、お子さん達の心身を傷つけないように人間として成長しなければと思います。
2008年12月22日
楽しい引き算競争
例えば、初めの数字を107として、引く9を 引けなくなるまでやる方法です。繰り下がりの習熟とゲーム感覚を味合わせるのに 慣れれば子供達は食いついてきます。
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107 98 89 80 71 62
- 9 → - 9 → - 9 → - 9 → - 9 → - 9
98 89 80 71 62 53
53 44 35 26 17
- 9 → - 9 → - 9 → - 9 → - 9 終了
44 35 26 17 8
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これを暗算で答えだけを 縦に記入して 「先生と競争だ!!」というと 子供達は張り切って挑戦します。
初めは繰り下がりに抵抗があって、いちいち上に書いたような立式で筆算をする子もいます。
勿論、最初の競争は 私の圧勝に終わります。
答え合わせの時に「ようく答えの数字をみてごらん」と考えさせると、「なんだ〜10引いて1返しているだけだね」ということに気付き始める子がでてきます。こうなるとしめたものです。
初めの数字だけ換え 引く9の連続計算をさせると、10分ほどで計算スピードがアップします。
答えが簡単に出るとわかると 子ども達は 引く8をやろうよ・・・引く7をやろうよと 繰り下がり計算に抵抗をなくしてきます。
今はやりの「100マス計算」より、理屈がわかるだけに子供は嫌がりません。
もし機会があれば 親子で「10円払っておつりをもらう」繰り下がりの引き算に遊び心で楽しみませんか??
テスト・試験の直しの大切さ・・・
勿論、考えたり・調べ直しても分からない時は、私の所に来なさい。いくらでも教え直しますよ。といい続けていたのですが、理解度の高い子ほど「テスト直しノート」を出し、本当に必要な子が「提出しない・聞きにこない」傾向がありました。
これでは、学級の中でも理解力の差が固定するため、ミニ先生方式とかグループとか補習とかを組むのですが、「覚える気のない、小さい時から苦手意識のある子」に四苦八苦したものです。
今は不況でどのような傾向にあるか定かではないのですが、地道に学習習慣を家で作るより、簡単に塾におまかせという家庭の何と多いのか・・・と唖然とする思いをいだいた時もあります。
無論、本人がやる気で入塾するわけでないので 成果は望めず、塾では学校があるから・・・、学校では塾でやるから・・・・と より他者依存の悪循環に落ち込む子がいました。
本来知らないからこそ 知る喜びを得られるし、できないことができるようになるから楽しいのが学習です。
幼児の時はみな「知りたい・聞きたい・やりたい」と「なぜ、どうして・・・」と好奇心一杯に聞いてくる子供達なのに、いつからその好奇心が減り 自分を大切にせず諦めてしまうのか・・・・。
来年から新指導要領の試行に入る 小中学校。子ども達の好奇心をうんと大切にする現場の改善ができるのか 内容をみただけですが 好奇心を育てるより「覚える」ことが多くなりそうで心配です。
土地勘の自信の揺らぎ
趣味の地図・時刻表で仮想旅行が困難にもなっています。ついつい旧市名で検索するものですから、パソコン上でも???が多くなりました。また夜行列車廃止なども迷わせる原因の一つです。
また、スイカを利用し電車に乗るものですから 値段と距離についてもいつの間にか???です。
世の中便利になっているのでしょうが、本当に「浦島太郎」のように街の変貌などに戸惑うことが多くなりつつあります。
今、推理小説を読むつもりで 地下鉄や新路線で「国会」に行くには・・・とか、四ッ谷に行くには・・・、靖国神社にいくには・・・・などと目的地を指定して ルート探しに没頭する時があるのですが、地下鉄は未だに「迷路」のようで どこで何線に乗り換えるとパソコンが示してくれても 地図で路線を追うのが難しい状態です。
あの地下鉄や山手線をはじめ「ダイヤグラフ」を作成している人は、超人ではないかと驚くのです。
たまに地図片手で散歩すると まだ何年も休職したわけではないのに、「冒険」している気になるから不思議です。
降り口一つ間違えるだけで、国会の参議院口にたどりつくまで長い散歩も余儀なくされることもあります。たまに傍聴手続きをすると 荷物を預けて身一つでの入場。一人だと衛視まで同行と「オレは犯罪者扱いか、主権者は国民一人一人だぞ!!」などと思います。
テレビでは迫真の乱闘劇も本会議などは、たんたんとつまらない儀式をみている気分に・・・。
まぁ「何でもみてやろう」「何でも好奇心をもって観察しよう」との 小田実さんの冒険心には到底及びませんが、療養のために散歩範囲を広げつつある今、まだ「群衆の中の孤独感」は感じますが、傍観者にならないよう「散歩に意味を早く持たせたい」と思う小だぬきです。
2008年12月23日
何気なく、親の知恵を!!
小学校2年生で学習する かけ算九九。毎年のようにトイレに九九表を貼ったとか、親子で風呂場で特訓したとか涙ぐましい「暗記」が 報告されます。
でも、本来は要点さえつかめれば「暗記」は、自然とできるのです。
1当たりの数の何個分という押さえです。
◎◎◎ 1当たり3この1つ分 3 × 1
◎◎◎ ◎◎◎ 1あたり3この2つ分 3 × 2
かける( × )ということは、1あたり・1袋当たり・1皿あたりの数のいくつ分で、×数が1つ増えるにしたがって 1当たり分が増えていくのだとの理解を 徹底させれば「無限暗記地獄」から解放されるのです。
極端にいえば ×5までの理解ができれば 3 × 7 は (3×4+3×3、でも3×5+3×2でも同じ)と気づけると 暗記も楽しい となるのですが、まだ念仏暗記が多いのは残念です。
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<お父さん・お母さん すごい!! と言わせる九の段>
両手の手のひらを 目の前に置きます。これから書かれた通り指を折ってください。
9 × 1 左手の親指を折ります。左手と右手で折っていない指が9本ですね。
9 × 2 今度は左手の人指し指のみ折ります。折った左側が10の位。
9 × 3 左手の中指を折ります。折った左が10の位。
両手の手のひらを開いて 左手の親指から1本ずつ指を折り 折った指の左側が10の位、右側が1の位とするのがポイントです。
9 × 9 右手の一指し指を折り、折った左側が8、右側が1で 見事指 九の段の完成です。
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今、「インドの数学」がブームになっていますが、なんと合理的に答えにたどりつけるのか・・・・、と休職中の小だぬきも驚く 法則性と合理性です。
2008年12月27日
子供達の安全と交流の難しさ
旅館・ホテルでは、他人の子ども達と会話したり、交流ができたり、顔見知りになった人達と会話できるのに・・・・。
一つだけ後悔したのは、エレベーターで一緒になり3日間お友達になれた外人さんと英語で会話できなかった点です。学生時代は 英語を学習したはずなのにまるで単語が出てこないのには 自分ながら情けなく感じました。彼が片言の日本語で話してくれたので、お互いに「笑顔と身振り手振りで交流」を持てたのは良かったのですが・・・。学生時代に「きちんと学習しなかった」ことが悔やまれます。
<子供達の安全と交流の難しさ>
休職前に「安全主任」をしていたのですが、子ども達が犯罪被害者にならないために過剰な「他者警戒」の指導をしていたのではと「反省」し始めています。
ホテル内では、無邪気な子ども達に気軽に話したり、温泉での「水泳指導」(本当はダメなのですが)ができるのに・・・・。
一歩外にでると事情が急変します。現役時代に出張先の学校への行き方を聞こうと「話しかけていいものか」と悩んだものです。近所の顔見知りの子ども達なら問題なく聞けるのですが、全く他所の土地だと聞きづらくなっているし、子ども達も「学校の指導通り」一歩距離を置くので 何か潤いのない殺伐さを感じることが多かったものです。
自分が「安全主任」だっただけに、「大人をみたら 用心しろ!!」と「大人不審」を植え付けてしまっていた、過剰な警戒心を持たせてしまったのではと反省するのです。
何でもそうですが、「建前」「保護」「正義」「予防」などが 徹底すればするほど 人間関係が「表面だけ」の潤いのない社会になっていくのだなぁと 珍しく「曖昧さ」も大切かなぁと思う朝です。
2009年01月07日
明日から3学期・・
@生活リズムは、早く「学校モード」に切り換えてね。
A初日から忘れものをしないように鞄を確かめてね。通信簿・書き初めなどの宿題、新しいゾウキン、上履き、連絡帳や筆記具を忘れないでね。
Bベトナムで鳥インフルエンザの人感染が確認されました。風邪・インフルエンザ予防のためにもマスクはしよう。
C交通事故や不審者には十分注意しようね。
そして 友達と仲良く「一つでも多く得意なもの 好きなものを増やして」、今の学年のまとめをしてください。
などと現役時代は、2学期終わりの学級通信や始業式で話したものです。
子供達の笑顔が無くならないように 瞳が輝き続けられるように いいスタートをきって欲しいと願っています。
私自身負けず嫌いから「うつ」になった部分もあるのですが、子ども達には「挑戦して挑戦して得意なものを増やして欲しいです」
だって、学校って「できないこと、わからないこと」を「できるよう・わかるよう」になる 本当はステキな場所のハズですものね。
2009年01月10日
この3連休で生活リズムを!!
この3連休の過ごし方の工夫で、3学期のスタートがきまるとも言えます。
まず、学校と同じ 起床・就寝時間だけは 少なくとも維持して欲しいのです。長期の休みから折角苦労して2日間 学校モードにしてきたのに この3連休で生活リズムを崩したのではもったいないからです。
また毎日、1時間は復習にあてたいものです。一番、成果が表れるのは 計算と漢字です。この際、不得意というより得意なものの「定着」を図る発想の方が 抵抗は少ないでしょう。
ご両親の仕事の関係で難しいかも知れませんが、3度の食事もきちんととらせたいものです。
6年生で国立や私立中学受験組は、「健康管理」が最重要の課題になります。折角、努力を積み上げてきたのに、当日 実力発揮できなくては可哀想ですもの。
3学期は、60日前後の短期決戦??です。次の学年に胸をはって進級するためにも 一に健康、二に健康、三に学習で頑張って欲しいです。
教員にとって怖いのは、インフルエンザの流行期に櫛の歯が抜けるように欠席者が増え、欠席者ケアーと出席者授業の板挟みで授業を進めるべきか 立ち止まり欠席者が無くなるまで授業を復習に切り換えるべきか 短い授業日数の中で悩む事態です。
教員もそうですが、体調不全の時は、「休む」→「早く治癒」させることが とっても大切なことです。
手洗い・うがい・栄養をとっても 対人関係でインフルエンザに感染してしまうことは起こります。早め早めの対応で重症化を防いで欲しいと願っています。
私は今日「精神科の受診日」、きちんと薬を飲んでいたハズなのに 残があるということは 飲み忘れの日もあり 自己責任の体調不良日もあったということです。
余り、偉そうなことは言えませんが、この冬を なんとか乗り切る工夫をしていきましょう。
2009年01月28日
教員を信用しない教育委員会??
足立区の土曜日塾講師補習の記事が朝刊に載っていました。
各地で放課後や土曜日の「塾講師」への「民間委託」の動きが広がっていますが、休職中とはいえ教員の立場から「おかしい」ということを書きたいと思います。
@ 公立学校の仕事・・・・
公立学校教員の仕事というのは、「授業」の他に「校務分掌」といわれる研修部・体育部・視聴覚部や各教科、PTAの専門部、市の主任会や県の特定研修に加え 市・県・国による各種調査回答など膨大な事務負担があります。(月事の出席統計・授業時数統計、行事計画・集金なども教員の仕事です。)
それらをスリム化して 授業に専念できる環境整備こそ必要なのに、「塾教師」補習とは・・・。お金の使い方が違うのではないか、と思うのです。
A 塾講師と公立学校の教員の違い
塾講師は、身銭を払っても「学習したい」という児童のために、学習に特化した仕事です。
公立学校教員は @の事務量をこなした上、児童・生徒の生活指導、補習なども担っています。時には1日トイレにさえ行けないのが現実です。
私自身は、教員に「教育」に専念できる環境・条件を整備して 放課後「補習をする時間」か確保されれば
塾講師補習などという姑息な方法をとらなくても、学校の教育力で改善が可能だと思っています。
B 結局は予算か
学校職員の負担軽減には、教員増などの施策や校外研修の見直し、事務量軽減・報告、調査の精選など 市・県・国の財政・人員負担が求められます。
現場の疲弊を無視して、安易に塾への民間委託の方が予算が少なくて済む発想としか思えない。
C 公立学校の自殺行為・・・
塾講師の授業は、参加する児童の習熟度を考慮にいれても、分かりやすく・楽しいものになるでしょう。
塾講師の皆さんの努力とともに「授業のみに特化」した形態だからです。
そのような授業をうけた児童・生徒は、学校教師の授業にどのような思いを抱くでしょうか・・・・。
想像するだけ、恐ろしい・・・・。
私は、今 授業で公立学校が勝負できるようにするには、少なくとも @の仕事の精選しかないと思います。
2009年02月03日
今日は「節分」の日
私が担任をしていたときは、私が「鬼の面」をかぶって豆まきできなく、鬼ごっこを歳がいもなくやったものです。
子ども達も「先生、歳の数だけ食べれば 良いことがあるんだよね・・・・」という可愛い質問や「先生だとこの豆の数で足りるの??」「ボクのもあげる」などという子もいました。
<今日は「給食」についてです>
今は子ども達の「好き嫌い」が激しく、残滓も多く出ます。
私のように昭和30年代に給食を食べたものは、「残す」などは考えられませんでした。
完食した上で余りのパンやくだものを貰って、家での食事の足しにしたものです。
悪名高い「脱脂粉乳」も 冷めないうちならなんとか飲めました。
「揚げパン」が人気メニューのトップでした。
今の子達は、「カレーライス」の日は確実に食べてくれますが、他は殆ど残滓がでます。
良く食べる上のクラスと協力関係を持ち、残滓を無くすのに四苦八苦したものです。
揚げパンやフルーツ、ひじき・きんぴらゴボウ・トマトシチューなどの時は 悲惨なほど残ります。
また、学期末などにでるケーキなども人気がないのです。
甘い物は「太るから・・・・」、ひじきやきんぴらゴボウなどは「家で食べた時ないから・・・・」とか、この子達は一体 何を食べて成長しているのか 不思議な感覚にとらわれたものです。
私の世代は、高度成長期の前で ご飯と味噌汁に納豆くらいで ご馳走と思えたもので、たまごやバナナは 病気したときか運動会の時くらいしか食べられなかった世代なので、たまにでた「ぜんざい」などは嬉しくてしかたありませんでした。
そのような時代に育ったから「残すことが考えられない」のです。
外食でも「悪いけれど ご飯少なめにしてくれる?」とか申告して きれいに全部食べて「ごちそうさま」をしないとと身体にすり込まれているのです。
これから本格的になるであろう「不況」に 今の子のように「好き嫌い」が多いと生き残れるのだろうか? などと心配をしてしまいます。
「いただきます」と食への感謝をし「ご馳走さまでした」で終わるしつけも低学年では苦労することがあるのです。
何事もですが、お互いに「ありがとう」「ごちそうさま」の感謝の心が基本にないと、ギスギスした世の中になるのは確かだと思います。
過去に、誰だったか「金を払っているのに、なぜ感謝しなければいけないんだ!!」などとTVで堂々と言っている方がいました。拝金主義に陥り 人間性が荒廃すると「金を払ったオレに 感謝しろ」などという輩が出てくるのですね。
家の母もそうでしたが「食べず嫌い」が多いようです。いろいろと工夫して作ったり・購入して食べてもらうと食べられ「食べず嫌い」は克服できるのです。
節分とは、離れましたが これからの不況、起こるかもしれない震災などで「食べず嫌い」「好き嫌い」は通用しないでしょう。
節分で「食べず嫌い」鬼を外に追い出したいものです。心から・・・・・。
2009年03月09日
多くの学校で卒業式の練習に・・
在職34年の半分近くは 視聴覚担当で放送室で音響を担当していたのですが、学校によって機種が違うため馴れるのには苦労したものです。
今年は、転任したとき 2年生の補助で「書写」を担当し四苦八苦した子ども達の卒業です。
彼らの卒業式を直接祝えないのは残念ですが、子ども達は確実に成長しているのだなぁと感慨がひとしおです。
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政治の世界のドロ試合が 相変わらず盛んですが、企業献金は小沢氏が多いとか自民党がおおいとか、いい加減にして欲しい。
企業が何の見返りも期待せず 資金をださないことは、常識ではないですか??
貰った額の問題ではなく「政治家の倫理」の問題でしょう。法の抜け穴を利用して企業献金・団体献金・個人献金を貰った上、政党助成金もしっかりと受領する、このような人達が本当に「国民目線」にたった政治などできるハズはないと思うのです。
よりましな所に投票をし「希望」を見いだすしかないのは残念です。
2009年03月11日
標語にするのが好きな学校に学ぶ
会社で未だに朝唱和させられている人達もいるのかな・・・・
<オアシス>
挨拶のしつけ
お・・・・おはようございます。
あ・・・・ありがとうございます。
し・・・・しつれいします(しつれいしました)
す・・・・すいません(すぐします)
<おかしの約束>
防災訓練@地震想定
お・・・・おちついて(おさない)
か・・・・かくれる(机の下、防災ずきん)
し・・・・しずかに(放送、指示を聞く)
<おかあさん火(ひ)>
防災訓練A火災想定
お・・・おちついて(おさない)
か・・・かけない
あ ・・・あわてない
さ ・・・ さわがないで
みん・・・なで(みんなで)
ひ・・・ひなん
コピーライター的才能のある方というのは、言葉のセンスがあるなぁと いつも感心します。
今のテレビ、番組内容よりCMの方が面白いものがたくさんありますもの。
一家の合い言葉作りなんてステキな遊びではないでしょうか?
例えば
う・・・うつ気分
つ・・・辛い日、躓く日
び・・・びくびくしない姿勢で
よ・・・良くなる日を信じて
う・・・うまく心身のリフレッシュ オソマツな一句
2009年04月09日
今頃は「入学式」か・・
式参加の2年生・・以外は 1時間程度の学級指導で下校です。
親御さん達の式場場所取り合戦で早い人は受付と同時に並び、この事点で半数近くは出席確認をします。持参をお願いした「給食費口座振り込み」用紙を忘れたり 印がなかったり書類不備も結構でます。
これが第1のピークで担当も充実した?忙しさを味わいます。
問題なのは、10時過ぎには、仮担任がトイレに行かせたり廊下に並べて会場へ出発準備を始めてなくてはならない時間になっても 受付にこない「遅刻者」が毎年、数人いるのです。受付担当と仮担任・式場担当との連絡で忙しくなるのはこの時です。この時の疲労は遅刻父母を「顔で笑って、心は怒り」というものです。
保護者も片親の参加、夫婦揃っての参加、家族全員の参加、親戚を含めた参加と多種多様です。
式自体は、入学おめでとうの祝辞や2年生による呼びかけや「1年生になったら」の鍵盤ハーモニカの演奏、担任発表・各学年や担外の紹介で終わります。
問題は、「記念写真」です。恐ろしいほど時間がかかるのです。子ども達は何とか並べても父母の皆さんの位置決めが大変なのです。
夫婦揃ってとか子どもの近くにとか 気持ちは分かってもなかなか妥協して頂けないのです。思わず「主役は子ども達」だといいたくなるくらい四苦八苦します。
この点は お父さんの方が物わかりよく助かります。
次に「担任と子ども達、保護者」が揃って教室での出会いの日になるのですが、1時間程度なのですが、この貴重な時間にも配布物の説明と書類締め切りを 親向けに話さなければならないのですが、教室後の肝心の父母は 井戸端会議・談笑・私語・・・・。子ども達もその雰囲気になり「初日から学級崩壊か」などという例もでます。
ここで教員としてのプロの力量が問われるのです。あくまで笑顔でタイミングを見て親子とも集中させる技量です。
・幼稚園や保育園で場馴れしているのか、年々 親子とも「門出の1日」という緊張感がない。
・親も卒業生だったりするせいか 子どもと同じように服はよそ行きでも 態度は別。
・デジカメ、ビデオ持参は 「遠慮してください」という 学校の要請は完全に「忘却」
・人数は少ないのですが ラフな服装や茶髪、まだ子どもが子どもを産んだとしか思えない態度の父母も増えています。
・そして驚くべきことは 1年生なのに男女で手をつなぎたがらない子も多いのです。(小だぬきは、大人になったら 手を握りたくても握れないのに、なんてませた子ども達か・・・、などと喉元で発言を押さえたものです。
・初任校が1年生から3年生の持ち上がり2回と 5年生の7年間だったのですが、30年前は 1学期に指導をきちんとすれば ちゃんと身についた行動が出来る子ども達だったのに・・・・、などとつい比較してしまいます。
入学式後、各担当から「気づいたこと」「心配な点」などの交流をして、やっと昼食。私のような「うつ病」患者でなくても疲労困憊します。
そのあと、会場の片付けをして 職員の入学式は15時前後に終了。
以前は「お疲れ様」でしたと帰宅も許されていたのですが、今は 地域の眼とかの理由で管理職は「お疲れ様でした」とは言っても「勤務終了します」とは なかなか言わなくなりました。
言われても言われなくても、滞っていた学級事務や教室整備で 帰宅する余裕はないのですが、公務員へのバッシングのため、慰労会にしても 休憩時間の運用で16:30分以降に設定するしかない状態です。
今日は 今の時点は「1年生の学級指導」と職員の片付けの最中だと思います(11:30現在)。
子ども達の変容、保護者の変容、学校をとりまく環境変化、学習指導要領の試行とこれからますます忙しくなります。職場・現場のそれぞれの環境は違いますが 一律に公務員批判をするマスコミに怒りすら感じる 小だぬきです。
高給取りのように思われている教員ですが、正規の31年目の手取り「6414029円」、休職中の32年目の手取り「4432800円」です。この中には「住宅補助」「交通費」も含まれています。
退職後は 年金で200万前後の生活になります。
政府・自治体は、高級官僚の給与や一部特別手当の問題で 公務員全体が「高給取り」との宣伝をして給与削減の動きが出ていますが、「木を見て 森を見ない」マスコミ報道の世論誘導も公務員現場の多くの現状から解離しています。
今だからグチれるのですが、民間の景気が良い時は「公務員」だからと民間より低水準。
民間の景気が悪くなると「公務員給与は高い」と 悪い意味で「雇用形態が公務員」だからと いいように給与水準を押さえる「安全弁」として 経済連などに悪用されているようにしか思えないのです。
皆さん、小学校教諭は地方公務員です。私の現職時代の給与は高すぎですか?
2009年04月18日
4/21 に全国学力テストを強行

文部科学省、昨年に引き続き全国学力テストを実施(前屋 毅=ジャーナリスト)
きたる4月21日の火曜日、今年も全国の小学校6年生と中学3年生全員を対象とした「全国学力・学習状況調査」(いわゆる全国学力テスト)が行なわれる。このテストには、結果の公開・非公開に関する様々な議論や、地域間の競争がエスカレートする懸念など多くの問題がある。にもかかわらず、文部科学省(文科省)はそれに耳を貸さず、じゅうぶんな論議をつくさないまま今年も実施を決定した。全国学力テストの実施は文科省の本質を鮮明にするとともに、教育行政の主権が文科省から離れつつあることを象徴している。
(以下略、下記アドレスで)
http://event.media.yahoo.co.jp/nikkeibp/20090415-00000000-nkbp-bus_all.html
全国学力テストそのものの利点と欠陥をあげればキリがないくらいです。
4月の「学級つくり」「健康診断」「PTAの懇談会(恐怖の役員決め」「家庭訪問・個人面談」「年間の分掌計画」などに追われる日々のなか、強制的に1日「学力テスト」に日程をとられるのです。
本当に「学力は国際比較で遅れているのか・・・」「この時期に適切なのか」の議論抜きです。
前屋さんのレポートは、お子さんをお持ちの方に是非読んで頂きたいと思います。
2009年04月20日
明日、全国学力テスト

4/18付けの「つれづれ日記」に紹介した 前屋毅氏の記事を是非 小・中学校のお子さんをお持ちの方はお読み頂きたいと思います。
http://event.media.yahoo.co.jp/nikkeibp/20090415-00000000-nkbp-bus_all.html
弊害が目立つ全国学力テストを強行ともいっていい文科省の施策。現場は朝令暮改の政策に何度翻弄されたことか・・・。
今の日教組、全教という組合のナショナルセンターは 「抗議」声明のみ出しています。
一連の公務員攻撃や「教育破壊の組合」という政府やジャーナリズムの事実無根の攻撃に対して 及び腰になっているのでしょう。
参加せずという良識のあった市や町の教育委員会も 今年は実施せざる得ない状況にあると聞きます。
前屋氏のレポートやこれからの「現場の疲弊・混乱」の責任は、文科省にあるとしっかりと記憶して欲しいと思います。
石川達三氏の小説「人間の壁」を 今一度読み返してみる価値は 十分にあると思います。
教職員組合に32年間加入していた小だぬきは、組合は文科省の施策の防波堤であって、教育荒廃・破壊の責任は 現場の意見を蔑ろにしてきた文科省にあると 今でもおもっています。
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今日、「美しい政治家」の世界一に 青森県八戸市議 藤川ゆりさんが選出されたとの記事がありました。
他国のネットにイチャモンをつける気はないのですが、主催者が候補を勝手にエントリーして、ネット投票で順位を決める・・・。
多分主催者は遊び心での候補選出だったのでしょうが、候補者達の人権侵害の問題はないのでしょうか?
他国は政府要人か国政関係者なのに、日本は 市議会議員とは・・・。
藤川さんの選出は、彼女にとって いい迷惑でしょう。
それにしても 本人申し込みではなく 主催者エントリーで他国同様に国会議員や政府要人がエントリーされないのは、それだけ世界に名の知れた女性議員がいないのか・・・、日本をからかっているのか・・・。
「小池百合子」さんや「佐藤ゆかり」議員などの知名度が 藤川さんに負けているのは、地方分権を進めよとの願いかと勝手に解釈する小だぬきです。
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相変わらず雇用不安が深刻化しています。新卒入社組に「自宅待機」などという姑息な手段にでている企業もあるとのこと。まずは経営陣のリストラをしてからというのが本筋でしょうに・・・
小だぬきの悪いクセで 書き始めたら止まらなくなる位「世の中が変」
うつ病の患者に そう言われるのはと反発して、いい施策をして欲しいものです。
2009年06月24日
橋下大阪府知事、あなたは裸の王様か!!
「タレント」知事であっても 府民目線にたって疑問を持ち→専門家の意見を聞き→関連部署に問題提起や改善を要請する のなら、例え1期目からでも評価できます。
でも、今の橋下知事は、「実現可能性」「組織の独立・責任」を 無視した 「大阪府の独裁者」になろうとしているかのような 指示・命令・私見を連発している ただの「目立ちたがり屋」にしか見えない。
<反復学習を積極的に取り組まない首長は(選挙で)落とす>とまで いったとのこと。
教育への行政の政治介入を防ぐために 知事部局・行政部局から独立して「教育委員会」があること。
反復学習の有効な部分と弊害を きちんと理解してのことか疑問の残ること。
教育現場では「反復学習」をする前に その前提を重視します。
・「漢字」なら 正しい筆順と使われ方(熟語・単文理解で)を まず徹底させてから、習熟のための反復練習をします。
・「計算」なら なぜその答えが出るかの理解を図ってから、習熟で反復練習をとりいれます。
・都道県名や人物、出来事など 暗記を要するものも「適時」に集中してです。
教育内容の国際比較を持ち出すまでもなく、今 教育に求められているのは「論理的思考」とその思考の基礎になる「学力「知識」です。
これは、クラス全員への反復練習の暗記では生まれてきません。
また、教育にとって生きた「知識・技能」というものは、「わかる・できる・知る」学習の喜びでしか身につきません。
現場経験の浅い ヤンキー先生とか落ちこぼれ先生とか、少人数のクラスだからこそ効果を発揮できた蔭山英男さんなどの迷言に惑わされているとしか思えません。
橋下知事、あなたは弁護士で法律には詳しいでしょうが、教育現場・行政現場では「素人」です。
発言する前に きちんとしたアドバイザーの意見を聞き 知事権限ではなく 「素人の疑問」としての問題提起にして欲しい。
そして、その現場の対応の困難さを理解した上で 「脅し」でなく「援助」をして欲しいと思うのです。
精神科医のなだいなださんの著作に「専門馬鹿とばか専門」があります。
◇専門馬鹿・・・自分の専門については自信があっても 変なプライドのため専門外のことに「なぜ?」「どうして?」と率直に聞けない、質問できない人。<他の分野でも専門家きどりする>
◇馬鹿専門・・・自分の専門の事以外について 「なぜ?」「どうして?」と、率直に聞ける人。<自分の専門以外のことについては、他の専門家に率直に聞ける人。わからないこと、専門外のことに知ったかぶりをしない>
今の橋下大阪府知事、マスコミ報道を読む限りでは「専門馬鹿」に陥っているとしか思えないのは 私だけでしょうか??
2009年07月16日
明日で終業式
お母さんになった教え子が 言うセリフに「朝・昼・晩の食事」を作らなくちゃというのがあります。
お母さんだけならあり合わせで済むのに、子どもが家にいるんじゃ手抜きができないという悲鳴に近い言葉です。
学校からもいろいろなプリントが配られ、もう少し 毎日少しずつ発行して欲しいわ・・という声も聞きます。
<学校から言われること>
・毎日の生活習慣を維持しよう。
・毎日コツコツと学習の復習をしよう。
・家の手伝いをしよう。
・応募がきているものには、できるだけ参加しよう。
・読書を多くしましょう、一冊は感想文を書こう。
・自然に多くふれよう。
・この夏らしい想い出を作ろう。
・事故などに気をつけて 2学期元気な顔で また会おう。
・学校のプールに数多く参加しよう。
・自由研究などに計画的に取り組もう。 等などです。
子どもは夏休みでも 親はそうはいきません。
子どもによっては「先行逃げ切り型」で 要領よく終わらせる子もいれば、
「十分に夏を楽しみ(またはボーッと過ごし)夏休み終了数日前に慌てて仕上げる子、
最近ふえているのが「夏休みの宿題・課題」の2学期持ち越し派です。
私の小学校の頃は、終了間近追い込み派でした。当時は日記なるものが課題にだされ「親の仕事の関係でどこにもでかけていなくても」 日記には 公園でセミを見つけた、家族でプールに行った、遊園地に行ったなど創作日記の提出になったことも多かったです。
毎日、大人でもそうですが そう変化のある生活は送れないのに、40日分の日記など最悪な宿題でした。
埼玉県戸田市では、全教室エアコン完備です。そんな恵まれた環境なら 夏休みを短縮しても子どもに不平は出ませんし、出来れば理由をつけて教室で友達と一緒に宿題をやったほうが効率があがります。
実質、今日から短縮日程で お昼の準備に頭を悩まされていることと思います。
子どもに出される課題の「家の手伝いをしよう」を有効に使い 父母の皆さんの負担にならない夏休みになることを祈りたいと思います。
2009年07月17日
夏休み・社会体験を
今の時代は、公民館、科学博物館や植物園、逓信博物館、鉄道博物館、企業の工場見学、宇宙博物館、水族館、動物園、美術館、地域の盆踊り、地域の祭り、花火大会等など 施設も行事も充実しています。
自分の主義主張を棚に上げると「自衛隊子ども教室」なども人気です。
この機会に「子ども達の好奇心を刺激」するようなイベントや博物館などの体験をうんとさせて上げたいものです。
子ども会やボーイスカウトの活用も夏だからこそと言えるかもしれません。
何もご両親が連れて行かなくても ご近所同士の繋がりや町会掲示板、新聞広報や学校配布物の中に案内が載っている場合もあります。
ご両親にゆとりが出来たときでもいいのです。身近にある公園や公民館から始められてもいいと思います。
私は疲れが出ない時は、よく羽田空港に行き、飛行機の離発着をボーッと見ているだけでも癒されます。
それと好きなのは、動物園。1日いても動物のしぐさの可愛らしさにふれ癒されます。
経済的にも時間的にも日帰りできる 穴場はあるものです。
大人のリフレッシュのためにも 子ども達の視野を広めるためにも 普段行けそうで行けなかった近所の「穴場さがし」はいかがでしょうか・・・・
企業見学もお菓子工場や調味料工場など お土産つきの所も多いですよ。
2009年07月19日
好奇心・向上心
なぜ 辞書や教科書、事典に書いてあることを「身につけなければいけないのか?」という逃避思考におちいったのです。
34年前になるのかな・・・、小学校教員免許をとるための夏のスクーリングで知り合った 年配の幼稚園の園長さんの一言で目が醒めた思いになりました。
「出来なかったことができたり、分からなかったことが分かったりすると楽しいもの」
「この歳になり(当時はまだ40歳前だったはず)小だぬきさんからレポートを借りたり 過去問題をいただけるだけでも 嬉しいし 単位認定試験に合格できると 私にも出来るんだという気持ちになれるんだ」とニコニコしながら話してくれた顔に、 そうなんだ! 学習の喜びって・・・」と 学んだものです。
1年間で免許必要単位を修得するためには、夏のスクーリングで可能な限りの単位をとらねばなりません。当時よく地獄山と読んでいた急斜面を登り 毎日大学へ通えたものだと思います。
(土方歳三・近藤勇らの新選組隊士発祥の地にある◇星大学通信教育部)
私が一番若い世代に属していたためか、8段の台上前転や鉄棒、水泳など全て先頭グループで挑戦したのですが、成功した時の拍手の温かさに感激し 次の人の応援にも熱がはいったものです。
ビアノだけは最後まで悪戦苦闘でした。レッスン助手をしてくれた学生さんから「小だぬきさん、考え方を変えればすごい才能!! どのページでも みな4分音符に変調しちゃうんだから・・・」と ユーモアとウィットのあるダメ出しに苦笑した記憶もあります。
何とか、その学生さんのアドバイスに従い 1曲だけ完全にひけるよう猛特訓して試験に臨みました。
学生さんが事前連絡をしてくれたのか、わたしの課題曲が「猛特訓の曲」に。よかった・・・。
この夏の1ヶ月は、本当に充実したものでした。
採用試験には筆記・実技とも合格していたのですが、免許が取れなければ「採用取り消し」の追い詰められた時期、支えになり励まし合ったのがスクーリング仲間達でした。
知る喜び わかる喜び 出来る喜び が学習の基本だと思いました。
そこに到達するまでは苦しい練習や学習が必要ですが、到達した喜び・自信は それまでの苦労など忘れさせるものです。
今の子ども達は、ラクに楽しくと努力を放棄して 本当の喜びを知る子が少なくなっているのではと 心配する小だぬきです。
2009年07月20日
オ・ア・シ・ス
挨拶の基本マナーとして導入さたのですが、語呂合わせが比較的ラクなので紹介します。
<基本版>
オ・・・おはようございます
ア・・・ありがとうございます
シ・・・しつれいしました
ス・・・すみません
基本的なマナーです。
<変形版>
オ・・・おきれたぞ おとうさん
ア・・・あさはやく ああ
シ・・・しんさつび シンドイ
ス・・・すぐしたく すいみんぶそく
オ・・・おまえたち おともだち
ア・・・あきらめず あきずに
シ・・・しっかりも しゅうちゅう
ス・・・すぐわすれ するゲーム
結構ネタは あるものですよ。
つっこみを入れたくなるのが
「簡単 誰でも ラクして金もうけ」・・そんなものあるかい
「風邪には すぐ効く ◇◇薬」・・・なぜ、第一種医薬品にならないの?
不謹慎なようですが、本当にいいものなら あんなにCMを流さなくても 話題になって売れますよね・・・。
2009年08月23日
学級閉鎖、休校
2期制の学校では、明日か25日が始業式。
多くは 9/1の始業式です。
児童への蔓延を防ぐ意味でも 早めの処置は評価されるものと思います。
でも、現場では悩みが出てきます。文科省の「学習指導要領」では、各教科の必要授業時間の規定があり、それをクリアーすることと「児童の健康」の板挟み状態に合うことになります。
しかもこの新型ウィルスの流行終息の目処が見えないだけにやっかいなのです。
見通しが見えれば 「運動会の練習短縮」や延期措置もとれるのですが、このままの勢いが持続すると
行事そのものの再検討を余儀なくされます。
運動会・文化祭・音楽祭・地域公開日・社会科見学・・・・・・、行事が集中する2学期だけに 各学校の悩みが大きくなります。
教員が罹患して「自宅待機・療養」になった場合も、今の規定では1ヶ月以上の病休でない限り 代員配置がないのです。
今の学校は、人員の予備配置がないために 管理職が子ども好きで授業を積極的にして下さる「いい管理職」に恵まれないと 組織そのものがマヒしてしまう恐れもあるのです。
今どの学校でも 2学期の準備出勤・会議・研修に入っている時期です。
「新型インフルエンザ」「流行性インフルエンザ」対策を念頭にいれた「行事計画」に頭を抱える学校も多いと思います。
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流行性疾患や感染症などの疾患での休みは 欠席ではなく「出席停止」扱いです。
また「学級閉鎖」の場合は、閉鎖クラスの児童のみ「出席停止」
休校の場合は、全児童・生徒が「出席停止」扱いです。
上記の場合でも 教職員は出勤しています。教職員も人間ですから罹患の可能性はあります。その場合も児童と同時期でしたら問題はないのですが、ズレた場合の「児童への配慮」「代替要員の確保」は困難な決断が求められる結果になります。
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「学級閉鎖」「休校」の場合は、児童は「自宅療養」「通院」が原則になります。
通常の場合のように 休みだ遊ぼうとはいかないだけに 児童にとってもストレスがかかります。
過剰な心配は、家庭でなさる必要はないのですが、今後の推移しだいでは 学校の行事計画に変更がでることだけは 理解しておいてください。
妊婦・老人・慢性疾患を抱えている人・乳幼児が 罹患したとき重傷化の恐れありといわれているのですが、今日新たに肥満傾向のある方が付け加えられて報道されています。
慢性疾患と肥満は もろに小だぬきに当てはまります。
自己防衛のための「手洗い」「うがい」の励行だけは していきましょうね。
私は息苦しくイヤなのですが、外出時のマスクもしなくてはと思う朝です。
2009年08月24日
教職員の休暇
昨日、初任校での最後の学年を組んで いろいろな思い出のあるkさんから ブログを読んでいますのメールを貰うとともに 今日からは連日勤務日との知らせがありました。
<基本的な休暇>
・年次有給休暇 4月採用の場合15日、で翌年1月に繰り越し(12月までの残り分+20日)
最大40日。
・夏期休暇 3日
・健康作り 3日(職業専念義務免除)
あと20年勤続で3日、30年勤続で4日のリフレッシュ休暇。
<特別休暇>
・出産休暇
・育児休暇
・忌引き休暇 など 23項目の特別休暇が規定されています。
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世間の誤解の中に「学校の先生はいいな、長期の休みがとれて」というものがあります。
実際は、プール当番・日直・分掌関係出張・指導要領説明会・教科別研究会・教育委員会主催研修・校内での職員会議、分掌会議、2学期の準備や行事準備などが 夏休みに行われます。
初任者には 初任研修もプラスされます。
今年から10年ごとの「免許更新制度」が始まりました。従来県で行っていた5年次研修・10年次研修・20年次研修とは別にです。
教育大学出の方は 母校で「免許更新講座」は受講可能でしょうが、私の母校では「中学・高校の免許更新講座」はあっても 元職の小学校免許更新講座は「通信教育」ではできません。
この講座は、教育委員会が行うのではなく、講座を受ける大学・関連費用も自己負担です。
私のような「通信教育」や「免許検定」で小学校教諭免許を修得したものにとっては、受け入れ先を探すだけでも難儀なことです。
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運悪く?? 研修・出張が重なった年は、夏休もまとめてとれない事態も起こりえます。ましては職専免や人間ドックの日程すら組めないで 四苦八苦することもマレではないのです。
小学校ですら ゆとりがないのですから 中学校の運動部顧問などは対外試合や練習で 土・日曜日すら返上ということもザラにあります。
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今日の朝は「教職員には夏休みはないに等しい」「世間がいうような気楽な仕事ではない」ことの報告と
教員の人間性の幅がないと「教育は成り立たない」のに 研修づけの毎日の矛盾を少し感じてくれれば嬉しいです。
2009年08月28日
全国学力テスト(的を射た 毎日新聞社説)
「毎日新聞」全文引用
社説:学力テスト もっと有効な手だてを
「携帯電話の使い方で家の人との約束を守っている子供の方が正答率が高い傾向が見られる」
全国学力テストの結果分析で、文部科学省はこのように成績と生活の相関を示す。「読書が好き」「宿題をする」「朝食を毎日食べる」「家の人に学校の出来事を話している」……。これらは「正答率が高い傾向が見られる」子供たちという。
大切だが、改まって全国調査をやり初めて知るような事柄ではない。
今年が3回目の学力テストはこれまでと同様、全国の小学6年生、中学3年生全員を対象に、国語、算数・数学の2教科で4月に一斉実施された。それぞれ知識の「A」と活用の「B」に分かれる。今回も成績は過去2回と大きな変化はなく「知識はあるが活用の方は苦手」という平均像がまた描かれた。
肝心なのは、では子供をどう読書好きになるよう導くか、家族とのコミュニケーションをどう促すかなど、具体策だ。文科省は調査結果に授業の工夫例も付けてはいるが、学校現場に必要なのは、より細かく多様で有効な処方せんである。
そもそもこの学力テストは、国際学習到達度調査で読解力の成績が低下したことを契機に導入された。第1回で今回と同傾向の結果は出た。
なのに毎回50億円以上もかけて全員参加方式の調査(悉皆(しっかい)調査)を続けるのは無駄と言わざるを得ない。昨年、自民党の「無駄遣い撲滅プロジェクトチーム」もこれを挙げた。
学力実態掌握は抽出調査で足りる。悉皆だと順位を意識し準備学習する学校も出て、調査目的にそぐわなくなる可能性も生じる。文科省は「全国での位置が分かり、指導に生かせる」と言うが、膨大な答案処理で4カ月かかり、最終学年の2学期にこれをどう生かせよう。
学力とともに緊急の教育課題は、格差などによる「機会不均等」だ。こうした問題こそ速やかな調査と対策が求められる。
実際、最近文科省の委託調査で、親の年収差で学力テストの正答率に差異があることが裏づけられた。小学校100校、保護者5800人を抽出した結果だ。
都道府県別順位にまた関心が集まりそうだ。ほとんどが平均正答率の+−5%以内で、ばらつきは小さいと文科省は説明する。市町村別などで正答率を公開し奮起させようとする地域もあるが、順位の上下だけに注目してもさほど意味はない。
衆院選後、教育政策の中で、このテストのあり方や、着実で有効な学力向上策について抜本的に論議されることを期待したい。
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この「毎日新聞 社説」は、とても現場感覚に近い考え方です。
本来のテストは、授業後の習熟や足りない部分を見つけ、学習内容の定着を補う点に意味があります。
新学期 早々に全国学力テストをして 4ヶ月分析にかかるということは、1学期の学習・生活で児童・生徒の学力に「変化」が生じていることもあるわけです。
大阪知事の橋下氏のように 4ヶ月も前のテストの結果で一喜一憂する愚かさに早く気づいて欲しい。
この社説の問題提起している部分を 謙虚に読んで欲しいと思います。
久しぶりに「まともな社説」を読んだ気持ちがする小だぬきです。
2009年09月01日
今日から2学期
親子・学校でも「新型インフルエンザ」の流行に合わないようしたいですね。
読書の秋・運動の秋・食欲の秋・・・・・実り多き2学期にしましょう。
子ども達のためにも 台風が上陸コースをとらず 良かったと思います。
<子ども達へ>
・今日、後半の教科書が配布されると思います。名前をすぐ書いてくださいね。中のページもきちんとそろっているかも点検してください。
・学年だより・学校だより・学級通信、インフルエンザについてなどのプリントが多く配られると思います。
家の人にちゃんと届けてね。
・宿題やぞうきん、通信簿、連絡帳、筆箱などが入っているかな・・・
・うがい、手洗い、マスクは 忘れずにしてね。
・交通事故などにあわないように気をつけてください。
・友達と遊び、学習して うんといい2学期を送って下さいね。
<保護者の方へ>
・学校配布の文書などが 学期初めには多くあります。特に学年だよりなどでの行事予定・学習予定は、
見てくださいね。
・来週あたりから学級懇談会が始まると思います。是非時間を作って 参加してください。
・子ども達に咳や高熱がある場合は、新型インフルエンザ予防のためにも 学校を休み 病院に行って受診をしてください。
・お子さんの日々の成長のための学校です。健康第一にしてスタートしてください。
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今日から9月、早いものですね。
上記に書いたことは 現役なら言うだろうな・・・という言葉です。
これから日の入りが徐々に早くなってきます。寒暖の差も大きくなります。
風邪などひかぬように 健康で1日1日を過ごしたいものです。
2009年09月02日
良い所を教えて下さい。
・なかなか宿題をしない。
・口堪えが多い。
・朝、起きない。
・ゲームばかりに熱中する。
・整理整頓ができない。
などの欠点が 瞬間的に保護者の方々からでます。
「良い点を教えてください」と質問を変えると、
しばらく沈黙の時間が過ぎ、「難しいわ・・・・」とのつぶやき
・ペットの世話をよくする、優しさかな?
・友達が多いことかな?
・怒ってもめげない たくましさかな?
・好きなことはいつまでもやる集中力かな?
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この会話をしていくと 欠点と思っていたことが 考えようでは「長所」かな? と思えるようになります。
言うことを聞かない→ 自己の考えが育っている
ゲームに熱中→好きなことなら集中できる。
なかなか宿題をしない→友達が多く よく遊べる
興味・関心を多く持つ
整理整頓ができない→自分の中では整理できている
朝起きない→ 就寝の時間のせいかも
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自分の良い点を教えて下さい
これが なかなか見つけられない、確信がもてないのが うつ病の症状の一つですが、
急に質問されたら、自信を持って言えますか??
・流行にまどわされない
・化粧法には自信がある
・ゴルフはハンディ20で回れる。
・会議中、考えているように眠れる。
・ありあわせのもので 食事がつくれる。
・値引き交渉は得意
結構、自分の中に自信のもてるものがあるはずです。
心の中にその「良い点」の貯金ができれば、私のようなうつ発症は 防止できると思います。
欠点は・・・思考から、 良い点は・・・思考に変えられれば、心の疲労だけは避けられるハズです。
私のような 2級認定(日常生活可、要介助)でも ブログは継続できています。
過去の反省から 偉そうにいうようですが、「居酒屋で発散」できていれば・・・・退職をするほど悪化させなかったことは確かだと思うようになってきました。
適度にストレス発散、心のリハビリを図ってくださいね。
2009年09月07日
スキルアップを目指して(紹介)
今日ニュースを検索していたら 以下のようなブログを見つけました。
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はてな匿名ダイアリー
hayato-hoshikawaさん (2008/12/24 18:56:52)
http://anond.hatelabo.jp/20081222134712
人に教える、人から教わるで失敗しない14の方法
・実際のフィールドワークに勝る物はない。
・まずは徹底的にまねる。次に自分なりに改造する。
・毎日続ける。それが例えほんの10分だとしても。
・明確な目標を決める。ラインがないと超えようとしない。
・気づいて、試して上手く行けば身に付くし、失敗すればまた試す。
・忙しいを言い訳にしない。他人に忙しいとも言わない。
・目標を決めればつらいと思うことはない。達成するための過程でしかない。
・調べてから先輩に聞く。聞いた内容を補足するためにまた調べる。
・自分でやれと言われても、一度は食い下がる。駄目なら自分でやる。
・しかしそれでも人との繋がりを優先する。
・やる前に仮説を立てる。仮説が正しいかどうか実験する。なぜその答えになったか検証する。
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言葉では 難しいことですが、日常生活では 皆さんが自然にやっていることです。
一番、難しいのが「しかしそれでも人との繋がりを優先する」でしょう。
うつ病やパニック障害などの場合、その人との繋がりの中身・心を預けられるか・・の、ハードルが高いのです。
また、やる前に仮説を立てる(◇をしたらたのしいかな・・・)
仮説が正しいか実験する(◇をしてみる)
その結果を検証する(本当にしてよかった、今の自分にはムリがあった)などを確かめる。
なども「意欲低下」の時は、仮説すら頭に浮かばない・・・のが「うつ病」、また失敗したら「極度に挫折感を持つ」のもうつ病。一般化は難しいまです。
普段意識しないでしていることも、このように14の法則として纏められると「自分の今」を考えるヒントにはなると思います。
朝から引用で ごめんなさい。
今日も いい一日のスタートを したいですね。
「頑張り過ぎずに ガンバ!!」です。
2009年09月17日
19日、台風よ去れ!!
子ども達は 毎日汗びっしょりで体育着やTシャツを 真っ黒にして明日の全体練習まで 授業をしながら頑張ってきました。
頭も身体も疲れのピークが今日かもしれません。
あいにく今の台風の進路では 関東地区は雨予報。
延期になったら来週の25日(金)でしょうね。そうなるとお弁当を食べる楽しみも一つなくなります。
多くは給食になりますから・・・
今年の学校の教育課程は、雨と新型インフルエンザ、10月には季節性インフルエンザも加わり、12月の終業式まで 神経の休まらない日々が続きます。
元教員として、このような状態のとき子ども達の健康と授業進度の調整で 頭を抱える現場であることは想像できます。
子ども達の晴れ舞台の「運動会」「体育祭」「文化祭」などの行事が 予定どおり進んで欲しいなと願います。
行事で保護者の方も子ども達自身も 胸をはり成長した演技を披露できる・成長を実感できるものですから・・・。
皮肉なことに 今日と明日は「晴れ」の予報。土日が台風の進路次第。
正直 ストレスも溜まるし、 保護者の方はシルバーウィークの計画も立てにくいですね。
運動会を19日(雨 20日)予定の学校の願いが 一丸となって台風の進路が 陸地に影響なしになって貰いたいものです。
2009年09月26日
またまたガッカリ「太田総理」
本当にこの人 現職教師?? と言う人や 子ども達の出演で 的外れもいい加減にという議論展開でした。
予備知識として、この学校5日制は 旧「労働省」と「通産省」の「諸外国より子どもの学習時間が長い」「教職員の労働時間が長い」という 政府の外国に配慮した施策であったことを忘れてはならないと思います。
当時の日教組・組合は 「平日の授業が過密になる」「より一層サービス残業が増加する」として反対しました。
ゆとり教育は 番組に出演した寺脇さんが この平日が過密になるのだったら「教育内容の精選と教育内容の大胆な見直しが必要だ」との認識で「ゆとり教育」を発想したものです。
ですから「土曜授業の是非」は、平日の学校の過密さを土台に議論されなければ おかしいのです。
参加した小学生が発した「普段の6時間授業で帰りが16時や16時半になる」を 番組のメーンテーマにして 「土曜授業」を考えないと意味がないのです。
提案者が「土曜日に道徳をやればいい」「学力向上のために平日の改革なく土曜日学校を提案」したものだから 猛烈な子ども達の拒否反応がでたのです。
ですから「平日の改革議論無く、土曜日復活が否決」されたのです。
エセ現場教師にも 平日の過密さの認識がなく「土曜日」を論じるものだから、話が中途半端な「現状維持の週5日制」になってしまうのです。
要は、今の5日間の平日の「学校」のあり方が論点にならないと意味のない「土曜日学校」議論になるのです。
今の平日の過密さでいいのか・・・、現状の授業時数では「平日に無理」がくるから 平日の午後の1時間分だけは土曜日にしよう とか 平日に行われる行事を土曜日に回し、授業時間を確保しようとかの「地に足のついた議論」のために 現職教師が参加したはずなのに この先生「何か変」
私が嫌悪する義家参議院議員のように「現場体験が浅い」のに 教育とは・・・とか日教組はと 「知ったかぶりの反組合、教育評論家」が受け入れられる「教育論議」は 現場にマイナスを与えることはあってもプラスにはなりません」
労働時間にしても 週5日になったため 「風呂敷残業」「セブンイレブンという勤務」が常態化して、土日に教材準備・研究か、疲労でダウンというのが現実です。
旅行やレジャーなどでリフレッシュするなど「たまに」しかできない状態。
中学校の運動部担当教員などは、対外試合や練習で土日も勤務の実態です。
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ただ唯一の救いは、「学力の国際比較の意味がない」ことと「いつの時代でも 子どもの学力不足が議論されながらも 日本という国が成り立っている、これは大人の発想ではないか」という外人(名前がでてこない)さんの冷静な発言が光ったことです。
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たとえバラエティーでも 現場の実態を知らない または知ろうとしない人達の「感情論議」で終わってしまっては、しわ寄せがくる現場はたまったものではないのです。
番組を見た方で 昨日の議論は参考になったという方、コメント頂けると幸です。
2009年10月07日
台風直撃 学校の安全管理
ネット情報を見る限り、各自治体の対応・対策も「早め早めに」に進んでいるようで ありがたいことことです。
暴風雨を伴う場合、看板一つの不備で人命を損なう恐れがあります。固定作業も各設置者の責任できちんとして欲しいと思います。
元職として心配なのは、学校の管理職の近隣小学校との連絡や市教委の指示待ちで 台風への対応が遅れることです。
学校独自に「子ども達の安全優先」策が取れない・決断できないのが 今の学校管理者です。
少なくとも登校時や下校時に 台風の影響がでると予想される場合は、空振りを覚悟してでも「児童の安全」優先で 登校を自粛させる、早めに集団下校の処置を取る、思い切って休校にするなどの処置を講じて欲しいと思います。
この点、民間会社の方が 学校と比べても決断は早いようです。
早い所では もう公務員の非常呼集体制に入っている所もあると思います。
消防・警察を初め 自衛隊、役所職員の「災害呼集」も順次行われると思います。
私たちのモラルとして、危険箇所を初め 外出を控える。要請があれば 災害防止に努めることが大事になります。
間違っても 災害救助の素人が 町会要請や役場要請がなしに動くのだけは避けたいものです。
プロ活動の足を引っ張らないだけでも 十分に協力することになるのですから・・・。
災害危険箇所にお住まいの方は、今から「避難想定」で持ち物をチェックしておいてください。
とにかく 目標は、災害被害・災害死者0人です。
2009年10月08日
関東は強風に・・・
朝までは 雨と強風の状態でしたが、7時前後には 強風にかわりました。
学校も昨日休校決定をした教育委員会と朝の連絡網で休校措置を取ったところ、父母の判断にまかせて登校などと 教育委員会の対応にバラツキがあるようです。
強風のため運転中止の路線が増えています。
多少、生活に不便でも「安全第一」の姿勢は 評価していいと思います。
各自治体の「災害対策」も 早め早めの「避難勧告」「土嚢準備」などで 大きな災害発生に至っていないのは幸いでした。
ただ、倒木で新聞配達の方が1名、死亡したとのニュースには とてもショックでした。
本人の魂も「死を認識できた」のかどうか・・・、災害時の配達体制も見直しが必要かもしれません。
何よりも「人命優先」です。
私のアパート(2階)もドアの隙間から 郵便受けから 雨の進入がありました。
これから 東北地方、北海道に 台風が進むとのこと。
早め早めの避難準備はしてくださいね。山や谷の多い地区だけに 被害が生じないことを祈るばかりです。
2009年12月18日
学校現場の苦労と民間登用
元職の平教員としては、文科省や教育委員会の「民間登用」の意味がわかりません。
教員になるためには、所定の単位と教育実習を受け、採用試験に合格し(まだこの時点では、採用名簿登録者)、教育委員会・校長面接を通って 任用通知がきて初めて教員としてスタートします。
その後、1年間の期限付き採用で初任者研修を受けながら担任を持ち、指導教員・校長の評価を経て 正式な県費採用教員としてスタートします。
そして、前にも書きましたが 5年次・10年次研修が義務付けられた上、官制研修といわれる半ば義務化されたカウンセリング講座や教科研修を毎年うけて 技量・体験を積んでいくのです。
その他に「研修員」募集に応じたり、民間教育サークルに参加したり、組合教員研究に参加しながら 子供達の変貌や指導要領改定などに対応していくのです。
中には、30歳前後から主幹教員・教頭・校長を目指す者もでてきますが、多くは現場での子ども達との交流・教育で定年まで勤めようとします。
今、管理職からの降格人事を希望する人が増えていますが、それは、学校自身の裁量権が殆どないのに 地域との交流や教育委員会の指示、教職員人事評価など 管理職とは名ばかりの「責任」だけが問われる職に見切りをつけ、教員としての原点である「子ども達の教育」に生き甲斐を見いだす人が増えているのでしょう。
その中で 民間活力の導入の名のもとに、教職経験のない人をいきなり 管理職に登用する施策は、ハッキリ言って、失敗が目に見えています。
現場教員で管理職を目指す人の割り切れない思いと民間登用、そして 登用されて知る 現場裁量のなさ、能率や効率では解決しない「現場の問題」、理不尽を理不尽と感じない生徒・保護者の存在。
赴任する前までは「組合対策」さえすればと言われるのでしょうが、多くの学校では「組合員が困難の先頭に立って頑張っている姿」、味方と思っていた非組合員の日和見など 現実と報道の解離に出会うのでしょう。
多くの民間登用管理職が 理不尽な要求・指示に疑問を抱き、平教員達との協力・協同に軸足を移すことになってくるのです。(その点は、教員出身者より柔軟)
日教組や全教をご用組合にしようと暗躍した県が 行き過ぎて組合との癒着ととられる行政をした県が今問題になっているのです(大分、愛知などなど)
多くの県教組は 健全ですし 各学校の分会も「教育条件や労働条件」は話題にはなっても 行政とは一線をひいています。
今の教育の状態をよりいい方向にするためには、学校・PTA・各家庭での役割分担と相互責任の明確化をしなければなりません。
学校では、帰宅後の深夜徘徊や覚醒剤・シンナー、万引きまで 守備範囲に入れ 教員がかけずりまわっていますが、本来は 家庭のしつけの問題ですよね。
お互いの責任範囲・持ち場で全力を挙げるという土台の元に 子ども達の健やかな成長を保障したいものです。
2009年12月29日
喫煙文化の否定、言論への介入・ファシズム
理由は、タバコをすうおじいさんの描写が 「喫煙を助長する」とのこと。
反喫煙団体の喫煙反対が、今の受動喫煙被害・ニコチンの健康被害にとどまらず 児童書や出版物にまで及ぶとは、ファシズム傾向になってはいないでしょうか??
「たくさんの不思議」で 喫煙者のおじいさんと孫が 江戸時代の不思議にせまるというもので、内容的には頷ける点が多いのです。
江戸時代には、贅沢品としての刻みタバコやキセルが 庶民化する経緯もふしぎですし、江戸時代以後も 明治維新の洋風化文化の取り入りで 葉巻・噛みタバコ・葉たばこ・キセル・水パイプなどの大量な趣好品としての普及がありました。
戦前・戦時には「恩賜のたばこ」を賜っただけで 名誉に感じられた時代もありました。
戦後も「休憩の一服」「食後の一服」が 労働を支えた一面も大いにあると思います。
今回の反喫煙団体の抗議は おじいさんのたばこ描写が 「喫煙を肯定・助長する」とみなされたようですが、「たくさんの不思議」を読み、親子で喫煙場面の疑問がでたら話し合えば良いことではないでしょうか??
非喫煙者善、喫煙者悪の狭量な思想がでているようです。
かっての岩波書店の「ちびくろサンボ」の言葉がりと同じ 描写がりに等しい暴挙でしょう。
良質な出版物にまでクレームをつける「反喫煙団体」。あなたたちの目的は 喫煙被害を無くしたい、少なくしたいでは ないのですか・・・・。
変な政治介入・言論介入などしないで欲しい。
自分の購入図書は購入者が選択します。購入検討前の出版差し止めでは 目に触れることもできない。
いい加減、文化がり、歴史の封印・ねじ曲げ、映像がりは止めていただきたい。
「正義を声だかに主張するのは結構ですが、他人にまで強制する行為は謹んで欲しい」と小だぬきは思います。
過去の歴史も 「正義」と「正義」の強制の拡大が 「思想の自由や言行の自由」の圧迫まで行き着いたのです。
自分だけが正しいという個人・団体とは、怖くて近づけないなと感じた朝刊記事でした。
2010年01月08日
今日から新学期
元気な子ども達の声も朝から聞こえました。
今日の朝刊で「川崎市の人口増加率が政令都市では最高になり、教室不足が20校程度でる」との記事が載りました。
各地の児童数減少の「統廃合」の記事に慣れていたものには、驚きの「市内版記事」でした。
マンションの建設ラッシュが続いていたのだから 当初から児童数増加は予想できたのですが、学校敷地拡大のメドが立たず 仮設校舎の建設で当面は凌ぐとのこと。
私も拠点校指導教員をしたとき 掛け持ちした学校が5年生のみ仮設プレハブでしたが、昔と違いエアコン完備で 普通教室と比べても環境的には 良かった記憶があります。
問題は、東京の多摩ニュータウンの時と同様に 学齢期の児童・生徒の卒業したあとの「学校」の空き教室の問題が 必ず出てくるということです。
卒業していく子らが 地元に生活拠点を置き 家庭を持ってくれれば ある程度の学校規模を維持できるのですが、そうは なかなかならない点が 市教委の悩みでしょう。
新しい学校を建設するか 特例で4階までの改修工事をするか・・・。
川崎市政の施策を注視しなくてはなりません。
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教え子の一人が 「学校が始まって やっと親も一段落できるの、なんと言っても 子ども達が休みだと食事をきちんと作らねばならないけれど、私だけなら あり合わせで済むもの・・・」との言葉が印象的でした。
3学期が始まった 児童・生徒さん。
1年のまとめをしっかりやって、得意な分野を増やしてください。
ご家庭の方へ
お子さんの3学期の生活習慣を 1日でも早く取り戻せるように援助してあげてください。
また、明日から3連休ですが、学校モードの生活リズムで過ごして欲しいな・・・、と思う小だぬきです。
2010年03月02日
またまたねつ造? 北教組事件
教員の罰則強化検討を
=政治的行為違反で−鳩山首相
3月1日17時56分配信 時事通信
鳩山由紀夫首相は1日の衆院予算委員会で、政治的行為の制限に違反した公立学校の教員に対する罰則強化を「川端(達夫文部科学)大臣に検討させたい」と述べた。民主党の小林千代美衆院議員を支援した、北海道教職員組合(北教組)の政治資金規正法違反事件を取り上げた馳浩氏(自民)への答弁。
首相は同日夜、首相官邸で記者団に対し、「教育者であるが故に政治的な活動には制限がある。その制限はしっかりと守られなければならない。もっとより行動を厳格にされなければならない」と語った。
現行の教育公務員特例法は、政治の中立性を求められている公立学校の教員が政治的行為の制限に違反しても刑事罰を科さず、懲戒処分にとどめている。
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上記の記事は、教職員組合の活動を知らない人同士の討論としか思えない。
またまた、検察・マスコミのでっち上げ事件か・・とも思う荒唐無稽な話。
教育公務員特例法は 教員の公民権・選挙権を否定したものではありません。
・教員の地位を利用した選挙活動
を 禁止したものです。
ですから 選挙時は例え組織内候補であっても 組合ではなく「個人後援会」に入会し、後援会員として 個人カンパをし 選挙費用に当てます。
地位利用に当たる恐れのある「現学区」「勤務地学区」は 後援会員としても避けます。
地位利用による「中立性」を疑われる活動は、組合組織としてはしません。
あくまで、一般の人と同じ立場での活動に限定されます。
このやり方を「実態をごまかす詐欺的行為」とか実質「組合活動」だという人はいますが、
思想信条の違いを保障した組織である組合と 「後援会」は分けて考える必要があります。
たまたま後援会代表が委員長であっても 原則 組合の組織としての指示や闘争資金などは使えません。
あくまでも 教員の後援会員が カンパした「個人献金」で 後援会活動をするというもので、内容も 教え子や知人 前勤務地などの地位利用に問われかねない活動はしないのです。
今回の北教組執行部の逮捕は、政治資金規正法違反とのことですが 組合活動の節度を持って 選挙活動支援をしたのなら 小林議員に渡った資金は 個人カンパの集約されたものです。要は 後援会名簿と会費納入の額が一致すれば 何ら違法性はない資金となります。
鳩山首相の「組織活動」の実態を調査もせず、いきなり「規制強化」などと答弁してしまう軽率さは 情け無い限りです。
それほど、北教組の執行機関が 特例法無視の「組合活動としての選挙」をしたとは、元職としては考えにくいのです。
もし 闘争資金からだとしたら 闘争委員会の設置 臨時大会の開催・了承をうけなければ 闘争資金は動かせません。
検察は、委員長の資産からか、臨時組合費からか、後援会費からか まず逮捕理由の情報開示が必要でしょう。
2010年04月23日
全国学力テストの「学力」とは・・・
学校の横並びの体質と保護者の漠然とした「学力不安」が 実施校を増やしたようです。
大器晩成とか「個人の才能を引き出す」とかいう言葉は、死語になったのかとさえ思います。
実施された「国語」「算数」で 学力を測れるものではないことは、日々子どもさんと接している方には 常識になっていることと思います。
しかも 大規模校と小規模校、分校などで 同一テストで しかも平均点で地域・学校の学力達成度をみるなんて 到底無意味なことになります。
大阪府の橋下知事のような 「学力の質」を個々に問う発想がなく テスト至上主義には開いた口が閉じません。
極端な例ですが、半数が100点で半数が0点でも平均は50点です。全員が50点以上をとる平均点と単純に比較できるものでしょうか・・・・・
算数・国語は苦手でも、理科が得意とか社会が得意、体育・音楽・図工が得意といろいろな才能を個々で伸ばしてあげるのが 「教育」だと思うのですが、国語・算数に特化する理由がわかりません。
第1回の全国学力テストの問題を 教員同士検討したことがあるのですが、B問題の応用については正答があるのだろうか・・・・、と疑問に思う問題も多かったのです。
日常の学習指導では 「学び知る」楽しみ、「出来る わかる」喜びを 子ども達に身につけようと現場では 悪戦苦闘しているのです。
今は 小中学校で、起こっている問題の一つに 家庭での早期教育のため集団としての授業に適応できない 知識のみ技能のみの頭でっかち(2年生で 学力差も解消されていくのですが)が 学級の秩序を守れないなどの弊害もでています。
今だに学習指導要領が 現場をしばっています。
私は、本当に必要な学力ならば、テストで比較するよりも 諸外国で導入されている「課程習得テスト」で「その学年の内容を理解している児童のみ」進級させる制度移行の方が 余程 理にかなっていると思います。
今の「年齢主義」の学年で いくら全国テストをしてみても 低学力層??の底上げにこそ予算をつけなければ、お馬鹿タレントのように「中学、高校」の基礎学力なしに卒業させられる悲劇が繰り替えされることになるのではと思います。
テレビのクイズ番組の「お馬鹿タレント」は、台本通りの演技で 教養があると信じたいのですが・・・。
2010年09月19日
算数問題について(合理と不合理)
3年の算数 割り算で「12人の子どもがいます。1日 3人ずつ殺すと 何日で殺し終えるか」との問題を出した 教員が話題になっています。
学級指導時、「君たちを殺す夢を見た」とも言ったそうです。
その先生の人柄・学力を問いたいのではなく、
◇そもそも 上記の割り算問題、殺人を例にしているのも問題ですが、割り算問題にすらなっていないのです。
殺すという以上、犯人を特定しないといけません。たとえば「先生が」という 子どもと別の存在を明記しなければなりません。
また、児童の中に犯人がいると仮定すると 全員は殺せないので「3日と余り2人と犯人1人」とかになります。
問題としても 曖昧さの残る問題なのです。
しかも 場の設定そのものがメチャクチャです。 今時の子ども達なら「殺される前に逃げるよ、警察に届けるよ」となるでしょう。
算数は、合理的思考を育てるものですから 示された数値と内容にそって 答えにたどりつかねばなりません。
悪しき例ですが「速度計算」なんて まるで現実を無視します。
「時速40qで3時間走った 走行距離は・・・」が典型ですが、信号機や速度制限を無視して 時速40qの車を仮定するのです。
渋滞にはまろうが、検問を受けようが、事故にまきこまれようが 問題の車は 時速40qで進むのです。
大切なことは、算数問題は、問題にある条件での答えなのです。
ここで 頭の良い子ほど「もがくのです」、現実を直視する子ほど 算数内だけでの法則や定理に。
正直、私も小学校の時「ありえない」と余計な負荷がかかりました。
教える側が 子ども達に混乱を与える 問題を出してはいけないのです。あくまで 与えられた条件での「頭の体操」です。
*殺人問題にしても 「命の大切さを蔑ろにする」と ともに条件としても 現実離れしすぎているのです。
@先生を犯人としても 帰宅しないわが子を捜さない親はいるだろうか・・・・
A1日目に殺されることが わかり逃げ出したり抵抗する子はいないのか・・・・
B学校の犯人は、4日間 監禁できるものだろうか・・・
C大人を犯人として明示し、かつ親も警察も学校も捜索せず 12人の子どもも順番を待つなんていう 仮定事態に破綻がある。
D子ども同士だと仮定したら 最後に一人残る。
算数問題としても「合理性」がなく「あまりの設定飛躍」があるものは許されないのです。
どの子も 既習学習したものを正しく使えば 答えにたどり着く。合理的な科目を 貶めたことは許せない。
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教員として、口に出すか出さないかはともかく いじめっ子や暴力的な子へ「殴ってでも 身体で覚えさせるしかない」と心で思うことは残念ながらあります。
但し、この先生のように「殺してしまったら」、教員はいらないのです。ブラックユーモアにもなりませんが、子どもあっての教員なのです。
私は 興味深く、この件を後追いしているのですが、割り算水槽や仕分け箱などの 教具類や グループ学習は 事件?の学校にはなかったのかも検証がされると思います。
それと、最近の子ども達の発する言葉、単語は 「どこでそんな言葉を・・・」というほど 殺伐としてきています。
2010年09月20日
時計の難しさ、何分前・何分後
・・・前、・・・後 の難しさ
針式時計ではなくデジタル時計になり、60進法という特殊な計算になる。しかも日常言語と違う・・・
朝礼で1歩前と言われれば、前に一歩すすみますね。
通常は、進むとき「前」
後退するときは「後」ですよね。
時計計算だと その常識から早く抜けて 時計は時計と割り切らないと混乱するのです。
午後3時の「30分前」は、午後2時30分ですよね。でも、初期段階では 午後3時30分という答えが圧倒的に多いのです。
大人だと気にもしない「・・前」「・・後」が 時計の場合、その時刻の「前が早い時間」「後がおそい時間」とわかるまでが一苦労なのです。
教員で体形移動や整列を指導した後は、時計計算はできないね、というほど難物なのです。
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うつ病も 時計計算のようなこんがらがりが頭に生じていると考えた方が理解は早いと思います。
喜怒哀楽や対人関係、自分の評価の軸がズレている。
水道のチョロチョロ水をコップに受け、満杯になったから一口で飲む、すると次に満杯になるまで時間がかかりますよね。
普通だと蛇口を開いて水を多く出せば2杯目が 早く満杯になるのに、蛇口をひねらず チョロチョロ水でコップが満杯になるのを待つっている状態なのです。
私は、豪快に水を飲むタイプなので 病態変化の上下がはげしいのかな・・なんて感じます。
今日は、「水戸」への墓参り、ちゃんと行ってきました。
2010年10月26日
学校5日制の議論整理を!!
海外と日本の労働時間の差が国際的に問題になり、旧労働省と通産省などが 教員の時間労働を名目40時間にしろと 圧力をかけたことに端を発します。
当時は 行政と組合とも主張は違いますが、反対で足並みを揃え、完全実施を先延ばしにする抵抗をしました。
文部省・日教組で共通した反対論拠は、教育と労働条件は別に捉えるべきだということと「平日の児童の時間割に無理がくる」という点です。
今、批判されている「ゆとり教育」も 週5日制に対応して学習内容を基礎的部分の習熟・徹底に置くというものでした。
教員側も1日の労働時間増加とサービス残業で「過労死」や「自殺」に追い込まれた例もあります。土曜日の運動部の練習や遠征・対外試合の常態化も起こっています。
出来れば、すぐにではなくとも週6日制に戻し、平日の会議・出張などを減らし 放課後のゆとりを確保した方が 教育現場としては助かることだとは 教員なら思っています。
本当に必要な基礎、国語力の向上を目指して 行政の研修出張や報告文書の精選、行事の参加要請などの見直しを一緒にしなければ、教育改悪になりかねません。
しつけは 家庭・地域の再生で、学校は学習一本に特化させていかなければ いずれパンクするのは明かです。
毎年の国・県・市の委嘱研究なるものが、全国に共有されないシステム欠陥も 教員の悩みの一つです。本来教育が全国の教員に共有されていれば類似研究を無くすことに貢献できるのですが、国の施策に反映されません。
週2日休日制の家庭に戻す、地域に子どもを解放する、などが破綻していることは明かです。
この問題は 国家の未来を左右する子ども・生徒・青年の教育を 原点に立ち返り 現場の声を尊重して行かなければ 政争の具にされるだけです。
学校施設、教員、教具、家庭・地域の教育力、行政の在り方などの抜本的見直しが必要なことです。
橋下知事などの発言が 行政や教員改革のみに終わり、そもそもの無理が文科省施策ではなく「労働時間」というILOや旧労働省・通産省の要請に、教育の改革思考なく建前上の労働時間短縮で教育過程を変更したことの膿が今吹き出しています。
この問題で 組合批判をする人がいますが、組合の方針は 30人学級にして 責任を持って教えきる体制をとか 今の超過勤務の内実が本来の「教育職」としてのものかを問題の柱にしているものであることだけは、曇なき目で見て欲しいと 元職としておもうのです。
2010年10月27日
知る わかる 出来る 表現することは楽しい@
勉強・学習は 本来は楽しいものです。
橋下府知事や石原都知事の「苦役を乗り越える」のが学習・勉強なのだと 主張する人達の「成長感」「学習感」が 多くの人に受け入れられている「不思議」を感じます。
お母さん・お父さんは 直感的に「楽しいんだろうな・・」と我が子の成長で わかっているのではと思います。
特に乳児・幼児の「学習能力」は、驚愕に価するほどです。
気持ち悪いとか、ミルクが欲しいとか 寝たいなどの感情表現は、うまれてすぐ発揮します。
パパ・ママの声がけに 内容はわからなくても 優しい感情を読み取り、微笑みます。
お父さん・お母さんの言葉かけで 物の名前などを急速に覚えていきます。
ハイハイや歩けるようになると、手で触ったり 口に入れたり、直接に自分で確かめる行動が始まります。
周りのことに興味を持ち、さわったり 動かしたり ママやパパのマネをしたがりたくなります。
言葉をいつのまにか覚え 単語で「ママ」→「パパ」から始まって 車や人、物の名前を覚えだします。
(微笑ましいのは、若いご夫婦のパパが何とか最初にパパと聞きたいと 連日パパを繰り返したものの やはり「ママ」に負けたという時期でもあります)
そして、興味が外の世界に広がり、買い物に連れて行っては 「商品を片っ端からさわる」行動が始まります。
その経験と ママの「パン」「おかし」「梨」「ミカン」「りんご」などのことばかけで 語彙が広がり、いい悪いのしつけが始まります。
次は 使い方が「わかる」と 自分で「やりたくなり」「出来たときの周りの賞賛」で 嬉しい、楽しい感情と表現がうまれます。
次の育児の面白さと困難は、「しりたがり」「わかりたがり」「やりたがり」の「なぜ??」の質問の時期です。
この時期を上手くのりきらないと 知的好奇心を維持できるか 萎ませてしまうかの分かれ目になります。
これは「知的障害を持った子」も「健常児」も 時期的なズレは生じますが、乳幼児期の子ども達の発達です。
論文ではないので、小学校・幼稚園・保育園段階は、次にまわしますが、
人間の成長の初めから「知る、解る、出来る、表現する」学習の面白さから スタートすることだけは確かです。
知る わかる 出来る 表現することは楽しいA
勉強・学習は 本来は楽しいものです。
午前中は「乳児・幼児」の発達から 本来の人間の脳は「知的好奇心」に溢れているということを書きました。
TVのクイズ系番組の人気や池上彰さんのニュース解説が人気なのは、大人でも「知りたい・解りたい」気持ちがあるからです。
よく仕事に対して「賃金を得るための我慢」とか「辛さ・苦しみのみ」とかいう人がいますが そうでしょうか?
確かに 単純作業などは辛そうですが、自分が今頑張っていることが ラインを止めず仲間に迷惑をかけない「誇り」があるから耐えられるのではありませんか・・・。
趣味など典型的ですが、その分野については、他人に言われなくても「自発的」により良くなりたいという向上心は いつの年代でもありますよね。
「盆栽」「ペット」「写真」「鉄道」「アニメ」「手芸」「釣り」などは、理屈抜きに「やりたいから・・」「楽しいから・・」と 学べるものですね。
話を今日の、幼稚園・保育園に戻します。
今の家計の大変さ、働きたい気持ちで 共稼ぎのご両親がふえています。
そのため 小学校元教員からすると、果たして 「教育内容」「保育内容」で 幼稚園・保育園を選択しているのだろかと 長年疑問でした。
この時期の子ども達は 集団のトラブルやケンカを通して、ケンカの限界と仲直りの仕方という 他人との関わりを学ぶ時期です。
ですから 泥んこになって遊んだり、ケンカしたりしながら ルールや言語・感情表現を学んでいくのです。
本来、幼稚園教諭や保育士達は 上手なアドバイザーや審判の役割を負うのです。
でも 敢えて「クレーマー」と呼びますが、成長に欠かせない対人トラブルやケンカを 「なぜ、止めない!!」「イジメを放置するのか!!」との 成長を度外視した 抗議を教諭・保育士は受けるようになります。
「クレーマー」化した親には、社会性やルールを学ぶ過程であることは理解してくれません。
「かわいい我が子に・・・」との 過剰な保護意識がトラブル・ケンカも「成長時期に学ぶ規範学習」との観点より「イジメ」としかとらえません。
この時期に友達との折り合いを学んだ子と「保護」されてしまった子の違いが、小学校入学時の「1年生の学級崩壊」の根っこになるのです。
今、共稼ぎの勤務時間の関係で 保育時間の長さのみでの選択で 待機児童がでていませんか??
反対に時間がはっきりと決められている幼稚園の倒産がふえているそうです。
元職の立場では「いい加減な早期教育」で 小学校課程の学習までを宣伝文句にする保育所だけは さけて欲しい。
筆順もデタラメ、計算も暗記だけ、しつけなるものも「強制」された子たちの 知的好奇心や自発的行動力などの低下の弊害が大きいのです。
それよりは のびのび教育を基本に園児達の好奇心を優先する所を選択して欲しいのです。
驚くほど「しつけ正しい」といわれる保育園出身の子に 「心の抑圧感が大きい」のか 「ばか」「死んじまえ」「ブッ殺す」「しっている」「おまえなんかとはなしたくない」との暴言がでるのです。社会規範やルールを意味なく強制されてきた上の悲劇でしょう。
保育園に預けるなら、出来るだけのんびりとした保育と友達とのトラブル・ケンカに上手に仲裁に入ってくれる所がベストだと思います。
社会風潮のように なんでも「イジメだ」と大雑把に規定してしまう危険は、子ども達の社会性の発達に障害を与える点もあることだけはご理解下さい。
2010年12月02日
中教審の現場知らず 教員免許
いかにも 現場を知らない学者先生の発想だと ため息です。
私立出の教員、短期大学出の教員、教育学部以外の学部生、修士課程まで進める資力のないものなどの排除の論理かと愕然とします。
私は 大学法学部在学中に 中学校と高等学校の「社会科免許」を収得しました。
教職課程を履修するだけでも大変なのに とくに教育実習で他学部から「実習先」にお願いするだけでも 現場に迷惑をかけているのが現状。
しかも 「免許=採用」ではなく、採用試験に通り 任用候補になっても 採用されるとは限らないのが 教員の世界です。
正規任用をギリギリにして、他の採用名簿登載者の多くは、6ヶ月更新の「臨時教員」として採用されている現実を無視しています。
私も 大学4年の時に「社会科教員」の採用試験に合格しましたが、採用は欠員待ちで 1年間欠員なしでした。
これは、今 猛烈なバッシングを受けている「公務員採用全般」の現状です。
幸い、私は 通信教育・スクーリングで小学校免許の単位をとりながら 採用試験に臨み 名簿に載りながらも 最後の1ヶ月の教育実習先探しに苦労しました。旧担任が教頭をしている学校にお願いして 2月に教育実習し 何とか滑り込みで免許修得。
私が 運が良かったのは 10倍以上の倍率のなか ユニークな発想を認めてくれた当時の面接官と男の採用に本腰を入れ始めた時期と一致していたお陰だと思います。
どうどうと「広域配転のおかしさ」や「公的夜間中学のなさ」を批判したのに 採用してくれたのは 今では奇跡に近いでしょう。
今回の中教審の「大学修士課程修了」者を「一般免許」、その他を期限付き「基礎免許」にし現場に入ってから「一般免許」への移行を義務づける、しかも 免許更新制は残す、では 現場は 機能不全に陥ります。
教育学部を出て 教育の修士課程に進める経済的余裕がなければならないし、採用試験での配慮がなければ どれだけの人が大学院に進学できるでしょうか・・・・。
ましてや「期限付き基礎免許」で採用し、現場で働きながら「一般免許」を修得するなんて 今の多忙さの中 現実を無視しています。
教育委員会の公的研修が 免許単位に変換できなければ、一般免許講習を受ける余裕などありません。
現場で必要なのは、「学者」ではなく「教員」なのです。
これは、職場の環境や経験でしか 身につかないものも多くあるのです。
とくに 今の父母の皆さんのクレームや要求の多さ・少数の?理不尽さも見られる今では、より一層の門戸開放で多彩な経験と個性がなければ 学校が組織として機能しなくなりつつあるのです。
今、報道されている「給食費未納」も 私の経験では、貧しくて払えないのではなく 「公教育は無料にすべきだ」との論理で資産のある方が意図的・確信的に「未納」する場合が 少なからずあるのです。
2世代3世代前の管理職は、現場の責任はオレがとる 思い切って知恵を出し 実戦して欲しい、というタイプが多く、教員も管理職の目標は高くても ある種 尊敬して 激務にも耐えられました。
でも、今の現場の多くの管理職は 事務におわれ、出張も多いためか 現場の困難さを共有し解決をはかることや責任はオレが持つという気概も失っているように思えるのは とっても残念なことです。
「免許」制度を 現場を知らない 学者が「無責任」な提言をしているとしか思えないのです。
今、全国的に教員の不祥事が報道されていますが、初めから「猥褻指向」の教員は論外としても 赴任時に理想に燃えて現場に赴任したであろう 中堅・ベテランの不祥事は、「免許」の問題ではなく、勤務・業務の視点から見直す問題があると思うのです。
多くの教員は 自分の子どもに「自分の子より 担任や学校の子の方が大事なんだ!!」と批難されるような 状態で勤務しているのに 世論の冷たさは目を覆うばかりです。
改善されつつある現場でも 我が子の入学式・卒業式・運動会・PTAなどに 参加できない、しずらい勤務を強いられているのが 今の教員です。
中教審が まずすべきは、教員の「初志」を貫けるような 勤務の在り方の改善であるべきと思います。
そして ゆくゆくは、現場と行政、学者、父母の方々が 「現実」で 協力しあえる態勢を組めなければ 今の教育の問題は前進しないと考えています。
義家参議院議員のように「日教組批判」しているだけでは、より子ども達が不幸になると思います。
見方を変えれば「日教組・全教」という組合がありながら 現場の声を 行政に届けきっていない、何のための組合か という論の方が正しいように感じるのです。
肝心の学校に学ぶ子ども達の視点にたった 教育改善でなければ意味がないのです。
教員も人間ですから 何でもかんでも超人的なことを要求するより、「人間性」を高めるための「研修」のあり方を検討すべきと思います。
小規模校の業務量と大規模校の業務・出張・官制研修は 量的には変わりません。
小規模校の負担を軽減していかないかぎり 教育破綻は目に見えています。
2010年12月24日
どこまでが個人情報??
個人情報保護法で 学校で困ったことのいくつかを報告します。
@「学級住所録」が 発行できなくなった。
新年度 そうそうに「新クラス」の保護者用連絡に活用してもらっていた 学級の住所・電話・誕生日の一覧が 個人情報保護で配付できなくなった。
年賀状の度に「先生の住所を教えて」「◇さんの住所を教えて」との問い合わせに苦慮したものです。
A電話連絡網
今では 出来る限り ご近所を中心に連絡網を作成するのですが、時には全く電話にでない・止められている家もあります。そのとき 連絡者が家を知っていればいいのですが、知らない場合は 飛ばして連絡することになります。
連絡網でも 連絡不能の家庭がでる場合があるのです。
Bホームページ作成者の悩み
極端にいえば、ネットの世界は閲覧者が 善意である保障もないし、一度発信すると 世界中で閲覧可能になります。
遠足や運動会などの行事で 子ども達の写真を載せる場合「顔と氏名にモザイク」処理をすることになります。
記事中の氏名も 削除できる所は削除処理をおこないます。
C名札の不思議
昔は、下校時の万が一の事故に備えて、下校時の名札着用を徹底的に指導しました。
今は「変質者」や「誘拐」に備えてと 下校時に外す指導をしています。
「特別支援級」担当のとき、下校時 行方不明になった子を探すのに 教員総出で探し回った経験も幾度かあります。
幸いに コンビニや商店に保護されていたのですが、言語不明のため「保護先でも連絡不能」の状態でした。
この時ほど、名札があればなぁと 思った時はありません。
D学校職員名簿
以前は、学校職員名簿があり 「・・・学校の◇先生」に直接連絡ができたのですが、今は 職員名しかのっていません。
授業記録や教材の貸し借りをしたくても 学校にかけ 呼び出して貰うしか方法がなくなりました。
上記は一例に過ぎませんが、肝心なことは 多くは事前に「校長決裁」が必要になったことです。
今の校長は 出張などで 肝心の学校にいないことが多いのです。
学級・学年・学校通信や分掌提案文書・各地の連絡文書・指導案までもが 「校長承認」がなければ発行や郵送が出来ないのです。
「個人情報保護」というのは、使い方を誤ると 検閲・言論統制にも使われかねない 諸刃の剣 です。
報道でも 少年事件など 被告名匿名・被害者情報公開などとの 倒錯も生じています。
「国民の知る権利」と「個人情報保護法」とのバランスが 問われているのではと思います。
2011年01月07日
生活習慣を学校モードに
3学期の6年生は、ただでさえ 私立受験のために全員が揃うということが困難な中、授業や卒業文集の作成など 日程とにらめっこになります。
5年生も3月から始まる「卒業式」練習を念頭に 授業を進めることになります。
低学年は 1年生を迎える会の準備に入り、比較的余裕のある中学年も 卒業式飾りや入学式飾りに取り組むことになります。
ただでさえ、授業日数が少ないのに「インフルエンザ」流行などとなると もう綱渡りに近い危機感が担任を襲うことになります。
多くの学校では 始業式のつぎの日から給食開始・正規日課になります。
・学校モードに早く適応するためにも、これからは 就寝・起床・排便の習慣を学校モードにして欲しい。
・通信簿や宿題の提出は 出来うる限り 期限を守ってあげてほしい。
・書き初めなどは 始業式後でも取り組みますが、提出を急いで欲しい。
・風邪の初期症状があれば、早めに内科受診をして欲しい。
元職としては、上記のことを祈るものです。
そして怖いのが、友達と出会えた喜びと会話のための「交通事故」です。
命あっての 学校生活ですから・・・。
少数ですが、お年玉で金銭感覚を狂わせるのか、万引きも時々起こります。お金の管理と金銭簿をつけるチャンスにして欲しい。
とにかく 閉塞感や生活の不安の中にいる大人にとって、子ども達の元気な様子や笑顔が救いになります。
3学期を より良い日々にして 4月に進級してほしいものです。
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政府もいい加減「野党ボケから与党」に変身して欲しいと思います。
多くの国民が倹約生活を余儀なくされているのに、出てくる話題は各種値上げのオンパレード。
消費税が10%ですまず20%をも検討課題にあがっているとのこと。
今までの経済学ですと 今年大量にでる国債償還や定額貯金の満期金が市中に出回れば、内需拡大の足がかりになるのに、その資金の争奪戦が都市銀行で計画されているとのこと。
私の周りをみても 日用雑貨や家電が行き渡り、買い換え需要か我慢にはいっているのに、政府も経済界も「成長路線」一本槍。
内需拡大を図るには 過疎地・山間部・島などでのインフラ整備と店舗網充実・観光誘致と買い換え需要に添った生産計画、新しいアイデアの起業家支援と中小企業のコスト割れを防ぐ 大企業規制が必要なのに、民主党は新しい内需拡大の方針すらだしていません。
今の日本は「経済一流」「経済大国」の夢を捨てて、「国民生活優先」の経済構造に転換してもいいとさえ思います。
また時限立法で 大企業の内部留保の課税なども検討してもいいのではないかと思います。
今は「豊かなものがより豊かに、貧しいものがより貧しく」なる政府施策としか思えないのは、残念というより怒りです。
2011年01月11日
寒波、外出時に風邪注意
寒波が今週中続く中での3学期です。
どうかお子さんの登下校時に風邪をひかないような服装で 送り出して欲しいと思います。
同時に会社も本格的な稼働に入ります。社内で暑ければ脱げばいいくらいの気持ちで「完全防備」の服装で出勤してください。
最近、明るいニュースとして「タイガーマスク」現象があります。ランドセル寄付からはじまり、現金や文房具まで その施設に合う心配りがみられます。
寄付の仕方を見ると 決して豊かではなく コツコツと貯金したものを匿名で寄贈されたものでしょう。
善意が生きていると感じる報道です。
それに反して「経済大国」をうたう政府が、このような心配りができない、赤い羽根募金やあしなが募金のような募金活動で 救われている人の存在は 政府として恥ずかしくはないか・・・・と思うのです。
なんのために戦後の経済成長だったのでしょう。
「国民生活を豊かにする」のが目的であったはずです。今一度足元を見て「なんのために」を考えて欲しいと思う所です。
2011年07月21日
涼しい夏休み第1日、本当の自由研究を・・
あまりにも 気温の上下が激しい日々なので 健康管理には要注意です。
私は 朝 寒くて起きました。資源ごみの日だったので 外にでたらやはり冷たい風。
心配した台風被害も とうとう強風のための死者1名がでてしまいました。
毎年 自殺者3万人強、交通事故1万人弱、災害死者は今年は3万人弱に上りそうです。
その家族の方の人数を加えれば 恐ろしいほどの数字です。
これに加え犯罪での死者を加えると 人命が軽視されている異常な国「日本」の姿が見えてきそうです。
老衰死や病死が 霞んでみえるような 上記の死亡者数。
これが「平和国家日本」なのかと慄然とします。
餓死とか虐待死とかもでる国が 豊かな国であるはずはありません。
休日の遊びでの水死のニュースも聞く今日。
多くの子供たちが、安全で元気な夏休みの日々を送ってほしいと願っています。
私たちの子供の時は、よほどのことがない限り、食中毒や遊び中のケガ・死亡はありませんでした。
子供ながらに 普段の遊びで「危険と安全」の境を体験していたし、食糧難の時代 どこまでが食べられるかも本能で選別していたのかもしれません。
今の子供たちのように 安全優先、衛生・清潔優先などという親の余裕もない時代でしたし、保存剤や着色剤の混入されていない食材で育ったために 結構 細菌には免疫があるのかもしれません。
世代間比較をすると より病気特性や免疫傾向がつかめるかもしれません。
長年 長寿と言われる所は、不思議と和食で質素な食事なのです。
子供達の夏休みの自由研究に 肩の力を抜いて、
@自然材料と防腐剤使用の食品比較
A着色料のついたものと 無使用なものの比較
Bノンカロリー飲料の砂糖分使用量
C学校や自宅を中心とした 街地図作り
などなど 身近なものに視点をあてたものの挑戦も意外な発見につながるかもしれませんよ。
昔、大の大人が大真面目に「バカ、アホ全国分布」の研究書を見て 面白い発想に夢中になって読んだ記憶があります。
方言研究などもそうでした。
身近な地域の昆虫分布とか ゴキブリ発生分布とか 童心でないとなかなか調べられないような柔軟な発想を期待したい。
災害の多い所は、年度ごとの災害記録とか・・・・
たとえば 工事中のマンションや新築中の家があれば、毎日の工事の進み具合なども いい記録になりますよ。
涼しい関東の夏休みのスタート、震災や災害に絞った新聞切り抜きとかもいいかもしれませんね。
または、料理を1週に1つできるようにするとか 個々の条件に合わせて ムリなく独創的なものに挑戦して欲しいです。
2011年09月17日
運動会シーズン突入かな・・・
短時間で仕上げなければ間に合わない リズム演技など・・・・。
いい仲間意識と協力心、相手と本気で全力で対峙する闘争心を教えたい思いと 授業時数確保の狭間で 悩むのが教員です。
しかも 団体の勝敗に 年々無感動の子供が増えています。
昔と同じように 運動会で猛烈に燃えるのが 父母の皆さんと教員で 子供達は驚くほど 冷静です。
皆さんの地区の運動会は いかがですか・・・・。
@天国と地獄Aクシコス・ポスト
B道化師のギャロップCトランペット吹きの休日
2011年12月01日
香山リカのココロの万華鏡:神童にならなくても
香山リカのココロの万華鏡:神童にならなくても
毎日新聞 2011年11月29日 東京地方版
今年は、子役が大ブーム。
幼稚園生や小学校の低学年のあどけない子どもたちが、おとな顔負けの芝居をしたり歌を歌ったり。インタビューでも礼儀正しく、それでいて年相応の無邪気さも見せる。
何かと暗い話題が多い中、子役たちの笑顔は私たちをなごませる上で欠かせないものとなっている。
活躍しているのはテレビに出てくる子役だけではない。ときどきスポーツ教室や音楽教室にも“神童”が現れ、抜群の才能でおとなたちを驚かさせる。幼児のための学習教室には、英語の達人、計算の名人などもいるようだ。
「すごい子どももいるものだね」と感心しているうちはまだよいが、子を持つ親の中には、「ウチの子も」といわゆる英才教育に熱心になる人もいる。
子どもは親にほめられるとうれしいので、最初のうちは期待にこたえようと、一生懸命、勉強、練習などに励み、それなりの成果を上げる。
しかし、努力すれば誰もが天才になれるわけではない。
いくらやってもコンテストで入賞しない、オーディションに合格しない、という現実の壁に突き当たったとき、その親子はどうするかが問題。
いつだったか、診察室に「どうしてもあきらめきれない」という母親がやって来たことがあった。
「娘をバレリーナにするのが夢で、これまですべてを注ぎ込んで親子でその道を目指してきたんです。
バレエ教室の先生に『これ以上、上はムリ』と言われてしまったけれど受け入れられない。娘を外国に連れて行ってレッスンを受けさせたい、と言ったら、夫に『一度、精神科で相談してきたら』と言われたんです」
必死に訴える母親のそばで、まだ幼い娘は申し訳なさそうにうつむいていた。
「私のせいでママが苦しんでる」と自分を責めているようだった。こういう場合は、母親よりも先に子どものほうに「あなたが悪いわけじゃないよ」と伝えなければ、心に深い傷を残してしまう。
わが子が天才なら、もちろん親はうれしいはずだ。
ただ、誰もが神童や天才になる必要はないし、もっと言えば「そんな特別な存在にならないほうがいい」とも言える。
いつも注目され称賛されながらすごすのは、子どもの心の成長には必ずしもプラスとは言えないからだ。
才能があればあったで幸せだし、なければないでまたそれも幸せなこと。子役たちの活躍を見ながら、そんなことを思った。
2011年12月02日
尾木ママ 年々低年齢化する幼児教育の過熱に警鐘を鳴らす
幼児教育の過熱に警鐘を鳴らす
2011.03.21 07:00
※女性セブン2011年3月31日・4月7日号
『ホンマでっか?TV』(フジテレビ系)で明石家さんま(55)にいじられる“尾木ママ”として、すっかりお茶の間のアイドル的存在になっている尾木直樹さん(64)。
ブログも大人気だが、実は、教育問題、メディア問題などで講演活動を行う大学教授であり、教育評論家でもあり、BPO(放送倫理・番組向上機構)青少年委員会の副委員長を務めたこともある。
このほど、『尾木ママの「叱らない」子育て論』(主婦と生活社、1000円)を出版した。
そんな尾木さんは、年々低年齢化する幼児教育の過熱ぶりに警鐘を鳴らす。
「脳の発達が3才までに決まるなんて、真っ赤な嘘! 胎児に英語を聞かせるといいからと、ママが英語の音楽を聴いたり英語のドラマを見たりしているけど、そんなつくられた教育観も間違ってます」
彼が尊敬する脳科学者の澤口俊之さん(52)は、早期教育をするよりも、生まれてすぐに20分くらい母親に抱かれていたほうがいいという。
「基本的信頼感を形成する上では不可欠な行動よね。
抱きしめるという行為は、子育てには欠かせませんから」
たくさんの情報があふれ、多くの教育メソッドが乱立するいま。流行メソッドをこなすよりも、まず親たちも自分を肯定し、子供を肯定すること。あなたも周囲を気にすることなくのびのびと叱らない子育てで、ありのまま輝いてみては?
2011年12月23日
子どもを「怒る」と「しかる」の違いを理解する
サカイク:
子どもを「怒る」と「しかる」の違いを理解する
2011年12月19日 毎日新聞
「もう、何やってんのー!」「何度同じことを教えたら、できるようになるんだよ!」など、子どもを怒鳴ったりしていませんか?
自分はしかっているつもりですが、これって本当に子どもに伝わっているのでしょうか?
「怒る」と「しかる」を辞書で調べてみると類語として扱われています。しかし、コミュニケーションの上では、この2つは大きく違うものなのです。
その違いをしっかり理解して、正しい「しかり方」をマスターしましょう!
■「怒る」ではコミュニケーションは成り立たない
コミュニケーションとは、人と人が互いに意見・感情・思考を伝達し合うことです。
サッカーの練習や試合中など、ついつい気持ちが入ってしまい、指導者や親が子どもを怒鳴ることはよくあることですが、怒鳴るとは文字通り「怒る」こと。
自分が怒っている時のことを思い出してください。怒っている時は、誰かまたは何かに腹を立てているときではありませんか?
「怒る」とは、相手に自分の感情をぶつけていること。自分の感情を一方的に吐き出すだけで、自分の意見、思考を伝えることは難しく何も答えは得られません。
一方、「しかる」とは、相手を正しい方向へ導くために何が良くないのかを気付かせることです。なので、もし相手が何も気が付かないなら、それは「しかる」ではないのです。
しかったことで相手が自分の悪かった点に気付き、もう同じことをしないと思えることが「しかる」というコミュニケーションです。
自分の気持ちを相手に伝えるために「しかる」ことは、コミュニケーションのひとつですが、「怒る」という行為では、コミュニケーションは成り立ちません。厳しく指導をすること=怒るではないですし、ほめて育てる
=甘やかすことでもありません。
【「怒る」と「しかる」の違い】
×怒る=相手に自分の感情をぶつける
○しかる=相手に成長・改善の気づき・機会を与える
■ポジティブな表現が成功の秘訣
人には感情ではどうすることもできない “潜在意識”があります。
試合で「ミスをするな!」「負けるな!」という声かけは、潜在意識にとっては「ミスをしろ」「負けろ」の同義語。
「ミス」「負ける」というネガティブな言葉が潜在意識に入り込むと、脳では「ミスをする」「負ける」というイメージが作られ、頑張ろうという気持ち(感情)とは裏腹に、潜在意識が失敗へと導いてしまうのです。
ですから、子どもたちには常に「勝利」や「成功」をイメージさせましょう。周囲や本人がポジティブな表現を発していれば、潜在意識の中に成功のメカニズムが出来上がり、よい結果を生むことができるようになります。
<<おまけ>>
お父さん・お母さんが子どもの頃の学校には<廊下を走るな!>という張り紙がはってありませんでしたか? 走るなと言われているけれど、廊下を走り、しかられた経験がある人も多いのではないでしょうか?
今の学校では潜在意識に作用させるように<廊下は静かに歩きましょう>と貼られているそうですよ。
サカイク:
子どもに自分で考えさせる上手な「しかり方」
■しかる時にはまず始めに、自分の怒りを静める
「しかる」の目的は、相手に問題点に対する「気付き」の機会を与え、改めさせること。
例えば、試合でミスをした時「何でいつも同じミスをするんだ!」と言っても、ミスをしたことは自分でも十分承知しているので「そんなこと、わかってんだよ!」と逆に腹を立てられてしまいます。
「しかる」の第一歩は、相手の状況を受け入れること。相手の状況を受け入れることで、感情的に「怒る」ことはなく、冷静に「しかる」ことができます。
いつもと同じミスをしてしまったということを理解した上で、「どうした、お前らしくないミスだな」と言えば、相手は問題を受け入れ、「集中力が切れてしまって……」などとミスに対する原因を考え、「次からは大丈夫です」と改めることができます。
逆に、「何やってんだ!?」などミスをした結果に対して言われても、相手はその結果をどうすることもできません。
それでは建設的なコミュニケーションにはつながらないのです。
【良いしかり方】
●コーチ:どうもミスのパターンが同じだな。どうした?
●コーチ:そうか……じゃあ一緒に練習で改善していこうな。
【良くないしかり方】
●選手:そんなこと言われなくても分かってるし!(シャットアウト)
■他の人との比較はNG
「しかる」時は、ミスをしたことではなく、ミスを反省しない姿勢、他人のせいにしている姿勢、ミスを起こしたことに気づいていないことなどを指摘します。
決してミスをしたという結果について、あれこれ言ってはいけません。
また、「○○君だったらあんなミスはしないのに」や「○○君がシュートしていたら勝てたな〜」などと、他の人と比較しては絶対にダメ。
特に他の選手がいるところで、比較をしてしまうと、チームワークや信頼関係を崩す原因にもなります。
ミスが起きるのはチャレンジした結果と受け止め、チャレンジしたということはほめます。
そして、失敗から学び、はい上がってくるのを待ちましょう。
また、性格的欠点や人格を否定することもNGです。相手は感情的に拒絶してしまい聞く耳を持てなくなってしまいます。
<<おまけ>>
●こんな言葉は気を付けましょう!
■I messageで話をする
ミスに対して、「私はこう思うんだけど、あなたはどう思う?」などと、相手に答えを求められる話し方をされると、「どうだろう?」と考えることができ、「そうか!」と原因に気づくことができます。
また、相手に伝えたいことは自分を主語にして話すことを『I message』と言います。
例えば、「何回同じミスをするんだ!」と言うより、「同じミスを繰り返さないようにしてほしいと、私は思っているんだよ。どうすればミスをなくすことができるかなぁ?」と言われると、素直に受け入れることができます。
さらに、I messageで話すと相手が同じミスを何度も起こすのは、自分の教え方に問題があるのではないか? などと、相手をしかる原因が、実は指導力不足など別の原因にあることに気づくこともよくあります。
「しかる」という行為は、励ましの延長にあります。子どもだからと上から目線にならず、同じ目線に立ち、間違いについてはしかり、問題に気づかせ、良い方向へ導けるようにしていきたいですね。
【取材協力】WACアカデミー//さまざまなチームや団体・企業向けに、前向きに積極的に取り組む姿勢を育てる「ポジティブ・シンキング」・「ロジカル・シンキング」両面をバランス良く鍛え、組織やチームの人間関係・信頼関係を築くためのコミュニケーション・セミナーや講座を提供している。
2011年12月27日
真健康論:適度に休憩、集中力維持=當瀬規嗣
適度に休憩、集中力維持=當瀬規嗣
毎日新聞 2011年12月18日 東京朝刊
根を詰めて仕事や家事、勉強などをこなすと、一息つきたくなるものです。
確かに仕事に熱中して時間を忘れるようなこともありますが、そんな時にフッと長い時間がたっていたことに気付くと、休憩を取りたくなるものです。
つまり、人の集中力というものは、案外長続きしないということです。しかし、集中力が途切れても、何かの都合で仕事を続けなければならないことも多いと思います。いや、ほとんどそうだと思います。
でも一旦集中力が途切れてしまった状態では、仕事を続けても効率はがた落ちになります。タイプミスしたり、何度も同じところを読んでしまったり……作業の場合は手元が狂って危険な目に遭う可能性すらあります。
本当は集中力が途切れたら休憩を入れるべきなのです。
休憩をすれば、また集中力がよみがえります。そうすれば、集中力が途切れたままで仕事をしたときよりも、はるかに効率が良くなって、休憩時間を勘定に入れても、仕事は段違いにはかどったことになります。
集中力の途切れは、「脳の疲労」とたとえることができます。脳が疲労すると思考が進まなくなり、ものを思い出す力が減退し、周囲が気になって集中力がなくなります。
至極当たり前のことをいっているのですが、脳の疲労が起こることは昔から知られています。
ですから、学校の授業は時間割で行われます。
小学校は45分くらい、中学校や高校で50分、大学では90分授業が主流です。これぐらいの時間が集中力持続の限界だということです。
教壇から見ていると授業の後半には集中力の途切れた学生がたくさん……。そこで休み時間を入れて気分転換、脳をリフレッシュします。
ですから、本当は2時限連続で同じ教師の授業を行うのは、効率を悪くするばかりなのです。
場合によっては集中講義と称して朝から晩まで同じ教科の講義をする学校もありますが、講義は集中しても集中力は完全に消失してしまうのです。授業をやったというアリバイ作りに過ぎません(反省……)。
そういえば、小学校の頃は国語、算数、理科、社会……同じ教科を2時間連続でやることはほとんどありませんでしたね。
適度な休憩と気分転換は、脳の集中力を維持するための秘訣(ひけつ)です。
(とうせ・のりつぐ=札幌医科大教授)
2012年01月07日
「7つの習慣」で成長
〈1〉主体的に行動する(気分や行動は自分で決める)
〈2〉目的を持って始める(使命と目標を明確にする)
〈3〉一番大切なことを優先する(重要なことから時間と力を集中する)
〈4〉win―winを考える(他者を尊敬し、自分の意見も伝える)
〈5〉理解してから理解される(人の話を誠実に聞く)
〈6〉相乗効果を発揮する(創造性が高まる協力関係を築く)
〈7〉自分を磨く(肉体的、精神的な健康管理も重要)
*************************************
「7つの習慣」で成長
2011年12月8日 読売新聞
「自分の自信になる行動を五つ考えて。その中から三つ実行するのが、今週のチャレンジです」。
東京・世田谷区の塾「ITTO個別指導学院深沢校」。矢部裕貴(ゆうき)教室長(30)が、高校受験を控えた中学生に語りかける。
行われていたのは教科ではなく、「7つの習慣J(ジェイ)」と称する「生き方」の授業だ。
自尊心、目標・計画の立て方から、人に信頼される態度まで、エピソードを交えて実践的に学ぶ。小学生から高校生まで各クラス週1回。およそ塾らしくない内容だが、塾生の6割以上が受講する。
「勉強以上に、親や友人との人間関係で悩むのが思春期。解決できる自信がつけば成績も上がる」と、この授業の専任でもある矢部さんは語る。
授業の底本は、アメリカの教育者スティーブン・R・コヴィー氏の著書『7つの習慣―成功には原則があった!』。
主体性や誠実さ、協調性といった人格の重要性を説き、多くの企業が研修に取り入れるビジネス書の古典的存在だ。
海外の教育実践などをヒントに、2004年にFCエデュケーション社(東京)が子ども向けの教育プログラムの展開を開始。
「子どもが積極的になった」など評判が高まり、「7つの習慣J」を教える塾は全国で214校に。私立中・高校にも広がり、導入校は全国で87校にのぼる。
大阪市北区にある中高一貫の私立女子校、金蘭会(きんらんかい)中学校では、4年前、本の愛読者だった田中好浩教諭(51)が「学校改革の要に」と藤林富郎校長(57)に提案した。
前例のない取り組みに異論もあったが、議論の末、2008年から中1に導入。「1期生」が3年になった年から、部活動で全国大会優勝や入賞が相次ぎ、精神面の成長ぶりに先生たちも驚いた。
現在は校長を含め教諭12人が講師の資格を取り、中2まで2年間の必修授業に。
毎週、授業内容を保護者向けの通信で伝えるほか、保護者会も開いて家庭との連携をねらう。
今年、同校が行った調査では、保護者の約3分の2が「子どもの変化を実感」と評価、本を手に取る保護者も増えた。
中2の津森望美(のぞみ)さん(14)は、「自分の反応や感情は選択できる、という考え方を学び、確実に新しい自分が生まれた」と語る。
人間関係や勉強で悩んだ時、折に触れて授業を思い出すという。
遠回りのようだが、小さな変化の積み重ねが大きな成長を生む。
(片山圭子、写真も)
2012年01月09日
男の子の育て方
2012.1.07 /2012.1.09 NEWS ポストセブン
お母さんにとって、男の子の子育ては毎日が戦争状態ですよね。
娘の気持ちならまだ何となくわかるけれど、異性である息子の一挙一動は全く予想がつかず、どう対処していいのやらわからないお母さんも多いのではないでしょうか。
子育てにおいては、もちろんしつけも大事。しかし、教育カウンセラー諸富祥彦氏の著書『男の子の育て方』によれば、お母さんの何気ない一言が男の子を傷つけ、彼を意気地なしにしてしまうこともあるそうです。
意気地なしとはつまり肝心なところで実力が発揮できなかったり、将来好きな女性ができても自分から告白できないような状態を指します。息子がそんな情けない男になってしまうなんてお母さんにとってはゆゆしき事態ですよね!
男の子を意気地なしにする母の言葉とはずばり否定的な言葉。そこで当記事では同書を参考に、男の子に言ってはならない代表的なNGフレーズを5つお届けします。
■1. 「どうして●●できないの?」「何でそんなことするの!?」
食事中にじっとしていられなかったり、いきなり走り回ったり、息子の理解不能な行動にお母さんはつい「なぜ?」と声をあげたくなりますよね。
ところが、息子にしたってきちんとした理由があって行動しているわけではありません。ただ、自分のしたいように動いているだけ。
それなのに理由を尋ねられても、息子は困ってしまいます。ただ自分が強く責められたという思いが残るだけです。
■2. 「バカ!」「何度言ってもわからないのね」
息子が自分の言いつけを守らないと、息子を強く非難するような言い方をしてしまいがちです。
しかし、非難されて反省する子どもはいません。直接的な非難は反発を招くか、もしくは「僕はダメ人間だ」という劣等感を植え付けるかで、悪い結果しかもたらさないでしょう。
■3. 「もういいかげんにしてよ!」「いつになったらひとりでできるの!?」
いつもおもちゃを散らかしっぱなしにする息子に怒り爆発……といったシーンでのフレーズです。
しかし、お母さんが感情を爆発させても息子は混乱するばかり。なんとなく自分が悪いことをしたという認識はあっても、「なんでそんなに怒っているのだろう」という不安が先行して、「次からはきちんとしよう」という前向きな気持ちにはなれないでしょう。
■4. 「そんなにグズるのならここに置いて行くから」「いたずらをしたらバチが当たるよ」
息子が言うことを聞かないと、一種の脅しを使うお母さんがときどきいます。しかし、脅された息子としては、お母さんから意地悪をされたとしか思いません。
しかも、この手段を繰り返し用いると息子はしだいに「単なる脅しでお母さんの言うとおりにはならない」ということを学習します。そうなると、母子の信頼関係はガタガタ。最悪の場合、息子はわざと母親を困らせる行動をとるようになるでしょう。
■5. 「そんな変なことしないで」
男の子は好奇心のかたまり。その好奇心の発現が、お母さんの目には“変”としか映らないことがよくあります。たとえば、おでかけ中にいきなりしゃがみこんで虫の観察を始めたり、ガラクタや石ころなどを拾い集めようとしたり。
しかし、息子の行動を“変”の一言で片づけてしまっては、彼の成長の芽を摘んでしまいかねません。
「変なことしないで」と自分の行動を母親からいつも否定されていると、息子は「どうせ母親に叱られるから」と何事にも及び腰な無気力男に育ちます。
以上、お母さんが息子に言ってはいけないNGフレーズを5つお届けしましたがいかがでしたか?
ここで紹介した5つのフレーズは、息子の成長上好ましいものではありません。でも、息子が周囲の人に迷惑をかけたりルール違反をしたりするのを放置することもできませんよね。
そこで次回は、息子の心を傷つけない効果的な叱り方を紹介します。
男の子の効果的な叱り方
前回の記事では、息子を叱るときについ言ってしまいがちなNGフレーズを5つ紹介しました。
5つのNGフレーズはいずれも息子を否定する表現で、息子から勇気や前向きな気持ちを奪ってしまう言葉です。
では、そうした否定的な言葉の使わずに、息子にやっていいことと悪いことを伝えるにはどうすればいいのでしょうか。前回に引き続き教育カウンセラー諸富祥彦氏の著書『男の子の育て方』をもとに解説します。ポイントは以下の3つです。
■1. できるだけ主語を“私”にして伝える
前回紹介した「なんで●●できないの?」とか「バカ!」とかいったフレーズは、いずれも主語が“あなた=息子”です。こうした否定的な表現は、主語を“私”に変えるだけで随分イメージがかわります。
たとえば、「なんで片付けできないの?」ではなく「お母さん、散らかっていると落ち着かないから片付けてくれると嬉しいな」と言ってみてはどうでしょうか。
主語が“あなた”の表現では、相手は自分の言動や人格が否定されたような気になることがあります。これではお母さんの言うことを素直に聞くどころではありません。
一方、主語が“私”だと、否定されたような気になるというよりも、息子はむしろお母さんを気遣うようになるものです。
息子に対して、「こうしてほしい」「これはやめて」と伝えたい場合には、なるべく主語を“私”に置き換えるようにしましょう。
■2. 具体的に説明する
いくら注意しても息子が言うことを聞かないのは、実は息子が“お母さんがなぜ怒っているのかわかっていない”ためであることが意外に多いもの。“やってほしいこと”や“してほしくないこと”は具体的に説明するべきです。
たとえば、電車のなかで騒ぐ息子を「うるさい! 静かにしてよ」と一喝した場合、恐怖心からその場ではシュンとしたとしても、また別の機会には同じように騒いでしまうことでしょう。
この場合、落ち着いた声で「電車のなかでは疲れている人もいるから、静かに座っていようね」と話すほうが、よほど効果的です。
息子が言うことを聞かないのは反抗的な気質のためではありません。“なぜいけないのか”や“どのようにすればいいのか”を根気強く説明しましょう。
■3. ポジティブなメッセージをいれる
息子の行動を改善したい場合に、最も威力を発揮するのはポジティブなメッセージです。
つまり「●●君ならできるよね」というフレーズを加えると、息子はお母さんの信頼・期待に応えようと頑張っちゃいます。
“叱る”というのは咄嗟の出来事であることが多いので、いくら気を付けていても前回の記事で紹介したNGフレーズが口をついて出てしまうこともあるでしょう。
そこで「しまった!」と思ったら、すかさずポジティブ・メッセージを。「君はできる男なんだよ」という母親からのメッセージは息子にとって何よりも励みになります。
叱るときに限らず、日頃からポジティブ・メッセージを発するように心がけていれば、本当に厳しく叱らなければならない場合(たとえば、友達にケガを負わせたなど)でも、息子はあなたの言葉を素直に受け入れやすくなることでしょう。
いかがでしたか? 母親としてはただ息子を甘やかすのではなく、ときにはルールを教えなければならないことがあります。
そういうときは、ただ感情的に叱りつけるのではなく当記事で紹介した3つのポイントをぜひ思いだしてくださいね!
【参考】
※ 諸富祥彦(2009)『男の子の育て方』 WAVE出版
2012年01月17日
日の丸・君が代判決 行き過ぎ処分には警鐘
毎日新聞 2012年1月17日 2時31分 社説
学校の式典で、日の丸に向かって起立せず、君が代を斉唱しなかった教職員を懲戒処分にするのは妥当か。東京都立学校の教職員が処分の取り消しを求めた訴訟で、最高裁が具体的な考え方を初めて示した。
結論としては、学校の規律や秩序保持などの見地から重すぎない範囲で懲戒処分をするのは、懲戒権者の「裁量権の範囲内」というものだ。
では、どういう場合が重すぎるのか。最高裁は「戒告を超えてより重い減給以上の処分を選択するに当たっては、慎重な考慮が必要となる」と指摘して、まず線引きをした。
さらに、停職処分については「直接の職務上、給与上の不利益があり、昇給にも影響が及ぶ。式典のたびに懲戒処分が積み重なると、不利益が拡大する」と指摘。
学校の規律や秩序の保持と処分による不利益の内容を比較し、「停職処分が相当だという具体的な事情が必要だ」とした。
具体的な事情は、過去の処分歴や本人の態度などから判断するのだという。そして、最高裁は停職と減給処分を受けた2人の処分は取り消しが妥当と結論づけた。その点を都教委は重く受け止めるべきだ。
一方で、戒告処分の教職員について、判決は処分を妥当だとした。1度の不起立行為での戒告処分も認めた。要するに「行き過ぎ」はいけないということだろう。
都教委は03年、「式典の際に教職員は国旗に向かって起立し、国歌を斉唱すること」と通達した。また、校長に職務命令を出すよう指示し、違反者に次々と懲戒処分を科して処分件数は400件を超える。
だが、そもそも教育現場で、力で抑え込むような指導が妥当なのかは疑問が残るところだ。
生徒らの入学や卒業を祝う式典の場ではなおさらではないだろうか。
学校で君が代斉唱を巡り処分が相次ぐようになったのは、99年に国旗・国歌法が成立した影響も大きいだろう。
だが、当時の小渕恵三首相が国会論議で述べたように、個々人に強制するものであってはならない。
最高裁は昨年、君が代斉唱時に起立を命じた校長の職務命令が合憲だとした判決で「君が代の起立・斉唱行為には、思想・良心の自由に対する間接的な制約となる面があることは否定し難い」と述べた。
たとえ戒告処分であっても慎重に判断すべきなのは当然だ。判決を「より軽い処分」のお墨付きにしてはならない。
大阪府では昨年、公立校教職員に君が代の起立・斉唱を義務づける全国初の条例が成立した。
府議会には、「常習的な職務命令違反者」の分限免職も規定した教育基本条例案が提出されている。
最高裁の判決の内容も踏まえて議論してもらいたい。
2012年01月24日
教育長謝罪「人災の面も」 石巻・大川小
石巻・大川小、3回目の保護者説明会
河北新報 1月23日(月)6時10分配信
東日本大震災の津波で児童の7割に当たる74人が死亡、行方不明になった宮城県石巻市大川小の被災状況について、市教育委員会は22日、3回目の保護者説明会を開き、追加調査の結果を報告した。
市教委は多くの犠牲者が出た要因を、
(1)学校の災害マニュアルの不備
(2)教職員の津波への危機意識の低さ
(3)過去の経験や知識などによる安全への思い込み−の3点に整理。
対応に問題があったことを認め、謝罪した。
境直彦教育長は「津波に対する危機意識を高めておくべきだったと悔やまれる」と陳謝。今回の被害については「天災と、学校管理下の人災という両方の面が考えられる」との認識を示した。
市教委は高台避難ができなかった点について「学校がマニュアルで津波時の具体的な避難場所を定めていなかったことにより、迅速に判断できなかった」と説明。市教委として点検.指導しなかった責任も認めた。
防災無線などの津波情報が適切な避難行動に結び付かなかったことに関しては「教職員の津波に対する危機意識が低かった」と分析。
校庭に津波到達の直前までとどまった点は「過去の地震などから津波が来ないだろうとの思い込みがあった」などと説明した。
説明会は大川小が間借りする同市飯野川一小で行われ、父母ら約70人が出席。報道関係者にも初めて公開された。
市教委は、現場にいた教職員で唯一助かった男性教諭が昨年6月に保護者と柏葉照幸校長宛てに書いた手紙を初めて公表した。
男性教諭は震災で大きなショックを受けたとして休職している。
市教委は昨年6月、男性教諭や児童らから聞き取った調査結果を基に説明会を開催。遺族らの追加検証を求める声を受け、8〜12月に保護者ら約30人に追加調査を行った。
◎生還教諭、保護者ら宛てに手紙 市教委7カ月非公開
東日本大震災の津波で甚大な犠牲を出した石巻市大川小をめぐり、市教委は22日の第3回保護者説明会で避難の遅れを招いた不備と一定の責任を認めて謝罪したが、遺族からは「納得できない」と厳しい声が相次いだ。これまでの説明に不信感を募らせる遺族の間では独自に検証作業に入ろうとする動きも出ている。
説明会の冒頭、震災当時現場にいた教職員11人のうち、唯一津波を逃れた男性教諭が保護者と柏葉照幸校長に宛てて当時の状況をつづった手紙が読み上げられた。
手紙は昨年6月3日付。男性教諭は同月4日の第2回説明会を前に柏葉校長に手紙を託したが、報告を受けた市教委は7カ月以上、手紙の存在を遺族に伝えていなかった。
市教委は「内容は6月の説明会に反映させた」とするが、遺族からは「なぜ早く公開しなかったのか」「手紙にあるように、裏山に揺れで倒れた木は確認できなかった。内容は事実か」などと疑問の声が上がった。
6年生だった長男を亡くし、4年生だった巴那(はな)さんが行方不明の鈴木義明さん(49)は「昨年6月の時点で公開してほしかったし、市教委を通すと、書かれていることが本当なのかと思ってしまう。手紙ではなく、先生の話を直接聞きたい」と漏らした。
現場では巴那さんを含め児童4人と教師1人が見つかっていない。鈴木さんは「最後の1人が見つかるまで捜索を続けてほしい」と訴えた。
津波時に避難する高台を定めず、保護者への児童引き渡し訓練も怠っていた点について、柏葉校長の責任を問う声も続出。柏葉校長は「(児童や先生が)見つかるまではやっていこうと思っている」と辞職する考えがないことを示し、境直彦教育長も柏葉校長の処分に関して「現時点で考えていない」と話した。
「市教委任せでは事実は明らかにならない」と考える遺族のグループは今後、専門家らを加えて独自に検証に取り組む方向で検討を進めている。
◎教諭の手紙(要旨)/山への避難検討/倒木恐れて断念/山に道あれば…
現場にいた教職員で唯一助かった男性教諭が、保護者と柏葉照幸校長宛てに書いた手紙の要旨は次の通り。
<保護者の皆様>
あの日、校庭に避難してから津波が来るまでどんな話し合いがあったか、正直私にはよく分からないのです。
校庭に避難した後、私は校舎内に戻り、全ての場所を確認しました。かなり時間がかかりました。
校庭に戻ると教頭と教諭を中心に何人かが集まって話をしていました。「どうしますか、山へ逃げますか?」と聞くとこの揺れの中ではだめだというような答えでした(余震が続いていて木が倒れてくるというようなことだったと思います)。
地域の方々が来て釜谷の交流会館に避難する話があり、危険でだめだとのやりとりが聞こえてきました。
私は校舎内に何回か入り、教室にあったジャンパーや靴などを校庭に運んでいました。
サイレンが鳴り津波が来るという声が聞こえました。教頭に「津波がきますよ。どうしますか。危なくても山へ逃げますか」と聞きました。答えは返ってきませんでした。一番高い校舎の2階に安全に入れるか見てくるということで私一人で見てきました。
戻ると子供たちは移動を始めていました。近くにいた方に聞くと「堤防の上が安全だからそこへ行くことになった」ということでした。経緯は分かりません。
<柏葉校長先生へ>
ずっと強い揺れが続いており、木が倒れている(錯覚だったのかもしれませんが、皆そのように見えていたと思います。
私も子供と山の中にいたとき、何度も揺れる度に周囲の木が折れて倒れる音を聞いています。
その度に場所を変えたのですから)状況の中、道もない山に登らせるのをためらわれたのだと思います。
せめて1本でも道があれば教頭も迷わず指示を出されたと思います。
生き残った教員に何をしろというのか・・・
児童を誘導して山に避難し 生存してくれた先生に 市教委は何をしろというのか・・・。
誰に「人災の面がある」というのか・・・・。
よく あの大災害のなか生き残ってくれた、児童を救ってくれたと その先生の努力に敬意を称した上で 大事故の検証をするのが筋ではないかと思うのです。
ただでさえ 多くの児童が亡くなり 自分1人だけ職員で生き残った先生の気持ちを 考えたことが市教委にあるのだろうか・・・。なぜ 生き残った 殉職しなかったのか と 責められるような生き地獄の中で苦しんでいるのではないかと 元職として何ともいえない気持ちになります。
午前紹介の手紙を読むだけでも 責任感の強い方だと思います。
私も6年間ほど 校務分掌の中で「安全主任」を経験しましたが、安全主任でさえ 訓練計画や防災計画、安全点検、警察・消防との連絡などは できますが 児童を動かす判断は 管理職とされています。
一般教員が 管理職の判断と違う行動をとることは 本来許されていません。
私がもっとも注目する点は 混乱の中で 亡くなられた教頭先生も市教委との連絡をした上でないと通常は動けない点です。
現に津波警報の連絡はあっても 災害の規模などは 現場では掌握できないのです。
大切なことは 混乱の中で必死の対応をした教員は、自己の行動は説明できるけれど、大川小学校全体の判断・行動には 関与していない点です。
この点を地元新聞の河北新報も 考慮して欲しいのです。
事故を個人の責任に矮小化して欲しくないのです。
なぜ、出来る限りの行動を先生はされた、だから先生の責任ではなく 市教委に責任があると明言しないのか、まさか 児童・教員の大量死亡・行方不明の責任を 休職されている先生をスケープゴートにして終息させようとしているのではないですよね。
2012年01月28日
南三陸の「天使の声」教材に=無線で津波避難呼び掛け―埼玉
無線で津波避難呼び掛け―埼玉
時事通信 1月28日(土)14時55分配信
東日本大震災の大津波で、宮城県南三陸町の防災対策庁舎から無線で避難を呼び掛け続けた同町職員遠藤未希さん=当時(24)=を紹介する道徳用教材を埼玉県が作成する。
県内の公立小中高約1230校に配布、4月から使用されるという。
遠藤さんは危機管理課の職員として町役場に勤務。
震災発生時には、同庁舎の放送室から防災無線で町民に避難を呼び掛けていたが、庁舎ごと大津波にのまれ、39人の職員とともに犠牲になった。
新たに道徳用教材として作成されるのは約10ページの冊子。
「天使の声」というタイトルで、そのうち2ページを割いて、「早く高台に逃げてください」と必死に町民に避難を呼び掛けた遠藤さんの放送内容や、防災無線のおかげで助かった町民の声などを紹介する。
震災後、町民らが遠藤さんの放送を「天使の声」とたたえていると聞き、タイトルにしたという。
県教育局生徒指導課の佐藤直樹主幹は「震災で人のために尽くした姿は外国からも改めて称賛されている。
他人を思いやる心を育成したい」とコメント。
一方で「決して自己犠牲を肯定する趣旨ではない。
思いやりや責任感について考えてもらえれば」と話し、教え方などは各校の教諭に任せるという。
2012年02月03日
「鬼は外、福は内」の声
2012年2月3日(金)1時22分配信 読売新聞「編集手帳
国語学者の金田一春彦さんが書いている。
〈来年のことを言うと笑い出すユーモアを解し、同情すべき場面では目に涙をためるやさしさをもち、十八の年ごろになればちょっとは色気も出ようといううれしい存在〉であると(新潮文庫『ことばの歳時記』より)
◆お察しの通り、「鬼」である。
その字を含む「魂」の一語を何度となく胸に浮かべた一年を顧みて、金田一さんではないが、幾らか心の通い合う間柄になったような気がしないでもない
◆豆のつぶてに追われるきょうは、鬼たちにはおそらく年に一度の厄日だろう◆〈豆ごときでは出て行かぬ鬱(うつ)の鬼〉(飯島晴子)。
原発事故や景気低迷から私事のあれこれまで、容易に出て行ってくれぬ鬼を数えれば、誰しも5本の指では足りないはずである。
「鬼は外、福は内」の声には、例年以上の気合がこもるに違いない
◆凍える夜がつづく。北国では習わし通りに豆をまいた後で、「すこし暖まっていきな」と、鬼をコタツにあたらせてやりたいような吹雪だろう。
まあ一献、昔からあるお酒の銘柄でね、怖がることはないさ…などと言っては、盃(さかずき)を傾けつつ。
2012年02月15日
小学校入学準備 生活習慣身に付け順調なスタートを
2012/02/15 09:27 産経新聞更新
小学校の入学式まであと2カ月足らず。就学を控え、子供も親も期待と不安が入り交じる。ランドセルに学習机、制服…。学用品の準備も必要だが、大切なのは生活習慣やリズムを整えておくこと。順調な学校生活をスタートさせよう。(横山由紀子)
◆早寝、早起き、朝食
小学校の登校時間は午前8時頃。早寝、早起きの生活習慣をしっかり身に付けておきたい。
朝ご飯をきちんと食べることも大切だ。文部科学省の調査では、毎朝食べる子供は、食べない子供に比べて学力テストの成績が高いという結果もある。朝食をとるためには時間的余裕が必要。やはり早寝早起きは欠かせない。
トイレの問題も忘れずに。最近では洋式トイレに慣れた子供が多いが、小学校では和式が中心。「学校ではトイレに行けない」といった悩みを持つ子供も少なくないという。「公共施設などで少しずつ慣れておくといいでしょう」と臼井さん。
◆通学路歩いて練習
岡山市生活安全課はこの時期、市内の幼稚園、保育所約200カ所で、入学を控えた園児たちを対象に交通安全教室を開く。
交通ルールなどの説明とともに必ず伝えているのが、「小学校に入るまでに、家の人と一緒に学校までの道のりを3回くらいは歩いておきましょう」。道順を覚えるのはもちろん、危険箇所のチェックにもつながるからだ。
◆外国人の子供にも
財団法人大阪国際交流センター(大阪市天王寺区)では1〜3月、日本在住の外国人の子供を対象に、小学校で必要な日本語やルールを学ぶプレスクールを実施する。日本語が不自由な子供が多く、あいさつをはじめ、「並びましょう」といった学校でよく使われるフレーズを動作を交えて教えている。
臼井さんは「日本人も外国人の子供たちも慣れない小学校生活は戸惑うもの。入学時にマイナスのイメージを持って学校嫌いにさせないでほしい。楽しい学校生活が送れるよう、家庭でしっかりした生活習慣を身に付けて、スタートを切ってもらえれば」と話している。
■小学校の入学までに準備しておきたいこと
臼井さんや岡山市こども企画課の話などを参考に、小学校入学までに準備しておきたいことをまとめた。
◎名前を呼ばれたら、「はい」と元気よく返事をする
◎人の話は最後まで聞く
◎自分の名前(ひらがな)が読めるようにする
◎使った物は自分で片付ける
◎自分で着替え、脱いだ服をたたむ
◎偏食や好き嫌いをなくす
◎就寝、起床時間を決めて実行する
2012年02月23日
今の学齢進級か学力進級か・・・
この問題を考える時、大切な視点は 学力不十分で義務教育を終えてしまうと 再チャレンジの機会を失うことです。
人間って不思議で「学びたい」「知りたい」という気持ちと 学齢の学年が一致しない時が多いのです。
テストで低空飛行で進級しても 友達関係や恋、ある問題が解けたことで 飛躍的に学力向上をすることも多いのです。
現場では「楽しい授業」「出来るわかる授業」などの工夫で 全員に「学齢の学力」をつけようと努力するのですが、成育歴や学習習慣などで困難な子がいるのは事実です。
中学校に進んでから 小学校に来校して「先生 算数をもう一度教えて」などといえる子は わかった・できると瞳を輝かす瞬間があるのです。
ある子は、中学から調理専門学校にいき 初めての賃金で 「先生がお世話になっています」と大量の饅頭の差し入れが 在任校にされた時など 教員としての喜びを感じた瞬間でした。
教員として 気にかかる、苦労した子が 成長をしている姿ほど 仕事を超えた生きがい、やりがいを持てるのです。
反面、基礎学力不足から 万引きなどの犯罪や荒れる高校生、数学が苦手な理工科生などの問題も生じるのです。
じゃーどうするで 「学齢か学力か」で現場は悩むのです。大器晩成などとおおらかに子供の成長を見つめられた時代では、学齢で不十分な子供でも きっかけさえあれば 好きになれれば 学力は取り返すことができるということがありました。
問題は、学力でなく学齢で卒業証書を得たために 再チャレンジを決意して「夜間中学」に入学したい、小学校に科目で籍を置きたいとおもっても 学齢以外の門戸は閉ざされてしまうのです。
この点の学齢主義での「学校」の閉鎖性を 打破して行く必要は感じます。
では「学力で落第」は 子供の成長のサイクルで どの時点で 劣等感を最小にして実施できるかの研究が大切です。
卒業認定時に置くのか、低中高学年のサイクルでするのか 毎年か・・・・・、で せっかく「子供たちに学力を身につけさせたい」という善意が へたすると「学力不足=人間失格」の自己の劣等感、他人の差別感につながりかねない恐れもあるのです。
ブラックジョークではありませんが、筆記式テストで学力が図れるのかという問題です。
よく考える子ほど 文章題が苦手ということもあるのです。
以前書いた 「時計の 何分前、何分後」とか 速度計算なども信号は渋滞は・・・などと思う子もいるのです。
「道のり、距離」などもそうです。
皆さんの学校時代にも 「あの子は 運動会で輝く」「文化祭で輝く」「読書量はすごい」「ベーゴマ博士」「恐竜博士」「ポケモン博士」「ガンダム博士」など 個々に輝く子がいたはずです。
劣等感をいだかせず その子の個性を伸ばした上 学力もつける、これをどのように保障していくかを 真剣に考えていきたいものです。
2012年03月04日
大学生の4人に1人「平均」分からない
大学生の4人に1人 「平均」分からない
2012年2月25日 東京新聞
入学して間もない大学一年生を中心に数学的素養がどの程度身に付いているか調べた結果、四人に一人が「平均」の意味を正しく理解していないことが二十四日、日本数学会の「大学生数学基本調査」で分かった。
調査対象は、学校週五日制が導入され、学習指導要領で学ぶ内容が減らされた「ゆとり世代」の学生。同会は「科学技術立国を目指す国として由々しきことだ」と懸念している。
昨年四〜七月、国公私立四十八大学の一年生を中心とした五千九百三十四人を対象に、統計や論理など五分野の基礎的数学力を調査。偏差値ごとに国立三、私立四の計七グループに分けて正答率を比較したほか、偏差値は関係なく学部別でも分析した。
その結果、身長を題材に平均の定義とそこから導かれる結論を求めた設問の全体の正答率は76・0%だった。
東京大など最難関国立大グループの正答率は94・8%と高かったが、偏差値五〇以下の私立大グループは51・2%。理工系学生でも82・0%にとどまった。
キラキラネームの増加で「名前の3分の1も読めない」と教師
※女性セブン2012年3月15日号
「し水」「中の」「わた辺」…いったい何と書いてあるのかと思いきや、これらは小学生たちが書いた自分の名前だ。
「習っていない漢字は平仮名で」──そんな学習指導要領に“縛られた”結果である。
平仮名と漢字を交えて名前を表記することを「交ぜ書き」というが、このような表記の仕方がうまれた背景には、当て字など、読み方がわからない名前が増えていることもあるようだ。
明治安田生命の「名前ランキング」によると、2011年生まれの子供で、いちばん多かった名前は「陽菜(ひな)」と「結愛(ゆあ)」。5位には「心愛(ここあ)」と芦田愛菜(7才)と同じ「愛菜(まな)」がはいった。いずれも当て字を使った名前だ。
また、「希星(きらら)」「来桜(らら)」「絆星(きら)」「月(あかり)」など、いわゆる“キラキラネーム”といわれる難読の名前も増えており、「天響(てぃな)」など、ルビをふってもらわなければ、とうてい読めないような名前も多い。
それだけに、「みんなが読めないから」という理由で、漢字を使わせない現場の事情もわからないではない。ある小学校教諭は、こう本音を漏らす。
「英語読みをさせたり、大人も読めないような難解な漢字を使ったり。子供は誰も読めませんよ。正直いって、私でも新入生の名前の3分の1は読めません」
いまの流れが続けば、いずれは「当て字」の名前のほうが多くなる可能性もありそうだ。
埼玉県在住の主婦がいう。
だが、交ぜ書きすることで、かえって名前が読みにくくなってしまうケースもあるようだ。
ある小学校の教師は、こういい切った。
交ぜ書き問題に警鐘を鳴らす立命館小学校副校長の陰山英男さんは「書いてもいい」からさらに一歩進んで、「書かせるべき」という立場を取る。
「たしかに、いまは当て字が多いので、初めて目にするとどう読むのかわからない名前もあります。でも、読めないならその場で教えればいいし、子供同士で教え合ってもいい。当て字であろうが、漢字でつけられたものであれば、漢字で書かれたのが本当の名前。相手を尊重するという意味でも、その漢字を読めるようにすべきです」(陰山さん)
そのうえで、こう続ける。
「1年生のうちは漢字で書くことが難しいこともあります。しかし、2年生になったら漢字で書かせるべきです。あまり知られていないかもしれませんが、低学年の『生活科』の授業では、自分の名前の由来を学習する時間があります。親がどんな思いで子供の名前をつけたのか。それを知ることで、自分の名前を大切にしようというのが狙いです。
教師が名前を漢字で書かせないのは、こうした名前の指導をしていないということにほかなりません」
2012年03月15日
スポーツ障害防ぐ教育を=當瀬規嗣
毎日新聞 2012年3月4日 東京朝刊
とうせ・のりつぐ=札幌医科大教授
「文部科学省が学校健康診断の検査項目にスポーツ障害検査を導入する方針」と、2月の毎日新聞で報じられました。
スポーツ障害とは、スポーツの練習などを過度に行うことで生じる、身体の障害のことです。特に、成長期で体ができあがっていない子供では、大人では問題ない程度の強さの練習でも、それを続けることにより骨や関節に障害が起こり、「使いすぎ症候群」とも呼ばれます。
スポーツ障害検査の目的は、子供のスポーツ障害を早期に見いだし、回復をはかることです。つまり、学校健診に入れなければならないほど、子供の間でスポーツ障害が増えているのです。
健康に資するはずのスポーツが、子供の健康を害しているというのは皮肉な結果です。
子供にスポーツ障害が起こる原因が、学校の部活動や地域のスポーツクラブなどでの指導方法にあることは、もう20年近く前から指摘されています。
特に、成長期における身体的特徴に対する理解不足が問題とされてきました。
また、子供が痛みなどの症状を我慢してしまう傾向が、障害の悪化を助長することも分かっていました。
それにもかかわらず、スポーツ障害が増加しているというのですから、これまでの指導者講習会などの対策が功を奏していないのです。
検査による早期発見、早期治療は大前提ですが、スポーツ障害や健康に対する指導者や子供の認識を高めることが必要です。
私が提案する方策は、中学、高校の保健体育の授業を改めることです。
現行の学習指導要領では、保健体育は体育つまり運動に偏っていて、保健つまり健康教育の観点が弱いからです。
健康教育とは単に病気・障害のことを教えるだけではなく、人の体を自分のこととして理解し、健康の重要性を認識させることです。
スポーツ指導者になる人は、高校を卒業して4〜5年でその任に就き始めるケースが多いようです。知識不足を補うためにも、学校の健康教育は体育教師だけでなく、生物学の教師や養護教員が積極的に参加して展開すべきです。
こうすれば、子供の意識が高まるだけでなく、指導者の認識不足は改善に向かうはずです。学校には真の健康教育が必要です。
2012年03月31日
避難口を確保して安全ゾーンへ」「車道に近づかない」「凍りつき症候群への訓練」……これが生死を分ける
「揺れたら机の下」「ガスの元栓」ほか
わかってきた初期行動の「これは間違い、これが正解」
(SAPIO 2012年3月14日号掲載) 2012年3月29日(木)配信
文=山村武彦 (防災アドバイザー)
「揺れを感じたら、まず丈夫な机やテーブルなどの下に身を隠す」(福岡県)、「すばやく火の始末をする」(北海道)、「ガスの元栓を締める」(東京都)。行政のホームページには地震発生時の心得が、こう書かれている。
これらを初期行動の“常識”と捉えている読者も多いだろう。しかし、「このマニュアルを鵜呑みにすると危険だ」と警告するのは、防災アドバイザーの山村武彦氏である。
地震発生時はとっさの初期行動が生死を分ける。
私は新潟地震(1964年)以来、数々の被災地現場を調査してきた経験から、「机やテーブルの下に潜れ」という行動は間違いであると言い続けてきた。
建物や施設が安全で絶対に倒れない保証があるとか、それしか他に方法がないのなら、それもいいだろう。しかし阪神・淡路大震災(マグニチュード=M7・3)では、亡くなった人の87・8%が家屋倒壊による圧死だった。机もろとも家の下敷きになってしまったのである。
さらに東日本大震災では、耐震性があったとされる学校のうち1600校で、校舎の天井や照明器具が落下している。建物本体に耐震性があったとしても、設備に耐震性が保証されているとは限らない。
ドアは震度6強で約30%が何らかの損傷を受ける。建物がゆがんでドアや窓が開かなくなったり、倒壊落下物に阻まれて室内に閉じ込められる危険が大きいのだ。
そこに火災やガス漏れが発生すれば、どうなるかは自明だろう。
私は地震の災害現場を40年以上回ってきたが、津波を除くほとんどの人は室内で死傷している。
こうした事実を踏まえると「揺れを感じたら机の下に潜り込む」のではなく、「ドアを開けるなどして避難口を確保し、直ちに安全ゾーンに移動する」というのが正解だ。
ここで言う安全ゾーンとは、建物の損傷が少ない場所で、ガラスなどが飛散せず、転倒落下物の少ない、何かあればすぐ脱出が可能なスペースのことである。
「すぐに火を消せ」も地震直後の最優先行動とされていた時期がある。
23年の関東大震災(M7・9)では、死者10万5000人のうち約8割が焼死だったから「地震で恐ろしいのは揺れよりも火災→すぐに火を消せ」となるのは当然の成り行きと言えた。
その“常識”がくつがえされるきっかけとなったのは、93年の釧路沖地震である。
1月15日午後8時6分、M7・5の巨大地震が襲った。各家庭ではストーブを焚いていたが、地震直後に火が消されて大事には至らなかった。
ただ負傷者に火傷が多かったのは、ストーブの上に置かれたヤカンなどの容器から熱湯が飛び散り、「火を消せ」の標語通りに行動した人の多くが熱湯を浴びたからである。
以来、「火を消せ」から「まず身の安全、そして火を消せ」と指導するように変わった。もちろん火が目の前にあり、消せる状況であれば消した方がいい。
しかし離れている場所から無理をして火を消しに行こうとすると、身の安全を確保する時間がなくなってしまう。火を消しに行くのは、揺れが収まってからでいい。
「ガスの元栓を締める」についても同様だ。危険を冒してまで元栓を締めにいく必要はない。
ガス設備には通常、揺れを感知して、ガスを遮断する自動遮断装置が付いていて安全である。
次に屋外への避難だが、危険を感じた時は、やみくもに脱出すればいいというわけではない。
08年の岩手・宮城内陸地震(M7・2)の時のことだ。
震源域から数十キロ離れた岩手県一関市では、家屋の倒壊がほとんどなかったのに、1人の死者が出た。
不審を抱いた私は現地に足を運んだ。
そこはクリーニングと米を扱う商店のすぐ前の道路だった。店にいた60代の男性が、突然の揺れにあわてて前の車道に飛び出し、ちょうど走ってきた2tトラックにひかれ、死亡してしまったのである。
行政の防災マニュアルには、「狭い路地や塀、崖など危険な場所に近づくな」などと書かれてはいるが、車道の危険性についてはほとんど触れられていない。
阪神・淡路大震災の時、大阪にいた私はそのまま神戸に向かったが、途中の国道には破損した自動車があちこちに放置されていた。
ドライバーに話を聞くと、
と、青ざめた表情で話していた。
この証言から分かるように、地震発生時、車はハンドル操作が利かず暴走する危険がある。避難時はできるだけ車道に近づかない方が安全なのだ。
車で走行中の対応も補足しておくと、マニュアルには「揺れを感じた時は、道路の左側に寄せて停車する」などと書かれている。それしか方法がない場合はしかたがないが、主要幹線を走行中であれば、できるだけ横道に逸れるのが鉄則だ。
そして広場か駐車場を見つけて停車する。近くに管理者がいた場合は、その人の了承をとる。
主要幹線に放置される車が増えれば、その分、道路の幅員が狭くなり緊急車両の走行に支障が出てくるのだ。
<足がすくんで前に出ない>
地震は最初に初期微動(P波)が来て、その後に主要動(S波)が来る。
初期微動では、ほとんどの人は「どうせいつものように小さな揺れで収まるに違いない」とタカをくくり、地震の大小を見極めようとする。
大きな主要動が来たら逃げようと考えるが、大揺れになった時はもう逃げられない。
未曾有の事態に遭遇したため、脳から指示がいかなくなり、体が硬直してしまうのだ。この状態を「凍りつき症候群」と呼ぶ。
東日本大震災の映像を見ると、津波が間近に迫っているのに、ゆっくりした足どりで避難している人が目立った。
後で助かった何人かに「どうして走らなかったのですか」と聞いたら、「足がすくんで前に出なかった」と異口同音の答えが返ってきた。これも凍りつき症候群の兆候である。
凍りつき症候群を克服するには訓練しかない。小さな揺れでも、訓練と思って目の前に火があるなら火を消し、ドアを開けて安全な場所に移動するように心がけることだ。
私には阪神・淡路大震災の時の、ある光景が今も目に焼きついて離れない。
周囲の建物が軒並み倒壊している中で、男性がたった一人で崩れ落ちた屋根に登り、生き埋めになった人を助けようと悪戦苦闘していた。
「周りの人はどうしたのですか?」と聞くと「たぶん避難所に行ったのではないかな」という返事。
その時、私は今までの防災訓練が間違っていたと痛感した。
これまでの防災訓練は住民がグループで小中学校などに粛々と避難するというパターンの繰り返しだった。これを繰り返すうちに「地震=避難所」という構図が刷り込まれてしまったのではないか。
しかし、皆が避難してしまったら、誰が火を消したり、生き埋めになった人を助けるのか。
身の安全が確保できたら、避難所でじっとしているのではなく、可能な限り救助活動に当たるべきだ。それは地震列島日本に住む者としての作法である。
2012年04月07日
生き延びる教育 自ら考え動く力養おう
2012年4月6日 東京新聞社説
新しい学校生活がスタートしている。身の回りの顔触れも入れ替わる。
でも、東日本大震災が残 した重い教訓は忘れまい。きっと来る「いざ」に備え、子どもの生き抜く力を最優先で育みたい。
最近相次いで公表された首都直下地震や、東海、東南海、南海の巨大地震の予測データにはぞっとさせられる。揺れの強さや津波の高さが大幅に上方修正され、これまでの想定がことごとく塗り替えられたからだ。
学校や家庭、地域の防災意識を今以上に高め、子どもを守る手だてを見直す契機にしたい。
大震災では六百七十人を超える子どもたちが犠牲になった。
文部科学省の中央教育審議会が三月に答申した「学校安全推進計画」はその反省に立ち、子どもの死者を出さないことを目標に掲げた。
肝心なのは、ピンチを切り抜けて生き延びる知恵や工夫だ。どうすれば危ない目に遭わないか自ら考え、素早く動く。子どもがそんな主体性を身につける安全教育が必要だと答申は提言した。教科としての創設を検討すべきだ。
手本とされるのが岩手県釜石市の取り組みだ。小中学生三千人のほぼ全員が津波から逃れ、無事だった。
指定の避難場所では危険とみてさらに高台に上った。小学生の手を引いたり、ベビーカーを押したりして走った中学生もいた。
釜石市の防災教育に携わる群馬大大学院の片田敏孝教授は、普段の想定にとらわれず「率先避難者たれ」と教えた。子どもが逃げると知っていれば周りの大人も避難を優先し、大勢が助かる。“奇跡”を生んだ考え方に学びたい。
大震災の津波は、明治と昭和の三陸大津波を教訓に造られた防潮堤さえ突破した。
災害予測や避難方法の固定観念にかえって足をすくわれかねないことを物語る。
東京都調布市は、毎年四月の第四土曜日を「防災教育の日」と定めた。
初めてとなる二十八日には全公立小中学校で保護者や住民が参加して防災訓練をする。
学校ごとのシナリオに従って一斉避難や保護者への子どもの引き渡し、避難所開設を試みる。人命を守るのに最善の動きや約束事を確かめる。
専門家の協力を得て、地域ぐるみでシナリオを検証し、安全教育を練り上げることは望ましい。
子どもを通して家庭や地域へと臨機応変の防災力を押し広げたい。
2012年06月02日
しあわせのトンボ:教えるとはどういうことか=近藤勝重
毎日新聞 2012年06月01日 13時54分
ノーベル賞受賞の学者や研究者が話題にのぼっている時、その学者らがなぜ勉強が好きになったのか、という記事を目にすることがある。
記憶にある一人は小柴昌俊氏だ。
確か氏は中学1年の時に先生が大好きで数学が好きになった、と話しておられた。
先生が好きになった理由に氏が触れていたかどうかは覚えていないが、間違っていても努力を認められたとか、独創性を褒められたとか、恐らくそんなところでは、と推察する。
それでは逆に先生に怒られるとどうなるか。すぐに浮かぶのは司馬遼太郎氏のこんな話だ。
中学1年1学期の英語のリーダーに、New Yorkという地名が出てきたので、この地名にはどんな意味がありますか、と先生に質問すると、「地名に意味があるか!」と怒鳴られた。
氏は家へ帰る途中、図書館に寄って地名の由来を調べたそうで、「私の学校ぎらいと図書館好きはこのときからはじまった」とエッセーにある。
良くも悪くも子どもたちにとって先生の存在がいかに大きいかを物語る話であろう。
さて、大阪市で教育行政への政治関与を強める教育行政基本条例が成立するなど、教育のあり方がまたまた議論を呼んでいるが、こういう時によく思い出すのが全米でベストセラーになった「こころのチキンスープ」に登場する数学教師の話だ。
その教師は「数学を教えているのではなく、子どもを教えているのだ」と考え直し、すべてのことに完全な答えを求める教え方を改めた。
そしてある日、エディという生徒の成績がずっと良くなっているのに気付く。どうして?と尋ねると、彼は答えて言った。
「先生に習うようになってから、自分が好きになったんです」
教えるとはどういうことか。示唆に富む話である。ともすれば教育は学力テストの結果や制度のありようなどをもとに語られがちだが、それ以前に先生が子どもとどう向き合うかが問われているわけだ。
その点では親も同じながら、100点を取って喜び勇んで帰って来た子どもに、こう言ってヤル気をなくさせる母親もいたりする。
「100点は何人いたの?」「みんな良い点だったんでしょ」
子どもは「頑張ったんだねえ」と認められると、自分が好きになり、本当に頑張って大きく伸びるというのに。
(専門編集委員)
2012年06月21日
学校と私:「できること」より「わかること」
=共産党委員長・志位和夫さん
毎日新聞 2012年06月18日 東京朝刊
物理学と音楽に熱中した高校時代でした。
通った千葉県立千葉高は自由な校風で、とても気に入っていました。
物理は稲葉正先生の影響です。
学校の近くにある川崎製鉄(現JFEスチール)の工場からの粉じんを問題視した川鉄公害訴訟(92年に和解)の原告団長として有名ですが、授業は、ノーベル物理学賞を取ったファインマンの理論に沿って、根本の原理から教える。
原理が分かれば公式を暗記しなくてもいい。それが「学者になろう」と思うほど面白かった。
それ以上に熱中したのが音楽です。
クラシックの和音というのは原則があり、実はとても数学に近い。
休部になっている部活を復活させ、ピアノを弾き、作曲をし、最後はOBまで動員したオーケストラコンサートをやるほど入れ込み、一時は本気で作曲家になろうと思ったんです。
しかし、こればかりは才能がないと分かってくる。
泣く泣く断念したわけです。
一方の物理学の方は、東京大工学部で勉強を続けましたが、これも才能が必要と分かってくる。
一つの方程式を見て、10個くらい飛ばして次の答えが頭に浮かぶやつがいる。ああこういうのできない、って感じなんです。
小学校教員だった父も影響を受けた「先生」です。
幼稚園か小学生のころ、父から「1も割れるんだよ。知ってる?」と聞かされました。
新しい教育法を試したのかもしれませんが、よく覚えています。
父は「わかることとできることは違うんだ」とよく話していました。
「わかる」というのは暗記して点数を取るのではなく、本当に深く理解することです。
東大時代、田中角栄内閣の小選挙区制実現に向けた動きに反対するストライキなどに参加するなかで共産党に入党しましたが、一生の仕事にすべきか物理学にこだわるべきか、卒業時には正直、悩みました。
消去法でいまの仕事を選んだわけではないのですが。
振り返ると、自分の世界の見方や考え方には、あのころ物理と音楽に打ち込んだ経験が役立っている。
真理を分かる喜び、楽しさ。
「できること」より「わかること」。
2人から、学ぶこと自体の大切さを学んだと思っています。
【聞き手・田中裕之】
■人物略歴
◇しい・かずお
1954年、千葉県四街道市生まれ。
東大在学中の73年に共産党入党、90年に書記局長に抜てきされ、93年衆院選で初当選。
現在6期目(比例南関東ブロック)。00年から委員長。
2012年07月03日
「学ぶ」は「真似ぶ」 人間はなぜ学ぶのか
人間はなぜ学ぶのか
著者
比嘉 昇(ひが・のぼる)
夢街道・国際交流子ども館 理事長
公立の小中学校の校長を歴任し、2002年に不登校の子どもたちのフリースクール夢街道・国際交流子ども館(京都府木津川市)を設立。
(WEDGE 2012年07月03日掲載)
2012年7月3日(火)配信
「先生、俺たちは何で9教科も勉強せなあかんのや!」
かつて、奈良の東大寺近くの中学校に勤務していた時、ある生徒が授業中、私にこんなことを問うてきたことがありました。
私は逆に、こう聞き返しました。
「ほな、君らに聞くけど、朝8時半になって奈良公園の鹿は何で学校に行かへんのや」
こんな禅問答のやりとりをしながら、私は最後に「君たちは“人間らしい人間”になるために学校に通っているんだよ。250万年と言われる人類の誕生以来、人間が生き抜いてきた歴史の中で、生きていくために必要なことを、9教科に分けて学んでいるんだよ」と言うと、生徒たちは、「フゥーン」という表情で矛を納めてくれました。
■生きるために「学ぶ」
「学ぶ」の語源は「真似ぶ」だと言われています。
火を恐れていた人類は、木と木の摩擦が火を起こすことを学び、それを利用することを覚えてきたのです。そして、動物の肉を焼いて食べることを発見し、脳を発達・進化させてきました。
人類はこのように、先人たちの生活を知り、知恵を受け継ぎながら、人類が生き延びるための術を、「学ぶ」ことを通じて会得してきたのだと言っても過言ではありません。
■子ども館設立の想い
私は10年前、京都府木津川市で、小・中・高校の不登校の子供たちの居場所・学びの場として、「夢街道・国際交流子ども館」という、フリースクールを開設しました。
定年前に3年間、校長として勤めていた中学校は、偏差値が奈良県下で常にトップグループの学校でした。
しかし、学校の体制に不満を持つ子どもや家庭に居場所のない子どもたちの一部は校内暴力でストレスを表示していました。
その一方で不登校の子どもたちを一人も学校に復帰させることができませんでした。その無念の思いから、退職金をすべてつぎ込み、子ども館を開きました。
私は日々、ここで子どもたちの成長を見守っていますが、4年前にやってきたAが先日、こんなことを言ってきたのです。
「大学で心理学を学びたい」
Aは小学校4年生から不登校になり、自宅にこもって、学びから遁走を続けていました。
Aが再び学校へ行くようになったのは、高校(単位制)に入学した春からです。
そんなAが子ども館にやってきたのは、中学2年生の時でした。
ゲーム三昧に明け暮れていたためか、バーチャルな世界と現実のリアルな世界の区別がつかない境界線を彷徨い、当時のAの言動は、現実離れしていたことが今でも忘れることができません。
「勉強しなさい」から逃げるために
あえて塾へ通っていた
「勉強しなさい」Aが不登校になった理由はさまざまです。しかし、この言葉が決定的だったということがわかったのは、Aが子ども館にやってきてしばらくしてからのことでした。
Aはある日私に、家族からの「勉強しなさい」のコールから逃れるために、「あえて塾へ通っていた」ことを告白したのです。
一合の升に一升の水を注げば溢れることは誰にでもわかることです。
しかし、それを知らない大人に育てられ、Aは沈没してしまったのでしょう。
「早く芽を出せ柿の種」とばかりに、Aは叱咤激励されて学校での授業の他にも塾での猛勉強にも耐えてひた走っていました。
しかし、とうとうオーバーヒートして、子ども館へ駈け込んで来たのです。
人間不信、大人不信のるつぼ
「誉めてあげれば子どもは明るい子に育つ」
「愛してあげれば子どもは人を愛することを学ぶ」
「認めてあげれば子どもは自分が好きになる」
「見つめてあげれば子どもは頑張り屋になる」
『子どもが育つ魔法の言葉』(PHP社)の著書があるドロシー・ロー・ノルカ氏はこう述べています。
Aはノルカ氏の言う教育と真逆の育てられ方なかで、「臥薪嘗胆」とも言える辛苦の人生を歩いてきたのでしょう。
子ども館に辿り着いたAは当初、私をはじめ、子ども館のスタッフら、我々大人たちに向ける不信の心持ちを引き連れ、話しかけても判然とせず、心を開いてくれることは極めて表面的でした。
この背景には中学生というプライドもあったのでしょう。
他者の助言を素直に聞き容れることは至難でした。
その一例として、根拠は不明ですが「自分は27歳まで生きられたらいい」という捨てゼリフを言うこともありました。
しかし、家族から「勉強せよ」と急かされていた日々から脱し、Aはひたすらマイペースで呼吸し始めました。子ども館の、不登校に悩む同年代、あるいは小学生や中学生の仲間たちは、Aを決して仲間外れにしようとしません。むしろ、同じ悩みを抱えている者同士にこそわかりあえる、暗黙の「共通言語」や「雰囲気」が存在していたのでしょう。
一つずつ、少しずつ積み重ねていく大切さ
5年間ほどひきこもっていたA。
世の中と関わらず、人間不信、大人不信のるつぼで呼吸していたAは、「一つずつ、少しずつ積み重ねていく」ということが苦手でした。
こうした事情を勘案し、Aには個別指導のスタイルで、積み重ねが必須である英語と数学の授業を始めました。
高校生になった今でも、Aが「わかった」と納得するまでこのスタイルが続いています。
また、大学進学を希望するまで意欲を取り戻したAが学習習慣を身につけていく土台となったのが、生活習慣の確立です。
朝きちんと起きる。
3食しっかり食べる。
身体を動かす
――つまり、人間が人間らしく生きていくための基礎的な営みを大切にしていくことです。
このプロセスは、子ども館の仲間やスタッフたちから、Aが人間らしい人間になることを「真似び」、不登校になる前の、本来の自分に戻るための期間だったといっても過言ではありません。
その結果、Aはふたたび生きる意欲を取り戻し、人間らしい人間になるために、学ぶ意欲がふつふつとわいてきたのでしょう。それが「高校にも行く」という発言に表れているだけでなく、「大学で心理学を学びたい」という発言にも結び付いたのだと思います。
Aの変貌ぶりは、青年の、否、人間の本性を大人が信じて待ち、じっくりと受け止めてあげれば、自ら生きていく意欲に点火するものであることを示してくれていると言えるでしょう。
子どもは大人のペースで生きられるとは限らない
翻って現代社会の子どもたちは、どのような環境下で学んでいるのでしょうか。
「速く・確かに・一直線に」とばかりに、子どもたちに脇目も振らずに進むことを求め、しかも、それが「子どもたちの幸せにつながる」と信じ切っていないでしょうか。
しかし、Aが示すように、子どもは決して、大人のペースで生きられるものでありません。
花の成長を無視し、あまりにも多く水を注ぎ過ぎると根腐れしてしまうように、子どもの教育も同様であることを、決して忘れてはならないし、してはいけない行為でしょう。
それは、哺乳類の中で、人間が1番の未熟児で生まれてくるということからも言えることではないでしょうか。
母体で十カ月ほど過ごし、誕生してから20年という、長い長い歳月を経なければ、1人前の大人になれない動物は人間だけです。
「学び」の原点を振り返り、学び続ける
繰り返しになりますが、だからこそ、私たち人間は、「学ぶ」必要があるのです。
また、子どもを大人へと導く、「教育者」ともいうべき、我々大人たちも、「学び」の原点を振り返り、学び続けなければならないのだと思います。
私たち大人は、子どもたちにいま、何を教え、何を教えようとしているのでしょうか。学校の勉強の背景にある「根っこ」を改めて問い直す必要がありそうです。
かつてフランスの哲学者・サルトルのパートナーであったボーボワールは、「女は女に生まれない、女になるのだ」と言いました。
「女」という言葉を「人間」に置き換えると、こうなります。
「人間は人間に生まれない、人間になるのだ」
2012年07月10日
“いじめ”自殺 隠すことが教育なのか
隠すことが教育なのか
2012年7月10日 東京新聞社説
大津市の中学二年生の自殺で、教育委員会や学校はいじめの兆候やSOSを見逃していた。
調査もわずか三週間で打ち切った。
情報をきちんと調べず、隠蔽(いんぺい)していたのなら最悪の教育ではないか。
市教委は、昨年十月に生徒が飛び降り自殺した直後に実施したアンケートの結果を自主的に公表しなかった。
「自殺の練習を強要されていた」という深刻な内容もあった。
市教委は、伝聞情報であり「事実と確認できない」と言い訳するが、事実かどうかを調べる努力を怠ったと言われても仕方ない。
昨年十一月には、自殺した生徒へのいじめがあったことを発表した。
だが、三週間で調査を打ち切り、「自殺といじめの因果関係は判断できない」との見方を示した。
あまりに拙速で、無責任ではないか。
教育現場の教師も、できる限りの努力をしたのか。
「ハチの死骸を食べさせられそうになっていた」との目撃証言がある。
アンケートには「教諭らが見て見ぬふりをしていた」との回答もあった。
もっと真剣に生徒たちに向き合い、いじめの兆候に敏感に反応していれば、男子生徒の命を守ることができたかもしれない。
文部科学省は六年前、いじめの問題で取り組みを徹底するよう求める通知を出した。
「どの子どもにも、どの学校でも起こり得る」と、強く注意を呼びかけた。
残念だが、いじめは起きてしまう。
子どもの世界にはつきもののようなものである。
しかし、そこで悪いことは悪いと学び、悟らせるのが親や学校の責務である。
尊い命は戻らないが、市教委や学校は責任をもって調べ、真実に向き合う誠実さが必要だろう。
それも教育の重要な仕事だ。
ようやく原因究明に乗り出すというが、滋賀県や市の対応も遅すぎる。
自殺した生徒の父親は、三度も被害届を出そうとしたが、警察は「犯罪事実の認定は困難」として受理しなかった。
父親は「子どもの代わりに届けを出してあげたかった」と言う。
なぜ、わが子が十三年の短い命に終止符を打ったのか分からぬままでは、少しも無念は晴れぬであろう。
市教委や学校は、一体何を守ろうとしてきたのか。見て見ぬふりをするような対応は、問題の解決に役立たないどころか、同じようないじめの温床にもなる。
組織を守ることを優先し、子どもの立場に立てなかった不明を深く反省すべきである。
2012年07月14日
支局長からの手紙:いじめられている君へ
毎日新聞 2012年07月13日 福井地方版
いじめられている君へ。
おじさんの名前は伊藤雄一といいます。46歳で、新聞記者をしています。
君に伝えたいことがあって、この手紙を書きます。
学校に行くの、いやだよね。毎日毎日いじめられてさ、物を隠されたりたたかれたりするし、そのうち「家からお金持ってこい」って脅されるかもしれない。
でも、勉強しなきゃって思うから学校休むのもいやだよね。
だけど、いじめられていることって、絶対にお父さんやお母さんに言えないんだよな。「いじめられてる」って言うなんて 自分のプライドが傷つくし、それにいじめられてるなんて親が知ると悲しむと思うもんね。
「いじめられてる」って言っていじめられなくなるなら、ほんと、すぐにそうしたい。でも言えないんだ。
あいつら、先生の目が届かない学校の隅っこの方とか、先生が黒板に向いているときにちょっかいかけてくるよね。
ばれたらまずいってわかってるんだよ。怒られるし、内申点も悪くなるかもしれない。
悪いことやってるってわかってる。ひきょうだよな。
同じクラスや学校の生徒たちは君がいじめられているのを見てるかもしれないけど、どうしたらいいのかわからないのかもね。
もしかしたら、君の代わりにいじめられるかもって思ってるかもしれない。
先生はあいつらが君になにかしてるってわかってるかなあ。
いじめてるのかふざけ合っているのかわかんないかもしれないね。
君がけがしたり 泣いたりしてたら気づいてくれるかもしれないけど、それでもっといじめられるようになったらいやだから、えへへって笑ってみせたりしちゃうのかもね。
「あっ、ふざけ合ってるんじゃないんだ」って先生が気づいてくれたらいいんだけどな。
君が生まれるずっと前、「このままじゃ生きジゴグになっちゃうよ」と遺書を残して自殺した男子中学生がいました。
いま生きていれば40歳くらいのオジさんになってて、いい家族がいて働いてただろうね。
でも彼は、子どものうちに自分で死ぬことを選んだ。
おじさんはこの事件にびっくりしたし、日本中も大騒ぎになったんだけど、こないだも滋賀県でおんなじようなことが起きたね。
死んじゃった子たちは、それしか考えられなくなるまでに追い込まれてしまったんだね。
だからもし、君も「死んじゃいたい」と思ってるならちょっと聞いて。
いじめるあいつらと、いじめられてる自分と、見てるけどあんまり助けてくれない周りの人、そんな世界はちっぽけなもんだよ。それを知ってほしい。
学校って、子どものうちはそこと家とが自分の世界のほとんどなんだけど、それはとっても狭い世界だ。
一生、あんなつまんないことやるやつらと同じ学校に通うわけじゃない。
いまよりももっと広い世界が待っているんだよ。
先生や大人に「いじめられてる」って言うと、チクったって言われるかな。
でも考えてごらん、君をいじめるやつらは君の友達じゃないよ。
長い人生の中で、たまたま同じ学校に通っているだけなんだよ。
卒業して会わなくなったらそう思えるようになるよ。
もし大人の会社でいじめがあれば、それをする方を加害者、された方を被害者って呼ぶ。
学校でだって同じさ。他人に害を加えるのは加害者であって、友達なんかじゃない。チクったっていいさ。死んじゃうよりずっといい。
いじめているやつらは 君からなにか行動を起こさないかぎり、いじめることをやめないと思う。
君の周りの大人には、いじめたり いじめられたり傍観したりと立場は違うけど、いじめの現場を知っている人って結構多いんじゃないかと思うんだ。
だから思い切って誰か大人に話してみたら、「そんなんなら学校行かなくていいよ」って言ってくれるかもしれないし、先生に話してくれるかもしれない。
どうしても誰にも相談できない、言えないから死にたいと思っているとしたら、逃げちゃいなさい。不登校とか家出とかね。
おじさんがこんなふうに書くと「そんなことそそのかさないで」って怒る人がいるかもね。
でもね、死ぬよりいい。
おじさんは親より先に死ぬのは最大の親不孝だと思ってる。
学校に来ない君を捜して大騒ぎになって、その結果、あいつらが君をいじめていることがわかって、君をいじめることがなくなれば万々歳だ。
もしかしたら、いじめるあいつらから離れるために君が転校することになるかもしれない。
加害者じゃなくて被害者が出て行くなんておかしな話だけど、いじめから逃れるには、そういう方法だってあるかもしれない。
おじさんの手紙を読んで「そんなことができるならとっくにしてる」って思うかもね。
でも、おじさんの経験や聞いた話からすると、卒業してそいつらと離れたらいじめられなくなるのは本当だよ。
最後にもう一度言うよ。逃げてもいいんだよ。死んじゃだめだよ。
ito‐yu@mainichi.co.jp
2012年07月18日
香山リカのココロの万華鏡:学校一丸で生徒守れ
毎日新聞 2012年07月17日 東京地方版
大津市の中学の男子生徒が自殺した問題で、ついに滋賀県警による強制捜査が入った。
学校や市教委への家宅捜索や教師への任意の聴取が行われ、今後、生徒への聴取も予定されている。
この中で、男子生徒の父親は県警本部に、「突然、警察から聴取を受ける生徒のケアを心がけてほしい」と要望を行った。
もちろん父親は当初から「自殺の原因はいじめ」と確信し、それが調査や今回の捜査で明らかになることを望んでいるはずだが、聴取などで生徒たちがいたずらに心の痛手を受けることは本意ではないのだろう。
事実は明らかにしてほしいが生徒たちへの配慮は忘れないで、と申し出たこの父親の気持ちを、私たちは重く受け止めるべきだ。
そして配慮が必要なのは、聴取を受ける生徒に限ったことではない。
同じ学校の仲間が自殺しただけでも大きな衝撃を受けているはずの生徒は、今回、大勢の報道陣が学校に押しかけ、さらに制服をまとった警察官が職員室に踏み込んで書類などを持ち出す姿を見て、かなり動揺していると思われる。
「誰がどんないじめをしたのか」「先生は知っていたのか」といったウワサに振り回されたり、いつもとは違う教員や保護者の様子にさらに不安を感じたりしている生徒もいるのではないか。
県の教育委員会はスクールカウンセラー2人を緊急派遣して「心のケア」にあたっているというが、事態が動いている中では落ち着いてケアをするどころではない。
もし私が派遣されたとしても、不安定になっている生徒に「少し休んだら」「ゆっくり寝てね」と言うのが精いっぱいだろう。
ここで大切なのは、学校が「いちばん大事なのは生徒」という態度を貫くことだ。
もちろん「いじめや自殺が起きたのに、何が“生徒が大事”だ」という声もあるとは思うが、それでも原理原則は「私たちの学校の子どもは私たちが守る」。
「自分たちにはお手上げです、捜査は警察に、ケアはスクールカウンセラーにお願いします」では、子どもたちは本当に学校から見捨てられたように感じ、二度と教師やおとなを信頼することができなくなる。
もう教員に期待してもムダだ、と言う前に、もう一度、言いたい。
「先生たち、いま学校にいる子どもたちを守ることができるのは、あなたたちだけなのです」
2012年07月21日
何てことない。通信簿はあまり本当の才能を記すにはに薄っぺらいのだから
2012年7月20日 東京新聞
「ひどい出来だ。彼は、まったくやる気を見せない」。
十二歳のミルン君は通信簿に、こう記された。
少年は、のちに名作童話「くまのプーさん」を書き、世界中の子どもたちを喜ばせることになる
▼死して三十二年、今なお人々の心を歌で揺さぶり続けるジョン・レノン。
学校の先生は、ジョン少年を見捨てていたようだ。
「失敗への道を着実に歩んでいる。望みはない」
▼英国の名宰相チャーチルは、九歳の時「他の子と、トラブルばかりを起こす」「大変に能力はある。
だが、彼には意欲というものがない」と評された。
学科もひどく、親がめまいを感じずに見るのは難しい通信簿だ
▼そのチャーチルを選挙で破って、首相となり「揺りかごから墓場まで」と称される福祉国家を築いたのが、アトリー。
十三歳の時の評価は「彼は物事を考えて、自らの意見を形作る」と上々だが、「うぬぼれが強くて、他人の意見をきちんと聞こうとしない」と、手厳しい言葉も記されている(C・ハーリー編『could do better』)
▼きょう、多くの学校で終業式がある。子どもたちは通信簿を手に家に帰ってくる。きっと、ドキドキしている。怒られるんじゃないか、と泣きたい気分の子もいるだろう
▼けれど、ミルン君やチャーチル少年を思えば、何てことない。
通信簿はあまり本当の才能を記すにはに薄っぺらいのだから。
2012年07月25日
「いじめ根絶」の憂い
2012年7月25日 東京新聞 私説・論説
大津市の男子中学生の自殺問題をきっかけに再びいじめの根絶が叫ばれている。
つらつら思うに、いじめのない学校なんてできっこない。
できたとしても恐らくどこか不健全だろう。
大人の世界に目を転じれば、職場でのパワハラやセクハラは後を絶たない。
そんな大人が偉ぶって子どもの世界のいじめの追放を訴えたって、子どもは見すかしていて白けるだけだ。
教育行政の親分の文部科学省がいじめ問題専門チームを作るそうだ。
もはや配下の教育委員会やその子分の学校は頼りなくて任せておけないらしい。
子分の手に負えないいじめがあると親分が出張る。さて責任はどっちが取るのかしら。
ともあれ、いつの世もいじめと真っ正面から格闘するのは現場の先生だ。
けれども、その先生に知識や技術を伝える「教師」は多くいるが、黙って成長を見届ける「育師」がいない。
そう嘆いていたのは心理学者の故河合隼雄氏だった。
いじめやけんかを止めに入って育ちの肥やしを奪うのが「教師」。
一線を越えるのは許さないが、育ちの肥やしの具合を確かめつつ見守るのが「育師」。
そんなふうに理解している。
根絶不能のいじめを成長の糧に昇華させられる先生が求められる。
たっぷり時間をかけて子どもに寄り添う「育師」の力量。
親分は学力アップ一辺倒の多忙な「教師」ばかりを養成したがる。
それでいじめが大事件になる。 (大西隆)
“いじめ”と同じくらい悲惨な教師現場
2012.07.25 zakzak
滋賀県大津市の中学2の男子生徒=当時(13)=がいじめを苦に自殺したとされる問題で、担任教師の対応に批判が集まっている。
亡くなった生徒の涙の相談を重く受け止めず、無視していたなどとも囁かれている。
ただ、こうした教師は例外的な存在で、多くの教育者は真摯に向き合おうとしているのも事実だ。
その教育現場では、いま過重労働という問題が深刻化し、「疲労が限界に達している」(現役教師)という。
教師の過酷な実態とは−。
自殺した生徒に対し、男子生徒3人が凄惨ないじめを繰り返していた大津の問題。担任はその行為を知りながら見て見ぬふりをしていたとされている。
滋賀県警では今週初めに担任から事情を聴き、今度も説明を求めていく方針だ。
一連の問題などから、文部科学省でもいじめの防止支援チームを発足させ、対策を進めるが、教師たちの顔色はすぐれない。
「大津の問題はもちろんあってはならないこと。
担任の対応も許せません。ただ、現場でできることに限界があるのも事実です」
九州地方にある公立中学校の英語教諭(35)はため息混じりにこう話す。
「通常の授業に加え、生活指導や部活動の顧問活動、試験作りと仕事は山のようにある。
いまの時期は夏期講座などの受験対策に追われて手いっぱい。
いじめのやり方も陰湿になって見極めにくくなってきていますし…。
きめの細かいいじめ対策は、やりたくてもできないというのが正直な所です」と肩を落とす。
大阪府の私立高校教諭(33)は「なかには、家庭でやるべきしつけまで学校側に丸投げし、要求ばかり突きつける親もいる。
モンスターペアレントと呼ばれるこうした保護者対策も、教師の大きな負担なんです」と本音を明かす。
昨年4月から、小中学校で学習指導要領が改訂された。
これに伴って教科の授業時間・内容も増加し、教師たちにかかる負荷は強まるばかり。
文科省によれば、うつ病などの病気で休職した小中高校の教職員は、2010年度に過去最多の8660人を数えた。
「人材の循環がうまく機能していないのが組織の歪みを大きくしている。
1年ごとに異動を繰り返す『渡り鳥』と揶揄される問題教師。
一部の優秀な教師が、その穴埋めをさせられ疲弊しきっている」(教育関係者)
いじめ問題の背景に透けて見える教育の制度疲労。解決策はあるのか。
『夜回り先生』の愛称で知られる教育評論家の水谷修氏は「ここ10年以上、教師の管理体制が強まって教師全体にゆとりがなくなった。
業務量が増え、対処すべき問題はどんどん複雑化している。
追いつめられた教員が余裕をなくし、いじめを見逃してしまう悪循環も生まれてある。
いじめは、学校、家庭、地域が一体となって取り組まなければいけない課題だと認識しなければいけない」と指摘する。
教え育むという職務を放棄し、職責からも逃げた疑いがある大津の担任。
根本的な教育改革が必要だ。
2012年07月27日
いじめは誰にでも起きる
直りしだい お邪魔したいと思います。
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香山リカのココロの万華鏡:
いじめは誰にでも起きる
毎日新聞 2012年07月24日 地方版
いじめ問題の波紋がさらに広がっている。
このコラムで「なぜ『いじめられてる』とSOSを出せないか。もう一度、考えてみたい」と書いたら、「サインを出せない被害者が悪いと言いたいのか」と批判の声が上がった。
もちろんそうではない。
私がいちばん言いたかったのは、「その渦中にあるときには自分の身に何が起きているのか、はっきりわからず、SOSの声も上げられない場合がある」ということだ。
診察室でも何度もそういう経験をした。
あるとき「不登校ぎみなんです」と保護者に連れられて診察室に来た女子中学生といろいろと話しているうちに、その子は学校で陰湿ないじめ被害にあっていることがわかったことがあった。
私は「不登校じゃなくていじめじゃないの。学校に行かないのは正解だよ」と言ったのだが、女子生徒は「えっ、そうなんですか。違うと思います」と首を横に振るばかりだった。
「いじめられている、なんて思いたくない」ということなのだろう。
中には、子どもが勇気を出していじめを認め、保護者や学校に申し出ても、今度はおとなたちが「まさか、いじめだなんて」と現実を見ようとしない場合もある。
今回の大津市の問題もこれに当たるのだろうか。
そういったおとなたちは「いじめ事件が起きるのは、日ごろから何か問題があるからだ」と思っていて、「ウチはしっかりやっている。そういったダメな家庭、学校とは違う」と思い込みたいために、「これはいじめなんかじゃない」と言ってしまうのだ。
まず、誰もが認めなければならないのは、残念ながらいまの社会、いまの学校では、どんなところでもいじめの問題はすぐに起きる、ということだ。
そして、いじめが起きたからといって、「私が悪いんだ」「ウチはダメな学校になってしまった」などと考える必要はない。
被害を受けてしまったら、本人はいじめが起きる場、つまり学校から逃げる。
保護者は逃げてきた子どもを、家でしっかり受けとめる。学校はそのクラスの担任教員などひとりにすべての責任を押しつけることはしないで、みんなで問題を共有して対処する。
いじめから目をそらしたり、外に対して隠そうとしたりしてはいけない。
いじめから子どもを守るためにも、いじめを特殊なものと見ないで。
どこにでも誰にでも起きるものだと考えて。もう一度、そう繰り返したい。
2012年08月10日
社説:学力テスト 調査のための調査では
毎日新聞 2012年08月10日 02時31分
小学校6年、中学3年を対象に抽出実施した今年度の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果が出た。
今回は07年度以来続けている国語、算数・数学の2教科に初めて理科を加え、3教科で行われた。
理科は、他の2教科同様に応用が苦手な傾向が表れた。
質問調査でも、理科が嫌い、授業がわからないという回答が中学でぐんと増えた。
文部科学省は「理科離れ」といわれる実情が、この調査で「確認」できたという。
「確認」が成果であっては、いかにも心もとない。
子供たちの理科離れ、理科嫌いといった傾向は既にさまざまな国内外の調査などで明らかだ。肝心なのは、「離れ」させない、きめ細かな対策の方だ。
確かに工夫された良問もあり、手間をかけたテストだ。
しかし今のところ、いわば学力問題の“症状”を整理したにとどまってはいないか。
来年は全校調査(悉皆(しっかい)調査)が行われる。
10年度に抽出に移行した際、数年に1度は全校調査をやるとしていたものだが、必要があるだろうか。
全体の理解度や得手不得手の傾向を的確につかみ、それを参考に各現場で指導法の改善を図るには、抽出で十分だという指摘がある。
全校調査は、自治体によっては地域間、学校間で正答率の順位競争をもたらしかねない。
現に過去の全校調査では一部でそれが表れた。
本来このテストは、事後の活用による授業改善が主眼のはずだ。だが、このテストの活用について、例えば中学ではこの4年、2〜3割が「ほとんどしていない」と答えている。
教室外でも職務負担が大きい教員に、新学習指導要領で教える内容を増やし、さらに学力テストを基に指導改善を求めても容易ではない。
学校現場が必要なのは改善のポイント、具体的な手法である。
国語、算数・数学で「知識問題はできても、応用が苦手」といった結果を毎年のように解説するより、「じゃ、どうする」にもっと集中的に力点を置いた施策を促進すべきだろう。
文科省は9月、全国都道府県教育委員会の学力テスト担当者らを集め、テストの授業活用法を説くという。その際、現場側の意見や要望もぜひ集約してほしい。
これまでのテストは状況を「確認」こそすれ、新傾向を浮かび上がらせたとはいい難い。その意味でも、テストは実施するにしても間隔を空け、抽出方式で足りるだろう。
毎年要する巨費は、読解力や理科教育の拡充など、もっと具体的で手厚い施策に回してはどうか。
2012年08月19日
憂楽帳:自制心
毎日新聞 2012年08月18日 12時37分
ウィーンの現地校に通う16歳の息子が時々、級友の家へ泊まりに出かける。
気の合う仲間が集まり、ビールやワインを片手に一晩中話し込んだり、ゲームに興じたりしているという。オーストリアでは飲酒と喫煙は16歳から合法。週末の夜を友人宅で過ごすのもごく一般的だ。
とはいえ、心配は尽きない。
「乾杯で口をつける程度。たばこを吸っている友だちはごく一部」と言う息子に、「日本に帰ったら、絶対にダメだぞ」と念を押した。
最近の調査によると、「週1回以上酒を飲んでいる」と回答したオーストリアの15歳は、ほぼ3人に1人。欧米40カ国の中で5番目の多さだ。
ところが、過去に2回以上泥酔した経験のある15歳の割合は13番目に下がる。
地元メディアは「10代若者の分別強まる」との見出しで伝えた。
国や学校による管理を重視するのか、オープンな環境で自制心を育むのか。
未成年に経験から学ばせようとする欧州のまなざしには、自己責任を問う厳しさも感じる。
【樋口直樹】
2012年08月22日
いじめと闘う 現場の努力に尽きる
2012年8月22日 東京新聞社説
大津市の中学生が自殺した問題をきっかけに、警察にいじめの捜査を求める動きが相次ぐ。
事なかれ主義に陥りがちな学校への不信感の表れだ。
いじめとの闘いから逃げるのは教育の敗北に等しい。
東京では高一の男子が首を絞められ、殴られたとして暴行容疑で警視庁に届けた。
愛知では中二の女子が「死ね」「うざい」と暴言を吐かれ、適応障害になったとして傷害容疑で県警に訴え出た。
警察にいじめの被害を届け出る子どもたちが全国各地で引きも切らない。
泣き寝入りを強いられた過去のいじめの責任追及を求める動きさえ目立つ。
「力が弱い・無抵抗」「いい子ぶる・生意気」「態度や動作が鈍い」。
警察庁によれば、いじめを発端とした事件にはそんな動機が多いという。
いや、だからか悪ふざけ、腹いせが凶悪化していく。
警察が本格的に介入するのはいじめが傷害や暴行、恐喝といった犯罪行為に発展してからだ。
被害者はすでに心身に深手を負い、自殺のリスクに直面しているかもしれない。それでは遅すぎる。
いじめがエスカレートする前に食い止めるのは教育の使命だ。
よそから与えられた対策マニュアルが本当に役立つかは大いに疑問だ。
子どもは一人ひとりが みんな違う。
すべては学校現場それぞれの努力にかかっている。
例えば、周りの子どもたちの力を借りてはどうか。
茨城の筑西市立下館中学校では子どもたちが自主的に「君を守り隊」を結成し、いじめの防止に取り組んでいる。十六年前、いじめを苦にした自殺が多発したころに生徒会の呼びかけで発足した。
相談箱を置き、学校生活での悩み事を尋ねるアンケートを毎月して問題を抱えている子どもに対応する。
全校でゲームを 通じて思いを語り合ったり、パズルを一緒に作り上げたりしてコミュニケーションを図る機会を設ける。
先生が一方的に指導するのではない。
大切なのは、子どもたちが主体となって胸の内を打ち明けられる人間関係を築く努力を積み重ねていることだ。
いじめはなくならない。だが、これまで事態が深刻化したことは一度もないという。
中学生の息子を自殺で亡くしたNPO法人「全国いじめ被害者の会」代表の大沢秀明さんは「加害者を処罰するよりも、非を認めて謝罪するよう導いてほしい」と言う。
その願いに応えられるのは警察ではない。教育だ。
2012年08月23日
教育虐待:勉強できる子になってほしい……過剰な期待
毎日新聞 2012年08月23日 東京朝刊
◇成績不振を罵倒、体罰 不景気、就職難で親に危機感
「勉強のできる子になってほしい」という親の期待が過剰になり、子どもを苦しめる「教育虐待」という考え方が広がっている。
「将来のために」と勉強させることがなぜ虐待につながるのか。
専門家に聞いた。【鈴木敦子】
民間子どもシェルター「カリヨン子どもセンター」(東京都文京区、坪井節子理事長)に数年前の夏、有名女子高に通う少女が逃げ込んできた。
「家に帰りたくない、母に殺される」と訴えた少女は裕福な家庭で育った。
両親ともに高学歴、母の期待通りの成績を取れないと何時間も罵倒され、食事を抜かれ、睡眠を禁じられることもあったという。
受験を控えて母親の干渉が度を越し、耐え切れなくなって家を出た。
弁護士や児童相談所が間に入って交渉した結果、少女は初めて自分で進路を選び、シェルターで暮らしながら大学を受験した。
同センターは、親の虐待やネグレクトに遭いながら、児童福祉施設では緊急対応できない子どもを保護するために04年に開設された。複雑な家庭環境や経済的な問題を抱えた子が多いが、近年は「表向きは何の不自由もなさそうな」家の子どもが増えたという。
これまで対応した延べ217人のうち、約10人が親から過剰な教育を強いられていた。
「親が意のままに子どもを操ろうとし、勉強の成績でしか子どもの存在価値を認めない」というケースだ。
同センターはこれらを「教育虐待」とみて改めて事情を調べている。
◇ 「極端な教育ママ」に育てられたという心理カウンセラーの西濱順子さん(46)は、今も心の傷が癒えないでいる。
私立の名門幼稚園の参観日。聖書の一節を読む場面で先生が「分かる人?」と尋ねた時、挙手しなかったことを母に強く責められた。
何度もたたかれ、けられた。
物心つくころから毎日習い事をこなし、友だちと遊ぶ時は輪の中心になるよう求められた。
「勉強もスポーツも完璧で、リーダーシップを取れる子」が母の理想。
何でも1番を求められ、テレビも漫画も雑誌も禁止。
「周りは敵。どんな手を使ってでもけ落とせ」とも教わった。
「私はエリート。他の子たちとは違う」と思い込み、部活動もせずひたすら勉強に励んだ。
反抗できなかったのは、中学受験に成功した1歳上の兄が家庭内暴力をふるうようになったからだ。
「私はいい子にならなければ」と考え、県内トップ校に進んだ。
「次は国立の最難関大学に」と思った直後に、初めて「1番」から陥落し、学校を居場所と思えなくなった。
手が汚れていると感じ、2時間以上水で手を洗い続けたりした。
一つのことが気になると他のことができなくなる強迫性障害。
母は心配するどころか「頭おかしいんじゃない? 死ね」と暴言を吐き、父は見て見ぬふりをした。
結婚して自分が親となった今も「なぜあれほどひどいことをされたのか疑問が消えない」という。
だが、中卒で「劣等感の塊」だった母が、子どもに「逆転」を託したかった気持ちは分からなくはないという。「心の底では母が大好きだった。期待に応えたかった」
親が子どもに期待するのはどの時代も変わらないが、同センターは「『成績優秀でないと愛してもらえない』と子どもが悲愴(ひそう)なまでに感じれば、それはもう虐待ではないか」と指摘する。
「教育虐待」を受けている子どもは無条件に親から愛された体験が乏しいとも言われる。
実際、西濱さんも「親から愛が得られないので、学校で時々体調が悪いふりをした。先生や友だちに『大丈夫?』と言ってもらうのがうれしかった」と振り返る
「なぜ親が『教育虐待』するに至ったか、その原因や背景にもっと目を向けるべきだ」と話すのは、武蔵大の武田信子教授(教育心理学)。
臨床心理士でもある武田さんによると、教育虐待に走りがちな家庭には
(1)両親ともに高学歴で社会的地位が高い
(2)親が経済的事情などでかつて進学をあきらめた
(3)母親がキャリアを捨てて専業主婦になった
(4)家庭の中で母親だけ学歴が低く、夫の親族から重圧を感じている−−などの特徴があったという。
親が子どもの学校や塾で「上位校に入れなければ人生は負けですよ」と言われ、そのプレッシャーを子どもに押しつけるケースも多い。
武田さんは「日本では学力による学校間序列が顕著なので、親は学校名という分かりやすい目標を設定しがちだ」と分析する。
一方、09年に大学進学率が50%に達し、不景気や企業の海外移転も重なって大卒でも就職が厳しい時代になった。
武田さんは「自分の子どもを『脱落者』にしたくないという親の危機感が強まり、教育虐待につながっているのではないか。
しつけによる虐待は話題になるが、教育による虐待は見過ごされやすい」とも指摘している。
◇東京弁護士会も連携
カリヨンの活動と連携する弁護士たちが25日、創作劇・もがれた翼パート19「教育虐待」を上演する。
親の期待に応えられず燃え尽きた進学校の男子生徒と、定時制高校の統廃合で通学できなくなった男子生徒の物語。
東京都豊島区の豊島公会堂で昼の部午後3時、夜の部同6時半から。無料。問い合わせは東京弁護士会人権課電話03・3581・2205。
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◇教育虐待
昨年12月に茨城県つくば市で開かれた「日本子ども虐待防止学会」で、武田信子教授らは「子どもの受忍限度を超えて勉強させるのは『教育虐待』になる」と発表、初めて公の場で「教育虐待」の言葉を使った。
「教育」の名のもとで親の言いなりにさせられるケースはもちろん、親の所得格差が子どもの学習権に大きく影響する状態も「教育虐待」に含まれるとした。
2012年08月26日
学校と私:自分の言葉で語る面白さ知った=童話作家・あまんきみこさん
毎日新聞 2012年08月20日 東京朝刊
戦争の真っ最中に通った(中国東北部の)大連の女学校は、図書室に英国や米国の文学全集が残り、のんびりしていました。
敗戦を迎えた年も、宮崎知子さんという友達とノートにお話を書いて交換していました。
思い返せば、私のお話はてるてる坊主やお人形が出てきて、当時から童話に近いものでした。
敗戦後も、引き揚げるまでの約1年半、大連で暮らしました。
最初の数カ月は危険で、女性は外出できず学校にも通えませんでした。
早く学校に行きたかったけれど、お話という糧をたくさんもらった時期でもあります。
一人っ子だったので、ずっと家にいると本を読むか文章や絵をかくしかすることがないんです。
(能の台本を書いた)謡本(うたいぼん)やダンテの神曲など難しい大人の本も、家にあったものは全て読みました。
敗戦で、学校で教わるモットーは「アジアのために戦う」から「この戦争は間違っていた」へと180度変わりました。
あまりの転換に「先生方も反対のことをよく平気で言えるな」と思いました。
そんな中でも、元から戦争にあまり触れず、心や魂の持ちようについて話していた先生はおっしゃることが変わらず、救われました。
2年で国語を習った杉田政子先生もその一人です。
杉田先生が自由題の作文を宿題に出した時、全く書けないことがありました。
困り果てて、「夜中に目が覚めたらこんな影があって怖かった」「こんな音が聞こえた」と、ただ感じたままを書きました。
私は駄目だと思ったのに、先生は自分の言葉で書いてあるとほめてくださった。
「きれいに書かなくていい、まっすぐに書けばいいんだ」と驚きました。
その時です、自分の言葉で語る面白さを知ったのは。
たくさんの人にもらったものが、今の私を作っています。
戦争も私を作っている過去の一部ですから、書かないわけにはいきません。
中国の人から見て私たちが侵略者であることや開拓の歴史が子供の頃はよく分からず、大人になってから国会図書館に通って調べました。
傷つけられる側に我が身を置く想像力が大切だと痛感しました。
いじめのような現代の問題でも同じではないでしょうか。【聞き手・林田七恵】
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1931年、旧満州(現中国東北部)生まれ。
「車のいろは空のいろ」で日本児童文学者協会新人賞、野間児童文芸推奨作品賞。「ちいちゃんのかげおくり」で小学館文学賞。
2012年08月29日
香山リカのココロの万華鏡:深呼吸し2学期スタート
毎日新聞 2012年08月28日 東京地方版
学校は夏休みももうすぐ終わりに近づいているが、北海道など一部の地域では、すでに2学期が始まっているところもある。
大人としてはつい、2学期が始まって学校で再会を喜びあう子どもたちの無邪気な笑顔を想像したくなる。
きっと子どもたちは、「夏休みの遊びもそろそろ飽きたし、勉強もいいね!」などと言ったり、苦手だった給食さえ、なんとなくおいしく感じているのではないだろうか、などとも考えたくなる。
しかし、実際にはそんな大人にとっての“理想の子ども”はそう多くないはずだ。
オリンピックなどもあり、すっかり昼と夜とが逆転した生活を送っていた子どもたちは、なかなか学校中心のリズムについて行けず、授業中に居眠りをしたりしているかもしれない。
「遊びに飽きた」どころか、夏休み中は塾の夏期講習ですっかり疲れきり、もう勉強はたくさん、と思っている子どもたちもいるのではないだろうか。
そして何より、今年は「いじめ」の問題が大きくクローズアップされている。「学校に行くのがこわい」と感じている子どももいるはずだ。
いや、疲れたり恐れたりしているのは、子どもたちだけではない。
今は学校の先生たちも、夏休みとはいえ、研究会があったり学校での業務がびっしりつまっていたりして十分に自分の時間を取ることができない。
「うちのクラスには本当にいじめがないのだろうか」とあれこれ考えている先生もいるだろう。
学校ってこわいところ。疲れるところ。こんなふうに思ってしまっている子どもたちや一部の先生たちに、どうすればのびのびと2学期を送ってもらえるか。
大切なのは、この夏休みを乗り切って、また元気に2学期を迎えられたことに対して、まずは「よかったね」とお互い喜び、認め合うことなのだと思う。
「どうしてできなかったの?」「ダラダラすごしたんじゃないだろうね」などと、厳しすぎる目を子どもに向けることは、ただでさえ自信を失いがちな今の子どもたちをさらに追い詰めるだけだ。
でも、学校に戻ってきた子どもたちに「待ってたよ! さあ、楽しく2学期をすごそうね」と明るく声をかけるには、先生たちの気持ちの余裕も必要だ。
先生は大人だから、自分で自分に「うん、私も自分なりに夏休みを乗り切った」と声をかけることで、心のゆとりを作ってほしい。
暑い夏でからだも心も夏バテぎみだけれど、ゆっくり深呼吸していざ、2学期のスタート。
さわやかに歩き出したいものだ。
2012年09月01日
2学期スタートの9月・・
*始業式は 3日ですね。
読書の秋・運動の秋・食欲の秋・・・・・実り多き2学期にしましょう。
<子ども達へ>
・3日、後半の教科書が配布されると思います。名前をすぐ書いてくださいね。中のページもきちんとそろっているかも点検してください。
・学年だより・学校だより・学級通信などのプリントが多く配られると思います。
家の人にちゃんと届けてね。
・宿題やぞうきん、通信簿、連絡帳、筆箱などが入っているかな・・・
・うがい、手洗い、マスクは 忘れずにしてね。
・交通事故などにあわないように気をつけてください。
・友達と遊び、学習して うんといい2学期を送って下さいね。
<保護者の方へ>
・学校配布の文書などが 学期初めには多くあります。
特に学年だよりなどでの行事予定・学習予定は、見てくださいね。
・来週あたりから学級懇談会が始まると思います。是非時間を作って 参加してください。
・お子さんの日々の成長のための学校です。健康第一にしてスタートしてください。
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今日から9月、早いものですね。
上記に書いたことは 現役なら言うだろうな・・・という言葉です。
これから日の入りが徐々に早くなってきます。寒暖の差も大きくなります。
風邪などひかぬように 健康で1日1日を過ごしたいものです。
2012年09月05日
もったいない、残せない・・
若い頃は、安くて量の多い食堂を探した物ですが、この歳になると標準の店での食事でも 食べるのに苦労する始末。
どの店も 量が多過ぎるように感じるのです。
どうも「お百性さんの苦労で口に入れる」、感謝の気持ちをもって 残さず食べましょう、という時代に育ったせいか「残すのはいけない」が脳にインプットされているのです。
初めての店では、もう「残しちゃいけない」の精神力のみで 中盤あたりから味わうどころではなくなります。
顔見知りの店になって 初めて「麺少なめで・・・」とか「ご飯は半分くらいと注文できるようになる」とホッと安心できます。
小学生の時の給食、まずい脱脂粉乳も口にいれ完食しなければ おやつなどない 時代。
父の会社の合理化闘争が1年近く闘われたのですが、各担任の先生は 社宅の子に「残ったパン」「おかず」などを さりげなく渡してくれた時代でした。
「食べ物を粗末にしない」「食べきる」が当たり前が心身に刻み込まれた私には、現職時の給食の残滓の多さに しばらくは慣れることができませんでした。
アレルギーでなく、野菜嫌い、パンはダメ、牛乳は飲めない・・・と理由は様々。
私が小学校の時、嬉しかった揚げパンや汁粉・ぜんざい、ケーキも 甘いからと大量に残ったのです。
どの年代から 「残すのは罪」意識から「金を払ったのだからと平然と残す」意識にかわったのか 興味つつです。
一度 入院してみると「娑婆」の食事の美味しさに気づけるのですが、少なくとも個人的には 自己申告で今後とも完食できるようにしたいと思っています。
「もったいない」で 残った物をパックに入れて貰い 食べきる習慣くらいはあっていいと思うのですが・・・(今は 食中毒の心配から 残す・処分するのが正解とされています・・・)。
2012年09月07日
出生前診断 命の選別にならぬよう
2012年9月6日 東京新聞社説
妊婦の血液で胎児にダウン症などの染色体異常があるか分かる新しい出生前診断が試験的に始まる。
高精度で妊婦に負担をかけずに診断できるが、かえって安易に使われる懸念が強い。
新検査法は簡単に診断できる。
血液中の胎児のDNAを調べ、ダウン症などの原因となる染色体異常の有無を調べる。
妊娠十週から可能で、精度は99%以上という。
国立成育医療研究センターなど一部の医療機関が九月にも、臨床研究として実施する。
参加施設全体で二年間で約千人を検査する。
検査は、早く異常を見つけ治療に役立てたり、養育の準備のためだが、従来より高精度で容易な検査だけに安易な拡大を危ぶむ。
三十五歳以上の妊婦だと染色体異常のリスクが高まる。
晩産化で検査のニーズは増えるだろう。
だが、障害を理由に人工妊娠中絶が増えては、命の選別につながる。
母体保護法は中絶の条件に胎児の異常は認めていない。
日本産科婦人科学会や日本ダウン症協会も安易な実施には強い懸念を表明した。当然だ。
臨床研究には、外国で導入が進むこの検査法が日本で普及する前に、専門家が管理する実施ルールをつくる狙いがある。
専門外来の設置やカウンセリングを合わせて実施するという。慎重に進めてもらいたい。
ただ、実施体制を整えるには課題も多い。
出産を控えた夫婦には検査の意味や、結果の丁寧なカウンセリングが必要だ。
ダウン症でも出産、養育につながるように障害や社会の養育支援について十分に理解してもらうことも重要になる。
実施体制の整備にはスピードも求められている。
現状は技術の進歩に規制が追いついていない。
小宮山洋子厚生労働相は学会に実施指針の策定を求めたが、生殖医療に関する法整備も不十分だ。出生前診断は生命倫理の問題である。診断のあり方や適用基準を考える幅広い議論を期待したい。
ダウン症児の養育への不安は理解できるが、実際に産み育てている家庭は障害を多様性の一つとして前向きにとらえている。
プロゴルファーの東尾理子さんは「どんな赤ちゃんでも幸せ。
障害は特別なことではない」とダウン症児の可能性のある出産を決めている。
夫婦が納得して出産できる支援を整えるべきだ。
2012年09月17日
「あそんでぼくらは人間になる〜子どもにとって遊びとは」
遊んで学ぶ、子どもの1年〜テレビ新広島
(GALAC 2012年10月号掲載) 2012年9月16日(日)配信
第21回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
「あそんでぼくらは人間になる〜子どもにとって遊びとは」
7月4日放送 26:15〜27:10
テレビ新広島
4歳〜6歳頃の子どもの遊びは、見ていても実に楽しい。
何故か小学校に上がってしまうとつまらない。
「はじめてのおつかい」(日本テレビ)などの傑作番組はこの年齢の子どもたちだ。
5、6歳などとアバウトに言おうものなら、5歳と6歳とでは大違いですと「6さいのばらーど(みんなのうた)」の女の子から厳しい抗議を受けるかもしれない。
その幼稚園の年少組を1年間、丁寧に見つめたのがこの番組だ。
屋根登り、泥んこ遊び、独楽回し、長なわとび、枯れ葉遊び、挑戦する遊びには事欠かない。
裏の2000m2の急斜面の怖い森は、やがて遊びの楽園に変貌する。
遊びの名人は英雄だ。
負けてたまるか、悔し涙もあふれ、嫉妬も生まれる。
応援団も生まれ、気遣い名人、面倒見の良い子も現れる。
年少組の男の子は、派手な殴り合いの喧嘩をする。
精一杯悪態もつくが単純で仲直りも早い。
年長組の女の子は、そうはいかない。
口が立つ。感情表現が複雑だ。
しかし、一方の「ごめんね」という言葉で、その場は収まる。
先生はなるべく介入しない方針だ。
秋の運動会には、体力の他に知恵とクラスの団結力が試される。
遊び以外のそんなイベントには興味を示さない子どもたちに、先生はずるく、グループに分け競争意識を仕掛ける。
その手にまんまと乗った子どもたちは、次々と知恵を出し、指先の器用な子を中心に全員で段ボールの高層タワー作りに挑む。
これもとびきり楽しいゲームだ。運動会は大盛況だ。
楓が真っ赤に色づき、やがて雪も降り、季節がめぐり、遊びも続く。
卒園式では、賢そうな面構えになった年長組が、年少、年中組を前に、とっておきの遊びの極意を披露して幼稚園を去っていく。
そして、翌月の幼稚園の入り口には、ママ!ママ!と泣き叫ぶ次の年少組が現れる。
……この子らとて、思春期のとば口に立つ頃には、陰惨ないじめに遭遇したりするのだろうか。
(河野尚行)
2012年09月19日
親離れと子離れ、どちらがむずかしいのだろう
2012.9.19 朝日新聞
親離れと子離れ、どちらがむずかしいのだろう。
今年2月の本紙歌壇に一首があった。
〈どれだけの覚悟で言ったことなのか君は知らない「好きにしなさい」〉今村こず枝。
「なかなか怖い歌。一語に籠(こ)めた母親の覚悟」は選者の永田和宏さんの評だ
▼事情は想像するしかないが、へその緒を再び切るような思いの一時(いっとき)が、母親にはあるのかも知れない。
作家の森崎和江さんが「母性とは、抱く強さと同じ強さで放つもの」と書いていたのを思い出す。
抱くことだけに一途(いちず)では駄目らしい
▼とはいえ、昨今は親がかりの期間が延びるばかりのようだ。
ベネッセ教育研究開発センターが大学生の保護者に聞いたら、4年生の親の約4割が就職活動を助けていた。
ネットや雑誌で情報を集めるなど、父親より母親の方が熱心だという
▼調査の結果、就活だけでなく大学受験も含めて「高学歴の母親が自分で情報を集め、子の進路決定に関わっている姿」が浮かび上がるそうだ。
ありがたい親心か、自立を妨げる干渉かは、その母、その子によるだろう
▼何年か前、アメリカから「ヘリコプター・ペアレント」という言葉が入ってきた。
頭上を旋回するヘリのように子を見守り、すぐ降りてきては指示や助け舟を出す親、という揶揄(やゆ)だ。日本の大学生の親にも多いらしい
▼履修登録についてくる、授業の欠席連絡を親がよこす――など珍しくもないと聞く。となれば「へその緒」つきの社会人も結構いるのだろう。
叱り方ひとつにも注意がいる。
2012年09月23日
早寝早起きで生活改善、心と体の活力アップ
毎日新聞インタビュー 2012.9.3
「早寝早起き朝ご飯、テレビを止めて外遊び」。
東海大学体育学部の小澤治夫教授は、元気で意欲的な子供を育てるために、規則正しい生活習慣を身につけることが不可欠だと説く。
クラーク博士の「Boys, be ambitious like this old man.(少年よ大志を抱け。この年をとった私のように)」を座右の銘に掲げ、率先して体を動かす。
63歳の今も「腕相撲は高校生に負けない」ことが自慢だ。
体力低下が言われて久しい現代の子供たちが小澤教授のような元気な大人になるにはどうすればいいか、小澤教授に聞いた。
【聞き手・毎日新聞社デジタルメディア局 岡礼子】
子供たちの変化に気づいたのは、どのようなきっかけですか。
90年代半ば、高校でサッカー部を指導していて、生徒がすぐに「バテる」ことに気づきました。
例えば、スタミナもスピードもあるはずの2年生の男子生徒が試合で走れない、動けない。
最初は怒ったのですが、本人は「一生懸命やっている」と言う。
ふと頭をよぎったのは、「貧血ではないか」ということでした。
病院で検査をすると、血中ヘモグロビン値が低く、貧血でした。
それでは走れないのも無理はない。
まず体を治さないとだめだと話しました。
同時に、ひょっとしてほかにも貧血の生徒がいるのではないかと考え、検査してみると部員の約4割がヘモグロビン不足。
貯蔵鉄と言われるフェリチン、血清鉄の値が低い生徒も含めると、貧血または貧血予備軍が約6割に上りました。
貯蔵鉄は、いわば「銀行預金」で、ヘモグロビンが「手持ちのお金」です。
運動する時は、ヘモグロビンがあれば使い、なくなると「キャッシュディスペンサー」で下ろします。
預金がないのに、ハードトレーニングをするとヘモグロビンを使い果たして貧血を起こしますから、預金があるかどうかが大事なのです。
この時、貧血の生徒があまりに多くて驚いたので、もっと調べてみようということで筑波大学の鈴木正成教授(当時、2011年に死去)とチームを組み、脳の温度に近いといわれる鼓膜の温度を測りました。
生徒が何時に寝て、何時に起きているかといった生活アンケートと併せて分析すると、朝食を食べた生徒は温度が高く、食べていない生徒は低いことが分かりました。また、体温が高い生徒で、通学意欲があるのは約6割でしたが、低体温の生徒では25%でした。
なぜ、貧血や低体温の生徒が増えたのでしょうか。
子供たちが成長するための社会、生活環境が崩壊しているのです。
それが体に影響しています。
2008年に約1万5000人の小中高生に調査したところ、高校生の2人に1人は午前0時過ぎに寝ていました。
私が高校生だった45年ほど前は、平均して午後10時半に寝て、午前6時25分に起きていました(日本学校保健会調査)。
早寝早起きで8時間の睡眠時間です。
今の高校生は平均して午前0時05分に寝て、午前6時55分に起きています。遅寝遅起きだけでなく、睡眠時間も7時間と1時間少ない。
減った分の1時間、画面に向かっている生徒が増えていると考えています。
画面といっても、テレビだけではありません。
パソコン、電子ゲーム、携帯電話などで、今はスマートフォンです。
睡眠時間が減れば、朝起きられなくなり、朝食が食べられなくなります。栄養が足りず、貧血になっても不思議はありません。
放課後に甘い清涼飲料水を飲んだり、菓子を食べたりして血糖値だけがあがり、ご飯が食べられないことも影響しています。
疲れやすく、眠くなりやすく、気力もわいてこない。「体がだるい」「なんとなく」という理由で学校に行きたくない子がたくさんいるのです。
宿題は面倒で、予習復習もしませんから、今の子供たちの勉強時間がいかに少ないことか。
近隣のアジア諸国はもとより、あらゆる国に置いていかれてしまいますよ。
今はまだ、家庭と社会に教育力があって、学校が教育機関としての機能を果たしていた時代に育ったわれわれがタフで、経済力がありますから、日本は大丈夫です。
でも20年後については危機感を抱いています。30年後はきわめて厳しい状況になっているのではないかと心配です。学校、家庭、社会に、これからの子供たちを健康に育てる責任があります。
学校や家庭で、どのような対策をすべきでしょうか。
一番主張したいのは「とにかく早く寝なさい。携帯電話やスマートフォンを見る時間を短くしなさい」ということです。
しかし、焼け石に水でしょう。携帯電話を使わないと、子供たちはコミュニティーで生きていけません。
ひとつの家庭だけで使わないようにするのは難しい状況になってしまいました。
学校や地域、自治体単位で取り組まなければ無理だと思います。
改善できた学校は複数ありますよ。
例えば、山形県の高校では、校長先生を中心に、学校が一丸となって食育、健康教育、体育に取り組んだ結果、女子で約半数、男子で約3割いた貧血の生徒が、女子1割、男子ゼロに激減しました。
学校では、最低限、体育の時間に思いっきり体を動かすことです。
生徒たちが没頭して、汗だくになり、小競り合いが起きるくらい夢中になることが、良い授業の条件です。
夢中になれば、技術やフェアプレー精神が身につき、気づいたら体力抜群です。
跳び箱や鉄棒、マット運動などは、日本では「克服種目」で、皆さん、嫌いでしょう。
子供を跳び箱嫌いにするような授業はだめです。
「先生、楽しかった。できるようになった」。子供がそう言うような授業にしなければいけません。
学校の授業がそうあること、放課後の部活動でも保障されることが大事です。授業づくりは大事です。学校の責任は重いのです。
子供の体力低下も、生活習慣が原因ですか。
画面を見る時間が長くなった一方、外遊びは減りました。
原因の一端には、遊ぶ時間がなく、場所(空間)もなく、仲間もいない「サンマ=3間」の減少があり、子供たちの歩数が激減しているデータもあります。
背筋力を測ると、今の高校生より、私の方が高いです。
体格は大きくなりましたが、見合った筋力がないのです。
私はいろいろな高校に講演に行って、男子生徒と腕相撲で対戦しますが、負けたことは一度もありません。
そのくらい、今の子供たちは筋力がない。
原因は、鍛えていないという直接的なものだけでなく、栄養不足、低体温、自律神経失調などです。
一方で、福井県、秋田県の子供たちの体力は高いです。
文部科学省の2008年全国体力テストの結果を見ると、福井県の子供たちは、握力は全国平均と変わらないですが、20メートルシャトルランは小学生男子が61回、小学生女子が51回で、全国平均の同男子49回、同女子38回を大幅に上回っています。
特に女子は、全国平均の男子より高い。
福井県では、毎日運動をして、朝食を食べる子が多かったことが関連していると思われます。
生活習慣の大切さは、大人も同じでしょうか。
生活習慣は大人も子供もみんな共通しています。人間の体内で起きる生理学的な変化ですから。
8時間の睡眠を取っている人の鬱スコアがもっとも低くて、元気で明るく、あいさつもできます。
逆に、寝不足も寝過ぎも、鬱スコアは高いのです。
夜更かしをすれば、メラトニン(就寝前の1〜2時間前から分泌され、目覚めを抑えるホルモン)サイクルが狂って、朝になってもメラトニンが出てしまう。
その状態で大人も子供も生活していますから、大人の元気がない。
それを見ている子供も元気が出ないのは当たり前です。
皆が規則正しい生活をすれば、日本国民はもっと元気なはずなのです。
私は、札幌農学校でクラーク博士が言った本当の言葉とされる「少年よ大志を抱け。
この私のように」を座右の銘にして、「夢を持って、元気よく」を実践しています。
自分が元気ではないのに、学生に元気になれとは言えないでしょう。
大人がモデルにならなければいけません。
学生は「小澤先生の授業はきつい。でもめっちゃおもしろい」と言ってくれます。
私の授業を受ければ、鉄棒もマット運動も「やりたい!」となりますよ。
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東海大学体育学部体育学科教授
大学院体育学研究科 研究科長
小澤 治夫(おざわ・はるお)
1949年8月25日生まれ。1975年、東京教育大学大学院体育学研究科修了。
筑波大学付属駒場中・高等学校教諭等で勤務したのち2003年より北海道教育大学教授。
2007年より現職。2010年より東海大学大学院体育学研究科長。
専門は、保健体育科教育学・トレーニング科学・発育発達学・教師教育。医学博士。
日本発育発達学会理事、日本フィットネス協会代表理事、埼玉県スポーツ推進審議会会長。
文部科学省 「子どもの体力向上プロジェクト」「子どもの生活リズム向上プロジェクト」研究代表。
「全国体力・運動能力・運動習慣等調査に関する検討委員会委員」など。
第4回秩父宮スポーツ医科学奨励賞受賞、東海大学2007年度・2010年度ティーチングアワード受賞(優秀教員)
2012年09月28日
「生きてください」、いじめからあなたを守りたい
前向きに 「紙バンド」を広げたいと 明るく活躍する姿の過去に 陰湿で残酷なイジメられ体験があったことを知りました。
子供というより 人間って こうも残酷になれるのかと 悲しみがわきました。
「生きてください」
http://d.hatena.ne.jp/NozomiZenda/20120927/1348759841#c
ZendaNozomiの取り扱い説明書 9/27
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いじめからあなたを守りたい 乗り越えた親子
2012年9月28日 東京新聞
無視され、お弁当を一人で食べ続けた。
横浜市の通信制高校二年生小沢優希さん(16)=川崎市宮前区。
中学一年の時のいじめが原因で、二年以上不登校。
「性格を変えるから、仲良くして」と、泣いてすがったこともあった。
でも今は思う。「私らしさを誇って生きよう」
二〇〇八年四月、地元の公立中学に進み女子ソフトテニス部に入部。
人懐っこく、先輩にも気に入られた。男友達が多く、目立つ存在。はっきり意見をいうタイプだった。
それが、ある同級生の女子部員に嫌われた理由。
「うざくない?」。入部直後から陰口を言われていたらしい。でも表面上は仲良しだった。
部員同士で手紙交換をしていた。ある日、部員の一人がささやいた。
「優希の手紙、破って燃やされたんだよ」。夏休み前から仲間外れにされるようになった。二人組の練習では必ず一人残った。
「小沢ってバカじゃねーの」。仲が良かった男子も、大きな声で言いながら机を離した。お昼は三カ月近く一人で食べ続けた。
嫌でたまらなかった。できるだけ早く食べ終わりたい−。母親の早苗さん(46)に「お弁当箱を小さくして」と頼んだ。食欲もなく、残すようになった。
十月ごろだった。いじめを察した母親に促されて、その同級生に泣きながら電話した。
「私、変わるから仲良くして」と。母親は、思わず受話器を奪った。「うちの子の気持ちが分からないの」。だが、同級生は平然と答えた。「おばさん。私も小学生の時、いじめられた。何でいじめちゃいけないの」。
母親は担任に相談したが「様子を見ましょう」とだけ言われた。
十二月になると優希さんは学校に行けなくなった。
母親は、「娘がレールからはずれていくのを認めたくない」と、無理にでも行かそうとした。
父親の博之さん(47)も「無視ぐらいで負けるな。いじめと戦え」と怒鳴った。
それでも体が動かない。優希さんは、ストレスを家で爆発させた。壁を殴り、二人の妹に「出て行け」と怒鳴りつけた。心療内科に通い、眠れなくて睡眠薬も飲んだ。
部屋に閉じこもり、本やマンガを読んで過ごした。
一カ月、二カ月−とそんな生活は続いた。
「私、何をしているんだろう…。どうすればいいんだろう…」。落ちていく自分に、不安が膨らんだ。
そんな中、ふと、あることを思い出した。「私、英語が好きで『いつか留学したい』と思っていたんだ。勉強しなくちゃ」。両親に「塾に行かせて」とお願いした。
それが立ち直りのきっかけ。娘を、半ばあきらめかけていた両親には一筋の光だった。
〇九年夏から地元の学習塾に通った。一一年春、留学制度があり、不登校生徒も積極的に受け入れている通信制高校「クラーク記念国際高校」に入学した。
「環境が変わって、私らしさを取り戻せた」。
今春の学校説明会。いじめが原因で不登校になった中三の女子生徒とその母親に、自分の体験を語った。口には出さなかったが、心の中でエールを送った。
「自分を追い詰めないで。そのままのあなたで、いいんだよ」
(細川暁子)
2012年09月29日
《いじめを見ている君へ》江川紹子さん
2012年7月15日22時51分 朝日新聞
いじめを見たり聞いたりしても、誰かにそれを伝えるのは大変かもしれません。
今度は自分がいじめられるかもって、不安になりますよね。
でも、気がついた人が言わないと、その子は助からないんです。
中学校のころ、クラスで少し避(さ)けられている女の子がいました。
男子から容姿(ようし)をからかわれていました。仲良しの女の子が1人いたことで、深刻ないじめにはなりませんでした。
でも、卒業後しばらくたった後の同窓会で、仲良しだった子が言ったんです。
「あの子、亡くなったよ」。
場がシーンと静まりかえりました。
原因は病気でしたが、みんな心のどこかに、あのころのことが痛みとしてあったんです。
いじめられた子が自殺したり後遺症(こういしょう)を残すけがをしたりしたら、周りの人たちはすごく後悔することになります。
いじめを傍観するのも、いじめの一種。被害を出さないためにも、自分が何もしなかったことでしんどい思いをしないためにも、声をあげてほしい。
イスラエルという国で、兵役(へいえき)を拒み、パレスチナ人への迫害をやめようと声をあげた若い女性がいました。
周囲から無視され、批判もされたけれど、私にこう言いました。
「自分自身に正直であることが一番ハッピーなんだ」って。
大人の社会にも不正はあります。だから
偉そうなことは言えませんが、いじめを知ったなら、信頼できる大人に知らせてほしい。
子どもの世界のことは、子どもが一番よく知っているでしょう? 担任が信じられなかったら他の先生でもいい。
学校以外の人でも構わない。
あなたの声に耳を傾けている人はきっといますから。
(ジャーナリスト)
2012年10月12日
ITで障害を持つ子どもの学習を支援
ITで障害を持つ子どもの学習を支援
毎日新聞 2012年10月12日 00時32分
「学ぶ楽しさに気付いてもらえたら、一歩目としては成功です」。
知的障害や発達障害がある子どもの学習を助ける携帯情報端末向けのアプリを開発している。フリーのプログラマーだ。
転機は2年前の秋。長男に続いて当時3歳の次男が自閉症の疑いがあると診断された。
IT企業で深夜まで残業する日々。
子育ては妻に任せきりで負い目を感じていた。
そんな中、次男に携帯端末を持たせると、やり方を教えなくてもゲームで遊び始めた。
「自分の技術がこの子たちの役に立つのでは」。
15年続けた会社員生活をやめ、療育支援を仕事にしようと決めた。
これまで発表したアプリは3種類。
「子ども静かにタイマー」(170円)は、端末に内蔵されたマイクが拾う子どもの声が一定の音量を超えると、画面上で眠る「番犬」がほえる。子どもは遊びながら、静かにしていることを覚える。
騒ぎがちな長男と楽しくトレーニングしたい。そんな思いがヒントになった。
ダウンロード数は3種で計約3万件。
特別支援学校などでも試験的に活用されるようになった。
障害のない子どもの保護者や80代の女性ユーザーの声も届く。
以前に比べ収入は安定しないが、家族で過ごす時間は増えた。
「息子たちに使ってもらいながら改良していく。バグ(不具合)もよく見つけてくれ、開発の強みですね」【八田浩輔】
【略歴】さんぐう・なおや。新潟県出身。東京都立大(現首都大学東京)大学院修了。都内の自閉症育児サークルで活動している。39歳。ブログはhttp://blog.keaton.com/
2012年10月18日
肌がノートPC焼ける!? を使い続けると起こる恐ろしい症状
2012年10月17日(水)18時0分配信 美レンジャー
電車の中やお昼の公園でよく目にする光景といえば、何が思い浮かびますか?
携帯電話を操作している人や音楽を聞いている人が圧倒的に多いと思いますが、“太ももの上にノートパソコンを置いて作業をしている人”はどうでしょう?
「休み時間や移動中にも仕事なんて大変だな」と思いますよね。ですが、問題は忙しさではなく、パソコンの置き場所にあるのです。
■トースト肌症候群とは?
トースト肌症候群とはノートパソコンなどの熱源を、太ももに乗せて長時間作業をすることで起こる皮膚の炎症のこと。
“ちょっと作業をするだけ”のつもりで、太ももの上にノートパソコンを置いていると、底面が肌に触れ次第に熱さを感じてきますよね?
ノートパソコンにはハードディスクや精密機器、チップなどが詰まっているので、なんと44度くらいまで温度が上がるのだそう。
44度といえば、5〜10時間で低温ヤケドを発症する温度。
短時間であれば大きな問題はないのですが、そのまま作業を続けて放置してしまうと、皮膚に赤や茶色の斑点が現れます。
そうと知ったら、これまで太ももの上でパソコン作業をしていた人は、今すぐにでもやめたくなりますよね? 特に肌が弱い人や、子供は症状が現れやすいので、今すぐやめてください!
■肌が赤くなってしまったらするべきこと 3つ
(1)患部を冷やす
(2)水泡はつぶさない
水泡ができてしまったときは、雑菌の侵入を防ぐためにもつぶさないようにしましょう。また、水泡をつぶすと痕が残りやすくなるので要注意。
(3)すぐ病院へ行く
自己判断でオロナインなどのヤケド治療薬を患部に塗ってしまうと、その後病院へ行ったときの治療の妨げになることがあります。
冷水で冷やす以外の応急処置はとらないようにしましょう。
いかがでしたか? じわじわと時間をかけて肌の奥まで到達した熱は、外見上は目立たなく症状が軽く見えても油断できません。
自己判断することなく、医師の診察を受けるようにしましょう。
2012年10月30日
「集団で技を学ぶには不揃(ふぞろ)いな子がいたほうがいい…
東京新聞 10月29日「筆洗」
「集団で技を学ぶには不揃(ふぞろ)いな子がいたほうがいいと思っています。
年齢も経歴も性格も育ちもさまざまな子が、たがいを見ながら、自分の道を歩んでいくことができるからです」
▼法隆寺最後の宮大工西岡常一の唯一の内弟子を務めた後、「鵤(いかるが)工舎」を設立した小川三夫さんの言葉だ。
塩野米松さんが聞き書きした『不揃いの木を組む』(文春文庫)から引いた。
宮大工の世界にとどまらない知恵が詰まっているように思う
▼鵤工舎での修業は十年間。
長い年月は、隠し事や自分を飾ることは意味がない、と教えてくれる。
修業に耐え抜いた若者には優しさが生まれ、心にはゆとりが出てくるという
▼「学校でも器用な子のほうが先生には喜ばれるわけだよ。
学校は促成栽培だから、器用なやつほど成績がよくて、いい子なんや」。
早く簡単に仕事を済ませる要領の良さは、職人の世界では結局は損をするという。
物づくりや職人世界では、「絶対あかんことだ」と小川さんはいう
▼法隆寺や薬師寺の塔を内部から見ると、不揃いな材木でつくられ、一本一本が支え合って立っている。
宮大工の世界では「総持ち」という言い方をするそうだ
▼今の教育は目に見える成果ばかりを求めていないか。
「急いだら人は育たんで。不揃いの中で育つのが一番や」。
総持ちの思想からは遠くなったこの社会で、棟梁(とうりょう)の言葉は重く響く。
2012年11月03日
しあわせのトンボ:言葉と身体感覚=近藤勝重
毎日新聞 2012年11月02日 13時07分
日本語には体の各器官の感覚反応や動きを伴った言葉がいろいろある。
例えば腹なら、「腹に据えかねる」「腹の皮がよじれる」、
口なら「口が滑る」「口が曲がる」といった具合で、挙げていけばきりがない。
欲しくて欲しくてたまらない時の「喉から手が出る」といった言葉などは、その語感とともに肉体の体験がどうかかわってこういう言葉になったのだろう、と思わずにはいられない。
ぼくらが口にする言語は、幼児期の「アーア」「ウーウ」といった音(声)から始まり、そのうち「ワンワン」「ブーブ」と擬音化される経過をたどる。
頭の働きがどの段階で言語に影響をもたらしているのかはともかく、そんな幼児語もやがては目や耳など内臓系と離れた外の器官の働きを得て、言葉数を増やしていったに違いない。
そう考えると、詩人の多くが身体感覚に根差すオノマトペ(擬声語・擬態語)にこだわっているのも、人間存在のそもそもに迫ろうとしてのことと理解できる。
詩人の谷川俊太郎氏と和合亮一氏の対談本「にほんごの話」では、意味以前の言葉や肉体の奥底からわいてくる言葉について、るる語られている。
谷川氏はこんな話もしている。
<詩を作るときには「何を書く」というのを頭から追い出さないと駄目だ、というふうに思っています。だから、左脳をシャットダウンしてしまう。もっと脳よりも下、丹田(たんでん)で考える感じかな>
ついでながら、身体感覚に富んだ言葉の中で、ぼくのお気に入りは「腑(ふ)に落ちない」である。
頭では理解できても、何か納得しがたい、得心がいかないという話は、とりわけ昨今の政治家に多い。
衆院選挙がいずれ近いとあって、ああも言い、こうも言い、口はいたって滑らかだが、腑に落ちる話などとんと聞かない。
まかり間違って、彼らの話が体内のどこにもひっかからず、すとんと落ちてきたりすると、胃の腑がひっくり返るのではなかろうか、と案じている。
(専門編集委員)
2012年11月05日
さあこれからだ: がんばらない健康法=鎌田實
毎日新聞 2012年11月03日 東京朝刊
ぼくを育ててくれた父は、糖尿病だった。
生真面目(きまじめ)な人で、医師の言いつけを守り、食事にもよく注意していた。
しかし、80歳を過ぎたころ、突然、こう宣言した。
「もういい。これからは食べたいものを食べ、飲みたい酒を飲むんだ」
父は、年齢の割に健啖家(けんたんか)だった。
肉が大好きで、特に脂身(あぶらみ)には目がなかった。
おむつをあてていたが、構わず焼き肉屋や焼き鳥屋に行って、もりもり食べた。
その代わりにぼくは、父に野菜を多く食べるようにさせて、締めのおじややご飯を食べるのをやめさせた。
お酒は糖質(とうしつ)の低い焼酎を勧めた。
糖尿病患者への食事指導としては型破りだが、糖質をできるだけ少なくしたことで、血糖値(けっとうち)はそれほど高くならなかった。
それ以上に良かったのは、父のクオリティー・オブ・ライフ(生活の質)が上がったことだった。
「楽しくなければ人生じゃない」と、父もぼくも信じていた。
父は88歳で亡くなったが、ぼくは亡くなる直前にも父にビールを飲ませた。
糖質制限食について、日本糖尿病学会はなかなかその有用性を認めてこなかったが、最近になって、糖尿病の食事療法(りょうほう)の選択肢の一つとして認めた。
1日の糖質量の目安は130グラム。
ご飯なら2杯半(1杯で55グラム)、6枚切りの食パンなら3枚(1枚で40グラム)にあたる。決して厳しい制限ではない。
糖質も人間にとって必要な栄養素(えいようそ)なので、全くゼロにするのは良くない。だが、糖がいつも血管を流れていると、糖をコントロールするために、膵臓(すいぞう)からインスリンが分泌され、膵臓が疲れてしまう。
たんぱく質と糖質、脂肪のバランスを取ることが大事なのだ。
諏訪中央病院の東洋医学センターでは、糖尿病患者の食事指導の一つに糖質制限食を取り入れている。
糖尿病患者への食事指導はもちろん、カロリー制限が中心だが、カロリー制限で成功しない時、糖質制限食を導入(どうにゅう)すると成功する例がちょこちょこみられる。会社の社長のように、営業活動でごちそうを食べる機会が多い人の場合、糖質を制限するとうまくいくことが少なくない。
ぼく自身も、そうだ。食べるのが大好きなうえに、若いスタッフやお世話になっている人たちとの楽しい食事が、大事なコミュニケーションの場になっている。
それでも体重を「ちょい太」でキープできているのは、糖質を低く抑えた食事のおかげだと思う。
ぼくには2歳の時に別れた実の父がいるが、糖尿病を患い、脳卒中で亡くなったと聞いた。
糖尿病は遺伝することがある。だから、ぼく自身も十分注意している。
ごちそうが続いた日の後は、数日間、できるだけ糖質をとらないようにしている。
朝食はチーズとヨーグルト。
昼食はトマト寒天に野菜サラダとチーズ。
夕飯は山盛りの野菜サラダと納豆、魚と少量の肉を食べる。
ご飯は食べない。ご飯を食べたい時は、白米に黒米か赤米を混ぜると、血糖の急激な上昇を和らげてくれる。
それでも白米を食べたい時には、納豆にモロヘイヤかオクラ、昆布などを入れて、ネバネバと一緒に食べる。
「性格はサッパリ、おかずはネバネバがいい」と、自分に言い聞かせている。ネバネバにはムチンという、糖の吸収を遅くする成分が含まれているのだ。
健康は人生の目的ではない。人生を楽しむための手段に過ぎないのだ。
だから、糖尿病の患者さんにも「3カ月に1度くらいはフランス料理を食べてもいい」と言ってきた。
ご飯やパン、デザートを抜けば、フルコースだって楽しめる。
最近は「低糖質のフランス料理」なるものも登場した。
東京・四ツ谷(よつや)にある「オテル・ドゥ・ミクニ」では、前菜からデザートまですべて食べても糖質20〜40グラム、というコースを出している。
ふすま粉のパンが出てくるが、二つまでは食べていいという。
食べてみて驚いた。
本マグロのづけ風マリネ、キャビア添え、わさび風味に始まり、きのこのカプチーノ仕立てと続く。
魚料理は、ボイルしたマダイに、オクラやモロヘイヤ、ツルムラサキといったネバネバ野菜を添えたもの。
レモンの酸味が利き、うまかった。肉料理は牛フィレ肉と、ズッキーニなどの温野菜を一緒にいただく。
どの皿にも野菜や海藻、きのこが上手に使われている。
デザートも豆乳のブランマンジェや緑茶のシャーベットやショコラと、低糖質のものが続く。
味わっているうちに素材の甘みを感じることができて、満足感がある。
オテル・ドゥ・ミクニは、北里研究所病院の糖尿病の専門医の協力を得て、低糖質のフルコースを作った。
糖尿病やダイエット中の人に好評で、毎日2卓くらいの予約が入るという。
リピーターも増えている。
シェフの三国清三(みくにきよみ)さんは「血糖値を上げないようにしながら、食事を楽しめることを知ってほしい。
我慢し続ける食事療法ではなく、時々自分にごほうびをあげながら、健康を守ることのお役に立てるならうれしい」と話す。
最近はパンやラーメンのめん、ビールなどでも、低糖質の商品が多く出ている。
無理をしたり、我慢を続けたりする「がんばる健康法」から、そろそろ「がんばらない健康法」にシフトしてみてはどうだろう。
「生きている喜び」を実感できなければ、健康である意味がない。(医師・作家)
2012年11月23日
なるほどヒヨコ:勤労感謝の日って?
毎日小学生新聞 2012年11月23日
◇働(はたら)くことに感謝(かんしゃ)する日(ひ)。新嘗祭(にいなめさい)に由来(ゆらい)します
なるほどヒヨコ
23日(にち)は「勤労感謝(きんろうかんしゃ)」の日(ひ)だね。キンローってなんのこと?
記者(きしゃ)
一生懸命(いっしょうけんめい)に働(はたら)くことを勤労(きんろう)といいます。
勤労感謝(きんろうかんしゃ)の日(ひ)は「勤労(きんろう)をたっとび、生産(せいさん)を祝(いわ)い、国民(こくみん)がたがいに感謝(かんしゃ)しあう日(ひ)」として祝日(しゅくじつ)に定(さだ)められています。
元々(もともと)は新嘗祭(にいなめさい)という行事(ぎょうじ)に由来(ゆらい)しているんですよ。
ヒヨコ
ニイナメサイ?
記者(きしゃ)
天皇陛下(てんのうへいか)がその年(とし)に収穫(しゅうかく)した新米(しんまい)や穀物(こくもつ)を神様(かみさま)に供(そな)え、神様(かみさま)とともに食(た)べ、秋(あき)の実(みの)りに感謝(かんしゃ)する行事(ぎょうじ)です。
「新(にい)」は新穀(しんこく)を、「嘗(なめ)」は食(た)べ物(もの)をととのえてもてなす、という意味(いみ)があります。
古(ふる)くは「古事記(こじき)」にも天照大御神(あまてらすおおみかみ)がこの儀式(ぎしき)をしていたという記述(きじゅつ)があるそうです。
今(いま)でも宮中(きゅうちゅう)や出雲大社(いずもたいしゃ)、伊勢神宮(いせじんぐう)など各地(かくち)で行(おこな)われています。
宮中行事(きゅうちゅうぎょうじ)としては、最(もっと)も大切(たいせつ)な行事(ぎょうじ)とされ、天皇陛下(てんのうへいか)が栽培(さいばい)した穀物(こくもつ)も供(そな)えられます。
ヒヨコ
お供(そな)えするのはお米(こめ)だけ?
記者(きしゃ)
米(こめ)のほか、麦(むぎ)、アワ、豆(まめ)、キビまたはヒエの五穀(ごこく)とお酒(さけ)です。
冬至(とうじ)も近(ちか)くなり、太陽(たいよう)の力(ちから)が弱(よわ)まってくるこの時期(じき)に、古代(こだい)の人(ひと)たちは、新(あたら)しい穀物(こくもつ)のパワーを体(からだ)に取(と)り入(い)れることで厳(きび)しい冬(ふゆ)を乗(の)り切(き)ろうとしたのだと考(かんが)えられます。
この時期(じき)、五穀(ごこく)を混(ま)ぜたご飯(はん)を食(た)べてみるのもいいかもしれませんね。
ヒヨコ
秋(あき)の恵(めぐ)みに感謝(かんしゃ)するお祭(まつ)りなんだね。外国(がいこく)でも同(おな)じようなお祭(まつ)りがあるの?
記者(きしゃ)
「Thanksgiving Day」(感謝祭(かんしゃさい))という祝日(しゅくじつ)がちょうど同(おな)じころにあります。
アメリカは11月(がつ)の第(だい)4木曜日(もくようび)、カナダでは10月(がつ)の第(だい)2月曜日(げつようび)。
こちらは家族(かぞく)が集(あつ)まって、家(いえ)で七面鳥(しちめんちょう)とジャガイモを食(た)べるのが一般的(いっぱんてき)です。
ヒヨコ
うーんおいしそう!
記者(きしゃ)
元々(もともと)は宗教的(しゅうきょうてき)な色合(いろあ)いが強(つよ)かった新嘗祭(にいなめさい)でしたが、第二次大戦後(だいにじたいせんご)の1948年(ねん)に国民(こくみん)の祝日(しゅくじつ)として「勤労感謝(きんろうかんしゃ)の日(ひ)」に制定(せいてい)されました。
みなさんはまず、お父(とう)さんやお母(かあ)さんなど身近(みぢか)にいる、働(はたら)く人(ひと)たちに感謝(かんしゃ)する日(ひ)にしてみるといいかもしれませんね。
【上東麻子(かみひがしあさこ)】
2012年11月24日
さあこれからだ:「言葉」を育てる小学校=鎌田實
毎日新聞 2012年11月17日 東京朝刊
「生きる力」の基本であるコミュニケーション力を、どうやって身につけるか。
北九州市の小学校教師、菊池省三(しょうぞう)先生がこのほど上梓(じょうし)した「菊池先生の『ことばシャワー』の奇跡」(菊池省三、関原(せきはら)美和子著、講談社)を読んで感動した。
荒れた教室の子どもたちが、1年間で見事に変わっていくのだ。
菊池先生が初めて子どもたちと対面した始業式の日。
体育館での式を終えて教室に入る前、菊池先生はバスケットボールのコートの円の中に入るよう、クラス全員に声をかけた。
だが、26人全員がうまく円の中に座ることができない。
円の中に入れず立ったままの子がいても、みんな平気だ。
菊池先生は子どもたちに注意をして全員を座らせると、こう話し始めた。
「掃除時間に何も持たずにぶらぶらしたり、廊下や階段で暴れたり、今までよくないことを平気でしていた人がいますね。
1組の教室では、そのようなことは絶対に許しません。
そんな今までの自分は、ここで“リセット”しましょう。最高学年としてこれから頑張る、という人だけ立ちなさい」
このやり方は、うまい。
先生の言うことなんて絶対聞くもんか、と思っている反抗的な子にも「立つくらいはいいかな」と思わせてしまう。
この「一歩」が肝心なのだ。
とても明快である。
崩壊した教室では「死ね」「ばか」「消えろ」「キモイ」など、とげとげしい言葉が飛び交うものだ。
菊池先生は、受け持った6年1組の子どもたちに、教室にあふれさせたい言葉を尋ねた。
「ありがとう」「ごめんね」「おはよう」「いいよ」「やさしいね」「すごいね」……。
子どもたちは、ほめられること、自分を認めてもらうことに飢えていた。
菊池先生は、子どもたちの「話す力」「聞く力」「話し合う力」を高めていく。
内気だから、人前で話せないのはしょうがない−−と思わないようにさせるのだ。
ユニークなのは「ほめことばのシャワー」。友だちのいいところを見つけて、みんなの前で発表させる授業だ。
「掃除用具を片づけていたら、○○さんが手伝ってくれました。5年生のときとちがってやさしくなったと思います」
ほめる方も、人のいいところを探す目が養われる。ほめられる方も、自分にはこんないいところがあった、ということを発見する。
「ほめことばのシャワー」を浴びると、自信と安心が得られるのだ。
それだけではない。菊池先生は子どもたちに、何度もこう語りかけている。
「知恵がないものがいくら知恵をしぼっても、何も出てこない。だから本を読もう、人と会おう」
ぼくにも子どもの時、似たような体験があった。
小学校高学年の時、知能検査があった。
しばらくして、担任の先生に言われた。
ぼくはそのころ級長をしていた。
通信簿もたいていオール5。
俗に言う「優等生」だった。
でも勉強は好きではなかった。
試験の前の「一夜漬け」が得意だったのだ。
だが「IQ高くないぞ」と言われてみて「そうかもしれない」と思った。
頭がすごくいいヤツがいることは、子どもの目でもわかる。
そういう人と自分とは違うことが、この時にわかった。
先生がなぜそんなことを言ったのか、わからない。
一夜漬けで一応の成績をとっててんぐになっていたぼくの「がんばりすぎない」性格を見抜いて、発奮(はっぷん)材料にしてくれたのかもしれない。
「IQ高くないぞ」という言葉は、ぼくにとっていい「リセット効果」をもたらした。
頭がよくないから、みんなと同じことをしていてはダメだと思うようになった。
知識は少ないけれど、たくさんの本を読んで、たくさんの人に会い、いろんなことを教えてもらおうと思った。
大学受験を意識するようになった時も「IQ高くないぞ」という言葉はちゃんと残っていた。
みんなと同じことをしていては、自分のいる環境から抜け出せないと思った。
朝4時半に起きて勉強するようになった。
その意識は、今も変わらない。今64歳、いまだに4時半に起きて机に向かっている。
小学校の教室で学んだことは、一生影響すると思う。
言葉が貧困なのは、荒れた教室の子どもたちばかりではない。
ぼくたち大人社会にも、人を傷つけ、他人を尊重しない言葉が横行しているのではないか。
だが、人を勇気づけてくれるのも、人と人とがわかり合えるのも、言葉あってこそだ。言葉には使う人の心が映る。
菊池先生は、言葉の使い方の技術だけを教えているのではない。子どもたちの言葉を育て、心を育てているのだ。
先生の話をもっと聞きたくなった。
25日午前10時からの「日曜はがんばらない」(文化放送)のゲストとして、先生に電話出演してもらう。
当日の放送を楽しみにしていただきたい。
聞き逃した方、放送圏外の方は後日、ネットストリーミングで聴くことができる。
(医師・作家)
2012年11月25日
<からたち垣根に/吹く風は/いたむこころに/たえがたき・・>
2012年11月25日 東京新聞
<からたち垣根に/吹く風は/いたむこころに/たえがたき/−ああ たえがたき/秋の風>。
サトウハチローの詩「秋の風」の一節だ。
晩秋の風は一層冷たさを増し、沈みがちな心に吹きつけてくる
▼織田作之助は『秋の暈(かさ)』という随筆をこう書き出している。
「秋という字の下に心をつけて、愁と読ませるのは、誰がそうしたのか、いみじくも考えたと思う」。
心を従える四季の漢字には「惷」があるが、やはり「愁」にひかれてしまう
▼里に下りた紅葉前線の錦繍(きんしゅう)の彩りが鮮やかだ。
イチョウの葉の黄色いじゅうたんが広がり始めた。
物理学者の寺田寅彦は、窓の外に見えるイチョウの木々が、風もないのに申し合わせたように濃密な黄金色の雪を一斉に降らせた驚きを書き残している
▼<何かしら目に見えぬ怪物が木々を揺さぶりでもしているか、あるいはどこかでスウィッチを切って電磁石から鉄製の黄葉をいっせいに落下させたとでもいったような感じがするのであった>。
不思議な自然の摂理である
▼イチョウの実のギンナンは食べ過ぎると中毒を起こす。
六十個を食べた四十代の女性が嘔吐(おうと)やめまいなどを訴え、救急搬送された例もあるという。
特に幼児にたくさん食べさせるのは禁物だ
▼<銀杏(ぎんなん)が落ちたる後の風の音>中村汀女。
イチョウが黄色く色づいた葉を完全に落とすと、いよいよ冬の到来である。
2012年11月28日
2012年12月01日
子どもの低体温が増加…対策は「早寝早起き」「運動」「水分補給」
2012年11月30日(金)12時31分配信 リセマム
キリンMCダノンウォーターズは、全国の小児科医107名に対し実施した「子どもの低体温傾向とその対策に関する調査」の結果を発表した。
調査結果から、低体温の子どもが増えていると感じている小児科医が8割近くおり、その対策として規則正しい生活や適度な運動、そして水分補給が有効と考えられていることがわかった。
調査によると近年、低体温の子どもが「増えている」(2.8%)、「やや増えている」(75.7%)と、合わせて約8割の医師が増加傾向にあると答え、小児科医の多くが実感していることが明らかになった。
また低体温の子どもが増えてきたのは、ここ数年(3年前まで)と感じている医師が40.5%、5年前くらいからが36.9%、10年前からが20.2%で、98%以上の医師がここ10年の間に変化が起きたと考えている。
低体温の子どもに共通する特徴について尋ねたところ、もっとも多く寄せられたのが「やせ気味」(49.5%)と「疲れやすい」(38.3%)。
さらに「集中力がない」(16.7%)、「動きが緩慢」(17.8%)、「食欲にムラがある」(16.8%)などの回答も多く、どれも今後の学校生活を送るうえで大切な物が失われる可能性が大きい。
これらの理由としては「代謝の低下」(58.9%)をあげる医師がもっとも多く、ついで「睡眠不足」と「就寝時刻が遅い」(それぞれ45.8%)、「食生活の乱れ」(42.1%)、「冷暖房の使用による体温調節機能の低下」(41.1%)、「運動不足」(35.5%)が続いており、生活習慣の乱れは低体温に結びつきやすいと考えられていることがわかった。
ここで大切なのはその対策だ。
低体温を防ぐために、医師が勧めていることとしては「適度な運動」(72.9%)、「十分な睡眠」(65.4%)、「食生活の改善」(57.9%)「水分補給」(72.9%)だ。
「適度な運動」の度合いとしては「ジョギングや鬼ごっこなどの軽く汗をかく程度」をあげた医師が71.8%がもっとも多く、ついで「ウォーキング、体操、お遊戯等の軽い運動」が52.6%で、軽い運動で十分だと考えられる。
また、十分な睡眠の目安は「8時間以上」が9割を占めたが、早く就寝することが大切と考える医師が半数近く(47.7%)いたことから、単に睡眠時間数を増やすだけでなく、「早寝早起きをする」などの生活習慣を正すことも大切だ。
水分補給の方法は「少量をこまめに」と回答した医師が9割近くにのぼる一方、「たくさんの量を飲む」という回答はゼロ。
さらに温めて飲むよりも「常温を飲む」をあげた医師のほうが倍以上多く、こまめに常温での水分摂取を心掛けたい。
なお、10歳前後の子どもが必要な1日の水分量は「1.5リットル」と考える医師が40.2%で最多。
ほか、1リットル程度が32.7%、2リットル程度が21.5%と続き、9割以上の医師が1日に「1〜2リットルの水分補給」を推奨している。
2012年12月05日
たくさんの人が「意味を勘違い」して使っている言葉
2012年12月5日(水)18時0分配信 美レンジャー
年賀状を書く時期になってきましたね。
口語や文語、敬語の使い分け。
日本語の難しさは公の機会があるたびに迷ってしまうもの。
通例化してしている言葉の中に、間違った日本語が使われているのをよく目にします。
今回は彼氏や友人の前でも使わないように気をつけたい、ありがちな思い込みを再検討です。
■意外と気付かない重複語の落とし穴
ひとつの言葉で意味が通じるのに、つい使ってしまうのが重複表現です。わかりやすいものを以下にあげてみました。
(1)お中元/お歳暮のギフト
お中元とお歳暮は、お世話になった方への贈り物という意味です。”ギフト”と重複していますね。
(2)一番最初/最後”
最も”がつく単語に”一番”をつけると同じ意味を繰り返すことに。
”後悔”とは必ず”後”にするものですよね。
(4)過半数を超える
過半数はすでに半分を超えていることです。
(5)余分な贅肉
余計な脂肪という意味ならば”贅肉”のひとことで伝わります。
(6)今現在
まさに”今”ということを強調したいのかもしれませんが、これも重複表現です。
(7)元旦の朝
元旦とは元日の朝のことです。
(8)クリスマスイブの夜
イブは前夜という意味ですよね。
実はこうした言葉はアナウンサーも間違ったまま発言していることも! ビジネスシーンなどでは特に気をつけたいところです。
■勘違いしやすい言葉の使い方
友人がしているちょっとした勘違いを正すのも気が引けますよね。
せめて自分だけは意識してみましょう。以下に、大人でも多い勘違いを紹介します。
(1)的を得た
的は射るものなので、”得る”ものではありません。
(2)熱にうなされる
夢にはうなされますが、熱には浮かされる、が正解です。
(3)合いの手を打つ
打つのは相づちです。正しくは”合いの手を入れる”。
(4)愛想をふりまく
正しくは”愛嬌をふりまく”。愛想は態度のことなので、振りまくことはできません。
(5)体調を壊す
体調は壊せないものなので、”体調を崩す”なら正解です。
(6)取りつく暇もない
多忙で暇がない、という意味ではありません。正しくは”取りつく島もない”で、冷たい態度をとられて会話のきっかけさえ掴めないことです。
グレーゾーンになっている言葉のひとつに”ご存知”があります。”知る”の謙譲語である”存じ上げる”が語源なので、”ご存じ”が正しいかたちですが、今では慣例によりどちらでも許される風潮に。
ひょっとしたら間違いに気付いている人も、聞き流してくれているのかもしれませんね!?
他人の間違いにもあまり厳しくしないであげてみてくださいね
2012年12月19日
非正規教員11万人超 公立小中校 正規は1万人減
2012年12月16日 東京新聞朝刊
全国の公立小中学校で臨時採用などの非正規ので臨時採用などの非正規の教員が増え、二〇一二年度は教員全体の16%に当たる十一万三千人となったことが十五日、文部科学省の調査で分かった。
一方で正規教員が減少しており、
同省は十分な研修を受けていない非正規教員の増加は教育の質向上の面で問題があるとして、正規採用を計画的に増やす考えだ。
非正規教員は、産休や育休の代替を含む臨時採用の常勤講師と、非常勤講師。年々増え、八万四千人だった〇五年度から約三万人増えた。
半面、正規教員は〇五年度の五十九万七千人から一二年度は五十八万七千人に減った。
教員定数に占める割合でみても、正規教員は94・8%から92・7%に下がった。
都道府県別では沖縄が83・8%で最も低い一方、財政力のある東京は101・8%で定数を上回って採用しているなど地域間格差もみられた。
こうした背景には、教員を複数年にわたって増やす国の「定数改善計画」が、財政難などを理由に〇六年度以降策定されていない事情がある。
このため各自治体は国が予算編成で教員増の予算を計上するかどうか年末まで見極めなければならず、十分な採用期間を確保できないのが現状だ。
文科省は今年九月、正規教員の増員と少人数学級の推進を図るため、一三〜一七年度で二万七千八百人の増員を盛り込んだ定数改善計画案をまとめた。
しかし財務省は少子化を理由に五年間で一万人削減できると主張しており、来年度予算編成の焦点となりそうだ。
*********************
「年収170万円」の聖職
クローズアップ現代(2008年11月6日放送)
教員の世界でとんでもないことがおこっている。
予算削減で教員を減らし、その穴を非正規教員で埋めているのだ。
産業界は、派遣社員でもっているようなものだが、教員の世界までもそうなのか。
非正規教員とは、教員免許はもっているが、教員採用試験に合格していない教師のことだ。
収入も正規教員の半分。
雇用も不安定で最長でも1年契約で、年度の途中で打ち切られることもある。
国谷裕子は、「正確な数はわからないが、公立の小中学校で少なくとも9万人、全体の14%にのぼる」といった。
「学習塾でバイト」しないと食べていけない
小泉首相の三位一体改革で、国は自治体に公務員削減を求め、一方で少人数学級などきめ細かな教育も求めた。
この矛盾を切り抜ける手段が非正規教員だという。
広島市内・公立中学の非常勤講師松浦佑紀(23)は、昨(2007)年大学を卒業したが、まだ採用試験に合格していない。
給料は時間単位、ひとコマ2500円。
ボーナスや手当もないので、年収は正規教員の半分の170万円だ。
この学校では44人の教員のうち13人が非正規だ。
広島県は財政事情から全国に先駆けて教員削減を進め、2002―07年の間に1200人を減らし、代わりに非正規教員を700人増やした。
一方国が求める教育改革で、広島市では習熟度別授業でクラスを2つに分け、先生1人に生徒20人態勢を進めようとしている。
それに必要な教員200人はすべて非正規をあてる方針だ。
松浦佑紀もその1人というわけだ。
しかし、彼は授業が終わると早々に学校を後にする。
学習塾でのアルバイトをしないと食べていけないからだ。
帰宅してからも、学校でのテストの採点などをするが、手当はつかない。
「生徒たちと一日中一緒にいたいが、できないのが寂しい」という。
「国が責任を持って負担すべきだ」
取材したNHK広島の戸来久雄記者は、「パートタイムで4つの学校を行ったり来たりの人もいた。
しかし、みな正規採用を目指しているが、やめていく人も多い」という。
国谷は、「非正規教員がふえて、教育の質は保たれるのか?」と藤田英典・国際基督教大学教授に聞いた。
藤田教授は、「質の低下はありうる」として、
(1)非正規教員は研修の機会もなく、力量があっても発揮できない、
(2)他の教師との連携が弱い、
(3)専任教師の負担が重くなる、などをあげた。
元をたどれば財政問題だ。
三位一体改革では、義務教育への国庫負担が2分の1から3分の1に減らされ、減った分は交付税として自治体にいってはいるのだが、非正規教員で浮いた予算を他にまわすというのが実情だという。
現に広島県内で、病気で欠けた理科教師の代わりが見つからず、自習を続けたあげく中間試験を見送った学校。
数学の教師の穴を保健体育の教師が埋めた話があった。
一方東京・杉並区は、区独自に教員研修を行って採用。
プラスの配置で30人学級を増やしたりしている。
財政力によるとんでもない格差……。
藤田教授は、「義務教育はライフライン。
予算は国が責任を持って負担すべきだ。
金も人手もかけずでは、質が保てまい」という。
教育改革は、安倍首相(当時)がイギリスのサッチャー改革を範として進めたものだ。が、サッチャーの政策は教育現場を荒廃させたとして、ブレア首相(当時)が建て直しに着手した。決め手は巨額の予算投入だった。
*NHKクローズアップ現代(2008年11月6日放送)
2013年01月02日
正月行事の意味
正月行事の意味
2013年1月2日(水)9時30分配信 All About
新年を迎え気持ちも新たに……などといいますが、昔は元旦に年神様(新年を司る神様)からその年の魂を分けていただくと考えられていました。
”魂”というと驚くかもしれませんが、年神様から”生きる気力”を授かることが正月の大きな意味で、一連の正月行事は、年神様を家に迎えて・もてなし・見送るためのものです。
その昔、誕生時が1歳で、その後元旦に年をとる「数え年」だったのは、魂の数が年齢だったから。
お母さんのお腹の中にいるときに既に魂があるから生まれたときは1歳で、年神様から魂をいただく元旦にみんな一斉に年をとるわけです。
では、どうやって魂を授かったのでしょう。
まず、年神様の依りどころである鏡餅に「年魂」が宿ります。
この「年魂」が宿った餅玉を、家長が家族に分け与えます。(これが「御年魂=御年玉」です)。
その餅玉を身に付けるための料理が「雑煮」で、食べることで心身に取り込んだのです。
今でも、雑煮のお餅はたくさん食べたほうが良いと言われているのは、このような理由があるからです。
時と共にかたちは変わってきましたが、正月の意味を知ることで、行事に対する思いが深まるのではないでしょうか。
新年を迎え気持ちも新たに……などといいますが、昔は元旦に年神様(新年を司る神様)からその年の魂を分けていただくと考えられていました。
”魂”というと驚くかもしれませんが、年神様から”生きる気力”を授かることが正月の大きな意味で、一連の正月行事は、年神様を家に迎えて・もてなし・見送るためのものです。
その昔、誕生時が1歳で、その後元旦に年をとる「数え年」だったのは、魂の数が年齢だったから。
お母さんのお腹の中にいるときに既に魂があるから生まれたときは1歳で、年神様から魂をいただく元旦にみんな一斉に年をとるわけです。
では、どうやって魂を授かったのでしょう。
まず、年神様の依りどころである鏡餅に「年魂」が宿ります。
この「年魂」が宿った餅玉を、家長が家族に分け与えます。(これが「御年魂=御年玉」です)。
その餅玉を身に付けるための料理が「雑煮」で、食べることで心身に取り込んだのです。
今でも、雑煮のお餅はたくさん食べたほうが良いと言われているのは、このような理由があるからです。
時と共にかたちは変わってきましたが、正月の意味を知ることで、行事に対する思いが深まるのではないでしょうか。
2013年01月12日
やってみせて/言って聞かせて/やらせてみて/ほめてやらねば/人は動かじ
2013年1月11日 東京新聞「筆洗」
<やってみせて/言って聞かせて/やらせてみて/ほめてやらねば/人は動かじ>。
山本五十六が残した有名な言葉だ。
米ハワイの真珠湾を奇襲した連合艦隊の司令長官は、日米開戦を防ぐため、日独伊の三国同盟締結に体を張って反対した開明的な軍政家でもあった。
その教育論は示唆に富む
▼百人いれば百通りの教育論がある。
自分の経験が基にあるだけに、信念は簡単には曲げられない。
ほめるよりも、叱る方が教育的な効果がある、と信じている人も少なからずいるだろう
▼大阪市桜宮高校のバスケットボール部の主将が先月自殺したのは、部活の顧問の男性教諭の体罰が原因だった。
自殺の前日には三、四十回殴られた、と心配していた母親に明かしていた。
顧問がしたことは教育的指導などではなく、明らかな犯罪行為だ
▼閉鎖的な学校空間が暴力のはびこる実態を外から見えにくくしている。
複数の教員が体罰を目撃していたが、黙認していたという。
過去のいじめ事件から何を学んできたのだろうか
▼自殺する前日、顔を腫らせて帰ってきた時も、「弁当おいしかった」と母親を気遣う優しい子だった。
主将でなければ、強豪校でなければ、常軌を逸した暴力にもっとサインを出せたのではないか。
そう考えると、やりきれない
▼ほめられ、叱咤(しった)されて伸びる才能はあろう。
踏みにじられて伸びる芽はない。
「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ
2013年1月11日20時51分 朝日デジタル
【岡雄一郎】体罰問題について、元プロ野球投手の桑田真澄さん(44)が朝日新聞の取材に応じ、「体罰は不要」と訴えた。
殴られた経験を踏まえ、「子どもの自立を妨げ、成長の芽を摘みかねない」と指摘した。
私は中学まで毎日のように練習で殴られていました。
小学3年で6年のチームに入り、中学では1年でエースだったので、上級生のやっかみもあったと思います。
殴られるのが嫌で仕方なかったし、グラウンドに行きたくありませんでした。
今でも思い出したくない記憶です。
指導者が怠けている証拠でもあります。
暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法。
昔はそれが正しいと思われていました
早大大学院にいた2009年、論文執筆のため、プロ野球選手と東京六大学の野球部員の計約550人にアンケートをしました。
体罰について尋ねると、「指導者から受けた」は中学で45%、高校で46%。
「先輩から受けた」は中学36%、高校51%でした。
「意外に少ないな」と思いました。
ところが、アンケートでは「体罰は必要」「ときとして必要」との回答が83%にのぼりました。
「あの指導のおかげで成功した」との思いからかもしれません。
でも、肯定派の人に聞きたいのです。指導者や先輩の暴力で、失明したり大けがをしたりして選手生命を失うかもしれない。それでもいいのか、と。
私は、体罰は必要ないと考えています。「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか? スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。
殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。
スポーツ界にとって大きな損失です。
でも、例えば、野球で三振した子を殴って叱ると、次の打席はどうすると思いますか? 何とかしてバットにボールを当てようと、スイングが縮こまります。
それでは、正しい打撃を覚えられません。
「タイミングが合ってないよ。どうすればいいか、次の打席まで他の選手のプレーを見て勉強してごらん」。
そんなきっかけを与えてやるのが、本当の指導です。
今はコミュニケーションを大事にした新たな指導法が研究され、多くの本で紹介もされています。
子どもが10人いれば、10通りの指導法があっていい。
「この子にはどういう声かけをしたら、伸びるか」。
時間はかかるかもしれないけど、そう考えた教え方が技術を伸ばせるんです。
「練習中に水を飲むとバテる」と信じられていたので、私はPL学園時代、先輩たちに隠れて便器の水を飲み、渇きをしのいだことがあります。
手洗い所の蛇口は針金で縛られていましたから。
でも今、適度な水分補給は常識です。
スポーツ医学も、道具も、戦術も進化し、指導者だけが立ち遅れていると感じます。
体罰を受けた子は、「何をしたら殴られないで済むだろう」という後ろ向きな思考に陥ります。
それでは子どもの自立心が育たず、指示されたことしかやらない。
自分でプレーの判断ができず、よい選手にはなれません。
そして、日常生活でも、スポーツで養うべき判断力や精神力を生かせないでしょう。
「極限状態に追い詰めて成長させるために」と体罰を正当化する人がいるかもしれませんが、殴ってうまくなるなら誰もがプロ選手になれます。
私は、体罰を受けなかった高校時代に一番成長しました。
「愛情の表れなら殴ってもよい」と言う人もいますが、私自身は体罰に愛を感じたことは一度もありません。
伝わるかどうか分からない暴力より、指導者が教養を積んで伝えた方が確実です。
日本のスポーツ指導者は、指導に情熱を傾けすぎた結果、体罰に及ぶ場合が多いように感じます。
私も小学生から勝負の世界を経験してきましたし、今も中学生に野球を教えていますから、勝利にこだわる気持ちは分かります。
しかし、アマチュアスポーツにおいて、「服従」で師弟が結びつく時代は終わりました。今回の残念な問題が、日本のスポーツ界が変わる契機になってほしいと思います。
大阪府出身。PL学園高校時代に甲子園で計20勝を記録。
プロ野球・巨人では通算173勝。米大リーグに移り、2008年に現役を引退した。
09年4月から1年間、早稲田大大学院スポーツ科学研究科で学ぶ。
現在はスポーツ報知評論家。
今月、東京大野球部の特別コーチにも就任。
著書に「野球を学問する」(共著)など。
「心のノート」復活 政権ごとに変わる教育 現場当惑
2013年1月12日 06時59分 東京新聞
子どもの心に教育がどこまで踏み込むべきか−。
導入時に議論を呼び、民主党政権では中止された道徳副教材「心のノート」の小中学校への全児童・生徒への配布が、自民党の政権復帰で復活しようとしている。
政権交代ごとにコロコロと施策が変わることに「教育現場の声にもっと耳を傾けてほしい」と切実な声が上がる。 (加藤文)
「心のノート」は、神戸の連続児童殺傷事件(一九九七年)など深刻な少年事件が相次ぎ、いじめや不登校が社会問題化したことを受け二〇〇二年度から文部科学省が配布。
小学校の低、中、高学年用と中学生用の四種類あり、思いやりや友情の大切さに加え、愛国心なども盛り込まれた。
中学生用には「我が国を愛しその発展を願う」などの記載があり「一定の方向に子どもを誘導することにつながりかねない」との批判も出ていた。
民主党政権による事業仕分けで、約三億円の予算は削減され、一〇年度からは配布を中止。
必要に応じ、文科省のホームページからダウンロードして使用するよう改めた。
十一日に公表された一三年度予算の概算要求には、全校配布の費用が盛り込まれた。
さらに、一三年度中に省内に有識者会議を立ち上げ、改訂版をつくる方針だ。
「モラルを教えることは大切だが、心のノートが本当に役立つとは思えない。
子どもに刷り込もうとする大人の思い上がりではないか。
学校で現実に起きていることを題材に、子どもたちに考えさせることが大切だ」。
都内の中学の男性教諭(60)は指摘する。
「教育が政治の道具に使われる危険を感じる」
東京都は昨年七月、都独自の道徳用教材「心 みつめて」を中学生に配布。
教科書会社発行の副読本を使う学校もある。
「心のノート」が加われば三冊目となる。
年間三十五時間の授業時間では、三冊は到底、使い切れないとの声も上がる。
自民党政権の復活に伴い、調査対象を限定していた全国学力テストや体力テストも全校調査に戻される。
「今でも中間、期末試験に加えて区と都の学力テストがある。これに全国学力テストが加われば現場の負担が大きい」(都内の中学校長)との声も漏れる。
学校現場の声を反映せずに、政権交代によって変わる教育予算。
文科省の伯井美徳財務課長は「(その時々の政権下の)決められた予算内で行うしかない。
もともと配布していたのを復活させるもので、道徳教育には欠かせない教材」と説明する。
ある小学校の男性教諭(48)は「教育政策がころころと変わると現場は混乱する。腰を落ち着けて取り組める施策にお金を使ってほしい」と訴える。
2013年01月16日
余録:それは「体罰が暗記学習の成績向上に有効かどうか」
毎日新聞 2013年01月16日 00時11分
それは「体罰が暗記学習の成績向上に有効かどうか」という実験だった。
教師役が被験者の生徒役に問題を出し、できねば電気ショックを与える。
間違えるとだんだん電圧を上げるというものだった。
今から半世紀前の米国の実験である
▲「そんな、乱暴な」と驚かれようが、実はその実験目的も電気ショックもうそで、本当の被験者は教師役だった。
偽の電圧操作盤を回すと生徒役は壁越しに悲鳴をあげ、実験停止を懇願してみせる。
一方、実験の監督者は大丈夫だから実験を続けるよう教師役に命じた
▲では最後に見かけの電圧が400ボルトを超えても実験を続けた教師役は全体の何%だろうか。
これが実験の真の目的だった。
事前の学者らの間の予想は2%未満だったが、実際は65%が最後まで実験継続を拒まなかった(岡本浩一(おかもと・こういち)著「社会心理学ショートショート」)
▲主導した学者の名前から「ミルグラム実験」と呼ばれるこの実験である。
それが示すのは、権威者の命令があれば容易に人はその支配下にある者にどこまでも残酷になれるという事実だ。
「権威者の命令」が大義名分や正義の感情に置き換えられる場合もあるだろう
▲大阪市の高校の部活での常軌を逸した部員への暴力も、部活の体罰への学校幹部らの見て見ぬふりの中で歯止めを失ったようだ。
一般に部活では珍しくないとされる体罰だが、いったん正当化された密室内の暴力がはらむ危険に教育者が鈍感であっていいはずがない
▲指導に体罰を用いる先生方は生徒らを試しているのだろう。
だが実は試されているのは自身の人間性だったと後から分かっても、失われたものは戻らない。
2013年01月19日
2013年01月20日
社説:桜宮高校の体罰 入試中止要請は筋違い
毎日新聞 2013年01月20日 02時30分
大阪市立桜宮高校の体育科の生徒が教諭から体罰を受けた後に自殺した問題で、橋下徹市長は、来月実施の体育科とスポーツ健康科学科の入試を中止するよう市教委に求めた。
体罰容認の風潮を残したままで新たに生徒を受け入れられないというのが橋下市長の考えだ。
体育系2科の希望者をいったん普通科で受け入れ、入学後に編入を検討するよう提案し、市教委が中止しなければ、市長権限で入試に関連する予算を支出しない意向を示している。
しかし、体育系2科と普通科では入試科目や配点が異なり、編入もスムーズにいくか分からない。
受験生だけでなく、在校生への影響も大きい。
受験生や生徒たちに負担を与えてはならない。
入試中止は筋違いであり、再考すべきだ。
今最も重要なのは、長年にわたって体罰が行われてきた実態を解明し、責任の所在を明らかにすることだ。
大阪市は弁護士による外部監察チームをつくり、市教委も連携して3月末までに再発防止策を定める。
ところが、橋下市長は「廃校もありうる」とまで言及している。
真相が明らかにされないうちに、市長が学校そのものが悪いという姿勢を示せば、その意向に沿った調査になりかねない。
強い反省に立って真摯(しんし)に原因究明しなければ意味はない。
橋下市長は、同校の全教員を異動させるよう市教委に求め、運動部の全顧問を入れ替えないと人件費を執行しないとも明言した。
予算権を盾にして従わせようとすれば、教育行政の公正を脅かしかねない。
その一方、今回の問題の背景に学校と市教委の閉鎖的体質があるのは事実だ。
体罰をした教諭は19年間勤務しバスケットボール部を強豪チームにした。
校長らは指導に口出しせず、市教委も匿名通報がありながら部員から聞き取らず体罰はないとの結論を出していた。
体質を改めない限り、信頼は取り戻せない。
文部科学省も全都道府県教委に体罰の実態調査を求め、再発防止策を考える。
根絶には行政、学校、保護者ら社会全体で取り組む必要がある。
桜宮高校だけの問題ではない。
大阪市教委は、体罰が発覚したバスケット部とバレーボール部の無期限活動停止を決めた。
生徒を自殺に追い込んだ事態を重く受け止めたものとはいえ、生徒全体に責任を負わせるようなやり方は疑問だ。
これまでの指導内容を見直すことは急務だが、在校生の意欲を低下させないため、今後、再開時期を慎重に見極めていく必要がある。
入試の実施か中止かを大阪市教委は21日に決める。
子供の将来を熟慮したうえで結論を出して、橋下市長との合意形成を望みたい。
2013年01月25日
生徒に「塩酸」飲ませ大騒動に“常識”が通じない教師が増えるワケ
2013年1月21日 ゲンダイネット掲載
100倍希釈で害はないらしいが…
またトンデモ教師のお騒がせだ。
愛知県蒲郡市の中学校で、23歳の理科の担当教師が、実験がうまくいかなかった生徒2人に水で100倍に薄めた塩酸を飲ませた問題。
一部の保護者からの連絡で発覚し、教師本人も事実関係を認めている。
実験前に生徒の前で「失敗したら塩酸を飲んでもらう」と“通告”していた。
生徒2人は今のところ健康被害を訴えていないようだが、「塩酸」は肌に触れれば大ヤケドする危険な薬品である。
100倍に薄めたからといって、本当に害はないのか。
「学校で実験に使うのは通常35〜36%の濃度の強塩酸になります。
タンパク質に反応するため、皮膚に触れない限り大丈夫ですが、この濃度をそのまま飲めば、のどをヤケドします。
今回は100倍に薄めているため、塩酸の成分はほとんどなくなっていて、問題はないでしょう。
教師本人もわかってやっていたと思います。
毒性を大騒ぎすることはありませんが、同義的責任は問われるべきでしょう」(工学博士の秋元格氏)
教師はまだ23歳の新米とはいえ、害がないことがわかっていても、常識的に考えれば大問題になることは理解できるはず。
なぜこんなことが起こるのか。
元文科官僚で京都造形芸術大芸術学部教授の寺脇研氏がこう言う。
「今の学校は教師を育てる仕組みが機能していないからです。
昔から教師の世界は互いのやり方に干渉しない不文律が存在する。
若い教師にベテランが指導することもないので、今回の理科教師のように勝手な自己流でやってしまうのです。
体罰問題もそうですが、こうした間違いを正すために管理職がいるはずなのですが、それも機能していない。深刻です」
おかしな教師が次々出てしまうわけだ。
2013年01月28日
公務員は 年度途中に行政の都合で勤務条件を変えられるのか・・
ことの発端は、労働協約権のない国家公務員の退職金減額を 年度途中で強行する「行政」の横暴にあります。
そして、総務省通知という形で 地方に下ろし、各自治体が「働く者の生活」より 国の通知にそって条例を可決したことです。
今年度4月に退職金減額が予見可能であったのならば、途中退職は 問題でしょうが、唐突に年度途中で 退職金減額条例を成立させ、しかも年度途中の2月から施行というのは 余りにも乱暴な行政のやり方ではないでしょうか・・・。
職務に忠実であろうとするからこそ 悩んだことと思います。
こんな横暴に 抗議・問題提起なしに辞めるのか、まじめであるからこそ 施行日前日の退職にした人もいると思います。
公務員として 国や行政の決めたことに黙って従え、というのであれば、怖いブラック企業のようです。
何か 今のうつ病2級の苦しさ 症状が 小さい悩みのように感じてしまいます。
それと代員に 臨時採用者をあてるということですが、本来なら 学卒者で採用名簿に載っている人の前倒し 本採用が 責任ある行政の立場だと思う所です。
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教員の早期退職 やはり残ってほしかった
2013.1.25 03:06 産経新聞「主張」
学校の3月は、別れの季節である。
卒業式があり、終業式があり、親しんできた級友や恩師と別れを告げる。
そんな大事な時を控え、先生が先に学校をやめてしまう。
理由は退職金の減額を避けるためだという。
生徒に、どう説明できるのだろう。
下村博文(はくぶん)文部科学相は、「責任ある立場の先生は最後まで誇りを持って仕事を全うしてもらいたい。許されないことだ」と述べた。
だれもが抱く不快感を代表した談話といえるだろう。
生徒を置き去りにすることなく、先生たちには学校に残ってほしかった。
国家公務員の退職手当を今年1月から減額する法律が昨年11月に成立したことに伴い、総務省は各自治体にも国家公務員に準じる措置を取るよう求めた。
埼玉県では2月から県職員の退職手当を減額する条例が成立し、3月末に定年退職を迎える教員1297人のうち、学級担任を含む110人が1月末での退職を希望した。
勤続35年以上のモデルで退職金2520万円のところ、3月末まで働けば、140万円が減額されるという。
小さな額ではない。同情すべき点はある。それでも生徒の存在を無視した駆け込み退職には、違和感を持たざるを得ない。
すでに1月から減額した佐賀、徳島両県でも昨年末までにそれぞれ25人と7人の教員が退職した。
先生だけではない。
3月から減額する愛知県警では、幹部を含む140人以上の警察官と職員が2月中の退職を希望している。
佐賀県教委は退職者に学級担任もいたため、退職を認めたうえで年度末まで臨時任用した。
3月から減額の京都府警は、2月末で駆け込み退職する場合には3月の1カ月限定の再任用を提示した。
一見、工夫を凝らした措置にみえるが、減額逃れを制度的に保証したにすぎない。
減額の前提に、公務員の高すぎる退職手当への批判があったことを忘れてはならない。
何より、正規に3月末まで仕事を全うした人との間に生じる不公平を、どう説明するのか。
現に、埼玉県では大多数の教員が年度末退職まで、「先生」であろうとしている。
同じ条件下にある埼玉県警では、退職対象の警察官・職員185人のうち、早期退職の希望者はいまのところ、ゼロなのだという。
うれしくなる数字ではないか。
2013年02月02日
最後まで勤めたかった 早期退職の教員、悩んだ末の決断
2013.2.1(金) 埼玉新聞
2月の退職手当減額前に教員の「駆け込み退職」希望が相次いだ問題は、手当が減額されない期限の31日付で、県内の教員104人が早期退職した。
本来なら年度末までいられる学校現場から2カ月も早く去ることになった教員の一人は「最後まで勤めたかった」と悩み抜いた末の結論だったと明かす。
一方、3月末まで残る教員も「あまりに理不尽」と県教委の対応を批判している。
■突然の通告
県北部にある市立中学校のクラス担任だった男性(60)が退職手当の減額を知ったのは昨年12月。
終業式の日、勤務先の校長から聞かされた。
退職まであと数カ月で、さすがに驚きを隠せなかった。
退職を前倒しするか、3月末まで勤めるか。
回答期限は1月11日。
家族も困惑し、年末年始は何度も話し合った。
家庭の事情もあったが、担任している生徒たちがどう感じるだろうかと深く悩んだ。「子どもたちのことを考えるとつらかった。
最後は経済的な理由から、自分で決めた」
■あり得ない
県南部の中学校教諭(60)は3月末まで勤めることにしている。
1月末で辞めるよりも退職手当は150万円程度減る。
手当減額を知らされたのはやはり12月。
「あまりに理不尽。いきなり、それも12月に入って言いだすなんてあり得ない」と怒りが湧いた。
しかし、生徒たちを置いていくわけにはいかなかった。
「先生、辞めないの?」と尋ねてくる生徒には「辞めたらどうなるか分かるでしょ」と答えている。
ほかの先生が困るだろうし、君たちもそれでいいの、と。
それでも「辞める先生もやっぱり苦しんでいると思うよ」と話すことも忘れない。
早期退職する教員がいなければ、この問題が報道されることもなかっただろう。
よくやったとは思わないにせよ、その人たちを責める気はない。
決断するまでには相当の葛藤があっただろうし、それでもあえて辞めるのには(県教委に対する)抗議の意味もあると思えるからだ。
今回の問題では、早期退職する教員にも批判の矢が向けられた。
「辞める人も銭金だけで辞めるわけではないはず。
それしか抗議の手段がなかったのではないか」
■士気に影響
県教委は、早期退職者の穴を臨時教員で補充することにしている。
この教諭も「(2月以降も)今まで通りやっていくしかないが、全体の士気には影響がある」と今後を心配する。
特に2年後に退職する人の手当は数百万円の減額になる。
人生設計が狂いかねない金額で、ダメージは大きい。
31日付で退職する男性も納得はできない。
なぜ普通に3月まで勤めて退職手当を減らされなければならないのか。
なぜ教員がここまで批判されなければならないのか。
なぜ減額時期を4月1日にできなかったのか。
「制度が理不尽で、教員をばかにしているとしか思えない」と憤る。
三十数年の教員生活。
自分なりに一生懸命に勤めてきたつもりだ。
「あと数カ月というところで理不尽な思いをさせられた。
最後の最後に苦しめられ、弱い者いじめをされた。本当は3月まで勤め、すっきりと辞めたかった」
2013年02月08日
寝ても覚めても:体罰問題ではない=冨重圭以子
毎日新聞 2013年02月07日 13時31分
大阪市・桜宮高バスケットボール部に、柔道女子の五輪代表らによる監督告発と、スポーツの指導者による暴力の問題が立て続けにあらわになった。
その後も全国各地で、教師による“体罰問題”が連発している。
まず言っておきたい。
桜宮高のケースを“体罰問題”と呼ぶことが、私にはできない。
「体罰」は自殺したバスケ部主将に「罪」があることが前提だが、記事を読む限り、彼に罪はない。
部顧問の教師は、主将に暴力をふるい、暴言を吐くことで、よく言えば部に一体感を持たせようとし、勘ぐれば自らの支配力を他の部員に見せつけようとしただけ。
単なる暴力行為だ。
その後明らかになった一部の“体罰問題”とは、様相が違う。
たとえば千葉・柏日体高野球部監督が部員4人の顔を平手打ちした件。
監督は、部員の自転車の2人乗り、遅刻、宿題を他の部員にやらせるなど、生活の乱れがあったから、と説明したそうだ。事実なら、まさに体罰だ。
なぜ改めてこんなことを書くのかというと、毎日新聞が今月初めに実施した世論調査で、体罰を「一定の範囲で認めてもいい」と考える人が、42%もいたからだ。
「一切認められない」という人は53%だったが、容認派は想像以上に多かった。
おそらく、生徒側に非があるときの体罰、つまり本来の意味の体罰を念頭に置いた回答だったのだろう。
けれど、桜宮高の問題は違う。
私は本来の体罰も認めないが、単なる暴力行為は情状酌量の余地はない。
柔道のケースを「監督による暴力問題」と呼ぶように、桜宮高の問題も「顧問による暴力問題」と呼ぶべきだ。
教師に暴力をふるう生徒や、学校や教員に理不尽な要求をする「モンスターペアレント」の存在が、「体罰やむを得ず」派を増やしている。
しかし、再度確認、桜宮高と柔道のケースは、根っこが同じだ。
勝利のため、と称して、指導者が選手を一方的に支配し、暴力や暴言で、支配関系をいっそう強化する。
柔道問題では選手が告発したが、15人がまとまったからできたことで、個人ではとても無理だったのだろう。
一昨年制定されたスポーツ基本法は、スポーツは文化であり、権利である、とうたう。
そして「安全かつ公正な環境の下で」スポーツを楽しむ機会が確保されなければならない、と。
いま、絵空事にしか見えない。(専門編集委員)
2013年02月11日
いじめ報道で1600字×10枚のレポート提出求められた教師も
2013.02.11 07:00 NEWSポストセブン
大阪市立桜宮高の高2自殺事件を機に、全国で明らかになる体罰問題、いじめの隠蔽、わいせつ犯罪など、教師の不祥事が相次いでいる。
学校と教師への尊敬が失われると同時に、保護者の間で広まっていったのが、「学校=サービス業」とする考え方だった。
公立小学校で23年間の教員経験を持つ教育評論家、親野智可等氏によれば、
「たとえば小学校では毎朝、先生の机の上に親からの連絡帳が山積みになる。『うちの子は納豆を食べたことがないので、見てあげてください』『友達とケンカして夜眠れなかったようです。話を聞いてあげてください』など。すべてに目を通し、必要な対応をしつつ、親への返事も書かなければなりません」(親野氏)
“まさか、こんなことまで”というリクエストであっても、モンスター・ペアレンツの存在を考えればおろそかにはできない。
そのうえ、いじめや体罰、教師によるわいせつ事件などが報道されるたび、教師には上司や教育委員会からアンケートやレポートの提出が求められるという。
東京都で昨年3月まで働いていた元中学校教師が言う。
「例えば他府県の学校でいじめ事件が起きて報道されると、すぐに研修会が開かれ、1600字×10枚のレポートの提出を求められたりします。
校長や教頭にすれば、保護者から聞かれた際に、“うちではしっかり対策をしています”と言える形を残しておきたいのです。
教育委員会からも毎日のようにアンケートが届き、放課後は子供に向き合う時間がなくて、ずっとパソコンに向き合っている状態の先生もいます」
部活の顧問を受け持つ場合はさらに過酷だ。
平日は午後6時まで部活で指導をした後、提出しなければならないレポートや生徒・親への連絡をまとめ、帰りが深夜に及ぶことも珍しくない。
部活の試合や発表会などがあれば週末も休めない。
そのうえ子供たちの変化も、教師の悩みの種だ。
「中学生になっても、授業中に立ち歩く子供がいます。注意しても聞かない。
それどころか、教師が体罰批判を気にして厳しくできないことを知っていて、『殴ってみろよ、教育委員会に訴えるぞ』と挑発する子供だっている。
なかには『殴られた』と嘘をつく子供までいるんです」(前出の元教師)
現在、病気で休職中の教師は約8500人。
そのうちうつ病などの精神疾患が5000人以上を占めている。
不祥事によって処分された教師より、壊れていく教師のほうが多いというのが現状なのだ。
※女性セブン2013年2月21日号
小学館のプライバシーステートメント
掲載の記事・写真・イラスト等のすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。
2013年02月17日
幸せの学び:ことばの貯金箱=城島徹
東日本大震災の被災地のプレハブ仮設住宅で、新聞から大切な言葉を切り抜く「ことばの貯金箱」という取り組みが始まった。
救済や追悼、再生や希望など心の叫びを託す言葉を探して台紙に貼る試みだ。
年配の人から子どもまで世代を超えて広がり、東京でも実践する小学校が現れた。
震災から1年3カ月過ぎた昨年6月のある日、仮設訪問を続ける元中学教諭で白鴎大学講師の渡辺裕子さん(61)=仙台市在住=は太平洋沿岸に近い同市若林区の仮設住宅にいた。
集会所のテーブルにはお母さんたちが持ち寄ったキュウリの漬物、フキの煮物など手作りの味が並び、仙台弁での会話が弾む。
渡辺さんは古新聞を取り出すと、呼びかけた。「今日は『ことばの貯金箱』をやってみます。自分にとって大切な言葉を選んでください」
はさみで切り抜いた文字を台紙に貼って並べる。
「半歩ずつでいいんだ」「恩返しの人生を」「花咲く未来心待ち」……。
完成したら、隣の人たちに見せながら自分の思いを語る。
そうやって心が整理されスッキリしたという感想が聞かれたという。
「あなたもすぐにできます」「体験してみませんか?」
「言葉の億万長者になりましょう」。
渡辺さんは「ことばの貯金箱」の伝道師として被災地の学校も回る。
教師になる前のアナウンサー時代に培った巧みな話術が生きる。
手ほどきを受けた仙台の中学生たちは未来への思いを込めた言葉を並べた。
「なせば成る」「再生へ 心ひとつに」……。
被災地以外からも講師として招かれ、東京都内で昨年末に開かれた教師向けNIE(教育に新聞を)セミナーではワークショップを行った。
受講した東京都北区立東十条小学校教諭の川崎由美子さん(32)が飛びついた。「道徳の授業に取り入れよう」
1月23日、川崎先生は教室で受けもちの5年生と向き合っていた。
人種差別と闘った米国の黒人女性歌手マリアン・アンダーソンの黒人霊歌「深い河」を聴かせた後、「マリアンの気もちや生き方に合う言葉を新聞の見出しから見つけよう」と呼びかけた。
児童らは「心の貯金箱」と書かれた手作りの紙箱を取り出し、新聞を机に広げた。
「言葉を箱に入れるときには大きな声で『チャリーン』と言ってくださいね」。
先生の掛け声を合図に子どもたちは喜々としてハサミを動かし始めた。
「変わらぬ輝き」「あきらめない未来」「人間を信じたい」「未来向いて世界と交流」……。
チャリーンという元気な声が教室に響く。
そのたびに、子どもたち自身にも励みとなる言葉が「心の貯金箱」に次々吸い込まれていった。【城島徹】
*毎日jp掲載の記事・写真・図表など無断転載を禁止します。著作権は毎日新聞社またはその情報提供者に属します。
2013年02月18日
学校の風景140年:トイレ 「怖い」「汚い」を快適空間へ
毎日新聞 2013年02月18日 東京朝刊
学校のトイレは「暗い」「きれいではない」といった良くないイメージがつきまとう。
学校の怪談(かいだん)の舞台にもされる。
だが、トイレは子供たちの健康維持のための重要な場所だ。
最近は各地で快適に使えるトイレ作りが進められている。
【取違剛、福田隆】
◇タイルより衛生的な乾式床 洋式改修で排便我慢減る
「床を掃除(そうじ)して。私は個室を拭(ふ)くから」
「床担当」の奥村真未(まみ)さん(12)が乾いた床をほうきで掃いた後、よく絞ったスポンジモップで拭き上げた。
同小のトイレは、タイルの床に水をまいて掃除する「湿式(しっしき)」ではなく、乾燥した床の「乾式(かんしき)」だ。
タイルの床に水をまいてデッキブラシでこする一般的なトイレ掃除とは異なる。
同小は11年4月に改築され、同時にトイレを、雑菌(ざっきん)が繁殖(はんしょく)しやすい湿式でなく衛生(えいせい)的な乾式にした。
白を基調にした校舎で、トイレの床も白。黄ばみが目立ちやすく掃除が大切なのだ。
「校舎の輝きを維持しよう」を合言葉に美化運動が始まったが、乾式トイレの掃除方法が分からない。
養護教諭の村田直美(なおみ)さん(44)がトイレ専門誌のバックナンバーで研究し、スポンジモップなどの用具をそろえた。
6カ所のトイレを5、6年生が丹念(たんねん)に拭き上げ、終了時には「拭き残しなし」などと声に出してチェックする。
改築からまもなく2年。トイレの床は白く、臭いもない。
坂田さんと奥村さんは「新しい校舎だから、きれいにしないといけないと思って頑張った」。
櫛山美智代(くしやまみちよ)校長も「新校舎になったのをきっかけに、校内美化のため教職員と児童が一体になれた」と振り返る。
学校トイレのひな型は、1899(明治32)年に文部省が出した小学校設備準則(じゅんそく)に書かれている。
「便所(べんじょ)ハ別棟(べつむね)トシ……」「男女ヲ区別シ男児百名ニ付(つき)大便所二以上小便所四以上女児百名ニ付五以上ノ割合……」
「変わる学校のトイレ」(小林純子著、草土文化)によると、大正時代後半以降に建設された鉄筋校舎でトイレは教室の並びに置かれ、水洗化された。
しかし東京都世田谷区などが作成した「区立学校トイレ改修マニュアル」には、戦後のベビーブームと高度成長期には児童数の増加に校舎建築が追い付かず「学校トイレの最大の関心は数であって、快適さではなかった」とある。
悪いイメージを象徴(しょうちょう)するように、怪談の舞台にもなった。
「トイレの四ばんめのドアを十五回ノックして、『花子さァーん、あそびましょ』というと、『はァーい』という返事が聞こえてきます」(「学校の怪談」<常光徹(つねみつとおる)著、講談社>より)。
「怖い」に加え、暗い▽臭い▽汚い▽壊れている−−と合わせ、学校トイレは「5K」と呼ばれた。
さらに友達からのからかいを恐れ、学校で排便(はいべん)を我慢する子供が続出。1990年代には「トイレに行けない症候群」と呼ばれ社会問題化した。
解決を目指した便器製造などトイレ関連8社が96年「学校のトイレ研究会」を設立。
使いやすい便器や対話が生まれやすい洗面台(せんめんだい)など、学校トイレを子供が好きな場所に変えるためのデザインを数多く提供してきた。
同会は10年、大阪府和泉(いずみ)市立伯太(はかた)小でアンケートを実施した。
同校はこの年、洋式トイレを拡充(かくじゅう)するなどきれいに改修した。
5、6年生計166人の改修前後の回答を比べると、トイレを我慢(がまん)する児童が75人から31人に減少。
臭いや和式便器が我慢する理由だったという。
災害時に学校は避難所(ひなんじょ)になる。
同会によると、水道が止まった時にバケツの水でトイレの汚物を下水管まで押し流す必要があるが、便器の構造上、洋式の方が和式よりも格段に流しやすく、水の量も約半分で済むという。
同研究会の古川浩代(ふるかわひろよ)・主任研究員は「子供たちのためにも、災害時の避難所機能を考えても、洋式で乾式のトイレ導入に協力してほしい」と呼びかけている。
2013年02月19日
待機児童解消 小さな命 守る覚悟を
2013年2月19日 東京新聞社説
保育所に入れない待機児童の解消に横浜市などが成果を上げている。
子どもの預け先に困っていた親への支援になるだろう。
しかし一方で、子どもの安全が置き去りにされていないか、課題が残る。
横浜市の待機児童数は二〇一〇年、千五百人を超えてワーストだったが、二年間で二百人に減らした。
今春はさらに定員を増やし、ゼロになる見通しだという。
「ゼロ」は〇九年に当選した林文子市長の公約で、手厚いメニューが特徴だ。
全区に保育情報を提供する専門員「保育コンシェルジュ」を置いた。
定員を増やすため、市有地を無償で貸し出すなどして民間保育所を誘致、既存の認可保育所は園舎を増築した。
交通不便な保育所で定員の空きが目立つと、保育所までの送迎拠点を駅前に設け、入所しやすくした。
「横浜式」は、大勢の待機児童を抱える自治体に影響を与えている。
子どもの預け先がなくて働きに行けない親を支えよう、そう努めようとする自治体の姿勢は理解できるが、懸念もある。
横浜市に限らず、全国でいま、定員を増やしている保育施設やサービスが、火災や地震などいざという時にも、子どもの受け皿として安全を保ちきれているのか、という点だ。
国は自治体が運営する認可保育所の新設に補助金を出さないと決めている。
待機児童を大勢抱える都市圏の自治体は土地の確保も難しい。
園庭を削って保育室を広げたり、増築して定員を増やしているため、「詰め込みすぎだ」と心配の声が上がっている。
手狭では懸命にやっていても子どもに目が行き届きにくくなり、現場の保育士にも不安を感じさせている。
自治体によっては、無認可保育所でも独自に設けた基準を満たした施設に補助金を出している。
無認可の底上げを図るという面がある一方で、こうした動きが国の最低基準の引き下げにつながらないだろうか、心配だ。
国は新年度、待機児童対策に四千六百億円を計上した。
だが、そもそも「待機児童」の定義があいまいなまま施策を進めている。
認可保育所を希望しながら入れない子を数え、全国で二万四千人(昨年四月)と公表する。
最初から諦めて申請しない数や無認可に通う子は含まれず、潜在数は八十五万人とも推計される。
安全で問題があるといわれるこうした子らにも目を配り、国や自治体は小さな命をどう守り育てるのか、覚悟を示してほしい。
2013年02月20日
香山リカのココロの万華鏡:子どもの心に向き合って
毎日新聞 2013年02月19日 東京地方版
本当に悲しい事件が起きてしまった。
大阪府で小学校5年の男子児童が自ら命を絶ったのだ。
この男児が通う小学校は、市内の学校の統廃合により、この4月に二つの学校に統合されることが決まっていたという。
男児は以前から閉校に抵抗を示し、作文に「学校をつぶさないで」などと書いていたと報じられた。
ちょうどこの年齢くらいまでの子どもは、建物や雲、空、植物、動物などと自分とをすぐに“合体”させたり、心を通わせ合ったりすることができる。
もちろんそれは子ども自身の空想なのだが、木が伐採されている場面を見て「あの木が痛がって泣いている!」とリアルに感じ、自分も泣いてしまった、などという経験を持つ人は少なくないのではないだろうか。
もちろん、この男児がそんな感覚を持っていて、校舎や教室の悲しみや痛みを感じて閉校に反対していたのかどうかはわからない。
ほかの児童に統廃合に関しての聞き取り調査を行っていたともいわれるから、精神的には同じ年齢の子どもよりも成熟していた可能性も高い。
もしかすると、一方でおとなに近い感覚で閉校に反対しつつ、同時に「学校と一体化して、その痛みを感じる」という子どもならではの感覚もあわせて持っていたのではないだろうか。
だとしたら、よけいに「学校がなくなる」というのはこの男児にとって耐えがたいことだったはずだ。
実は、私も出身の小学校、中学の閉校を経験している。
いずれも十分、おとなになってからのことだったが、それでもなつかしい学校に「ありがとう、さようなら」と伝えたという閉校式の様子を聴いて、心がキリキリと痛むようであった。
自分自身の大切な思い出や子ども時代までが、どこかに消えていく思いがしたのだ。
ましていまそこに通っていた子どもにとっては、閉校は「児童数が減少したから」と客観的に説明されても、すぐには受け入れられることではないだろう。
自分の通っていた小学校を、それと一体化するほどに愛していた感受性の強い男の子。
彼のやさしさが、どうしてこんな悲劇につながらなければならなかったのか。
教育の現場で、おとなたちはしっかり「子どもの心」に向き合えているのか。
いじめや体罰の問題に注目が集まっているが、おとなでもない、赤ちゃんでもない、「子ども」とは何かということについて、もう一度、私たちは真剣に考えてみなければならない時を迎えているのではないか。
2013年02月28日
いじめと道徳 心に成績をつけるのか
2013年2月28日 東京新聞社説
いじめ対策として政府の教育再生実行会議がまとめた提言は、冒頭に道徳の教科化を掲げた。
「良い子」でいることを競わせ、成績をつけるのか。
いじめの現実に立ち向かう手だてこそ考えたい。
安倍晋三首相に出された提言には多岐にわたる方策が盛り込まれた。
例えば、いじめに対応するための法律を作る。
学校は相談体制を整え、家庭や地域、警察と連携する。
重大ないじめは第三者的組織が解決する。そんな具合だ。
どれも目新しくはないが、地に足の着いた中身だ。
すでに先取りしている自治体さえある。
絶えず実効性を確かめつつ仕組みを向上させてほしい。
とはいえ、筆頭に出てくる道徳を教科に格上げするという方策は、いじめの問題とどう結びつくのかよくわからない。
いじめ自殺のあった大津市の中学校は道徳教育のモデル校だったではないか。
小中学校では週一回程度の「道徳の時間」が設けられ、副読本の「心のノート」を使って授業が行われている。
教科ではないから成績評価はなされていない。
提言によれば、充実した道徳教育が行われるかどうかは学校や先生によって左右される。
だから教材を見直して教科として位置づけ、指導方法を打ち出すという。
もちろん、子どもが成長に応じて思いやりの気持ちや規範意識を身につけることは大切だ。
社会の構成員として高い徳性を培うための教育そのものに異論はない。
しかし、道徳が教科になれば検定教科書が用いられ、心のありようがテストされて順位づけされないか。
国の価値観や考え方が押しつけられないか。
心配になる。
国語や社会、算数とは違い、道徳とは体系立てられた知識や技術を習得するものではない。
子どもが学校や家庭、地域で褒められたり、叱られたりして考え、感じ取っていくものだろう。
学校の道徳教育はその一助にすぎない。
東日本大震災の光景を思い出してみよう。
被災地では大きな暴動や略奪は見られず、人々は譲り合い、助け合って修羅場をくぐり抜けてきた。
その姿は世界中に感動を与えた。
日本の人々は道徳心をたっぷりと備えている。
いじめる子の心は根っから荒(すさ)んでいるのか。
家族崩壊や虐待、貧困、勉強疲れからストレスを抱え込んでいるかもしれない。
背景事情に考えを巡らせる必要がある。
大人の世界にもひどいいじめがある。
道徳とは世代を超えて日々共に学び合うべきものだろう。
2013年03月22日
発信箱:生き残るために=滝野隆浩(社会部)
毎日新聞 2013年03月20日 00時09分
先週末、陸上自衛隊幹部の退官記念パーティーが神奈川県横須賀市のホテルで行われた。
東部方面混成団長の二見弘幸さん(55)。
陸自はこの20年、日本を取り巻く国際情勢に合わせて体質を変えてきた。その変容を最前線で体現した指揮官である。
東日本大震災でも原発事故対処に当たった中央即応集団の幕僚長として司令官を支えたが、一番輝いたのは10年ほど前の第40普通科連隊(小倉)の連隊長時代。
初めて戦地・イラクに陸自派遣が決まる前後だった。
二見さんは「戦場のリアル」にこだわった。
想定されていた着上陸侵攻より、市街戦が起こる確率が高いのに教範も装備も訓練計画も乏しい。
ならば自分たちで考えるしかない、と。
駐屯地内に市街地戦闘訓練場をつくり度肝を抜いた。
部外インストラクターを平気で招く。
最新装備の情報を熱心に集めた。
根性とか精神主義を一番嫌った。
隊員たちは小遣いをやりくりしてモデルガンを買った。
常に手にして射撃がうまくなりたいから。
うわさを耳にして海空自衛官や警察、海保の隊員たちまで集まってきた。
ひたむきに、納得できるまで合同の訓練は続いた。
終われば、当然酒席。知らぬ間に他の機関との連携ができていた。
トップの意志で組織は変わる、劇的に変わる。
小倉に通いながら、そう実感した。
冷戦が終わったものの東アジアの戦略環境は厳しくなり、自衛隊に「リアル」が求められていた。
そのとき、保守的な陸自という組織の大変化は末端から始まっていた。
「私はただ、任務を達成して生き残る隊員を育てたかっただけ」。
二見さんは控えめだ。
パーティーには40連隊の仲間も多く集まり、あのころと同じ、うまい酒を飲み交わした。
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2013年03月27日
「先生は僕を殴るとクビになるんでしょ」と挑発の小学生存在
「先生は僕を殴るとクビになるんでしょ」と挑発の小学生存在
2013.03.26 16:00 NEWSポストセブン
今、新聞、テレビなど大手メディアの大半は体罰全否定論に傾いている。
だが、体罰を必要とする場面は本当にないのか。
現場を知る教師からは正直な異論も出ている。
体罰は学校教育法第11条によって禁止され、さらに2007年、文科省が全国の教育委員会教育長らに出した「通知」で、「殴る」「蹴る」ばかりか、「正座・直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる等」も体罰に該当し、「いかなる場合においても行ってはならない」とされた。
また、昔と違って親も家庭のしつけで体罰を施すことが少なくなった。
そうしたことから教師はいっそう体罰を施しにくくなったという。
あるベテランの現役小学校教師が嘆く。
「ゲンコツで頭を叩くと、理由の如何を問わず親から抗議されるようになり、教師は萎縮し、自己規制するようになりました。
『児童に厳しく注意する時には、間違っても手を出さないよう手を後ろに組む』と言う教師もいます。
それに対して、高学年になると教師の弱みを知っていて、『先生は僕を殴るとクビになるんでしょ』『殴れる?』と挑発する児童もいますからね」
まして中学生、高校生ともなれば、もっと教師を見くびることもある。
今回の一連の事件を受けてメディアの間に体罰厳禁論がさらに強まり、教師は以前にもまして萎縮している。
「文科省は授業中、教室内で生徒を起立させることは体罰には当たらないと解釈していますが、それすらやめようという空気が生まれています。
これでは教師が生徒と深く関わるのは難しい」(前出・小学校教師)
「日教組系の先生が今回の事態をチャンスと捉えているのか、私のいる現場では、厳しい言葉で叱責することも『生徒を言葉で傷つける』という理由で禁じようとしています」(現役中学校教師)
※SAPIO2013年4月号
体罰は学校教育法第11条によって禁止され、さらに2007年、文科省が全国の教育委員会教育長らに出した「通知」で、「殴る」「蹴る」ばかりか、「正座・直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる等」も体罰に該当し、「いかなる場合においても行ってはならない」とされた。
また、昔と違って親も家庭のしつけで体罰を施すことが少なくなった。
そうしたことから教師はいっそう体罰を施しにくくなったという。
あるベテランの現役小学校教師が嘆く。
『児童に厳しく注意する時には、間違っても手を出さないよう手を後ろに組む』と言う教師もいます。
それに対して、高学年になると教師の弱みを知っていて、『先生は僕を殴るとクビになるんでしょ』『殴れる?』と挑発する児童もいますからね」
まして中学生、高校生ともなれば、もっと教師を見くびることもある。
今回の一連の事件を受けてメディアの間に体罰厳禁論がさらに強まり、教師は以前にもまして萎縮している。
「文科省は授業中、教室内で生徒を起立させることは体罰には当たらないと解釈していますが、それすらやめようという空気が生まれています。
これでは教師が生徒と深く関わるのは難しい」(前出・小学校教師)
「日教組系の先生が今回の事態をチャンスと捉えているのか、私のいる現場では、厳しい言葉で叱責することも『生徒を言葉で傷つける』という理由で禁じようとしています」(現役中学校教師)
※SAPIO2013年4月号
2013年03月29日
自分で考える力が必要!将来出世する子どもの育て方3つ
自分で考える力が必要!将来出世する子どもの育て方3つ
2013.03.28 23:00 NEWSポストセブン
景気の先行きが不透明で、終身雇用もなくなり、税金はアップ。
まさに激動の時代です。
お子さんがいる方は、お子さんが大きくなったころはどうなっているんだろう……と心配していらっしゃるかもしれません。
親御さんが経験してきた時代とは、また違う時代を進むことになる可能性が高いため、親御さんの成功談や失敗談をそっくりそのまま伝えて同じようにさせてしまうと、お子さんが大人になったときに通用しない危険性があります。
そこで、青山社中株式会社筆頭代表(CEO)である朝比奈一郎さんの著書『やりすぎる力』を参考にしながら、これからの時代で活躍できる人にするために、お子さんにさせておくと良さそうなことを3つあげてみました。
■1:ディスカッションをしてみる
<わが国の教育に何が欠けてしまっているのか。
それは、私見では、一言でいえば、「議論」(ディスカッション)ということになる。
(中略)「やり過ぎる」ためには、志を同じくする人同士での団結がひとつの鍵になるところ、これではそうした動きは望むべくもない。
互いに率直に議論し合ってこそ、ともに行動に向けて歩み出すことができるというものである。>
という指摘にもあるように、”話し合い”をする機会は非常に重要だと思われます。
親が四六時中「○○しなさい」「○○はそういうものだから、つべこべ言わないの!」などと一方的に考え方や行動を押し付けていると、お子さんは与えられたことしかできなくなってしまうかもしれません。
「なんでそれが必要だと思う?」「どうすればいいと思う?」などと、話し合いする機会を持って、自分で考える力をつけさせてあげたいですね。
■2:偉人の”伝記”を読んであげる
<方法論だけでは、「次代を切り開くリーダー」になるノウハウは得られないのが現実だ。
「やり過ぎる力」を得るには、リーダーとしての理論だけでなく、実践面での話が必要なのだ。
それも切り取られた「逸話」程度ではなく、全体像が。
いわば、人生の「ケーススタディ」である。
すなわち、「伝記」だ。過去の偉人の「生き様」を一緒に学ぶことで、「理論」が活きてくる。>
とありますように、何もないところに飛び込み、偉業を成し遂げた人の”伝記”を子どもに読んであげることも良さそうです。
偉人の言動や考え方に触れることで、ゼロから作り上げることのケーススタディをなんとなく心にとめてくれるはずです。
■3:何か疑問が出たら、それを突き詰めさせてみる
<何か社会のあり方や組織のあり方を「オカシイ」と思う力である。
(中略)今の日本社会を見ても、「なんだかんだ言ったって、まあ、多くの人は食えているし、あえて何かアクションを起こさなくても」と思っている人がほとんどであろう。そうした中で心からやりたいことを見つけて「やり過ぎる」ことは一般的には困難だ。>
子どもは様々なことを疑問に思います。
「なんで○○なの?」と聞かれたとき、「そういうものなのよ」などと適当に返事をしていると、だんだん自分で考えないようになってしまうでしょう。
「なぜだろう?」と疑問がわいたことにたいして、
「なんでだと思う?」「どうしたらいい?」「何を変えたらよくなる?」などと、
時間が許す限り、考えさせるクセをつけることも、 重要と言えそうです。
いかがでしたでしょうか? お子さんが社会に出たときに、さまざまな困難に自分で打ち勝つために、精神力や思考力を小さいうちから磨いておいてあげることも重要ですね。
よろしかったらぜひ、参考にしてみてくださいね。
【取材協力】
※ 朝比奈一郎・・・青山社中株式会社 筆頭代表CEO/中央大学(公共政策研究科)客員教授。1973年東京都生まれ。東京大学法学部卒業。ハーバード大行政大学院修了(修士)。経済産業省でエネルギー政策、インフラ輸出政策などを担当。2010年11月15日、青山社中株式会社設立。著書に『やり過ぎる力』(ディスカヴァー・トゥウェンティワン)、共著に『霞ヶ関構造改革・プロジェクトK』(東洋経済新報社)、『霞ヶ関維新』(英治出版)など。
親御さんが経験してきた時代とは、また違う時代を進むことになる可能性が高いため、親御さんの成功談や失敗談をそっくりそのまま伝えて同じようにさせてしまうと、お子さんが大人になったときに通用しない危険性があります。
そこで、青山社中株式会社筆頭代表(CEO)である朝比奈一郎さんの著書『やりすぎる力』を参考にしながら、これからの時代で活躍できる人にするために、お子さんにさせておくと良さそうなことを3つあげてみました。
■1:ディスカッションをしてみる
<わが国の教育に何が欠けてしまっているのか。
それは、私見では、一言でいえば、「議論」(ディスカッション)ということになる。
(中略)「やり過ぎる」ためには、志を同じくする人同士での団結がひとつの鍵になるところ、これではそうした動きは望むべくもない。
互いに率直に議論し合ってこそ、ともに行動に向けて歩み出すことができるというものである。>
親が四六時中「○○しなさい」「○○はそういうものだから、つべこべ言わないの!」などと一方的に考え方や行動を押し付けていると、お子さんは与えられたことしかできなくなってしまうかもしれません。
「なんでそれが必要だと思う?」「どうすればいいと思う?」などと、話し合いする機会を持って、自分で考える力をつけさせてあげたいですね。
■2:偉人の”伝記”を読んであげる
<方法論だけでは、「次代を切り開くリーダー」になるノウハウは得られないのが現実だ。
「やり過ぎる力」を得るには、リーダーとしての理論だけでなく、実践面での話が必要なのだ。
それも切り取られた「逸話」程度ではなく、全体像が。
いわば、人生の「ケーススタディ」である。
すなわち、「伝記」だ。過去の偉人の「生き様」を一緒に学ぶことで、「理論」が活きてくる。>
偉人の言動や考え方に触れることで、ゼロから作り上げることのケーススタディをなんとなく心にとめてくれるはずです。
■3:何か疑問が出たら、それを突き詰めさせてみる
<何か社会のあり方や組織のあり方を「オカシイ」と思う力である。
(中略)今の日本社会を見ても、「なんだかんだ言ったって、まあ、多くの人は食えているし、あえて何かアクションを起こさなくても」と思っている人がほとんどであろう。そうした中で心からやりたいことを見つけて「やり過ぎる」ことは一般的には困難だ。>
「なんで○○なの?」と聞かれたとき、「そういうものなのよ」などと適当に返事をしていると、だんだん自分で考えないようになってしまうでしょう。
「なぜだろう?」と疑問がわいたことにたいして、
「なんでだと思う?」「どうしたらいい?」「何を変えたらよくなる?」などと、
時間が許す限り、考えさせるクセをつけることも、 重要と言えそうです。
【取材協力】
2013年04月03日
香山リカのココロの万華鏡:学生もハラスメント!?
毎日新聞 2013年04月02日 東京地方版
いよいよ4月。
大学では「人権・ハラスメント対策委員」の私は、例年、新入生オリエンテーションなどで学生たちに「ハラスメントを受けない、しない」というガイダンスを行う。
パワハラ、セクハラというと会社の話だと思う人もいるかもしれないが、残念ながら大学にもさまざまなハラスメントがあり、まとめて「アカデミックハラスメント」、通称アカハラと呼ばれることもある。
たとえば、教員が「明日の朝までに3冊、本を読んでこなければ単位はやらないぞ!」などとムチャなことを言ったり、サークルの先輩が後輩をこき使ったりするのもアカハラ。
そして最近、最も問題になっているのは「授業中の学生どうしの私語」というアカハラだ。
ちょっとしたおしゃべりはどこの大学にもあるかもしれないが、度を越すと「他の学生が授業を受ける権利と、教員が授業を行う権利を侵害するハラスメント」になる。
毎年、学生にアンケートを取ると、「私語がひどくて先生の説明が聞こえない」「ノートを取りたいのにうるさくて気が散ってしまう」という苦情がけっこうあるのだ。
また、後輩から先輩、学生から教員へのハラスメントもある。
「バアサンのくせに」「オヤジはダサイ」といった年齢を理由にした中傷、エージハラスメントがそうだ。
もちろん外見や方言などを笑いのタネにするのは、大学の中でなくても人格の侵害といえよう。
さらに、恋人どうしで相手を必要以上に束縛し合い、学生としての活動を妨げるのは「デートDV」と呼ばれる特殊なハラスメントだ。
学生の中には、「そんなこと言われたら、ギャグも言えなくなっちゃう」という声もある。
ゼミなどで議論を戦わすだけで「それってアカハラ」と言われたら、自由な発言もできなくなる。
ただ、やはり直接、相手の人間性を傷つけたり、不快感を与えたりすることはハラスメント、という原則を忘れてはならないだろう。
大学で人権やハラスメントの意識をしっかり身につけた学生は、社会に出てからもきっと新入社員や異性の同僚たちともうまくやって行けると思う。
また、自分が被害にあいそうなときに、堂々と「それはノーですよ」と指摘することができるはずだ。
新入生たち、「ハラスメント対策委員っていちいちウルサイな」などと言わずに、私の話をしっかり聞いてもらいたい。
もちろん、そこで「なに、あのオバハン」などと言うのは立派なハラスメントということをお忘れなく。
2013年04月04日
有名進学校、競争激化で“生徒リストラ”拡大 華々しい成果に潜む闇…
2013.04.03 zaKzaK(夕刊フジ)
教育現場では新学期がスタートした。
東大、京大や早慶など難関大学の高校別合格者ランキングが確定するなか、華々しい成果の裏に潜む“闇”が浮かび上がった。
一部の高校が進学実績のアップへ走るあまり、手間のかかる成績不振の生徒に退学を促しているというのだ。
民間の支援団体への相談件数は増加傾向にあり、東大合格者ランクで上位常連校の生徒も含まれるという。
有名進学校の競争激化が思わぬ問題を引き起こしている。
学校側の決まり文句は「環境を変えた方がいいですね」。
三者面談で保護者と子供が聞くこのセリフこそ、紛れもない「退学勧告」だ。
今、こうした経緯で行き場を失った高校生が増えている。
不登校や高校中退の問題に取り組む「NPO高卒支援会」(東京)によると、2012年に同会へ寄せられた相談は約300件にのぼる。
前年比で20%増加した。
主な相談の事例をみると、目立つのが有名進学校で勉強についていけずに留年が確定したケース。
留年を受け入れるのはまれで、ほとんどの生徒が在籍した学校を去っていく。
相談者に配慮して学校の実名は避けるが、創立100年を超える伝統校では、男子生徒が成績不振によって留年が確定し、転校先選びなどで同会に救いの手を求めてきた。
また、東大合格者ランクの上位常連校では、男子生徒が学力不足で進級できず、学校側から「他の学校へ移るように」と促されたという。
成績不振が原因ではないが、近年、進学指導に熱を入れる私立高では学力による差別があったとされる。
不祥事を起こした男子生徒3人のうち成績優秀な1人だけおとがめなしという露骨な策がとられたというのだ。
高卒支援会の杉浦孝宣代表が、問題の背景を解説する。
「少子化が進む中で各高校はとにかく生徒を集めたい。
高校にとって唯一の生き残り策は、大学への進学実績を上げること。
難関大学で多くの合格者を出せればなおよい。
競争が激化するなか、できない子をできるようにするための補習が、できる子をよりできるようにするものへと変わった。
できない子は排除、弱者は切り捨てられている」
進学実績を上げているなかには「面倒見のよい」と評される学校が多い。
「毎朝の小テスト、夜遅くまで行う補習にしても、目的は難関大学への合格者を増やして学校の評価を上げること。
学校に貢献できない生徒には冷たい。高校の予備校化が著しい」(進学塾講師)と、苦しむ生徒たちへの「面倒見」は置き去りにされている。
学校から見捨てられた後、再スタートを切るのは難しい。
前出の杉浦氏は「地方では公立高校の転校に家族全員が学校の近くへ引っ越さなければならないなど、厳しい条件をクリアしなければならない。
救いの手を求める子供が増えるなかで、国や自治体の支援態勢は極めて不十分」と訴える。
「尾木ママ」の愛称で知られる教育評論家の尾木直樹氏は「入学試験の選抜を経て預かった生徒なのだから、ちゃんと補習を行ってでも卒業させるのが筋。
それが学校の愛、教育だと思う。
ただ、受験勉強が中心の学校では成績だけが評価の基準になり、子供が居づらくなるケースもある。環境を変えるよう促すのは、あながち切り捨てだけではない側面もある」とみている。
また、「夜回り先生」として知られる教育評論家の水谷修氏は「高校は義務教育ではない。
特に私立高校ならその学校を選んだ保護者と本人の責任もある。
だが、受験対策で特定の生徒だけ成績を無理に伸ばそうとするゆがんだ学校は、いずれ滅びると覚悟した方がよい」と警告した。
子供が独り立ちできるよう見守り、支える。それが学校のあるべき姿ではないのか。
2013年04月05日
特集ワイド:殺伐とした時代だからこそ、雑談力 あなたはある?
毎日新聞 2013年04月04日 東京夕刊
人間関係の潤滑油、上達法に注目
新しい職場や電車、バスの中などで、初対面やあまり親しくない人に、どう声をかけたらいいのか。
雑談力の上達法が今、注目されている。
かつては「しゃべってないで仕事しろ!」と上司に叱られたものだが、今はビジネスにも有益との考えが広がっている。
雑談力が重視される時代とは? 【大槻英二】
観光シーズンの箱根。乗り合いバスは超満員だった。
バス停では、降りようとする人が無言のまま肩をいからせ、通路に立つ人を手で押しのけ出口に向かう。車内には冷ややかな空気が広がる。
出口に近い通路に立っていた臨床心理士の武藤清栄(せいえい)さん(61)は次のバス停で止まったとき、車内後方に声をかけた。
ちょっぴり声のトーンを落とし、にこやかな表情で「あの〜、すみませ〜ん。降りる方がいらっしゃいましたら、ひとつ声をかけていただければ、私はうれしいんですが〜」。
すると後方にいたおばちゃんが「は〜い、私、降りま〜す」。応えるように通路に立っていた人たちが自然と道をあけた。
これは一声かけるだけでその場の空気がいかに変わるかの例。
雑談力の応用編だ。武藤さんは「今、日本人は見知らぬ人に声をかけることが非常に苦手になっています」と指摘する。
「言葉には用件を伝える『事実言葉』と、あいさつや気候などのちょっとした話で人間関係をつくったり、関係を調整したりする『関係言葉』があるんですが、最近は関係言葉が使えない人が増えています」という。
そのせいなのか、通勤ラッシュ時の駅では、ぶつかっても無言で立ち去る人が多くなった。
「同じ空間にいながら、人々の心はここにあらずの乖離(かいり)社会。
効率が求められ、自分にとって利害があることや興味関心があること以外には手を出さない、口を出さない『見ざる』『言わざる』『聞かざる』に『関わらざる』という四つのサルが増えている。
大地震などの非常時にしか、見知らぬ人とコミュニケーションが取れないなんてちょっと寂しくありませんか」と武藤さんは問いかける。
10年4月に出版された「雑談力が上がる話し方」が今なお大手書店のビジネス書ランキングで上位に入る明治大教授(コミュニケーション論)の斎藤孝さん(52)。「世の中、無駄なものが省かれすぎて殺伐とした感じになってきた。
人間関係の潤滑油が欲しい時代なのに、用件だけを伝えて、雑談をするのは苦手という人が増えています。
ところが、ビジネスの現場などでこれまで無駄と思われていた雑談に意外と問題解決のカギがあると認識されてきたのでは」と話す。
同著は20万部を超えている。
「東日本大震災の影響かはわかりませんが、昨年ミリオンセラーになった阿川佐和子さんの『聞く力』のように、今は人と気持ちを通わせることが大事だと思われるようになってきています。
実は雑談は一方的な話ではなく、気持ちを通い合わせることそのものなんです」
著書では雑談のルールについて「『中身がない』ことに意味がある」「『結論』はいらない」「訓練すれば誰でもうまくなる」などと提唱。大学では学生を2列に並ばせ、各自目の前にいる相手と雑談させて、30秒たったら相手を変えてまた雑談させるといった雑談力養成ゲームを講義に取り入れている。
最初は戸惑っていた学生も次第に「人慣れ」し、効果テキメンという。
「雑談の極意は相手本位です。初対面でも話題を二、三振ってみて、関心のありそうな話を見つける。
お互いに好きなものとか日本の運命とか共通の基盤のある話が盛り上がりやすいですね」と斎藤さん。
「『ノー雑談、ノーライフ』。雑談のない人生なんて考えられない。
昔の雑談は気心が知れ合っている人同士が腰を据えて話すものでしたが、今は人間関係がより広く浅くなっており、すれ違ったときなどに30秒程度ササッとするスタイルがフィットします。
より高度な雑談力が求められているんです」
ビジネスではどう役立つのか。
名古屋市の自営業、野本ゆうきさん(35)は営業職だった会社員時代、商品の知識を徹底的に仕込んだが、営業成績は振るわなかった。
あるとき先輩に「商品知識より大事なものがお前に欠けている。
それは仕事以外の話で心と心を通わせることだ」とアドバイスされた。
人と接するのが苦手で雑談は無駄だと思っていたが、以来、商品説明に入る前に、天気や昨晩のプロ野球結果などの雑談から始めてみたところ、険しい表情だった相手が笑顔になり、契約に至るケースが増えた。
もっと雑談力をつけたいと本を読みあさり、試行錯誤を繰り返す中で体得したテクニックを自ら開設したウェブサイト「雑談力のきいろわ」で公開している。
「きいろわ」には幸福の黄色と、人の輪をつくってほしいという願いを込めたといい、1日に約5000件ものアクセスがある。
野本さんは「本やサイトに書いてあることをそのまま実践しても、相手によって反応が違うので最初はうまくいきません。
根気よく続けていくうちに空気を読めるようになるんです」と上達のコツを説く。
■
冒頭の武藤さんが所長を務め、職場のメンタルヘルス研修への講師派遣などを行っている「東京メンタルヘルス」では、まずは自らの社内のコミュニケーションを図ろうと、昨年10月から2週間に1回、午後7時から2時間、会議室で飲食しながらスタッフ同士で雑談を交わす会を始めた。
「話題はちょっといい出来事や持ち寄った料理についてなど。
各自が業務上抱えている課題も自然に相談でき、手応えを感じています」(担当の熊崎正樹さん)
「顔を知っているだけと、ちょっとでも雑談したことがある関係はまったく違います。雑談したということは人間関係があたたまった状態になっているということ」と斎藤さん。
「人生の喜びというのは人と関わって気持ちが通じ合うことだと思うんです。雑談できる相手が身の回りに何人かいて過ごせれば、それは幸せな人生なんじゃないかな」としみじみ話す。
「じゃあまた!」
==============
◇雑談力チェックシート
次の項目についてどの程度当てはまりますか?かなり当てはまる(2点)、まあ当てはまる(1点)、当てはまらない(0点)
1)その場の雰囲気や非言語のメッセージを読める
3)話のネタや引き出しが豊富である
4)ユーモア、冗談、だじゃれなどをとばす
5)人と向き合うのが好きである
6)臨機応変に対応できる
7)自分と違う考え方や価値観も認められる
8)自分の失敗談も話せる
9)相手の話を聞くのも楽しい
10)話の間や沈黙が苦にならない
合計7〜11点は「雑談力がある」、12点以上は「雑談力がかなりある」
==============
2013年04月13日
トラブル回避言い換え うるさい→元気、まずい→個性的な味
残念ながら、共済(厚生)年金は 今年から61歳支給となります。
今日の 言い換え言葉は 文部省の通信簿などに否定的な言葉はつかわないとの指導の下、通信簿・指導要録に使われている言葉とほぼ一致します。
私が 現役の教員の時、新年度の子供の特徴と指導要録を見て、苦労して「読み替えたものだ」と苦笑すること多々だったことを懐かしく思い出します。
********************************
トラブル回避言い換え うるさい→元気、まずい→個性的な味
2013.04.12 16:01 NEWSポストセブン
同じ意味を伝える場合でも、どんな言葉を使うかによって相手に与える印象は全く異なる。
選んだ言葉ひとつで大きなトラブルに発展することも珍しくなく、適切な言葉に言い換えることも重要だ。
たとえば「太っている」には「ふくよか」、
「しつこい」に「粘り強い」など、見方を変えればプラス表現が可能なものある。
「うるさい」であれば「元気」と言い換えることが可能。
さらに細かく分けると、大きな声で騒々しく話したり、おしゃべりな人には「元気」。
持ち上げるなら「盛り上げ上手」も。
逆に、「おとなしい」なら「協調性がある」という表現も。
どこにいるのかわからないほど影の薄い人でも、「協調性がある」なら周囲に溶け込むことができるというニュアンスに。
また「気が小さい」なら、周囲を気にしすぎる人は、周りを気づかう「謙虚」で、細かいことにも「慎重」な人ともいえる。
「せっかち」なら、落ち着きなく動く人は「頭の回転が速い」「スピーディー」。
そそっかしい場合には、「行動が素早い」など。
そして、とても難しいのが「まずい」だが、「個性的な味」「初めての味」「最先端の味」ならマイナス評価には聞こえない。
※女性セブン2013年4月25日号
2013年04月23日
発信箱:「通報者たれ」=小国綾子(夕刊編集部)
毎日新聞 2013年04月23日 00時32分
いじめ研究者、内藤朝雄・明治大准教授の近著「いじめ加害者を厳罰にせよ」を読んでいて、「いじめの『仲裁者』ではなく『通報者』になれ」という主張にはっとさせられた。
欧州との比較研究で、日本は他国よりいじめ傍観者が多いと指摘されてきた。
教育現場では「いじめの『傍観者』は『加害者』も同じ。
『仲裁者』たれ」という考え方が根強い。
しかし内藤さんは「暴力団の暴行を目撃した時、警察に通報するだけではなく命がけで仲裁に入らないと『暴力団と同じ』と批判されるのか」と反論する。
「傍観者=加害者」という考え方自体が「学校社会特有のいじめをまんえんさせる強制ベタベタ主義」「一人一人の間に個人主義的な距離があってはいけないというおかしな考え方」だと。
下手に仲裁に入れば新たないじめのターゲットになりかねないのだから、「『通報者』たれ、と子どもに呼びかける方が現実的」と提言するのだ。
米国の公立高でスクールカウンセラーをする友人の言葉を思い出した。
「米国でもいじめの仲裁をできる子などあまりいない。だから通報して、と呼びかける。
通報を受けた時が肝心。
教師は『私から聞いたと言わないで』と頼み込む通報者を受け止め、守りながら、いじめ解決に全力を注ぐ姿を生徒たちに見せなきゃいけない。
そこで信頼を得られなければ次の通報はもうないから」
厚生労働省の全国家庭児童調査(09年度)によると、いじめを先生に知らせる生徒の割合は小学校高学年、中学、高校と年齢が上がるにつれ40、25、15%と減っていく。
私たちの誰もが子どもにとって「信頼できる大人」であろうと努めなければ、子どもは「通報」してくれない。
2013年04月25日
話し上手に聞き上手、世の中には様々な「上手」がいる
2013年 4月 25 日(木)付 朝日新聞「天声人語」
話し上手に聞き上手、世の中には様々な「上手」がいる。
変わったところをあげれば「叱られ上手」か。
叱責(しっせき)や小言をうまく吸い取る。
〈うつむいてしかられぶりのよい女房〉という古い川柳がある。
火に油を注ぐような態度は、しないのが賢い
▼「叱り上手」もいる。
これも江戸の句に〈異見巧者(いけんごうしゃ)の蔵へ呼び込み〉とある。
叱り上手は人前で面罵して恥をかかせたりはしない。
蔵へ呼んで、人払いをして意見する。
うちの課長もそうだったら――。
ぼやく人もおいでだろうか
▼もっとも昨今は、パワハラを恐れて上司が萎縮ぎみという。
「鬼」と呼ばれる管理職は、もはや昭和が薫る骨董品(こっとうひん)らしい。
原稿を破り捨てて「書き直し!」と怒鳴る鬼デスクも、新聞社では絶滅した模様である
▼骨董品を弁護するなら、実に上手に「雷を落とす」人もいた。
そんな上司は、ほめ上手でもあった。
ほめるから、叱られて省(かえり)み、叱るから、ほめられて喜ぶ。
太陽と雨で木が育つのに、どこか似ている
▼先のアエラ誌によれば、「ほめる」と「叱る」の理想比は7対3から8対2の辺りらしい。
太陽だけでは干からび、雨ばかりでは根が腐る。
照って、降って。
その塩梅(あんばい)と上手下手が人づくりを左右する
▼さて、今月入社した新人諸氏も、勤めてひと月が近い。
少し慣れたか、まだ緊張が解けないか。
まわりで先輩風を吹かせている面々も、みな1年目があった。
仕事は人に風格を与える。
叱られ、ほめられ、一日一日、枝を伸ばしていってほしい。
2013年04月30日
記者ノート:見張るより見守る
毎日新聞 2013年04月29日 東京朝刊
「あー、髪切った? かわいい」。
夕暮れ時の駅前。
たむろしていた女子高校生のうちの一人が、そう言いながら年配の女性に駆け寄った。
女性は防犯パトロール中の岐阜県土岐(とき)市の保護司、出口満知子さん(64)。
他の生徒も出口さんの周りに集まり、学校生活の話やアルバイトの相談で盛り上がった。
出口さんは月に2回ほど駅周辺をパトロールする。所属する土岐保護司会の活動の一環だが、非行に目を光らせるというのではなく、帰宅途中の少年少女を笑顔で迎えるといった雰囲気だ。
土岐保護司会は子供たちに積極的に関わる活動で知られる。
中学校で開く生徒との座談会では、少人数で「地域のどんなところが好き?」といったテーマで話し合う。
担任教師を入れないのがミソ。
子供から率直(そっちょく)な意見を聞き出せる。
「見張るんじゃなく、見守っているというメッセージを送り続けたい」と保護司会メンバーは言う。
学校は閉ざされた空間になりがちだ。
地域の大人が学校を訪れたり子供に声を掛けたりすることで、いじめや校内暴力の問題行動は起きにくくなるのではないか。問題が起きても、頼ることができる第三者がいるのは心強いはずだ。
学校には地域からの「温かい目」がもっと必要だと思う。
【加藤沙波】
2013年05月05日
こどもの日 「イクメン」が世間を変える
(5月5日付・読売社説)
きょう5日は「こどもの日」。育児について、ソニー創業者で教育にも情熱を注いだ井深大氏は「これほど崇高で素晴らしい仕事はない」という言葉を残している。
それを実感させるのが、今年の「こども未来賞」(読売新聞社など主催)に選ばれた「親父(おやじ)のキャラ弁」という作文だ。
幼稚園に入った長女のために、つわりのひどい妻に代わって弁当作りをした埼玉県の会社員中村竜太郎さん(38)が書いた。
人見知りする長女が友達を作るきっかけにと、おかずでアンパンマンや動物を描いた。
父の気持ちを察してか、長女はいつも残さず食べ、「おいしい」と言った。
小さな体には量が多い弁当を、皆が食べ終わった後も涙目でほおばっていたのだと後に知る。
中村さんは「いろいろなことを教えてくれた子供たちに感謝し、これからも一緒に成長していきたい」と受賞の喜びを語った。
愛情を持って子供を育てることで、親も成長する。
夫の育児時間が長い夫婦ほど、第2子を持つ割合が高いというデータもある。
中村さんのような「イクメン」を増やすことが大切だ。
父親向けに、料理やアイロンのかけ方などの家事講座を開く自治体が増えてきた。
父親同士で子育ての楽しみや苦労を語り合う会合などを開くNPO法人の活動も広がっている。
安倍首相は、現行法では最長1年6か月までの育児休業期間について、子供が3歳になるまで男女とも取得できるよう、経済界に自主的な取り組みを要請した。
男性社員に2週間程度の有給での育児休業を認める企業もある。男性の育児参加をさらに促す企業努力を各社に求めたい。
育児中の家庭を温かく見守る地域とのつながりも重要だ。
親子が公園で遊んでいても「うるさい」と言われることがある。
これでは居場所がない。
こども未来財団の調査では、母親の34%が育児中に「社会から隔絶され、自分が孤立しているように感じる」と回答している。
親子が気軽に集える場を増やすべきだ。
公民館や児童館を利用した「地域子育て支援拠点」では、親同士が語り合い、子供を遊ばせている。
運営に、子育てを終えた人たちの協力を期待したい。
地域で子供を見守り、母親を支えることが育児の力になる。
2013年05月07日
村上春樹さん公開インタビュー詳報
2013年5月7日 東京新聞
6日、作家の村上春樹さん(64)が京都市左京区の京都大百周年記念ホールで行った講演と「公開インタビュー」の詳報は次の通り。
▽冒頭の講演
僕は普段はあまり人前に出ません。
ごく普通の生活を送っている普通の人間です。
文章を書くのが仕事なので、なるべくそれ以外のことに首を突っ込みたくない。
だから僕のことは絶滅危惧種の動物、イリオモテヤマネコみたいなものだと思ってくれるとありがたい。
そばに寄って触ったりしないでください。おびえて、かみついたりするかもしれないので。
河合隼雄先生とは20年ぐらい前に米プリンストン大で初めてお会いし、その後あちこちで時間を一緒に過ごした。
僕にとっては「河合先生」で、最後までそのスタンスは変わらなかった。
小説家と心理療法家というコスチュームを脱ぐことはなく、そういう枠があった方が率直に話ができた。
今でも覚えているのは、先生の駄じゃれ。
一種の悪魔払いのようなものだと思っていた。
臨床家としてクライアントと向き合い、相手の魂の暗い場所におりていく作業を日々されていた。
それは往々にして危険を伴う。
帰り道が分からなくなるかもしれない。そういう暗い場所で、糸くずのように体に絡みついてくる闇の気配を振り払うには、くだらない駄じゃれを口にしなければならなかったのではないか。
僕の場合の悪魔払いは、毎日外に出て走ること。それで、絡みついてきた闇の気配をふるい落としてきた気がする。
われわれが共有していたのは物語でいうコンセプトだったと思う。物語というのは人の魂の奥底にある。人の心の一番深い場所にあるから、人と人とを根元でつなぎあわせることができる。
僕は小説を書くときにそういう深い場所におりていき、河合先生もクライアントと向かい合うときに深い場所におりていく。
そういうことを犬と犬がにおいで分かり合うように、分かり合っていたのではないか。僕がそういう深い共感を抱くことができた相手は河合先生しかいませんでした。
それが励ましになり、僕がやってきたことが間違っていなかったと実感できた。
▽インタビュー
〈人間とは。物語とは〉
魂を2階、1階、地下1階、地下2階に分けて考えている。
地下1階だけでは、人を引きつけるものは書けないんじゃないか。
(ジャズピアニストの)セロニアス・モンクは深いユニークな音を出す。
人の魂に響くのは、自分で下に行く通路を見つけたから。
本当に何かをつくりたいと思えば、もっと下まで行くしかない。
〈初期作品について〉
「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」などは、店をやりながら書いたので、まとまった物語を書く余裕がなかった。
それが新鮮だと評価されたが、僕は先に行かなければならないと思った。
村上龍さんの「コインロッカー・ベイビーズ」を読み、こういう書き方をしたいと思い、店をやめた。
一日好きなときに書けるのがうれしく、物語を書く喜びにつながった。
結末が分からないまま最初の何ページかを書き、うまくできたので、僕はそういうのに向いているのだなと思った。
〈「ねじまき鳥クロニクル」について〉
それまではただ楽しみながら書いていたが、「ねじまき鳥」はもっと世界を広げ、分散させ、分割させる試みだった。
記憶、日記、いろんなものをかみ合わせ、重層的な世界をつくろうとした。
〈小説家の仕事〉
(徐々に)魂のネットワークのようなものをつくりたい気持ちが出てきた。
みんな自分が主人公の複雑な物語を、魂の中に持っている。
それを本当の物語にするには、相対化する必要がある。
小説家がやるのは、そのモデルを提供することだ。
誰かが僕の本に共感すると、僕の物語と「あなた」の物語が呼応し、心が共鳴するとネットワークができてくる。僕はそれが物語の力だと思う。
〈読書体験〉
10代は19世紀小説ばかり読んでいた。
ドストエフスキー、トルストイ、ディケンズ、バルザック。
体に染み込んでいる。
物語はなくてはならないものです。
1950〜70年代、物語小説は差別され、物語というだけでばかにされた。僕は(夏目)漱石のファンだが、漱石も昔は評価が低かった。僕も最初のころはずいぶん批判が多かったが、いつも買ってくれる人がいた。それがずっと続き、ありがたい。
〈新作「色彩を持たない多崎(たざき)つくると、彼の巡礼の年」について〉
「ノルウェイの森」のときは純粋なリアリズム小説を書こうと思った。
一度書いておかないと、ひとつ上にいけないと思った。
自分では実験的だと書いたものがベストセラーになったのは、うれしかったが、ある種のプレッシャーになった。
前作「1Q84」での大きな意味は、全部三人称で書いたこと。
三人称はどこにでも行けるし、誰にでも会える。
ドストエフスキーの「悪霊」のような総合小説を書きたかった。
(「多崎つくる」は)僕の感覚としては、頭と意識が別々に動いている話。
今回は「1Q84」に比べ、文学的後退だと思う人がいるかもしれないが、僕にとっては新しい試みです。
出来事を追うのではなく、意識の流れの中に出来事を置いていく。
(多崎の恋人の)沙羅(さら)さんが、つくるくんに(過去と向き合うため)名古屋に行きなさいと言うが、同じように僕に書きなさいと言う。
彼女が僕も導いている。
導かれ何かを体験することで、より自分が強く大きくなっていく感覚がある。
読む人の中でもそういう感覚があればいいなと思う。
今回は生身の人間に対する興味がすごく出てきて、ずっと考えているうちに、(登場人物たちが)勝手に動きだしていった。
人間と人間のつながりに、強い関心と共感を持つようになった。
(多崎は友人4人との共同体から切り捨てられるが)僕も似たような経験をしたことはあるし、何が人の心を傷つけるのかはだいたい分かる。
人はそういう傷を受けて、心をふさいで、時間がたつと少し開いて、ひとつ上に行くことを繰り返しながら成長する。ひとつの成長物語なんです。
僕は自分の小説を読み返して、涙を流すことはない。
唯一泣いてしまうのは、小説ではないが(地下鉄サリン事件の被害者や遺族を取材した)「アンダーグラウンド」。
殺された方の20代の奥さまの話を聞き、家を出て、電車に乗っている時に涙が出た。
1時間ぐらい止まらなかった。
それが、違う話を書いている時にもよみがえってくる。あの本を書いたことは、僕にとって大きな体験だった。
小説を書き始めた29、30歳のころは、書きたいけど書けないことがいっぱいあった。
書けることを少しずつ増やし、だいたい書きたいことが書けると思えたのは2000年ぐらい。
(今作も)単純に書けるようになったから、書こうと思ったのかもしれない。
〈音楽について〉
朝早く起きて午前中に仕事をし、昼は翻訳をするが、朝はだいたいクラシックを聴く。
夜寝る前に、翌朝に聴くレコードを用意するんです。
遠足に行く子供のように。
仕事に集中しているので真剣には聴いていないが、音楽に励まされて書いている気がする。
20代のころは店をやり、朝から晩までジャズを聴いた。
自分の中にリズムが染み込んでいる。
文章もそのリズムを使って書く。
僕の本を読んで泣きましたと言う人がときどきいるけど、僕は笑いが止まらなかったと言われる方がうれしい。
悲しみは個人的なところに密接につながっているが、笑いは関係ない。
やっぱりユーモアの感覚が好き。
書くときはなるべくユーモアをちりばめたい。
▽事前に寄せられた質問への回答
〈ランニングについて〉
年を取ると体力が落ちる。若いころは少しでも速く走りたかったが、今は年をとっても走れるようにしたい。
80歳、85歳までフルマラソンを走れればいいなと思う。
〈子供のころの読書について〉
小3まで本を読まず、小4から急に読み出した。
父と母が国文学をやっていたので、僕はそれから逃げたくて、外国の文学ばかり読んだ。
大学に入ってから日本文学も読んだ。漱石、谷崎(潤一郎)…。文章のうまい人が好き。
〈翻訳について〉
翻訳しやすい小説と、難しい小説がある。
物語が強いと翻訳しやすい。
濃密な描写があると難しい。
〈最後に〉
本当にうれしいのは、待って買ってくれる読者がいること。
「今回はつまらない、がっかりした。次も買います」みたいな人が大好きです。
つまらないと思ってもらってもけっこう。
僕自身は一生懸命書いているが、好みに合わないことはもちろんある。
ただ、理解してほしいのは、本当に手抜きなしに書いている。
もし今回の小説が合わないとしても、村上は一生懸命やっていると考えてもらえるとすごくうれしい。
2013年05月12日
やるべきこと、やるべきでないことの見極め方
(PRESIDENT Online )2013年5月11日(土)配信
▼慶應義塾大学大学院准教授 ジョン・キムさんからのアドバイス
目の前の仕事をやるべきか、やらざるべきか。それを判断するには、「自分の人生や成長プロセスにおいて、この仕事はどのような意味を持っているのか」という問いが欠かせません。
たとえば上司から資料作成を指示されたら、それを単純作業として受け止めるのではなく、そこに自分の学びの材料が隠れているのではないかと考えることです。
学びの材料は、ありとあらゆるところに存在しています。
ところが、上司から指示されたことを受け身でこなすだけの人にはそれが見えないのです。
そうではなく、つねに経営者や上司の視点を持ち、その業務の意味や価値を考えてみることです。
学びの材料は、そうした強い当事者意識の先に見つかるものです。
ときには何の価値も見いだせない仕事もあるでしょう。
では、不条理な仕事は捨てて、やりたいことだけをやっていればいいのか。
私は19歳で母国である韓国を離れたとき、「30代でやりたいことをするために、20代でやるべきことを徹底的にこなす」と決意しました。
やりたいことを実現するには、まわりを巻き込んでいかねばなりません。
人に動いてもらうには信頼を得ることが重要です。
そこにマジックは存在せず、1つ1つ結果を積み上げていくしかありません。
そのためには不条理な仕事も徹底的にやっていくと覚悟を決めたのです。
重要なのは、上司の指示に戦略的に従うとしても、自分のものさしだけは絶えず磨き続けるということです。
誰でも最初は自分らしく働く気持ちを持っています。
しかし、上司のものさしに合わせて仕事をしていくうちに、多くの人が自分に羽があったことを忘れ、いつしかペンギンのようによちよち歩くだけになってしまう。
やるべき仕事を徹底的にこなしつつ、自分のものさしを持ち続ける。
そのためにも「この仕事は自分の人生にどのような意味を持つのか」と自分に問い続けることが大切なのです。
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慶應義塾大学大学院准教授 ジョン・キム
1973年、韓国生まれ。米インディアナ大学博士課程修了。英オックスフォード大学上席研究員、ハーバード大学法科大学院客員教授等を歴任。独自の哲学と生き方論が支持を集める。
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▼坂之上洋子さんからのアドバイス
私の場合、仕事のオファーをいただいても、いきなり取りかかることはありません。
先日、ある企業から新体制になるのでリブランディングをしてくれないか、とのオファーがありました。
すぐにブランドステートメントやウェブのリニューアルなどの実作業に入るのは簡単です。
しかし私はあえてヒヤリングにかなりの時間をさきました。
その結果、新しく就任する社長が本当に求めているのは、社員の自主性をどう引き出すかであることが見えてきました。
いま、このプロジェクトでの私の仕事内容は、新社長が最初に思い描いた内容とはかなり違ってきていると思います。
相手が本当に望んでいるものは何か、それは本当に必要なのか。
どうすればベストなのかを考え抜くこと。
たとえば、その仕事では私よりも最適な人材がいると思えば、正直にそう伝え、その仕事を譲ります。
短期間では私は損をするかもしれませんが、大切なのは、それによって最良の結果が生まれるということです。
そういうことを真摯に続けていくことで、まわりと深い信頼関係をつくることができるのではないかと思います。
プロジェクトというのは、ダンドリと人がすべて。それぞれの作業をどの人にどう頼むか。
その下準備(根回しも含めて)をしないうちに走り出すと、かえってスピードが鈍ります。
私はゴールまでの半分はダンドリにあてるくらいのつもりで、しっかり準備するようにしています。
プロジェクトにぴったりの人たちが、気持ちのよい状態で集まっていれば、仕事は自然に勢いがついて前に進みます。
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坂之上洋子
米国と北京で15年以上生活後、東京へ。ブランド戦略、企業の経営戦略、NPO戦略等多方面で活躍中。建築デザイナーとしての受賞歴を持ち、「Newsweek」の世界が認めた日本女性100人の1人。著書に、人気のtweetを集めた『結婚のずっと前』。
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2013年06月22日
いじめ防止法 学校は真に変われるか
毎日新聞 2013年06月22日 02時32分「社説」
いじめ防止対策推進法が成立した。
いじめは個別の特異な現象ではない。
誰にでも、どこにでも起きることと改めて肝に銘じ、取り組みを学校教育の活性化にも生かしたい。
大津市の男子中学生の自殺など、学校現場で深刻ないじめと、その救済機能が十分働かない実態が相次いで明らかになり、対策が法制化されることになった。
重大ないじめは学校から自治体首長らへの報告を義務づける。
学校は調査組織や相談体制を整え、法務局や警察とも連携する。調査には第三者の目を入れる。いじめた子には必要に応じて出席停止処分もする。
こうしたことなどを挙げ、被害者の救済と教育を受ける権利の保障の視点から、学校、教育委員会、自治体、国などの責任の明確化と速やかな対処を強調する。
ただ、いうまでもないが、この法がなかったから過去いじめ問題が相次いだというわけではない。
一方、懸命に取り組む教員が要員不足や多忙事務にもはさまれて、孤立無援の状況に陥ることもある。
隠蔽の場合、よく指摘されるのは「物言えぬ風土」という背景だ。
だが、隠蔽的な体質はいじめに限定されて出るものではない。
それは、学校運営のさまざまな面で、コミュニケーションや連携がうまくとれていないことの表れではないか。そうした視点も持ちたい。
いじめ問題に取り組み、改善していくことは、学校教育全体のありようを考えさせることにもなる。
たとえば信頼関係だ。
被害に苦しんでいたり、傍観者である自分に悩んでいたりする児童・生徒。その様子を見抜き、相談を受けてきちんと実情を聞き取るには、制度の前にふだんの信頼関係が必要だ。
被害、加害双方の側の保護者との関係でも同様だろう。
こうした法や制度の本来の主眼は、総がかりで問題に当たる姿勢や仕組みでいじめを未然に防ぎ、初期に芽をつむことにある。
文部科学省は今後、法に基づき「いじめ防止基本方針」を定め、地方自治体はこれを参考に「地方いじめ防止基本方針」を定める。
細々とした規定より、取り組みやすい現場の態勢づくり、協力や情報共有の仕組みづくりにまず力点を置くべきではないか。
2013年06月23日
沖縄「慰霊の日:「命令とはいえ…」 元日本兵、「始末」を後悔
「命令とはいえ…」 元日本兵、「始末」を後悔
毎日新聞2013年06月22日10時59分
(最終更新 06月22日 13時00分)
「全部始末せよ」。
上官の命令は絶対だった。
沖縄戦末期、米軍の激しい攻撃で追い込まれた旧日本軍の陣地。
陸軍の通信兵だった片山省(しょう)さん(90)=兵庫県洲本市=は負傷兵が休む小屋に手投げ弾を投げ込んだ。
米軍の捕虜となれば秘密が保てないと、信じて取った行動だった。
20万人の犠牲を出した沖縄戦の組織的戦闘が終わった23日、沖縄は「慰霊の日」を迎える。
「命令とはいえ、えらいことをした」。
卒寿を迎えた今も、片山さんには68年前の出来事が心に重くのしかかる。
「4月になれば『米軍が上陸したな』。
6月と聞くと『沖縄戦の終結やな』。
そりゃ、毎年そう思います」。
沖縄から遠く離れた淡路島。
片山さんは6年前に妻に先立たれ、独りで暮らす。
1944年1月、徴兵で満州の陸軍部隊に入り、訓練を受けた。
9月、送られた先は沖縄。上官は「お前たちは玉砕要員だ」と言った。
翌年4月、米軍が沖縄本島に上陸。
雨のように降り注ぐ砲弾の中、連絡文を手に部隊間を走った。
「毎日何十人と死んでいった。
ああ、今日は命があったと。
生きた心地がせんかった」
6月中旬、本島南部に追い込まれた部隊に総攻撃の指示が下った。
「通信兵のお前らは全てを始末して撤退」。
それが上官の命令だった。
「俺は歩けない。涼しい所に連れて行ってくれ」。
壕(ごう)に残った同じ隊の兵に頼まれた。
太ももを撃たれていた。壕を出て約50メートル引きずり、道端で手投げ弾を手渡した。
壕の中の無線機や暗号機は全て破壊した。
近くには負傷兵を収容した小屋があった。
「生きてるのか、亡くなってるのか、何人いたかも分からない。
とにかく爆破せねばと」。手投げ弾を投げ入れた。
「爆発音は聞いていません。米軍がドンドン撃ってくるから。砲弾の嵐でした」
糸満市の摩文仁(まぶに)の集落に着くと、敗走兵が集まっていた。
米軍が迫る。断崖で数日過ごし、考えた。
自決か、戦うか、投降か。
「司令官が自決したという話もあり、戦闘はもう終わったと感じた。
捕虜になるのは恥だが、今さら死ねんと思った」。
崖を降り、投降した。
戦後、淡路島に戻り、定年まで中学校の教師を勤め上げた。
孫もできた。
定年後、沖縄を訪れ、「始末」を命じられた地に立ち、思った。
「あの時、みんな一緒に出て行って、捕虜になっていれば……。
むごいことをした。戦争はもう二度としちゃいかん」
2013年08月31日
「子ども(大人)はなぜ勉強しなくちゃいけないの?」
2013年8月31日 東京新聞「筆洗」
夏休みは、もう終わり。
なのに宿題がまだ終わっておらず、机に向かいながら、大きな「?」が頭に浮かんでいる子もいるだろう。
「子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?」
▼この疑問をそのまま書名にした本(日経BP社刊)で、生物学者の福岡伸一さんは、「そもそも人間とは」という原点から、この問いに挑んでいる
▼人類誕生をめぐるこんな説があるらしい。
ある時、サルの中に成熟が遅い、言い換えれば、子ども時代がとりわけ長いサルが突然変異で現れた。
普通に考えれば、不利な存在のはずなのに、なぜかそのサルが繁栄するようになった
▼食料調達や縄張りなど「大人の問題」に悩まされず、好奇心に従っていろいろ探ったり、遊びで新しい技を身に付けたりする時間がたっぷりあったために、脳の発達が促されたというのだ
▼長い子ども時代は人間だけに与えられた特権であり、その中で「世界の成り立ち」や「自分の存在意義」などという「大きな問い」を発明した−と、福岡さんは指摘している。
そして、そんな人類がたどってきた進化の道を自分で踏みしめてみることこそ、勉強なのだと
▼いやはや、「子どもはなぜ勉強しなくてはならないのか?」というのは、とてつもなくスケールが大きい難問だ。
しかし夏休みが終わっても、大人になっても考え続ける価値のある素晴らしい疑問でもある。
2013年09月02日
給食でパンと麺類 主食が二つという異常なパターンが定着
主食が二つという異常なパターンが定着
2013.09.01 07:00 NEWSポストセブン
予算は足りず、給食費未納も増える一方、それでも栄養価に厳しい規制のある学校給食は、次々と奇抜な献立を編み出している。
神奈川県A市では「きなこ揚げパン、豚汁、ナムル、牛乳」、
千葉県C市では「五目あんかけ焼きそば、アメリカンドッグ、キウイ、牛乳」、
北海道F市では「クロコッペパン、みそにこみラーメン、ケチャップだれにくだんご」……。
これらは『変な給食』『もっと変な給食』(ブックマン社刊)で教育行政に警鐘を鳴らした栄養士の幕内秀夫氏が収集した、全国小学校の今年の「給食献立表」にあったメニューだ。
義務教育の小中学校で出される学校給食は「学校給食法」に基づき、そこには、
給食は「子供の健康のために実施されなければならない」と記されている。
しかし、残念ながら同法の精神が遵守されているとは言いがたい。
「私の元には全国の父母や学校関係者から学校給食献立表が送られてきます。
素晴らしい給食を実施してレベルを上げる自治体がある一方で、首を傾げたくなるようなメニューを出している自治体も少なくありません。
一生懸命やっている自治体とそうでない自治体の差が拡大し、給食の質の二分極化という憂うべき状況が進行しているのです」(幕内氏)
幕内氏は学校給食の傾向について、さらにこう続ける。
「最近では毎日のようにハンバーガー、ピザ、ホットドッグ、ラーメン、菓子パンなどが出ます。
他方、ご飯に味噌汁のついた献立はほとんどありません。
給食のファストフード化、ファミレス化の流れが加速しているのです。
また、食事の基本は『一汁二菜』、つまり主食に主菜、副菜、そして汁ものとされてきました。
学校給食において、これを必ず守れとは言いませんが、主食と副食の区別はあってしかるべきです。
ところが最近の給食ではパンと麺類がセットになり、主食が二つという異常なパターンが定着してしまいました」(幕内氏)
食文化の崩壊は学校給食の現場から始まっているのかもしれない。
※SAPIO2013年9月号
2013年09月09日
佐藤真海パラリンピック代表、招致プレゼン全文
佐藤真海さん、招致プレゼン全文
産経新聞 2013/09/08 01:38
■パラリンピック女子走り幅跳び代表
会長、そしてIOC委員の皆様。佐藤真海です。
私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。
スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。
それは、2020年東京大会が世界に広めようと決意している価値です。
本日は、そのグローバルなビジョンについてご説明いたします。
19歳のときに私の人生は一変しました。
私は陸上選手で、水泳もしていました。
また、チアリーダーでもありました。
そして、初めて足首に痛みを感じてから、たった数週間のうちに骨肉種により足を失ってしまいました。
もちろん、それは過酷なことで、絶望の淵に沈みました。
でもそれは大学に戻り、陸上に取り組むまでのことでした。
私は目標を決め、それを越えることに喜びを感じ、新しい自信が生まれました。
そして何より、私にとって大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました。
私はアテネと北京のパラリンピック大会に出場しました。
スポーツの力に感動させられた私は、恵まれていると感じました。
2012年ロンドン大会も楽しみにしていました。
しかし、2011年3月11日、津波が私の故郷の町を襲いました。
6日もの間、私は自分の家族がまだ無事でいるかどうかわかりませんでした。
そして家族を見つけ出したとき、自分の個人的な幸せなど、国民の深い悲しみとは比べものにもなりませんでした。
私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り、私自身の経験を人々に話しました。
食糧も持って行きました。
ほかのアスリートたちも同じことをしました。
私達は一緒になってスポーツ活動を準備して、自信を取り戻すお手伝いをしました。
そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。
新たな夢と笑顔を育む力。
希望をもたらす力。
人々を結びつける力。
200人を超えるアスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1000回も足を運びながら、5万人以上の子どもたちをインスパイアしています。
私達が目にしたものは、かつて日本では見られなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。
そして、日本が目の当たりにしたのは、これらの貴重な価値、卓越、友情、尊敬が、言葉以上の大きな力をもつということです。
2013年09月11日
学力テスト 学校支配に利用するな
2013年9月11日 東京新聞社説
静岡県の川勝平太知事が全国学力テストで県の成績が悪かったとして、下位校の校長名を公表する意向を示した。
教師への“罰”で傷つくのは子どもたち。歪(ゆが)んだ競争に追い立てるだけではないか。
学校現場にどんなメリットや効果があるのか。
先に成績が公表された全国学力テストで、静岡県は小学六年の国語Aの平均正答率が全国を5ポイント下回る57・7%。
都道府県の最下位だった。
これを受けて川勝知事は成績の悪かった百校の校長名を公表したいと記者会見で語った。
成績が悪いのは教師のせいだ。校長名を公表して責任を取ってもらう。
反省を促すのだ−と。
文部科学省は学力テストの実施要領で学校名を明らかにした成績の公表を禁じている。
過度な成績競争を防ぐためで、一九六〇年代に続いた学力テストをやめる大きな理由になった。
知事は「校長名の公表は問題ない」と言うが、校長名が分かれば学校名もわかる。
学力テストは本来、子どもがどんなところでつまずいているのか、どんなことができるようになったのかを教師が知り、指導の改善に役立てるためにある。
成績には教師の教え方が影響するのはもちろんだが、地域や家庭の抱える事情などさまざまな要素が反映する。
学校現場はそれらを細やかに見ていくことこそが求められている。
小学六年や中学三年を対象に行われている全員参加式のテストに疑問が持たれているのは、平均値をはじきだし、都道府県をランク付けするからだ。
平均値より上か、下かなど点数のみに関心が向けられ、一人ひとりの課題を見つけるのに役立てられていない。
校長名を公表すれば教師も子どもたちの成績を上げようと競争へと駆り立てるようになる。
むしろそんな弊害の方が心配になる。
川勝知事の発言は地域の実情を無視した、全国一律の学力テストがもともと抱えている問題を明らかにしたといえる。
テスト成績の扱いについて、公表しても罰則がないために秋田県が市町村別に公表したことがある。
佐賀県武雄市は昨年十二月に学校別で公表した。
ほかにも公表を認めるよう求める首長があり、文科省は公表の範囲を自治体の判断に任せることも検討している。
本末転倒だ。
名前を公表される教師たちは萎縮するだろう。
学力テストを学校を支配する道具にしてはいけない。
2013年10月01日
訃報:山崎豊子さん88歳 「白い巨塔」「大地の子」
「白い巨塔」「大地の子」
毎日新聞 2013年09月30日 13時51分
(最終更新 09月30日 19時22分)
社会性のあるテーマに切り込んだスケールの大きな作風でベストセラーを生み続けた作家、山崎豊子(やまさき・とよこ、本名・杉本豊子=すぎもと・とよこ)さんが29日、心不全のため死去した。
88歳。葬儀は近親者のみで営む。
大阪・船場の商家に生まれた。
1944年、京都女子専門学校(現京都女子大)国文科を卒業して毎日新聞に入社。
大阪本社調査部を経て45年、同学芸部に移り、副部長(デスク)だった故・井上靖さんから新聞記者の手ほどきを受け、作家としての資質を見いだされた。
新聞社勤務の傍ら、生家をモデルに10年を費やしたデビュー作「暖簾(のれん)」を57年に刊行。
翌年、大阪女のたくましさを描いた「花のれん」で第39回直木賞を受賞したのを機に、毎日新聞を退社し、作家に専念した。
パリを舞台にした「女の勲章」(61年)の取材中に元同僚と結婚。
旧家の遺産相続を扱った「女系家族」(63年)、大学付属病院を舞台に医学界の暗部にメスを入れた「白い巨塔」(65〜69年)をはじめ、閨閥(けいばつ)政治と資本の癒着を追及した「華麗なる一族」(73年)など、実地調査と取材に基づいて社会問題に切り込む長編小説を相次いで発表した。
その後も、シベリア抑留を扱った「不毛地帯」(76〜78年)、日系2世の兄弟の悲劇を描いた「二つの祖国」(83年)、中国残留孤児の数奇な運命をたどった「大地の子」(91年)の戦争3部作で社会派作家としての評価と人気を不動のものにした。
93年、「大地の子」などの印税を基に「山崎豊子文化財団」を設立し、日本に帰国した中国残留孤児の子供の学資を援助した。
日航ジャンボ機墜落事故を素材にして200万部を超えるベストセラーになった「沈まぬ太陽」(99年)の後、「山崎豊子全集」(全23巻)を2005年に完結させた。
09年には、沖縄返還交渉時の密約報道事件を基にした「運命の人」を刊行し、同年の毎日出版文化賞特別賞を受賞した。
作品の多くが映画、ドラマ化され社会的な反響を呼んだ。
新潮社広報宣伝部によると、山崎さんは週刊新潮で連載小説「約束の海」を執筆中で、予定している20回分を既に書き終えているという。
2013年10月02日
徹底的に取材して、核心を見据え本当に大切なことを書く
核心を見据え本当に大切なことを書く
2013年10月1日 東京新聞「筆洗」
十を聞き、一を書け−とは、新聞記者が、繰り返し説かれる心構えだ。
徹底的に取材して、九は捨て、核心を見据え本当に大切なことを書く。言うは易(やす)く行うは難き記者心得だが、八十八歳で逝去した作家の山崎豊子さんは、「四十を聞き、一を書く」と言っていた
▼あの重厚にして悠々たる小説が一だとすると、四十とはいかなる労力か。
シベリア抑留を耐え、戦後は商社員となり経済戦争を闘った男を描いた『不毛地帯』の取材では、三百七十七人から話を聞いた
▼酷寒のシベリアを横断し、モスクワから中東の油田地帯へ。
全旅程三週間というモーレツ商社員並みの「出張」をこなした。
「商社員を書くんです。商社員なみに動かなきゃ、実感が湧きませんよ」(『作家の使命 私の戦後』新潮社)
▼壮絶と形容したくなるほどの創作姿勢。
八十四歳で『運命の人』を書き上げた時に、「この年まで書き続けてこられたのは、学徒出陣と学徒動員のためでした」と振り返った
▼勤労動員で軍需工場に駆り出されて、「本を読みたかった時代にその自由はなく、人を殺す弾を磨いていた」という学生時代。
動員先で小説を読んでいたのを将校に見つかり、「この非国民め」と平手打ちされた。
その時、作家としての書く方向は決まったのだと
▼戦争を生き残った者として何をなすべきか。
そう問い続けた足跡が、残された。
2013年10月08日
“名裁判官”じゃなかった? 大岡忠相
“名裁判官”じゃなかった? 大岡忠相
2013年10月7日 朝日デジタル
機知に富み、人情味にあふれ、公明正大な裁きを下す町奉行として、落語やテレビドラマで描かれてきた大岡越前守忠相(ただすけ)。
しかし彼が本当に活躍したのは、むしろお白州の外だった。
■江戸改革の名官僚/庶民がヒーロー化
忠相が江戸の市政全般を担う町奉行に任命されたのは、数えで41歳。
歴代町奉行の多くは就任年齢が50〜60代だから、格段に若い。
当時、忠相の俸禄(給与)が町奉行の基準より低かったことも考えると、理由は不明だが、新将軍・吉宗の抜擢(ばってき)人事だったと言って良さそうだ。
1590年に家康が入府してから発展を続け、18世紀前半には人口が町人だけでも約50万人に達した江戸。
安全なまちづくりは、吉宗による享保改革の柱の一つだった。
大石学・東京学芸大教授は
「忠相はその先兵となった官僚」と位置付ける。
過密都市につきものの悩みが火災。忠相は、町家を瓦ぶき、しっくい塗りとする予防策を、時に違反者を処罰する厳しい姿勢で進めた。
火よけ地や火の見櫓(やぐら)も整備。武士中心だった火消しに町人を積極的に使う方針を打ち出し、町人自らが自分たちの街を守る体制を築く。
農村から流入し、貧しい暮らしを送る人々の生活安定にも力を入れた。
小石川養生所は設立から約140年間、貧窮した病人を救う施設として機能した。
幕末まで続く江戸の街は、この時代に築かれたと言える。
*
同じころ、江戸周辺の農政にも携わっている。
1722年から約25年間、専門の役人たちを率い、武蔵野新田(東京都西部・埼玉県南部)の開発・経営や、治水工事などにあたった。
本来、関東の農財政は勘定所・代官の担当。
大石教授は、財政再建のため新田開発に力を入れる吉宗が「担当組織を活性化するカンフル剤として、忠相を起用したのでは」と考える。
農政では忠相は人材の発掘、支援に回ったようだ。
サツマイモの栽培で有名な青木昆陽も、こうした専門家の一人だった。
数え60歳の時、忠相は全国の寺社などを管轄する寺社奉行に任命される。
通常は1万石以上の譜代大名のポスト。
3920石の旗本の異例な昇進を、ねたまれたのか。
年若の同役から控室を使わせてもらえないという「いじめ」を受けるなど、重用ゆえの苦労もあったようだ。
改革を共に進めてきた忠相への信頼は、吉宗の晩年まで揺るがなかった。主君の葬儀を担当した6カ月後、忠相は後を追うようにその生涯を終えた。
「大岡政談」に収められた名裁きのうち、実際に忠相が裁いたのは「白子屋お熊」ぐらい。
それも、不義をはたらいた男女を処刑した「事実」の部分は、主題にもなっていない。
あとは中国の古い裁判物語や別の奉行の担当事件が、元ネタという。
なぜ「忠相=名裁判官」というイメージが作られたのか。
町奉行の在職期間が約20年と長く、庶民の生活に深く関わる都市政策を手がけた。
江戸以外の地域でも名前が知られていた。組織の枠を超えて仕事をした――。
いくつかの理由が、体制の中にヒーローを求める人々の心の琴線に触れたのだろう。
死後20年もすると、名裁判官として語られるようになる。
享保の世から約300年。そろそろ「名官僚」としての忠相を描く物語が生まれても良いのではないだろうか。
■読む
■見る
大岡忠相が主人公のドラマといえば、約30年間にわたりシリーズ全402話が放送された加藤剛主演の「大岡越前」。
現在はDVDで見ることができる。
NHKは今年、BSプレミアムで東山紀之主演のリメークを放送。
■訪ねる
神奈川県茅ケ崎市にある大岡家の菩提寺・浄見寺には、忠相を含む一族の墓がある。
毎年4月には大岡越前祭が開かれる。
東京都文京区の東京大学大学院理学系研究科付属の小石川植物園内には、小石川養生所の井戸が残る。
■そのころ世界は
忠相が活躍した18世紀前半、ヨーロッパでは列強諸国がしのぎを削る時代となった。
特にフランスと、商業の発展により実力をつけたイギリスは激しく対立。
スペイン継承戦争(1701〜14)など、ことあるごとに敵味方に分かれて戦い、植民地のある北アメリカでも争った。
また啓蒙(けいもう)思想が盛んになり、モンテスキューが「法の精神」(1748年)で主張した三権分立論は、後のフランス革命などに大きな影響を与えることとなる。
一方、中国では清朝が最盛期を迎え、チベットにまで影響力を拡大した。
2013年10月10日
防犯ブザー 月一回は点検を いざというとき、鳴らない…
いざというとき、鳴らない…
2013年10月10日 東京新聞
子どもたちが身を守るために携帯している防犯ブザー。
いざというとき、大きな音で周囲に非常事態を知らせ、近づく不審者を威嚇する効果があるが、適切な管理と鳴らす練習をしていないと使えない可能性がある。 (寺本康弘)
「小学生の娘に持たせるために買った防犯ブザーが半年たったら鳴らなくなった」
全国の消費生活センターには、防犯ブザーに関する相談が、二〇〇八年九月から今年七月末までに三十七件寄せられている。
国民生活センターが本年度、小学生が一年以上使用している防犯ブザーを調査した結果、53%で「音が鳴らない」、または「音が小さい」という異常を確認。
このうち三分の一の原因は電池切れだった。
保護者を対象にしたアンケートでは
「電池交換をしたことがない」
「ブザーの点検をしたことがない」という回答が多く=グラフ、管理する意識は低い。
同センターによるテストで、市販の十種類各十個を一メートルの高さから落とした結果、六回の落下で、五種類に鳴らないものが出た。
電池工業会(東京都)によると、防犯ブザーは主にアルカリのボタン電池が使われている。
同会では「音を鳴らしていなくても夏の炎天下にさらされたりすると、一年に10%から15%消耗している恐れがある。
さらに国産に比べ、アジアなど外国産の電池では劣化しやすい場合がある」と指摘する。
さらに、「雨などでぬれると内部で電流がショートしたり、さびたりして使えなくなる可能性もある」と注意を呼び掛ける。
国民生活センターの担当者は「商品にあらかじめ付いている電池は動作確認用のものが多く、確認後は速やかに新品にしてほしい。
そして最低でも月に一度は音が鳴るかどうかと、音の大きさの確認が必要になる。
子どもには乱暴な扱いをしないように注意して」とアドバイスする。
非常事態にブザーを実際に使える子どもは少ない。
「現状は防犯ブザーをもらって終わりになっている」と説明するのは、NPO法人日本こどもの安全教育総合研究所(東京)の宮田美恵子理事長。
宮田さんが〇九年度、小学生を対象にしたアンケートでは、不審者から「声掛け」や「つきまとい」などを受けたとき「ブザーを鳴らした」のは1・9%にとどまった。
そもそも非常時にブザーを持っていたのは32・7%だった。
宮田さんは「緊急時には体が固まって動かなくなる。使い方を習うだけでなく一人一人が鳴らす体験をすることが大切。
家庭で鳴らしたり止めたりを訓練してほしい」と助言する。
携帯するときはランドセルの肩ひもの胸部分に付けたり、手に近いズボンのベルト穴に付けるのが良いと推奨している。
2013年10月14日
やり方が下手すぎる。もちろん、「しもて」ではなく、「へた」と読む。
もちろん、「しもて」ではなく、「へた」と読む。
2013年10月13日 東京新聞「筆洗」
「千代、下手すぎる」。
新人女優が初舞台の迫る中で、こんなメモを演出家からもらった。
書かれていたのは、役名とその一行だけ
▼助言や指導があれば納得もできる。
「下手すぎる」だけでは女優にとっては「やめてしまえ」と言われたのと同じ。相当なショックだろう
▼ベテラン女優、吉行和子さんの若い時の話。
メモを見て「貧血を起こして鏡台の前にうずくまった。
いろいろな思いがぐるぐる回り、溶けて白くなって気が遠くなっていった」と、『浮かれ上手のはなし下手』で書いている。
そりゃそうだ
▼メモは誤解だと分かる。
「下手」は「へた」ではなく「しもて」と読む。舞台の左右を区別する上手、下手のことで、吉行さんの立ち位置が客席から見て左に寄りすぎていると演出家は指摘していたのだ
▼国会敷地内に、牛丼の吉野家が開店した。
文句はない。
もやもやするのは、千二百円の「牛重」をこの店限定で売ることだ。
国会には通行証がなければ入れない。
口にできるのは、国会議員、国会職員、官僚の国会関係者ということになる。
「普通の人」はなかなか味わえない
▼国会側が特別メニューを求めたと聞く。議員特権や格差問題まで持ち出す気はないが、写真の「牛重」がうまそうな分だけ、国会や吉野家の感覚が分からぬ。
やり方が下手すぎる。
もちろん、「しもて」ではなく、「へた」と読む。
2013年10月19日
27号は猛烈な台風に発達
2013年10月19日(土)17時34分配信
共同通信
フィリピンの東の海上にある台風27号は19日、勢力を拡大して最大風速55メートルの猛烈な台風に発達した。
気象庁の予想では、徐々に北寄りに進路を変え、週半ばにも強い勢力で日本に近づく。
気象庁によると、19日午後3時現在の中心気圧は920ヘクトパスカル。
20日には910ヘクトパスカルまで強まる見通し。
次第に弱まるが、早ければ強い勢力で23日にも日本に近づく可能性がある。
2013年12月15日
学力アップする?「メタ認知力」鍛える5つの方法
「メタ認知力」鍛える5つの方法
2013年12月15日(日)
16時0分配信 dot.(ドット)
小学校までは成績優秀。
中1の1学期も、まずまずだったのに…。
2学期になってがくっと成績が落ち込み、勉強嫌いになるケースが増えている。
我が子を救うには、親がどう向き合えるかが問われている。
ベネッセ教育総合研究所の主任研究員・樋口健さんは、子どもの学力向上には親のかかわりが重要だと話す。
「成績が下がる、もしくは上がらない子どもの親は、テストの点数や結果しか気にしない傾向がある。
どうしてこんな点なのかと叱りつけ、塾へ行けと命じる。
でも、成績が上がる子や常に上位の子の親は、子どもが学習するプロセスに寄り添おうとします。
『どこがわからなかったの?』と尋ねて一緒に見直しをしたり、次はどう勉強したらいいかを子どもに考えさせるよう導いたりするのです」
では、親は具体的にどう子どもと向き合えばいいのか。
教育関係者が口をそろえるのが、学習習慣をつくる手助けをするということだ。
そして、そのプロセスで重要な力が、脳科学でいうところの「メタ認知力」だという。
メタ認知の「メタ」は「高次の」という意味。
「メタ認知力」は、高い視点から俯瞰で自分自身を眺められる能力を指す。
「要するに問題解決能力です。
自分には何が足りないのか、どうすべきかを自ら考え、学びに向かう力を持てる子に育ててほしい」(樋口さん)
前出の中学教員は、メタ認知力を「自己分析力のようなもので、今の子には本当に足りない」と実感している。
できない子は「何ができて何がわからないのか」を理解できない。
数学の補習で「何がわからないの?」と尋ねると「全部!」「数学!」「方程式!」とおおざっぱにしか言えない。
ああ、わが子のよう! そう嘆く保護者に朗報がある。
「メタ認知は才能ではなくスキル。訓練によって鍛えられます」
と言うのは、教育心理学を専門とする筑波大学大学院の外山美樹准教授。「五つのメタ認知力アップ法」を教えてもらった。
(1)「今日授業でやったことをひとつだけ教えて」と質問しよう。
学習したことを自分の言葉で言ってみる作業はメタ認知力を高める。
(2)会話の中に出てきたものに対して、「どうしてそうなるのかなあ?」と聞いてみる。
正解でなくても、自分で思考する習慣をつけることが重要。
(3)漢字や地名など「これって何?」と子どもに聞かれても、安易に教えない。
「どうやって調べてみようか?」とまず調査法を立案させる。
(4)勉強方法などを聞かれたら、「自分でやりなさい」と突き放さず、入り口だけでも一緒に考えてやる。
(5)間違いを指摘するのではなく、「どうすればミスしなくなるか」を考える方向に導く。
※AERA 2013年12月9日号より抜粋
2013年12月29日
体罰問題の根底「古き良き日本が失われたから」と王貞治氏
「古き良き日本が失われたから」
と王貞治氏
2013.12.28 16:00
週刊ポスト2014年1月1・10日号
王貞治氏は今も次代を担う子供たちや若者の指導に汗を流している。
不滅の大記録を打ち立てた同氏が、今でも純粋に「野球」と向き合い、走り続けているのは何故か。
そこには古き良き日本への思いがあった。以下、王氏が語る。
* * *
12月に母校、早稲田実業高等部の忘年会が開かれた。
第29回選抜高校野球大会の優勝を記念した「紫紺会」だ。
当時16歳だった連中が今では73歳。
お互いに自由な時間が持てるようになってくると、昔が懐かしくなってね。
レギュラーだった連中も、そうじゃない連中も一緒になって、「あの時はしんどかったね」、「あんたにはよく殴られたねェ」なんて笑って話すんですよ。
今の時代は「殴られた」なんていうと、すぐ暴力だといわれてしまうけど、当時はそんなこと思いませんでした。
一緒にきつい練習をして、同じ目標に向かって頑張っている仲間同士。
何度も何度も練習したのにどうしてできないんだという思いで、「甲子園に行くという夢を叶えるためには」と、先輩が後輩に手を出すことがあった。
そうすると後輩としても、申し訳ないという思いがあるから、憎いとか、仕返ししてやろうなんて思わないですよ。
確かに余所から見ている第三者からすれば、暴力に変わりはないのかもしれません。
でも当事者の間には、意思の疎通というか、血の通ったところがあった。
日頃の人間関係があるから受け入れられたし、周りの人も好意的だった時代でした。
選手同士で殴り合いの喧嘩をしても、近所の人が止めてくれて、何事もなかったようにしてくれたし、「お父さんやお母さんには転んだといえ」なんてアドバイスもくれた。
家でも、お前に悪い所があったから殴られたんだといわれるような時代だったからね。
それが今は、何の関係もない外部から騒がれたりして、心の繋がりを作ろうにも全部、ブツブツと切られてしまうでしょう。とても難しい時代になっています。
僕なんかは、当事者同士に任せておけばいいじゃないかと思うんです。
起きた現象だけで、関係ない人にまで色々いわれることで、昔から日本にあった“良さ”みたいなものが切れるようになってしまった。
昔はお爺ちゃんお婆ちゃん、両親、そして先輩といった目上の人が、若い者に伝えていく……
そして自分がその立場になったら同じように伝えるという、“日本的な良さ”があったんですよ。
それがいつの間にか教えなくなり、教えないから教わらなくなった。
教わる気がないから、何かいわれると説教されているとか、小言をいわれているようにとってしまう。
若い人にとって、不幸な状況です。
●取材・文/永谷脩(スポーツライター)
2014年01月13日
道徳の教科化 規格化はそぐわない
毎日新聞「社説」 2014年01月12日 02時35分
小中学校の「道徳の時間」を「特別の教科」にし、算数や数学、国語のように検定教科書を導入する。
識者懇談会の提言を文部科学省は近く中央教育審議会に諮問し、2018年度にも実施の見通しだ。
いわば「格上げ」だが、それがなぜ必要なのか分かりにくい。
まして内面の価値観や多様性を踏まえて行われるべき道徳教育に、こうした規格化が果たしてプラスなのか。
道徳教育の強化は現政権の政策の柱だ。
一連のいじめ問題が具体化の契機にもなり、いじめ防止対策推進法は学校に道徳教育の充実を義務づけた。
確かに、いじめのような問題が、心の教育のあり方を見直す論議にもつながるのは自然なことだ。
しかし、それは道徳の「教科への格上げ」という形ではなく、もっと内容の改革や充実、先生への支援策に向かうべきではないだろうか。
道徳は教科ではないから、検定教科書も成績の評価もない。
これまで副教材として文科省作成の「心のノート」などが使われてきた。
今回の道徳充実策を受け分厚くした「私たちの道徳」を全国の小中学生に配布するが、教科化段階では教科書会社が内容を競う検定教科書を用いる。
今後、中教審を経て学習指導要領改定を告示、これに基づいた教科書編集、文科省の検定、現場の採択という手順を踏むが、その前に、もっと論議を積むべきことは多い。
先生たちにはとりわけ「評価」が悩みのタネだ。
懇談会の報告も、道徳性は極めて多様な心情、価値、態度などを前提としているから数値による評価は不適切、と断じた。
そこで、子供たちの「学習の様子を記録し、その意欲や可能性をより引き出したり、励まし勇気づけたりするような記述」などを例示するが、何をどういう観点で見て判別していくのか。
これは何を目的に、どういう教育を進めるかという問題に結びついていて、とても重要だ。
また教科書検定基準が改められ、「よりバランスの取れた記述」を求められるうえ、教育基本法の目標に照らし「重大な欠陥」があれば不合格となる。
道徳の場合、「バランス」「模範」を意識するあまり画一的で「無難」な素材選びや記述に傾きはしないか。これも気になる。
しかし、本来は教科書に頼るのではなく、先生が身近な問題やテーマで授業を工夫し、多様な見方、感じ方から、個人の尊厳や思いやり、互助、勇気、答えがすぐ出ない問題も考える。
それが基本でありたい。
思うことや意見を率直に口にしたら、「規格」に合わないかもしれない−−。
もし、子供たちにこんな警戒心を芽生えさせることでもあれば、元も子もない。
2014年03月09日
(東京五輪物語)悲劇のランナー 耐え抜きメダル…でも
悲劇のランナー 耐え抜きメダル…でも
2014年3月8日15時23分 朝日デジタル
1964年10月21日、国立競技場の約7万人の目は、2位で戻ってきたマラソンの円谷幸吉選手(当時24歳)に釘付けだった。
背後から英国選手が迫る。ゴールの200メートル手前で抜かれて3位に落ちた。
それでも低迷が続いていた日本陸上界にとって、戦後初のメダルだった。
シューズやウエアの性能があまり良くなかった当時、マラソンは今以上に過酷だった。
体力を温存し、後半に余力を使い切るペース配分が日本の定石。
円谷選手は違った。
1週間前に1万メートルで6位になったスピードを生かし、最初からとばした。
メダルを期待された2人、前年に世界最高記録を出した寺沢徹さん(79)と選考会トップの君原健二さん(72)でも、5キロ手前で離れたハイペース。
円谷選手は40キロまで耐えた。
60年ローマ五輪をはだしで走り、東京ではシューズを履いて連覇したエチオピアのアベベ選手から「円谷選手と68年メキシコ五輪で走りたい」と言われた。
だが手術でも腰痛は完治せず、婚約者との別れもあった。
メキシコ五輪開催の年が明けた68年1月9日、自殺した。
「もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」。
遺書に記した。
円谷選手の銅メダルの後、日本は男女のマラソンで六つのメダルを獲得した。
しかし、最近2大会はメダルがない。
今年1月31日、日本陸上競技連盟会長の横川浩さん(66)が、福島県須賀川市の円谷選手の墓を訪れた。
会長の訪問は初。
20年東京五輪招致の成功を報告し、「日本の陸上を強くしたい。見守ってください」と祈った。(増田創至)
2014年05月13日
香山リカのココロの万華鏡:論文も「シェアする」時代?
2014年06月03日
香山リカのココロの万華鏡:おとなに疑問抱く瞬間
2014年06月07日
民間人校長の不祥事はなぜ起き続けるのか 今度は高校校長がスーパーで万引き事件
2014年06月11日
覚醒剤の次はトイレ盗撮…校長先生の犯罪が相次ぐワケは?
2014年06月27日
勉強嫌いの子どもにやる気を起こさせる方法はあるか
2014年10月10日
夜間中学 まず「1県1校」実現を、学齢主義克服の道を!!
2014年10月18日
問題行動調査:反抗・暴言、荒れる児童 社会のひずみ、ストレスに
2014年10月24日
5人に飴を4個ずつ配ると飴はいくつ必要か 赤ペン先生回答
2014年10月25日
道徳の教科化 心を評価する危うさ
2014年11月02日
40人学級:復活に異論 文科省、35人効果否定に反発 保護者、ネットで署名集め
2014年11月03日
公設民営学校 委託先の厳格な審査が必要だ
2015年01月30日
PTA役員、やって良かった?後悔した?
2015年03月25日
PTA改革のススメ=山本浩資(東京社会部)
2015年05月04日
<家庭訪問>変わるスタイル 「玄関先訪問」も
2015年05月27日
好奇心をつぶさないで!子どもの「質問攻撃」に上手に答える3つの心得
2015年06月01日
教育機会の保障 多様化の利点を生かせ
2015年07月08日
火論:46年前の通知=玉木研二
2015年07月20日
セミは長生き!知らなかった夏の虫の真実
2015年07月30日
岩手いじめ自殺 子の痛みにさとくあれ
2015年08月27日
つらいなら学校は休もう
2016年02月01日
義家弘介が事故続発の組体操を絶賛!
2016年02月06日
3段タワーでも重症事故…組み体操「重度外傷」年間84件
2016年02月07日
あなたも毒親? 親が子にやってはいけない“隠れ虐待”行為
2016年02月11日
“盟友”清原逮捕にペラペラ 桑田真澄の言葉に拭えぬ違和感
2016年03月10日
万引きなし確認も修正せず=誤記録のまま推薦拒否−広島中3自殺
2016年03月24日
73歳、孫と共に高校卒業 不慣れなパソコン授業、足の骨折乗り越え
2016年04月03日
学校での行き過ぎた指導が生徒を死に追いやる「指導死」
2016年04月07日
防衛大生という手もある
2016年06月28日
尾木ママ、業界内での悪評
2017年01月04日
2017年にはぶっ壊したい、こどもの貧困を生みだす日本の5つの仕組みとは
2017年01月07日
要注意! 「自立できない子」に育ててしまう、ママの“無意識な行動”&予防法
2017年01月28日
横浜市教委「いじめとは言えない」発言以上に問題だった、学校のおざなりな対応
2017年02月16日
新学習指導要領 量と質、二兎を追えるか
2017年02月26日
安倍と関係・森友学園が改憲の署名集め
2017年06月25日
「2分の1成人式」で感謝の手紙を読まれたら、私は親として嬉しがるのだろうか
2017年09月14日
私たちは「大人の脳」の使い方を知らなすぎる:10代半ば頃からは勉強法を変えるべき
2017年11月13日
「頭髪指導で不登校」になった女子高生の悲劇
2017年11月27日
教師への暴力:警察対応の秩序か生徒の将来か 苦悩の現場
2017年12月16日
中高生の文章読解能力崩壊が深刻
2017年12月17日
教科書の文章、意味わかる? 国立情報学研究所など測定法開発
2017年12月20日
子どもには「好きなこと」をやらせるべきだ
2017年12月21日
「左利きの矯正」を当然とする社会圧の代償
2017年12月29日
「努力しても成績が伸びない子」の残念な習慣
2018年01月20日
0点だった漢字のテスト、小学男児の柔らか発想に「これは100点あげたい」

2018年01月25日
子どもの前での「夫婦ゲンカ」が及ぼす“3大悪影響”&回避のためにできること
2018年01月26日
ぐんぐん伸びる子は何が違うのか?
2018年02月04日
寓話・北風と太陽には「北風勝利」編もある
2018年02月19日
小学生にアルマーニ 自己確立なら、いっそ制服廃止を

2018年02月27日
学校にはなぜ制服があるのか…
2018年03月04日
国民に刷り込まれる「単純な言葉」の数々
2018年04月04日
いじめの認識が甘すぎる小中学校にモノ申す
2018年04月09日
「小1問題」の本質は学校の古臭さにある
2018年04月10日
学校の"班活動"が日本の子供を潰している
2018年04月23日
小中学校で増える「常勤講師」 士気低下が蔓延する背景とは
2018年07月16日
ブラック校則問題で裁判所がお茶を濁す事情 人権を侵害し尊厳を踏みにじる「学校の常識」
2018年08月04日
学力テスト 先生に考える「余裕」を
2018年08月06日
学校に携帯代金を払わせる"モンペ"の手口
2018年08月12日
毎年、新学期前日に焦っちゃう!夏休みの宿題を早く終わらせる五つのコツ
2018年08月23日
現場の教師も苦悩…理不尽な“ブラック校則”に潜むリスク
2018年09月09日
「知識偏重」「暗記」教育に対する大いなる誤解
2018年09月13日
自衛隊幹部が異様な低学歴集団である理由
2018年09月20日
なぜ警備ビジネス業界は拡大が続くのにブラック企業だらけなのか
2018年10月12日
クレーマー対策5カ条…
2018年10月15日
小学校の「道徳教科書」はこんなにも危ない
2018年10月20日
公立校教員の過酷な労働環境
2018年10月27日
任意団体 入退会は個人の自由<PTA会長になった記者リポート>
2018年11月08日
PTA退会なら「餅つき大会参加ダメ」 非会員家庭の子ども排除の実態
2018年11月20日
「パパ活」を甘く見る女子中高生に迫る超危険
2018年11月21日
小学校算数の「さくらんぼ計算」に戸惑う声 文科省の見解は?
2018年11月23日
成績がいい子はノートの取り方にコツがある
2018年12月08日
「こういうことはこれからもある」元BC級戦犯が残したもの
2018年12月19日
子どもの「やりたくない」をやる気にする秘訣
2019年01月15日
まず「信念」がなければどんな夢もかなわない
2019年01月28日
決断力を磨くためには現場の修羅場も必要だ
2019年02月22日
老害の初期症状「とにかく否定から入る」
2019年03月03日
リアル告発"総理を支配する闇集団"の実態
2019年03月06日
早稲田を出て2カ月で警察官を辞めたワケ
2019年03月08日
公立小中に4万人いる常勤講師の差別待遇
2019年03月15日
道徳を「教科化」してもいじめは減らない!? きれい事ばかり並ぶ残念な中身
2019年03月26日
世界から愛される「イチロー流」コミュ力とは
2019年03月29日
髪型の理不尽な校則、あった?「男は坊主」「ポニーテールNG」etc.
2019年03月31日
2019年防衛大卒業式で大量の任官拒否が出た理由
2019年04月26日
「義務教育の敗北」に見る教育アップデートの必然性
2019年05月08日
何もしない人より"失敗する人"がいい理由
2019年05月10日
老いて学ぶ晩学をバカにする人は大バカだ
2019年05月11日
なぜ人は空気を吸うようにウソをつくのか
2019年05月14日
人生を変える「ここだけの話」を引き出す方法
2019年05月18日
「突発性バカ」になる東大出身者の共通点
2019年05月22日
家庭訪問あるある?先生への「おもてなし」暗黙のルールを知らなかった我が家の悲劇
2019年05月30日
行き過ぎた「完食指導」で体調不良、トラウマも…? でも、学校ばかりを“悪者”にしてはいけない理由
2019年06月02日
『時短運動会』の風潮に野々村友紀子「子どもの意見が入ってないやん!」
2019年08月30日
日本にはびこるブラック校則、その原因と対策を考える
2019年09月19日
昔話が図書館から消える! 『美女と野獣』は性差別的な物語!? ポリコレ的にNGな童話の世界
2019年09月20日
中学受験界「大学付属校」の落とし穴
2019年10月12日
過酷な学校現場に直面、加害教師を退場させられる仕組みづくりを
2019年11月13日
ボール遊びも大声も禁止…「そして誰もいなくなった」 荒れ行く公園が問い掛けるもの
2019年11月26日
ダメなリーダーほど「事なかれ主義」に陥る理由
2019年12月03日
0歳の頃の記憶をもつ兄 乳児が泣く理由をことごとく説明
2020年01月21日
バレバレの“スマホ検索”で処分 イマドキ受験生のヌクヌク模試証言
2020年03月02日
臨時休校「一生の思い出」奪われた子たちの本音
2020年08月06日
藤井聡太棋聖、最年少二冠&八段に王手!木村一基王位に無傷の3連勝/将棋・王位戦七番勝負
2020年08月11日
読みやすく伝わりやすい文章を書くコツ、才能やセンスはいらない!
2020年08月25日
新学期の子ども体力低下!? コロナ×猛暑で「家にいた」
2020年10月12日
「#先生死ぬかも」日本の教育現場はあと10年も持たない
2020年12月10日
文章がどうもうまく書けない人のための処方箋
2021年03月16日
体育で「肌着の着用禁止」。川崎市立の小学校の指導に批判が殺到。市教委の対応は?
2021年03月17日
【前編】PTAの役員決め、「転校前に役員をしていた」は免除の理由にならないの!?
2021年04月01日
UFOや死後の魂を即否定する人は「本物の科学者」とは言えない
2021年04月12日
「桜田門外の変」で食べ物の恨みは怖いと思う訳
2021年04月15日
漢字のとめ、はね、はらい、できないと0点? 教育の本当の目的とは/鴻上尚史
2021年05月05日
「小学4年生で人生が決まる」日本で進行する新型格差社会のヤバさ
2021年05月16日
習い事づけで小1の子が壊れた。“隠れ毒親”チェックリスト20
当然、子どもにも個性があり得意・不得意もある。スマホのアプリをインストールするように、子どもに習い事をさせても、できることが増えるわけではない。
2021年05月22日
子どもの命より五輪 萩生田大臣“運動会強行”発言は正気か
2021年06月01日
「道徳の教科化」が若者たちに無力感をもたらす 『教育は何を評価してきたのか』 が示す危機感
2021年06月09日
教職員組合に諫言 「平和や憲法は大事でも、実務がこれでは…」
2021年08月04日
消えた工場、桑畑…地図記号の廃止・誕生の背景にある「社会の変化」


2021年09月30日
小6女児いじめ自殺 校長の“仰天言い訳”
2021年12月06日
中3刺殺事件 14歳少年の「心の闇」と「学校の対応」の違和感
2021年12月14日
昭和の小学校に必ずあった「家庭訪問」が知らぬ間に姿を消したワケ
2021年12月25日
教諭の9割「教頭なりたくない」 アンケートで目立った理由とは
2022年01月20日
山田花子、“さすが”と思った長男のテストの答案用紙を公開「あなたには笑いがあるわ」
2022年02月13日
「おかしな文章を書いてしまう人」と「文章がうまい人」の決定的な差
2022年04月09日
PTA退会で子どもへの不利益をにおわされたら親が取るべき行動
2022年06月21日
「性教育」を毛嫌いする日本が抱えている大問題
2022年07月25日
眉毛整えもブラジャー着用も禁止 理不尽校則、子どもを管理対象とみなす日本の危険性
2022年08月08日
親に向かって「お前」「ババァ」「うざい」…反抗期の子供が憑きものが落ちたように素直になる魔法の言葉5
2022年08月12日
プロが実践!「勉強する気」をひねり出す5つの手
2022年09月13日
「正しさに依存させる」のがカルトの恐ろしさ
2022年10月03日
実は危ない?あの「酸素」の知られざる怖い性質
2022年11月25日
「いやがおうにも期待が高まる」は間違いだった? 誤用しやすい慣用句12選
2022年12月23日
産毛剃り禁止!「ナゾ校則」が日本にはびこる真因
2023年01月04日
意外と知らない「七福神」のルーツ


2023年02月15日
「苦手」は克服できる…絶大な効果を発揮する4つの方法
2023年02月17日
同じ時間が流れているはずなのに…大人になると1年があっという間に過ぎていく本当の理由
2023年02月21日
「勉強の成果が出ない人」のNG行動・ワースト3
2023年02月22日
理想的な睡眠時間は8時間ではない…20年前とは決定的に違う"快眠"の新常識
2023年03月27日
親が子に伝えたい勉強の話
2023年03月28日
学びをそれっぽい一般論で終わらせない方法
2023年04月18日
三流は、いきなり頭が真っ白になり、二流は、いきなり説明しはじめ、一流は、いきなり何をする?
2023年04月29日
「神」「ヤバい」…現代人の言葉の貧困化が招く末路
2023年06月10日
日本の教育は"授業以外"が多すぎる…部活に掃除当番、行事の山で「学校=友達」になってしまう弊害
2023年06月27日
スマホ片手の現代人がそうなるのは必然だった…ネット世界がやたらと攻撃的になる4つの理由
2023年08月04日
大量退校、玉砕美談…防衛大で今何が起きているか 教授が実名告発
2023年08月29日
「電車はいろんな状況の人が乗っています…」 修学旅行の児童たちを行儀よく振る舞わせた先生の言葉が胸に響く
小学生の頃、社会見学で近くにある車両基地へ行ったことを機に、鉄道ファンとなる。
(まいどなニュース特約・中将 タカノリ)