2008年11月12日

義家さんについての疑問

月曜日21時からの「TVタックル、教育問題」を見て やはり現場を知らない人達の議論だなぁとため息がでてしまいました。

自民党参議院議員 義家氏の「日教組・組合」に対する敵視。
彼は「ヤンキー先生」で当選した人ですが、元教員としての彼の実践に???をつけたくなる発言内容でした。
作家 石川達三氏の「人間の壁」を是非読んで欲しいと思いました。

日教組・組合が大きな闘争を組んだのは、勤務評定(予算不足の付けを教員定数減で乗り切ろうとした政策)、指導要領改悪(45分授業導入・道徳の導入)、主任制導入(分掌に手当格差を持ち込む)、全国学力テスト(学校間の格差助長・差別化)、人事異動の広域化問題(夫婦で別々な遠隔地に異動させる政策)等々、現文科省の教育破壊・歪みに対してです。
各分会段階でも「セブンイレブン」と揶揄された勤務時間、不明朗な校内指名人事、現場を無視した上位下達の指示・職務命令など 現場教師の健康や子ども達の教育環境整備に関してです。

「ニワトリが先か卵が先か」というと旧文部省の政策の歪みに日教組・組合が現場の願いを代表して闘ったというのが 日教組・組合の歴史です。
一部組合員・県教組の活動を「鬼の首をとった」ように問題視しムリに組織全体の問題にすり替えていますが、その地の教育委員会が日教組・組合をご用組合として無原則に共存共栄策をとった地域に問題が集中しているのが現実です。

何か学校問題が起きると 「ウソも繰り返せば事実になる」かのように日教組・組合攻撃をすれば事が解決すると 自分達の政策の一貫性のなさを棚上げして議論する「政治家」達。

本来は、学校長に教育課程を地域にそって編成する権限・責任を与え、
各分会を交渉当事者として責任を持たせ 現場の協力体制・勤務態勢を学校事に構築していくのが筋だと思うのですが・・・

学力不足の子ども達を救う体制や一部父母の暴走を学校として対処するためにも 現場の「自由裁量度」「協力体制の構築」が課題として浮かび上がると思うのは小だぬきだけでないと思います。
 
今の現場教師の「分掌出張の多さ」「各課題別出張」、「報告・提出文書」の多さ・・。学校長の出張の多さなどを 減らすだけでも教師の子どもと向き合う時間が増えるのですが・・。

宅急便の「ヤマト運輸」では、組合は経営の歪みや問題点を現場の視点で教えてくれるものだ、会社の介入は好ましくないとの創業者の言葉が生きていると聞きます。

この視点が日教組・組合にも当てはまると信じています。




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2008年11月14日

埼玉県民の日

先ずは、昨日の報告。

デジカメの予備電池、ヨドバシポイントを使って購入。
充電池の予備が必要だと思ったのは、海浜学園引率時に7時間対応電池だから大丈夫と充電器だけ持参したのですが、肝心の所でビデオ電池切れで再充電終了まで撮影が不可になったトラウマかもしれません。

日付けから再設定しないと、再撮影ができず 焦った記憶があり、それ以降 予備を用意するようにしています。もう20年以上前の話ですが、ウツ傾向は 徐々に進行していたのではと思います。

また、一昨年の父の動脈瘤・心筋梗塞手術、今年の腹部動脈瘤手術の後遺症で「声のかすれ」がでて治らないでいたのですが、昨日は専門医の外来に付きそうことが出来ました。うつの心身疲労が帰宅後に出たのが幸いしました。

今日は「埼玉県民の日」

意外と知られていないのですが、学校などは子ども達は休日ですが、教職員は「出勤日」になっています。日直に当たった?人は義務出勤?。多くの職員は、教材準備とか書類の作成などで出勤しています。今年は年休で3連休に・・、という余裕?を持てる人は 少ないのではと思われます。新指導要領の移行準備や英語の導入など、課題が山積みですものね。休職していなければ「出勤」を選択するしかないな・・と回想する小だぬきです。

また 第一回の「障害基礎年金」の振り込み日

22年度の障害再認定では 労働可能な「認定外」までにしたいなぁと思いつつ、節約生活に努めています。第二の人世の助走期間になるよう カードポイントなどを有効利用する術を学んでいます。経済より健康重視の「退職選択」ですもの。

ズボン騒動記で書いた 余裕あるズボンのおかげで 何とか3時間程度は外出する身体になってきています。
posted by 小だぬき at 03:31 | Comment(4) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月03日

好奇心が持てれば楽しい・・

12月の学校は、今学期最後の「授業参観」「懇談会」、それと進度調整(運動会などで科目により時間不足になる時がある)

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それから通信簿作成になるのですが、これがやっかいなのです。

1 塾などでテストの成績はいいが、忘れ物や宿題など提出物をださない子。

2 テストはいいが、授業に対する姿勢が不十分(私語・姿勢)な子。

3 テストなどはやや点数が悪いが 真面目に努力し提出物もしっかりしている子

4 個別指導をしても なかなか理解が難しい子。

等々を考えているうちに終業式が近づくという図式になります。
また、
@ テストも授業態度も提出物も申し分ないなら「悩まない」のですが・・・・

A 理解ができない子が「学習の積み上げ不足」なのか「なんらかの障害」を持つ場合では、成績づけに何らかの配慮が加えられます(所見などで・・)

個人下書き→学年間での見直しなどで清書にとりかかります。
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教員は一人一人の個性や能力のいい面を見つけ評価し 通信簿にしていきます。

在職中、悲しかったのは 「父母より」の記述がなかったり、次の学期に「なくした」という家庭もでることです。提出されても何かこぼしたのかシミがついた状態で返ってきたことすらあります。

その上、Aが増えたら「お小遣いがもらえるんだ」とか「○○を買ってもらえる」という子ども達も少ない数ではなくでています。本来は「知る・分かる」ことがご褒美なのですが・・。

終業式まであと2週間ちょっと。提出物の忘れはないか、テスト直しはしてあるか・・・。
お子さんに家庭での学習習慣が身についているか・・・・。

お父さん・お母さんも ちょっとお子さんの「学習の姿勢」を見てあげてください。

今の子のすごい所は「ポケモンカード」をはじめ 好きなことにはものすごい集中を示す点です。
学習も本来は「知らない・できない」ことが「分かる・できた」という とても素敵なものなのですから・・・・。

TVなどでの「お馬鹿キャラ」より麻木久美子さんのように「知りたい・分かりたい」という好奇心一杯の人の方が爽やかですもの。

posted by 小だぬき at 18:18 | Comment(4) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月04日

教職員の不祥事

「性的犯罪」「言動の体罰」「贈収合事件」「飲酒運転」などの教職員の不祥事の報道を見る度に 精神安定剤が効かないほどイライラします。

教員であっても○○個人の犯罪なのに、評論家やマスコミによって「今の教員は・・・」「今の学校は・・・」と事件をいとも簡単に一般化してしまう点です。
不祥事が起こるたびに 何回も 文科省→県教委→市教委→管理職→教職員に「服務について」とか「教職員のモラルについて」などの通知や指導??が現場に下りているのでしょう。
行政や管理職は「おまえらも同質だ!!」「ちゃんと通知・指導したからな! あとは 自分で同じ過ちをするな!!」と言わんばかりに評論家やマスコミに迎合して 個人の犯罪を全職員可能性あり要注意にすり替えるのです。

犯罪を犯した○○や被害者のケアを論点にするのではなく、見事に教育・医療問題全般にすり替えてしまうのです。

そのたびに「オレ達は信用されていないのか!!」「犯罪予備軍扱いか・・・」と現場の志気低下、仕事へのプライドをキズつけられていくのです。

親御さん・お子さんにとっては、巡り会った○○教員が 教員の姿として記憶に刻まれるのだなぁ・・という 当たり前といったら当たり前のことを現場では重視します。

いくら多数派は違うといってみても 「ハズレ」と思われた時点で信頼関係は崩壊してしまいますもの。

教員○○の個別的言動の不祥事・・・。より多くの教員は真摯に子どもたちと向き合っていることを心の隅にでも信じて欲しいなと 休職タヌキは思います。

確かに 心ない言動をしないよう研鑽する大切さは 教育・医療関係者に求められるのは当然と思います。

小だぬきも「うつ」との闘いを通して、お子さん達の心身を傷つけないように人間として成長しなければと思います。
posted by 小だぬき at 16:09 | Comment(4) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月22日

楽しい引き算競争

低・中学年を持つときに、最初にヤッタのが連続引き算。
例えば、初めの数字を107として、引く9を 引けなくなるまでやる方法です。繰り下がりの習熟とゲーム感覚を味合わせるのに 慣れれば子供達は食いついてきます。

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 107      98     89     80    71    62
-    9     →  -   9   → -  9  → -   9 →   - 9  → -   9
  98            89         80          71        62       53    


   53            44      35     26      17
 -  9   →   -   9  →   -   9   → -   9  →   - 9     終了
   44            35           26          17            8

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これを暗算で答えだけを 縦に記入して 「先生と競争だ!!」というと 子供達は張り切って挑戦します。
初めは繰り下がりに抵抗があって、いちいち上に書いたような立式で筆算をする子もいます。
勿論、最初の競争は 私の圧勝に終わります。

答え合わせの時に「ようく答えの数字をみてごらん」と考えさせると、「なんだ〜10引いて1返しているだけだね」ということに気付き始める子がでてきます。こうなるとしめたものです。

初めの数字だけ換え 引く9の連続計算をさせると、10分ほどで計算スピードがアップします。

答えが簡単に出るとわかると 子ども達は 引く8をやろうよ・・・引く7をやろうよと 繰り下がり計算に抵抗をなくしてきます。

今はやりの「100マス計算」より、理屈がわかるだけに子供は嫌がりません。

もし機会があれば 親子で「10円払っておつりをもらう」繰り下がりの引き算に遊び心で楽しみませんか??
posted by 小だぬき at 09:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

テスト・試験の直しの大切さ・・・

私は、テストなどをするとき、必ず間違った所は 自分のまだ弱いところだから 「テスト直しノート」を作り 間違えをそのままにしないようにしなさい、と口うるさく言う教員でした。

勿論、考えたり・調べ直しても分からない時は、私の所に来なさい。いくらでも教え直しますよ。といい続けていたのですが、理解度の高い子ほど「テスト直しノート」を出し、本当に必要な子が「提出しない・聞きにこない」傾向がありました。

これでは、学級の中でも理解力の差が固定するため、ミニ先生方式とかグループとか補習とかを組むのですが、「覚える気のない、小さい時から苦手意識のある子」に四苦八苦したものです。

今は不況でどのような傾向にあるか定かではないのですが、地道に学習習慣を家で作るより、簡単に塾におまかせという家庭の何と多いのか・・・と唖然とする思いをいだいた時もあります。
無論、本人がやる気で入塾するわけでないので 成果は望めず、塾では学校があるから・・・、学校では塾でやるから・・・・と より他者依存の悪循環に落ち込む子がいました。

本来知らないからこそ 知る喜びを得られるし、できないことができるようになるから楽しいのが学習です。

幼児の時はみな「知りたい・聞きたい・やりたい」と「なぜ、どうして・・・」と好奇心一杯に聞いてくる子供達なのに、いつからその好奇心が減り 自分を大切にせず諦めてしまうのか・・・・。

来年から新指導要領の試行に入る 小中学校。子ども達の好奇心をうんと大切にする現場の改善ができるのか 内容をみただけですが 好奇心を育てるより「覚える」ことが多くなりそうで心配です。
posted by 小だぬき at 11:56 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

土地勘の自信の揺らぎ

私は、大学時代にデパートの「苦情処理・商品再送」の仕事を 一時やっていて地理・土地感には自信をもっていたのですが、ましてや教員の仕事というと出張も日帰り圏内で決まった所で 迷うことなど考えもしなかったのですが、5年前に買った「日本大地図」をみて、市町村の合併などで 正確な「現市名」が分からなく、 ニュースにでる地名との対比・位置関係が頭にすぐ浮かばない状態になってきています。

趣味の地図・時刻表で仮想旅行が困難にもなっています。ついつい旧市名で検索するものですから、パソコン上でも???が多くなりました。また夜行列車廃止なども迷わせる原因の一つです。

また、スイカを利用し電車に乗るものですから 値段と距離についてもいつの間にか???です。

世の中便利になっているのでしょうが、本当に「浦島太郎」のように街の変貌などに戸惑うことが多くなりつつあります。

今、推理小説を読むつもりで 地下鉄や新路線で「国会」に行くには・・・とか、四ッ谷に行くには・・・、靖国神社にいくには・・・・などと目的地を指定して ルート探しに没頭する時があるのですが、地下鉄は未だに「迷路」のようで どこで何線に乗り換えるとパソコンが示してくれても 地図で路線を追うのが難しい状態です。

あの地下鉄や山手線をはじめ「ダイヤグラフ」を作成している人は、超人ではないかと驚くのです。

たまに地図片手で散歩すると まだ何年も休職したわけではないのに、「冒険」している気になるから不思議です。

降り口一つ間違えるだけで、国会の参議院口にたどりつくまで長い散歩も余儀なくされることもあります。たまに傍聴手続きをすると 荷物を預けて身一つでの入場。一人だと衛視まで同行と「オレは犯罪者扱いか、主権者は国民一人一人だぞ!!」などと思います。

テレビでは迫真の乱闘劇も本会議などは、たんたんとつまらない儀式をみている気分に・・・。

まぁ「何でもみてやろう」「何でも好奇心をもって観察しよう」との 小田実さんの冒険心には到底及びませんが、療養のために散歩範囲を広げつつある今、まだ「群衆の中の孤独感」は感じますが、傍観者にならないよう「散歩に意味を早く持たせたい」と思う小だぬきです。
posted by 小だぬき at 21:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月23日

何気なく、親の知恵を!!

小学校2年生で学習する かけ算九九。毎年のようにトイレに九九表を貼ったとか、親子で風呂場で特訓したとか涙ぐましい「暗記」が 報告されます。
でも、本来は要点さえつかめれば「暗記」は、自然とできるのです。

1当たりの数の何個分という押さえです。

◎◎◎                 1当たり3この1つ分   3 × 1

◎◎◎   ◎◎◎  1あたり3この2つ分    3  × 2       

かける( × )ということは、1あたり・1袋当たり・1皿あたりの数のいくつ分で、×数が1つ増えるにしたがって 1当たり分が増えていくのだとの理解を 徹底させれば「無限暗記地獄」から解放されるのです。

極端にいえば  ×5までの理解ができれば  3 × 7 は (3×4+3×3、でも3×5+3×2でも同じ)と気づけると 暗記も楽しい となるのですが、まだ念仏暗記が多いのは残念です。

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<お父さん・お母さん すごい!! と言わせる九の段>

両手の手のひらを 目の前に置きます。これから書かれた通り指を折ってください。

9  × 1      左手の親指を折ります。左手と右手で折っていない指が9本ですね。
9  × 2      今度は左手の人指し指のみ折ります。折った左側が10の位。
9  × 3      左手の中指を折ります。折った左が10の位。

両手の手のひらを開いて 左手の親指から1本ずつ指を折り 折った指の左側が10の位、右側が1の位とするのがポイントです。

9  × 9      右手の一指し指を折り、折った左側が8、右側が1で 見事指 九の段の完成です。

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今、「インドの数学」がブームになっていますが、なんと合理的に答えにたどりつけるのか・・・・、と休職中の小だぬきも驚く 法則性と合理性です。

posted by 小だぬき at 06:54 | Comment(4) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月27日

子供達の安全と交流の難しさ

今日は、通院日。3泊4日で贅沢な食事をした後だけに「血液検査」が心配になる小だぬきです。

旅館・ホテルでは、他人の子ども達と会話したり、交流ができたり、顔見知りになった人達と会話できるのに・・・・。
一つだけ後悔したのは、エレベーターで一緒になり3日間お友達になれた外人さんと英語で会話できなかった点です。学生時代は 英語を学習したはずなのにまるで単語が出てこないのには 自分ながら情けなく感じました。彼が片言の日本語で話してくれたので、お互いに「笑顔と身振り手振りで交流」を持てたのは良かったのですが・・・。学生時代に「きちんと学習しなかった」ことが悔やまれます。

<子供達の安全と交流の難しさ>

休職前に「安全主任」をしていたのですが、子ども達が犯罪被害者にならないために過剰な「他者警戒」の指導をしていたのではと「反省」し始めています。
ホテル内では、無邪気な子ども達に気軽に話したり、温泉での「水泳指導」(本当はダメなのですが)ができるのに・・・・。
一歩外にでると事情が急変します。現役時代に出張先の学校への行き方を聞こうと「話しかけていいものか」と悩んだものです。近所の顔見知りの子ども達なら問題なく聞けるのですが、全く他所の土地だと聞きづらくなっているし、子ども達も「学校の指導通り」一歩距離を置くので 何か潤いのない殺伐さを感じることが多かったものです。
自分が「安全主任」だっただけに、「大人をみたら 用心しろ!!」と「大人不審」を植え付けてしまっていた、過剰な警戒心を持たせてしまったのではと反省するのです。

何でもそうですが、「建前」「保護」「正義」「予防」などが 徹底すればするほど 人間関係が「表面だけ」の潤いのない社会になっていくのだなぁと 珍しく「曖昧さ」も大切かなぁと思う朝です。
posted by 小だぬき at 07:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月07日

明日から3学期・・

子ども達の多くは、明日始業式を迎えます。(本日は 子供向け)

@生活リズムは、早く「学校モード」に切り換えてね。
A初日から忘れものをしないように鞄を確かめてね。通信簿・書き初めなどの宿題、新しいゾウキン、上履き、連絡帳や筆記具を忘れないでね。
Bベトナムで鳥インフルエンザの人感染が確認されました。風邪・インフルエンザ予防のためにもマスクはしよう。
C交通事故や不審者には十分注意しようね。

そして 友達と仲良く「一つでも多く得意なもの 好きなものを増やして」、今の学年のまとめをしてください。

などと現役時代は、2学期終わりの学級通信や始業式で話したものです。

子供達の笑顔が無くならないように 瞳が輝き続けられるように いいスタートをきって欲しいと願っています。

私自身負けず嫌いから「うつ」になった部分もあるのですが、子ども達には「挑戦して挑戦して得意なものを増やして欲しいです」
だって、学校って「できないこと、わからないこと」を「できるよう・わかるよう」になる 本当はステキな場所のハズですものね。
posted by 小だぬき at 19:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月10日

この3連休で生活リズムを!!

8日の始業式から2日登校で3連休へ。
この3連休の過ごし方の工夫で、3学期のスタートがきまるとも言えます。

まず、学校と同じ 起床・就寝時間だけは 少なくとも維持して欲しいのです。長期の休みから折角苦労して2日間 学校モードにしてきたのに この3連休で生活リズムを崩したのではもったいないからです。

また毎日、1時間は復習にあてたいものです。一番、成果が表れるのは 計算と漢字です。この際、不得意というより得意なものの「定着」を図る発想の方が 抵抗は少ないでしょう。

ご両親の仕事の関係で難しいかも知れませんが、3度の食事もきちんととらせたいものです。

6年生で国立や私立中学受験組は、「健康管理」が最重要の課題になります。折角、努力を積み上げてきたのに、当日 実力発揮できなくては可哀想ですもの。

3学期は、60日前後の短期決戦??です。次の学年に胸をはって進級するためにも 一に健康、二に健康、三に学習で頑張って欲しいです。

教員にとって怖いのは、インフルエンザの流行期に櫛の歯が抜けるように欠席者が増え、欠席者ケアーと出席者授業の板挟みで授業を進めるべきか 立ち止まり欠席者が無くなるまで授業を復習に切り換えるべきか 短い授業日数の中で悩む事態です。

教員もそうですが、体調不全の時は、「休む」→「早く治癒」させることが とっても大切なことです。
手洗い・うがい・栄養をとっても 対人関係でインフルエンザに感染してしまうことは起こります。早め早めの対応で重症化を防いで欲しいと願っています。

私は今日「精神科の受診日」、きちんと薬を飲んでいたハズなのに 残があるということは 飲み忘れの日もあり 自己責任の体調不良日もあったということです。
余り、偉そうなことは言えませんが、この冬を なんとか乗り切る工夫をしていきましょう。
posted by 小だぬき at 06:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月28日

教員を信用しない教育委員会??

足立区の土曜日塾講師補習の記事が朝刊に載っていました。
各地で放課後や土曜日の「塾講師」への「民間委託」の動きが広がっていますが、休職中とはいえ教員の立場から「おかしい」ということを書きたいと思います。

@ 公立学校の仕事・・・・

公立学校教員の仕事というのは、「授業」の他に「校務分掌」といわれる研修部・体育部・視聴覚部や各教科、PTAの専門部、市の主任会や県の特定研修に加え 市・県・国による各種調査回答など膨大な事務負担があります。(月事の出席統計・授業時数統計、行事計画・集金なども教員の仕事です。)
それらをスリム化して 授業に専念できる環境整備こそ必要なのに、「塾教師」補習とは・・・。お金の使い方が違うのではないか、と思うのです。

A 塾講師と公立学校の教員の違い

塾講師は、身銭を払っても「学習したい」という児童のために、学習に特化した仕事です。
公立学校教員は @の事務量をこなした上、児童・生徒の生活指導、補習なども担っています。時には1日トイレにさえ行けないのが現実です。

私自身は、教員に「教育」に専念できる環境・条件を整備して 放課後「補習をする時間」か確保されれば
塾講師補習などという姑息な方法をとらなくても、学校の教育力で改善が可能だと思っています。

B 結局は予算か

学校職員の負担軽減には、教員増などの施策や校外研修の見直し、事務量軽減・報告、調査の精選など 市・県・国の財政・人員負担が求められます。
現場の疲弊を無視して、安易に塾への民間委託の方が予算が少なくて済む発想としか思えない。

C 公立学校の自殺行為・・・

塾講師の授業は、参加する児童の習熟度を考慮にいれても、分かりやすく・楽しいものになるでしょう。
塾講師の皆さんの努力とともに「授業のみに特化」した形態だからです。

そのような授業をうけた児童・生徒は、学校教師の授業にどのような思いを抱くでしょうか・・・・。
想像するだけ、恐ろしい・・・・。


私は、今 授業で公立学校が勝負できるようにするには、少なくとも @の仕事の精選しかないと思います。 

posted by 小だぬき at 05:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月03日

今日は「節分」の日

学校給食でも「ミニ節分豆」が配られているのでしょうね。

私が担任をしていたときは、私が「鬼の面」をかぶって豆まきできなく、鬼ごっこを歳がいもなくやったものです。

子ども達も「先生、歳の数だけ食べれば 良いことがあるんだよね・・・・」という可愛い質問や「先生だとこの豆の数で足りるの??」「ボクのもあげる」などという子もいました。

<今日は「給食」についてです>

今は子ども達の「好き嫌い」が激しく、残滓も多く出ます。

私のように昭和30年代に給食を食べたものは、「残す」などは考えられませんでした。
完食した上で余りのパンやくだものを貰って、家での食事の足しにしたものです。
悪名高い「脱脂粉乳」も 冷めないうちならなんとか飲めました。
「揚げパン」が人気メニューのトップでした。

今の子達は、「カレーライス」の日は確実に食べてくれますが、他は殆ど残滓がでます。
良く食べる上のクラスと協力関係を持ち、残滓を無くすのに四苦八苦したものです。

揚げパンやフルーツ、ひじき・きんぴらゴボウ・トマトシチューなどの時は 悲惨なほど残ります。
また、学期末などにでるケーキなども人気がないのです。

甘い物は「太るから・・・・」、ひじきやきんぴらゴボウなどは「家で食べた時ないから・・・・」とか、この子達は一体 何を食べて成長しているのか 不思議な感覚にとらわれたものです。

私の世代は、高度成長期の前で ご飯と味噌汁に納豆くらいで ご馳走と思えたもので、たまごやバナナは 病気したときか運動会の時くらいしか食べられなかった世代なので、たまにでた「ぜんざい」などは嬉しくてしかたありませんでした。
そのような時代に育ったから「残すことが考えられない」のです。
外食でも「悪いけれど ご飯少なめにしてくれる?」とか申告して きれいに全部食べて「ごちそうさま」をしないとと身体にすり込まれているのです。

これから本格的になるであろう「不況」に 今の子のように「好き嫌い」が多いと生き残れるのだろうか? などと心配をしてしまいます。

「いただきます」と食への感謝をし「ご馳走さまでした」で終わるしつけも低学年では苦労することがあるのです。

何事もですが、お互いに「ありがとう」「ごちそうさま」の感謝の心が基本にないと、ギスギスした世の中になるのは確かだと思います。

過去に、誰だったか「金を払っているのに、なぜ感謝しなければいけないんだ!!」などとTVで堂々と言っている方がいました。拝金主義に陥り 人間性が荒廃すると「金を払ったオレに 感謝しろ」などという輩が出てくるのですね。

家の母もそうでしたが「食べず嫌い」が多いようです。いろいろと工夫して作ったり・購入して食べてもらうと食べられ「食べず嫌い」は克服できるのです。

節分とは、離れましたが これからの不況、起こるかもしれない震災などで「食べず嫌い」「好き嫌い」は通用しないでしょう。

節分で「食べず嫌い」鬼を外に追い出したいものです。心から・・・・・。
posted by 小だぬき at 11:21 | Comment(7) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月09日

多くの学校で卒業式の練習に・・

今頃から「卒業式」の練習がはじまります。

在職34年の半分近くは 視聴覚担当で放送室で音響を担当していたのですが、学校によって機種が違うため馴れるのには苦労したものです。

今年は、転任したとき 2年生の補助で「書写」を担当し四苦八苦した子ども達の卒業です。
彼らの卒業式を直接祝えないのは残念ですが、子ども達は確実に成長しているのだなぁと感慨がひとしおです。

**********************************

政治の世界のドロ試合が 相変わらず盛んですが、企業献金は小沢氏が多いとか自民党がおおいとか、いい加減にして欲しい。
企業が何の見返りも期待せず 資金をださないことは、常識ではないですか??

貰った額の問題ではなく「政治家の倫理」の問題でしょう。法の抜け穴を利用して企業献金・団体献金・個人献金を貰った上、政党助成金もしっかりと受領する、このような人達が本当に「国民目線」にたった政治などできるハズはないと思うのです。

よりましな所に投票をし「希望」を見いだすしかないのは残念です。
posted by 小だぬき at 17:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月11日

標語にするのが好きな学校に学ぶ

眼鏡の度が合わなくなっているので、見積もりだけして貰いに「眼鏡店」に入って、「店はお客様のオアシスに」と貼ってあるのに気付き、「挨拶の基本ですか?  だから気持ちよく話せるんだ」といったら 「わかりましたか・・・」と苦笑されてしまいました。

会社で未だに朝唱和させられている人達もいるのかな・・・・


<オアシス>
            挨拶のしつけ
お・・・・おはようございます。
あ・・・・
ありがとうございます。
し・・・・
しつれいします(しつれいしました)
す・・・・
すいません(すぐします)


<おかしの約束>
     
防災訓練@地震想定
お・・・・ちついて(
おさない)
か・・・・かくれる(机の下、防災ずきん)

し・・・・しずかに(放送、指示を聞く)


<おかあさん火(ひ)>
     
防災訓練A火災想定
  お・・・おちついて(
おさない)
  か・・・かけない

  あ ・・・あわてない 
  さ ・・・ さわがないで 
 みん・・・なで(みんなで)
 
 ひ・・・ひなん

コピーライター的才能のある方というのは、言葉のセンスがあるなぁと いつも感心します。

今のテレビ、番組内容よりCMの方が面白いものがたくさんありますもの。

一家の合い言葉作りなんてステキな遊びではないでしょうか?

例えば
  う・・・うつ気分
  つ・・・辛い日、躓く日
  び・・・びくびくしない姿勢で
  よ・・・良くなる日を信じて
  う・・・うまく心身のリフレッシュ    オソマツな一句
 
posted by 小だぬき at 16:13 | Comment(4) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月09日

今頃は「入学式」か・・

◇玉県の入学式、仮担任(中学年担任)が子ども達の世話をして「式場引率」をします。
式参加の2年生・・以外は 1時間程度の学級指導で下校です。

親御さん達の式場場所取り合戦で早い人は受付と同時に並び、この事点で半数近くは出席確認をします。持参をお願いした「給食費口座振り込み」用紙を忘れたり 印がなかったり書類不備も結構でます。
これが第1のピークで担当も充実した?忙しさを味わいます。

問題なのは、10時過ぎには、仮担任がトイレに行かせたり廊下に並べて会場へ出発準備を始めてなくてはならない時間になっても 受付にこない「遅刻者」が毎年、数人いるのです。受付担当と仮担任・式場担当との連絡で忙しくなるのはこの時です。この時の疲労は遅刻父母を「顔で笑って、心は怒り」というものです。

保護者も片親の参加、夫婦揃っての参加、家族全員の参加、親戚を含めた参加と多種多様です。

式自体は、入学おめでとうの祝辞や2年生による呼びかけや「1年生になったら」の鍵盤ハーモニカの演奏、担任発表・各学年や担外の紹介で終わります。

問題は、「記念写真」です。恐ろしいほど時間がかかるのです。子ども達は何とか並べても父母の皆さんの位置決めが大変なのです。
夫婦揃ってとか子どもの近くにとか 気持ちは分かってもなかなか妥協して頂けないのです。思わず「主役は子ども達」だといいたくなるくらい四苦八苦します。
この点は お父さんの方が物わかりよく助かります。

次に「担任と子ども達、保護者」が揃って教室での出会いの日になるのですが、1時間程度なのですが、この貴重な時間にも配布物の説明と書類締め切りを 親向けに話さなければならないのですが、教室後の肝心の父母は 井戸端会議・談笑・私語・・・・。子ども達もその雰囲気になり「初日から学級崩壊か」などという例もでます。
ここで教員としてのプロの力量が問われるのです。あくまで笑顔でタイミングを見て親子とも集中させる技量です。


・幼稚園や保育園で場馴れしているのか、年々 親子とも「門出の1日」という緊張感がない。

・親も卒業生だったりするせいか 子どもと同じように服はよそ行きでも 態度は別。

・デジカメ、ビデオ持参は 「遠慮してください」という 学校の要請は完全に「忘却」

・人数は少ないのですが ラフな服装や茶髪、まだ子どもが子どもを産んだとしか思えない態度の父母も増えています。

・そして驚くべきことは 1年生なのに男女で手をつなぎたがらない子も多いのです。(小だぬきは、大人になったら 手を握りたくても握れないのに、なんてませた子ども達か・・・、などと喉元で発言を押さえたものです。

・初任校が1年生から3年生の持ち上がり2回と 5年生の7年間だったのですが、30年前は 1学期に指導をきちんとすれば ちゃんと身についた行動が出来る子ども達だったのに・・・・、などとつい比較してしまいます。


入学式後、各担当から「気づいたこと」「心配な点」などの交流をして、やっと昼食。私のような「うつ病」患者でなくても疲労困憊します。

そのあと、会場の片付けをして 職員の入学式は15時前後に終了。
以前は「お疲れ様」でしたと帰宅も許されていたのですが、今は 地域の眼とかの理由で管理職は「お疲れ様でした」とは言っても「勤務終了します」とは なかなか言わなくなりました。

言われても言われなくても、滞っていた学級事務や教室整備で 帰宅する余裕はないのですが、公務員へのバッシングのため、慰労会にしても 休憩時間の運用で16:30分以降に設定するしかない状態です。
今日は 今の時点は「1年生の学級指導」と職員の片付けの最中だと思います(11:30現在)。

子ども達の変容、保護者の変容、学校をとりまく環境変化、学習指導要領の試行とこれからますます忙しくなります。職場・現場のそれぞれの環境は違いますが 一律に公務員批判をするマスコミに怒りすら感じる 小だぬきです。

高給取りのように思われている教員ですが、正規の31年目の手取り「6414029円」、休職中の32年目の手取り「4432800円」です。この中には「住宅補助」「交通費」も含まれています。

退職後は 年金で200万前後の生活になります。

政府・自治体は、高級官僚の給与や一部特別手当の問題で 公務員全体が「高給取り」との宣伝をして給与削減の動きが出ていますが、「木を見て 森を見ない」マスコミ報道の世論誘導も公務員現場の多くの現状から解離しています。

今だからグチれるのですが、民間の景気が良い時は「公務員」だからと民間より低水準。
民間の景気が悪くなると「公務員給与は高い」と 悪い意味で「雇用形態が公務員」だからと いいように給与水準を押さえる「安全弁」として 経済連などに悪用されているようにしか思えないのです。

皆さん、小学校教諭は地方公務員です。私の現職時代の給与は高すぎですか?
posted by 小だぬき at 12:11 | Comment(4) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月18日

4/21 に全国学力テストを強行

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文部科学省、昨年に引き続き全国学力テストを実施(前屋 毅=ジャーナリスト)
きたる4月21日の火曜日、今年も全国の小学校6年生と中学3年生全員を対象とした「全国学力・学習状況調査」(いわゆる全国学力テスト)が行なわれる。このテストには、結果の公開・非公開に関する様々な議論や、地域間の競争がエスカレートする懸念など多くの問題がある。にもかかわらず、文部科学省(文科省)はそれに耳を貸さず、じゅうぶんな論議をつくさないまま今年も実施を決定した。全国学力テストの実施は文科省の本質を鮮明にするとともに、教育行政の主権が文科省から離れつつあることを象徴している。
(以下略、下記アドレスで)


http://event.media.yahoo.co.jp/nikkeibp/20090415-00000000-nkbp-bus_all.html

全国学力テストそのものの利点と欠陥をあげればキリがないくらいです。
4月の「学級つくり」「健康診断」「PTAの懇談会(恐怖の役員決め」「家庭訪問・個人面談」「年間の分掌計画」などに追われる日々のなか、強制的に1日「学力テスト」に日程をとられるのです。
本当に「学力は国際比較で遅れているのか・・・」「この時期に適切なのか」の議論抜きです。
前屋さんのレポートは、お子さんをお持ちの方に是非読んで頂きたいと思います。

posted by 小だぬき at 14:11 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月20日

明日、全国学力テスト

こタヌキ同盟.jpg

4/18付けの「つれづれ日記」に紹介した 前屋毅氏の記事を是非 小・中学校のお子さんをお持ちの方はお読み頂きたいと思います。
http://event.media.yahoo.co.jp/nikkeibp/20090415-00000000-nkbp-bus_all.html

弊害が目立つ全国学力テストを強行ともいっていい文科省の施策。現場は朝令暮改の政策に何度翻弄されたことか・・・。

今の日教組、全教という組合のナショナルセンターは 「抗議」声明のみ出しています。
一連の公務員攻撃や「教育破壊の組合」という政府やジャーナリズムの事実無根の攻撃に対して 及び腰になっているのでしょう。
参加せずという良識のあった市や町の教育委員会も 今年は実施せざる得ない状況にあると聞きます。

前屋氏のレポートやこれからの「現場の疲弊・混乱」の責任は、文科省にあるとしっかりと記憶して欲しいと思います。

石川達三氏の小説「人間の壁」を 今一度読み返してみる価値は 十分にあると思います。

教職員組合に32年間加入していた小だぬきは、組合は文科省の施策の防波堤であって、教育荒廃・破壊の責任は 現場の意見を蔑ろにしてきた文科省にあると 今でもおもっています。

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今日、「美しい政治家」の世界一に 青森県八戸市議 藤川ゆりさんが選出されたとの記事がありました。
他国のネットにイチャモンをつける気はないのですが、主催者が候補を勝手にエントリーして、ネット投票で順位を決める・・・。
多分主催者は遊び心での候補選出だったのでしょうが、候補者達の人権侵害の問題はないのでしょうか?
他国は政府要人か国政関係者なのに、日本は 市議会議員とは・・・。
藤川さんの選出は、彼女にとって いい迷惑でしょう。

それにしても 本人申し込みではなく 主催者エントリーで他国同様に国会議員や政府要人がエントリーされないのは、それだけ世界に名の知れた女性議員がいないのか・・・、日本をからかっているのか・・・。
「小池百合子」さんや「佐藤ゆかり」議員などの知名度が 藤川さんに負けているのは、地方分権を進めよとの願いかと勝手に解釈する小だぬきです。

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相変わらず雇用不安が深刻化しています。新卒入社組に「自宅待機」などという姑息な手段にでている企業もあるとのこと。まずは経営陣のリストラをしてからというのが本筋でしょうに・・・

小だぬきの悪いクセで 書き始めたら止まらなくなる位「世の中が変」
うつ病の患者に そう言われるのはと反発して、いい施策をして欲しいものです。
posted by 小だぬき at 21:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月24日

橋下大阪府知事、あなたは裸の王様か!!

「タレント」知事であっても 府民目線にたって疑問を持ち→専門家の意見を聞き→関連部署に問題提起や改善を要請する のなら、例え1期目からでも評価できます。

でも、今の橋下知事は、「実現可能性」「組織の独立・責任」を 無視した 「大阪府の独裁者」になろうとしているかのような 指示・命令・私見を連発している ただの「目立ちたがり屋」にしか見えない。

<反復学習を積極的に取り組まない首長は(選挙で)落とす>とまで いったとのこと。

教育への行政の政治介入を防ぐために 知事部局・行政部局から独立して「教育委員会」があること。
反復学習の有効な部分と弊害を きちんと理解してのことか疑問の残ること。

 教育現場では「反復学習」をする前に その前提を重視します。

・「漢字」なら 正しい筆順と使われ方(熟語・単文理解で)を まず徹底させてから、習熟のための反復練習をします。
・「計算」なら なぜその答えが出るかの理解を図ってから、習熟で反復練習をとりいれます。
・都道県名や人物、出来事など 暗記を要するものも「適時」に集中してです。

教育内容の国際比較を持ち出すまでもなく、今 教育に求められているのは「論理的思考」とその思考の基礎になる「学力「知識」です。
これは、クラス全員への反復練習の暗記では生まれてきません。

また、教育にとって生きた「知識・技能」というものは、「わかる・できる・知る」学習の喜びでしか身につきません。

現場経験の浅い ヤンキー先生とか落ちこぼれ先生とか、少人数のクラスだからこそ効果を発揮できた蔭山英男さんなどの迷言に惑わされているとしか思えません。

橋下知事、あなたは弁護士で法律には詳しいでしょうが、教育現場・行政現場では「素人」です。
発言する前に きちんとしたアドバイザーの意見を聞き 知事権限ではなく 「素人の疑問」としての問題提起にして欲しい。
そして、その現場の対応の困難さを理解した上で 「脅し」でなく「援助」をして欲しいと思うのです。

精神科医のなだいなださんの著作に「専門馬鹿とばか専門」があります。

◇専門馬鹿
・・・自分の専門については自信があっても 変なプライドのため専門外のことに「なぜ?」「どうして?」と率直に聞けない、質問できない人。<他の分野でも専門家きどりする>

◇馬鹿専門・・・自分の専門の事以外について 「なぜ?」「どうして?」と、率直に聞ける人。<自分の専門以外のことについては、他の専門家に率直に聞ける人。わからないこと、専門外のことに知ったかぶりをしない>

今の橋下大阪府知事、マスコミ報道を読む限りでは「専門馬鹿」に陥っているとしか思えないのは 私だけでしょうか??

posted by 小だぬき at 08:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月16日

明日で終業式

お母さんになった教え子が 言うセリフに「朝・昼・晩の食事」を作らなくちゃというのがあります。
お母さんだけならあり合わせで済むのに、子どもが家にいるんじゃ手抜きができないという悲鳴に近い言葉です。

学校からもいろいろなプリントが配られ、もう少し 毎日少しずつ発行して欲しいわ・・という声も聞きます。

<学校から言われること>

・毎日の生活習慣を維持しよう。
・毎日コツコツと学習の復習をしよう。
・家の手伝いをしよう。
・応募がきているものには、できるだけ参加しよう。
・読書を多くしましょう、一冊は感想文を書こう。
・自然に多くふれよう。
・この夏らしい想い出を作ろう。
・事故などに気をつけて 2学期元気な顔で また会おう。
・学校のプールに数多く参加しよう。
・自由研究などに計画的に取り組もう。    
等などです。

子どもは夏休みでも 親はそうはいきません。

子どもによっては「先行逃げ切り型」で 要領よく終わらせる子もいれば、
「十分に夏を楽しみ(またはボーッと過ごし)夏休み終了数日前に慌てて仕上げる子、
最近ふえているのが「夏休みの宿題・課題」の2学期持ち越し派です。

私の小学校の頃は、終了間近追い込み派でした。当時は日記なるものが課題にだされ「親の仕事の関係でどこにもでかけていなくても」 日記には 公園でセミを見つけた、家族でプールに行った、遊園地に行ったなど創作日記の提出になったことも多かったです。
毎日、大人でもそうですが そう変化のある生活は送れないのに、40日分の日記など最悪な宿題でした。

埼玉県戸田市では、全教室エアコン完備です。そんな恵まれた環境なら 夏休みを短縮しても子どもに不平は出ませんし、出来れば理由をつけて教室で友達と一緒に宿題をやったほうが効率があがります。

実質、今日から短縮日程で お昼の準備に頭を悩まされていることと思います。

子どもに出される課題の「家の手伝いをしよう」を有効に使い 父母の皆さんの負担にならない夏休みになることを祈りたいと思います。

posted by 小だぬき at 06:43 | Comment(5) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月17日

夏休み・社会体験を

何も 夏休みだからといって「旅行」というのも??    お盆の帰省で子ども達と一緒にお墓参りというのも立派な「旅行」です。

今の時代は、公民館、科学博物館や植物園、逓信博物館、鉄道博物館、企業の工場見学、宇宙博物館、水族館、動物園、美術館、地域の盆踊り、地域の祭り、花火大会等など 施設も行事も充実しています。
自分の主義主張を棚に上げると「自衛隊子ども教室」なども人気です。

この機会に「子ども達の好奇心を刺激」するようなイベントや博物館などの体験をうんとさせて上げたいものです。
子ども会やボーイスカウトの活用も夏だからこそと言えるかもしれません。

何もご両親が連れて行かなくても ご近所同士の繋がりや町会掲示板、新聞広報や学校配布物の中に案内が載っている場合もあります。

ご両親にゆとりが出来たときでもいいのです。身近にある公園や公民館から始められてもいいと思います。

私は疲れが出ない時は、よく羽田空港に行き、飛行機の離発着をボーッと見ているだけでも癒されます。
それと好きなのは、動物園。1日いても動物のしぐさの可愛らしさにふれ癒されます。

経済的にも時間的にも日帰りできる 穴場はあるものです。
大人のリフレッシュのためにも 子ども達の視野を広めるためにも 普段行けそうで行けなかった近所の「穴場さがし」はいかがでしょうか・・・・

企業見学もお菓子工場や調味料工場など お土産つきの所も多いですよ。
posted by 小だぬき at 08:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月19日

好奇心・向上心

私は 受験前後になると決まって 悩んだことがあります。

なぜ 辞書や教科書、事典に書いてあることを「身につけなければいけないのか?」という逃避思考におちいったのです。

34年前になるのかな・・・、小学校教員免許をとるための夏のスクーリングで知り合った 年配の幼稚園の園長さんの一言で目が醒めた思いになりました。

「出来なかったことができたり、分からなかったことが分かったりすると楽しいもの」

「この歳になり(当時はまだ40歳前だったはず)小だぬきさんからレポートを借りたり 過去問題をいただけるだけでも 嬉しいし 単位認定試験に合格できると 私にも出来るんだという気持ちになれるんだ」
とニコニコしながら話してくれた顔に、 そうなんだ! 学習の喜びって・・・」と 学んだものです。

1年間で免許必要単位を修得するためには、夏のスクーリングで可能な限りの単位をとらねばなりません。当時よく地獄山と読んでいた急斜面を登り 毎日大学へ通えたものだと思います。
(土方歳三・近藤勇らの新選組隊士発祥の地にある◇星大学通信教育部)

私が一番若い世代に属していたためか、8段の台上前転や鉄棒、水泳など全て先頭グループで挑戦したのですが、成功した時の拍手の温かさに感激し 次の人の応援にも熱がはいったものです。

ビアノだけは最後まで悪戦苦闘でした。レッスン助手をしてくれた学生さんから「小だぬきさん、考え方を変えればすごい才能!! どのページでも みな4分音符に変調しちゃうんだから・・・」と ユーモアとウィットのあるダメ出しに苦笑した記憶もあります。

何とか、その学生さんのアドバイスに従い 1曲だけ完全にひけるよう猛特訓して試験に臨みました。

学生さんが事前連絡をしてくれたのか、わたしの課題曲が「猛特訓の曲」に。よかった・・・。

この夏の1ヶ月は、本当に充実したものでした。

採用試験には筆記・実技とも合格していたのですが、免許が取れなければ「採用取り消し」の追い詰められた時期、支えになり励まし合ったのがスクーリング仲間達でした。

知る喜び   わかる喜び  出来る喜び  が学習の基本だと思いました。

そこに到達するまでは苦しい練習や学習が必要ですが、到達した喜び・自信は それまでの苦労など忘れさせるものです。

今の子ども達は、ラクに楽しくと努力を放棄して 本当の喜びを知る子が少なくなっているのではと 心配する小だぬきです。
posted by 小だぬき at 12:13 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月20日

オ・ア・シ・ス

主にサービス業・接客業ではやり、標語好きの学校でも導入された「オアシス運動」。

挨拶の基本マナーとして導入さたのですが、語呂合わせが比較的ラクなので紹介します。

<基本版>

オ・・・おはようございます

ア・・・ありがとうございます

シ・・・しつれいしました

ス・・・すみません

 基本的なマナーです。


<変形版>

オ・・・おきれたぞ    おとうさん       

ア・・・あさはやく      ああ

シ・・・しんさつび     シンドイ

ス・・・すぐしたく     すいみんぶそく



オ・・・おまえたち     おともだち

ア・・・あきらめず     あきずに

シ・・・しっかりも      しゅうちゅう

ス・・・すぐわすれ     するゲーム


結構ネタは あるものですよ。

つっこみを入れたくなるのが
「簡単 誰でも ラクして金もうけ」・・そんなものあるかい
「風邪には すぐ効く ◇◇薬」・・・なぜ、第一種医薬品にならないの?

不謹慎なようですが、本当にいいものなら あんなにCMを流さなくても 話題になって売れますよね・・・。

   
posted by 小だぬき at 09:16 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月23日

学級閉鎖、休校

北海道や岩手などで 始業式早々から「新型インフルエンザ」で学級閉鎖や休校がでています。

2期制の学校では、明日か25日が始業式。
多くは 9/1の始業式です。

児童への蔓延を防ぐ意味でも 早めの処置は評価されるものと思います。

でも、現場では悩みが出てきます。文科省の「学習指導要領」では、各教科の必要授業時間の規定があり、それをクリアーすることと「児童の健康」の板挟み状態に合うことになります。

しかもこの新型ウィルスの流行終息の目処が見えないだけにやっかいなのです。

見通しが見えれば 「運動会の練習短縮」や延期措置もとれるのですが、このままの勢いが持続すると
行事そのものの再検討を余儀なくされます。

運動会・文化祭・音楽祭・地域公開日・社会科見学・・・・・・、行事が集中する2学期だけに 各学校の悩みが大きくなります。

教員が罹患して「自宅待機・療養」になった場合も、今の規定では1ヶ月以上の病休でない限り 代員配置がないのです。
今の学校は、人員の予備配置がないために 管理職が子ども好きで授業を積極的にして下さる「いい管理職」に恵まれないと 組織そのものがマヒしてしまう恐れもあるのです。

今どの学校でも 2学期の準備出勤・会議・研修に入っている時期です。
「新型インフルエンザ」「流行性インフルエンザ」対策を念頭にいれた「行事計画」に頭を抱える学校も多いと思います。

**********************************
流行性疾患や感染症などの疾患での休みは 欠席ではなく「出席停止」扱いです。

また「学級閉鎖」の場合は、閉鎖クラスの児童のみ「出席停止」

休校の場合は、全児童・生徒が「出席停止」扱いです。

上記の場合でも 教職員は出勤しています。教職員も人間ですから罹患の可能性はあります。その場合も児童と同時期でしたら問題はないのですが、ズレた場合の「児童への配慮」「代替要員の確保」は困難な決断が求められる結果になります。

***********************************
「学級閉鎖」「休校」の場合は、児童は「自宅療養」「通院」が原則になります。
通常の場合のように 休みだ遊ぼうとはいかないだけに 児童にとってもストレスがかかります。

過剰な心配は、家庭でなさる必要はないのですが、今後の推移しだいでは 学校の行事計画に変更がでることだけは 理解しておいてください。

妊婦・老人・慢性疾患を抱えている人・乳幼児が 罹患したとき重傷化の恐れありといわれているのですが、今日新たに肥満傾向のある方が付け加えられて報道されています。

慢性疾患と肥満は もろに小だぬきに当てはまります。

自己防衛のための「手洗い」「うがい」の励行だけは していきましょうね。
私は息苦しくイヤなのですが、外出時のマスクもしなくてはと思う朝です。
posted by 小だぬき at 09:19 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月24日

教職員の休暇

昨日、初任校での最後の学年を組んで いろいろな思い出のあるkさんから ブログを読んでいますのメールを貰うとともに 今日からは連日勤務日との知らせがありました。

<基本的な休暇>

・年次有給休暇    4月採用の場合15日、で翌年1月に繰り越し(12月までの残り分+20日)
                            最大40日。
・夏期休暇       3日
・健康作り        3日(職業専念義務免除)

   あと20年勤続で3日、30年勤続で4日のリフレッシュ休暇。

<特別休暇>

・出産休暇
・育児休暇
・忌引き休暇  など 23項目の特別休暇が規定されています。

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世間の誤解の中に「学校の先生はいいな、長期の休みがとれて」というものがあります。
実際は、プール当番・日直・分掌関係出張・指導要領説明会・教科別研究会・教育委員会主催研修・校内での職員会議、分掌会議、2学期の準備や行事準備などが 夏休みに行われます。
初任者には 初任研修もプラスされます。

今年から10年ごとの「免許更新制度」が始まりました。従来県で行っていた5年次研修・10年次研修・20年次研修とは別にです。

教育大学出の方は 母校で「免許更新講座」は受講可能でしょうが、私の母校では「中学・高校の免許更新講座」はあっても 元職の小学校免許更新講座は「通信教育」ではできません。
この講座は、教育委員会が行うのではなく、講座を受ける大学・関連費用も自己負担です。

私のような「通信教育」や「免許検定」で小学校教諭免許を修得したものにとっては、受け入れ先を探すだけでも難儀なことです。
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運悪く?? 研修・出張が重なった年は、夏休もまとめてとれない事態も起こりえます。ましては職専免や人間ドックの日程すら組めないで 四苦八苦することもマレではないのです。

小学校ですら ゆとりがないのですから 中学校の運動部顧問などは対外試合や練習で 土・日曜日すら返上ということもザラにあります。
************************************
今日の朝は「教職員には夏休みはないに等しい」「世間がいうような気楽な仕事ではない」ことの報告と

教員の人間性の幅がないと「教育は成り立たない」のに 研修づけの毎日の矛盾を少し感じてくれれば嬉しいです。

posted by 小だぬき at 09:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月28日

全国学力テスト(的を射た 毎日新聞社説)

「毎日新聞」全文引用
社説:学力テスト もっと有効な手だてを

 
 「携帯電話の使い方で家の人との約束を守っている子供の方が正答率が高い傾向が見られる」

 
全国学力テストの結果分析で、文部科学省はこのように成績と生活の相関を示す。「読書が好き」「宿題をする」「朝食を毎日食べる」「家の人に学校の出来事を話している」……。これらは「正答率が高い傾向が見られる」子供たちという。

 
 大切だが、改まって全国調査をやり初めて知るような事柄ではない。

 
 今年が3回目の学力テストはこれまでと同様、全国の小学6年生、中学3年生全員を対象に、国語、算数・数学の2教科で4月に一斉実施された。それぞれ知識の「A」と活用の「B」に分かれる。今回も成績は過去2回と大きな変化はなく「知識はあるが活用の方は苦手」という平均像がまた描かれた。

 そして冒頭に例示したように、質問用紙で普段の勉強ぶりや生活のアンケートをし、成績と照合した。

 
 肝心なのは、では子供をどう読書好きになるよう導くか、家族とのコミュニケーションをどう促すかなど、具体策だ。文科省は調査結果に授業の工夫例も付けてはいるが、学校現場に必要なのは、より細かく多様で有効な処方せんである。

 
 そもそもこの学力テストは、国際学習到達度調査で読解力の成績が低下したことを契機に導入された。第1回で今回と同傾向の結果は出た。

 なのに毎回50億円以上もかけて全員参加方式の調査(悉皆(しっかい)調査)を続けるのは無駄と言わざるを得ない。昨年、自民党の「無駄遣い撲滅プロジェクトチーム」もこれを挙げた。

 
 学力実態掌握は抽出調査で足りる。悉皆だと順位を意識し準備学習する学校も出て、調査目的にそぐわなくなる可能性も生じる。文科省は「全国での位置が分かり、指導に生かせる」と言うが、膨大な答案処理で4カ月かかり、最終学年の2学期にこれをどう生かせよう。

 
 学力とともに緊急の教育課題は、格差などによる「機会不均等」だ。こうした問題こそ速やかな調査と対策が求められる。

 実際、最近文科省の委託調査で、親の年収差で学力テストの正答率に差異があることが裏づけられた。小学校100校、保護者5800人を抽出した結果だ。

 
 都道府県別順位にまた関心が集まりそうだ。ほとんどが平均正答率の+−5%以内で、ばらつきは小さいと文科省は説明する。市町村別などで正答率を公開し奮起させようとする地域もあるが、順位の上下だけに注目してもさほど意味はない。

 
 衆院選後、教育政策の中で、このテストのあり方や、着実で有効な学力向上策について抜本的に論議されることを期待したい。

**********************************
この「毎日新聞 社説」は、とても現場感覚に近い考え方です。

本来のテストは、授業後の習熟や足りない部分を見つけ、学習内容の定着を補う点に意味があります。
新学期 早々に全国学力テストをして 4ヶ月分析にかかるということは、1学期の学習・生活で児童・生徒の学力に「変化」が生じていることもあるわけです。

大阪知事の橋下氏のように 4ヶ月も前のテストの結果で一喜一憂する愚かさに早く気づいて欲しい。

この社説の問題提起している部分を 謙虚に読んで欲しいと思います。

久しぶりに「まともな社説」を読んだ気持ちがする小だぬきです。

posted by 小だぬき at 20:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月01日

今日から2学期

多くの学校では、今日から2学期のスタート。

親子・学校でも「新型インフルエンザ」の流行に合わないようしたいですね。

読書の秋・運動の秋・食欲の秋・・・・・実り多き2学期にしましょう。

子ども達のためにも 台風が上陸コースをとらず 良かったと思います。

<子ども達へ>

・今日、後半の教科書が配布されると思います。名前をすぐ書いてくださいね。中のページもきちんとそろっているかも点検してください。

・学年だより・学校だより・学級通信、インフルエンザについてなどのプリントが多く配られると思います。
家の人にちゃんと届けてね。

・宿題やぞうきん、通信簿、連絡帳、筆箱などが入っているかな・・・

・うがい、手洗い、マスクは 忘れずにしてね。

・交通事故などにあわないように気をつけてください。

・友達と遊び、学習して うんといい2学期を送って下さいね。


<保護者の方へ>


・学校配布の文書などが 学期初めには多くあります。特に学年だよりなどでの行事予定・学習予定は、
見てくださいね。

・来週あたりから学級懇談会が始まると思います。是非時間を作って 参加してください。

・子ども達に咳や高熱がある場合は、新型インフルエンザ予防のためにも 学校を休み 病院に行って受診をしてください。

・お子さんの日々の成長のための学校です。健康第一にしてスタートしてください。

***********************************
今日から9月、早いものですね。
上記に書いたことは 現役なら言うだろうな・・・という言葉です。

これから日の入りが徐々に早くなってきます。寒暖の差も大きくなります。
風邪などひかぬように 健康で1日1日を過ごしたいものです。
posted by 小だぬき at 05:10 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月02日

良い所を教えて下さい。

学級懇談会などで「お子さんの家庭での様子」を教えてくださいというと・・・・

・なかなか宿題をしない。
・口堪えが多い。
・朝、起きない。
・ゲームばかりに熱中する。
・整理整頓ができない。

などの欠点が 瞬間的に保護者の方々からでます。

「良い点を教えてください」と質問を変えると、

しばらく沈黙の時間が過ぎ、「難しいわ・・・・」とのつぶやき

・ペットの世話をよくする、優しさかな?
・友達が多いことかな?
・怒ってもめげない たくましさかな?
・好きなことはいつまでもやる集中力かな?

**********************************
この会話をしていくと 欠点と思っていたことが 考えようでは「長所」かな? と思えるようになります。

言うことを聞かない→ 自己の考えが育っている
ゲームに熱中→好きなことなら集中できる。
なかなか宿題をしない→友達が多く よく遊べる
                興味・関心を多く持つ
整理整頓ができない→自分の中では整理できている
朝起きない→ 就寝の時間のせいかも

**********************************
  自分の良い点を教えて下さい
 
これが なかなか見つけられない、確信がもてないのが うつ病の症状の一つですが、

急に質問されたら、自信を持って言えますか??

・流行にまどわされない
・化粧法には自信がある
・ゴルフはハンディ20で回れる。
・会議中、考えているように眠れる。
・ありあわせのもので 食事がつくれる。
・値引き交渉は得意

結構、自分の中に自信のもてるものがあるはずです。

心の中にその「良い点」の貯金ができれば、私のようなうつ発症は 防止できると思います。
欠点は・・・思考から、 良い点は・・・思考に変えられれば、心の疲労だけは避けられるハズです。

私のような 2級認定(日常生活可、要介助)でも ブログは継続できています。
過去の反省から 偉そうにいうようですが、「居酒屋で発散」できていれば・・・・退職をするほど悪化させなかったことは確かだと思うようになってきました。

適度にストレス発散、心のリハビリを図ってくださいね。
posted by 小だぬき at 13:44 | Comment(8) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月07日

スキルアップを目指して(紹介)


 今日ニュースを検索していたら 以下のようなブログを見つけました。

*************************************
はてな匿名ダイアリー
hayato-hoshikawaさん (2008/12/24 18:56:52) 
http://anond.hatelabo.jp/20081222134712


人に教える、人から教わるで失敗しない14の方法

・実際のフィールドワークに勝る物はない。


自分で気づかないと本当の意味認識することはない。


・まずは徹底的にまねる。次に自分なりに改造する。


・毎日続ける。それが例えほんの10分だとしても。


・明確な目標を決める。ラインがないと超えようとしない。


・気づいて、試して上手く行けば身に付くし、失敗すればまた試す。


・忙しいを言い訳にしない。他人に忙しいとも言わない。


目標を決めればつらいと思うことはない。達成するための過程でしかない。


・調べてから先輩に聞く。聞いた内容を補足するためにまた調べる。


自分でやれと言われても、一度は食い下がる。駄目なら自分でやる。


・心が荒んだら、音楽を聴きながら散歩すれば元気になる。


睡眠時間を過度に削らない。健康は全てを阻害する。


・しかしそれでも人との繋がりを優先する。


・やる前に仮説を立てる。仮説が正しいかどうか実験する。なぜその答えになったか検証する。

***********************************
言葉では 難しいことですが、日常生活では 皆さんが自然にやっていることです。

一番、難しいのが「しかしそれでも人との繋がりを優先する」でしょう。

うつ病やパニック障害などの場合、その人との繋がりの中身・心を預けられるか・・の、ハードルが高いのです。

また、やる前に仮説を立てる(◇をしたらたのしいかな・・・)
仮説が正しいか実験する(◇をしてみる)
その結果を検証する(本当にしてよかった、今の自分にはムリがあった)などを確かめる。

なども「意欲低下」の時は、仮説すら頭に浮かばない・・・のが「うつ病」、また失敗したら「極度に挫折感を持つ」のもうつ病。一般化は難しいまです。

普段意識しないでしていることも、このように14の法則として纏められると「自分の今」を考えるヒントにはなると思います。

朝から引用で ごめんなさい。
今日も いい一日のスタートを したいですね。
「頑張り過ぎずに ガンバ!!」です。

posted by 小だぬき at 06:22 | Comment(10) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月17日

19日、台風よ去れ!!

19日に運動会を予定している学校・教職員・子ども達・PTAの皆さん・・・、今回の台風の進路と週末の天気予報に「ハラハラドキドキ」の日々を お送りだと思います。

子ども達は 毎日汗びっしょりで体育着やTシャツを 真っ黒にして明日の全体練習まで 授業をしながら頑張ってきました。

頭も身体も疲れのピークが今日かもしれません。

あいにく今の台風の進路では 関東地区は雨予報。

延期になったら来週の25日(金)でしょうね。そうなるとお弁当を食べる楽しみも一つなくなります。
多くは給食になりますから・・・

今年の学校の教育課程は、雨と新型インフルエンザ、10月には季節性インフルエンザも加わり、12月の終業式まで 神経の休まらない日々が続きます。

元教員として、このような状態のとき子ども達の健康と授業進度の調整で 頭を抱える現場であることは想像できます。

子ども達の晴れ舞台の「運動会」「体育祭」「文化祭」などの行事が 予定どおり進んで欲しいなと願います。
行事で保護者の方も子ども達自身も 胸をはり成長した演技を披露できる・成長を実感できるものですから・・・。
皮肉なことに 今日と明日は「晴れ」の予報。土日が台風の進路次第。
正直 ストレスも溜まるし、 保護者の方はシルバーウィークの計画も立てにくいですね。

運動会を19日(雨 20日)予定の学校の願いが 一丸となって台風の進路が 陸地に影響なしになって貰いたいものです。
posted by 小だぬき at 04:20 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月26日

またまたガッカリ「太田総理」

昨日の話題は 「土曜日休日を止めます」でした。

本当にこの人 現職教師??   と言う人や 子ども達の出演で 的外れもいい加減にという議論展開でした。

予備知識として、この学校5日制は 旧「労働省」と「通産省」の「諸外国より子どもの学習時間が長い」「教職員の労働時間が長い」という 政府の外国に配慮した施策であったことを忘れてはならないと思います。

当時の日教組・組合は 「平日の授業が過密になる」「より一層サービス残業が増加する」として反対しました。

ゆとり教育は 番組に出演した寺脇さんが この平日が過密になるのだったら「教育内容の精選と教育内容の大胆な見直しが必要だ」との認識で「ゆとり教育」を発想したものです。

ですから「土曜授業の是非」は、平日の学校の過密さを土台に議論されなければ おかしいのです。

参加した小学生が発した「普段の6時間授業で帰りが16時や16時半になる」を 番組のメーンテーマにして 「土曜授業」を考えないと意味がないのです。

提案者が「土曜日に道徳をやればいい」「学力向上のために平日の改革なく土曜日学校を提案」したものだから 猛烈な子ども達の拒否反応がでたのです。

ですから「平日の改革議論無く、土曜日復活が否決」されたのです。

エセ現場教師にも 平日の過密さの認識がなく「土曜日」を論じるものだから、話が中途半端な「現状維持の週5日制」になってしまうのです。

要は、今の5日間の平日の「学校」のあり方が論点にならないと意味のない「土曜日学校」議論になるのです。
今の平日の過密さでいいのか・・・、現状の授業時数では「平日に無理」がくるから 平日の午後の1時間分だけは土曜日にしよう とか 平日に行われる行事を土曜日に回し、授業時間を確保しようとかの「地に足のついた議論」のために 現職教師が参加したはずなのに この先生「何か変」

私が嫌悪する義家参議院議員のように「現場体験が浅い」のに 教育とは・・・とか日教組はと 「知ったかぶりの反組合、教育評論家」が受け入れられる「教育論議」は 現場にマイナスを与えることはあってもプラスにはなりません」

労働時間にしても 週5日になったため 「風呂敷残業」「セブンイレブンという勤務」が常態化して、土日に教材準備・研究か、疲労でダウンというのが現実です。

旅行やレジャーなどでリフレッシュするなど「たまに」しかできない状態。

中学校の運動部担当教員などは、対外試合や練習で土日も勤務の実態です。

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ただ唯一の救いは、「学力の国際比較の意味がない」ことと「いつの時代でも 子どもの学力不足が議論されながらも 日本という国が成り立っている、これは大人の発想ではないか」という外人(名前がでてこない)さんの冷静な発言が光ったことです。

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たとえバラエティーでも 現場の実態を知らない または知ろうとしない人達の「感情論議」で終わってしまっては、しわ寄せがくる現場はたまったものではないのです。

番組を見た方で 昨日の議論は参考になったという方、コメント頂けると幸です。
posted by 小だぬき at 05:18 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月07日

台風直撃 学校の安全管理

明日、四国か和歌山に台風上陸の可能性が大きくなりました。

ネット情報を見る限り、各自治体の対応・対策も「早め早めに」に進んでいるようで ありがたいことことです。
暴風雨を伴う場合、看板一つの不備で人命を損なう恐れがあります。固定作業も各設置者の責任できちんとして欲しいと思います。

元職として心配なのは、学校の管理職の近隣小学校との連絡や市教委の指示待ちで 台風への対応が遅れることです。
学校独自に「子ども達の安全優先」策が取れない・決断できないのが 今の学校管理者です。

少なくとも登校時や下校時に 台風の影響がでると予想される場合は、空振りを覚悟してでも「児童の安全」優先で 登校を自粛させる、早めに集団下校の処置を取る、思い切って休校にするなどの処置を講じて欲しいと思います。

この点、民間会社の方が 学校と比べても決断は早いようです。

早い所では もう公務員の非常呼集体制に入っている所もあると思います。
消防・警察を初め 自衛隊、役所職員の「災害呼集」も順次行われると思います。

私たちのモラルとして、危険箇所を初め 外出を控える。要請があれば 災害防止に努めることが大事になります。
間違っても 災害救助の素人が 町会要請や役場要請がなしに動くのだけは避けたいものです。
プロ活動の足を引っ張らないだけでも 十分に協力することになるのですから・・・。

災害危険箇所にお住まいの方は、今から「避難想定」で持ち物をチェックしておいてください。

とにかく 目標は、災害被害・災害死者0人です。
posted by 小だぬき at 13:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月08日

関東は強風に・・・

朝までは 雨と強風の状態でしたが、7時前後には 強風にかわりました。

学校も昨日休校決定をした教育委員会と朝の連絡網で休校措置を取ったところ、父母の判断にまかせて登校などと 教育委員会の対応にバラツキがあるようです。

強風のため運転中止の路線が増えています。

多少、生活に不便でも「安全第一」の姿勢は 評価していいと思います。

各自治体の「災害対策」も 早め早めの「避難勧告」「土嚢準備」などで 大きな災害発生に至っていないのは幸いでした。
ただ、倒木で新聞配達の方が1名、死亡したとのニュースには とてもショックでした。
本人の魂も「死を認識できた」のかどうか・・・、災害時の配達体制も見直しが必要かもしれません。
何よりも「人命優先」です。

私のアパート(2階)もドアの隙間から 郵便受けから 雨の進入がありました。

これから 東北地方、北海道に 台風が進むとのこと。
早め早めの避難準備はしてくださいね。山や谷の多い地区だけに 被害が生じないことを祈るばかりです。

posted by 小だぬき at 10:09 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月18日

学校現場の苦労と民間登用

橋下大阪知事の友人が 39歳で府立高校の校長に内定とか・・・

元職の平教員としては、文科省や教育委員会の「民間登用」の意味がわかりません。

教員になるためには、所定の単位と教育実習を受け、採用試験に合格し(まだこの時点では、採用名簿登録者)、教育委員会・校長面接を通って 任用通知がきて初めて教員としてスタートします。

その後、1年間の期限付き採用で初任者研修を受けながら担任を持ち、指導教員・校長の評価を経て 正式な県費採用教員としてスタートします。

そして、前にも書きましたが 5年次・10年次研修が義務付けられた上、官制研修といわれる半ば義務化されたカウンセリング講座や教科研修を毎年うけて 技量・体験を積んでいくのです。

その他に「研修員」募集に応じたり、民間教育サークルに参加したり、組合教員研究に参加しながら 子供達の変貌や指導要領改定などに対応していくのです。

中には、30歳前後から主幹教員・教頭・校長を目指す者もでてきますが、多くは現場での子ども達との交流・教育で定年まで勤めようとします。

今、管理職からの降格人事を希望する人が増えていますが、それは、学校自身の裁量権が殆どないのに 地域との交流や教育委員会の指示、教職員人事評価など 管理職とは名ばかりの「責任」だけが問われる職に見切りをつけ、教員としての原点である「子ども達の教育」に生き甲斐を見いだす人が増えているのでしょう。

その中で 民間活力の導入の名のもとに、教職経験のない人をいきなり 管理職に登用する施策は、ハッキリ言って、失敗が目に見えています。
現場教員で管理職を目指す人の割り切れない思いと民間登用、そして 登用されて知る 現場裁量のなさ、能率や効率では解決しない「現場の問題」、理不尽を理不尽と感じない生徒・保護者の存在。

赴任する前までは「組合対策」さえすればと言われるのでしょうが、多くの学校では「組合員が困難の先頭に立って頑張っている姿」、味方と思っていた非組合員の日和見など 現実と報道の解離に出会うのでしょう。
多くの民間登用管理職が 理不尽な要求・指示に疑問を抱き、平教員達との協力・協同に軸足を移すことになってくるのです。(その点は、教員出身者より柔軟)

日教組や全教をご用組合にしようと暗躍した県が 行き過ぎて組合との癒着ととられる行政をした県が今問題になっているのです(大分、愛知などなど)
多くの県教組は 健全ですし 各学校の分会も「教育条件や労働条件」は話題にはなっても 行政とは一線をひいています。
今の教育の状態をよりいい方向にするためには、学校・PTA・各家庭での役割分担と相互責任の明確化をしなければなりません。

学校では、帰宅後の深夜徘徊や覚醒剤・シンナー、万引きまで 守備範囲に入れ 教員がかけずりまわっていますが、本来は 家庭のしつけの問題ですよね。

お互いの責任範囲・持ち場で全力を挙げるという土台の元に 子ども達の健やかな成長を保障したいものです。
posted by 小だぬき at 11:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月29日

喫煙文化の否定、言論への介入・ファシズム

反喫煙団体の抗議で 福音館書店発行の「たくさんの不思議」2010年2月号が出版停止になったとのこと。

理由は、タバコをすうおじいさんの描写が 「喫煙を助長する」とのこと。

反喫煙団体の喫煙反対が、今の受動喫煙被害・ニコチンの健康被害にとどまらず 児童書や出版物にまで及ぶとは、ファシズム傾向になってはいないでしょうか??

「たくさんの不思議」で 喫煙者のおじいさんと孫が 江戸時代の不思議にせまるというもので、内容的には頷ける点が多いのです。
江戸時代には、贅沢品としての刻みタバコやキセルが 庶民化する経緯もふしぎですし、江戸時代以後も 明治維新の洋風化文化の取り入りで 葉巻・噛みタバコ・葉たばこ・キセル・水パイプなどの大量な趣好品としての普及がありました。

戦前・戦時には「恩賜のたばこ」を賜っただけで 名誉に感じられた時代もありました。

戦後も「休憩の一服」「食後の一服」が 労働を支えた一面も大いにあると思います。

今回の反喫煙団体の抗議は おじいさんのたばこ描写が 「喫煙を肯定・助長する」とみなされたようですが、「たくさんの不思議」を読み、親子で喫煙場面の疑問がでたら話し合えば良いことではないでしょうか??

非喫煙者善、喫煙者悪の狭量な思想がでているようです。

かっての岩波書店の「ちびくろサンボ」の言葉がりと同じ 描写がりに等しい暴挙でしょう。

良質な出版物にまでクレームをつける「反喫煙団体」。あなたたちの目的は 喫煙被害を無くしたい、少なくしたいでは ないのですか・・・・。
変な政治介入・言論介入などしないで欲しい。

自分の購入図書は購入者が選択します。購入検討前の出版差し止めでは 目に触れることもできない。
いい加減、文化がり、歴史の封印・ねじ曲げ、映像がりは止めていただきたい。

「正義を声だかに主張するのは結構ですが、他人にまで強制する行為は謹んで欲しい」と小だぬきは思います。
過去の歴史も 「正義」と「正義」の強制の拡大が 「思想の自由や言行の自由」の圧迫まで行き着いたのです。
自分だけが正しいという個人・団体とは、怖くて近づけないなと感じた朝刊記事でした。
posted by 小だぬき at 10:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月08日

今日から新学期

今日、学校の新学期が始まる所が多いと思います。

元気な子ども達の声も朝から聞こえました。

今日の朝刊で「川崎市の人口増加率が政令都市では最高になり、教室不足が20校程度でる」との記事が載りました。

各地の児童数減少の「統廃合」の記事に慣れていたものには、驚きの「市内版記事」でした。

マンションの建設ラッシュが続いていたのだから 当初から児童数増加は予想できたのですが、学校敷地拡大のメドが立たず 仮設校舎の建設で当面は凌ぐとのこと。

私も拠点校指導教員をしたとき 掛け持ちした学校が5年生のみ仮設プレハブでしたが、昔と違いエアコン完備で 普通教室と比べても環境的には 良かった記憶があります。

問題は、東京の多摩ニュータウンの時と同様に 学齢期の児童・生徒の卒業したあとの「学校」の空き教室の問題が 必ず出てくるということです。

卒業していく子らが 地元に生活拠点を置き 家庭を持ってくれれば ある程度の学校規模を維持できるのですが、そうは なかなかならない点が 市教委の悩みでしょう。

新しい学校を建設するか 特例で4階までの改修工事をするか・・・。

川崎市政の施策を注視しなくてはなりません。
************************************
教え子の一人が 「学校が始まって やっと親も一段落できるの、なんと言っても 子ども達が休みだと食事をきちんと作らねばならないけれど、私だけなら あり合わせで済むもの・・・」との言葉が印象的でした。

3学期が始まった 児童・生徒さん。
1年のまとめをしっかりやって、得意な分野を増やしてください。

ご家庭の方へ
お子さんの3学期の生活習慣を 1日でも早く取り戻せるように援助してあげてください。

また、明日から3連休ですが、学校モードの生活リズムで過ごして欲しいな・・・、と思う小だぬきです。
posted by 小だぬき at 09:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月02日

またまたねつ造? 北教組事件

教員の罰則強化検討を
  =政治的行為違反で−鳩山首相
       
3月1日17時56分配信 時事通信
鳩山由紀夫首相は1日の衆院予算委員会で、政治的行為の制限に違反した公立学校の教員に対する罰則強化を「川端(達夫文部科学)大臣に検討させたい」と述べた。民主党の小林千代美衆院議員を支援した、北海道教職員組合(北教組)の政治資金規正法違反事件を取り上げた馳浩氏(自民)への答弁。
 首相は同日夜、首相官邸で記者団に対し、「教育者であるが故に政治的な活動には制限がある。その制限はしっかりと守られなければならない。もっとより行動を厳格にされなければならない」と語った。
 現行の教育公務員特例法は、政治の中立性を求められている公立学校の教員が政治的行為の制限に違反しても刑事罰を科さず、懲戒処分にとどめている。 
*****************************
上記の記事は、教職員組合の活動を知らない人同士の討論としか思えない。

またまた、検察・マスコミのでっち上げ事件か・・とも思う荒唐無稽な話。
教育公務員特例法は 教員の公民権・選挙権を否定したものではありません。

・教員の地位を利用した選挙活動
               を 禁止したものです。

ですから 選挙時は例え組織内候補であっても 組合ではなく「個人後援会」に入会し、後援会員として 個人カンパをし 選挙費用に当てます。
地位利用に当たる恐れのある「現学区」「勤務地学区」は 後援会員としても避けます。

地位利用による「中立性」を疑われる活動は、組合組織としてはしません。
あくまで、一般の人と同じ立場での活動に限定されます。

このやり方を「実態をごまかす詐欺的行為」とか実質「組合活動」だという人はいますが、
思想信条の違いを保障した組織である組合と 「後援会」は分けて考える必要があります。
たまたま後援会代表が委員長であっても 原則 組合の組織としての指示や闘争資金などは使えません。

あくまでも 教員の後援会員が カンパした「個人献金」で 後援会活動をするというもので、内容も 教え子や知人 前勤務地などの地位利用に問われかねない活動はしないのです。
今回の北教組執行部の逮捕は、政治資金規正法違反とのことですが 組合活動の節度を持って 選挙活動支援をしたのなら 小林議員に渡った資金は 個人カンパの集約されたものです。要は 後援会名簿と会費納入の額が一致すれば 何ら違法性はない資金となります。

鳩山首相の「組織活動」の実態を調査もせず、いきなり「規制強化」などと答弁してしまう軽率さは 情け無い限りです。

それほど、北教組の執行機関が 特例法無視の「組合活動としての選挙」をしたとは、元職としては考えにくいのです。

もし 闘争資金からだとしたら 闘争委員会の設置 臨時大会の開催・了承をうけなければ 闘争資金は動かせません。

検察は、委員長の資産からか、臨時組合費からか、後援会費からか まず逮捕理由の情報開示が必要でしょう。

posted by 小だぬき at 00:40 | Comment(4) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月23日

全国学力テストの「学力」とは・・・

20日の「全国学力テスト」、抽出校だけでなく 希望参加も多かったとのこと。

学校の横並びの体質と保護者の漠然とした「学力不安」が 実施校を増やしたようです。

大器晩成とか「個人の才能を引き出す」とかいう言葉は、死語になったのかとさえ思います。

実施された「国語」「算数」で 学力を測れるものではないことは、日々子どもさんと接している方には 常識になっていることと思います。

しかも 大規模校と小規模校、分校などで 同一テストで しかも平均点で地域・学校の学力達成度をみるなんて 到底無意味なことになります。
大阪府の橋下知事のような 「学力の質」を個々に問う発想がなく テスト至上主義には開いた口が閉じません。

極端な例ですが、半数が100点で半数が0点でも平均は50点です。全員が50点以上をとる平均点と単純に比較できるものでしょうか・・・・・

算数・国語は苦手でも、理科が得意とか社会が得意、体育・音楽・図工が得意といろいろな才能を個々で伸ばしてあげるのが 「教育」だと思うのですが、国語・算数に特化する理由がわかりません。

第1回の全国学力テストの問題を 教員同士検討したことがあるのですが、B問題の応用については正答があるのだろうか・・・・、と疑問に思う問題も多かったのです。

日常の学習指導では 「学び知る」楽しみ、「出来る わかる」喜びを 子ども達に身につけようと現場では 悪戦苦闘しているのです。

今は 小中学校で、起こっている問題の一つに 家庭での早期教育のため集団としての授業に適応できない 知識のみ技能のみの頭でっかち(2年生で 学力差も解消されていくのですが)が 学級の秩序を守れないなどの弊害もでています。

今だに学習指導要領が 現場をしばっています。

私は、本当に必要な学力ならば、テストで比較するよりも 諸外国で導入されている「課程習得テスト」で「その学年の内容を理解している児童のみ」進級させる制度移行の方が 余程 理にかなっていると思います。
今の「年齢主義」の学年で いくら全国テストをしてみても 低学力層??の底上げにこそ予算をつけなければ、お馬鹿タレントのように「中学、高校」の基礎学力なしに卒業させられる悲劇が繰り替えされることになるのではと思います。
テレビのクイズ番組の「お馬鹿タレント」は、台本通りの演技で 教養があると信じたいのですが・・・。
posted by 小だぬき at 07:50 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月19日

算数問題について(合理と不合理)

3年の算数 割り算で「12人の子どもがいます。1日 3人ずつ殺すと 何日で殺し終えるか」との問題を出した 教員が話題になっています。

学級指導時、「君たちを殺す夢を見た」とも言ったそうです。

その先生の人柄・学力を問いたいのではなく、

◇そもそも 上記の割り算問題、殺人を例にしているのも問題ですが、割り算問題にすらなっていないのです。

殺すという以上、犯人を特定しないといけません。たとえば「先生が」という 子どもと別の存在を明記しなければなりません。

また、児童の中に犯人がいると仮定すると 全員は殺せないので「3日と余り2人と犯人1人」とかになります。
問題としても 曖昧さの残る問題なのです。
しかも 場の設定そのものがメチャクチャです。 今時の子ども達なら「殺される前に逃げるよ、警察に届けるよ」となるでしょう。

算数は、合理的思考を育てるものですから 示された数値と内容にそって 答えにたどりつかねばなりません。
悪しき例ですが「速度計算」なんて まるで現実を無視します。
「時速40qで3時間走った 走行距離は・・・」が典型ですが、信号機や速度制限を無視して 時速40qの車を仮定するのです。
渋滞にはまろうが、検問を受けようが、事故にまきこまれようが 問題の車は 時速40qで進むのです。

大切なことは、算数問題は、問題にある条件での答えなのです。
ここで 頭の良い子ほど「もがくのです」、現実を直視する子ほど 算数内だけでの法則や定理に。
正直、私も小学校の時「ありえない」と余計な負荷がかかりました。

教える側が 子ども達に混乱を与える 問題を出してはいけないのです。あくまで 与えられた条件での「頭の体操」です。

*殺人問題にしても 「命の大切さを蔑ろにする」と ともに条件としても 現実離れしすぎているのです。

@先生を犯人としても 帰宅しないわが子を捜さない親はいるだろうか・・・・
A1日目に殺されることが わかり逃げ出したり抵抗する子はいないのか・・・・
B学校の犯人は、4日間 監禁できるものだろうか・・・
C大人を犯人として明示し、かつ親も警察も学校も捜索せず 12人の子どもも順番を待つなんていう 仮定事態に破綻がある。
D子ども同士だと仮定したら 最後に一人残る。

算数問題としても「合理性」がなく「あまりの設定飛躍」があるものは許されないのです。

どの子も 既習学習したものを正しく使えば 答えにたどり着く。合理的な科目を 貶めたことは許せない。
***************************************
教員として、口に出すか出さないかはともかく いじめっ子や暴力的な子へ「殴ってでも 身体で覚えさせるしかない」と心で思うことは残念ながらあります。

但し、この先生のように「殺してしまったら」、教員はいらないのです。ブラックユーモアにもなりませんが、子どもあっての教員なのです。

私は 興味深く、この件を後追いしているのですが、割り算水槽や仕分け箱などの 教具類や グループ学習は 事件?の学校にはなかったのかも検証がされると思います。

それと、最近の子ども達の発する言葉、単語は 「どこでそんな言葉を・・・」というほど 殺伐としてきています。

posted by 小だぬき at 19:30 | Comment(4) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月20日

時計の難しさ、何分前・何分後

・・・前、・・・後  の難しさ

今、小学校の時計計算で 混乱する子が増えています。

針式時計ではなくデジタル時計になり、60進法という特殊な計算になる。しかも日常言語と違う・・・

朝礼で1歩前と言われれば、前に一歩すすみますね。

通常は、進むとき「前」
後退するときは「後」ですよね。

時計計算だと その常識から早く抜けて 時計は時計と割り切らないと混乱するのです。

午後3時の「30分前」は、午後2時30分ですよね。でも、初期段階では 午後3時30分という答えが圧倒的に多いのです。

大人だと気にもしない「・・前」「・・後」が 時計の場合、その時刻の「前が早い時間」「後がおそい時間」とわかるまでが一苦労なのです。

教員で体形移動や整列を指導した後は、時計計算はできないね、というほど難物なのです。

**************************************
うつ病も 時計計算のようなこんがらがりが頭に生じていると考えた方が理解は早いと思います。

喜怒哀楽や対人関係、自分の評価の軸がズレている。

水道のチョロチョロ水をコップに受け、満杯になったから一口で飲む、すると次に満杯になるまで時間がかかりますよね。

普通だと蛇口を開いて水を多く出せば2杯目が 早く満杯になるのに、蛇口をひねらず チョロチョロ水でコップが満杯になるのを待つっている状態なのです。

私は、豪快に水を飲むタイプなので 病態変化の上下がはげしいのかな・・なんて感じます。

今日は、「水戸」への墓参り、ちゃんと行ってきました。
posted by 小だぬき at 21:59 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月26日

学校5日制の議論整理を!!

学校の週5日制は、そもそもが教育行政・組合から要求のあったものでもないのです。

海外と日本の労働時間の差が国際的に問題になり、旧労働省と通産省などが 教員の時間労働を名目40時間にしろと 圧力をかけたことに端を発します。

当時は 行政と組合とも主張は違いますが、反対で足並みを揃え、完全実施を先延ばしにする抵抗をしました。

部省・日教組で共通した反対論拠は、教育と労働条件は別に捉えるべきだということと「平日の児童の時間割に無理がくる」という点です。

今、批判されている「ゆとり教育」も 週5日制に対応して学習内容を基礎的部分の習熟・徹底に置くというものでした


教員側も1日の労働時間増加とサービス残業で「過労死」や「自殺」に追い込まれた例もあります。土曜日の運動部の練習や遠征・対外試合の常態化も起こっています。

出来れば、すぐにではなくとも週6日制に戻し、平日の会議・出張などを減らし 放課後のゆとりを確保した方が 教育現場としては助かることだとは 教員なら思っています。

本当に必要な基礎、国語力の向上を目指して 行政の研修出張や報告文書の精選、行事の参加要請などの見直しを一緒にしなければ
、教育改悪になりかねません。

しつけは 家庭・地域の再生で、学校は学習一本に特化させていかなければ いずれパンクするのは明かです。

毎年の国・県・市の委嘱研究なるものが、全国に共有されないシステム欠陥も 教員の悩みの一つです。本来教育が全国の教員に共有されていれば類似研究を無くすことに貢献できるのですが、国の施策に反映されません。

週2日休日制の家庭に戻す、地域に子どもを解放する、などが破綻していることは明かです。
この問題は 国家の未来を左右する子ども・生徒・青年の教育を 原点に立ち返り 現場の声を尊重して行かなければ 政争の具にされるだけです。

学校施設、教員、教具、家庭・地域の教育力、行政の在り方などの抜本的見直しが必要なことです。

橋下知事などの発言が 行政や教員改革のみに終わり、そもそもの無理が文科省施策ではなく「労働時間」というILOや旧労働省・通産省の要請に、教育の改革思考なく建前上の労働時間短縮で教育過程を変更したことの膿が今吹き出しています。

この問題で 組合批判をする人がいますが、組合の方針は 30人学級にして 責任を持って教えきる体制をとか 今の超過勤務の内実が本来の「教育職」としてのものかを問題の柱にしているものであることだけは、曇なき目で見て欲しいと 元職としておもうのです。
posted by 小だぬき at 07:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月27日

知る わかる 出来る 表現することは楽しい@

勉強・学習は 本来は楽しいものです。

橋下府知事や石原都知事の「苦役を乗り越える」のが学習・勉強なのだと 主張する人達の「成長感」「学習感」が 多くの人に受け入れられている「不思議」を感じます。

お母さん・お父さんは 直感的に「楽しいんだろうな・・」と我が子の成長で わかっているのではと思います。
特に乳児・幼児の「学習能力」は、驚愕に価するほどです。

気持ち悪いとか、ミルクが欲しいとか 寝たいなどの感情表現は、うまれてすぐ発揮します。

パパ・ママの声がけに 内容はわからなくても 優しい感情を読み取り、微笑みます。
お父さん・お母さんの言葉かけで 物の名前などを急速に覚えていきます

ハイハイや歩けるようになると、手で触ったり 口に入れたり、直接に自分で確かめる行動が始まります。
周りのことに興味を持ち、さわったり 動かしたり ママやパパのマネをしたがりたくなります。

言葉をいつのまにか覚え 単語で「ママ」→「パパ」から始まって 車や人、物の名前を覚えだします。
(微笑ましいのは、若いご夫婦のパパが何とか最初にパパと聞きたいと 連日パパを繰り返したものの やはり「ママ」に負けたという時期でもあります)

そして、興味が外の世界に広がり、買い物に連れて行っては 「商品を片っ端からさわる」行動が始まります。
その経験と ママの「パン」「おかし」「梨」「ミカン」「りんご」などのことばかけで 語彙が広がり、いい悪いのしつけが始まります

次は 使い方が「わかる」と 自分で「やりたくなり」「出来たときの周りの賞賛」で 嬉しい、楽しい感情と表現がうまれます

次の育児の面白さと困難は、「しりたがり」「わかりたがり」「やりたがり」の「なぜ??」の質問の時期です。

この時期を上手くのりきらないと 知的好奇心を維持できるか 萎ませてしまうかの分かれ目になります。

これは「知的障害を持った子」も「健常児」も 時期的なズレは生じますが、乳幼児期の子ども達の発達です。

論文ではないので、小学校・幼稚園・保育園段階は、次にまわしますが、

人間の成長の初めから「知る、解る、出来る、表現する」学習の面白さから スタートすることだけは確かです。

posted by 小だぬき at 02:30 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

知る わかる 出来る 表現することは楽しいA

勉強・学習は 本来は楽しいものです。

午前中は「乳児・幼児」の発達から 本来の人間の脳は「知的好奇心」に溢れているということを書きました。
TVのクイズ系番組の人気や池上彰さんのニュース解説が人気なのは、大人でも「知りたい・解りたい」気持ちがあるからです。

よく仕事に対して「賃金を得るための我慢」とか「辛さ・苦しみのみ」とかいう人がいますが そうでしょうか?
確かに 単純作業などは辛そうですが、自分が今頑張っていることが ラインを止めず仲間に迷惑をかけない「誇り」があるから耐えられるのではありませんか・・・。

趣味など典型的ですが、その分野については、他人に言われなくても「自発的」により良くなりたいという向上心は いつの年代でもありますよね

「盆栽」「ペット」「写真」「鉄道」「アニメ」「手芸」「釣り」などは、理屈抜きに「やりたいから・・」「楽しいから・・」と 学べるものですね。


話を今日の、幼稚園・保育園に戻します。

今の家計の大変さ、働きたい気持ちで 共稼ぎのご両親がふえています。
そのため 小学校元教員からすると、果たして 「教育内容」「保育内容」で 幼稚園・保育園を選択しているのだろかと 長年疑問でした。

この時期の子ども達は 集団のトラブルやケンカを通して、ケンカの限界と仲直りの仕方という 他人との関わりを学ぶ時期です。

ですから 泥んこになって遊んだり、ケンカしたりしながら ルールや言語・感情表現を学んでいくのです。
本来、幼稚園教諭や保育士達は 上手なアドバイザーや審判の役割を負うのです。

でも 敢えて「クレーマー」と呼びますが、成長に欠かせない対人トラブルやケンカを 「なぜ、止めない!!」「イジメを放置するのか!!」との 成長を度外視した 抗議を教諭・保育士は受けるようになります。

「クレーマー」化した親には、社会性やルールを学ぶ過程であることは理解してくれません。
「かわいい我が子に・・・」との 過剰な保護意識がトラブル・ケンカも「成長時期に学ぶ規範学習」との観点より「イジメ」としかとらえません。
この時期に友達との折り合いを学んだ子と「保護」されてしまった子の違いが、小学校入学時の「1年生の学級崩壊」の根っこになるのです。

今、共稼ぎの勤務時間の関係で 保育時間の長さのみでの選択で 待機児童がでていませんか??
反対に時間がはっきりと決められている幼稚園の倒産がふえているそうです。

元職の立場では「いい加減な早期教育」で 小学校課程の学習までを宣伝文句にする保育所だけは さけて欲しい。
筆順もデタラメ、計算も暗記だけ、しつけなるものも「強制」された子たちの 知的好奇心や自発的行動力などの低下の弊害が大きいのです。

それよりは のびのび教育を基本に園児達の好奇心を優先する所を選択して欲しいのです

驚くほど「しつけ正しい」といわれる保育園出身の子に 「心の抑圧感が大きい」のか 「ばか」「死んじまえ」「ブッ殺す」「しっている」「おまえなんかとはなしたくない」との暴言がでるのです。社会規範やルールを意味なく強制されてきた上の悲劇でしょう。

保育園に預けるなら、出来るだけのんびりとした保育と友達とのトラブル・ケンカに上手に仲裁に入ってくれる所がベストだと思います。

社会風潮のように なんでも「イジメだ」と大雑把に規定してしまう危険は、子ども達の社会性の発達に障害を与える点もあることだけはご理解下さい。

posted by 小だぬき at 20:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月02日

中教審の現場知らず 教員免許

中教審が 大学院修士課程修了を 教員の「一般免許」とする考えを表明しました。
いかにも 現場を知らない学者先生の発想だと ため息です。

私立出の教員、短期大学出の教員、教育学部以外の学部生、修士課程まで進める資力のないものなどの排除の論理かと愕然とします。

私は 大学法学部在学中に 中学校と高等学校の「社会科免許」を収得しました。
教職課程を履修するだけでも大変なのに とくに教育実習で他学部から「実習先」にお願いするだけでも 現場に迷惑をかけているのが現状。

しかも 「免許=採用」ではなく、採用試験に通り 任用候補になっても 採用されるとは限らないのが 教員の世界です。
正規任用をギリギリにして、他の採用名簿登載者の多くは、6ヶ月更新の「臨時教員」として採用されている現実を無視しています。

私も 大学4年の時に「社会科教員」の採用試験に合格しましたが、採用は欠員待ちで 1年間欠員なしでした。
これは、今 猛烈なバッシングを受けている「公務員採用全般」の現状です。

幸い、私は 通信教育・スクーリングで小学校免許の単位をとりながら 採用試験に臨み 名簿に載りながらも 最後の1ヶ月の教育実習先探しに苦労しました。旧担任が教頭をしている学校にお願いして 2月に教育実習し 何とか滑り込みで免許修得。

私が 運が良かったのは 10倍以上の倍率のなか ユニークな発想を認めてくれた当時の面接官と男の採用に本腰を入れ始めた時期と一致していたお陰だと思います。
どうどうと「広域配転のおかしさ」や「公的夜間中学のなさ」を批判したのに 採用してくれたのは 今では奇跡に近いでしょう。

今回の中教審の「大学修士課程修了」者を「一般免許」、その他を期限付き「基礎免許」にし現場に入ってから「一般免許」への移行を義務づける、しかも 免許更新制は残す、では 現場は 機能不全に陥ります。

教育学部を出て 教育の修士課程に進める経済的余裕がなければならないし、採用試験での配慮がなければ どれだけの人が大学院に進学できるでしょうか・・・・。

ましてや「期限付き基礎免許」で採用し、現場で働きながら「一般免許」を修得するなんて 今の多忙さの中 現実を無視しています。
教育委員会の公的研修が 免許単位に変換できなければ、一般免許講習を受ける余裕などありません。

現場で必要なのは、「学者」ではなく「教員」なのです。
これは、職場の環境や経験でしか 身につかないものも多くあるのです。

とくに 今の父母の皆さんのクレームや要求の多さ・少数の?理不尽さも見られる今では、より一層の門戸開放で多彩な経験と個性がなければ 学校が組織として機能しなくなりつつあるのです。

今、報道されている「給食費未納」も 私の経験では、貧しくて払えないのではなく 「公教育は無料にすべきだ」との論理で資産のある方が意図的・確信的に「未納」する場合が 少なからずあるのです。

2世代3世代前の管理職は、現場の責任はオレがとる 思い切って知恵を出し 実戦して欲しい、というタイプが多く、教員も管理職の目標は高くても ある種 尊敬して 激務にも耐えられました。

でも、今の現場の多くの管理職は 事務におわれ、出張も多いためか 現場の困難さを共有し解決をはかることや責任はオレが持つという気概も失っているように思えるのは とっても残念なことです。 

「免許」制度を 現場を知らない 学者が「無責任」な提言をしているとしか思えないのです。

今、全国的に教員の不祥事が報道されていますが、初めから「猥褻指向」の教員は論外としても  赴任時に理想に燃えて現場に赴任したであろう 中堅・ベテランの不祥事は、「免許」の問題ではなく、勤務・業務の視点から見直す問題があると思うのです。

多くの教員は 自分の子どもに「自分の子より 担任や学校の子の方が大事なんだ!!」と批難されるような 状態で勤務しているのに 世論の冷たさは目を覆うばかりです。
改善されつつある現場でも 我が子の入学式・卒業式・運動会・PTAなどに 参加できない、しずらい勤務を強いられているのが 今の教員です。

中教審が まずすべきは、教員の「初志」を貫けるような 勤務の在り方の改善であるべきと思います。
そして ゆくゆくは、現場と行政、学者、父母の方々が 「現実」で 協力しあえる態勢を組めなければ 今の教育の問題は前進しないと考えています

義家参議院議員のように「日教組批判」しているだけでは、より子ども達が不幸になると思います。

見方を変えれば「日教組・全教」という組合がありながら 現場の声を 行政に届けきっていない、何のための組合か という論の方が正しいように感じるのです。

肝心の学校に学ぶ子ども達の視点にたった 教育改善でなければ意味がないのです。
教員も人間ですから 何でもかんでも超人的なことを要求するより、「人間性」を高めるための「研修」のあり方を検討すべきと思います。

小規模校の業務量と大規模校の業務・出張・官制研修は 量的には変わりません。
小規模校の負担を軽減していかないかぎり 教育破綻は目に見えています。
posted by 小だぬき at 10:49 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月24日

どこまでが個人情報??

今、年賀状書きで忙しい方もいらっとゃることと思います。

個人情報保護法で 学校で困ったことのいくつかを報告します。

@「学級住所録」が 発行できなくなった。
 新年度 そうそうに「新クラス」の保護者用連絡に活用してもらっていた 学級の住所・電話・誕生日の一覧が 個人情報保護で配付できなくなった。
 年賀状の度に「先生の住所を教えて」「◇さんの住所を教えて」との問い合わせに苦慮したものです。

A電話連絡網
 今では 出来る限り ご近所を中心に連絡網を作成するのですが、時には全く電話にでない・止められている家もあります。そのとき 連絡者が家を知っていればいいのですが、知らない場合は 飛ばして連絡することになります。
連絡網でも 連絡不能の家庭がでる場合があるのです。

Bホームページ作成者の悩み
 極端にいえば、ネットの世界は閲覧者が 善意である保障もないし、一度発信すると 世界中で閲覧可能になります。
遠足や運動会などの行事で 子ども達の写真を載せる場合「顔と氏名にモザイク」処理をすることになります。
記事中の氏名も 削除できる所は削除処理をおこないます。

C名札の不思議
 昔は、下校時の万が一の事故に備えて、下校時の名札着用を徹底的に指導しました。
今は「変質者」や「誘拐」に備えてと 下校時に外す指導をしています。
「特別支援級」担当のとき、下校時 行方不明になった子を探すのに 教員総出で探し回った経験も幾度かあります。
幸いに コンビニや商店に保護されていたのですが、言語不明のため「保護先でも連絡不能」の状態でした。
この時ほど、名札があればなぁと 思った時はありません。

D学校職員名簿
 以前は、学校職員名簿があり 「・・・学校の◇先生」に直接連絡ができたのですが、今は 職員名しかのっていません。
授業記録や教材の貸し借りをしたくても 学校にかけ 呼び出して貰うしか方法がなくなりました。

上記は一例に過ぎませんが、肝心なことは 多くは事前に「校長決裁」が必要になったことです。

今の校長は 出張などで 肝心の学校にいないことが多いのです。
学級・学年・学校通信や分掌提案文書・各地の連絡文書・指導案までもが 「校長承認」がなければ発行や郵送が出来ないのです。

「個人情報保護」というのは、使い方を誤ると 検閲・言論統制にも使われかねない 諸刃の剣 です。

報道でも 少年事件など 被告名匿名・被害者情報公開などとの 倒錯も生じています。

「国民の知る権利」と「個人情報保護法」とのバランスが 問われているのではと思います。
posted by 小だぬき at 10:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月07日

生活習慣を学校モードに

もう3学期が始まっている所、もうすぐの所とあると思いますが、早めに起床・就寝のリズムだけは「学校モード」に戻したいものです。

3学期の6年生は、ただでさえ 私立受験のために全員が揃うということが困難な中、授業や卒業文集の作成など 日程とにらめっこになります。
5年生も3月から始まる「卒業式」練習を念頭に 授業を進めることになります。

低学年は 1年生を迎える会の準備に入り、比較的余裕のある中学年も 卒業式飾りや入学式飾りに取り組むことになります。

ただでさえ、授業日数が少ないのに「インフルエンザ」流行などとなると もう綱渡りに近い危機感が担任を襲うことになります。


多くの学校では 始業式のつぎの日から給食開始・正規日課になります。

学校モードに早く適応するためにも、これからは 就寝・起床・排便の習慣を学校モードにして欲しい。
・通信簿や宿題の提出は 出来うる限り 期限を守ってあげてほしい。
・書き初めなどは 始業式後でも取り組みますが、提出を急いで欲しい。
風邪の初期症状があれば、早めに内科受診をして欲しい。

           元職としては、上記のことを祈るものです。

そして怖いのが、友達と出会えた喜びと会話のための「交通事故」です。
命あっての 学校生活ですから・・・。

少数ですが、お年玉で金銭感覚を狂わせるのか、万引きも時々起こります。お金の管理と金銭簿をつけるチャンスにして欲しい。

とにかく 閉塞感や生活の不安の中にいる大人にとって、子ども達の元気な様子や笑顔が救いになります。
3学期を より良い日々にして 4月に進級してほしいものです。

***************************************
政府もいい加減「野党ボケから与党」に変身して欲しいと思います。

多くの国民が倹約生活を余儀なくされているのに、出てくる話題は各種値上げのオンパレード。
消費税が10%ですまず20%をも検討課題にあがっているとのこと。

今までの経済学ですと 今年大量にでる国債償還や定額貯金の満期金が市中に出回れば、内需拡大の足がかりになるのに、その資金の争奪戦が都市銀行で計画されているとのこと。

私の周りをみても 日用雑貨や家電が行き渡り、買い換え需要か我慢にはいっているのに、政府も経済界も「成長路線」一本槍。

内需拡大を図るには 過疎地・山間部・島などでのインフラ整備と店舗網充実・観光誘致と買い換え需要に添った生産計画、新しいアイデアの起業家支援と中小企業のコスト割れを防ぐ 大企業規制が必要なのに、民主党は新しい内需拡大の方針すらだしていません。

今の日本は「経済一流」「経済大国」の夢を捨てて、「国民生活優先」の経済構造に転換してもいいとさえ思います。

また時限立法で 大企業の内部留保の課税なども検討してもいいのではないかと思います。

今は「豊かなものがより豊かに、貧しいものがより貧しく」なる政府施策としか思えないのは、残念というより怒りです。
posted by 小だぬき at 10:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月11日

寒波、外出時に風邪注意

全国的にすべての学校が始業式(もう始まっている所もありますが・・・)

寒波が今週中続く中での3学期です。

どうかお子さんの登下校時に風邪をひかないような服装で 送り出して欲しいと思います。

同時に会社も本格的な稼働に入ります。社内で暑ければ脱げばいいくらいの気持ちで「完全防備」の服装で出勤してください。


最近、明るいニュースとして「タイガーマスク」現象があります。ランドセル寄付からはじまり、現金や文房具まで その施設に合う心配りがみられます。
寄付の仕方を見ると 決して豊かではなく コツコツと貯金したものを匿名で寄贈されたものでしょう。
善意が生きていると感じる報道です。

それに反して「経済大国」をうたう政府が、このような心配りができない、赤い羽根募金やあしなが募金のような募金活動で 救われている人の存在は 政府として恥ずかしくはないか・・・・と思うのです。

なんのために戦後の経済成長だったのでしょう。
「国民生活を豊かにする」のが目的であったはずです。
今一度足元を見て「なんのために」を考えて欲しいと思う所です。
posted by 小だぬき at 05:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月21日

涼しい夏休み第1日、本当の自由研究を・・

関東では 台風の大雨の心配は脱しましたが、皮肉にも終業式・夏休み第1日が 涼しいというより寒くさえ感じる気象に・・・。

あまりにも 気温の上下が激しい日々なので 健康管理には要注意です。

私は 朝 寒くて起きました。資源ごみの日だったので 外にでたらやはり冷たい風。

心配した台風被害も とうとう強風のための死者1名がでてしまいました。

毎年 自殺者3万人強、交通事故1万人弱、災害死者は今年は3万人弱に上りそうです。
その家族の方の人数を加えれば 恐ろしいほどの数字です。
これに加え犯罪での死者を加えると 人命が軽視されている異常な国「日本」の姿が見えてきそうです。

老衰死や病死が 霞んでみえるような 上記の死亡者数。

これが「平和国家日本」なのかと慄然とします。

餓死とか虐待死とかもでる国が 豊かな国であるはずはありません。

休日の遊びでの水死のニュースも聞く今日。

多くの子供たちが、安全で元気な夏休みの日々を送ってほしいと願っています。


私たちの子供の時は、よほどのことがない限り、食中毒や遊び中のケガ・死亡はありませんでした。
子供ながらに 普段の遊びで「危険と安全」の境を体験していたし、食糧難の時代 どこまでが食べられるかも本能で選別していたのかもしれません。

今の子供たちのように 安全優先、衛生・清潔優先などという親の余裕もない時代でしたし、保存剤や着色剤の混入されていない食材で育ったために 結構 細菌には免疫があるのかもしれません。

世代間比較をすると より病気特性や免疫傾向がつかめるかもしれません。

長年 長寿と言われる所は、不思議と和食で質素な食事なのです。

子供達の夏休みの自由研究に 肩の力を抜いて、
@自然材料と防腐剤使用の食品比較
A着色料のついたものと 無使用なものの比較
Bノンカロリー飲料の砂糖分使用量
C学校や自宅を中心とした 街地図作り

       などなど 身近なものに視点をあてたものの挑戦も意外な発見につながるかもしれませんよ。

昔、大の大人が大真面目に「バカ、アホ全国分布」の研究書を見て 面白い発想に夢中になって読んだ記憶があります。
方言研究などもそうでした。

身近な地域の昆虫分布とか ゴキブリ発生分布とか 童心でないとなかなか調べられないような柔軟な発想を期待したい。

災害の多い所は、年度ごとの災害記録とか・・・・

たとえば 工事中のマンションや新築中の家があれば、毎日の工事の進み具合なども いい記録になりますよ。

涼しい関東の夏休みのスタート、震災や災害に絞った新聞切り抜きとかもいいかもしれませんね。
または、料理を1週に1つできるようにするとか 個々の条件に合わせて ムリなく独創的なものに挑戦して欲しいです。
posted by 小だぬき at 13:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月17日

運動会シーズン突入かな・・・

教える教員側も 戸惑うほど 安全面が強調される団体競技。

短時間で仕上げなければ間に合わない リズム演技など・・・・。

いい仲間意識と協力心、相手と本気で全力で対峙する闘争心を教えたい思いと 授業時数確保の狭間で 悩むのが教員です。

しかも 団体の勝敗に 年々無感動の子供が増えています。

昔と同じように 運動会で猛烈に燃えるのが 父母の皆さんと教員で 子供達は驚くほど 冷静です。

皆さんの地区の運動会は いかがですか・・・・。




@天国と地獄Aクシコス・ポスト
B道化師のギャロップCトランペット吹きの休日
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2011年12月01日

香山リカのココロの万華鏡:神童にならなくても

香山リカのココロの万華鏡:神童にならなくても 

毎日新聞 2011年11月29日 東京地方版

今年は、子役が大ブーム。


 幼稚園生や小学校の低学年のあどけない子どもたちが、おとな顔負けの芝居をしたり歌を歌ったり。インタビューでも礼儀正しく、それでいて年相応の無邪気さも見せる。

何かと暗い話題が多い中、子役たちの笑顔は私たちをなごませる上で欠かせないものとなっている。


 活躍しているのはテレビに出てくる子役だけではない。ときどきスポーツ教室や音楽教室にも“神童”が現れ、抜群の才能でおとなたちを驚かさせる。幼児のための学習教室には、英語の達人、計算の名人などもいるようだ。


 「すごい子どももいるものだね」と感心しているうちはまだよいが、子を持つ親の中には、「ウチの子も」といわゆる英才教育に熱心になる人もいる。

子どもは親にほめられるとうれしいので、最初のうちは期待にこたえようと、一生懸命、勉強、練習などに励み、それなりの成果を上げる。


 しかし、努力すれば誰もが天才になれるわけではない。


 いくらやってもコンテストで入賞しない、オーディションに合格しない、という現実の壁に突き当たったとき、その親子はどうするかが問題。


 いつだったか、診察室に「どうしてもあきらめきれない」という母親がやって来たことがあった。


 「娘をバレリーナにするのが夢で、これまですべてを注ぎ込んで親子でその道を目指してきたんです。

バレエ教室の先生に『これ以上、上はムリ』と言われてしまったけれど受け入れられない。娘を外国に連れて行ってレッスンを受けさせたい、と言ったら、夫に『一度、精神科で相談してきたら』と言われたんです」


 必死に訴える母親のそばで、まだ幼い娘は申し訳なさそうにうつむいていた。


 「私のせいでママが苦しんでる」と自分を責めているようだった。こういう場合は、母親よりも先に子どものほうに「あなたが悪いわけじゃないよ」と伝えなければ、心に深い傷を残してしまう。


 わが子が天才なら、もちろん親はうれしいはずだ。


 ただ、誰もが神童や天才になる必要はないし、もっと言えば「そんな特別な存在にならないほうがいい」とも言える。


 いつも注目され称賛されながらすごすのは、子どもの心の成長には必ずしもプラスとは言えないからだ。


 才能があればあったで幸せだし、なければないでまたそれも幸せなこと。子役たちの活躍を見ながら、そんなことを思った。

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2011年12月02日

尾木ママ 年々低年齢化する幼児教育の過熱に警鐘を鳴らす

尾木ママ 年々低年齢化する
              幼児教育の過熱に警鐘を鳴らす

2011.03.21 07:00
              ※女性セブン2011年3月31日・4月7日号

『ホンマでっか?TV』(フジテレビ系)で明石家さんま(55)にいじられる“尾木ママ”として、すっかりお茶の間のアイドル的存在になっている尾木直樹さん(64)。

ブログも大人気だが、実は、教育問題、メディア問題などで講演活動を行う大学教授であり、教育評論家でもあり、BPO(放送倫理・番組向上機構)青少年委員会の副委員長を務めたこともある。

このほど、『尾木ママの「叱らない」子育て論』(主婦と生活社、1000円)を出版した。

そんな尾木さんは、年々低年齢化する幼児教育の過熱ぶりに警鐘を鳴らす。


「脳の発達が3才までに決まるなんて、真っ赤な嘘! 胎児に英語を聞かせるといいからと、ママが英語の音楽を聴いたり英語のドラマを見たりしているけど、そんなつくられた教育観も間違ってます」


 彼が尊敬する脳科学者の澤口俊之さん(52)は、早期教育をするよりも、生まれてすぐに20分くらい母親に抱かれていたほうがいいという。


「基本的信頼感を形成する上では不可欠な行動よね。

抱きしめるという行為は、子育てには欠かせませんから」


 たくさんの情報があふれ、多くの教育メソッドが乱立するいま。流行メソッドをこなすよりも、まず親たちも自分を肯定し、子供を肯定すること。あなたも周囲を気にすることなくのびのびと叱らない子育てで、ありのまま輝いてみては?

posted by 小だぬき at 04:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月23日

子どもを「怒る」と「しかる」の違いを理解する

サカイク:
子どもを「怒る」と「しかる」の違いを理解する

2011年12月19日  毎日新聞

 「もう、何やってんのー!」「何度同じことを教えたら、できるようになるんだよ!」など、子どもを怒鳴ったりしていませんか? 

自分はしかっているつもりですが、これって本当に子どもに伝わっているのでしょうか? 

「怒る」と「しかる」を辞書で調べてみると類語として扱われています。しかし、コミュニケーションの上では、この2つは大きく違うものなのです。


その違いをしっかり理解して、正しい「しかり方」をマスターしましょう!


■「怒る」ではコミュニケーションは成り立たない


 コミュニケーションとは、人と人が互いに意見・感情・思考を伝達し合うことです。

サッカーの練習や試合中など、ついつい気持ちが入ってしまい、指導者や親が子どもを怒鳴ることはよくあることですが、怒鳴るとは文字通り「怒る」こと。

自分が怒っている時のことを思い出してください。怒っている時は、誰かまたは何かに腹を立てているときではありませんか? 

「怒る」とは、相手に自分の感情をぶつけていること。自分の感情を一方的に吐き出すだけで、自分の意見、思考を伝えることは難しく何も答えは得られません。


 一方、「しかる」とは、相手を正しい方向へ導くために何が良くないのかを気付かせることです。なので、もし相手が何も気が付かないなら、それは「しかる」ではないのです。

しかったことで相手が自分の悪かった点に気付き、もう同じことをしないと思えることが「しかる」というコミュニケーションです。


 自分の気持ちを相手に伝えるために「しかる」ことは、コミュニケーションのひとつですが、「怒る」という行為では、コミュニケーションは成り立ちません。厳しく指導をすること=怒るではないですし、ほめて育てる

=甘やかすことでもありません。


【「怒る」と「しかる」の違い】


×怒る=相手に自分の感情をぶつける


○しかる=相手に成長・改善の気づき・機会を与える


■ポジティブな表現が成功の秘訣


 人には感情ではどうすることもできない “潜在意識”があります。

試合で「ミスをするな!」「負けるな!」という声かけは、潜在意識にとっては「ミスをしろ」「負けろ」の同義語。

「ミス」「負ける」というネガティブな言葉が潜在意識に入り込むと、脳では「ミスをする」「負ける」というイメージが作られ、頑張ろうという気持ち(感情)とは裏腹に、潜在意識が失敗へと導いてしまうのです。


 ですから、子どもたちには常に「勝利」や「成功」をイメージさせましょう。周囲や本人がポジティブな表現を発していれば、潜在意識の中に成功のメカニズムが出来上がり、よい結果を生むことができるようになります。


<<おまけ>>

お父さん・お母さんが子どもの頃の学校には<廊下を走るな!>という張り紙がはってありませんでしたか? 走るなと言われているけれど、廊下を走り、しかられた経験がある人も多いのではないでしょうか? 

今の学校では潜在意識に作用させるように<廊下は静かに歩きましょう>と貼られているそうですよ。

では、今度は実際に子どもに気づきを与え正しい方向に導く上手な「しかり方」について紹介します。


サカイク:
子どもに自分で考えさせる上手な「しかり方」

 前回は、「怒る」と「しかる」の違いについて紹介しましたが、今回は子どもに自分で考えさせる上手な「しかり方」についてです。


■しかる時にはまず始めに、自分の怒りを静める


 「しかる」の目的は、相手に問題点に対する「気付き」の機会を与え、改めさせること。

例えば、試合でミスをした時「何でいつも同じミスをするんだ!」と言っても、ミスをしたことは自分でも十分承知しているので「そんなこと、わかってんだよ!」と逆に腹を立てられてしまいます。


 「しかる」の第一歩は、相手の状況を受け入れること。相手の状況を受け入れることで、感情的に「怒る」ことはなく、冷静に「しかる」ことができます。

いつもと同じミスをしてしまったということを理解した上で、「どうした、お前らしくないミスだな」と言えば、相手は問題を受け入れ、「集中力が切れてしまって……」などとミスに対する原因を考え、「次からは大丈夫です」と改めることができます。


 逆に、「何やってんだ!?」などミスをした結果に対して言われても、相手はその結果をどうすることもできません。

それでは建設的なコミュニケーションにはつながらないのです。


【良いしかり方】


●コーチ:どうもミスのパターンが同じだな。どうした?

●選手:相手に寄せられるとつい焦ってトラップがうまくいかないんです。
●コーチ:そうか……じゃあ一緒に練習で改善していこうな。


【良くないしかり方】

●コーチ:なんでいつも同じミスをするんだ!
●選手:そんなこと言われなくても分かってるし!(シャットアウト)


■他の人との比較はNG


 「しかる」時は、ミスをしたことではなく、ミスを反省しない姿勢、他人のせいにしている姿勢、ミスを起こしたことに気づいていないことなどを指摘します。

決してミスをしたという結果について、あれこれ言ってはいけません。


 また、「○○君だったらあんなミスはしないのに」や「○○君がシュートしていたら勝てたな〜」などと、他の人と比較しては絶対にダメ。

特に他の選手がいるところで、比較をしてしまうと、チームワークや信頼関係を崩す原因にもなります。

ミスが起きるのはチャレンジした結果と受け止め、チャレンジしたということはほめます。

そして、失敗から学び、はい上がってくるのを待ちましょう。


 また、性格的欠点や人格を否定することもNGです。相手は感情的に拒絶してしまい聞く耳を持てなくなってしまいます。


<<おまけ>>


●こんな言葉は気を付けましょう!

「何考えているんだ!」「〜だめじゃないか!」はプライドを傷つけやすく、「〜しろ!」「〜は違うだろう」は反感をかいやすい言葉です。


■I messageで話をする

ミスに対して、「私はこう思うんだけど、あなたはどう思う?」などと、相手に答えを求められる話し方をされると、「どうだろう?」と考えることができ、「そうか!」と原因に気づくことができます。


 また、相手に伝えたいことは自分を主語にして話すことを『I message』と言います。

例えば、「何回同じミスをするんだ!」と言うより、「同じミスを繰り返さないようにしてほしいと、私は思っているんだよ。どうすればミスをなくすことができるかなぁ?」と言われると、素直に受け入れることができます。


 さらに、I messageで話すと相手が同じミスを何度も起こすのは、自分の教え方に問題があるのではないか? などと、相手をしかる原因が、実は指導力不足など別の原因にあることに気づくこともよくあります。


 「しかる」という行為は、励ましの延長にあります。子どもだからと上から目線にならず、同じ目線に立ち、間違いについてはしかり、問題に気づかせ、良い方向へ導けるようにしていきたいですね。


【取材協力】WACアカデミー//さまざまなチームや団体・企業向けに、前向きに積極的に取り組む姿勢を育てる「ポジティブ・シンキング」・「ロジカル・シンキング」両面をバランス良く鍛え、組織やチームの人間関係・信頼関係を築くためのコミュニケーション・セミナーや講座を提供している。

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2011年12月27日

真健康論:適度に休憩、集中力維持=當瀬規嗣

真健康論:
適度に休憩、集中力維持=當瀬規嗣

毎日新聞 2011年12月18日 東京朝刊

 根を詰めて仕事や家事、勉強などをこなすと、一息つきたくなるものです。

確かに仕事に熱中して時間を忘れるようなこともありますが、そんな時にフッと長い時間がたっていたことに気付くと、休憩を取りたくなるものです。


 つまり、人の集中力というものは、案外長続きしないということです。しかし、集中力が途切れても、何かの都合で仕事を続けなければならないことも多いと思います。いや、ほとんどそうだと思います。

でも一旦集中力が途切れてしまった状態では、仕事を続けても効率はがた落ちになります。タイプミスしたり、何度も同じところを読んでしまったり……作業の場合は手元が狂って危険な目に遭う可能性すらあります。


 本当は集中力が途切れたら休憩を入れるべきなのです。

休憩をすれば、また集中力がよみがえります。そうすれば、集中力が途切れたままで仕事をしたときよりも、はるかに効率が良くなって、休憩時間を勘定に入れても、仕事は段違いにはかどったことになります。

集中力の途切れは、「脳の疲労」とたとえることができます。脳が疲労すると思考が進まなくなり、ものを思い出す力が減退し、周囲が気になって集中力がなくなります。


 至極当たり前のことをいっているのですが、脳の疲労が起こることは昔から知られています。

ですから、学校の授業は時間割で行われます。

小学校は45分くらい、中学校や高校で50分、大学では90分授業が主流です。これぐらいの時間が集中力持続の限界だということです。

教壇から見ていると授業の後半には集中力の途切れた学生がたくさん……。そこで休み時間を入れて気分転換、脳をリフレッシュします。


 ですから、本当は2時限連続で同じ教師の授業を行うのは、効率を悪くするばかりなのです。

場合によっては集中講義と称して朝から晩まで同じ教科の講義をする学校もありますが、講義は集中しても集中力は完全に消失してしまうのです。授業をやったというアリバイ作りに過ぎません(反省……)。


 そういえば、小学校の頃は国語、算数、理科、社会……同じ教科を2時間連続でやることはほとんどありませんでしたね。

適度な休憩と気分転換は、脳の集中力を維持するための秘訣(ひけつ)です。

(とうせ・のりつぐ=札幌医科大教授)

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2012年01月07日

「7つの習慣」で成長 

コヴィー氏が提唱する「7つの習慣」 

〈1〉主体的に行動する(気分や行動は自分で決める)
〈2〉目的を持って始める(使命と目標を明確にする)
〈3〉一番大切なことを優先する(重要なことから時間と力を集中する)
〈4〉win―winを考える(他者を尊敬し、自分の意見も伝える)
〈5〉理解してから理解される(人の話を誠実に聞く)
〈6〉相乗効果を発揮する(創造性が高まる協力関係を築く)
〈7〉自分を磨く(肉体的、精神的な健康管理も重要)


*************************************
「7つの習慣」で成長
2011年12月8日 読売新聞 

 「自分の自信になる行動を五つ考えて。その中から三つ実行するのが、今週のチャレンジです」。

 東京・世田谷区の塾「ITTO個別指導学院深沢校」。矢部裕貴(ゆうき)教室長(30)が、高校受験を控えた中学生に語りかける。
行われていたのは教科ではなく、「7つの習慣J(ジェイ)」と称する「生き方」の授業だ。


 自尊心、目標・計画の立て方から、人に信頼される態度まで、エピソードを交えて実践的に学ぶ。小学生から高校生まで各クラス週1回。およそ塾らしくない内容だが、塾生の6割以上が受講する。

「勉強以上に、親や友人との人間関係で悩むのが思春期。解決できる自信がつけば成績も上がる」と、この授業の専任でもある矢部さんは語る。


 授業の底本は、アメリカの教育者スティーブン・R・コヴィー氏の著書『7つの習慣―成功には原則があった!』

主体性や誠実さ、協調性といった人格の重要性を説き、多くの企業が研修に取り入れるビジネス書の古典的存在だ。


 海外の教育実践などをヒントに、2004年にFCエデュケーション社(東京)が子ども向けの教育プログラムの展開を開始。

「子どもが積極的になった」など評判が高まり、「7つの習慣J」を教える塾は全国で214校に。私立中・高校にも広がり、導入校は全国で87校にのぼる。

 大阪市北区にある中高一貫の私立女子校、金蘭会(きんらんかい)中学校では、4年前、本の愛読者だった田中好浩教諭(51)が「学校改革の要に」と藤林富郎校長(57)に提案した。

前例のない取り組みに異論もあったが、議論の末、2008年から中1に導入。「1期生」が3年になった年から、部活動で全国大会優勝や入賞が相次ぎ、精神面の成長ぶりに先生たちも驚いた。


 現在は校長を含め教諭12人が講師の資格を取り、中2まで2年間の必修授業に。

毎週、授業内容を保護者向けの通信で伝えるほか、保護者会も開いて家庭との連携をねらう。

今年、同校が行った調査では、保護者の約3分の2が「子どもの変化を実感」と評価、本を手に取る保護者も増えた。

 中2の津森望美(のぞみ)さん(14)は、「自分の反応や感情は選択できる、という考え方を学び、確実に新しい自分が生まれた」と語る。

人間関係や勉強で悩んだ時、折に触れて授業を思い出すという。


 遠回りのようだが、小さな変化の積み重ねが大きな成長を生む。
(片山圭子、写真も)

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2012年01月09日

男の子の育て方

男の子の育て方
2012.1.07 /2012.1.09    NEWS  ポストセブン

お母さんにとって、男の子の子育ては毎日が戦争状態ですよね。

娘の気持ちならまだ何となくわかるけれど、異性である息子の一挙一動は全く予想がつかず、どう対処していいのやらわからないお母さんも多いのではないでしょうか。

子育てにおいては、もちろんしつけも大事。しかし、教育カウンセラー諸富祥彦氏の著書『男の子の育て方』によれば、お母さんの何気ない一言が男の子を傷つけ、彼を意気地なしにしてしまうこともあるそうです。

意気地なしとはつまり肝心なところで実力が発揮できなかったり、将来好きな女性ができても自分から告白できないような状態を指します。息子がそんな情けない男になってしまうなんてお母さんにとってはゆゆしき事態ですよね!

男の子を意気地なしにする母の言葉とはずばり否定的な言葉。そこで当記事では同書を参考に、男の子に言ってはならない代表的なNGフレーズを5つお届けします。

■1. 「どうして●●できないの?」「何でそんなことするの!?」


食事中にじっとしていられなかったり、いきなり走り回ったり、息子の理解不能な行動にお母さんはつい「なぜ?」と声をあげたくなりますよね。
ところが、息子にしたってきちんとした理由があって行動しているわけではありません。ただ、自分のしたいように動いているだけ。
それなのに理由を尋ねられても、息子は困ってしまいます。ただ自分が強く責められたという思いが残るだけです。

■2. 「バカ!」「何度言ってもわからないのね」


息子が自分の言いつけを守らないと、息子を強く非難するような言い方をしてしまいがちです。
しかし、非難されて反省する子どもはいません。直接的な非難は反発を招くか、もしくは「僕はダメ人間だ」という劣等感を植え付けるかで、悪い結果しかもたらさないでしょう。

■3. 「もういいかげんにしてよ!」「いつになったらひとりでできるの!?」


いつもおもちゃを散らかしっぱなしにする息子に怒り爆発……といったシーンでのフレーズです。
しかし、お母さんが感情を爆発させても息子は混乱するばかり。なんとなく自分が悪いことをしたという認識はあっても、「なんでそんなに怒っているのだろう」という不安が先行して、「次からはきちんとしよう」という前向きな気持ちにはなれないでしょう。

■4. 「そんなにグズるのならここに置いて行くから」「いたずらをしたらバチが当たるよ」


息子が言うことを聞かないと、一種の脅しを使うお母さんがときどきいます。しかし、脅された息子としては、お母さんから意地悪をされたとしか思いません。
しかも、この手段を繰り返し用いると息子はしだいに「単なる脅しでお母さんの言うとおりにはならない」ということを学習します。そうなると、母子の信頼関係はガタガタ。最悪の場合、息子はわざと母親を困らせる行動をとるようになるでしょう。

■5. 「そんな変なことしないで」


男の子は好奇心のかたまり。その好奇心の発現が、お母さんの目には“変”としか映らないことがよくあります。たとえば、おでかけ中にいきなりしゃがみこんで虫の観察を始めたり、ガラクタや石ころなどを拾い集めようとしたり。

しかし、息子の行動を“変”の一言で片づけてしまっては、彼の成長の芽を摘んでしまいかねません。
「変なことしないで」と自分の行動を母親からいつも否定されていると、息子は「どうせ母親に叱られるから」と何事にも及び腰な無気力男に育ちます。

以上、お母さんが息子に言ってはいけないNGフレーズを5つお届けしましたがいかがでしたか?
ここで紹介した5つのフレーズは、息子の成長上好ましいものではありません。でも、息子が周囲の人に迷惑をかけたりルール違反をしたりするのを放置することもできませんよね。

そこで次回は、息子の心を傷つけない効果的な叱り方を紹介します。

男の子の効果的な叱り方


前回の記事では、息子を叱るときについ言ってしまいがちなNGフレーズを5つ紹介しました。
5つのNGフレーズはいずれも息子を否定する表現で、息子から勇気や前向きな気持ちを奪ってしまう言葉です。

では、そうした否定的な言葉の使わずに、息子にやっていいことと悪いことを伝えるにはどうすればいいのでしょうか。前回に引き続き教育カウンセラー諸富祥彦氏の著書『男の子の育て方』をもとに解説します。ポイントは以下の3つです。

■1. できるだけ主語を“私”にして伝える


前回紹介した「なんで●●できないの?」とか「バカ!」とかいったフレーズは、いずれも主語が“あなた=息子”です。こうした否定的な表現は、主語を“私”に変えるだけで随分イメージがかわります。

たとえば、「なんで片付けできないの?」ではなく「お母さん、散らかっていると落ち着かないから片付けてくれると嬉しいな」と言ってみてはどうでしょうか。

主語が“あなた”の表現では、相手は自分の言動や人格が否定されたような気になることがあります。これではお母さんの言うことを素直に聞くどころではありません。

一方、主語が“私”だと、否定されたような気になるというよりも、息子はむしろお母さんを気遣うようになるものです。

息子に対して、「こうしてほしい」「これはやめて」と伝えたい場合には、なるべく主語を“私”に置き換えるようにしましょう。

■2. 具体的に説明する


いくら注意しても息子が言うことを聞かないのは、実は息子が“お母さんがなぜ怒っているのかわかっていない”ためであることが意外に多いもの。“やってほしいこと”や“してほしくないこと”は具体的に説明するべきです。

たとえば、電車のなかで騒ぐ息子を「うるさい! 静かにしてよ」と一喝した場合、恐怖心からその場ではシュンとしたとしても、また別の機会には同じように騒いでしまうことでしょう。
この場合、落ち着いた声で「電車のなかでは疲れている人もいるから、静かに座っていようね」と話すほうが、よほど効果的です。

息子が言うことを聞かないのは反抗的な気質のためではありません。“なぜいけないのか”や“どのようにすればいいのか”を根気強く説明しましょう。

■3. ポジティブなメッセージをいれる


息子の行動を改善したい場合に、最も威力を発揮するのはポジティブなメッセージです。
つまり「●●君ならできるよね」というフレーズを加えると、息子はお母さんの信頼・期待に応えようと頑張っちゃいます。

“叱る”というのは咄嗟の出来事であることが多いので、いくら気を付けていても前回の記事で紹介したNGフレーズが口をついて出てしまうこともあるでしょう。

そこで「しまった!」と思ったら、すかさずポジティブ・メッセージを。「君はできる男なんだよ」という母親からのメッセージは息子にとって何よりも励みになります。

叱るときに限らず、日頃からポジティブ・メッセージを発するように心がけていれば、本当に厳しく叱らなければならない場合(たとえば、友達にケガを負わせたなど)でも、息子はあなたの言葉を素直に受け入れやすくなることでしょう。

いかがでしたか? 母親としてはただ息子を甘やかすのではなく、ときにはルールを教えなければならないことがあります。

そういうときは、ただ感情的に叱りつけるのではなく当記事で紹介した3つのポイントをぜひ思いだしてくださいね!

【参考】
※ 諸富祥彦(2009)『男の子の育て方』 WAVE出版
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2012年01月17日

日の丸・君が代判決 行き過ぎ処分には警鐘

日の丸・君が代判決 行き過ぎ処分には警鐘

毎日新聞 2012年1月17日 2時31分  社説

 学校の式典で、日の丸に向かって起立せず、君が代を斉唱しなかった教職員を懲戒処分にするのは妥当か。東京都立学校の教職員が処分の取り消しを求めた訴訟で、最高裁が具体的な考え方を初めて示した。


 結論としては、学校の規律や秩序保持などの見地から重すぎない範囲で懲戒処分をするのは、懲戒権者の「裁量権の範囲内」というものだ。


 では、どういう場合が重すぎるのか。最高裁は「戒告を超えてより重い減給以上の処分を選択するに当たっては、慎重な考慮が必要となる」と指摘して、まず線引きをした。


 さらに、停職処分については「直接の職務上、給与上の不利益があり、昇給にも影響が及ぶ。式典のたびに懲戒処分が積み重なると、不利益が拡大する」と指摘。

学校の規律や秩序の保持と処分による不利益の内容を比較し、「停職処分が相当だという具体的な事情が必要だ」とした。

具体的な事情は、過去の処分歴や本人の態度などから判断するのだという。そして、最高裁は停職と減給処分を受けた2人の処分は取り消しが妥当と結論づけた。その点を都教委は重く受け止めるべきだ。


 一方で、戒告処分の教職員について、判決は処分を妥当だとした。1度の不起立行為での戒告処分も認めた。要するに「行き過ぎ」はいけないということだろう。


 都教委は03年、「式典の際に教職員は国旗に向かって起立し、国歌を斉唱すること」と通達した。また、校長に職務命令を出すよう指示し、違反者に次々と懲戒処分を科して処分件数は400件を超える。


 だが、そもそも教育現場で、力で抑え込むような指導が妥当なのかは疑問が残るところだ。

生徒らの入学や卒業を祝う式典の場ではなおさらではないだろうか。


 学校で君が代斉唱を巡り処分が相次ぐようになったのは、99年に国旗・国歌法が成立した影響も大きいだろう。

だが、当時の小渕恵三首相が国会論議で述べたように、個々人に強制するものであってはならない


 最高裁は昨年、君が代斉唱時に起立を命じた校長の職務命令が合憲だとした判決で「君が代の起立・斉唱行為には、思想・良心の自由に対する間接的な制約となる面があることは否定し難い」と述べた。

たとえ戒告処分であっても慎重に判断すべきなのは当然だ。判決を「より軽い処分」のお墨付きにしてはならない。


 大阪府では昨年、公立校教職員に君が代の起立・斉唱を義務づける全国初の条例が成立した。

府議会には、「常習的な職務命令違反者」の分限免職も規定した教育基本条例案が提出されている。

最高裁の判決の内容も踏まえて議論してもらいたい。

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2012年01月24日

教育長謝罪「人災の面も」 石巻・大川小

教育長謝罪「人災の面も」
石巻・大川小、3回目の保護者説明会

河北新報  1月23日(月)6時10分配信

東日本大震災の津波で児童の7割に当たる74人が死亡、行方不明になった宮城県石巻市大川小の被災状況について、市教育委員会は22日、3回目の保護者説明会を開き、追加調査の結果を報告した。

市教委は多くの犠牲者が出た要因を、

(1)学校の災害マニュアルの不備
(2)教職員の津波への危機意識の低さ
(3)過去の経験や知識などによる安全への思い込み−の3点に整理。

対応に問題があったことを認め、謝罪した。

 境直彦教育長は「津波に対する危機意識を高めておくべきだったと悔やまれる」と陳謝。今回の被害については「天災と、学校管理下の人災という両方の面が考えられる」との認識を示した。

 市教委は高台避難ができなかった点について「学校がマニュアルで津波時の具体的な避難場所を定めていなかったことにより、迅速に判断できなかった」と説明。市教委として点検.指導しなかった責任も認めた。

 防災無線などの津波情報が適切な避難行動に結び付かなかったことに関しては「教職員の津波に対する危機意識が低かった」と分析。

校庭に津波到達の直前までとどまった点は「過去の地震などから津波が来ないだろうとの思い込みがあった」などと説明した。

 説明会は大川小が間借りする同市飯野川一小で行われ、父母ら約70人が出席。報道関係者にも初めて公開された。

市教委は、現場にいた教職員で唯一助かった男性教諭が昨年6月に保護者と柏葉照幸校長宛てに書いた手紙を初めて公表した。

男性教諭は震災で大きなショックを受けたとして休職している。

 市教委は昨年6月、男性教諭や児童らから聞き取った調査結果を基に説明会を開催。遺族らの追加検証を求める声を受け、8〜12月に保護者ら約30人に追加調査を行った。


◎生還教諭、保護者ら宛てに手紙 市教委7カ月非公開

 東日本大震災の津波で甚大な犠牲を出した石巻市大川小をめぐり、市教委は22日の第3回保護者説明会で避難の遅れを招いた不備と一定の責任を認めて謝罪したが、遺族からは「納得できない」と厳しい声が相次いだ。これまでの説明に不信感を募らせる遺族の間では独自に検証作業に入ろうとする動きも出ている。

 説明会の冒頭、震災当時現場にいた教職員11人のうち、唯一津波を逃れた男性教諭が保護者と柏葉照幸校長に宛てて当時の状況をつづった手紙が読み上げられた。

 手紙は昨年6月3日付。男性教諭は同月4日の第2回説明会を前に柏葉校長に手紙を託したが、報告を受けた市教委は7カ月以上、手紙の存在を遺族に伝えていなかった。

市教委は「内容は6月の説明会に反映させた」とするが、遺族からは「なぜ早く公開しなかったのか」「手紙にあるように、裏山に揺れで倒れた木は確認できなかった。内容は事実か」などと疑問の声が上がった。

 6年生だった長男を亡くし、4年生だった巴那(はな)さんが行方不明の鈴木義明さん(49)は「昨年6月の時点で公開してほしかったし、市教委を通すと、書かれていることが本当なのかと思ってしまう。手紙ではなく、先生の話を直接聞きたい」と漏らした。

 現場では巴那さんを含め児童4人と教師1人が見つかっていない。鈴木さんは「最後の1人が見つかるまで捜索を続けてほしい」と訴えた。

 津波時に避難する高台を定めず、保護者への児童引き渡し訓練も怠っていた点について、柏葉校長の責任を問う声も続出。柏葉校長は「(児童や先生が)見つかるまではやっていこうと思っている」と辞職する考えがないことを示し、境直彦教育長も柏葉校長の処分に関して「現時点で考えていない」と話した。

 「市教委任せでは事実は明らかにならない」と考える遺族のグループは今後、専門家らを加えて独自に検証に取り組む方向で検討を進めている。

◎教諭の手紙(要旨)/山への避難検討/倒木恐れて断念/山に道あれば…

 現場にいた教職員で唯一助かった男性教諭が、保護者と柏葉照幸校長宛てに書いた手紙の要旨は次の通り。

<保護者の皆様>

 あの日、校庭に避難してから津波が来るまでどんな話し合いがあったか、正直私にはよく分からないのです。
校庭に避難した後、私は校舎内に戻り、全ての場所を確認しました。かなり時間がかかりました。

 校庭に戻ると教頭と教諭を中心に何人かが集まって話をしていました。「どうしますか、山へ逃げますか?」と聞くとこの揺れの中ではだめだというような答えでした(余震が続いていて木が倒れてくるというようなことだったと思います)。

 地域の方々が来て釜谷の交流会館に避難する話があり、危険でだめだとのやりとりが聞こえてきました。
私は校舎内に何回か入り、教室にあったジャンパーや靴などを校庭に運んでいました。

 サイレンが鳴り津波が来るという声が聞こえました。教頭に「津波がきますよ。どうしますか。危なくても山へ逃げますか」と聞きました。答えは返ってきませんでした。一番高い校舎の2階に安全に入れるか見てくるということで私一人で見てきました。
 戻ると子供たちは移動を始めていました。近くにいた方に聞くと「堤防の上が安全だからそこへ行くことになった」ということでした。経緯は分かりません。

<柏葉校長先生へ>

 ずっと強い揺れが続いており、木が倒れている(錯覚だったのかもしれませんが、皆そのように見えていたと思います。

私も子供と山の中にいたとき、何度も揺れる度に周囲の木が折れて倒れる音を聞いています。
その度に場所を変えたのですから)状況の中、道もない山に登らせるのをためらわれたのだと思います。
せめて1本でも道があれば教頭も迷わず指示を出されたと思います。
posted by 小だぬき at 06:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

生き残った教員に何をしろというのか・・・

石巻市立大川小学校の学校説明会、市教委と校長の説明に納得できないものがあります。

児童を誘導して山に避難し 生存してくれた先生に 市教委は何をしろというのか・・・。

誰に「人災の面がある」というのか・・・・。

よく あの大災害のなか生き残ってくれた、児童を救ってくれたと その先生の努力に敬意を称した上で 大事故の検証をするのが筋ではないかと思うのです。

ただでさえ 多くの児童が亡くなり 自分1人だけ職員で生き残った先生の気持ちを 考えたことが市教委にあるのだろうか・・・。なぜ 生き残った 殉職しなかったのか と 責められるような生き地獄の中で苦しんでいるのではないかと 元職として何ともいえない気持ちになります。

午前紹介の手紙を読むだけでも 責任感の強い方だと思います。

私も6年間ほど 校務分掌の中で「安全主任」を経験しましたが、安全主任でさえ 訓練計画や防災計画、安全点検、警察・消防との連絡などは できますが 児童を動かす判断は 管理職とされています。
一般教員が 管理職の判断と違う行動をとることは 本来許されていません。

私がもっとも注目する点は 混乱の中で 亡くなられた教頭先生も市教委との連絡をした上でないと通常は動けない点です。
現に津波警報の連絡はあっても 災害の規模などは 現場では掌握できないのです。

大切なことは 混乱の中で必死の対応をした教員は、自己の行動は説明できるけれど、大川小学校全体の判断・行動には 関与していない点です。

この点を地元新聞の河北新報も 考慮して欲しいのです。

事故を個人の責任に矮小化して欲しくないのです。

なぜ、出来る限りの行動を先生はされた、だから先生の責任ではなく 市教委に責任があると明言しないのか、まさか 児童・教員の大量死亡・行方不明の責任を 休職されている先生をスケープゴートにして終息させようとしているのではないですよね。
posted by 小だぬき at 19:21 | Comment(4) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月28日

南三陸の「天使の声」教材に=無線で津波避難呼び掛け―埼玉

南三陸の「天使の声」教材に=
無線で津波避難呼び掛け
―埼玉
 時事通信 1月28日(土)14時55分配信

 東日本大震災の大津波で、宮城県南三陸町の防災対策庁舎から無線で避難を呼び掛け続けた同町職員遠藤未希さん=当時(24)=を紹介する道徳用教材を埼玉県が作成する。

県内の公立小中高約1230校に配布、4月から使用されるという。

 遠藤さんは危機管理課の職員として町役場に勤務。

震災発生時には、同庁舎の放送室から防災無線で町民に避難を呼び掛けていたが、庁舎ごと大津波にのまれ、39人の職員とともに犠牲になった。

 新たに道徳用教材として作成されるのは約10ページの冊子。

「天使の声」というタイトルで、そのうち2ページを割いて、「早く高台に逃げてください」と必死に町民に避難を呼び掛けた遠藤さんの放送内容や、防災無線のおかげで助かった町民の声などを紹介する。

 震災後、町民らが遠藤さんの放送を「天使の声」とたたえていると聞き、タイトルにしたという。

 県教育局生徒指導課の佐藤直樹主幹は「震災で人のために尽くした姿は外国からも改めて称賛されている。

他人を思いやる心を育成したい」とコメント。

一方で「決して自己犠牲を肯定する趣旨ではない。

思いやりや責任感について考えてもらえれば」と話し、教え方などは各校の教諭に任せるという。

 
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2012年02月03日

「鬼は外、福は内」の声

「鬼は外、福は内」の声には・・・

2012年2月3日(金)1時22分配信  読売新聞「編集手帳

 国語学者の金田一春彦さんが書いている。

〈来年のことを言うと笑い出すユーモアを解し、同情すべき場面では目に涙をためるやさしさをもち、十八の年ごろになればちょっとは色気も出ようといううれしい存在〉であると(新潮文庫『ことばの歳時記』より)

◆お察しの通り、「鬼」である。

その字を含む「魂」の一語を何度となく胸に浮かべた一年を顧みて、金田一さんではないが、幾らか心の通い合う間柄になったような気がしないでもない

◆豆のつぶてに追われるきょうは、鬼たちにはおそらく年に一度の厄日だろう◆〈豆ごときでは出て行かぬ鬱(うつ)の鬼〉(飯島晴子)。

原発事故や景気低迷から私事のあれこれまで、容易に出て行ってくれぬ鬼を数えれば、誰しも5本の指では足りないはずである。

「鬼は外、福は内」の声には、例年以上の気合がこもるに違いない

◆凍える夜がつづく。北国では習わし通りに豆をまいた後で、「すこし暖まっていきな」と、鬼をコタツにあたらせてやりたいような吹雪だろう。
まあ一献、昔からあるお酒の銘柄でね、怖がることはないさ…などと言っては、盃(さかずき)を傾けつつ。


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2012年02月15日

小学校入学準備 生活習慣身に付け順調なスタートを

小学校入学準備、生活習慣身に付け順調なスタートを
2012/02/15 09:27 産経新聞更新


 小学校の入学式まであと2カ月足らず。就学を控え、子供も親も期待と不安が入り交じる。ランドセルに学習机、制服…。学用品の準備も必要だが、大切なのは生活習慣やリズムを整えておくこと。順調な学校生活をスタートさせよう。(横山由紀子)

◆早寝、早起き、朝食 

小学校の登校時間は午前8時頃。早寝、早起きの生活習慣をしっかり身に付けておきたい。

 大阪教育大学准教授(教育学)の臼井智美さんは「午後9時までには就寝させてほしい」と話す。親が遅くまで起きているのは悪影響だ。子供がなかなか眠れない場合、親も電気を消して付き合うのも一つの手だ。
 朝ご飯をきちんと食べることも大切だ。文部科学省の調査では、毎朝食べる子供は、食べない子供に比べて学力テストの成績が高いという結果もある。朝食をとるためには時間的余裕が必要。やはり早寝早起きは欠かせない。


 トイレの問題も忘れずに。最近では洋式トイレに慣れた子供が多いが、小学校では和式が中心。「学校ではトイレに行けない」といった悩みを持つ子供も少なくないという。「公共施設などで少しずつ慣れておくといいでしょう」と臼井さん。


 ◆通学路歩いて練習


 岡山市生活安全課はこの時期、市内の幼稚園、保育所約200カ所で、入学を控えた園児たちを対象に交通安全教室を開く。


 交通ルールなどの説明とともに必ず伝えているのが、「小学校に入るまでに、家の人と一緒に学校までの道のりを3回くらいは歩いておきましょう」。道順を覚えるのはもちろん、危険箇所のチェックにもつながるからだ。

 また、持ち物などは前日にきちんと準備し、朝は慌てずに登校すること。雨の日は重いランドセルを背負って傘をさすことになるので、傘の扱いに慣れておくことなども指導。「生活を整えることが交通安全につながります」と同課。


 ◆外国人の子供にも 

財団法人大阪国際交流センター(大阪市天王寺区)では1〜3月、日本在住の外国人の子供を対象に、小学校で必要な日本語やルールを学ぶプレスクールを実施する。日本語が不自由な子供が多く、あいさつをはじめ、「並びましょう」といった学校でよく使われるフレーズを動作を交えて教えている。

 掃除や配膳(はいぜん)の仕方、上靴と下靴の使い分けなども教えている。「文化や習慣の違う外国人にとって日本の学校生活は独特。国によっては、わが子が掃除や給食の配膳をすることに抵抗を覚える親もいるのです」と臼井さん。親たちへの説明も欠かせないという。
 臼井さんは「日本人も外国人の子供たちも慣れない小学校生活は戸惑うもの。入学時にマイナスのイメージを持って学校嫌いにさせないでほしい。楽しい学校生活が送れるよう、家庭でしっかりした生活習慣を身に付けて、スタートを切ってもらえれば」と話している


 ■小学校の入学までに準備しておきたいこと


 臼井さんや岡山市こども企画課の話などを参考に、小学校入学までに準備しておきたいことをまとめた。


◎名前を呼ばれたら、「はい」と元気よく返事をする

◎意思をしっかり伝える
◎人の話は最後まで聞く
◎自分の名前(ひらがな)が読めるようにする
◎使った物は自分で片付ける
◎自分で着替え、脱いだ服をたたむ
◎偏食や好き嫌いをなくす
◎就寝、起床時間を決めて実行する
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2012年02月23日

今の学齢進級か学力進級か・・・

長年の現場の悩みを 大阪市長の橋下氏が「小・中学校でも落第を」と問題提起してくれました。

この問題を考える時、大切な視点は 学力不十分で義務教育を終えてしまうと 再チャレンジの機会を失うことです。

人間って不思議で「学びたい」「知りたい」という気持ちと 学齢の学年が一致しない時が多いのです。
テストで低空飛行で進級しても 友達関係や恋、ある問題が解けたことで 飛躍的に学力向上をすることも多いのです。

現場では「楽しい授業」「出来るわかる授業」などの工夫で 全員に「学齢の学力」をつけようと努力するのですが、成育歴や学習習慣などで困難な子がいるのは事実です。

中学校に進んでから 小学校に来校して「先生 算数をもう一度教えて」などといえる子は わかった・できると瞳を輝かす瞬間があるのです。
ある子は、中学から調理専門学校にいき 初めての賃金で 「先生がお世話になっています」と大量の饅頭の差し入れが 在任校にされた時など 教員としての喜びを感じた瞬間でした。

教員として 気にかかる、苦労した子が 成長をしている姿ほど 仕事を超えた生きがい、やりがいを持てるのです。

反面、基礎学力不足から 万引きなどの犯罪や荒れる高校生、数学が苦手な理工科生などの問題も生じるのです。

じゃーどうするで 「学齢か学力か」で現場は悩むのです。大器晩成などとおおらかに子供の成長を見つめられた時代では、学齢で不十分な子供でも きっかけさえあれば 好きになれれば 学力は取り返すことができるということがありました。

問題は、学力でなく学齢で卒業証書を得たために 再チャレンジを決意して「夜間中学」に入学したい、小学校に科目で籍を置きたいとおもっても 学齢以外の門戸は閉ざされてしまうのです。

この点の学齢主義での「学校」の閉鎖性を 打破して行く必要は感じます

では「学力で落第」は 子供の成長のサイクルで どの時点で 劣等感を最小にして実施できるかの研究が大切です。

卒業認定時に置くのか、低中高学年のサイクルでするのか 毎年か・・・・・、で せっかく「子供たちに学力を身につけさせたい」という善意が へたすると「学力不足=人間失格」の自己の劣等感、他人の差別感につながりかねない恐れもあるのです。

ブラックジョークではありませんが、筆記式テストで学力が図れるのかという問題です。
よく考える子ほど 文章題が苦手ということもあるのです。
以前書いた 「時計の 何分前、何分後」とか 速度計算なども信号は渋滞は・・・などと思う子もいるのです。
「道のり、距離」などもそうです。

皆さんの学校時代にも 「あの子は 運動会で輝く」「文化祭で輝く」「読書量はすごい」「ベーゴマ博士」「恐竜博士」「ポケモン博士」「ガンダム博士」など 個々に輝く子がいたはずです。

劣等感をいだかせず その子の個性を伸ばした上 学力もつける、これをどのように保障していくかを 真剣に考えていきたいものです。
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2012年03月04日

大学生の4人に1人「平均」分からない

大学生の4人に1人 「平均」分からない
2012年2月25日   東京新聞

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入学して間もない大学一年生を中心に数学的素養がどの程度身に付いているか調べた結果、四人に一人が「平均」の意味を正しく理解していないことが二十四日、日本数学会の「大学生数学基本調査」で分かった。


 調査対象は、学校週五日制が導入され、学習指導要領で学ぶ内容が減らされた「ゆとり世代」の学生。同会は「科学技術立国を目指す国として由々しきことだ」と懸念している。


 昨年四〜七月、国公私立四十八大学の一年生を中心とした五千九百三十四人を対象に、統計や論理など五分野の基礎的数学力を調査。偏差値ごとに国立三、私立四の計七グループに分けて正答率を比較したほか、偏差値は関係なく学部別でも分析した。


 その結果、身長を題材に平均の定義とそこから導かれる結論を求めた設問の全体の正答率は76・0%だった。

東京大など最難関国立大グループの正答率は94・8%と高かったが、偏差値五〇以下の私立大グループは51・2%。理工系学生でも82・0%にとどまった。

 文章を読ませて確実に言えることは何か、と論理力を問う問題の全体の正答率は64・5%。最難関国立グループは86・5%だったが、偏差値五〇とそれ以下の私大二グループは50%を切った。
 同学会理事長の宮岡洋一東京大教授は「論理力を身に付ける必要がある。数学の入試問題も一部でも記述式にすべき」としている。
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キラキラネームの増加で「名前の3分の1も読めない」と教師

キラキラネームの増加で「名前の3分の1も読めない」と教師
※女性セブン2012年3月15日号

「し水」「中の」「わた辺」…いったい何と書いてあるのかと思いきや、これらは小学生たちが書いた自分の名前だ。

「習っていない漢字は平仮名で」──そんな学習指導要領に“縛られた”結果である。


 平仮名と漢字を交えて名前を表記することを「交ぜ書き」というが、このような表記の仕方がうまれた背景には、当て字など、読み方がわからない名前が増えていることもあるようだ。


 明治安田生命の「名前ランキング」によると、2011年生まれの子供で、いちばん多かった名前は「陽菜(ひな)」と「結愛(ゆあ)」。5位には「心愛(ここあ)」と芦田愛菜(7才)と同じ「愛菜(まな)」がはいった。いずれも当て字を使った名前だ。


 また、「希星(きらら)」「来桜(らら)」「絆星(きら)」「月(あかり)」など、いわゆる“キラキラネーム”といわれる難読の名前も増えており、「天響(てぃな)」など、ルビをふってもらわなければ、とうてい読めないような名前も多い。


 それだけに、「みんなが読めないから」という理由で、漢字を使わせない現場の事情もわからないではない。ある小学校教諭は、こう本音を漏らす。


「英語読みをさせたり、大人も読めないような難解な漢字を使ったり。子供は誰も読めませんよ。正直いって、私でも新入生の名前の3分の1は読めません」

 いまの流れが続けば、いずれは「当て字」の名前のほうが多くなる可能性もありそうだ。

埼玉県在住の主婦がいう。

「小1の娘にこういわれました。『名前を書くときは平仮名じゃないといけないんだよ。だって、落とし物を拾っても誰のだかわからなくて、届けられないから。いちいち先生に聞きに行かなきゃいけないじゃん』って。確かに…と納得してしまいました」


 だが、交ぜ書きすることで、かえって名前が読みにくくなってしまうケースもあるようだ。

「同じクラスに『咲心』と書いてクミちゃんと呼ぶ子がいるんですが、2年生でまだ『咲』の字を習っていないから、展示物には『く心』と書いてある。“えっ? クシン(苦心)ちゃん?”と読み間違える親御さんも多いんです。『桜空』と書くサラちゃんは、展示物には『さ空』ちゃん。かえってわかりにくいと思うんですが…」(34才・主婦・神奈川県)


 ある小学校の教師は、こういい切った。

「フリガナをふればいいだけの話で、漢字を書かせない理由にはならないはずです」
 交ぜ書き問題に警鐘を鳴らす立命館小学校副校長の陰山英男さんは「書いてもいい」からさらに一歩進んで、「書かせるべき」という立場を取る。


「たしかに、いまは当て字が多いので、初めて目にするとどう読むのかわからない名前もあります。でも、読めないならその場で教えればいいし、子供同士で教え合ってもいい。当て字であろうが、漢字でつけられたものであれば、漢字で書かれたのが本当の名前。相手を尊重するという意味でも、その漢字を読めるようにすべきです」(陰山さん)


 そのうえで、こう続ける。

「1年生のうちは漢字で書くことが難しいこともあります。しかし、2年生になったら漢字で書かせるべきです。あまり知られていないかもしれませんが、低学年の『生活科』の授業では、自分の名前の由来を学習する時間があります。親がどんな思いで子供の名前をつけたのか。それを知ることで、自分の名前を大切にしようというのが狙いです。
教師が名前を漢字で書かせないのは、こうした名前の指導をしていないということにほかなりません」

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2012年03月15日

スポーツ障害防ぐ教育を=當瀬規嗣

真健康論:スポーツ障害防ぐ教育を=當瀬規嗣
毎日新聞 2012年3月4日 東京朝刊
               とうせ・のりつぐ=札幌医科大教授

「文部科学省が学校健康診断の検査項目にスポーツ障害検査を導入する方針」と、2月の毎日新聞で報じられました。

スポーツ障害とは、スポーツの練習などを過度に行うことで生じる、身体の障害のことです。特に、成長期で体ができあがっていない子供では、大人では問題ない程度の強さの練習でも、それを続けることにより骨や関節に障害が起こり、「使いすぎ症候群」とも呼ばれます。


 スポーツ障害検査の目的は、子供のスポーツ障害を早期に見いだし、回復をはかることです。つまり、学校健診に入れなければならないほど、子供の間でスポーツ障害が増えているのです。

健康に資するはずのスポーツが、子供の健康を害しているというのは皮肉な結果です。

 子供にスポーツ障害が起こる原因が、学校の部活動や地域のスポーツクラブなどでの指導方法にあることは、もう20年近く前から指摘されています。
特に、成長期における身体的特徴に対する理解不足が問題とされてきました。
また、子供が痛みなどの症状を我慢してしまう傾向が、障害の悪化を助長することも
分かっていました。


 それにもかかわらず、スポーツ障害が増加しているというのですから、これまでの指導者講習会などの対策が功を奏していないのです。

検査による早期発見、早期治療は大前提ですが、スポーツ障害や健康に対する指導者や子供の認識を高めることが必要です。


 私が提案する方策は、中学、高校の保健体育の授業を改めることです。
現行の学習指導要領では、保健体育は体育つまり運動に偏っていて、保健つまり健康教育の観点が弱いからです。
健康教育とは単に病気・障害のことを教えるだけではなく、人の体を自分のこととして理解し、健康の重要性を認識させることです。


 スポーツ指導者になる人は、高校を卒業して4〜5年でその任に就き始めるケースが多いようです。知識不足を補うためにも、学校の健康教育は体育教師だけでなく、生物学の教師や養護教員が積極的に参加して展開すべきです。
こうすれば、子供の意識が高まるだけでなく、指導者の認識不足は改善に向かうはずです。学校には真の健康教育が必要です。

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2012年03月31日

避難口を確保して安全ゾーンへ」「車道に近づかない」「凍りつき症候群への訓練」……これが生死を分ける

避難口を確保して安全ゾーンへ」「車道に近づかない」「凍りつき症候群への訓練」……これが生死を分ける
「揺れたら机の下」「ガスの元栓」ほか
わかってきた初期行動の「これは間違い、これが正解」

(SAPIO 2012年3月14日号掲載) 2012年3月29日(木)配信

文=山村武彦 (防災アドバイザー)


「揺れを感じたら、まず丈夫な机やテーブルなどの下に身を隠す」(福岡県)、「すばやく火の始末をする」(北海道)、「ガスの元栓を締める」(東京都)。行政のホームページには地震発生時の心得が、こう書かれている。
これらを初期行動の“常識”と捉えている読者も多いだろう。しかし、「このマニュアルを鵜呑みにすると危険だ」と警告するのは、防災アドバイザーの山村武彦氏である。


 地震発生時はとっさの初期行動が生死を分ける。

私は新潟地震(1964年)以来、数々の被災地現場を調査してきた経験から、「机やテーブルの下に潜れ」という行動は間違いであると言い続けてきた。

建物や施設が安全で絶対に倒れない保証があるとか、それしか他に方法がないのなら、それもいいだろう。しかし阪神・淡路大震災(マグニチュード=M7・3)では、亡くなった人の87・8%が家屋倒壊による圧死だった。机もろとも家の下敷きになってしまったのである。


 さらに東日本大震災では、耐震性があったとされる学校のうち1600校で、校舎の天井や照明器具が落下している。建物本体に耐震性があったとしても、設備に耐震性が保証されているとは限らない。

ドアは震度6強で約30%が何らかの損傷を受ける。建物がゆがんでドアや窓が開かなくなったり、倒壊落下物に阻まれて室内に閉じ込められる危険が大きいのだ。

そこに火災やガス漏れが発生すれば、どうなるかは自明だろう。


 私は地震の災害現場を40年以上回ってきたが、津波を除くほとんどの人は室内で死傷している。

こうした事実を踏まえると「揺れを感じたら机の下に潜り込む」のではなく、「ドアを開けるなどして避難口を確保し、直ちに安全ゾーンに移動する」というのが正解だ。

ここで言う安全ゾーンとは、建物の損傷が少ない場所で、ガラスなどが飛散せず、転倒落下物の少ない、何かあればすぐ脱出が可能なスペースのことである。


「すぐに火を消せ」も地震直後の最優先行動とされていた時期がある。
23年の関東大震災(M7・9)では、死者10万5000人のうち約8割が焼死だったから「地震で恐ろしいのは揺れよりも火災→すぐに火を消せ」となるのは当然の成り行きと言えた。

 その“常識”がくつがえされるきっかけとなったのは、93年の釧路沖地震である。
1月15日午後8時6分、M7・5の巨大地震が襲った。各家庭ではストーブを焚いていたが、地震直後に火が消されて大事には至らなかった。

ただ負傷者に火傷が多かったのは、ストーブの上に置かれたヤカンなどの容器から熱湯が飛び散り、「火を消せ」の標語通りに行動した人の多くが熱湯を浴びたからである。


 以来、「火を消せ」から「まず身の安全、そして火を消せ」と指導するように変わった。もちろん火が目の前にあり、消せる状況であれば消した方がいい。

しかし離れている場所から無理をして火を消しに行こうとすると、身の安全を確保する時間がなくなってしまう。火を消しに行くのは、揺れが収まってからでいい。


「ガスの元栓を締める」についても同様だ。危険を冒してまで元栓を締めにいく必要はない。
ガス設備には通常、揺れを感知して、ガスを遮断する自動遮断装置が付いていて安全である。


 次に屋外への避難だが、危険を感じた時は、やみくもに脱出すればいいというわけではない。
08年の岩手・宮城内陸地震(M7・2)の時のことだ。
震源域から数十キロ離れた岩手県一関市では、家屋の倒壊がほとんどなかったのに、1人の死者が出た。

不審を抱いた私は現地に足を運んだ。
そこはクリーニングと米を扱う商店のすぐ前の道路だった。店にいた60代の男性が、突然の揺れにあわてて前の車道に飛び出し、ちょうど走ってきた2tトラックにひかれ、死亡してしまったのである。


 行政の防災マニュアルには、「狭い路地や塀、崖など危険な場所に近づくな」などと書かれてはいるが、車道の危険性についてはほとんど触れられていない。

阪神・淡路大震災の時、大阪にいた私はそのまま神戸に向かったが、途中の国道には破損した自動車があちこちに放置されていた。
ドライバーに話を聞くと、

「最初はめまいかと思っているうちに、ぐらぐら揺れだした。ブレーキもハンドルも利かなくなった」

 と、青ざめた表情で話していた。

この証言から分かるように、地震発生時、車はハンドル操作が利かず暴走する危険がある。避難時はできるだけ車道に近づかない方が安全なのだ。


 車で走行中の対応も補足しておくと、マニュアルには「揺れを感じた時は、道路の左側に寄せて停車する」などと書かれている。それしか方法がない場合はしかたがないが、主要幹線を走行中であれば、できるだけ横道に逸れるのが鉄則だ

そして広場か駐車場を見つけて停車する。近くに管理者がいた場合は、その人の了承をとる。
主要幹線に放置される車が増えれば、その分、道路の幅員が狭くなり緊急車両の走行に支障が出てくるのだ。

<足がすくんで前に出ない>

 地震は最初に初期微動(P波)が来て、その後に主要動(S波)が来る。

初期微動では、ほとんどの人は「どうせいつものように小さな揺れで収まるに違いない」とタカをくくり、地震の大小を見極めようとする。

大きな主要動が来たら逃げようと考えるが、大揺れになった時はもう逃げられない。

未曾有の事態に遭遇したため、脳から指示がいかなくなり、体が硬直してしまうのだ。この状態を「凍りつき症候群」と呼ぶ。


 東日本大震災の映像を見ると、津波が間近に迫っているのに、ゆっくりした足どりで避難している人が目立った。
後で助かった何人かに「どうして走らなかったのですか」と聞いたら、「足がすくんで前に出なかった」と異口同音の答えが返ってきた。これも凍りつき症候群の兆候である。


 凍りつき症候群を克服するには訓練しかない。小さな揺れでも、訓練と思って目の前に火があるなら火を消し、ドアを開けて安全な場所に移動するように心がけることだ。

 私には阪神・淡路大震災の時の、ある光景が今も目に焼きついて離れない。

周囲の建物が軒並み倒壊している中で、男性がたった一人で崩れ落ちた屋根に登り、生き埋めになった人を助けようと悪戦苦闘していた。


「周りの人はどうしたのですか?」と聞くと「たぶん避難所に行ったのではないかな」という返事。

その時、私は今までの防災訓練が間違っていたと痛感した。

これまでの防災訓練は住民がグループで小中学校などに粛々と避難するというパターンの繰り返しだった。これを繰り返すうちに「地震=避難所」という構図が刷り込まれてしまったのではないか。


 しかし、
皆が避難してしまったら、誰が火を消したり、生き埋めになった人を助けるのか。
身の安全が確保できたら、避難所でじっとしているのではなく、可能な限り救助活動に当たるべきだ。それは地震列島日本に住む者としての作法である。

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2012年04月07日

生き延びる教育 自ら考え動く力養おう

生き延びる教育 自ら考え動く力養おう

2012年4月6日   東京新聞社説

 新しい学校生活がスタートしている。身の回りの顔触れも入れ替わる。

でも、東日本大震災が残 した重い教訓は忘れまい。きっと来る「いざ」に備え、子どもの生き抜く力を最優先で育みたい。


 最近相次いで公表された首都直下地震や、東海、東南海、南海の巨大地震の予測データにはぞっとさせられる。揺れの強さや津波の高さが大幅に上方修正され、これまでの想定がことごとく塗り替えられたからだ。


学校や家庭、地域の防災意識を今以上に高め、子どもを守る手だてを見直す契機にしたい。


 大震災では六百七十人を超える子どもたちが犠牲になった。

文部科学省の中央教育審議会が三月に答申した「学校安全推進計画」はその反省に立ち、子どもの死者を出さないことを目標に掲げた。


 肝心なのは、ピンチを切り抜けて生き延びる知恵や工夫だ。どうすれば危ない目に遭わないか自ら考え、素早く動く。子どもがそんな主体性を身につける安全教育が必要だと答申は提言した。教科としての創設を検討すべきだ。


 手本とされるのが岩手県釜石市の取り組みだ。小中学生三千人のほぼ全員が津波から逃れ、無事だった。

指定の避難場所では危険とみてさらに高台に上った。小学生の手を引いたり、ベビーカーを押したりして走った中学生もいた。


 釜石市の防災教育に携わる群馬大大学院の片田敏孝教授は、普段の想定にとらわれず「率先避難者たれ」と教えた。子どもが逃げると知っていれば周りの大人も避難を優先し、大勢が助かる。“奇跡”を生んだ考え方に学びたい。


 大震災の津波は、明治と昭和の三陸大津波を教訓に造られた防潮堤さえ突破した。
災害予測や避難方法の固定観念にかえって足をすくわれかねないことを物語る。

 日頃の知識や体験のどこかに“想定外”は潜んでいる。その実践的な洗い出しが欠かせない。


 東京都調布市は、毎年四月の第四土曜日を「防災教育の日」と定めた。

初めてとなる二十八日には全公立小中学校で保護者や住民が参加して防災訓練をする。


 学校ごとのシナリオに従って一斉避難や保護者への子どもの引き渡し、避難所開設を試みる。人命を守るのに最善の動きや約束事を確かめる。


 専門家の協力を得て、地域ぐるみでシナリオを検証し、安全教育を練り上げることは望ましい。
子どもを通して家庭や地域へと臨機応変の防災力を押し広げたい。

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2012年06月02日

しあわせのトンボ:教えるとはどういうことか=近藤勝重

しあわせのトンボ:教えるとはどういうことか=近藤勝重
毎日新聞 2012年06月01日 13時54分 

  ノーベル賞受賞の学者や研究者が話題にのぼっている時、その学者らがなぜ勉強が好きになったのか、という記事を目にすることがある。

 記憶にある一人は小柴昌俊氏だ。
確か氏は中学1年の時に先生が大好きで数学が好きになった、と話しておられた。

先生が好きになった理由に氏が触れていたかどうかは覚えていないが、間違っていても努力を認められたとか、独創性を褒められたとか、恐らくそんなところでは、と推察する。

それでは逆に先生に怒られるとどうなるか。すぐに浮かぶのは司馬遼太郎氏のこんな話だ。


 中学1年1学期の英語のリーダーに、New Yorkという地名が出てきたので、この地名にはどんな意味がありますか、と先生に質問すると、「地名に意味があるか!」と怒鳴られた。

氏は家へ帰る途中、図書館に寄って地名の由来を調べたそうで、「私の学校ぎらいと図書館好きはこのときからはじまった」とエッセーにある。


 良くも悪くも子どもたちにとって先生の存在がいかに大きいかを物語る話であろう。

  さて、大阪市で教育行政への政治関与を強める教育行政基本条例が成立するなど、教育のあり方がまたまた議論を呼んでいるが、こういう時によく思い出すのが全米でベストセラーになった「こころのチキンスープ」に登場する数学教師の話だ。

その教師は「数学を教えているのではなく、子どもを教えているのだ」と考え直し、すべてのことに完全な答えを求める教え方を改めた。

そしてある日、エディという生徒の成績がずっと良くなっているのに気付く。どうして?と尋ねると、彼は答えて言った。

「先生に習うようになってから、自分が好きになったんです」


 教えるとはどういうことか。示唆に富む話である。ともすれば教育は学力テストの結果や制度のありようなどをもとに語られがちだが、それ以前に先生が子どもとどう向き合うかが問われているわけだ。


 その点では親も同じながら、100点を取って喜び勇んで帰って来た子どもに、こう言ってヤル気をなくさせる母親もいたりする。
「100点は何人いたの?」「みんな良い点だったんでしょ」


 子どもは「頑張ったんだねえ」と認められると、自分が好きになり、本当に頑張って大きく伸びるというのに。
(専門編集委員)

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2012年06月21日

学校と私:「できること」より「わかること」

学校と私:「できること」より「わかること」
            =共産党委員長・志位和夫さん
毎日新聞 2012年06月18日 東京朝刊

  物理学と音楽に熱中した高校時代でした。
通った千葉県立千葉高は自由な校風で、とても気に入っていました。


 物理は稲葉正先生の影響です。
学校の近くにある川崎製鉄(現JFEスチール)の工場からの粉じんを問題視した川鉄公害訴訟(92年に和解)の原告団長として有名ですが、授業は、ノーベル物理学賞を取ったファインマンの理論に沿って、根本の原理から教える。

原理が分かれば公式を暗記しなくてもいい。それが「学者になろう」と思うほど面白かった。


 それ以上に熱中したのが音楽です。

クラシックの和音というのは原則があり、実はとても数学に近い。

休部になっている部活を復活させ、ピアノを弾き、作曲をし、最後はOBまで動員したオーケストラコンサートをやるほど入れ込み、一時は本気で作曲家になろうと思ったんです。
しかし、こればかりは才能がないと分かってくる。
泣く泣く断念したわけです。


 一方の物理学の方は、東京大工学部で勉強を続けましたが、これも才能が必要と分かってくる。

一つの方程式を見て、10個くらい飛ばして次の答えが頭に浮かぶやつがいる。ああこういうのできない、って感じなんです。


 小学校教員だった父も影響を受けた「先生」です。

幼稚園か小学生のころ、父から「1も割れるんだよ。知ってる?」と聞かされました。

新しい教育法を試したのかもしれませんが、よく覚えています。

父は「わかることとできることは違うんだ」とよく話していました。

「わかる」というのは暗記して点数を取るのではなく、本当に深く理解することです。


 東大時代、田中角栄内閣の小選挙区制実現に向けた動きに反対するストライキなどに参加するなかで共産党に入党しましたが、一生の仕事にすべきか物理学にこだわるべきか、卒業時には正直、悩みました。

消去法でいまの仕事を選んだわけではないのですが。


 振り返ると、自分の世界の見方や考え方には、あのころ物理と音楽に打ち込んだ経験が役立っている。

真理を分かる喜び、楽しさ。

「できること」より「わかること」。
2人から、学ぶこと自体の大切さを学んだと思
っています。

【聞き手・田中裕之】

==============

 ■人物略歴
◇しい・かずお

 1954年、千葉県四街道市生まれ。
東大在学中の73年に共産党入党、90年に書記局長に抜てきされ、93年衆院選で初当選。
現在6期目(比例南関東ブロック)。00年から委員長。

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2012年07月03日

「学ぶ」は「真似ぶ」 人間はなぜ学ぶのか

「学ぶ」は「真似ぶ」
            人間はなぜ学ぶのか
著者 
比嘉 昇(ひが・のぼる)
     夢街道・国際交流子ども館 理事長
公立の小中学校の校長を歴任し、2002年に不登校の子どもたちのフリースクール夢街道・国際交流子ども館(京都府木津川市)を設立。

(WEDGE
2012年07月03日掲載) 
2012年7月3日(火)配信

「先生、俺たちは何で9教科も勉強せなあかんのや!」

 かつて、奈良の東大寺近くの中学校に勤務していた時、ある生徒が授業中、私にこんなことを問うてきたことがありました。

 私は逆に、こう聞き返しました。

 「ほな、君らに聞くけど、朝8時半になって奈良公園の鹿は何で学校に行かへんのや」

 こんな禅問答のやりとりをしながら、私は最後に「君たちは“人間らしい人間”になるために学校に通っているんだよ。250万年と言われる人類の誕生以来、人間が生き抜いてきた歴史の中で、生きていくために必要なことを、9教科に分けて学んでいるんだよ」と言うと、生徒たちは、「フゥーン」という表情で矛を納めてくれました。

■生きるために「学ぶ」

 「学ぶ」の語源は「真似ぶ」だと言われています。

 火を恐れていた人類は、木と木の摩擦が火を起こすことを学び、それを利用することを覚えてきたのです。そして、動物の肉を焼いて食べることを発見し、脳を発達・進化させてきました。

 人類はこのように、先人たちの生活を知り、知恵を受け継ぎながら、人類が生き延びるための術を、「学ぶ」ことを通じて会得してきたのだと言っても過言ではありません。

■子ども館設立の想い

 私は10年前、京都府木津川市で、小・中・高校の不登校の子供たちの居場所・学びの場として、「夢街道・国際交流子ども館」という、フリースクールを開設しました。

 定年前に3年間、校長として勤めていた中学校は、偏差値が奈良県下で常にトップグループの学校でした。

しかし、学校の体制に不満を持つ子どもや家庭に居場所のない子どもたちの一部は校内暴力でストレスを表示していました。
その一方で不登校の子どもたちを一人も学校に復帰させることができませんでした。その無念の思いから、退職金をすべてつぎ込み、子ども館を開きました。

 私は日々、ここで子どもたちの成長を見守っていますが、4年前にやってきたAが先日、こんなことを言ってきたのです。

 「大学で心理学を学びたい」

Aは小学校4年生から不登校になり、自宅にこもって、学びから遁走を続けていました。
Aが再び学校へ行くようになったのは、高校(単位制)に入学した春からです。  


 そんなAが子ども館にやってきたのは、中学2年生の時でした。

ゲーム三昧に明け暮れていたためか、バーチャルな世界と現実のリアルな世界の区別がつかない境界線を彷徨い、当時のAの言動は、現実離れしていたことが今でも忘れることができません。

 あれから4年。「来春は大学を受験して、心理学を勉強したい」という、目標を持つところまで辿り着いたのです。

「勉強しなさい」から逃げるために
あえて塾へ通っていた

 「勉強しなさい」
 Aが不登校になった理由はさまざまです。しかし、この言葉が決定的だったということがわかったのは、Aが子ども館にやってきてしばらくしてからのことでした。


 Aはある日私に、家族からの「勉強しなさい」のコールから逃れるために、「あえて塾へ通っていた」ことを告白したのです。

 一合の升に一升の水を注げば溢れることは誰にでもわかることです。
しかし、それを知らない大人に育てられ、Aは沈没してしまったのでしょう。


 「早く芽を出せ柿の種」とばかりに、Aは叱咤激励されて学校での授業の他にも塾での猛勉強にも耐えてひた走っていました。
しかし、とうとうオーバーヒートして、子ども館へ駈け込んで来たのです。

人間不信、大人不信のるつぼ


「誉めてあげれば子どもは明るい子に育つ」
「愛してあげれば子どもは人を愛することを学ぶ」
「認めてあげれば子どもは自分が好きになる」
「見つめてあげれば子どもは頑張り屋になる」


 『子どもが育つ魔法の言葉』(PHP社)の著書があるドロシー・ロー・ノルカ氏はこう述べています。


 Aはノルカ氏の言う教育と真逆の育てられ方なかで、「臥薪嘗胆」とも言える辛苦の人生を歩いてきたのでしょう。

子ども館に辿り着いたAは当初、私をはじめ、子ども館のスタッフら、我々大人たちに向ける不信の心持ちを引き連れ、話しかけても判然とせず、心を開いてくれることは極めて表面的でした。

この背景には中学生というプライドもあったのでしょう。
他者の助言を素直に聞き容れることは至難でした。
その一例として、根拠は不明ですが「自分は27歳まで生きられたらいい」という捨てゼリフを言うこともありました。


 しかし、家族から「勉強せよ」と急かされていた日々から脱し、Aはひたすらマイペースで呼吸し始めました。子ども館の、不登校に悩む同年代、あるいは小学生や中学生の仲間たちは、Aを決して仲間外れにしようとしません。むしろ、同じ悩みを抱えている者同士にこそわかりあえる、暗黙の「共通言語」や「雰囲気」が存在していたのでしょう。

一つずつ、少しずつ積み重ねていく大切さ


 5年間ほどひきこもっていたA。
世の中と関わらず、人間不信、大人不信のるつぼで呼吸していたAは、「一つずつ、少しずつ積み重ねていく」ということが苦手でした。

 こうした事情を勘案し、Aには個別指導のスタイルで、積み重ねが必須である英語と数学の授業を始めました。
高校生になった今でも、Aが「わかった」と納得するまでこのスタイルが続いています。

 また、大学進学を希望するまで意欲を取り戻したAが学習習慣を身につけていく土台となったのが、生活習慣の確立です。

朝きちんと起きる。
3食しっかり食べる。
身体を動かす

――つまり、人間が人間らしく生きていくための基礎的な営みを大切にしていくことです

 こうした中で、仲間や子ども館のスタッフからの励ましや助言、そして、「AはAらしく」と、少しずつ自分が認められることで自己肯定感を膨らませた日々を過ごし、その結果、仲間も、大人も、信じることができるようになったのです。


 このプロセスは、子ども館の仲間やスタッフたちから、Aが人間らしい人間になることを「真似び」、不登校になる前の、本来の自分に戻るための期間だったといっても過言ではありません。
その結果、Aはふたたび生きる意欲を取り戻し、人間らしい人間になるために、学ぶ意欲がふつふつとわいてきたのでしょう。それが「高校にも行く」という発言に表れているだけでなく、「大学で心理学を学びたい」という発言にも結び付いたのだと思います。 

 Aの変貌ぶりは、青年の、否、人間の本性を大人が信じて待ち、じっくりと受け止めてあげれば、自ら生きていく意欲に点火するものであることを示してくれていると言えるでしょう
 
子どもは大人のペースで生きられるとは限らない


 翻って現代社会の子どもたちは、どのような環境下で学んでいるのでしょうか。

「速く・確かに・一直線に」とばかりに、子どもたちに脇目も振らずに進むことを求め、しかも、それが「子どもたちの幸せにつながる」と信じ切っていないでしょうか。


 しかし、Aが示すように、子どもは決して、大人のペースで生きられるものでありません。
花の成長を無視し、あまりにも多く水を注ぎ過ぎると根腐れしてしまうように、子どもの教育も同様であることを、決して忘れてはならないし、してはいけない行為でしょう。

 それは、哺乳類の中で、人間が1番の未熟児で生まれてくるということからも言えることではないでしょうか。
母体で十カ月ほど過ごし、誕生してから20年という、長い長い歳月を経なければ、1人前の大人になれない動物は人間だけです。

「学び」の原点を振り返り、学び続ける

 繰り返しになりますが、だからこそ、私たち人間は、「学ぶ」必要があるのです。

また、子どもを大人へと導く、「教育者」ともいうべき、我々大人たちも、「学び」の原点を振り返り、学び続けなければならないのだと思います。


 私たち大人は、子どもたちにいま、何を教え、何を教えようとしているのでしょうか。学校の勉強の背景にある「根っこ」を改めて問い直す必要がありそうです。


 かつてフランスの哲学者・サルトルのパートナーであったボーボワールは、「女は女に生まれない、女になるのだ」と言いました。
「女」という言葉を「人間」に置き換えると、こうなります。


 「人間は人間に生まれない、人間になるのだ」

 この言葉の意味を、我々は今一度自分の行き方を再吟味し噛みしめてみる必要があるといえるではないでしょうか。
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2012年07月10日

“いじめ”自殺 隠すことが教育なのか

いじめ自殺
     隠すことが教育なのか
2012年7月10日 東京新聞社説


 大津市の中学二年生の自殺で、教育委員会や学校はいじめの兆候やSOSを見逃していた。
調査もわずか三週間で打ち切った。
情報をきちんと調べず、隠蔽(いんぺい)していたのなら最悪の教育ではないか。
 

市教委は、昨年十月に生徒が飛び降り自殺した直後に実施したアンケートの結果を自主的に公表しなかった。

「自殺の練習を強要されていた」という深刻な内容もあった。

市教委は、伝聞情報であり「事実と確認できない」と言い訳するが、事実かどうかを調べる努力を怠ったと言われても仕方ない。


 昨年十一月には、自殺した生徒へのいじめがあったことを発表した。
だが、三週間で調査を打ち切り、「自殺といじめの因果関係は判断できない」との見方を示した。
あまりに拙速で、無責任ではないか。


 教育現場の教師も、できる限りの努力をしたのか。
「ハチの死骸を食べさせられそうになっていた」との目撃証言がある。
アンケートには「教諭らが見て見ぬふりをしていた」との回答もあった。


 もっと真剣に生徒たちに向き合い、いじめの兆候に敏感に反応していれば、男子生徒の命を守ることができたかもしれない。


 文部科学省は六年前、いじめの問題で取り組みを徹底するよう求める通知を出した。
「どの子どもにも、どの学校でも起こり得る」と、強く注意を呼びかけた。


 残念だが、いじめは起きてしまう。
子どもの世界にはつきもののようなものである。

しかし、そこで悪いことは悪いと学び、悟らせるのが親や学校の責務である


 尊い命は戻らないが、市教委や学校は責任をもって調べ、真実に向き合う誠実さが必要だろう。
それも教育の重要な仕事だ。
ようやく原因究明に乗り出すというが、滋賀県や市の対応も遅すぎる。


 自殺した生徒の父親は、三度も被害届を出そうとしたが、警察は「犯罪事実の認定は困難」として受理しなかった。
父親は「子どもの代わりに届けを出してあげたかった」と言う。
なぜ、わが子が十三年の短い命に終止符を打ったのか分からぬままでは、少しも無念は晴れぬであろう。


 市教委や学校は、一体何を守ろうとしてきたのか見て見ぬふりをするような対応は、問題の解決に役立たないどころか、同じようないじめの温床にもなる。

組織を守ることを優先し、子どもの立場に立てなかった不明を深く反省すべきである。

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2012年07月14日

支局長からの手紙:いじめられている君へ

支局長からの手紙:いじめられている君へ
毎日新聞 2012年07月13日 福井地方版

 いじめられている君へ。
おじさんの名前は伊藤雄一といいます。46歳で、新聞記者をしています。
君に伝えたいことがあって、この手紙を書きます。


 学校に行くの、いやだよね。毎日毎日いじめられてさ、物を隠されたりたたかれたりするし、そのうち「家からお金持ってこい」って脅されるかもしれない。

でも、勉強しなきゃって思うから学校休むのもいやだよね。
だけど、いじめられていることって、絶対にお父さんやお母さんに言えないんだよな。「いじめられてる」って言うなんて 自分のプライドが傷つくし、それにいじめられてるなんて親が知ると悲しむと思うもんね。
「いじめられてる」って言っていじめられなくなるなら、ほんと、すぐにそうしたい。でも言えないんだ。

あいつら、先生の目が届かない学校の隅っこの方とか、先生が黒板に向いているときにちょっかいかけてくるよね。
ばれたらまずいってわかってるんだよ。怒られるし、内申点も悪くなるかもしれない。

悪いことやってるってわかってる。ひきょうだよな。
同じクラスや学校の生徒たちは君がいじめられているのを見てるかもしれないけど、どうしたらいいのかわからないのかもね。
もしかしたら、君の代わりにいじめられるかもって思ってるかもしれない。

先生はあいつらが君になにかしてるってわかってるかなあ。
いじめてるのかふざけ合っているのかわかんないかもしれないね。
君がけがしたり 泣いたりしてたら気づいてくれるかもしれないけど、それでもっといじめられるようになったらいやだから、えへへって笑ってみせたりしちゃうのかもね。
「あっ、ふざけ合ってるんじゃないんだ」って先生が気づいてくれたらいいんだけどな。

君が生まれるずっと前、「このままじゃ生きジゴグになっちゃうよ」と遺書を残して自殺した男子中学生がいました。
いま生きていれば40歳くらいのオジさんになってて、いい家族がいて働いてただろうね。
でも彼は、子どものうちに自分で死ぬことを選んだ。
おじさんはこの事件にびっくりしたし、日本中も大騒ぎになったんだけど、こないだも滋賀県でおんなじようなことが起きたね。

死んじゃった子たちは、それしか考えられなくなるまでに追い込まれてしまったんだね。
だからもし、君も「死んじゃいたい」と思ってるならちょっと聞いて。
いじめるあいつらと、いじめられてる自分と、見てるけどあんまり助けてくれない周りの人、そんな世界はちっぽけなもんだよ。それを知ってほしい
学校って、子どものうちはそこと家とが自分の世界のほとんどなんだけど、それはとっても狭い世界だ。
一生、あんなつまんないことやるやつらと同じ学校に通うわけじゃない。
いまよりももっと広い世界が待っているんだよ。

先生や大人に「いじめられてる」って言うと、チクったって言われるかな。
でも考えてごらん、君をいじめるやつらは君の友達じゃないよ。
長い人生の中で、たまたま同じ学校に通っているだけなんだよ。
卒業して会わなくなったらそう思えるようになるよ。

もし大人の会社でいじめがあれば、それをする方を加害者、された方を被害者って呼ぶ。
学校でだって同じさ。他人に害を加えるのは加害者であって、友達なんかじゃない。チクったっていいさ。死んじゃうよりずっといい。
いじめているやつらは 君からなにか行動を起こさないかぎり、いじめることをやめないと思う。

君の周りの大人には、いじめたり いじめられたり傍観したりと立場は違うけど、いじめの現場を知っている人って結構多いんじゃないかと思うんだ。
だから思い切って誰か大人に話してみたら、「そんなんなら学校行かなくていいよ」って言ってくれるかもしれないし、先生に話してくれるかもしれない。
どうしても誰にも相談できない、言えないから死にたいと思っているとしたら、逃げちゃいなさい。不登校とか家出とかね。

おじさんがこんなふうに書くと「そんなことそそのかさないで」って怒る人がいるかもね。
でもね、死ぬよりいい。
おじさんは親より先に死ぬのは最大の親不孝だと思ってる。
学校に来ない君を捜して大騒ぎになって、その結果、あいつらが君をいじめていることがわかって、君をいじめることがなくなれば万々歳だ。
もしかしたら、いじめるあいつらから離れるために君が転校することになるかもしれない。
加害者じゃなくて被害者が出て行くなんておかしな話だけど、いじめから逃れるには、そういう方法だってあるかもしれない。

 おじさんの手紙を読んで「そんなことができるならとっくにしてる」って思うかもね。
でも、おじさんの経験や聞いた話からすると、卒業してそいつらと離れたらいじめられなくなるのは本当だよ。
最後にもう一度言うよ。逃げてもいいんだよ。死んじゃだめだよ。

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ito‐yu@mainichi.co.jp
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2012年07月18日

香山リカのココロの万華鏡:学校一丸で生徒守れ

香山リカのココロの万華鏡:学校一丸で生徒守れ
毎日新聞 2012年07月17日 東京地方版

大津市の中学の男子生徒が自殺した問題で、ついに滋賀県警による強制捜査が入った。
学校や市教委への家宅捜索や教師への任意の聴取が行われ、今後、生徒への聴取も予定されている。

 この中で、男子生徒の父親は県警本部に、「突然、警察から聴取を受ける生徒のケアを心がけてほしい」と要望を行った。

もちろん父親は当初から「自殺の原因はいじめ」と確信し、それが調査や今回の捜査で明らかになることを望んでいるはずだが、聴取などで生徒たちがいたずらに心の痛手を受けることは本意ではないのだろう。

事実は明らかにしてほしいが生徒たちへの配慮は忘れないで、と申し出たこの父親の気持ちを、私たちは重く受け止めるべきだ。

そして配慮が必要なのは、聴取を受ける生徒に限ったことではない。
同じ学校の仲間が自殺しただけでも大きな衝撃を受けているはずの生徒は、今回、大勢の報道陣が学校に押しかけ、さらに制服をまとった警察官が職員室に踏み込んで書類などを持ち出す姿を見て、かなり動揺していると思われる。

「誰がどんないじめをしたのか」「先生は知っていたのか」といったウワサに振り回されたり、いつもとは違う教員や保護者の様子にさらに不安を感じたりしている生徒もいるのではないか。


 県の教育委員会はスクールカウンセラー2人を緊急派遣して「心のケア」にあたっているというが、事態が動いている中では落ち着いてケアをするどころではない。
もし私が派遣されたとしても、不安定になっている生徒に「少し休んだら」「ゆっくり寝てね」と言うのが精いっぱいだろう。

ここで大切なのは、学校が「いちばん大事なのは生徒」という態度を貫くことだ。
もちろん「いじめや自殺が起きたのに、何が“生徒が大事”だ」という声もあるとは思うが、それでも原理原則は「私たちの学校の子どもは私たちが守る」。

「自分たちにはお手上げです、捜査は警察に、ケアはスクールカウンセラーにお願いします」では、子どもたちは本当に学校から見捨てられたように感じ、二度と教師やおとなを信頼することができなくなる。


 もう教員に期待してもムダだ、と言う前に、もう一度、言いたい。
「先生たち、いま学校にいる子どもたちを守ることができるのは、あなたたちだけなのです」

〔都内版〕
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2012年07月21日

何てことない。通信簿はあまり本当の才能を記すにはに薄っぺらいのだから

筆洗
2012年7月20日 東京新聞

 「ひどい出来だ。彼は、まったくやる気を見せない」。
十二歳のミルン君は通信簿に、こう記された。
少年は、のちに名作童話「くまのプーさん」を書き、世界中の子どもたちを喜ばせることになる

▼死して三十二年、今なお人々の心を歌で揺さぶり続けるジョン・レノン。
学校の先生は、ジョン少年を見捨てていたようだ。
「失敗への道を着実に歩んでいる。望みはない」

▼英国の名宰相チャーチルは、九歳の時「他の子と、トラブルばかりを起こす」「大変に能力はある。
だが、彼には意欲というものがない」と評された。
学科もひどく、親がめまいを感じずに見るのは難しい通信簿だ

▼そのチャーチルを選挙で破って、首相となり「揺りかごから墓場まで」と称される福祉国家を築いたのが、アトリー。
十三歳の時の評価は「彼は物事を考えて、自らの意見を形作る」と上々だが、「うぬぼれが強くて、他人の意見をきちんと聞こうとしない」と、手厳しい言葉も記されている(C・ハーリー編『could do better』)

きょう、多くの学校で終業式がある。子どもたちは通信簿を手に家に帰ってくる。きっと、ドキドキしている。怒られるんじゃないか、と泣きたい気分の子もいるだろう

▼けれど、ミルン君やチャーチル少年を思えば、何てことない。
通信簿はあまり本当の才能を記すにはに薄っぺらいのだから。

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2012年07月25日

「いじめ根絶」の憂い

「いじめ根絶」の憂い
2012年7月25日 東京新聞 私説・論説

 大津市の男子中学生の自殺問題をきっかけに再びいじめの根絶が叫ばれている。

つらつら思うに、いじめのない学校なんてできっこない。
できたとしても恐らくどこか不健全だろう。  

大人の世界に目を転じれば、職場でのパワハラやセクハラは後を絶たない。

そんな大人が偉ぶって子どもの世界のいじめの追放を訴えたって、子どもは見すかしていて白けるだけだ。

 教育行政の親分の文部科学省がいじめ問題専門チームを作るそうだ。

もはや配下の教育委員会やその子分の学校は頼りなくて任せておけないらしい。

子分の手に負えないいじめがあると親分が出張る。さて責任はどっちが取るのかしら。

 ともあれ、いつの世もいじめと真っ正面から格闘するのは現場の先生だ。

けれども、その先生に知識や技術を伝える「教師」は多くいるが、黙って成長を見届ける「育師」がいない。
そう嘆いていたのは心理学者の故河合隼雄氏だった。

 いじめやけんかを止めに入って育ちの肥やしを奪うのが「教師」。
一線を越えるのは許さないが、育ちの肥やしの具合を確かめつつ見守るのが「育師」。
そんなふうに理解している。

 根絶不能のいじめを成長の糧に昇華させられる先生が求められる。
たっぷり時間をかけて子どもに寄り添う「育師」の力量。

親分は学力アップ一辺倒の多忙な「教師」ばかりを養成したがる。
それでいじめが大事件になる。 (大西隆)
posted by 小だぬき at 16:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

“いじめ”と同じくらい悲惨な教師現場

“いじめ”と同じくらい悲惨な教師現場…仕事山積でバカ親対応
2012.07.25  zakzak

 滋賀県大津市の中学2の男子生徒=当時(13)=がいじめを苦に自殺したとされる問題で、担任教師の対応に批判が集まっている。
亡くなった生徒の涙の相談を重く受け止めず、無視していたなどとも囁かれている。

ただ、こうした教師は例外的な存在で、多くの教育者は真摯に向き合おうとしているのも事実だ。
その教育現場では、いま過重労働という問題が深刻化し、「疲労が限界に達している」(現役教師)という。

教師の過酷な実態とは−。

 自殺した生徒に対し、男子生徒3人が凄惨ないじめを繰り返していた大津の問題。担任はその行為を知りながら見て見ぬふりをしていたとされている。
滋賀県警では今週初めに担任から事情を聴き、今度も説明を求めていく方針だ。

 一連の問題などから、文部科学省でもいじめの防止支援チームを発足させ、対策を進めるが、教師たちの顔色はすぐれない。

 「大津の問題はもちろんあってはならないこと。
担任の対応も許せません。ただ、現場でできることに限界があるのも事実です」

 九州地方にある公立中学校の英語教諭(35)はため息混じりにこう話す。

 「通常の授業に加え、生活指導や部活動の顧問活動、試験作りと仕事は山のようにある。
いまの時期は夏期講座などの受験対策に追われて手いっぱい。

いじめのやり方も陰湿になって見極めにくくなってきていますし…。
きめの細かいいじめ対策は、やりたくてもできないというのが正直な所です」と肩を落とす。

 大阪府の私立高校教諭(33)は「なかには、家庭でやるべきしつけまで学校側に丸投げし、要求ばかり突きつける親もいる。
モンスターペアレントと呼ばれるこうした保護者対策も、教師の大きな負担なんです」と本音を明かす。

 昨年4月から、小中学校で学習指導要領が改訂された。

これに伴って教科の授業時間・内容も増加し、教師たちにかかる負荷は強まるばかり。

 文科省によれば、うつ病などの病気で休職した小中高校の教職員は、2010年度に過去最多の8660人を数えた。

 「人材の循環がうまく機能していないのが組織の歪みを大きくしている。
1年ごとに異動を繰り返す『渡り鳥』と揶揄される問題教師。
一部の優秀な教師が、その穴埋めをさせられ疲弊しきっている」(教育関係者)

 いじめ問題の背景に透けて見える教育の制度疲労。解決策はあるのか。

 『夜回り先生』の愛称で知られる教育評論家の水谷修氏は「ここ10年以上、教師の管理体制が強まって教師全体にゆとりがなくなった。

業務量が増え、対処すべき問題はどんどん複雑化している。

追いつめられた教員が余裕をなくし、いじめを見逃してしまう悪循環も生まれてある。

いじめは、学校、家庭、地域が一体となって取り組まなければいけない課題だと認識しなければいけない」と指摘する。

 教え育むという職務を放棄し、職責からも逃げた疑いがある大津の担任。

根本的な教育改革が必要だ。
posted by 小だぬき at 19:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月27日

いじめは誰にでも起きる

本日、「置き手紙」の調子が悪く、ご挨拶ができていません。
直りしだい お邪魔したいと思います。
****************************
香山リカのココロの万華鏡
:
いじめは誰にでも起きる 
毎日新聞 2012年07月24日 地方版

いじめ問題の波紋がさらに広がっている


 このコラムで「なぜ『いじめられてる』とSOSを出せないか。もう一度、考えてみたい」と書いたら、「サインを出せない被害者が悪いと言いたいのか」と批判の声が上がった。


 もちろんそうではない。

私がいちばん言いたかったのは、「その渦中にあるときには自分の身に何が起きているのか、はっきりわからず、SOSの声も上げられない場合がある」ということだ。

診察室でも何度もそういう経験をした。


 あるとき「不登校ぎみなんです」と保護者に連れられて診察室に来た女子中学生といろいろと話しているうちに、その子は学校で陰湿ないじめ被害にあっていることがわかったことがあった。
私は「不登校じゃなくていじめじゃないの。学校に行かないのは正解だよ」と言ったのだが、女子生徒は「えっ、そうなんですか。違うと思います」と首を横に振るばかりだった。
「いじめられている、なんて思いたくない」ということなのだろう。

 中には、子どもが勇気を出していじめを認め、保護者や学校に申し出ても、今度はおとなたちが「まさか、いじめだなんて」と現実を見ようとしない場合もある。

今回の大津市の問題もこれに当たるのだろうか。
そういったおとなたちは「いじめ事件が起きるのは、日ごろから何か問題があるからだ」と思っていて、「ウチはしっかりやっている。そういったダメな家庭、学校とは違う」と思い込みたいために、「これはいじめなんかじゃない」と言ってしまうのだ。


 まず、誰もが認めなければならないのは、残念ながらいまの社会、いまの学校では、どんなところでもいじめの問題はすぐに起きる、ということだ。

そして、いじめが起きたからといって、「私が悪いんだ」「ウチはダメな学校になってしまった」などと考える必要はない。

被害を受けてしまったら、本人はいじめが起きる場、つまり学校から逃げる。
保護者は逃げてきた子どもを、家でしっかり受けとめる。学校はそのクラスの担任教員などひとりにすべての責任を押しつけることはしないで、みんなで問題を共有して対処する。
いじめから目をそらしたり、外に対して隠そうとしたりしてはいけない。

 いじめから子どもを守るためにも、いじめを特殊なものと見ないで。

どこにでも誰にでも起きるものだと考えて。もう一度、そう繰り返したい。

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2012年08月10日

社説:学力テスト 調査のための調査では

社説:学力テスト 調査のための調査では

毎日新聞 2012年08月10日 02時31分

 小学校6年、中学3年を対象に抽出実施した今年度の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果が出た。

今回は07年度以来続けている国語、算数・数学の2教科に初めて理科を加え、3教科で行われた。

 理科は、他の2教科同様に応用が苦手な傾向が表れた。

質問調査でも、理科が嫌い、授業がわからないという回答が中学でぐんと増えた。
文部科学省は「理科離れ」といわれる実情が、この調査で「確認」できたという。


 「確認」が成果であっては、いかにも心もとない。

子供たちの理科離れ、理科嫌いといった傾向は既にさまざまな国内外の調査などで明らかだ。肝心なのは、「離れ」させない、きめ細かな対策の方だ。


 確かに工夫された良問もあり、手間をかけたテストだ。

しかし今のところ、いわば学力問題の“症状”を整理したにとどまってはいないか。


 来年は全校調査(悉皆(しっかい)調査)が行われる。
10年度に抽出に移行した際、数年に1度は全校調査をやるとしていたものだが、必要があるだろうか。
全体の理解度や得手不得手の傾向を的確につかみ、それを参考に各現場で指導法の改善を図るには、抽出で十分だという指摘がある。


 全校調査は、自治体によっては地域間、学校間で正答率の順位競争をもたらしかねない。
現に過去の全校調査では一部でそれが表れた。

本来このテストは、事後の活用による授業改善が主眼のはずだ。だが、このテストの活用について、例えば中学ではこの4年、2〜3割が「ほとんどしていない」と答えている。


 教室外でも職務負担が大きい教員に、新学習指導要領で教える内容を増やし、さらに学力テストを基に指導改善を求めても容易ではない。


 学校現場が必要なのは改善のポイント、具体的な手法である。

国語、算数・数学で「知識問題はできても、応用が苦手」といった結果を毎年のように解説するより、「じゃ、どうする」にもっと集中的に力点を置いた施策を促進すべきだろう。

 1960年代に過熱し、とりやめになった当時の学力テストでも、毎年同傾向を見るだけなら、なぜ必要かとの批判があった。


 文科省は9月、全国都道府県教育委員会の学力テスト担当者らを集め、テストの授業活用法を説くという。その際、現場側の意見や要望もぜひ集約してほしい。


 これまでのテストは状況を「確認」こそすれ、新傾向を浮かび上がらせたとはいい難い。その意味でも、テストは実施するにしても間隔を空け、抽出方式で足りるだろう。


 毎年要する巨費は、読解力や理科教育の拡充など、もっと具体的で手厚い施策に回してはどうか。

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2012年08月19日

憂楽帳:自制心

憂楽帳:自制心
毎日新聞 2012年08月18日 12時37分

ウィーンの現地校に通う16歳の息子が時々、級友の家へ泊まりに出かける。
気の合う仲間が集まり、ビールやワインを片手に一晩中話し込んだり、ゲームに興じたりしているという。オーストリアでは飲酒と喫煙は16歳から合法。週末の夜を友人宅で過ごすのもごく一般的だ。


 とはいえ、心配は尽きない。
「乾杯で口をつける程度。たばこを吸っている友だちはごく一部」と言う息子に、「日本に帰ったら、絶対にダメだぞ」と念を押した。


 最近の調査によると、「週1回以上酒を飲んでいる」と回答したオーストリアの15歳は、ほぼ3人に1人。欧米40カ国の中で5番目の多さだ。

ところが、過去に2回以上泥酔した経験のある15歳の割合は13番目に下がる。
地元メディアは「10代若者の分別強まる」との見出しで伝えた。


 国や学校による管理を重視するのか、オープンな環境で自制心を育むのか。

未成年に経験から学ばせようとする欧州のまなざしには、自己責任を問う厳しさも感じる。
【樋口直樹】

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2012年08月22日

いじめと闘う 現場の努力に尽きる

いじめと闘う 現場の努力に尽きる
2012年8月22日 東京新聞社説

 大津市の中学生が自殺した問題をきっかけに、警察にいじめの捜査を求める動きが相次ぐ。

事なかれ主義に陥りがちな学校への不信感の表れだ。
いじめとの闘いから逃げるのは教育の敗北に等しい。


 東京では高一の男子が首を絞められ、殴られたとして暴行容疑で警視庁に届けた。
愛知では中二の女子が「死ね」「うざい」と暴言を吐かれ、適応障害になったとして傷害容疑で県警に訴え出た。


 警察にいじめの被害を届け出る子どもたちが全国各地で引きも切らない。

泣き寝入りを強いられた過去のいじめの責任追及を求める動きさえ目立つ。


 「力が弱い・無抵抗」「いい子ぶる・生意気」「態度や動作が鈍い」。

警察庁によれば、いじめを発端とした事件にはそんな動機が多いという。
いや、だからか悪ふざけ、腹いせが凶悪化していく。


 警察が本格的に介入するのはいじめが傷害や暴行、恐喝といった犯罪行為に発展してからだ。
被害者はすでに心身に深手を負い、自殺のリスクに直面しているかもしれない。それでは遅すぎる。


 いじめがエスカレートする前に食い止めるのは教育の使命だ。


 よそから与えられた対策マニュアルが本当に役立つかは大いに疑問だ。
子どもは一人ひとりが みんな違う。

すべては学校現場それぞれの努力にかかっている。

例えば、周りの子どもたちの力を借りてはどうか


 茨城の筑西市立下館中学校では子どもたちが自主的に「君を守り隊」を結成し、いじめの防止に取り組んでいる。十六年前、いじめを苦にした自殺が多発したころに生徒会の呼びかけで発足した。

 相談箱を置き、学校生活での悩み事を尋ねるアンケートを毎月して問題を抱えている子どもに対応する。
全校でゲームを 通じて思いを語り合ったり、パズルを一緒に作り上げたりしてコミュニケーションを図る機会を設ける。


 先生が一方的に指導するのではない。

大切なのは、子どもたちが主体となって胸の内を打ち明けられる人間関係を築く努力を積み重ねていることだ

いじめはなくならない。だが、これまで事態が深刻化したことは一度もないという。


 中学生の息子を自殺で亡くしたNPO法人「全国いじめ被害者の会」代表の大沢秀明さんは「加害者を処罰するよりも、非を認めて謝罪するよう導いてほしい」と言う。

その願いに応えられるのは警察ではない。教育だ。

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2012年08月23日

教育虐待:勉強できる子になってほしい……過剰な期待

教育虐待:勉強できる子になってほしい……過剰な期待
毎日新聞 2012年08月23日 東京朝刊

◇成績不振を罵倒、体罰 不景気、就職難で親に危機感

 「勉強のできる子になってほしい」という親の期待が過剰になり、子どもを苦しめる「教育虐待」という考え方が広がっている。
「将来のために」と勉強させることがなぜ虐待につながるのか。

専門家に聞いた。【鈴木敦子】

民間子どもシェルター「カリヨン子どもセンター」(東京都文京区、坪井節子理事長)に数年前の夏、有名女子高に通う少女が逃げ込んできた。

「家に帰りたくない、母に殺される」と訴えた少女は裕福な家庭で育った。

両親ともに高学歴、母の期待通りの成績を取れないと何時間も罵倒され、食事を抜かれ、睡眠を禁じられることもあったという。
受験を控えて母親の干渉が度を越し、耐え切れなくなって家を出た。

弁護士や児童相談所が間に入って交渉した結果、少女は初めて自分で進路を選び、シェルターで暮らしながら大学を受験した。


 同センターは、親の虐待やネグレクトに遭いながら、児童福祉施設では緊急対応できない子どもを保護するために04年に開設された。複雑な家庭環境や経済的な問題を抱えた子が多いが、近年は「表向きは何の不自由もなさそうな」家の子どもが増えたという。

 これまで対応した延べ217人のうち、約10人が親から過剰な教育を強いられていた。
「親が意のままに子どもを操ろうとし、勉強の成績でしか子どもの存在価値を認めない」というケースだ。
同センターはこれらを「教育虐待」とみて改めて事情を調べている。
 ◇
 「極端な教育ママ」に育てられたという心理カウンセラーの西濱順子さん(46)は、今も心の傷が癒えないでいる。


 私立の名門幼稚園の参観日。聖書の一節を読む場面で先生が「分かる人?」と尋ねた時、挙手しなかったことを母に強く責められた。
何度もたたかれ、けられた。


 物心つくころから毎日習い事をこなし、友だちと遊ぶ時は輪の中心になるよう求められた。
「勉強もスポーツも完璧で、リーダーシップを取れる子」が母の理想。

何でも1番を求められ、テレビも漫画も雑誌も禁止。

「周りは敵。どんな手を使ってでもけ落とせ」とも教わった。
「私はエリート。他の子たちとは違う」と思い込み、部活動もせずひたすら勉強に励んだ。

 反抗できなかったのは、中学受験に成功した1歳上の兄が家庭内暴力をふるうようになったからだ。
「私はいい子にならなければ」と考え、県内トップ校に進んだ。

「次は国立の最難関大学に」と思った直後に、初めて「1番」から陥落し、学校を居場所と思えなくなった。

手が汚れていると感じ、2時間以上水で手を洗い続けたりした。

一つのことが気になると他のことができなくなる強迫性障害。

母は心配するどころか「頭おかしいんじゃない? 死ね」と暴言を吐き、父は見て見ぬふりをした。


 結婚して自分が親となった今も「なぜあれほどひどいことをされたのか疑問が消えない」という。
だが、中卒で「劣等感の塊」だった母が、子どもに「逆転」を託したかった気持ちは分からなくはないという。「心の底では母が大好きだった。期待に応えたかった」

  ◇
 親が子どもに期待するのはどの時代も変わらないが、同センターは「『成績優秀でないと愛してもらえない』と子どもが悲愴(ひそう)なまでに感じれば、それはもう虐待ではないか」と指摘する。


 「教育虐待」を受けている子どもは無条件に親から愛された体験が乏しいとも言われる。
実際、西濱さんも「親から愛が得られないので、学校で時々体調が悪いふりをした。先生や友だちに『大丈夫?』と言ってもらうのがうれしかった」と振り返る

「なぜ親が『教育虐待』するに至ったか、その原因や背景にもっと目を向けるべきだ」と話すのは、武蔵大の武田信子教授(教育心理学)。

臨床心理士でもある武田さんによると、教育虐待に走りがちな家庭には
(1)両親ともに高学歴で社会的地位が高い
(2)親が経済的事情などでかつて進学をあきらめた
(3)母親がキャリアを捨てて専業主婦になった
(4)家庭の中で母親だけ学歴が低く、夫の親族から重圧を感じている−−などの特徴があったという。


 親が子どもの学校や塾で「上位校に入れなければ人生は負けですよ」と言われ、そのプレッシャーを子どもに押しつけるケースも多い。

武田さんは「日本では学力による学校間序列が顕著なので、親は学校名という分かりやすい目標を設定しがちだ」と分析する。


 一方、09年に大学進学率が50%に達し、不景気や企業の海外移転も重なって大卒でも就職が厳しい時代になった。
武田さんは「自分の子どもを『脱落者』にしたくないという親の危機感が強まり、教育虐待につながっているのではないか。

しつけによる虐待は話題になるが、教育による虐待は見過ごされやすい」とも指摘している。

 ◇東京弁護士会も連携
カリヨンの活動と連携する弁護士たちが25日、創作劇・もがれた翼パート19「教育虐待」を上演する。
親の期待に応えられず燃え尽きた進学校の男子生徒と、定時制高校の統廃合で通学できなくなった男子生徒の物語。

東京都豊島区の豊島公会堂で昼の部午後3時、夜の部同6時半から。無料。問い合わせは東京弁護士会人権課電話03・3581・2205。

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◇教育虐待

 
昨年12月に茨城県つくば市で開かれた「日本子ども虐待防止学会」で、武田信子教授らは「子どもの受忍限度を超えて勉強させるのは『教育虐待』になる」と発表、初めて公の場で「教育虐待」の言葉を使った。
「教育」の名のもとで親の言いなりにさせられるケースはもちろん、親の所得格差が子どもの学習権に大きく影響する状態も「教育虐待」に含まれるとした。

 国連子どもの権利委員会は98年以降3回にわたり、日本の教育システムが「極端に競争的。学校制度の見直しを検討すべきだ」という勧告を出している。


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2012年08月26日

学校と私:自分の言葉で語る面白さ知った=童話作家・あまんきみこさん

学校と私:自分の言葉で語る面白さ知った=童話作家・あまんきみこさん
毎日新聞 2012年08月20日 東京朝刊

 戦争の真っ最中に通った(中国東北部の)大連の女学校は、図書室に英国や米国の文学全集が残り、のんびりしていました。

敗戦を迎えた年も、宮崎知子さんという友達とノートにお話を書いて交換していました。
思い返せば、私のお話はてるてる坊主やお人形が出てきて、当時から童話に近いものでした。


 敗戦後も、引き揚げるまでの約1年半、大連で暮らしました。

最初の数カ月は危険で、女性は外出できず学校にも通えませんでした。

早く学校に行きたかったけれど、お話という糧をたくさんもらった時期でもあります。
一人っ子だったので、ずっと家にいると本を読むか文章や絵をかくしかすることがないんです。
(能の台本を書いた)謡本(うたいぼん)やダンテの神曲など難しい大人の本も、家にあったものは全て読みました。

 敗戦で、学校で教わるモットーは「アジアのために戦う」から「この戦争は間違っていた」へと180度変わりました。

あまりの転換に「先生方も反対のことをよく平気で言えるな」と思いました

そんな中でも、元から戦争にあまり触れず、心や魂の持ちようについて話していた先生はおっしゃることが変わらず、救われました。
2年で国語を習った杉田政子先生もその一人です。

杉田先生が自由題の作文を宿題に出した時、全く書けないことがありました。
困り果てて、「夜中に目が覚めたらこんな影があって怖かった」「こんな音が聞こえた」と、ただ感じたままを書きました。

私は駄目だと思ったのに、先生は自分の言葉で書いてあるとほめてくださった。
「きれいに書かなくていい、まっすぐに書けばいいんだ」と驚きました。
その時です、自分の言葉で語る面白さを知ったのは。

たくさんの人にもらったものが、今の私を作っています。
戦争も私を作っている過去の一部ですから、書かないわけにはいきません。

中国の人から見て私たちが侵略者であることや開拓の歴史が子供の頃はよく分からず、大人になってから国会図書館に通って調べました。
傷つけられる側に我が身を置く想像力が大切だと痛感しました

いじめのような現代の問題でも同じではないでしょうか。【聞き手・林田七恵】
==============

 ■人物略歴 ◇あまんきみこ
 1931年、旧満州(現中国東北部)生まれ。
「車のいろは空のいろ」で日本児童文学者協会新人賞、野間児童文芸推奨作品賞。「ちいちゃんのかげおくり」で小学館文学賞。
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2012年08月29日

香山リカのココロの万華鏡:深呼吸し2学期スタート 

香山リカのココロの万華鏡:深呼吸し2学期スタート
毎日新聞 2012年08月28日 東京地方版 

学校は夏休みももうすぐ終わりに近づいているが、北海道など一部の地域では、すでに2学期が始まっているところもある。

大人としてはつい、2学期が始まって学校で再会を喜びあう子どもたちの無邪気な笑顔を想像したくなる。
きっと子どもたちは、「夏休みの遊びもそろそろ飽きたし、勉強もいいね!」などと言ったり、苦手だった給食さえ、なんとなくおいしく感じているのではないだろうか、などとも考えたくなる。


 しかし、実際にはそんな大人にとっての“理想の子ども”はそう多くないはずだ。

オリンピックなどもあり、すっかり昼と夜とが逆転した生活を送っていた子どもたちは、なかなか学校中心のリズムについて行けず、授業中に居眠りをしたりしているかもしれない。
「遊びに飽きた」どころか、夏休み中は塾の夏期講習ですっかり疲れきり、もう勉強はたくさん、と思っている子どもたちもいるのではないだろうか。


 そして何より、今年は「いじめ」の問題が大きくクローズアップされている。「学校に行くのがこわい」と感じている子どももいるはずだ。

 いや、疲れたり恐れたりしているのは、子どもたちだけではない。

今は学校の先生たちも、夏休みとはいえ、研究会があったり学校での業務がびっしりつまっていたりして十分に自分の時間を取ることができない。
「うちのクラスには本当にいじめがないのだろうか」とあれこれ考えている先生もいるだろう。


 学校ってこわいところ。疲れるところ。こんなふうに思ってしまっている子どもたちや一部の先生たちに、どうすればのびのびと2学期を送ってもらえるか。


 大切なのは、この夏休みを乗り切って、また元気に2学期を迎えられたことに対して、まずは「よかったね」とお互い喜び、認め合うことなのだと思う。

「どうしてできなかったの?」「ダラダラすごしたんじゃないだろうね」などと、厳しすぎる目を子どもに向けることは、ただでさえ自信を失いがちな今の子どもたちをさらに追い詰めるだけだ。


 でも、学校に戻ってきた子どもたちに「待ってたよ! さあ、楽しく2学期をすごそうね」と明るく声をかけるには、先生たちの気持ちの余裕も必要だ。

先生は大人だから、自分で自分に「うん、私も自分なりに夏休みを乗り切った」と声をかけることで、心のゆとりを作ってほしい。

暑い夏でからだも心も夏バテぎみだけれど、ゆっくり深呼吸していざ、2学期のスタート。
さわやかに歩き出したいものだ。

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2012年09月01日

2学期スタートの9月・・

くの学校では、今日から2学期のスタート。
*始業式は 3日ですね。

読書の秋・運動の秋・食欲の秋・・・・・実り多き2学期にしましょう。

<子ども達へ>

・3日、後半の教科書が配布されると思います。名前をすぐ書いてくださいね。中のページもきちんとそろっているかも点検してください。

・学年だより・学校だより・学級通信などのプリントが多く配られると思います。
家の人にちゃんと届けてね。

・宿題やぞうきん、通信簿、連絡帳、筆箱などが入っているかな・・・

・うがい、手洗い、マスクは 忘れずにしてね。

・交通事故などにあわないように気をつけてください。

・友達と遊び、学習して うんといい2学期を送って下さいね。


<保護者の方へ>

学校配布の文書などが 学期初めには多くあります。
特に学年だよりなどでの行事予定・学習予定は、見てくださいね。

・来週あたりから学級懇談会が始まると思います。是非時間を作って 参加してください。

・お子さんの日々の成長のための学校です。健康第一にしてスタートしてください。

***********************************
今日から9月、早いものですね。
上記に書いたことは 現役なら言うだろうな・・・という言葉です。

これから日の入りが徐々に早くなってきます。寒暖の差も大きくなります。
風邪などひかぬように 健康で1日1日を過ごしたいものです。
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2012年09月05日

もったいない、残せない・・

若い頃は、安くて量の多い食堂を探した物ですが、この歳になると標準の店での食事でも 食べるのに苦労する始末。

どの店も 量が多過ぎるように感じるのです。

どうも「お百性さんの苦労で口に入れる」、感謝の気持ちをもって 残さず食べましょう、という時代に育ったせいか「残すのはいけない」が脳にインプットされているのです。

初めての店では、もう「残しちゃいけない」の精神力のみで 中盤あたりから味わうどころではなくなります。

顔見知りの店になって 初めて「麺少なめで・・・」とか「ご飯は半分くらいと注文できるようになる」とホッと安心できます。

小学生の時の給食、まずい脱脂粉乳も口にいれ完食しなければ おやつなどない 時代。

父の会社の合理化闘争が1年近く闘われたのですが、各担任の先生は 社宅の子に「残ったパン」「おかず」などを さりげなく渡してくれた時代でした。

「食べ物を粗末にしない」「食べきる」が当たり前が心身に刻み込まれた私には、現職時の給食の残滓の多さに しばらくは慣れることができませんでした。
アレルギーでなく、野菜嫌い、パンはダメ、牛乳は飲めない・・・と理由は様々。

私が小学校の時、嬉しかった揚げパンや汁粉・ぜんざいケーキも 甘いからと大量に残ったのです。

どの年代から 「残すのは罪」意識から「金を払ったのだからと平然と残す」意識にかわったのか 興味つつです。

一度 入院してみると「娑婆」の食事の美味しさに気づけるのですが、少なくとも個人的には 自己申告で今後とも完食できるようにしたいと思っています。

「もったいない」で 残った物をパックに入れて貰い 食べきる習慣くらいはあっていいと思うのですが・・・(今は 食中毒の心配から 残す・処分するのが正解とされています・・・)。

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2012年09月07日

出生前診断 命の選別にならぬよう

出生前診断 命の選別にならぬよう
2012年9月6日 東京新聞社説

妊婦の血液で胎児にダウン症などの染色体異常があるか分かる新しい出生前診断が試験的に始まる。
高精度で妊婦に負担をかけずに診断できるが、かえって安易に使われる懸念が強い。


新検査法は簡単に診断できる。
血液中の胎児のDNAを調べ、ダウン症などの原因となる染色体異常の有無を調べる。
妊娠十週から可能で、精度は99%以上という。


 国立成育医療研究センターなど一部の医療機関が九月にも、臨床研究として実施する。
参加施設全体で二年間で約千人を検査する。


 検査は、早く異常を見つけ治療に役立てたり、養育の準備のためだが、従来より高精度で容易な検査だけに安易な拡大を危ぶむ。


 三十五歳以上の妊婦だと染色体異常のリスクが高まる。
晩産化で検査のニーズは増えるだろう。
だが、障害を理由に人工妊娠中絶が増えては、命の選別につながる。
母体保護法は中絶の条件に胎児の異常は認めていない。


 日本産科婦人科学会や日本ダウン症協会も安易な実施には強い懸念を表明した。当然だ。


 臨床研究には、外国で導入が進むこの検査法が日本で普及する前に、専門家が管理する実施ルールをつくる狙いがある。


 専門外来の設置やカウンセリングを合わせて実施するという。慎重に進めてもらいたい。
ただ、実施体制を整えるには課題も多い。


 出産を控えた夫婦には検査の意味や、結果の丁寧なカウンセリングが必要だ。

ダウン症でも出産、養育につながるように障害や社会の養育支援について十分に理解してもらうことも重要になる。

 カウンセリングを担う専門医は産婦人科医では全国に百四十人ほどで、人材育成は急務である。


 実施体制の整備にはスピードも求められている。
現状は技術の進歩に規制が追いついていない。
小宮山洋子厚生労働相は学会に実施指針の策定を求めたが、生殖医療に関する法整備も不十分だ。出生前診断は生命倫理の問題である。診断のあり方や適用基準を考える幅広い議論を期待したい。


 ダウン症児の養育への不安は理解できるが、実際に産み育てている家庭は障害を多様性の一つとして前向きにとらえている。


 プロゴルファーの東尾理子さんは「どんな赤ちゃんでも幸せ。
障害は特別なことではない」とダウン症児の可能性のある出産を決めている。

夫婦が納得して出産できる支援を整えるべきだ。

 
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2012年09月17日

「あそんでぼくらは人間になる〜子どもにとって遊びとは」

放送批評懇談会が選ぶベスト番組【ギャラクシー賞月間賞】
遊んで学ぶ、子どもの1年〜テレビ新広島
「あそんでぼくらは人間になる〜子どもにとって遊びとは」
(GALAC 2012年10月号掲載) 2012年9月16日(日)配信

第21回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
「あそんでぼくらは人間になる〜子どもにとって遊びとは」
7月4日放送 26:15〜27:10
テレビ新広島

4歳〜6歳頃の子どもの遊びは、見ていても実に楽しい。
何故か小学校に上がってしまうとつまらない。
「はじめてのおつかい」(日本テレビ)などの傑作番組はこの年齢の子どもたちだ。

5、6歳などとアバウトに言おうものなら、5歳と6歳とでは大違いですと「6さいのばらーど(みんなのうた)」の女の子から厳しい抗議を受けるかもしれない。


その幼稚園の年少組を1年間、丁寧に見つめたのがこの番組だ。
屋根登り、泥んこ遊び、独楽回し、長なわとび、枯れ葉遊び、挑戦する遊びには事欠かない。
裏の2000m2の急斜面の怖い森は、やがて遊びの楽園に変貌する。
遊びの名人は英雄だ。
負けてたまるか、悔し涙もあふれ、嫉妬も生まれる。
応援団も生まれ、気遣い名人、面倒見の良い子も現れる。

年少組の男の子は、派手な殴り合いの喧嘩をする。
精一杯悪態もつくが単純で仲直りも早い。

年長組の女の子は、そうはいかない。
口が立つ。感情表現が複雑だ。
しかし、一方の「ごめんね」という言葉で、その場は収まる。
先生はなるべく介入しない方針だ。


秋の運動会には、体力の他に知恵とクラスの団結力が試される。
遊び以外のそんなイベントには興味を示さない子どもたちに、先生はずるく、グループに分け競争意識を仕掛ける。
その手にまんまと乗った子どもたちは、次々と知恵を出し、指先の器用な子を中心に全員で段ボールの高層タワー作りに挑む。
これもとびきり楽しいゲームだ。運動会は大盛況だ。


楓が真っ赤に色づき、やがて雪も降り、季節がめぐり、遊びも続く。
卒園式では、賢そうな面構えになった年長組が、年少、年中組を前に、とっておきの遊びの極意を披露して幼稚園を去っていく。
そして、翌月の幼稚園の入り口には、ママ!ママ!と泣き叫ぶ次の年少組が現れる。
……この子らとて、思春期のとば口に立つ頃には、陰惨ないじめに遭遇したりするのだろうか。                
                               (河野尚行)

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2012年09月19日

親離れと子離れ、どちらがむずかしいのだろう

天声人語
2012.9.19   朝日新聞

親離れと子離れ、どちらがむずかしいのだろう

今年2月の本紙歌壇に一首があった。
〈どれだけの覚悟で言ったことなのか君は知らない「好きにしなさい」〉今村こず枝。
「なかなか怖い歌。一語に籠(こ)めた母親の覚悟」は選者の永田和宏さんの評だ

▼事情は想像するしかないが、へその緒を再び切るような思いの一時(いっとき)が、母親にはあるのかも知れない。
作家の森崎和江さんが「母性とは、抱く強さと同じ強さで放つもの」と書いていたのを思い出す。
抱くことだけに一途(いちず)では駄目らしい

▼とはいえ、昨今は親がかりの期間が延びるばかりのようだ。
ベネッセ教育研究開発センターが大学生の保護者に聞いたら、4年生の親の約4割が就職活動を助けていた。
ネットや雑誌で情報を集めるなど、父親より母親の方が熱心だという

▼調査の結果、就活だけでなく大学受験も含めて「高学歴の母親が自分で情報を集め、子の進路決定に関わっている姿」が浮かび上がるそうだ。
ありがたい親心か、自立を妨げる干渉かは、その母、その子によるだろう

▼何年か前、アメリカから「ヘリコプター・ペアレント」という言葉が入ってきた。
頭上を旋回するヘリのように子を見守り、すぐ降りてきては指示や助け舟を出す親、という揶揄(やゆ)だ。日本の大学生の親にも多いらしい

▼履修登録についてくる、授業の欠席連絡を親がよこす――など珍しくもないと聞く。となれば「へその緒」つきの社会人も結構いるのだろう。
叱り方ひとつにも注意がいる
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2012年09月23日

早寝早起きで生活改善、心と体の活力アップ

東海大学 小澤治夫 教授
毎日新聞インタビュー 2012.9.3

「早寝早起き朝ご飯、テレビを止めて外遊び」。
東海大学体育学部の小澤治夫教授は、元気で意欲的な子供を育てるために、規則正しい生活習慣を身につけることが不可欠だと説く。

クラーク博士の「Boys, be ambitious like this old man.(少年よ大志を抱け。この年をとった私のように)」を座右の銘に掲げ、率先して体を動かす。
63歳の今も「腕相撲は高校生に負けない」ことが自慢だ。
体力低下が言われて久しい現代の子供たちが小澤教授のような元気な大人になるにはどうすればいいか、小澤教授に聞いた。
【聞き手・毎日新聞社デジタルメディア局 岡礼子】
 

子供たちの変化に気づいたのは、どのようなきっかけですか。

90年代半ば、高校でサッカー部を指導していて、生徒がすぐに「バテる」ことに気づきました。
例えば、スタミナもスピードもあるはずの2年生の男子生徒が試合で走れない、動けない。
最初は怒ったのですが、本人は「一生懸命やっている」と言う。
ふと頭をよぎったのは、「貧血ではないか」ということでした。
病院で検査をすると、血中ヘモグロビン値が低く、貧血でした。
それでは走れないのも無理はない。
まず体を治さないとだめだと話しました。

同時に、ひょっとしてほかにも貧血の生徒がいるのではないかと考え、検査してみると部員の約4割がヘモグロビン不足。
貯蔵鉄と言われるフェリチン、血清鉄の値が低い生徒も含めると、貧血または貧血予備軍が約6割に上りました。

貯蔵鉄は、いわば「銀行預金」で、ヘモグロビンが「手持ちのお金」です。
運動する時は、ヘモグロビンがあれば使い、なくなると「キャッシュディスペンサー」で下ろします。
預金がないのに、ハードトレーニングをするとヘモグロビンを使い果たして貧血を起こしますから、預金があるかどうかが大事なのです。

この時、貧血の生徒があまりに多くて驚いたので、もっと調べてみようということで筑波大学の鈴木正成教授(当時、2011年に死去)とチームを組み、脳の温度に近いといわれる鼓膜の温度を測りました。
生徒が何時に寝て、何時に起きているかといった生活アンケートと併せて分析すると、朝食を食べた生徒は温度が高く、食べていない生徒は低いことが分かりました。また、体温が高い生徒で、通学意欲があるのは約6割でしたが、低体温の生徒では25%でした。


 なぜ、貧血や低体温の生徒が増えたのでしょうか。


 子供たちが成長するための社会、生活環境が崩壊しているのです。
それが体に影響しています。
2008年に約1万5000人の小中高生に調査したところ、高校生の2人に1人は午前0時過ぎに寝ていました。
私が高校生だった45年ほど前は、平均して午後10時半に寝て、午前6時25分に起きていました(日本学校保健会調査)。
早寝早起きで8時間の睡眠時間です。

今の高校生は平均して午前0時05分に寝て、午前6時55分に起きています。遅寝遅起きだけでなく、睡眠時間も7時間と1時間少ない。


 減った分の1時間、画面に向かっている生徒が増えていると考えています。
画面といっても、テレビだけではありません。
パソコン、電子ゲーム、携帯電話などで、今はスマートフォンです。

睡眠時間が減れば、朝起きられなくなり、朝食が食べられなくなります。栄養が足りず、貧血になっても不思議はありません。
放課後に甘い清涼飲料水を飲んだり、菓子を食べたりして血糖値だけがあがり、ご飯が食べられないことも影響しています。

疲れやすく、眠くなりやすく、気力もわいてこない。「体がだるい」「なんとなく」という理由で学校に行きたくない子がたくさんいるのです。


 宿題は面倒で、予習復習もしませんから、今の子供たちの勉強時間がいかに少ないことか。
近隣のアジア諸国はもとより、あらゆる国に置いていかれてしまいますよ。
今はまだ、家庭と社会に教育力があって、学校が教育機関としての機能を果たしていた時代に育ったわれわれがタフで、経済力がありますから、日本は大丈夫です。

でも20年後については危機感を抱いています。30年後はきわめて厳しい状況になっているのではないかと心配です。学校、家庭、社会に、これからの子供たちを健康に育てる責任があります。


 学校や家庭で、どのような対策をすべきでしょうか。


 一番主張したいのは「とにかく早く寝なさい。携帯電話やスマートフォンを見る時間を短くしなさい」ということです。
しかし、焼け石に水でしょう。携帯電話を使わないと、子供たちはコミュニティーで生きていけません。

ひとつの家庭だけで使わないようにするのは難しい状況になってしまいました。
学校や地域、自治体単位で取り組まなければ無理だと思います。
改善できた学校は複数ありますよ。

例えば、山形県の高校では、校長先生を中心に、学校が一丸となって食育、健康教育、体育に取り組んだ結果、女子で約半数、男子で約3割いた貧血の生徒が、女子1割、男子ゼロに激減しました。


 学校では、最低限、体育の時間に思いっきり体を動かすことです。
生徒たちが没頭して、汗だくになり、小競り合いが起きるくらい夢中になることが、良い授業の条件です。
夢中になれば、技術やフェアプレー精神が身につき、気づいたら体力抜群です。
跳び箱や鉄棒、マット運動などは、日本では「克服種目」で、皆さん、嫌いでしょう。
子供を跳び箱嫌いにするような授業はだめです。

「先生、楽しかった。できるようになった」。子供がそう言うような授業にしなければいけません。
学校の授業がそうあること、放課後の部活動でも保障されることが大事です。授業づくりは大事です。学校の責任は重いのです。

子供の体力低下も、生活習慣が原因ですか。


 画面を見る時間が長くなった一方、外遊びは減りました。
原因の一端には、遊ぶ時間がなく、場所(空間)もなく、仲間もいない「サンマ=3間」の減少があり、子供たちの歩数が激減しているデータもあります。
背筋力を測ると、今の高校生より、私の方が高いです。
体格は大きくなりましたが、見合った筋力がないのです。

私はいろいろな高校に講演に行って、男子生徒と腕相撲で対戦しますが、負けたことは一度もありません。
そのくらい、今の子供たちは筋力がない。
原因は、鍛えていないという直接的なものだけでなく、栄養不足、低体温、自律神経失調などです。

 一方で、福井県、秋田県の子供たちの体力は高いです。
文部科学省の2008年全国体力テストの結果を見ると、福井県の子供たちは、握力は全国平均と変わらないですが、20メートルシャトルランは小学生男子が61回、小学生女子が51回で、全国平均の同男子49回、同女子38回を大幅に上回っています。
特に女子は、全国平均の男子より高い。
福井県では、毎日運動をして、朝食を食べる子が多かったことが関連していると思われます。


生活習慣の大切さは、大人も同じでしょうか。


 生活習慣は大人も子供もみんな共通しています。人間の体内で起きる生理学的な変化ですから。
8時間の睡眠を取っている人の鬱スコアがもっとも低くて、元気で明るく、あいさつもできます。
逆に、寝不足も寝過ぎも、鬱スコアは高いのです。

夜更かしをすれば、メラトニン(就寝前の1〜2時間前から分泌され、目覚めを抑えるホルモン)サイクルが狂って、朝になってもメラトニンが出てしまう。

その状態で大人も子供も生活していますから、大人の元気がない。

それを見ている子供も元気が出ないのは当たり前です。
皆が規則正しい生活をすれば、日本国民はもっと元気なはずなのです。


 私は、札幌農学校でクラーク博士が言った本当の言葉とされる「少年よ大志を抱け。
この私のように」を座右の銘にして、「夢を持って、元気よく」を実践しています。
自分が元気ではないのに、学生に元気になれとは言えないでしょう。
大人がモデルにならなければいけません

学生は「小澤先生の授業はきつい。でもめっちゃおもしろい」と言ってくれます。

私の授業を受ければ、鉄棒もマット運動も「やりたい!」となりますよ。

********************
東海大学体育学部体育学科教授
大学院体育学研究科 研究科長

小澤 治夫(おざわ・はるお)

1949年8月25日生まれ。1975年、東京教育大学大学院体育学研究科修了。
筑波大学付属駒場中・高等学校教諭等で勤務したのち2003年より北海道教育大学教授。
2007年より現職。2010年より東海大学大学院体育学研究科長。
専門は、保健体育科教育学・トレーニング科学・発育発達学・教師教育。医学博士。
日本発育発達学会理事、日本フィットネス協会代表理事、埼玉県スポーツ推進審議会会長。
文部科学省 「子どもの体力向上プロジェクト」「子どもの生活リズム向上プロジェクト」研究代表。
「全国体力・運動能力・運動習慣等調査に関する検討委員会委員」など。
第4回秩父宮スポーツ医科学奨励賞受賞、東海大学2007年度・2010年度ティーチングアワード受賞(優秀教員)   

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2012年09月28日

「生きてください」、いじめからあなたを守りたい 

下記の記事を読む前に 私がファンになっている 富山県で 紙バンドアトムの善田希さんの 体験をお読み下さい。
前向きに 「紙バンド」を広げたいと 明るく活躍する姿の過去に 陰湿で残酷なイジメられ体験があったことを知りました。
子供というより 人間って こうも残酷になれるのかと 悲しみがわきました。

「生きてください」
http://d.hatena.ne.jp/NozomiZenda/20120927/1348759841#c
ZendaNozomiの取り扱い説明書 9/27
***********************************
いじめからあなたを守りたい 乗り越えた親子
2012年9月28日    東京新聞

無視され、お弁当を一人で食べ続けた。
横浜市の通信制高校二年生小沢優希さん(16)=川崎市宮前区。
中学一年の時のいじめが原因で、二年以上不登校。
「性格を変えるから、仲良くして」と、泣いてすがったこともあった。
でも今は思う。「私らしさを誇って生きよう」


 二〇〇八年四月、地元の公立中学に進み女子ソフトテニス部に入部。
人懐っこく、先輩にも気に入られた。男友達が多く、目立つ存在。はっきり意見をいうタイプだった。
それが、ある同級生の女子部員に嫌われた理由。
「うざくない?」。入部直後から陰口を言われていたらしい。でも表面上は仲良しだった。


 部員同士で手紙交換をしていた。ある日、部員の一人がささやいた。
「優希の手紙、破って燃やされたんだよ」。夏休み前から仲間外れにされるようになった。二人組の練習では必ず一人残った。


 二学期に入ると、部のいじめがクラスに飛び火した。無視された。女子同士で目配せ。「その同級生は二学期になってクラスで存在感を示し始めた。皆、嫌われたくなくて同調したんだと思う」

 「小沢ってバカじゃねーの」。仲が良かった男子も、大きな声で言いながら机を離した。お昼は三カ月近く一人で食べ続けた。
嫌でたまらなかった。できるだけ早く食べ終わりたい−。母親の早苗さん(46)に「お弁当箱を小さくして」と頼んだ。食欲もなく、残すようになった。


 十月ごろだった。いじめを察した母親に促されて、その同級生に泣きながら電話した。
「私、変わるから仲良くして」と。母親は、思わず受話器を奪った。「うちの子の気持ちが分からないの」。だが、同級生は平然と答えた。「おばさん。私も小学生の時、いじめられた。何でいじめちゃいけないの」。
母親は担任に相談したが「様子を見ましょう」とだけ言われた。


 十二月になると優希さんは学校に行けなくなった。

母親は、「娘がレールからはずれていくのを認めたくない」と、無理にでも行かそうとした。
父親の博之さん(47)も「無視ぐらいで負けるな。いじめと戦え」と怒鳴った。


 それでも体が動かない。優希さんは、ストレスを家で爆発させた。壁を殴り、二人の妹に「出て行け」と怒鳴りつけた。心療内科に通い、眠れなくて睡眠薬も飲んだ。
部屋に閉じこもり、本やマンガを読んで過ごした。


 一カ月、二カ月−とそんな生活は続いた。
「私、何をしているんだろう…。どうすればいいんだろう…」。落ちていく自分に、不安が膨らんだ。
そんな中、ふと、あることを思い出した。「私、英語が好きで『いつか留学したい』と思っていたんだ。勉強しなくちゃ」。両親に「塾に行かせて」とお願いした。


 それが立ち直りのきっかけ。娘を、半ばあきらめかけていた両親には一筋の光だった。

〇九年夏から地元の学習塾に通った。一一年春、留学制度があり、不登校生徒も積極的に受け入れている通信制高校「クラーク記念国際高校」に入学した。


 二年生になり、生徒会の副会長に。生徒集会では約七十人の前で司会。私語が聞こえると「こっち見て、聞いてくださーい」と手を大きく振りながら自分に注目させる。

 「環境が変わって、私らしさを取り戻せた」。
今春の学校説明会。いじめが原因で不登校になった中三の女子生徒とその母親に、自分の体験を語った。口には出さなかったが、心の中でエールを送った。
「自分を追い詰めないで。そのままのあなたで、いいんだよ」 
           (細川暁子)

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2012年09月29日

《いじめを見ている君へ》江川紹子さん

《いじめを見ている君へ》江川紹子さん
2012年7月15日22時51分   朝日新聞

■声をあげて 自分のためにも

 いじめを見たり聞いたりしても、誰かにそれを伝えるのは大変かもしれません。
今度は自分がいじめられるかもって、不安になりますよね。
でも、気がついた人が言わないと、その子は助からないんです。

 中学校のころ、クラスで少し避(さ)けられている女の子がいました。
男子から容姿(ようし)をからかわれていました。仲良しの女の子が1人いたことで、深刻ないじめにはなりませんでした。


でも、卒業後しばらくたった後の同窓会で、仲良しだった子が言ったんです。
「あの子、亡くなったよ」。
場がシーンと静まりかえりました。
原因は病気でしたが、みんな心のどこかに、あのころのことが痛みとしてあったんです。

 いじめられた子が自殺したり後遺症(こういしょう)を残すけがをしたりしたら、周りの人たちはすごく後悔することになります。
いじめを傍観するのも、いじめの一種。被害を出さないためにも、自分が何もしなかったことでしんどい思いをしないためにも、声をあげてほしい


 イスラエルという国で、兵役(へいえき)を拒み、パレスチナ人への迫害をやめようと声をあげた若い女性がいました。
周囲から無視され、批判もされたけれど、私にこう言いました。
「自分自身に正直であることが一番ハッピーなんだ」って。


 大人の社会にも不正はあります。だから

 偉そうなことは言えませんが、いじめを知ったなら、信頼できる大人に知らせてほしい。

 子どもの世界のことは、子どもが一番よく知っているでしょう? 担任が信じられなかったら他の先生でもいい。
学校以外の人でも構わない。
あなたの声に耳を傾けている人はきっといますから。
             (ジャーナリスト)

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2012年10月12日

ITで障害を持つ子どもの学習を支援 

ひと:三宮直也さん 
 ITで障害を持つ子どもの学習を支援 
毎日新聞 2012年10月12日 00時32分

「学ぶ楽しさに気付いてもらえたら、一歩目としては成功です」。
知的障害や発達障害がある子どもの学習を助ける携帯情報端末向けのアプリを開発している。フリーのプログラマーだ。


 転機は2年前の秋。長男に続いて当時3歳の次男が自閉症の疑いがあると診断された。
IT企業で深夜まで残業する日々。
子育ては妻に任せきりで負い目を感じていた。

そんな中、次男に携帯端末を持たせると、やり方を教えなくてもゲームで遊び始めた。
「自分の技術がこの子たちの役に立つのでは」。
15年続けた会社員生活をやめ、療育支援を仕事にしようと決めた。


 これまで発表したアプリは3種類。
「子ども静かにタイマー」(170円)は、端末に内蔵されたマイクが拾う子どもの声が一定の音量を超えると、画面上で眠る「番犬」がほえる。子どもは遊びながら、静かにしていることを覚える。
騒ぎがちな長男と楽しくトレーニングしたい。そんな思いがヒントになった。


 ダウンロード数は3種で計約3万件。
特別支援学校などでも試験的に活用されるようになった。
障害のない子どもの保護者や80代の女性ユーザーの声も届く。


 以前に比べ収入は安定しないが、家族で過ごす時間は増えた。
「息子たちに使ってもらいながら改良していく。バグ(不具合)もよく見つけてくれ、開発の強みですね」【八田浩輔】


 【略歴】さんぐう・なおや。新潟県出身。東京都立大(現首都大学東京)大学院修了。都内の自閉症育児サークルで活動している。39歳。ブログはhttp://blog.keaton.com/

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2012年10月18日

肌がノートPC焼ける!? を使い続けると起こる恐ろしい症状

肌がノートPC焼ける!? を使い続けると起こる恐ろしい症状
2012年10月17日(水)18時0分配信 美レンジャー

電車の中やお昼の公園でよく目にする光景といえば、何が思い浮かびますか?
 携帯電話を操作している人や音楽を聞いている人が圧倒的に多いと思いますが、“太ももの上にノートパソコンを置いて作業をしている人”はどうでしょう?


「休み時間や移動中にも仕事なんて大変だな」と思いますよね。ですが、問題は忙しさではなく、パソコンの置き場所にあるのです。

今回は、外出先でやりがちな“ノートパソコンを太ももに置く”という習慣が原因で起こる、ある症状についてお話していきます。


トースト肌症候群とは?

みなさん、トースト肌症候群という名前を聞いたことはありますか? 実は、この名前は正式な病名ではないのですが、発症の過程を知れば、このように呼ばれていることに納得するはず。
トースト肌症候群とはノートパソコンなどの熱源を、太ももに乗せて長時間作業をすることで起こる皮膚の炎症のこと。


“ちょっと作業をするだけ”のつもりで、太ももの上にノートパソコンを置いていると、底面が肌に触れ次第に熱さを感じてきますよね?

 ノートパソコンにはハードディスクや精密機器、チップなどが詰まっているので、なんと44度くらいまで温度が上がるのだそう。

44度といえば、5〜10時間で低温ヤケドを発症する温度。

短時間であれば大きな問題はないのですが、そのまま作業を続けて放置してしまうと、皮膚に赤や茶色の斑点が現れます。

これがトースト肌症候群の症状。直接ヤケドはしていないけれど、皮膚の深部までダメージが進行することもあり、最悪の場合、肌の黒ずみが一生治らない可能性もあるそう……。


そうと知ったら、これまで太ももの上でパソコン作業をしていた人は、今すぐにでもやめたくなりますよね? 特に肌が弱い人や、子供は症状が現れやすいので、今すぐやめてください!

ですが、どうしてもデスクがないところで作業をする必要があるというときは、パソコンと太ももの間にカバンを挟んだり、ノートパソコン用の膝置き台を使うようにして、ノートパソコン肌が直接触れないように気をつけましょう。


肌が赤くなってしまったらするべきこと 3つ

「もしかしたら、これがトースト肌症候群?」という症状が出てしまった人は、下記の行動をとるようにしてください。


(1)患部を冷やす

肌の奥まで到達した余熱を取るために、患部を流水で20分ほど冷やしましょう。
(2)水泡はつぶさない
水泡ができてしまったときは、雑菌の侵入を防ぐためにもつぶさないようにしましょう。また、水泡をつぶすと痕が残りやすくなるので要注意。
(3)すぐ病院へ行く

自己判断でオロナインなどのヤケド治療薬を患部に塗ってしまうと、その後病院へ行ったときの治療の妨げになることがあります。

冷水で冷やす以外の応急処置はとらないようにしましょう。

いかがでしたか? じわじわと時間をかけて肌の奥まで到達した熱は、外見上は目立たなく症状が軽く見えても油断できません。

自己判断することなく、医師の診察を受けるようにしましょう。

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2012年10月30日

「集団で技を学ぶには不揃(ふぞろ)いな子がいたほうがいい…

「集団で技を学ぶには不揃(ふぞろ)いな子がいたほうがいい…
東京新聞  10月29日「筆洗」

「集団で技を学ぶには不揃(ふぞろ)いな子がいたほうがいいと思っています。
年齢も経歴も性格も育ちもさまざまな子が、たがいを見ながら、自分の道を歩んでいくことができるからです」

▼法隆寺最後の宮大工西岡常一の唯一の内弟子を務めた後、「鵤(いかるが)工舎」を設立した小川三夫さんの言葉だ。
塩野米松さんが聞き書きした『不揃いの木を組む』(文春文庫)から引いた。
宮大工の世界にとどまらない知恵が詰まっているように思う

▼鵤工舎での修業は十年間。
長い年月は、隠し事や自分を飾ることは意味がない、と教えてくれる。
修業に耐え抜いた若者には優しさが生まれ、心にはゆとりが出てくるという

▼「学校でも器用な子のほうが先生には喜ばれるわけだよ。
学校は促成栽培だから、器用なやつほど成績がよくて、いい子なんや」。
早く簡単に仕事を済ませる要領の良さは、職人の世界では結局は損をするという。
物づくりや職人世界では、「絶対あかんことだ」と小川さんはいう

▼法隆寺や薬師寺の塔を内部から見ると、不揃いな材木でつくられ、一本一本が支え合って立っている。
宮大工の世界では「総持ち」という言い方をするそうだ

▼今の教育は目に見える成果ばかりを求めていないか。
「急いだら人は育たんで。不揃いの中で育つのが一番や」。

総持ちの思想からは遠くなったこの社会で、棟梁(とうりょう)の言葉は重く響く。
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2012年11月03日

しあわせのトンボ:言葉と身体感覚=近藤勝重

しあわせのトンボ:言葉と身体感覚=近藤勝重
毎日新聞 2012年11月02日 13時07分

  日本語には体の各器官の感覚反応や動きを伴った言葉がいろいろある。


 例えば腹なら、「腹に据えかねる」「腹の皮がよじれる」、
口なら「口が滑る」「口が曲がる」といった具合で、挙げていけばきりがない。
欲しくて欲しくてたまらない時の「喉から手が出る」といった言葉などは、その語感とともに肉体の体験がどうかかわってこういう言葉になったのだろう、と思わずにはいられない。

 またこれらの言葉が「口をついて出る」じゃないが、内臓の最先端部に当たる口から発せられているというのも、言葉のそもそもを考える上では興味深いことだ。


 ぼくらが口にする言語は、幼児期の「アーア」「ウーウ」といった音(声)から始まり、そのうち「ワンワン」「ブーブ」と擬音化される経過をたどる。
  頭の働きがどの段階で言語に影響をもたらしているのかはともかく、そんな幼児語もやがては目や耳など内臓系と離れた外の器官の働きを得て、言葉数を増やしていったに違いない。


  そう考えると、詩人の多くが身体感覚に根差すオノマトペ(擬声語・擬態語)にこだわっているのも、人間存在のそもそもに迫ろうとしてのことと理解できる。

  詩人の谷川俊太郎氏と和合亮一氏の対談本「にほんごの話」では、意味以前の言葉や肉体の奥底からわいてくる言葉について、るる語られている。

  谷川氏はこんな話もしている。
<詩を作るときには「何を書く」というのを頭から追い出さないと駄目だ、というふうに思っています。だから、左脳をシャットダウンしてしまう。もっと脳よりも下、丹田(たんでん)で考える感じかな>

 頭を空っぽにして、言葉がぽろっと出てくるのを待つというわけで、生身の人間の持つ言葉のリアリティーにいかに執着しているかがわかる。


 ついでながら、身体感覚に富んだ言葉の中で、ぼくのお気に入りは「腑(ふ)に落ちない」である。
頭では理解できても、何か納得しがたい、得心がいかないという、とりわけ昨今の政治家に多い。
衆院選挙がいずれ近いとあって、ああも言い、こうも言い、口はいたって滑らかだが、腑に落ちる話などとんと聞かない。

  まかり間違って、彼らの話が体内のどこにもひっかからず、すとんと落ちてきたりすると、胃の腑がひっくり返るのではなかろうか、と案じている。
(専門編集委員)

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2012年11月05日

さあこれからだ: がんばらない健康法=鎌田實

さあこれからだ: がんばらない健康法=鎌田實
毎日新聞 2012年11月03日 東京朝刊

ぼくを育ててくれた父は、糖尿病だった。
生真面目(きまじめ)な人で、医師の言いつけを守り、食事にもよく注意していた。
しかし、80歳を過ぎたころ、突然、こう宣言した。

 「もういい。これからは食べたいものを食べ、飲みたい酒を飲むんだ


 父は、年齢の割に健啖家(けんたんか)だった。
肉が大好きで、特に脂身(あぶらみ)には目がなかった。
おむつをあてていたが、構わず焼き肉屋や焼き鳥屋に行って、もりもり食べた。

その代わりにぼくは、父に野菜を多く食べるようにさせて、締めのおじややご飯を食べるのをやめさせた。
お酒は糖質(とうしつ)の低い焼酎を勧めた。

 糖尿病患者への食事指導としては型破りだが、糖質をできるだけ少なくしたことで、血糖値(けっとうち)はそれほど高くならなかった。
それ以上に良かったのは、父のクオリティー・オブ・ライフ(生活の質)が上がったことだった。
「楽しくなければ人生じゃない」と、父もぼくも信じていた。
父は88歳で亡くなったが、ぼくは亡くなる直前にも父にビールを飲ませた。

糖質制限食について、日本糖尿病学会はなかなかその有用性を認めてこなかったが、最近になって、糖尿病の食事療法(りょうほう)の選択肢の一つとして認めた。

1日の糖質量の目安は130グラム。
ご飯なら2杯半(1杯で55グラム)、6枚切りの食パンなら3枚(1枚で40グラム)にあたる。決して厳しい制限ではない。

糖質も人間にとって必要な栄養素(えいようそ)なので、全くゼロにするのは良くない。だが、糖がいつも血管を流れていると、糖をコントロールするために、膵臓(すいぞう)からインスリンが分泌され、膵臓が疲れてしまう。
たんぱく質と糖質、脂肪のバランスを取ることが大事なのだ

諏訪中央病院の東洋医学センターでは、糖尿病患者の食事指導の一つに糖質制限食を取り入れている。
糖尿病患者への食事指導はもちろん、カロリー制限が中心だが、カロリー制限で成功しない時、糖質制限食を導入(どうにゅう)すると成功する例がちょこちょこみられる。会社の社長のように、営業活動でごちそうを食べる機会が多い人の場合、糖質を制限するとうまくいくことが少なくない。


 ぼく自身も、そうだ。食べるのが大好きなうえに、若いスタッフやお世話になっている人たちとの楽しい食事が、大事なコミュニケーションの場になっている。
それでも体重を「ちょい太」でキープできているのは、糖質を低く抑えた食事のおかげだと思う。


 ぼくには2歳の時に別れた実の父がいるが、糖尿病を患い、脳卒中で亡くなったと聞いた。
糖尿病は遺伝することがある。だから、ぼく自身も十分注意している。


 ごちそうが続いた日の後は、数日間、できるだけ糖質をとらないようにしている。
朝食はチーズとヨーグルト。
昼食はトマト寒天に野菜サラダとチーズ。
夕飯は山盛りの野菜サラダと納豆、魚と少量の肉を食べる。


 ご飯は食べない。ご飯を食べたい時は、白米に黒米か赤米を混ぜると、血糖の急激な上昇を和らげてくれる。
それでも白米を食べたい時には、納豆にモロヘイヤかオクラ、昆布などを入れて、ネバネバと一緒に食べる。
「性格はサッパリ、おかずはネバネバがいい」と、自分に言い聞かせている。ネバネバにはムチンという、糖の吸収を遅くする成分が含まれているのだ。


 健康は人生の目的ではない。人生を楽しむための手段に過ぎないのだ。
だから、糖尿病の患者さんにも「3カ月に1度くらいはフランス料理を食べてもいい」と言ってきた。
ご飯やパン、デザートを抜けば、フルコースだって楽しめる。


 最近は「低糖質のフランス料理」なるものも登場した。
東京・四ツ谷(よつや)にある「オテル・ドゥ・ミクニ」では、前菜からデザートまですべて食べても糖質20〜40グラム、というコースを出している。
ふすま粉のパンが出てくるが、二つまでは食べていいという。


 食べてみて驚いた。
本マグロのづけ風マリネ、キャビア添え、わさび風味に始まり、きのこのカプチーノ仕立てと続く。
魚料理は、ボイルしたマダイに、オクラやモロヘイヤ、ツルムラサキといったネバネバ野菜を添えたもの。
レモンの酸味が利き、うまかった。肉料理は牛フィレ肉と、ズッキーニなどの温野菜を一緒にいただく。

 どの皿にも野菜や海藻、きのこが上手に使われている。
デザートも豆乳のブランマンジェや緑茶のシャーベットやショコラと、低糖質のものが続く。
味わっているうちに素材の甘みを感じることができて、満足感がある。


 オテル・ドゥ・ミクニは、北里研究所病院の糖尿病の専門医の協力を得て、低糖質のフルコースを作った。
糖尿病やダイエット中の人に好評で、毎日2卓くらいの予約が入るという。
リピーターも増えている。


 シェフの三国清三(みくにきよみ)さんは「血糖値を上げないようにしながら、食事を楽しめることを知ってほしい。
我慢し続ける食事療法ではなく、時々自分にごほうびをあげながら、健康を守ることのお役に立てるならうれしい」と話す。


 最近はパンやラーメンのめん、ビールなどでも、低糖質の商品が多く出ている。

 無理をしたり、我慢を続けたりする「がんばる健康法」から、そろそろ「がんばらない健康法」にシフトしてみてはどうだろう。
「生きている喜び」を実感できなければ、健康である意味がない。(医師・作家)

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2012年11月23日

なるほどヒヨコ:勤労感謝の日って?

なるほどヒヨコ:勤労感謝の日って?
毎日小学生新聞 2012年11月23日

働(はたらくことに感謝(かんしゃ)する日(ひ)。新嘗祭(にいなめさい)に由来(ゆらい)します

 なるほどヒヨコ 
23日にちは「勤労感謝きんろうかんしゃ」の日だね。キンローってなんのこと?


 記者きしゃ 
一生懸命いっしょうけんめいに働はたらくことを勤労きんろうといいます。
勤労感謝きんろうかんしゃの日は「勤労きんろうをたっとび、生産せいさんを祝いわい、国民こくみんがたがいに感謝かんしゃしあう日」として祝日しゅくじつに定さだめられています。
元々もともとは新嘗祭にいなめさいという行事ぎょうじに由来ゆらいしているんですよ。


 ヒヨコ 
    ニイナメサイ?


 記者きしゃ 
天皇陛下てんのうへいかがその年としに収穫しゅうかくした新米しんまいや穀物こくもつを神様かみさまに供そなえ、神様かみさまとともに食べ、秋あきの実みのりに感謝かんしゃする行事ぎょうじです
「新にい」は新穀しんこくを、「嘗なめ」は食べ物ものをととのえてもてなす、という意味いみがあります。
ふるくは「古事記こじき」にも天照大御神あまてらすおおみかみがこの儀式ぎしきをしていたという記述きじゅつがあるそうです。
いまでも宮中きゅうちゅうや出雲大社いずもたいしゃ、伊勢神宮いせじんぐうなど各地かくちで行おこなわれています。
宮中行事きゅうちゅうぎょうじとしては、最もっとも大切たいせつな行事ぎょうじとされ、天皇陛下てんのうへいかが栽培さいばいした穀物こくもつも供そなえられます。


 ヒヨコ 
  お供そなえするのはお米こめだけ?


 記者きしゃ 
こめのほか、麦むぎ、アワ、豆まめ、キビまたはヒエの五穀ごこくとお酒(さけ)です。
冬至(とうじも近(ちか)くなり、太陽(たいよう)の力(ちから)が弱(よわ)まってくるこの時期(じき)に、古代(こだい)の人(ひと)たちは、新(あたら)しい穀物(こくもつ)のパワーを体(からだ)に取(と)り入(い)れることで厳(きび)しい冬(ふゆ)を乗(の)り切(き)ろうとしたのだと考(かんが)えられます。
この時期(じき)、五穀(ごこく)を混(ま)ぜたご飯(はん)を食(た)べてみるのもいいかもしれませんね。


 ヒヨコ 
秋(あき)の恵(めぐ)みに感謝(かんしゃ)するお祭(まつ)りなんだね。外国(がいこく)でも同(おな)じようなお祭(まつ)りがあるの?


 記者(きしゃ) 
「Thanksgiving Day」(感謝祭(かんしゃさい))という祝日(しゅくじつ)がちょうど同(おな)じころにあります。
アメリカは11月(がつ)の第(だい)4木曜日(もくようび)、カナダでは10月(がつ)の第(だい)2月曜日(げつようび)。
こちらは家族(かぞく)が集(あつ)まって、家(いえ)で七面鳥(しちめんちょう)とジャガイモを食(た)べるのが一般的(いっぱんてき)です。


 ヒヨコ 
    うーんおいしそう!


 記者(きしゃ) 
元々(もともと)は宗教的(しゅうきょうてき)な色合(いろあ)いが強(つよ)かった新嘗祭(にいなめさい)でしたが、第二次大戦後(だいにじたいせんご)の1948年(ねん)に国民(こくみん)の祝日(しゅくじつ)として「勤労感謝(きんろうかんしゃ)の日(ひ)」に制定(せいてい)されました。


 みなさんはまず、お父(とう)さんやお母(かあ)さんなど身近(みぢか)にいる、働(はたら)く人(ひと)たちに感謝(かんしゃ)する日(ひ)にしてみるといいかもしれませんね。
【上東麻子
かみひがしあさこ

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2012年11月24日

さあこれからだ:「言葉」を育てる小学校=鎌田實

さあこれからだ: 「言葉」を育てる小学校=鎌田實
毎日新聞 2012年11月17日 東京朝刊

「生きる力」の基本であるコミュニケーション力を、どうやって身につけるか。

北九州市の小学校教師、菊池省三(しょうぞう)先生がこのほど上梓(じょうし)した「菊池先生の『ことばシャワー』の奇跡」(菊池省三、関原(せきはら)美和子著、講談社)を読んで感動した。

荒れた教室の子どもたちが、1年間で見事に変わっていくのだ。 


 菊池先生が初めて子どもたちと対面した始業式の日。
体育館での式を終えて教室に入る前、菊池先生はバスケットボールのコートの円の中に入るよう、クラス全員に声をかけた。
だが、26人全員がうまく円の中に座ることができない。
円の中に入れず立ったままの子がいても、みんな平気だ。
菊池先生は子どもたちに注意をして全員を座らせると、こう話し始めた。


 「掃除時間に何も持たずにぶらぶらしたり、廊下や階段で暴れたり、今までよくないことを平気でしていた人がいますね。
1組の教室では、そのようなことは絶対に許しません。
そんな今までの自分は、ここで“リセット”しましょう。最高学年としてこれから頑張る、という人だけ立ちなさい」

 全員が立ち上がった。


 このやり方は、うまい。
先生の言うことなんて絶対聞くもんか、と思っている反抗的な子にも「立つくらいはいいかな」と思わせてしまう。
 この「一歩」が肝心なのだ。

 「全員、立ち上がりましたね。わかりました。一緒にがんばりましょう」
 とても明快である。


 崩壊した教室では「死ね」「ばか」「消えろ」「キモイ」など、とげとげしい言葉が飛び交うものだ。
菊池先生は、受け持った6年1組の子どもたちに、教室にあふれさせたい言葉を尋ねた。


「ありがとう」「ごめんね」「おはよう」「いいよ」「やさしいね」「すごいね」……。 
子どもたちは、ほめられること、自分を認めてもらうことに飢えていた。


 菊池先生は、子どもたちの「話す力」「聞く力」「話し合う力」を高めていく。
内気だから、人前で話せないのはしょうがない−−と思わないようにさせるのだ。


 ユニークなのは「ほめことばのシャワー」。友だちのいいところを見つけて、みんなの前で発表させる授業だ。


 「掃除用具を片づけていたら、○○さんが手伝ってくれました。5年生のときとちがってやさしくなったと思います」


 ほめる方も、人のいいところを探す目が養われる。ほめられる方も、自分にはこんないいところがあった、ということを発見する。
「ほめことばのシャワー」を浴びると、自信と安心が得られるのだ。

それだけではない。菊池先生は子どもたちに、何度もこう語りかけている。

 「知恵がないものがいくら知恵をしぼっても、何も出てこない。だから本を読もう、人と会おう」

ぼくにも子どもの時、似たような体験があった。

 小学校高学年の時、知能検査があった。
しばらくして、担任の先生に言われた。

 「おい、鎌田、お前、IQそれほど高くないぞ」


 ぼくはそのころ級長をしていた。
通信簿もたいていオール5。
俗に言う「優等生」だった。
でも勉強は好きではなかった。
試験の前の「一夜漬け」が得意だったのだ。


 だが「IQ高くないぞ」と言われてみて「そうかもしれない」と思った。
頭がすごくいいヤツがいることは、子どもの目でもわかる。
そういう人と自分とは違うことが、この時にわかった。


 先生がなぜそんなことを言ったのか、わからない。
一夜漬けで一応の成績をとっててんぐになっていたぼくの「がんばりすぎない」性格を見抜いて、発奮(はっぷん)材料にしてくれたのかもしれない。


 「IQ高くないぞ」という言葉は、ぼくにとっていい「リセット効果」をもたらした。
頭がよくないから、みんなと同じことをしていてはダメだと思うようになった。

知識は少ないけれど、たくさんの本を読んで、たくさんの人に会い、いろんなことを教えてもらおうと思った


 大学受験を意識するようになった時も「IQ高くないぞ」という言葉はちゃんと残っていた。
みんなと同じことをしていては、自分のいる環境から抜け出せないと思った。
朝4時半に起きて勉強するようになった。
その意識は、今も変わらない。今64歳、いまだに4時半に起きて机に向かっている。


 小学校の教室で学んだことは、一生影響すると思う。


 言葉が貧困なのは、荒れた教室の子どもたちばかりではない。
ぼくたち大人社会にも、人を傷つけ、他人を尊重しない言葉が横行しているのではないか。

 言葉は時に人を傷つけ、時には命を奪ってしまう。
だが、人を勇気づけてくれるのも、人と人とがわかり合えるのも、言葉あってこそだ。言葉には使う人の心が映る。


 菊池先生は、言葉の使い方の技術だけを教えているのではない。子どもたちの言葉を育て、心を育てているのだ。


 先生の話をもっと聞きたくなった。
25日午前10時からの「日曜はがんばらない」(文化放送)のゲストとして、先生に電話出演してもらう。
当日の放送を楽しみにしていただきたい。
聞き逃した方、放送圏外の方は後日、ネットストリーミングで聴くことができる。
(医師・作家)

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2012年11月25日

<からたち垣根に/吹く風は/いたむこころに/たえがたき・・>

筆洗
2012年11月25日  東京新聞

<からたち垣根に/吹く風は/いたむこころに/たえがたき/−ああ たえがたき/秋の風>。
サトウハチローの詩「秋の風」の一節だ。
晩秋の風は一層冷たさを増し、沈みがちな心に吹きつけてくる

▼織田作之助は『秋の暈(かさ)』という随筆をこう書き出している。
「秋という字の下に心をつけて、愁と読ませるのは、誰がそうしたのか、いみじくも考えたと思う」。
心を従える四季の漢字には「惷」があるが、やはり「愁」にひかれてしまう

▼里に下りた紅葉前線の錦繍(きんしゅう)の彩りが鮮やかだ。
イチョウの葉の黄色いじゅうたんが広がり始めた。
物理学者の寺田寅彦は、窓の外に見えるイチョウの木々が、風もないのに申し合わせたように濃密な黄金色の雪を一斉に降らせた驚きを書き残している

▼<何かしら目に見えぬ怪物が木々を揺さぶりでもしているか、あるいはどこかでスウィッチを切って電磁石から鉄製の黄葉をいっせいに落下させたとでもいったような感じがするのであった>。
不思議な自然の摂理である

▼イチョウの実のギンナンは食べ過ぎると中毒を起こす。
六十個を食べた四十代の女性が嘔吐(おうと)やめまいなどを訴え、救急搬送された例もあるという。
特に幼児にたくさん食べさせるのは禁物だ

▼<銀杏(ぎんなん)が落ちたる後の風の音>中村汀女。
イチョウが黄色く色づいた葉を完全に落とすと、いよいよ冬の到来である。
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2012年11月28日

「ブスの25箇条」宝塚歌劇団 伝説の教え



宝塚歌劇団の教え すごいですね。
この反対が「誠心の25箇条」になりますもの。


トモさんのブログより 
          http://blog.goo.ne.jp/drsaku
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2012年12月01日

子どもの低体温が増加…対策は「早寝早起き」「運動」「水分補給」

子どもの低体温が増加…対策は「早寝早起き」「運動」「水分補給」
2012年11月30日(金)12時31分配信 リセマム

 キリンMCダノンウォーターズは、全国の小児科医107名に対し実施した「子どもの低体温傾向とその対策に関する調査」の結果を発表した。
調査結果から、
低体温の子どもが増えていると感じている小児科医が8割近くおり、その対策として規則正しい生活や適度な運動、そして水分補給が有効と考えられていることがわかった。
 調査によると近年、低体温の子どもが「増えている」(2.8%)、「やや増えている」(75.7%)と、合わせて約8割の医師が増加傾向にあると答え、小児科医の多くが実感していることが明らかになった。

また低体温の子どもが増えてきたのは、ここ数年(3年前まで)と感じている医師が40.5%、5年前くらいからが36.9%、10年前からが20.2%で、98%以上の医師がここ10年の間に変化が起きたと考えている。

 低体温の子どもに共通する特徴について尋ねたところ、もっとも多く寄せられたのが「やせ気味」(49.5%)と「疲れやすい」(38.3%)。
さらに「集中力がない」(16.7%)、「動きが緩慢」(17.8%)、「食欲にムラがある」(16.8%)などの回答も多く、どれも今後の学校生活を送るうえで大切な物が失われる可能性が大きい。

 これらの理由としては「代謝の低下」(58.9%)をあげる医師がもっとも多く、ついで「睡眠不足」と「就寝時刻が遅い」(それぞれ45.8%)、「食生活の乱れ」(42.1%)、「冷暖房の使用による体温調節機能の低下」(41.1%)、「運動不足」(35.5%)が続いており、生活習慣の乱れは低体温に結びつきやすいと考えられていることがわかった。

 ここで大切なのはその対策だ。
低体温を防ぐために、医師が勧めていることとしては「適度な運動」(72.9%)、「十分な睡眠」(65.4%)、「食生活の改善」(57.9%)「水分補給」(72.9%)だ。

 「適度な運動」の度合いとしては「ジョギングや鬼ごっこなどの軽く汗をかく程度」をあげた医師が71.8%がもっとも多く、ついで「ウォーキング、体操、お遊戯等の軽い運動」が52.6%で、軽い運動で十分だと考えられる。

また、十分な睡眠の目安は「8時間以上」が9割を占めたが、早く就寝することが大切と考える医師が半数近く(47.7%)いたことから、単に睡眠時間数を増やすだけでなく、「早寝早起きをする」などの生活習慣を正すことも大切だ。

水分補給の方法は「少量をこまめに」と回答した医師が9割近くにのぼる一方、「たくさんの量を飲む」という回答はゼロ。
さらに温めて飲むよりも「常温を飲む」をあげた医師のほうが倍以上多く、こまめに常温での水分摂取を心掛けたい。

 なお、10歳前後の子どもが必要な1日の水分量は「1.5リットル」と考える医師が40.2%で最多。
ほか、1リットル程度が32.7%、2リットル程度が21.5%と続き、9割以上の医師が1日に「1〜2リットルの水分補給」を推奨している。
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2012年12月05日

たくさんの人が「意味を勘違い」して使っている言葉

たくさんの人が「意味を勘違い」して使っている言葉
2012年12月5日(水)18時0分配信 美レンジャー

年賀状を書く時期になってきましたね。
口語や文語、敬語の使い分け。
日本語の難しさは公の機会があるたびに迷ってしまうもの。


通例化してしている言葉の中に、間違った日本語が使われているのをよく目にします。
今回は彼氏や友人の前でも使わないように気をつけたい、ありがちな
思い込みを再検討です。


■意外と気付かない重複語の落とし穴


ひとつの言葉で意味が通じるのに、つい使ってしまうのが重複表現です。わかりやすいものを以下にあげてみました。


(1)お中元/お歳暮のギフト
お中元とお歳暮は、お世話になった方への贈り物という意味です。”ギフト”と重複していますね。
(2)一番最初/最後”
最も”がつく単語に”一番”をつけると同じ意味を繰り返すことに。

(3)後で後悔する
”後悔”とは必ず”後”にするものですよね。
(4)過半数を超える
過半数はすでに半分を超えていることです。
(5)余分な贅肉
余計な脂肪という意味ならば”贅肉”のひとことで伝わります。
(6)今現在
まさに”今”ということを強調したいのかもしれませんが、これも重複表現です。
(7)元旦の朝
元旦とは元日の朝のことです。
(8)クリスマスイブの夜
イブは前夜という意味ですよね。


実はこうした言葉はアナウンサーも間違ったまま発言していることも! ビジネスシーンなどでは特に気をつけたいところです。


■勘違いしやすい言葉の使い方


友人がしているちょっとした勘違いを正すのも気が引けますよね。
せめて自分だけは意識してみましょう。以下に、大人でも多い勘違いを紹介します。


(1)的を得た
的は射るものなので、”得る”ものではありません。
(2)熱にうなされる
夢にはうなされますが、熱には浮かされる、が正解です。
(3)合いの手を打つ
打つのは相づちです。正しくは”合いの手を入れる”。
(4)愛想をふりまく
正しくは”愛嬌をふりまく”。愛想は態度のことなので、振りまくことはできません。
(5)体調を壊す
体調は壊せないものなので、”体調を崩す”なら正解です。
(6)取りつく暇もない
多忙で暇がない、という意味ではありません。正しくは”取りつく島もない”で、冷たい態度をとられて会話のきっかけさえ掴めないことです。


グレーゾーンになっている言葉のひとつに”ご存知”があります。”知る”の謙譲語である”存じ上げる”が語源なので、”ご存じ”が正しいかたちですが、今では慣例によりどちらでも許される風潮に。


ひょっとしたら間違いに気付いている人も、聞き流してくれているのかもしれませんね!? 
他人の間違いにもあまり厳しくしないであげてみてくださいね

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2012年12月19日

非正規教員11万人超 公立小中校 正規は1万人減

非正規教員11万人超 公立小中校 正規は1万人減
2012年12月16日 東京新聞朝刊

全国の公立小中学校で臨時採用などの非正規ので臨時採用などの非正規の教員が増え、二〇一二年度は教員全体の16%に当たる十一万三千人となったことが十五日、文部科学省の調査で分かった。

一方で正規教員が減少しており、

同省は十分な研修を受けていない非正規教員の増加は教育の質向上の面で問題があるとして、正規採用を計画的に増やす考えだ。


非正規教員は、産休や育休の代替を含む臨時採用の常勤講師と、非常勤講師。年々増え、八万四千人だった〇五年度から約三万人増えた。
半面、正規教員は〇五年度の五十九万七千人から一二年度は五十八万七千人に減った。


教員定数に占める割合でみても、正規教員は94・8%から92・7%に下がった。
都道府県別では沖縄が83・8%で最も低い一方、財政力のある東京は101・8%で定数を上回って採用しているなど地域間格差もみられた。


 こうした背景には、教員を複数年にわたって増やす国の「定数改善計画」が、財政難などを理由に〇六年度以降策定されていない事情がある。
このため各自治体は国が予算編成で教員増の予算を計上するかどうか年末まで見極めなければならず、十分な採用期間を確保できないのが現状だ。


 文科省は今年九月、正規教員の増員と少人数学級の推進を図るため、一三〜一七年度で二万七千八百人の増員を盛り込んだ定数改善計画案をまとめた。
しかし財務省は少子化を理由に五年間で一万人削減できると主張しており、来年度予算編成の焦点となりそうだ。
*********************
「年収170万円」の聖職
クローズアップ現代
(2008年11月6日放送)

教員の世界でとんでもないことがおこっている。
予算削減で教員を減らし、その穴を非正規教員で埋めているのだ。
産業界は、派遣社員でもっているようなものだが、教員の世界までもそうなのか。
 非正規教員とは、教員免許はもっているが、教員採用試験に合格していない教師のことだ。
収入も正規教員の半分。
雇用も不安定で最長でも1年契約で、年度の途中で打ち切られることもある。
国谷裕子は、「正確な数はわからないが、公立の小中学校で少なくとも9万人、全体の14%にのぼる」といった。

「学習塾でバイト」しないと食べていけない


小泉首相の三位一体改革で、国は自治体に公務員削減を求め、一方で少人数学級などきめ細かな教育も求めた。
この矛盾を切り抜ける手段が非正規教員だという。


広島市内・公立中学の非常勤講師松浦佑紀(23)は、昨(2007)年大学を卒業したが、まだ採用試験に合格していない。
給料は時間単位、ひとコマ2500円。
ボーナスや手当もないので、年収は正規教員の半分の170万円だ。

この学校では44人の教員のうち13人が非正規だ。

広島県は財政事情から全国に先駆けて教員削減を進め、2002―07年の間に1200人を減らし、代わりに非正規教員を700人増やした。
一方国が求める教育改革で、広島市では習熟度別授業でクラスを2つに分け、先生1人に生徒20人態勢を進めようとしている。
それに必要な教員200人はすべて非正規をあてる方針だ。
松浦佑紀もその1人というわけだ。


しかし、彼は授業が終わると早々に学校を後にする。
学習塾でのアルバイトをしないと食べていけないからだ。
帰宅してからも、学校でのテストの採点などをするが、手当はつかない。
「生徒たちと一日中一緒にいたいが、できないのが寂しい」という。

「国が責任を持って負担すべきだ」

取材したNHK広島の戸来久雄記者は、「パートタイムで4つの学校を行ったり来たりの人もいた。
しかし、みな正規採用を目指しているが、やめていく人も多い」という。
国谷は、「非正規教員がふえて、教育の質は保たれるのか?」と藤田英典・国際基督教大学教授に聞いた。


藤田教授は、「質の低下はありうる」として、
(1)非正規教員は研修の機会もなく、力量があっても発揮できない、
(2)他の教師との連携が弱い、
(3)専任教師の負担が重くなる、などをあげた。

元をたどれば財政問題だ。

三位一体改革では、義務教育への国庫負担が2分の1から3分の1に減らされ、減った分は交付税として自治体にいってはいるのだが、非正規教員で浮いた予算を他にまわすというのが実情だという。

現に広島県内で、病気で欠けた理科教師の代わりが見つからず、自習を続けたあげく中間試験を見送った学校。
数学の教師の穴を保健体育の教師が埋めた話があった。
一方東京・杉並区は、区独自に教員研修を行って採用。
プラスの配置で30人学級を増やしたりしている。
財政力によるとんでもない格差……。


藤田教授は、「義務教育はライフライン。
予算は国が責任を持って負担すべきだ。
金も人手もかけずでは、質が保てまい」という。


教育改革は、安倍首相(当時)がイギリスのサッチャー改革を範として進めたものだ。が、サッチャーの政策は教育現場を荒廃させたとして、ブレア首相(当時)が建て直しに着手した。決め手は巨額の予算投入だった。
*NHKクローズアップ現代(2008年11月6日放送)

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2013年01月02日

正月行事の意味

正月行事の意味
2013年1月2日(水)9時30分配信 All About


新年を迎え気持ちも新たに……などといいますが、昔は元旦に年神様(新年を司る神様)からその年の魂を分けていただくと考えられていました。
”魂”というと驚くかもしれませんが、年神様から”生きる気力”を授かることが正月の大きな意味で、一連の正月行事は、年神様を家に迎えて・もてなし・見送るためのものです

その昔、誕生時が1歳で、その後元旦に年をとる「数え年」だったのは、魂の数が年齢だったから。
お母さんのお腹の中にいるときに既に魂があるから生まれたときは1歳で、年神様から魂をいただく元旦にみんな一斉に年をとるわけです。

では、どうやって魂を授かったのでしょう。

まず、年神様の依りどころである鏡餅に「年魂」が宿ります。
この「年魂」が宿った餅玉を、家長が家族に分け与えます。(これが「御年魂=御年玉」です)。
その餅玉を身に付けるための料理が「雑煮」で、食べることで心身に取り込んだのです。
今でも、雑煮のお餅はたくさん食べたほうが良いと言われているのは、このような理由があるからです。
時と共にかたちは変わってきましたが、正月の意味を知ることで、行事に対する思いが深まるのではないでしょうか。

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2013年01月12日

やってみせて/言って聞かせて/やらせてみて/ほめてやらねば/人は動かじ

やってみせて/言って聞かせて/やらせてみて/ほめてやらねば/人は動かじ
2013年1月11日    東京新聞「筆洗」


<やってみせて/言って聞かせて/やらせてみて/ほめてやらねば/人は動かじ>。
山本五十六が残した有名な言葉だ。
米ハワイの真珠湾を奇襲した連合艦隊の司令長官は、日米開戦を防ぐため、日独伊の三国同盟締結に体を張って反対した開明的な軍政家でもあった。
その教育論は示唆に富む

百人いれば百通りの教育論がある。
自分の経験が基にあるだけに、信念は簡単には曲げられない。
ほめるよりも、叱る方が教育的な効果がある、と信じている人も少なからずいるだろう

▼大阪市桜宮高校のバスケットボール部の主将が先月自殺したのは、部活の顧問の男性教諭の体罰が原因だった。
自殺の前日には三、四十回殴られた、と心配していた母親に明かしていた。
問がしたことは教育的指導などではなく、明らかな犯罪行為だ

閉鎖的な学校空間が暴力のはびこる実態を外から見えにくくしている
複数の教員が体罰を目撃していたが、黙認していたという。
過去のいじめ事件から何を学んできたのだろうか

▼自殺する前日、顔を腫らせて帰ってきた時も、「弁当おいしかった」と母親を気遣う優しい子だった。
主将でなければ、強豪校でなければ、常軌を逸した暴力にもっとサインを出せたのではないか。
そう考えると、やりきれない

ほめられ、叱咤(しった)されて伸びる才能はあろう。
踏みにじられて伸びる芽はない。
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「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ

「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ
2013年1月11日20時51分    朝日デジタル

【岡雄一郎】
体罰問題について、元プロ野球投手の桑田真澄さん(44)が朝日新聞の取材に応じ、「体罰は不要」と訴えた。
殴られた経験を踏まえ、「子どもの自立を妨げ、成長の芽を摘みかねない」と指摘した。

 私は中学まで毎日のように練習で殴られていました。
小学3年で6年のチームに入り、中学では1年でエースだったので、上級生のやっかみもあったと思います。
殴られるのが嫌で仕方なかったし、グラウンドに行きたくありませんでした。
今でも思い出したくない記憶です。


 指導者が怠けている証拠でもあります。
 暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法。
昔はそれが正しいと思われていました


 早大大学院にいた2009年、論文執筆のため、
プロ野球選手と東京六大学の野球部員の計約550人にアンケートをしました。


 
体罰について尋ねると、「指導者から受けた」は中学で45%、高校で46%。
「先輩から受けた」は中学36%、高校51%でした。
「意外に少ないな」と思いました。


 ところが、アンケートでは「
体罰は必要」「ときとして必要」との回答が83%にのぼりました。
「あの指導のおかげで成功した」との思いからかもしれません。

でも、肯定派の人に聞きたいのです。指導者や先輩の暴力で、失明したり大けがをしたりして選手生命を失うかもしれない。それでもいいのか、と。


 私は、体罰は必要ないと考えています。「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか? スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。

殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。
スポーツ界にとって大きな損失です。

でも、例えば、野球で三振した子を殴って叱ると、次の打席はどうすると思いますか? 何とかしてバットにボールを当てようと、スイングが縮こまります。
それでは、正しい打撃を覚えられません。
「タイミングが合ってないよ。どうすればいいか、次の打席まで他の選手のプレーを見て勉強してごらん」。
そんなきっかけを与えてやるのが、本当の指導です。


 今はコミュニケーションを大事にした新たな指導法が研究され、多くの本で紹介もされています。
子どもが10人いれば、10通りの指導法があっていい。
「この子にはどういう声かけをしたら、伸びるか」。
時間はかかるかもしれないけど、そう考えた教え方が技術を伸ばせるんです


 「練習中に水を飲むとバテる」と信じられていたので、私はPL学園時代、先輩たちに隠れて便器の水を飲み、渇きをしのいだことがあります。
手洗い所の蛇口は針金で縛られていましたから。
でも今、適度な
水分補給は常識です。
スポーツ医学も、道具も、戦術も進化し、指導者だけが立ち遅れていると感じます。


 
体罰を受けた子は、「何をしたら殴られないで済むだろう」という後ろ向きな思考に陥ります。
それでは子どもの自立心が育たず、指示されたことしかやらない。
自分でプレーの判断ができず、よい選手にはなれません。
そして、日常生活でも、スポーツで養うべき
判断力や精神力を生かせないでしょう


 「極限状態に追い詰めて成長させるために」と体罰を正当化する人がいるかもしれませんが、殴ってうまくなるなら誰もがプロ選手になれます。
私は、体罰を受けなかった高校時代に一番成長しました。
「愛情の表れなら殴ってもよい」と言う人もいますが、私自身は体罰に愛を感じたことは一度もありません。
伝わるかどうか分からない暴力より、指導者が教養を積んで伝えた方が確実です。


 日本のスポーツ指導者は、指導に情熱を傾けすぎた結果、体罰に及ぶ場合が多いように感じます。
私も小学生から勝負の世界を経験してきましたし、今も中学生に野球を教えていますから、勝利にこだわる気持ちは分かります。
しかし、アマチュアスポーツにおいて、従」で師弟が結びつく時代は終わりました。今回の残念な問題が、日本のスポーツ界が変わる契機になってほしいと思います。

     ◇

 大阪府出身。PL学園高校時代に甲子園で計20勝を記録。
プロ野球・巨人では通算173勝。米大リーグに移り、2008年に現役を引退した。
09年4月から1年間、早稲田大大学院スポーツ科学研究科で学ぶ。
現在はスポーツ報知評論家。
今月、東京大野球部の特別コーチにも就任。
著書に「野球を学問する」(共著)など。

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「心のノート」復活 政権ごとに変わる教育 現場当惑

「心のノート」復活 政権ごとに変わる教育 現場当惑
2013年1月12日 06時59分   東京新聞

子どもの心に教育がどこまで踏み込むべきか−。
導入時に議論を呼び、民主党政権では中止された道徳副教材「心のノート」の小中学校への全児童・生徒への配布が、自民党の政権復帰で復活しようとしている。
政権交代ごとにコロコロと施策が変わることに「教育現場の声にもっと耳を傾けてほしい」と切実な声が上がる。 (加藤文)


 「心のノート」は、神戸の連続児童殺傷事件(一九九七年)など深刻な少年事件が相次ぎ、いじめや不登校が社会問題化したことを受け二〇〇二年度から文部科学省が配布。
小学校の低、中、高学年用と中学生用の四種類あり、思いやりや友情の大切さに加え、愛国心なども盛り込まれた。
中学生用には「我が国を愛しその発展を願う」などの記載があり「一定の方向に子どもを誘導することにつながりかねない」との批判も出ていた。


 民主党政権による事業仕分けで、約三億円の予算は削減され、一〇年度からは配布を中止。
必要に応じ、文科省のホームページからダウンロードして使用するよう改めた。


 十一日に公表された一三年度予算の概算要求には、全校配布の費用が盛り込まれた。
さらに、一三年度中に省内に有識者会議を立ち上げ、改訂版をつくる方針だ。


 「モラルを教えることは大切だが、心のノートが本当に役立つとは思えない。
子どもに刷り込もうとする大人の思い上がりではないか。

学校で現実に起きていることを題材に、子どもたちに考えさせることが大切だ」。
都内の中学の男性教諭(60)は指摘する。
「教育が政治の道具に使われる危険を感じる」


 東京都は昨年七月、都独自の道徳用教材「心 みつめて」を中学生に配布。
教科書会社発行の副読本を使う学校もある。
「心のノート」が加われば三冊目となる。
年間三十五時間の授業時間では、三冊は到底、使い切れないとの声も上がる。


 自民党政権の復活に伴い、調査対象を限定していた全国学力テストや体力テストも全校調査に戻される。

「今でも中間、期末試験に加えて区と都の学力テストがある。これに全国学力テストが加われば現場の負担が大きい」(都内の中学校長)との声も漏れる。


 学校現場の声を反映せずに、政権交代によって変わる教育予算。
文科省の伯井美徳財務課長は「(その時々の政権下の)決められた予算内で行うしかない。
もともと配布していたのを復活させるもので、道徳教育には欠かせない教材」と説明する。


 ある小学校の男性教諭(48)は「教育政策がころころと変わると現場は混乱する。腰を落ち着けて取り組める施策にお金を使ってほしい」と訴える。

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2013年01月16日

余録:それは「体罰が暗記学習の成績向上に有効かどうか」

余録:それは「体罰が暗記学習の成績向上に有効かどうか」
毎日新聞 2013年01月16日 00時11分

 それは「体罰が暗記学習の成績向上に有効かどうか」という実験だった。
教師役が被験者の生徒役に問題を出し、できねば電気ショックを与える。
間違えるとだんだん電圧を上げるというものだった。
今から半世紀前の米国の実験である

▲「そんな、乱暴な」と驚かれようが、実はその実験目的も電気ショックもうそで、本当の被験者は教師役だった。
偽の電圧操作盤を回すと生徒役は壁越しに悲鳴をあげ、実験停止を懇願してみせる。
一方、実験の監督者は大丈夫だから実験を続けるよう教師役に命じた

▲では最後に見かけの電圧が400ボルトを超えても実験を続けた教師役は全体の何%だろうか。
これが実験の真の目的だった。
事前の学者らの間の予想は2%未満だったが、実際は65%が最後まで実験継続を拒まなかった(岡本浩一(おかもと・こういち)著「社会心理学ショートショート」)

▲主導した学者の名前から「ミルグラム実験」と呼ばれるこの実験である。
それが示すのは、権威者の命令があれば容易に人はその支配下にある者にどこまでも残酷になれるという事実だ。
「権威者の命令」が大義名分や正義の感情に置き換えられる場合もあるだろう

▲大阪市の高校の部活での常軌を逸した部員への暴力も、部活の体罰への学校幹部らの見て見ぬふりの中で歯止めを失ったようだ。
一般に部活では珍しくないとされる体罰だが、いったん正当化された密室内の暴力がはらむ危険に教育者が鈍感であっていいはずがない

▲指導に体罰を用いる先生方は生徒らを試しているのだろう。
だが実は試されているのは自身の人間性だったと後から分かっても、失われたものは戻らない。

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2013年01月19日

つもりちがい十ケ条

つもり違い10ケ条 曹洞宗.jpg

画像クリック
鮮明拡大に


「素顔のままで・・」kanmoさんブログより
http://kanmo13579.blog.fc2.com/
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2013年01月20日

社説:桜宮高校の体罰 入試中止要請は筋違い

社説:桜宮高校の体罰 入試中止要請は筋違い
毎日新聞 2013年01月20日 02時30分 

大阪市立桜宮高校の体育科の生徒が教諭から体罰を受けた後に自殺した問題で、橋下徹市長は、来月実施の体育科とスポーツ健康科学科の入試を中止するよう市教委に求めた。

 体罰容認の風潮を残したままで新たに生徒を受け入れられないというのが橋下市長の考えだ。
体育系2科の希望者をいったん普通科で受け入れ、入学後に編入を検討するよう提案し、市教委が中止しなければ、市長権限で入試に関連する予算を支出しない意向を示している。


 しかし、体育系2科と普通科では入試科目や配点が異なり、編入もスムーズにいくか分からない。
受験生だけでなく、在校生への影響も大きい。
受験生や生徒たちに負担を与えてはならない。
入試中止は筋違いであり、再考すべきだ。


 今最も重要なのは、長年にわたって体罰が行われてきた実態を解明し、責任の所在を明らかにすることだ。
大阪市は弁護士による外部監察チームをつくり、市教委も連携して3月末までに再発防止策を定める。

 ところが、橋下市長は「廃校もありうる」とまで言及している。
真相が明らかにされないうちに、市長が学校そのものが悪いという姿勢を示せば、その意向に沿った調査になりかねない。
強い反省に立って真摯(しんし)に原因究明しなければ意味はない。


 橋下市長は、同校の全教員を異動させるよう市教委に求め、運動部の全顧問を入れ替えないと人件費を執行しないとも明言した。
予算権を盾にして従わせようとすれば、教育行政の公正を脅かしかねない

その一方、今回の問題の背景に学校と市教委の閉鎖的体質があるのは事実だ。
体罰をした教諭は19年間勤務しバスケットボール部を強豪チームにした。
校長らは指導に口出しせず、市教委も匿名通報がありながら部員から聞き取らず体罰はないとの結論を出していた。
体質を改めない限り、信頼は取り戻せない。


 文部科学省も全都道府県教委に体罰の実態調査を求め、再発防止策を考える。
根絶には行政、学校、保護者ら社会全体で取り組む必要がある。
桜宮高校だけの問題ではない。

 大阪市教委は、体罰が発覚したバスケット部とバレーボール部の無期限活動停止を決めた。
生徒を自殺に追い込んだ事態を重く受け止めたものとはいえ、生徒全体に責任を負わせるようなやり方は疑問だ。

これまでの指導内容を見直すことは急務だが、在校生の意欲を低下させないため、今後、再開時期を慎重に見極めていく必要がある。


 入試の実施か中止かを大阪市教委は21日に決める。
子供の将来を熟慮したうえで結論を出して、橋下市長との合意形成を望みたい。

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2013年01月25日

生徒に「塩酸」飲ませ大騒動に“常識”が通じない教師が増えるワケ

生徒に「塩酸」飲ませ大騒動に“常識”が通じない教師が増えるワケ
2013年1月21日 ゲンダイネット掲載


100倍希釈で害はないらしいが…
またトンデモ教師のお騒がせだ。

愛知県蒲郡市の中学校で、23歳の理科の担当教師が、実験がうまくいかなかった生徒2人に水で100倍に薄めた塩酸を飲ませた問題。
一部の保護者からの連絡で発覚し、教師本人も事実関係を認めている。
実験前に生徒の前で「失敗したら塩酸を飲んでもらう」と“通告”していた。

生徒2人は今のところ健康被害を訴えていないようだが、「塩酸」は肌に触れれば大ヤケドする危険な薬品である。
100倍に薄めたからといって、本当に害はないのか。

「学校で実験に使うのは通常35〜36%の濃度の強塩酸になります。
タンパク質に反応するため、皮膚に触れない限り大丈夫ですが、この濃度をそのまま飲めば、のどをヤケドします。
今回は100倍に薄めているため、塩酸の成分はほとんどなくなっていて、問題はないでしょう。
教師本人もわかってやっていたと思います。
毒性を大騒ぎすることはありませんが、同義的責任は問われるべきでしょう」(工学博士の秋元格氏)

 教師はまだ23歳の新米とはいえ、害がないことがわかっていても、常識的に考えれば大問題になることは理解できるはず。
なぜこんなことが起こるのか。

 元文科官僚で京都造形芸術大芸術学部教授の寺脇研氏がこう言う。
「今の学校は教師を育てる仕組みが機能していないからです。
昔から教師の世界は互いのやり方に干渉しない不文律が存在する。
若い教師にベテランが指導することもないので、今回の理科教師のように勝手な自己流でやってしまうのです。
体罰問題もそうですが、こうした間違いを正すために管理職がいるはずなのですが、それも機能していない。深刻です」

 おかしな教師が次々出てしまうわけだ。
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2013年01月28日

公務員は 年度途中に行政の都合で勤務条件を変えられるのか・・

私は、元埼玉県川口市教員として 退職したため、途中1月末退職をする人、3月末の退職を決断した人の 双方の「苦悩」がわかる気がして この問題を避けてきました。

ことの発端は、労働協約権のない国家公務員の退職金減額を 年度途中で強行する「行政」の横暴にあります。
そして、総務省通知という形で 地方に下ろし、各自治体が「働く者の生活」より 国の通知にそって条例を可決したことです。

今年度4月に退職金減額が予見可能であったのならば、途中退職は 問題でしょうが、唐突に年度途中で 退職金減額条例を成立させ、しかも年度途中の2月から施行というのは 余りにも乱暴な行政のやり方ではないでしょうか・・・。

職務に忠実であろうとするからこそ 悩んだことと思います。
こんな横暴に 抗議・問題提起なしに辞めるのか、まじめであるからこそ 施行日前日の退職にした人もいると思います。

公務員として 国や行政の決めたことに黙って従え、というのであれば、怖いブラック企業のようです。
何か 今のうつ病2級の苦しさ 症状が 小さい悩みのように感じてしまいます。

それと代員に 臨時採用者をあてるということですが、本来なら 学卒者で採用名簿に載っている人の前倒し 本採用が 責任ある行政の立場だと思う所です。

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教員の早期退職 やはり残ってほしかった
2013.1.25 03:06   産経新聞「主張」

 学校の3月は、別れの季節である。
卒業式があり、終業式があり、親しんできた級友や恩師と別れを告げる。
そんな大事な時を控え、先生が先に学校をやめてしまう。
理由は退職金の減額を避けるためだという。


 生徒に、どう説明できるのだろう。
下村博文(はくぶん)文部科学相は、「責任ある立場の先生は最後まで誇りを持って仕事を全うしてもらいたい。許されないことだ」と述べた。


 だれもが抱く不快感を代表した談話といえるだろう。

生徒を置き去りにすることなく、先生たちには学校に残ってほしかった。


 国家公務員の退職手当を今年1月から減額する法律が昨年11月に成立したことに伴い、総務省は各自治体にも国家公務員に準じる措置を取るよう求めた。


 埼玉県では2月から県職員の退職手当を減額する条例が成立し、3月末に定年退職を迎える教員1297人のうち、学級担任を含む110人が1月末での退職を希望した。
勤続35年以上のモデルで退職金2520万円のところ、3月末まで働けば、140万円が減額されるという。


 小さな額ではない。同情すべき点はある。それでも生徒の存在を無視した駆け込み退職には、違和感を持たざるを得ない。

すでに1月から減額した佐賀、徳島両県でも昨年末までにそれぞれ25人と7人の教員が退職した。
先生だけではない。

3月から減額する愛知県警では、幹部を含む140人以上の警察官と職員が2月中の退職を希望している。


 佐賀県教委は退職者に学級担任もいたため、退職を認めたうえで年度末まで臨時任用した。
3月から減額の京都府警は、2月末で駆け込み退職する場合には3月の1カ月限定の再任用を提示した。


 一見、工夫を凝らした措置にみえるが、減額逃れを制度的に保証したにすぎない。
減額の前提に、公務員の高すぎる退職手当への批判があったことを忘れてはならない。
何より、正規に3月末まで仕事を全うした人との間に生じる不公平を、どう説明するのか


 現に、埼玉県では大多数の教員が年度末退職まで、「先生」であろうとしている。

同じ条件下にある埼玉県警では、退職対象の警察官・職員185人のうち、早期退職の希望者はいまのところ、ゼロなのだという。
うれしくなる数字ではないか。

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2013年02月02日

最後まで勤めたかった 早期退職の教員、悩んだ末の決断

最後まで勤めたかった 早期退職の教員、悩んだ末の決断
2013.2.1(金)    埼玉新聞

 2月の退職手当減額前に教員の「駆け込み退職」希望が相次いだ問題は、手当が減額されない期限の
31日付で、県内の教員104人が早期退職した。

本来なら年度末までいられる学校現場から2カ月も早く去ることになった教員の一人は「最後まで勤めたかった」と悩み抜いた末の結論だったと明かす。
一方、3月末まで残る教員も「あまりに理不尽」と県教委の対応を批判している。


■突然の通告


 県北部にある市立中学校のクラス担任だった男性(60)が退職手当の減額を知ったのは昨年12月。
終業式の日、勤務先の校長から聞かされた。
退職まであと数カ月で、さすがに驚きを隠せなかった。


 退職を前倒しするか、3月末まで勤めるか。
回答期限は1月11日。
家族も困惑し、年末年始は何度も話し合った。
家庭の事情もあったが、担任している生徒たちがどう感じるだろうかと深く悩んだ。「子どもたちのことを考えるとつらかった。
最後は経済的な理由から、自分で決めた」

 自分の決断を伝えると、生徒たちはとても驚いた。「寂しい」と言ってくる子もいて、苦しさが募ったという。


■あり得ない


 県南部の中学校教諭(60)は3月末まで勤めることにしている。
1月末で辞めるよりも退職手当は150万円程度減る。
手当減額を知らされたのはやはり12月。
「あまりに理不尽。いきなり、それも12月に入って言いだすなんてあり得ない」と怒りが湧いた。 
しかし、生徒たちを置いていくわけにはいかなかった。
「先生、辞めないの?」と尋ねてくる生徒には「辞めたらどうなるか分かるでしょ」と答えている。
ほかの先生が困るだろうし、君たちもそれでいいの、と。
それでも「辞める先生もやっぱり苦しんでいると思うよ」と話すことも忘れない。


 早期退職する教員がいなければ、この問題が報道されることもなかっただろう。
よくやったとは思わないにせよ、その人たちを責める気はない。
決断するまでには相当の葛藤があっただろうし、それでもあえて辞めるのには(県教委に対する)抗議の意味もあると思えるからだ。


 今回の問題では、早期退職する教員にも批判の矢が向けられた。
「辞める人も銭金だけで辞めるわけではないはず。
それしか抗議の手段がなかったのではないか」


■士気に影響


 県教委は、早期退職者の穴を臨時教員で補充することにしている。
この教諭も「(2月以降も)今まで通りやっていくしかないが、全体の士気には影響がある」と今後を心配する。
特に2年後に退職する人の手当は数百万円の減額になる。
人生設計が狂いかねない金額で、ダメージは大きい。


 31日付で退職する男性も納得はできない。
なぜ普通に3月まで勤めて退職手当を減らされなければならないのか。
なぜ教員がここまで批判されなければならないのか

なぜ減額時期を4月1日にできなかったのか。
制度が理不尽で、教員をばかにしているとしか思えない」と憤る。


 三十数年の教員生活。
自分なりに一生懸命に勤めてきたつもりだ。
「あと数カ月というところで理不尽な思いをさせられた。
最後の最後に苦しめられ、弱い者いじめをされた。本当は3月まで勤め、すっきりと辞めたかった」

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2013年02月08日

寝ても覚めても:体罰問題ではない=冨重圭以子

寝ても覚めても:体罰問題ではない=冨重圭以子
毎日新聞 2013年02月07日 13時31分

大阪市・桜宮高バスケットボール部に、柔道女子の五輪代表らによる監督告発と、スポーツの指導者による暴力の問題が立て続けにあらわになった。

 その後も全国各地で、教師による“体罰問題”が連発している。

まず言っておきたい。
桜宮高のケースを“体罰問題”と呼ぶことが、私にはできない。
「体罰」は自殺したバスケ部主将に「罪」があることが前提だが、記事を読む限り、彼に罪はない。
部顧問の教師は、主将に暴力をふるい、暴言を吐くことで、よく言えば部に一体感を持たせようとし、勘ぐれば自らの支配力を他の部員に見せつけようとしただけ。
単なる暴力行為だ。


 その後明らかになった一部の“体罰問題”とは、様相が違う。

たとえば千葉・柏日体高野球部監督が部員4人の顔を平手打ちした件。
監督は、部員の自転車の2人乗り、遅刻、宿題を他の部員にやらせるなど、生活の乱れがあったから、と説明したそうだ。事実なら、まさに体罰だ。

なぜ改めてこんなことを書くのかというと、毎日新聞が今月初めに実施した世論調査で、体罰を「一定の範囲で認めてもいい」と考える人が、42%もいたからだ。

「一切認められない」という人は53%だったが、容認派は想像以上に多かった。 
おそらく、生徒側に非があるときの体罰、つまり本来の意味の体罰を念頭に置いた回答だったのだろう。

けれど、桜宮高の問題は違う。
私は本来の体罰も認めないが、単なる暴力行為は情状酌量の余地はない。
柔道のケースを「監督による暴力問題」と呼ぶように、桜
宮高の問題も「顧問による暴力問題」と呼ぶべきだ。

教師に暴力をふるう生徒や、学校や教員に理不尽な要求をする「モンスターペアレント」の存在が、「体罰やむを得ず」派を増やしている。

 しかし、再度確認、桜宮高と柔道のケースは、根っこが同じだ。
勝利のため、と称して、指導者が選手を一方的に支配し、暴力や暴言で、支配関系をいっそう強化する。

柔道問題では選手が告発したが、15人がまとまったからできたことで、個人ではとても無理だったのだろう。 
一昨年制定されたスポーツ基本法は、スポーツは文化であり、権利である、とうたう。
そして「安全かつ公正な環境の下で」スポーツを楽しむ機会が確保されなければならない、と。
いま、絵空事にしか見えない。(専門編集委員)

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2013年02月11日

いじめ報道で1600字×10枚のレポート提出求められた教師も

いじめ報道で1600字×10枚のレポート提出求められた教師も
2013.02.11 07:00   NEWSポストセブン

 大阪市立桜宮高の高2自殺事件を機に、全国で明らかになる体罰問題、いじめの隠蔽、わいせつ犯罪など、教師の不祥事が相次いでいる。


 学校と教師への尊敬が失われると同時に、保護者の間で広まっていったのが、「学校=サービス業」とする考え方だった。

公立小学校で23年間の教員経験を持つ教育評論家、親野智可等氏によれば、

「最近は、教師たちに子供ひとりひとりへの個別な対応が求められるようになりました」と言う。


「たとえば小学校では毎朝、先生の机の上に親からの連絡帳が山積みになる。『うちの子は納豆を食べたことがないので、見てあげてください』『友達とケンカして夜眠れなかったようです。話を聞いてあげてください』など。すべてに目を通し、必要な対応をしつつ、親への返事も書かなければなりません」(親野氏)


“まさか、こんなことまで”というリクエストであっても、モンスター・ペアレンツの存在を考えればおろそかにはできない。


 そのうえ、いじめや体罰、教師によるわいせつ事件などが報道されるたび、教師には上司や教育委員会からアンケートやレポートの提出が求められるという。

 東京都で昨年3月まで働いていた元中学校教師が言う。

「例えば他府県の学校でいじめ事件が起きて報道されると、すぐに研修会が開かれ、1600字×10枚のレポートの提出を求められたりします。
校長や教頭にすれば、保護者から聞かれた際に、“うちではしっかり対策をしています”と言える形を残しておきたいのです。
教育委員会からも毎日のようにアンケートが届き、放課後は子供に向き合う時間がなくて、ずっとパソコンに向き合っている状態の先生もいます」


 部活の顧問を受け持つ場合はさらに過酷だ。
平日は午後6時まで部活で指導をした後、提出しなければならないレポートや生徒・親への連絡をまとめ、帰りが深夜に及ぶことも珍しくない。
部活の試合や発表会などがあれば週末も休めない。


 そのうえ子供たちの変化も、教師の悩みの種だ。

「中学生になっても、授業中に立ち歩く子供がいます。注意しても聞かない。
それどころか、教師が体罰批判を気にして厳しくできないことを知っていて、『殴ってみろよ、教育委員会に訴えるぞ』と挑発する子供だっている。
なかには『殴られた』と嘘をつく子供までいるんです」(前出の元教師)


 現在、病気で休職中の教師は約8500人。
そのうちうつ病などの精神疾患が5000人以上を占めている。
不祥事によって処分された教師より、壊れていく教師のほうが多いというのが現状なのだ。

※女性セブン2013年2月21日号

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2013年02月17日

幸せの学び:ことばの貯金箱=城島徹

幸せの学び:ことばの貯金箱=城島徹
2013年02月06日   毎日新聞

 東日本大震災の被災地のプレハブ仮設住宅で、新聞から大切な言葉を切り抜く「ことばの貯金箱」という取り組みが始まった。

救済や追悼、再生や希望など心の叫びを託す言葉を探して台紙に貼る試みだ。
年配の人から子どもまで世代を超えて広がり、東京でも実践する小学校が現れた。


 震災から1年3カ月過ぎた昨年6月のある日、仮設訪問を続ける元中学教諭で白鴎大学講師の渡辺裕子さん(61)=仙台市在住=は太平洋沿岸に近い同市若林区の仮設住宅にいた。
集会所のテーブルにはお母さんたちが持ち寄ったキュウリの漬物、フキの煮物など手作りの味が並び、仙台弁での会話が弾む。

渡辺さんは古新聞を取り出すと、呼びかけた。「今日は『ことばの貯金箱』をやってみます。自分にとって大切な言葉を選んでください」


 はさみで切り抜いた文字を台紙に貼って並べる。
「半歩ずつでいいんだ」「恩返しの人生を」「花咲く未来心待ち」……。
完成したら、隣の人たちに見せながら自分の思いを語る。
そうやってが整理されスッキリしたという感想が聞かれたという。


 「あなたもすぐにできます」「体験してみませんか?」
「言葉の億万長者になりましょう」。
渡辺さんは「ことばの貯金箱」の伝道師として被災地の学校も回る。
教師になる前のアナウンサー時代に培った巧みな話術が生きる。

手ほどきを受けた仙台の中学生たちは未来への思いを込めた言葉を並べた。
「なせば成る」「再生へ 心ひとつに」……。

 被災地以外からも講師として招かれ、東京都内で昨年末に開かれた教師向けNIE(教育に新聞を)セミナーではワークショップを行った。

受講した東京都北区立東十条小学校教諭の川崎由美子さん(32)が飛びついた。「道徳の授業に取り入れよう」


 1月23日、川崎先生は教室で受けもちの5年生と向き合っていた。
人種差別と闘った米国の黒人女性歌手マリアン・アンダーソンの黒人霊歌「深い河」を聴かせた後、「マリアンの気もちや生き方に合う言葉を新聞の見出しから見つけよう」と呼びかけた。


 児童らは「心の貯金箱」と書かれた手作りの紙箱を取り出し、新聞を机に広げた。

「言葉を箱に入れるときには大きな声で『チャリーン』と言ってくださいね」。
先生の掛け声を合図に子どもたちは喜々としてハサミを動かし始めた。
「変わらぬ輝き」「あきらめない未来」「人間を信じたい」「未来向いて世界と交流」……。

 チャリーンという元気な声が教室に響く。
そのたびに、子どもたち自身にも励みとなる言葉が「心の貯金箱」に次々吸い込まれていった。【城島徹】

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2013年02月18日

学校の風景140年:トイレ 「怖い」「汚い」を快適空間へ

学校の風景140年:トイレ 「怖い」「汚い」を快適空間へ
毎日新聞 2013年02月18日 東京朝刊

 学校のトイレは「暗い」「きれいではない」といった良くないイメージがつきまとう。
学校の怪談(かいだん)の舞台にもされる。
だが、トイレは子供たちの健康維持のための重要な場所だ。
最近は各地で快適に使えるトイレ作りが進められている

取違剛、福田隆】

◇タイルより衛生的な乾式床 洋式改修で排便我慢減る


 「床を掃除(そうじ)して。私は個室を拭(ふ)くから」

 熊本県宇土(うと)市立網津(あみつ)小6年、児童会長の坂田理子(りこ)さん(12)の呼びかけでトイレ掃除が始まった。
「床担当」の奥村真未(まみ)さん(12)が乾いた床をほうきで掃いた後、よく絞ったスポンジモップで拭き上げた。

同小のトイレは、タイルの床に水をまいて掃除する「湿式(しっしき)」ではなく、乾燥した床の「乾式(かんしき)」だ。
タイルの床に水をまいてデッキブラシでこする一般的なトイレ掃除とは異なる。

同小は11年4月に改築され、同時にトイレを、雑菌(ざっきん)が繁殖(はんしょく)しやすい湿式でなく衛生(えいせい)的な乾式にした。
白を基調にした校舎で、トイレの床も白。黄ばみが目立ちやすく掃除が大切なのだ。

 「校舎の輝きを維持しよう」を合言葉に美化運動が始まったが、乾式トイレの掃除方法が分からない。
養護教諭の村田直美(なおみ)さん(44)がトイレ専門誌のバックナンバーで研究し、スポンジモップなどの用具をそろえた。
6カ所のトイレを5、6年生が丹念(たんねん)に拭き上げ、終了時には「拭き残しなし」などと声に出してチェックする。


 改築からまもなく2年。トイレの床は白く、臭いもない。
坂田さんと奥村さんは「新しい校舎だから、きれいにしないといけないと思って頑張った」。
櫛山美智代(くしやまみちよ)校長も「新校舎になったのをきっかけに、校内美化のため教職員と児童が一体になれた」と振り返る。

学校トイレのひな型は、1899(明治32)年に文部省が出した小学校設備準則(じゅんそく)に書かれている。
「便所(べんじょ)ハ別棟(べつむね)トシ……」「男女ヲ区別シ男児百名ニ付(つき)大便所二以上小便所四以上女児百名ニ付五以上ノ割合……」


 「変わる学校のトイレ」(小林純子著、草土文化)によると、大正時代後半以降に建設された鉄筋校舎でトイレは教室の並びに置かれ、水洗化された。

しかし東京都世田谷区などが作成した「区立学校トイレ改修マニュアル」には、戦後のベビーブームと高度成長期には児童数の増加に校舎建築が追い付かず「学校トイレの最大の関心は数であって、快適さではなかった」とある。

悪いイメージを象徴(しょうちょう)するように、怪談の舞台にもなった。

「トイレの四ばんめのドアを十五回ノックして、『花子さァーん、あそびましょ』というと、『はァーい』という返事が聞こえてきます」(「学校の怪談」<常光徹(つねみつとおる)著、講談社>より)。
「怖い」に加え、暗い▽臭い▽汚い▽壊れている−−と合わせ、学校トイレは「5K」と呼ばれた。
さらに友達からのからかいを恐れ、学校で排便(はいべん)を我慢する子供が続出。1990年代には「トイレに行けない症候群」と呼ばれ社会問題化した

 解決を目指した便器製造などトイレ関連8社が96年「学校のトイレ研究会」を設立。
使いやすい便器や対話が生まれやすい洗面台(せんめんだい)など、学校トイレを子供が好きな場所に変えるためのデザインを数多く提供してきた。


 同会は10年、大阪府和泉(いずみ)市立伯太(はかた)小でアンケートを実施した。
同校はこの年、洋式トイレを拡充(かくじゅう)するなどきれいに改修した。
5、6年生計166人の改修前後の回答を比べると、トイレを我慢(がまん)する児童が75人から31人に減少。
臭いや和式便器が我慢する理由だったという。

 災害時に学校は避難所(ひなんじょ)になる。
同会によると、水道が止まった時にバケツの水でトイレの汚物を下水管まで押し流す必要があるが、便器の構造上、洋式の方が和式よりも格段に流しやすく、水の量も約半分で済むという。
同研究会の古川浩代(ふるかわひろよ)・主任研究員は「子供たちのためにも、災害時の避難所機能を考えても、洋式で乾式のトイレ導入に協力してほしい」と呼びかけている。

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2013年02月19日

待機児童解消 小さな命 守る覚悟を

待機児童解消 小さな命 守る覚悟を
2013年2月19日  東京新聞社説

 保育所に入れない待機児童の解消に横浜市などが成果を上げている。
子どもの預け先に困っていた親への支援になるだろう。
しかし一方で、子どもの安全が置き去りにされていないか、課題が残る。


 横浜市の待機児童数は二〇一〇年、千五百人を超えてワーストだったが、二年間で二百人に減らした。
今春はさらに定員を増やし、ゼロになる見通しだという。


 「ゼロ」は〇九年に当選した林文子市長の公約で、手厚いメニューが特徴だ。
全区に保育情報を提供する専門員「保育コンシェルジュ」を置いた。
定員を増やすため、市有地を無償で貸し出すなどして民間保育所を誘致、既存の認可保育所は園舎を増築した。
交通不便な保育所で定員の空きが目立つと、保育所までの送迎拠点を駅前に設け、入所しやすくした。
「横浜式」は、大勢の待機児童を抱える自治体に影響を与えている。

 子どもの預け先がなくて働きに行けない親を支えよう、そう努めようとする自治体の姿勢は理解できるが、懸念もある。
横浜市に限らず、全国でいま、定員を増やしている保育施設やサービスが、火災や地震などいざという時にも、子どもの受け皿として安全を保ちきれているのか、という点だ。

 国は自治体が運営する認可保育所の新設に補助金を出さないと決めている。
待機児童を大勢抱える都市圏の自治体は土地の確保も難しい。
園庭を削って保育室を広げたり、増築して定員を増やしているため、「詰め込みすぎだ」と心配の声が上がっている。
手狭では懸命にやっていても子どもに目が行き届きにくくなり、現場の保育士にも不安を感じさせている。

 自治体によっては、無認可保育所でも独自に設けた基準を満たした施設に補助金を出している。
無認可の底上げを図るという面がある一方で、こうした動きが国の最低基準の引き下げにつながらないだろうか、心配だ。

 国は新年度、待機児童対策に四千六百億円を計上した。

だが、そもそも「待機児童」の定義があいまいなまま施策を進めている。
認可保育所を希望しながら入れない子を数え、全国で二万四千人(昨年四月)と公表する。
最初から諦めて申請しない数や無認可に通う子は含まれず、潜在数は八十五万人とも推計される。
安全で問題があるといわれるこうした子らにも目を配り、国や自治体は小さな命をどう守り育てるのか、覚悟を示してほしい。

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2013年02月20日

香山リカのココロの万華鏡:子どもの心に向き合って 

香山リカのココロの万華鏡:子どもの心に向き合って 
毎日新聞 2013年02月19日 東京地方版

本当に悲しい事件が起きてしまった。
大阪府で小学校5年の男子児童が自ら命を絶ったのだ。
この男児が通う小学校は、市内の学校の統廃合により、この4月に二つの学校に統合されることが決まっていたという。
男児は以前から閉校に抵抗を示し、作文に「学校をつぶさないで」などと書いていたと報じられた。


 ちょうどこの年齢くらいまでの子どもは、建物や雲、空、植物、動物などと自分とをすぐに“合体”させたり、心を通わせ合ったりすることができる。

もちろんそれは子ども自身の空想なのだが、木が伐採されている場面を見て「あの木が痛がって泣いている!」とリアルに感じ、自分も泣いてしまった、などという経験を持つ人は少なくないのではないだろうか。


 もちろん、この男児がそんな感覚を持っていて、校舎や教室の悲しみや痛みを感じて閉校に反対していたのかどうかはわからない。
ほかの児童に統廃合に関しての聞き取り調査を行っていたともいわれるから、精神的には同じ年齢の子どもよりも成熟していた可能性も高い。

もしかすると、一方でおとなに近い感覚で閉校に反対しつつ、同時に「学校と一体化して、その痛みを感じる」という子どもならではの感覚もあわせて持っていたのではないだろうか。
だとしたら、よけいに「学校がなくなる」というのはこの男児にとって耐えがたいことだったはずだ。


 実は、私も出身の小学校、中学の閉校を経験している。
いずれも十分、おとなになってからのことだったが、それでもなつかしい学校に「ありがとう、さようなら」と伝えたという閉校式の様子を聴いて、心がキリキリと痛むようであった。
自分自身の大切な思い出や子ども時代までが、どこかに消えていく思いがしたのだ。


 ましていまそこに通っていた子どもにとっては、閉校は「児童数が減少したから」と客観的に説明されても、すぐには受け入れられることではないだろう。

自分の通っていた小学校を、それと一体化するほどに愛していた感受性の強い男の子。
彼のやさしさが、どうしてこんな悲劇につながらなければならなかったのか。

教育の現場で、おとなたちはしっかり「子どもの心」に向き合えているのか。

いじめや体罰の問題に注目が集まっているが、おとなでもない、赤ちゃんでもない、「子ども」とは何かということについて、もう一度、私たちは真剣に考えてみなければならない時を迎えているのではないか。

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2013年02月28日

いじめと道徳 心に成績をつけるのか

いじめと道徳 心に成績をつけるのか
2013年2月28日  東京新聞社説

 いじめ対策として政府の教育再生実行会議がまとめた提言は、冒頭に道徳の教科化を掲げた。
「良い子」でいることを競わせ、成績をつけるのか。
いじめの現実に立ち向かう手だてこそ考えたい。


 安倍晋三首相に出された提言には多岐にわたる方策が盛り込まれた。
例えば、いじめに対応するための法律を作る。
学校は相談体制を整え、家庭や地域、警察と連携する。
重大ないじめは第三者的組織が解決する。そんな具合だ。


 どれも目新しくはないが、地に足の着いた中身だ。
すでに先取りしている自治体さえある。
絶えず実効性を確かめつつ仕組みを向上させてほしい。


 とはいえ、筆頭に出てくる道徳を教科に格上げするという方策は、いじめの問題とどう結びつくのかよくわからない。
いじめ自殺のあった大津市の中学校は道徳教育のモデル校だったではないか。



 小中学校では週一回程度の「道徳の時間」が設けられ、副読本の「心のノート」を使って授業が行われている。
教科ではないから成績評価はなされていない。



 提言によれば、充実した道徳教育が行われるかどうかは学校や先生によって左右される。
だから教材を見直して教科として位置づけ、指導方法を打ち出すという。


 もちろん、子どもが成長に応じて思いやりの気持ちや規範意識を身につけることは大切だ。
社会の構成員として高い徳性を培うための教育そのものに異論はない。


 しかし、道徳が教科になれば検定教科書が用いられ、心のありようがテストされて順位づけされないか。
国の価値観や考え方が押しつけられないか。
心配になる。


 国語や社会、算数とは違い、道徳とは体系立てられた知識や技術を習得するものではない。
子どもが学校や家庭、地域で褒められたり、叱られたりして考え、感じ取っていくものだろう。
学校の道徳教育はその一助にすぎない。


 東日本大震災の光景を思い出してみよう。
被災地では大きな暴動や略奪は見られず、人々は譲り合い、助け合って修羅場をくぐり抜けてきた。
その姿は世界中に感動を与えた。
日本の人々は道徳心をたっぷりと備えている。


 いじめる子の心は根っから荒(すさ)んでいるのか。
家族崩壊や虐待、貧困、勉強疲れからストレスを抱え込んでいるかもしれない。
背景事情に考えを巡らせる必要がある。

 大人の世界にもひどいいじめがある。
道徳とは世代を超えて日々共に学び合うべきものだろう。

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2013年03月22日

発信箱:生き残るために=滝野隆浩(社会部)

発信箱:生き残るために=滝野隆浩(社会部)
毎日新聞 2013年03月20日 00時09分


 先週末、陸上自衛隊幹部の退官記念パーティーが神奈川県横須賀市のホテルで行われた。
東部方面混成団長の二見弘幸さん(55)。

陸自はこの20年、日本を取り巻く国際情勢に合わせて体質を変えてきた。その変容を最前線で体現した指揮官である。


 東日本大震災でも原発事故対処に当たった中央即応集団の幕僚長として司令官を支えたが、一番輝いたのは10年ほど前の第40普通科連隊(小倉)の連隊長時代。
初めて戦地・イラクに陸自派遣が決まる前後だった。
二見さんは「戦場のリアル」にこだわった。
想定されていた着上陸侵攻より、市街戦が起こる確率が高いのに教範も装備も訓練計画も乏しい。
ならば自分たちで考えるしかない、と。


 駐屯地内に市街地戦闘訓練場をつくり度肝を抜いた。
部外インストラクターを平気で招く。
最新装備の情報を熱心に集めた。
根性とか精神主義を一番嫌った。
隊員たちは小遣いをやりくりしてモデルガンを買った。
常に手にして射撃がうまくなりたいから。
うわさを耳にして海空自衛官や警察、海保の隊員たちまで集まってきた。
ひたむきに、納得できるまで合同の訓練は続いた。
終われば、当然酒席。知らぬ間に他の機関との連携ができていた。


 トップの意志で組織は変わる、劇的に変わる。
小倉に通いながら、そう実感した。

冷戦が終わったものの東アジアの戦略環境は厳しくなり、自衛隊に「リアル」が求められていた。
そのとき、保守的な陸自という組織の大変化は末端から始まっていた。

「私はただ、任務を達成して生き残る隊員を育てたかっただけ」。
二見さんは控えめだ。
パーティーには40連隊の仲間も多く集まり、あのころと同じ、うまい酒を飲み交わした。


毎日jp掲載の記無断転事・写真・図表など載を禁止します。著作権は毎日新聞社またはその情報提供者に属します。

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2013年03月27日

「先生は僕を殴るとクビになるんでしょ」と挑発の小学生存在

「先生は僕を殴るとクビになるんでしょ」と挑発の小学生存在
2013.03.26 16:00   NEWSポストセブン

 今、新聞、テレビなど大手メディアの大半は体罰全否定論に傾いている。
だが、体罰を必要とする場面は本当にないのか。
現場を知る教師からは正直な異論も出ている。


 体罰は学校教育法第11条によって禁止され、さらに2007年、文科省が全国の教育委員会教育長らに出した「通知」で、「殴る」「蹴る」ばかりか、「正座・直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる等」も体罰に該当し、「いかなる場合においても行ってはならない」とされた。


 また、昔と違って親も家庭のしつけで体罰を施すことが少なくなった。
そうしたことから教師はいっそう体罰を施しにくくなったという。

あるベテランの現役小学校教師が嘆く。

「ゲンコツで頭を叩くと、理由の如何を問わず親から抗議されるようになり、教師は萎縮し、自己規制するようになりました。
『児童に厳しく注意する時には、間違っても手を出さないよう手を後ろに組む』と言う教師もいます。
それに対して、高学年になると教師の弱みを知っていて、『先生は僕を殴るとクビになるんでしょ』『殴れる?』と挑発する児童もいますからね」


 まして中学生、高校生ともなれば、もっと教師を見くびることもある。
今回の一連の事件を受けてメディアの間に体罰厳禁論がさらに強まり、教師は以前にもまして萎縮している。
 
「文科省は授業中、教室内で生徒を起立させることは体罰には当たらないと解釈していますが、それすらやめようという空気が生まれています。
これでは教師が生徒と深く関わるのは難しい」(前出・小学校教師)


 「日教組系の先生が今回の事態をチャンスと捉えているのか、私のいる現場では、厳しい言葉で叱責することも『生徒を言葉で傷つける』という理由で禁じようとしています」(現役中学校教師)


※SAPIO2013年4月号


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2013年03月29日

自分で考える力が必要!将来出世する子どもの育て方3つ

自分で考える力が必要!将来出世する子どもの育て方3つ
2013.03.28 23:00   NEWSポストセブン

景気の先行きが不透明で、終身雇用もなくなり、税金はアップ。
まさに激動の時代です。
お子さんがいる方は、お子さんが大きくなったころはどうなっているんだろう……と心配していらっしゃるかもしれません。


親御さんが経験してきた時代とは、また違う時代を進むことになる可能性が高いため、親御さんの成功談や失敗談をそっくりそのまま伝えて同じようにさせてしまうと、お子さんが大人になったときに通用しない危険性があります。


そこで、青山社中株式会社筆頭代表(CEO)である朝比奈一郎さんの著書『やりすぎる力』を参考にしながら、これからの時代で活躍できる人にするために、お子さんにさせておくと良さそうなことを3つあげてみました。


■1:ディスカッションをしてみる


<わが国の教育に何が欠けてしまっているのか。
それは、私見では、一言でいえば、「議論」(ディスカッション)ということになる。
(中略)「やり過ぎる」ためには、志を同じくする人同士での団結がひとつの鍵になるところ、これではそうした動きは望むべくもない。
互いに率直に議論し合ってこそ、ともに行動に向けて歩み出すことができるというものである。

という指摘にもあるように、”話し合い”をする機会は非常に重要だと思われます。

親が四六時中「○○しなさい」「○○はそういうものだから、つべこべ言わないの!」などと一方的に考え方や行動を押し付けていると、お子さんは与えられたことしかできなくなってしまうかもしれません。


「なんでそれが必要だと思う?」「どうすればいいと思う?」などと、話し合いする機会を持って、自分で考える力をつけさせてあげたいですね。


■2:偉人の”伝記”を読んであげる


<方法論だけでは、「次代を切り開くリーダー」になるノウハウは得られないのが現実だ。
「やり過ぎる力」を得るには、リーダーとしての理論だけでなく、実践面での話が必要なのだ。
それも切り取られた「逸話」程度ではなく、全体像が。
いわば、人生の「ケーススタディ」である。
すなわち、「伝記」だ。過去の偉人の「生き様」を一緒に学ぶことで、「理論」が活きてくる。

とありますように、何もないところに飛び込み、偉業を成し遂げた人の”伝記”を子どもに読んであげることも良さそうです。
偉人の言動や考え方に触れることで、ゼロから作り上げることのケーススタディをなんとなく心にとめてくれるはずです。


■3:何か疑問が出たら、それを突き詰めさせてみる


<何か社会のあり方や組織のあり方を「オカシイ」と思う力である。
(中略)今の日本社会を見ても、「なんだかんだ言ったって、まあ、多くの人は食えているし、あえて何かアクションを起こさなくても」と思っている人がほとんどであろう。そうした中で心からやりたいことを見つけて「やり過ぎる」ことは一般的には困難だ。>

子どもは様々なことを疑問に思います。
「なんで○○なの?」と聞かれたとき、「そういうものなのよ」などと適当に返事をしていると、だんだん自分で考えないようになってしまうでしょう。


「なぜだろう?」と疑問がわいたことにたいして、
「なんでだと思う?」「どうしたらいい?」「何を変えたらよくなる?」などと、
時間が許す限り、考えさせるクセをつけることも、 重要と言えそうです。


いかがでしたでしょうか? お子さんが社会に出たときに、さまざまな困難に自分で打ち勝つために、精神力や思考力を小さいうちから磨いておいてあげることも重要ですね
よろしかったらぜひ、参考にしてみてくださいね。



【取材協力】

※ 朝比奈一郎・・・青山社中株式会社 筆頭代表CEO/中央大学(公共政策研究科)客員教授。1973年東京都生まれ。東京大学法学部卒業。ハーバード大行政大学院修了(修士)。経済産業省でエネルギー政策、インフラ輸出政策などを担当。2010年11月15日、青山社中株式会社設立。著書に『やり過ぎる力』(ディスカヴァー・トゥウェンティワン)、共著に『霞ヶ関構造改革・プロジェクトK』(東洋経済新報社)、『霞ヶ関維新』(英治出版)など。

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2013年04月03日

香山リカのココロの万華鏡:学生もハラスメント!? 

香山リカのココロの万華鏡:学生もハラスメント!?
毎日新聞 2013年04月02日 東京地方版

 いよいよ4月。
大学では「人権・ハラスメント対策委員」の私は、例年、新入生オリエンテーションなどで学生たちに「ハラスメントを受けない、しない」というガイダンスを行う。


 パワハラ、セクハラというと会社の話だと思う人もいるかもしれないが、残念ながら大学にもさまざまなハラスメントがあり、まとめて「アカデミックハラスメント」、通称アカハラと呼ばれることもある。

たとえば、教員が「明日の朝までに3冊、本を読んでこなければ単位はやらないぞ!」などとムチャなことを言ったり、サークルの先輩が後輩をこき使ったりするのもアカハラ。


 そして最近、最も問題になっているのは「授業中の学生どうしの私語」というアカハラだ。
ちょっとしたおしゃべりはどこの大学にもあるかもしれないが、度を越すと「他の学生が授業を受ける権利と、教員が授業を行う権利を侵害するハラスメント」になる。

毎年、学生にアンケートを取ると、「私語がひどくて先生の説明が聞こえない」「ノートを取りたいのにうるさくて気が散ってしまう」という苦情がけっこうあるのだ。


 また、後輩から先輩、学生から教員へのハラスメントもある。
「バアサンのくせに」「オヤジはダサイ」といった年齢を理由にした中傷、エージハラスメントがそうだ。

もちろん外見や方言などを笑いのタネにするのは、大学の中でなくても人格の侵害といえよう。
さらに、恋人どうしで相手を必要以上に束縛し合い、学生としての活動を妨げるのは「デートDV」と呼ばれる特殊なハラスメントだ。


 学生の中には、「そんなこと言われたら、ギャグも言えなくなっちゃう」という声もある。
ゼミなどで議論を戦わすだけで「それってアカハラ」と言われたら、自由な発言もできなくなる。
ただ、やはり直接、相手の人間性を傷つけたり、不快感を与えたりすることはハラスメント、という原則を忘れてはならないだろう。


 大学で人権やハラスメントの意識をしっかり身につけた学生は、社会に出てからもきっと新入社員や異性の同僚たちともうまくやって行けると思う。
また、自分が被害にあいそうなときに、堂々と「それはノーですよ」と指摘することができるはずだ。


 新入生たち、「ハラスメント対策委員っていちいちウルサイな」などと言わずに、私の話をしっかり聞いてもらいたい。

もちろん、そこで「なに、あのオバハン」などと言うのは立派なハラスメントということをお忘れなく。 

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2013年04月04日

有名進学校、競争激化で“生徒リストラ”拡大 華々しい成果に潜む闇…

有名進学校、競争激化で“生徒リストラ”拡大 華々しい成果に潜む闇…
2013.04.03   zaKzaK(夕刊フジ)

  教育現場では新学期がスタートした。
東大、京大や早慶など難関大学の高校別合格者ランキングが確定するなか、華々しい成果の裏に潜む“闇”が浮かび上がった。

一部の高校が進学実績のアップへ走るあまり、手間のかかる成績不振の生徒に退学を促しているというのだ。
民間の支援団体への相談件数は増加傾向にあり、東大合格者ランクで上位常連校の生徒も含まれるという。
有名進学校の競争激化が思わぬ問題を引き起こしている。

 学校側の決まり文句は「環境を変えた方がいいですね」。
三者面談で保護者と子供が聞くこのセリフこそ、紛れもない「退学勧告」だ。
今、こうした経緯で行き場を失った高校生が増えている。

 不登校や高校中退の問題に取り組む「NPO高卒支援会」(東京)によると、2012年に同会へ寄せられた相談は約300件にのぼる。
前年比で20%増加した。
主な相談の事例をみると、目立つのが有名進学校で勉強についていけずに留年が確定したケース。
留年を受け入れるのはまれで、ほとんどの生徒が在籍した学校を去っていく。

 相談者に配慮して学校の実名は避けるが、創立100年を超える伝統校では、男子生徒が成績不振によって留年が確定し、転校先選びなどで同会に救いの手を求めてきた。
また、東大合格者ランクの上位常連校では、男子生徒が学力不足で進級できず、学校側から「他の学校へ移るように」と促されたという。

 成績不振が原因ではないが、近年、進学指導に熱を入れる私立高では学力による差別があったとされる。
不祥事を起こした男子生徒3人のうち成績優秀な1人だけおとがめなしという露骨な策がとられたというのだ。

 高卒支援会の杉浦孝宣代表が、問題の背景を解説する。

 「少子化が進む中で各高校はとにかく生徒を集めたい。
高校にとって唯一の生き残り策は、大学への進学実績を上げること。
難関大学で多くの合格者を出せればなおよい。

競争が激化するなか、できない子をできるようにするための補習が、できる子をよりできるようにするものへと変わった。
できない子は排除、弱者は切り捨てられている」

 進学実績を上げているなかには「面倒見のよい」と評される学校が多い。
「毎朝の小テスト、夜遅くまで行う補習にしても、目的は難関大学への合格者を増やして学校の評価を上げること。
学校に貢献できない生徒には冷たい。高校の予備校化が著しい」(進学塾講師と、苦しむ生徒たちへの「面倒見」は置き去りにされている。

 学校から見捨てられた後、再スタートを切るのは難しい。
前出の杉浦氏は「地方では公立高校の転校に家族全員が学校の近くへ引っ越さなければならないなど、厳しい条件をクリアしなければならない。
救いの手を求める子供が増えるなかで、国や自治体の支援態勢は極めて不十分」と訴える。

 「尾木ママ」の愛称で知られる教育評論家の尾木直樹氏は「入学試験の選抜を経て預かった生徒なのだから、ちゃんと補習を行ってでも卒業させるのが筋。
それが学校の愛、教育だと思う。
ただ、受験勉強が中心の学校では成績だけが評価の基準になり、子供が居づらくなるケースもある。環境を変えるよう促すのは、あながち切り捨てだけではない側面もある」とみている。

 また、「夜回り先生」として知られる教育評論家の水谷修氏は「高校は義務教育ではない。
特に私立高校ならその学校を選んだ保護者と本人の責任もある。
だが、受験対策で特定の生徒だけ成績を無理に伸ばそうとするゆがんだ学校は、いずれ滅びると覚悟した方がよい」と警告した。

子供が独り立ちできるよう見守り、支える。それが学校のあるべき姿ではないのか。
posted by 小だぬき at 06:59 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月05日

特集ワイド:殺伐とした時代だからこそ、雑談力 あなたはある?

特集ワイド:殺伐とした時代だからこそ、雑談力 あなたはある?
毎日新聞 2013年04月04日 東京夕刊

 人間関係の潤滑油、上達法に注目

 新しい職場や電車、バスの中などで、初対面やあまり親しくない人に、どう声をかけたらいいのか。
雑談力の上達法が今、注目されている。
かつては「しゃべってないで仕事しろ!」と上司に叱られたものだが、今はビジネスにも有益との考えが広がっている。
雑談力が重視される時代とは? 【大槻英二】


 観光シーズンの箱根。乗り合いバスは超満員だった。
バス停では、降りようとする人が無言のまま肩をいからせ、通路に立つ人を手で押しのけ出口に向かう。車内には冷ややかな空気が広がる。


 出口に近い通路に立っていた臨床心理士の武藤清栄(せいえい)さん(61)は次のバス停で止まったとき、車内後方に声をかけた。
ちょっぴり声のトーンを落とし、にこやかな表情で「あの〜、すみませ〜ん。降りる方がいらっしゃいましたら、ひとつ声をかけていただければ、私はうれしいんですが〜」。
すると後方にいたおばちゃんが「は〜い、私、降りま〜す」。応えるように通路に立っていた人たちが自然と道をあけた。


 これは一声かけるだけでその場の空気がいかに変わるかの例。
雑談力の応用編だ。武藤さんは「今、日本人は見知らぬ人に声をかけることが非常に苦手になっています」と指摘する。
「言葉には用件を伝える『事実言葉』と、あいさつや気候などのちょっとした話で人間関係をつくったり、関係を調整したりする『関係言葉』があるんですが、最近は関係言葉が使えない人が増えています」という。


 そのせいなのか、通勤ラッシュ時の駅では、ぶつかっても無言で立ち去る人が多くなった。
「同じ空間にいながら、人々の心はここにあらずの乖離(かいり)社会。
効率が求められ、自分にとって利害があることや興味関心があること以外には手を出さない、口を出さない『見ざる』『言わざる』『聞かざる』に『関わらざる』という四つの
サルが増えている。
大地震などの非常時にしか、見知らぬ人とコミュニケーションが取れないなんてちょっと寂しくありませんか」と武藤さんは問いかける。

   ■

 10年4月に出版された「雑談力が上がる話し方」が今なお大手書店のビジネス書ランキングで上位に入る明治大教授(コミュニケーション論)の斎藤孝さん(52)。「世の中、無駄なものが省かれすぎて殺伐とした感じになってきた。

人間関係の潤滑油が欲しい時代なのに、用件だけを伝えて、雑談をするのは苦手という人が増えています。
ところが、ビジネスの現場などでこれまで無駄と思われていた雑談に意外と問題解決のカギがあると認識されてきたのでは」と話す。
同著は20万部を超えている。

「東日本大震災の影響かはわかりませんが、昨年ミリオンセラーになった阿川佐和子さんの『聞く力』のように、今は人と気持ちを通わせることが大事だと思われるようになってきています。

実は雑談は一方的な話ではなく、気持ちを通い合わせることそのものなんです」


 著書では雑談のルールについて「『中身がない』ことに意味がある」「『結論』はいらない」「訓練すれば誰でもうまくなる」などと提唱。大学では学生を2列に並ばせ、各自目の前にいる相手と雑談させて、30秒たったら相手を変えてまた雑談させるといった雑談力養成ゲームを講義に取り入れている。
最初は戸惑っていた学生も次第に「人慣れ」し、効果テキメンという。


 「雑談の極意は相手本位です。初対面でも話題を二、三振ってみて、関心のありそうな話を見つける。
お互いに好きなものとか日本の運命とか共通の基盤のある話が盛り上がりやすいですね」と斎藤さん。
「『ノー雑談、ノーライフ』。雑談のない人生なんて考えられない。
昔の雑談は気心が知れ合っている人同士が腰を据えて話すものでしたが、今は人間関係がより広く浅くなっており、すれ違ったときなどに30秒程度ササッとするスタイルがフィットします。
より高度な雑談力が求められているんです」

   ■

 ビジネスではどう役立つのか。
名古屋市の自営業、野本ゆうきさん(35)は営業職だった会社員時代、商品の知識を徹底的に仕込んだが、営業成績は振るわなかった。
あるとき先輩に「商品知識より大事なものがお前に欠けている。
それは仕事以外の話で心と心を通わせることだ」とアドバイスされた。

人と接するのが苦手で雑談は無駄だと思っていたが、以来、商品説明に入る前に、天気や昨晩のプロ野球結果などの雑談から始めてみたところ、険しい表情だった相手が笑顔になり、契約に至るケースが増えた。


 もっと雑談力をつけたいと本を読みあさり、試行錯誤を繰り返す中で体得したテクニックを自ら開設したウェブサイト「雑談力のきいろわ」で公開している。
「きいろわ」には幸福の黄色と、人の輪をつくってほしいという願いを込めたといい、1日に約5000件ものアクセスがある。
野本さんは「本やサイトに書いてあることをそのまま実践しても、相手によって反応が違うので最初はうまくいきません。
根気よく続けていくうちに空気を読めるようになるんです」と上達のコツを説く。

   ■
冒頭の武藤さんが所長を務め、職場のメンタルヘルス研修への講師派遣などを行っている「東京メンタルヘルス」では、まずは自らの社内のコミュニケーションを図ろうと、昨年10月から2週間に1回、午後7時から2時間、会議室で飲食しながらスタッフ同士で雑談を交わす会を始めた。
「話題はちょっといい出来事や持ち寄った料理についてなど。
各自が業務上抱えている課題も自然に相談でき、手応えを感じています」(担当の熊崎正樹さん)

 「顔を知っているだけと、ちょっとでも雑談したことがある関係はまったく違います。雑談したということは人間関係があたたまった状態になっているということ」と斎藤さん。
「人生の喜びというのは人と関わって気持ちが通じ合うことだと思うんです。雑談できる相手が身の回りに何人かいて過ごせれば、それは幸せな人生なんじゃないかな」としみじみ話す。

 雑談に結論はいらず、突然終わっていいらしい。ならば、この記事もこう締めくくろう。
 「じゃあまた!」
==============

 ◇雑談力チェックシート

 次の項目についてどの程度当てはまりますか?
 かなり当てはまる(2点)、まあ当てはまる(1点)、当てはまらない(0点)


 1)その場の雰囲気や非言語のメッセージを読める

 2)素直に自分の気持ちや本音を言葉にできる
 3)話のネタや引き出しが豊富である
 4)ユーモア、冗談、だじゃれなどをとばす
 5)人と向き合うのが好きである
 6)臨機応変に対応できる
 7)自分と違う考え方や価値観も認められる
 8)自分の失敗談も話せる
 9)相手の話を聞くのも楽しい
10)話の間や沈黙が苦にならない


 合計7〜11点は「雑談力がある」、12点以上は「雑談力がかなりある」

※東京メンタルヘルスの資料をもとに作成
==============

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2013年04月13日

トラブル回避言い換え うるさい→元気、まずい→個性的な味

今日から 60歳のスタート。
残念ながら、共済(厚生)年金は 今年から61歳支給となります。
今日の 言い換え言葉は 文部省の通信簿などに否定的な言葉はつかわないとの指導の下、通信簿・指導要録に使われている言葉とほぼ一致します。
私が 現役の教員の時、新年度の子供の特徴と指導要録を見て、苦労して「読み替えたものだ」と苦笑すること多々だったことを懐かしく思い出します。

********************************
トラブル回避言い換え うるさい→元気、まずい→個性的な味
2013.04.12 16:01   NEWSポストセブン

 同じ意味を伝える場合でも、どんな言葉を使うかによって相手に与える印象は全く異なる。
選んだ言葉ひとつで大きなトラブルに発展することも珍しくなく、適切な言葉に言い換えることも重要だ。


 たとえば「太っている」には「ふくよか」、
「しつこい」に「粘り強い」など、見方を変えればプラス表現が可能なものある。


「うるさい」であれば「元気」と言い換えることが可能。

さらに細かく分けると、大きな声で騒々しく話したり、おしゃべりな人には「元気」。
持ち上げるなら「盛り上げ上手」も。


 逆に、「おとなしい」なら「協調性がある」という表現も。
どこにいるのかわからないほど影の薄い人でも、「協調性がある」なら周囲に溶け込むことができるというニュアンスに。


 また「気が小さい」なら、周囲を気にしすぎる人は、周りを気づかう「謙虚」で、細かいことにも「慎重」な人ともいえる。

「せっかち」なら、落ち着きなく動く人は「頭の回転が速い」「スピーディー」。

そそっかしい場合には、「行動が素早い」など。


 そして、とても難しいのが「まずい」だが、「個性的な味」「初めての味」「最先端の味」ならマイナス評価には聞こえない。


※女性セブン2013年4月25日号


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2013年04月23日

発信箱:「通報者たれ」=小国綾子(夕刊編集部)

発信箱:「通報者たれ」=小国綾子(夕刊編集部)
毎日新聞 2013年04月23日 00時32分

  いじめ研究者、内藤朝雄・明治大准教授の近著「いじめ加害者を厳罰にせよ」を読んでいて、「いじめの『仲裁者』ではなく『通報者』になれ」という主張にはっとさせられた。

欧州との比較研究で、日本は他国よりいじめ傍観者が多いと指摘されてきた。
教育現場では「いじめの『傍観者』は『加害者』も同じ。
『仲裁者』たれ」という考え方が根強い。


 しかし内藤さんは「暴力団の暴行を目撃した時、警察に通報するだけではなく命がけで仲裁に入らないと『暴力団と同じ』と批判されるのか」と反論する

「傍観者=加害者」という考え方自体が「学校社会特有のいじめをまんえんさせる強制ベタベタ主義」「一人一人の間に個人主義的な距離があってはいけないというおかしな考え方」だと。

下手に仲裁に入れば新たないじめのターゲットになりかねないのだから、「『通報者』たれ、と子どもに呼びかける方が現実的」と提言するのだ。


 米国の公立高でスクールカウンセラーをする友人の言葉を思い出した。
「米国でもいじめの仲裁をできる子などあまりいない。だから通報して、と呼びかける。
通報を受けた時が肝心。
教師は『私から聞いたと言わないで』と頼み込む通報者を受け止め、守りながら、いじめ解決に全力を注ぐ姿を生徒たちに見せなきゃいけない。
そこで信頼を得られなければ次の通報はもうないから」


 厚生労働省の全国家庭児童調査(09年度)によると、いじめを先生に知らせる生徒の割合は小学校高学年、中学、高校と年齢が上がるにつれ40、25、15%と減っていく。
私たちの誰もが子どもにとって「信頼できる大人」であろうと努めなければ、子どもは「通報」してくれない。

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2013年04月25日

話し上手に聞き上手、世の中には様々な「上手」がいる

話し上手に聞き上手、世の中には様々な「上手」がいる
2013年 4月 25 日(木)付  朝日新聞「天声人語」

 話し上手に聞き上手、世の中には様々な「上手」がいる。
変わったところをあげれば「叱られ上手」か。
叱責(しっせき)や小言をうまく吸い取る。
〈うつむいてしかられぶりのよい女房〉という古い川柳がある。
火に油を注ぐような態度は、しないのが賢い

▼「叱り上手」もいる。
これも江戸の句に〈異見巧者(いけんごうしゃ)の蔵へ呼び込み〉とある。
叱り上手は人前で面罵して恥をかかせたりはしない。
蔵へ呼んで、人払いをして意見する。
うちの課長もそうだったら――。
ぼやく人もおいでだろうか

▼もっとも昨今は、パワハラを恐れて上司が萎縮ぎみという。
「鬼」と呼ばれる管理職は、もはや昭和が薫る骨董品(こっとうひん)らしい。
原稿を破り捨てて「書き直し!」と怒鳴る鬼デスクも、新聞社では絶滅した模様である

▼骨董品を弁護するなら、実に上手に「雷を落とす」人もいた。
そんな上司は、ほめ上手でもあった。
ほめるから、叱られて省(かえり)み、叱るから、ほめられて喜ぶ。
太陽と雨で木が育つのに、どこか似ている

▼先のアエラ誌によれば、「ほめる」と「叱る」の理想比は7対3から8対2の辺りらしい。
太陽だけでは干からび、雨ばかりでは根が腐る。
照って、降って。
その塩梅(あんばい)と上手下手が人づくりを左右する

▼さて、今月入社した新人諸氏も、勤めてひと月が近い。
少し慣れたか、まだ緊張が解けないか。
まわりで先輩風を吹かせている面々も、みな1年目があった。
仕事は人に風格を与える。
叱られ、ほめられ、一日一日、枝を伸ばしていってほしい。
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2013年04月30日

記者ノート:見張るより見守る

記者ノート:見張るより見守る
毎日新聞 2013年04月29日 東京朝刊

 「あー、髪切った? かわいい」。
夕暮れ時の駅前。
たむろしていた女子高校生のうちの一人が、そう言いながら年配の女性に駆け寄った。
女性は防犯パトロール中の岐阜県土岐(とき)市の保護司、出口満知子さん(64)。

他の生徒も出口さんの周りに集まり、学校生活の話やアルバイトの相談で盛り上がった。


 出口さんは月に2回ほど駅周辺をパトロールする。所属する土岐保護司会の活動の一環だが、非行に目を光らせるというのではなく、帰宅途中の少年少女を笑顔で迎えるといった雰囲気だ。


 土岐保護司会は子供たちに積極的に関わる活動で知られる。
中学校で開く生徒との座談会では、少人数で「地域のどんなところが好き?」といったテーマで話し合う。
担任教師を入れないのがミソ。
子供から率直(そっちょく)な意見を聞き出せる。
「見張るんじゃなく、見守っているというメッセージを送り続けたい」と保護司会メンバーは言う。


 学校は閉ざされた空間になりがちだ。
地域の大人が学校を訪れたり子供に声を掛けたりすることで、いじめや校内暴力の問題行動は起きにくくなるのではないか。問題が起きても、頼ることができる第三者がいるのは心強いはずだ。
学校には地域からの「温かい目」がもっと必要だと思う。
                      【加藤沙波】

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2013年05月05日

こどもの日 「イクメン」が世間を変える

こどもの日 「イクメン」が世間を変える
(5月5日付・読売社説)

  きょう5日は「こどもの日」。育児について、ソニー創業者で教育にも情熱を注いだ井深大氏は「これほど崇高で素晴らしい仕事はない」という言葉を残している。


 それを実感させるのが、今年の「こども未来賞」(読売新聞社など主催)に選ばれた「親父(おやじ)のキャラ弁」という作文だ。


 幼稚園に入った長女のために、つわりのひどい妻に代わって弁当作りをした埼玉県の会社員中村竜太郎さん(38)が書いた。


 人見知りする長女が友達を作るきっかけにと、おかずでアンパンマンや動物を描いた。
父の気持ちを察してか、長女はいつも残さず食べ、「おいしい」と言った。


 小さな体には量が多い弁当を、皆が食べ終わった後も涙目でほおばっていたのだと後に知る。

 作文は、弁当を作った時間は「長女と私だけの宝物の時間である」と結ばれている。


 中村さんは「いろいろなことを教えてくれた子供たちに感謝し、これからも一緒に成長していきたい」と受賞の喜びを語った。


 愛情を持って子供を育てることで、親も成長する。

夫の育児時間が長い夫婦ほど、第2子を持つ割合が高いというデータもある。
中村さんのような「イクメン」を増やすことが大切だ。


 父親向けに、料理やアイロンのかけ方などの家事講座を開く自治体が増えてきた。
父親同士で子育ての楽しみや苦労を語り合う会合などを開くNPO法人の活動も広がっている。


 安倍首相は、現行法では最長1年6か月までの育児休業期間について、子供が3歳になるまで男女とも取得できるよう、経済界に自主的な取り組みを要請した。


 男性社員に2週間程度の有給での育児休業を認める企業もある。男性の育児参加をさらに促す企業努力を各社に求めたい。


 育児中の家庭を温かく見守る地域とのつながりも重要だ。

 親子が公園で遊んでいても「うるさい」と言われることがある。
これでは居場所がない。


 こども未来財団の調査では、母親の34%が育児中に「社会から隔絶され、自分が孤立しているように感じる」と回答している。


 親子が気軽に集える場を増やすべきだ。
公民館や児童館を利用した「地域子育て支援拠点」では、親同士が語り合い、子供を遊ばせている。
運営に、子育てを終えた人たちの協力を期待したい。


 地域で子供を見守り、母親を支えることが育児の力になる。

2013年5月5日01時00分  読売新聞)
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2013年05月07日

村上春樹さん公開インタビュー詳報

村上春樹さん公開インタビュー詳報
2013年5月7日   東京新聞

 6日、作家の村上春樹さん(64)が京都市左京区の京都大百周年記念ホールで行った講演と「公開インタビュー」の詳報は次の通り。

▽冒頭の講演

 僕は普段はあまり人前に出ません。
ごく普通の生活を送っている普通の人間です。
文章を書くのが仕事なので、なるべくそれ以外のことに首を突っ込みたくない。
だから僕のことは絶滅危惧種の動物、イリオモテヤマネコみたいなものだと思ってくれるとありがたい。
そばに寄って触ったりしないでください。おびえて、かみついたりするかもしれないので。


 河合隼雄先生とは20年ぐらい前に米プリンストン大で初めてお会いし、その後あちこちで時間を一緒に過ごした。
僕にとっては「河合先生」で、最後までそのスタンスは変わらなかった。
小説家と心理療法家というコスチュームを脱ぐことはなく、そういう枠があった方が率直に話ができた。


 今でも覚えているのは、先生の駄じゃれ。
一種の悪魔払いのようなものだと思っていた。
臨床家としてクライアントと向き合い、相手の魂の暗い場所におりていく作業を日々されていた。
それは往々にして危険を伴う。
帰り道が分からなくなるかもしれない。そういう暗い場所で、糸くずのように体に絡みついてくる闇の気配を振り払うには、くだらない駄じゃれを口にしなければならなかったのではないか。


 僕の場合の悪魔払いは、毎日外に出て走ること。それで、絡みついてきた闇の気配をふるい落としてきた気がする。


 われわれが共有していたのは物語でいうコンセプトだったと思う。物語というのは人の魂の奥底にある。人の心の一番深い場所にあるから、人と人とを根元でつなぎあわせることができる

僕は小説を書くときにそういう深い場所におりていき、河合先生もクライアントと向かい合うときに深い場所におりていく。
そういうことを犬と犬がにおいで分かり合うように、分かり合っていたのではないか。僕がそういう深い共感を抱くことができた相手は河合先生しかいませんでした。
それが励ましになり、僕がやってきたことが間違っていなかったと実感できた。

▽インタビュー

〈人間とは。物語とは〉

 魂を2階、1階、地下1階、地下2階に分けて考えている。
地下1階だけでは、人を引きつけるものは書けないんじゃないか。
(ジャズピアニストの)セロニアス・モンクは深いユニークな音を出す。
人の魂に響くのは、自分で下に行く通路を見つけたから。
本当に何かをつくりたいと思えば、もっと下まで行くしかない。

〈初期作品について〉

 「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」などは、店をやりながら書いたので、まとまった物語を書く余裕がなかった。
それが新鮮だと評価されたが、僕は先に行かなければならないと思った。
村上龍さんの「コインロッカー・ベイビーズ」を読み、こういう書き方をしたいと思い、店をやめた。
一日好きなときに書けるのがうれしく、物語を書く喜びにつながった。
結末が分からないまま最初の何ページかを書き、うまくできたので、僕はそういうのに向いているのだなと思った。

〈「ねじまき鳥クロニクル」について〉

 それまではただ楽しみながら書いていたが、「ねじまき鳥」はもっと世界を広げ、分散させ、分割させる試みだった。
記憶、日記、いろんなものをかみ合わせ、重層的な世界をつくろうとした。

〈小説家の仕事〉

 (徐々に)魂のネットワークのようなものをつくりたい気持ちが出てきた。
みんな自分が主人公の複雑な物語を、魂の中に持っている。
それを本当の物語にするには、相対化する必要がある。
小説家がやるのは、そのモデルを提供することだ。


 誰かが僕の本に共感すると、僕の物語と「あなた」の物語が呼応し、心が共鳴するとネットワークができてくる。僕はそれが物語の力だと思う。

〈読書体験〉

 10代は19世紀小説ばかり読んでいた。
ドストエフスキー、トルストイ、ディケンズ、バルザック。
体に染み込んでいる。
物語はなくてはならないものです。
1950〜70年代、物語小説は差別され、物語というだけでばかにされた。僕は(夏目)漱石のファンだが、漱石も昔は評価が低かった。僕も最初のころはずいぶん批判が多かったが、いつも買ってくれる人がいた。それがずっと続き、ありがたい。

〈新作「色彩を持たない多崎(たざき)つくると、彼の巡礼の年」について〉

 「ノルウェイの森」のときは純粋なリアリズム小説を書こうと思った。
一度書いておかないと、ひとつ上にいけないと思った。
自分では実験的だと書いたものがベストセラーになったのは、うれしかったが、ある種のプレッシャーになった。

 前作「1Q84」での大きな意味は、全部三人称で書いたこと。
三人称はどこにでも行けるし、誰にでも会える。
ドストエフスキーの「悪霊」のような総合小説を書きたかった。
(「多崎つくる」は)僕の感覚としては、頭と意識が別々に動いている話。
今回は「1Q84」に比べ、文学的後退だと思う人がいるかもしれないが、僕にとっては新しい試みです。


 出来事を追うのではなく、意識の流れの中に出来事を置いていく。
(多崎の恋人の)沙羅(さら)さんが、つくるくんに(過去と向き合うため)名古屋に行きなさいと言うが、同じように僕に書きなさいと言う。
彼女が僕も導いている。
導かれ何かを体験することで、より自分が強く大きくなっていく感覚がある。
読む人の中でもそういう感覚があればいいなと思う。


 今回は生身の人間に対する興味がすごく出てきて、ずっと考えているうちに、(登場人物たちが)勝手に動きだしていった。
人間と人間のつながりに、強い関心と共感を持つようになった。


 (多崎は友人4人との共同体から切り捨てられるが)僕も似たような経験をしたことはあるし、何が人の心を傷つけるのかはだいたい分かる。
人はそういう傷を受けて、心をふさいで、時間がたつと少し開いて、ひとつ上に行くことを繰り返しながら成長する。ひとつの成長物語なんです。


 僕は自分の小説を読み返して、涙を流すことはない。
唯一泣いてしまうのは、小説ではないが(地下鉄サリン事件の被害者や遺族を取材した)「アンダーグラウンド」。
殺された方の20代の奥さまの話を聞き、家を出て、電車に乗っている時に涙が出た。
1時間ぐらい止まらなかった。


 それが、違う話を書いている時にもよみがえってくる。あの本を書いたことは、僕にとって大きな体験だった。

 小説を書き始めた29、30歳のころは、書きたいけど書けないことがいっぱいあった。
書けることを少しずつ増やし、だいたい書きたいことが書けると思えたのは2000年ぐらい。
(今作も)単純に書けるようになったから、書こうと思ったのかもしれない。

〈音楽について〉

 朝早く起きて午前中に仕事をし、昼は翻訳をするが、朝はだいたいクラシックを聴く。
夜寝る前に、翌朝に聴くレコードを用意するんです。
遠足に行く子供のように。


 仕事に集中しているので真剣には聴いていないが、音楽に励まされて書いている気がする。
20代のころは店をやり、朝から晩までジャズを聴いた。
自分の中にリズムが染み込んでいる。
文章もそのリズムを使って書く。


 僕の本を読んで泣きましたと言う人がときどきいるけど、僕は笑いが止まらなかったと言われる方がうれしい。
悲しみは個人的なところに密接につながっているが、笑いは関係ない。
やっぱりユーモアの感覚が好き。
書くときはなるべくユーモアをちりばめたい。

▽事前に寄せられた質問への回答

〈ランニングについて〉

 年を取ると体力が落ちる。若いころは少しでも速く走りたかったが、今は年をとっても走れるようにしたい。
80歳、85歳までフルマラソンを走れればいいなと思う。

〈子供のころの読書について〉

 小3まで本を読まず、小4から急に読み出した。
父と母が国文学をやっていたので、僕はそれから逃げたくて、外国の文学ばかり読んだ。
大学に入ってから日本文学も読んだ。漱石、谷崎(潤一郎)…。文章のうまい人が好き。

〈翻訳について〉

 翻訳しやすい小説と、難しい小説がある。
物語が強いと翻訳しやすい。
濃密な描写があると難しい。

〈最後に〉

 本当にうれしいのは、待って買ってくれる読者がいること。
「今回はつまらない、がっかりした。次も買います」みたいな人が大好きです。
つまらないと思ってもらってもけっこう。
僕自身は一生懸命書いているが、好みに合わないことはもちろんある。
ただ、理解してほしいのは、本当に手抜きなしに書いている。
もし今回の小説が合わないとしても、村上は一生懸命やっていると考えてもらえるとすごくうれしい。

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2013年05月12日

やるべきこと、やるべきでないことの見極め方

やるべきこと、やるべきでないことの見極め方
(PRESIDENT Online )2013年5月11日(土)配信

▼慶應義塾大学大学院准教授 ジョン・キムさんからのアドバイス
目の前の仕事をやるべきか、やらざるべきか。それを判断するには、「自分の人生や成長プロセスにおいて、この仕事はどのような意味を持っているのか」という問いが欠かせません。
たとえば上司から資料作成を指示されたら、それを単純作業として受け止めるのではなく、そこに自分の学びの材料が隠れているのではないかと考えることです。

学びの材料は、ありとあらゆるところに存在しています。
ところが、上司から指示されたことを受け身でこなすだけの人にはそれが見えないのです。
そうではなく、つねに経営者や上司の視点を持ち、その業務の意味や価値を考えてみることです。
学びの材料は、そうした強い当事者意識の先に見つかるものです。

ときには何の価値も見いだせない仕事もあるでしょう。
では、不条理な仕事は捨てて、やりたいことだけをやっていればいいのか。
私は19歳で母国である韓国を離れたとき、「30代でやりたいことをするために、20代でやるべきことを徹底的にこなす」と決意しました。

やりたいことを実現するには、まわりを巻き込んでいかねばなりません。
人に動いてもらうには信頼を得ることが重要です。
そこにマジックは存在せず、1つ1つ結果を積み上げていくしかありません。
そのためには不条理な仕事も徹底的にやっていくと覚悟を決めたのです。

重要なのは、上司の指示に戦略的に従うとしても、自分のものさしだけは絶えず磨き続けるということです。

誰でも最初は自分らしく働く気持ちを持っています。
しかし、上司のものさしに合わせて仕事をしていくうちに、多くの人が自分に羽があったことを忘れ、いつしかペンギンのようによちよち歩くだけになってしまう。
やるべき仕事を徹底的にこなしつつ、自分のものさしを持ち続ける。
そのためにも「この仕事は自分の人生にどのような意味を持つのか」と自分に問い続けることが大切なのです。
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慶應義塾大学大学院准教授 ジョン・キム
1973年、韓国生まれ。米インディアナ大学博士課程修了。英オックスフォード大学上席研究員、ハーバード大学法科大学院客員教授等を歴任。独自の哲学と生き方論が支持を集める。
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▼坂之上洋子さんからのアドバイス
私の場合、仕事のオファーをいただいても、いきなり取りかかることはありません。
先日、ある企業から新体制になるのでリブランディングをしてくれないか、とのオファーがありました。
すぐにブランドステートメントやウェブのリニューアルなどの実作業に入るのは簡単です。
しかし私はあえてヒヤリングにかなりの時間をさきました。

その結果、新しく就任する社長が本当に求めているのは、社員の自主性をどう引き出すかであることが見えてきました。
いま、このプロジェクトでの私の仕事内容は、新社長が最初に思い描いた内容とはかなり違ってきていると思います。

相手が本当に望んでいるものは何か、それは本当に必要なのか。

どうすればベストなのかを考え抜くこと。
たとえば、その仕事では私よりも最適な人材がいると思えば、正直にそう伝え、その仕事を譲ります。
短期間では私は損をするかもしれませんが、大切なのは、それによって最良の結果が生まれるということです。
そういうことを真摯に続けていくことで、まわりと深い信頼関係をつくることができるのではないかと思います。

プロジェクトというのは、ダンドリと人がすべて。それぞれの作業をどの人にどう頼むか。
その下準備(根回しも含めて)をしないうちに走り出すと、かえってスピードが鈍ります。
私はゴールまでの半分はダンドリにあてるくらいのつもりで、しっかり準備するようにしています。
プロジェクトにぴったりの人たちが、気持ちのよい状態で集まっていれば、仕事は自然に勢いがついて前に進みます。
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坂之上洋子
米国と北京で15年以上生活後、東京へ。ブランド戦略、企業の経営戦略、NPO戦略等多方面で活躍中。建築デザイナーとしての受賞歴を持ち、「Newsweek」の世界が認めた日本女性100人の1人。著書に、人気のtweetを集めた『結婚のずっと前』。
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2013年06月22日

いじめ防止法 学校は真に変われるか

いじめ防止法 学校は真に変われるか
毎日新聞 2013年06月22日 02時32分「社説」

 いじめ防止対策推進法が成立した。
いじめは個別の特異な現象ではない。
誰にでも、どこにでも起きることと改めて肝に銘じ、取り組みを学校教育の活性化にも生かしたい。


 大津市の男子中学生の自殺など、学校現場で深刻ないじめと、その救済機能が十分働かない実態が相次いで明らかになり、対策が法制化されることになった。


 重大ないじめは学校から自治体首長らへの報告を義務づける。
学校は調査組織や相談体制を整え、法務局や警察とも連携する。調査には第三者の目を入れる。いじめた子には必要に応じて出席停止処分もする。


 こうしたことなどを挙げ、被害者の救済と教育を受ける権利の保障の視点から、学校、教育委員会、自治体、国などの責任の明確化と速やかな対処を強調する。


 ただ、いうまでもないが、この法がなかったから過去いじめ問題が相次いだというわけではない。

 これまでのいじめ、あるいは体罰問題では、見て見ぬふりや、悪ふざけ程度にしかとらえない安易なきめつけ、あるいはマイナス評価を恐れての隠蔽(いんぺい)など、制度以前に問われる過ちが各地で表面化した。


 一方、懸命に取り組む教員が要員不足や多忙事務にもはさまれて、孤立無援の状況に陥ることもある。


 隠蔽の場合、よく指摘されるのは「物言えぬ風土」という背景だ。

 法は学校に遅滞ない報告を義務づけるほか、いじめが起きても後の対処を「適正に評価」するとして報告を促す。


 だが、隠蔽的な体質はいじめに限定されて出るものではない。


 それは、学校運営のさまざまな面で、コミュニケーションや連携がうまくとれていないことの表れではないか。そうした視点も持ちたい。


 いじめ問題に取り組み、改善していくことは、学校教育全体のありようを考えさせることにもなる。


 たとえば信頼関係だ。
被害に苦しんでいたり、傍観者である自分に悩んでいたりする児童・生徒。その様子を見抜き、相談を受けてきちんと実情を聞き取るには、制度の前にふだんの信頼関係が必要だ。
被害、加害双方の側の保護者との関係でも同様だろう。


 こうした法や制度の本来の主眼は、総がかりで問題に当たる姿勢や仕組みでいじめを未然に防ぎ、初期に芽をつむことにある。


 文部科学省は今後、法に基づき「いじめ防止基本方針」を定め、地方自治体はこれを参考に「地方いじめ防止基本方針」を定める。


 細々とした規定より、取り組みやすい現場の態勢づくり、協力や情報共有の仕組みづくりにまず力点を置くべきではないか。

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2013年06月23日

沖縄「慰霊の日:「命令とはいえ…」 元日本兵、「始末」を後悔

沖縄戦
命令とはいえ…」 元日本兵、「始末」を後悔
毎日新聞2013年06月22日10時59分
(最終更新 06月22日 13時00分)

   「全部始末せよ」。
上官の命令は絶対だった。
沖縄戦末期、米軍の激しい攻撃で追い込まれた旧日本軍の陣地。

陸軍の通信兵だった片山省(しょう)さん(90)=兵庫県洲本市=は負傷兵が休む小屋に手投げ弾を投げ込んだ。
米軍の捕虜となれば秘密が保てないと、信じて取った行動だった。

20万人の犠牲を出した沖縄戦の組織的戦闘が終わった23日、沖縄は「慰霊の日」を迎える

「命令とはいえ、えらいことをした」。
卒寿を迎えた今も、片山さんには68年前の出来事が心に重くのしかかる。


 「4月になれば『米軍が上陸したな』。
6月と聞くと『沖縄戦の終結やな』。
そりゃ、毎年そう思います」。
沖縄から遠く離れた淡路島。
片山さんは6年前に妻に先立たれ、独りで暮らす。


 1944年1月、徴兵で満州の陸軍部隊に入り、訓練を受けた。
9月、送られた先は沖縄。上官は「お前たちは玉砕要員だ」と言った。


 翌年4月、米軍が沖縄本島に上陸。
雨のように降り注ぐ砲弾の中、連絡文を手に部隊間を走った。
「毎日何十人と死んでいった。
ああ、今日は命があったと。
生きた心地がせんかった」


 6月中旬、本島南部に追い込まれた部隊に総攻撃の指示が下った。
「通信兵のお前らは全てを始末して撤退」。
それが上官の命令だった。


 「俺は歩けない。涼しい所に連れて行ってくれ」。
壕(ごう)に残った同じ隊の兵に頼まれた。
太ももを撃たれていた。壕を出て約50メートル引きずり、道端で手投げ弾を手渡した。


 壕の中の無線機や暗号機は全て破壊した。
近くには負傷兵を収容した小屋があった。
「生きてるのか、亡くなってるのか、何人いたかも分からない。
とにかく爆破せねばと」。手投げ弾を投げ入れた。
「爆発音は聞いていません。米軍がドンドン撃ってくるから。砲弾の嵐でした」


 糸満市の摩文仁(まぶに)の集落に着くと、敗走兵が集まっていた。
米軍が迫る。断崖で数日過ごし、考えた。
自決か、戦うか、投降か。

「司令官が自決したという話もあり、戦闘はもう終わったと感じた。
捕虜になるのは恥だが、今さら死ねんと思った」。
崖を降り、投降した。


 戦後、淡路島に戻り、定年まで中学校の教師を勤め上げた。
孫もできた。

定年後、沖縄を訪れ、「始末」を命じられた地に立ち、思った。
「あの時、みんな一緒に出て行って、捕虜になっていれば……。
むごいことをした。戦争はもう二度としちゃいかん」

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2013年08月31日

「子ども(大人)はなぜ勉強しなくちゃいけないの?」

「子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?」
2013年8月31日   東京新聞「筆洗」


 夏休みは、もう終わり。
なのに宿題がまだ終わっておらず、机に向かいながら、大きな「?」が頭に浮かんでいる子もいるだろう。
「子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?」

▼この疑問をそのまま書名にした本(日経BP社刊)で、生物学者の福岡伸一さんは、「そもそも人間とは」という原点から、この問いに挑んでいる

▼人類誕生をめぐるこんな説があるらしい。
ある時、サルの中に成熟が遅い、言い換えれば、子ども時代がとりわけ長いサルが突然変異で現れた。
普通に考えれば、不利な存在のはずなのに、なぜかそのサルが繁栄するようになった

▼食料調達や縄張りなど「大人の問題」に悩まされず、好奇心に従っていろいろ探ったり、遊びで新しい技を身に付けたりする時間がたっぷりあったために、脳の発達が促されたというのだ

長い子ども時代は人間だけに与えられた特権であり、その中で「世界の成り立ち」や「自分の存在意義」などという「大きな問い」を発明した−と、福岡さんは指摘している。
そして、そんな人類がたどってきた進化の道を自分で踏みしめてみることこそ、勉強なのだと

▼いやはや、「子どもはなぜ勉強しなくてはならないのか?」というのは、とてつもなくスケールが大きい難問だ。

しかし夏休みが終わっても、大人になっても考え続ける価値のある素晴らしい疑問でもある。

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2013年09月02日

給食でパンと麺類 主食が二つという異常なパターンが定着

給食でパンと麺類 
主食が二つという異常なパターンが定着
2013.09.01 07:00  NEWSポストセブン

 予算は足りず、給食費未納も増える一方、それでも栄養価に厳しい規制のある学校給食は、次々と奇抜な献立を編み出している。


 神奈川県A市では「きなこ揚げパン、豚汁、ナムル、牛乳」、
千葉県C市では「五目あんかけ焼きそば、アメリカンドッグ、キウイ、牛乳」、
北海道F市では「クロコッペパン、みそにこみラーメン、ケチャップだれにくだんご」……。


 これらは『変な給食』『もっと変な給食』(ブックマン社刊)で教育行政に警鐘を鳴らした栄養士の幕内秀夫氏が収集した、全国小学校の今年の「給食献立表」にあったメニューだ。


 義務教育の小中学校で出される学校給食は「学校給食法」に基づき、そこには、
給食は「子供の健康のために実施されなければならない」と記されている。

しかし、残念ながら同法の精神が遵守されているとは言いがたい。


「私の元には全国の父母や学校関係者から学校給食献立表が送られてきます。
素晴らしい給食を実施してレベルを上げる自治体がある一方で、首を傾げたくなるようなメニューを出している自治体も少なくありません。

一生懸命やっている自治体とそうでない自治体の差が拡大し、給食の質の二分極化という憂うべき状況が進行しているのです」(幕内氏)


 幕内氏は学校給食の傾向について、さらにこう続ける。


「最近では毎日のようにハンバーガー、ピザ、ホットドッグ、ラーメン、菓子パンなどが出ます。
他方、ご飯に味噌汁のついた献立はほとんどありません。
給食のファストフード化、ファミレス化の流れが加速しているのです。


 また、食事の基本は『一汁二菜』、つまり主食に主菜、副菜、そして汁ものとされてきました。

学校給食において、これを必ず守れとは言いませんが、主食と副食の区別はあってしかるべきです。


 ところが最近の給食ではパンと麺類がセットになり、主食が二つという異常なパターンが定着してしまいました」(幕内氏)


 食文化の崩壊は学校給食の現場から始まっているのかもしれない。


※SAPIO2013年9月号


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2013年09月09日

佐藤真海パラリンピック代表、招致プレゼン全文

被災地で見たスポーツの真の力 
       佐藤真海さん、招致プレゼン全文
産経新聞 2013/09/08 01:38

■パラリンピック女子走り幅跳び代表 


 会長、そしてIOC委員の皆様。佐藤真海です。


 私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。
スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。
それは、2020年東京大会が世界に広めようと決意している価値です。
本日は、そのグローバルなビジョンについてご説明いたします。 


 19歳のときに私の人生は一変しました。
私は陸上選手で、水泳もしていました。
また、チアリーダーでもありました。

そして、初めて足首に痛みを感じてから、たった数週間のうちに骨肉種により足を失ってしまいました。
もちろん、それは過酷なことで、絶望の淵に沈みました。


 でもそれは大学に戻り、陸上に取り組むまでのことでした。
私は目標を決め、それを越えることに喜びを感じ、新しい自信が生まれました。


 そして何より、私にとって大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました。


 私はアテネと北京のパラリンピック大会に出場しました。
スポーツの力に感動させられた私は、恵まれていると感じました。
2012年ロンドン大会も楽しみにしていました。


 しかし、2011年3月11日、津波が私の故郷の町を襲いました。
6日もの間、私は自分の家族がまだ無事でいるかどうかわかりませんでした。
そして家族を見つけ出したとき、自分の個人的な幸せなど、国民の深い悲しみとは比べものにもなりませんでした。

 私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り、私自身の経験を人々に話しました。
食糧も持って行きました。
ほかの
アスリートたちも同じことをしました。

私達は一緒になってスポーツ活動を準備して、自信を取り戻すお手伝いをしました。


 そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。
新たな夢と笑顔を育む力。
希望をもたらす力。
人々を結びつける力。

200人を超える
アスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1000回も足を運びながら、5万人以上の子どもたちをインスパイアしています。


 私達が目にしたものは、かつて日本では見られなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。

そして、日本が目の当たりにしたのは、これらの貴重な価値、卓越、友情、尊敬が、言葉以上の大きな力をもつということです。

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2013年09月11日

学力テスト 学校支配に利用するな

学力テスト 学校支配に利用するな
2013年9月11日 東京新聞社説

静岡県の川勝平太知事が全国学力テストで県の成績が悪かったとして、下位校の校長名を公表する意向を示した。

教師への“罰”で傷つくのは子どもたち。歪(ゆが)んだ競争に追い立てるだけではないか。


 学校現場にどんなメリットや効果があるのか。
先に成績が公表された全国学力テストで、静岡県は小学六年の国語Aの平均正答率が全国を5ポイント下回る57・7%。
都道府県の最下位だった。


 これを受けて川勝知事は成績の悪かった百校の校長名を公表したいと記者会見で語った。
成績が悪いのは教師のせいだ。校長名を公表して責任を取ってもらう。
反省を促すのだ−と。


 文部科学省は学力テストの実施要領で学校名を明らかにした成績の公表を禁じている。
過度な成績競争を防ぐためで、一九六〇年代に続いた学力テストをやめる大きな理由になった。
知事は「校長名の公表は問題ない」と言うが、校長名が分かれば学校名もわかる。


 
学力テストは本来、子どもがどんなところでつまずいているのか、どんなことができるようになったのかを教師が知り、指導の改善に役立てるためにある。


 成績には教師の教え方が影響するのはもちろんだが、地域や家庭の抱える事情などさまざまな要素が反映する。
学校現場はそれらを細やかに見ていくことこそが求められている。


 小学六年や中学三年を対象に行われている全員参加式のテストに疑問が持たれているのは、平均値をはじきだし、都道府県をランク付けするからだ。

平均値より上か、下かなど
点数のみに関心が向けられ、一人ひとりの課題を見つけるのに役立てられていない。


 校長名を公表すれば教師も子どもたちの成績を上げようと競争へと駆り立てるようになる。
むしろそんな弊害の方が心配になる。

川勝知事の発言は地域の実情を無視した、全国一律の学力テストがもともと抱えている問題を明らかにしたといえる。


 テスト成績の扱いについて、公表しても罰則がないために秋田県が市町村別に公表したことがある。
佐賀県武雄市は昨年十二月に学校別で公表した。
ほかにも公表を認めるよう求める首長があり、文科省は公表の範囲を自治体の判断に任せることも検討している。
本末転倒だ。


 
名前を公表される教師たちは萎縮するだろう。
学力テストを学校を支配する道具にしてはいけない。

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2013年10月01日

訃報:山崎豊子さん88歳 「白い巨塔」「大地の子」

訃報:山崎豊子さん88歳 
                           
「白い巨塔」「大地の子」
毎日新聞 2013年09月30日 13時51分
(最終更新 09月30日 19時22分)

 社会性のあるテーマに切り込んだスケールの大きな作風でベストセラーを生み続けた作家、山崎豊子(やまさき・とよこ、本名・杉本豊子=すぎもと・とよこ)さんが29日、心不全のため死去した。
88歳。葬儀は近親者のみで営む。


 大阪・船場の商家に生まれた。
1944年、京都女子専門学校(現京都女子大)国文科を卒業して毎日新聞に入社。
大阪本社調査部を経て45年、同学芸部に移り、副部長(デスク)だった故・井上靖さんから新聞記者の手ほどきを受け、作家としての資質を見いだされた。


 新聞社勤務の傍ら、生家をモデルに10年を費やしたデビュー作「暖簾(のれん)」を57年に刊行。
翌年、大阪女のたくましさを描いた「花のれん」で第39回直木賞を受賞したのを機に、毎日新聞を退社し、作家に専念した。


 パリを舞台にした「女の勲章」(61年)の取材中に元同僚と結婚。
旧家の遺産相続を扱った「女系家族」(63年)大学付属病院を舞台に医学界の暗部にメスを入れた「白い巨塔」(65〜69年)をはじめ、閨閥(けいばつ)政治と資本の癒着を追及した「華麗なる一族」(73年)など、実地調査と取材に基づいて社会問題に切り込む長編小説を相次いで発表した。


 その後も、シベリア抑留を扱った「不毛地帯」(76〜78年、日系2世の兄弟の悲劇を描いた「二つの祖国」(83年)中国残留孤児の数奇な運命をたどった「大地の子」(91年)の戦争3部作で社会派作家としての評価と人気を不動のものにした。


 93年、「大地の子」などの印税を基に「山崎豊子文化財団」を設立し、日本に帰国した中国残留孤児の子供の学資を援助した。


 日航ジャンボ機墜落事故を素材にして200万部を超えるベストセラーになった「沈まぬ太陽」(99年)の後、「山崎豊子全集」(全23巻)を2005年に完結させた。


 09年には、沖縄返還交渉時の密約報道事件を基にした「運命の人」を刊行し、同年の毎日出版文化賞特別賞を受賞した。
作品の多くが映画、ドラマ化され社会的な反響を呼んだ。


 新潮社広報宣伝部によると、山崎さんは週刊新潮で連載小説「約束の海」を執筆中で、予定している20回分を既に書き終えているという。

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2013年10月02日

徹底的に取材して、核心を見据え本当に大切なことを書く

徹底的に取材して、九は捨て、
核心を見据え本当に大切なことを書く

2013年10月1日  東京新聞「筆洗」

 十を聞き、一を書け−とは、新聞記者が、繰り返し説かれる心構えだ。
徹底的に取材して、九は捨て、核心を見据え本当に大切なことを書く。言うは易(やす)く行うは難き記者心得だが、八十八歳で逝去した作家の山崎豊子さんは、「四十を聞き、一を書く」と言っていた

▼あの重厚にして悠々たる小説が一だとすると、四十とはいかなる労力か。
シベリア抑留を耐え、戦後は商社員となり経済戦争を闘った男を描いた『不毛地帯』の取材では、三百七十七人から話を聞いた

▼酷寒のシベリアを横断し、モスクワから中東の油田地帯へ。
全旅程三週間というモーレツ商社員並みの「出張」をこなした。
「商社員を書くんです。商社員なみに動かなきゃ、実感が湧きませんよ」(『作家の使命 私の戦後』新潮社)

▼壮絶と形容したくなるほどの創作姿勢。
八十四歳で『運命の人』を書き上げた時に、「この年まで書き続けてこられたのは、学徒出陣と学徒動員のためでした」と振り返った

▼勤労動員で軍需工場に駆り出されて、「本を読みたかった時代にその自由はなく、人を殺す弾を磨いていた」という学生時代。
動員先で小説を読んでいたのを将校に見つかり、「この非国民め」と平手打ちされた。
その時、作家としての書く方向は決まったのだと

▼戦争を生き残った者として何をなすべきか。
そう問い続けた足跡が、残された。

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2013年10月08日

“名裁判官”じゃなかった? 大岡忠相

(文化の扉 歴史編)
“名裁判官”じゃなかった? 大岡忠相
2013年10月7日 朝日デジタル

 機知に富み、人情味にあふれ、公明正大な裁きを下す町奉行として、落語やテレビドラマで描かれてきた大岡越前守忠相(ただすけ)。
しかし彼が本当に活躍したのは、むしろお白州の外だった。


■江戸改革の名官僚/庶民がヒーロー化


 忠相が江戸の市政全般を担う町奉行に任命されたのは、数えで41歳。
歴代町奉行の多くは就任年齢が50〜60代だから、格段に若い。

当時、忠相の俸禄(給与)が町奉行の基準より低かったことも考えると、理由は不明だが、新将軍・吉宗の抜擢(ばってき)人事だったと言って良さそうだ。


 1590年に家康が入府してから発展を続け、18世紀前半には人口が町人だけでも約50万人に達した江戸。

安全なまちづくりは、吉宗による享保改革の柱の一つだった。

大石学・東京学芸大教授は
「忠相はその先兵となった官僚」と位置付ける。

 過密都市につきものの悩みが火災。忠相は、町家を瓦ぶき、しっくい塗りとする予防策を、時に違反者を処罰する厳しい姿勢で進めた。
火よけ地や火の見櫓(やぐら)も整備。武士中心だった火消しに町人を積極的に使う方針を打ち出し、町人自らが自分たちの街を守る体制を築く。


 農村から流入し、貧しい暮らしを送る人々の生活安定にも力を入れた。
小石川養生所は設立から約140年間、貧窮した病人を救う施設として機能した。
幕末まで続く江戸の街は、この時代に築かれたと言える。

 このほか、その仕事は、米価や物価対策にも及んだ。
    *

 同じころ、江戸周辺の農政にも携わっている。
1722年から約25年間、専門の役人たちを率い、武蔵野新田(東京都西部・埼玉県南部)の開発・経営や、治水工事などにあたった。


 本来、関東の農財政は勘定所・代官の担当。
大石教授は、財政再建のため新田開発に力を入れる吉宗が「担当組織を活性化するカンフル剤として、忠相を起用したのでは」と考える。


 農政では忠相は人材の発掘、支援に回ったようだ。
サツマイモの栽培で有名な青木昆陽も、こうした専門家の一人だった。


 数え60歳の時、忠相は全国の寺社などを管轄する寺社奉行に任命される。
通常は1万石以上の譜代大名のポスト。
3920石の旗本の異例な昇進を、ねたまれたのか。
年若の同役から控室を使わせてもらえないという「いじめ」を受けるなど、重用ゆえの苦労もあったようだ。


 改革を共に進めてきた忠相への信頼は、吉宗の晩年まで揺るがなかった。主君の葬儀を担当した6カ月後、忠相は後を追うようにその生涯を終えた。

    *

 「大岡政談」に収められた名裁きのうち、実際に忠相が裁いたのは「白子屋お熊」ぐらい。
それも、不義をはたらいた男女を処刑した「事実」の部分は、主題にもなっていない。
あとは中国の古い裁判物語や別の奉行の担当事件が、元ネタという。


 なぜ「忠相=名裁判官」というイメージが作られたのか。


 町奉行の在職期間が約20年と長く、庶民の生活に深く関わる都市政策を手がけた。
江戸以外の地域でも名前が知られていた。組織の枠を超えて仕事をした――。
いくつかの理由が、体制の中にヒーローを求める人々の心の琴線に触れたのだろう。
死後20年もすると、名裁判官として語られるようになる。


 享保の世から約300年。そろそろ「名官僚」としての忠相を描く物語が生まれても良いのではないだろうか。

 (増田愛子)


 ■読む

 忠相の実像と虚像について書いた辻達也『大岡越前守』(中公新書)や各地の地域史料研究を反映した大石学『大岡忠相』(吉川弘文館)などがある。「名裁判官」ぶりを描く物語は『大岡政談』(東洋文庫)で読める。


 ■見る

 大岡忠相が主人公のドラマといえば、約30年間にわたりシリーズ全402話が放送された加藤剛主演の「大岡越前」。
現在はDVDで見ることができる。
NHKは今年、BSプレミアムで東山紀之主演のリメークを放送。


 ■訪ねる

 神奈川県茅ケ崎市にある大岡家の菩提寺・浄見寺には、忠相を含む一族の墓がある。
毎年4月には大岡越前祭が開かれる。
東京都文京区の東京大学大学院理学系研究科付属の小石川植物園内には、小石川養生所の井戸が残る。


 ■そのころ世界は

 忠相が活躍した18世紀前半、ヨーロッパでは列強諸国がしのぎを削る時代となった。
特にフランスと、商業の発展により実力をつけたイギリスは激しく対立。
スペイン継承戦争(1701〜14)など、ことあるごとに敵味方に分かれて戦い、植民地のある北アメリカでも争った。
また啓蒙(けいもう)思想が盛んになり、モンテスキューが「法の精神」(1748年)で主張した三権分立論は、後のフランス革命などに大きな影響を与えることとなる。
一方、中国では清朝が最盛期を迎え、チベットにまで影響力を拡大した。

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2013年10月10日

防犯ブザー 月一回は点検を いざというとき、鳴らない… 

防犯ブザー 月一回は点検を
          いざというとき、鳴らない… 
2013年10月10日  東京新聞

 子どもたちが身を守るために携帯している防犯ブザー。
いざというとき、大きな音で周囲に非常事態を知らせ、近づく不審者を威嚇する効果があるが、適切な管理と鳴らす練習をしていないと使えない可能性がある。 (寺本康弘)


 「小学生の娘に持たせるために買った防犯ブザーが半年たったら鳴らなくなった」

 「買った当初からブザーが鳴らない」


 全国の消費生活センターには、防犯ブザーに関する相談が、二〇〇八年九月から今年七月末までに三十七件寄せられている。


 国民生活センターが本年度、小学生が一年以上使用している防犯ブザーを調査した結果、53%で「音が鳴らない」、または「音が小さい」という異常を確認。
このうち三分の一の原因は電池切れだった。


 保護者を対象にしたアンケートでは
「電池交換をしたことがない」
「ブザーの点検をしたことがない」という回答が多く=グラフ、管理する意識は低い。


 同センターによるテストで、市販の十種類各十個を一メートルの高さから落とした結果、六回の落下で、五種類に鳴らないものが出た。


 電池工業会(東京都)によると、防犯ブザーは主にアルカリのボタン電池が使われている。
同会では「音を鳴らしていなくても夏の炎天下にさらされたりすると、一年に10%から15%消耗している恐れがある。
さらに国産に比べ、アジアなど外国産の電池では劣化しやすい場合がある」と指摘する。


 さらに、「雨などでぬれると内部で電流がショートしたり、さびたりして使えなくなる可能性もある」と注意を呼び掛ける。


 国民生活センターの担当者は「商品にあらかじめ付いている電池は動作確認用のものが多く、確認後は速やかに新品にしてほしい。
そして最低でも月に一度は音が鳴るかどうかと、音の大きさの確認が必要になる。
子どもには乱暴な扱いをしないように注意して」とアドバイスする。

     ◇

 非常事態にブザーを実際に使える子どもは少ない。

「現状は防犯ブザーをもらって終わりになっている」と説明するのは、NPO法人日本こどもの安全教育総合研究所(東京)の宮田美恵子理事長。


 宮田さんが〇九年度、小学生を対象にしたアンケートでは、不審者から「声掛け」や「つきまとい」などを受けたとき「ブザーを鳴らした」のは1・9%にとどまった。
そもそも非常時にブザーを持っていたのは32・7%だった。


 宮田さんは「緊急時には体が固まって動かなくなる。使い方を習うだけでなく一人一人が鳴らす体験をすることが大切。
家庭で鳴らしたり止めたりを訓練してほしい」と助言する。


 携帯するときはランドセルの肩ひもの胸部分に付けたり、手に近いズボンのベルト穴に付けるのが良いと推奨している。

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2013年10月14日

やり方が下手すぎる。もちろん、「しもて」ではなく、「へた」と読む。

やり方が下手すぎる。
もちろん、「しもて」ではなく、「へた」と読む。
2013年10月13日   東京新聞「筆洗」

 「千代、下手すぎる」。
新人女優が初舞台の迫る中で、こんなメモを演出家からもらった。
書かれていたのは、役名とその一行だけ

▼助言や指導があれば納得もできる。
「下手すぎる」だけでは女優にとっては「やめてしまえ」と言われたのと同じ。相当なショックだろう

▼ベテラン女優、吉行和子さんの若い時の話。
メモを見て「貧血を起こして鏡台の前にうずくまった。
いろいろな思いがぐるぐる回り、溶けて白くなって気が遠くなっていった」と、『浮かれ上手のはなし下手』で書いている。
そりゃそうだ

▼メモは誤解だと分かる
「下手」は「へた」ではなく「しもて」と読む。舞台の左右を区別する上手、下手のこと
で、吉行さんの立ち位置が客席から見て左に寄りすぎていると演出家は指摘していたのだ

▼国会敷地内に、牛丼の吉野家が開店した。
文句はない。
もやもやするのは、千二百円の「牛重」をこの店限定で売ることだ。
国会には通行証がなければ入れない。
口にできるのは、国会議員、国会職員、官僚の国会関係者ということになる。
「普通の人」はなかなか味わえない

▼国会側が特別メニューを求めたと聞く。議員特権や格差問題まで持ち出す気はないが、写真の「牛重」がうまそうな分だけ、国会や吉野家の感覚が分からぬ。
やり方が下手すぎる。
もちろん、「しもて」ではなく、「へた」と読む。
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2013年10月19日

27号は猛烈な台風に発達

27号は猛烈な台風に発達
2013年10月19日(土)17時34分配信 
                                           共同通信


 フィリピンの東の海上にある台風27号は19日、勢力を拡大して最大風速55メートルの猛烈な台風に発達した。

気象庁の予想では、徐々に北寄りに進路を変え、週半ばにも強い勢力で日本に近づく。


 気象庁によると、19日午後3時現在の中心気圧は920ヘクトパスカル。
20日には910ヘクトパスカルまで強まる見通し。
次第に弱まるが、早ければ強い勢力で23日にも日本に近づく可能性がある。

 気象庁は、最大風速を基に、台風の勢力を強い方から「猛烈な」「非常に強い」「強い」と分類している。
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2013年12月15日

学力アップする?「メタ認知力」鍛える5つの方法

学力アップする?
「メタ認知力」鍛える5つの方法
2013年12月15日(日)
                16時0分配信 dot.(ドット)


 小学校までは成績優秀。
中1の1学期も、まずまずだったのに…。
2学期になってがくっと成績が落ち込み、勉強嫌いになるケースが増えている。

我が子を救うには、親がどう向き合えるかが問われている。
ベネッセ教育総合研究所の主任研究員・樋口健さんは、子どもの学力向上には親のかかわりが重要だと話す。


「成績が下がる、もしくは上がらない子どもの親は、テストの点数や結果しか気にしない傾向がある。

どうしてこんな点なのかと叱りつけ、塾へ行けと命じる。

でも、成績が上がる子や常に上位の子の親は、子どもが学習するプロセスに寄り添おうとします。
『どこがわからなかったの?』と尋ねて一緒に見直しをしたり、次はどう勉強したらいいかを子どもに考えさせるよう導いたりするのです」


 では、親は具体的にどう子どもと向き合えばいいのか。
教育関係者が口をそろえるのが、学習習慣をつくる手助けをするということだ。

そして、そのプロセスで重要な力が、脳科学でいうところの「メタ認知力」だという。
メタ認知の「メタ」は「高次の」という意味。
「メタ認知力」は、高い視点から俯瞰で自分自身を眺められる能力を指す。


「要するに問題解決能力です。
自分には何が足りないのか、どうすべきかを自ら考え、学びに向かう力を持てる子に育ててほしい」(樋口さん)


 前出の中学教員は、メタ認知力を「自己分析力のようなもので、今の子には本当に足りない」と実感している。
できない子は「何ができて何がわからないのか」を理解できない。
数学の補習で「何がわからないの?」と尋ねると「全部!」「数学!」「方程式!」とおおざっぱにしか言えない。
ああ、わが子のよう! そう嘆く保護者に朗報がある。


「メタ認知は才能ではなくスキル。訓練によって鍛えられます」

 と言うのは、教育心理学を専門とする筑波大学大学院の外山美樹准教授。五つのメタ認知力アップ法」を教えてもらった。

(1)「今日授業でやったことをひとつだけ教えて」と質問しよう。
学習したことを自分の言葉で言ってみる作業はメタ認知力を高める。


(2)会話の中に出てきたものに対して、「どうしてそうなるのかなあ?」と聞いてみる。
正解でなくても、自分で思考する習慣をつけることが重要。


(3)漢字や地名など「これって何?」と子どもに聞かれても、安易に教えない。
「どうやって調べてみようか?」とまず調査法を立案させる。


(4)勉強方法などを聞かれたら、「自分でやりなさい」と突き放さず、入り口だけでも一緒に考えてやる。

(5)間違いを指摘するのではなく、「どうすればミスしなくなるか」を考える方向に導く。

※AERA  2013年12月9日号より抜粋
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2013年12月29日

体罰問題の根底「古き良き日本が失われたから」と王貞治氏

体罰問題の根底
「古き良き日本が失われたから」
                               と王貞治氏
2013.12.28 16:00
週刊ポスト2014年1月1・10日号

 王貞治氏は今も次代を担う子供たちや若者の指導に汗を流している。
不滅の大記録を打ち立てた同氏が、今でも純粋に「野球」と向き合い、走り続けているのは何故か。
そこには古き良き日本への思いがあった。以下、王氏が語る。

 * * *
 12月に母校、早稲田実業高等部の忘年会が開かれた。
第29回選抜高校野球大会の優勝を記念した「紫紺会」だ。


 当時16歳だった連中が今では73歳。
お互いに自由な時間が持てるようになってくると、昔が懐かしくなってね。

レギュラーだった連中も、そうじゃない連中も一緒になって、「あの時はしんどかったね」、「あんたにはよく殴られたねェ」なんて笑って話すんですよ。


 今の時代は「殴られた」なんていうと、すぐ暴力だといわれてしまうけど、当時はそんなこと思いませんでした。


 一緒にきつい練習をして、同じ目標に向かって頑張っている仲間同士。
何度も何度も練習したのにどうしてできないんだという思いで、「甲子園に行くという夢を叶えるためには」と、先輩が後輩に手を出すことがあった。
そうすると後輩としても、申し訳ないという思いがあるから、憎いとか、仕返ししてやろうなんて思わないですよ。


 確かに余所から見ている第三者からすれば、暴力に変わりはないのかもしれません。
でも当事者の間には、意思の疎通というか、血の通ったところがあった。
日頃の人間関係があるから受け入れられたし、周りの人も好意的だった時代でした。


 選手同士で殴り合いの喧嘩をしても、近所の人が止めてくれて、何事もなかったようにしてくれたし、「お父さんやお母さんには転んだといえ」なんてアドバイスもくれた。

家でも、お前に悪い所があったから殴られたんだといわれるような時代だったからね。


 それが今は、何の関係もない外部から騒がれたりして、心の繋がりを作ろうにも全部、ブツブツと切られてしまうでしょう。とても難しい時代になっています。


 僕なんかは、当事者同士に任せておけばいいじゃないかと思うんです。
起きた現象だけで、関係ない人にまで色々いわれることで、昔から日本にあった“良さ”みたいなものが切れるようになってしまった。


 昔はお爺ちゃんお婆ちゃん、両親、そして先輩といった目上の人が、若い者に伝えていく……
そして自分がその立場になったら同じように伝えるという、“日本的な良さ”があったんですよ。


 それがいつの間にか教えなくなり、教えないから教わらなくなった。
教わる気がないから、何かいわれると説教されているとか、小言をいわれているようにとってしまう。

若い人にとって、不幸な状況です。


●取材・文/永谷脩(スポーツライター)

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2014年01月13日

道徳の教科化 規格化はそぐわない

道徳の教科化 規格化はそぐわない
毎日新聞「社説」 2014年01月12日 02時35分

 小中学校の「道徳の時間」を「特別の教科」にし、算数や数学、国語のように検定教科書を導入する。


 識者懇談会の提言を文部科学省は近く中央教育審議会に諮問し、2018年度にも実施の見通しだ。


 いわば「格上げ」だが、それがなぜ必要なのか分かりにくい。
まして内面の価値観や多様性を踏まえて行われるべき道徳教育に、こうした規格化が果たしてプラスなのか。


 道徳教育の強化は現政権の政策の柱だ。

一連のいじめ問題が具体化の契機にもなり、いじめ防止対策推進法は学校に道徳教育の充実を義務づけた。
確かに、いじめのような問題が、心の教育のあり方を見直す論議にもつながるのは自然なことだ。


 しかし、それは道徳の「教科への格上げ」という形ではなく、もっと内容の改革や充実、先生への支援策に向かうべきではないだろうか。


 道徳は教科ではないから、検定教科書も成績の評価もない。
これまで副教材として文科省作成の「心のノート」などが使われてきた。
今回の道徳充実策を受け分厚くした「私たちの道徳」を全国の小中学生に配布するが、教科化段階では教科書会社が内容を競う検定教科書を用いる。


 今後、中教審を経て学習指導要領改定を告示、これに基づいた教科書編集、文科省の検定、現場の採択という手順を踏むが、その前に、もっと論議を積むべきことは多い。


 先生たちにはとりわけ「評価」が悩みのタネだ。
懇談会の報告も、道徳性は極めて多様な心情、価値、態度などを前提としているから数値による評価は不適切、と断じた。


 そこで、子供たちの「学習の様子を記録し、その意欲や可能性をより引き出したり、励まし勇気づけたりするような記述」などを例示するが、何をどういう観点で見て判別していくのか。

これは何を目的に、どういう教育を進めるかという問題に結びついていて、とても重要だ。


 また教科書検定基準が改められ、「よりバランスの取れた記述」を求められるうえ、教育基本法の目標に照らし「重大な欠陥」があれば不合格となる。

道徳の場合、「バランス」「模範」を意識するあまり画一的で「無難」な素材選びや記述に傾きはしないか。これも気になる。


 しかし、本来は教科書に頼るのではなく、先生が身近な問題やテーマで授業を工夫し、多様な見方、感じ方から、個人の尊厳や思いやり、互助、勇気、答えがすぐ出ない問題も考える。
それが基本でありたい。


 思うことや意見を率直に口にしたら、「規格」に合わないかもしれない−−。
もし、子供たちにこんな警戒心を芽生えさせることでもあれば、元も子もない。

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2014年03月09日

(東京五輪物語)悲劇のランナー 耐え抜きメダル…でも

(東京五輪物語)
悲劇のランナー 耐え抜きメダル…でも
2014年3月8日15時23分  朝日デジタル

 1964年10月21日、国立競技場の約7万人の目は、2位で戻ってきたマラソンの円谷幸吉選手(当時24歳)に釘付けだった。
背後から英国選手が迫る。ゴールの200メートル手前で抜かれて3位に落ちた。
それでも低迷が続いていた日本陸上界にとって、戦後初のメダルだった。


 シューズやウエアの性能があまり良くなかった当時、マラソンは今以上に過酷だった。
体力を温存し、後半に余力を使い切るペース配分が日本の定石。

円谷選手は違った。
1週間前に1万メートルで6位になったスピードを生かし、最初からとばした。


 メダルを期待された2人、前年に世界最高記録を出した寺沢徹さん(79)と選考会トップの君原健二さん(72)でも、5キロ手前で離れたハイペース。
円谷選手は40キロまで耐えた。


 60年ローマ五輪をはだしで走り、東京ではシューズを履いて連覇したエチオピアのアベベ選手から「円谷選手と68年メキシコ五輪で走りたい」と言われた。

だが手術でも腰痛は完治せず、婚約者との別れもあった。
メキシコ五輪開催の年が明けた68年1月9日、自殺した。
「もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」。
遺書に記した。


 円谷選手の銅メダルの後、日本は男女のマラソンで六つのメダルを獲得した。
しかし、最近2大会はメダルがない。


 今年1月31日、日本陸上競技連盟会長の横川浩さん(66)が、福島県須賀川市の円谷選手の墓を訪れた。
会長の訪問は初。
20年東京五輪招致の成功を報告し、「日本の陸上を強くしたい。見守ってください」と祈った。(増田創至)

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2014年05月13日

香山リカのココロの万華鏡:論文も「シェアする」時代?

香山リカのココロの万華鏡:
論文も「シェアする」時代?
毎日新聞 2014年05月13日 首都圏版

 大学の授業でいわゆる「コピペ」、他人の文章を自分のリポートなどに無断で丸写しする問題を取り上げた。
STAP細胞の論文にそれと思われる箇所があったことがきっかけとなり、いま全国の大学で「コピペ問題」が語られていると思う。

 学生たちももちろん「基本的にはコピペはしてはいけない」と言い、理由を問うと「自分で考える力がつかないから」「著作権侵害だから」などと話す。

しかし、あれこれ議論するうちに「よく考えるとコピペはそれほど悪くないのでは」といった意見も必ず出てくるのが興味深い。

 「誰が考えても同じような文章になるような箇所は、時間節約のため前の人が考えたものを使ってもよいのでは」「完全にその考えに共感している場合、“私も同じです”という意味でのコピペならありではないか」という具合だ。

「自分で書いた下手な文章を読ませるより、コピペでちゃんとしたものを読んでもらうほうが親切」という意見には思わず噴き出しながら「なるほど」と納得しそうになってしまった。

 いまの大学生の多くは、物心ついた頃からインターネットに触れてきた。
そこには無数の情報や知識があふれており、多くが無料で提供されている。
そうなると、もはやそれが誰のオリジナルなのかには、あまり関心がなくなる。

というより、「このネット空間の情報や知識はみんなのもの」という感覚なのだろう。
よく若い人は自分が撮った写真などをネットで公開して見てもらうことを「シェアする」と言うが、まさに情報や知識もシェアされるものと思っているのかもしれない。

 今後、誰かのリポートや論文を丸写しして「コピペしたんじゃないですよ。
ネット上にある知識の集積を“集合知”というのを先生は知らないんですか?
 私はその集合知をシェアしただけです」などと言い張る学生が出てきたら、どうやって「それはいけないこと」とわかってもらったらよいのだろう。

はじめに書いた側も「どんどんみなさんでシェアしてください」などと言い出したら、事態はさらにやっかいになる。

 精神科医としては「コピペばかりしていると自分は何かという大切な感覚がなくなる」などと言えるが、大学の教員としてはどう言うべきか。

おかしなことで悩む5月となった。
しかし、いまの時点ではやっぱりこう言っておこう。
「たとえ稚拙でもいい。自分の頭でしっかり考えて発言したり、リポートを仕上げたりすることが大切だよ」
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2014年06月03日

香山リカのココロの万華鏡:おとなに疑問抱く瞬間

香山リカのココロの万華鏡:
おとなに疑問抱く瞬間
毎日新聞 2014年06月03日 首都圏版

ある雑誌から「給食の思い出」という取材を受けた。
実は私は子どもの頃、学校給食が大好きで、そのことを原稿に書いたこともある。
それを見た編集者から「もっとくわしく語ってください」と依頼があったのだ。

 「どんなメニューが好きだったのですか」「おかわりは週に何回くらい」などと質問を受けながら、小中学時代の給食のことをあれこれ思い出した。

 私は給食が好きだったのだが、クラスには「給食が苦手」という同級生もいた。
牛乳やにんじんなど決まった食材がダメという子も「とにかく汁ものが全部きらい」という子もいたように思う。

 担任の先生によっては「給食を残すのは許さない」という決まりを作り、昼休み時間が終わるまで席について食べるように強制している人もいた。

たしか中学2年のときのことだったと思うのだが、どうしてもある食材が食べられない同級生が先生の目を盗んでそれを窓から投げ捨てた。
まわりの子は見て見ぬふりをしたのだが、不幸なことに先生に見つかり、「捨てた人も見逃した人も、いや、みんなの連帯責任だ」と激怒して「授業が終わった後、みんなに居残って反省文を書いてもらいます」と言った。

 いま考えても理不尽な話だが、10代半ばの私たちはなんだかやたらに気持ちが高揚し、「反省文なんて書くのはやめようよ」と全員で決めた。
そして、先生が「じゃ、反省文を書いた人から職員室に持ってきて」と言い残して出て行った後も、誰ひとり鉛筆を取ろうとせず、「給食を残したっていいじゃない」「私もきらいなおかずがあるよ」などとさかんにおしゃべり。

もちろんその後、先生にはさらに怒られたが、結局、「もうわかった。帰りなさい」と帰宅許可を勝ち取った。

 あのとき私たちは、いったい何と戦ったんだろう、とふと考えた。
それまでは「先生の言うことは正しい」と思って素直に言うことをきいていたのが「全員居残り」と指示されて「それは違うんじゃない?」とはじめて疑問を抱いた。

そして、「そうだ、おとなの言うことにも間違いはあるかもしれないんだ。全部に従わなくたっていいんだ」と気づき、みんなで確認したのだ。

それは妙に気持ちがたかぶる経験だった。

 最近の子どもたちにも「おとなはいつも正しいわけじゃない!」と目覚める瞬間があるのだろうか。
あまりに反抗的になるのも問題だが、私としてはひそかに「おとなに疑問を抱く瞬間、あればいいのにな」と思うのだ。
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2014年06月07日

民間人校長の不祥事はなぜ起き続けるのか 今度は高校校長がスーパーで万引き事件

民間人校長の不祥事はなぜ起き続けるのか
今度は高校校長がスーパーで万引き事件
2014年6月6日(金)19時9分配信 J-CASTニュース

民間から公募で選ばれた校長の不祥事が頻発している。
特にひどいのが大阪だ。

府立高校に4月に着任したばかりの校長が、2014年5月28日に大阪市内のスーパーで和菓子などを盗んだとして事情聴取されていることがわかった。
本人は万引きを認めているという。

民間校長の不祥事は大阪に限ったことではないが、教育に生涯をかけようと意気込んで転職した民間人校長がなぜこうなるのか。

着任3か月で辞職、パワハラ、セクハラ、採用前の逮捕歴も 大阪府立高校の男性校長は日本航空で日航財団事業部長を務めた後に04年4月に長野県立高校の校長に就任、14年4月から現職を務めていた。

「就任後はいろいろな苦労はあったと思うが大きなトラブルはなく、我々としてはどうしてこのような行動をしたのか理解に苦しんでいます」 大阪府教育委員会は困惑している。

大阪府の民間校長は14年4月時点で15人。

14年5月1日には府立高の女性校長(57)が以前に社長をしていた会社のミーティングに参加したり、高校のパソコンで会社に指示を出していたりしたとして減給10分の1、1カ月の懲戒処分を受けたばかりだ。

大阪市では2013年から公募採用を始め23人が着任したが現在は20人になっている。

外資系証券会社にいた小学校の男性校長(当時38歳)は、13年6月に着任3か月で辞職した。
生徒からは慕われていたようだが「体験を生かせる学校ではない」「年が若いから給料が安い」などといった理由から、特に謝罪もなく職を離れた。

13年9月には、教頭に土下座を求めたとか、「どうして子供をつくらないの?」などと発言したなどと、3人の校長がパワハラやセクハラを疑われるといった騒動が起きた。

14年5月には小学校の男性校長が、PTA会費約10万円を校内の金庫から持ち出したため現金管理が不適切だとして調査が入った。

民間校長の不適切な行動は大阪に限ったことではなく、任期途中で辞めてしまったなどといった報告がある。

2003年には広島県尾道市立の校長が国旗掲揚・国歌斉唱をめぐって教職員と対立し心理的負担によって自殺した。

22年には校長として採用された元会社員の男性が公募前に、女性の胸元を携帯電話で撮影したとして、神奈川県迷惑防止条例違反容疑で逮捕されていたことがわかった。

どうして民間校長にはこうした不祥事やトラブルが起きてしまうのか。
民間校長を取材してきたというジャーナリストに話を聞いてみると、最大の原因は適材適所に配置できない「ミスマッチ」があるのだという。

民間校長になるプロセスとして大きく2つにパターンがあり、
1つは地元の有力企業などに自治体が相談して適任者を推薦してもらうやり方。
もう一つは大阪のような公募だ。

校長を目指している教員から強い嫉妬を受ける 推薦にも問題があり、いきなり会社から「君を推薦したい」と伝えられる場合がある。

もちろん教育に興味があって喜ぶ人もいるが、「左遷」と感じる人もいる。
知らない職場に自分の意思とは違った形で行くわけだから何をすればいいのかわからず、これが「不協和音」の始まりとなるようだ。

公募の場合はこれまでの自分のキャリアを捨てる覚悟が必要で、それができる人は期待できるが、体のいい「転職」と思っている人もいる。

そして、一般企業と教育現場は組織や思考が全く異なり、今まで自分を育ててきた企業の論理を持ち込むと、トラブルのもとになる。

学校では生徒や先生たちに加え、PTAといった組織や地域住民とのつながりといった人間関係が錯綜し、やらなければならない仕事が山積みだ。

さらに、外部から来た校長ということで、同僚であるはずの教職員の見る目は厳しく、校長を目指している教員からの強い嫉妬もある。

「ある小学校の民間校長は毎朝校門に立ち生徒たちに挨拶をしていたのですが、その校長が校門を通る先生方におはようございますと挨拶をしたところ、ほとんどの先生がそれを無視していていまして、私はそれを見て驚き、民間校長は気の毒だなと思いました」

大阪市では民間校長の不祥事が続いたことで、15年春の校長採用経費2800万円を削ることを決めた。
民間校長制度は継続させる予定だが経費がない以上どうやって採用するのか、と市の教育委員会は悩んでいる。

「大阪市の採用は限りなくゼロに近付くと思います。
そもそも民間で活躍した人が大学教授になるのはわかりますが、同じ教育といっても学校の校長は全くの別物であり、人選によほど気を付けなければ民間校長によるトラブルは続いていくと思います」
前出のジャーナリストは悲観的だ。
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2014年06月11日

覚醒剤の次はトイレ盗撮…校長先生の犯罪が相次ぐワケは?

覚醒剤の次はトイレ盗撮…
校長先生の犯罪が相次ぐワケは?
2014年6月11日 日刊ゲンダイ

覚醒剤に続いて盗撮。
最近の校長センセーは一体どうなっているのか。

 白昼堂々、勤務先の小学校の女子トイレで盗撮したエロ校長が8日、建造物侵入などの疑いで逮捕された。

群馬・高崎市立大類小学校校長、会沢紳喜容疑者(56)は今月5日正午ごろ、20代の女性
教諭の後をつけ、女子トイレに侵入。
隣の個室の上から、スマホで盗撮した疑いだ。

「スマホに気づいた女性が叫び声を上げたため、会沢は逃走。
その後、何食わぬ顔で仕事をしていましたが、駆けつけたほかの教諭の目撃証言から、会沢の仕業と分かった。
会沢は自ら出頭し、容疑を認めている。
3年前に校長になったばかりだったそうですが……」(捜査事情通)

■権威は失墜、ストレスの塊

 校長といえば、先月も福岡の小学校校長(57)が覚醒剤所持で捕まっている。
いずれも50代だ。

大阪産業大客員教授の八幡義雄氏(教育指導論)がこう言う。

校長になると、モンスターペアレント、PTAに加え、教育委員会など校外の付き合いも増えます。
50代校長は外部折衝が不慣れという人が多く、ストレスをため込みやすい側面はあります」  

だからといって何の免罪符にもならないが、世間が抱くかつての校長のイメージと実像には随分、乖離があるようだ。

「最近は若くて優秀な教員が塾に流れる。
有名な塾だと給料は教員の2倍。
しかも選抜された少数の生徒が相手ですから、教えるのはずっと楽。
人材流出も校長の大きな悩みのタネです」(教育関係者)

 校長を見る目が変わってくる。
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2014年06月27日

 勉強嫌いの子どもにやる気を起こさせる方法はあるか

勉強嫌いの子どもに
やる気を起こさせる方法はあるか
2014年6月26日 東京新聞「筆洗」

 勉強嫌いの子どもにやる気を起こさせる方法はあるか。

とにかく前向きな言葉をかけ続けてください」。
先日お会いした進学塾経営の坪田信貴さんにこう教えられた。
叱るな、怒るな。
褒めなさいという

▼「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」(KADOKAWA)という、失礼ながら「身も蓋(ふた)もない」題の本を書いている。

題名のままの実話で、この子は聖徳太子を「せいとくたこ」という太った女子だと思っていたと紹介している

▼「そうはおっしゃいますけどね」。
「叱るな」に言い返す。
「小学生で宿題もやらない場合はどうなんですか。怒るべきでしょう。普通」。
いいえ。一緒にやってみようと言ってください。あくまで前向きに

▼本当かとまだ疑う。
みんな叱られて大きくなった。
おしりを叩(たた)かれて机に向かった。
「今の子は違います」と坪田さんは断言する

▼戦後から高度成長期。
苦難に勝てば、良いことが待っているという空気を子どもでさえ感じられたので、「勉強しろ」にも耐えられた。

逆に生まれてこのかた、ずっと景気の悪い時代に育った子はその先の良いことが想像できない。
叱られると、激励ではなく「痛み」としか感じないという。
分かる気がする

▼敗退したサッカーの日本代表。世間の風は厳しいが、ここは「良いところもあったよ」と書いておく。
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2014年10月10日

夜間中学 まず「1県1校」実現を、学齢主義克服の道を!!

私は 義務教育小学校の元教師として、「学齢主義」を超え「学力主義」に制度を変えなければ、以下の毎日新聞「社説」の問題意識前のことが 解決されない恐れを感じます。

一度 卒業証書を受けてしまうと「学び直しの再入学が不可能」になっている現状です。
今の学校は、出席日数が足りていれば 進級・卒業させる「学齢主義」です。

ある程度 生活に余裕がでてきたり 必要性が生じて「学び直したい」と思っても 卒業資格が「再入学」を許さない硬直したものになっています。

人間とは不思議なもので、何らかのきっかけで「知りたい・調べたい・出来るようになりたい」という知的好奇心が猛烈に出るものです。
でも、名目的にも 義務教育の卒業証書を受けてしまうと 義務教育の再入学・再履修は認められません。
私は 卒業資格より卒業学力が 保障されるような 弾力的な制度設計がないと 「学校を卒業しているのに ○◇もできないのか」という状況が固定化してしまうと考えます。

その犠牲になっているのが「荒れる高校生・高校」ではないかとも思います。

夜間中学は、学び直したい「卒業生」の「再履修」の機会保障としても 議論されなければ、意味を持たないと思っています。

***********************
夜間中学 まず「1県1校」実現を
毎日新聞「社説」2014年10月07日02時32分

何らかの事情で義務教育を終えられなかった人のための夜間中学を全国的に拡充しようという動きが出ている。
これを推進しようという超党派の議員連盟が発足、最低でも各都道府県に1校開校する方向で次期通常国会に議員提案する構えだ。

 夜間中学、正式には「中学校夜間学級」は、戦後の混乱期に開設されたのが始まりだ。
中学校の2部授業という位置づけで、学校教育法施行令に基づき設置されている。

昨年9月現在で、大阪、東京、神奈川など8都府県に31校あり、約2100人が在籍しているが、潜在的な需要者は数十万人にのぼると見られ、開設のない自治体や自主運営グループなどから増設の陳情が多く出ている。

 こういった流れを受けて4月には自民党から共産党までの国会議員49人が「夜間中学等義務教育拡充議員連盟」を作り、8月には全国夜間中学校研究会とシンポジウムを共催、5年間引きこもりの生徒が夜間中学にやっと自分の場所を見つけた体験談や、在日韓国人のおばあさんが字を書けるようになった喜びについて語り、拡充の必要性を訴えた。

 一方で、夜間中学の現場も大きく変化している。
定住ないし就労ビザ、家族ビザの外国人労働者やその子どもたちが利用するケースが急増しているのだ。

例えば、都内のある夜間中学は、生徒数68人を国籍別にすると、ネパール36、中国11、フィリピン4、インド3、バングラデシュ、タイ、ミャンマー、トルコ各1という多彩さ。
日本人は10という構成だった。

年齢は15〜19歳が44人と多い。
外国人の入学資格は、母国での就学年数が9年に満たない者で、入学相談の折に必ず短期ビザでないことをチェックする。

 授業をのぞかせてもらった。午後5時半から8時50分までの40分刻みの1日4時限授業。途中入る30分間の給食時間はにぎやかだ。

生徒10人程度に1人の先生がつく少人数学級のためか、生徒たちの熱心さが伝わってきた。
教師の中には昼より夜間中学を志望する人もいる、という。

 1県1校の夜間中学拡充構想については、すべての国民に教育を受ける権利を保障する憲法26条の趣旨からして賛成したい。

 ただ、外国人生徒急増をどう考えるか。
外国人の義務教育に税金をあてることについて国会できちんとした議論をして、その意義を明確にしてもらいたい。

 いろいろな考えがあるだろう。
ただ、今後日本の社会・経済にとって外国人の存在が大きな位置を占めることを考えると、世界的に定評のある日本の義務教育を世界の子どもたちに提供することは魅力的な仕事である。
それはまた日本のソフトパワーの一つになるのではないか。
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2014年10月18日

問題行動調査:反抗・暴言、荒れる児童 社会のひずみ、ストレスに

問題行動調査:
反抗・暴言、荒れる児童 
     社会のひずみ、ストレスに
毎日新聞 2014年10月17日 東京朝刊

文部科学省の2013年度問題行動調査で、荒れる小学生の増加が明らかになった。

「中学校と同じことが起きている」。
小学校教員からは悲鳴が上がり、専門家は「荒れの背景には貧困など社会のひずみが子供のストレスとなって表面化している」と指摘。
学校や行政は対応に追われている。【寺岡俊、松田栄二郎、関東晋慈、三木陽介】

 「精神的に不安定で感情を抑えられない児童が目立つ」。

大阪市立小のベテラン男性教諭(60)は現状をそう明かす。
反抗的な態度を見せ、ささいなことで教室を飛び出したり、突然壁を殴ったり。

広島県の市立小校長は「調査統計には含まれないが『言葉の暴力』も目立つと嘆く。

教員とすれ違いざまに「うざい」「死ね」と暴言を吐く児童が珍しくない。
東京都の区立小校長も「注意すると、かみついたり、いすを投げたりする。
過度な指導は『体罰』になりかねず先生も遠慮がち。
それが暴力行為を助長させている面もある」と対応に悩む。

 自治体は対応に乗り出してはいる。
熊本県教委は08年度に小中学校での暴力行為が前年度52件増の171件となったことを受け「子どもの居場所作り」を重視した対策を促進。
異学年交流の活発化や教員が連携して生徒指導に当たる学校が増加した。

13年度は135件に減り、県教委は「取り組みが浸透した結果」と説明する。

福岡県教委は02年度から「非行要因」として不登校への対策を強化。
担任とは別の教員によるマンツーマンの相談体制などに取り組む。

 小中高校の暴力行為件数が13年度1万187件と、4年連続で全国1位だった大阪府。
大阪市教委は来春から、在籍校とは別の施設に特別教室「個別指導教室(仮称)」を設置し、問題行動を起こした生徒を厳格に指導する方針だ。

 重い傷害や薬物所持、強盗などを起こしたケースが対象。
出席停止にした上で、専門スタッフが警察などと連携して指導する。
市教委は「あくまで出席停止措置の受け皿。排除ではない」と説明するが、
教員からは「邪魔者扱いと受け取られ、逆に傷つける」
「規範意識は集団生活の中で身につく」と疑問の声も上がる。

 荒れる児童について、元小学校教員の増田修治・白梅学園大教授(臨床教育学)は「ストレスを抱える子が確実に増えている」と指摘。

一因として家庭要因を挙げる。
経済的困窮で子を構えなかったり、思い通りの進路を歩ませようとしたりする親も目立つという。

学校も受け止める余裕がない。
小学校は障害を抱え特別支援が必要な児童も増え、新たな指導方法も求められる。
全国学力テストで学校間競争にもさらされる。

 増田教授は「問題行動を起こす子どもは親からも先生からも認めてもらえず自己肯定感が低い子が少なくない。
社会全体の問題としてとらえ対策を取る必要がある」と話している。

 ◇いじめ18万件、続く高水準

 文科省が実施した13年度の問題行動調査で、全国の国公私立の小中高校、特別支援学校で認知されたいじめ件数は18万5860件だったことが分かった。
前年度の約19万8000件に比べ減ったものの依然高水準で「いじめ20万件時代」に入ったことをうかがわせる。

 都道府県別では1000人当たりの認知件数は全国平均が13・4件だが、最多は京都府の99・8件、最少は福島県の1・2件と開きがあった。

同省は「自治体、学校ごとで把握の方法が一様でないことが要因
国の手引を精査し、客観的で的確に認知できるようにしたい」と話している。

 いじめのうち、インターネット上で誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)する「ネットいじめ」は8787件で過去最多。
全体に占める割合は4・7%だが、高校ではその割合が高く、約2割を占めた。

 昨年9月施行のいじめ防止対策推進法が示す対策の取り組み状況(今年10月現在)を調べた結果、都道府県に比べ市区町村の遅れが目立った。

各自治体が作る「いじめ防止基本方針」は、策定中の奈良県以外の都道府県で策定済みだったが、市区町村は4割強。
学校や教委、児童相談所など関係機関でつくる「いじめ問題対策連絡協議会」も都道府県は9割超が設置済みに対し、市町村は3割程度だった。【三木陽介】
==============  
■ことば  
◇いじめ防止対策推進法
 2011年に大津市の中2男子生徒がいじめを受け自殺した事件で、大津市教委の隠蔽(いんぺい)体質や不適切な学校の対応が問題視され、初めて法制化された。
学校に対し、教員や心理、福祉の専門家らで構成するいじめ防止対策組織の常設
▽いじめ防止基本方針の策定
▽重大ないじめ事案が起きた場合、迅速な事実関係の調査−−などを義務づけている。
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2014年10月24日

5人に飴を4個ずつ配ると飴はいくつ必要か 赤ペン先生回答

5人に飴を4個ずつ配ると飴はいくつ必要か
赤ペン先生回
2012.12.19 16:00 NEWSポストセブン

 ネットで繰り返し話題になるかけ算の問題がある。
「5人に飴を4個ずつ配るとき、飴はいくつ必要になりますか」という問いに「5×4=20」と答えると、小学校の先生から「×」をもらう、というのである。

正答は「4×5=20」である。
しかし「かけ算の順番は入れ換えても一緒、A×B=B×A」ではないのか。
ベネッセコーポレーションの「進研ゼミ小学講座」算数科に、説明してもらった。
(取材・文=フリーライター神田憲行)  

* * *
  ベネッセからはより正確を期すために、文章で回答が寄せられたので、そのまま転載する。 −−−−−−−−−
 かけ算の式を書く順番について、進研ゼミでは(1つ分の数)×(いくつ分)=(全部の数)で立式するよう指導しております。

理由は以下の通りです。
1:式は単なる「答えを出すもの」ではなく『数量の関係を表すもの』として指導しています。

学習指導要領には「乗法が用いられる場合とその意味」として「乗法はひとつ分の大きさが決まっているときに、そのいくつ分かに当たる大きさを求める場合に用いられるつまり累加の簡素な表現として乗法による表現が用いられることになる」とあるので、そのような乗法の意味に合わせて立式をしています。

 かけ算の式を「単なる答えを出すためのもの」としてではなく「数量の関係を表すもの」としてとらえて、式を見たときに、誰でも同じ意味に読みとれなくてはいけないため、『飴を5個ずつ4人に配る』のであれば5×4と表現することが必要で、4×5では『飴を4個ずつ5人に配る』というように状況が変わってしまいます。

2:割合の考え方への拡張が自然にされる

《(1つ分の数)×(いくつ分)》という式は《(1つ分の数)×(何倍)》とも置き換えて考えられ、もとにする量の何倍かを求めるということは、割合の考え方につながります。

「何倍」の部分は整数倍から小数・分数倍へと拡張し、

《(もとにする量)×(割合)=(比べられる量)》という式になり
《(割合)=(比べられる量)÷(もとにする量)》という割合を求める式に自然とつながります。

3:教科書の指導に合わせてお子さまの混乱を防ぐ  上記のような考え方から、弊社が対応しているすべての教科書において、かけ算を《(1つ分の数)×(いくつ分)=(全部の数)》という式で扱っています。

教科書に合わせた指導をしている弊社としては、お子さまの理解の混乱を防ぐためにも教科書と同様の指導をしています。

 以上のようなことから、弊社では、かけ算の立式については(1つ分の数)×(いくつ分)=(全部の数)で指導しております。

 かけ算の文章題を解く際には、「演算決定」「立式」「計算」という3つのステップがあり、(1つ分の数)×(いくつ分)=(全部の数)とすることは「立式」の部分における約束であることを指導しています。

つまり、「立式」はかけ算の意味に基づいて行う必要がありますが、そのあとの「計算」においては、工夫したり、左右を入れ替えて考えたりしてもよいということになります。

かけ算の交換法則を指導することで、お子さまの混乱も見えますが、「計算」のステップにおいて交換・分配法則を使うことは、かけ算の数の拡張には欠かせないことですので、「立式」とは別に「計算のきまり」としてしっかり指導しております。

−−−−−−−

 かけ算の文章題は小学2年生で登場する。そこで(1つ分の数)×(いくつ分)=(全部の数)という考え方を抑えておけば、5年生で学ぶ「割合」の理解がしやすい。

またかけ算の文章題では答えだけでなく、「立式」というステップも大切なポイントであるとは、重要な指摘だろう。

 なお、ベネッセの添削「赤ペン先生の問題」では、冒頭の問題のように「5人に飴を4個ずつ配るとき、飴はいくつ必要になりますか」という問いに「5×4=20」と答えた場合は、式に対して「×」ではなく「△」を与え、マイナス1点としているそうだ。
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2014年10月25日

道徳の教科化 心を評価する危うさ

道徳の教科化 心を評価する危うさ
2014年10月23日 東京新聞「社説」

 小中学校の「道徳の時間」を検定教科書を使う正式な教科に格上げし、子どもの人格の成長ぶりを評価する。
中央教育審議会が文部科学相に出した答申である。

大人はそんなに立派な存在なのか。

 現行の道徳は教科外活動とされ、検定教科書はなく、成績評価もなされてこなかった。
これが二〇一八年度から「特別の教科」に位置づけられる見通しとなった。

 国定教科書を用いた戦前の「修身」は愛国心といった徳目を国民に植えつけ、軍国主義教育の中核を担った。
戦後の道徳教育はその反省に立って行われてきた。

答申が時計の針を巻き戻す結果を招かないか気がかりだ。

 国語や算数・数学、理科、社会などの既存の教科は、先生が自らの知識や技能、経験も踏まえ、子どもに伝授するのにふさわしい分野といえる。
テストという物差しをあてがい、習得具合を客観的に評価することができるからだ。

 道徳は対照的だ。
物事の善悪や正邪にとどまらず、人間の生き方や価値観をも正面から取り上げる分野である。
子どもの心奥に働きかけ、人格形成に大きな影響を与えるだろう。
無論、テストでその発達ぶりを測ることはできない。

 そこで、答申は、点数式を排除して記述式の評価を求めたが、子どもの内面の在りように成績をつけさせることに変わりはないのだ。
先生個人の主義主張や好き嫌い、えこひいきが入り込む。

 最大の問題は、何をどう評価するかだ。
国が一律の物差しを作れば、自由かつ多様であるべき価値観や思想信条を統制することになりかねない。

成績評価がついて回るから、子どもや親が無批判に受け入れてしまう懸念がある。

 国の検定基準に見合う教科書が導入されるのも心配だ。

愛国心を定めた教育基本法に照らし、重大な欠陥があると失格になる。
合格を意識するあまり画一的な偉人伝や格言、素材に偏らないか。
やはり戦前をほうふつさせる。

 そもそも世の中の大人に、子どもの道徳性を評価する資格があるのだろうか。


 小渕優子前経済産業相はお金を正しく管理できず、松島みどり前法相はうちわを配り、そろって法律違反を疑われて閣僚を辞めた。

国の責任者に選ばれる大人でさえ、人格完成へまだ道半ばではないか。

 貧困、紛争、温暖化…。
社会の難題の解決には、人間の道徳心が肝要である。
大人も子どもと一緒に悩み、考え、学び合う。
その姿勢を欠いては、未来は危うい。
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2014年11月02日

40人学級:復活に異論 文科省、35人効果否定に反発 保護者、ネットで署名集め

40人学級:復活に異論 
文科省、35人効果否定に反発 
保護者、ネットで署名集め
毎日新聞 2014年11月01日 中部夕刊


小学1年生の学級編成を巡り、財務省と文部科学省が激しいつばぜり合いを見せている。

財務省が来年度の予算編成に向け、2011年度に制度化した公立小学校1年生の「35人学級」を「40人学級」に戻す案を打ち出し、文科省が反発しているのだ。

この案に驚いた保護者が反対署名を呼び掛けるなど影響が広がっている。【三木陽介、澤圭一郎】

 発端は、文科省が来年度から目指す幼児教育の段階的無償化。

第1段階として年収360万円未満世帯の5歳児を対象にしたい考えだ。
その場合、250億円の財源が必要だが「どう捻出するのか」というのが財務省側の懸念。
そこで財務省自ら「案」として示したのが小学1年生の「40人学級」復活案だ。

 法律は小中学校の1学級の人数の上限を40人と定めているが、落ち着いて授業に臨めない「小1プロブレム」が問題化。
きめ細かな対応ができるように、法改正で「35人」に引き下げられた。

教員定数は学級数に応じて決まり、40人に戻せば学級数が減って教員数も減るため、財務省の試算では人件費約260億円が浮く。

 財務省は「35人学級には効果がない」とする根拠も提示した。
小1のいじめ認知件数について、小学生全体に占める割合が35人学級導入前の5年間の平均で10・6%だったのに対し、導入後の2年間は平均11・2%と微増。
このほか不登校率などの数字も出して「明確な効果は認められない」とした。

 文科省幹部は「『効果なし』の根拠は乱暴だ」と反論する。
いじめ認知件数は最近増加傾向だが、いじめを積極的に認知し対応しようという学校側の意識の高まりが背景にある。
認知件数の増加は、重大事案に至る前に対応できる可能性が広がることを意味する。

 いじめ以外にも、学校が抱える問題は山積している。

東京都内の小学校校長は「発達障害や問題行動の対応で明らかに学校は大変だ。
財務省には現場を見てくれと言いたい」と怒りを隠さない。

東京都品川区の会社社長、杉山大輔さん(35)は報道で財務省案を知り、驚いたという。
「子供のうち2人が小学生。人ごとではない」と、インターネットを使って署名活動などを進める団体「Change.org」を通じ、10月29日から「35人学級存続」を求めるキャンペーン(http://chn.ge/ltckghb)を始めた。

杉山さんは「35人でも多いと感じる。
先生が子供と向き合う時間を多く確保することはとても大事だ」と話す。
31日までに国内外約1万6000人から賛同の署名が届き「少子化の今、大いに疑問」などとコメントが寄せられているという。

 財務省案の根底には、少子化による児童生徒数の減少に比べ、教員数の減少幅が小さいという考えがある。

今年度予算の概算要求で文科省は3800人の教員増を求めたが、増員どころか10人減という苦汁を味わった。

 下村博文文科相は「35人学級のほうが望ましいというのは、教育関係者100人が100人みんなが言うことだ」と徹底抗戦の構えだ。
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2014年11月03日

公設民営学校 委託先の厳格な審査が必要だ

公設民営学校
 委託先の厳格な審査が必要だ
2014年11月02日 01時21分 読売新聞「社説」

公立学校の管理運営を民間に委託する「公設民営学校」が解禁される見通しになった。
新たな仕組みの導入だけに、十分な議論が欠かせない。

 政府が、公設民営学校の開設を自治体に特例で認める国家戦略特区法改正案を国会に提出した。
今国会中の成立を目指している。

 対象は、国際人の養成や外国語教育などに力を入れる中高一貫校や高校だ。
国家戦略特区に指定された自治体が用地や校舎を用意する一方で、管理運営は学校法人やNPO法人など非営利の団体に委ねる構想である。

 公立学校にはない民間のノウハウを活用できれば、公立並みの学費で、私立並みの柔軟で特色のある教育を生徒に提供することが可能になるかもしれない。

 具体的に公設民営学校の設置を目指しているのは大阪市だ。

 海外の大学入学資格を付与する教育プログラム「国際バカロレア」を実践する学校や、理科や数学を英語で学べるコースを持つ学校の創設を想定している。

 公立学校では外国人は校長などの管理職になれないが、公設民営学校では可能になる。
英語の授業ができる外国人を採用しやすくなるメリットはあるのだろう。

 だが、公設民営学校には問題点が少なくない。

 学校運営では、レベルの高い授業を行うのはもちろんのこと、いじめ対策など生徒指導の充実も求められる。
そうした管理能力を備えていない民間の団体が参入しないかが心配だ。

 責任の所在があいまいになることも懸念される。

 教師の身分は民間人であるため、例えば、体罰など不適切な行為があった場合、地方公務員法の懲戒処分の対象にはならず、措置は委託先の法人に委ねられる。

 改正案には、教育委員会が委託先の法人に対し、調査を行える規定が盛り込まれた。

学校で重大な問題が生じた際、委託先に対応を丸投げせず、教委が責任を持って、運営の適正化を図るべきだ。

 委託先が、安定的な運営を担えるだけの経営基盤を持っているかどうかも問われる。
運営の継続が途中で困難になるような事態に陥れば、在校生に影響が及ぶことは避けられまい。  

改正案が自治体に対し、委託先の指定手続きを条例で定め、指定の際は議会の承認を得るよう義務づけたのは当然である。
学校運営を任せるにふさわしいか、委託先の資質を自治体がしっかりチェックすることが何より重要だ。
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2015年01月30日

PTA役員、やって良かった?後悔した?

PTA役員、やって良かった?後悔した?
2015年1月29日 12時0分 ママスタ☆セレクト

春からスタートする新たな関係に、不安をかかえるママが多くいます。

その心配のタネとなるのが、PTAなどの役員決めではないでしょうか?
 実際に役員になった経験のあるママに、本音を聞いてみましょう。

■1人ぼっち解消の裏ワザ?

とあるママから寄せられたのは「来年度から幼稚園の会計になってしまったけど、人間関係などがこじれないか、とにかく心配」というお悩みです。

噂好きなタイプのママが多いことも不安要素になっているようです。

実際に役員になって「良かった」と思うことはあるのでしょうか?
『幼稚園ではバザー役員を2年連続でやった。
転勤族でポツンだったけど、役員になったおかげでママ友ができたし、楽しかったから、やって良かったよ。』
『バザーの時は金額大きかったから、大変だったなぁ。
その年の役員、全員仲良くて最高に楽しかった。
集まればランチ、なにかイベント終わったら打ち上げと称し、飲み会にカラオケ。
卒園してから6年たって、学校バラバラになったけど時々集まってランチや飲み会してる。
本当にやって良かったよー!』
『小学校のPTA役員やってる。
メンバーに恵まれたみたいで、やって良かった。
皆さんおっしゃる通り、メンバーによると思う!
 ただ、本部役員はものすごく仕事多いし、大変そうだからやりたくない。』

■ドラマのような嫌がらせは本当にある?

一方で、「やっぱり苦労した」という意見も多くあるようです。
一体、どんな経験をしたのでしょう?

『私も強引に押しつけられました。
あと、同じメンバーに意地悪で嫌がらせする人がいて、過去に一時期、私が標的になったことがあります……』
『全員気が強く、話し合いがこじれると喧嘩腰。
会議は多いし長い。
夜中の呼び出しも多く、大きな行事のたびに打ち上げだのなんだのと平日昼から深夜まで飲み会……』
『そのメンバーによるよね。
毎年メンバーが更新になるところは、皆スタートが一緒だからいい。
厄介なのは続けて何年もできる園や学校。
お局グループができててすごくやりにくかった。
先生たちもお局グループには気をつかってる感じだったし。』

経験談に共通したのは「メンバー次第」という言葉。
けれど、どんなメンバーになるかはその年次第のようで、運試しの要素が強いような印象をうけます。

なにが起きても、自分は自分! という、気の持ちようも大事です。

気持ちをきりかえるポジティブさを磨く、いい機会ととらえるのもいいかもしれません!
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2015年03月25日

PTA改革のススメ=山本浩資(東京社会部)

記者の目
PTA改革のススメ=山本浩資(東京社会部)
毎日新聞 2015年03月25日 東京朝刊

 ◇義務感排し自発的に

 東京都の大田区立嶺町小学校(児童数約730人)では、PTAをPTOと呼ぶ。

「Parent(親)Teacher(先生)」までは同じだが、「Association」(協会)ではなく、「Organization」(団体)の略語を使う。

嫌々やるイメージの「A(えー)」ではなく、楽しむ学校応援団の「O(おー)」の意味もある。

権威的な印象の「役員会」は「ボランティアセンター(ボラセン)」に、
「会長」は「団長」と名称を変えた。

義務的なPTAの概念は捨てることができる。
私がPTO団長として3年間、仲間と一緒に進めた組織のイノベーションを紹介したい。

 ◇「もしドラ」参考、まずは意見収集

 新学期を控え、運営に頭を悩ませているPTAは多い。
いくつか他校のPTAから相談を受けたが、悩みは同じ。

「役員や委員のなり手がいない」
「前例踏襲の活動が続いている」
「改革するにはどうすればいいか?」。

何かを変えようとするとき、リーダーは孤独だ。
私も最初そうだった。

改革の旗を揚げても、変えることへの抵抗や、失敗したときの責任を気にする人がいて、はじめの一歩が踏み出せない。

「心の壁」を取り払い、理念を共有する仲間集めこそが、改革を進める大切なポイントとなる。  

私は、人気小説「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(岩崎夏海著)を参考に、「もしドラPTA」と題して、ドラッカーの言葉を使って改革の必要性や背景を説明した。

「会員のマーケティング調査が必要」と、アンケートを数回実施。
就任半年後のアンケート(回収率96%)には、「悲痛な叫び」が寄せられた。

 「お金を払うからやめさせてほしい」は、会社を休み1点1円のベルマーク集計を行った母の声。
また、子供が在籍する6年間に1回は全員が役職につくルールがあり、別の育休中の母は「乳児を背負って資源回収に参加した」。

 かつてPTA活動の担い手は、専業主婦や自営業の人が中心だった。
共働き世帯が増え、前出のアンケート(大半は母親が回答)結果では、フルタイム勤務、パート勤務、専業主婦の割合が3分の1ずつで同じ。

なり手が減った結果、活動継続のため全員参加の強制力は強まっていた。

 「ボランティアをしたことがある人はいますか?」  学校で開いた「もしドラPTA」説明会で尋ねると、手を挙げたのは参加者80人のうち10人。
「PTA委員を経験したことがある人」は、ほぼ全員が手を挙げた。

「PTAはボランティア」と一般的に言われているものの、ボランティアだと思って参加した人は、ほとんどいなかった。

 PTAは任意加入のボランティア団体だ。

文部科学省によると、PTAの設置を義務づける法律はなく、社会教育法による社会教育関係団体に位置づけられる。
ボーイスカウトなどと同じで、本来は参加するかしないかを自由に決められる団体だが、「PTA参加は全ての保護者に課せられた平等の義務」と理解されるケースが多い。

 ◇前例とらわれず、支え合って行動

 世間一般のPTAに対するマイナスイメージの原因は、「平等の義務」の概念から派生する「3本の『や』」にある。

「やらないといけない=義務感」
「やらされている=強制感」
「やらない人がいる=不公平感」。

「3本の『や』がなくなれば、PTAはハッピーになる」。

そう説くと、共感する保護者の輪が広がった。

校長をはじめ、学校側の理解も大きかった。

 「平等の義務」を廃し、前例踏襲の活動をすべて見直した。
六つあった委員会はすべて解体。

昨年4月、完全ボランティア制のPTOに変え、必要な活動ごとに参加者を募った。

運営側と参加者側の負担を軽減するため、「嶺小PTO」ホームページを開設し、ネット上で双方向の情報伝達を可能にした。

 あくまでも自発的な活動で、義務でも強制でもない。

個人の自由な意思で考え、発想し、行動する。

自由参加のボランティアと定義づけたことで保護者の参加意識が変わり、アイデアしだいで活動に人が集まるようになった。
父親の参加も増えた。

 お祭り、防災訓練、パトロールなど、PTOになった1年間の参加ボランティアは延べ450人。
運営で苦労する時もあるが、従来のPTAの概念を捨てたことで、前例にとらわれず互いに支え合って行動する環境ができた。

「役員」改め「ボラセンスタッフ」には、活動のコーディネーター(つなぎ役)の意識が芽生えた。
自ら行動する大人を見て、子供は「ボランティアとは何か」を学ぶ機会にもなる。

 こうしたボランティアの輪は、地域社会の中で役立つ時がきっとある。
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2015年05月04日

<家庭訪問>変わるスタイル 「玄関先訪問」も

<家庭訪問>変わるスタイル
 「玄関先訪問」も
毎日新聞 5月3日(日)16時15分配信

 小学校が年度初めに実施する家庭訪問が変わりつつある。
担任教諭に飲み物や茶菓子を出して懇談するスタイルがかつては一般的だったが、最近は玄関先での立ち話だけで終えるケースも増え、中にはあえて「玄関先訪問」という名前で案内を出す学校もある。

働く親らに配慮して、家の片付けなどに時間を割かなくてもいいよう学校側が気を使っているようだ。【青木絵美】

 「家庭訪問と違うの?」。
今春、福岡市城南区の鳥飼小学校に娘が入学した母親(38)は「玄関先訪問」と書かれた行事予定に驚いた。
保護者への手紙には、緊急時に備えた自宅の場所確認と通学路の把握が主な目的と記されていた。
必ずしも家にいなくてもよいとも書かれていたが、母親は仕事を早めに切り上げて帰宅した。  

玄関ドアが半開きのまま、担任教諭との立ち話は約10分。
学校や家庭での子供の様子や母親の仕事の話などをして「家に上がってもらったら緊張したかも。
でも、1対1で少しでも話ができて良かった」と振り返った。

 同校は今年度から玄関先訪問を始めた。
共働きなどで忙しい保護者が増え、家庭ごとに日程調整するのが困難になってきたという。

そこで最低限、児童の自宅位置だけでも確認し、希望や必要があれば後日改めて訪問することにした。

 同市博多区の東住吉小も同様だ。
同校の場合は保護者の在宅を条件にしているが、やはり働く親に配慮し「家の中にお邪魔すると部屋を片付けるために仕事を休む親もいる。
玄関先なら靴を並べるだけで済む」と語る。

 福岡市教委によると、家庭訪問の目的は、
▽緊急時に備えて全児童の自宅の場所を確認
▽自宅周辺の危険箇所などを把握
▽児童について個別に話す−−などで、時期や手法は各学校長が決める。

 北九州市内の小学校でも、玄関先で済ます家庭訪問が数年前から多くなっている。

市教委によると、学校によっては家に上がらないことを基本とし、「保護者に勧められた時には上がらせてもらう」といった訪問時の作法を担任に助言しているケースもあるという。

 家庭訪問自体を一時なくした学校もある。
福岡市内のある小学校は3年間、年度初めの自宅確認と必要に応じた個別訪問だけで対応してきた。
しかし、学校と家庭とのつながりが希薄になりかねない状況に、担任たちから「短時間でも親と会って話をしたい」という意見が出たため、昨年度から家庭訪問を再開した。

当時の男性校長は「顔見せの訪問では後の学級運営につながらない。

短時間でも親との有意義な情報交換の機会にすることが大事だ」と家庭訪問の必要性を指摘した。
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2015年05月27日

好奇心をつぶさないで!子どもの「質問攻撃」に上手に答える3つの心得

好奇心をつぶさないで!
   子どもの「質問攻撃」に
     上手に答える3つの心得
2015.05.26 21:00 NEWSポストセブン

子どもが3歳、あるいは4歳くらいになってくると始まるのが、「どうして?」「なんで?」といった質問攻撃。
たいていのママやパパは、毎日毎日、子どもからこの質問攻撃にあうことになります。
でも、子どもの好奇心にはキリがありません。
延々と続く質問に対応していくのは、親としては正直、ちょっと面倒臭いですよね?

 ちょうど家事や仕事が忙しいときには、なおさらです。
ところが、この質問攻撃は、子どもが物事を認知するために必要な過程であり、この過程を大事にしてあげないと、子どもの知的好奇心が育たなかったり、物事の認知が遅れてしまったり、はたまたコミュニケーションに障害を持ってしまったりすることもあるというのです!

そこで今回は、アジア圏のパパママ情報サイト『the Asian parent』などを参考に、“子どもの質問攻撃に上手に答えるための3つの方法”を紹介します。

子どもの質問攻撃に悩んでいるパパ、ママは、さっそく参考にしてみてください。

■1:辛抱強く

まずなにより、子どもの“質問攻撃”は、子どもの成長にとってとても大事な過程であるという意識を持ってください。
物事を認知するために通る、重要な過程なのです。

ママとのやり取りを通じて、知的好奇心が育ち、物事に対する興味が広がっていくのです。
だからこそ、子どもの質問には、できるだけ誠実に、できる限りの答えを教えてあげてください。
中には超難問もありますが、そうした時は、一緒に考えてあげましょう。

一番やってはいけないのが、「うるさい! あっちにいってなさい」と言ってしまうこと。
子どもの心に深い傷を負わせてしまうかもしれません。

■2:想像力より真実を

「ママ、どうして空は青いの?」と聞かれたら、「ジャックが豆の木を登っていって、空をペンキで青く塗っちゃったの」なんて答えるのは、やめましょう。

想像力を働かせるという意味では良いかもしれませんが、子どもには、できるだけ真実を教えてあげてください。
こうしたことの積み重ねが、知的好奇心を刺激していくのです。

■3:わからないときは正直に

もちろん、親であっても全ての質問に答えられるわけではないですよね。
子どもの質問は、大人の想像をはるかに超えたところから出されます。
ですから、そうした質問には正直に「わからない」と答えましょう。

でもそれで終わらせるのではなく、「わからないから、一緒に考えようか?」とか、「ママはちょっとわからないけど、どうしてだと思う?」など、答えを出さなくても、子どもが納得するような態度を示してあげてください。

以上、“子どもの質問攻撃に上手に答えるための3つの方法”でしたが、いかがだったでしょうか?

 基本的には、子どもは知的好奇心の塊なので、”もっと知りたい”という意欲にあふれています。
ですので、そうした意欲を、さらに伸ばしてあげることを意識して対応してあげてください。
面倒臭いからといって、そっけなくしたり、追い払ったりしないようにしてください。
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2015年06月01日

教育機会の保障 多様化の利点を生かせ

教育機会の保障 多様化の利点を生かせ
毎日新聞「社説」 2015年05月31日 02時35分

 義務教育でも、学びの多様なかたちや学び直しの機会は、広く保障されるべきだ。

 超党派の国会議員が立法準備を進めている「多様な教育機会確保法」(仮称)案は、そうした考えに立っている。

学校教育法の学校に該当しないフリースクールなど、不登校の子供らが選択した学びの場を制度的に認め、支援も行うという。
 不登校の小中学生らが通うフリースクールは全国に約400、学ぶ子供は約2000人ともいわれるが、文部科学省もまだ把握しきれていない。

一方、2013年度の不登校小中学生は約12万人に達している。
公的支援がないため、フリースクールに通うにも学費などの経済的負担は小さくない。

 また、夜間中学に多い、学齢期を超過したが学び直したいという人たちへの機会保障も課題だ。
 この議員立法は基本的な理念と国の責務などを骨格にし、成立すれば、文科省が具体的な制度設計をした後、学校教育法改正を経て、17年度施行を目指している。

 実現すれば、学習指導要領を軸に固定された「単線型」の義務教育制が、多様な「複線型」に幅を広げるともいえ、大きな転換だ。

 案では、フリースクールや自宅など、学校外での学びを選ぶ場合、保護者は子供との話し合いやスクールなどの助言を踏まえ「個別学習計画」を作成、市町村教育委員会に申請する。
教委が認めて計画が実行されれば、修了とみなす想定だ。

 また教委の指導やスクールソーシャルワーカーらの訪問などで学習の質を保証し、財政支援も図る。
 だが、懸念もぬぐえない。

 教委の関与が条件を狭めたり、一定の型にはめたりするおそれはないか。
審査や認定はどんな手法で行うのか。
フリースクールなどには定型化されない多様性や個性を特徴とする面もあり、メリットでもあろう。

 それらの難しい課題をどういう仕組みで解決していくか。
学校教育改革の弾みにしていくためにも、細心の設計が必要だ。

 かつて例外的な問題とみなされがちだった不登校は、1990年代には「どの子にも起こりうる」と認識を改められた。

その選択する学びの場やかたちが制度的にも「例外」ではないとされれば、教育機会の保障だけではなく、学校教育を豊かにする効果も期待できよう。

 また忘れてはならないのは、深刻な貧困率や境遇の格差、虐待、放置などといった問題で就学の機会を奪われた子供たちだ。

 今回の改革をそうした実態にも扉を開き、改善へつながる手立ての一つともしたい。
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2015年07月08日

火論:46年前の通知=玉木研二

火論:46年前の通知=玉木研二
毎日新聞 2015年07月07日 東京朝刊

 「高校に乱れが及んでいるが、文相は各都道府県教育委員会にどのような指導をしているのか。
もし適当な措置がされていないならば、早くとってほしい」

 1969年10月31日午前の閣議。
佐藤栄作首相が当時の坂田道太文相にこう指示したと、毎日新聞夕刊の1面は伝えている。  

乱れが及ぶ」とは、大学紛争が高校に広がり、生徒たちが街頭の政治デモ、集会にも盛んに参加していることを指す。
この10日前は「10・21国際反戦デー」で、東京・新宿などで激しいデモと機動隊の衝突が繰り広げられ、高校生たちも検挙された。

 生徒たちの「政治的活動」を封じる文部省(現文部科学省)の指導通知は、すでに準備されていた。
31日のうちに初等中等教育局長名で教委に送られている。

 いわく、クラブや生徒会の政治的活動利用の禁止。
放課後や休日も校内の文書配布や集会は規制、禁止する。
校外でも好ましくないと指導。
教師も個人的主張を避けよ。

 この通知は今も生きていて「18歳選挙権」で再び注目されている。
46年前は「参政権がない」を政治的活動禁止の根拠の一つにした。
それはもはや通じない。

 文科省は通知を見直すといい、自民党は教師「中立」のため新たな規制案も提起するが、制約は緩いほどいい。
 心配なのは「政治的」なるものに過敏になって、今後の主権者教育の授業で、熱い政治テーマを避けようとする傾きが生じることだ。

もし政治に、目も耳も口も覆うのが無難とでもいうような「空気」を高校生が感じたら、元も子もない。
大いに語るべし

 小さな工夫が生きる

 文部省が通知を出した69年秋。ピリピリする中で、毎日新聞は「高校生」という連載をしている。
 授業は実社会とつながっているのか。
疑念はいつの時代もあるが、とりわけあのころ、教師たちは問われた。

 記事によると、兵庫県のある学校では、教師が英字新聞の社説を副教材にした。
建前は記事文体の学習だが、内容は沖縄だった。
返還交渉のヤマ場。
このころのデモが真っ先に掲げた政治問題だ。

 教室の空気が変わり、役に立たぬと英語に関心の薄かった生徒も真剣に読んだ。
「授業と社会の動きが無縁でないことがわかってうれしかった」
「学校で沖縄のことを口にするなどタブーだと思っていた」
 またこんな授業をやってほしいという希望が寄せられたという。
                                (専門編集委員)
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2015年07月20日

セミは長生き!知らなかった夏の虫の真実

セミは長生き!
知らなかった夏の虫の真実
2015年7月20日 12時0分 教えて!goo ウォッチ

みなさんは、「夏の風物詩」といえば何を思い浮かべるだろうか。
すいか、花火、風鈴……と数多くあるが、夏の昆虫の代表格といえば「セミ」。

一般的には7月から10月頃にかけて見かけられるものだが、暑さを倍増させる「ミーンミーン」という鳴き声や、ふいに命中する小便攻撃。

煩わしさを感じつつも、夏の到来を実感する人も多いのではないだろうか。
セミといえば夏の季語として、古くから松尾芭蕉などの有名俳人や歌人の作品に登場したり、映画や小説の題材となってきた。

元気な鳴き声のイメージがある一方、どこなく儚さが漂うのもその特徴。
それは、「セミは地上に出てから1週間しか生きられない」ということが広く知られているからなのだろうが、実はこれ、ただの俗説に過ぎないのだという。

■カブトムシに比べ
                   ●倍の寿命があるセミ

愛知県の豊橋市自然史博物館学芸専門員・長谷川さんによると、 「『わずか7日の命』」など、短命ないきものの代表のように言われるセミですが、実際には昆虫の中では長寿の部類に入ります。

クマゼミを例にすると、土の中で暮らす幼虫時代が5〜6年。
地上にでてきて成虫になってからも実際には、1ヵ月くらいの寿命があります」 とのこと。

土の中で暮らしている期間と比べると遥かに短いが、地中に出てからも1ヵ月くらいは生きているそうだ。
「カブトムシの一生が、卵から成虫まで1年であることを考えると、およそ5倍の寿命です」(長谷川さん) というので、昆虫の中では長寿の部類に入るということにも納得できるだろう。

なぜ1週間の寿命だと考えられているのかは定かではないが、一説によると採集してからの飼育が難しく、1週間程度で死んでしまうことから広まったとも言われている。

これから本格的に活動を始めるであろうセミ。
近年では、昔と比べて鳴き声を聞く機会が減ったようにも感じるが、今年も各地で元気に鳴く姿が、わたしたちに夏の訪れを告げることになるだろう。
            (酒井理恵)
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2015年07月30日

岩手いじめ自殺 子の痛みにさとくあれ

岩手いじめ自殺 
子の痛みにさとくあれ
2015年7月29日 東京新聞「社説」

 学校は子どもの痛みに鈍感になっていないか。
岩手県矢巾(やはば)町の中学二年村松亮君(13)の自殺はいじめが一因とした学校の調査結果はそんな不安を募らせる。

いじめ克服を掲げても機能しないでは。

 村松君が列車に飛び込み、自ら命を絶ってから二十日余り。
自殺といじめの関わりを調べた学校の報告書では、現場の危機意識の欠如があらわになっている。

 「づっと暴力、づっとずっとずっと悪口」
「ボクはついにげんかいになりました」
「もう市(死)ぬ場所はきまってるんですけどね」

 担任の先生とやりとりしていた生活記録ノートには、追い詰められていく様子や自殺をほのめかす文言が多く残されていた。
事実上の遺書となってしまい残念だ。

 調査では、担任は「死」の文字を四月に初めて目にしてから常に気遣っていたという。
しかし、問題を一人で抱え込み、校内で情報を共有して対処することを怠った。
家庭との連携も欠いていた。

 一年から二年にかけて、バスケットボール部で強いパスを出されたり、机に頭を押さえつけられたりした六件のいじめがあった。
驚かされるのは、先生たちがいずれも、からかいやちょっかい、けんかと捉えていたことだ。  表面上はそう見えても、いじめを否定する根拠にはならない。

子どもが心身の苦痛を感じれば、全ていじめ行為である。

先生たちの認識がはなから間違っていたとすれば、致命的と言うほかない。

 大津市の中学二年男子の自殺をきっかけに、いじめ防止対策推進法が定められたのは二年前だ。
 学校は基本方針を立て、福祉や心理の専門家を加えた対策組織を設けねばならない。
早期発見のための調査を定期的にしたり、自治体にいじめ情報を知らせたりする義務が課せられている。
 矢巾町の中学校も態勢を整えていたのに機能不全に陥っていた。

なぜ担任任せになったのか。
なぜ組織的に動けなかったのか。
学校の調査は踏み込み不足で、問題の核心が見えない。

 先生たちが忙しすぎ、子どもとの関係がなおざりになっていないか。
評価を気にし、いじめから目を背ける風土はないか。

町教育委員会が置く第三者委員会は現場の意識や体質にまで立ち入って調べ、教訓をしっかりと引き出してほしい。
 いじめはこの学校だけの問題ではない。

どこでも起こる。
子どものSOSに即応できるか。
全ての学校で再点検せねばならない。
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2015年08月27日

つらいなら学校は休もう

【私説・論説室から】
つらいなら学校は休もう
2015年8月26日 東京新聞(大西隆)

学校生活に苦しんでいる子たちへ。

 もう夏休みは終わりです。
新学期が近づいたり、始まったりしてふさぎ込んでいませんか。
いじめ、体罰、進路、集団圧力…。

学校に行くのがつらければ、思い切って休もう。

 不登校は恥ずかしいことでも、悪いことでもなく、自分を守る大切な方法なのです。

 高校生はもちろん、小中学生にも、学校に通わなくてはいけないという義務はありません。
あるのは教育を受ける権利。

子どもたちが安心して学び、安全に遊ぶことができる環境を整えるのは、大人の責務です。


 悩みがあれば、信頼できる大人に相談しよう。
電話でも大丈夫。
子供SOSダイヤル=0570(0)78310=は二十四時間かかります。

不登校の経験者たちは「学校は命がけで行く所ではない」と訴えています。
 この機に、私たち親も考えたい。

 内閣府が過去四十二年間を通して十八歳以下の子どもが自殺した日を調べたら、夏休み明けの九月一日が突出して多かった。
春休みや黄金週間などの長期休み明けも急増していた。
学校は針のむしろだったのだろう。

 でも、その裏に「将来のため、学校は行って当たり前」という親の頑迷な態度がなかったか。

学歴偏重の人生観を子どもに押しつけ、過剰に勉強させる“教育虐待”も問題化している。
家庭は安らぎの砦(とりで)でありたい。
子の将来より命が大事だろう。 
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2016年02月01日

義家弘介が事故続発の組体操を絶賛!

体罰自慢の義家弘介文科副大臣が
“組体操”を「事故が起きても規制するな」!
 理由は「うるうるきたから」
2016.01.31.LITERRA(水井多賀子)

 口利きの実態が明らかになったにもかかわらず、謝罪もなく辞任で幕が引かれた甘利経済再生担当大臣の現金授受問題。
そんななか、またも安倍内閣の本質が露わになる発言が閣僚から飛び出した。


「組み体操はかけがえのない教育活動で、悪いことではない。それを文科省が規制するのは違う」
 これは1月29日付けの東京新聞が行った義家弘介文科副大臣への取材での発言だ。
組体操による事故は近年増加しており、2013年には8000件以上の事故が発生。
昨年も大阪府八尾市の中学校で6人の重軽傷者を出し、千葉県松戸市では小学6年の男児が開頭手術を受けるほどの事故が起こっている。
しかし、義家副大臣はこのように組体操を“肯定”したのだ。

「危ないのは組み体操だけではない。
何件だから危ない、と線引きすることには慎重な対応が必要」
「事故が起こって問題になったからと上から目線でずばっと何段と切るのは、指導上は不幸なこと」
「事故が起きているのは組み体操だけでない。
柔道、剣道などあらゆるところに規制を出さなければいけなくなり不健全」

 死亡にもつながりかねないと危険性が指摘されているのに、「組体操は悪くない」の一点張り。
どうしてこのような考えになるのか、見識を疑わざるを得ないが、実際、義家副大臣は記者から千葉県松戸市の小学校の事故について問われると、「初めて聞いた」と言っている。
つまり、事故の実態を把握もしないで組体操を擁護しているのだ。

 しかも義家副大臣は、組体操をこう称賛する。
「(組体操は)自分も小中学校で行ったし、小六の息子も去年やった。
五〜六段の組み体操で、息子は負荷がかかる位置にいて背中の筋を壊したが、誇らしげだった。全校生徒が羨望のまなざしで見る中で、「ここまで大きくなった、見事だ」と私自身がうるうるきた」
「仲のいい子、体力がある子同士で組み、余った生徒たちがペアを組まされることがあり得る。最上段にはバランス感覚がいい人間が上がらないといけない」
 組体操は人間の連帯であり、感動を生む。
だから学校教育の場では実践されるべき種目だ──。

義家副大臣はそう胸を張るのだが、この認識こそが組体操の事故を増加させている要因そのものだ。

 組体操事故の実例と背後にある問題を追及している教育学者・内田良氏の著書『教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」』(光文社新書)によれば、組体操は現在、幼稚園から高校までで行われ、年々、巨大・高層化しているという。

しかし、じつは組体操は〈文部科学省の学習指導要領には記載がない〉。
同じように事故のケースが多い跳箱運動やバスケットボールは小学校の学習指導要領に明記されているが、〈組体操だけが学校で教えられるべき事項として位置づけられていない〉のだ。

 組体操は、戦後まもなくの時期には〈小中高すべての学習指導要領に記載があ〉ったが、死亡や重度障害の事例が後を絶たず、訴訟に発展することもあり、〈おそらく組体操の文化は少しずつ、衰退していったものと推測される〉という。

それが2000年代に入ってから組体操は“復活”した。
〈組体操において、子どもたちは痛みや恐怖を感じる。
だが、それは他者のためであり、そのようにして皆で相互に耐えることで1つのものをつくりあげていくという教育的物語が、そこにある〉

 内田氏によれば、組体操を支持する教員たちは「感動」「一体感」「達成感」を口にする、という。義家文科副大臣とまったく同じ理由で組体操を肯定しているのである「感動」「一体感」と引き換えに子どもたちがリスクに晒される。……まるで異常としか思えないが、これは義家副大臣にとっては何の違和感もないのだろう。

というのも、義家副大臣は“親分”である馳浩文科相と一緒に教師時代の「体罰」を堂々と公言、自慢げにこう語っているからだ。
「いじめの指導で放課後四時間教室から(生徒を)出さなかった時は他の教職員がハラハラしながら私の教室の外で見守っていて後で散々言われました。
(中略)口で『いじめはダメですよ』と説くのは誰でもできる。
でもこれはそんな次元で済ましてはダメで態度で示す以外ない。
教室の用具はボコボコになり、最後は加害生徒が泣いて詫びながら二度といじめないことを誓ったので終わりにしましたけど、これは仲間内の教職員から散々に言われました」(産経新聞社「正論」08年6月号対談記事より)

 昨年、本サイトがこの記事を発掘、問題視する記事を掲載した際には、馳文科相は記者会見で事実を認めた上で釈明。
だが義家副大臣の“体罰自慢”はスルーされたまま。
つけくわえると、こちらも既報の通り、義家副大臣は過去に生徒を監禁し暴力を振るう教師をヒーロー仕立てに描いた小説まで文芸誌に発表している。

 しかも、驚くべきは体罰自慢だけではない。
義家副大臣はやはり過去に
「まず第一に、善悪に関する明確な線引きが必要です。
(中略)では、誰が共通の線引きをするのかといえば、私は今こそ国がやるべきだと思っています」(文藝春秋「諸君!」07年3月号)と宣言。

国による思想統制が行われるべきだと隠すこともなく語っているのだ。

 明確な危険があるのに「感動するから」という理由だけで文科副大臣が組体操を是認する。
それは、義家副大臣は子どもは痛めつけてでも言うことを聞かせなくてはならない存在として捉え、思想さえコントロールするべきだと考えているからこそ導かれる回答だ

ようするに義家副大臣は、過去の体罰自慢や思想統制という軍国主義教育的発言を反省するどころか、いまも考えをまったく変えていないということだろう。

 ちなみに義家副大臣は、すでに詳しく本サイトで伝えているように、“安倍チルドレン”にふさわしく、戦前・戦中体制の称揚、マイノリティ差別への加担、日本軍による戦争犯罪の否認など極右思想をことあるごとに開陳。
その思想は安倍首相と同じくするものだ。
そして、組体操問題のキーワードである「感動」も、安倍政権による教育の合い言葉である。

事実、第一次安倍内閣が発足させた教育再生会議(現・教育再生実行会議)では、〈感動を与える教科書を作る〉(07年報告書)などと述べられている。
 今回の義家副大臣による組体操肯定は、今後、きちんと追及を受けるべき発言だ。
しかし問題の本質は、義家氏だけではなく安倍政権の思想にあるということを忘れてはいけないだろう。
                       (水井多賀子)
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2016年02月06日

3段タワーでも重症事故…組み体操「重度外傷」年間84件

3段タワーでも重症事故…
組み体操「重度外傷」年間84件
2016年02月05日 読売新聞

 小・中・高校の「組み体操」中に児童・生徒が頭蓋骨や脊椎、骨盤などを骨折したり、肺や腎臓を損傷したりする「重度外傷」が2014年度で計84件にも上っていることが、千葉県松戸市立病院の庄古知久救命救急センター長が日本スポーツ振興センター(JSC)に公開を請求した資料から明らかになった。

 組み体操でけがをする児童・生徒は年間8000人以上に上るが、そのうち1%が後遺症も心配される重度のけがを負っており、庄古さんは改めて組み体操の危険性を訴えている。

 庄古さんによると、JSCの災害共済給付制度届出データによる全国の組み体操の事故件数(けがや病気)は2011年度から4年連続8000件を超え、14年度は8592件。

 14年度の内訳をみると、骨折が全体の21.7%にあたる1866件。
この骨折の4%は脊椎(頸椎、胸椎、腰椎)や骨盤、大腿骨などの「重症骨折」で計72件。
これに、頭蓋骨骨折やくも膜下出血、脳挫傷、肺や腎臓などの損傷を加えた「重度外傷」が計84件で、全体の約1%にあたる。
なお、13年度は8561件中の101件、12年度は8883件中の87件が重度外傷だった。

 組み体操には四つんばいになって重なる「ピラミッド」や、立った人の肩の上に乗る「タワー」がある。
庄古さんは4年間で28例の組み体操によるけが患者を診察しており、「それほど高さのないタワー3段、ピラミッド5段でも重症患者は出ている。
今後も重傷を負う子が出る可能性があり、学校での組み体操はただちに中止すべき」と訴えている。
     (メディア局編集部 京極理恵)
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2016年02月07日

あなたも毒親? 親が子にやってはいけない“隠れ虐待”行為

あなたも毒親?
親が子にやってはいけない
“隠れ虐待”行為
2016年2月6日 日刊ゲンダイ

 先月、東京・大田区で3歳児が死亡した虐待事件は悲惨の一言に尽きる。
母親と交際中のヤクザの男(20)が、幼子をボウリングのように投げ飛ばし、頭に「かかと落とし」を加えていたというから言語道断だ。
もっとも、程度の差こそあれ、いつの間にか自分も虐待行為に加担しているケースがある。

虐待のひとつ、ネグレクトの温床に“貧困”があるといわれますが、一見、“普通の”とくくられる家庭において、中学生が放っておかれることが増えているように思います

 こう話すのは、「誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち」の著者で、虐待児の取材を続けているノンフィクション作家の黒川祥子氏だ。
以前、中学生による「集団いじめ」を取材した際、加害者となっている側は「親に放っておかれている子供たち」だった。
親は朝まで飲み歩いていて不在。
門限もなく、子供は寂しさから同じような友達と朝までつるんで飲酒。
しかし親は気づいていない、という中学生たちの「日常」が見えてきたという。

 学習支援団体を運営しながら、子供にまつわる問題を広く取材しているライターの大西桃子氏が、「経済的な問題などで、親の努力だけでは対処しきれないケースもある」と断った上で、無自覚な親たちの“隠れ虐待行為”を挙げてくれた(下記参照)。

■大人のストレス発散

「虐待」は「childaduse」という言葉からきており、「子供の濫用」と訳される。

身体的虐待やネグレクトも、決して“子供のしつけ”のためではなく、大人が自分のストレス発散などのために、『子供を使う』ことが共通している。
それは、まぎれもなく子供への虐待なのです」(黒川氏)

 自分のストレス発散のために子供を殴る。
自分の名誉欲のためにいい大学、いい会社に入れようとする。
かなえられなかった自分の夢のために子供に何かを課す――。
思い当たる節はないだろうか?

 黒川氏はシングルマザーとして2人の息子を育てた。
今は大学生である次男が小学校に上がる前、「自分の行為はモラハラ(精神的な暴力)ではないか」と思うことがあったという。
「『どうせ僕は駄目なんだ』
『お母さんがいないと何もできないんだ』と息子を卑屈にさせる、追い詰める叱り方をしていたんです。
気づいて以降、率直な叱り方をするように心掛けました」

 取り返しのつかない結果を招かないために、重要なのは「とにかく気づくこと」。
さらに、大西氏は「社会全体で助け合って子供を見ていくシステムづくりが必要」と述べる。  さあ、あなたはどうだろうか?

【子供にこんなことしてませんか?】
(1)食事が毎回インスタント
(2)受験生の模擬試験代を出さない
(3)家計が困窮しているわけではないのに教育費を払わない
(4)受験に無関心
(5)家に勉強机がない
(6)夜飲み歩く、夜更かしをする
(7)深夜まで携帯電話をいじっていて、子供が寝ないことに気づかない
(8)親が寝坊をする
(9)子供が寝坊をしても気づかない
(10)将来に過度な期待をしたりプレッシャーを与えたりする
(11)着せ替え人形のように扱う
(12)大人がするような美容施術を受けさせる
(13)自分の価値観は押し付けるが、子供の悩みには耳を傾けない
(14)夜どこにいるかを親が把握していない
(15)いざという時も(子供が)携帯を持っているから大丈夫と考えている
(16)携帯電話を子供に自由に使わせている
(17)教育系の講義やイベントに(親が)やたらチャレンジさせる
(18)小遣いを渡して好きに食事をさせる
(19)家の中にプライベートスペースがない
(20)男女のきょうだいが一緒の部屋
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2016年02月11日

“盟友”清原逮捕にペラペラ 桑田真澄の言葉に拭えぬ違和感

“盟友”清原逮捕にペラペラ
桑田真澄の言葉に拭えぬ違和感
2016年2月6日 日刊ゲンダイ

こういうのを、『後の祭り』『下衆の後知恵』というんですよ。
少なくとも私は、聞いてていい感じを受けなかった」  
作家の吉川潮氏がこう言った。

清原容疑者が覚醒剤取締法違反で逮捕されたのを受けて、4日に“盟友”の桑田真澄(47)が会見。
「2人で力を合わせて野球界に貢献できる日を心待ちにしたい」などと話したことに対する吉川氏の感想である。

 4〜5年前から、清原に関する良からぬウワサが耳に入るたび、本人に忠告を続けていたという桑田は、
「小姑のように言い続けた。
それが言えるのがボクだと。
ただ、小言を言われるのに嫌気が差したんでしょうね。
(清原から)『一切、関わらないでくれ』と言われた」とのエピソードを明かし、それが原因で3年前に決別して以来、絶縁状態だったと告白。
神妙な表情で「もうちょっとボクが言い続けた方が良かったのかな」と悔いてみせたのだが……。

「事が起きてから、いろいろ言ったって、意味はない。
清原から、関わらないでくれ、と言われたのだとしても、恩師や他の友人などの力を借りてなんとかするのが、本当の友達ってもんでしょう。
放っておいてくれ、そうか分かった、と手を引いたんじゃ何もやっていないのと同じです。
要するに、実際の2人は友達でも盟友でもなんでもなかったということなんだろうね。
図らずも、それがよく分かりました」(前出の吉川氏)

 そもそも2人は、85年のドラフトでその関係にヒビが入った。
PL学園のエースだった桑田は早大進学を表明。
ところがいざ巨人に単独1位指名されると手のひらを返して巨人入り。
当時の王監督からサインをもらい、巨人からの指名を信じていた清原が涙を流した姿はよく知られている。

このドラフトが清原の人生に最初に影を落としたとすれば、そのキッカケをつくったのが桑田だろう。
 吉川氏は「2人は友達でもなんでもなかった」との印象を持ったと言ったが、実際、清原は13年10月の日刊スポーツのコラムで、桑田への複雑な思いを吐露している。
「ドラフト当時は、桑田に対して思うところはあった。
正直、憎かった時期もある」
桑田が早大を断って巨人に入ったために、PLの後輩は早大進学のルートを断たれた。
(中略)これは動かせない事実だ
「PL野球部が衰退していく契機は、間違いなく、あのドラフトにあった。
その決断に伴う責任はあるはずだ」
「だから桑田の(早大大学院)進学が信じられなかった」
「東大の野球部を指導している場合じゃない」
「桑田はすぐ母校へ飛んでいき、名門復活の手助けをするべきだ」
そう正論を並べ、桑田の偽善や自己中心的な言動を批判している

 桑田は、小言を重ねて清原に煙たがられたと言ったが、むしろ清原が愛想をつかしたのだ。  覚醒剤に手を出した清原に言い訳の余地はないが、それでも清原逮捕の報に接した球界OBや、かつてのチームメートは一様に言葉を選んでいる。
それがかつての仲間へのせめてもの思いやりというものだろう。

「まったくです。
桑田は『みんなで彼を支えることも必要』と清原の更生に力を貸すようなことも言ってましたが、そういうものは報道陣の前で公言してするものではない。
陰から見守り、人知れず手を貸してやるもの。
桑田の言葉からは、自分をいい人に見せようという思惑が透けて見えるようで、残念でしたね」(前出の吉川氏)

 これが、まっとうなファンの感想だ。
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2016年03月10日

万引きなし確認も修正せず=誤記録のまま推薦拒否−広島中3自殺

万引きなし確認も修正せず
=誤記録のまま推薦拒否
−広島中3自殺
2016年3月9日(水)時事通信

広島県府中町立府中緑ケ丘中学3年の男子生徒(15)が昨年12月に自殺した問題で、約2年前に同校で行われた会議で、生徒が万引きした事実がないことが確認されたのに、同校が記録を修正しなかったことが9日までに、町教育委員会などへの取材で分かった。

 同校や町教委によると、生徒が万引きしたとする誤った記録があった資料は生徒指導用で、過去の問題行動や直近に行った指導の内容が書かれ、同校職員であればアクセスできるサーバーに保存されていた。

2013年10月に同校で開かれた教諭らの会議でミスに気付いたが、サーバー上のデータは修正しなかったという。

 進路指導に関する生徒と女性担任との面談は昨年11月16日〜12月8日に計5回、教室前の廊下で行われ、担任は間違ったデータを基に「万引きがありますね」などと質問。

生徒は不明瞭な回答をしたが、担任は確認が取れたと誤認し、私立高校への学校推薦は難しいことを伝え、両親と話し合うよう指示したという。 
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2016年03月24日

73歳、孫と共に高校卒業 不慣れなパソコン授業、足の骨折乗り越え

73歳、孫と共に高校卒業
 不慣れなパソコン授業、
   足の骨折乗り越え
西日本新聞 3月23日(水)11時38分配信

 足かけ50年の春が来た−。
佐賀市久保田町新田の陣内シヅ子さん(73)が今月、同市の佐賀北高通信制を猛勉強の末に卒業した。
不慣れなパソコン授業でも懸命に学び、足の骨折などのアクシデントも乗り越えた。
孫で同高普通科の沙百合さん(18)と同じ年に門出を迎え、一生の思い出となった。

 6人きょうだいだったシヅ子さんは、15歳で嘉瀬中(現昭栄中)を卒業したが、経済的理由で高校進学を断念。
得意だった洋裁の専門学校に進んだ。

しかし、諦めきれず、洋裁を学びながら1964年、21歳で佐賀北高通信制の門をたたいた。
念願はかなったが、68年に結婚して生まれた2人の子育てに時間をとられ、当時は中途で断念。子どもたちが独立し、2012年4月に再入学していた。

 2度目の高校生活で大きな心の支えとなったのが、同高普通科を今月1日に卒業した孫の存在だったという。
「沙百合と一緒に卒業したい」。
昼間は洋裁の仕事をし、夕食後に3時間ほど勉強して課題を仕上げた。
難問の解き方を教わるため、鳥栖市の長男清治さんを訪ねたこともある。

 学業以外でも壁にぶつかった。
前期試験を控えた12年9月、買い物中に段差でつまずき、左足のつま先を骨折。
しばらく車いす生活を強いられたが、月2回の登校日は次男竜美さんの妻が高校に送迎してくれた。
13年3月には白内障で目を手術。
勉強時間を減らして乗り越えた。
 6日に通信制の卒業式があり、沙百合さんと長男夫婦が駆けつけ「おめでとう」と祝福してくれた。
通信制145人中、最年長の卒業生だった。
とりわけ“同窓生”となった沙百合さんの「おばあちゃん、よく頑張ったね。一緒に卒業できて良かったね」の言葉がうれしかったという。

 21歳から半世紀後、ようやく手にした卒業証書。
シヅ子さんは「うれしい気持ちとほっとした感情が半々」とかみしめている。
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2016年04月03日

学校での行き過ぎた指導が生徒を死に追いやる「指導死」

学校での行き過ぎた指導が
生徒を死に追いやる「指導死」
※女性セブン2016年4月14日号

 広島県府中町立府中緑ケ丘中学校3年の男子生徒が2015年12月に自殺していたことが明らかになった。
その原因は、誤った万引きの記録だった。
 実際にはしていないにもかかわらず、男子生徒が過去に万引きをしたとの記録が学校側に残っており、それを理由に高校への推薦を受けられなかったのだ。
男子生徒は三者面談の日に自殺した。
 誤った記録は論外だが、こうした学校内での指導による子供の自殺は、今回に限ったことではなく、驚くべきことに“決してめずらしくはない”事件だ。

 教師による指導をきっかけに生徒が命を絶つ「指導死」は、平成に入って61件。
遺族の希望で公にされないケースも含めると、実際にはもっと多くの指導死が存在すると考えられている。
しかも、61件のうち10件が、今回のような“誤った指導”による「冤罪型」とされている。
『追いつめられ、死を選んだ七人の子どもたち。「指導死」』(高文研刊)著者で、「指導死」親の会・代表世話人の大貫隆志さんが言う。
大貫さん自身、指導死により、16年前に中2の息子を失った。
「指導死とは、生徒指導が行われ、その結果として子供が死に追いつめられることをいいます。自殺といってしまうと自ら死を選んだように捉えられますが、追いつめられた結果だということです。
学校でのいじめや暴力は社会的に問題視され関連法も整備されてきましたが、教師の指導で死ぬということについては認知も浅く、まだまだ問題視されていないように思います

 北海道札幌市に住む斎藤加奈子さん(仮名)は高校1年生だった息子(享年16)を3年前に亡くした。
吹奏楽部で熱心にトランペットを吹いていた彼は、同級生部員から嫌がらせを重ねられた末に爆発した怒りをメールにぶつけたところ、指導を受けたのだ。
嫌がらせへの反論と知っても教師は取り合わず、メールの文面は“暴言”とみなされ、母親同伴で指導を受け反省文を書かされた。
 加奈子さんはなぜ、息子だけが一方的に指導されたのか、今も納得がいかない。
「息子は吹奏楽部を本当に一生懸命頑張っていて、先輩から1年生のリーダーも任されましたが、いつしか同級生とすれ違って休みがちになったりして。
自分が参加していない同級生部員のLINEグループがあり、そこで陰口を言われていることを知ってつい売り言葉に買い言葉で、乱暴な言葉で反論してしまったんです。
メールを送った背景に関係なく、息子だけが反省文と謝罪を求められました」(加奈子さん)  

その後、メールトラブルになった同級生部員にも自分から歩み寄った。
だが関係修復はうまくいかず、またしても顧問の逆鱗に触れてしまう。
「部員が事実と異なることを顧問に伝えて、先生は息子に事実確認をすることなく、すっかり鵜呑みにしていたんです。
先輩部員数名を集めた場に呼び出し一方的に責め立て、退部も迫られました。
帰宅した息子は、先生に『なんのことかわかっているよな』と言われて、とりあえず『はい…』と答えたら暴言を吐かれた。
『何のことですか』とは怖くて聞けなかった。
先生が何のことを言っているのか、なぜこんなことになったかもさっぱりわからない、と話していました」(加奈子さん)

 顧問からは条件付きで部活を続けることを許された。条件が“宣告”されるその朝、息子は部活動のために登校したが、音楽室には足が向かなかった。
部活が生きがいだった彼は線路に立ち入り、二度とトランペットを吹くことはなくなってしまった。

 広島県東広島市に住む大畑祐二さん、京子さん夫妻(仮名)は、2012年10月に中学2年生だった息子を亡くした。
享年14。
 1年に及ぶ抑圧的な生徒指導がその原因とされているが、その理由は、
「担任の悪口を言っていたようだ」
「掃除時間に教師が話している時に笑った」
「美術で使うかぼちゃで遊んだ」などというもの。
他の生徒たちと一緒になって遊んでいたとしても、決まって息子だけが呼び出されて指導され、担任教師のみならず所属していた野球部にも知らされて、繰り返し、指導を受けた。

「教師に暴言を吐いたとして指導を受けた際は、『指導室』に3日間隔離され、終日反省文を書かされました。
その間はもちろん授業は受けられないし、他の生徒さんと時間をずらして登下校しました。
作文の内容に教師のOKが出るまで何度も書き直し、最後の作文には校長印が押されていました」(母・京子さん)
 亡くなる4日前にも別室で半日間指導を受け、度重なる指導で部活の背番号はエース番号の1番から18番へ。
部員が17人しかいない中での18番は、戦力外通知も同然だった。
「人一倍努力していた息子にとって屈辱的だったと思います。
指導は“決めつけ”が多かったんです。
『〇〇だよね』『〇〇したよね』と一方的に叱られました。
誰か息子の話を聞いてくれていたのだろうか。
普段の息子の様子を見た上で公平に指導をしてくれたのだろうか。
疑問しか残りません」(父・祐二さん)

 かぼちゃで遊んだことを4人の教師から指導され、部活をする資格がない、帰れと言われた彼は、帰宅途中の公園で、野球部の備品のロープで首を吊った。
 前出・大貫さんは、責任感の強い子供、真面目な子供ほど、追いつめられやすい傾向にあると指摘する。
「部長や学級委員などであまり逸脱の体験もなく、親との関係が良好で心配をかけたくない子供は、例えば『自分が責任者なのにルール違反をしたために部活停止にされそうになって、みんなに申し訳ない』とか、そんなふうに負担を背負ってしまうんです。
もちろん、彼らの年齢もあるでしょう。
成長過程にある多感な子供たちは行きすぎた指導によって自信を失い、それにより自己肯定感が極端に低くなってしまうのです
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2016年04月07日

防衛大生という手もある

牧太郎の大きな声では言えないが…
防衛大生という手もある
毎日新聞2016年4月4日 東京夕刊

4月になると“大失敗”を思い出す。
 早稲田大新聞学科に合格した1963年4月。
生まれて初めて「アルバイト」に挑戦した。
東京・麹町、お堀端のレストラン「東條会館」の皿洗い。
多分、時給80円だったと思う(当時、学生食堂のカレーライスが50円だった)。

 その初日、皿を洗う前に、過って熱湯が入った鍋にぶつかって……両足に大やけど。
病院に運ばれた。
 でも、こんな屈辱的なことは忘れて、アルバイトは何でもやった。
浅草六区・映画館街でサンドイッチマン(これが一番安い時給70円)。
新宿の「高野フルーツパーラー」でウエーター(面接試験があって身長が高い方から採用された)。
信濃町の学習塾の先生(受付の女子大生と親しくなって……)。
浅草観音裏のとんかつ屋「豚笛」のせがれの家庭教師(店主の女性は笛が得意な芸者さんで、とんかつを食べさせてくれた)……アルバイトは楽しかった。
 母が学費だけは払ってくれたから、稼いだ金で旅行に行ったり……恵まれていたと思う。


 それが最近、学生アルバイトの目的は「学費」になっている。
多くの親が学費を負担できない。
 奨学金を借りると、卒業する時点で250万円から500万円の借金を背負う。
社会人になって(非正規雇用者の場合)返済が難しい。

2004年、「日本育英会」が独立行政法人「日本学生支援機構」になり、独立採算を求められ「奨学金の取り立て」が厳しくなった。
返済を3カ月以上延滞すると、信用情報機関に通知されブラックリストに載る。
クレジットカードも作れない、住宅ローンも借りられない。

だから、学生は在学中にアルバイトで学費を稼ごうとする。
勉強する時間もない。
 恵まれた学生もいる。
幹部自衛官を養成する防衛大学校の学生は特別職国家公務員。
4年間で約250万円相当の学費が免除され、月10万9400円の学生手当、年約33万9000円のボーナスまで。
しかも今春卒業した419人のうち47人が、堂々と自衛官に任官するのを拒否した。

 事実、「防衛大という手もある」と考える若者もいる。

 「青春の格差」は深刻である。(客員編集委員)
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2016年06月28日

尾木ママ、業界内での悪評

尾木ママ、業界内での悪評…
すぐ感情的になり暴言、
おネエ系と真逆
2016.06.27 Business Journal

「尾木ママ」こと、教育評論家の尾木直樹氏が批判に晒されている。
 尾木氏は自身のブログで、北海道の小学2年生、田野岡大和君が行方不明になった事件について、父親に対し次のように批判の記述を繰り返した。
「7歳の子どもを北海道の山中に車で放置するとは! なんという虐待!?」(5月29日)
「こんな状況に置いた親は厳しく批判されるべきです。警察にも間違いなく逮捕されることでしょうね!」(同31日)
「これは置き去りそのものが真実なのか。失礼ながら疑いたくなってしまいます…」(6月3日)  

これらの辛辣な発言をめぐってインターネット上で炎上し、尾木氏は謝罪に追い込まれた。
 尾木氏がブログ上に並べた大和君の父親を非難するコメントは、普段テレビ番組で披露するおネエ系のトークとはまったく異なる。
その違いに驚きの声も上がったが、尾木氏は熱くなると表現が過剰になる“瞬間湯沸かし器”の素顔を持っているという。

直情型というか、よく言えば正義感が強いというか。我々が尾木ママに取材を求めると、辛辣なコメントをすることがあって、『これを報道していいですか?』と尋ねると、尾木ママは『やっぱり……』と一気にトーンダウンすることがあります」(テレビ局関係者)

 たとえば、2012年の夏の高校野球の大会期間中、出場校の栃木・作新学院高校の部員が暴行と強盗で逮捕、広島・広島工業高校の部員が強制わいせつで逮捕される前代未聞の事件が起きたときのことだ。
「あるメディアが尾木ママに取材したところ、『甲子園大会自体を中止にすべきだわね!』とコメント。
それを報道していいか尋ねると、『それはちょっと……』と言い過ぎたことを反省して、別のコメントに替えたことがあったそうです。
確かに出場校の部員による事件は前代未聞の不祥事ですが、だからといって関係のない部員、他の出場校まで巻き込んで全体責任を問うて、大会自体を中止にすべきと提言するのはいかがなものでしょうか」(別のテレビ局関係者)

敬遠の姿勢を見せている番組も
 ほかにも、あるメディアが別件の教育問題で尾木氏に取材しようと電話したところ、「今忙しい!」と即刻断られてしまったこともあるという。
「テレビ番組で見せるおネエ系の言動とは違ったので、そのメディア側はビックリしたそうです。
ときに感情的になり、暴走してしまう素顔を知っているメディア関係者は、北海道の事件で尾木ママが謝罪したことに『やっちゃったか』『案の定』と妙に納得したのではないでしょうか」(同)
尾木氏は20日に放送された『橋本×羽鳥の新番組(仮)』(テレビ朝日系)で、前大阪市長の橋下徹氏から「あれは尾木さん、教育者としてはダメです」と批判された。
尾木氏は謝罪し、「あの後の私のブログ、ものすごく丁寧です」と反省を示した。

「テレビ局関係者の間では、『教育評論家としてどうなの?』と疑問を抱き始め、敬遠の姿勢を見せている番組もあります。
口は災いのもとですね」(同)
 特異なキャラクターで親しまれているだけに、自らの舌禍で価値を下げてはもったいない。 (文=編集部)
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2017年01月04日

2017年にはぶっ壊したい、こどもの貧困を生みだす日本の5つの仕組みとは

2017年にはぶっ壊したい、
こどもの貧困を生みだす
日本の5つの仕組みとは
1/4(水) 11:27

駒崎弘樹
 | 認定NPOフローレンス代表理事
/全国小規模保育協議会理事長

今日から仕事始めの人もいるでしょう。
今日は、新年始まったことですし、もうそろそろいい加減に今年こそはぶっ壊したい、この日本の不条理を紹介します。
ムカつきますが、ご注意くださいね。
どうぞっ!

◎生活保護家庭の子どもは大学に行っちゃダメ

憲法でうたう「健康で文化的な最低限度の生活」を過ごすため、我々には生活保護というセーフティネットを頼る権利があります。
例えば病気や怪我などで働けなくなってしまって、実家も頼れない時。
働いても賃金が低すぎて、とても家族を養えない時。
役所に言って相談すれば、我々は支援を受けることができます。
こうした「最後のセーフティネット」と言われる生活保護ですが、重大なバグがあります。

それは、生活保護家庭の子どもたちは、大学進学できない、というものです。
昔は大学に行くことがある種の特殊な、ともすれば贅沢なことだったので、税金を使ってそこまでは、ということだったのでしょう。

しかし現在では、安定した仕事につき、貧困の連鎖から抜け出すためには、大学進学という道は非常に有効です。
にも関わらず、国が貧困の再生産を強化するような政策を、いまだにとり続けているのは、バカバカしいにもほどがあります。

少し正確に述べますと、生活保護を受けていても、「世帯分離」と言って、進学する子どもだけ世帯から外してしまうことで、その子は大学に進学することはできます。
確かに抜け穴はあります。
けれど、世帯分離した分だけ、生活保護費は数万円減ります。
すると、進学した子どもはその分をアルバイト等で稼がなくてはなりません。
削減された保護費と、そして学費や生活費のために勉強する時間を削らざるを得ない、生活保護家庭の子どもたち。
こんな不公平はあるでしょうか。

「子どもの貧困をなんとかしたい」って政府が言ってるんだったら、寄付金とか集めてないで、こういう大昔のバカげた制度を直してくれ、と声を大にして言いたいです。

◎妊娠したら高校退学させられる

全国の高校において、妊娠した場合、退学させるというルールになっています。

例えば、岩手県教育委員会の制定する『岩手県立高等学校の管理運営に関する規則』の中には、懲戒規定があり、具体的事例表を定めています。
その中には性的暴行(レイプ)と並んで、妊娠を退学処分としています。(出典:「第189回国会 予算委員会 においての泉健太議員による妊娠退学についての質問」http://bit.ly/2hPdHDP
え、ちょっと待って待って。
レイプと妊娠って、なんで同列?
しかも、妊娠「させた」方じゃなくて、「妊娠」「した」方を、ですよ。
ありえんでしょう。
また、京都の高校では、妊娠した生徒にハードな体育実技を要求して、できないなら休学しろ、と「勧めた」事例もありました。(「妊娠中の高3女子生徒に体育の授業を要求 京都の高校、休学勧める」 産経新聞http://bit.ly/2hPj5Xm)


これ、'''高校生で妊娠した女の子が、退学させられて、その後どういう人生歩まないといけなくなるか、想像つきますか?
''' ほぼ99%、妊娠させた方の男はバックれます。

女の子はシングルマザーとして、働きながら子どもを育てていきますが、高校中退で安定した仕事につける確率は相当低くなります。
当然貧困化するリスクが上がり、子どもに教育投資できず、子どももまた貧困化していく可能性が高まります。
'''学校が貧困を生み出しているじゃないか! '''
あまりにもおかしいので、知り合いの文科省の官僚に聞いたんです。
そしたら 「駒崎さん、実は、『妊娠退学』の統計もないんですよ。
各都道府県の教育委員会、そして各学校の校長に任せているのですが、彼らは『自主退学』として処理しているようなんです。
ですから、妊娠退学が存在している、という公的な証拠はないんです」ということでした。
おいおいおい。
本来だったら、妊娠した生徒にこそ、スクールソーシャルワーカーが寄り添って、なんなら保育もしっかりつけて、むしろなんとか高校は卒業してもらわないとダメなんじゃないんですか。
学校は教育機関で、福祉は関係ないです、って、それで良いんですか。
全国の教育関係者の皆さん、この状況を放置していて、良いんですか?

◎低所得のひとり親に出される
       給付金支給が4ヶ月に1回

低所得のひとり親には、児童扶養手当という給付金が支給されます。
月最大で4万2000円、子ども2人目は1万円というわずかなものですが、これがひとり親家庭のライフラインになっています。
さて、この児童扶養手当、役所から振り込まれるのが、4ヶ月に1回なんです。
4ヶ月に1回!

それで途中、カツカツにならずにやっていけるかって? やっていけないんですよ。
3ヶ月目の最後の方はもうほとんど手持ちのお金がなくて、でもガス代は払わないといけなくて、しょうがないから消費者金融や闇金に借りてしのいで、そうすると利子がすごいことになって、雪だるま式に借金が増えて、破綻して行く、と。


そうやってにっちもさっちも行かずに、県営団地を立ち退きさせられるその日に、中1の娘を運動会のハチマキで母親が首を絞めて殺した事件が銚子市でありました。
「4ヶ月分計画的に使えば、なんの問題もないじゃないですか」 役所の人は言います。
そういう役人の人には、「あなたの給与の支払いを4ヶ月に1度にしてもなんの問題もないんですよね?」と問いたい。

厚労省さん、年金が2ヶ月に1回、生活保護は毎月支給なんだから、児童扶養手当も毎月支給にしてください。
そんなこともしないで、マイナンバーとか言ってんな、と。

◎義務教育でも金がかかりすぎ

娘がもうすぐ小学校1年生なんですが、びっくりしましたよ。
ランドセル、高いんですよね。
7万とか、高いやつは10万とかするんですよ。
最低ラインでも、3万円代。
それ以外でも、絵の具とか、習字道具とか、体操着とか色々あるんですよ。
ちなみに、中学行ったら制服とか買うんですが、これも3万〜7万円くらいするんですね。
おいおい、義務教育って、無料じゃなかったんですかね?
貧富の差なく、誰しも平等に学べることで、身分の固定化を防ぎ、誰しも生まれに関係なく活躍できる社会をつくろう、ってのが義務教育の理念じゃなかったんですかね?


しかもなんですか。
習字道具って、この「すずり」って何で新品じゃないとダメなんですかね。
別に石だし。
6年生が使い終わったやつ、学校で回収して洗って、一年生にあげれば良いんじゃないですか?

あと、何ですか、この「学校指定」って。
何で学校指定の文房具屋で買わないとダメなんですか?
これって、地元の文房具屋への、制服だったら洋品店への公共事業ですよね?
その公共事業を、なんで子育て世帯の財布から出さないといけないんですかね?


まず、ランドセルは選択制にしましょうよ。
別に6年間ずっと使わなくて良いし。
体の成長に合わせて、安いリュックとかナップザックを買い換えれば良いんだし。
僕の留学していたアメリカはそういう仕組みで、誰も困ってなかったです。
多分世界中でランドセル使ってるの、日本くらいじゃないですかね。
あと、制服も高すぎでしょ。
イギリスだと民間アパレルメーカーが価格競争してくれて500円台のものもあるそうです。(出典:朝日新聞「学校の制服、価格競争進む英国 セットで500円台も」http://bit.ly/2iG3IjD
でも、そうあるべきでしょ。
何で何万もするんですか。
しかも地元の洋品店を延命させるために。
義務教育なんだから、教育関連費も無償にしましょう。

参考:「制服の価格、安くするには 東京都、業者の独占にメス」http://www.asahi.com/articles/ASJBP1CTPJBNUPQJ00W.html

◎医療的ケア児は普通に学校に行けない

鼻からチューブを入れたり、気管切開をしている「医療的ケア児」。
こうした障害のある子達が特別支援学校に行こうとすると、「親が同伴で付いてきてくれたら、通学できますよ」と言われます。
親は学校で教育を受けさせたいと思うので、仕方なく一緒に通学します。
そして教室の端っこで、6時間座って待っています。
待機児童ならぬ、「待機親」です。
当然仕事は辞めざるを得ません。
だいたいの場合、母親が辞めます。
共働き家庭は、片働きになり、収入は激減します。
医療的ケア児家庭は、公共交通機関での移動がしづらいため、車を持たなくてはなりません。
そうした費用も家計を圧迫します。
ひとり親だったら、生活保護しか道はありません。

医療的ケア児の介護に心身ともに負担がかかるのに、我々の社会は更に経済的にも追い打ちをかけているのです。
これって、学校に訪問看護師が行けるようにして、親の代わりに医療的ケアをしてあげれば、ある程度解決する話なんです。
でも、訪問看護は健康保険法っていう法律で「居宅(家)だけ」って決められてるんで、それができない、っていう話なんです。
バカげてます。
法律ができた時に、医ケア児を想定されてなかったわけで。
そこは変えていきましょうよ。

'''障害児家庭をわざわざ貧困化させて、誰が得するんでしょうか。 ''' 参考)
「安倍総理に「医療的ケア児が普通に学校に行ける」ようにお願いしました」  http://www.komazaki.net/activity/2016/10/004840.html
「「医ケア児も親同伴なしで学校に!」記者会見がNHKニュースで取り上げられました! 」http://bit.ly/2i836zQ

以上、2017年にはぶっ壊したい、貧困を生み出す日本の5つの仕組みでした。
人がつくった仕組みは、人が変えられる。
「いいかげん、変えようぜ!」っていう声が高まれば。
'''みんなで声をあげていきましょう。
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2017年01月07日

要注意! 「自立できない子」に育ててしまう、ママの“無意識な行動”&予防法

要注意!
「自立できない子」に育ててしまう、
ママの“無意識な行動”&予防法
2017年1月6日 10時30分 ウレぴあ総研

1年生になってもおむつが取れない、社会人になってもちゃんと働けない、など自立できない子供が増加していると言われていますが、その原因の1つに「母親の無意識な行動」が関連していることをご存じでしょうか。

いつまでも赤ちゃん扱いしていない?
4歳から始める“ひとりでできる子“の育て方

無意識ということですから、母親が意識的にそのような環境を作り上げているのではなく、生まれ育った環境や社会がそのような状態を作り出しています。
子育て真っ最中のお母さんと言えば、昭和40年代〜平成10年代生まれの方がほとんどだと思いますが、昭和40年代でも既に衣食住については何不自由なく揃えられており、子育て環境は、ひと言で言えば「豊か」でした。


そんな時代に育ったお母さん世代の子育てに対する考え方と、家電などの普及により家事に時間がかからなくなった環境、そして情報過多となっている子育て情報など、さまざまな要因が重なり、無意識のうちに自立できない子どもを育てあげていると言われています。
このまま行けば、無意識のうちに自立できない人間が大量に育つことになり、国の行く末にも影響が出てくるのではないかとも不安視されています。
このような悪い連鎖は、いつか断ち切らなければ大変なことに。

今回は、田中喜美子著『母子密着と育児障害』を参考に、母親の無意識が子供の自立を阻害していると言われる、その無意識な行動についてお伝えしたいと思います。

母が育ってきた環境が、自立できない子どもを育てる
子育て真っ最中のお母さんが育った環境と言っても、全ての家庭に当てはまるとは限りませんが、豊かさゆえに「我慢を教えられず育った環境」「自立を促されずに育った環境」と言えると思います。
そのような環境の中で育ってきたことが、今の子育てに大きな影響を与えています。
子育てをしているお母さんが我慢を知らず、自立を促されずに大切に育てられれば、そのお母さんもまた同じような子育てをしてしまうのは自然の流れであり、当たり前のことなので、そこを否定するつもりはありません。

しかし、我慢知らずで自立の仕方を知らない、いわば自立していないお母さんが無意識に自立できない子どもを育ててしまうことは、社会にとって悪い連鎖となっています。
心では「自立できる子に育てなければ」と思いつつも、自分の育ってきた環境が当たり前という考えの中で育児をすることが、無意識のうちに子どもの自立を阻害している可能性があることを再認識して頂きたいと、田中喜美子さんは言います。

余る時間を全て子どもに費やすという事実
昔は掃除、洗濯、炊事など「家事」と呼ばれる仕事は、多くの女性が大量の時間を使ってこなしていた重労働でした。
しかし最近では、家電製品などの発達により、家事にかける時間が昔とは比べものにならないほど時間短縮されるようになりましたが、時間短縮され、余る時間を今のお母さんたちはどこに費やすのか。
それは、「子どもの生活すべて」です。
子どもを取り巻く衣食住すべてにつき、手回しよく面倒がみられ、危険がないよう配慮する。
その結果、子どもにとって母がいないとダメな環境を無意識に作り上げ、母も自身の存在意義をそこで保とうとします。

生活に不自由がなく便利が当たり前、そして失敗がないよう先回りした配慮環境が、子どもの自立を阻害しているということです。
情報過多の子育て情報にも問題が 近年の育児本や雑誌、インターネットなどの情報を見ていると、「叱らない子育て」や「褒めて伸ばす子育て」そして「母子密着子育て」が推奨されているように感じます。
確かに母子密着の生活の中で、叱らず褒めて成長する子どももいると思いますが、田中喜美子さんは、母に守られた環境の中、叱らず褒めまくる環境が、逆に我慢ができず、生きる力のない子どもを育ててしまうと言います。

「叱らない子育て」と言えば教育評論家の尾木ママこと尾木直樹さんが有名ですが、教育評論家があの柔らかい笑顔と口調で「お母さん、お子さんを叱らないでもっと褒めてあげてください」と言えば、勘違いもするでしょう。
その勘違いとは、本来叱らない子育てとは「頭ごなしに怒ったり、人格否定したりせず、叱る前にちゃんと子どもの考えや気持ちを聞き入れ、その上でダメだと思うことは言い聞かせる」ですが、人に迷惑を掛けたり、傷つけたり、危険なことをしても「叱らない」という勘違いです。

ダメなことをやっても叱られない環境の中で生活する子どもは、やりたい放題の我慢知らずが当たり前となり、協調性を持たず育ってしまうため、生きる力のない人間になってしまいます。

子どもの考えや気持ちに耳を傾けず、感情的に叱ってしまうことはいけませんが、やってはいけないことをちゃんと教えることは親の役目です。
子育て教育にとって、それは今も昔も変わりません。

情報過多の現代では、意識的に情報を得ようとしなくても、テレビや雑誌などから無意識のうちに情報が入ってくる環境です。
ですが、その情報を断片的にとらえ勘違いし、行動してしまっているかもしれないことを再認識すると良いですね。

まとめ
全ての家庭において当てはまるとは限りませんが、
「母の育ってきた豊かな環境」
「家事に時間を要しなくなり、余る時間を全て子どもに向けられるようになったこと」
「日本の子育て教育の問題」の3つが、無意識のうちに子どもの自立を阻害していると田中喜美子さんは言います。

母の育ってきた環境や、今の家事環境を変えることはできませんが、今まで無意識だったところを少し意識することで、自立した子どもを育てる環境づくりに気が向けられるのではないでしょうか。
今後の日本において、自立できない人間が大量に育つという悪い連鎖が続くことのないよう、お子さんのため、国のためにも、今回の内容がお役に立てれば幸いです。
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2017年01月28日

 横浜市教委「いじめとは言えない」発言以上に問題だった、学校のおざなりな対応

 横浜市教委
「いじめとは言えない」発言
    以上に問題だった、
    学校のおざなりな対応
2017.01.27 messy(古谷有希子)

東京電力福島第一原子力発電所の事故で横浜市に自主避難してきた生徒が、同級生から150万円を払わされていた事実について「(おごり・おごられる関係であり)いじめという結論を導くのは難しい」と述べた教育長の発言について書いてみようと思っていたところ、25日に横浜市の林文子市長が謝罪をしたというニュースが流れてきました。

今回の教育長の発言は保護者といじめられていた本人に対して不誠実極まりない発言かつ、一般常識とかけはなれた結論だと言わざるを得ません。
ただし、今回のいじめに関する調査は第三者委員会が行ったものであり、その結論を教育委員会の長たる教育長が覆すことはできないという点を忘れてはいけません。


第三者委員会よりも学校と直接的な上下関係を持つ教育委員会の判断が優先されるようなことがあれば、今後、いじめ問題に限らず、市民が第三者委員会を通じて、学校の様々な問題をただすようなこともできなくなってしまいます。
市民が学校に直接介入することはできませんから、学校と直接やりとりできる教育委員会が問題を不問にしてしまえば、市民は問題を追求することさえできなくなってしまいます。

このような状況を考えるならば、確かに今回の教育長の発言は不用意なものではありますが、その点だけをむやみに批判してもあまり生産的ではないように思います。
第三者委員会による調査報告書を読んでみると、そもそも今回の件では教育委員会や第三者機関ができる調査に限界があったということがわかります。
また、報告書を読んだ印象として、きわめて誠実に調査を行っていたように感じられました。


児童に対するいじめが始まったのは、小学2年生のときに福島から転校してきてすぐでしたが、保護者から調査の申し入れがあったのはいじめ被害にあっていた児童が小学校6年生だった平成27年12月でした。
そのときすでに、被害者の児童は長期にわたる不登校状態であったこと、調査が始まってすぐに児童たちが卒業し中学生になってしまったことなど、関係者の記憶のあいまいさなどによって、正確な判断をすることができなかったようです。
調査が開始された時期が遅すぎたのです。

保護者がそれまで学校側にそのことを訴えていなかったわけではありません。
報告書によると、小学校2年生のときからいじめが始まった時点で、児童も保護者も学校にそのことを訴えていました。
しかしその都度、担任教師が対応する程度で、具体的な対策が取られることはありませんでした。
しかも、学校が行なった聞き込みによれば、2、3年時の担任は、当該児童がいじめられていたという認識はなかったようです。

いじめ被害者である児童が最初に不登校となったのは小学校3年生のときでした。
5年生の最初の時期も学校に行けなかったようです。
その後、5年生の途中から学校に行くようになった頃に、この「おごる」行為が起こったのです。

また、平成26年の段階で、学校は当該児童が同級生に「おごっている」ということを把握しており、保護者からの相談も受けていました。
副校長が家庭まで出向いたり、スクールカウンセラーから学校に連絡をとったり、いじめ加害者とされる同級生ら10名への聞き込みなども行なっていました。

平成26年の9月に、被害児童の保護者が警察に相談し、11月くらいから弁護士を立てた対応を始めました。
結局、保護者側が「本気の対応」を見せるまで、学校側は家庭訪問くらいしかしていなかったのです。

平成27年1月になってようやく学校カウンセラーと学校、人権教育・児童生徒課などの関係機関との連携が始まり、その年の10月になって保護者が教育委員会に相談するに至りました。
この報告書の中では、150万円の件についてのいじめは認定されていませんが、その他の部分では認定されているものもあります。
被害児童が金銭を「おごる」ことになったのは、日常的に行われている「プロレスごっこ」などの暴力行為や物を隠されたりといういじめから逃れるためでした。
事実、「おごる」行為によって、そうした暴力行為は止まったようです。

報告書では加害児童らの「積極的にお金を見せて配っていた」という証言とともに、被害児童が「おごるように言われた気持ち」になっていたということが記されています。
小学5年生の児童であれば、いじめていた側にその自覚がなければ、自らが行っている行為が「かつあげ」であるということを理解していなかった可能性もあります。
加害児童側は金銭を要求したり、おごってもらうことを求めたりをしたことは無いと言っていたそうですが、 報告書には黒塗りが多く、実際にどの被害児童との間でどのようなやり取りが行われていたのかがわかりません。
これを発表した横浜市教育委員会が意図的に隠したのだとすれば、「いじめではない」という判断を覆したくない意図があったと思われても仕方ありません。

一方、このような「おごる・おごられる」関係について報告書は、学校や教師が表面的な対応ではなく、被害児童の内面的な葛藤に注視することができていなかった点を問題視しています。
たとえば、学校側は金銭の問題について、被害者児童のいう金額と関係児童のいう金額に相違があることなどから、「正確な金額がわからないのでその対応は警察に任せたい」「返金問題には学校は関与しない」としていました。

しかし、そもそも「おごる・おごられる」こと自体、教育的指導・支援の対象とすべきではないか、と報告書は問題提起しています。
いじめ被害者の救済は最優先されるべきです。
しかし小学校でのいじめ問題の難しさは、加害者も子どもであるという点でしょう。
今回も、加害者とされる児童たちへの人権の配慮などから、かなり慎重にならざるを得なかったようで、いじめ加害者とされる児童やその保護者への直接の聞き込みなどは行なっておらず、学校が用意した書類での分析にとどまっています。

しかし、対応を間違っていた学校が用意した文書に依拠していじめ認定の分析を行うことに、そもそもの限界があります。
いじめが起こっていたとされる時期からかなり時間が経ってしまっていて記憶も曖昧になっている点、関係児童たちも中学校進学を控えた時期である点などを配慮して、加害児童にもその保護者にも聞き込みをすべきではないと言う判断が、今回の調査で加害児童に聞き込みをしなかった理由とのことです。

しかし、これは被害者側にとって到底納得できるものではないでしょう。
被害児童の人生よりも、加害児童の人生を優先したようなものです。
この点については、少なくとも加害児童の保護者に対しては聞き込み調査を行うべきであったと思います。
報告書では「せめて1年前に調査に入ることができれば、詳細に実態を把握し解明にもより正確さのある調査が可能であったと考えると、もっと早く着手できれば当該児童の苦痛もなかったのではないかと悔やまれる」といった表現が記されています。

今回の調査でいじめの実態について解明できない部分があったことの原因として、学校の対応の遅れ、学校と保護者のコミュニケーション不足や、スクールソーシャルワーカーなどの専門職が機能していなかった点などです。
こうして報告書を見ていくと、学校が何も具体的な対応をせずいじめを見過ごしたがために、被害児童が追い詰められていく様子がうかがえます。
最初に書いたように、今回のいじめ、そして教育委員会や第三者調査委員会の対応について、怒りの声が多く上がり、それを受けて横浜市長の謝罪がありました。

報告書が「おごる」行為をいじめと認定しなかった点については納得がいきません。
しかし、報告書が提起するように、学校が教育的指導・支援を通じて「児童の内面的葛藤」に対応するとともに、保護者やスクールソーシャルワーカーといった専門家としっかり連携していれば、ここまでの事態には至らなかったはずです。

今回のやりとりを受けて、横浜市のみならずあらゆる自治体の教育委員会や学校が、いじめ問題に本気で取り組むきっかけにしてほしいと思います。
いじめは時間が経ってしまってからでは遅いのです。
いじめが起こっているそのときに対応しなければ、被害者の傷はいつまでも癒えることなく禍根を残すことになるのだということを理解してほしいと思います。



古谷有希子
ジョージメイソン大学社会学研究科 博士課程。
東京大学社会科学研究所 客員研究員。
大学院修了後、ビジネスコーチとして日本でマネジメントコンサルティングに従事したのち、渡米。
公共政策大学院、シンクタンクでのインターンなどを経て、現在は日本・アメリカで高校生・若者の就職問題の研究に従事する傍ら、NPOへのアドバイザリーも行う。
社会政策、教育政策、教育のグローバリゼーションを専門とする。
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2017年02月16日

新学習指導要領 量と質、二兎を追えるか

新学習指導要領 
量と質、二兎を追えるか
2017年2月15日 東京新聞「社説」

 学びの量と質。その二兎(にと)を追うという。
文部科学省が公表した小中学校の次期学習指導要領の改定案だ。
高度な理念にはうなずけるが、先生の裁量を狭め、創意工夫の余地を奪うようでは困る。

 昨年十二月の中央教育審議会答申に基づき、文科省が改定案づくりを進めていた。
新指導要領は二〇二〇年度から順次実施される。
 学校が編成するカリキュラムの基準となる。
現行要領までは、学ぶべき知識や技能を中心に定めてきた。
それを転換して、身につけるべき資質や能力に主眼を置いた構造に見直す。

 何を学ぶかに加え、何ができるようになるかという到達目標をより明確にし、自ら学びに向かう力や態度を養うという。
「個性重視の原則」を打ち出した一九八〇年代の臨時教育審議会答申の集大成と評価する向きもある。

 知識の詰め込みか、ゆとりかと教育論争を繰り広げる間に、人工知能が人間に取って代わる社会が到来した。
インターネットは大量の知識を蓄えている。
もはや「知っている」だけでは、人生を切り開くのは難しいかもしれない。

 いわば教科書のない世界とどう向き合うか。
問われるのは、多面的に見たり、柔軟に考えたりできる力、豊かな感性だろう。
それを言葉で伝える表現力も大切だ。

 そうした力や態度を育てるために、新指導要領案は「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善を求める。
世間で「アクティブ・ラーニング」と呼ばれる能動的な学び方を意味する。

 例えば、集団で調べたり、討論したりして結果を発表する。
子どもの参加意識を高め、やる気を引き出すのに効果的という。
 日本の子どもは、自尊心が低く、受動的とよくいわれる。
教育風土や学校文化が影響しているなら、その改善にも結びつけたい。

 心配なのは、先生の多忙を解消できるかだ。
事務を削り、部活動の縛りを緩めなくては、授業の準備や研究に専念できない。
ただでさえ、授業時間が満杯なのに、英語やプログラミング教育などを押し込んで消化できるか。
 教え方や評価の仕方まで細かく押しつけては、子ども不在の形式ばかりの授業が広がりかねない。
現場の積み重ねを尊重し、先生にも学ぶ時間を与えたい。

 小中学校の教育理念を高校へつなげ、その成果を問うための大学入試へ、と改革が同時に進んでいる。
旗を振る文科省は財政面、人材面でしっかりと支えるべきだ。
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2017年02月26日

 安倍と関係・森友学園が改憲の署名集め

“安倍晋三小学校”の森友学園が
「改憲」署名集め!
反戦教師密告制度の一方で
軍国教育に協力する安倍政権
2017.02.25 LITERA編集部

 安倍首相ら有力政治家の政治的介入が疑われている学校法人森友学園の国有地格安払い下げ問題。
国会では連日、極めて破格かつ不透明な払い下げの経緯が追及されているが、もう一つ、見逃してはならないのが、森友学園の洗脳的なトンデモ教育方針だ。

 周知の通り、森友学園が運営する塚本幼稚園では、園児に教育勅語を暗唱させるほか、自衛隊の記念式典で園児らに演奏させたり、日の丸と旭日旗を振らせるなど、徹底した“極右洗脳教育”がなされている。
とくに教育勅語は、4月に開校予定の瑞穂の国記念小學院(「安倍晋三記念小学校」)でも、「教育勅語素読・解釈による日本人精神の育成」を「全教科の要」とするように、非常に重要視されているようだ。

 しかし、そもそも明治初期に発布された教育勅語は、「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ」から始まり、国民を「臣民」と位置付けるなど、モロに皇国史観を植えつけるものだ。

たとえば「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」とあるように、いざ戦争があれば公に身を捧げ、永遠に続くべき皇室の運命を助けよと命じている。
つまり、バリバリの軍国主義的イデオロギーそのものである
 こんなものを暗唱させ、学校教育の根幹としているだけでも、何も知らない子どもたちに対する“洗脳”としか言いようがないが、しかも、ここに来て森友学園が教育機関としてありえないことを示す、あらたな重大疑惑が浮上してきた。
 それは、塚本幼稚園で、保護者向けに憲法改正に賛成する署名活動が行われていたというものだ。
保護者が配布された文書には、「私は憲法改正に賛成します」と書かれており、「ご紹介者」の記入欄には塚本幼稚園の名称と、園長である籠池泰典・森友学園理事長の名前がはっきりと記載されていた。
実際、2月23日放送の『NEWS23』(TBS)では、塚本幼稚園の元保護者が、実物の署名用紙を手に「これの『賛同を』というので、こういう紙(署名用紙)が入っていたりとか。幼稚園でこういうことをしていいのかなって」と証言していた。

 この署名運動を展開している大元は「美しい日本の憲法をつくる国民の会」。
そう、一昨年秋、日本武道館で行われた決起集会で安倍首相もビデオレターを寄せたあの極右改憲団体で、実質的な日本会議の別働隊である。
そして、籠池理事長は日本会議大阪の運営委員だ。

 日本会議が背後にいる幼稚園での改憲署名活動と、安倍首相がいかにして関係しているかは現時点では明らかでないが、いずれにせよ、これは教育基本法第14条第2項の「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」に抵触する政治活動そのものだ。
 仮に、一国の総理大臣が園内での改憲運動を黙認していたのならば、明らかに違法かつ倫理的責任は重大。
即刻辞任すべき大問題だが、一方で自民党は、「子供たちを戦場に送るな」という教員を「偏向教育」として処罰する目的で“密告フォーム”までつくるなど、学校教育への介入を着々と進めている。

 これは、昨年7月の参院選公示直前、自民党のホームページ上で公開された「学校教育における政治的中立性についての実態調査」なるもの。
そこで〈「子供たちを戦場に送るな」と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいる〉と記し、これを〈偏向した教育〉〈特定のイデオロギー〉と糾弾して、〈政治的中立を逸脱するような不適切な事例を具体的(いつ、どこで、だれが、何を、どのように)に記入してください〉と、学校や教員の情報を投稿させるフォームを設置した。
 つまり、「子供たちを戦場に送るな」というごく当たり前のことをいう教師を弾圧し、監視によって教育現場を統制することで「戦争反対」とさえ口にできない空気を作り出そうというわけだ。
さらに昨年8月には、自民党の木原稔財務副大臣(当時・党文部科学部会長)が“密告フォーム”に寄せられた情報の一部を警察当局に提供する考えまで示した。
 その後も、12月6日に開かれた自民党文部科学部会では、教員の「政治的中立性」を確保すべく、処分を厳格化する方向で検討を開始。
朝日新聞の報道によれば、同部会は〈現状では政治的中立を逸脱しても「処分が重くない」と指摘。
教育公務員特例法を改正し、罰則を科すことも検討すべきだとした〉という。

 ようするにいま、安倍政権は自分たちの意に沿わない教員や教育現場を「政治的中立」ではないとして弾圧しようとしているのだ。
にもかかわらず、教育勅語を中心にすえ、ましてや改憲の署名集めまで行っている学校に対しては賛辞を送り、まったく問題視しようとしない
こんな二枚舌が許されるわけもないが、少なくとも、安倍政権のいう教育の「政治的中立」などテタラメでしかないこと、そして、連中が目指す学校教育のトンデモぶりがまたもや証明されたわけである。
実際、昭恵夫人は、2015年9月に塚本幼稚園で行われた「小学校名誉校長就任講演」のなかで、「普通の公立学校の教育を受けると、せっかくここ(塚本幼稚園)で芯ができたものが、(公立の)学校に入った途端に、こう揺らいでしまう」と、公立学校の教育を否定する発言までしていた(テレビ東京『ゆうがたサテライト』17日放送)。
つまり、公立学校で行われている通常の教育よりも、子どもたちに教育勅語を暗唱させ、軍国主義を刷り込む“洗脳”のほうがふさわしいと言っているのである。

 今回の森友学園をめぐる様々な疑惑については、今後も徹底的な追及が必要であることは言をまたないが、わたしたちは、その背景にある安倍首相のトンデモ教育観と、その国民への押し付けに対しても、今一度警戒心を強めるべきだろう。
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2017年06月25日

「2分の1成人式」で感謝の手紙を読まれたら、私は親として嬉しがるのだろうか

「2分の1成人式」で
感謝の手紙を読まれたら、
私は親として
嬉しがるのだろうか
2017.06.24 messy (中崎亜衣)

「2分の1成人式」という小学校行事がある。
「10歳」の節目をお祝いして、4年生の3学期にやることが多いらしい。
文部科学省の学習指導要領では特に定められておらず、だから2分の1成人式をやる・やらないは各校の裁量で決められ、その内容も各校で異なる。
行事内容として代表的なのは、2分の1成人式証書授与、合唱、作文(将来の夢、10歳の決意など)、未来の自分への手紙、生い立ちの振り返り(小さい頃の写真、誕生時の様子、名前の由来など、年表作ったり)、子どもから親への(感謝の)手紙、親から子どもへの手紙……といったものだ。
そして、近年は「やる」学校が増えてきているという。

問題は、2分の1成人式で何をやるか、だ。
2分の1成人式が盛んになると同時に、その在り方によっては児童や保護者に本来与えるべきでない負担や苦痛を与えかねないとして疑問視する声が強まっている。
証書授与や合唱は、他の行事でもやっていることで、将来の夢や10歳の決意を書いて発表するのも「本音を言わなければ怒られるワケではない」と気付きさえすればスルーできるだろう。
ただやはり、生い立ちの振り返りや、親への手紙、子どもへの手紙といった保護者の協力・参加が前提のセレモニーを盛り込むことの是非は、各校の慎重な審議が必要だ。

その理由は主に、
(1)児童の家庭環境を配慮していない 
(2)プライバシー侵害となりかねない 
(3)「親に感謝する」という価値観を強制している

 といったもので、結果的に児童や保護者に苦痛を与えかねないからである。

この行事は、温かな家庭で両親に愛されて育くまれた子供たちが、親への感謝とささやかな自立心を抱くためのイベントだと思う。
それはとっても幸福なことだろう。
感激して涙を流す親たちもいるそうで、教員も胸がいっぱいになるという。
しかし子供が安らぎや温かさを感じられない家庭、虐待家庭、まだ馴染んでいないステップファミリー、祖父母や親戚、里親が養育している家庭、児童養護施設の子供などなど、“例外”の児童たちが複雑な感情を抱く機会になるだろうことは、想像に難くない。
ただ、逆にまだ学校側には見えていなかったが現在進行形で何かしらの家庭内トラブルを抱えている子(クラスに1人もいないとは考えにくい)がSOSを発する機会として利用することが出来れば、メリット0とも言えないが……それも学校側、教員側にそれを受け止める土壌があれば、だ。

プライバシー保護の観点で言えば、私が小学生だった頃、転入生が自ら公表するより先に、担任教師が“うっかり”、その子が両親の離婚によって転校してきたことを暴露してしまうということがあった。
父の日、先生はクラス全員に緑色の模造紙を配り、父親への感謝の手紙を書くことを指示した。そのとき先生は、大声ではなかったけど、クラス全員に届く程度の大きさの声で「あ、○○さんは、お母さんに書けばいいから」と、転入してきて間もないクラスメイトに言った。
瞬間、その子は父親と暮らしてない、転校してきた理由もそれ(親の離婚に伴う引っ越し)なのかな、と察したけれど、それって先生が勝手に暴露していいことなのか疑問に思った。
その子がどんな表情をしていたのかは見えなかったし、その時どう思ったのかはわからない。
何とも思っていなかったかもしれない。
先生に悪気はなかったのかもしれない。
けど、自分がみんなの前でこんなふうに、家族の情報を何か言われたら絶対イヤだと私は思い、その先生に嫌悪感や警戒心を抱き、修了式まで信頼できなかった。
あくまでも、私がそう感じたということに過ぎず、ほかのみんながどう感じていたのかは、わからないが。
でも家族や生い立ちのエピソードは、みんなの前で発表して共有するようなことなんだろうか。秘密にしておきたい子や親だっているんじゃないか。
今もそう思う。

親に感謝できなくてもいい

そしてこの行事で一番止めて欲しいのは、「親への感謝」を強制することだ。
親への手紙は、2分の1成人式で定番なのだが、手紙の趣旨は「親への感謝」が前提となっており、学校でこれを書かせるということは、親への感謝を強制していることになる
それはつまり児童に対して「親には感謝すべき」という価値観を植え付けているともいえる。
学校によっては、児童の書いた手紙を教員がチェック・添削の上で清書するというナンセンスな行為がなされ、「感謝の気持ちが足りない」と指導が入ることさえあるというから異常ではないか。
親への手紙は、複雑な家庭の子に対する配慮が足りない、虐待のSOSを見逃すのでは、という懸念もある。
それももっともだ。

ただ、いかなる家庭で育っていようが、親や家族に感謝するもしないもその子の自由だと私は考える。
たとえ10歳の子どもであっても、親や家族にいかなる気持ちを抱くか(内心の自由)は本人次第で、学校が「感謝すべき(それがあるべき姿)」と、さも正しい答えであるかのように提示するのはおかしい。
その子が自分で考えたり悩んだりすればいいし、10歳の時は感謝して親孝行を決意していても2年後には親を軽蔑していることだって、あるだろう。
親は聖人ではないのだし。

ベネッセの調査によると2分の1成人式で感動した!という親は大勢いるらしく、インスタグラムで子どもに貰った手紙を投稿している親も多い。
我が子の学校で実施されている行事に出向き、感動するのだってその人(子どもの親だから、ではなく、その人個人という意味)の自由だ。
けれど、そもそも学校や学校行事は保護者を感動させるためにあるわけじゃないし、子どもは親を感動させるために生きているわけでもないのだ。

「親への感謝」は、大人になっても強制されることがある。
新入社員に「親への感謝の手紙」を書かせ、歓迎会の際にみんなの前で読み上げ、後日総務の人が親元に郵送する……という新人研修をおこなっている企業もあるという。
元来、仕事とは“個人の問題”であり、仕事と親とは無関係、にもかかわらずだ。
社員が親孝行を意識することで仕事意欲にもつながる……という考えに基づいてのことで、管理職や上司が新入社員に対して「お前、親に感謝してるか?」と尋ねるケースもあるらしく、実際にそれが意欲向上につながった社員もいるのかもしれないが、逆に親の過保護・過干渉から離れたかったり、虐待を受けた過去があったり、そういう“例外”の社員にとっては迷惑な質問だし、上司の想像力の欠如を残念に感じるかもしれない。
子どもの給料にたかってくる親だって現実にはいるのだ。
(例外の社員がいないことを確認してからおこなう企業もあるのかもしれないが)

 やっと親とは関係なしに自分の実力を試せる!と決意して入社してくる社員の意欲を奪うことにはならないのか?
 厚労省だって、採用面接で家族に関する質問はNGとしている。
学校同様、会社でだって「親への感謝」は強制するのは、けっこう危険であろう。
そういう私にも2歳の娘がいる。
彼女もゆくゆくは2分の1成人式という行事に遭遇し、「親への感謝の手紙」を読むことになるかもしれない。
正直、現在の娘を見ていても、彼女が10歳の頃どんな子になっているのか、まったく予想ができないし、その頃私がどんな親になっているのかも、これまたまったく予想ができない。

その上で考えてみた。
私自身は小学生の頃に2分の1成人式を経験しておらず、他の学校行事でも親へ手紙を読むことはなかったのだが、そもそも親子参加系の学校行事に生理的嫌悪感を抱く小学生だったので(親を人に見られるのがたまらなくイヤ! だと思っていた)、もし“2分の1成人式で親への手紙を読む”なんて機会があったとしたら非常に憂鬱だっただろうし、手紙には当たり障りのない“書かされている感アリアリ”のことしか書かなかったに違いない。

少なくとも今現在の私は、かつて嫌いな行事(授業参観とか)にイヤイヤ参加したことが自分自身の成長につながっている気はまるでしていない(1ミリもない)。
もちろん私と娘は別人なので、娘が私のような考えの10歳児になるとは言えないが、たとえば、私と娘の関係がそのとき良好なものと言えない状態で、娘が学校で「親への感謝の手紙」を書くことになって、親に感謝すべきという指導が入ったら、娘が「親に感謝できない自分はダメなんだ」とか「感謝できるような親を持っていない自分は不幸」と思ってしまわないとは限らない。

それにしても10歳にもなった娘から、『ママありがとう♡♡♡』な手紙を読まれても白々しいというか、自分はいささか懐疑的に受け止めてしまいそうな予感がしているが。
学校の指導とは関係なく娘の本心=感謝であるならばそれはそれで嬉しいのかもしれないが、強制で書かされても複雑な心境だ。
親に子が自然と感謝や尊敬の念を抱く親子関係が望ましいとしても、それはあくまでも「望ましいもの」だから、みんなが到達する境地ではない。
ともすれば、2分の1成人式は親として子どもから感謝や尊敬される人格者になるべく気を引き締めろ、という親へのプレッシャーとしても機能するのかもしれない。
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2017年09月14日

私たちは「大人の脳」の使い方を知らなすぎる:10代半ば頃からは勉強法を変えるべき

私たちは「大人の脳」の
   使い方を知らなすぎる
10代半ば頃からは勉強法を変えるべき
2017年09月07日 東洋経済(構成.黒坂真由子)

瀧 靖之 :
東北大学加齢医学研究所教授、
医師、医学博士

大人の勉強、
大事なのはどっち?
資格試験に向けて勉強をしている、一卵性双生児のAさん(35歳)とBさん(35歳)。
同じ問題集を使い、同じ時間勉強をしているのに、Aさんはいつもトップ、Bさんの成績は一向に振るいません。
2人の何が違うのでしょうか?
2人の違いは、「勉強法」。
Bさんが子どもの頃と同じ勉強の仕方をしていたのに対し、Aさんは勉強方法自体をガラリと変えていました。
勉強法も「大人用」にシフトチェンジしていたのです。

私は脳の専門家として、日々たくさんの人の脳と向き合っています。
私の専門は脳の画像診断で、MRIという磁気を使った装置で人々の脳の画像を取り、それをデータとして蓄積し解析をしています。
これまでに5歳の子どもから80歳を超えるお年寄りまで、16万人もの方の画像を見てきました。ここで蓄積されたデータとその他の情報(「遺伝子」情報、「認知力テスト」の結果、「生活習慣」に関する情報など)の情報を比較していく中で、子どもと大人の脳の違い、私たちの脳が持つ「クセ」のようなものもわかるようになってきました。

大人、具体的には10代半ばごろからは、勉強法を変えなければなりません。
それはなぜでしょうか?
答えは簡単です。
「大人と子どもでは、脳の機能が違う」からです。

私たちの体が成長するように、脳も年齢に従って変化をしていきます。
ですから、7歳の自分と35歳の自分の脳では、ずいぶんと内容が違っているのです。
それは、判断力、思考力といったことにとどまらず、勉強方法や暗記方法にまで及びます。

ところが、多くの方は学生時代に身に付けたのと同じ勉強の仕方で、目の前の学習に対処しようとしてしまいます。
これは言ってみれば、子ども用のラケットで錦織圭のスマッシュを受けようとしているようなもの。
太刀打ちできないのも無理はありません。

大人には、大人用の勉強法がある
では、大人の勉強法とは、具体的にどのようなものなのでしょうか? 
もちろんその理由は脳科学の見地からご説明いたします。

Q. 予習 or 復習。
   脳に定着しやすいのはどっち?
答えは「予習」です。
脳には「ファミリアリティ」という性質があります。
これは簡単にいえば「知っているもの=好きなもの」 と認識する性質です。
予習をしておくと、脳は「それを知っている」と判断し、「好き嫌い」を感じる脳の部位「扁桃体」に「好き」という感情が湧き起こります。
「扁桃体」は、記憶をつかさどる「海馬」と近く、両者は連動して活動しています(fMRI による)。
そのため、脳にとっては「知っているもの=好きなもの=覚えやすい」となるのです。
そのため予習をしっかりすると、授業本番の学習効果が上がるだけでなく、脳にも定着しやすくなるのです。
なお、予習時間は5分程度でも効果は期待できます。
忙しい大人には、予習・復習をたっぷりする時間はありませんが、最低でも5分の予習時間を持つことで、勉強効率がぐっと上がるのは間違いありません。

Q.英単語の暗記。
「起きてすぐ」or「寝る直前」
どっちがいい?
正解は「寝る直前」です。
暗記した内容は、睡眠時間の間に記憶として定着します。
脳は寝ている間に、その日のうちに得た情報を整理し、大切な情報を長期記憶に移動するのです。
この記憶のメカニズムは大人に限った話ではありませんが、機械的記憶の能力が下がってきている大人は、特に意識したいポイントです。
しかし、ただ寝る前に暗記すればいい、というわけではありません。
大切なのは、「学習後は→何もせず、すぐに寝る」ということ!
 暗記と睡眠の間に、少しでも違うことをしてしまうと、「記憶の攪乱」が起きてしまいます。これは、たとえば暗記した英単語と、寝る前に見たスマホの画面の内容が、脳の中で混ざり合う現象です。
これが記憶の効率を低下させるのです。
「寝る直前の暗記もの」が、脳には効果的ですが、暗記した後はなにもせずに布団に直行してください。
ちなみに、暗記時間は長くとる必要はありません。
10分もあれば十分です。

Q. 反復練習 or 語呂合わせ 
脳の効率がいいのはどっち?
大人にいいのは、「語呂合わせ」です。
子どもの頃は「神童」と呼ばれていたのに……という方、周りにいませんか?
 自分がそうだった、という方もいるかもしれません。
子どもの脳が得意としているのは、「機械的記憶」。
これはまるで「コピペ(コピー・アンド・ペースト)」するかのように、物事を暗記する能力です。
ですから子どもの頃は、どんなことでもどんどん記憶できてしまいます。
モンスターの名前をソラで言える子、昆虫にやたらと詳しい子、英語の歌を1回聞いただけで歌う子。
これらは皆、機械的記憶のなせる技です(ですから親は「うちの子は天才!かも」と思ってしまうのですね)。
大人の脳は「とにかく全部覚える」というような力技を使わなくなります。
もっと効率よく、物事を暗記しようと試みるのです。
大人の脳は省エネなのですね(実際子どもの脳は、大人の2倍ほどのエネルギーが必要です)。

「連合記憶」を活用する
大人の脳が好んで使うのが「連合記憶」というもの。
これは何かと何かを関連づけて覚える方法です。
関連づけられるようになるためには、脳にある程度の知識がストックされる必要があります。
機械的暗記から連合記憶に変わるのは、10代の半ばくらい。
ですから、大学受験のときにはもう、連合記憶の活用を始めるのがいいのです。

語呂合わせは連合記憶を利用するうまいやり方です。
「794(鳴くよ)うぐいす平安京」「1467(人の世むな)し、応仁の乱」。
このような歴史の年号だけでなく、あらゆる暗記もので語呂合わせができないか、工夫してみるといいですね。
私は英単語も語呂合わせで覚えました(笑)。
数十年たった今でも忘れないのは、連合記憶を活用したからなのです。
大人には、大人用の勉強法があります。
そしてそれを知ることは、今からでも遅くありません。
なぜなら、脳は使い始めたその日、その瞬間から成長し始めるものだからです。
あなたがあきらめることさえしなければ、脳の成長に終わりはないのです。
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2017年11月13日

「頭髪指導で不登校」になった女子高生の悲劇

「頭髪指導で不登校」に
  なった女子高生の悲劇
「茶色の地毛を黒に染めろ」指導は正しいか
2017年11月11日「週刊女性PRIME」編集部

髪の毛は生まれつき茶色
「頭髪指導に従えないなら授業は受けられない。
黒染めするか、学校をやめるか選べ」
昨年9月、大阪府立懐風館高校(羽曳野市)の教諭は当時2年生のA子さんに告げた。

教諭からの度重なる頭髪指導にストレスは限界だった。
「もう嫌や! 黒染めはしたくない!
地毛が茶色いだけで、なんでこんな目にあわなあかんの!?」
それ以来、A子さんは学校に通えないままだ─。

生まれつき髪の毛が茶色かったA子さんに学校は「ルールだから」と、写真撮影日など入学式の前から黒染めを強要。
度重なる頭髪指導で精神的苦痛を受け、不登校になったと、大阪府に対し裁判を起こした。
慰謝料など約220万円の損害賠償を求める訴状を今年9月、大阪地裁に提出、第1回口頭弁論が10月27日に開かれた。

府側は「学校の指導は適切」と、請求棄却を求め、全面的に争う姿勢を示している。
代理人の弁護士がA子さんの母親が頭髪の件で学校に配慮を求めていたにもかかわらず、入学前に複数の教諭が「髪を黒く染めろ」と迫った。
入学後には頭髪指導のたびに黒染めを強要され、A子さんは髪を黒く染め続けたことを明かした。

A子さんは訴状の中で当時の心情を振り返る。
「黒染めをしなかったら学校に通えない、大学に進学できないと思った」
  こうした指導はA子さんだけに限らない。
同校の頭髪指導は厳しくて有名だった。

「母子家庭だから茶髪にしている」と暴言
黒染めを繰り返した結果、A子さんの頭皮は薬剤の影響でかぶれ、髪の毛もボロボロになった。代理人は憤慨する。
生徒の健康を害してまで、これは指導と言えるのか
学校側が黒染めを強要し続けたのはなぜか。
「A子さんは中学のころも髪を黒く染めていた、地毛は茶色でも1回でも黒染めをしたら黒染めを続ける、それがうちの学校のルール。
それに黒染めが落ちてくるとみっともないから、そのつど染め直させる」 と、学校側は理不尽な言い訳を代理人に伝えた。
そして、指導はさらにエスカレートする。
「母子家庭だから茶髪にしてる」と暴言を吐き、「黒染めが不十分」と呼び出し、「黒染めをやり直すまでは出さない」と授業に出ることも禁じた。
文化祭や修学旅行など学校行事への参加も拒んだ。

一方で、訴状への府側の反論文の中では、
「A子さんから学校に来ないと言った」
「修学旅行の参加を禁止したわけではない、参加しなかったのは彼女の意思」と責任を否定。
昨年8月末、A子さんは「髪が色ムラになっている」と4日に1度、頭髪指導を受けた。
染め直すものの、教諭たちは「アウトー」「足りない」などと発言、追い詰めた。

これは先生たちが学校という組織ぐるみで行った指導という名のいじめ」(代理人)
学校が生徒の黒髪にこだわるのには日本人ならではの事情があるという。
ファッションや化粧の文化に詳しい甲南女子大学の米澤泉准教授は、 「生徒は黒髪でベージュの肌をした日本人しかいないと思っており、それ以外は“排除する”という学校現場の意識が強すぎます。
色素の加減で髪の毛が茶色く見える人は少なくないのにそれを黒にするというのは行きすぎた管理教育、人権侵害です。
例外を認めず、髪の色だけでその人を評価すること自体がおかしい
そもそも、同校は「髪は黒がルール」と言い続けてきたが校則には書いていない。

本誌が同高校の高橋雅彦教頭に取材すると、「学校では染髪や脱色については禁止していますが、本来の色を否定して黒くしろというルールは示していません。
本来の色で生活してほしいと考えています」と言い切る。
それどころか、 「地毛が茶色い、赤っぽい生徒もいます。
みんな真っ黒だったらそれは明らかに染めさせているじゃないですか」
なぜA子さんに対し、何度も指導を強要したのか質問すると、「係争中のため答えられない」と回答を拒んだ。

学校に行くと席がなかった
学校側の仕打ちにA子さんが我慢の限界に達したのは今年の6月のことだ。
3年生になったA子さんが学校を訪ねると、生徒名簿にあるはずの自分の名前がない。
それどころか、4月に聞いていた出席番号には別の生徒の名前。
教室には席もなかった。

学校側の言い分は、 「名前や席がないのは不登校を目立たせなくするため。
変な噂が広まらないように」
そんな理屈が通るのか。
代理人弁護士は憤る。
「学校は、司法の判断にまかせるが、裁判に負けない限り謝罪はしないと話しています」

校則に詳しい、千葉・浦安市立小学校の塩崎義明教諭は、「今回の事件は子どもの自由や権利をないがしろにした行為」と指摘。
学校に子どもを守る大人がいなくなってしまった、と話す。
最近の教師は子どもたち同様、決まりに縛られて何も言えないのが現状です。
生徒の髪を黒く染める指導に疑問を挟む余地がないのは、教師自身も規則に縛られているということの表れです」(塩崎教諭)

A子さんは心に深い傷と大人への不信感を持ったまま。
『ルール』を重視するあまり教師は大切なものを見失ってしまったのではないだろうか。
文化祭も修学旅行も、友達との時間も……。かけがえのない時間は裁判が終わっても戻ってこない。
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2017年11月27日

教師への暴力:警察対応の秩序か生徒の将来か 苦悩の現場

教師への暴力:
警察対応の秩序か
生徒の将来か 苦悩の現場
2017.11.27 毎日新聞  

学校で生徒が教師に暴力を振るって逮捕される事件が後を絶たない。
福岡市では9月、男子生徒が教室で男性講師に暴行する様子を撮影した動画がインターネット上に流出し、男子生徒が逮捕される事件もあった。

文部科学省は学校内で暴行などの犯罪行為があれば警察と協力して対応するよう指導するが、教育現場は生徒の将来と校内秩序をてんびんにかけて苦悩している。
 福岡市の私立高校では9月、1年の男子生徒が授業中に新任の男性講師から注意されて激高し、講師の背中を数回蹴ったり胸ぐらをつかんだりする暴行を加えた。
その一部始終を同級生が撮影した動画がインターネット上に流出したことで事件が発覚。
高校は被害届を出し、福岡県警が傷害容疑で男子生徒を逮捕する事態となった。

 校長は、記者会見で「暴力が限度を超えていた」として警察に通報したことに理解を求めた。県教委には「学校の対応は当然」「逮捕までするのはやりすぎだ」などと賛否の電話が多数寄せられた。

 10月には福岡県内の中学校で、2年の男子生徒が男性教諭の顔を殴ったとして傷害容疑で逮捕された。
男子生徒は授業を抜け出し、男性教諭が連れ戻そうとした際に暴行した。
校長は「校内で解決するか警察に通報するかは常に葛藤している。
今回はこれまでにも問題行動があったため通報した。
男子生徒が学校に戻れば進路相談を含めてこれまで以上に支えたい」と話す。

 文科省は2007年、全国で校内暴力が相次いでいることを受け、校内暴力などで犯罪行為の疑いがあれば学校だけで抱え込まずに警察の協力を得るよう指導した。
しかし、実際に“警察ざた”になるケースは多くはない。
同省によると16年度に全国の小中高校で発生した対教師暴力は8022件だったが、警察庁の統計では16年に全国の警察が教師への暴力事件として補導、検挙したのは399件にとどまる。

福岡市の中学校で生徒指導を担当する中堅教師は「どの先生もできれば教育の中で生徒を立ち直らせたいと思っているはずだ」と打ち明ける。

教師も生徒と同じ目線で…
「学び合い教育」で信頼築く
 教育現場は問題行動を起こす子供たちとどう向き合っていくべきか。
そのヒントになる取り組みをしている中学校が福岡市にある。

 同市博多区の市立東光中はかつて「市内有数の荒れた学校」だった。
元主(もとぬし)浩一校長(60)が教頭として赴任した7年前は生徒が廊下を自転車で走ったり、校舎のガラスを割ったりするなど手がつけられない状態だった。
教師への暴力事件で生徒が逮捕されたこともあったが、4年前に導入した「学び合い教育」をきっかけに落ち着きを見せ始めたという。

 「学び合い教育」ではすべての授業で教師が生徒に課題を出し、生徒同士が分からないことを教え合う。
教師は自分の考えを押しつけずに生徒たちを見守る。
当初は授業が成立しなかったが、半年ほどすると素行が悪かった生徒も授業に加わりだした。
生徒にクラスへの帰属意識が芽生えて自発的な学習につながり、クラス全体の成績が上がって校内暴力はなくなっていった。

 「かつては力で生徒を抑えつけることも必要だと思っていたが、間違いだった」。
さまざまな背景を持つ生徒と向き合った末に元主校長の考えは変わったという。
抑えつけようとするから生徒は反発する。教師も生徒と同じ目線で一緒に学ぶ仲間という姿勢が、教師と生徒の信頼関係を築く近道だと思う」【柿崎誠】

 教育評論家の尾木直樹
法政大特任教授(臨床教育学)の話
 暴力は絶対に許されないが、指導力不足から教師への暴力につながることがある。
反抗的な生徒に寄り添って気持ちを聴き、場合によっては別の生徒や教師にサポートを求めるなど適切な指導体制が必要だ。
公立校ではベテラン教員が新任教員の授業に同席して指導方法を教える仕組みがあるが、私学では各校に委ねられる。
私学を含めて充実した研修体制が求められている。  

「夜回り先生」として知られる
水谷修・花園大客員教授の話 
暴行の程度が許容の範囲を超えているのなら、法律に従い警察が介入するのは当然だ。
問題行動を学校の中だけで解決しようとして、いじめや体罰がなくならなかった経緯もある。
ただ、暴力をさせないことが教育であり、暴力があれば教育の負けでもあるということを、学校側は重く受け止めなければいけない。
逮捕された生徒がやり直せるよう支援をすることも重要だ。
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2017年12月16日

中高生の文章読解能力崩壊が深刻

想像以上にひどい
“中高生の文章読解能力崩壊”
もう日本語でも
会話は通じない!!
2017.12.13 水 日刊サイゾー

テスト勉強をしていないんじゃない。
日本語で書かれた問題文が理解できないんだ!!
 多くの中高生が、文章の基本を理解していない。
国立情報学研究所の調査結果が注目を集めている。

 今回明らかになった調査結果は、昨年中高生を中心とした約2万5,000人を対象に実施されたもの。
この調査は読解力を測るもので、暗記も何もいらない基礎的な内容が出題されている。

 問題のひとつは、中学の教科書からの引用。

「幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」の一文と、「1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた」の一文とが、同じ意味かどうかを尋ねるというもの。
 これを「同じ」と誤答した中学生が約43%にも及んでいるのである。
さらに、高校生でも約28%の不正解者が。


 昨今、高校どころか大学レベルでも「テストの時に、問題文を理解することができない学生がいる」とはウワサされていた。
だがその実態は、想像以上に深刻であることが明らかになったのである。

 国立情報学研究所では、こうした読解力に関する調査を継続的に行っているが、それらの資料からは、今回の報道どころではない一大事になっている。

例えば昨年発表されたテスト結果「リーディングスキルテストの実例と結果(平成27年度実施予備調査)」には、さまざまな問題例と回答結果が報告されているが、この内容は、惨憺たるものだ。  
いくつかの問題例と結果を並べてみよう。

===
<問>
仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている。
オセアニアに広がっているのは( )である。

A:ヒンドゥー教
B:キリスト教
C:イスラム教
D:仏教
(正解:B)

<正答率>
公立中学校 53%
中高一貫学校(中学) 
64% 公立高校 81%

===
<問>
オーストリア、次いでチェコスロバキア西部を併合したドイツは、それまで対立していたソ連と独ソ不可侵条約を結んだうえで、1939年9月、ポーランドに侵攻した。
ポーランドに侵攻したのは、( )である。

A:オーストリア
B:チェコスロバキア
C:ドイツ
D:ソ連
(正解:C)

<正答率>
公立中学校 75%
中高一貫学校(中学) 100%
公立高校 98%

===
<問>
天の川銀河の中心には、太陽の400万倍程度の質量をもつブラックホールがあると推定されている。
天の川銀河の中心にあると推定されているのは( )である。

A:天の川
B:銀河
C:ブラックホール
D:太陽 (正解:C)

<正答率>
公立中学校 100%
中高一貫学校(中学) 100%
公立高校 98%

===
 最後は誰でも正解できる易しい問題で、生徒たちがいかに真面目に取り組んでいるのかを証明するもの。
ともあれここから見えてくるのは、文章を正確に理解しようとしても、そもそも文章を読み慣れていないので理解に戸惑ってしまう者が、想像以上に存在している姿である。

うん、Twitterなどで、人が書いた内容を理解していないクソリプが送られてくるのは……しようがないことだったんだ。
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2017年12月17日

教科書の文章、意味わかる? 国立情報学研究所など測定法開発

教科書の文章、意味わかる?
国立情報学研究所など測定法開発
毎日新聞2017年9月26日 東京朝刊

 子供たちは、教科書の文章をどのくらい正確に読めているのか−−。
国立情報学研究所の新井紀子教授(数学専攻)らの研究グループが9月、児童・生徒らの読解力を科学的に測定する「リーディングスキルテスト(RST)」を開発したと発表した。

「係り受け」の理解などについて問題文を作成し、小中高生、大学生、社会人まで幅広く解答してもらったところ、理解の程度を測るテストとして有効だったという。
文部科学省が2019年度から実施予定の「高校生のための学びの基礎診断」の測定ツールとして認定を目指す。

●「係り受け」理解など調査
 新井教授は、東大入試に挑戦する人工知能(AI)「東ロボくん」の研究をしていた際、
「子供たちは本当に文章の意味を理解できているのか」という疑問を抱き、それをきっかけに、子供の読解力についての研究を始めた。

 RSTで測るのは「初めて読む文章の構造を理解し、日本語の論理や一般常識を使って読み解く力」だ。

例えば、美しい水車小屋の乙女」という言葉で、「美しい」は「水車小屋」と「乙女」のどちらに係るのかがわからなければ、文章を正しく理解したとはいえない。
こうした力は、子供たちが自分一人で文章を読んで新しい知識を吸収したり、資格試験の問題文や仕事のマニュアルをきちんと理解したりするためにも必要になる。

 新井教授らは、それを科学的に測定するために、教科書の文章や新聞記事から200字程度の短文を抜き出し、多数の問題文を作成した。
文章や記事は、東京書籍、毎日新聞などが提供した。

 問題文は、
(1)「係り受け」の理解
(2)指示語や省略された主語が何を指しているかの理解
(3)二つの文が同じ意味かどうかの判断(同義文判定)
(4)論理や常識を使って文章を読み解けるか(推論)
(5)図表と文章が対応しているか
(6)定義と具体例が対応しているか

−−という6分野に分けて作成し、子供たちの総合的な読解力がわかるように工夫した。  

●子供に目立った誤答
 新井教授らは、16年〜17年7月にかけ、これらの問題文を使い、全国の小学6年生〜大学生、社会人を対象に大規模な調査を実施。
その結果、子供たちの読解力が驚くほど足りていない状況が浮かび上がった。

 新井教授によると、6分野の中で最も基礎的な力は「係り受け」「指示語や省略された主語」を理解すること。

だが、例えば、
Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称でもあるが、男性の名Alexanderの愛称でもある」という文章を読んで、Alexandraの愛称を選択させる問題では、中学生の6割以上が答えを誤った。

「女性の名Alexandraの愛称でもある」という文の省略された主語が「Alex」であると読み取れなかったためだ。

 また、「幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」「1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた」という二つの文章は、「沿岸の警備を命じたのは誰か」について違うことを言っている。

ところが、この設問について、中学生の約4割が「同じ(意味)」と誤答した。
 学年による比較では、読解力は中学生までは、学年が高くなるにつれ緩やかに向上していたが、高1〜高3では、ほとんど伸びていなかった。

●授業改善の可能性
 今回の調査研究に参加した北海道教育庁の田嶋直哉主幹は「学校によってばらつきが大きく、予想以上に読めていない所もあって驚いた」と話す。
道では離島や小規模校を中心に、2008年からテレビ会議システムを使った遠隔授業を取り入れており、教員と生徒のコミュニケーションを補うため「言語能力」を重視している。

その一環として、生徒の読解力を把握しようと、今年6月、道立高校10校が、新井教授らの調査の対象校に名乗り出た。
田嶋主幹は「これまでは教科書を読めている前提で授業をしてきたので、教員と生徒が認識しただけでも改善する可能性がある」とみる。
指導法などは各校で検討する予定だ。

 また、新井教授らの調査では、正答率は、読書習慣、教科の得意、不得意とは相関関係が認められなかった一方、個々の学校の偏差値との相関が強いという結果も出た。
読解力の高い児童・生徒は、高校入試で求められるような総合的な学力も高いことを示唆する結果と言える。
      【岡礼子】
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2017年12月20日

子どもには「好きなこと」をやらせるべきだ

子どもには「好きなこと」を
やらせるべきだ
成毛眞氏が提案する「生き抜く能力」の磨き方
2017年12月18日 東洋経済オンライン

成毛 眞 : HONZ代表

富の偏在が加速して二極化が進行
テクノロジーの進化は人類の未来にとって確実にプラスになるというのが私の持論だ。
だが、それによってあらゆる社会問題が解決するなどということはもちろんない。

ジャック・アタリも『2030年 ジャック・アタリの未来予測』の中で、民主主義が後退し、富の偏在が加速して二極化が進む可能性を指摘し、経済の利己主義や政治の無分別によって、ささいなことで人々の怒りが爆発する社会の到来を危惧している。

事実、最近はヨーロッパや中東から毎日のように、悲惨なテロのニュースが飛び込んでくるようになった。
その根底に格差問題があるのは火を見るより明らかだ。
確かに民主主義が劣化してきているといわれれば、そのとおりだと私も思う。

それでもイギリスの元首相ウィンストン・チャーチルがいうように、民主主義は最悪の政治形態だが、これに代わるものはないのである。
中国人に同じ質問をしたら、そんなことはないという答えが返ってくるのかもしれない。
でも、もしそうだとしたらそれは、中国人が4000年の歴史の中で、一度も民主主義を経験していないからだ。
どんなに裕福になったとしても、グーグルで自由に検索ができないような政治体制の国に住みたいと考える日本人はいないと思う。

この先すごい思想家が登場して、革命的なシステムを考えつくというようなことだってないわけではない
でも、いまのところは多少使い勝手が悪くても人類は、民主主義を選択せざるをえないのだ。
それに、日本の民主主義はそれなりに機能しているといえなくもないのである。
格差が広がっているといっても、欧米諸国に比べればはるかに小さい。
それは、富の再配分がそれなりにうまくいっているからなのだ。

なにしろ日本というのは、所得税と住民税で所得の半分以上を国が持っていってしまう国なのである。
さらに、ほかの先進国ではありえないほどの相続税まであるのだ。
税率が高すぎて、どんなに資産があっても3回相続を繰り返すとゼロになってしまうのである。

私の知るかぎり、共産主義国家でもここまで税金を取るところはないはずだ。

マイルドヤンキーは、
イギリスのチャヴとは違う
日本では、格差の現状を説明するのに、ヒルズ族と地方のマイルドヤンキーというたとえがよく使われるが、海外の格差はあんなものではない。
たとえばイギリスにはチャヴと呼ばれるブルーカラーの若者がいるが、収入も住環境も日本のマイルドヤンキーよりはるかに劣悪ときている〈『チャヴ 弱者を敵視する社会』(オーウェン・ジョーンズ)〉。

また、チャヴはそこからはい上がることのできない絶望的な下流階級だが、マイルドヤンキーは決してそうではない。
彼らが地元から出ようとしないのは、ある意味そこに居心地のよさを感じているからなのである。
自分たちの住む地域を愛し、貢献したいという意識が強いマイルドヤンキーは、閉塞感の中で反社会的行為を繰り返すしかないチャヴとは違うのである。

ところが、日本にはそういう若者たちに対し、「君たちも六本木ヒルズにオフィスを構えて、バリバリ稼ぐ成功者を目指せ」と余計なことを言う人たちがいる。
私は、地方で身の丈に合った生活をするという人生だって全然悪いとは思わない。
「若者なら上昇志向を持て、カネをたくさん稼ぐのがいいことなのだ」という一元的価値観こそが害悪なのである。

最後に、この国の未来を担う若者に必要なものは何か、についても言及しておこう。
まず、受験勉強は時間の無駄だと思ったほうがいい。
ひと昔前は、一流大学から一流企業というレールに乗るのが幸せになる最も確実な手段だったかもしれないが、いまは決してそうではないということを知るべきだ。

受験勉強に順応してきた人は、上から命じられたことを文句も言わず、きちんと効率よくこなす訓練ができている。
そういう人もいないと、確かに会社は回らない。

子どもを「社畜」にしたいか?
だが、それは言葉を換えれば「社畜」になるということではないか。
小学生の頃から塾に通ってひたすら教科書や参考書を覚えた結果が、企業に手足のように使われる社畜では、どう考えても割に合わないだろう。
企業のほうもだんだんと、受験秀才を欲しなくなってきている。
以前は、東大卒といえばそれだけで、どこの企業も喜んで採用したが、遊びも旅行も恋愛もせず、受験勉強に打ち込んできたタイプの東大生は、伸び代がないと逆に敬遠されがちなのだ。

さらに、読書の効能を説く人は少なくないが、人文系の教養の価値は、これから確実に下がっていく。
夏目漱石や川端康成を読んでいるから豊かな人生を送れるなどという保証はないし、そういう人が有能な社会人になれるとも思えない。
2時間も3時間もかけて文芸作品を1冊読む時間があるなら、ネットの経済記事に目を通すほうがよっぽど未来に役立つ情報が得られる。

ゲームも悪くない。私は娘が高校生の頃、親子でオンラインゲームにはまって、3年間で5000時間も一緒にゲームをやった。
もちろん学校の勉強なんてやる暇はなかったが、それでも彼女はなんとか大学に進み、卒業後は某総合商社に就職した。
そうしたら、配属された穀物のトレーディング部門ですごい成果を上げ、30歳にしていきなりチーフトレーダーに抜擢されてしまったのである。

取引を有利に進めるには、競争相手の心理や相場を読む判断力、ここだというときに躊躇せず最善手を打つ瞬発力などがいるが、そういうものはすべてゲームで身に付けたと彼女は言っていた。
それはそうだろう。教科書のカビの生えた知識など足元にも及ばない、時代の最先端をいく技術と英知が、ゲームには詰まっているのだ。

子どもには、好きなことをやらせろ
なみに、私の周囲で活躍している20〜30代の人たちは、ほぼ例外なく学生時代に、かなりの時間を勉強よりゲームに費やしてきている。
これをみてもわかるように、子どもの未来を生き抜く能力を育てるには、早くから最新のハイテクに触れさせることが最も有効なのである。

だから、ゲームやスマートフォンを禁止するようなことを、親や先生は絶対にすべきではないのだ。
アメリカやカナダには、電気や自動車といった近代文明に背を向け、農耕や牧畜をしながら昔ながらの生活を送るアーミッシュという人たちがいる。
ゲームやスマホ禁止というのは、アーミッシュのように生きろといっているようなものだ。
そういう人はアーミッシュから、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズが生まれると信じているのだろうか。

ゲームに限らず子どもには、好きなことをやらせるのがいちばんだ。
サーフィンでもアニメでも何でもいい。
大事なのは「何かに熱中できる人間になる」ということなのである。
1日8時間ゲームに熱中できる人は、対象が仕事に変わったらやはり同じように熱中して取り組むので、成果が全然違うのだ。
そういう人は英語だって、仕事に必要だとわかった途端に、ものすごい集中力を発揮して勉強する。
だから、1年もあれば外国人と会話ができるようになってしまう。

熱中する訓練ができていれば、学生時代からこつこつTOEICの勉強などしなくてもいいのである。
そう考えると、これから未来をつくっていくのはオタクかもしれない。
そういえばかつての私の上司のビル・ゲイツも、絵に描いたようなオタクだった。
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2017年12月21日

「左利きの矯正」を当然とする社会圧の代償

「左利きの矯正」を当然とする
社会圧の代償
それは「自分らしく生きる」ことの否定だ
2017年12月19日 東洋経済

親野 智可等 : 教育評論家

あなたの利き手は右手ですか?
それとも左手ですか? 
お子さんはどうですか?

割合でいえば、人間の9割が右利きで、左利きは1割だそうです。
ですから、21世紀の今現在でも、社会全体は何かにつけ右利き仕様にできています。
たとえば次のようなことです。

・文字はもともと右手で書くようにできているので、右手のほうが書きやすい
・自動改札機、自動販売機、はさみ、急須など、右利き用にできているものが多い
・宴席などで、箸は右手で持ちやすいように、箸先が左に置かれる

もしお子さんが左利きだったら、どうしますか? 
これはけっこう迷うところだと思います。
私は長年教師として仕事をする中でいろいろな事例を見てきましたが、「わが子が左利きらしい」と気づいたときの、親の反応はだいたい次の3つに分けられます。
あなたはどれに近いでしょうか?

1. 子どものうちなら右利きに直せるはずだ。この子のためにも直してあげよう
2. 右利きに変えないまでも、できたら右手でもできるようにしてあげよう。両手利きは何かと便利だろう
3. 生まれつき左利きなら、それを活かして育てたほうがこの子らしく生きられるだろう

この問題を考えるうえで、以前私が聞いた40代前半のグラフィックデザイナー渡辺さん(仮名)の話が参考になります。

「左手はダメ。右手で書きなさい」
渡辺さんはもともと左利きで、小学1年生までは親からも先生からも右利きに直すように言われたことはありませんでした。
それどころか、幼稚園で絵を描いていたとき、先生に「左手で描けるなんてすごいね」と褒められたこともあったくらいです。
ところが、小学2年生のとき、突然、つらい毎日が始まりました。
新しく担任になった先生が、「左利きはダメ。特に、鉛筆とお箸だけは右手で使えるようにしなければ」という考えの人だったからです。

渡辺さんが授業中に左手で書いていると、すぐに「左手はダメ。右手で書きなさい」としかられました。
慌てて右手に持ちかえて書くのですが、力が入らないのでミミズが這ったような字しか書けません。
給食のときも、左手で箸を持っていると「ダメでしょ。お箸は右手。お椀は左手」としかられました。
でも、箸を右手に持ちかえて食べようとすると、手がわなわな震えてうまく食べられません。
楽しいはずの給食が苦痛な時間になりました。

渡辺さんは、授業でも給食でも先生が見ていないときは左手を使おうとしました。
ところが、「先生、渡辺君が左手を使ってる」と告げ口する子がいて、これもできなくなりました。
休み時間のドッジボールで、左手で投げていると、「左手はダメだよ」と注意してくる子もいました。

3年生になってすぐの始業式で担任発表があり、また同じ先生に受け持たれることになりました。
このときの絶望的な気持ちは忘れられないそうです。
その後、右手の使い方はだんだんうまくなっていきましたが、それでも、もともと右利きの友達のようにはいきませんでした。
「自分は何をやってもダメ」という気がしてきて、勉強はもとより遊びも楽しめない状態が続きました。

親は特に何も言わなかったので、家では何でも左手でやっていました。
また、絵が好きで水彩画教室に通っていたのですが、そこでは左手で絵筆を持って思う存分描いて楽しんでいました。
ストレス発散にもなり、渡辺さんにとってはこれが救いでした。

渡辺さんは、「家や水彩画教室でも『左手はダメ』と言われていたらどうなっていたかわかりません」と言っています。
4年生になって先生が代わったら、左手のことは何も言われなくなりました。
それで、鉛筆も箸も左手で持つようになりました。
このときの解放感もいまだに忘れられないそうです。
でも、しばらくしてあることに気づきました。
それは、「鉛筆と箸は左手でも友達よりうまく使えない」ということです。
これは渡辺さんにとってショックでした。

2年にわたる無理な矯正によって、利き手であるはずの左手もうまく使えなくなってしまったのです。
40代になった今でも、字を書くのは苦手です。
さらに気になるのが、箸の使い方がちょっとぎこちないということです。
食事中に特に困るという程ではないのですが、やはり普通の大人より下手だそうです。

利き手の矯正には、
いろいろな弊害がある
渡辺さんの例にもあるように、利き手を矯正することにはいろいろな弊害があります。

まず1つ目として、利き手を変えようとしても簡単にはいかないので、子どもは自分の能力や努力不足のせいと思い込んでしまいます。
その結果、「自分はダメな子だ」と感じて、自己否定感にとらわれるようになります。

2つ目として、子どもはしかられるのが嫌なので、「親や先生がいるところでは右手。
いないところでは左手」と使い分けるようになります。
それで、「自分はずるをしている。自分はずるい子だ」と感じるようになり、これがまた自己否定感につながります。

3つ目として、しかり続ける親や先生に対する不信感が生まれ、ときに「自分は嫌われているんじゃないか?」と思うようになります。
渡辺さんのように友達に告げ口されたりすると、友達への不信感も出てきます。
子どもの頃に、親、先生、友達への不信感を持ち続けると、他者一般が信じられない人間不信の状態につながる可能性があります。

4つ目として、たとえ右手で多くのことができるようになっても、もともと右利きの人のようにはうまくできない状態になる可能性があります。
下手をすると、渡辺さんのように、利き手すらうまく使えない状態になる可能性もあります。

こういったいろいろな弊害は、過小評価されるべきではありません。
たとえ左利きを右利きに変えることができても、その過程で植え付けられた自己否定感や人間不信をずっと引きずってしまうことになったら、あまりにも弊害が大きいと言わざるをえません。

ところで、以前は、この渡辺さんのように無理に矯正させられることがよくありましたが、最近はそういった無理な矯正は少なくなっています。
その理由としては次のようなことが考えられます。

・無理に利き手を変えることには上記のような弊害があることがわかってきた
・価値観の多様化で、左利きも個性の1つとみなされるようになってきた
・無理な矯正は人権侵害だという認識が広がってきた
・スポーツで左利きの選手が活躍し、左利きのイメージがよくなった
・アインシュタイン、エジソン、ベートーベン、ピカソなど歴史上の偉人にも左利きの人がたくさんいることが知られるようになって、イメージがよくなった
・左利き用の道具が普及し、生活への支障が以前より少なくなった

でも、無理な矯正がまったくなくなったわけではありません。
祖父母や親戚の人に言われて悩む若い親はけっこういます。
そして、「無理な矯正はよくないけど、両手利きにするのはいいのでは?」という考え方もあります。
親がそう考えることもありますし、先生、祖父母、親戚などにすすめられることもあります。

でも、これは一見問題ないように見えますが、実は注意が必要です。
親は「できたら両手利きに」と思っても、子ども自身がその必要性を実感することはまずありませんし、子ども自らが「是が非でも両手利きになりたい」という強いモチベーションを持つことなどありえないからです。

ですから、両手利きにさせようと思ったら、結局、毎日親が「できたら右手でもやってごらん」「ときどき右手でもやってみよう」などと言い続けなければならないのです。
言われる子どもにとっては大きな苦痛です。
たとえ「ときどき」でも、うまく動かない手でやるのは苦痛です。
それに、そもそも、なぜ、左利きの子だけが両手利きにならなければならないのでしょうか? 右利きの子を両手利きにさせようとする親はいないのに……。

そこには、やはり、左利きのままではいけないという価値観があるのです。
それは、もって生まれたありのままの自分らしく生きてはいけないという価値観です。
つまり、人々に一定の基準や枠を押しつけ、そこからはみ出してはいけないという価値観であり、多様性の否定です。

髪の毛は黒の直毛でなければいけない、性は男か女のどちらかでなければいけない、多数派が正しく少数派は間違っている、こういう差別的な価値観と通底するものです。

多様性を大事にすることが必要
これからの時代、人々が幸せに生きられる社会にしていくためには多様性を大事にすることが必要です。
すべての人がありのままの自分らしく生きられる社会、人と違う生き方が肯定される社会、自分の長所を最大限に活かせる社会です。
右利きで生まれたらそれを最大限に活かして生きていく、左利きで生まれたらそれを最大限に活かして生きていく、それが当たり前の社会にしていく必要があるのです。

文字数が尽きましたが最後に1つ。
自動販売機のおカネを入れるところは右側にありますが、真ん中にすることくらいすぐできるはずです。
自動改札機のカード読み取り部や切符を入れるところも、当たり前のように右側にあり、左利きには使いにくいです。こういうところにも多数派の無神経さが表れています。
なんとかならないものでしょうか?
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2017年12月29日

「努力しても成績が伸びない子」の残念な習慣

「努力しても成績が
伸びない子」の残念な習慣
「頑張っても伸びない」に親子とも悲鳴
2017年12月28日 東洋経済ONLINE

石田 勝紀
: 一般社団法人 教育デザインラボ 代表理事

小5の女の子がいる母親です。
中学受験を考えているため、塾に通っています。
うちの子は、勉強が好きなほうではないですが、比較的努力家でコツコツと勉強するほうです。

しかし、コツコツと勉強して頑張っているにもかかわらず、なかなか結果に表れません。
結果に表れるどころか、下がっているようにさえ思います。
そのうち結果が出るから大丈夫だよと言っているのですが、本人も心配しているようです。
私もだんだん心配になりご相談と思い、ご連絡しました。
努力をしても報われないなんて考えたくありませんが、どのように子どもに対応したらよろしいでしょうか。よろしくお願いします。 (仮名:藤森さん)

なぜコツコツ努力をしても
報われないのか
努力をされるお子さんのようですね。
それはとてもすばらしいことです。
通常、勉強は嫌々ながらやるか、言われないとやらないという子が多い中で、コツコツと努力をする子ということは、今後が楽しみですね。
しかし、藤森さんがご心配になっているとおり、実は、コツコツ努力をしても成果が出ないことがあるのです。

筆者はこれを「努力逆転の法則」と呼んでいます。
つまり、努力すればするほど、成果・成功から遠ざかっていくという恐ろしい法則なのです。
なぜ、このようなことが起こるのでしょうか。
通常は、コツコツと努力をすれば成果が出ると思いますよね。
というより、「そう思いたい」というのが正しいように思いますが。
しかし、現実はそうは甘くはないのです。
今回はこのメカニズムについてお話ししましょう。

まずは一般的に考えられる「コツコツ努力をしても報われない」理由を3つ掲げましょう。

1)努力する部分を間違えている
たとえば、勉強でいえば、
テストによく出る問題(Aランク)と
たまに出る問題(Bランク)、
あまり出ない問題(Cランク)と大きく3種類に分けたとして、
テストにあまり出ない問題(Cランク)を勉強しても、点数にはつながりませんよね。
つまり、点数に直結する部分から勉強していかないと、点数にはつながらないということなのです。
コツコツと努力する子の典型として、勉強時間数が多いことに満足して、内容面では、Aランク、Bランク、Cランクの区別がついていないということがよくあります。
もし、これに該当するのであれば、1度、頻出順に整理して、勉強の強弱部分を明確にするといいでしょう。

2)実は大して勉強していない
親から見て机に座って勉強していると感じていても、実際は、60分のうち、半分ぐらいの時間は、ぼーっとしていたり、携帯をいじっていたりすることがあります。
このような場合は、集中できる時間を計測して、その時間内で仕上げるように勉強内容を組み立てていくといいでしょう。
15分しか集中できないのであれば、タイマーをかけて15分で休憩を5分入れるというようにします。
30分は集中できるのなら、30分でタイマーをセットします。
このように終わりの時間を明確にすることで、子どもはその時間内はやろうという気持ちになります。

3)勉強方法を間違えている
勉強方法を間違えていると、いくら努力しても成果につながりませんね。
当たり前のことです。
勉強方法については、1度、先生に確認してみる必要があるでしょう。

以上、典型的な3つの理由についてお話ししました。
もし、この3つのいずれかに該当する可能性があれば、その該当部分を1度チェックするといいでしょう。

しかし、これら3つがクリアされているのに伸びないということがあるのです。
今回はこの点についてお話ししましょう。
このことについては一般に知られていません。

「頑張る」には2つの種類がある
それは「頑張っているうちは、成績は大して上がらない」ということなのです。
つまり「成績を上げたいなら頑張ってはいけない」ということなのです。
頑張ることで報われると思っている人が多いのですが、頑張ってもうまくいくとは限りません。

もし頑張っていて報われるのであれば、頑張っている人は皆、成功していないとおかしいですからね。
実は、この「頑張る」という言葉は非常に怪しい言葉で、「頑張ってはいけない」と言われると、では「怠ければいいのか」と性急に考えてしまうことがあります。
そういうことではなく、「頑張る」には2つの種類あり、通常、イメージされるような「頑張る」ではうまくいかないという意味なのです。

通常イメージされる「頑張る」とは、「苦しみを伴った『頑張る』」です。
一般的に、「頑張る=つらいこと」ととらえることが多いのではないでしょうか。

「受験勉強を頑張る」といった場合、おそらく「つらい孤独な戦いを忍耐で頑張る」という様子をイメージすることでしょう。
もちろん、この方法でも、ある程度は成績は上昇します。
しかし“ある程度”です。
しかも、このタイプの頑張る道のりは、厳しくつらいものであり、できれば避けたい道を我慢して通っているため、ちょっと油断すると、すぐに下がっていきます。

「頑張るとはそういうものであり、その道を避けるなどと、甘いことを言うなんて」という人もいます。
このような精神論が間違っているとは言いませんが、本当にそのようなやり方が効果的なのでしょうか。

というのも、これまで非常にたくさんの子どもたちを見てきた中で、わかったことの中の1つに
次のようなことがあるのです。

それは、上記のような「苦しみを伴った『頑張る』」で勉強が継続的にできるようになった子に出会ったことがない」ということなのです。
“ほどほど”のレベルまで上がればいいと思っているのでしたら、「苦しみを伴った『頑張る』」でも、“そこそこ”上がりますから、それでもいいかもしれませんが、突き抜けた人、上位のゾーンに入る人、安定的に高い状態にある人になりたいのであれば、「苦しみを伴った『頑張る』」では到達しないのです。

楽しみを伴った「頑張る」
では、「苦しみを伴った『頑張る』」ではないのならば、どうすればいいのかということになりますね
それが、もう1つの種類の「頑張る」なのです。
それは「楽しみを伴った『頑張る』」なのです。
換言すれば、「楽しんでいる心理状態にある『頑張る』」ということなのです。

勉強ができる子の頭の中は見えませんね。端から見ていると、「一生懸命勉強している」「努力している」「(苦しみを伴って)頑張っている」ように見えます。
しかし、彼らの内面は外から見ているのとは真逆と言ってもいいぐらい、異なっていることはあまり知られていません。

例)小6の女の子の例
私がかつて指導していた小6の女子のお話をしましょう。
彼女は、全教科抜群にできるのですが、特に国語がよくでき、難問でも解いてしまうのです。
私は、その子に「どうやって国語の文章を読んでいるの?」と聞くと、「この文章に出てくる○○ちゃんは、私の友達の△△ちゃんに似ていて、でも××の部分はちょっと違うんだよね。
△△ちゃんはこんなふうには考えないからね」と答えるのです。

さて、これが何を意味するかおわかりでしょうか。
この子は問題を解くために文章を読んでいるのではなく、自分の知っている現象と文章を重ね合わせて、内容面に入り込んでいるのです。
だから問題が解けるのです。
つまり、その子は「楽しんでいる」のです。

例)歴史ができる高校生の例
ある高校3年生がいました。
彼は、高3から世界史を勉強し、たった1年でマスターして早稲田大学法学部に合格しました。
彼に、なぜ世界史がそんな1年でできるようになったのか聞いたのです。
すると彼は「世界史に出てくる人物を自分の知っている友人たちに置き換えている」というのです。
「先生も出てきますよ」と言われたものです。
家族や知人、友人を総動員していると言っていました。
単なるカタカナで表記され会ったこともない世界史上の人物を、身近な人に置き換えることでリアル感を持って“楽しんだ”ようなのです。

どうすれば楽しめるのかを考える
この2つの例はほんの一例です。
まだまだたくさんあります。
できる子だから楽しめるのではなく、楽しめる子だから結果としてできるようになっていったのです。
おそらく端から見ていれば、この2人の子は一生懸命勉強している、頑張っていると見えますが、内面が外から想像する姿とはまったく異なるのですね。

藤森さんにアドバイスしたいことは、一見つまらなさそうにみえる勉強を、いかにして楽しめるようにするかということが重要だということです。

ただ頑張ればいいというものではありません。
どうすれば楽しめるのかを考えて実行してしまう。
この考え方が、将来にわたって、お子さんにとっての最大の財産にもなることでしょう。
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2018年01月20日

0点だった漢字のテスト、小学男児の柔らか発想に「これは100点あげたい」

0点だった漢字のテスト、
小学男児の柔らか発想に
「これは100点あげたい」
2018年01月19日  おたくま経済新聞

 小学校の漢字のテストで解答用紙に書き込まれた漢字が「なるほど確かに間違っていないかも!」と見た人をうならせています。

 「【天才降臨】幼馴染の次男君、0点だった国語の解答が天才だった。
先生様、これは100点だと思う。」という言葉とともにそのテストの回答をツイッターに投稿したjinさん。

 その漢字テストの問題文には「つぎの 日づけの ひらがなを かん字に なおしましょう」。
その隣には12問のひらがなで書かれた日付が並んでいます。
 下に正答を書くようになっていて次男くんが書いた答えは、12問中11問が「設問に書かれている日付の翌日を漢字で書いたもの」。

例えば問題が「さんがつみっか」なら「三月四日」と。

 小学校低学年でこの柔軟な発想。
この発想はなかった、というか、なるほどと妙に納得。
そして日本語、難しい……。
次の漢字テスト.jpg
 ちなみにこの0点のテストにショックを受け肩を落とす次男くんに「俺が〇にしてやるよー!」と長男くんが再採点してくれたというホッコリなエピソードのおまけつき。
次男君の法則でも実は1問「しちがつ」を「四月」と記載するうっかりミスがあったのですが、それでも長男くんのナイスフォローで次男くんも元気になったかな?

 このツイートにリプライで色々と意見が出ていますが、設問がもうちょっと分かりやすければ良かったかもという意見や日本語はややこしいという意見も。

「つぎ」が何を指すかが子供にとって明確ではなかったと考えるとこんな発想に繋がるのも頷けます。
 ちなみに、この設問文をそのままGoogle翻訳に入力すると、この次男くんの解釈と同様の結果を出すという……。
やはり日本語、難しい……。

<記事化協力> jin(@jinn_n)さん
※本稿は投稿者様および、幼馴染の方両方の許可を得て執筆しております。
      (梓川みいな)
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2018年01月25日

子どもの前での「夫婦ゲンカ」が及ぼす“3大悪影響”&回避のためにできること

子どもの前での
「夫婦ゲンカ」が及ぼす
“3大悪影響”
&回避のためにできること
2018年1月24日 ウレぴあ総研

子どもが生まれるまでは公平だった家事分担のバランスが崩れたり、産後にホルモンの影響で不安定になる妻を夫が支えきれなかったりと、さまざまな要因は考えられますが、日常はまったなし。
できることなら、家族で過ごせる幸せを感じ、毎日笑って過ごしたいのに、芽生えてしまう夫への憎悪。

『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』(ジャンシー・ダン著/太田出版)
昨年、こんな本が出版されました。
タイトルにぎょっとしつつも、激しく共感する女性は多いのではないでしょうか。
子どもが生まれて夫婦仲が悪くなることは日本に限らないようです。
この本の著者はアメリカ人ですが、本のなかに出てくるエピソードは私たちにも身に覚えがあることばかりです。

・おしっこのオムツ替えはできても、うんちになると妻にバトンタッチをする夫。
・スマホを片手に子どもの相手をする夫。
・頼んだことをすぐ忘れる夫。

女性が、自分さえガマンすれば、という解決法はいちばん避けたいものです。
本書では、6歳の娘を持つ夫婦が、争いの日々にピリオドを打つべく、ありとあらゆる手段を使って奔走する姿が描かれています。

子どもの前で夫婦ゲンカを
することが厳禁な理由
夫への不満がつのると、自然と、夫婦のあいだで交わされる会話はとげとげしくなることも増えます。
子どもの前でケンカしてしまうことも、時にはあるでしょう。
日本の狭い住宅事情では、子どものいないところでケンカをするには限界もありますよね。
ですが、子どもの前で夫婦ゲンカをすることは、私たちが考える以上に子どもに悪い影響があることをご存じでしょうか。

本書によると、6か月の赤ちゃんでさえ、怒っている声や激しいやり取りに対してネガティブな反応を示すとあります。
さらに、不幸な結婚生活を送る夫婦のもとで育てられた赤ちゃんは、発達過程で多くの問題を抱えることが明らかになっているというのです。

具体的にどんな弊害が考えられるのでしょうか。

1.子どもの混乱を招く
夫婦ゲンカをすると、つい陰で愚痴りたくなってしまいますよね。
そんな時、子どもに向かって
「お父さんみたいになっちゃダメよ」は厳禁です。
子どもにとっては、父親も母親も大好きな存在で、二人があって初めて自分が存在するのに、その半分を、もう半分である母親が否定することは、自分の半分を否定されているに等しいことですからね。
愚痴るなら、子どものいないところでにしましょう。

また、夫婦ゲンカの声を聞きながら眠りについた子どもは、両親の顔色をうかがいながら翌朝を迎えます。
なのに両親がまるで昨夜のことなどなかったかのようにふるまったら、子どもは混乱を覚えるでしょう。
お互いを罵り合うようなケンカをしてしまったら、すぐには難しくても、仲直りまでちゃんと見せることが大事です。

2.自己肯定感の低下
夫婦ゲンカを自分のせいだと思う子どもは多いのです。
子どもは、自分が悪い子だから両親がケンカをするのだ、と思い、無力感に襲われるのだそうです。
実際に、筆者も14歳の息子に言われたことがあります。
筆者とパートナーがケンカをして、室内に険悪なムードが流れた際、彼はこう言ったのです。

「あ〜、そういう空気作り出されると、何もやりたくなくなるんだけど、やめてくれない?」
息子がもう14歳で自分の気持ちを言語化できたため、私たちも自分たちのしたことを反省できたのですが、これが赤ちゃんや未就学児だったら、どうでしょう。
両親のケンカを止めることができない自分は無力で無能だ、という思いは、その後の成長過程でマイナスに作用することは目に見えています。
ただでさえ、日本の若者の自己肯定感は低いと言われています。
その背景には、両親の仲も関係するのではないでしょうか。

3.人間関係への影響
日常的に夫婦ゲンカのある家庭では、子どもが結婚に対する悪いイメージを抱きかねません。
親は子の鏡なのですから、気をつけたいもの。

結婚が、「違う人間同士が愛情を持っていたわりあい築き上げていくもの」ではなく、「いがみあい、攻撃しあっている人間同士が同居するもの」というイメージになってしまえば、家庭はくつろげる場所から程遠くなります。

両親のパートナーシップは、子どもの将来の異性関係にダイレクトに影響を及ぼします。
そう考えると、ぞっとしませんか?
子どもに幸せになってほしいのなら、子どもの前での夫婦ゲンカは今すぐにひかえるべきです。

ではどうしたら…?
とは言え、つのる不満をどうしたらいいのでしょうか。
子どものために仲良し夫婦を演じろと言っているわけではありません。
まず、最初にしておきたいことは、夫と危機意識と子どもへの影響の知識を共有することです。

なかには子どもにありのままの夫婦の姿をみせることがよいことだと思っている夫もいますから、ここは、重要なステップです。
徹底的に公平なケンカであれば、両親のケンカをみても子どもは、「人間はお互いに怒りをぶつけあっても、愛情を持ち続けられる」ということを学べると本書にはあります。

ですが、いざ夫婦ゲンカになると、いかに自分は正しくて相手は間違っているか、というこだわりを捨てることができなくなる人が、男性でも女性でも多いもの。
また、感情が高ぶると、相手を罵倒する言葉を使ってしまう場合もありますよね。
こうなると、公平なケンカというのがいかに難しいかと思い知らされます。

お互いを責め合うケンカではなく話し合いをしようね、ということを、お互いの共通意識として持てたら、ずいぶんケンカの様子も違ってくるはずです。

相手ではなく、自分を主語にする
テクニックとしては、アイメッセージで話すことも有効です。
アイメッセージのアイとは自分を意味する”I”です。
相手の言動を指摘するのではなく、「私は〜思う」、「私は〜感じる」といった、私を主語にして気持ちを伝える話し方です。
ただし、この時に、相手がどう反応するかは期待せず、アイメッセージで自分の気持ちを表現できたことだけでよしとしましょう。
はじめのうちは、反論されたり、逆に「俺だって〜」という反応が返ってくるかもしれませんが、少しずつケンカ口調から話し合いに変わっていくでしょう。

反対に、「あなたはいつも〜してくれない」「あなたは絶対〜なんだから」といった表現は、逆効果満点です。
相手を怒らせることが目的ではないのですから、ここは気をつけたいところです。

* 産後の夫に対するイライラ、すごーくよくわかりますが、子どもの将来に悪影響があるとわかれば、ブレーキになるのではないでしょうか。

今回ご紹介した本の著者は、精神科医から、夫婦の専門家から、セラピストから、仲のよい夫婦から、とにかく、考えつく限りの手段を使って、夫婦仲の修復に取り組んでいます。
あきらめないその姿勢には、勇気をもらえます。
もしかして夫側には、どれだけケンカしても大丈夫、という甘えがあるのかもしれません。
妻が本気でどうにかしたいと考えていることを、まず知ってもらうことも重要ですね。
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2018年01月26日

ぐんぐん伸びる子は何が違うのか?

「自分はバカだ」と言う子に
親ができること
子どもの自己肯定感を上げる「10の言葉」
2018年01月25日 東洋経済

石田 勝紀 :
一般社団法人 教育デザインラボ 代表理事

小学5年の男児の母親です。
共働きのため、小学校入学前に十分読み書きの勉強などさせてあげられませんでした。
最初から、勉強が遅れぎみで現在まで来ています。
そのため、子どもは自分で「バカだから」と言います。
親からみると、バカなのではなくやる気がでないのだと思っています。
自分から、勉強に取り組む気持ちになるには、どうしたらいいのでしょうか。
今は、自信を持たせるためになるべくプラスの声かけができるようにと考えています。
  (仮名:大西さん)

「自己肯定感が低い」日本の子どもたち
ご相談内容を拝読しましたが、まず小学校入学前の状態が今の結果を招いているということは、おそらくありません。
小学校に入ってから読み書きを学んでいって、その後しっかりと勉強ができるようになっている子は無数にいます。
それよりも、「子どもは自分でバカだからと言う」ということに問題の核心部分がある気がします。

お子さんは、簡単に言ってしまうと「自己肯定感が低い」状態にあります。
自己肯定感とは、自分のことを否定的にとらえずに、大切な存在であると考えている状態のことです。
お子さんは今、勉強に関しては自己否定の状態になっています。

世界的な統計データでも日本の子どもの自己肯定感の低さはよく知られていますが、筆者も、日本の子どもたちに対して、この「自己肯定感が低い」ということを常々実感しています。
全国で、中学生や高校生に講演をする機会が多く、その度に感じるのです。

自分に対して自信を持っておらず、自信を持つ勇気もなく、ただ漫然と過ごす子が多くいるのです。
なぜこのようになってしまっているのか考え続け、そしてわかったことが、「過去の勉強で自己肯定感が潰されている」ということでした。

特に中高生に多いのですが、中学では定期テストがあり、それによって点数化され、成績によって無意識に序列化が行われます。
さらに高校受験の段階で、偏差値が登場し、さらに学校の序列化が始まります(筆者は決して偏差値という言葉に対して完全否定の感情は持っていませんが、あくまでも序列化する第一歩であるという事実を言っています)。

すると、この「学力」の序列が、「自分という人間の価値」の序列と同じであるという“錯覚”に陥るようなのです。
実は、このような錯覚は、私たち大人もかつて経験していることですから、よくわかるのではないでしょうか。

学力は大切な指標ではありますが、社会に出れば、学力とは別の尺度、たとえば人を大切にする、思いやりがあるなどといったことによって、幸せに自分の人生を歩んでいる人、自分のやりたいことで成功する人はたくさんいます。

これらのことを考えると、ある重大なことに気づくのです。
それは、次のようなことです。
「親は、子どもの学力を引き上げることに焦点を当てるのではなく、子どもの『自己肯定感』を高めるということに焦点を当てる」 すると、結果として学ぶ力が高まり、学校の成績といった学力につながっていくのです。

子どもの自己肯定感を上げる言葉
大西さんは、子どもに「自信を持たせるためになるべくプラスの声かけ」を心掛けられているようですが、ネガティブな言葉よりは、とてもいいことだと思います。
ですが、これまでの筆者の経験では、「プラスの言葉かけ」が子どもにとって、ストレスや過度のプレッシャーになったり、時には嫌味になってしまったりすることが少なくありません。

大西さんはプレッシャーになるような言葉かけはされてはいないと思いますが、現状、プラスの言葉かけをしているにもかかわらず、特に子どもが変わることがないということであれば、筆者がこれまで使ってきた【子どもの自己肯定感を引き上げる10のマジックワード】を使ってみてください。

【自己肯定感を上げる10のマジックワード】
1.「なるほど〜」
2.「すごいね〜」
3.「大丈夫!」
4.「さすがだね〜」
5.「知らなかった!」
6.「いいね〜」
7.「助かった!」
8.「ありがとう!」
9.「うれしい!」
10.「〇〇(子どもの名前)らしくないね〜」

これとは対照的に、子どもの自己肯定感を引き下げる3つの「呪いの言葉」というものもあります。
これを使うと、子どもは「自主的でなくなり」「自己肯定感は下がり」「依存的」になる言葉です。
ただ、「このような言葉を言わないようにしてください」と言われると、今度は親がそれを意識しすぎてストレスになるため、今回はひとまず触れません。

この10のマジックワードは、次のような要素を持っています。

◆あなたのお陰・感謝
◆予想以上に驚いた
◆軽い感じの承認
◆「もともとあなたはすごい」ということを知っていることを感じさせる

このような要素の言葉をかけられて、うれしくないはずはありませんし、子どもの自己肯定感が上がらないはずはありません。

一方で、このような言葉を発する親の立場はどのようになっていると思いますか?
 上から目線の言葉にはなっていませんよね。
親子といえども、上から目線の言葉は、プラスの言葉であっても、マイナスの言葉であっても、子どもは素直には受け取らないという傾向があります。

親子が同等の立場とは言いませんが、少なくとも上から目線にはなっていないということは重要なことだと考えています。

短い言葉のほうが、心に残っていく
それともう1つ、ここに掲げた10の言葉は、いずれも単純明快な言葉です。
意味がわからないという人はいないことでしょう。
そして、いずれも、短い言葉となっています。
この短いということが重要なのです。

通常、親はあれこれ“しつこく、くどく”言ってしまいがちです。
話が長いときは、相手はほとんどその内容を聞いていません。
ですから頭に残らないことが多いのです。
何が残るかといえば、「もう聞きたくない」という気持ちです。

ですから、言葉というものは、「短い」ほうがいい場合があります。
短い言葉であれば、相手は、その言葉以外の部分を「想像」します。
すると、その想像部分も含めて言葉が心に残っていくのです。

たとえば、次のようなケースを考えてみるとわかるでしょう。

例1)「あなたは頑張ればできるんだから……(さらに頑張っていない原因や、どうすればいいか対策まで話す)」(×)

例2)「あなたはバカじゃないよ……(バカではない理由を話す。さらに親は熱心に子どもを信じているということを滔々と語る)」(×)

例3)「〇〇(子どもの名前)らしくないね〜」(○)

例1や例2は、頻繁に使われている典型的「励まし」パターンです。
しかし、話が長すぎて、子どもは実際にはほとんど聞いていません。
親は熱心なのかもしれませんが、主役である子ども自身が、主体的にならなければ何も変わりませんね。
このように、短い言葉である10のマジックワードをぜひ、使ってみてください。
お子さんの変化に驚かれることでしょう。
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2018年02月04日

寓話・北風と太陽には「北風勝利」編もある

寓話・北風と太陽には
「北風勝利」編もある
2018年01月29日 東洋経済

戸田 智弘 : キャリアカウンセラー

寓話という言葉を『第六版 新明解国語辞典』(三省堂)で引くと、「登場させた動物の対話・行動などに例を借り、深刻な内容を持つ処世訓を印象深く大衆に訴える目的の話」と書かれている。
イソップ寓話や仏教寓話、荘子の寓話などが代表的なものである。

寓話の目的は教訓や真理を伝えることであり、お話そのものはそれらを届けてくれる“運搬手段”である。
別の言い方をすると、寓話においては教訓や真理こそがその核であり、お話はそれらを包みこむ“外皮”である。
なぜそのような二重構造をとるのか。

教訓は苦く、真理は激しいので、そのままでは食べられない。
ならば、楽しいお話で教訓や真理を包んで読者に届けようというわけだ。

本稿では、拙著『ものの見方が変わる 座右の寓話』から抜粋し、寓話を「学校の授業」や「会社の朝礼」で使える話材として紹介する。
長い寓話は2分程度で話せるような内容に要約してある。
本稿が寓話の面白さを知るとともに、自分の仕事や人生、地域・国・世界の進むべき道について考える一つの手がかりになれば、幸いに思う。

北風と太陽
北風と太陽が彼らの力について言い争っていた。
議論ばかりしていても仕方がないので、勝負をしようという話になった。
最初の勝負は、旅人の帽子をとることだ。
はじめに、太陽が旅人を照りつけると、旅人は日差しを避けようと帽子を深くかぶり、けっして脱ごうとはしなかった。
今度は、北風が思いっきり強く、ビューと吹いた。
すると、旅人の帽子は簡単に吹き飛んでしまった。

次の勝負は、旅人の上着を脱がすことだ。
はじめに、北風がありったけの力で、ビューッと吹きつけた。
しかし、旅人はふるえあがって、着ものをしっかり両手で押さえるばかりだった。
今度は、太陽が旅人を照らした。
すると、旅人は上着を脱いで、気持ち良さそうにのびをした。

解説:状況に適した手段を選ぶ
この話の教訓は、何事においてもそのつど適切な手段を選ぶことが肝要であるということだ。
旅人の帽子をとるには北風が適していた、上着を脱がせるには太陽が適していたということだ。要するに臨機応変の大切さを説いている。

一般的に、年をとればとるほど素直さは消えていく。
逆に、頑固さは増すばかりである。
「人の意見は40まで」(40歳をすぎた人に意見をしても効き目がないこと)ということわざがあるくらいだ。
臨機応変であるためには頑固であってはならない。
社会で成功している人や組織ほど、自信を持っているという意味で頑固である。
しかし、過去にうまくいったからといって、これからもずっとうまくいくとは限らない。
成功は人を頑固にする。
成功の記憶はときに耳栓になる。
まわりの環境が変わってしまっているのに、過去の勝ちパターンにしがみつくことはよくあることだ
時が変われば、選ぶべき手段が違って当然である。
熟慮のうえ、適切な手段を選ばなければならない。

水槽の中のカマス
水槽の真ん中に透明なガラスの仕切りをつくり、一方に数匹のカマスを入れ、もう一方にカマスの餌になる小魚を入れた。
カマスは餌を食べようとして突進するものの、ガラスの仕切りにぶつかってはね返される。
何度も何度も繰り返すうちに、とうとう諦めてしまった。
その後、透明なガラスの仕切りを取り除いても、カマスはけっして小魚のいる方へは行こうとしなかった。

しばらくしてから、新入りのカマスを水槽に入れた。
すると、何も知らない新入りは、一直線に餌に向かって突進した。
それを見ていた古株のカマスたちは「あの餌は食べられるんだ」ということに気づき、先を争って餌に向かって突進した。

解説:
組織の殻を破るのは、異質な人材
カマスは再三にわたり餌の小魚に向かって突進した。
しかし、透明なガラスの仕切りに何度も阻まれるうちにだんだんやる気をなくし、ついには、餌を追わなくなってしまった。
「学習性無力感」(米国の心理学者マーティン・セリグマンが発表した理論)と呼ばれる状態に陥ったのである。
これは、努力を重ねても望む結果が得られない経験や状況が続くと、「何をしても無意味」だと思うに至り、努力を放棄してしまう現象である。
こういう無気力状態に陥っている組織は少なくない。無気力は個人の中で学習されて、蓄積されていく。
それだけでなく、失敗したことがない人間にまで疑似体験として伝染していき、組織全体に広がる。
無気力感が蔓延している組織に活を入れるには、その組織に異質な人材を入れることだ。
転職者や新入社員が異質な人材の典型である。
彼ら彼女らは、無知ゆえの強さ、経験がないがゆえの強さ、非常識ゆえの強さを持っている。

半分の煎餅
お腹をすかせたある男が、お菓子屋さんで七枚の煎餅を買った。
さっそく男は家に戻って、煎餅を食べはじめた。
1枚食べ終わったが、お腹はふくれない。
2枚目を食べるが、まだお腹がふくれない。
3枚目、4枚目、5枚目、6枚目と男は次々と煎餅を食べた。
それでも、空腹がおさまらない。
残った煎餅は1枚だ。
あと1枚しかないので、残った煎餅を2つに割って食べることにした。
すると、今度はお腹が一杯になった。
その男は残った半分の煎餅を手に持ちながら、悔しそうに言った。
「俺はなんて馬鹿なんだ。半分の煎餅でお腹が一杯になるんだったら、前の6枚は食べなくてもよかった」

解説:
わずかな変化を
ばかにしてはいけない
馬鹿みたいな話である。
六枚の煎餅を食べたことを忘れ、半分の煎餅だけで腹がふくれたと勘違いした男は、「日々の積み重ねが大きな成果を生む」ことを分かっていない。

「〈1.01〉と〈0.99〉の法則」を紹介しよう。
1.01は1よりわずかに大きい。0.99は1よりもわずかに小さい。
両者の差はたった0.02。
しかしながら、このわずかな差が積み重なると、大きな違いが生まれてくる。
実際にこの2つを365回かけるとどうなるか。1.01の365乗は37.78 、0.99の365乗は0.026になる。こんなにも大きな差が生まれることに誰もが驚くだろう。
言うまでもなく365という数字は一年間を意味する。
日々1%だけ余分に努力を続けた人と、日々1%だけ手を抜いた人とでは、一年間でここまで差がつくのだ。
人生は小さな選択の積み重ねである。
その選択が、一年後のあなたの人生を決める。
あなたは、1.01を選ぶ?
それとも0.99を選ぶ?

目をなくしたカバ
1頭のカバが川を渡っているときに自分の片方の目をなくした。
カバは必死になって目を探した。
前を見たり、後ろを見たり、右側を見たり、左側を見たり、体の下を見たりしたが、目は見つからない。
川岸にいる鳥や動物たちは「少し休んだほうがいい」と助言した。
しかし、永遠に目を失ってしまうのではないかと恐れたカバは、休むことなく、一心不乱に目を探し続けた。
それでも、やはり目は見つからず、とうとうカバは疲れはてて、その場に座りこんでしまった。

カバが動きまわるのをやめると、川は静寂をとり戻した。
すると、カバがかき回して濁らせていた水は、泥が沈み、底まで透きとおって見えるようになった。
こうして、カバはなくしてしまった自分の目を見つけることができた。

解説:
「止まる」ことは「正しい」こと
コップの中の泥水をしばらく放置しておくと、やがては泥が沈み、水と泥に分かれる。
この現象はしばしば座禅にたとえられる。
座禅の禅とは何か?
 もともとはインドの「ジャーナ」という古い言葉からきているという。
「ジャーナ」とは心を静かに保つということだ。
茶色の泥水の状態は忙しさの中でもがいている日常である。
心を静かに保つことで、心の中の舞い上がった泥を沈めてみよう。
座禅を組むところまではいかなくても、私たちは毎日の生活の中に「心を静かに保つ時間」、つまり「ぼんやりする時間」をいくつも見つけることができる。
朝の駅のホームで電車を待つ時間、食堂で定食が運ばれてくるのを待つ時間、交差点で赤信号が青信号に変わるのを待つ時間、エレベーターで目的の階に向かう時間――。

つい先頃まではそういうひとときは「ぼんやりできる時間」だった。
ところが、今や私たちはスマートフォンをいじって、そういう時間をつぶしている。
何も考えずにぼんやりしているときにこそ、ひらめきが降りてくるという話はよく聞く。
机に座って髪の毛をかきむしっているとき、パソコンに向かって身もだえするとき、ひらめきは降りてきてくれない。
ひらめきという訪問者は、忙しい人を嫌い、ぼんやりしている人を好む。

禅語の中に「七走一坐」と「一日一止」という言葉がある(『心配事の9割は起こらない』枡野俊明著/三笠書房)。
「七走一坐」とは、七回走ったら一度は坐れという意味だ。
ずっと走り続けていないと仲間から後れをとってしまう──ついつい私たちはそんなふうに考えてしまう。
しかし、長い目で見れば、ずっと走り続けることは良いことではない。
しばらく走ったら休息をとり、自分の走りを見直すのが賢明である。

「一日一止」とは、一日に一回は立ち止まりなさいという意味だ。
ずっと歩き続けるのではなく、一日に一回くらいは自分の歩き方を見つめ直す。
そうすることで、正しい歩みをつくっていくことができる。
「一止」という字を見てみよう。「止」の上に「一」を乗っけてみると「正」という字になる。一日に一回、止まって自分を省みることは正しいのだ。

2人の商人
昔、江州の商人と他国の商人が、2人で一緒に碓氷の峠道を登っていた。
焼けつくような暑さの中、重い商品を山ほど背負って険しい坂を登っていくのは、本当に苦しいことだった。
途中、木陰に荷物を下ろして休んでいると、他国の商人が汗を拭きながら嘆いた。
「本当にこの山がもう少し低いといいんですがね。
世渡りの稼業に楽なことはございません。
だけど、こうも険しい坂を登るんでは、いっそ行商をやめて、帰ってしまいたくなりますよ」 これを聞いた江州の商人はにっこりと笑って、こう言った。

「同じ坂を、同じぐらいの荷物を背負って登るんです。
あなたがつらいのも、私がつらいのも同じことです。
このとおり、息もはずめば、汗も流れます。
だけど、私はこの碓氷の山が、もっともっと、いや十倍も高くなってくれれば有難いと思います。
そうすれば、たいていの商人はみな、中途で帰るでしょう。
そのときこそ私は1人で山の彼方へ行って、思うさま商売をしてみたいと思います。
碓氷の山がまだまだ高くないのが、私には残念ですよ」

解説:
「めんどくさい」が仕事のやりがい
どんな仕事にも、その仕事特有の苦労がある。
2人の商人の苦労は、普通の人ならば体一つで登るだけでも大変な山道を、重い荷物を担いで運ぶことである。
誰でもできる仕事ではあるまい。
筋力や体力はもちろんのこと、忍耐力も必要だろう。
仕事特有の苦労は、ある種の参入障壁になる。
つまり、その仕事に新たに就きたいと思う人を思いとどまらせるのだ。
世の中には、「手間ひまがかかってめんどくさいわりにはおカネが儲からない」という仕事は多い。
確かに、それはその仕事のデメリットである。
しかし、それは同時に参入障壁にもなっている。

先日、「〈プロフェッショナル 仕事の流儀スペシャル〉宮崎駿の仕事〈風立ちぬ 1000日の記録〉」という番組の再放送を見た。
この中で、宮崎が何度も発する言葉に私は衝撃を受けた。
それは「めんどくさい」という言葉だ。
「え、宮崎駿でも、めんどくさいって思うんだ」。
私は驚いた。
私は、宮崎駿レベルのクリエーターであれば、めんどくさいとは無縁だと思っていた。
しかし、違っていた。
「めんどくさいっていう自分の気持ちとの戦いなんだよ」
「大事なものは、たいていめんどくさい」
「めんどくさくないとこで生きてると、めんどくさいのはうらやましいなと思うんです」。

めんどくさいの連発である。
私は思った。
みんな多かれ少なかれ「めんどくさい」という気持ちと戦いながら仕事をしている。
めんどくさいが仕事のやりがいを生んでいる」と考えてはどうだろうか。

3人のレンガ職人
旅人が、建築現場で作業をしている人に「何をしているのか」と質問した。
1人目の作業員は「レンガを積んでいる」と答えた。
2人目の作業員は「壁を造っている」と答えた。
3人目の作業員は「大聖堂を造っている。神を讃えるためにね」と答えた。

解説:
目の前の仕事の目的を考えてみる
3人とも「レンガを積む」という同じ仕事をしているのに、「何をしているのか」という質問に対する答えが異なっている。
1人目の職人は「レンガを積んでいる」という行為そのものを答えただけである。
2人目の職人は「壁を造っている」というレンガを積むことの目的を答えた。
3人目の職人はまず「大聖堂を造っている」という壁を造る目的を答え、同時に「神を讃えるためにね」という大聖堂を造ることの目的を付け加えている。

人間の行為は必ず「何かのために、何かをする」という構造を持っている。
1つの行為の目的にはさらにその目的が存在する。
「目的と手段の連鎖」と呼んでもいいだろう。

寓話を例にとれば、レンガを積む→壁を造る→大聖堂を造る→神を讃えるという構造になっている。
上位の目的が下位の目的を決めてコントロールしているのだ。
私はこの寓話から2つの教訓を読みとろうと思う。

第一にできるだけ広く「目的と手段の連鎖」をイメージして仕事をするのが有益であるということ。
1人目の職人より2人目の職人、2人目の職人よりも3人目の職人の方が有意義な仕事ができることは容易に想像できる。
ドストエフスキーは、人間にとって最も恐ろしい罰とは、「何から何まで徹底的に無益で無意味な労働」を一生科すことだと言っている。
朝からレンガを積み上げ、夕方に一日かけて積み上げたレンガを壊すという仕事を想像してみよう。
これは、まったく意味のない仕事である。
実際の仕事の場面ではこれほど無意味な仕事が与えられることはまずないだろう。
しかしながら、その仕事が持っている意味を十分にわかっていないまま仕事をしていたり、非常に狭い範囲の「手段と目的の連鎖」しか知らされずに仕事をしていることは多いのではないか。それは、囚人に与えられる拷問と五十歩百歩かもしれない。

第二の教訓は自分の仕事は私の幸福や私たちの幸福とどうつながるのかを考えるということだ。
先に述べた「手段と目的の連鎖」はどこまでも無限に続くのかというとそうではない。
哲学者のアリストテレスによれば、「……のために」という目的の連鎖は「なぜなら幸福になりたいから」という目的にすべて帰結する。
たとえば、朝に洗面所で身だしなみを整えている大学生を考えてみよう。
「何のために顔を洗ったり、髪をとかしたりするのか」
「学校に行くためだ」
「何のために学校へ行くのか」
「良い仕事に就くためだ」
「何のために良い仕事に就きたいのだ」という問いかけの連鎖は「良い人生を送りたいためだ」となり、それは「幸福でありたいためだ」と同じことを意味する。

同様に、会社員が現在している仕事に着目し、その目的を掘り下げていけば「良い人生を送りたいためだ」となる。
そして、それは「幸福でありたいためだ」というところに行き着く。
自分がしている仕事は、私の幸福や私たちの幸福とどうつながっているのだろうか?
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2018年02月19日

小学生にアルマーニ 自己確立なら、いっそ制服廃止を

松尾貴史のちょっと違和感
小学生にアルマーニ 
自己確立なら、いっそ制服廃止を
2018年2月18日 毎日新聞
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 東京の新宿区立江戸川小学校で、図工の授業で忘れ物について児童たちへの詰問が授業時間が終わっても続き、給食を食べさせなかったことが問題になった。
罰としてそうしたのか、ただ教諭の時間配分が拙かったのかはわからないけれど、問題はそれだけではない。
何と、教師はその事実を親に報告しないようくぎを刺していたのだという。

 「親に言うな」という指示が、どれだけ子供たちの大人に対する信頼を傷つけただろう。
親や学校は何かがあればすぐに相談する対象として指導するのが当たり前ではないか。
口止めをするということ自体がやましさの証左だが、子供たちは家に帰ってもその恐怖で親に言えなかった。
 一部の児童が帰宅後、「おなかが空いたから何かを食べていいか」と聞いてきたことから親が不審に思い、事実が発覚したのだという。
「先生から言うなと言われていたので、自分が言ったことは先生に言わないで」と懇願したという。
 何度か保護者と学校の話し合いが持たれたようだが、図工の担当教諭は「生徒たちが忘れ物をした理由を言わなかったせいだ」と述べている。
「忘れ物」は忘れた物であって、理由があるとすれば「忘れたから」以外にない。
いったい何が知りたかったのか。
 そんな無意味な詰問をするために、給食を食べさせてもらえないなどということがあっていいはずがない。
たまたま「おなかが空いた」と正直に訴える子供がいたから発覚したが、これが氷山の一角でないことを願う。

 同じく東京の中央区立泰明小学校(和田利次校長)は、8万円も9万円もかかる児童の制服の導入を発表した。
越境通学などの特別扱いが許されている学校とはいえ、相当な違和感を覚える。

「銀座らしさ」を重視しているのだという。
 銀座はそもそもそういう街なのか。
地価が高騰し、高級ブランドの店が多く集まっているということが、子供たちにとってどれほどの価値があることなのか。
なぜイタリアの高級ブランドなのか。

イタリアでもフランスでもよかったのだろう、複数のブランドに呼びかけ、それに応えてくれたのがたまたまアルマーニだったのだともいう。
デザインのコンセプトやブランドの成り立ちに銀座と泰明小学校に通じるものがあるというわけでなく、応じてくれたのがそこだけだったのだという。

 今回のへんてこな発想の理由について、校長のコメントに「服育」「ビジュアルアイデンティティー」という不可思議な文言が使われている。
体育、徳育、知育、食育という言葉は聞いたことがあるが、私が疎いのか、服育などという言葉は見たことも聞いたこともなかった。
誰が発明したのかは知らないが、服育、アイデンティティーと言うなら、それこそ自己の確立のために制服など廃止すればいいのではないか。

 そろえるのに8万円だかがかかるというが、汚れて洗濯する間合いを保つためには「一式」だけでは済まないだろうし、成長期、毎年ぐんぐん大きくなる体格に合わせるため、さらなる出費が待っている。
通っているほとんどの子の家庭は払えるだろうという読みだそうだが、ピントがずれすぎている。
家計的に難しい家の子供に対するいじめやレッテル貼りの原因を作ることにもなるのは想像に難くない。
一体何がしたいのか。

 この校長は、オカルトといってもいい「水からの伝言」や捏造(ねつぞう)された作法「江戸しぐさ」などの信奉者でもあると指摘されている。

自身が何を信奉しようと自由だが、併設する区立泰明幼稚園(園長を兼任)の保護者便りなどで推奨する文章を発表しているのは、いささか深刻に感じる。(放送タレント)
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2018年02月27日

学校にはなぜ制服があるのか…

余録
学校にはなぜ制服があるのか…
毎日新聞 2018年2月26日 

 学校にはなぜ制服があるのか。
私服で通えるようにすると、毎日服を替えられる子を見て、同じ服しか着られない子がつらくなるから。
はるか昔の子供のころ、親や先生とそんなやりとりをした人もいるのではないか

その制服は体が大きくなって袖からシャツがのぞいてもなかなか買い替えてもらえない。
同性のきょうだいやいとこがいれば、お下がりはかつて当たり前だった。
だから東京・銀座の区立泰明(たいめい)小が学校や街への誇りを培うため、アルマーニの標準服を採用するという話には驚くばかりだ

▲昔は制服どころか、家庭の事情で学校に行けない人も多かった。
東京の神田一橋(かんだひとつばし)中学通信教育課程にはそんな高齢の生徒が通う。
彼らの記録映画「まなぶ」を見ると、制服を着たくても着られなかった思いを知らされる

▲昭和7年生まれの男性は小学校を出て就職し、中学には行けなかった。
社会に出てから衣料品店に学生服と学帽を注文し、写真を撮ってアルバムに貼った。
「あこがれだったから」と言う

▲昭和9年生まれの女性は女学校に合格したが、父親が戦死して家が貧しくなり、子守の奉公に出た。
道端でセーラー服姿の同級生たちを見かけ、とっさに電柱の陰に隠れた悔しさを忘れられない。「あの時の自分がいたから強い人間になれた」

▲もちろん時代は違う。
だが制服は子供たちの心と分かちがたい。
泰明小の件では児童へのいやがらせまで起きてしまった。
アルマーニの賛否はともかく、考え込む。
制服は誰のためのものか。
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2018年03月04日

国民に刷り込まれる「単純な言葉」の数々

五輪実況と「戦時中の標語」には共通点がある
国民に刷り込まれる
   「単純な言葉」の数々
2018年03月02日 東洋経済

中島 義道 : 哲学者

冬季オリンピックも終わりました。
私は、全然熱心な観戦者ではないのですが、いろいろ考えさせられることもあります。
第一に、なぜ人はこれほど「戦いたい」のか、ということ、
そして第二に、なぜこれほど「勝ちたい」のかということです。

よく考えてみれば、生活の基本にほとんど必要のないこと(メダル)を目指して、それこそ命を懸けるのか、ということ。
これは、芸術にしても学問にしても同じかもしれませんが。

4回転ジャンプに
失敗しても死にはしない
本当の戦争なら、わからないこともない。
それこそ勝ち負けは生死を決することだからですが、4回転ジャンプができなくても、スキーのジャンプで長い距離を飛べなくても、明日から生きられないわけではない、殺されるわけではない。

しかし、なぜか人はそういう状況に置かれると、それが人生の絶対的な価値となってしまう。
その理由は、私にもわからず、たぶん本人に聞いてもわからないと思いますが、哲学者らしく(?)ここ30年間考えていることです(参考:拙著『人生を〈半分〉降りる』ちくま文庫)。

私は、どうも勝つことは醜いと思っており、勝つと自責の念に打ちひしがれ、といって負けたくもなく、いつも勝って「かつ」負けたいと思っている。
そのせいか、私の人生はまさに勝ちつつ負け、負けつつ勝ってきた感があります。

さて、すべての選手が血のにじむような努力を重ね、その結果、勝った者は、その勝利がかなりの度合い「運」によっていることを知っているからこそ、とても謙虚になる。
これは、感動的なことです。

勝者に許され
敗者に許されないこと
しかし、視点を変えれば、敗者もこのすべてを知っているのですが、(勝者は「運がよかったんです」と言っていいけれど)敗者は、「運が悪かったんです」と言ってはいけないことも知っている。

しかも、「運がよかった」と語る勝者は、さらに賞賛され、もし敗者が「運が悪かった」と語れば、さらに蔑まれる、私はテレビ画面を見ながら、いつもこの残酷さをかみしめています。

テレビに出て語ることが要求されるのは、勝者のみであり、敗者は徹底的に言葉を奪われる

この連載では、このところ「言葉」をめぐって問題を提起していますが、以上の問題を、もう少し言葉につなげてみましょう。

オリンピックはどう考えても、国家間の一種の戦争であり、だからこそ、これほど「盛り上がる」のだと思いますが、本当の戦争同様、言葉が粗雑になっていくことが気になる。
戦争に突入した国家では、反戦運動は鎮圧され、反戦的言論も弾圧されるのが普通です。
そして、「欲しがりません、勝つまでは」とか「一億玉砕」という単純なスローガンが刷り込まれる。

戦争は、人命を殺すのみならず、言葉を殺す。
言語の繊細なはたらき、その繊細な感受性を殺すのです。

五輪実況で飛び交う粗雑な言葉
同様に、オリンピックの報道では、リポーターの大ざっぱな(不正確な)言論が飛び交う。

たとえば、スキーの女子ジャンプで銅メダルを獲得した高梨選手の快挙を報道したあるリポーターは「日本中のすべての人に勇気を与えてくれました」と絶叫していましたが、私は彼女が銅メダルをとっても「勇気をもらった」おぼえはありません。

フィギュアスケートで羽生選手が金メダルを取ったときも、「日本中が喜びに浸っている」と報道されましたが、端的に誤りです(少なくとも、私はそうではありませんでしたから)。

そして、こういう「あたりまえ」のことを言うだけで、ひどく偏屈に思われてしまうというのもヘンなこと。
私はただそれほど関心がないだけであり、先に述べたように勝者に対して一定の「思想」がありますので、「勇気をもらう」こともなく、「喜びに浸る」わけでもないだけです。

哲学は「言葉」だけが武器ですし、それを錆びないように絶えず研ぎ澄ましていなければならない。
そして、私がこの言い方も気に入らない、あの言い方も気に入らないと訴えると、「そんなに目くじら立てずに、さらっと聞き流せば」と助言してくれる人が多いのですが、そうはできない。

「みんな」と同じ言葉遣いを受け入れてしまうこと、それこそ哲学の「安楽死」だと確信しています。
もちろん、ただちに気に入らない言葉遣いの主に向かって攻撃を開始するわけではない。
しかし、四六時中、念入りにチェックすることだけは怠らないのです。

私は、20年前に人生を<半分>降り、10年前に「哲学塾」を開き、翌年大学を辞めたのですが、その最も大きな理由は、この「言葉」の問題と言っていいでしょう。

組織では、定型的な言葉を使わなくてはならず、結婚式や葬式をはじめ、ひんしゅくを買う言葉を使うことは禁じられているし、沈黙さえ許されない。
そこで、大げさに言えば、哲学を続けるか否かの瀬戸際まで追いつめられ、「世間語」の蔓延する社会(世間)から脱退することにし、本当に思っていることしか語らなくていい場としての「哲学塾」を作ったのです。

言葉だけでなく
「音」にも鈍感な日本人
ここで、何回かこの連載でテーマに取り上げた日本中に流れる機械(テープ)音、すなわち、「エスカレータにお乗りの際は……」などの注意、依頼、警告、宣伝「音」の問題に触れてみます。
これが身震いするほど嫌いなことは、なかなかわかってもらえないし、最近ではもうわかってもらえることさえ期待しなくなった。

と、こうしているうちに、最近、最寄りのスーパ−にセルフ・レジという機械が導入された。
人間ではなく機械が精算するのですが、そしてそれは一向にかまわないのですが精算のたびごとに「精算方法をお選びください、現金をお取りください、お釣りとレシートをお取りください」という機械音が流れる。
しかも10レーン以上あるレジから同じ音が響き合いまじり合い、生きた心地がしなかった……のですが、みんな平然としている。

私は本社に「スーパーはリピーターが多いので、1度操作すればわかることだから、ある期間が過ぎたら音を止めてほしい」と要望する長い手紙を書きましたが、丁寧な拒絶の返事がきました。
いいでしょうか? 
私が問題にしているのは「騒音」ではないのです。
わかっていることを、しかも定型的な音と同じ文句で繰り返し言われたくないのです。

これは、銀行のATMでも、他のところでも同じ、なんでほとんどの同胞が「いらっしゃいませ、毎度ありがとうございます、現金をお取りください、ありがとうございました」と言われて何ともないのか、わかりません。

認められない
「知りたくない権利」もある
生命倫理に「知りたくない権利、あるいは知らずにいる権利(the right not to know)」という概念があります。
自分のDNA構造が将来解明され、そこから自分が致命的な病にかかる確率が高いこと、しかも防ぎようがないこと、すなわちかなりの確率で短命なことがわかるかもしれない。
しかし、それを強制的に知らされたくはない、そうかもしれないが、知らずにいたい、という、合理的な権利です。

最近は、これを、日本中に流れる「音」の問題にも適用できないものかと考えている。
私の自宅から仕事場(哲学塾)までは私鉄で6駅ありますが、「駆け込み乗車はおやめ下さい」という「音」が各駅で2回ずつ、よって往復24回聞かねばならない。
でも、私は注意されたくない、「知らされたくない」のです。

しかし、ここで「知りたくない権利」は認められそうもない。
というのも、ほとんどの人はこれが「なんともない」のですから。
つまり、ほとんどの「なんともない人」に支えられた電鉄会社に、私の苦痛を訴えても勝つ見込みはないのです。

しかし、私が知るかぎり、欧米にはこういう「音」は皆無です。
とすると、この点で、日本人の感受性と彼らの感受性とのあいだには、じつは考えられないほどの隔たりがあるに違いない、こう考えて、30年研究しているわけですが、いくつかヒントは探り当てました。

その1つとして、日本人は、言葉から意味の伝達をあまり期待しないということがある。
床の間に意味が解らない(読めない)掛け軸を掛けていても平然としているし、まったく意味の解らないお経を延々と聞かされても異議を唱えない。

源氏物語絵巻を西洋人に見せると、そこに書かれている文字の背後に絵が描かれているわけですが、文字を読みたいのでその絵が邪魔だという苦情が少なくないと聞いたことがある。
彼らは、文字が書かれているからには、その意味を知りたいのですが、わが同胞は文字の意味などどうでもよく、流れるような仮名が流麗な絵に溶け込むさまを鑑賞するだけで満足するようです。

こうして、言葉の意味を問うことがないからこそ、街中の「〜〜〜に注意しましょう! 〜〜するのはやめましょう!」という人をバカにしたような注意放送が何度鼓膜をたたいても「気にならない」。
大部分の日本人は音を「のみ込んでしまう」高度な技術を体得しているのでしょうか?
 不思議でなりません。
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2018年04月04日

いじめの認識が甘すぎる小中学校にモノ申す

いじめの認識が甘すぎる
小中学校にモノ申す
「ウチにはない」と言う教師は信用できない
2018年04月03日 東洋経済

阿部 泰尚 : T.I.U.総合探偵社代表

「さいわいウチの学校にはいじめがないんですよ」
日々探偵として、いじめの調査をしていると、時にこんなことを言う教師と出会う。

この仕事をして15年近くになるが、残念ながら「いじめのない学校なんてありえない」と断言できる。
その理由は、2016年6月に国立教育政策研究所が発表した「いじめ追跡調査」にある。
同研究所は、毎年小学4年生から中学3年生までの6年間を追跡調査して、その間に起きたいじめなどの統計を取っている。

調査の結果、いじめの代表格である「仲間はずれ」「無視」「陰口」について6年間、被害経験がなかった生徒は574人中55人(9.6%)。
また、いじめの加害経験がなかった生徒は570人中55人(9.6%)だった。

つまり、およそ9割の児童生徒が一度は、いじめの被害もしくは加害行為にかかわったわけである。
冒頭の私が出会った教師は、なぜ「いじめがない」と言ったのか。
その理由は、「いじめを正しく認識していない」か、あるいは「いじめを認識したうえで、意図的になかったことにしている」かのいずれかだと思う。

なかなか浸透しない「いじめの定義」
その理由を説明する前に、まず現在の「いじめの定義」を見てみよう。
2011年10月に滋賀県大津市の中学2年生が自殺した事件をきっかけに、2013年6月に制定された「いじめ防止対策推進法」には次のように書かれている。

“「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。
” なお、起こった場所は学校の内外を問わない。

この定義の前提は、学校や教育委員会が「被害者の立場に立って」いじめの対応をするということである。
端的に言えば被害者と加害者の間に、「一定の関係性が認められ」「何らかの行為があり」「被害者が心身の苦痛を感じた」時点で、いじめと認められる。

正直、一度読んだだけで意味を把握するのは難しい。
だが、今のわかりづらい定義ができたのは、いじめを理由にした子どもの自殺が減らないことを国が考慮した結果である。

いじめを広義に認定することで、その早期発見を促そうとしているわけだ。
いじめを解決する立場の私からすれば、いじめが深刻化する前に対応できる現行の定義はありがたい。
ところが、いじめかどうかを判断する学校や教育委員会には不評である。
というのも彼らの間では、今もなお学校にいじめのある事実が不名誉だという意識が強く、いじめが認められやすい現行の定義に反発心を持つ教師や、そもそもこの定義を知らない教師が一定数いる。

ちなみに私のところに来る相談者の多くも、わが子のいじめ被害をきっかけに、この定義を知ったという方が多い。
教師の反発や無関心、親の認知不足など、現行の定義はなかなか当事者たちに浸透していない。

冒頭の私が出会った教師もいじめの定義を理解していない、あるいは反発しているゆえに、「ウチの学校にはいじめがない」と発言してしまったのではないだろうか。

「いじめの件数」は、
なぜ1年で10万件も増えたのか
こうした現状の打開に国も苦慮している。

私が2017年10月に出会った文科省の幹部の1人は、「現行の定義どおりにいじめを認知しない教育委員会や学校があまりにも多い。
今のままだといじめ問題は改善しない。
だから、かなりしつこく定義どおりにいじめとして数を挙げるようにお願いしています」と言っていた。
彼らの努力のかいあってか、2017年10月末に発表された2016年度のいじめの総数はおよそ32万件あまり。
2015年度と比較して、10万件近くも増加した。
逆にもし文科省の要請がなければ、10万件のいじめが認知されないままだったわけである。

これを読んでいる保護者の中にも過去に、教師から「うちの学校にはいじめがありません。だから、安心してください」と言われた経験のある人もいるだろう。
しかし、これまで説明したような学校や教育委員会の態度を知ると、「いじめがない」わけではなくて、「いじめを正確にキャッチしていない」のが現実であるとわかる。

どうすれば子どものいじめ被害を
    キャッチできる?
いじめをキャッチできない現状を改善するために、当事者たちは何をすればいいだろうか?

まず学校や教育委員会は、早く現行の定義を受け入れ、いじめの早期発見に努めてほしい。
たとえば匿名でのいじめに関するアンケート調査を実施すると同時に、いじめの定義や事例などを紹介する予防教育に努めるべきだろう。
また、いじめ被害者にも何か原因があるに違いないという考え方を矯正する必要もある。
そして保護者には、単に子どもと過ごす時間を増やすとか、会話を増やすというようなことでは十分ではないと知ってほしい。
そうした時間や会話は関係の良化には重要である。
しかし、子どもはなかなか親に本心を明かさないものである。
特にいじめのような、センシティブな話題の場合は。

実際、私のところに相談に来るいじめ被害者の中には、保護者にはまだ打ち明けていない子が大勢いる。
その理由を尋ねると、「心配をかけるから」「余計な手間を取らせるから」「迷惑をかけたくないから」といった答えがだいたい返ってくる。
そういう子に「親の役目って、なんだと思う?」と尋ねると、「子どもに代わりに生活費を稼ぐ」「家事をする」といった答えが大半である。

そうした子どもに出会った場合、
私は「親は子どもから迷惑をかけられたり、世話を焼かされたりすることも役割の1つ。
自分がどれだけつらいかということを打ち明けても迷惑だと思う親はいないと思うよ」と諭すようにしている。

子どものいじめを不安に思う親は、「子どもに余計な気を使わせていないか」「家族同士で気軽に話しかけづらい雰囲気になっていないか」、自問自答してほしい。
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2018年04月09日

「小1問題」の本質は学校の古臭さにある

「小1問題」の本質は
      学校の古臭さにある
2018/04/08 プレジデントオンライン

汐見 稔幸 :東京大学名誉教授

小学校に入学したばかりの1年生が学校生活に適応できない。
春になるとそうした「小1プロブレム」が問題視される。
だが東京大学名誉教授の汐見稔幸氏は「教室のイスに座っていられない子どもたちの問題ではなく、そういった旧来の学びスタイルに問題があるのではないか」と問い直す――。
※本稿は『本当は怖い小学一年生』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。

先生たちを悩ます「小1プロブレム」
4月、真新しいランドセルを小さな背中に背負い、頬を紅潮させ、親に連れられて小学校の門をくぐる。
「これからどんな楽しいことが待っているのかな」というワクワクした気持ち、緊張し、ぎこちない仕草で友達の待つ教室に入る。
小学1年生はいつの時代もピカピカに輝いて、大人たちはみなすがすがしい気分になる。

ところが、小学校関係者にとってはあまりうれしい季節ではない。
いざ授業が始まると、イスに座っていることができず、教室内を歩き回る子がいたり、配ったプリントを紙飛行機にして飛ばしたり、先生の話を無視して近くの友達にしゃべりかけたりする。

中には教室から廊下、校庭に飛び出して(脱走して)しまう子どももいる。
そんなクラスがあちこちで見られる季節でもあるからだ。

この先生たちを悩ます問題は「小1プロブレム」と呼ばれ、一般には否定的に語られてきた。
そして「今の子どもたちはしつけられていない」などのレッテルが貼られてきた。
この言葉が知られるようになって10年以上がたつのに状況は改善されていない。

どうして改善されないのか。
それは、小1プロブレムのとらえ方に問題があるからではないか。
小1プロブレムを、むしろ小学生による学校への「反抗」、既成の教育への未熟な「異議申し立て」としてとらえ、その背景や原因を探ってみよう。

生徒や学生が「反抗」するのは先例がある。
1960年代の学生運動、70年代はじめの高校生の紛争、70年代末から80年代初頭にかけての中学生の「校内暴力」。
そして、80年代中頃からは小学校高学年の子たちの「荒れ」が取り沙汰されるようになった。

その流れにならっていえば、今は小学校の低学年の子どもたちが「反抗」していると見ることも可能だ。
1995年以降の話だ。
新聞などのメディアはこれを「学級崩壊」として取り上げたが、その後問題が低年齢化し、とりわけ小学校入学直後の1年生の状況を指して、学校関係者が名づけたのが「小1プロブレム」である。

そういう歴史的な流れに置いてみると、この問題が違ってみえてくる。
授業がつまらないから勝手に歩く 授業が始まってもおしゃべりをやめず、「静かにしなさい」と注意しても聞く耳を持たない子どもがいる。
時には「うるせぇーよ、バーカ」「オマエなんか死んじまえ」と乱暴な言葉が返ってくることさえある。

教師への反発心が生じると、「○○ちゃん、ちょっと先生のところに来てくれるかな」と呼んでも、いっこうに応じようとしなくなる。
声を荒らげても態度は変わらない。
すると、教室の他の子どもたちも「あっ、先生の言うことを聞かなくてもいいんだ」と勝手なことをし始め、授業が成立しなくなる。

心配した親を集めた保護者会でその話をすると、「うちでは私の言うことをよく聞いています。それは先生の教え方がおかしいんじゃないですか?」と反論する母親たちもいる。
「うちの子からは、『先生は僕の言うことを聞いてくれない』と聞いています」「風邪気味だったのに無理して遠足に連れて行ったようですね」と、逆に突き上げをくらうこともある。

学校の先生たちからの「今の小学1年生は怖い」というぼやきが増えてきた所以だ。
これに対してマスコミも学校関係者も、「授業時間中に、おとなしくイスに座っていることができない」「先生の話を聞いていることができない」子どもたちが増えてきたその背景や原因は、「家庭でのしつけができていない」とか、「幼稚園や保育所が子どもに我慢することや集団的な規律を学ばせていない」からではないかと問題を外に見出そうとしてきた。

果たして、そうなのだろうか?
そもそも子どもたちは3月まで、どんな日常を送っていただろう。
幼稚園や保育所ではお散歩だったり部屋遊びだったりと、その子の興味、好奇心に応じて基本的には自由に遊びを楽しんでいたのだ。
それが4月になったら急に座ることを要請され、一方的に話を聞くことを強制される。
これ自体にどうも無理があるように思われる。

海外では徐々に机での勉強を体験させていく慣らしの期間を設けるところがあるが、日本ではほとんどそうした慣らし期間が設定されていない。
仮に、大人の言うことを聞いて、すぐに全員が静かに座っていられたら、どうだろう。
むしろ、そちらのほうが気味が悪い。

定型的なカリキュラムの落とし穴
私は、小1プロブレムの問題は、教室のイスに座っていられない子どもたちの問題ではなく、そういった旧来の学びスタイルを今世紀になっても続けていることから起こる問題ではないか、と考えている。

旧来の学びスタイルへ無意識に、もしくは意識的に抵抗を示そうとする子どもたちからの「サイン」ではないか、と考えている。
多くの子どもたちは、小学1年生の授業を実際に受けて「ああ、楽しい」「面白い」と感じているだろうか。
学びの喜びを感じているだろうか。
アリの巣を発見して、時間を忘れてその場にしゃがみ込んでいたり、大好きな電車の絵を夢中で描いていたりする喜びを、小学校でも感じているだろうか。

もちろん「勉強」は必要だ。
だが、子どもたちの中には(たとえ静かにイスに座り、先生の話をおとなしく聞けていても)、「学ぶということはじっとガマンして聞いていることなのだ」ととまどいを感じ、小さく失望し、やがて退屈でつまらないものだと感じるようになる子が大勢いるはずだ。

そこにはカリキュラムの内容や教え方など、さまざまな要因が考えられるが、もっと俯瞰的に見ると、子どもたちが時代のカナリアとなって、日本の教育の時代に合っていないところを明るみに出し、大人たちにイエローカードを突きつけているように映る。

子どもたち一人ひとりは、本当はすごい能力を持っている。
うまく育てて導くと、大人がびっくりするようなことをやってのける。
大人たちが既成のルールや枠にはめようとせずに、各人の潜在能力を発揮する場を与えれば、驚くような才能が花開くはずだ。

教える側は子どもたちの言い分を聞き流すことなく、じっくりと耳を傾け、深く共鳴していくべきだ。
子どもだとばかにしていると、われわれの世界を支えていく次の世代を育て損なうことにもなりかねないし、ひょっとすると歴史をつくり損ねるようなことになってしまうかもしれない。
本当に「怖い」のは日本の教育のあり方かもしれないのだ。

汐見稔幸(しおみ・としゆき)
白梅学園大学前学長、東京大学名誉教授 1947年、大阪府生まれ。
東京大学教育学部卒、同大学院博士課程修了。
専門は教育学、教育人間学、育児学。
育児や保育を総合的な人間学と位置づけ、その総合化=学問化を自らの使命と考えている。
『小学生 生きる力を育てる』『本当は怖い小学一年生』など著書多数。
近著に『「天才」は学校で育たない』(ポプラ新書)がある。
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2018年04月10日

学校の"班活動"が日本の子供を潰している

学校の"班活動"が
日本の子供を潰している
2018/04/09 プレジデント

オンライン ルーシー・クレハン
教育研究者

日本の子供の「15歳時点の学力」は世界トップレベルにある。
だが「世界大学ランキング」では苦戦しており、大学生の“質の低下”を嘆く声も聞かれる。
なぜそうなってしまうのか。

国際学力テスト「PISA」で優秀な成績を収める5カ国を実地調査したルーシー・クレハン氏は「日本が集団主義を重んじ、小・中学校で『班活動』を行っていることが背景にある」と指摘する――。

15歳時点では優秀なのに、
        大学時点では質が低い?
3年に1度、15歳を対象に実施される国際学力テスト、PISA。
日本はこのテストで毎回、高い順位をマークしている。
一方で高等教育に目を転じると、「世界大学ランキング」の上位に日本の大学名はなく、大学生の「質の低下」が指摘されて久しい。

この逆転はなぜ起きるのか?
英国の教育アドバイザーのルーシー・クレハン氏は、日本をはじめPISAの成績上位国を実地調査し、その結果を『日本の15歳はなぜ学力が高いのか?』(邦訳は早川書房)にまとめた。
このほど来日したクレハン氏に、日本の教育における課題について聞いた(聞き手は早川書房編集部)。

成功を生むのは「過剰なほどの自信」
まず、「世界大学ランキング」は、学生の能力の高低を表すものではありません。
その点に注意する必要があります。

指標となっているのは論文の引用数や研究予算ですから、良い環境で教わることができるかどうかの判断基準にはなりえますが、PISAの順位とそのまま比べることはできません。
そのうえで、初等・中等教育と大学教育では、求められる能力に違いがあることもたしかです。

大学で必要とされる能力は、ペーパーテストに正解できる力ではありません。
議論をしたり、新しいアイデアを作ったりする能力のほうが重要です。

そして、欧米の学生は日本の学生に比べて、そうした能力にたけています。
これは小・中学校の段階からそうですし、学力に関係なく子どもたち全般に共通して言えることです。

オックスフォード大学に通っていた学生時代、先生にこう言われました。
「良い成績を取る学生は、本を読んで内容が理解できない時、自分が悪いとは思わない。著者が悪いと考える」。
成功をめざすのなら、過剰なほどの自信をもって突き進むぐらいが良い、ということでしょう。

良い論文は、ひとつのアイデアをつきつめて、「これがいいんだ」と主張するものです。
「これもあるし、あれもある」と指摘するだけの論文は、二流にすぎませんよね。
大学、あるいは社会に出てからは、自分の考えを、間違いをおそれずに自信を持って発信できる能力が求められます。

出る杭が伸びにくい日本の集団主義
日本の子どもたちにこうした自信が身につきづらいのは、日本特有の「集団主義」のネガティブな面だと言えます。
拙著に記したとおり、私が実地調査した5カ国(フィンランド、日本、シンガポール、中国、カナダ)のなかでも、「集団」を重んじる文化や制度が根づいているのが日本の教育現場の特徴でした。

例えば、日本の小・中学校では活動のほとんどを「班」単位で行いますよね。
班の仲間と一緒に座り、勉強し、給食を食べ、学校じゅうを掃除する。
学習成果は班の努力として評価され、個々の生徒のあいだの能力の違いはあまり問題にされません。
褒められるときも、個人ではなく班が褒められます。
こうした文化が、「出る杭を伸びにくく」していることは事実でしょう。

私が授業見学をした限りでは、小学生はみんな元気に挙手をしていましたが、中学生になるとそうした積極性が見られなくなるようでした。
「ちゃんと整列しなさい」「もっと行儀よくしなさい」と先生から繰り返し指導されているうちに、自信を失ってしまうのだと思います。

とはいえ、集団主義には良い面もたくさんあります。
そのおかげで、日本の子どもたちはみな礼儀正しく、他者と協調できる。
それらを生かしたうえで、自分の考えを相手に伝える力を身につけさせることは可能なはずです。

たとえば、高校受験の評価手段として、試験の点数だけではなく、プレゼンテーションの能力も加味してはどうでしょうか。
学んだことを先生や友人に向けて発表する時間を中学校の授業のなかで設け、その能力に成績をつける。
そうすれば生徒も先生も真剣に取り組むでしょうし、その中で生徒には自信がついていくことでしょう。
その際には、お互いを笑ったりするのではなく、尊重しあうことが大切です。

なぜ「ゆとり教育」を導入したのか
かつて実施された「ゆとり教育」も、子どもたちに自信をつけさせるという意味では有効な教育政策でした。
ご存じのとおり、日本の小・中学校では1990年代の後半から2000年代の前半にかけてカリキュラムの3分の1を減らしました。
土曜日を段階的に休日にしていき、子どもたちに自分の興味を追求させるための「総合的な学習の時間」を設けたのです。
だいたいにおいて規範を細かく定める文部科学省にしてはきわめて異例のことですが、総合的な学習の時間にどのような活動を行うのかは、主に各学校に任せられました。
これは教師たちが構造化された「問題解決手法」を授業に取り入れるよりも、さらに先進的な取り組みでした。

どんな問題を解決するか、どんな疑問に取り組むかを、子どもたち自身が決めるのですから。

日本の生徒が世界一になる可能性を潰した
ところが、2003年に実施したPISAの結果が2004年に発表され、日本の読解力の得点が下がったとわかるや、その原因としてゆとり教育が槍玉に挙げられました。
批判に応えて、日本政府は次第に数学や国語の時間を増やすようになり、2011年、ゆとり教育のほとんどは廃止されました。

教科書は分厚くなり、「総合的な学習」に使われた時間の多くはほかの科目に取って代わられ、縮小されました。
PISAの成績の下落というほんのささいなつまずきで、日本の政府はうろたえ、「受験地獄」の軽減と、見たことのない問題の解決において日本の生徒たちが世界一になる可能性の、両方に効果的であったはずの改革を廃止してしまったのです。

根本的な問題は、そもそもこの改革が何を目指したものなのかが忘れられてしまったことです。

ゆとり教育は、PISAの点数を上げるためのものではありませんでした。
子どもたちにかかるプレッシャーを軽減し、彼らの創造性や問題解決能力を伸ばすためのものだったはずです。

教育プログラムを機能させるには、政治的な見栄えだけで決めるのではなく、長期的な狙いをしっかりと持つことが必要です。

シンガポールのように超エリート教育に邁進する国もあれば、フィンランドのように「遊び」を重視する国もあります。
それらの国もカリキュラムをマイナーチェンジすることはありますが、方針自体を変えるわけではありません。
そして、目標を達成するための手段を決めるにあたっては、政治家だけでなく専門家がしっかりと関わる必要があります。

試験で良い点数をとらせるだけが
教育ではない
2000年と2012年に行った調査によれば、日本の子どもたちの学校に対する満足度は、この期間に世界のどの国より増加しています。
そして問題解決のテストでは、日本の生徒は、PISAのトップだった上海をはじめ、ほかのほとんどの国よりまさっていました。
私には、ゆとり教育が目指そうとしたことは、ちゃんと成し遂げられたように思えるのです。

子どもを賢くするだけが、教育の目的ではありません。
教育はその後の人生に備えるための羅針盤です。
過去に何があり、自分たちがどこから来たのかを知るためには、歴史を学ぶ必要があります。
数学や科学の知識は、生活の中で活用することができます。
語学を学ぶのは、他者と適切にコミュニケーションを取るためです。
こうしたスキルは試験に合格するためだけではなく、生きるうえで重要なのです。

さらに言えば、子どもたちが良い人間、幸せな人間になるために、教育が必要です。
失敗や挫折にどう向き合い、やる気をどのように保つのか。
こうしたことを教えるのは、子どもたちがさまざまな問題を抱える昨今、決して簡単ではありません。
それでもなお、教育は私たちの社会においてもっとも重要な営みです――すべてを良い方向に向かわせる力を秘めているのですから。


ルーシー・クレハン(Lucy Crehan)
教育研究者 オックスフォード大学で心理学と哲学を学ぶ。
自閉症児の教育に1年間携わったのち、ロンドン・サウスウェストの中等学校で3年間教鞭を執る。
ケンブリッジ大学で教育学の修士号を取得。
その後、2年間にわたって世界を旅してまわり、各国の教育を実地調査した。
帰国後、クラウドファンディングで資金を募り、調査の記録を『日本の15歳はなぜ学力が高いのか?』(2016)にまとめたほか、世界各国の教師の昇進コースに関する報告書をユネスコに提出した。
イギリスのNPO団体「エデュケーション・ディベロップメント・トラスト」に所属。
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2018年04月23日

小中学校で増える「常勤講師」 士気低下が蔓延する背景とは

小中学校で増える「常勤講師」
 士気低下が蔓延する背景とは
2018.04.22 NEWSポストセブン  

 新学期がスタートして間もなく1か月。
公立の小中学校では社会人になりたての新米教師や、他校から異動してきた初顔合わせの教師が受け持つクラスで勉強している子どもたちも多いだろう。

 そして、近年増えているのが、教員免許を持ち、担任や部活動の顧問をするなど正規職員とまったく同じ仕事をしながらも、身分は臨時に採用された非正規の「常勤講師」の存在だ。
 臨時教師といえば、かつては産休など長期休暇をとる教員の“穴埋め”的なイメージが強かったが、現在は1学年のうち複数のクラス担任が“フルタイム”で働く常勤講師というケースも珍しくない。

 文部科学省の調べ(2017年5月時点)では、全国の公立小中学校にいる常勤講師の数は4万2792人。
教員定数に占める常勤講師の割合は平均で7.4%だが、都道府県によってバラツキがあり、沖縄、三重、長野は10%を超えている。

 そもそも、なぜ非正規の教師がここまで増えたのか──。
ひと言でいえば「地方自治体の人件費削減」に拠るところが大きい。

教育ジャーナリストの斎藤剛史氏が解説する。
「公立小中学校の給与など人件費は、以前は国と都道府県が2分の1ずつ負担する仕組みになっており、国が定めた定数内の教員はすべて正規職員とすることが法律で定められていました。
 しかし、地方分権改革による都道府県の権限強化のため、2004年から定数上算定された負担金を国が都道府県に交付し、都道府県はそのお金を教員人件費の枠内で自由に使えるようになったのです。
その代わり、国の負担は3分の1に減らされました」

 つまり自治体の裁量権が大きくなったことで、正規職員の採用を抑え、その分、給与の安い講師を大量に採用して各校に配置できるようになったというわけだ。
この仕組みは財政難に苦しむ自治体の人件費削減効果のほか、教員不足の解消や学力アップを目的とした少人数クラスの設置など、きめ細かな教育が実現できる策として期待されてきた。
 だが、実際の学校現場では、きめ細かな教育とは大きくかけ離れた問題も起きている。

首都圏の公立小学校に低学年の子どもを通わせている40代の母親がいう。
「担任の先生は、もう10年以上も講師を続けているというベテランだったので安心していたのですが、勉強についていけない子どもを平気で放っておいたり、子ども同士のケンカも見て見ぬフリをしたりと、どうやら親身な指導をしていないようなんです。
 そうしたクラス内の問題を学年主任など他の先生に相談もしていないようですし……。
どうせ1年だけだからと、いい加減な指導をしているのだとしたら許せません」

 この母親がいうように、常勤講師の任期は地方公務員法に基づき、事実上1年となっている。
中には特例的に同じ学校で再任用されるケースもあるが、みな1年以内で一旦契約が終了。
引き続き講師の要請があれば、違う学校に移って新契約を結び、また1年間講師を続けるという繰り返しが一般的だ。

「講師は次年度に再任されるかどうか分からないため、正規職員のようにある程度長いスパンでの指導や取り組みができません。
また、同じ学校での再任用の権限は実質的に配属先の校長や市町村教育委員会などが握っているため、マイナス評価につながるようなことを嫌う傾向があります。
 そのため、いじめや不登校などの問題が発生しても、報告したり相談したりすることができず、結果、事態が悪化するケースはよくあります」(前出・斎藤氏)

 もちろん、子どもが大好きで熱血指導をモットーに教壇に立ち続ける常勤講師もたくさんいる。
だが、制度上の問題で、どうしてもその場しのぎや場当たり主義が蔓延してしまうのだという。
 また、常勤講師のモチベーションが上がらないのは、正規職員との賃金格差の理由も大きい。
「フルタイムの常勤講師の給与は正規職員に準じるのが原則ですが、多くの都道府県が昇給に“上限”を設定しており、正規職員と同じ仕事をしているにもかかわらず、給与水準はボーナスを含めると正規職員よりはるかに低いのが現状です」(斎藤氏)

 ある自治体では、正規職員が40代にもなれば給料月額は標準で40万円前後まで上がるが、同じ年代、キャリアでも常勤講師は20数万円という低水準。
しかも、講師の場合は10〜15年勤務しても30万円程度で昇給がストップし、頭打ちになる自治体が多いという。

 さらに、前述のように講師は年度末に一度雇用契約を解除され、数日間のブランクを経て新年度に再び任用されるケースが多いため、退職金支給の対象とならないばかりか、勤続年数もカウントされないので賞与も“寸志”。
生活が苦しく、アルバイトをしたり、中には生活保護を受給している講師の実態もこれまで報告されている。

「国は非正規雇用の環境改善や同一労働同一賃金などを掲げていますが、それは民間企業だけでなく公務員でも同じこと。
非正規公務員はブラックのかたまりともいえます
 特に教員は、資質の向上を求める一方で、正規採用を抑えながら、人件費が安くていつでも解雇できるという理由で非正規教員を増やしているのは大きな問題です。
結局、そのツケは子どもたちに回ってくるのです」(斎藤氏)

 学校教員の過酷な労働環境は度々話題にのぼるが、正規・非正規の区別なく、学校や保護者などから評価の高い教員の待遇を上げるような策を真剣に考えなければ、教育現場はますます疲弊していく一方だろう。
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2018年07月16日

ブラック校則問題で裁判所がお茶を濁す事情 人権を侵害し尊厳を踏みにじる「学校の常識」

ブラック校則問題で
裁判所がお茶を濁す事情
人権を侵害し
尊厳を踏みにじる「学校の常識」
2018/07/16 東洋経済(前川 喜平 前文部次官 )

 近年「ブラック校則」という言葉をよく聞くようになった。
生徒が自らの意思で自由に装ったり、行動したりすることを、合理的な理由なしに制限する理不尽な校則のことだ。

 最近多くの人を驚かせた事件といえば、2017年に明るみに出た大阪府立高校の頭髪指導だ。
 生まれつき茶色い髪の女子生徒に対し、「生徒心得」を理由に髪を黒く染めるよう求め、それを怠ったとして授業を受けさせなかったり修学旅行に参加させなかったりしたというのだ。
このためその生徒は不登校になってしまった。
 これは明らかに人権侵害だと言わざるをえない。

「自分がされて
いやなことはしない」だけで十分
 地毛の色が黒ではない生徒の髪を黒に染めるよう求める校則は論外だとしても、頭髪を染めることを禁じる校則は多くの学校に存在する。
さらに教師が「間違った」指導をしないよう、地毛が黒ではない生徒に「地毛証明書」を提出させる高校も多い。
 アルバイト禁止やバイクの免許取得禁止も、多くの高校が設けている校則だ。
さらに下着の色を白と指定している例や、休日の私的な外出の際の服装まで規制している例もあるという。

 2006年の教育基本法の改正によって、学校においては「教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずる」という文言が盛り込まれた(6条2項)。
いわば、校則の根拠規定のようなものが設けられたのだ。
 確かに、学校は児童・生徒と教職員がつくる1つの社会である。
そこには日々の生活があり、秩序の維持や利害の調整が必要になるだろう。

しかし「必要な規律」とはなんだろう。
事細かな決まりを定めることがどこまで必要なのだろうか。
 ドキュメンタリー映画『みんなの学校』の舞台となった大阪市立大空小学校では、児童が守ることを求められる「たった一つの約束」は「自分がされていやなことは人にしない、言わない」だ。
これ1つで十分なのではないか。

 教育基本法は「教育の目的」として「人格の完成」を掲げている。
人格は個人の尊厳に立脚して形成される。理不尽な校則を強いることは、子どもの個人の尊厳を踏みにじることにほかならない。
 児童の権利に関する条約12条は「締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。
この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする」と規定している。

 髪型や服装の規制は明らかに「児童に影響を及ぼす事項」であり、子どもには「自由に意見を表明する権利」が認められなければならないし、その意見は「相応に考慮」されなければならない。
校則を一方的に押し付けていいものではないということは、児童の権利条約からも明らかだ。
 校則は、当事者である児童生徒の意見を聞きながらつねに見直されるべきものである。

しかし、実際に校則について児童生徒の意見を反映させようとする学校はほとんどないと言ってよい。

裁判所は生徒の訴えを認めなかった
 校則をめぐっては、これまでいくつもの訴訟が起きている。

 よく知られている古い判例としては、熊本県公立中学校丸刈り訴訟(1985年確定判決)がある。
 この裁判では、公立中学校で丸刈りを強いられた生徒側(原告)が、近隣の公立中学校に丸刈りの校則がないのに自分の通う学校では校則で強制されるのは、居住地等による差別であり、法の下の平等を保障する憲法14条に違反すると訴えた。
 また、法定の手続きによらない身体の一部の切除の強制は憲法31条(適正手続きの保障)違反、個人の感性、美的感覚あるいは思想の表現である髪型の自由を侵害したので憲法21条(表現の自由)違反だという主張も行った。

 しかし、熊本地方裁判所はこうした主張を認めず、「服装規定等校則は各中学校において独自に判断して定められるべきものであるから、……合理的な差別」であり、「髪型が思想等の表現であるとは(特殊な場合を除き)見ることはできず、特に中学生において髪型が思想等の表現であると見られる場合は極めて希有であるから、本件校則は、憲法21条に違反しない」と判示した。

 東京私立高校パーマ事件(1996年最高裁判決)は、東京の私立高校がパーマ等を禁止する校則に違反した女子生徒に対し「自主退学勧告」をした事件だ。
 生徒側(原告)は、髪型は美的価値意識と切り離せず、人格の象徴としての意味を有するから、「髪型の自由」は人格権と直結した自己決定権の一内容であり、憲法13条により保障された基本的人権だとし、その規制目的・規制手段の合理性・必要性は、規制する側が立証責任を負うと主張した。

 東京地方裁判所は、「髪型の自由は憲法13条によって保障される自己決定権の一内容である」ことは認めた。
しかし他方、私立学校には「私学教育の自由」があり、独自の校風と教育方針をとることができるとし、パーマを禁止する校則が髪型の自由を不当に制限するものではないと結論づけた。

学校の決断に任せ、裁判所は判断しない
 この事件は最高裁まで争われたが、最高裁もこの高校がその教育方針を具体化するものの1つとして校則を定め、パーマを禁止することは「高校生にふさわしい髪型を維持し、非行を防止するため」であることから、社会通念上不合理なものとは言えないと判示した。
 これらの判例をはじめとして、校則をめぐる裁判では、裁判所は学校側を勝訴させる場合が多い。
それはなぜだろう。

 かつて、憲法学説のなかに「特別権力関係論」というものがあった。
 国や地方公共団体の役所で働く公務員、罪を犯して刑務所に入れられている在監者、国公立学校の在学者など、国と特別な関係にある者に対しては、特別な規律が認められることから一般の法が及ばず、国は一般国民に対する場合よりも強い人権制限をしてもよいとする考え方だ。
 この理論は、現在ではほとんど支持されていない。

 特別権力関係論に代わって一定の支持を得てきたのは「部分社会論」だ。
自律的な団体の内部(部分社会)では、一般社会の規律とは異なる自律的な規律が認められ、そこには司法の審査権が及ばないとする考え方だ。
 学校がそういう部分社会だとすると、校則はその部分社会における自律的な規律だということになり、その是非については学校内部の判断に任せ、裁判所は判断しないということになる。

 校則は強制力を持つ規範ではなく、教育的な指導ないし教育的な配慮なのだから、学校に任せるべきものだという考え方もある。
単なる指導や配慮によって権利侵害が起きることはないので、司法の判断の対象ではないという理屈になる。
 いかなる理屈に拠るにせよ、理不尽な校則に対して、裁判所による救済がなかなか働かないという事態に変わりはない。

結局「特別権力関係論」と同じ結論になってしまうのだ。
「どうも裁判所は当てにならない」というのが、筆者の偽らざる印象である。
 裁判所による救済がなかなか働かないのなら、市民が代わって監視するしかない。

 NPO法人キッズドア理事長の渡辺由美子さんたちが発起人になり、「ブラック校則をなくそう!」プロジェクトを立ち上げた。
同プロジェクトでは「ブラック校則」を「一般社会から見れば明らかにおかしい校則や生徒心得、学校独自ルールなどの総称」と定義し、そうした理不尽な校則や運用方法を、時代に合ったルールにしていく議論を進めたいという。
歓迎すべき動きだ。

子どもたちの意見を聞くべき  理不尽な校則は、健全な市民感覚によってその見直しを求めていくのがいいと思う。
その際には、当事者である児童生徒の意見を幅広く汲み上げることも必要だろう。
 そういう議論を行うべき場は、学校制度の中にもともと用意されている。

 まずは教育委員会だ。
 公立学校を管理する教育委員会の委員は、本来普通の市民感覚を教育行政に反映させることが期待されている。
教育委員会の使命は「レイマン・コントロール(素人統制)」だといわれるゆえんである。
校則をめぐる問題は、教育委員会の場で委員同士で話し合うのに適した課題だと思う。
 また、保護者や地域住民が加わる学校運営協議会を置く「コミュニティ・スクール」では、学校運営協議会の議題として取り上げてもいいだろう。
 もちろん、PTAもそうした議論の場としてふさわしい。
 どこで議論するにせよ、校則のあり方について議論する場合には、児童会や生徒会の代表の出席を求めるなどして、当事者である子どもたち自身の意見を十分聞くことが必要だ。
 「学校の常識は社会の非常識」などと揶揄される事態を変えていくためには、そういう議論を積み重ねていくことが大事だと思う。
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2018年08月04日

学力テスト 先生に考える「余裕」を

学力テスト 
先生に考える「余裕」を
2018年8月3日 東京新聞「社説」

 基礎に比べると応用は苦手。
文部科学省の全国学力テストの傾向は十年以上変わっていない。

全校調査に何十億円も投じるよりは、先生に指導法を編み出す「余裕」を与える算段をしてはどうか。

 小学六年と中学三年の全員を対象に四月に実施した調査では、国語、算数(数学)ともに、応用力をみるB問題の平均正答率が、基礎的な知識を問うA問題の平均正答率を12〜19ポイント下回った。

中学の数学ではAが66・6%に対してBは47・6%と50%を割り込んだ。

 この傾向は二〇〇七年の開始以来続いており、学校や自治体の努力では限界がある。
 そもそも競争を過熱させるとし廃止された全国調査が四十三年ぶり、〇七年に復活したのは応用力低下への懸念からだ。
来年度以降、AとBを統合する方針というが、これまで「応用」を別建てにしていたのは、そこに重点を置いていることを現場に伝えるためだ。

 当時、経済協力開発機構(OECD)が世界の十五歳を対象にした〇三年の学習到達度調査(PISA)で、日本の「読解力」が八位から十四位に転落したことの波紋が広がっていた。
「読解力」とは、社会に出たときに身につけた知識や技能を使って問題解決ができる能力とされる。

 文科省は今回、結果の公表を一カ月前倒しした。
夏休み中に教員が結果を分析し、二学期からの授業に生かしてもらうのが目的という。
だが猛暑のさなかに、教員に数字とにらめっこさせることが果たして子どもの応用力を引き出す授業づくりにつながるだろうか。

 日本の学力観に大きな影響力を及ぼしたOECDは最近、日本の教育政策を検証する報告書を公表した。
教員の教えている時間はOECD諸国の中で比較的短いのに、労働時間は最長の部類に入ることを指摘。
教員の業務を軽減する手段を見つけ、教える能力を伸ばしていく時間を確保する必要性を訴えている。

 OECDのPISAや全国学力テストが求める学力が「正解」とは限らない。
だが今まで以上に先の見えない社会を生きる子どもたちに必要な力を育みたいと本当に考えるならば、教える側の経験の豊富さや懐の深さにかかっている部分も大きい。

 応用力の「壁」に一穴をあけるには、教員の独創性を引き出す環境づくりが必要だ。
生まれた熱意と工夫に、子どもたちは目を輝かせてくれるのではないか。
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2018年08月06日

学校に携帯代金を払わせる"モンペ"の手口

学校に携帯代金を払わせる
"モンペ"の手口
2018/08/05 PRESIDENT(鳥居 りんこ)

学校へ執拗にクレームをぶつける「モンスターペアレンツ(モンペ)」。
私立中学校の取材経験が多い鳥居りんこ氏は「厄介なモンペが増えていて、先生方は疲労困憊になっている」という。
わが子のいとしさゆえの親バカ行動といえるが、手が付けられないほど悪質化することもある。
一方、学校から「モンペ認定」を受ければ、本当に困ったときに手助けを得られなくなる。
いまどきのモンペの特徴と、誤解を避けるポイントを、鳥居氏が解説する――。

モンスターペアレンツに
疲労困憊な先生が増えている
筆者は私立中学校を取材する機会が多くあるのだが、そのたびに「先生という職業は大変だな」としばしば感じる。
その責任の重さに対して、給与や労働時間、心労の度合いが余りにアンバランスに思えるからだ。

その原因のひとつは、保護者の「過剰な要求」にあるのではないだろうか。
ある中高一貫校のベテランの先生が、ある日、筆者にこうこぼしたことがある。
「学校は旅行会社じゃありません。
でも、今の保護者は学校から各種オプション付きのパッケージ商品を購入したと勘違いしているんです」

つまり、学習面は当然のこと、健康、生活、人間関係、しつけにいたるまで、子どもに関するありとあらゆることは学校任せで、うまくいったら“お買い得”、うまくいかなかったら“学校のせい”という意味だ。

わが国では「お客様は神様」という過剰な顧客サービスが、一部のクレーマーを増長させているという意見がある。
同様に、少子化で保護者から選んでいただく立場になっている私立学校には、こういう悩みを抱える先生が増えているように思う。
このとき考えたい概念が「モンスターペアレンツ(モンペ)」だ。

モンスターのように学校にクレームをつける親(ペアレンツ)のことを意味する。
筆者は大まかに2種類の「モンペ属」が生息していると推察している。

平気で「携帯代金を負担してください」という親 ひとつが「コスパ重視の金換算属」だ。

先日、中学受験塾の先生が嘘のような話を教えてくれた。
「『志望校に入れなかったのは塾の指導法が悪かったのだから、かかった費用を返金してほしい』と真顔で保護者に何度も訴えられ、お引き取りいただくのに大変、苦慮したんです」
これと同じような「金返せ」と主張する保護者の話はよく耳にする。

例えば、ある小学校では保護者から校外学習(草花観察)について、こんなクレームがあった。
「わが子が草木でかぶれて、皮膚科に通うことになったのは、事前のプリントに『長袖、長ズボンを用意せよ』と書かれていなかったせいである。
学校に落ち度があるのは明白。
よって、治療費と傷が残るかもしれないので慰謝料を払え」

また、ある中学では宿泊学習を風邪で欠席した生徒の親から「不参加なのだから、全額返金せよ」というクレームが届いたそうだ。
さらには、ある高校の先生からはこういうことを聞いた。
「校内では携帯電源オフ」という校則に違反したので、その生徒の携帯を没収したところ、親が取りに来ないので預かっていた。
すると1カ月後に親が現れて、先生にこう告げたそうだ。
「この1カ月分の携帯料金は(携帯が学校にあったのだから)学校で負担してください」

世の中にはいろいろな考えの人がいる。先生方も、何をどう説明すべきか、頭を悩ませることだろう。

筆者の度肝を抜いたモンペ「ワースト5」 ふたつめのモンペは「わが子可愛や、愛は盲目属」だ。 わが子を大事に思いすぎて、周りが全く目に入らないタイプである。

筆者の度肝を抜いた「ワースト5」は以下のものだ。

1 思春期の子どもたちに背の順で並べという命令は、背の低い(わが)子にとっては自己肯定感を著しく妨げるものなので、配慮に欠けた指導であると言わざるを得ない。 

2 合唱祭の指揮者の人選が(わが子でないのは)おかしい。
選考基準の開示を求める。

3 大学の単位が取れていないのは担任である教授のせい。
教授が責任持って、未履修の単位を取らせるべく(わが子に)働きかけてほしい。

4 数学がわからないのは先生の教え方が悪いので、あの先生を辞めさせてほしい。

5 卒業アルバムにわが子の写真が少ないのは不公平。
よって回収し、新たに作り直すべきだ。

これ以外にも、「行事の日程を変えろ」「荷物が重すぎる」「宿題を出せ」「出すな」といった要望があり、一部の学校では「言った者勝ち」という状態になっているそうだ。

しかも今は、直接、子どもと関わっている担任の先生を飛び越えて、いきなり校長や教育委員会、さらには文部科学省に直談判する保護者も増えているという。
もちろん、しかるべきときには、学校に「物申すこと」は必要だ。
大多数の保護者は、学校に不満を抱いていたとしても、どんな事例から「物申すべきか」と判断に迷うこともあるだろう。

これは「人間関係」で判断するのがいいと思う。
わが子に「人間関係」のもつれが予想される場合、現場の先生の手を借りなければ、整理できないからだ。
その場合、学校に「物申す」のではなく、「相談」に行くことになる。
教師に「モンペと思われない交渉術」のポイント5 学校から「モンペ」と思われれば、さまざまなデメリットがある。

「モンペと思われない交渉術」のポイントを5つあげてみたい。

1 突然押しかけない
学校の先生は例外なく多忙である。必ずアポを取り、常識的な時間に行く。
特に、いきなり「今日、行くので、待っていろ」という態度で勤務時間外の夜遅くに行ってはいけない。
先生にも都合があり、自分がされて嫌なことは、先生も嫌なのだ、という想像力を働かせよう。

2 怒りを教師にぶつけない
親がやってしまいがちな行動は、怒りのあまりに、その気持ちをダイレクトにぶちまけてしまうことだ。
これは百害あって一利なしである。
怒りをぶつけられたほうは攻撃されたと錯覚するので、すぐ防御に回ってしまう。
防御に回れば、手助けする気持ちの余裕がなくなる。そうなれば、冷静な話に持ち込み、「戦利品」を獲ることはほぼ不可能になる
親は「わが子かわいさ」でしばしば暴走しがち

3 自分の子どもだけが“被害者”であるという思考をいったん捨てる
大抵の親はわが子の話をうのみにしてしまう。
わが子の話だけが真実だと思い込むのだ。
筆者から言わせれば、子どもは100%、自分に都合の良い事しか言わないのである。
それは、子どもは俯瞰で物事を見ることができないからだ。
特に一方的に被害者だと主張して、気に入らない相手の退学や出席停止を学校側に求めるという「無理」は止めたほうが賢明である。
まずは冷静になることだ。そのうえでニュートラルな立場から、この問題はどう映るのか、という点に絞って交渉したほうがいい。

4 時間泥棒にならない
大抵の先生は“聞く耳”を持っている。
しかし、保護者の態度いかんで“聞く耳”を閉じてしまう。
例えば、Aという出来事があり→Bという問題で悩んでいるので→Cという解決法を提示され、その日はいったんお開きになったとしよう。
「やれやれ、一件落着」と教師が腰を上げようとした瞬間に、再び、延々と「Aという出来事」から戻る「無限ループ親」が出現するのだ。
間違いなく、先生の「うんざり指数」はマックスになる。
現実には、カウンセラー役をつとめざるをえない先生は多いが、教師は親の無料カウンセラーではない
「先生は人生の貴重な時間を自分のために割いてくれているのだ」という態度で臨む親には、先生という人種はとてつもなく親切である。

5 物は言い方次第、
伝え方次第ということを学ぼう
ある時、中学校でイジメが露呈した。
その時、被害者の親は学校に怒り心頭で現れ、担任教師に開口一番、こう言った。
「そのイジメをしている非常識な家庭はどういう家庭だ? 住所と家族構成を教えろ」
このひとことが担任の態度を硬化させてしまった。
先生はこう言った。
「個人情報保護法の観点から申し上げられません」
そして、先生は親身とは程遠い対応になってしまったという。

やはり、大人としてあるべきモノの言い方と振る舞い方というものがあるのだ。
先生が何らかの加害者であるならば別だが、そうではない中立な立場ならば「絶大なる協力者」というポジションに就いてもらわなければならないのだ。
そのためには敬意を欠かしてはいけない。
さらに言えば「完全勝利」を狙わないということを挙げておこう。
相手ありきの交渉事に完全勝利はない。
つまり、あらかじめ落としどころを決めておく「作戦」が必要なのだ。
親は「わが子かわいさ」でしばしば暴走しがちだ。「自分がいて、人もいる」という社会の当たり前を今一度、確認して、気持ちを落ち着かせよう。
要点を絞って相談するなら、先生や周囲の人たちは、必ずあなたの協力者になるはずだ。
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2018年08月12日

毎年、新学期前日に焦っちゃう!夏休みの宿題を早く終わらせる五つのコツ

毎年、新学期前日に焦っちゃう!
夏休みの宿題を早く終わらせる五つのコツ
2018.08.11 NEWSポストセブン

夏休みの宿題は、子どもだけではなく親も頭を悩ませる大問題。
夏休み最後の週末は、何も予定を入れずに宿題対策のためにあけておくという家庭も多いのではないでしょうか。
今年こそ、焦らず楽しい夏休みを過ごしたい!という方へ、宿題を早く終わらせるコツをご紹介します。

小学生の夏休み宿題事情
子どもの頃に誰もが経験した夏休みの宿題。
定番のドリルに始まり、自由研究、読書感想文、毎日の日記など、量もジャンルも盛りだくさんだった記憶があります。
当然親の出番もあり、家族総出で片付けたという子もいました。

最近の小学生の宿題事情はどうなっているのでしょうか。

コツコツ型は案外少ない
全国のモニターを対象にした調査によれば、毎日コツコツやって終わらせたというコツコツ型は約2割だったそうです。
案外少ない数字ですね。
実際まわりのお母さんの声を聞いて見ると、
「夏休み最後にぎりぎり終わらせた」
「提出期限までに終わらせればいいという感じだった」など、駆け込み型の方が多いという印象です。
「結局提出せずに終わっちゃった」というつわものもいて、宿題に対する意識はゆるめ。
それでも、みんな「ちゃんと終わらせて提出しよう」という努力をしています。

自由研究・読書感想文は王道
宿題の内容は、ドリル・自由研究・読書感想文・図画工作・日記がオーソドックス。
今も昔もあまり変わっていません。

筆者の近隣の小学校では、作文と図画工作はコンクールに提出する作品を制作することになっています。
各自好きなコンクールを選んで作品を作り、学校がまとめて各コンクールに送ってくれるシステムです。
優秀な作品は賞をもらえるので、子どものモチベーションが上がりますし、参加賞がもらえるコンクールもあります。
小学生の塾通いも多くなり、宿題の量はあまり増やさないでほしいという保護者の要望が出ている地域もあるようです。

夏休みの宿題を早く終わらせるコツ
夏休みは、暑いから勉強に集中できないという理由でもらえるお休みです。
また、学校では体験できない経験を子どもに与えようという主旨もあります。
学校から出る課題はなるべく早く終わらせて、子どもたちにさまざまな経験をさせてあげたいですね。

宿題を早く終わらせるコツはスケジュール管理にあります。
ポイントを押さえておきましょう。

その1 難易度判定をする
まず、宿題の全容を把握してください。
そして、それぞれの難易度を判定します。
子どもにもそれぞれ得意分野がありますから、そこを見極めてあげることが大事です。
「これはAだね。こっちはCかな」というように子どもと相談しながら判断してください。
そのとき、おおよその所要期間をあわせて考えておきます。
子どもの集中力は、あまり長く続きません。
工作や絵画、作文なども、1日でやろうとせずに数日にわけて取り組む必要があります。
難易度を判定しておけば、おおよそのスケジュールを立てやすくなります。

その2 イベントがある日は思い切って休む
子どもに計画表を作らせると、ページ数を日数で割ったような単純な計画を立てる子が多いでしょう。
しかし、基本的に、毎日コツコツできる子の方が少ないのだと理解してください。
週末やお盆など、イベントがある日は思い切って宿題も休みにしておいた方が安全です。
1日でもできないと、ノルマがたまってしまうようでは、負担感が増すだけでモチベーションが上がりません。
メリハリのあるスケジュールが大事です。

その3 単純作業から始める
夏休みの開始直後は、誰でもやる気マックスです。
この時期にひとつでも宿題を終わらせておくと、やる気が持続しやすくなります。
そのためには、挫折の少ない単純作業から始めるのがコツです。
難易度の低いものを選んでまずはやらせてみましょう。
夏休みの最初の1週間が勝負です
おもしろければ宿題は早く終わる 子どもは、おもしろい遊びにはすぐに夢中になり、時間を忘れて熱中します。
宿題がいやなのは、おもしろくないから。楽しくおもしろくなるような演出をしてあげると、それだけ早く終わります。
自由研究のテーマも、今子どもが興味を持っている分野をそのまま生かせばいいのです。
ゲームでも漫画でも、視点の工夫でいくらでも「研究」になります。

その4 絵・工作はみんなで集まってやる
絵や工作は、意外に時間がかかる宿題です。
学校の授業でも、2時間授業を何週か継続して作品を仕上げていくわけですから、1日中、集中して取り組むのは難しいでしょう。
ただ、友だち同士で集まってやるなら別です。
どのようなものを作るか事前にプランを立てておき、公民館やマンションの集会室などを借りて集まって作業することをおすすめします。
お昼はお弁当を頼んでもいいですし、飽きたら途中で遊んだりおやつを食べたりして過ごします。
お母さん同士でおしゃべりしながらみんなで子どもの宿題を見てあげるわけです。
この場合、作品の完成度を重視しない方がストレスは少なくてすみます。

その5 読書感想文は親子でビブリオトーク
読書感想文はオーソドックスな宿題ですが、苦手な子も多いジャンルです。
作文の指導は難しく、親としてもどうアドバイスしたらいいのか悩みますね。
読書感想文を楽しく早く終わらせるには、親子でビブリオトークをおすすめします。
ビブリオトークとは、読んだ本のおもしろさを伝えあう会話のことです。
話すことで、子どもの思考も言語化され、文章にしやすくなります。
ポイントは、親子で同じ本を読むこと。
親がアドバイスをしやすくなります。
本は、新しく読まなくてもかまいません。
苦手な子には、以前読んだことのある好きな本を再読する方が取り組みやすいでしょう。

おわりに
夏休みの宿題は、早く終わらせるにこしたことはありません。
子どものモチベーションが高い最初の1週間で、単純なものは終わらせてしまいましょう。
達成感がやる気を持続させてくれます。
テーマ選びやスケジュール管理は、大人が適度に介入して子どもが楽しく取り組めるように工夫してみてください。
普段できないことを体験する有意義な夏休みを目指しましょう。
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2018年08月23日

現場の教師も苦悩…理不尽な“ブラック校則”に潜むリスク

現場の教師も苦悩…
理不尽な“ブラック校則”に
          潜むリスク
2018年8月22日 ダ・ヴィンチニュース

 昨年、生まれつき髪の毛が茶色かったという女子高生が、学校側から黒髪を強要され不登校になったとして、大阪府を相手に起こした訴訟が物議をかもした。
裁判の焦点になったのはどこの学校にもある「校則」で、この事件をきっかけに、ネット上でもさまざまな議論が交わされていたのは記憶に新しい。

 ちょうど時期を同じくして立ち上げられたのが、校則の実態について調査を続ける有志らによる「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」。
そのスーパーバイザーを務める荻上チキさんと、名古屋大学の内田良准教授による書籍『ブラック校則 理不尽な苦しみの現実』(東洋館出版社)が刊行された。
 世代により捉え方も変わってくる問題のようにも思えるが、本書を読むと、大人たちの知らない校則の“今”が垣間見えてくる。

◎下着の色は白…
指導する現場の教師からも異論
 本書では「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」がサイト上で募集した、校則により「理不尽な体験」をしたという実際の声が掲載されている。
先述の「髪染め強要」はもちろん、驚くのは、以下のような“セクハラ”ともとれる女子生徒の実体験も存在するということだ。
下着の色は白のみ。
中学三年の時に、プールの授業があった日の放課後に男性教諭から呼び出され、「下着青だったんでしょ? 白にしなきゃダメだよ? 気をつけてね」と言われた。
何処からその情報が流れて来たのかは知らないが、とても怖かった。(愛知県・公立中学校・当事者)

 状況からすると、誰か他の生徒が“密告”したのかもしれないが、男性教諭から下着の色について問われた瞬間の女子生徒を想像すると、怖さをおぼえたというのは想像にたやすいだろう。
また、行き過ぎとも思える学校側の指導には、現場の教師からも異論が寄せられている。

服装・頭髪の指導が非常に厳格で、全教員が一丸となって行うことを求められる。
(中略)違反者にはプリントが渡され、保護者の確認、期日までに校則通りに直すことを求める。
翌日から教員のチェックを受け、期日までに是正されない生徒は、帰宅して直してから登校するように指導。

赴任したばかりだが驚き、学年主任に違和感を表明したが、理解されていないよう。
職員会議で訴えかけたいと考えているが、同じ考えの同僚がいるかわからず、苦しい戦いになりそうで気持ちが萎える(東京都・公立高校・教員)
 誰に相談することもできず、この内容をモニターを眺めながら打ち込んでいた教師はどのような思いだったのだろうか。

日々の業務に加えて、自分の信条を押し殺して指導しなければならないという現場の苦悩も浮かび上がってくる。

◎ルールを厳格にすべきか否か?
 軽視されがちな校則のリスク
 本書の編著者である名古屋大学の内田良准教授は、校則には「二面性」があると指摘している。
 そもそも学校側が生徒に対して提供するものは、基本的にすべてが「教育」という言葉のもとに成り立っている。
もちろん子どもたちを預ける親もそれを望んでいるだろうが、学校や教師の視点からすればどの活動も「子どもたちにとってよいことなのだ」と信じられているからこそ、あらゆる学校に校則があり、維持されているのだという。

 しかし一方で、教育活動に関する諸問題を「学校リスク」とする内田准教授は、校則には「リスク(危険性)」と「ベネフィット(便益)」の両面があると主張する。
ただ、往々にして「ベネフィットが優先される状況下では、リスクが軽視されやすくなる」と述べる内田准教授は、リスクのなかでも「生徒にとって直接的な損害であり、かつ健康さらには生命に関わる事態」とする身体のダメージに注目している。  

そのうちの事例の一つとして取り上げられているのが、1990年7月に兵庫県の高校で発生した「校門圧死事件」だ。
 当日の朝、遅刻の取り締まりを厳格にしていた学校の校門付近には、ハンドマイクを手に「◯秒前!」と生徒たちに発破をかける教師たちがいた。
そして、始まりを告げるチャイムが鳴った午前8時30分、一人の教師が鉄製の門扉をスライドさせて閉めようとしていたところ、駆け込んできた女子生徒が頭部を挟まれ死亡したという事件である。
 これについて「学校のルールの厳格な運用が命取りになりうることを、不幸にも実際の事例によって示すこととなった」と内田准教授は述べている。

また本来、校則というのは、文部科学省の通知文「『児童の権利に関する条約』について」に書かれているように「児童生徒等が健全な学校生活を営みよりよく成長発達していくためのきまり」であるべきだが、この事件について言及するなかで「ルールはまるで逆の結果を生み出した」と指摘している。

 さて、世の中には「自由は不自由の中にある」という言葉もある。
たしかにそれも一理あり、校則があるからこそ、そのすき間を突いて学校生活を楽しむというのも大人になった今では“学生時代ならではの楽しさ”だった記憶もある。
 ただ、大人の社会と比べると、学校は閉鎖的なイメージもある。
教師たちや親たちといった「目上の人」に言われるがまま従わなければならない場面もあり、子どもたちにとってどのような校則の運用が適切なのか、いま一度見つめ直さなければならないかもしれない。
                文=カネコシュウヘイ
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2018年09月09日

「知識偏重」「暗記」教育に対する大いなる誤解

「知識偏重」「暗記」教育に対する
     大いなる誤解
「生きた知識」と
「死んだ知識」の違いとは?
2018/08/31 東洋経済

今井 むつみ
: 慶應義塾大学環境情報学部教授

近年、従来の教育が「知識偏重」と批判される傾向がある。
果たして、教育にとって知識とはどういう意味を持つのか。
認知科学の視座から学びのメカニズムを研究する慶應義塾大学・今井むつみ教授が解説する。

「アクティブラーニング」あるいは「主体的な学び」ということばが、今の教育界のキーワードのようである。
しかし、「主体的な学び」が何を意味し、何を実践すればそれが実現できるのかについては、深い議論があまりされていないし、教育現場でも、理解しようともがいているのが現状のように思われる。
共同、協調して行う学習形式のこと、あるいは積極的に発言をすることが「主体的な学び」と受け取っている様子も散見される。

本来、「主体的な学び」とはどういう学びなのだろうか。
「主体的な学び」というからには、「主体的でない学び」があるということが前提となっている。
では「主体的でない学び」とは何なのだろう。

学ぶとは、知識を得ること
「主体的な学び」を標榜する人たちが、従来の学びを「知識偏重」と批判するのをよく耳にする。
「知識はもういらない」という過激な言葉を聞いたときには驚愕した。

認知科学の観点からすると、「学習」は「知識」と切り離して考えられないからである。
従来型の学びを「知識偏重」と批判する裏には、知識というのは、1つずつカードに書いてあるような知識(の断片)があって、それを個別に覚えていく、というような知識モデルがある。
さらにその背後には、知識というものは出来上がった、固定化されたものであって、そこに新たな断片が張り付いていって、知識のボディを大きくしていくというイメージがある。

「死んだ知識」と「生きた知識」
認知科学の研究成果から得られた知識像はこれとは随分違うものだ。
知識は知識から生まれる。
認知科学では、一言でいえば、学ぶとは知識を得ることである。
しかし、それはバラバラに存在する断片ではない。
認知科学では、そのような断片の知識は「死んだ知識」と呼ぶ。
それは、覚えていても、それをいつ、どのように使ったら良いのかわからないので、それを使って何もできない状態にある知識である。

「死んだ知識」の対極が「生きた知識」である。ことばの知識を例にして考えてみよう。
たとえば、英語の単語を1つの日本語の単語に置き換えて5000語覚えても、英語を話すことはできない。
しかし、500語程度しか知っている単語がなくても、英語を母語とする子どもは、それを使って自分の言いたいことを表現できる。
前者は死んだ知識の良い例、後者は生きた知識の良い例である。

なぜ母語の習得は
「生きた知識」の習得なのか
子どもは語彙が少ないうちから母語を果敢に使い、コミュニケーションを取っていく。
多くの人は子どもが大人から教えられてことばを覚えると思っている。
しかし、それは間違いである。
ことばの意味を知るということは、このことばがいつでも使えるということである。
子どもに、どのように「赤」の意味を教えられるか、考えてみてほしい。
消防車やトマトを指して「あか」と言うことがせいぜいだ。
しかし、消防車とトマトの色が「あか」と覚えてもそれで「赤」の意味が理解できたことにならない。

「赤」ということばを使えるということは、一般的に「赤色」に結び付けられる消防車、リンゴ、トマトなどだけでなく、大人が「赤」と呼ぶ色すべてを「あか」と認識し、「あか」と呼ばない色は「赤とは違う」と認識できることである。
そのためには、「赤」と似ているが、違う色――オレンジやピンクということばを知っていて、それらとの違いがわかる必要がある。
子どもは、さまざまなモノを見て、その色の名前を聞く。
しかし、赤とオレンジとピンクがどのような関係にあって、それぞれの境界がどこで引かれるのかは自分で探すしかない。
実際、子どもは何千、何万ものことばの意味を自分で推測することで覚えているのである。

ヤギとヒツジが区別できる理由
子どもは教えられずにいったいどうして何万もの単語を覚えられるのだろうか。
ひるがえって、大人が英語(あるいは他の外国語)の単語を学ぶとき、さまざまな媒体でその意味を教えられるのに、その単語を使って英語を話したり書いたりすることができないのはなぜだろうか。
その秘密は、子どもがことばを学ぶときには、決して一つひとつのことばをバラバラに覚えて、そのままにしておくのではない、という点にある。

子どもはつねに、新しいことばをすでに知っていることばとの関係で理解する。
また、子どもが新しいことばを覚えるときに、そのことばの意味を覚えることにとどまらず、2つのことが起こっている。

第一に、すでに知っていることばの意味が修正される。
たとえば、羊のことを「ヤギ」と呼んでいたのが、1匹の羊に対して「ヒツジ」という言葉で呼ばれることを知ると、広く取り過ぎていた「ヤギ」の範囲を自分で狭め、「ヤギ」と「ヒツジ」を区別するようになる。

学び方を学ぶ
もう1つはもっと重要だ。
子どもはそれぞれの単語の意味を推測し、覚えると同時に、語彙全体の仕組みについて探索する。
一つひとつの単語のレベルではなく、それよりも大きなくくりで語彙を分析し、その中の規則性をとらえてそれを新しい単語の推測に使ったり、新しい単語を自分で創り出したりするのである。
たとえば、ある子どもは、おばあさんが客に「ソチャ(粗茶)ですが」と言いながらお茶を差し出すのを聞くと、「ソ」はお客さんに言うときの枕として付けるのだと考え、自分の猫を見せて「ソネコです」と言った。
このような語彙に潜む汎用的な仕組みを発見すると、新しいことばを覚えるスピードがどんどん加速していくのである。
これを認知科学では「学び方を学んだ」という。
言い換えれば、子どもは機械的に語彙中の単語の数を増やそうとだけしているのではない。
個々のことばを超えた語彙というシステムの構造を発見すべく探究し、同時に、すでに持っている知識を修正、再編成している。
この過程があるから、母語の知識は「生きた知識」なのであり、すでに持っている知識が新たな知識を創り出すという「創造のループ」が生まれるのである。
このような、生きた知識を創造する過程こそが「アクティブラーニング」の本質である。

「アクティブラーニング」を標榜するなら、知識を事実の断片の集まりととらえ、「知識偏重」と言って知識を非難する前に、まず知識とは何かを考え、知識の本当の姿を理解してほしい。
「知識偏重」とともにやり玉に挙げられるのが「暗記」である。

「暗記」がすべて悪いわけでない
確かに、英単語をひたすら日本語の単語に置き換えてそれを覚えようとする暗記は死んだ知識しか生まない。
覚えた断片が、英語を使うために必要な文法の知識にも、英語固有の語彙の構造の発見にもつながらないので、英語という言語のシステムを創造することがまったくできないからである。
しかし、すべての「暗記」が死んだ知識しか産まないのだろうか。

プロ将棋棋士の島朗九段が著書『島研ノート 心の鍛え方』で、あるプロ棋士が弟子に課した暗記の仕方を次のように述べている。
指定図書の中からまず一冊、一局ずつ勝った側から並べ、次に負けた側から並べる。
そして暗記して棋譜に書き出し、何も見ずに並べて一局が終了する。
都合四回ほど同じ将棋を言葉のほんとうの意味の通り、精密に調べる方法だ……(143ページより)

自分の知識を総動員して駒の並びの一つひとつの意味を深く考え、吟味する。
その結果、棋譜は考えた内容――つまり、そのときに創造された知識――と一体となって記憶に深く刻まれる。
要するに、暗記されてしまう。
このように得られた記憶は「生きた知識」となって、必要なときに無意識に思い出される。

達人たちは常に試行錯誤している
学び、覚えたことが「生きた知識」になるか「死んだ知識」に終わってしまうかは、協同学習や対話学習などの学びの形式で決まるわけではない。
認知科学の重要な研究分野の1つに「熟達研究」がある。
研究者たちは、学習者があることを熟達していく過程における心と脳の変化の過程を詳細に明らかにするとともに、さまざまな分野の超一流の達人がどのようなマインドを持ち、学びの工夫をしているのかを探究している。
数多くの研究からわかったこと。
それは、達人たちは、必ず、自分で独自の「学び方の学び」を工夫していて、そのために常に試行錯誤をしているということである。
学びが、生きた知識を生むアクティブラーニングになっているかどうかは、学びへ向かう気持ちで決まるのである。
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2018年09月13日

自衛隊幹部が異様な低学歴集団である理由

自衛隊幹部が異様な
低学歴集団である理由
2018/09/12PRESIDENT Online(部谷 直亮 )

自衛隊幹部の51%が高卒以下だった
筆者の情報公開請求とプレジデント社との共同取材により、自衛隊幹部は公務員の中でも異様な低学歴集団であることが判明した。
しかも、それは米軍や韓国軍にも劣るレベルだという。
まず目立つのは大卒の低さである。
大卒以上の幹部(尉官以上)は45.9%しか存在しない(2017年10月末時)。

大卒率ほぼ100%のキャリアの国家公務員や米軍の現役幹部の83.8%(15年時)と比べると異常な低さだ。
次に修士以上も酷い状況だ。
米軍の現役幹部の41.5%が修士号以上を取得している。
しかし、自衛隊幹部は僅か5.02%のみ。
特に航空自衛隊幹部は3.64%でしかない(18年4月時)。
そして、注目すべきは高卒の多さである。
なんと自衛隊幹部の51%が高卒以下であり、一佐ですら3%の80人が高卒であった(17年10月末時)。
中卒の一佐も3人いた。
一佐とは、諸官庁では課長級であり、連隊長ともなれば数百〜1000人の部下をまとめる職である。
では、なぜそうなってしまうのか。

それは自衛隊が第1に、諸外国の軍隊の中でも知性を軽視しているからだ。
米軍の場合は基本的に将校は学位を保有せねばならず、保有しない将校でも大尉になれば一定期間までに学位を取らねばならないとなっている。
将軍では2つや3つの修士はザラである。
自衛隊の場合は、そうした規定もなく、また積極的に国内外の大学に幹部を留学させる仕組みも乏しい。

防衛省を含む各省庁のキャリア官僚は、基本的に海外の大学院に留学させるが、自衛隊では非常に限定される。
国内の大学院へ行けばはみ出し者扱いされるという。

第2は、自衛隊の専門知識や学問に対する軽視だ。
特に陸上自衛隊では、職場の机の上に書籍(軍事や戦争の専門書でも)を置いているだけで上司からにらまれることが多々あり、検閲の場合は私物として隠さねばならない。
業務に直接関係のないものを置くのは美しくないためだ。
これでは、自ら外部の教育機関で学ぼうとする意欲を持つ人間はつまはじきにされてしまう。

自衛隊幹部だけが全公務員の中で
教育の機会を与えられていない
複数の自衛隊幹部は「自衛隊幹部の学歴は先進国でも最低レベルではないか。
平和安全法制以後、米国などとの共同作戦や演習が増えていく中で深刻な問題になっている」と現状を嘆く。

その深刻な問題とは何か。
第1は、高等教育で学ぶ抽象的思考ができないために共同作戦や演習のための意思疎通ができなくなることである。
要するに知的分野での交流・貢献ができない。
例えば、米軍側は以前「宇宙空間やサイバー空間で機動(maneuver)する」と自衛隊との会議で発言した。
米側は「機動」という概念を「主導権を取る」という意味で使用しているのだが、自衛隊幹部の多くは「機動」を物理的にしか理解していなかったのである。

近年の米軍の作戦コンセプトは抽象的な思考を重視する傾向がより一層強まっており、このままでは、共同作戦もできなくなる恐れがある。
実際、日米共同の現場の自衛隊幹部の多くが限界を感じつつあるという。

第2は、根性論の重視である。
自衛隊の組織運営は根性論とパワハラ全開である。
それは文書作成1つを見てもわかる。
陸自では、パワーポイントの見出しのフォントをMSゴシック、本文は明朝体にせず、また誤字脱字があれば人格否定されるのが常であるという。
また、田舎の駐屯地では将官を出迎えるために、佐官が床にワックスがけをしている。
人員が足りない自衛隊において、信じがたいほど非効率だ。

米軍などを見習って、基本的に幹部には学位を取らせるべきであるし、キャリアに当たる幹部は基本的に他省庁と同様に留学させるべきだ。
国内大学の修士課程であれば1人135万円、学部なら250万円で卒業可能だが、これは演習弾数発程度でしかない。
オスプレイ2機を断念すれば自衛隊の大卒幹部のほとんどを修士課程に、5機を断念すれば自衛隊の高卒幹部約2万人を全員学卒にできる。
自衛隊幹部だけが全公務員の中で、教育の機会を与えられず、中学校レベルの根性論とパワハラで勤務させられるのは差別的待遇でしかない。
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2018年09月20日

なぜ警備ビジネス業界は拡大が続くのにブラック企業だらけなのか

なぜ警備ビジネス業界は
拡大が続くのに
ブラック企業だらけなのか
2018.9.19 ダイヤモンドオンライン

福田晃広:清談社
街を歩けば、オフィスや商業施設、工事現場など、いたるところで目にする警備員の存在。
多くの人が知っているようで知らない警備ビジネスの実態を、仙台大学体育学部准教授で、著書『警備ビジネスで読み解く日本』(光文社新書)がある田中智仁氏に聞いた。
(清談社 福田晃広)

セコム誕生は1962年
東京五輪が警備業界拡大の契機に
 2018年7月、警察庁が公表した「平成29年における警備業の概況」によると、2017年12月末時点で日本全国の警備会社数は9548社で、警備員数は55万2405人。
ここ数年、わずかではあるが増加傾向にあり、警備業界の拡大は続いているといっていいだろう。

  日本の警備会社の草分け的存在である「日本警備保障」(現・セコム)が設立されたのは1962年、高度経済成長期の中盤だった。
日本人の働き方が大きく変化し、自営業者と家族従業者が減少、代わりに被雇用者が増えて、サラリーマンが一般化した時代だ。
当時の警備業務の実態について、田中氏はこう説明する。
当時の主な警備業務は、オフィスビルや工場などの施設警備と巡回警備でした。
しかし、守衛や宿直は専門的な警備技術を体得していない人がほとんどで、警備体制は脆弱。
そこにビジネスチャンスが潜んでいたのです」(田中氏、以下同)

 警備会社の存在が注目されるようになったのは、1964年の東京オリンピックで、選手村などの警備に当たったことによる。
さらに翌年にはテレビドラマ『ザ・ガードマン』が大ヒットしたことで、警備業という仕事の知名度は急上昇したといわれている。

「人や財産を守る」警備員なのに、
約4割が高齢者という矛盾
 現在、日本の警備会社の業務は警備業法第2条で、大きく4つに分けられている。
施設を守る1号警備業務、
不特定多数の人や車両を誘導する2号警備業務、
貴重品や危険物を運ぶ3号警備業務、
依頼者の身辺を守る4号警備業務だ。

 前述のように、警備業界の規模は拡大し続けているが、課題も多いという。
警備業務の目的は「人の生命、身体、財産などを守る」ことだが、現状では警備員の約4割が高齢者であると田中氏は指摘する。
「なぜ高齢者が多くなるかといえば、『守衛の系譜』と『年金問題』が挙げられます。
もともと施設警備を担っていた守衛は、多くが定年退職者の再雇用。
高齢の人でも対応できる業務内容が想定されていたので、警備員へ置き換えられても、ほぼそのまま存続しています。
また、年金だけでは生活できない高齢者が急増していますので、人手不足が深刻な警備会社がその受け皿になり、雇用せざるを得なくなっているのです」

 また他の業界に比べて、労働条件が劣悪といわれており、契約内容や会社によって細かな違いはあるものの、長時間労働、昼夜逆転の生活を強いられている警備員も少なくないという。

「約9割の警備会社が中小企業で、つい5年ほど前の調査では、主に交通誘導の警備業務を行なっている警備員の約半数が社会保険未加入という実態も明らかになりました。
人手が足りてないため、休暇も取りづらく、心身の健康を害する警備員も潜在的にも多いと予想されます。
給与水準には徐々に改善の兆しが見えつつありますが、改善すべき点は多い」

 田中氏が指摘するように、警備業界は企業規模、給与水準、健康状態の格差が大きい
この格差をいかにして解消していくかが問われていくことになる。

AIやロボットの進歩だけでは
警備員はますます窮地に
「将来的にはAIや警備ロボットなどの技術の進歩によって、そもそも警備員の存在すら不必要になるのではないか」と思われる読者もいるかもしれない。
このもっともな疑問について田中氏は以下のように答える。
「AIや警備ロボットの方が人を雇うよりもコストが安くなれば、人的警備の淘汰が進むことが予想されます。
ただ、警備会社の多くは中小企業のため、コスト面からAIや警備ロボットを導入できない可能性が高い。

もし一部業務で導入したとしても、それらのコストと同等になるように警備員の給料を下げることが予想され、生活に困窮する人が続出することもあり得るし、当然ながら警備の質の低下も避けられません

 田中氏によれば、現在、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、AIや警備ロボットを活用した警備方法が試行されているが、警備員の専門性を伸ばそうとする動きは見られないという。
 これまで警備業界では、業務別教育を行なって警備員の専門性を向上しようと取り組んできた。
ところが現在は、AIや警備ロボットにばかり熱心に取り組んでおり、警備員に対してはこれまでとは真逆の方策を取っているというわけだ。

このままでは、「専門性が低くて貧しい警備員」と「高性能なAIや警備ロボット」の二極化が進むことは避けられないと田中氏は危惧する。
 ちまたでは「AIに仕事を奪われる」ことが話題となっているが、警備業界はその最たる業種の1つともいえる。
多くの他業種と同様、合理化が進む時代にあって、警備ビジネスも大きな転機を迎えているのかもしれない。
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2018年10月12日

クレーマー対策5カ条…

クレーマー対策5カ条…
飲食店専門弁護士
「NOと言う勇気を。
心配しなくて大丈夫」
2018年10月11日 弁護士ドットコム

飲食業界で、客から理不尽なクレームを受けるケースが後を絶ちません。
精神的なショックから従業員の士気が低下したり、離職を招いたりすることもあり、その影響は甚大なものです。
では法的にはどんな対応ができるのでしょうか。

飲食店専門の石崎冬貴弁護士は「客に、NOと言う勇気をもって欲しい。
クレーマーは恐れなくて大丈夫です」と話します。
石崎弁護士に、クレーマーの実態と対応策について聞きました。

●理不尽な要求、誠意を見せろ…
      様々なクレーマー ーー
そもそも「クレーマー」は最近になって増えたのでしょうか。
それとも以前からの問題だったのでしょうか
インターネットの普及によって、誰もがクレーマーとなり得るようになり、かつ可視化されるようにもなったので、社会問題化しているのだと思います。

特に、大きな注目を集めたのが、ある1件の顧客クレーム処理に端を発する『東芝クレーマー事件』(1999年)です。
世論の動かすきっかけとなったのは、当事者の顧客がネットを使って情報発信をしたこと。
これにより、ネットでは大きな問題提起ができるとわかり、今に続く『(要求に応じなければ)ネットにアップする』といったクレームにつながっています」
ークレームと言っても、明確な要求がないケースもあるそうですね。

石崎弁護士の著書「なぜ、飲食店は1年でつぶれるのか」(旭屋出版、2018年)によると「最初から納得する気がない人」「堂々巡りを繰り返す人」はクレーマーの場合が多いということです
「そうですね。『お詫びに100万払え』などと無理な要求を押し付けてくるタイプ(理不尽要求型)と、『誠意を見せろ』など判然としない要求をしてくるタイプ(要求不透明型)があります。
いずれも特に中高年の男性が多いですね。
自己評価が過剰に高いタイプの人たちです」

●クレームの「理不尽な要求」
「不透明な要求」 ーー
理不尽要求型の「無理な要求」として、どのようなものがあるのでしょうか
「飲食店が入る宿泊施設で、コンタクトを忘れたと主張する客が『清掃係が間違えて捨てたに決まっているから損害賠償しろ』と6カ月分の枚数を要求してきました。
購入時の領収書を送ってきたので薬局に確認したところ、コンタクト6カ月分は返品済みということでした。
詐欺の可能性が高く、調査内容を伝えて納得できないならば裁判を起こしてほしいと伝えると、連絡が途絶えました」

ーーただ理不尽であっても、明確な要求のある「理不尽要求型」に比べ、
要求不透明型」は堂々巡りになりがちで、対応がより難しそうです
「難しいですね。理不尽要求型には『無理です』ときっぱり断り続けることができます。
しかし要求不透明型は、こちらが掘り下げて、具体的な要求を引き出さないといけません。

『要求不透明型』の例として、ある高級レストランに現れたクレーマーの話があります。
この客は、1晩で数万円使ってくれるような上客でした。
しかし、来るたびに店員に対して『海外の本店ではこうだった』とか『店の教育はどうなっているのか』などと説教する困った癖がありました。
しかも、具体的な要求はありません。
店員が対応に疲弊してしまい、店全体の士気が低下しました。
そこで私が間に立ち、来店お断りの旨を伝えることになりました。
すると『某大手法律事務所に相談して裁判を起こそうと思っている』などと、なぜかフランス語を交えてメールで返信してきましたが、次第にトーンダウンをし、お店に来ることもなくなりました」

●ストーカーとなった「常連客」 ー
店員に対して、一方的に恋愛感情を募らせてトラブルに発展することもあるようですが、実際にそのような相談もあるのでしょうか
「従業員に対するストーカー事例も時折、寄せられますね。
ある商業ビルに入る喫茶店の若い女性従業員に、客がつきまとうようになり、私のところに相談が寄せられました。
常連の男性客が毎日のように来店し、プライベートな質問をしつこくするようになったため、店側はその従業員を現場に出さないようにしました。
すると、そのことに腹を立てた男性客がクレームを繰り返し、最後には『店の商品、気をつけろよ』と食品に異物を混入するかのような発言をしたのです。
そこで男性客に、ビルの警備員立会いの下、書類を渡して『入店お断り』とこちらの本気度を示す対応策をとったのです。
この客は素直に応じ、以後の接触はなくなりました」

●「クレーム」か
「正当な苦情」かの判断を ーー
クレーマーに対しては、どのような法的な解決策があるのでしょうか
「クレームがひどい場合には、業務妨害や恐喝にもなりえますので、損害賠償請求や警察への通報も検討することになります。
過去には、コンビニで店長らに因縁をつけ、理不尽な要求の上、土下座させたクレーマーが、恐喝罪で有罪が確定した裁判がありました。
ただ、ほとんどの事例では、実際に民事訴訟や刑事告訴に発展することはほとんどありません。
やりとりの中で『訴訟を起こす』とクレーマーが言ってくる場合もありますが、堂々巡りで終わる場合がほとんどです。
飲食店側が『弁護士を出す』とクレーマーに告げる時点でだいたい相手側から引き下がります。
裁判となるとクレーマー側も費用がかさみ、尻込みしますから」 ーー

クレーム対応に必要なのは 「その内容が飲食店にとって『クレーム』なのか、それとも『正当な苦情』なのかを判断し、取捨選択するノウハウが必要です。
例えば『店の教育がなってない』『誠意を見せろ』といった判然としない要求を、クレームなのか正当な苦情なのかを見分けるには、お客様の意見をしっかり聞く必要があります」

●「クレーマー対策5カ条」
ーークレーム被害は実際に裁判には至らない、あるいは弁護士が交渉にあたると沈静化する事例が多いということですが、店側はどんな対策を普段からとるべきでしょうか」

クレーマー対策5カ条を私は提案しています。
(1)まずはとにかく「謝る」、
(2)感情的にならない、
(3)録音かメモを取る、
(4)遮らない・反論しない、
(5)その場で回答しない、この5つです。

その上で必要なのは、毅然と『NO!』という勇気です。
それに尽きます。
本来であればクレーム対応専門の部署を置くべきですが、飲食店の場合は小規模だと難しい。
小さい飲食店でのクレーム対策はまだまだ始まったばかりです。
顧問弁護士を置くことや、損害保険会社に加入することでリスクに備えることで対応することも考えられます」

ーー「NO! というのは難しい」という声も聞こえてきそうです
「逆に、何を恐れているのか、考えてみてはどうでしょうか。
お店が恐れるのは、
(a)ネット・風評被害、
(b)訴訟かと思います。

(a)のネットに何か書かれるのではないかと心配する人は多いですが、書く人はどうせ書きます。
下手に対応すれば、そのことも書かれてしまいます。
(b)の訴訟は、先ほど申し上げたように、裁判になることを望むクレーマーはほとんどいません。」
        (弁護士ドットコムニュース)

【取材協力弁護士】
石崎 冬貴(いしざき・ふゆき)弁護士
神奈川県弁護士会所属。
フードコーディネーターなど食品・フード関係の資格も持ち、飲食店支援サイトを運営するなど、食品業界や飲食店の支援を専門的に行っている。
事務所名:弁護士法人横浜パートナー法律事務所
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2018年10月15日

小学校の「道徳教科書」はこんなにも危ない

小学校の「道徳教科書」は
こんなにも危ない
70年前に書かれた高校野球の話も題材に
2018/10/14 東洋経済(筒井 幹雄 )

送りバントの指示に背き、決勝二塁打を放って甲子園出場に貢献した星野君。
しかし、監督の裁断は星野君の甲子園大会出場停止だった(6年生の教科書に掲載された「星野君の二塁打」)――。

今年度から教科となった道徳で使われている教科書における問題について『危ない「道徳教科書」』を書いた京都造形芸術大学の寺脇研客員教授に聞いた。

教科書を使うと座学になりがち
──安倍政権下で道徳が国語、算数などと同じく教科になりました。
 道徳の目的は子どもたちに公共のことを考える心を持ってもらうこと。
公共も時代とともに変わる。
 日本は人口減少により、今の子どもたちは社会に出ると高齢者、障害者、外国人と働くことが当たり前で、さらにAI(人工知能)も加わる。
新しい社会の規範を考えるうえで、道徳教育は重要だ。
運動会など行事の準備に充てられ、従来の「道徳の時間」はコマ数を確保できなかった。
教科化で年35時間が必須となったことは評価できる。  

──ただ、裏腹な問題があります。
 教科になると、学習指導要領に書いてあることを網羅した教科書を授業で使う義務が生じる。
ところが、道徳教育が目指すものは教科書を読むより、体験によって身に付くことが多い。

4年生の教科書の「しょうぼうだんのおじいさん」は、消防訓練に励むパン屋のおじいさんを見て感謝の気持ちを抱くという話。
これなら、実際に地域の消防団に話を聞きに行ったほうが効果は大きい。
子どもたちに実物を見せ、自分の頭で考え、自分の言葉で語れるようにするのが大事なのに、教科書を使うと教室での座学が主体になりがちだ。

押し付けられたことはすぐに忘れる。
──しかも、その教科書の中身が練られていません。
 「星野君の二塁打」は2社の教科書に掲載され、うち1社はタイトルのそばに「よりよい学校生活、集団生活の充実」と表記されている。
これを前提に子どもたちに議論させれば
「監督の指示は絶対。それを守らなかった星野君が悪い」といった意見が大半になるだろう。
 いかなるときも監督の指示は絶対なのか、という疑問は出にくい。

道徳の教科化を打ち出した首相直属の教育再生実行会議ですら、押し付けではない、考え、議論する道徳と言っているのに、これではそうならない。
むしろ、監督に不正行為を命じられた、日大アメフト部「宮川君のタックル」のほうが「集団の中での自分の役割」を考える教材に適している。

──原典がかなりはしょられているそうですね。
 初出は1947年で、その後国語の教科書や教科化前の道徳の副読本にも掲載されている。
書かれた時期やカットされた場面を考えると、「みんなで決めたことは意見が違っても守ろう」という「民主主義の原理」を伝えることが作者の意図だったと思うが、教科書ではそうした部分が省略され、自己犠牲の必要性が強調されてしまった。
そもそも、70年も前に書かれた高校野球の話を小学6年生の教材とすることに無理がある。

 逆に新しいニュースを盛り込んで不適切な内容になったのが、ある教科書の補充教材「下町ボブスレー──町工場のちょう戦──」だ。
下町ボブスレーをジャマイカチームが冬季五輪で採用と書き、乗り込んだ安倍首相の写真まで入れたが、実際は使われなかった。

教科書を使うほうが「楽」  
──なぜこんなことに。
 道徳の授業時間数を確保するための手段にすぎない教科化を急いだからだ。
検定教科書は編集開始から採択までにほぼ3年かかる。
道徳は新しい教科なので5年は必要だったが、授業の開始を急いだため、2020年度の新学習指導要領実施から2年前倒しになり3年しかなかった。
 結果として過去の副読本などからの流用が多い。
小学校の教科書を作る会社の全社が採用した話はすべて、2014年に文部科学省が公表した『私たちの道徳』に掲載されている。  

──小学校では教科化されて1学期が過ぎました。
 現場で聞くかぎり、教室で教科書を読むのが主体だ。
楽だからね。
少なくとも、すばらしい授業ができたという話は聞かない。  

──2019年4月からは中学校でも教科としての道徳が始まります。
今ある教科書の使用を前提にした軌道修正は可能でしょうか。

 教科になった以上、使用義務があるので教科書を無視はできないが、算数と違って網羅的に教科書の内容を教える必要はない。
なので、その中から教師が汎用性の高い、子どもたちの議論が深まりそうな話を選んで授業をすればいい。
そして、それ以外は地域の人に手伝ってもらう。
学校に招いて地域の昔話をしてもらうとか、反対に学校を出て話を聞きに行くとか。

 子どもとおじいさんが架空の町を散歩し、いろんな出会いや発見をする話を読んで、はたして「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」が養われるだろうか。
地域の伝統を教え、愛着を持ってもらいたいなら、学校を出てどの地区にはどんな店が多いか調べ、それがなぜかを考えたほうがずっといい。
実際、文科省も教科書以外の教材、地域に密着している教材、映像教材、体験の利用を提唱している。

美意識や善意の判断基準を育むには  
──週2時間の「総合的な学習の時間」との連携も提案しています。
 中学生の多くはこの時間に職場体験をしている。
たとえば、お店でお客さんの対応を任されたとする。
質問され、よくわからなくても何か答えたほうがいいのか、待たせてでも調べて答えたほうがいいのか。
これを道徳と結び付けると責任感に考えが及ぶ。

 日本の技術のすごさだって、地域の職人さんに話を聞き、実際に技を見せてもらえばいい。
岐阜県の小学校では総合的な学習の時間を使って鵜飼いについて学んでいるが、鵜匠だけでなく伝統技術の粋である鵜飼い舟を作る舟大工にも話を聞きに行っている。  

──ただでさえ疲弊している教師の負担が増しませんか。
 外の人と一緒にやるのは確かに大変だ。
ただ、教師というのは「この子たちはこうやれば腹落ちするんだ」とわかればそれくらいの努力はするし、学校全体で取り組めば個々の負担増は薄まる。
 これは小中学生の子どもがいる、いないに関係ない、すべての人にとって大事な話だ。

「法に触れなければ何をしてもいい」と考える人が増えればどうなるか。
また、「なぜ人を殺してはいけないのか」と子どもに聞かれ、どれだけの大人がちゃんと答えられるのか。
美意識、善悪の判断基準、節度といったものは上から強制できない。
それを育むことができるのは教育なのだ。
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2018年10月20日

公立校教員の過酷な労働環境

公立校教員の過酷な労働環境
「時間内に仕事が終わらない」が8割超、
過労死ライン超えも半数以上
2018年10月19日 キャリコネニュース

連合は10月18日、教員の勤務時間に関する調査の結果を発表した。
調査は全国の公立学校に勤める教員1000人を対象に実施した。
月曜日から金曜日の学校内での労働時間は、平均で52.5時間だった。
校種別では、小学校で52.6時間、中学校で56.5時間、高等学校で49.4時間だった。
週60時間以上働き、過労死ラインを超える人は29.7%に上った。

自宅での労働時間は、0時間が44.5%に上ったものの、2時間以上4時間未満が14.7%、10時間以上が10.3%で、平均は2.8時間だった。
土曜日と日曜日の学校内での労働時間についても、51.9%の人が0時間と答えているが、10時間以上という人も10.3%おり、平均は3.2時間だった。
過労死ラインを超えて働いている人は全体の53.4%に上った。

管理職に早く帰るよう言われるも
「持ち帰り仕事が増えた」が約半数
仕事量について「時間内に仕事が処理しきれない」に「とてもそう思う」と答えた人は54%、「まあそう思う」は28.8%で、合わせて82.8%の人が「そう思う」と答えている。
年代別では、20代の91.7%、30代の91.1%が「そう思う」としている。

20〜30代ではほとんどの教員が、時間内に仕事が終わらないと感じていることがわかった。
働き方改革が推奨される中、2018年度に管理職から早く退勤するように言われたという人は60.1%に上った。
しかし、「持ち帰り仕事が増え、自宅での仕事を入れると総勤務時間は変わらない」という人が46.4%もいた。
仕事の量が減らない限りは、労働時間を減らすことができないのが現実だ。

現在の仕事は働きがいのある仕事だと思うかどうか聞くと、「とてもそう思う」が37.3%、「まあそう思う」が50.5%で、87.8%の人は働きがいを感じている。
しかしいくら働きがいがあっても、勤務時間が長ければ、心身に披露が溜まる。
9月以降にひどく疲れていたことが「ときどきあった」人は39.1%、「しばしばあった」は27.4%、「ほとんどいつもあった」は24.6%だった。
9割以上の教員がひどく疲れていたことがあったと答えている。

またイライラしていることが「ときどきあった」は46.8%、「しばしばあった」は22%、「ほとんどいつもあった」は8.9%だった。
教員には、十分な休息を取って、穏やかな心で生徒に接してほしいものだ。

授業準備や成績処理を「業務」とする
ような制度の見直しに約9割が賛成
現在の勤務時間に関する制度では、授業準備・成績処理・調査報告物の作成などは、勤務ではなく教員による自発的な行為とされている。
これらの業務を勤務とするような制度の見直しに「賛成」する人は64.6%、「まあ賛成」という人は21.6%だった。
また教員にも残業代を支払うように制度の見直しを行うことについては「賛成」が64.1%、「まあ賛成」が22.2%だった。
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2018年10月27日

任意団体 入退会は個人の自由<PTA会長になった記者リポート>

任意団体 入退会は個人の自由
PTA会長になった記者リポート
熊本日日新聞社 2018/10/25  

PTAは任意団体です」−。
荒尾市の小学校のPTA会長に就任した今年4月の総会のあいさつで、そう触れた。
「任意団体」という説明を口頭で伝えることは、役員内での申し送り事項になっていた。
そのきっかけとなったのが、「PTA会費返還訴訟」だ。

 熊本市の小学校に子ども2人を通わせていた自営業の男性(62)が2014年、PTAに入会の意思を示していないのに会費を徴収されたとして、同小PTAに会費返還などを求めて提訴。
昨年2月、福岡高裁で成立した和解条項には「PTAが入退会自由な任意団体であることを十分に周知」することなどに努める、と記された。
 任意団体であるPTAが訴えられれば、代表者である会長個人も被告となる。
こうしたリスクを抱える以上、慣例的ではなく、問題を理解した上で対応すべきではないか。
そんな思いから、PTAを提訴した男性と連絡を取り、話を聞いた。  
  ◇      ◇
 男性の2人の子どもは09年、熊本市の小学校から同市の別の学校に転校した。
父子家庭で、輪番制の登校の見守りなどは参加したが、バザーの手伝いは「忙しいので」と断った。
すると、ある保護者から「みんなやっているのにずるい」と言われたという。

 「当初はPTAと、地域や学校の活動との区別がはっきり分からず、批判に後ろめたさも感じたが、何となく違和感も覚えていた」
 ある時、ふと目にしたPTAの決算書に驚いた。
学校の周年行事に向けた積立金など多額の繰越金があった。
「誰のために使われているのか」。
会費の使途に、疑問を抱くようになった。

 PTAについて調べるうち、1954年に文部省(当時)が策定した「『父母と先生の会』第二次参考規約」に関する新聞記事を見つけた。
参考規約には「会員になることも、会員にとどまることも、自覚に基づく個人個人の自由であって、いささかも強制があってはならない」とあった。
 「この時、PTAが入退会自由な団体という確証を深めた」。
男性は退会を申し出た。
PTA側は当初、案内冊子の文面を基に「会則の配布をもって入会の了承をいただいた」とし、「子どもが学校に在籍する限り退会できない」などと説明。
その後、謝罪して、退会を認めた。

 退会を申し出る前、長男が進学した中学校PTAでは、会費が減免されることを知る。
長女の小学校PTAにも経済的な理由などで減免を求めたが、対応が進まなかったという。
訴訟は男性がPTA側の一連の対応に不信感を募らせた結果だった。
 訴訟の意義について、男性は「入会届の提出義務付けまでは和解条項に盛り込めなかったが、PTAは入退会自由ということを公に示せた意味は大きい」。  
  ◇      ◇
 うちのPTAの会則には会員は「本会の主旨に賛同する者」とあり、入会は自由意思に任せるという趣旨は示されている。予算も「会員の拠出金による共同財産」という認識は当然持っている。
私も最初は驚いたが、先輩役員らは、お茶のボトルを1本買うにも「会員の理解を得られるか」と確認している。
 ただ、男性の話を聞きながら、会則や予算の説明を十分に尽くしているのか、あらためて考えさせられた。
 PTAの事業についても、単独の研修会を廃止するなど見直しが進んでいる。
それでも、「過重な負担」を感じている保護者がいるなら、役割分担のあり方も含め、さらなる検討が必要だ。

 男性に「PTAは不要と思いますか」と投げかけた。
すると「存在自体を否定するつもりはない」と返ってきた。
会長の一人として、子煩悩な普通の男性と、被告となった当時の会長が2年半余りも法廷で争った事実の重みをかみしめた。(荒尾支局・原大祐)
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2018年11月08日

PTA退会なら「餅つき大会参加ダメ」 非会員家庭の子ども排除の実態

PTA退会なら「餅つき大会参加ダメ
非会員家庭の子ども排除の実態
2018/11/08 AERA

熱心にPTA活動に取り組む人の中には、全員が参加すべきだといった考えを持つ人も少なくない。
そのため、非会員が増えることと比例して、トラブルも増加しているようだ。

 最も多いのは「退会すれば、PTAで購入している物品を子どもに配れない」と言われるケースだ。
証書ホルダーなどの卒業記念品や、卒業式で胸につけるコサージュなど、PTAから子どもたちに贈られる物品について、非会員家庭の子どもにだけ配布しないというのだ。

 理屈としては、PTA会費を支払っていないのに利益を得るのは不公平だということ。
そのため「非会員家庭からは実費を徴収して子どもに同じものを配る」というPTAも多い。
ただ、非会員からの実費払いの申し出を役員が拒んで子どもに物品を与えず、訴訟が起きた例もある。

 ほかにも、例を挙げればきりがない。
都内の公立小学校に子どもを通わせるある母親は、「退会するなら、PTA主催の餅つき大会に子どもが来てはダメ」と言われた。
中部地方の公立小学校に子どもが通う父親は、「運動会のテントはPTA予算で買ったものだから、やめるならお子さんを入れてあげない」と告げられた。
千葉県のある保護者は、「災害用の備蓄品はPTA予算で買っているので、非会員家庭の子にはあげない」という役員の発言を聞いた。
 このような非会員家庭の子どもを排除したサービス提供は、本来は当然許されるものではない。
なぜならPTAは、会員サービスを行う団体ではなく、学校に通う全ての子どものために活動する公共性の高い組織だからだ

PTAが校内に専用の部屋をもらったり、教室でプリントを配ってもらったりできるのも、公共性を認められた団体だからだろう。
 それなのに、「非会員の子ども排除」が起きるのは、PTAが長い間「保護者全員、参加必須」という認識で運用されてきたため、非会員になる権利があるとみなされてこなかったという歴史がある。

 戦後まもなく日本に導入されて以来、多くのPTAは、保護者全員が自動加入する形で運用されてきた。
「PTA会員=全保護者」という間違った理解が定着し、「PTAは会員サービスを行う団体だ」という誤解が蔓延。
誤った形で運用されてきた歪みが、子どもへのしわ寄せという形で表出している。

 これらの問題を解決する方法はないのだろうか。
 例えば、PTAをやめて近隣の子で班を組み集団登校する「登校班」をはずされた事例。
非会員家庭の子どもが登校班に入れないという問題が2年ほど続いたが、校長や地区の保護者たちとが話し合い、先月ようやく、登校班への復帰が認められた。

この校長は言う。
「子どもには関係ないことなので、何とかしたいと思って話し合いの場を設け、解決することができた」
 都内の区立小学校のPTAのケースでは、「登校班はずし」を告げられていた保護者が、間違った対応を認めた校長から謝罪を受け、解決に至ったという。
子ども本人が登校班で通うことを希望せず、現在は1人で通わせているが、この保護者は、 「非会員家庭の子は登校班に入れないという前例を作らずに済み、ほっとしている」  と言う。

問題解決のカギを握るのは校長や教育委員会だ。
どちらの例も、学校側が「非会員家庭の子どもであっても、登校班から排除しない」という方針を明確に示したことで、保護者が納得するという経過を辿っている。
最初は反発が強くても、学校側が「子どもはあくまで平等に扱う」という姿勢を貫くことが肝心なのだ。

 PTA問題に詳しい文化学園大学教授の加藤薫さんは言う。
「学校が関わる集団登下校において差別はあってはならないこと。
PTAなどに学校が働きかけても排除が続く場合は、学校主体で班編成をするなり、登校班をやめて個人登校に切り替えるなり、毅然とした態度で臨むことが重要です」

 PTAの退会トラブルの多くは、PTA役員が、退会を思いとどまらせる意図で「子どもに不利益がある」という「脅し文句」を使うケースも多く、現実に子どもに不利益を科すところまではいかないことがほとんどだ。
校長、教育委員会、文部科学省へと相談が持ち上がっていくなかで、「PTAは保護者の加入、非加入に関係なく、全ての子どもを平等に扱ってください」と「指導」が入れば、事態が収まることも多い。

 卒業記念品など子ども全員に配る物品については、前に書いたように別途実費を徴収する方法があるほか、PTA予算で購入するのをやめて、公費や私費(教材費や卒業対策費などの学校徴収金)をあてることで解決するケースもある。
 今後、共働き家庭がさらに増えると、仕事などで忙しくPTA活動に参加できないという家庭は増えるだろう。
「本来PTAは任意加入の団体で、非会員家庭の子どもも会員家庭の子と同様に扱うもの」という認識を改めて確認することはもちろん、同時に、PTA活動の効率化や業務のスリム化を進めて、多くの人が参加したいと思えるような組織に変革しなければ、存続は難しいだろう。
(PTAジャーナリスト・大塚玲子)
※AERA 2018年11月12日号より抜粋
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2018年11月20日

「パパ活」を甘く見る女子中高生に迫る超危険

「パパ活」を甘く見る
女子中高生に迫る超危険
性被害や殺人の可能性を忘れてはいけない
2018/11/18 東洋経済

高橋 暁子 : ITジャーナリスト

「#パパ活初心者」「#パパ活大阪」「#パパ活JC」「#パパ活」――。
ツイッターなどのSNSで「パパ活」と検索すると、このようなハッシュタグをつけた投稿が多数見つかる。
パパ活とは、パパと呼ばれる男性と食事やデートなどを行い、金銭的授与を受けることを指す。
実態は必ずしもそうではないが、基本的に“性的関係を前提としない”とされている。

「#パパ活JC」の「JC」とは女子中学生を意味しており、同様に「#パパ活JK」の「JK」は女子高生を意味する。
そんな若い世代がのめり込むパパ活だが、最近は脅迫や性被害につながるなど、リスクも明らかになってきた。

「パパ活」の温床はツイッターやインスタ 「#パパ活募集」「#パパ活初心者」「#p活(パパ活の略語)」などのハッシュタグがついたツイートには、多くの男性から「DM開放してください」「DMよろしくお願いします」などのリプライが寄せられている。
パパ活募集の投稿の特徴は、詳細な情報を載せるためと、それを取り締まる警察からの検索を予防するためか、画像を使って自らのスペックや相手に求める条件などを載せていることだ。
自らの年齢や学年、身長、会える時間、場所、1時間あたりの料金などを載せるほか、「体目的、お触り、録音、録画、密室空間(車含め)、暴力行為、ドタキャン、個人情報」などの禁止事項を載せている投稿が多い。

ある女子中学生と思しきアカウントは、前述の禁止事項に続いて「上記のことが起き不安に思った場合は返金無しに打ち切らせて頂きます」と注意書きも付けている。
「過去ツイとかも確認します」とあり、パパになりたい男性の過去の投稿をもとに、信頼できるかどうか確認しているようだ。
また、女子高生と思しき別のアカウントはツイッターのパパ活募集ツイートに、「本気で会う気がある方がいましたら、インスタグラムのアカウントを教えるのでそこで顔などを確認していただけたらと思います」としていた。
このように複数のSNSを活用してパパを募るケースもある。

そもそも援助交際自体も、売春を手軽な印象の言葉に言い換えたものだが、パパ活となるとさらにライトな印象になる。
しかも前提として性的行為はなしとなれば、お手軽なバイト気分で投稿してしまう女子中高生が出てきてしまうのは当然と言えるかもしれない。
「こちらは愛知県警少年課です。このツイートは児童買春などの被害につながるおそれがあります。
また、見ず知らずの相手と会うことは、誘拐や殺人などの重大な被害に巻き込まれるおそれのある大変危険な行為です。」

同時に愛知県警少年課は、加害者となりうる成人のツイートに対しても、書き込みの削除を促している。
また大阪府警も今年8月から、パパ活を募集している少女たちの監視を強化しており、その待ち合わせ場所に訪れた少女らを補導する「サイバー補導」を行っている。
メディアなどでパパ活が騒がれる一方で、警察もその対策を強化しているのだ。

福岡県警筑紫野署も今年、県内の男子高生(当時17歳)を補導している。
2018年9月、男子高生はツイッターに「福岡 17さい ままかつしたい#ママ活」と投稿。書き込みを見つけた同署員が男子学生に連絡すると、「2時間カフェでまったり会うので7000円」と返答。
彼が待ち合わせ場所に現れたところを警察は補導した。

「パパ活」「ママ活」のリスク
このように年上の女性と会って金銭的援助を受ける「ママ活」も、SNS上にあふれている。
また、ママ活をしようとする女性の投稿も少なくない。
筆者が過去に取材した、ある女子大生は親しい友人数名がパパ活をしていると言っていた。
「父親から祖父くらいの年齢の相手と食事をしたりLINEをするだけで、月に数万円手にしているみたい」という。
しかし、彼女自身は「パパ活に興味はない」と話す。

「相手がストーカー化して大学に来てしまったという怖い話を聞いて、絶対ありえないと思っている」からだ。
体目的、お触り、録音、録画、密室空間(車含め)、暴力行為、ドタキャン、個人情報」などが禁止事項として挙げられているのは、そのような危険と隣り合わせということ。
2人きりで異性と会うのだから性的被害は受けやすい状況であるし、盗撮や録音されたら脅迫やリベンジポルノ被害につながる可能性もある。

すでに述べたとおり、パパ活やママ活はサイバー補導の対象だ。
同時に、身の上にさまざまな重大な危険が降りかかる可能性が高い。
もし周囲にパパ活やママ活に手を出している子どもいたら、その危うさをちゃんと伝えてあげてほしい。

 そして、インスタグラムでも「#パパ活募集」は行われている。
「ツイッター凍結されちゃったんで、パパ活垢作りました」というただし書き付きで、ツイッターと同様条件や禁止事項などを画像で投稿している点は同じである。
ツイッターやインスタグラムは匿名で複数のアカウントが作成できる。
そのため、パパ活目的で使いやすいというわけだ。

しかし援助交際と違って、パパ活なら安全というわけではない。
日本郵便契約社員である20代男性が2018年2月に、東京豊島区のホテルで当時高校2年の女生徒(17歳)に現金2万円を渡し、わいせつな行為をしたとして逮捕された。
男はツイッターでパパ活を募集し、連絡してきた女生徒と会ったという。

警察も「サイバー補導」で
     少女たちに注意喚起
性的行為がないことを前提としていたはずが、実際には児童買春や性暴力につながるケースが目立ってきているのだ。
そういった事件が続出する背景から、愛知県警少年課が2018年10月より、ツイッター上で児童買春につながりそうな書き込みに対して注意を促している。
児童買春を引き起こすようなツイートには次のような文面が送られてくる。
「こちらは愛知県警少年課です。このツイートは児童買春などの被害につながるおそれがあります。
また、見ず知らずの相手と会うことは、誘拐や殺人などの重大な被害に巻き込まれるおそれのある大変危険な行為です。」

すでに述べたとおり、パパ活やママ活はサイバー補導の対象だ。
同時に、身の上にさまざまな重大な危険が降りかかる可能性が高い。
もし周囲にパパ活やママ活に手を出している子どもいたら、その危うさをちゃんと伝えてあげてほしい。
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2018年11月21日

小学校算数の「さくらんぼ計算」に戸惑う声 文科省の見解は?

小学校算数の「さくらんぼ計算」
戸惑う声 文科省の見解は?
2018/11/15 J-CASTニュース

小学校で「さくらんぼ計算」というやり方を強いられたとして、ツイッター上で不満の声が出ている。
文科省では、「さくらんぼ計算」の言葉は使っておらず、学習指導要領で考え方を示しただけだと説明している。
「強いられて混乱」のツイートに「いいね」5万件余 きっかけは、小学1年生が「さくらんぼ計算」を強いられて混乱していると、ツイッター上で2018年11月12日に報告があったことだ。

さくらんぼ計算とは、例えば、「8+7」の足し算で、7を2と5に分け、8にこの2を足して10にする。
そして、10と残りの5を足して15と計算するやり方だ。
7の下にぶら下がったさくらんぼの実を2つ描き、2と5を実の中に書くことから、さくらんぼ計算と呼ばれている。
この足し算では、8を3と5に分けてもよい。

先の報告主は、「10+7」の10を3と7に分けるといったムダなことをする子供もいたとして、こうした考え方を示した文科省に疑問をぶつけていた。
このツイートは、大きな反響を集め、15日夕現在で5万件余も「いいね」が付いている。
さくらんぼ計算は、小学校で広く使われているようだ。
別のツイッター投稿者は、自分の弟がさくらんぼ計算の図を解答用紙に書かずに省略したところ、全部1点ずつ引かれていたとして、やり方を強制することに疑問を呈した。

テスト中に、さくらんぼ計算の図を使うような指示はなかったという。
このほかにも、さくらんぼ計算のせいで娘が算数が大嫌いになり、中学3年になっても苦手の自己暗示から抜け出せずに数学を拒否している、とのツイートなどもあった。

「やるかどうかは、各教育委員会か各学校での判断」
さくらんぼ計算については、ネット上で賛否が分かれている。
疑問を呈する向きとしては、「10を1つの束にする、というのがどうも違和感がある」
「わかる子が算数をつまらなく思ってしまう」
「自分に合ったやり方で計算させてあげればいい」といった声が上がった。

一方、「いや別にこの計算方法は悪くないとは思います」
「5以上の数字はさくらんぼ計算の方が楽だな」
「わたしは好きで いい教え方だなあと感じた」と賛同する向きも多かった。

文科省の教育課程課は11月15日、J-CASTニュースの取材に対し、「さくらんぼ計算」という言い方はしていないものの、その考え方は、学習指導要領の「解説」で示したと答えた。
そこでは、小学校1年の加法、減法の考え方の中で、「計算の意味や計算の仕方を、具体物を用いたり、言葉、数、式、図を用いたりして表す活動」だとして、さくらんぼ計算とは違う図で説明されていた。

「これでやらなければならないということではなく、こういう考え方で計算できるという基準を示しただけです。
やるかどうかは、各教育委員会か各学校での判断になります」

なお、さくらんぼ計算という言葉は、十数年前から使われていることは確認できるが、だれが考えて提唱したのかまでは分からなかった。
   (J-CASTニュース編集部 野口博之)
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2018年11月23日

成績がいい子はノートの取り方にコツがある

成績がいい子はノートの取り方にコツがある
黒板を黙々と書き写す
  板書の大きすぎるムダ
2018/11/22 東洋経済

石田 勝紀
: 一般社団法人教育デザインラボ代表理事、都留文科大学特任教授
*****************************
小学校2年生男子を持つ母親です。
学校生活で、ノートへの板書が苦手です。
日によって、特に国語は取り組もうとしない、テストを見るかぎり内容はある程度理解しているのに書いたり書かなかったりしています。
担任の先生にもこまめに声かけをしていただいているようなのですが、なかなか難しい日もあるようです。
家でいろいろ話はしているのですが、うまくいかない状況です。
アドバイスよろしくお願い致します。
    (仮名:大谷さん)
****************************
黒板に書かれたことを
ただ書き写せばそれでいいのか?
ノートの書き方というのは、重要ですよね。
それができていないとなると、心配になるというお気持ちはよくわかります。
筆者はこれまで、たくさんの保護者の方から相談を受けてきましたが、過去にノートを取ることについてのご相談はほとんどありませんでした。

板書とは、先生が黒板に書くことを黙々と写せば済む、特に頭を使わなくてもできる作業で、授業中寝ている子以外はだいたいノートを取っているため、それほど問題にはなりにくいのです。
しかし、ちょっと考えてみてほしいのです。
それは、「黒板に書いてあることをノートにただ書き写せばそれでいいのか?」ということです。
実はここに勉強ができる子とできない子の差がはっきりと表れます。

これを読んでいる保護者の方もこれまで、子ども時代や学生時代、授業中にノートを取った経験はおありですよね。
ここで1つ質問したいのですが、「あのノートを取る“作業”、本当に意味はあるのでしょうか?」 「意味はあるに決まっているでしょ」という人もいるかもしれません。

もちろん意味がある人もいます。
しかし、大多数の人は、先生が黒板に書いたことを、ただ「書き写しているだけ」であったりします。
字の練習になる以外、ただ書き写す作業にどれだけの意味があるのでしょうか。
さらに、書き写すときに「先生見えません〜」と言った経験がある方もいるのではないでしょうか。
ということは、見えないと書けないわけで、「先生が説明している内容と、黒板に書いてある内容が違う」のです。
そのような状況では、ますます、黒板に書いてあることをただ写すことはほとんど意味がないといっていいのではないでしょうか。

それよりもノートは誰かにコピーさせてもらって、自分は授業中、先生の話をよく聞いていたほうが、よほど理解も進み、結果としてできるようになると思いませんか?
このノートを取るということに疑問をうっすらと感じている子どもたちもいます。
そういう子はノートをとることに意味を感じていないので、先生の話を聞くことに集中していたりします。
または、逆にただ遊んだり、ふざけたりする子もいます。

さらに、もう1つ問題があります。
それは、ノートの取り方を教えてもらっていないということなのです。
年度の初めにノートの取り方というプリントを渡して説明してくれる先生もいるようですが、筆者の記憶ではそのような経験はほとんどなく、また筆者が指導してきた子どもたちに聞いても、保護者に聞いても、ほとんどないと言っています。

なぜノートの取り方を教える必要がないかといえば、ただ黒板を書き写せばいいからなのです。
先生が色分けして書けば子どもたちもその色を使って色分けする。
先生が四角で囲えば、子どもたちも四角で囲う。
つまり、単なるコピーをすればいいのです。
それできれいなノートが作れたらそれで誰も文句は言わないのです。

本当に重要な学びのために
必要なノートとは
しかし、重要なことは内容です
表面的な形も、汚いよりはきれいなほうがいいですが、最も重要なことは、何を学んでいるかということ。
ただひたすら書き写す作業ばかりでは、本当に重要な学びは限定されてしまうでしょう。

大谷さんのお子さんは、ご質問にあるように勉強内容自体は理解できる子のようですので、ノートを取ることに意味を感じていないのかもしれません。
では、このままでいいのかという問題です。
学校の先生からはノートを取る指導がされ、家でも同じ話をされているため、このままでは授業中、単純なノートを取る“作業”に時間を費やしてしまうかもしれません。
そこで、次のアドバイスをしたいと思います。

「ノートを取ることが楽しくなり、しかも理解力も同時につく方法」です。
以下、お子さんに次の2つのことを話してあげてください。

1) 蛍光ペン、色ボールペンをノートに使って自由に“遊べ” 蛍光ペンや色ボールペンを使うと、特に子どもは面白さを感じるようになります。
しかし、これらの文具を使って、ただの落書きをするのではありません。
「超重要は赤」「ちょい重要はオレンジ」という感じで、蛍光ペンでノートに書いてあることで重要そうなところ塗っていくのです。
その時、蛍光ペンの使い方と色ボールペンの使い方を教えてあげてください。
蛍光ペンは塗るためのもの、色ボールペンは字を書くためのものということを知らない子も意外といます。
蛍光ペンで字を書いてもいいですが、見にくいため効果的ではありません。
ボールペンで下線を引くということもありますが、蛍光ペンで塗ってしまったほうが目立ちます。

つまりノートをインパクトのあるにぎやかなものにしていくのです。
そうすると、ただ板書を書き写すという“頭を使わない作業”から“頭を使う勉強”へとシフトする可能性が高まります。
実はこれを始めると楽しくなります。
勉強というよりも遊びに近い感覚になります。
それが子どものモチベーション(やる気)に火をつけるきっかけになることもあります。

2) 黒板に書いてあること以外(先生がしゃべったこと)をノートにどんどん書く
先生が話した面白いことでもいいですし、吹き出しの書き方を教えてあげて「ここ、ちょうたいせつ!」とノートに書いてもいいでしょう。
現在小2ということですので、あまり高度なことはできないかもしれませんが、要するに黒板に書いていあること以外をメモするという習慣を作ってしまうということです。
話を聞いていないとこれらは書けませんし、理解できなければ、「ここぜんぜんわからない!」と書いておけばいいのです。そうすれば先生や親がノートを見たときに、子どもの状態を把握できたりもします。

オリジナルノートにしていく
子は、成績が上がっていく
実は、この「黒板に書いてあること以外を書く」習慣がある子どもは、すこぶる成績が良いのです。
それは中学、高校で顕著になります。
筆者はこれまで3500人以上の子どもたちを指導してきた経験からも、そのような傾向がありましたし、また、東大の大学院で見た東大生のノートの取り方にも共通点がありました。
もちろん、そのようなことをしなくても、成績が良い子もいますが、ノートをただ周囲の人と同じものを書いているだけではなく、オリジナルノートにしていく子は、成績が上がっていく傾向にあったのです。

このようなわずかなノートの取り方の差が、中学、高校、大学、社会人になっていくに従って、どれだけの差になっていくかを考えると、日常の単純なテイク・ノートは非常に大切な習慣だといえます。
せっかくなら、単純作業をやらせるのではなく、面白く、楽しく、しかも学びに直結するノートの取り方をぜひ教えてあげてください。
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2018年12月08日

「こういうことはこれからもある」元BC級戦犯が残したもの

こういうことはこれからもある
元BC級戦犯が残したもの
11/30(金) Yahoo!ニュース 特集編集部(武馬怜子)

この8月、ようやく連絡先を探し当てた高齢の男性はスマートフォンの向こうで言った。
「(父をめぐる出来事は)忘れました。
ほっといてください。
何も言いたくないんです」。
懇願するような声だ。
「本当に覚えていないんです。分かってくださいますか」……。
敗戦国・日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)は1945年の末から「戦犯」を次々と捕らえ、裁判にかけた。
電話の主は、元被告の遺族の1人である。
広く知られた A級戦犯の「東京裁判」ではなく、捕虜の斬首や虐待などの罪に問われたBC級戦犯の「横浜裁判(横浜軍事法廷)」。
戦勝国・米国によって1000人以上が起訴されたその法廷は、ちょうど70年前の今ごろ大詰めを迎えていた。
(文:武馬怜子/Yahoo!ニュース 特集編集部)
******************************
BC級戦犯1000人超 
捕虜の殺害や虐待で法廷へ
「蛮行、死刑に値す」――。
敗戦の年、1945年12月19日の読売報知新聞はそんな見出しを掲げ、前日に始まった「横浜裁判第1号」の様子を伝えている。
「蛮行」とは、日本軍による捕虜の殺害や虐待を指す。
敗戦濃厚だった時期、日本国内の捕虜収容所では、米兵らの首を斬り落とす「処刑」をはじめ、捕虜をいためつける「虐待」が多発していた。
横浜裁判が始まった当時、ほんの数カ月前まで「軍」を賛美し、戦争を煽ったメディアは既に大きく方向を変え、戦犯となった元軍人らへのバッシングを強めていた。

横浜裁判を主導するのは米国。
合計で1039人が起訴され、有罪率は実に82%。
「絞首刑」判決も123人に達し、実際に51人が絞首刑を執行されている。
スマホの向こうで「覚えてませんから」と取材を拒んだ高齢男性の父親も、そうしたBC級戦犯の1人だった。

戦時中は、中部地方にあった捕虜収容所の監視員。
そこで捕虜の米兵を虐待死させたなどの疑いをかけられ、裁かれたのである。
求刑は死刑、判決は終身刑。
1951年に釈放されて故郷に戻っている。

絞首刑や終身刑を言い渡されたBC級戦犯でも、再審での減刑や釈放によって社会に戻った人たちは少なくない。
そうした元戦犯たちは身内や周辺に何かを語ったのだろうか。
次世代に伝えたいものがあったのだろうか。

「絞首刑」を言い渡された父の日記 文具品などを販売する株式会社「TOHJI(とうじ)」の事務所は、福岡市繁華街・天神の真ん中にある。
ビルの2階でエレベーターを降りると、白い扉が一つ。
今年9月中旬、その扉を開けると、同社会長の冬至克也さん(64)が待っていてくれた。

克也さんの父・冬至堅太郎氏(故人)は、BC 級戦犯として被告席に立たされた元陸軍大尉である。
堅太郎氏が裁かれた事件は「西部軍事件」と呼ばれ、横浜裁判の中でも際立つ存在だった。
日本刀などを用いて「処刑」した米兵の数、起訴された日本軍関係者の数。
そうした「数」の問題だけでなく、誰が誰に「処刑」を命じたかといった責任の押し付け合いも法廷の内外で続いた。

その父の日記を公開することに決めたのだという。
どこかに寄贈したいとの思いもある。
「日記は前からあったんですけど、経年しているので紙が劣化しています。
全部で9冊です。
公開は今年になって、初めて外部に見せました。
貴重な資料なんで」 克也さんが日記を広げてくれた。

青い表紙のファイルが8冊、クリアファイルが1冊。
それぞれにトレーシングペーパーや和紙が綴じこんであり、どの紙にも几帳面な文字がぎっしりだ。
英語やイラスト、新聞記事の切り抜きを貼った箇所もある。

日記の最初は1946年8月13日だ。
堅太郎氏はその数カ月前、GHQの指令で動いた警察に逮捕され、東京の巣鴨プリズンに移送。
横浜裁判では「絞首刑」の判決を受けた。
その後、再審で終身刑に減刑。
さらに、日本の主権回復に伴って1956年に釈放され、郷里の福岡に戻った。

日記はそうした日々の中で記されたものである。
斬首によって米兵を「処刑」したときのこと、法廷で感じたこと、巣鴨プリズンでの暮らし……。
聖書や仏教について論じている箇所もある。
最後は1952年10月。およそ3000ページにもなるという。

敗戦間際 捕虜の米兵を斬首で「処刑」
「西部軍事件」とは、九州地方などを管轄していた旧日本陸軍西部軍管区の軍人らが引き起こした事件で、横浜裁判の審理は、70年前の1948 年10月に始まった。
米軍機の搭乗員だった捕虜約33人を3回にわたって「処刑」したという内容だ。
陸軍の定めた捕虜に対する裁判「軍律会議」を経たかどうかなどが焦点となり、日本側は処刑執行人ら32人が起訴された。

国立公文書館などに残る横浜裁判の資料によると、第1事件は1945年6月20日だった。
現在は小学校となっている福岡市内の場所で、日本刀で首を斬り落とすなどして捕虜8人を殺した。
第2事件は敗戦5日前の出来事で、犠牲者は捕虜8人。空手や袈裟斬り、斬首などによって殺害した。
第3事件は敗戦を告げる「玉音放送」の後に起きている。
それまでの処刑に関する証拠隠滅のためだったとされ、捕虜16〜17人が斬り殺された。

日記を残した冬至堅太郎氏は第1事件に関わっており、米兵4人を斬首した。
いったい、堅太郎氏はどんな行為に手を染めたのか。
公開されている裁判記録や横浜市が保存している「桃井_次家資料」などによると、こんな様子だった――。

1945年6月19日、福岡市は米軍の激しい無差別爆撃を受けた。
「福岡空襲を記録する会」の資料によると、焼失面積は12.5平方キロメートル。
朝鮮半島と結ぶ要衝だった博多港では建物の30%が焼失し、市内全域で1000人以上が死亡・行方不明になったという。

福岡市内の西部軍司令部にいた堅太郎氏は翌朝、母を捜して市内を歩き回った。
遺体のほとんどは老人、女性、子ども。
無残な亡骸の中からついに変わり果てた母を見つけた。

横浜裁判の後、堅太郎氏は当時の心境を後にこう記している。
母は総(すべ)ての人から親しまれ、誰よりも熱心に戦争の終わることを祈っていたのでした。
母は惨死しました。
真心を以(もっ)て母を愛している人であったならこの時の私の悲痛と敵愾心(てきがいしん)の混じった深酷且(かつ)複雑な興奮はよく想像して頂けると思います =「再審嘆願書」、作成年月不明

息子の克也さんによると、「鬼畜米英」と教え込まれていたにせよ、「父は実際にそう思ったことはなかったのでは」と振り返る。
写真や絵画に親しみ、外国人の写真を撮って交流することも珍しくなかったという。
堅太郎氏は母の遺体と対面し、その後、西部軍司令部に戻る。
すると、広場では既に数人の「処刑」が始まっており、数人の捕虜は穴の中で死体となって横たわっていた。
堅太郎氏は進み出た。
「私は処刑者として最もふさわしい者だ」と突差に考えました。
そして眼の前に法務部長や参謀が居ましたから、自分の職、官位、姓名を告げ理由を言って処刑者を志願しました =堅太郎氏本人による「検事側にせる口述書及提出書の内容」、1948年2月20日 母を殺されたばかりの自分こそが「処刑の執行者として最もふさわしい」という申し出である。
自分の軍刀(日本刀)を持参していなかった堅太郎氏は、周囲の軍人らに日本刀を借りたいと言う。
一人の見習い士官がすぐに貸してくれました。
この時、曹長が(捕虜の米軍)飛行士を穴のふちに膝をつかせました。
私は軍刀を水で清めてもらった後、飛行士の横に立ち、軍刀を振り上げました。
この時、背後にいました将校が、よく狙いをつけるように注意しました。
呼吸が静まるのを待って軍刀を振り下ろしたところ、首は九分通り斬れ、そのまま前に倒れて、穴の中に落ちました =同 堅太郎氏はこのあと続けて3人を斬り、計4人の米国人を「処刑」した。

「処刑」の責任
 押し付け合う上官たち
堅太郎氏らを裁く「西部軍事件」の取り調べ過程では、思わぬことも発覚した。
1945年の3月と5月、東京の陸軍省は西部軍参謀長に宛て、「敵機搭乗員は現地軍において適宜処分すべし」「(捕虜は)その地域で処理をするように」という電報を発している。

西部軍司令部は「適宜処分」などの解釈について議論を繰り返したが、結論を出せぬまま時間を費やす。
そして結局、一連の「処刑」は、軍律会議という軍の「裁判」を経ぬまま、実行されたことが分かったのである。
西部軍事件に限らず、BC級戦犯に問われた上官たちの中には、事件の隠蔽や責任の押し付け合いに走った者も少なくない。
堅太郎氏に「処刑」を命じた上官は「別の上官に言われたことにしてくれ」と懇願してきたという。
部下に責任を押し付け合う西部軍の上官たち。
そのさなかにあった父・堅太郎氏の心境を思い、克也さんはこう話す。

「(それらの行動は)よくある姿かもしれません。
戦争の中でやってきているから(やむを得ない)と。
下は命令されたからやったんだし、上にしたら(さらに上層部の)命令か指示なのか分からないようなものを自分なりに解釈してやった。
こういうことはこれからもずっとあるでしょう

横浜裁判では、地元の弁護士たちが戦犯の弁護人として活動を続けたことが知られている。
横浜弁護士会(現・神奈川県弁護士会)は1998年に特別委員会をつくり、横浜裁判の実態を調査。
いくら戦勝国による裁判であったにしても、正当な「法の支配」はあったのかどうかを検証している。
その中心メンバーだった間部俊明弁護士(73)は西部軍事件について、こう振り返る。

「実にやりきれない事件です。
被害と加害の連鎖です。
そしてこれは、日本国憲法前文の『戦争の惨禍』という言葉にもつながるんです」
われわれは戦後、新しい憲法を施行したけど、『戦争の惨禍』とは何かということを知らされてこなかったわけですよ。
原爆(の被害)は言われてきました。
沖縄戦も。
しかし、敗戦末期のこの事件のことはほとんど知らされていない。
これをどう総括するかですよ」 間部弁護士はさらに続けた。

「横浜裁判は勝者による裁きであり、認められないという人もいます。
一方的に勝者が敗者を裁いた、あってはならないひどい裁判だ、と。
じゃあ、どういう視点でこの事件を論じたらいいのか。
私は『戦争の惨禍』、たった5文字だけど、それを具体的に知らなきゃいけないと思うんですよ。
残念ながら国は、それを知ろうとする人に(実態を)見せないようにしてきた
国立公文書館で調べても、(戦争裁判記録の多くは)黒く塗りつぶされていて、努力してもそこで終わっちゃうんですよね」

郷里・福岡に戻り、「戦犯」から父へ 釈放された堅太郎氏は福岡市に戻り、文具店を営んでいた。
終のすみかとなった住宅は、今も同市西区に残っている。
急斜面の細い坂道を上り切った、博多湾を見渡せる高台。
眼下にはJR筑肥線が走り、リゾート施設も見える。
1983年に68歳で亡くなるまで、堅太郎氏はここで過ごした。
息子の克也さんはそのころの父をよく覚えている。
「英会話を勉強してました。(学習用のカセットテープを文具店の)事務所で聞いて、しゃべって。韓国や東南アジアからの留学生の面倒をよくみていました。
家に招いて食事して」

孫に当たる冬至竜介さん(45)もこう言った。
「なぜ、留学生を世話するのか。
(祖父は)罪滅ぼしだ、と言っていました。
アジアを日本人が攻撃して悲惨な目に遭わせた。日本では(加害の実態があまり)報道されないけれども、せめてもの償いだ、と。そう言っていました」

高台の住宅の庭には4体の地蔵が置かれていた。
自らの手であやめた“敵国”の若者と同じ数だ。
その鎮魂のためであり、実際に堅太郎氏は毎日、地蔵に手を合わせていたという。
克也さんが述懐する。
「地蔵は4体と小さいのが1個あったんですよ。
『恐らく自分が手にかけた米兵にもお子さんがおったかもしれん。
そういう人たちもすこやかに育つように、と思っているんだ』と。
そう言ってましたね」

「短い命を更に縮めるような
      小細工はなさるな」
堅太郎氏の死後、4体の地蔵は福岡市城南区の油山観音に寄進されている。
この9月、4体の地蔵を探すため、油山に向かった。
人影はほとんどない。
本堂の周りには地蔵がいくつもあり、冬至家の地蔵はどれか、なかなか判別ができない。
寺に調べてもらい、ようやく4体を確認できた。

実は米軍に連行される前、堅太郎氏は自決を志し、この油山観音の和尚に相談した。
そのやりとりも堅太郎氏は書き残している。
「なぜ自決なさるのですか」と問う和尚に向かって、堅太郎氏は「敵に捕らえられ罪人として殺されるのは厭(いや)ですし、あとに残る家族の名誉のためにも軍人らしく自決したほうがいいと思います」と答えた。
すると、和尚はこう諭したのだという。

「ハハハ……そんな見栄はおすてなさい。
敵とか味方とか、一家の名誉とかそんなものにとらわれなさるな。
武士道なども仏の途にくらべると随分せせこましいものですよ。
仮にあなたが生き永らえたとしてもせいぜいあと5、60年の命でしょう。
天地の悠久に比べると誰も彼も一瞬の命にすぎません。
その短い命を更に縮めるような小細工はなさるな」 =『油山の歴史と伝説』に収録されている堅太郎氏の『苦闘記』

堅太郎氏はその後、巣鴨プリズンの中で仲間たちと共に、「世紀の遺書」という遺稿集の編纂(へんさん)に携わった。
横浜裁判や東京裁判だけでなく、中国や東南アジアなどで行われた戦争裁判で戦犯となった日本人たちの遺書も収められている。
その出版収益金によって1955年、東京駅に「アガペの像(愛の像)」が設置された。

堅太郎氏は、自分の子どもたちや次世代の人々に何を伝えたかったのだろうか。
冬至家が保存していた日記をめくると、1949年6月8日の日付にはこう記されていた。
日本人は自分自身で考えるという大切なことにかけている。
お父さん自身もそうだった。
どんな人の言葉も盲信してはいけないし、頭から否定してもいけない、必ず、自分でよく味わい、吟味しなくてはならないのだ 


武馬怜子(ぶま・れいこ)
1980年、愛知県生まれ。
フォトジャーナリストの中村梧郎氏に師事。
2013年から被災地をテーマに写真展を各地で開催。
2014年、上野彦馬賞入選。
伝統芸能や動物、ロヒンギャ難民などを幅広く取材。
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2018年12月19日

子どもの「やりたくない」をやる気にする秘訣

子どもの「やりたくない」をやる気にする秘訣
つい夢中になってしまう仕掛けとは何か
2018/12/18 東洋経済
沼田 晶弘
: 国立大学法人東京学芸大学附属世田谷小学校教諭

子どもたちの「やりたくない」をどうすれば「やりたい」に変えることができるのか。
「早くしなさい!」と言う前に子どもが自分から動く仕掛けとは何か?
 小学校教諭の沼田晶弘氏の著書『家でできる「自信が持てる子」の育て方』より、子どもたちがついつい夢中になってしまうポイントを解説します。
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まずは、子どもに宣言してもらうのがいちばん
たとえば宿題が出ているのにお子さんがやろうとしないのであれば、親御さんが「やらせなくては」と考えるのは当然です。 しかし人の気持ちはそう簡単には変えられないもので、それはお子さんでも同じことです。

そもそも「宿題ないの?」という質問で急かすことは無駄なのです。
「ある」と返ってくるのはわかりきっているのです。

僕であれば「何時から宿題やるの?」と尋ねます。
「……19時からやる」と子どもが時間を自分で決めたなら、それ以上はうるさく言いません。
そして、時間がきたら声をかけます。
「19時だよ」と。
その時「宿題はやりたくないけれど、約束を守らないのもみっともない」と子どもは思うはずです。

なぜなら宿題は課されたものだけど19時からやるのは自分で決めた決まり事ですからね。
自分で「やる」と決めた。
たとえ大人にうながされた結果であっても、その事実は子どもにとって重いものになります。

大人はついつい言葉を駆使して子どもに「やらせよう」としてしまいますが、逆効果になることもしばしば。
そういうときは、「どうやる?」「いつやる?」と尋ねることで、「こんなふうにやる!」と子ども自身に宣言してもらうのがいちばんです。

この方法は、大人もまた、自分が言ったことはきちんと実行する姿勢を子どもに見せることが大事です。
「ゲームを買ってあげる」と言っておきながら、あっさり反故にしたりすれば、子どもは失望するでしょう。
そして、「約束はやぶってもいいものなんだ」と間違って学んでしまうかもしれません。
必ず約束を守るという親御さんの一貫した姿勢があってこそ、「自分で言ったんだから、やりなさい」という言葉にも重みが生まれるものなのです。

自分で考えることも重要です
また子どもたちにとって、自分で宣言することと同じくらい、自分で考えることも重要です。

ある年の林間学校でのこと、あるお店で、みんなでソフトクリームを食べることになっていました。
しかし、当日は大雨で足元はびちゃびちゃ。
そのうえ寒い。
僕は子どもたちに聞きました。
「何かあったかいもののほうがいいんじゃないの?」。
子どもたちは、ガヤガヤと意見を言いはじめ、自分たちで考えて「食べる」と結論を出しました。
誰かに言われたわけでもなく、自分で決めました。
ソフトクリームに対する後ろ向きな気持ちが、少しはあったかもしれません。
しかし、自分で決めたという意識があるからこそ、ソフトクリームは、子どもたちにとって、「食べてよかった」「いい思い出になった」という記憶に残るのです。

「見通し」を共有する
また僕は、子どもたちに何かをやってもらいたいと思ったときは、最初にある程度の「見通し」を伝えるようにしています。

ある日、4時間目に体育の授業が入っていました。
「おーい、みんな。もし体育が楽しくなって、授業時間が伸びるかもしれないよね。そしたら、昼休みが短くなっちゃうかもなぁ……。どうする?」と聞いてみます。
一手間加える分面倒くさいですが、一つひとつ聞いて自分で決めさせることが大切なのです。
すると、子どもたちは「おっ!」と何かひらめきました。
それぞれが机の上をきれいに片づけ、給食用に席を並べ替えてから、出ていきました。
こうしておけば、体育が終わって戻ってきたら、すぐに給食の配膳を始められます。

授業時間が伸びた分を「いただきます」のタイミングで取り返せるのです。
つまり、体育を存分に楽しみ、かつ昼休みもたっぷり遊べる。
子どもたちはボクの一言が示した「先の見通し」を正しく読み取り、考え、自分から行動を起こしました。

「早く早く!」とお子さんを急かす前に、
「今、ご飯を食べたらこのあと、何ができると思う?」
「今、お風呂に入ると、後の時間はどうなる?」 と、尋ねてみてはどうでしょう。

また「早くやっちゃえば、残りの時間にテレビをいっぱい見られるよね」と、ご褒美をちらつかせるのも、時には効果がありますよ。
「9時には寝るとして、宿題が終わっていると、けっこうゲームできるんじゃない?」。
そんなふうに、ちょっとだけ仕掛けてみるのです。

仕掛けには、注意が必要
ただ、仕掛けには、注意が必要になります。
そう言っておきながら、親御さんが、宿題をしなかったのにゲームをすることを許したりすれば、余計に言うことを聞かなくなってしまいます。
「宿題しなくても、ゲームできたじゃん」という「負の成功体験」をすでにしてしまったからです。
「お父さん、お母さんの言うことなんて、聞かなくても困らないや」。
子どもはそんなふうに思ってしまうからです。

課題・制限・報酬の3つでワクワク・ウズウズさせる
そもそも子どもたちが「勉強はつまらない」と思い込んでしまうのはなぜでしょう。
本来、学ぶことは楽しいはずなのです。
知識が増え、考えが深まって、できないことができることに変わっていく。それが学びです。

しかし、子どもたちの多くは、勉強が「つまらないもの」に思えてしまいます。
「これをやりなさい」「あれもやりなさい」と言われ、子どもたちにとって勉強は「やらされるもの」になりがちです。
だから僕は、子どもたちに「これをやってみよう!」と提案するとき、

学ぶ楽しさを知ってもらうために必要な3つのものを用意します。
1つ目は、「課題」。
「やってみよう」と提案するとき、必ず「これから何をやるのか」「どうやるのか」をわかりやすく説明します。

2つ目は、「制限」。
「課題」を出すとき、同時に何らかの「制限」をつけるのです。
できることが限られると、子どもたちは許された範囲でできる最大限のことは何か、どうすればそれをやれるのかと、ワクワクしながら考えはじめるからです。

3つ目は、「報酬」。
「課題」を達成したあかつきに、子どもたちが手にすることのできる成果やご褒美について、最初にきちんと提示してあげます。

この3つを提示することで、子どもたちは見通しを自分で考え、そして自分たちで答えを導き出し、勉強を「やらされるもの」から「やりたくてたまらない」ものにしていくのです。
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2019年01月15日

まず「信念」がなければどんな夢もかなわない

まず「信念」がなければどんな夢もかなわない
2019年01月14日 SPA!

いまの仕事楽しい?……ビジネスだけで成功しても不満が残る。
自己啓発を延々と学ぶだけでは現実が変わらない。
自分も満足して他人にも喜ばれる仕事をつくる「魂が燃えるメモ」とは何か?
そのヒントをつづる連載第84回  信念は主観的です。

自分の体験に基づいて、「これはこういうものだ」と定義します。
だからそれは必ずしも「正しい」とは言い切れません。
他の人にとっては、そうではない場合もあります。
かといって誤りでもなく、客観的な正誤の天秤では量れないのが信念です。

 時には一人の信念が大多数の常識を覆して、広まることもあります。
それが発明や発見、あるいは夢です。
「人間が空を飛べるはずがない」のに飛行機が生まれ、「ただの神話のはず」のトロイア遺跡が見つかり、「お前がなれるわけないだろ」と馬鹿にされていた人間がミュージシャンになります。

 言葉は事実を表すだけではありません。
赤信号を見て「赤い」と形容するだけでなく、「赤」からりんご、口紅、フェラーリ、あるいは形のない「情熱」などを連想できます。
そして、それが人を動かします。

言葉はラベルの貼られた空き箱です。
「夢」と言えば、そこに自分の夢が入り始めます。
信念が未来を引き寄せるのです。
 もちろんそのためには自分の過去と結びついてなくてはなりません。

信念に客観的な正しさはありません。
たとえ誰かが同意しくれたとしても、全員が同意することはありえません。
だからこそ過去の体験を根拠にすることが、信念の必須条件になります。

ギターを触ったこともないのにいきなりギタリストにはなれません。
漫画を描いたことがないのにいきなり漫画家にはなれません。
投資の経験がないのにいきなり全財産を注ぎ込んだら、その結果は明白です。

 何かを成し遂げるのはとても不安定な道のりです。
上手くいくかもわからないし、上手くいかないかもわかりません。
上手くいくとわかっているなら安心できますし、上手くいかないとわかっているなら諦められます。そのどちらでもないから、人はああでもないこうでもないと悩みます。
いわゆる紆余曲折です。  

その曲がりくねった道を歩む拠り所は、自分の周囲を照らす信念という揺らめくローソクの炎だけ。
それは時に強い風に吹き消されてしまうこともありますが、再び灯すこともできます。
そのためにあるのが自分の信念を発見するメンタルレコーディングです。
「どうすればうまくいくのか?」を考えるのが思考の役割です。
そうした思考も大切ですが、その前に信念をはっきりさせる必要があります。

◆魔法のステッキはいつか夢になる
 初代iPhoneのプレゼンで、スティーブ・ジョブズは「電話を再発明する」と言いました。
電話とカメラと音楽プレーヤーとネット端末を一台に集約するというコンセプトです。
日本では既に同様の機能を持つiモードやezwebが普及していて、「iPhoneは流行らない」と言われていました。
しかし今ではiPhoneが提案したタッチパネル式のスマートフォンがスタンダードになっています。
 ビジネスではこうした例がたくさんあります。

セブンイレブンはおにぎりを売り始めた時、「売れるはずがない」と言われていました。
セブン銀行を始めた時も、「ATM手数料が収入の銀行など成り立たない」と言われていました。
誰かの反対を間に受けていたら、何も始められなくなってしまいます。
自分の行く手を遮るのがロジックとは限りません。

現実は理性よりもむしろ心を折ろうとしてきます。
 ある男の子が木の棒を振りかざしながら、「これは魔法のステッキだ!」と言いました。
それを隣で見ていた女の子は「違うよ」と返しました。
客観的なのは女の子です。
しかし男の子の主観では、それは魔法のステッキだったのです。
そこには幼いながらにして、信念が芽生えています。
人間は嘘を本当にしようとする時に強く輝きます。
それが夢です。

佐々木】 コーチャー。
自己啓発とビジネスを結びつける階層性コーチングを提唱。
カイロプラクティック治療院のオーナー、中古車販売店の専務、障害者スポーツ「ボッチャ」の事務局長、心臓外科の部長など、さまざまな業種にクライアントを持つ。
現在はコーチング業の傍ら、オンラインサロンを運営中。ブログ「星を辿る」
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2019年01月28日

決断力を磨くためには現場の修羅場も必要だ

決断力を磨くためには現場の修羅場も必要だ
サントリー新浪社長が培った意思決定力
2019/01/27 東洋経済オンライン
常井 宏平 : 編集・ライター

人は誰しも日々大小さまざまの意思決定をしているが、すぐれた決断をするのはなかなか難しいもの。
しかし、決断力は手順を正しく学ぶことで確実に磨かれ、人生を切り拓いていくための糧にもなると、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスで意思決定や交渉についての人気講義を担当する印南一路氏は言う。

このほどその本質をまとめた『サバイバル決断力』(NHK出版)を上梓した。
すぐれた決断をするためには、何が必要なのか? 
印南氏の横浜翠嵐高校時代の同級生で、グローバルに展開する企業のトップとしてさまざまな決断をしてきたサントリーホールディングス社長・新浪剛史氏との対談で、その秘訣を聞いた。
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成功の保証はないけど意思決定するのが「決断」

――『サバイバル決断力』では「意思決定」や「決断」の重要性を述べていますが、そもそもこの2つにはどんな違いがあるのでしょうか?

印南意思決定は、ひと言でいえばいくつかの選択肢の中から「判断」して「選択」することです。
判断するために客観的な情報収集を行い、それをもとに成功する確率を計算するなど、さまざまな角度から分析して選択します。
決断は意思決定に含まれますが、中でも不確実性があって成功する保証はないけど、一定のリスクを取って意思決定することを指します。
企業の新規事業への進出やM&Aなどもそうですが、個人でいえば結婚や転職なども「決断」の部類に入るといえます。

新浪君は今までに大きな決断をいくつもしています。
商社時代に留学のための休職制度がない状況下でハーバード大学への留学を決意したこともそうだし、商社を辞めるとき、サントリーの社長に就くとき……etc。
まさに「決断のプロ」だね(笑)。

新浪:いやいや、今でも決断する自信があるかといえばないものですよ(笑)。
そうはいっても経営者の立場にあるから、プロとして日々決断をしています。
今、決断したことが将来正しいかどうかはわからない。
だけど、一度決めたら躊躇せずにいくようにしています。
もちろん、すべての決断が成功してきたわけではないし、失敗することもありました。

でもそれが糧になって次の意思決定や決断につながった部分はありましたね。

印南:『サバイバル決断力』の巻末では、「モタ先生」こと精神科医の斎藤茂太先生(1916〜2006)の「人生に失敗がないと、人生を失敗する」という言葉を紹介しているけど、まさしくその言葉どおりだね。

新浪:僕は若いうちから決断が迫られる立場に立たせてもらったけど、それがよかった。
自分で決断する状況に追い込まれないと、決断力は身に付きませんからね。
早いタイミングだったので、失敗しても取り返しがつく。

決めるときにはいろんな助言や示唆をもらい、毎日スピーディーに決断し、意思決定したときにはそれを論理立てて説明する。
それをずっと積み重ねてきて、今があるのだと思います。
MBA取得のためのビジネススクールでは竹光(竹を削ったものを刀のように見せたもの)は与えてくれるけど、それを本物の刀にしていくには決断を重ねていかないといけない。
だから僕は、決断力というのは現場の修羅場で最も身に付くものだと思っています。
意思決定はトレーニングで鍛えられる

――経営者として意思決定や決断をするうえで、難しいと感じることはどれくらいありますか?

新浪:それはもう、難しいことだらけですよ(笑)。
ときには朝令暮改ならぬ「朝礼朝改」をしたこともありますから。
でもそれは、損失をなくすために行ったものなので、一般的には恥ずかしいかもしれませんが、僕自身は恥ずかしいとは思わなかった。

印南:僕は意思決定などを教える立場にあるけど、そういうメンツにとらわれない決断ができる人は本当に少ないですよね。高校の頃から新浪をみているけど、本当に合理的だし、戦略的。
そして人間が熱い。
大きな決断をするために必要な要素がそろっていますね。
決断するときに悩むことで人間力が身に付く

新浪:よく知っているね(笑)。
でも思うに、決断をしていくうえで悩んでいるから人間力ができていくのかなと思います。
それを避けていたら、いつまで経っても人間力は培われない。

僕は2014年の10月にサントリーの社長に就任しましたが、会長(佐治信忠氏)をみていると、やはり相当大きな決断をしていますね。

印南 簡単にできそうだけど、メンツやプライドがあるから割とできないんですよね。
批判するのは簡単だけど、批判を受けるのを覚悟で軌道修正するのは、なかなか大変です。

新浪:日本の企業はどうしても人間関係を重んじがちになるので、僕は先の第二次世界大戦で軍部や政府が行った決断を、日本人はいまだにしているのではないかなと思っています。
「大本営が決めたことだから仕方がない」という感じで、間違っていると感じていても従ってしまう。
それで失敗しても、誰も責任を感じない。
その辺が日本の弱いところなのかなと思います。

――印南先生は大学で意思決定についての講義を担当していますが、学生もトレーニングで決断力が身に付いていると思われますか?

印南:誰でも意思決定はできますが、すぐれた意思決定をするのは難しいというのが私の実感です。
経験は必要不可欠ですが、経験任せで学べるものでもありません。
『サバイバル決断術』で書いたように、意思決定のフォーマット(フィルター)に従って、どれくらい意思決定が重要なのか、意思決定するための選択肢をどう創り、どう評価するのか、意思決定の結果から何を学ぶのか、などの思考プロセスをルーティン化するよう教えています。
こういう部分はトレーニングで十分鍛えられます。
ただし、最終的に決断するのは本人なので、本当にできるかどうかというのは、実際に決断を求められる局面に立たないとわかりません。
ちなみに、僕が教えている学生は起業志向が強いですが、そういう子は決断力に富むことが多いですね。

人事に根回しは必要ない
新浪:経営を学びたいのであれば、経営学を学ぶよりも自分で起業して実戦の舞台に立ったほうが身に付くし、若い頃に失敗しても傷が浅いからね。

印南:人生は思うようにいかないところがあるけど、1つの決断が予想外の展開を生み、次の決断を呼び込むことがあります。
僕自身も大学受験に失敗し、裁判官を目指して勉強したものの、これも司法試験に失敗。
銀行に就職しましたが、そこから厚生労働省に出向して医療政策に興味を持ち、留学して意思決定分野に関する博士論文を書いたのを機に意思決定論がもう1つの専門になりました。
もちろん、その時点で最善の決断をする努力をすべきですが、いったん決めたら後ろは振り返らず、どういう行動をするのかを考えて実践するのが大事です。
十分計算したうえでのことなら、思い切ってリスクをとるほうが後悔は少ないはずです。

――組織での意思決定で気をつけないといけないことは何でしょうか?

印南:日本の組織だと意見の対立を嫌い、満場一致を好むイメージがありますが、一方で、ユダヤ社会には「むしろ満場一致の意見には気をつけるべき」という鉄則があります。
大きな意思決定になるほど現状認識や将来予測、意見に不一致があるのは当たり前で、どうしてその違いがあるのかを議論して深めていく過程が大事だからです。
そして、意見を戦わせたうえで、最終的に誰かが責任をもって決断するのがベストの意思決定です。

ところが、日本の場合は多数派工作をするために根回しをして、会議が始まるときにはすでに意見の大勢が決まってしまっている。
皆それに逆らうのは怖いから、「心の底でこれはよくない」と思っていても反対意見は言わない。
自己検閲するのです。
意見自体の根拠を深めていないから、その意見に乗っかって集団として大きく失敗することもあります。
もちろん、収めるところは収めないといけないので、根回しが必要な場面というのもありますけれど。

新浪:決断したあとにそれをインプリメンテーション(実践)しますが、現場との間にわだかまりがあると事がうまく進みません。
そのため、現場の方たちとの根回しや腹落ち(納得させること)も大いに必要です。
特に実践に関わる人が反対派だった場合には、より対話に時間をかけないといけません。

一方で、人事に関しては根回しの必要はありません。
人事は組織においてのメッセージだから、妥協したら組織がおかしくなってしまいます。
ただ、どうしてこういう人事になったかというのは、周囲が「明確な理由はないけれども、わかる」と納得できる人事をやらないといけません。

リーダーは組織の成長を自らが担っているという認識を
印南:人間関係が傷つくのを恐れて意見を言わなかったり、いわゆる忖度(そんたく)をしてしまう人もいるけど、リーダーがそんな感じで決断するのは組織にも悪影響を及ぼしてしまう。

新浪:リーダーというのはかっこいいとか全然そんなことはなくて、結構つらいもの。
でも最終的には、組織の成長を自らが担っているという認識を持たないといけない。
自分のお気に入りだけを下に置いておけば楽かもしれないけど、それでは組織がおかしくなってしまう。
嫌がられることであっても、先のことを考えて決断する意識を持つことが、今のリーダーには求められているのです。

――最後に、AI(人工知能)がさまざまな分野で活躍していますが、今後、人間社会でAIはどのような意思決定を担うと思いますか?

新浪:AIはマシンラーニング(機械学習)の部分では有効で、情報整理などには非常に役立つと思います。
ただし、ディープラーニング(深層学習)の部分になると意思決定のプロセスや根拠が見えないブラックボックス化する危険性があり難しい部分でもあります。
とはいえ、まず使ってみるのはいいと思います。

印南:AIは大量のデータがあれば予想の精度が高まっていきます。
基本的には与えられたデータの範囲内での推論は得意としますが、データの範囲外の推論が正しいかどうかはわかりません。AIの判断結果を無条件に信頼するのではなく、AIの判断がどれくらい良いかを恒常的に検証する必要が出てきます。
今後AI時代が到来すれば、AIが判断する場面も増えてきますが、クリエイティブな判断や倫理的な判断は難しいのではないでしょうか。
そのため、最終的に意思決定するのは人間の役目だと思います。

新浪:何でもかんでも機械任せのリーダーじゃ、誰もついてこないからね(笑)。AIは意思決定のサポートにはなるけど、最後の決断は人間が行う。人の組織の上に立つという点では、そうあるべきではないかなと思います。

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新浪 剛史(にいなみ たけし)
/1959年神奈川県生まれ。
慶應義塾大学卒業後、三菱商事入社。
ハーバード・ビジネススクール修了(MBA 取得)。
43歳で三菱商事からローソン社長に転じ、11期連続で営業増益を達成。
ローソン取締役会長を経て、2014年にサントリーホールディングス株式会社代表取締役社長。
高校時代はバスケットボールのスター選手として活躍


印南 一路(いんなみ いちろ)
/1958 年神奈川県生まれ。
慶應義塾大学総合政策学部教授。
専門は医療政策と意思決定・交渉領域。
東京大学法学部卒業、富士銀行(現みずほ銀行)、厚生労働省勤務ののち、ハーバード大学行政大学院、シカゴ大学経営大学院で学ぶ。
シカゴ大学経営大学院助教授やスタンフォード大学留学などを経て、2001 年より現職。
著書に『すぐれた意思決定』(中公文庫)などがある
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2019年02月22日

老害の初期症状「とにかく否定から入る」

老害の初期症状「とにかく否定から入る」
2019年02月21日 PRESIDENT Online
総合格闘家 青木 真也

いつの時代も若手を阻む「老害」。
彼らが厄介なのは、自覚症状がないことだ。
総合格闘家の青木真也氏は「自分自身が老害にならないように、とにかく下の世代を否定せず、信じるようにしている」という――。
※本稿は、青木真也『ストロング本能』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
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■誰だって「いまの若い者は」と言うようになる
いつの時代にも世代間のギャップはあります。
社会に出たばかりのころは、上の世代から「いまの若い者は……」などと白い目で見られていた人も、20年も経てば下の世代に「いまの若い者は……」と言うようになるのです。
これは世の常なので仕方ありません。

問題は、世代間で意見が対立したようなとき、どのようにジャッジすればいいかということです。
会社などの組織に属していれば、意見が対立する場面も多々あるでしょう。
上の世代は、場数を踏んできた強みがあるため、自分の実績や成功体験を語りたくなります。
「俺はこんだけやってきたんだぞ! どやっ!!」と言いたくなるもの。

一方で、若い世代が生み出した実績やカルチャーについては「そんなものは認めない」「よくわからないからダメだ」と批判しがちになります。

僕自身も、気づけば、そうなってしまうことがあります。
しかし、やはりそうなったら負けだなとつくづく思うわけです。
年を取っているということは、若者よりも先に逝く確率が高いということ。
そのため、将来があるのは下の世代なので、どんどん下を信じなくては、ダメな人間になってしまう、これが僕の意見です。

世代間で意見が対立したときのジャッジにおいて、頭ごなしに下の世代を否定してしまうのは損なことです。
とくに新規プロジェクトや新しいアイデア出しをするときなどは、創造性や発想力がピークに達するのは前頭葉の働きがいい20〜30代と言われていますから、上の世代が想像する以上の成果を期待できるのです。

■既得権でしか生きられないと、人生が不安でいっぱいになる
世代間の対立が表面化するような会社や組織は、一見、問題を抱えているようで、むしろ健全なのかもしれません。
官僚的な体質の場合には、上の世代の力は絶対的です。
でも、そうした組織で部下を持つ立場の人には、下の世代から意見を吸い上げることで得るものが大きいことに気づいてほしいと願います。

いつだって若者側に真実があります。
格闘技やスポーツ界はそのあたりの真実がわかりやすい。
いまの若い子たちがやっている技術のレベルは、僕が若いころに比べて確実に上のレベルです。
スポーツはどんどん進化していきます。
競技としてやっている以上、最先端が真実です。
そこを否定し始めたら、成長はありません。

自分たちが成長するためには、新しいものに触れていかないといけないし、そこに触れ合える環境をずっと持っていないといけない。
それができなくなってしまうと、気づいたら「老害ジジイ」になっているかもしれませんね。
老害になった時点で終了です。
老害は既得権で生きることしかできないから、人生が不安でいっぱいです。
懸命に芽をつぶそうとする老害もいますが、むしろ芽を育てたほうが楽しいと思うのは僕だけではないはず。
若い子はどんどん出てきますから、全部刈り取るよりも、育てるほうが理にかなっています。
どんどん若い子の才能をヘルプする、引き上げる。
それが自然の摂理です。

■老害ジジイには「苦笑」と「ニヤニヤ静観」
一方で、自分たちの上に老害がいるときはどうすればいいでしょうか。
答えは簡単で「苦笑」です。
苦笑するしかないです。
そういう人はもう変わらないから仕方がないと割り切る。
「変わらないものだ」と思って放置するほかないのです。

よく古い体質の会社を若い世代の力で変えようとがんばったりする人もいますが、あれほど無駄なことはありません。
僕のオヤジとか、義母もそうですが、絶対に変わらない。
以前は、老害と真正面から戦ったこともありますが、無理でした。
だから、苦笑するのがいちばん効果的です。

「俺はこんだけやってきたんだぞ! どやっ」と言ってくる老害には「あー、そうですね(ニヤニヤ)」と答えて、あとは静観していればいい。
最近、僕が老害にならないように心掛けていることがあります。
それは、若い子たちがやっていることを「無条件ですごい」と思うようにすることです。
「否定しない」というのは意外と難しい。だから、そこに思考は入れずに、まずは「素晴らしい!」「ワンダフル!」と思うようにしている。
思考を入れて、「あいつは○○だからな?」と言い始めたら止まらなくなってしまうのが人間です。

■30代半ば。変化が怖くなってきた 僕がやっていること
若い世代の台頭は、短いスパンで考えればこちら側が損することもあるかもしれませんが、結果的には得をすると信じています。
真実は若者側にしかありません。
高齢者や中年が若者を恫喝したら、その瞬間に何もかも終了だと思っています。

僕も2019年の5月で36歳になりますが、選手としての未来がなくなってくると、未来に対してアクションしづらくなってきます。
守りに入って、大きく何かを変えることが怖くなってくる。
それは成長が止まることを意味します。

つねに新しいものを入れて挑戦していく姿勢こそが、未来への期待感を向上させるのです。
「損得」ではなく、未来へのアクションがなくなった瞬間に、終了、「ジ・エンド」です。

練習でも、若い世代にやり方を聞いて参考にしていますし、どんどん出てくる新しい技術も、とにかく四の五の言わず身につけるようにしています。
新しい調整法やトレーニング法も、ひと通り全部試してみます。

「ここいらでいいや」と妥協した瞬間に、終わりです。
取り入れるかどうかは別にして、とにかく新しいものに触ってみることで、価値観を固定しないよう意識しています。

■若い世代をリスペクトしないと未来はない
体力や気力は下がっていったとしても、これまでに培った経験や知識で「やりくり」することで、まだ上がっていけると思っています。
年齢を重ねても、能力は上がります。
ただし、若い世代の技術や考え方を取り入れて、自分を変えていくことが条件です。

若者をガンガンにリスペクトするくらいオープンな気持ちを持つことが、最前線に居続ける秘訣と言えるのではないでしょうか。
36歳になろうとするいま、身体のパフォーマンスは年々落ちてきています。
そのうえ、練習量も少なくなってきています。

若さが失われると、圧倒的な才能やパフォーマンス、感覚だけでやれるゾーンからは抜けてしまうでしょう。
そうなったときに、帳尻合わせをすることになります。
ただ最近思うのは、圧倒的な伸びがなくなって、いまあるもので「やりくり」するようになってからが、人生はおもしろいということです。

■今あるもので「やりくり」するのも面白い
格闘家やプロレスラーは、どういう技をどういうタイミングで繰り出すかを考えながら試合を組み立てていきます。
「どういう入りでやろうか」「どういう距離感でやろうか」と考えるのですが、選択肢が無数にあるよりも、制限がかかったほうが、断然おもしろい。
練習もそうです。
体力に任せて量で勝負するよりも、どうやってやったら効果があるかを考えるようになってからのほうがおもしろい。
その「やりくり」がたまらない。
やりくりでできるようになると、すごく冷静ですし、再現性も高い。
そこに「理屈」が生まれるのです。
理屈とは「物事の筋道」で、やはりそれはあったほうがいいわけです。

試合の組み立て方や練習に年齢相応の工夫を加えるのは、格闘技をやり続けるためです。
格闘技はやり続けたら最強です。
おじいちゃんになってもやり続けていたら、グレイシー一族のように伝説になっていきます。
やればやるだけ得なのです。
辞めたら損だから辞めません。
「辞めたら損だ」と胸を張って言えるものに出会えたらそれだけで幸せです。
僕にとっての格闘技がそうであったように、あなたにもきっとあるはずです。
人生レベルで辞めたら損だと思えるものをぜひ見つけてみてください。

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青木 真也(あおき・しんや) 総合格闘家
1983年静岡県生まれ。小学生の頃から柔道を始め、2002年に全日本ジュニア強化選手に選抜される。
早稲田大学在学中に柔道から総合格闘技に転身。
「修斗」ミドル級世界王座を獲得。
大学卒業後、静岡県警に就職するも2カ月で退職を決め、再び総合格闘家の道へ。
以後「DREAM」「ONE FC」で世界ライト級チャンピオンに輝く。
著書に『空気を読んではいけない』(幻冬舎)がある。
ツイッター:@a_ok_i note
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2019年03月03日

リアル告発"総理を支配する闇集団"の実態

リアル告発"総理を支配する闇集団"の実態
2019年03月02日 PRESIDENT Online
東京新聞社会部 記者 望月 衣塑子

■安倍政権を支える闇集団を描いた92%の現実
総理を支配する闇の集団を描いたリアル告発ノベル『官邸ポリス』が霞が関界隈で話題だ。

ストーリーは「どこまでが本当なのだろう」と引き込まれる。

政権中枢に派遣された警察庁出身者からなる「官邸ポリス」の準備組織「エイワン」。
主メンバーの官房副長官・瀬戸弘和は東日本大震災の対応で混乱する民政党政権を見て、暗澹(あんたん)たる気持ちに駆られる。
瀬戸らは「合法的な手段を駆使して、政権を支えて日本を導く
唯一無二の存在になる」という思いを抱き、
エイワンメンバーを率いて情報収集し、指示を出す。

総理宣伝本の出版を計画していた、東日本テレビ山本巧基記者の強姦容疑をめぐっては逮捕状の執行取り消しに動く。
文科省の総括審議官前田裕兵の「恋活バー」通いを尾行して新聞にリークしたり、総理の名前のついた小学校を建てようとした幼稚園理事長門池康正夫妻を逮捕するよう指示したり。

第二次安倍政権下で実際に起きた疑惑を下敷きに、モデルとなった人たちをからめたストーリーが次々と展開する。
帯のコピー「92%の現実」、つまり残り「8%のフィクション」のさじ加減が絶妙だ。

■「では、安倍総理の代わりは誰がいるの?」
著者の幕蓮氏は、元警察庁職員。
震災後の政権の混乱を見ながらメモを書き溜め、10人ほどの官僚たちに取材。
1年を費やして書き上げた。

幕蓮氏は「安倍政権がベストと思ってないが『モストベター』。
野党やマスコミはいろいろ批判するが、『では、安倍総理の代わりは誰がいるの?』と思う」と語った。
霞が関ではマジョリティだろう。

一方で「政権礼賛本のようにも言われるが、現政権に満足しているわけではない」
「地道に政権を支える警察官僚たちの姿を描きたかった」。
葛藤や理不尽さに耐えつつ、職務を遂行する警察への素直な思いがこもる。

第二次安倍政権は、内閣人事局長に杉田和博氏、内閣情報調査室長の北村滋氏、国際テロ情報収集ユニット初代トップの瀧澤裕昭氏をはじめ、枢要ポストに警察庁出身者がかつてないほど多数、就任している。
幕蓮氏は「彼らは政権維持のため裏方に徹し、うまくやっている」と評価するが、
内閣人事局の権限が強すぎて、官僚が人事に縛られ、ものが言えない空気も蔓延している
安倍一強が続く中、統計不正はじめ、各省庁で次々と起こる不祥事にふがいなさを覚える」とも指摘する。

「『官僚たちの夏』のような自由闊達な議論が中であるのではなく、目の前のことに忙殺され閉塞感も漂っている」。
本書はそんな官僚たちへ「もう1度、気概を持て」というエールも込められている。

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幕 蓮
東京大学法学部卒業。
警察庁入庁。その後、退職。
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2019年03月06日

早稲田を出て2カ月で警察官を辞めたワケ

早稲田を出て2カ月で警察官を辞めたワケ
2019年03月05日 PRESIDENT Online
総合格闘家 青木 真也

「みんなと一緒」で通用する時代は終わった。
ぬるま湯に浸かって群れているだけでは、目標達成や自己実現などできない。
総合格闘家の青木真也氏は「自分の信念を持ち続けるために、創造できる自由だけは絶対に手放してはいけない。
警察学校にいた2カ月間は何もできなくてつらかった」という――。
※本稿は、青木真也『ストロング本能』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■信念さえあれば豊かに生きられる時代
日々、与えられた仕事をこなしているのに、達成感を得られない。
忙しく働くだけで、成長はしていないように感じられる。
……そんな悩みがあるとしたら、人に流されている可能性が非常に高いと思っていいでしょう。

僕は「人に流されない覚悟が、レベルの高い自己実現を可能にする」と信じて、ここまでやってきました
何かやりたいことがあっても、人に流されるとどんどんつらくなっていきます。
反対に、人に流されなければ、どんどん成長していきます。

以前の右肩上がりの社会では、人に流され、「みんなと一緒」であることが優遇される風潮がありました。
しかし、いまの世の中で「みんなと一緒」はババを引く可能性が大きいというのが僕の意見です。
そもそも「人に流される=思考がもうそこにはない」といえます。

思考停止状態のぬるま湯に浸かってなんとなく群れているだけでは、目標達成や自己実現はできません。
人に流されていると、「何のためにやっているのか」という信念の濃度も薄まっていきます。
これが実によくない。

いまは、信念さえあれば勝てる時代です。
大勝ちはできなくても、豊かに生きられる時代なのです。
だからこそ、人に流されることは避ける。
そして、とにかく「自由」だけは手放してはいけません。

■公務員のように欲を禁じられるのはつらい
たとえば「1億円やるから格闘技を辞めろ」と言われても、僕は辞めません。
お金のために自由を手放したくない。
何にも縛られず、自由に好きなことをやっていたい。
僕は、自分で選択できて、自分でクリエイティブに創造できることの価値と喜びを知っています。

それに、何もできなかった警察学校の2カ月も知っている。
だから、自由の価値を本当に素晴らしいと、より強く感じているのです。
僕は、基本的に自由の身ですから、どんな仕事でも受けることができます。
格闘技の枠に縛られることもありません。
「おまえ来いよ」「行きます」でOKなわけです。

行きたくなければ、「行かないよ」と言える自由はやはり最強だと思っています。
自由だからこそ、ときには欲望をむき出しにすることもできます。
欲をかくことはとても大切です。
公務員は、まったく欲をかけません。
「欲をかいてはダメだ」という教育を受けるのです。
副業もダメです。

そうなってくると、「自分の立ち位置を上げよう」とか「ここでひと山当てよう」みたいな山師的感覚がなくなってしまう。欲は、僕が思考の中心に据えて大事にしている本能をドライブするエナジーです。
そのエナジーを禁じられてしまうのはつらい。

■エナジー爆発、アントニオ猪木の生き方に学ぶ
公務員的な生き方と対極にあるのがアントニオ猪木です。
「やりたい」「したい」「食べたい」「気持ちよくなりたい」というエナジーが人一倍あります。
おいしい話が大好きで、揉めごとも大好き。本能で生きている状態です。

10年ほど前、必要最低限の物を持って生活する「ミニマリスト」が流行りました。
いまでも実践している人がいるかと思います。

しかし、僕は、「とにかく物を捨てる」「物を持たない」という行為が目的化することに、ものすごく違和感を覚えるのです。
ミニマリストは、なりたくてなる存在ではなく、あくまでも気づいたら自然にそうなっていたというものであるべきではないでしょうか。
そもそも自分に必要がなくなり捨てていくから、ミニマリストになるわけです。
それが憧れのアイコンとなり、形から入るからおかしなことになるというのが僕の意見です。

完全に本質からズレているのです。
あくまでもミニマリストは手段であり、目的ではありません。
手段が目的になってしまうと「ミニマリストになったはいいけれど、そのあと何すればいいんだ?」となるでしょう。

ミニマリストは「生き方」「ライフスタイル」であるべきです。
本当は「持ちたい」のですが、たくさん持っている人の「こんなに持ってるぜ」というスタイルがいやだから、流行に乗って「ミニマリストになる」と宣言し、そっちに振り切ろうとする。
そんな自称ミニマリスト程度の覚悟では、本当の意味での自己実現はできません。

■後輩に「かんばってきたね」と声をかけた理由
大切なのは、人に流されず、「自分だけのものさし」を持つことです。
自分だけのものさしとは、信念と言い換えてもいいでしょう。
そして、人は信念があるから、がんばり続けることができます。

先日、「格闘代理戦争」というテレビ番組で、後輩選手の試合が終わったあとに、多くの人が「がんばったね」と言うなかで、僕は「がんばってきたね」と言いました。
後輩がその言葉をどう理解したかわからないけれど、「がんばってきたね」と言ったのは、番組出演が決まって、何とかして上に行きたいとあがいてきたその試合までの経緯を知っていたからです。

僕は試合のことではなくて、後輩が信念を抱き、がんばり続けたことに対して、声をかけました。
言葉をどう相手に伝えてあげられるかは、みんなあまり深く考えないのですが、僕としてはもっと考えてほしいと思っています。

「きた」の2文字を入れるか入れないかで、言葉の意味がガラッと変わります。
人間は言葉をしゃべる生き物です。
言葉がなくなると、大きなものを失ってしまいます。
言葉をどう伝えるか、どうやって言ったら伝わりやすいか。

逆に、どうやって言ったらカドが立つか、どこまで伝えたらいいかは、やっぱり大事にしていきたい。
そのため、僕はそのことばかりを考えています。

■言葉を持っている人はかっこいい
僕はプロレスが好きだったから、格闘技をやる前から「言葉の力」というものを意識していました。
昔、武藤敬司がケガ明けで試合をしたときに「リングが冷たく感じたよ」と発言したことがありました。
復帰したばかりで慣れていない感じを「冷たい」と表現した。

そのとき僕は中学生だったのですが、この言葉に衝撃を受けたのです。
武藤敬司は言葉のあるレスラーなので「うわ、こいつ、かっこいい」と素直に思ったのです。
ずっと、アーティストやアスリートが発する言葉に魅了されてきました。
ボクシングの畑山隆則が坂本博之と戦ったときに、
「相手のほうがパンチがある。
僕は顎が弱い。
彼は顎が強い。
僕はパンチがない。
だから、僕が勝つんだ」と言っていて、畑山も言葉があってすごいなと思いました。

2018年は、言葉の逸材が出てきました。
僕のなかで、いちばんおもしろかったのは至学館大学の谷岡郁子学長です。
ボクシングの「男・山根」もよかった。
僕は、ああいう人が出てきたときに「すごい逸材が出てきた!」とその才能を喜ぶのですが、それに対して本気で怒っている人がいるのは、ありがたくもあり、何かつらくもあり、非常に複雑な気持ちになります。

■ジャンルをスライドさせて自分の言葉に落とし込む
ああいった才能を根絶やしにしちゃったら、日本にとってマイナスになってしまう、それが僕の意見。
それこそ「白か黒か」というつまらない世界になってしまいます。

ジャンルをスライドさせて自分の言葉に落とし込む言葉を持っている人か持っていない人かというのは、教養の差によるものです。
物語を知らないと、言葉を持つことはできません。
教養や物語がないのはやっぱりさみしい。
「言葉を持っている」というのは、ある種の宗教みたいなもので、信じる言葉があるということです。
信じる言葉がある人は自分を騙せます。
迷ったときに、言葉にすがることができるのです。

つらいのは、結局、世の中が「損得」とか、わかりやすいものに流されていってしまうことです。
僕はストーリーが見える選手になりたいと思っています。
ちゃんとストーリーがあるというのは、その人が戦う意味があるということです。
そして、僕は言葉でもストーリーを表現したい。
普通にいまから言葉を勉強しても、賢い人には競り負けてしまうのがわかっています。
よって、僕は格闘技とリンクさせてしゃべるようにしています。
そうすると、自分にしかないオリジナルになる。

ビジネスの話を格闘技に持ってきたり、格闘技の話をビジネスに持っていったりするのは有効です。
この「横移動」ができると、だいぶ強くなります。
大事なのは、人に流されることなく、自分の言葉でしゃべることなのです。
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2019年03月08日

公立小中に4万人いる常勤講師の差別待遇

公立小中に4万人いる常勤講師の差別待遇
2019/03/07 プレジデントオンライン(田中 圭太郎 )

全国の公立の小中学校には、「常勤講師」と呼ばれる非正規の教員が約4万人いる。
仕事内容は正規の教員とほとんど同じ。
だが正規教員の給与が年700万円程度なのに対し、非正規では最高でも年400万円未満と少ない。

N県で19年間、常勤講師として勤務し、昨年4月に正規教員となった男性に、「差別待遇」の実態を聞いた――。

「常勤講師の制度は差別でしかない」
「私は19年間講師として働いてきました。
45歳になってようやく正式に教員に採用されましたが、いま改めて感じているのは、常勤講師の制度は差別でしかないということです」

こう話すのは、N県の公立小学校などで長年講師として働き、2018年4月に45歳でようやく教員に正式採用されたAさん。
N県では教員採用試験の受験資格が40歳未満だったため、それまでに合格できなかったAさんは一度は採用の道が閉ざされた。
それが16年になって、教員不足などを背景に受験資格が45歳未満に引き上げられたことから、何とかギリギリで合格を果たすことができた。
Aさんは採用の道がいったん閉ざされて以降、臨時教員の待遇改善を訴えてきた。
教職員組合に「臨採部(臨時採用教職員部、の意味)」を立ち上げたほか、正式採用された現在も、研修会に招かれ、講師の勤務実態や改善策などについて講演している。

教職から離れて3年後、「離島で勤務しないか」と誘い
Aさんは大学を卒業後、他県の公立中学校で2年間講師として働いた。
1年目はいきなり3年生を担任。
2年目は2年生を担任したが、自分の無力さを感じて、一度は教職から離れた。
地元に戻り、祖父母を頼って一緒に暮らしていた。
すると教職から離れて3年がたった頃、地元の教育事務所から「離島の小学校で勤務しませんか」と連絡があった。
産休・育休で教員に空きが出たということだった。

講師の誘いを受けたことで、この機会に再度教員の道を歩んで、正採用を目指すことを決心。
祖父母に伝えようと思った矢先、祖父はその日に倒れ、そのまま他界してしまった。
「心配をかけた祖父に、安定した仕事に就くことを報告して、安心してもらおうと思ったのですが、知らせることができませんでした。
間に合わずに、悔いが残っています」

祖父の葬式が終わって、Aさんは離島へと出発した。
しかし、そこから長く続く講師としての生活は、安定とは程遠いものだった。

仕事内容は正規の教員とほとんど同じで、担任もする
Aさんは離島で2年間勤務した後、地元で引き続き講師をすることになった。

島を出てまもなく結婚し、4人の子どもを育てていく。
講師は基本的に、ほぼ1年おきに職場が変わっていく。
その過程で、さまざまなデメリットがあることにAさんは気づいた。
仕事内容は正規の教員とほとんど同じで、担任もする。
新採用の教員であれば研修が用意されているが、講師には何もない。
県教委や現場からは即戦力を求められるが、誰のサポートもなく、いきなり授業を動かさなければならないのだ。

労働時間も正規教員と変わらない。早朝から夜7時くらいまでは学校にいることも多かった。
研究校に指定されている場合は、会議などで夜8時、9時まで勤務することも当たり前だった。
学期末などは仕事がさらに増えていく。

講師が荒れているクラスの担任をする、というケースもよくある。
荒れているクラスを受け持つことを他の教員が拒否して、講師に任せるというのだ。
「講師の仕事面での負担は、むしろ正規教員よりも大きい場合がある」というのがAさんの率直な思いだ。

3月末から4月上旬までの空白期間は無職
こうした状況にもかかわらず、待遇面では正規教員と大きな差がある。
任期は3月の修了式までで、3月の給料は日割りになる。
そのため、3月だけは厚生年金から国民年金に切り替えなければならない。
もし3月に亡くなった場合には遺族年金にも大きな差が出てしまう。
同じように健康保険も社会保険をいったん抜けて、国民健康保険に1カ月だけ加入しなければならない。
しかし、3月中は保険証が届かず、その期間に病気になった場合は、窓口で10割全額を負担しなければならなかった。

さらに、Aさんが働き始めた当時は4月2日採用で、4月も日割りだった。
日割りになった3月と4月は手当もつかず、給料も少ない。
日割り計算によってボーナスも満額は出ない。
退職金は1年ごとに支給され、その金額は年間12万〜13万円ほど。
日割りになっている月の生活費に消えてしまう、といった状態だった。

3月末から4月上旬までの空白期間は、無職である。
この時期の平日、子どもの行事などに参加すると、保護者から「先生は春休みがあっていいですね」と言われるのが常だという。
しかし、実際は無職の状態だったAさんは「みじめな思いで、一人で落ち込んでいた」と話す。
教員を精神的に追い込む不安定な採用システム 待遇面に加えて、不安定な採用システムが、教員を精神的に追い込む。
3月の修了式の時点で、次の勤務先はおろか、4月から臨時教員として引き続き働けるかどうかもわからないのだ。

各県で異なるかもしれないが、Aさんが経験した採用の流れは次のようになる。
3月上旬、次の職場がある場合は1回目の通知がくる。
人事異動発表後、2回目の通知で勤務予定の学校を知らされるが、自分から学校には連絡しないように、とくぎをさされる。

4月に入って学校長から連絡があり、4月2日(その後、1日付け採用となる)から働けると言われた場合は勤務が確定になる。
ところが、そうはならないケースもある。
学校によっては、始業式まで人数が確定せず、予定より少なかった場合はクラスを減らす「危険学級」が設定される。
勤務する可能性のある講師は始業式の日に呼ばれ、校長室で待機する。
無事、人数がそろえば、その場で採用となるのだ。

何年働きつづけても給料は月額約24万円のまま
ところが、当日校長室で待機していたのに、児童数がそろわずに不採用になったという人も出てくる。
Aさん自身は経験していないが、不採用になった知人は教員の道を諦め、他の仕事に就いたという。
何年か講師をやっていればそのうち正採用になるだろう、とまわりからは言われるものの、いつまでたっても身分は不安定のまま。

さらに、この理不尽さは年数がたつにつれてひどくなるということが、後からわかってきた。
講師にも昇給はあったが、それが8年で止まるとAさんが知ったのは、昇給が止まる直前だった。
N県の場合、講師の給料の上限は月額約24万円。扶養手当もつかない。
正式に採用されなければ、この先何年働きつづけても給料はこの金額のままだ。

昇給が止まったとき、Aさんは39歳目前だった。
当時のN県では前述の通り、40歳未満、つまり39歳までしか採用試験を受けられない。
当時、Aさんの子どもは、上の子が中学2年生で、一番下の子はまだ4歳。
これから子どもたちにお金がかかることも目に見えている。
何としても正規教員になりたかった。
しかし、採用試験は常に狭き門で、Aさんは最後のチャンスをものにできなかった。
結果は不合格だった。

「どんなにがんばっても、この給料でやっていくしかない」
「自分は家族を支えられないという現実を突きつけられ、人生で初めて、目の前が真っ暗になるってこういうことなんだ、と思いました。
不合格がわかった日は、家族の前に顔を出すことができず、夜中に近くの川べりに座って酒を飲んでいましたね。
どんなにがんばっても、ずっとこの給料でやっていくしかないんだと、絶望的な気持ちになりました」

どん底に突き落とされたAさんは、ボクシングと出会う。
他県にいた頃に一時経験があるが、近所にボクシングジムがあることを知り、ボクシングを再び始める。
何とか自分を保つために、Aさんが選んだ方法だった。
やり場のない怒りとか、いろいろなものが襲ってきて、自分がぶっ壊れてしまいそうでした。
ボクシングにぶつけることで、何とか平静を保つことができました」

Aさんはボクシングをすることで、仕事に再び打ち込むことができた。
そして考え方も前向きになった。
講師の待遇を改善するために行動しようと、教職員組合に臨採部を立ち上げて、交渉の先頭に立つことを決心した。
教員不足などを受けて、全国的に受験資格年齢の上限を引き上げる、もしくは撤廃する県が出てきたのはこの頃。
するとN県も突然、上限の引き上げを発表した。
45歳未満に引き上げられたのだ。

給料に「ここまで差があったのか」と愕然とした
Aさんが45歳未満への引き上げを知ったのは5月。
チャンスは、その年の7月と、翌年の試験の2回しか残されていなかった。
時間はなかったが、7月の試験では1次試験に合格。
2次試験の結果は「B」で、「成績優秀だけど不合格」というものだった。

Aさんは頭にきて通知書を捨ててしまった。
ところが、「B」の不合格者は、この通知書を持っていれば翌年の試験で1次試験が免除されることになっていた。
幸いにも、妻が捨てられていた通知書に気づき、保管していたため救われた。

Aさんは翌年、2次試験に全てをかけた。ピアノ教室にも通い、満点を取るという気迫で臨んだ。
結果は合格。
組合で臨採部などを立ち上げたことで、周囲からは合格は難しいのではないかと言われたが、そんなことはなかった。
最後まであきらめなかったことで実を結んだ。
しかし、採用されてからAさんはまたも愕然とした。

いままでと仕事内容は同じなのに、手当や福利厚生なども含め、給料にここまで差があったのかと、初めて知ったのだ。

年収は正規の教員になったことで1.5倍以上に
講師の時の月給は約24万円で、年収は400万円弱だった。
それが、採用された年は月給が約36万円で、扶養手当が約3万円。年収は、講師の時の1.5倍以上となった。
「こんなに差があることは、正規の教員になって初めて知りました。

確かに私の仕事は、いまの給料なら納得できます。
しかし、講師の場合は生涯賃金で比べるとかなり少なくなります。
この不利益の理由を、国や教育委員会は説明できるのでしょうか。
これは差別以外の何物でもありません」

待遇以外にも、臨時教員への差別を感じることがある。
ある日、Aさんの目の前で、子どもが講師に向かって「本当の先生じゃないくせに」と言われていた。
Aさんが「違うよ、先生だよ」と言うと「試験に受かってないやろ」と子どもは返す。
「受かっていなくても免許は持っているから先生なんだよ」と説明しなければならなかった。
講師という肩書のために、子どもや保護者からも「本当の先生ではない」と言われてしまうのだ。

教員の7%が「常勤講師」として働いている
文部科学省によると、全国の公立小中学校で働く常勤講師の人数は、17年5月現在で4万2792人。
教員の定員に占める割合は7.1%となっている。
これは産休や育休による代替講師を含まない数だ。

教員が不足する中で、講師は教育現場では必要な存在になっている。
しかし、いまのような待遇の差を放置すべきではないとAさんは訴える。
講師は、初任者のような研修も受けることがないまま、正規の教員と同じように質の高い指導を求められます。
“即戦力”などと言う人もいますが、それは都合のいい言葉でごまかそうとしているだけでしょう

Aさんは現在、講師の待遇改善について、教育委員会との交渉にあたっている。
これまでに厚生年金や社会保険の継続について改善を取り付けた。
昇給の上限については、都道府県別では17年現在で北海道、千葉県、石川県、大阪府、岡山県、沖縄県で撤廃されている(文部科学省の調査による)。

しかし、N県は8年で上限になる制度のままだ。
Aさんは上限の撤廃を強く訴えている。
講師は業務に見合うだけの賃金の保証がなく、不当な扱いを受けています。
これは単なる差別です。
講師に対する差別をなくすために、これからも訴え続けていきたいと思います

正規の教員は残業代ゼロだが、常勤講師はもっと厳しい
正規の教員も、労働条件はいいとは言えない。
教員には給与月額の4%相当が支給される代わりに、時間外手当が支給されないことが給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)で定められている。

教員の働き方改革が検討されるなか、中央教育審議会は去年12月、教員の残業を原則月45時間以内、繁忙期でも月100時間未満とするガイドラインを了承した。
しかし現状では多くの教員がこのガイドラインを超える残業をしている。
ガイドラインには罰則がないので、実効性があるのかと疑問視されている。
また中央教育審議会は、給特法の見直しには踏み込まなかった。
このように正規の教員も、厳しい労働条件下にある。
しかし、講師は同じ仕事をしながら、もっと厳しい立場と待遇で働いている。
講師の労働環境を改善することは、現場にも、教育を受ける子どもたちにとっても、プラスに働くのではないだろうか。「もっと多くの人に講師の実態を知ってほしい」とAさんは話している。

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田中圭太郎(たなか・けいたろう)
ジャーナリスト 1973年生まれ。
早稲田大学第一文学部東洋哲学専修卒。
大分放送を経て2016年4月からフリーランス。
警察不祥事、労働問題、教育、政治、経済、パラリンピックなど幅広いテーマで執筆。
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2019年03月15日

道徳を「教科化」してもいじめは減らない!? きれい事ばかり並ぶ残念な中身

道徳を「教科化」してもいじめは減らない!?
きれい事ばかり並ぶ残念な中身
3/14(木) ダイヤモンドオンライン (福田晃広)

2018年度から小学校で教科化された「道徳」。
文部科学省は、道徳教科化の目的として、いじめ問題の対応を第一に挙げているが、はたしてどのような効果が期待できるのだろうか。
著書『誰が「道徳」を殺すのか』(新潮新書)がある、教育評論家の森口朗氏に話を聞いた。(清談社 福田晃広)

● 道徳の「教科化」 きっかけは壮絶ないじめ事件
 道徳が教科になったとはいえ、授業時間は1年生から6年生までずっと、週1時間であることに変わりはない。
では、これまでと何が違うのかというと、大きく2つある。  

1つ目は、文部科学省の検定を受けた教科書を使って、授業が行われるようになること。
これまで道徳は、教科外の活動とされていたため、各学校で内容がバラバラだった。
そこで、学校現場でしっかりと学習指導要領に沿った内容の教育を行なうことが義務づけられたというわけだ。  

2つ目は、通知表で評価が付くようになることだ。
ただ、評価といっても、数値化するのではなく、生徒1人1人の道徳性の発達を見て、記述による積極的評価を付けることになっている。
 なぜ教科外だった道徳が、このタイミングで教科化することになったのか。森口氏はこう説明する。  

「2011年10月11日、滋賀県大津市立皇子山中学校で2年生の男子生徒が自殺した事件が直接のきっかけです。
この事件は、男子生徒の手足をハチマキで縛り、口を粘着テープで塞ぐほか、トイレや廊下での暴行、万引の強要、ハチの死骸を食べさせるなど、あまりに凄惨ないじめだったため、社会的に大きな注目を集めました。

この事件で明らかになったのは、教師や教育委員会がいかに信用できないのかということ。
その表れが道徳の教科化に結びついたというわけです」(森口氏、以下同)

● 道徳教育を本格化させても いじめの認知件数は増える理由  
森口氏は、学校現場がまったく信用できないからこそ、国は道徳を教科化することに踏みきったと語る。
ただ、いじめに関する行政の統計データがデタラメであるため、道徳教育といじめ問題を関連づけて、効果を論じることは難しいとも指摘している。  
学校から報告を受けたデータを積み上げているだけ。
教育行政も『いじめは本来あってはならないものだが、起きたらしょうがないからきちんと報告しなさい』というスタンスから、『いじめは起きるものだから、気づいたらすぐ正直に報告しなさい』と、考え方をシフトしたため、報告しやすくなっている。
つまり、これから道徳教育を開始しても、いじめ認知件数は増えていく可能性が高いのです」

 2015年度の統計によると、小中高の児童生徒1000人あたりのいじめ発生数が最も多かったのは京都府で96.8件。
反対に最も少なかったのは香川県の5.0件と、約20倍の差が出ている。

 森口氏の言うように、文科省が公表するいじめ認知件数は、学校の正直度を表す調査にすぎないともいえるのだ。

● 道徳教科書は大丈夫か!? 具体性を欠く内容
 とはいえ、道徳教育が無意味だというわけでは決してない。
森口氏も、むしろ今回の教科化には大賛成だという。
ただ、現在採択されている教科書の内容には問題があると指摘する。

 たとえば、森口氏が問題とするのは、小学校6年生向けの道徳教科書に掲載されている。『青の洞門』という物語だ。

 簡単に物語のあらすじを説明すると、
ささいなことをきっかけに主人・中川四郎兵衛を殺してしまった武士・福原市九郎という男がいた。
罪滅ぼしのために僧になり、名を禅海と改め、何か村人の役に立てないかと交通が不便だった場所に洞門(トンネル)を掘り始める。
 25年間も掘り続けたある日、禅海が殺した中川四郎兵衛の息子・実之助が、父の敵を取るために姿を現す。
すると、禅海は「洞門を掘り終わるまで待っていただけないだろうか」と懇願。
ボロボロになりながらも、必死に頑張る姿に心を打たれた実之助は了承してしまう。
 それから5年後、洞門がついに完成。
禅海が「もう思い残すことはない。さぁ、お斬りなされ」と首を差し出すと、実之助は固く握手を交わしただけで、その場を去っていくという話だ。

森口氏は、この物語を道徳の授業で扱うことに苦言を呈す。
 「常識的に考えれば、『人を殺すことは絶対にやってはいけないこと』とまず教えないといけないはず。
ですが、この話は人殺しよりも高い道徳があることを教えているようなものです。
これははっきり言って、反道徳教育と言い切ってもいいでしょう」

 森口氏によれば、道徳の教科書の内容は、物語中心になっているが、その前に、たとえば「なぜ人を殺してはいけないのか」、「なぜ人をいじめてはいけないのか」など、人として誰もが守らなければならない道徳律(ルール)をまずは教えなければならないはずと、強調する。
 ほかにも、「なぜ法律を守らなければいけないのか」といった順法精神や、現実に起こったいじめの事件を教材に取り上げることなど、現状の道徳教育の内容はまだまだ改善の余地があると、森口氏は語る。

 2019年度からは中学校でも同様に、道徳教科化がスタートする。
道徳教育がどのような成果を上げるのか。長い年月がかかるが、しっかりと注視する必要があるだろう。 
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2019年03月26日

世界から愛される「イチロー流」コミュ力とは

世界から愛される「イチロー流」コミュ力とは
「人の痛みを想像する力」が示す人間の器量
2019/03/25 東洋経済オンライン
岡本 純子 :
コミュニケーション・ストラテジスト

世界中の野球ファンが、一時代の終わりを感じたかもれない。
「野球界のレジェンド」イチローの引退は世界のメディアに大きなニュースとして伝えられた。
彼の引退会見や数々のエピソードから見えた「世界に愛されるイチロー流コミュ力」について、ひも解いてみたい。

「後にも先にもイチローはイチローだけ。
彼は野球選手であり、ロックスターであり、国際的なセレブリティーであり、そして、もし彼がジェームズ・ボンドの映画の中に出てくるようなスーパースパイだったとしても驚きはしない」。
MLBのサイトに3月22日に掲載された記事にこう記されている。

同じサイトに掲載された「イチローは史上、最も愛される野球選手なのか」という別の記事には
「彼には敵がいなかった。誰も彼を嫌わず、ブーイングをすることもなかった」
「人生をとことん楽しむ姿、研ぎ澄まされたユーモア、そして、強烈で、ほとんど神秘的なほどの 世界から愛される (野球への)献身が、人々の心をとらえて離さなかった」
「彼の生き方はあらゆる年代、国境を越えて、共感された。
彼は何百万人という人に野球の魅力を気づかせた。
こういった、そしてもっと多くの理由から、イチローが野球史上最も愛された選手であると信じている」とある。

ファンを魅了したのは野球の技法だけではない
打撃や守備など野球の技法・技術、輝かしい実績だけではなく、試合前の儀式的なルーティーンや求道者のようにストイックな鍛え方に至るまで、彼の生き方そのものの高い精神性、神秘性が世界の野球ファンを魅了し続けてきた。
  今、ツイッターなどソーシャルメディアは、多くのメジャーリーガーやチーム、世界の野球ファンの、イチローの功績をたたえ、引退を惜しむコメントであふれかえっている。

海を越え、国境も言葉も越え、まさに世界に愛された不世出のプレーヤーということだろう。
日本で9年、アメリカで19年の計28年の選手生活を締めくくる引退会見にはそうした彼の魅力が、ほとばしり出ていた。
特に印象に残ったのは、つねに自然体な受け答えと、記者を気遣い、対話をしながら、話を進めるコミュニケーションスタイルだ。
「え、おかしなこと言ってます、僕。大丈夫です?」
「聞いてます?」など、一方的に話を進めるのではなく、つねに記者の反応を確認しながら、聴衆を巻き込んでいく。

「おなか減っちゃったよ〜」「眠いでしょ、皆さんもね」などと子どものように茶化すイチロースタイルのユーモアも随所にうかがえた。
「イチローは面白い。
愉快。
一言でバシッと決めるし、ちょっと小ばかにするようなコメントでも笑いを取る。
自分を笑い者にする方法も知っているし、ほかの人たちを笑いの輪の中に巻き込む」(MLB.com)。

会見やインタビューでは通訳をつけ、英語で話すことはあまりないが、日頃のチームメートとのコミュニケーションでは英語で軽口をたたくことも多く、インタビューでチームメートの口真似で冗談を言い、爆笑を誘ったこともある。
オールスターに出場した時期には、試合前に、クラブハウスで、アメリカンリーグの選手たちを前に、「放送禁止用語」を連発するクレイジーな英語スピーチを毎年行い、伝説となっていた。
キャンプで着用した奇抜なメッセージやイラスト入りのTシャツの数々が話題になるなど、その独特で皮肉の効いたユーモアとウィットはよく知られるところだ。

「禅と迷信と徹底したこだわりの交差点に住んでいる」(ESPN)と称されたイチローの魅力は「自我」や「私欲」を超越した、たたずまいにもある。
会見の中で、彼はこう言っている。
「ある時までは自分のためにプレーすることがチームのためにもなるし、見てくれている人も喜んでくれるかなと思っていたんですけど、ニューヨークに行った後くらいからですかね、人に喜んでもらえることがいちばんの喜びに変わってきたんですね。
その点でファンの存在なくしては自分のエネルギーはまったく生まれないと言ってもいいと思います」

「二グロリーグ」との接点
アメリカでは、ボランティアや人助けをすることに積極的な人が極めて多い。
これはあらゆるスポーツチームや選手のDNAにも埋め込まれており、チャリティーや寄付などの習慣が根強く、スポーツ選手の社会貢献欲も非常に高い。
こうした環境に身を置くうちに、自分のための野球から、ファンに喜んでもらうための野球という「利他視点」に変わったのではないだろうか。

彼のこうした側面を伝えるエピソードがある。
1920〜1950年まで存在していたアフリカ系アメリカ人で構成された「ニグロリーグ」の伝説的プレーヤーで、のちにメジャーリーグのコーチともなったバック・オニール氏と親交を結んだイチローはカンザスシティーに遠征するたびに、その経験談を聞き、交流を深めた。
オニール氏が設立に一役買った同地にあるニグロリーグ野球博物館にも足を伸ばし、熱心に展示を見学。
その1年後に再訪した時、おもむろに小切手帳を取り出し、博物舘史上最も高額な寄付をしたのだという。

アメリカで差別や偏見と闘い、苦労を重ねた黒人選手と、小柄で決して体格のよくないアジア人選手である自分の苦闘を重ね合わせたのかもしれない。
会見の中ではこうも話している。
「外国人になったことで、人の心をおもんぱかったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。
この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることはできたとしても、体験しないと自分の中からは生まれない」。

「自分だけがよければ、人のことなどどうでもいい」
「人のことなど構う余裕はない」
「間違いを犯した人間は徹底的にたたくべき」――。

そんな寛容性のない空気が重く漂う日本社会において、イチローのこうした「人の痛みを思いやる想像力」がことさら尊く感じられる。
会見には終始一貫、彼の野球に対する徹底した「愛」がにじみ出ていた。
「(イチロー選手が貫いたもの、貫けたものは、との問いに)野球のことを愛したことだと思います。
これが変わることはなかった」
「自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つけられれば、それに向かってエネルギーを注げる」と表現したように、まさに「我を忘れる」境地に達した人こそが無双の力を発揮できることを証明した。

「おにぎりを3000個握らせたかった」
「僕はゲームの前にホームのときはおにぎりを食べるんですね。
妻が握ってくれたおにぎりを球場に持っていって食べるのですけど、その数がですねぇ、2800個くらいだったんですよ。
だから3000いきたかったみたいですね。
そこは3000個握らせてあげたかった」と、大切な仲間や妻、愛犬への感謝も、もちろん忘れてはいなかった。

「人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。
あくまでも、はかりは自分の中にある。
それで自分なりにはかりを使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと越えていくということを繰り返していく。
そうすると、いつの日からかこんな自分になっているんだ、という状態になって。
だから少しずつの積み重ねが、それでしか自分を越えていけないと思う」

85分の会見に、何気ないようで、実に奥深い言葉をこれだけ積み込める彼のコミュ力はやはり神がかっている。

「言葉にして表現することというのは、目標に近づく1つの方法ではないかなと思っています」というように、言葉の力を知る彼だからこそ、一言一言を無駄にしない。
大切にする人やモノがあり、愛するそれらのために「自我」を超越し、「我を忘れる」という生き方。

そんな彼の生きざまはまさに「幸せな人生」の見本であり、多くの人の憧憬の的となる理由なのだろう。
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2019年03月29日

髪型の理不尽な校則、あった?「男は坊主」「ポニーテールNG」etc.

髪型の理不尽な校則、あった?「男は坊主」「ポニーテールNG」etc.
2019年03月28日 SPA!

「#この髪どうしてダメですか」
――ヘアケア製品ブランドのパンテーンが、こんなハッシュタグを合言葉にした広告キャンペーンを展開し、大きな反響を呼んでいる。
 パンテーンが全国の現役中高生400人、卒業生200人、現役中高教師400人に“髪型校則へのホンネ調査”を行ったところ、現役中高生&卒業生は13人に1人の割合で、「生まれつき茶色い地毛を、学校から黒染めするよう促された経験がある」というのだ。
3月18日に朝日新聞に掲出された広告には、
「水泳で髪が茶色くなった子も、黒く染めなきゃいけないんですか?」
「茶色く染めちゃダメなのに、黒染めはいいんですか?」
「留学生の金髪はいいのに、どうして私の茶色の地毛は証明書が必要なのですか?」  

……といった、髪型校則の矛盾を突くようなクエスチョンがずらり。

 ここでは一例として髪の明るさが争点になっているが、ほかには髪の長さや結び方を指定したり、パーマを禁じたりしている学校も多々あるだろう。
しかし、そもそも学生にとってどのような髪型がふさわしいのかという明確な答えがない以上、学生の髪型を校則で制限することはナンセンスなのではないか。
 そこで今回は、髪型にまつわる理不尽な校則エピソードを、20〜50代の男女に教えていただいた。

◆“地毛証明書”が効果を発揮しなかったケースも  
まずは、6人の男女による学生時代の体験談である。
「私の出身中学では、男子は丸刈りが原則でしたね。
高校野球なんかを見ていると最近も丸刈りの学生はいますし、爽やかで似合っていると思いますが、私自身は文化部だったため、全員が全員丸刈りにする意味って何だったのかなぁ、と(苦笑)。
特に冬場は、寒くてしんどかったですよ」(53歳男性・メーカー)

「私は子どもの頃から、眉毛が薄いのがコンプレックスでした。
高校では化粧が禁止だったので、せめて前髪で眉毛が隠れるようにしていたんですね。
そうしたら先生に『長すぎるからピンで留めろ』って言われて、やむを得ずに従ったら、今度は『眉毛、剃ってないか?』って不良だと疑われる始末……」(24歳女性・サービス業)

「2年くらい前、ポニーテール禁止の学校があるってTwitterで話題になっていましたけど、私のところもそうでした。
理由は知りませんし、当時は違和感なく受け入れていたのですが、数年後に就活したときはポニーテールが定番の髪型だったので、中高生だからって取り締まるのは『?』じゃないでしょうか」(36歳女性・不動産)

「高校の頭髪検査はとにかく憂鬱でした。
例えば、もみあげが耳の穴の高さより長いとアウトで、友達は坊主なのに引っかかっていましたから(笑)。
あと、教師のお気に入りっぽい生徒は少しの違反なら見逃されていて、不公平感が半端なかったです」(25歳男性・飲食)

「中学時代、クセの強い天然パーマをクラスの男子にからかわれていたので、夏休みに思い切って縮毛矯正をかけたところ、2学期の初日に先生に呼び出されました……。
正直に理由を話したら『でも、一応そういうのは禁止だから』という返事。
私はそれ以上お咎めナシだったからいいものの、髪型のせいでいじめられているような子の場合、もっと融通が利けばいいのにと思います」(41歳女性・商社)

「染髪禁止の高校だったので、生まれつき髪が明るい僕は、入学時に“地毛証明書”を提出したんですよ。
それなのに情報が充分に共有されていないのか、廊下ですれ違った先生に『染めてるの?』と肩をつかまれたことがあって、かなりムカつきましたね。
こんな面倒事は二度とごめんなので、就活では染髪禁止の企業を徹底的に避けました」(30歳男性・IT)

 地毛証明書に関しては2017年、教育評論家の尾木直樹氏が『週刊文春』にて苦言を呈しており、「『疑われないために出しておいたほうがいい』という意見もあるけど、そんな“管理される方が安心”という感覚を子どもたちに持たせるなんて情けない」とのこと。
地毛証明書は学生を守るためのものなのか、もしくは縛るためのものなのか、まだまだ議論の余地がありそうだ。

◆実は教師の側も、髪型校則の妥当性を理解できていない?
 一方、現役の高校教師の男性からも、次のようなコメントが寄せられた。
「自分が教えている高校ではツーブロック不可です。
髪がスッキリして快適なので、自分もツーブロックにしたいくらいなんですけど、生徒に禁止している手前、一緒にガマンするしかないという(笑)。
『ツーブロックは学生らしい髪型ではない』というのが理由なのですが、果たして学生らしさとは何なのか、教師の立場でも正直わかりません」(29歳男性・教師)

 冒頭で取り上げたパンテーンの調査によれば、70%の中高教師は「勤務している学校の髪型校則に疑問を感じている」と回答。
さらに87%の中高教師は「時代に合わせて、髪型校則も変わっていくべきだと思う」とも回答しており、この現状を「おかしい」と認識しているのは、決して学生だけではないのだろう。

 これについてパンテーンは、「学生・先生ともに髪型校則に対して疑問や課題を持ちつつも、双方で対話をする場がない」と推察している。
今回のキャンペーンが問題提起となって、世の中はどう変わっていくのか。
                        <取材・文/A4studio>
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2019年03月31日

2019年防衛大卒業式で大量の任官拒否が出た理由

2019年防衛大卒業式で大量の任官拒否が出た理由
卒業生の約1割が自衛隊に入らずに民間へ
 この責任は誰が負うべきか
3/30(土) FRIDAYデジタル

制服に学帽姿で、記念撮影をする若者たち。
卒業証書を片手に、スマホで自撮りをする女子学生の姿もある。
バラバラと正門前に現れ、保護者と挨拶を交わしてキャンパスに戻っていった彼らの顔は、一様に晴れやかだった――。

3月17日、神奈川県横須賀市にある防衛大学校で卒業式が開かれた。
安倍晋三首相(64)による訓示の後、学帽を一斉に宙に投げて卒業生が退出するという例年通りの式となったが、実はその裏で、今年の防衛大には前代未聞の”異常事態”が発生していた。
49人――。
478人の卒業生のうち1割を超える学生が、任官拒否をしていたのだ。

任官拒否とは文字通り、防衛大を卒業しても自衛官にはならないこと。
過去、最多の任官拒否者が出たのは、バブル景気と湾岸戦争を巡る自衛隊派遣議論が重なった’91年の94人だが、49人はそれ以降で最多の数字である。
冒頭の場面は、17日の卒業式ではなく、その前日の16日。

任官拒否者は卒業式本番への出席を許されていないため、前日に卒業証書授与と簡単な式を行ったのだという。
「例年、任官拒否者に対しては、卒業証書授与だけの状態が続いていたと聞いています。
今年になって急に式を開いたのは、学内でのイジメ問題が取り沙汰されている状況を鑑みて、イメージアップを図ったのかもしれません」(防衛大関係者)

言わずもがな、防衛大は自衛隊の幹部候補生を養成する機関である。
学生は学費免除であるだけでなく、約11万円の月給とボーナスも年2回(約38万円)、税金から支給される。
「それだけに、防衛大からすれば任官拒否は大きな痛手です。
任官拒否を表明した49人には、防衛大の教授らが必死になって翻意させようと説得に当たった。
外部から識者まで呼んで、世間がいかに厳しいかを説いたみたいです。
しかし、彼らの決意は固かった」(同前)

任官拒否の理由は、「民間企業へ行きたいから」
「自衛隊には向いていないと思った」などだったという。
だが、彼らがそう考えるに至ったのは、こんな社会的な背景があるのかもしれない。
政治アナリストの伊藤惇夫氏が語る。
「安倍政権への不安があるのは間違いありません。
今年の卒業生は、’15年に安倍首相が強引に安保法案を成立させた過程を見てきた世代。

『当事者』として、危険地域へと派遣される可能性と直面し、熟慮の末、任官拒否という道を選んだのでしょう」
あんな最高指揮官のもとでは働けない――。
現政権が続けば、任官拒否者はますます増えそうだ。
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2019年04月26日

「義務教育の敗北」に見る教育アップデートの必然性

「キャベツ枕」と「妊娠米」
「義務教育の敗北」に見る教育アップデートの必然性
2019/04/24  文春オンライン(吉川 ばんび )

少し前から、インターネットで「義務教育の敗北」という言葉をたびたび目にするようになりました。
「何が敗北なんだろう?」と思い調べてみると、子育て中のママ向けサイトで

「熱冷ましの新常識『キャベツ枕』! キャベツを頭にかぶせると、熱が下がり、体内の毒素を吸い取ってくれる」という記事が掲載され、それを安易に信じる人が後を絶たなかったり(現在記事は削除、お詫びもされています)、
「妊婦が触って妊娠菌が付き、妊娠しやすくなる『妊娠米』」がメルカリで高額取引されたり(医薬品医療機器法[旧薬事法]に抵触する恐れがあるとして、現在は「妊娠菌」商品は削除されています)と、とんでもない情報が続々と出てきました。

SNSの登場によって可視化されやすくなった

 確かにネットで簡単に情報が手に入る今の世の中は、正しい情報だけでなく「間違った情報」が入ってきやすい時代でもあり、私たちが肌で感じている「常識」は、相手にとっては「常識でない」可能性もあります。
そう考えると、もはや「常識で考えたら分かるだろう」という一言で片付けてはいけないのかもしれません。

 念のため付け加えると、私が言いたいのは「今の若者は常識がない」ということではありません。
「医学的根拠のない民間療法を信じる人たちが一定層いる」という状況は今も昔も変わりませんし、「義務教育の敗北」問題は年齢とは関係がなく、単純にSNSの登場によって可視化されやすくなったり、間違った情報にリーチしてしまう人が増えたりしただけだと思うのです。

「ゆとり世代」が生まれるまで  

こうした状況を見ているかぎり、今は「義務教育のあり方そのもの」をアップデートすべき時代に入っているように思えます。  

そもそも「義務教育」とは、近代国家にとって「人権」「産業振興」の両面から「一人前」の国民を育てるための制度です。戦後は、子どもたちが全国のどの地域でも「一定の水準の教育」を受けられるようにするため、全国共通のカリキュラム(学習指導要領)が定められました。

 学習指導要領は時代とともに改定されており、平成元年以降は生活科や「総合的な学習の時間」の新設、道徳教育の充実など「生きる力の育成」に重きを置いています。
いわゆる「ゆとり世代」も、こうした流れの中で誕生しました。

実際に「生きる力」は育成されたのか

ゆとり世代」と呼ばれる私が義務教育を受けていた9年間を振り返ると、
「総合学習」の時間には、学年全員が体育館に集められ、例えば盲導犬の生涯を描いた『クイール』などの感動的な映画を見せられることが多かったと記憶しています。
あんなに懸命で可愛いワンちゃんの映画を強制的に見せられて泣かないわけがなく、女子中学生たちが号泣していたのも鮮烈に覚えています。

 個人的には、義務教育の中で「生きる力」の育成にも重きを置く姿勢には大賛成です。
しかし、実際にそういった姿勢の下に教育を受けて育った世代としては、すべての子どもにとって総合学習の時間が有効に活用されていたとは言い切れず、学校によって大きなバラつきが生じている、と実感しています。

 そして「社会の変化に自ら対応できる心豊かな人間の育成」という目標についても、全国的に見るとまだまだ達成されていないように思えます。
 例えば冒頭にも触れたように、子どもの発達や子育てに必要不可欠な「科学的根拠のある知識」であるとか、子どもの精神疾患について、義務教育ではほとんど触れられません。

ゆえに、そうしたことに知識がない大人たちがいざ子どもを作り、何か子育てで困ったときにその場その場でスマホで調べ、友人やネット経由で間違った情報を共有してしまうことも少なくないでしょう。

「あとは大人になって自分たちで勉強してね!」

 親となる以上は、子どもの発達や成長過程で起こりうる問題については最低限の知識を有しておくべきですし、子どもが健やかに成長できるような環境づくりを常にしておく必要があります。

 しかし今の日本では実質、この具体的で大事な部分をまるっと「あとは大人になって自分たちで勉強してね!」と本人たちに委ねているため、知識量に大きな格差が生じてしまっているのが現状です。

 とことん子どもの発達について調べて、子どもの健全な成長の障壁となる可能性のあるものをすべて取り除いてから子どもを作る人たちもいれば、
一方ではあまり子どものことを理解しないまま、何となく子どもを作って「まぁ、何とかなるだろう」と安易に子育てをスタートした結果、「キャベツ枕」を信じてしまう人もいるわけです。

「正しい情報」がフェイクに埋もれてしまって、本当に必要な人の元に届かない。
 これは「常識がない」と言われる個人の責任ではなく、情報過多の社会全体が抱える、深刻な問題だと思うのです。

生きていく上で本当に必要な教育とは何か  

では「生きる力」を育成する上で必要な教育、とは一体何か。
インターネット上で間違った情報が氾濫している現代において、もっとも重要なのは「正しい情報を見極める力」を養うことではないでしょうか。

 正しい情報を選び取るためには、その分野について最低限の知識を持っておくことが不可欠となります。
そうなると、義務教育の段階で「勉学以外の、生きていく上で本当に必要な教育」をある程度はしておくべきで、社会のひとりひとりの知識レベルの底上げが必要になるでしょう。

 私が通っていた中学校での総合学習の時間は、映画を見るか、主に学年の生徒全体を集めて行われる「お説教の時間」であることがほとんどでした。

「性の知識をどこから得たか」というアンケートに答えさせられ、漫画作品『NARUTO』と回答した生徒の犯人探しが始まってめちゃめちゃに怒られていたり、バレンタインデー直前には「チョコレートをもらった、または誰かにあげた者は正直にその場に立て」と言われ、私を含めた「バレンタインデーなどには関係がない風」の生徒も含めて全員が1〜2時間かけて懇々とお説教を食らったりと、「この時間を使ってやるべきことがもっと他にあるだろうに」と思うことも多々ありました。

「総合学習」の時間をそんな風に使うくらいなら、子どもたちにはもう少し社会に出てから役に立つ話をしてあげたほうが、よっぽど「生きる力」が養われ、「社会の変化に自ら対応できる心豊かな人間の育成」に繋がると思います。

いろんなことをタブー視した結果……

 子どもの精神疾患や政治絡みの話など、大人たちが色んなことに対して「タブー視」を続けたこともあり、子どもは「人生において重要なこと」をほとんど知らないまま大人になってしまう気がします。

 私たちが生きている世界には膨大な問題があるので、それらすべてを義務教育の期間で網羅することは到底不可能だと言えます。
だからこそ自力で勉強し、判断することはもちろん必要になってくるわけですが、「そもそも社会にはどんな問題が溢れているのか」を知らなければ、問題意識を持ちようもなく、自主的に勉強すらしようがありません。

 そのため「個人間の知識量の差」の問題を、「常識がない」という一言で片付けてしまうことは非常にナンセンスで、非生産的な行為であると思うのです。

 日本政府が少子高齢化を危ぶみ、「労働人口の減少を補填するために労働生産性を高める」と唱えているのであれば、せめてこれから大人になる「労働者たち」には、より豊かな人生を歩めるような教育を、できるかぎり学校でやってあげるべき段階に入ったのではないかと、危機感を覚えずにはいられません。

 少子高齢化の日本が労働人口を確保して、数十年後も国として機能し続けるために、義務教育をすでに修了した我々の「常識」も、時代の変化に合わせて少しずつアップデートし、互いに理解しあい、助け合うことができる社会にしなければならないのではないでしょうか。
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2019年05月08日

何もしない人より"失敗する人"がいい理由

何もしない人より"失敗する人"がいい理由
2019年05月07日 PRESIDENT Online

■松永安左エ門に言われた一言
誰かが偉くなるとか、社長になるとか、人の将来なんて見た目だけではわからないものです。
スポーツの場合、素質の有無は早いうちにわかりますが、それでも素質がある人が必ず成功するとは限りません。
ビジネス界だって、「あれ? あいつ、社長になっちゃったよ……」というようなケースは少なくないのです。
ただ、私の目ではわからないものが、女性にはわかることもあるようで、芸者さんなどは「この人は見込みがあるかも」と一瞬で見分けます。

私は貧乏だった頃、某店の女将に可愛がられて、10年ぐらい未払いのまま飲ませてもらっていました。
最後は柿の種しか出てこなくなりましたが(笑)、1999年に国内市場より先に米国ナスダック市場で株式を公開したら、「そろそろ払える?」とさっそく電話がかかってきました。
私は酒ばかり飲んできた行儀の悪い人間ですから、目の前の相手が偉いとか偉くないとか、気にしたことがありません。
そのわりに、なぜか世間的に有名なおじいさんたちから可愛がられてきました。

学生時代、「電力王」と呼ばれた実業家、松永安左エ門さんと飲んだことがあります。
そのとき松永さんから
若いうちはあまり肩書のある人間と会うもんじゃないよ。お互いつまんないんだから」と言われました。
話題が合わないし、若いほうは緊張するだけ。 なるほどと思ったものです。

そのくせ、30代になると偉い人たちと飲むようになりました。
NECを日本最大のパソコンメーカーに育てた関本忠弘さん(元相談役)とは、2人でジンを1本空けて、酔っ払って言い合いになりました。
ホンダ創業者の本田宗一郎さんには「おまえ、生意気なことを言うな」とポカッとやられました。
殴っておいて「これも愛情だ」などと言うので、「愛情はいらないから、痛いのは嫌だ。僕はホンダの社員じゃない」と文句を言ったものです。

若くして亡くなられましたが、東京電力の副社長だった山本勝さんにも、大変お世話になりました。
山本さんは若い人を可愛がり、私が素人ながら通信事業を始めたときにも「面白い」と見にきてくれた方です。
豪胆でいて気配りは万全、私も含め多くの人から尊敬を集めていました。
みなさん、私のような生意気な若造に、よく我慢してつきあってくれたと思います。

■いい子だけど、ちょっと弱い
運というのは大事なもので、偶然や運がないと大会社の社長になどなれないでしょう。
私は、自分は運の悪い人間だと思っています。
運が悪いからインターネットなどをやってきたので、「日本が世界から遅れちゃいけない」と思って立ち上がったものの、なかなか理解されず、それでもやっと仕組みができたのでやめようと思ったら、それもできなくてずるずる続けてきました。 ただ私の昔の仲間には、世の中で知られるようになった人が大勢いて、「もしかすると自分は人に運を与えるタイプなのかな」と思ったりします。

ただ、今の若い人を見ていると、運不運の前に努力しない人が多いと思います。
人間は努力の結果で変わるもの。
大成するためには、変わっていく要素がいります。
優秀な人でも、自分の殻にはまってしまうと伸びません。
逆に見かけがチャランポランでも、そういう精神を持った人もいます。

自分を変える努力ができたうえでの運であり、成功なのです。
人間は本気で努力するときには余裕がなくなり、目が吊り上がってきます。
上に行く人は、必ずそういう経験をしています。
そこは、傍から見ていてもわかりますね。

今のIIJの社内にも、失敗ばかりしているけれども、「こいつ、面白いな」と思う人がいます。
会社としては失敗するより成功してもらうほうがいいわけですが、私は「失敗する人は、何もやらない人よりはるかに見込みがある」と思っています。

何もしなければ、何も起きません。
何か1つ、自分の持っているものを活かせればいいのです。
そういう人を我慢して見守ってやるのが、上の人間の役割です。

一方で「いい子だけど、ちょっと弱いな」という人もいます。
仕事はやればやるほど増えていくもの。
そこを耐えてやり切るか、自分に甘えてしまうかです。

今の日本は、まだ長期雇用の慣習が残っていて、ホワッとしていても生きていける国かもしれません。
それでも向上心のある人は、本気で突っ走って壁を乗り越え、一皮剥けて変わっていくものです。

▼鈴木流 一流の条件
殻を破ろうとしているか
●失敗しているか
●甘えずに仕事をやり切るか

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鈴木幸一(すずき・こういち) IIJ会長(CEO)
1946年生まれ。早稲田大学文学部卒業。
日本能率協会等を経て92年、インターネットイニシアティブ企画(現IIJ)設立。
94年IIJ社長。
2013年より現職。
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2019年05月10日

老いて学ぶ晩学をバカにする人は大バカだ

老いて学ぶ晩学をバカにする人は大バカだ
2019年05月09日 PRESIDENT Online

■「人生100年」の生きがいは自分で探すしかない
95歳、お茶の水女子大学名誉教授の外山滋比古さんが考える、幸福を感じられる生活のコツとは何か。

「昔の人は60(歳)くらいで死んだけど、今は80になっても90になっても死なない。
みな、どうしたら幸せを感じられるかよくわからない。
幸か不幸か、100歳くらいまで続くかもしれない人生の生きがいや、楽しく前向きに生きるための哲学・思想は結局のところ、各自が見つけないといけない。
これは、政治家が教えてくれるわけでもないし、老いてからの楽しい生き方をガイドしてくれる参考書代わりの書籍も世の中には存在しない。
それぞれが手探りでやっていくしか方法はありません。
そういうわけだから何か面白いことないかな、と言っていても始まらない。
誰かから面白いことをもらおうという魂胆はよくない。

何歳になっても、とにかく自分の心が動いたもの、新しいものに挑戦してみる。
純な気持ち、初心でやってみる。
うまくできないかもしれない。
失敗するかもしれない。
でも、それでいいんです。
もがきながらも、先に進めば、精神的に充実し、人生に光が射してくることもある」

■「老いて学べば、即ち死して朽ちず」の精神
かつては晩学をバカにする風潮もあったが、それは間違いだと外山さんは言う。
「江戸時代の儒学者・佐藤一斎が残した『老いて学べば、即ち死して朽ちず』という言葉がありますが、まさにこれです。
いい年をして、新しいことを始めるなんて、と晩学を否定したら、体は生きているのに、心と頭がお休みになってしまう。

上達するかどうかは別問題。
進取の精神を発揮して、新しいことを試みる。
気持ちの赴くまま何にでも手を出し、努力してみる。
そうした生き方が老人の心意気なのです。
ただ、私の個人的な意見を言えば、取り組むのは『世の中の人がやっている』ものはダメ。
人まねは面白くない。

以前、ひょんなことから皇居の周囲を早朝にひとりで散歩していました。
無心で歩いていると自分の頭がキレイになっていくのがわかる。
嫌な感情が消えていき、いろんなアイデアが次々と湧き上がってくる。
30分も歩けば、新しい自分に生まれ変わった感覚でした。

当時はまだ、皇居の周囲を散歩する人はあまりいなかったけれど、ウオーキングが流行となって歩き始めた人々は『長生きしたい、健康のため』と余計なことを考えて仲間と集団で歩いている。
歩くことはもっとクリエイティブなことだと私は思っています」

■仲間との会話の中に、刺激や新発見もある
「人と一緒にやるなら、自分の仕事とは異業種の人を集めて全部で4人くらいの仲間をつくり、定期的に話すといい。
同じ業種の人と集まって喋ったって、全然面白くない。
異業種出身なら会話の中に刺激や新しい発見もある。
そうした時間が、知的に老いるためには必要です。

定年が65歳とすれば、残りの人生は20〜30年。
その時間を孤独でつまらないものとするか豊かなものとするか。
それは自分にかかっています」
そう語る外山さんが今なお取り組むのは執筆活動。
2018年末にも新刊を出し、ますます意気軒高だ。

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外山滋比古(とやま・しげひこ)
お茶の水女子大学名誉教授
1923年、愛知県生まれ。
専門の英文学をはじめ、言語学、修辞学、教育論、意味論など広範な分野を研究し、多数の評論を発表。
著書に『思考の整理学』(ちくま文庫)、『知的な老い方』(だいわ文庫)、『忘れるが勝ち!』(春陽堂書店)ほか多数。 ----------
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2019年05月11日

なぜ人は空気を吸うようにウソをつくのか

なぜ人は空気を吸うようにウソをつくのか
2019年05月10日 PRESIDENT Online

人は空気を吸うようにウソをついてしまう。
そこには悪意があるわけではない。
かしこまった状況が、「よそゆきの顔」をつくってしまうのだ。

デザインディレクターの石川俊祐氏は「市場調査のインタビューは、『会社の会議室』より『自宅のリビング』でやったほうがいい。
リラックスできる場所なら、自然と本音が出てくる」という――。
※本稿は、『HELLO,DESIGN 日本人とデザイン』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。

■一問一答ではなく、「対話」で深層心理を探る
デザイン思考の「リサーチ」において、観察と並んで大切なのが「インタビュー」です。
対象となる人々を傍で「観る」だけでなく、正面から向き合って話を「聞く」。

実際のユーザーやターゲットに問いを投げかけ、その答えから「潜在ニーズ」を導き出すヒントを得る。
それが、インタビューの役割です。

話を聞く中ですぐに得られるのは「顕在ニーズ」。
常日頃から「こうだったらいいな」と感じていることですから、みなさん前のめりで教えてくれます。
しかし、これはちょっとインタビューすれば誰でも得られる情報。
話を聞くスキルもいりませんから、必然的にライバルが多くなる。

似た商品やサービスが増える。スピード勝負になる。
価格競争に陥りやすくなってしまいます。
そこで本物のデザイン思考家がインタビューで探っていくのは、人々の潜在ニーズです。
本人も気づいていないような欲求を見つけるために話を聞いていく……と言うとシンプルですが、そう簡単ではありません。

まず、一問一答式のアンケートのようなやりとりではなく、「一答」もらうごとにていねいに掘り下げていく「対話型」のインタビューでなくてはなりません。
なぜそう思っているか? 
いつからそう感じているか?

 たとえばこういうシチュエーションだったらどう思うか? 
アンテナを研ぎ澄まし、どこかにあるはずのヒントをその場で探っていきます。

■インタビューでは“よそゆきの顔”になる
その中で気をつけなければならないのが、インタビュー中の「ウソ」です。
オフィスに来てもらったりカフェで話を聞かせてもらったりすると、その時点でインタビュイーは「よそゆき」の顔になります。
緊張するし、いいことや期待されていることを答えようとする。
よくも悪くも優等生的で、ある意味「誘導尋問に引っかかってくれる」。
どこにいても自分の意見をはっきり持ち、ブレずに述べることができる人などほとんどいないことを忘れてはいけません。

ある食品ブランドは、それまでのターゲットとは別に、ファミリー向けにもサービスを展開したいと考えていました。
そこで小さい子どもを持つお母さんにグループインタビューをしてみると、「健康にいいオーガニックな食品を選んでいる」「子どもにはできるだけ手作りの料理を食べさせている」と答えた層のボリュームがもっとも大きかった。

……これだけ見ると、「イケる」と思いますよね。
ところが、このお母さんたちの「お宅訪問」をして、ちょっと冷蔵庫を見せてもらうと……冷凍食品がわんさか出てきた! 

電子レンジでチンするだけの総菜や、瓶詰めされた離乳食など、リアルな食生活がそこにはありました。

■だましたくなくてもウソをつく理由
さて、この家庭に、オーガニック食材を一から調理するようなニーズがあるでしょうか?
答えは、「ノー」です。
手を抜きたいわけじゃない。
子どもの健康が気にならないわけじゃない。
なるべく農薬が少なくて栄養豊富な食品を、自分の手で調理したい。

でも、お母さんは圧倒的に忙しいんです。
「共働き夫婦のライフスタイルたるもの」「母親たるもの」という理想に基づいたすばらしい食材を送られてきても、実際は活用できません。

もし、グループインタビューを素直に信じたら、「子育て世代向けオーガニック野菜の定期配達」を企画することになるでしょう。
しかし、はじめは理想から申し込んでくれたお母さんたちも、冷蔵庫の中で腐りゆく野菜を見て後悔し、1カ月後には解約してしまう。
……遠くない将来、サービス自体をストップさせることになるはずです。
もちろん、彼女たちは「だましてやろう」なんて思っているわけではありません。
ただ、「自分をどう見せたいか」「どんな自分でいたいか」という気持ちで味つけされた回答になってしまっただけ。

■願
本音は、どちらも知る価値がある そうさせないためには、どうすればいいか。
できるだけ「リアル」に近い状況で、取り繕わなくていいような状況をつくるしかありません。
会社の会議室に招いてインタビューするのではなく、一軒ずつ「お宅訪問」する。
リラックスできる場所で話を聞く。
できるだけ 「よそゆき」じゃないその人と対話するしかないんですね。

とはいえ、「ウソ」のリサーチがまったく役に立たないかというと、そうではありません。
いわば、ユーザーの「願望」があらわれているわけですから。
この場合、インタビューでの回答(願望=家族の健康を気にかけたい)と冷蔵庫の実状(忙しい)、そしてオーガニックブランドのやりたいこと(ファミリー層に健康的な食事を広めたい)を掛け合わせて考えると、「実現可能なオーガニック」に鉱脈がありそうだと気づけます。
「15分でできるオーガニック料理のキット」なんてサービスもいいかもしれませんね。

「観察」と同じくリアルな現場を用意し、インタビューで本心を引き出すことがいちばんの理想です。
でも、もし本心を語ってもらえなかったと感じても、それを情報として次のプロセス(「問い」を設定する)で活かすこともできる。 宝の山であることに変わりはないのです。

■「極端なユーザー」に話を聞きに行こう
私がリサーチの取っかかりとしてよく使うのは、「極端なユーザー」へのリサーチでした。
一般的なユーザーではなく、プロやオタクのような「超ユーザーの人たち(A)」と「ユーザーではない人たち(C)」に話を聞くのです。
たとえばスマホに関するリサーチだったら、3台持ちで使いこなしているユーザーと、人生で一度もスマホを所有したことがない人、というふうに。

なぜこれら両極端な人たちに話を聞くべきか。
「スマホを持っていて、主に使うのはメッセージアプリとSNS」といったコアのユーザー(B)は、「すでに使ってくれている人」だからです。
ものすごい不満や要望がないから、またそこそこのリテラシーがあるから使ってくれているわけで、出てくるのは「おサイフケータイ機能がついてるといいな」
「もうちょっと軽かったらいいな」といった、現実的で顕在的なニーズのことが多い。

言ってしまえば、誰でも考えつくレベルのアイデアに留まってしまうんですね。
それらを聞いて素直に反映しても、「あっ」と人を惹きつけるものにはなりません。
改善で終わってしまうのです。

■スマホを使わない人には“意志”がある
一方、AとCの人の話は、開発側に大きな気づきを与えることが多い。
Aの場合は、開発者が想像もしていなかった、特殊な使い方をしていることがあります。
すると、そのプロダクトに関する、隠されたニーズを発見することができるのです。

Cの場合も同様です。これほどスマホが普及しているにもかかわらず、あえて使わないユーザーには、「使わない」明確な理由が存在します。
その理由を掘り下げていくうちに、多くの人が「そういうものだ」と無意識のうちに我慢している課題や、それを乗り越えるための手段が見つかるはずです。
つまり、極端なユーザーは、肯定的であれ否定的であれ、明確な意見や要望を持っていることが多く、それによって効果の高い調査結果を得ることができるのです。

(AnyProjects 共同創業者 / パートナー 石川 俊祐 画像=iStock.com)
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2019年05月14日

人生を変える「ここだけの話」を引き出す方法

人生を変える「ここだけの話」を引き出す方法
2019年05月13日 SPA!

いまの仕事楽しい?……ビジネスだけで成功しても不満が残る。
自己啓発を延々と学ぶだけでは現実が変わらない。
自分も満足して他人にも喜ばれる仕事をつくる「魂が燃えるメモ」とは何か?
そのヒントをつづる連載第101回

 仕事でもプライベートでも「ここだけの話」というものがあります。
周囲の気配をうかがいながら、こっそりと語られるその内容は、物事の評価や人物の印象を一瞬で変えてしまいます。
 ある男性は実家のお墓まいりに行った時に、父親に「お前はもう知ってるんだよな?」と尋ねられました。
なんのことかわからず、「何が?」と彼が聞き返すと、自分と二人の兄が腹違いだと打ち明けられて驚いたそうです。

 彼はその二人の兄との間に壁を感じていました。
その影響か、人間関係
全般に対して引っ込み思案なところがありました。
現在はそんな自分を変えるべく、色々な集まりに積極的に参加するようになりました。

 私たちは直接的な原因を求めます。
たとえば人間関係なら、自分と相手のどちらに問題があるのかを考えようとします。
しかし、実は間接的な遠因の方が強く影響していて、それが無用な気後れや対立を招いています。
その遠因が明らかになる機会が「ここだけの話」です。

 情報社会はこうした遠因から人を遠ざけます。
私たちは「いつでも、どこでも、誰でも」という均質的な情報を求めています。
「それをやればうまくいく」というインスタントな話を欲しがっています。
しかし、そんなものはありません。
他人を参考にして、自分なりの答えを出すしかないのです。

 情報社会は確かに便利です。
家にいながら、ネットや本で色々と知ることができます。
しかし、それで知ることができるのは全体のごく一部に過ぎません。
ネットも本もパブリックなメディアです。
あまりあれこれ話しすぎると、本人は良くても、周りに迷惑がかかります。
そのため、語られる内容にも自然と制限がかかっています。

 自分の人生が変わるきっかけになるような「ここだけの話」を聞くには、実際にそこに行くしかありません。
ネットや本で「これは!」と思った人がいたら、その人のセミナーや講演会に行ってみましょう。
そして、できるだけ質問しましょう。
 セミナーや講演会では、質疑応答の時間が大抵設けられています。

「いい質問です」と言われるような質問をすると、「ここだけの話」を披露してくれます。
相手から話を引き出すコツは体験談です。
大切なのは理屈よりも理由です。

どうしてそう考えるようになったのかを語る時に、打ち明け話をする空気が生まれます。
 よく「言葉は生き物」と言いますが、話もまた生き物です。
お互いの空気が温まらないと出てこない話題があります。

あなたが真剣に尋ねれば、相手も真剣に答えてくれるでしょう。
そういう本気の会話が人生を変えるきっかけになります。
 これは実は当たり前の話でもあります。
たとえば音楽の場合、録音よりもライブの方が感動できるのは、誰もが知るところです。
ところが言葉の場合だと、文章もトークも変わらないと思ってしまいます。
実際は生の言葉の方が、何倍も印象に残ります。

 ネットや本でわかることはたくさんあります。
しかし、実際に会って初めてわかることも同じくらいたくさんあります。
気になった人には直接会うようにしてみてください。
自分のこれからを考えるよい刺激になるでしょう。


【佐々木】 コーチャー。
自己啓発とビジネスを結びつける階層性コーチングを提唱。
カイロプラクティック治療院のオーナー、中古車販売店の専務、障害者スポーツ「ボッチャ」の事務局長、心臓外科の部長など、さまざまな業種にクライアントを持つ。
現在はコーチング業の傍ら、オンラインサロンを運営中。ブログ「星を辿る」
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2019年05月18日

「突発性バカ」になる東大出身者の共通点

「突発性バカ」になる東大出身者の共通点
2019年05月17日 PRESIDENT Online
精神科医 和田 秀樹

賢いとされてきた「東大出身者」が、バカな暴言で社会的生命を失う事案が相次いでいる。
精神科医の和田秀樹氏は「原因は『傲慢さ』ではない。
エリートほど怒りや不安といったネガティブな感情をコントロールする経験値が足りないからだ」という――。

■東大出身の政治家や首長が「暴言」を吐きバカ化するワケ
丸山穂高衆議院議員は、5月11日、北方領土へのビザなし交流に参加中、「戦争で島を取り返すことに賛成か、反対か」などと発言し、日本維新の会を除名された。
野党から批判の声が相次いでいるが、本人はツイッターで「無所属で活動する」と表明し、議員辞職を否定している。
丸山議員は、東京大学経済学部卒後、経済産業省に入った、いわばエリート。
ここ1、2年、こうした本来「賢い」とされる人がバカなことをしでかし、自らの社会的生命を危うくしたし失ったりという事案がしばしば起こっている。

政治家でいえば元衆議院議員の豊田真由子氏だ。
東京大学法学部を出た後、キャリア官僚になり、さらにハーバードに国費で留学して修士を取った後で国会議員になったが、昨年6月、秘書に暴言・暴行を働いた、と週刊誌に報じられ、その後、議員の職を失うことになった。
ネット上に流された暴言を吐いた録音テープが連日テレビやラジオでも放映され、本人にとっては相当な精神的苦痛であったに違いないが、自業自得というしかない。

今年1月には、別の暴言騒動が起きた。
東大の教育学部を出て、NHKに入局、その後司法試験に合格し、衆議院議員を経て、兵庫の明石市長になった泉房穂氏だ。2017年6月、国道の土地買収交渉における進捗の停滞に業を煮やしたあまり、担当職員に対して「火つけて捕まってこい、おまえ。燃やしてまえ。損害賠償を個人で負え」
などと暴言を吐いた内容が、今年になって明らかになり、やはり録音・公開されて、市長をいったん辞職することになった。 この件は、市の担当者の怠慢ではないかとの指摘もあり、その後の出直し選挙で泉氏は3度目の当選を果たした(任期は2015年の前回市長選挙当選からの残任期間である2019年4月30日までであるため、先頃の統一地方選に臨んだが泉氏以外の立候補者がおらず、4選)。

■エリートのバカ化の原因は「傲慢さ」ではない
こうした暴言トラブルが起きると、大手メディアやテレビ番組のコメンテーターの中には、エリート特有の「傲慢さ」を原因と指摘する者が現れる。

しかし、豊田氏は厚生労働省時代、地道に公僕としての務めを果たし、
泉氏も社会福祉士の資格を持ち、弱者に寄り添う政策で知られた。

誰の目にもパワーハラスメントに映るものの、傲慢さばかりにフォーカスするのは的外れというものだろう。

私の見立てでは、彼らは人もうらやむ学歴を持つ超エリートだが、感情をコントロールする能力に関してはひどく低かった、ということになる。
一般的には、難関大学に合格したようなエリートは、それまで遊びたい気持ちを抑えて受験勉強を優先したはずであり、また日々、勉強を続けるモチベーションを維持していたはずだ。
つまり「自己コントロール」の経験値が、世の中の大多数を占める非エリートより高い。
ところが、実際はそうではないケースも目立つのだ。

■「怒り」や「不安」という感情が人をおかしくする
「怒り」という感情は時として人間を常軌の逸した心理状態にする。
大変怖い。
だが、もっと怖いのは過度な「不安」感情による“異常”ともいえる言動だ。

例えば、佐川宣寿・前国税庁長官だ。
東大経済学部を出て、財務省の官僚として、エリート街道をひた走っていたが、例の森友学園を巡る、財務省の国有地の売却に関する文書の改竄を「指示した」と認定された。
疑惑を追及された国会での答弁や証人喚問では、安倍首相や昭恵夫人、その他政治家への忖度や指示を受けた事実については明確に否定し、改竄の経緯については刑事訴追の恐れを理由に証言の拒否を続けた。
真相は現在も藪の中であり、多くの国民が疑惑の念を深め、不快に感じたことだけは確かだ。

そもそも疑問に思うのは、なぜ改竄を指示したのかということだろう。
考えられるのは、もし、売却に関する問題がさらに露見したら、首相や官邸筋に迷惑をかけてしまうのではないかという不安にさいなまれパニック状態になった結果、改竄して事実を必死に覆い隠そうとしたという可能性だ。
しかし、もし、その行為がバレるのではないかと考えなかったとすれば、まったく愚かなことだ。
これぞ、賢い人がバカになったといえる典型例ではないだろうか。

その詳細なメカニズムに関しては、本連載で今後、解説していく予定だが、
現在の認知科学では、「感情と認知(判断)」また「感情と思考」には強いリンクがあると考えられ、感情に認知が支配されていないか定期的にモニタリングすることが重要視されている。

佐川氏は改竄さえしていなければ更迭の理由はなく、希望通りの出世はできないにせよ、それなりの地位が保証されたはずであり、将来は待遇のよい天下り先も得ていたに違いない。
ところが彼は完全にその地位を失い、世間に顔向けできない状態に陥った。

■大企業の不祥事も一流大学卒のトップのバカ化が原因
このほかにも大企業の不正会計事件や、リコール隠し、不祥事隠しが最近、立て続けに起きている。
これらも、正直に報告すると株主から突き上げられ、マスコミにたたかれる、といった不安が、不正や隠蔽のきっかけとなっているように見える。
巧妙に隠したつもりが、結果的に発覚し、そのダメージや損失は甚大なものになる。
とてもではないが賢明な行動とはいえない。
そういう企業のトップのほとんどは超一流大学を出ているだけでなく、仕事もできて、社内の出世競争にも勝ち抜いてきた人たちだ。
不安という恐ろしい感情が、賢く頭のいい人々をバカにしたといっていいのではないだろうか。

■どんなに賢い人でも「バカになる瞬間はある」
私は、もともと極めて賢かった彼らは「自分がバカになることへの対策やケアをしていない」と感じる。
長年大学受験の指導をしていてわかったことがある。
それは、本来成績がとてもよい人が志望校に不合格になる場合、その主因は試験当日、突然「バカ」になるということだ。
つまり、プレッシャーや不安によりケアレスミスをし、ありえない失点をするのである。
実は、これらはある程度は事前対策が可能なものである。

たとえばミスについては、過去に自分がおかしたケアレスミスを書き出して、どうすれば防げるかを考え、そのトレーニングを事前にやっておけばいい。
試験場でパニックにならないようなメンタルトレーニングなども、本やネットで簡単に探せるだろう。
しかし、結果的に不合格となる賢い受験生たちはそういう対策をやっていないのが実情だ。
自らの力を過信し、墓穴を掘ってしまうのだ。

アメリカの経営者やエグゼクティブの人たちの多くが、自分の精神科医やカウンセラーを持っていることはよく知られている。
メンタルヘルスのためだけでなく、不安や怒りの感情が判断を歪めるという経験則から、それを防ぐために、自分の心理状況をモニターしたり、改善したりする目的があるのだ。
要するに、頭も体もメンタルも劣化するものと認識し、その「防御」にお金と時間をかけているわけだ。

確実に言えることは、どんなに賢い人でも、「バカになる瞬間はある」ということだ。
AIでなく人間である以上、そうならないということはあり得ない。

前述したように、怒りや不安という感情の渦に飲み込まると、利口な人であってもバカ化することがある。

■自分は賢いという知的傲慢や、勉強不要という知的怠惰
また、いくら東大卒であろうが、東大教授であろうが、大学を出てから、あるいは教授になってから、ろくに勉強しないとバカになるのも当たり前の話である。
学問が日進月歩の今日ではよりその傾向が強いだろう。

私は医学の世界に身をおいているが、今でも10年くらい前の治療理論や技術に固執する医者が多いのを見ると、このことを痛感する。
これも自分は賢いという知的傲慢や、勉強なんかしなくても大丈夫という知的怠惰が賢い人をバカにしていると言える。

実は私の勉強や知的活動の原動力は、より賢く進化していきたいというポジティブなものではない。
むしろ、バカになりたくないという「バカ恐怖」がエネルギーになっている。

人は加齢とともに心身が老化・劣化し、不具合や誤作動を起こすことがある。
そして、それが人によっては社会的生命の命取りになることもある。
だが、そうした危機感や自覚を少しでも持てば、知らず知らずのうちにバカになってしまうという失態を防ぐことができる、ということを精神科医としてぜひ伝えたい。
本連載では今後、賢い人間をバカにしてしまう事例を取り上げ、その原因を解説していく。
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2019年05月22日

家庭訪問あるある?先生への「おもてなし」暗黙のルールを知らなかった我が家の悲劇

家庭訪問あるある?
先生への「おもてなし」
暗黙のルールを知らなかった我が家の悲劇
5/21(火)  ファンファン福岡

小学校に入れば、4月は保護者も何かと忙しくなります。
学級懇談会の役員決め、そして「家庭訪問」が終わるまで落ち着かないママも多いはず。
入学して初めての家庭訪問の時、私に起こったハプニングをご紹介します。

 新しい学年に上がると早速「家庭訪問」があります。
保護者の都合を確認するアンケートを事前に子どもが持って帰ってくるので、日程を調整します。
 家庭訪問のお知らせのプリントには「訪問時間は10分程度」「玄関先で」「飲み物やお菓子はご遠慮」の文言。

 私が子どもの頃は、親が先生にお客さま用のお茶とお菓子を用意していた記憶がありますが、最近の小学校はそういうことはしなくていいのか…。
 とはいえ、油断禁物。
一応リビングとトイレは人様に見られてもいい程度に掃除をすることにしました。
散らかっている目障りなものは、とりあえずクローゼットや他の部屋に一時撤収して、見た目はスッキリ!!

 当日、予定時間通りに担任の先生がわが家にやってきました。
 「お待ちしていました。どうぞお入りください」と声を掛けると、「おじゃまいたします」と先生は靴を脱ぎ始めました。  

「あれ?? 玄関先じゃないのかな?(心の声)」と思いつつ、一応「見た目」だけは良くしたリビングへ入ってもらうことになりました。
 「どうぞ、お掛けになってください」と私は先生をテーブルへ案内しつつ「冷蔵庫に出せる飲み物あったかしら…(心の声)」と頭の中はフル回転!
 常備しているアイスコーヒーがあったので、事なきを得ることができました。

 10分程度の訪問のはずが、家庭訪問の時間は20分以上の大盛り上がりでした。
メモを一生懸命とりながら、たくさん話をしてくれた先生はアイスコーヒーをきれいに飲み干していました。
 小学生のわが子は、先生が自宅に来てくれたことがうれしくて仕方ない様子。
 先生が「そろそろ失礼いたします」と切り上げようと立ち上がった瞬間、私に思いもよらぬ追い打ちが襲いかかりました。  

「先生! 私の勉強机、見せてあげる!」。
わが子がまさかの一言!
 「それでは見せてもらおうかな」

 近頃はリビングに勉強机を置いているご家庭も多いようですが、わが家はリビングの隣の部屋に置いています。そう、掃除はおろか、たんすに入れる前の畳んだだけの洗濯物や掃除機を「一時避難」させている状態の部屋です。
 小学生のわが子にはそんな事情など分かるはずもなく、勢いよくドアを開けてしまいました。
散乱している荷物を前に、もう私は笑ってごまかすどころか、大爆笑するしかありませんでした。

 先生は気を遣ってくれたのか、ノーリアクション…。
 「ここで勉強してるの〜」
 明るく言うわが子を横に、赤面の私。
しかし先生は散乱した荷物を見ないように、淡々とわが子から勉強机の紹介を受けていました。
もしかして同じハプニングはわが家だけではない!?  

後でママ友に聞くと、
・飲み物を出しても口にしない先生もいるけど用意する
・お菓子は食べてもらえなくても、持って帰ってもらえるように個包装のものを用意する
・先生によっては宿題をさせる場所や勉強机を確認することもあるらしい とのことでした。

肝に銘じ、今後はしっかり準備しておきたいと思います。
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2019年05月30日

行き過ぎた「完食指導」で体調不良、トラウマも…? でも、学校ばかりを“悪者”にしてはいけない理由

行き過ぎた「完食指導」で体調不良、トラウマも…?
でも、学校ばかりを“悪者”にしてはいけない理由
2019/05/28 citrus編集部(平井 千里 )

「行き過ぎた完食指導で体調不良を訴える子供たちが増えているようです。
記事によれば、“たくさん食べないと大きくなれないよ!”という善意に基づいた働きかけが根底にあるのだと思いますが、体格も食事量も人それぞれですから、“たくさん”は人によって違う気もするのですが……。
日本に根付く食文化みたいなところもあるのでしょうか?」
楽しいはずの給食が…「完食強要」やめて(NHK NEWS WEB)

■学校給食の量は、どうやって決める?
同年齢の子どもの体位は大人ほどばらつきがありません。
そのため、学校給食などでは、エネルギーなど比較的自宅でも取りやすい栄養素は1日に必要な量の1/3、
ビタミン類、カルシウムなどのミネラル類のうち、自宅で摂取することが難しいであろうと考えられる栄養素については、1日に必要な量の40〜50%を給食で提供するように学校給食法で定められています。

摂取基準値は、その年齢の子どもの平均的な体位を使って算出しています。
男女比1:1の場合を想定して計算しますが、男女差など細かくは考慮されていません。
子どもの体格は大人ほどばらつきがないとはいっても、全く差がないわけではありません。
均等に分けた1人前では多く感じる子どももいるかもしれません。
逆に少なく感じる子どももいると思います。

学校給食は、給食室からクラスの人数分の食事が教室に届けられ、教室で各自に配られます。
私自身は臨床畑(病院勤務)と栄養士教育畑を歩いてきた人間なので、学校給食の現状についてさほど詳しくはないのですが、聞き及んでいる限りでは、どの学校・クラスでも担任の先生のご努力でそれぞれの子どもに見合った量が手元に届くよう考慮されているとのこと。
この記事によると、現実には違うという学校もあるのでしょうか。
「こんなかわいそうなことはさせていません!」と小中学校の先生方から反論を頂戴したいところではありますが……。

管理栄養士の立場からすると、上記のように学校給食で提供している食事は「平均的なその年齢の子どもの体位」を基準にして献立を考えています。
並外れて体が小さい場合を除いて、一般的には均等に分けたとしても食べきれる量であろうと考えられますし、食べきることができれば体にもよいであろうことは言うまでもありません。

■トラウマになる完食指導の是非
だからといって、トラウマになるまで食べるように指導するのもかわいそうな気がします。
ただし「じゃあ、食べなくていいよ」とあっさり引き下がれるほど甘くはありません。
高齢者なら引き下がれますが、子どもは先が長い。
あっさり引き下がってしまったら、その子の将来は不健康まっしぐらです。

もう一度、学校給食の栄養基準をよく見てください。
自宅で摂取しづらいビタミン類や、ミネラル類を多く含むメニューが出されています。
この栄養素量を提供するためには、自宅では出されないであろう食材を使った料理が出る可能性も高いのです。
子どもにとって、「見たことがない」「食べにくい」料理が出てきたとしても不思議ではありません。

例えば、1日に必要な量に対して、学校給食で提供すべき割合が最も高いのはカルシウムです。
学校給食ではカルシウム源は牛乳で提供されることが一般的ですが、「牛乳嫌い? だったら飲まなくていいよ」を続けていたら、骨が太くなりません。
男子児童はいつまで経っても低身長のままかもしれませんし、女子児童は、年齢を重ねた時に大腿骨骨折で寝たきりのリスクも高くなります。

「それでいいのか?」という話です。
よくないですよね?
よくないんだったらどうしますか?
少しでも食べられるようにするしかないですよね?
「気持ち悪い」と泣き出すまで頑張らせる必要はありませんが、毎日一口ずつでも食べられるようにしていくことが必要なのかな、と感じます。

■学校ばかりが“悪い”のか?
だからこそ、自宅でも考えていただきたいことがあります。
先に「(必要な栄養素量を確保するために)学校給食では、自宅では出されないであろう食材を使った料理が出るはず」と書きました。
もう一度、先ほどの学校給食の基準を見てみましょう。

学校給食で多く提供することになっている栄養素は、カルシウム以外だと、マグネシウム、鉄、ビタミンA、ビタミンB1、食物繊維です。
これらは、野菜や海藻に多く含まれています。
いかがですか?
自宅で野菜料理を食べさせていますか?
野菜料理は“かさ(体積)”の割にエネルギー源が少ないので、成長のためのエネルギー源を欲している子どもたちは後回しにしがちですよ。
「食べないから作らない」となっていませんか?
1日3回の食事のうち、2回は自宅で食べるのですから、食育は自宅で行う方が効率的です。
3回のうち2回をなおざりにしているのに、「学校が悪い!」はないですよ。
食事の内容だけではありません。

食べているときの様子もよく観察して、保護者懇談会の席などで担任と情報共有するようにすれば、無理に食べさせられてトラウマになってしまうというような悲しいことは減らせるように思います。
考えてみてください。
学校に来ているのはあなたの子どもさん1人ではありません。
教室には30〜40人の子どもさんがいるのに、先生は1〜2人。子どもが隠れて特定の食べ物を残そうとすれば、いくらでも隠れて残すことは可能です。
ただし、隠れて残していたはずが、見つかってしまえば叱責も免れません。
軽度のうちに先生が見つけてくれれば叱責も軽く、トラウマになることは少ないでしょうが、自宅のほうがより見つけやすいはず。

親対子どもはほぼ1対1、隠れようがないのですから。
自宅でのサポートが重要なのです。
食育は分かりやすい一例でしかありません。
勉強そのものであっても「全部、学校で面倒をみて」では子どもはうまく育ちません。
どんなに全教職員が全力で頑張っても学校でサポートできることはごくわずかです。
ぜひ、自宅でも子どもの食育や教育全般について、今一度考え直してみてください。
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2019年06月02日

『時短運動会』の風潮に野々村友紀子「子どもの意見が入ってないやん!」

『時短運動会』の風潮に
野々村友紀子「子どもの意見が入ってないやん!」
2019年06月01日 週刊女性  

この数年、『時短運動会』が話題になっている。
児童の熱中症対策や保護者の弁当作りの負担、授業時間の確保といった理由から競技を減らして午前中に運動会を終わらせる学校が徐々に増加。
すでに北海道では6割の小学校が午前中に終了するという。
この運動会の時短傾向に放送作家でNSC東京校の講師も務める野々村友紀子が考えたこととは?
* * *
 先日、全国で運動会が行われました。
いや〜、よく晴れて運動会日和やね!…なんて言っていられないのが、昨今の異常気象。
まだ暑さに身体が慣れていない5月に気温35度超えとか、小さな子どもを持つ親からしたら恐怖ですよ。

 そもそも、5月に運動会をする学校が増えた理由のひとつに、「秋の開催やと、暑〜い残暑に校庭で長時間、練習せなあかんねんで? 危険やん?」が、挙げられていたはず。
でも5月もこうなってしまったんじゃあ、あんまり意味ないし、今度は本番の日の気温が危険になってきました。
 気温も昔とは違うし、外で遊ぶことが減った子どもたちは、体力も昔の子とは違う。
子どもたちはもちろん、先生方や保護者も命がけでやる運動会の是非が今、問われています。

世間では、午前中で終わる「時短運動会」なんて言葉も話題になっていますね。

やっぱり中止、また来週
 私にも2人の娘がおりますので、幼稚園のころから数えて2人分で11回は運動会を経験しています。
運動会の朝といえば、まー、早朝からから揚げ揚げて、肉巻いて、野菜ゆでて卵焼いておにぎり握りまくってフルーツむきまくって見栄えのする豪華なお弁当作って、パパは6時から門の前に並んで場所取りして…もう本当に親も大変!

 しかもうちの子の学校は、小雨くらいならやっちゃうので、当日朝の「決定メール」が来るまではまだ中止かどうかわからない。
これには困った。
けっこう雨降ってるけど…? 
やるの? やらんの? どっち?

 お弁当、作り出していいの? 
ねぇ? おーい、どないやねーん!! と、スマホをにらみ小一時間モヤモヤしつつ、もしあるならもう作らないと間に合わん! というギリギリのところで我慢できず作り出すものの、「やっぱ中止〜また来週〜」というメールが来ることも。

 しかも2週連続で微妙な雨が降り、「またまた来週」も経験あり。
歯ぎしりで奥歯粉砕の危機ですよ。
もう、カップ麺でも持って行ってやろうかしら! ですわ。
でも私なんかはまだマシで、ご近所さんなんか見ていると、家族のほかにおじいちゃんおばあちゃん、おじにおばに親戚まで見に来るから、お弁当が半端ない量。

 でっかいブルーシート広げて、そば屋の出前か? ってくらいお重積んで、少年野球の練習ですか? って大きさのタンクでの麦茶持参。
ほんまこれで当日キャンセルされたら地獄やで!
 今日び、母親も働きまくって忙しい人が多いねんから、前日夜にあれもこれも仕込むのもなかなかできへんねん! 
夜の遅くまで仕事や家のことやって、なんとか当日、早起きして作るのがやっと。
だから母の立場で言わせてもらうと、まず時短にすると、いちばん大変なお弁当問題がなくなる! これはでかい。 

 そして、次にパパの場所取り。
時短になるとこれもなくなるかもしれない。
というのも、「場所取り」ってあれ、何も自分の子どもがいちばんよく見える場所を取っているわけじゃないからね!
 それも大事だけど、保護者にとって運動会は朝から夕方までをいかに快適に過ごせるか、その「待機場所」が命!
 特に小学校なんて1〜6年生がそれぞれ数種目やるので、自分の子どもの演目以外は、ほぼ待機時間。
 日陰が少なく、砂ぼこりモウモウで紫外線バリバリの校庭にいると、体力が奪われてクラクラするし、お弁当もこの暑さじゃ傷みそうで心配。

特に午後からの日差しはやばい!
日向に座ってたら午後3時にはフニャフニャの干し柿母ちゃんになってしまう。
 だからなるべく直射日光が当たらず、砂ぼこりが立ちにくい、その限られたわずかなスペースを取るためにパパたちは門が開いた瞬間、ダッシュするのだ!

 もしこれが時短になって午前中だけになるなら、場所取りしなくてもいいし、お弁当作らなくてもいいし、コーヒータンブラー片手にサラッと見て帰ることができるではないか!

時短は本当にいいのか?  
時短、ええやん。
……え? 
それならもういっそ運動会をなくそう、って意見もネットで出てるの? 
まぁ、さすがに運動会自体がなくなるのはさみしいけど、なければないで助かる家庭も多いのかな?
 今はほとんど共働きで、お母さんがお弁当持って見に来るのが当たり前の昔とは時代が違うから…。

 ん? でも、ちょっと待って?これ、全部「親の意見」やん。
「子どもの意見」は全く入ってない。
これで決めるのはよくないぞ。
 子どもたちにとって危険な暑さ、だから時短にしよう。それは、わかる。先生たちの負担が大きすぎるのも、時短で解決できるならそうすべき。

 だけど、「お弁当作るのがめんどくさいから」
「場所取りがしんどいから」午前中で終わらせろ!
「忙しいから」いっそ運動会なんてなくなってもいい!というのは、親が自己都合を押しつけているだけで、子どもにとって大切なものは何か、を見落としてないか?

 学校行事の主役はあくまでも子どもたち。まずは、子どもたちが楽しんでいるか、その行事で何を得るのか。
それを抜きで決めたらあかん! 

正直、お弁当も場所取りもめんどくさいけど、彼、彼女らが一生懸命、練習したことを頑張って披露する、年に1度の運動会の日くらい、親も頑張ろう!
 仕事も大変だけど、お弁当や場所取りに頑張っている親のことも、子どもたちはちゃんと見てる。

 最近、テレビ業界でも教育現場でも、ごく少数のクレームが大きく取り扱われすぎるのも気になるところ。
一部の文句をおさめるために、言われた部分を切り落としてばかりでは、やがて大事なものまでなくなってしまうぞ!
「なくす派」の人は「そもそも運動会やる意味がわからない」らしい。
そんな人は運動会の結果発表での子どもたちの一喜一憂、見たことあるのかな?

 自分の組が優位に立てば飛び跳ねて手を叩いて喜び、負ければ本気で悔しがる。
それだけ本気で練習を重ね、本気で挑んでいるということ。
 勝っても負けても、そこに大きな経験がある。
それは意味のない経験か?

 ほとんどの子どもは、運動会に向けて「早く走れるように」自分で何かしら努力して工夫するもの。
そして、その結果がどうであれ、受け止めて乗り越える、それが大事なんじゃないのかな。

「運動会の練習で授業がつぶれるから無駄」
「暑い中、練習したらかわいそう。もうやめてもいいのでは」という親もいる。
そりゃ、暑さやケガから守ることも大事だけど、これからそんな時代を生き抜かなければいけないのは、あなたの子どもたちだから。
それを知って乗り越えることも大事な授業。

「どうやったらこの暑さから身を守れるのか」
「どうやったらケガせずにできるのか」
自分で考え、工夫しながら経験して学ぶ。それだけでも意味はある!

 運動会とその練習の過程で、子どもたちは何を感じ、何を味わい、何を学ぶのか。
もしも、何もなければ、やめればいい。
だけど、運動会でしか味わえない喜びや悔しさは必ずある。

他人や自分の「苦手」を知り、「得意」でカバーしたり、団結して支え合う体験、そこでしか芽生えない対抗心や向上心、終わって得る大きな達成感。 
 大事なのは、なんでも「経験する」こと。
人として成長するためには、よいことも悪いことも、ひとつでも多くのことを経験して乗り越えること。この時期に集団の中でしか体験できないこともある。その大事なチャンスを、一部の大人の都合で奪うな!
 親も先生も忙しく大変なうえ、昔より面倒なことも危険なことも増えた今、なくさなくてはいけないものはまだまだ増えていくでしょう。

言うまでもなく、何より大事なのは、子どもたちの命。
運動会は、命の危険を冒してまでやるものではない。
無駄の多い内容を見直し、練習も最低限に抑えて、先生方の負担も減らしたらいい。
みんなの健康を守るために時短にするのはいいけど、どうか親も子どもも全力で挑み一生、思い出に残る運動会にしてほしい。

プロフィール
野々村友紀子(ののむら・ゆきこ)                      
1974年8月5日生まれ。大阪府出身。
よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属の芸人、
2丁拳銃・修士の嫁。
芸人として活動後、放送作家へ転身。
現在はバラエティ番組の企画構成に加え、 吉本総合芸能学院(NSC)の講師、アニメやゲームのシナリオ制作など多方面で活躍中。
著書に『あの頃の自分にガツンと言いたい』『強く生きていくために あなたに伝えたいこと』(ともに産業編集センター)『パパになった旦那よ、ママの本音を聞け!』(赤ちゃんとママ社)がある。
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2019年08月30日

日本にはびこるブラック校則、その原因と対策を考える

日本にはびこるブラック校則、その原因と対策を考える
2019年08月29日 ニューズウィーク日本版

<理不尽なルールへの従属を強制する「反教育的」制度は、日本経済の停滞傾向が顕著となった今、放置しておくことはできない>
子どもの貧困への支援を行なっているNPO法人キッズドアの渡辺由美子理事長が発起人となり、評論家の荻上チキ氏、勝間和代氏などが賛同者として名前を連ねている、「ブラック校則をなくそう!」プロジェクトの活動が話題になっています。

この問題、取り組むのが遅すぎるくらいですが、今度こそ多くの世論を動かして実際の成果に結びつけていって欲しいと思います。
そのためにも、あらためてこの「ブラック校則」について「何が問題か?」という評価と、「なぜ廃止できないのか?」という原因についてあらためて確認したいと思います。

まず何が問題か、ということです。
確かに「地毛を黒く染めさせるのは傷害行為」ですし、「水飲み禁止は命に関わる」のは事実ですから、まさに基本的な人権という点からして廃止は待ったなしだと思います。
ですが、問題はそれだけではありません。
理不尽なルールを押し付けられて、これに異議を唱えることができないという環境は、教育ではなく「反教育」、つまり中高生など若者を「大人になるように教えて育てる」という教育の本来の目的には「逆行する」環境だということです。

どういうことかと言うと、近年は18歳選挙権が実現しているわけで高校生を主権者へと教育することが課題になっています。

主権者というのは、間接民主主義の制度に基づいてルールを決定する側に立つということです。
ところが「ブラック校則」の適用というのは、ルールへの従属を強制するわけです。
つまり主権者教育ではなく、被支配者へと子供を教育することになります。
反教育的というのはそういうことです。

そこまで理念的に考えなくても、理不尽なルールを硬直的に適用する環境では、子供たちが自然に育っていくのは難しいと思います。
「確かにそうかもしれないが、決まりだから」という対応を続けることで、結局は上の世代や社会への不信感を抱いて「どうせ、そんな社会だし、変わらないだろう」といった閉塞感の中で若い世代が沈滞するとしたら、これは国家百年の損失と言わなくてはなりません。

思えば、反戦運動が弾圧された60年代、個性化が押しつぶされた校内暴力や管理教育の80年代、そして学級崩壊の発生した90年代と、それぞれの世代が学校において不幸な経験に遭遇し、そして上の世代への不信を抱えたまま成人していきました。そのことは、日本の社会が健全な活力を失ってきた歴史とどうしても重なって見えるのです。

経済衰退の兆候が顕著になってきた現在、これ以上の沈滞を放置する余裕はないと言うべきでしょう。

もう一つ大切なのは、ブラック校則が残っている原因についてです。
ブラック校則というのは、学校や教師が保守的であって、「教育に効果がある」と考えているから続いているのではないと思います。
学校を敵視するのは簡単ですが、本当の「敵」はどこにいるのかを見極めることも必要ではないでしょうか。
その一つは社会の、特に高齢世代の余計な干渉です。
「染髪の強制」の背景には、「オタクの学校には茶髪の生徒がいて許せない」などと電話をかけてくる「地域の声」があるのだと思います。
もしかしたら、学校はそうしたトラブルで疲弊しているのかもしれませんし、そもそもトラブルに対処するような物理的な余裕がないのかもしれません。
そうだとしたら、このプロジェクトなどが主体となって、そうした「余計な干渉」に対して徹底的に批判し、防止することが大切です。
それでも根絶できないのなら個々のケースに対しては、学校ではなく、専門組織にゆだねつつカウンセリングも含めた対応を考えていく必要があるように思います。

もう一つは、保護者のクレームです。
猛暑なのに水筒の持参を禁止している学校が問題になっていますが、その原因としては「勝手に持参した水筒の水を飲んで子どもが健康を害した場合」に、学校が非難されたり、場合によっては訴訟を受けたりする問題があるようです。
そのため「水ならいいが、水以外は禁止」とか「水以外の液体(スポーツドリンクやお茶など)が入っていないか検査せざるを得ない」という対応を取っている学校もあるようです。

自分の子供が健康被害を受けた場合には、手段を選ばずにクレームを言ってくる保護者は根絶が難しいのが現実です。
それならば、こうしたケースについては制度によって学校を守っていくしかないと思います。
具体的には、例えば学校が加入する形での賠償保険制度を思い切って拡張するという対策も考えられます。
クレーマー的な保護者への対応も、疲弊している学校現場や教育委員会ではなく、保険会社がサービスの一環として対応するというのはどうでしょうか。

理不尽な攻撃を受ける可能性があるから、理不尽なまでに防衛的にならざるを得ない、ブラック校則が残っている現実の背景にあるのは、そのようなメカニズムかもしれません。
それならば、少数の理不尽な攻撃については保険でリスクヘッジすることで、学校内に常識を取り戻すことを考えるべきです。
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2019年09月19日

昔話が図書館から消える! 『美女と野獣』は性差別的な物語!? ポリコレ的にNGな童話の世界

昔話が図書館から消える!
『美女と野獣』は性差別的な物語!?
ポリコレ的にNGな童話の世界
2019/09/08 日刊サイゾー (ゼロ次郎)

――『赤ずきん』、『シンデレラ』、『いばら姫(眠れる森の美女)』……
誰もが知っている定番の童話に、ポリティカル・コレクトネスの波が迫っている。
4月18日付の「The Guardian」紙の報道によると、このほどスペイン・バルセロナにある複数の学校で、「ジェンダーに関する固定観念や、差別的な要素が含まれる本」を図書室から排除する動きが進んでいるという。
 ある学校では、委任を受けた調査団体が幼児向けの蔵書約600冊を精査。
登場人物の発言内容と役回りを1冊ずつ調べ上げた結果、約200冊について「教育的な価値がない」との判断を下した。

海外ニュースサイト「The Local」のスペイン版によると、その中には『赤ずきん』、『シンデレラ』、『いばら姫』、『美女と野獣』といった、メジャーなタイトルも含まれている。
こうした童話で描かれる女性は「勇者である男性の救助を待っている存在」として描かれることが多く、それが男女のステレオタイプを助長してしまうと問題視されているようだ。

「幼児は身の回りに起こることすべてを吸収します。
そのため、この時期に性差別的な固定観念に触れると、それを当たり前のものとして受け取ってしまう」というのが、調査団体の主張。
しかし、その一方で前出の「The Local」が取材したある図書館職員は「古典文学には独自の価値があり、検閲は危険な行為。
行き過ぎたポリティカル・コレクトネスは、守るべきフェミニズムの価値観をかえって傷つけかねない」と、警告している。  

本稿では、このようにポリティカル・コレクトネスで排除されていく童話の現状を、識者の意見を交えながら明らかにしていきたい。

スペインの判断は童話を理解していない
 まず、今回スペインで下された判断について、グリム童話の専門家はどのように考えているのだろうか?
 梅花女子大学大学院教授・武庫川女子大学名誉教授・日本ジェンダー学会会長の野口芳子氏はこう語る。
「スペインでの出来事については、『何を考えているんだ!』という思いです。
確かに、ジェンダーは時代や社会によって変わるもので、求められる『男らしさ』と『女らしさ』も変わっていきます。
だからといって、過去のジェンダー観が反映されている物語や昔話を排除すると、ジェンダーを歴史的に理解する機会を子どもから奪うことになります」

 過去を否定するのではなく、理解することが重要ということだが、そもそもジェンダーに限らず、童話や昔話というものは常に身近な教訓の教科書でもあった。
野口氏は『赤ずきん』を例に挙げ、次のように解説する。

「1697年にシャルル・ペローがまとめた『赤ずきん』が収録されている『教訓をともなった昔話』は、当時のフランス国王・ルイ14世の姪に捧げられたものです。
ペローの『赤ずきん』は最後に赤ずきんが狼に食べられて終わりますが、彼は19歳の貴族の令嬢に向けて『若い娘が知らない男の言葉に耳を貸すと、食べられてしまうよ』という、自身の身を守るための『教訓(モラリテ)』が付いた『昔話』を書いたのです」

 時代がくだり19世紀、『グリム童話集』に収録された『赤ずきん』は、口承で語り継がれた性的な部分を削除し、より教育的な側面が強くなったという。
「ドイツのグリム兄弟に『赤ずきん』を伝えたのは、ハッセンプフルーク家という良家の娘たちでした。
一家はフランス移民で、父親が州知事を務めるくらいでしたから、貴族向けに書かれたペローの昔話も知っていたはずです。しかし、グリム兄弟の『赤ずきん』の内容はペローとは異なります。

グリム版では祖母と娘が食べられて終わるのではなく、猟師によって救出される話になっているのです。
さらに、その経験を生かして、今度は祖母と2人で狼をやっつけるという、後日談も入れています。
つまり、悪い狼にやられた経験を生かして、やり返した娘と祖母の話として提供されているのです。
この後日談は初版から入っており、あとで書き加えられた話ではありません。

要するに主人公の成長、イニシエーションを語る昔話としての『赤ずきん』が提供されているのです。
というのも、グリム兄弟の『赤ずきん』の想定されていた読者層は貴族ではなく、市民だったからです」(同)

 このように伝承を改変し、良いしつけを意図した一般市民の近代的な価値観に合わせて描かれていたはずの物語が、21世紀に入ると教育現場から排除される可能性も出始めたというわけだ。
それでは、スペインの調査団体は、こうした物語の本質を理解していないということなのだろうか?
「(調査団体が批判している)『男による女の救出』とか『女は男に頼らないといけない存在』といったメッセージは、そもそも『赤ずきん』にはないのです。

フランスのロワール地方に流布している口承のバージョンでは、赤ずきんは狼に食べられるのではなく、知恵を絞って狼を出し抜きます。
人狼(ブズー)に食べられそうになると『おしっこがしたい』と言って家の外に出て、逃げられないように狼によって足に結ばれた紐を、赤ずきんはスモモの木に結びつけて、一目散に逃げます。
騙されたと気づいた狼は追いかけますが、間に合いません。
ここでは赤ずきんは無知で騙されやすい少女などではなく、知恵を絞って狼を出し抜く賢明でたくましい娘です。
つまり、生産者である中世の農民の姿が反映されているのです。

近代の消費者としての女性には『おとなしく、従順で、かよわい』ジェンダーが求められますが、中世の生産者としての女性は『賢く、勇敢で、したたかな』ジェンダーが求められています。
このように昔話を読むことで、ジェンダーは『時代によって社会によって変遷する』ということが学び取れます。
それによって、その時代のジェンダー観に縛られることなく、『もっと自由に生きていいのだ』という、気持ちを子どもが感じ取ることこそが、本当のジェンダー教育ではないでしょうか。

だから、今のスペインの動きは間違っていると思います」(同)

いつの時代も行われてきた童話の改編  
グリム童話研究の第一人者から、手厳しい声が上がるスペインの判断。
『昔話にみる悪と欲望――継子・少年英雄・隣のじい』(青土社)などの著作を持つ、千葉大学名誉教授の三浦佑之氏もこの動きに批判的だ。
「出版されたのは過去のものなんだから、それをあろうことか、図書館が進んで『ダメな本です』と、喧伝するのは非常に良くない。
童話に限らず、図書館はあらゆる本を提供する場所で、利用者は読みたい本を自由に選ぶ権利がありますから、本来であれば、たとえ殺人を教唆するような内容であっても、過去の本はすべて公開するべきでしょう。
その一方で、子ども向けの本は教育と密接に関わりますから、物語の内容が教育上よろしくないという理由で規制がかかったり、時代によって新しい装いを取ったりということは、しばしば行われてきました。

特に戦後は、戦前までの教科書に使われていた物語が禁止とされました。
太平洋戦争後、GHQによって検閲された『桃太郎』はいい例ですよね。
このように物語を排除する、あるいは、残酷な表現はやめて、もっとやさしい内容に書き換えるといったことは、いつの時代も行われてきたと思います」

『桃太郎』は戦時中、その内容から軍国主義の普及とスローガンに利用され、「桃太郎が真珠湾を攻撃する」というアニメまで制作されたが、その結果として戦後は教科書から消えてしまった。
書き換えに関しても今回、スペインで排除の対象となったグリム童話も、前述したようにさまざまな口承をグリム兄弟が市民道徳に合うよう“調整”し、不純な性描写や残酷描写を取り除いた結果、今でも世界的に親しまれる作品になった。

また、現在、絵本や児童書として市場に出回っている昔話は、今の価値観にアップデートされたものがほとんどだろう。
「多くの昔話は作者がいるわけでもないし、決まった形が定められているわけでもない。
そのため、口伝によってバリエーションが増えて、変わっていくんです。

変わっていくというのは、面白く変わっていくこともあれば、前述の『桃太郎』のように政治的な意図をもって変えられることもあり、誰かの都合によって変えられることもある。
しかし、基本的には、そういった流れを淘汰できる物語だけが残っていくわけですから、今回のスペインのように一方的に昔話を規制するのはあってはならないことです」(同)  

今回のスペインにおける動きは世界中で報道され、議論を巻き起こしている。
しかし、このようなポリティカル・コレクトネス的な観点に基づく童話の規制運動は、90年代から欧米諸国でたびたび起こっていた。
 例えば1990年には米国・カリフォルニア州の教育関係者が『赤ずきん』をやり玉に挙げ、結果として2つの校区で禁止される出来事があった。
問題視されたのは「おばあちゃんへの贈り物に含まれていたワイン」である。
具体的には、未成年にアルコールを扱わせたこと、狼がワインを飲み干して顔を赤くする描写などが「教育上よろしくない」とされた。

魔女のクレームで禁書寸前に?
 さらに米国では92年にも、グリム童話の名作『ヘンゼルとグレーテル』に対し「魔女の品位を貶めている」と、クレームがついた。
しかも、声を上げたのは自称「魔女」の女性。
いわく、「この物語は『魔女を殺し、その所有物を盗んでも問題はない』という考えを植えつける」
「魔女は子どもを食べたりしないし、黒帽子に長い鼻といったイメージも実態とは異なる」とのこと。
さすがに、この訴えは黙殺されたが、地元の小学校ではヘンゼルとグレーテルを殺人罪の被告とした模擬裁判が行われるなど、思わぬ反響があった。

 近年では2017年、SNS上で「#MeToo」ムーブメントが盛り上がる中、イギリスの主婦が『いばら姫』の、王子による目覚めのキスを問題視。
「禁止しろとまでは言わないが、(自分の息子が属する)小学校低学年のカリキュラムからは除外すべき」と、提言して炎上騒ぎとなった。

の『いばら姫』について、野口氏はこう語る。
「グリム版のキスによる目覚めには性的な意味ではなく、口から生命を吹き込むという意味があるのです。
西洋昔話では『キス』は精神的な愛を意味し、肉体的な『性交』を意味するものではありません。

フランスのペロー版『眠れる森の美女』では、王子はキスをせず、姫と性的関係を持ちます。
イタリアのバジレ版『太陽と月のターリア』では、妻帯者の王は眠っているターリアを犯して妊娠させます。
『あまりに美しいので、愛の果実を摘み取った』と詩的な文章で書かれていますが、要はレイプしたのです。
このバージョンを問題視するのならまだしも、グリム版のキスを問題視するのは見当違いです。

グリム兄弟は結婚前に妊娠出産する南欧の『眠り姫』バージョンを、結婚後に出産する北欧の『いばら姫』バージョンに改変したのです。
それによってグリム童話は広く市民社会に受け入れられてきたのです」

 木を見て森を見ず、とはまさにこのことである。
このように物語の本質を理解しないまま、表面的な部分だけを見て排除してしまうのは、文化の破壊ともいえるのではないだろうか?

「童話や伝承の中に今の常識では理解できない部分はあったとしても、それを拒否するとか、なくしてしまおうとすることは許されないでしょう。
例えば日本には『瓜子姫』という、ウリから産まれた瓜子姫が天邪鬼に連れ去られて木に吊るされる、あるいは殺されてしまうといった内容の民話がありますが、この物語は今の時代からすると、完全に児童虐待であり、堂々と人前で話せるものではないと思います。
しかし、『こんな小さな女の子がなぜ、むごたらしく死ななければならない?』といったように、その時代の中で少女の置かれていた立場といったことを考えるには、この物語はひとつのヒントにはなるかもしれない。

もっと強引に言えば、現代の女性に対する性差別を考える、ひとつのきっかけを与えるかもしれません」(三浦氏)

 前出のスペインの調査団体も、6〜12歳の小学生児童については「物語を批評的に分析する能力が備わっており、性差別的な要素に自ら気づくこともある。
本はそういった学びの機会を与える」と、一定の理解を示している。
だが、スペインで起きたような童話排除の動きは今後、世界にも波及するのだろうか?

「スペインの場合でも図書館がどういう経緯でこの判断に至ったのかは、ニュースなどでは詳しく書かれていませんが、子どもにどういう物語を与えればいいのかは人によって立場が違うし、『この本やめよう』となったら、その時点で図書館に入らないわけですから、ないとはいえない。
知らないところで、見えない規制は、すでに行われているのではないでしょうか。
図書館運営の中心になってくるのは司書ですから、彼ら/彼女らの判断によるところが大きくなりそうですね。
とはいえ、誰かが決まった形を作るよりも、自然のなりゆきに任せるのが本来の昔話のあり方なんじゃないでしょうか? 

みんなが面白いと思ったものが後世に語り継がれていくわけで、『これはダメ、これはOK』というのは、誰かが上から決めるものではないと思います」(同)
 ポリティカル・コレクトネスを重視するのも、ひとつの時代の流れではある。
しかし、それにかこつけて臭いものに蓋をするような対応は、過去だけでなく未来あるいは書物そのものをも冒涜する行為であることは肝に銘じておくべきだ。
(月刊サイゾー7月号『ヤバい本150冊』より)
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2019年09月20日

中学受験界「大学付属校」の落とし穴

中学受験界「大学付属校」の落とし穴
2019/09/08 サイゾーウーメン

 “親子の受験”といわれる中学受験。
思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。
中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。
*******************
中学受験界では数年前から「大学付属校」が大人気だ。
その理由は2点。
1つが2021年度入試から始まる「大学入試改革」、
もう1つが国の「私大の入学定員管理厳格化措置」の影響だ。

※私大の入学定員管理厳格化……文部科学省が私大の入学定員の超過に対して、私学助成金の交付をその人数に応じてカットするという措置。東京・名古屋・大阪の三大都市圏に学生が集中するのを抑え、地方へ振り分ける狙いがある。安倍内閣の「地方創生」政策の一環と言われている。

 いまだにハッキリと決まっていない大学入試改革の全容、一方で早慶、MARCHをはじめとした主要私大の“合格者絞り込み”という現実――これらが今、中学受験生の親たちの危機感をダイレクトに煽っているのだ。
 つまり「国の方針ひとつ」で我が子の大学受験がどう転ぶかわからない、という現状がある。
しかもその「方針」も迷走していると言えるだろう。
ゆえに親たちは、早い段階での「大学合格切符」という「保険」をかけようと躍起になっているのだ。

第5志望のN大付属入学、リベンジを誓うも!?  
広樹君(仮名)の母・貴代さん(仮名)も、この現実に焦った1人だ。
「中学受験をして私立に入学したとして、確かに高校受験はありませんが、高2から大学受験に向けた勉強がスタートするというのは既定路線。
であれば、6年一貫教育と言ったって、伸び伸びしていられる時期は少ない。
それならば、最初から大学付属狙いの方が広樹のためになるのでは? と思ったんです」

 こうして、貴代さんは、広樹君の受験校を第5志望まで全て大学付属校で埋めたという。
そして広樹君は、第5志望校であるN大学付属に合格を決めた。
インフルエンザに罹患してしまったため、本来の実力が発揮できなかったそうだ。

 塾の先生はこの結果をとても悔しがり、「広樹はW大系列に入れる実力だから、N大付属には行かず、公立中に進み、高校受験でリベンジしてはどうか?」とアドバイスしたそうだ。
 しかし、貴代さんの強い勧めで、広樹君はN大学付属に入学。
本人も最初はリベンジを固く誓っていたそうだが、現在高1の彼は、貴代さんからすると「見る影もない」ほど勉強しないという。

「広樹の学年が特にそうなのかもしれませんが、ほとんどの子が『無理はしない』思考なんですよ。
つまり、無理してまで他大を受けないってことですね。
浪人にでもなったら、目も当てられないですから……。
広樹は『このまま、ぬるま湯に浸って、入れるところに入れればいい』と思っている節があるんです。
でも、N大に入るのも、学内基準があるので、意外と難しいんですよね〜。
塾の先生の言うことを聞いておくべきでした……」

 たいていの大学付属校は、成績順に学部を選べるシステムなので、必ず志望が叶うという保証はない。
そもそも、自分の行きたい学部が「その大学にはない」というケースも大いにある。
子どもが、「入りたい学部」ではなく、「入れる学部」に自分を合わせるという現実もなきにしもあらずなのだ。

 「大学付属校に入れば安心」という親の「保険」がどこまで通用するかは、実際に子どもが高3になるまで、誰にもわからないというのが実情だろう。

夢のK大付属に合格、母は大喜びしたが……
 もう1人、太郎君(仮名)のケースをお伝えしよう。
彼は中学受験でE学園とK大付属に合格した。
彼の第1志望校はE学園であったが、「保険」を欲する親の犠牲となり、結果的にK大付属のF中学に入学したのだ。
 母である佐代子さん(仮名)は合格直後、筆者にこう言っていた。
「K大付属のF中よ! ほぼ全員がK大に入れるんだから、安心よね。
K大なら、どの学部でもいい!」

 太郎君の現在を、先にお伝えしておこう。
彼は19歳で、フリーターをしている。
学歴的には中卒である。
なんでもK大付属の独特のカラーに合わず、入学当初からの強烈な違和感を拭い去ることができなかったそうだ。
 F中はレポート課題が頻繁にあり、未提出者への指導が厳しいことに定評がある。
進級基準に満たない者は中学生であっても、容赦なく「肩たたき」(内部進級・進学ができない)される。

 太郎君というより、佐代子さんが最後まで内部進学にこだわったということが災いして、結果的に他高校の受験に失敗。
フリースクールに通ったものの、高校卒業資格は取れていない。
 太郎君が自嘲気味に笑いながら、筆者にこう漏らしたことがある。
「あの時、親がE学園に入れてくれたら、こうはなってなかったっす……」

 「大学までエスカレーター」という点だけに飛びつくのは危険だ。
大学付属校はとても魅力的な学校であることは確かだが、こういう「落とし穴」があることも、事前に承知しておくべきだろう。
 学校選びは「保険」を第一にするのではなく、子どもの特性を見て「将来、花が咲きやすいであろう環境かどうか」を一番に考えることが重要なのだ。
                  (鳥居りんこ)
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2019年10月12日

過酷な学校現場に直面、加害教師を退場させられる仕組みづくりを

過酷な学校現場に直面、加害教師を退場させられる仕組みづくりを
10/11(金) Abema TIMES

 神戸市立東須磨小学校で起きた教師間の暴力問題。
20代の男性教師が30〜40代の先輩教師4人からカレーを目や唇に塗られる、新車の上に乗られる、ミミズ腫れができるまでコピー用紙の芯で尻を叩かれる、女性教師らにLINEで性的なメッセージを送るよう強要されるなどの行為を少なくとも1年間にわたって受け続け、9月の始業式からは精神的に不安定になったとして休職している。

また、報道によれば、4人はリーダー格の40代の女性教師と30代の男性教師3人で、別の3人の教師に対するセクハラ行為などがあったという。

 9日に会見を開いた東須磨小学校の仁王美貴校長は、羽交い絞めにされて激辛カレーを無理やり食べさせられている動画も見たとし、「被害教員が『されました』と手紙で知らせてくれる内容というのは、本当に驚くものばかりだった。
絶対に許されるものではなかった」と語った。

 また、仁王校長は「2018年に教頭として赴任した当初から、職員室で高圧的な態度をとる教師がいたことなどをあげ、人間関係に違和感を覚えていた」と説明した一方、「ハラスメント行為があることを掴んだのは7月初旬だった」「この時点では本当に、被害教員には申し訳ないが、そういうことを感じたり、気付いたりすることはできていなかった」とし、教育委員会への報告が遅れたことについても「いじめへの認識の甘さがあった」と話した。

 加害側の4人は反省の言葉を口にしており、現在は有給休暇扱いの自宅謹慎中だというが、仁王校長は「行為の重大性から教育委員会とも相談の上、4名を公務から外し、今後一切、東須磨の子どもの前での指導を行わせないという判断をした」としている。

■元教師“声を上げられないという方がたくさんいると思う“
 9日放送のAbemaTV『AbemaPrime』に出演したAさん(20代・女性)は一昨年に大学を卒業して関東地方の小学校に着任、小学1年生の担任となった。
しかしほどなくして同僚教師からのいじめが始まり、それが原因で退職するに至った。

「配属が決まった際に、特に年の近い何人かの先生に“この学校はおかしいから、覚悟しておいたほうがいい““体育会系だから丁寧に教えてくれないし、他の先生に睨まれないようにすべき“とアドバイスされた。

赴任して最初に2年目の先生から言われたのは、朝6時までに絶対に学校に必ず着いて、職員室の水場の掃除をすること、他の先生のお茶碗を洗って準備すること。
それから校庭整備など、他の先生が来るまで自分で仕事を見つけてやること、そして退勤は21時半ということだった。
“この学校の伝統だから、辛いと思うけど受け入れるしかない“と。

納得のいく理由は一つもなかったが、まずは従って、他の先生に文句を言われないよう努力した。
でも、右も左も分からない1年目なのに誰も話を聞いてくれない状態で、2時間しか眠れない日々が続いた」。
当時の校長はこうした状況を黙認、他の教師からは陰口を叩かれたという。

「いじめの体制ができていた。
“仲間はずれにされるよ。
職員室に居づらくなっても仕方ない“とも言われた。
それでも指摘されるまでは“自分が悪いんだ。
自分が弱いから、自分の能力が未熟だからだ“という自責の念があった。
若い先生の中には、私以上に嫌な思いをしていて、しかも声を上げられないという方がたくさんいると思う。
周りに“おかしい“と感じる先生がいなければ、助けを求めることすらできない。
誰かが気付いたら、すぐにその先生を守れるような学校現場に変えていけたらなと思う」。

■“加害者側を学校に残すのではなく、退場させる文化を“
 名古屋大学の内田良准教授(教育学)は、Aさんの体験も踏まえ「学校の先生に“大事なものは何か“と尋ねると、1番目か2番目くらいに出てくるのが“学級経営“という言葉。
初任者でもいきなりクラスを持たされ、30〜40人の子どもたちを従わせることができるか、コントロールできるか、それが問われる。
学校という組織全体をコントロールするという文化も強いので、自由に動くというより、厳しく統制させるという発想がある。
教諭であれば形式的には年齢関係なく同じ立場。
ただ、そこには年齢による権威付けみたいなものがあるし、最初からクラスを受け持つ先生は一般企業の若手社員以上に“強い“というイメージができてしまうので、弱音も吐けないという空気がある。
そして、もちろん子どもの前では常に元気でいなければいけない。
パワハラ防止策も必要だが、“辛い“と言えるような窓口を作らなければいけないだろう」。

 ジャーナリストの堀潤氏は「学校が非常に特殊なケースのように思えるが、一般社会でもAさんのような話はいくらでもある。
“俺たちもそうだったから“と言い、それに“NO“と言えなくなっていく空気作りというのは、この国全体にはびこっている問題だと思う。
スポーツの世界では、ようやく過去の誤った指導法が見直されつつあり、マネジメントの能力不足、勉強不足が指摘されるようにもなった。
“今までこれで回っていたから“ではなく、このような問題を再生産させてきたことに真正面から向き合わないと、教育現場に入ってこようという一生懸命に若い先生たちを大人が潰すことになる」と指摘した。

 内田氏は「公立校の場合は人事交流もあるので、風通しは決して悪くない。
一方、体罰をしても“教育の一環、指導の一環“という議論が出てきてしまい、クビにはなりにくい。
しかし率直に言って、今回は誰もが異常性を感じてしまう事案だし、他の先生たちは“これはおかしい“と思っていたはずだ。

こんな犯罪のようなことをしている人たちには出ていってもらって、先生にとっても、子どもにとっても過ごしやすい場所にしていくことが必要だ。

子ども同士のいじめの問題でも“9月1日に学校に行くのが辛いなら行かなくてもいい“と言われるが、そもそも学校に来なくていいのは、いじめている側ではないか、という議論も必要だ。
もちろん誰しも学校に来る権利を持っているので、排除しようというわけではないが、やはり加害側が学校に残ってしまうのが問題だ。

やはり暴力に対して、なかなか厳しく“NO“と言えないのが、学校の文化でもある。
そこはダメなものはダメと言った上で、大人の場合には辞めてもらうことが必要だ。
今回も、教育委員会がどのような処分を下すかまでちゃんと追いかけなければならない」と話していた。
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2019年11月13日

ボール遊びも大声も禁止…「そして誰もいなくなった」 荒れ行く公園が問い掛けるもの

ボール遊びも大声も禁止…「そして誰もいなくなった」
荒れ行く公園が問い掛けるもの
11/12(火) まいどなニュース(広畑 千春)

日中なのに人気がなく、ひっそりとした公園。
長く訪れる人もいないのか、地面は雑草に覆われ始めていた―。
そんなもの悲しい公園の写真がツイッター上で話題になっています。

「『危ないから』と遊具を撤去し、
『危ないから』とボール遊びを禁じ、
『危ないから』と花火を禁じ、
『危ないから』と外遊びを禁じ(中略)
やがて老人たちもこの世を去り、誰もいなくなった」といったコメントとともにツイートしたのは、冒険ファンタジー系オールドスクール・ファンタジーミニチュアの輸入販売や執筆業を手がける籾山庸爾(@Paint_Hermit)さん。

投稿には「公園が公園でなくなる」「危険な場所で安全に遊ぶのが真の危機管理能力なのに」など、公園制度や自治会問題、世代間対立、子育て論などさまざまな観点からリツイートが寄せられ、3日余りで約1万4千件に上っています。

 籾山さんによると、この公園は仕事場近くにあり、子どもどころか「誰も居なくなっている」とか。
脇にはボール遊びや花火、大声を出すことを禁止するボードが掲げられているといいます。
ツイートについて「この公園については僕は門外漢で、『たとえ話』として使わせて頂いただけなんです。
ただ、僕はいま42歳ですが、さまざまなものが禁止されていくのをリアルタイムで体感してきた世代
子どもにとどまらず、『危ないから』『もめるから』などと、良かれと思って先回りして禁止したり制止したりすること自体の弊害を、問い掛けずにはいられなかった」と打ち明けます

 籾山さんが育ったのは横浜市内の住宅街。
子どもがサッカーや野球、ドッジボールなどに明け暮れていた公園は、ある時から「ボール遊び禁止」になり、ゲートボールの練習場に。
そのお年寄りいわく「ゲートボールは遊びではない」だったといい、花火も保護者同伴なら大丈夫だったのが、新しく建ったマンションの住人の苦情で全面禁止になったそうです。

 それから20年ほど過ぎ、結婚して娘が生まれると再び自宅近くの公園を訪れるようになりましたが、相次ぐ遊具の事故の影響か遊具はほとんどなく、籾山さんは落ち葉や枯れ木を使った家づくりなど「道具がなくても創れる遊び」を考え、娘と遊んでいたそうです。

 実際、国土交通省の公園利用実態調査では、住宅街にある0.25㏊以下の「街区公園」と2㏊以下の「近隣公園」の平均利用者の年齢構成は、少子高齢化の影響もあり65歳以上の高齢者の割合が急増。
利用者数全体もこの40年ほどで半分以下に減っています。
また同省が2015年に行った遊具の安全性に関する調査では、全般的に遊具の老朽化が進み、回転塔など撤去が進む半面、新設は全世代型の健康器具などが目立っています。

 さらに、街区公園などの管理を担う自治会にも心労は尽きません。
籾山さん自身も実家の自治会の手伝いをしているそうですが、新住民から地域で長く続く盆踊りの太鼓の音が「うるさい」と言われたり、「かき氷は子どもがお腹を壊す」と苦情が出たりし、中止や変更を検討せざるを得なくなっているとも。

町や子どもたちのことではなく、自分の住環境にしか興味がない人が増えたような…
自治会にも参加せず文句だけ言う『お客様住人』も少なくないのでは」と籾山さん。
今回ツイートが話題になったことについて「本来の意図は別でしたが、多くの方に考えるきっかけを提供できたとすれば、うれしいです」と話します。

 「遊び」は創造力や体力づくりの原点のはず
大人も子どもも、もっと伸び伸びと気兼ねなく「遊べる」環境が欲しいと思うのは、贅沢なことなのでしょうか
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2019年11月26日

ダメなリーダーほど「事なかれ主義」に陥る理由

ダメなリーダーほど「事なかれ主義」に陥る理由
11/25(月) 東洋経済オンライン

臨床に携わる一方、TVやラジオ番組でのコメンテーターや映画評論、漫画分析など、さまざまな分野で活躍する精神科医・名越康文氏による連載「一生折れないビジネスメンタルのつくり方」。
エンターテインメントコンテンツのポータルサイト「アルファポリス」とのコラボにより一部をお届けする。

■「事なかれ主義」のリーダーに共通すること  
「組織のリーダーに向いているのはどんな人か」ということは、昔からよく、議論されてきたテーマです。
例えば「決断力こそが、リーダーに求められる資質なのだ」という人もいれば、「部下にきちんと目配りできる人でなければリーダーの資格はない」という人もいます。

 日本においてよく問題になるのは、リーダーの地位に立つ人の「事なかれ主義」でしょう。
失敗を恐れ、前例のない新しいテーマに積極的に取り組もうとしない。
重要な決断ができず、チャンスを逃してしまう……。
日本にはそういうリーダーが多く、そのことが日本の成長をとどめてしまっている大きな要因になっている。
そんな批判をよく耳にします。  

実際の日本のリーダーがそういうメンタリティーを持っているかどうかはともかく、心理学的に見ると、こうした「事なかれ主義」なリーダーに共通する背景は、実は幼稚な「集注欲求」への囚われだったりします。
 この連載でも何度か紹介していますが、集注欲求というのは「他人からの注目を集めたい」欲求のことです。
生まれたての赤ん坊が、空腹や不快感を訴えるために泣くのと同じように、大人になっても、他人からの関心をひこうとする欲求が人間にはある。

 こうした欲求を未成熟な状態で持ち続けている人が、リーダーになるとどうなるか。
普通に考えると、他人の関心をひくために、何か新しいことをやって目立とうとするのではないか……、と思われるかもしれません。
でも、実際の企業では往々にして、集注欲求の強いリーダーほど「事なかれ主義」になりがちなのです。
 なぜなら、集注欲求に囚われている人にとっては、「他人から賞賛されること」よりもむしろ、「他人から批判を受けたり、非難されたりして、地位を追われることを避ける」という欲求のほうが、ずっと強いからです。

 失敗を恐れず、リスクのある新しいことに取り組む決断をする。
本気でそういうリーダーを望むのであれば、子供っぽい集注欲求からはある程度解放されていて、他人からの評価に一喜一憂しない人間的成熟が必要だということになるでしょう。
 ただ、僕自身はそれにもう1つ条件を加えたいと思っています。
それは「自分で自分を説得できる力があるかどうか」ということです。

■まずは自分自身を説得すること
 チームの中で、どのようにリーダーシップを発揮するのか。
上に立つ人間はどのように振る舞うべきなのか。
『アベンジャーズ』や『アイアンマン』『キャプテン・アメリカ』といった、マーベル・シネマティック・ユニバースが作るヒーローものの映画シリーズは、こうしたリーダー論の基本を学ぶための、よい教科書となります。

 こうした映画を組織論として見ていて気づくのは、それぞれの映画のヒーローであり、リーダーである主人公たちは、決して自分から望んで「リーダー」になろうとしたわけではない、ということです。
アイアンマンにしても、キャプテン・アメリカにしても、他人から請われ、その思いに応えることで、結果としてリーダーとして振る舞っている。
 だからこそ、彼らが誰かに指示を出すときには、決して権威的に、一方的に命令を下すことはありません。
必ず、情理を尽くして説明し、相手を説得しようとします。  

「今はこういう状況で、君にしかこれを頼める人はいない。だから他ならぬ君にお願いするんだ!」と。
 映画を見ていると、そうやって情理を尽くして説得する姿勢こそが、当たり前の姿勢に見えます。
でも、多くのリーダーは、相手よりも上の立場に立った途端に、この誠実さを忘れてしまうのです。

 実際、「上司の命令」というのは一方的であることが多く、また、部下も表面的にはいうことを聞いていても、「これこそが、自分のやるべき仕事だ」というレベルまで、その仕事へのコミットメントが高まっていないことが多いのではないでしょうか。
これでは、仕事がうまくいくはずがありません。

 部下が納得してコミットメントできるようになるまで、しっかりと説得するのがリーダーの仕事だとすれば、そのために必要なことは何か? 
 それは、説得するためのデータを集めるためでも、相手の反論を封じるような弁論術を磨くことでもありません。
「(まずは)リーダー自身が、自分で自分を説得する」ということなんです。

■リーダーは自分が納得した具体的なコミットがマスト
 他人を説得するためにいちばん必要なこと
それは、「自分自身を説得する」ということです

 例えば、「●月●日までにこの計画を完成させなければならない」という課題があったとします。
このとき、なぜ「●月●日」という期日があるのか、間に合わなければ何が起きるのか、そもそもこの課題は、なぜ達成しなければいけないのか。
達成できると、どんなプラスの展開があるのか……。

 こうしたさまざまな要素について、リーダー自身が納得いくまで考え、受け入れることができているか。
「なぜ、この仕事が必要なのか」ということについて、自分自身が納得できるまで、理解を深めているか。
 もし「理解」が自分の心の琴線にまで届き、深い「納得」が生じていれば、自分自身の感情や気分も落ち着き、心の迷いがなくなってきます。
そうなって初めて人間は、最高の能力を発揮することができます。
おのずと部下を説得する言葉にも、説得力が生じるのです。

 例えば、当座だけを見てみれば自分の部署が貧乏くじを引いてしまうような決断について、部下を説得しなければいけない。
そのときに、もしもそのことに自分自身が納得していなければ、とても「全体のために、申し訳ないけれど今は我慢してほしい」と口にすることはできないし、部下の心を動かすことにはつながらないでしょう。

■パワハラは、「納得していないリーダー」の下で起きる
 リーダー自身が納得していなければ、部下を説得することはできない。
 このことは裏を返せば、「自分が納得する」というステップを踏んでいない「命令」はすべて、パワハラの温床となるということです。

例えば、部長から無理難題を頼まれた課長が、自分自身がその命令にまったく納得できていないのにもかかわらず、「命令だから」という理由だけで部下に仕事を押し付けたとします。
 命令を受けた部下は、なんとなく命令を下している自分の上司自身が、腹の底から納得していないことを感じ取ります。
そうなると、当然モチベーションを高く保って仕事をすることはできないでしょう。

 一方、そういう仕事の振り方をしてしまった課長にも、「自分自身が納得できていないまま、部下に命令を下してしまった」という後ろめたさが生じます。
これを真正面から受け止められればいいのですが、多くの場合そうはなりません。
 こういった後ろめたさが生じると、人間の脳は、可能な限りそういう事実(自分自身が納得いっていないのに、部下に押し付けたこと)を無意識に否認するようになります。
否認されて鬱滞(うったい)したエネルギーは、例えば虚勢、イライラ、不機嫌、無視、皮肉、八つ当たり、さらにはいじめにまで、時間差を経て、形を変えて表出することが多いのです。

 成果が上がらない現実に対して、上司にも、部下にもフラストレーションがたまっていく。
パワハラ問題の背景には、往々にして、こうした中間管理職独特の、抑圧された感情があると考えられます。

■2つの共感性のベクトル
 さて、先ほど僕は「リーダーとは周囲に請われて初めてリーダーになるのだ」と申し上げましたが、現実には、「リーダーになりたい」という思いがあるなら、どんどんリーダーになって人を引っ張っていく立場に立ってほしいと思ってもいます。

 というのも、日本では別にリーダーになりたくないと思う人が、組織の慣習やバランスや年功によって、なんとなくリーダーに押し上げられてしまっていることが多いからです。
つまりリーダーというものが、その役割の重要性より、「地位」として珍重されている傾向がある。
 そんなことになるぐらいだったら、少なくとも「自分がやりたい」というモチベーションを持っている人がリーダーになったほうが、ずっといい結果が出るのではないか、と僕は思います。

少なくとも、自分から「リーダーになりたい」という思いを、つまらぬ権力志向ではなく、志として持っている人であれば、自分自身が日々はつらつと仕事をこなすことができるでしょう。
そういうときには、人はあまりパワハラをしたり、自分だけが得をしようという行動は取らないものです。

 ただ、そのうえでリーダーとして人を引っ張っていく立場になる人には、ぜひ気をつけてほしいことがあります。
それは、人の共感性には2つの方向性がある、ということです。
 2つの方向性というのは、「自分より上の立場の人への共感性」と「自分より下の立場の人への共感性」です。
これは真逆のベクトルで、なかなか2つを同時に備えている人というのはいません。
必ずどちらかに偏っているのが普通です。

その偏りをできるだけ、自分なりに把握して、真ん中に立てるように調整する。
これが、特に大企業のような大きな組織の中で、中間管理職的なポジションでリーダーを務めている人に求められるスキルであり、姿勢だと僕は考えています。

 実際問題、リーダーというのは、組織全体の中で見ればほとんど全員が「中間管理職」です。
自分の下には部下がいる一方で、自分が指示を仰ぐ上司もいる。
そのどちらに対して、自分は自然と関心が向くのか、ということを知っておく。

・「部長もいろいろ難しい判断をしていて、大変だろうな」と上長の立場をおもんぱかる傾向のある人は、部下の困りごとを見落としがちです。
・逆に、自分の部下やパートなど、弱い立場の人にきめ細かに目配りができる人というのは、上司や企業の経営陣の思いを、なかなか想像することができません。
 この偏りを自覚しておけば、リーダーを取り巻く多くの問題は、解決の糸口が見つかります。

・上の立場に共感しやすい人は、自分がパワハラをしていないか、パワハラで困っている人を見落としていないか、ということに積極的に注意を向けたほうがいいでしょう。
・一方で、自然と弱い立場に立つ人に優しい視線を向けられる人は、上司が困っていることや、経営的な視点を自分の判断の中に取り入れたほうがよいのです。

 アルファポリスビジネス編集部
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2019年12月03日

0歳の頃の記憶をもつ兄 乳児が泣く理由をことごとく説明

0歳の頃の記憶をもつ兄 
乳児が泣く理由をことごとく説明
2019年12月02日 おたくま経済新聞

 言語化できていない乳児に対し、何が正解なのか分からなくてオロオロしてしまう新米ママは多くいますが、0歳児の頃の記憶を持つ人が語った「乳児が泣く理由」に、ネット上では驚きの声とともに、乳幼児期の記憶を持つ人からも続々とコメントがよせられています。

■ 0歳の時の記憶
 この話は、漫画家の箱ミネコさんがツイッターに投稿したもの。
 「兄は大変記憶力が良く、0歳児の頃の記憶を持ってる。
そして兄は大変『育てにくい赤子』でした。

そんな兄に息子っちーが赤子の頃『夜泣きが酷い離乳食を食べない』の相談すると『俺が覚えてる限りでは…』とその時の『嫌な理由』と『こうして欲しかった』を話すので実践するとどれも正解で助かった!www」と紹介しました。
 お兄さんの記憶では、夜泣きの原因は「頭が痒い」から、離乳食イヤは「味が混じるのが嫌!」、さらに「芝生に足をつけるのを全力で拒否る」のは濡れた感じが嫌だったから。
「着換えで暴れる」のは事前にどの部位を動かすか驚くから教えて欲しかった。
「子守歌の途中で急にむずがる」は、お気に入りの歌をヘビロテ希望だった……などなど。

 お兄さんの話を聞いた箱さんは、さっそく緩めに絞った濡れタオルで息子さんの頭を拭いて、さらに乾いたタオルで優しく拭いてみました。
すると、夜泣きで寝なかった息子さんがウトウトと寝落ちを……。
アトピー家系で眠くなって体温が上がると、頭に汗をかいて痒くなっていたのが原因だったのだそう。
 そして離乳食も、単品の素材を軟らかく煮た物であれば確かによく食べてくれました。
お兄さんの嫌だった時の記憶と原因が完全に一致……。

 この一連のツイートを見た人たちの大半は、乳幼児期の記憶があるのはすごい、子育ての具体的なアドバイスになりそう、といった声が。
 一方で、「0歳児の記憶で確実に覚えている一番古い記憶は生後2週間で、1歳上のいとこが顔を覗き込んでいるところ」といった具体的な光景を覚えている人や、「離乳食が嫌だったのは、口元を拭かれるタオルの匂いがくさいときがあった」という記憶を持つ人からの話も。

■ 0歳児でもちゃんと言葉は理解しているし嫌な理由もはっきりしている
 リプライには、まだまだ乳児期の記憶がある人からのエピソードが集まっていますが、共通しているのが、「0歳でも嫌だったり不快なこと」は原因と理由も含めて覚えている人が多いということ。
 乳児期で最初に覚える感覚は「快・不快」と言われていますが、その中でも特に「不快」と感じたことは記憶に残りやすいというのが、これまでのお兄さんの記憶やリプライでよせられた他の人からの話でも分かります。

 新生児からお世話をしていると、「お腹がすいた」と「オムツを替えてほしい」くらいは何となく察することができるようになってきますが、子がだんだんと成長していくにつれて、不快と感じることも増えていきます。
しかし、まだ言語を習得できていない0歳児にとっては、泣くという手段でしか表現できません。
 多くの親は、言葉の獲得がまだの状態の子どもに対し、具体的に何が泣く理由となっているのかが分からないために暗中模索な状態で子育てを続けています。

特に、感覚が繊細で不快に感じることが多い子どもは、「育てにくい」と言われてしまい、親にとっても育児ノイローゼの原因ともなりえます。

■ お兄さんが「育てにくい子」だった理由
 箱さんに、お兄さんのことについていろいろとお話を聞いてみました。
ご両親曰く、「とにかく神経質で育てにくかった」そう。
 幼年期の見た目は女の子のようで天使のようにかわいらしく、物知りで成績優秀。
神童とも呼ばれていたそうですが、その反面、幼稚園時代は「頑なな通園拒否」。
小学校時代は「登校拒否」だったのだそう。
その理由が、「子供扱いされるのが度し難かった」というもの……。

 幼少期から絵を描くことや物を作ることが好きだったというお兄さんの絵は写実的で、記憶力の良さも関係していそう、と箱さん。
現在は2004年カンヌ映画祭で「若い視点賞」を受賞した経歴を持つ映像作家さんです。
 神経質で子ども扱いを嫌がるお兄さんは、ご両親からしてみたら確かに「育てにくい」と感じることも多かったと思います。
どうしたらいいのかが分からないことも多かったかもしれません。
 しかし、成長するにつれ、何が得意で何が苦手かがはっきりするようになってからは、得意なことは小学生時代からこなし、どうしても苦手なことは妹である箱さんに頭を下げてまで代わってもらう、という子ども時代だったようです。

■ 得意を伸ばし、苦手と上手に付き合えるようになってからは……
 今でも、とても神経質で潔癖症気味なお兄さんですが、人付き合いは苦にならず、社交的な性格だそう。
個性的なお兄さんは、自分の得意と苦手を内面的に分析し、得意なことを伸ばすことによって映像作家という今の位置に立つことができたのでしょう。

 神経質な人は他人に対しても、良い部分よりも悪い部分に目が行きやすく、結果的に人付き合いが苦手となってしまうことも多いのですが、お兄さんの場合は、その神経質なところに上手く折り合いをつけ、人付き合いを楽しむ方向に考え方をシフトできた結果、多くの友人に恵まれるという今の状態を作り出すことができたのかもしれません。
 そして神経質な部分は生活リズムにも影響しているようで、「睡眠不足に弱く夜は早く寝て早く起きキッチリした性格なので食事の時間とか日常ルーチンはぴっちり同じですw」との話。

■「特殊扱い」しなかったご両親と個性の強いお兄さん
 箱さんによると、「独特のこだわりが強く特に教育熱心ではない両親のもとで何故か成績優秀で、家系的には両親とも職人の家系なので兄のような神経質な子供は多かったため特に『特殊扱い』されず伸び伸び育てられたと思います」と、生育環境を振り返っていました。

 お兄さんにとって、自分と他の子を比べられることなく、ありのままの状態で受け入れてくれるご両親は、ご自身の才能を認めて伸ばしてくれる存在であり、育てにくくても否定せずに受け入れてくれるご両親に安心感を覚えていたのではないでしょうか。

 箱さんも、そんな個性的なお兄さんを「私は全く『凡庸な子供』でしたので規格外で個性的な兄のことを子供の頃から『面白い人だなぁ』と観察して楽しんでました」と語るほど。
創作好きという共通項目以外、ぶつかる部分もないため、兄妹喧嘩もなかったのだそう。

■非凡な人にはワケがある
 0歳児の記憶を持つ、非凡な記憶力の持ち主のお兄さん。
その非凡さの裏にある極度とも言えそうな神経質さと潔癖症は、平坦で平均的な凡人にはない、大きな凹凸を感じます。
その凹凸のへこんでいる部分(お兄さんにとっての神経質で潔癖な部分)と折り合いをつけながら、とがっている部分(記憶力が良く創作に向いている)を伸ばせる環境があったから、今のお兄さんが「神経質で社交的」な人に成長したのでしょうね。
 そんなお兄さんのエピソードも、箱さんのブログや単行本に時々出現していますよ。

<記事化協力> 箱 ミネコさん(@hakomine)
               (梓川みいな)
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2020年01月21日

バレバレの“スマホ検索”で処分 イマドキ受験生のヌクヌク模試証言

バレバレの“スマホ検索”で処分
イマドキ受験生のヌクヌク模試証言
2020年1月20日 東スポWeb

1990年に始まった大学入試センター試験は今回が最後となったが、スマートフォンでカンニングしようとした受験生が出た。
大学入試センターは、1日目となる18日に埼玉県の会場で、地理歴史・公民の試験中にスマートフォンでカンニングをしようとした受験生1人が、全科目の受験無効処分になった。
 試験開始の約45分後、ポケットから取り出したスマホを股の間に挟んで、電源を入れるのを複数の監督者が確認。
本人が「分からない問題があり、スマホで検索しようとした」と認めた。
外部への問題漏えいなどは確認されなかった。

 それにしても、バレバレのカンニングをなぜ実行したのか。
 模擬試験監督を務める予備校講師は「進学塾、予備校、学校が生徒をお客様扱いしているので、カンニングを注意できなくなっています。
注意されずにヌクヌクと好き勝手にやってきた生徒が、厳格な本番で痛い目に遭ったのかもしれません」と指摘する。

 してはいけないカンニングだと自覚していれば、せめてパンツの中にスマホを入れて個室トイレで見るなど、バレない方法を考えるだろう。
しかし、模試で注意された経験がないと本番でもやってしまうのかもしれない。
 同講師は「模試の試験監督をしていたら、机の下でスマホを見ている生徒がいたので、近づいていくと『ずーっと見ていてキモいんだけど。キモいキモいキモいキモい! 試験監督!』と機関銃のようにしゃべってきました」と語る。

 模試は、受験生にとって本番のために経験を積む貴重な機会だ。
主催者側も受験生のためにカンニングを注意するのかと思いきや…。
「他の受験生の迷惑にならないように、なだめて、カンニングは見て見ぬふりをしました。
騒がれたり、悪口をネットに書かれたりしないように、多少のことには目をつむるんです。

塾も予備校も昔より甘くなっているから、本番も注意されないと勘違いしたのでしょう」(同)
 模試と本番の区別がつかなかったのか!?
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2020年03月02日

臨時休校「一生の思い出」奪われた子たちの本音

臨時休校「一生の思い出」奪われた子たちの本音
卒業は人生の節目、なおざりにしてはいけない
2020/03/01 東洋経済オンライン
二宮 未央 : ライター、コラムニスト

「今日は泣いている友だちが何人もいました。
小学校を卒業したら、進路はそれぞれでバラバラ。
今日を最後に、今のクラスのみんなと同じ教室で集まれなくなるんだな、って。
だから今日はクラスのみんなで集まって、校庭で思いっきり鬼ごっこをしたんだけど、いつも遊んでいるはずの『ただの鬼ごっこ』がこんなにも楽しいなんて初めて思った」

2月28日(金)夜、東京都内の小学校に通う小学6年生の佐和田美海さん(仮名、12歳)は、涙ながらにこんな話を打ち明けてくれた。
「あまりにも突然過ぎた」(美海さん)

政府の決定は2月27日(木)夜に安倍晋三首相から全国に伝えられた。
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、全国すべての小中学校や高校、特別支援学校などに3月2日(月)から春休みに入るまでの臨時休校を要請すると発表したのだ。
2月28日、政府は各都道府県の教育委員会などを通じて、正式に臨時休校を要請した。
一部の自治体では受け入れに反発し、従わないとする動きも出ているが、私立学校を含めて多くの小中学校や高校が政府の要請に沿う恰好で対応を始めた。

首相の方針表明からわずか1日で3学期終了
一部の学校は土曜授業により2月29日(土)も生徒が登校したが、原則週休2日制が定着している昨今、安倍首相による方針表明のわずか1日後の2月28日(金)をもって、3学期は終了。
新学期が始まる4月上旬まで大多数の学校は授業を行わない見込みだ。
各校の個別対応を除けば大半の生徒が事実上、今年度はもう学校には登校できなくなったわけで、これを受けて、28日は大量の荷物を抱えて帰宅する学生が全国津々浦々で見受けられた。

「起きてしまったことは仕方がないけれど、もっと早い段階で手を打っていれば、こんな突発的なことにはならなかったかもしれないと思うと、憤りを感じます」。
都内私立高校に通う高校3年生の渡部亜紀さん(仮名、18歳)はそう語る。

新型コロナウイルスは、年齢が高くなるほど感染した後の重症化や命を失うリスクが高まる一方、10代以下の子どもたちの多くは比較的軽症で済むというのが、先行している発症例の分析結果から明らかになっている。
それでも、全国で約1300万人にも及ぶ小中高生の動きを政府が止めたいのは、児童生徒自体が重症にならなくても、地域外から感染したコロナウイルスが親を介して地域に持ち込まれ、その子供である児童生徒に移り、さらに児童生徒同士の感染を経由して地域内に広がるだけでなく、それが他地域へとさらに感染が連鎖していくことを阻止する狙いがあると推察できる。

安倍首相は2月29日(土)18時から開いた記者会見で、臨時休校についてはこのように言及した。
「新型コロナウイルスは集団による感染をいかに防ぐかが重要です。
子どもたちの健康、安全を第一に考えました。
学校は教職員、子どもたちが集まって、同じ空間を共有することに感染リスクを伴います。
万が一にも学校において子どもたちの集団感染を起こしてはならない。
学校が休みとなることで親御さんにはご負担をおかけする。
小さなお子さんをお持ちの家庭には大変なご負担を強いる。
急な対応に全力を尽くしてくださっている自治体や教育現場の皆さんにも感謝します」

ようやく表に出てきた安倍首相だったが 一定程度は理解できる。
ただし、生徒たちはもちろん、教師をはじめとする学校関係者、放課後に子どもを受け入れる学童関係者、子どもの親たちなどはさまざまな対応を迫られる。

生活に大きな変化を迫られたり、経済的に困ったりする人もいて、それらについての不満や政府への批判・反発の声なども巻き起こっている。
これまでの政府のコロナウイルス対策が後手に回り続けていた印象が拭えなかった中で、主には加藤勝信・厚生労働相に説明役を任せ、やっと前面に出てきた安倍首相が打ち出した決断は用意周到で準備された印象は薄く、唐突に映ってしまった。

学校関係者や親たちの対応による社会的なインパクトはもちろんながら、最も影響が大きいのは子どもたちだ。
筆者も2人の子どもを持つ親の1人として、自分の子どもはもちろん、周囲の親を経由して多くの子どもたちの複雑な心境の声をたくさん耳にしている。

思いがけない休みが突如訪れ、「ラッキー!オンラインゲームで友だちと遊べる!」(小学5年生男子)、「期末試験なくなってホッとした!」(高校1年生男子)と浮かれている子どもたちもいるが、戸惑いも少なくない。
「せっかく勉強したのに期末試験がないのは残念。
部活ができないのも嫌だ」(中学2年生女子)というような不満の声のほか、ある高校3年生男子は「ホワイトデーのお返しをどのタイミングで渡せばいいのか…」と落ち込んでいた。

何よりもあまりに唐突で準備期間もほとんどなく、年度最後の3月の授業をすっ飛ばしてしまう臨時休校が始まったことで懸念されるのは、小学6年生、中学3年生、高校3年生の「卒業」という人生の節目が中途半端になりかねないことだ。
特に心が成熟してから仲間との別れを初めて経験する小学校の卒業式は、人生において一生の思い出に残る節目の1つである。

政府は臨時休校を求めるにあたり、入試や卒業式を実施する場合は感染防止など万全の対応を取るよう求めている。
安倍首相は2月29日(土)の記者会見で「子どもたちにとって3月は学年の最後、卒業前、進学前の大切な時期。
学年をともに過ごしたともだちとの思い出をつくるこの時期に学校を休む措置を講じるのは断腸の思いです。
卒業式は必要最小限の人数に絞って実施していただきたいと考えています」と話した。

ただ、一部の大学も含めて、早々と卒業式の中止を決めてしまった自治体や学校も少なくない。
開かれるとしても、保護者や在校生の参加を自粛するなどの規模を縮小した格好で行われることになる可能性が高い。

当の子どもたちはこんな風に思っている
これに対して当の子どもたちはどう思っているのか。
筆者が複数の子どもたちから聞いた率直な声は以下のようなものだ。

・「卒業文集を書き終えて、卒業式の台本も配られていたのにやらなくなって悔しい。卒業式は保護者抜きで簡単に短縮してやる方向だけど、練習してきたのに掛け合いや歌はナシ。みんなと本当にバラバラになってしまう。いきなり断ち切られてしまった」(小学6年生男子)
・「6年生を送る準備に備えてずっと取り組んできたものを披露できなくて残念。受験を控えているので学習面で不安があるし、6年生とはお別れの実感がわかない」(小学校5年生女子)
「最後の1カ月が、コロナによって潰された。コロナが憎い。せっかく6年やってきた最後の1カ月は、思い出を作るうえで重要なので、とにかく悲しい。卒業の会は笑顔でがんばる」(小学6年生男子)。
・「(卒業式の中止がすでに決まり)学校は好きじゃなかったから卒業式がなくなるのはいいけど、一生の思い出が1つ失ったと思うと悔しい。準備の期間、心の準備が欲しかった」(高校3年生女子)

2月28日(金)朝、突如「ランドセルを背負える最後の日」が訪れた小学6年生の子どもを持つ母親による、わが子の“最後のランドセル姿”を写真に収めたSNS投稿も多く見られた。
「心の準備が欲しかったです。
卒業前の最後の1カ月は、子どもにとって思い出作りにとても大事な時期なのに、その大切な時間を奪われてしまったような気持ちです。もちろんどうしようもないことなのは分かっていますが…」。
そう語るのは、冒頭の美海さんの母である、母親の佐和田真知子さん(38歳)。

命を守るため感染拡大を阻止することが最優先であるから、致し方ないことは重々承知しているものの、卒業に向かってカウントダウンもなく、突然「今日で終わり」と突き付けられ、この虚しさと憤りをどこにぶつけたらいいのか分からないと佐和田さんは語った。

「卒業式の掛け合いの言葉や、卒業の歌で在校生に見送られながら卒業する、日本人の誰もが経験する感極まる初めての体験をさせてあげられないのは悲しい」と、筆者に話してくれた親もいた。

3.11で卒業式を経験できなかった人たちの本音
式典やイベントの自粛といえば、3.11が思い起こされる。
2011年3月11日の東日本震災発生直後は、教育機関における卒業式や祝賀ムードのイベントの中止が相次いだ。
当時、卒業式を経験できなかった多くの人が、誰のせいでもない、ぶつけようのない悔やまれる思いを未だに抱えているという話も聞く。

感情的な部分を論じている面もあるが、そうはいっても人間は感情の生き物だ。
そして何事も物事の「区切り」や「終わり」には、そのための段階的な心の準備を経て、けじめをつけるための「儀式」が必要となる。
子どもたちにとっての卒業式がまさにそれだ。

お笑いコンビ「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳さんは2月29日、自身のツイッターを更新し、卒業式が中止となった学生たちへ「YouTubeのロンブーチャンネルで、3月15日にリモート卒業式をやろうと思うのですが…家から出ずともネットで繋がって卒業式をやりませんか?」と呼びかけた。
こうしたケアは親たちにとってもありがたいものだろう。

このようなどうしようもない事態に陥ってしまったのであれば、この与えられた時間をいかに有効活用して次のステップに進めるように考えることが、大切なのではないだろうか。
限られた条件の中であっても、子どもたちの心に一生残る「卒業式」あるいは「卒業の儀式」をなおざりにしてはいけない。学校関係者に限らず、私たち大人にもできることはあるはずだ。
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2020年08月06日

藤井聡太棋聖、最年少二冠&八段に王手!木村一基王位に無傷の3連勝/将棋・王位戦七番勝負

藤井聡太棋聖、最年少二冠&八段に王手!木村一基王位に無傷の3連勝
/将棋・王位戦七番勝負
2020年8月5日 ABEMA TIMES

 将棋の最年少棋士・藤井聡太棋聖(18)が8月4、5日に行われた王位戦七番勝負第3局で、木村一基王位(47)に149手で勝利、シリーズ3連勝でタイトル奪取に王手をかけた。
藤井棋聖は王位を獲得すると、最年少での二冠・八段昇段という2つの記録を同時に達成する。

▶中継:藤井聡太棋聖、タイトル二冠に王手!木村一基王位に3連勝
 昭和初期に生まれた戦法を用いて、令和の天才棋士が輝いた。
第1局の角換わり、第2局の相掛かりに続いて、第3局で先手の藤井棋聖が選んだのは矢倉戦。
中でも約80年前に土居市太郎名誉名人が、名人戦で用いたという「土居矢倉」で木村王位に戦いを挑むと、周囲を驚かせた。

 木村王位も得意とする矢倉戦で、1日目はじっくりとした進行。
2日目に入り、藤井棋聖がじりじりと攻め、受けの名手・木村王位が応じる局面が続いたが、残りの持ち時間も両者1時間ほどになったところから、形勢は藤井棋聖の有利、さらには優勢に。

木村陣に攻略の糸口を見つけたのか、じっくり時間を使って考えた序中盤とは異なり、本格的な攻めに入ったところでは、あまり時間も使わずに一気呵成に鋭く確実な手を連発した。
ところが最終盤では寄せの一手により形勢が互角に戻る大混戦。
藤井棋聖がなんとか持ち直し、勝利をもぎ取った。

 対局後、藤井棋聖は「早囲いを目指していたんですが、少し時間を失敗してしまったと思います。
(1日目は)自信のない展開かなと思っていました。
(2日目は)途中から調子がいいのかなと思ったんですが、受けられてみると大変かなと思っていました。
少し寄せに行ったところで誤算があって、負けにしてしまったかもしれないと思っていました」と、最終盤の苦戦についても言及していた。

第4局への抱負には「ここまでの将棋の内容を反省して、いい将棋を指せればと思います」と語った。

 長い将棋界の歴史において、七番勝負で3連勝した棋士が4連敗してタイトルを逃したのは過去2回だけ。
そのうち1回は、くしくも木村王位が初タイトル目前にしながら逃したというものだ。
データでは藤井棋聖が圧倒的に二冠達成に近づいたが、木村王位は今シリーズで逆に「3連敗から4連勝」で防衛を果たせるか。

 次回、第4局は8月31日、9月1日に行われる。
藤井棋聖が勝利した場合、達成できる最年少記録は2つ。
二冠は、羽生善治九段(49)の21歳11カ月を3歳近く更新。
「タイトル2期」の条件を満たすことでの八段昇段は、加藤一二三九段(80)の18歳3カ月を3カ月ほど更新する。

(ABEMA/将棋チャンネルより)
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2020年08月11日

読みやすく伝わりやすい文章を書くコツ、才能やセンスはいらない!

読みやすく伝わりやすい文章を書くコツ、才能やセンスはいらない!
『言葉を減らせば文章は分かりやすくなる』
山口謠司著 ワニブックス刊 1400円+税
2020.8.10  ダイヤモンドオンライン

本書の要点
(1)読みやすい文章は、要点のみを押さえたシンプルで短いものである。
だらだらと長い文章を書いてしまう人は、不要な情報や言葉を適切に削ったムダのない文章を書けるようになろう。
(2)シンプルな文章を書くためには、まず自分の頭の中で書きたいことを整理する必要がある。
文章が上手く書けない原因のひとつは、「書くことが明確になっていない」ことである。
(3)文章に触れる習慣をつくり、テクニックを身につけていけば、書くこと自体が楽しくなっていくだろう。

要約本文
◆「何を書くか」決まらない
◇伝えたいことをまず明確に  
文章を書くためにはまずその内容が必要となる。
これは当たり前のことのように思えるだろう。
実は、多くの人は書くべきことを明確にできていないために、文章作成に苦労しているのだ。

文章の質を上げるための第一条件は、思考が明確になっていることである。
「伝えるべきこと」「伝えたいこと」が自分の中ではっきりと整理できている人は、思考を上手く文章化することができるだろう。
「何となくこういうことを伝えたい」という漠然とした考えで文章を書き始めてしまうと、何を言っているのかよくわからない内容になってしまう。
わかりやすく納得できる文章には、短くシンプルな文が集まっている。

一方で、整理されていない人の文章はだらだらと冗長になりがちだ。
文章を書く前に、漠然とした思考をしないようにする。
これを怠ってしまうと、「自分はこれが言いたい」と思うことを的確に言語化することができない。

◇2つの軸を使う
 思考を整理するために最適な方法は、2つの軸を立てて考えを明確にすることだ。
軸の内容は人それぞれ異なっているが、その2つの軸が交差するところに、「あなたが伝えたいこと」がある。

たとえば、あなたが「新しい洋服を買いたい」と思ったとき、「シャツ」の軸と「好きなブランド」の軸の2つを設定すれば、欲しい商品を明確にすることができる。
それと同様に、自分が書くべき文章の要素を2つ軸に当てはめるとよい。

商品開発の企画書であれば、「自分が興味関心を寄せている商品」と「お客様のメリット」の2つを交差させる。
そこで浮かび上がった商品をプレゼン資料の文章に落とし込む。
こうした2軸の考え方を日ごろから行なうようにしたい。

 これだけでは具体性がないため文章化がしづらいという人は、2つの軸を設定した上で「それを形にするための情報を集める」作業をしよう。
営業職の人であれば、他社の商品のアフターケアの内容など、何でもよいので間口を広くして情報を集める。
キーワードを設定して具体化することも効果的だ。
そうして伝えたいことについて詳しくなるにつれて、あなたの思考はより明確なものとなるだろう。

◇それでも書けない
 そもそも書く習慣のない人は、1つの軸だけでもいいから思考を全部書き切る練習をしてみよう。
そうして書いているうちに、文章を書くことに慣れていく。
そのあとに、2軸で思考を明確にして書く段階をふむ。

 それから、書いた内容を推敲してみよう。
その際、「同じことを何度も言っていないか」「文から文への流れがスムーズか」「不必要な情報が入っていないか」「論旨は明快か」「スムーズに速く読めるか」の5つのポイントをチェックしてみよう。

【必読ポイント!】
◆型を知れば、文章は短くできる
◇一文一要素が原則
 そもそもどのように文章を書き始めればいいのかわからないという悩みを持っている人は、文章には型があることを知るのが克服の近道になるだろう。
文章がだらだらと長くなってしまう人も同様に、文章の型や最低限のルールを知ると改善されるはずだ。

 文章が長くなる原因として、一文にいくつかの要素を入れてしまうということが挙げられる。
これによって、その情報がまったく読み手の頭に残らない可能性がある。
たとえば商品はいくつかの要素で成り立っているが、それらを一気にお客さんに提示すると、魅力がうまく伝わらない。
ある要素だけを説明したあとに、次の要素に移ったほうがよい。

したがって、ひとつの文章にはひとつの要素しか入れずに書くことを心がけよう。
これを意識することで文章は短くなり、それが読みやすさにもつながっていく。  
また、英語で習う5W1Hは、日本語の文章でも重要な型となる。
「いつ」
「どこで」
「誰が」
「何を」
「なぜ」
「どのように」を意識して文章を作ると、伝える情報が明確になると言われている。
簡単に状況や内容を伝えることができるのだ。

◇順番で伝わりやすさが変わる
 文章を書くときには、読み手に何をしてもらいたいのかを示すことから始めると伝わりやすくなる。
ビジネスのシーンでは、最も重要な情報となる結論が、最初に来るように文章を組み立てた方がよい。
伝えたい内容ははっきりしていても、情報を出す順番を間違えると自分の思惑通りに相手を動かすことができなくなってしまう。
結論がなかなか出てこない文章は、読んでいて疲れるし、理解させづらい。

 だから、文章を書くときには、伝えたいことから書くようにする。
そのあとで、説明を補う文章を続ける。
 起承転結という言葉があるが、ビジネスシーンではこれとはもう少し違う方法をとったほうがよい。
すなわち、結論から始まって、話の背景などが続き、再度結論を述べる。
その話を受けて展開しつつ、またさらに結論を強調する。

英語の文章はよくこういう構造になっている。
結論を何度も言われるので、内容が理解しやすいのだ。

◆ムダな言葉を削るコツ
◇削る勘所を知る  
文章をすっきりさせたいけれど、どこがムダなのか見極められないという人は多い。
言葉が少なくなると情報不足でわかりにくくなるのではないか、という懸念を持つ人もいる。
しかし一文の中には、たいていムダな言葉が入っているものだ。
削るべき場所が自分でわかるようになれば、要点だけが目立つ、
短い良質な文章が書けるようになるだろう。

 文章に書くことに慣れていないと、気づかないうちに不要な言葉を入れてしまうことがある。
断定をつい避けてしまったり、話し言葉の調子が出てしまったり。書いた文章を一度読み直して、「この言葉は本当に必要なのか」と考えてみよう。

不要な言葉の代表的なものとして、「〜の方」「〜かどうか」「〜のような」といったものがある。
読み返してみると、なくても意味が通じる言葉が案外見つかるものだ。

◇すべて改行してみよう
 文章自体を短くすることができるようになっても、文の数が多すぎればやはりだらだらとした印象を与えてしまうだろう。それらの中に、一文を丸ごと削除しても差し支えないものはないだろうか。
 文章を読み直す前に、句点を基に一度すべて改行してみよう。
そうすることで、前後の文章でつながりがない、あるいは内容が重複している文を見つけ出すことができる。
そうしたムダを削ることで、より要点の伝わりやすい文章に仕上がる。

◆表現を変えて短くする
◇話す口語から書く文語へ
 文章の表現には、口語と文語の2種類がある。
口語は会話の中で使われるため柔らかい表現になり、文語は思考を伝えるため硬い雰囲気になる。
普段のコミュニケーションではくだけた表現を使うので、文章においても口語になることが多い。
SNSでもそうした書き方が一般的だ。

一方ビジネスシーンではスマートな表現が好まれる傾向にあるため、文語を使用して文章を短くするテクニックを知っておいて損はない。
 同僚に使うような言葉を、社長に対して使うときにはどのように言い換えるか、といった意識を持つことがコツだ。
たとえば「ちょっと」を「少し」に、「かなり多い人数」を「膨大な人数」といったように、案外文語に修正できる部分は見つかる。

◇ネガティブ文はポジティブ文へ
 ネガティブな文章は長くなりがちだ。
否定や禁止、拒絶など、マイナスの感情を表す文章を肯定文にすると、内容が理解しやすくなる。
たとえば、「会議が終わるまで参加できません」と言うよりも、「会議が終わったら参加します」とした方が文字数を減らすことができる。
そのうえ、要点が明確になるというメリットもある。
肯定文を基本にした方が相手に与える印象も良くなるだろう。

 また、伝わりやすい文章にはリズムがある。
日本のリズムの基本は五・七調と七・五調で、この言葉の数で区切って話すとテンポが良く、文章を理解しやすくなる。
和歌や短歌、俳句の文化を考えてみると、その理由は明白だろう。
なお、五・七調は強い印象を、七・五調は優しい雰囲気を人に与える。

◆「意味の文章化」をなくす
◇語彙力で言葉を削れる
 知っている言葉が豊富で使いこなせている人は、文章を短くすることができる。
たとえば、「矜持」とは自信や誇りを持って堂々と振る舞うことを意味する。
この言葉を知らなければ、「自信や誇りを持った振る舞い」というようにその意味をすべて文章化することになる。
言葉を知っているかどうかで文章作成力に大きな差が出るのだ。

語彙力を身につけることには、「頭の中にある考えを的確に文章化できる」、「企画書などのビジネス文書で社会人としてふさわしい表現ができる」といったメリットもある。
 私たちは、語彙力のレベルによって社会人としての評価を決められてしまう。
使う言葉で頭の良さを判断されてしまうのだ。
能力があっても語彙力がないせいで評価が下がるのはもったいないので、熟語などの知識を身につけるとよいだろう。
類語辞典などに親しむのも効果的だ。

◇文字数を優先!
 最近はビジネスシーンで、英語由来の言葉が使われることも多くなった。
英語の言い回しを使うことで文章が短くなるというメリットがある。
リスケジュールの略であるリスケは、「予定を変更する」と書くよりも文章を短くすることができる。
 しかし、常に英語を使用したほうがいいというわけではない。

たとえば「フレキシブル」を「柔軟」に、「マイルストーン」を「標識」に置き換えた方が、文章をすっきりと見せることができる。
英語を使うと格好よかったり、賢く感じられたりするが、文章に用いると長くなることが多々ある。
口に出す分には洗練された雰囲気になることもあるが、文面上では雰囲気よりも文字数を優先するべきだろう。

◆要約力が短文づくりを楽にする
◇文章を再構築できる力
 文章を短くする力を高めるために最適なのが、要約力を鍛えることだ。
要約によって文章や話の要点を短くまとめることで不必要な情報を削除したり、大事なことを見極めて書いたりする力が養われる。
自分が書いた文章を読み直して要点を確認すると、再構築して短くすることもできる。

 要約力を鍛えるトレーニングをすると、文章を正しく読み取り、長い文章を短くまとめられるようになる。
それと同時に論理力や読解力まで身につく。
 この要約力は文章だけに限らず、会話の質を上げることにもつながる。
ことビジネスにおいては相手の時間を尊重するために、短くわかりやすく伝えることが求められる。
要約力をつけることで、コミュニケーション時間を短縮することができる。
説明や提案、相談をするときに相手がすぐに理解できるような話し方をすることは、社会人としてのマナーでもある。

◇他人の文章を書き写して音読する
 なかなか文章が上手く書けないという人は、人の文章を真似して書いてみるといいだろう。
新書を読んで書き写した上で、余裕がある人は音読もしてみるといい。
自分の好きなテーマや著者の本であれば、楽しみながら文章力を向上させることができる。
書き写して音読することで、文章のリズムが頭に入り、文章のつくりを覚えることができるのだ。
また、新書にはいくつかの構成のパターンがあるので、その構造を覚えることも有益である。
こうして文章に触れる習慣をつくり、テクニックを身につけていけば、書くこと自体が楽しくなっていくだろう。
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2020年08月25日

新学期の子ども体力低下!? コロナ×猛暑で「家にいた」

新学期の子ども体力低下!? コロナ×猛暑で「家にいた」
2020年8月24日 FNNプライムオンライン

24日から、東京都内の多くの学校で新学期が始まった。
ところが、学校が始まって、子どもたちの「思わぬけが」が増えている。

24日、東京で新たに確認された感染者は95人。
7月8日以来、47日ぶりに100人を下回った。
こうした中、政府は新型コロナウイルス対策分科会の中に、感染者や家族などへの誹謗(ひぼう)中傷に対するワーキンググループを立ち上げたと発表。
西村経済再生相「来週にも第1回会合を開催するため、調整中であることをご報告させていただく」

一方、都内の多くの学校で、通常よりも早く新学期がスタートした。
学習の遅れを取り戻すため、この学校では初日から早速授業が行われ、給食の時間には、生徒数の多いクラスでは密を避けるため、担任の先生だけが廊下で食事をとる姿も。
再び始まった、withコロナの学校生活。
当の子どもたちは、コロナ禍と猛暑の中で、夏休みをどう過ごしたのか。

小学5年生「(夏休みどこかに行った?)いや、家にずーっといました」
小学4年生「(夏休みどこかに行った?)ほぼ、おうちにいました。暑かったから、あまり外に出たくなかったです」
実は、こうしてステイホームを続けてきた子どもたちに懸念されているのが、深刻な体力低下。

臨時休校が明けた6月には、それが顕著に表れたという。
体育教師「スポーツテストをしたら、数値が去年よりガクッと落ちていて。50メートル走も、去年の子たちに比べたら、全然伸びていなかった」
品川区立荏原平塚学園・米塚裕貴校長「ケンケンで片足で跳んでて、バランスを崩してけがしたり、けがが、やっぱり多かったようですね」
埼玉県では実際、軽い運動中に大けがをしたケースが。
高校1年の宮内麻菜美さん(16)。
学校が始まってすぐ、左足首のじん帯を損傷した。
宮内麻菜美さん「バスケのウオーミングアップでダッシュがあるんですが、それをしている時につまずいてしまって、足をけがしてしまいました。
普段けがしないので、ショックというか、衝撃が大きかったです」

臨時休校中の宮内さんは、運動らしい運動をほとんどしない生活を送っていたという。
宮内さん「ずっと家にいました。毎日動画がアップされて、毎日動画見て勉強するというのが続いていました」

急増する子どものけがについて、現場の医師は...。
林整形外科・林承弘院長「自粛期間長かったので、体力的に落ちたりとか。運動機能が一時的に低下したりとか、ちょっとしたことでけがしたり、あるいは故障を起こしたり。そういった患者さんが増えている」

一度低下した体力を戻すのは、簡単ではない。
小学3年生の川上敦史君(9)。
7月、少年野球の練習中に、右足首を剥離骨折した。
川上敦史くん「野球のスライディングで、けがした。こうなった。痛かった」
父・昌司さん(43)「久しぶりにやったらけがをした、という感じではないんですね」
けがをしたのは、野球の練習再開後、1カ月がたったころ。

林整形外科・林承弘院長「基本的な動作っていうのは、自粛生活で少し落ちたんじゃないかなと。戻ってなかったと思うんだよね、機能が」

夏休みが明けて、各地で始まる学校生活。
林整形外科・林院長「子どもたちには、けがとか予防、少なくとも少しでも減らす可能性が出てきますし、ラジオ体操でもいいし、意識して毎日少しずつやるということが大事ですよね」
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2020年10月12日

「#先生死ぬかも」日本の教育現場はあと10年も持たない

「#先生死ぬかも」日本の教育現場はあと10年も持たない
10/11(日) 現代ビジネス
たかまつなな 芸人 時事YouTuber

担任の先生が「死にたい」…疲弊する学校の現場
 今から3年前、私は大学院生だった。
深夜2時過ぎだったろうか。LINEに電話がかかってきた。
「誰だろう?」と思いながら電話をとると、相手は相当泥酔していた。
どこかで聞いたことのある声だなと思い聞いた。
「あの〜もしかして、●●先生ですか?」。
電話をかけてきたのは、私の昔の担任の先生だった。
明らかに様子がおかしく、自殺をほのめかす言葉を次々に発した。
後日、他の先生にも話を聞いたら、「働きすぎ」だということだった。

 私は1年間で1万人以上の子どもたちに出張授業を届けている。
学生時代からお笑い芸人として活動している私は、お笑いの力で教育界を変えたいと考え、全国の学校へ出張授業をしている。
そんな中で強く感じることがあった――このままじゃ先生死ぬかも 。

 時代の要請で新しい授業が求められているが、それらに対応できない現場。
その大きな要因として、忙しすぎる先生の実態があることをこの目で見た。
子どもの自殺、不登校の取材をした際も、こんなに忙しい先生にもうこれ以上の対応を求めるのは難しいと思った。

学校問題の根っこの問題は、この先生の忙しさである。

中学校教師の6割が過労死ライン超え
 学校への出張授業を通して寄せられる悲痛な声を受けて、私は3年近く先生の過労問題を取材した。
すると、小学校の教師の3割、中学校の教師の6割が過労死ラインを超えて働いていることがわかった。
これは言い換えると、いつ死んでもおかしくない先生が小学校には3割、中学校には6割もいるということだ。
過労死で亡くなってしまった先生のご遺族の方とお話しする度に、繰り返してはいけないと痛感する。

 先生たちは、本当に生徒のことを愛している。
今、先生方は特殊な法律上、残業代は0円で働いている。
いくら働いても残業代がもらえないという仕組みのため、管理者側に人件費というコスト意識がなく、子どものためといって際限なく仕事が増えてしまうのだ。

「子どものため」を思うと仕事を減らすのはなかなか難しい。
ほぼただ働きだ。
 より面白い授業を、より充実した部活動をするため、どんどん忙しくなる。
そして、倒れていく先生があとを絶たない。
なんとか、この先生の悲惨な状況を知っていただきたい。
そう思い今年の8月、私が先生たちにSOSを発してくださいとツイートで呼びかけたところ、「#先生死ぬかも」がtwitterのトレンド入りした。
タイムラインには、先生の悲痛な声が溢れ返っていた。

ネガティブな印象を隠したがる教育界
 それに対して、文科省のオープンな会議である三鷹市の当時の首長が「ブラックだと言われすぎだから、やりがいのある仕事だと訴えましょう」と平然と言ってしまうぐらい、世間との認識はズレている。
自分の部下が過労死ラインを超えている、だから自分の会社の人気が落ちた。
そんな時に一番すべきことは、部下を守るために残業時間を削ることだ。
仕事の量を減らすなり、新しい人を採用するなり、アウトソーシングできることはするなりの対応が必要だ。

 そんな時に、やりがいのある仕事だと訴えようとするのはおかしい。
これでは、学校は「ブラック企業」そのものだ。
そして、過労死されたご遺族の方にお話をお伺いすると、地方紙に「美談」として取り上げられたり、生徒のことを思って労災を申請しにくいという声が聞こえ、実態がわかりにくくなっていることを知った。
それでも、厚労省が出している「過労死白書」の中には、過労死が多い職業として教員が入っている。
このままの状況でいい訳がない。

学校の教育現場は、もう崩壊している。
学校の先生の「子どものために」という気持ちに依存している。

SDGsを教える学校現場の矛盾
 東京都では、平成29年度の教師の採用倍率が7.1倍だったのに、令和3年度の採用倍率は3.9倍に低下した。
教員の採用倍率は全国的に低下傾向にあり、大学の教授からも「この子は先生になって大丈夫なのかと危惧する子が就職することがある」と、たまに聞く。
倍率が1倍台のところもある。
受けたらほぼ全員受かるのだ。
教員の質もどんどん低下するだろう。

 今学校では、小学校の教科書にSDGs(国連が作った、持続可能な世界に変えるための17個の目標)が登場し、中学校でもSDGsの副教材が配布されるなど、持続可能な社会について考える機会が増えている。
これは、とてもいいことだ。
今生きている自分たちさえよければいいのではなく、この先も地球環境や人類の暮らしがよくなることを目指すことは、若い人たち自身にとっても有益なことだ。

 SDGsの中には、目標8に「働きがいも経済成長も」がある。
「包摂的かつ持続可能な経済成⻑及びすべての人々の完全かつ生産的な雇用と働きがいのある人間らしい雇用 (ディーセント・ワーク)を促進する」というもの。
でも、SDGsを教える教育現場、教える先生の働き方に持続可能性がない。
そんな矛盾を抱えている。

現場に行って感じるのは、先生が忙しすぎて、授業や子どもたちと向き合う時間がなくなり本末転倒になっているということだ。
SDGsをはじめ、英語やプログラミングなど教える内容が増えても、やることが減ることはない。
先生が増えることがない。
どんどん現場の先生に押し付けられている。

文科省の対策は意味をなさない
 こんな状況に対して文科省が何もしていないわけではない。
政府が働き方改革を旗印にした時に、学校の先生の働き方を見直すという議論になった。
そして、そもそも学校の先生の仕事はどこまでなのかが議論され、それが発表された。
 また、「変形労働時間制」という制度を導入することができるようになった(最終的な決定は各自治体が導入するか判断する)。
同制度は、夏休みにリフレッシュするために先生に長期休暇をとってもらい、その分浮いた労働時間を忙しい時間に振り分けるという制度だ。

勤務時間が延びる分、見かけ上の残業は減るという恐ろしい制度である。
教師が長期の休みをとりながらも学校側にお金のロスがない、という点ではいいのかもしれないが、何の意味もなさない。  そして、2019年1月に「公立学校の教師の勤務時間の上限に関するガイドライン」を文科省は策定し、上限時間数を「月45時間、年360時間」と決めた。
月80時間以上残業をしている先生が小学校の3割、中学校の6割いるという現状を考えるとなかなか難しいことは明らかだろう。
仕事量を大幅に減らすか、先生を増やすのどちらかしかないのに、抜本的な改革がなされないまま、この件については終了したかのような空気が漂っている。

 メディアも、先生が忙しいことはすでに周知されたという認識で、政治的な動きもないこの問題についてニュース性を感じられないのか、報じられる機会が減ってしまった。
また以前よりも取材のハードルが高くなった。
採用倍率が下がっているのは、忙しい、過酷だと報じられすぎたからだと考える教育委員会や校長が増えたように感じる。

忙しい実態を隠したところで何も変わらない。
むしろ、忙しいことや SOSを社会に求めて、先生の増加などを社会に訴えかけたりするほうが健全だろう。

教育のプライオリティが低い日本
 私は今回、自民党の総裁選挙を取材して痛感したことがある。
それは、教育に関する質問がほぼ皆無だということだ。
世間が関心がないのか。
票がとれないのか。
今子どもがいる世帯数自体が非常に少ない。
18歳未満の子どもがいる世帯は全体の5分の1ほど。
教育への優先順位は下がってしまうのも仕方ないのかもしれない。

 また教員の働き方改革も、コロナですっかり白紙になってしまったように感じる。
クラスターが出たら、先生の責任を強く報じられる。
消毒をしたり、ソーシャルディスタンスを保ちながら授業をしたり、新たな負担が増えるばかり。
医療従事者の労いはあっても、先生への労いはなかなか見られない。

 SDGsはあくまで目標。
つまり、目標は達成しないといけない。
目標をどう達成するか、一人ひとりが考え、実行しなければならない。
私が書いた『お笑い芸人と学ぶ13歳からのSDGs』(公文出版)では、今日からできるSDGs100のアクションを紹介している。
いかに行動につなげるかを大切にしている。

先生たち、今こそ持続可能な教育現場を作るために、「変える」努力をしてほしい。
そのために私もできることは全てやる。
子どもにツケを回さないために、一緒に変えましょう。
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2020年12月10日

文章がどうもうまく書けない人のための処方箋

文章がどうもうまく書けない人のための処方箋
目的と読み手を定め、素材を順番に並べよう
2020/12/08 東洋経済オンライン
上阪 徹 : ブックライター

文章が思うように書けない、と悩む人は少なくない。
とにかく時間がかかる。
書こうとしたら書くことがない。
長さにひるむ。
読みづらいといわれる。
伝わらない、刺さらない……。

私はフリーランスで文章を書く仕事をして27年になるが、中でもよく相談されるのが、「どうすればうまく構成ができるのか」だ。
そしてこんな会話が、いろんな会社の社内で繰り広げられたりしているのではないか、と想像している。

上司「社内報の自己紹介エッセイ、まだ悩んでるのか」
部下「はい、うまく起承転結に落とし込めないんです」
上司「無理に起承転結に落とし込むことはないだろう」
部下「いや、でも、文章といえば、起承転結じゃないですか。それ以外だったら、どうやって構成すればいいか、わからないんです」
上司「そもそも、何のためのエッセイなんだ?」
部下「なんか、社員について知ってもらう、ということらしくて」
上司「それで起承転結にできたら、何かいいことがあるのか」
部下「……」

「起承転結」を無理やりつくらなくてもいい
書く内容(これを私は「素材」と呼んでいる)は、ある程度集まっているが、それをどんな順番で並べて構成していけばいいのか、わからない。
実はまじめな人ほど、この悩みを抱えてしまっている。
というのも、構成といえば、「起承転結」など、子どもの頃に教わった文章のセオリーに強く影響されてしまうからだ。
「書き出しがあって、展開があって、転機があって、結論に至る。
そんなストーリーで作文を作るといい」と教わったわけだが、このセオリーになんとか合わせようとして頭を悩ませてしまう人は少なくないのだ。

もちろん、起承転結でうまく書けるケースもないわけではないが、とりわけビジネス文書の場合、多くは最初に結論を伝える必要があるケースが多い。
最後に結論をいうことになる起承転結は、ビジネスとの相性がそもそもよくないのだ。
では、どうするか。 拙著『文章の問題地図』でも詳しく解説しているが、まず、やるべきは、素材を「見える化」することである。
書こうとしていることは、ぼんやり頭の中にあって、それを並べ替えて書いていけばいい、と考える人も少なくないが、ぼんやりと頭の中にあるままでは、構成もぼんやりとしたままになってしまう。

書く内容を「見える化」しないまま構成しようとすると、書き慣れている人でもスムーズにはいかないのである。
構成を考えるとき、文章を書くことを仕事にしている私がよくやるのは、これである。

「もしカフェで目の前に読者が座っているとして、しゃべって伝えるとすれば、どんな順番で話していくか」
しゃべって聞かせるように、といっても、もちろんしゃべることをそのまま文章にすればいいというわけではない。
実際にしゃべるときには、話はあっちに行ったり、こっちに行ったり、止まったりすることもある。
それでも、それほど違和感なく話が聞けてしまうのは、聞き手が話だけを聞いているわけではないからだ。
それこそ、話している人の表情、身振り手振り、言葉のトーンの高低などなど、いろいろな要素と話していることを、全体で理解する。
だから、多少まごまごしても、違和感なく聞けるのである。

しかし、文章はそうはいかない。
止まって、そこにあるのだ。
となれば、スラスラとロジックが流れていないといけない。
だから私がお勧めしているのは、ざっくりでもいいので、書く内容を一度、箇条書きにして抜き出すことから始めることなのである。
それを眺めて、どういう順番で展開するかを考えるのだ。

たとえば、こんな素材があったとする。
・会社は工場街・大田区にある
・先代から事業を引き継いだ社長
・人を大切にすることを何より先代に教わった
・そのために工場を作り替えた
・工場は5年前に新設 ・最新鋭の機械も入っている
・この5年間で、離職者はゼロ
・未経験でも学べる

さて、これをどう構成していくか。
いきなり構成しようとすると、実は文章のプロでもやりようがない。
しかし、こんなふうに条件を定めてみたらどうか。

文章の「目的」と「読み手」を定める
文章の目的=「人材採用のため」
読み手=「転職を考えている20代」

構成を考えるときには、こんなふうにまずは「目的」と「読み手」の条件を定めるといい。
そうすることで、一気に考えやすくなる。
この条件が与えられると、私ならこんな構成にする。

・この5年間で、離職者はゼロ →
・未経験でも学べる →
・会社は工場街・大田区にある →
・工場は5年前に新設 →
・先代から事業を引き継いだ社長 →
・人を大切にすることを何より先代に教わった →
・そのために工場を作り替えた →
・最新鋭の機械も入っている

「素材」をしっかり書き出していれば、こうした構成がやりやすくなる。
そして、目的に沿って読み手にしゃべって聞かせるつもりで、「こうでこうでこう」という流れで考えてみるといい。
まさにこれが、カフェで目の前に読者がいたとしたら、の意味である。

目の前に読み手が座っているとして、書き出した「素材」を使って、どう目的のための説明をするか。
「こうでこうでこう」とつながりで考えていけばいい。
これを言って、これを言って、これを言う、という順番を考えてみるのだ。

面倒でもちゃんと「見える化」しておくことで、スピードは一気に高まる。
しかも、見ていただいたように、起承転結などいらない。
話して聞かせるのも、読んで理解してもらうのも、実がコミュニケーションツールとしては、同じなのである。

「おっ」「えっ」「そうなんだ」「なるほど」で始めよ だが、ここでひとつだけ注意したいのは、「書き出し」だ。
もともと私は広告からキャリアを始めていること、また私自身が読むことが好きではなかったことも理由になるのだが、文章というものに極めてシビアな見方をしているのである。

それは、 「できればだれも文章なんて読みたくない」 ということだ。
これが、スタート地点なのである。
となれば、なんとか読んでもらえる工夫を書き手がしなければならない。
そこで気をつけたいのが、「書き出し」なのだ。
あまりに凡庸なつまらない話から始まっていたら、読もうと思わないし、読んでもらえないのだ。

「書き出し」には、この4つの反応を意識している。
・「おっ」(意外なこと)
・「えっ」(びっくりすること)
・「そうなんだ」(強く共感すること)
・「なるほど」(新しい発見)

こんなふうに感じることから始まっていれば、読みたくなくても読む気になるかもしれない。
間違ってもやってはいけないのは、「私は〜」から始まる文章である。
私が書いているのだから、あまりにも当たり前すぎる書き出しだ。
これだけは避けることである。
だが、あとは「起承転結」などのセオリーにとらわれず、「目的」と「読み手」を定めて、「話すならどう展開するか」で考えてみるといい。
文章もコミュニケーションツールなのだから。
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2021年03月16日

体育で「肌着の着用禁止」。川崎市立の小学校の指導に批判が殺到。市教委の対応は?

体育で「肌着の着用禁止」。川崎市立の小学校の指導に批判が殺到。市教委の対応は?
3/15(月) ハフポスト

川崎市立の一部の小学校で、体操着の下の肌着の着用を禁止する指導が行われていることに対し、批判の声が寄せられている。
3月9日に開かれた川崎市議会の予算審査特別委員会の予算審議で山田瑛理議員が「多くの子どもが『嫌』と言っている」と言及したことが発端で、同市教育委員会は見直しも含めて検討することを明らかにした。

「体操服の下の肌着の着用を禁止されている
保護者から相談あった 山田議員は委員会で「小学生のお子さんの保護者から体操服の下の肌着の着用を禁止されていると相談を受けました。
大変驚きました」と前置きした上で、「要は、体操服の下はすぐ肌ということです。本当にそういう指導があるのか。高学年でも肌着を脱ぐことになっている学校はあるのか、またなぜそのような指導をしているのか」と質問した。

これに対し市教委側は「教育委員会としては指導は行なっておりません」と回答し指導については否定したが、「運動後の汗などによって、体を冷やさない等の児童の健康面や衛生管理面の配慮から、主に低学年の児童に対して肌着を着用しないよう指導している学校が一部あることを確認している」と認めた。

山田氏は同件について独自にアンケートを実施したと明かし、川崎市ではないが他の自治体では「高学年でもブラジャーが禁止になっている」という声が寄せられたことを報告。
川崎市教委にも状況の調査を要求した。

山田氏は「低学年だから(肌着着用を禁止して)良いという訳ではありません」と指摘し、「小学生は性意識が芽生える非常に重要なタイミングです。性意識をしっかり育てるべき時期にも関わらず、それ逆行するような指導は間違っていると言わざるを得ません」と述べた。

肌着の着用禁止、保護者に周知なく
続けて山田氏は、肌着着用が禁止されているという事実を保護者が知らないことも問題だとして、「保護者に知らせることなく指導をしているのか」と質問。
市教委側は「肌着の着用につきましては、保護者への周知は行なっていない」と現状を報告した。

山田氏は市教委側の対応について「誠に遺憾」とした上で、「子どもにとっては絶対的な存在である先生から言われたことは、嫌だなという思いがあっても我慢して6年間過ごさざるを得ない訳です。
一番大事なのは、当事者である子供達がどう感じているかということです」と言及。
これに対し市教委側は「児童の気持ちに配慮した指導が必要と考えている」と答えた。

山田氏は子どもたちの意見を聞いたとして、小学校低学年の子どもからも「気持ち悪い。嫌だ。という声が上がっていたと報告。
「この気持ち悪い、嫌だという感情は性意識が芽生えているとても望ましい感情であり、それを育ててあげるのが教育です。(肌着の着用を禁止するという)指導が必要とお考えか」と小田嶋満教育長に質問。
小田嶋教育長は「健康面や衛生管理面の配慮をするための指導は必要だが、児童の気持ちに配慮しながら適切に行うべきだ」と述べた。

「肌着を脱がすことが唯一の指導方法だとしたら間違っている」と指摘
山田氏は「健康面や衛生管理面の配慮でしたら、例えば体育後は新しい肌着に着替えるといった他の指導の仕方がある。
肌着を脱がすことが唯一の指導方法だとしたら間違っていると思います。
市内一律でやめていただきたい」と小田嶋教育長に要望。
小田嶋教育長は「改めて各学校の状況を調査した上で、今後、見直しも含めて検討したい」と話した。

“胸の成長”を確認できた場合のみ着用を認めるケースも
朝の情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)は3月15日、小学校での肌着着用禁止の問題を取り上げた。
番組は全国の小学生の児童の保護者の聞き取り内容を紹介。
肌着の着用が禁止される理由として「皮膚の鍛錬」が挙げられていることや、担任の男性教師が個別に児童を確認し“胸の成長”を確認できた場合のみ着用を認めるケースがあることを伝えた。

Twitterでは15日午前、「肌着禁止」「体操服の下」「胸の成長」「皮膚の鍛錬」などの言葉が軒並み日本のトレンド入り。 ネット上では「明らかに間違った指導」「禁止の理由がおぞましくて吐き気がする」「デリケートな問題。これを機に本当に変えていかないと」など、批判の声や意見が相次いで寄せられていた。

ハフポスト日本版は3月15日、川崎市教育委員会に取材した。
今後の対応について、川崎市教委の学校教育部健康教育課の担当者は「3月9日の市議会での質問と要望を踏まえ、まずは12日から川崎市内の全小学校を対象とした現状調査を開始しました。
各学校の状況を把握した上で、新年度に向けた見直しを行なっていきます」と回答した。

      ハフポスト日本版編集部
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2021年03月17日

【前編】PTAの役員決め、「転校前に役員をしていた」は免除の理由にならないの!?

【前編】PTAの役員決め、「転校前に役員をしていた」は免除の理由にならないの!?
3/16(火) 1配信 ママスタセレクト

みなさんの学校では、PTA役員の“免除”はありますか?
 学校によっては役員があまりにも決まらず、「どんな理由があろうと免除はない」というところもあるでしょう。
その一方で、さまざまな理由を考慮してもらえるところもあるかと思います。

今回の相談者さんは、自分が免除にならなかったことで「納得がいかない!」と憤慨しています。
『PTA役員決めで出しゃばって腹が立ちました。今日、PTAの役員決めがありました。

1. まず今までに役員をやったことのある人は免除
2. 兄弟関係で役員が被るからできない人は免除
3. 来年度は仕事が忙しいからどうしてもできない という三方が、話し合いの結果免除』

『私も、転居前の学校で役員をやったことがあったので免除してもらえないかと頼むと、「えー? 転校云々まで(笑)? これ以上免除する事項作ってもキリがないですよね?」と。
結局、免除してもらえず、あみだくじで役員に当たってしまいました。
別に転校前にやっていても免除されるのはおかしくないですよね?
 単に私のことが気に入らなかっただけ?』

転校前の学校で役員をしていたにもかかわらず、今回の学校でも役員……。
そのうえ役員をやっていた経験を訴えても、別の学校であることから軽くあしらわれてしまう始末。
相談者さんが腹立たしく思う気持ちは十分に理解できます。

“違う学校の経験”で役員免除は難しいかも
けれども「転校前の経験で役員免除は難しいかも……」という声が相次ぎました。
『私も転勤族だから転園も転校も経験あるけれど、転校生で免除は聞いたことがない』
『気持ちわかる。転勤するたび役員やっている。
経験者は免除だけど、その学校じゃないからダメなんだよね』

『転校前の学校でやっていたとか免除になるわけがない。
それが通るなら前の学校で何もしてないのに、嘘ついて免除してもらおうって人も出てくるだろうし』
役員をしていたのは前の学校の話なので、今回の学校とはまったく関係がありません。
また本当に役員をやっていたかどうかを確かめるのは、なかなか面倒な話です。

それならばはじめから「転校による役員免除はなし」とするほうが、決める側としても「余計な手間を省ける」といったところだったのではないでしょうか。

PTA免除事項に“公平性が欠けている”点も理解はできる
しかし実際のところ相談者さんが腹を立てているのは、役員になったことよりも「これ以上免除事項作ってもキリがない」と発言をしたママさんに対してなのではないでしょうか。
学校によっては「仕事が忙しい」という理由だけでは役員が免除されないこともあります。

しかし今回免除の対象になったのは、「話し合いの結果、配慮せざるを得なくなった」からですよね?
 話し合いで解決できるものがあるにもかかわらず、自身の話だけ受け入れてもらえないとなれば、相談者さんが納得いかないのは当然のことでしょう。
『「話し合いの結果免除」って仲良い人が言い出したりしたら、「それはダメ」とか言わなそう。
これはちょっと相談者さんが可哀想』
『最初に転校先の保護者の雰囲気がわかってある意味、その後の関わり方のバロメーターにはなるね(笑)。
「引っ越してきたばかりで大変だから免除でいいんじゃないの?」、「え、前の学校で委員長やったのに普通にくじ引きに参加でいいの?」と周囲が気遣ってくれるようなところは保護者に余裕がある感じで過ごしやすい。

一方で、「転校生ってこの学校での実績ゼロだよね? すすんでやるべき」みたいなこと言う人がいて「何も知らないあいつにやらせちゃえ」っていうギスギスしたPTAもあるし』
「転校前の経験で役員免除は無謀かも……」という意見が多々ありましたが、どんなことを免除にするか話し合える場があるのであれば、相談者さんの件について議題にあげるのも決して悪いことではないはず。

ただ、相談者さんの場合は転校したてのようなので、擁護してくれるママ友がいなかったことから、多少不利な状況にあったことも確かです。
今後もこのように不快な思いをする人がでてこないように、そして相談者さんが前向きになれるように、後編では今後の対策をご紹介します。
後編へ続く。
文・物江窓香 編集・古川純奈 
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2021年04月01日

UFOや死後の魂を即否定する人は「本物の科学者」とは言えない

UFOや死後の魂を即否定する人は「本物の科学者」とは言えない
2021年03月31日 PRESIDENT Online
中部大学総合工学研究所特任教授 武田 邦彦

あなたはUFOや死後の魂といった奇妙な現象を信じるだろうか。
中部大学特任教授で工学者の武田邦彦氏は「本物の科学者は『UFOはいない』とは絶対に言わない。
『頭で考えられないこと』を否定するのは科学的な態度ではない」という――。

※本稿は、武田邦彦『武器としての理系思考』(ビジネス社)の一部を再編集したものです。

■UFOが飛んでくる可能性というのは「ある」
世の中にはUFOを目撃したという話はたくさんあります。
航空自衛隊のパイロットやアメリカ空軍のような空を飛んでいる人たちが、随分とUFOを目撃しているらしい。
そのうちのいくつかは写真なども撮られていて、それらを目にすると「いったいどういうことなのだろう」と思います。
こういった話題になると、科学者の多くは「そんなことはないよ」「だいたいUFOが飛んでくるとなれば相当程度の文明の高い星が近くになければならないのに、そんな星はないよ」と言います。

確かに、地球から100光年あたりのところの星で文明のありそうなところはほとんどありません。
1万光年ぐらいになって、ようやくそうした可能性のある星が少しある程度です。
1万光年離れたところから飛んでくるためには光の速さで1万年かかります。
通常の宇宙船の速さだと5万年、10万年とかかる。
10万年もかけて地球の探索にくるなどというものはまったく無駄なことですし、そもそも無理だ――とUFOを否定する人たちは言います。
だからUFOの目撃情報にしても「恐らくは何か光の加減であるとか、パイロットが空を飛んでいるうちに幻想を見たのではないか」と反論するのです。
これは一見科学的な意見のように見えるかもしれません。
しかし、この科学者たちは実は間違っています。
ここに科学の落とし穴があるのです。

UFOが飛んでくる可能性というのは「ある」のです。
それはどうしてかと言えば、光よりも速い移動手段が「ない」と決まったわけではないからです。
「光がいちばん速い」と言っているのは、今の私たちの科学の常識の範囲内でのことに過ぎません。
ですから、私たちの知能の及ばないようなものがあるかと言えば、それは「ある」のです。

■なぜ、紫式部は飛行機を天狗だと言うのか
そのことは過去を見ればわかります。
人間が誕生したのは600万年も前のことです。
しかしわずか1000年前、1000年前というと人類誕生からの600万年のわずか6000分の1です。
その1000年前、たとえば平安時代の紫式部に飛行機をみせて「あれは何だと思いますか?」と尋ねれば、きっと紫式部は「空を飛んでいるのなら天狗ではないか?」とでも言うでしょう。
なぜ紫式部が飛行機を天狗だと言い、今の人は飛行機だと考えるのかと言えば、人間は目に見たものを、今の自分の知識の範囲で判定しようとするからです。
もちろん紫式部のいた平安時代には飛行機はありませんから、あんな巨大なものが空を飛ぶなんて考えもしません。
ならば、それは天狗のような怪物の類ではないかと考える。
このように、私たちはいつも自分の頭の中に入っている知識の中から正解を探すという癖があるのです。

■我々は光より速いものを知らないだけ
科学者が「光よりも速いものはない」と言うのは、アルベルト・アインシュタインが今から100年ほど前に「光がいちばん速い」という理論を構築した、世に名高い「相対性理論」を論拠としています。
相対性理論はその後の量子力学などに発展して、学問的にたいへん大きな功績があったことに間違いありません(物理学的には、相対性理論と量子力学は相いれないところもある)。

しかし、アインシュタインは「光がいちばん速いのだと考えて整理をするとこの世の中をうまく整理できる」ということを言っているだけで、「光よりも速いものがない」と証明したわけではありません。

アイザック・ニュートンによる「ニュートン力学」だけでは説明しきれない不思議なことがあったので、それを整理するためには「光がいちばん速いものである」と定義して、それでいろいろなことを考えるとうまく説明ができると言っているに過ぎないのです。
もちろん、光がいちばん速いということを後押しするいろんなものがあります。
有名な「E=mc2」という式がありますが、これによれば現在の核兵器なども全部説明ができて矛盾がありません。
ところが、最近では「実は、光よりも速いものがあるのではないか」との説も出てきています。

アインシュタインの時代には、「真空」は本当に何もない空間だと考えられていましたが、現在では真空にはヒッグス粒子といわれる素粒子がぎっしり詰まっているというのが正しいのだという理論も出てきました。
そのように現在でも、毎年ということはないにせよ10年に1度ぐらいは新しい現象が発見されているのです。

■100年後にUFOを説明できる可能性
1000年前の紫式部は飛行機を理解できず、スマートフォンなどは明治の乃木希典大将にも理解できなかったかもしれません。
「この小さいものでどこにでも電話ができるとか、汽車に自由に乗ることができるとは、いったいどういうことなのだ」と言ったに相違ありません。
そうしてみると、今から1000年後どころか100年後でも、今の知識がそのまま通じるとはとても考えられないのです。
100年後にUFOを見れば「あれはどうだ、こうだ」ときちんと説明できるかもしれませんから。
このように、私たちの頭脳が正しいとか間違っているということを判断するときに、現在の知識で説明できることは「正しい」と、知識にないものは「間違っている」と判断してしまうのです。
これも、フェイクニュースに騙されることを防ぐ一つの考え方です。

■不勉強な科学者ほど「霊魂」の存在を否定する
UFOの問題と並んでよく質問を受けるのが「魂」についてです。
お墓で何かもやもやとしたものが立ち上がっていたとか、戦争で亡くなった兵隊さんの慰霊式を行うと、そのとき何か魂のようなものが見えるとか、さらにそれが写真に撮られて「こういうものが写っている!」などと言われることがあります。

そういったものを科学者にみせると、その多くはやはり「死んだ人の魂なんてあるはずがない」と言うでしょう。
なぜかと言えば、人間の思考というのは大脳新皮質で司られていて、人が亡くなって頭に血液が流れなくなり、大脳の皮質が朽ちてしまえばそのまま意識も全部なくなると考えるからです。
だから死んだ人は呼びかけに答えない。
しかし、人間は死んだら何もなくなるというのは寂しいので、それで魂が存在するというような話をつくり出したのだというのがごく普通の回答です。
中途半端な科学者というと非常に失礼なのですが、あまりじっくりと科学をやったことのない、もしくはおっちょこちょいの科学者というのはきっとそのように言うでしょう。
しかし、このような答えは、科学的ではありません。
科学というのは自分の考え得る範囲で「こうだ」と思うこと以外に、それとは異なるものが世の中に存在することを発見しようとしているからです。
科学者は、今まで自分たちの頭の中にないものを発見しようと思って研究し、だから実験というものが必要になるのです

■死体から出る「記憶を持った」気体状の物質
前述しましたが、もし自分たちの頭で考えたものがすべて正しいというのであれば、こう実験などはする必要はありません。今の知識からすれば、これから私の言うことは荒唐無稽に感じられるでしょう。
しかし、本書の読者までが同じように現在の知識だけで考えてはいけません。

たとえば、人間の魂は実は大脳旧皮質にはなくて、大脳新皮質の中のほうの小脳や延髄のほうにあると仮定します。
人が亡くなると、脳の血液は滞留するので大脳新皮質の機能はダメになりますが、小脳とか延髄にある人間の魂としてはこれまで生きてきた中で得た知見を失くすわけにはいかない。
なぜかというと生物はそれまでの知識を使ってだんだんと進化してきて、そういう生物が生き残ってきているわけだから、現在の生物は必ず死んだ後に自分の獲得した知識を残しているはずです。
身体のつくりは明らかに自分が生まれる前の構造を知っているのですが、知識については知らないと現在の科学では仮定されているのです。

では人間の場合、それはどういう形で残しているかというと、死体から記憶を持った気体状の物質を出して、それをとりあえず仮のところに貯蔵し、別の人間が生まれたときにはその体内に入っていくようになっている。
その気体状のものを私たちは「魂」と呼んでいて、それは慰霊祭をやってくれるとか、肉親に会うだとか、そういうときに刺激されて何度でも出てくるようになっていて、だから魂は死後も残るのである……。
そのようなことが実証されるかもしれないのです。
ですから、本物の科学者であれば「死後の魂がみえる」ということに対しては、「そういう可能性もありますね」というふうに答えるわけです。
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武田 邦彦(たけだ・くにひこ)
工学者/中部大学総合工学研究所特任教授
1943年東京都生まれ。工学博士。専攻は資源材料工学。
東京大学教養学部基礎科学科卒業後、旭化成工業に入社。
同社ウラン濃縮研究所所長、芝浦工業大学教授、名古屋大学大学院教授を経て、2007年中部大学総合工学研究所教授、2014年より同特任教授。
著書に『50歳から元気になる生き方』(マガジンハウス)、『ナポレオンと東條英機』(KKベストセラーズ)、『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』(洋泉社)ほか多数。
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2021年04月12日

「桜田門外の変」で食べ物の恨みは怖いと思う訳

「桜田門外の変」で食べ物の恨みは怖いと思う訳
4/11(日) 東洋経済オンライン
青沼 陽一郎 :作家・ジャーナリスト

 NHK大河ドラマ『青天を衝け』は、江戸幕府の最後の将軍となる徳川慶喜に仕え、のちに「日本資本主義の父」と称された実業家の渋沢栄一の生涯を追う物語。
4月11日は幕末の政局を変える桜田門外の変が描かれる。
この歴史的事件の裏には、おそらくはドラマで語られることのない、深い食べ物の恨みが絡んでいる。

 水戸脱藩浪士17名と薩摩藩士1名が、大老の井伊直弼を暗殺した桜田門外の変。背景には開国に端を発する、慶喜の実父である水戸の徳川斉昭と井伊大老との対立があったことで知られる。
 水戸の御老公と呼ばれた斉昭の好物は牛肉だった――そういうと違和感を覚えるかも知れない。
そもそも牛肉を食べる習慣は、明治維新によって広まったはずだし、仏教信仰が広く浸透していた江戸時代には、ほとんどの日本人は肉食を忌避していたとされる。

 ところが、江戸時代には肉を食べていた。
それも「薬」として。
例えば、安永年間(1772〜1781年)には、麹町平河町に「山奥屋」という店があった。ここに通う武家たちは「紅葉」や「牡丹」という料理を食べていた。
鹿や猪のことをしゃれや隠語でそう呼んでいたのだ。これを「薬喰(くすりぐい)」といった。

■牛肉生産を認めていた彦根藩
 その江戸時代に、代々にわたって牛の屠畜と牛肉生産を認めていた唯一の藩があった。彦根藩だった。  それこそ、『忠臣蔵』で知られる大石内蔵助は、堀部弥兵衛に牛肉を送っている。
弥兵衛は赤穂浪士四十七士の中で最年長の討ち入り当時77歳で、その娘婿が高田馬場の決闘で見そめた堀部安兵衛だ。
このときに大石が送ったのが、彦根名物の味噌漬けだった。
 そのことを記した手紙の一文にはこうある。
倅(せがれ)主税などにまいらせ候と、かへつてあしかるべし、大笑大笑  大石の息子である主税のような若者には、強すぎる薬。
「悪しかるべし」と笑っている。

 彦根藩主の井伊家では、太鼓の張り替えに毎年5枚の生皮と一緒に、牛肉を「薬」として幕府、将軍家に献上。御三家や老中などにも進呈していた。このお裾分けの牛肉が大好きだったのが、水戸の御老公斉昭だった。  ところが、直弼が藩主の座につくと、牛の屠畜を一切禁止してしまったのだ。直弼は、母親が側室で庶子であったことから、家督を継ぐことはないはずだった。
若い頃から井伊家の菩提寺に入り、袈裟血脈を許された僧侶の資格を持っていた。
 その後も「埋木舎(うもれぎのや)」と呼ばれた邸宅で、世捨て人のように暮らしていたが、兄の死により人生が一転する。それでも敬虔な仏教徒だったから、殺生を忌み嫌ったのだ。

 そうすると、斉昭のもとに牛肉が届かなくなる。
毎年、寒い時期になると彦根から届く牛肉の味噌漬けを楽しみにしていた斉昭。
ところが、どうしたことか、その年はやって来ない。
事情を知らない斉昭は、直弼に使いを出す。毎年楽しみにしていたのに、今年はやってこない。何卒お送りください、と。
  すると直弼から、今年から領内の牛を殺すことを禁止いたしましたので、牛肉を差し上げられません、お断りいたします、との返事がくる。

■特別扱いを申し出た斉昭
 それでも諦めきれない斉昭は、再び使いを出す。
領内の牛を殺すことを禁じたのであれば、しかたがないが、これまで毎年食べていることで、特に江州の牛肉は格別だから、私のためだけにでも特別に手配していただきたくお頼みします、と。
つまり、特別扱いを申し出たのだ。

 これを直弼が承知するはずもなかった。
なんと言われようと、領内の禁止事としたので、そんなことはできない旨を伝え、「たつて御断り申し上ぐる」と厳しく断っている。
 このやりとりを記録した『水戸藩党争始末』の「老公と大老の不和」と題する項目の原書は、こう結んでいる。
かくのごとく、公よりたびたび御頼みありし事を、さらに承知せざりしかば、さすがに不快に思召されしとなむ
 水戸の御老公と大老の不仲は牛肉から始まっていたのだ。

 記録に残るくらいだから、好物を分けてくれない相手をなじるくらいのことはしただろう。
上司の吐いた言葉が部下の耳に伝わり、言葉だけが広がっていくことは、どの時代にもある。
私怨がいつしか大義と入り乱れ、相手への恨みが膨れていく。
それが究極の事件となる――。

 そんな事情もあって、斉昭に近い諸侯は直弼のことを「愛牛先生」と呼んだ。やはり直弼から処罰を受ける福井藩主の松平慶永(春嶽)が斉昭に送った書面にも、また、土佐藩主の山内豊信が慶永に送った書簡の中にも「愛牛」の文字を見ることができる。
 それだけ諸侯の間には、彦根の牛肉事情は知れ渡っていた。
 もっとも、大名の多くは直弼の牛への愛情をして、「佞佛(ねいぶつ)」と呼んでいた。
「佞」とは、へつらう、おもねる、の意味。
つまり、仏をおもねるあまり、道理を欠いた仏徒のことをさしている。
牛の屠畜を禁じながら、安政の大獄で反対派の首を次々とはねていったのだから、そう呼びたくもなる。

 斉昭にも劣らず、肉好きだったのは息子の慶喜も一緒だ。
のちに慶喜が、江戸の街火消しだった新門辰五郎を、京に連れてきていたことは広く知られる。
その辰五郎に2分ずつ渡して「今日も買ってきてくれ」と、牛肉を買いにやらせていた。
生粋の江戸っ子の侠客が、寺社仏閣の建ち並ぶ京の都で、四つ足の肉を買い漁るのだから、京童部たちに嫌われていたのも無理はなかった。
 一橋家に奉公するようになった渋沢栄一も、京都滞在中の月の手当が4両1分で、抱えた借金返済のために節約を心がけ、「朝夕の食事も汁の実や沢庵を自分で買出しにいって、時々竹の包みに牛肉などを買って来た、それが最上の奢りであった」と自伝『雨夜譚』に記している。
栄一も牛肉をごちそうとして味わっていたことがわかる。

■豚肉も大好きだった慶喜
 ただ、慶喜は牛肉もさることながら豚肉も大好きだった。
そのことは市中にも知れ渡っていたようで、ついた渾名が「豚一殿」。
豚が好きな一橋のお殿様、という意味だ。

当時、豚は薩摩藩の名産だった。
統治していた琉球の文化の影響もあって、薩摩では古くから豚肉を食べた。
西郷隆盛の好物も「とんこつ」という豚料理だったことで知られる。
 もともとは、薩摩藩主だった島津斉彬が水戸の斉昭に豚を送っていた。
そこからはじまる慶喜の豚好きが薩摩を困らせる。
弱冠28歳の若さで薩摩藩の家老に就いた小松帯刀が、元治元年(1864年)に京の屋敷から郷里に送った手紙に、慶喜からたびたび豚を所望されて困っていることを、まさに愚痴のように書いている。
 帯刀は自分が持っていた豚肉を3回も慶喜に送ったこと、それで手持ちがなくなったこと、それでも使いを寄こして催促してくることなどを書き連ね、「大名と申者不勘弁之者、大キに込入申候」と締めくくっている。
大名とは、どうしてこう聞き分けのないわがままなのか、大いに困り入った、というわけだ。

 肉をしつこくねだる姿は、父親の斉昭にそっくりだ。
ひょっとしたら、この豚肉が由縁で倒幕につながるのかもしれない。
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2021年04月15日

漢字のとめ、はね、はらい、できないと0点? 教育の本当の目的とは/鴻上尚史

連載「ドン・キホーテのピアス」
漢字のとめ、はね、はらい、できないと0点? 教育の本当の目的とは/鴻上尚史
2021年04月14日 SPA!

◆とめ、はね、はらい、できないと0点?
教育の本当の目的とは 「西日本新聞」の記事がネットに出ていて、それは、最近、よく話題になる「『とめ、はね、はらい』ができていないと、漢字ドリルは全てやり直し。
テストは0点―」という小学校の指導に関するものでした。

 読んでいて、なんだか、哀しみが押し寄せてきました。
 よく分かってないと「うん。漢字を習う時は、『とめ、はね、はらい』が大切だよ。当たり前だろう」で終わるのですが、実際の答案用紙を見ると「この厳しさはあんまりだ」と思うのです。
 この記事では、小学校一年の子供を持つ保護者が、担任の厳しい指導を悩み、実際のテストの写真を載せています。
 もうね、この原稿は活字で書いているから紹介が難しいんだけど、「天」という字の右下の「ノ」の字の先が少し離れているだけで減点。ほんのちょっと、外れているだけですよ。 「青」という文字は、下の「月」の右上の角が丸く書いていたから減点。
 以前、教師が、こうやって採点した後、「文字を正しく書きましょう」みたいな書き込みをしていて、その文字が「とめ、はね、はらい」がちゃんとできてなかった、なんて笑うしかない写真がツイートされてたことがありました。
 これね、「なんのために字を学ぶか?」ということを完全に見失っている指導です。
 それは、つまり、「教育とは何か?」という目的の話です。

 教育は、学校だけで完結するものではありません。
 当たり前ですね。
 教育は、学校と社会をつなぐためにあります。
ちゃんと勉強するのは、「よりよい社会人になるため」です。
「よりよい社会人」になるために必要なことは、「ちゃんと読める字を書く」ことです。
 それ以上でも以下でもありません。
「きれいな字を書くと評価が上がる。だから、厳しく指導すべきだ」なんて言う人がいますが、そんなのは大きなお世話です。
綺麗な字を書くかどうかは、本人が選ぶのです。
美意識というのは、押しつけるものではないのです。
 相手がストレスなく、ちゃんと読めること。
手書きの文字で大切なのは、これだけです。
「天」の「ノ」が少し離れていても、「青」の角が丸くても、ちゃんと読めます。

◆学校で満点をとることが、教育の目標になっている
 記事では、「高校生や大学生の指導をしているが、字が雑で読めないことがある」と、厳しい指導に賛成する意見が紹介されていました。
 この意見と、「厳しすぎる『とめ、はね、はらい』を指導すること」は何の関係もありません。
 教育は何が目的か?という点を見失っているのです。

「シ」と「ツ」の違いは大切な問題です。
これがちゃんと書けないと、「よりよい社会人」にはなれません。
 でも、「青」の「月」の角が丸くても何の問題もありません。
 もちろん、「青」の字を教える時は、「月」の角は教えます。
 けれど、それができてないからと言って、間違いにしてはいけないのです。
 それは、そういう指導をすることで、子供達に「漢字を正確に書くことのプレッシャー」しか残さないからです。
間違いなく、「漢字嫌い」「文章嫌い」の子供を作るだけだからです。
「よりよい社会人」になることではなく「学校の中で満点を取ること」が目標になっている結果です。

 記事では、学習指導要領解説の国語編では「正しい字体であることを前提とした上で、柔軟に評価することが望ましい」と書かれていると紹介し、けれど、文科省教育課程課は、「国語ではなく、社会や理科など他教科で書いた字は『とめ、はね、はらい』ができていないからといって、減点はしないという柔軟な評価を意味する」と解説しています。
 つまり、他の教科はオッケーだけど、国語は別だと言いたいのでしょう。
なんだ、それ。文科省が、こんな玉虫色の言い方をするから、教育に真面目過ぎる先生達は、少しの違いでも、減点や0点にするのです。

 じつは、校則と同じく、この「とめ、はね、はらい」指導も、年々、厳しくなっているように僕は感じています。
学校がどんどん、子供達にとって窮屈な場所になってないかと心配するのです。
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2021年05月05日

「小学4年生で人生が決まる」日本で進行する新型格差社会のヤバさ

「小学4年生で人生が決まる」日本で進行する新型格差社会のヤバさ
2021年05月04日 PRESIDENT Online
中央大学文学部教授 山田 昌弘

都市部で中学受験をする家庭が増えている。
社会学者の山田昌弘氏は「日本では教育格差が進行している。中学受験をできるかどうかでその後の人生ルートがある程度決まってしまう」と指摘する――。
※本稿は、山田昌弘『新型格差社会』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

■コミュニケーション力が過剰に求められる現在
他人と円滑に意思疎通をするコミュニケーション力を重視する傾向は、あらゆる企業の採用で広がっています。
30年程前までは、公務員試験ではペーパーテストさえ合格すれば、面接はほぼフリーパスでした。
しかし最近は、ペーパーテストの成績の比率が下がり、面接の印象が良くなければ合格できなくなりました。
多くの企業も採用で重視する項目に「コミュニケーション力」を挙げており、「真面目にコツコツ努力することが得意、でも人と喋るのが苦手」な学生は、就職活動で自分をアピールできず、何十社受けても一社も内定が出ないことが珍しくないのです。
学生もそのことを自覚していますが、コミュニケーション力には性格も関係するため、一朝一夕にはなかなか変えられません。

コミュ力重視の就職活動に無理やり自分を適応させることに疲れ果て、就活をやめてしまい家に引きこもってしまう学生もいます。
最近は就活指導を専門とする塾もあちこちにでき、そうした場では面接指導なども行っています。
膨大なデータが蓄積されていて、何々省採用向けの面接、銀行採用向けの面接など、採用先に合わせた面接指導もしています。当然のように安くない受講料がかかります。

■子どもの興味関心は、親の教養に左右される
社会の動向に通じている人の中には、「今後の社会を生きていくためにはコミュニケーション力が必要だ」と早くから気づき、インターナショナルスクールや先進的な教育を行っている学校に子どもを通わせている親も少なくありません。
以前、ある公立の科学館に講演に行ったのですが、そこで行われていた子ども向けの科学教室では、小学生になったばかりの児童の取り組みを母親たちが参観していました。
きっとその親たちは、自分の子どもがサイエンスに興味を持つことを願って、その教室に申し込んだはずです。
科学実験をしている子どもたちを熱心に見ている母親の姿に驚いたものです。
ちなみに費用はほとんどかかりません。

子どもの知的な興味や関心は、親自身の教養に対する関心に大きく左右されます。
家に大きな本棚があって、そこにたくさんの本がある家庭に育った子どもと、まったく読書をしない親のもとに育った子どもでは、知的好奇心に大きな格差が自然に生まれてしまうのです。
OECD(経済協力開発機構)の調査でも、自宅にある本の冊数と子どもの学習成績の間には相関があるという結果が出ています。

■育った家庭で「観るテレビ番組」も違う
余談ですが、知り合いからこんな話を聞きました。
ある大卒の女性が高卒の男性と恋愛結婚して一緒に生活し始めた後で、初めて気づいたことがあったそうです。
それは、「観るテレビ番組が違う」ことです。
その男性は正社員として頑張って仕事をしている真面目な人ですが、観るテレビはお笑い芸人が出てくるバラエティ番組ばかり。
一方女性のほうは、クイズ番組やNHKのニュース番組を見て育ったタイプ。
彼女がクイズ番組で、「この答え、わかった」と言ったら、夫に「よく知ってるね」と感動されたそうです。

子ども時代にどのような家庭に育ったかで、成長してからも興味や関心の領域が違ってくることをまざまざと感じさせられたエピソードです。
最近の日本では、実践的な英語教育の重要性が叫ばれるようになり、小学校から英語の授業が始まっています。
しかし語学を身につけることは水泳のような運動と一緒で、いくら畳の上で泳ぐ真似をしても泳げるようにはならないように、どれだけ本物の外国語に触れているかが最も重要です。

学校の授業で1週間に2〜3時間学ぶぐらいでは、英語は決して身につきません。
やはり、普段の日常生活でどれだけ英語に接しているかが決め手になるのです。
親が仕事で英語を使っていたり、帰国子女で幼い頃に外国で生活していたりする人は、そういう点で圧倒的に有利です。
英語を話すことが当たり前の環境で育つと、自分も「当たり前」に適応するために自然に頑張るのです。

■「親の格差」は「子どもの教育格差」につながる
昨今わずか20年程の間に、日本では経済のグローバル化が急速に進みましたが、早くからその潮流を見抜いていた家庭の子どもとそうでない子どもとの間では、英語力に圧倒的な差があるのは当然です。
「英語は話せて当たり前」という家では、幼い頃からバイリンガル教育に力を入れますが、親自身が英語の「え」も話せない家では、そもそも「英語が大切になる」という発想すら浮かびません。
英語力もまた、学校の学習では到底追いつかないぐらいの「格差」が拡大しつつあるのです。

現在、オンラインで仕事ができる人々は、IT企業をはじめとするオフィスで働くホワイトワーカーが中心です。
実際には、どんなに工夫してもテレワークできない業種のほうが、日本では圧倒的に多いのが現実です。
パンデミック下においても、一部の家庭だけが充実した教育を子どもに受けさせることができたのに対し、そうでないほとんどの家庭は、子どもの教育機会を減らす結果になってしまったことは否めません。
新型コロナウイルスは、親の格差が子どもの教育格差につながる実態をも浮き彫りにしたといえるでしょう。
このように、コロナ禍が顕在化させた親の状況による教育格差を、公的に埋める手だてを考える時期に来ています。

■都市部で目立つ中学受験をする家庭
もともと日本では、コロナ以前から「教育格差」が静かに進行していました。
この15年ぐらいの間に、東京や神奈川、大阪などの都市部の家庭では、中学受験をして私立中学を目指す人が増えています。一定以上の収入がある家庭では、子どものほとんどが地元の公立に進学せず、私立に進むという地域もあります。

中高一貫の私立に進学した場合、6年間の学費は400万円以上かかるのが普通ですが、それでも私立を選ぶ家庭が増えています。
数年前に、東京の下町にある中学校に教育実習生の指導に行ったことがあります。
驚くことにそのクラスでは、女子中学生の人数が男子のほぼ半分でした。
先生方に訊くと、その地域に住む女子の家庭の多くが、娘を近隣の私立中学に進学させることが理由でした。
なぜなら校則を守らない生徒が多く、「娘をこの中学に入れたらまずい」と考えての親の判断が生まれるのでしょう。
私もその中学の授業を見学しましたが、先生が何人も教室にいる中で、男子生徒が消しゴムの飛ばし合いをして遊んでいました。
私語もひっきりなしに聞こえてくるのに、教師は誰も怒らないのです。
「これでは、インテリの親は確かに娘を入学させたくないだろう……」と感じたものでした。

■「小4で中学受験専門塾に入れるか」で人生が決まる
近年、日本の最難関大学である東京大学や京都大学に入学する学生の多くは、中高一貫校の卒業生だといわれます。
いわば、「学歴」を決めるのが大学受験ではなく、中学受験だというわけです。
小学生のときから受験のために塾通いをし、中高一貫校への入学を果たして偏差値の高い大学を出た彼らは、大手の優良企業や給与の高い外資系企業などに就職し、社会の「上層」の一員となっていくのです。

つまり、小学4年生ぐらいの時点で、毎月5万円以上の受講料がかかる中学受験専門塾に通えるかどうかで、その後の人生ルートがある程度決まってしまう。
これが、今の子どもを取り巻く現実になりつつあります。
親の所得が子ども世代に影響し、格差が再生産されている状況です。
この日本の「教育格差」の広がりによって、10〜20年後に社会階層の固定化がもたらされることが予想されます。
極端にいえば、日本は自ら階級社会への道に戻ろうとしているのです。

■大卒は大卒以上と結婚し、高卒は高卒同士で結婚する
この状況は、芸能界やスポーツ界にも当てはまります。
ひと昔前は、恵まれない家庭環境の中から、アイドルやスポーツ選手が生まれてくることも多かった。
しかし今は、子どもの頃からトレーニングすることが、活躍のためには必須の条件になりつつあります。

日本では特に、女性が結婚相手に対し、自分よりも高い学歴を求める傾向が強くあります。
自分が大卒であれば、大卒以上の男性と結婚することが最低限の条件である、という女性は少なくありません。
大卒同士の夫婦は、自分たちの子どもに関しても「必ず大学は出てほしい」と願います。
それに対して高卒同士の夫婦は、大学というものに対して具体的なメリットを実体験で感じていません。
大学にかかる4年間の学費を払うよりも、高校を出てすぐに働き始めたほうが親元から早く独立できますから、むしろ大学進学を望まないケースもよくあります。

女子大学生にインタビューすると、ここ数年、彼女たちの多くは結婚相手の年収よりも、「職業安定性」を求めていることに気づかされます。
かつては「年収1000万円以上でなければ結婚しない」などと言う女性がいたものですが、それも今は昔です。
日本が長期不況に陥りデフレ経済下で20年以上が経過し、結婚適齢期の20代後半から30代前半でそのような高年収を得ている男性の数は激減しました。

■年収600万以上の若い独身男性は、東京でも3.5%しかいない
ある結婚相談所の調べによれば、未婚の女性が結婚相手に望む年収は現在も、500万〜599万円、600万〜699万円が半数を占めます。
しかし現実を見ると、令和元年における日本人男性の平均給与は、全世代を含めて540万円しかありません。
国税庁の民間給与実態統計調査を見ると、20代から30代前半に限った場合、400万〜500万円が普通なのです。
首都の東京とそれ以外の地域では給与に差がありますが、東京ですら年収600万円以上の若い独身男性は3.5%しかいないのです。
そのため結婚相談所を運営する会社やお見合い事業を運営する自治体の部署では、高年収の相手を望む女性に対して、カウンセリングで説得することがあるそうです。
「年収600万円以上の男性」を希望する女性がいたら、「では、もしも年収590万円で、それ以外の条件はぴったりという男性が現れたらどうしますか?」というような質問をして、相手に望む年収のランクを下げさせるというのです。
ランクを下げないと、紹介できる男性がいないからです。

■「女性側がお金を払う」マッチングサービスもある
一方で現実的な考えを持つ未婚女性の多くは、年収の多さよりも結婚相手の候補となる男性の職業安定性に敏感になっています。
欧米型の市場経済が日本企業にも浸透し、雇用規制の緩和によって正社員以外の労働者が増えたことから、公務員や銀行員のような安定した職業に就いている男性が結婚相手として人気が高いのです。
若い女性の多くが、自分が親から与えられたような生活を結婚後も維持し、戦後型家族の典型であった「父親が働きに出て、母親は主に家事をして家を守り、2人から3人の子どもを育てる」という家族形態を望んでいます。

不安定な職業の男性と結婚してしまっては、リストラなどにあったときに生活できなくなるリスクがある。
そのリスクを回避するために、安定した職業の男性を求めるのです。
昨今では、「出会い」のスタンダードとなりつつあるインターネットを利用したマッチングサービスにおいても、安定した職業の男性が有利な「買い手市場」になっています。
結婚を前提としない出会いを目的としたマッチングアプリでは、男性が女性にコンタクトをとるのにお金を払うサービスが一般的です。
それに対して婚活目的の「優良な男性会員多数」を謳うサービスの多くは、男性会員は年収や大企業の正社員であるなどの条件を満たせば会費がかからず、逆に女性側がお金を払う仕組みになっているところもあります。

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山田 昌弘(やまだ・まさひろ)
中央大学文学部教授 1957年、東京生まれ。
1981年、東京大学文学部卒。1986年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。
専門は家族社会学。学卒後も両親宅に同居し独身生活を続ける若者を「パラサイト・シングル」と呼び、「格差社会」という言葉を世に浸透させたことでも知られる。
「婚活」という言葉を世に出し、婚活ブームの火付け役ともなった。
主著に『パラサイト・シングルの時代』『希望格差社会』(ともに筑摩書房)、『「家族」難民』『底辺への競争』『結婚不要社会』(朝日新聞出版)、『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?』(光文社)など。
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2021年05月16日

習い事づけで小1の子が壊れた。“隠れ毒親”チェックリスト20

習い事づけで小1の子が壊れた。“隠れ毒親”チェックリスト20
2021年05月16日 女子SPA!

「隠れ毒親」20項目で確認 
幼稚園に入園する前の娘の写真を見て、後悔を募らせる田中さん 体罰、暴言、過干渉……子どもを自分の思い通りに支配しようとする毒親。共働きの増加という社会的背景のなか、余裕をなくし毒親化している人が増えている。
あなたは「自分は毒親ではない」と確信をもって言い切れますか?

◆教育虐待 お受験対策、習い事……
親の幻想が子どもに負担を強いる
 神奈川県に住む田中吉政さん(仮名・43歳)は現在、同じ年の妻・真希さん(仮名)と、娘の悠愛ちゃん(仮名・7歳)の3人で暮らしている。
悠愛ちゃんは今年小学2年生になったが、学校を休みがちだ。
田中さんは娘の不調は、妻の過度なお受験対策による教育虐待が原因だと考えている。
「妻が娘を県内の私立小学校に入学させようと、お受験対策を始めたのは4年前。娘は幼稚園の年中組でした。娘にはもともと体操、絵画教室、英会話を習わせていましたが、さらにそこにお受験対策用の塾も加わったんです」
 悠愛ちゃんの幼稚園は13時からお迎え時間の15時まで自由時間だったが、真希さんは13時に娘を迎え、塾や習い事へと送迎した。
  当然、子どもにも個性があり得意・不得意もある。スマホのアプリをインストールするように、子どもに習い事をさせても、できることが増えるわけではない。
「子どもによって特性が違いますから、親が自由にカスタマイズはできない。
しかし最近の小学・中学受験などに顕著に表れていますが、『子どもの成功は親次第』という幻想があるのも否めません。
子どもをすべてコントロールすることなどできるはずもなく、親は本来無力な存在なのです」
 その事実を知って、本当 の意味で子どもと向き合うことが求められているのだ。

◆あなたは大丈夫?「毒親」チェックリスト
(※有識者、当事者の取材をもとに編集部が作成)

1:子どもに毎日小言を言ってしまう
2:自分の家庭が周囲にどう思われているか気になる
3:忙しくて子どもの相手をしないことがある
4:父母のいずれかに育児の負担が集中している
5:子どもに行儀やマナーをうるさく教えてしまう
6:逆上がり・二重跳びをできるまで練習させる
7:夫婦で子どもを叱ることがある
8:子どもを注意するとき「なぜか」を問い正す
9:嫌がる子どもを習い事に行かせたことがある
10:ゲームやスマホなどを禁止している
11:1日に何度もLINEなどを送ることがある
12:子どもに反抗期がない
13:SNSで見た子育て論を参考にしている
14:「家族のために働いている」と子どもに話す
15:「あなたのため」と言って子どもに注意する
16:一緒に買い物に行き、服などは親が選ぶ
17:子どもの机の引き出しをチェックしたことがある
18:公務員や有名企業などの安定した仕事に就いてほしい
19:成人後も実家の近くに住んでほしい
20:自分は「毒親ではない」という自信がある

◆16個以上チェックがついたあなたは……
0〜3個:「ひとまず安心」
 子どもの発達に悪影響を及ぼす言動は限りなく少ない。子どもが成長し、環境が変化した後も、今のままのマインドで接するよう意識するとよい。

4〜8個:「少し注意が必要」
 知らず知らずのうちに、過干渉気味、あるいはコミュニケーション不足に陥っている可能性も。いま一度、子どもの気持ちに向き合い、必要な対応を考えてみては?

9〜15個:「危険信号」
“子育てはこうあらねば”という強迫観念にとらわれていないだろうか。子どもに向き合うのはもちろん、自分自身もストレスを抱えすぎていないか要チェック

16〜20個:「毒親の可能性あり」
 すでに毒親化している可能性あり。どの言動が毒になるのか、親自身は気がつかないことも多いため、周囲の信頼できる人や専門家に相談するのもひとつの手。

【教育ジャーナリスト おおたとしまさ氏】
育児や教育に関する執筆・講演活動を行い、著書は60冊以上。ラジオ出演やメディアへの寄稿など、活動の場は多岐にわたっている。

―[急増!]毒親してる人―
<取材・文/週刊SPA!編集部>
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2021年05月22日

子どもの命より五輪 萩生田大臣“運動会強行”発言は正気か

子どもの命より五輪 萩生田大臣“運動会強行”発言は正気か
2021/05/21 日刊ゲンダイ

 子どもの命より五輪開催――。
緊急事態宣言が発令されている地域の小中学校の運動会を巡る萩生田文科相の発言が保護者から大ひんしゅくを買っている。変異株が猛威を振るう中の運動会は、豪雨の川に遊びに行くようなもの。
専門家は科学的な判断ができていないと指摘する。

 18日の会見で萩生田氏は運動会について「直ちに中止するのではなく、工夫してやる可能性を模索してほしい」と語った。

 子どもにも感染する変異株が広がり、最近は小中学校のクラスターが多発。
保護者は不安いっぱいで子どもを登校させている。
学校の感染を警戒し自主休校する子どもも少なくない。
 西村経済再生相も「屋外でマスクを着けていても感染が確認される事例の報告が相次いでいる」と警戒している。
そんな中、運動会強行とは正気の沙汰と思えない。

 ネット上では〈親がどんなに不安で子どもを見送るか萩生田大臣は知っていますか? 行事なんかのぞんでいない〉〈国民の安全なんて二の次〉など保護者の投稿が目につく。
 萩生田発言には、五輪絶対開催でゴリ押ししたい菅政権の方針が影響しているのは間違いない。

 歴史家の山崎雅弘氏はツイッターで〈「小学校の運動会は中止するのに、東京五輪開催は強行するのか」という批判を封じるために「じゃあ小学校の運動会もやることにせよ」という文部科学相。教育大臣が「子どもを守る」ことよりも「東京五輪利権」を優先する〉と批判している。

■専門家「科学的な判断ができてない」
 中京大の大内裕和教授(教育社会学)が言う。
「変異株の登場によって、子どもの感染が増え、萩生田文科相はこれまで以上に危機感を持ち、子どもの命や健康第一の政策を進めるべきです。
運動会開催は、五輪を引き合いに出され、科学的な正常な判断ができていないように見えます。

また、運動会など学校行事について『かけがえのない貴重な思い出』ともっともらしいことを言っていますが、学校は命がけで行くところではないし、あえて、緊急事態宣言下に運動会を強行する必要性は全くありません。
健康あっての思い出です」

 萩生田氏は「例えば秋に移すなどの試みをしてほしい」と秋延期も選択肢として示しているが、現場の大混乱は目に見えている。
「運動会は子どもを危険にさらすだけでなく、現場の先生や自治体も大変です。
現場は運動会開催によるリスクを感じていても、文科相がそう言うなら、何とか予定通りの日程で開催しようと試行錯誤するでしょう。
しかし、“工夫”といっても、コロナの感染拡大期の対策は経験もなく容易ではない。先生は心身ともにかなりの負担になるでしょう。

文科相が『直ちに中止』とひとこと言えば、自治体や先生も『延期』に動けます。
文科相はそれだけ重い責任を持っているのです」(大内裕和氏)

政権の方針と子どもの命とどっちが大事なのか。
萩生田氏は胸に手を当てて考えてほしい。
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2021年06月01日

「道徳の教科化」が若者たちに無力感をもたらす 『教育は何を評価してきたのか』 が示す危機感

「道徳の教科化」が若者たちに無力感をもたらす 
『教育は何を評価してきたのか』 が示す危機感
2021年05月30 日  キャリコネ

小学校では2018年から、中学校では2019年から「特別の教科」となり、「子どもに偏った価値観を植え付ける」などの懸念で物議を醸した「道徳」。
現在も、ツイッター上では教科書の内容や評価の付け方に、しばしば疑問の声が上がっている。

今年4月、あるツイッターユーザーが小学校の道徳教科書を示し「おかあさんはりょうりじょうず」といった言葉でジェンダーバイアスを植え付けることに疑問を呈していた。
これを教育社会学者の本田由紀氏が引用リツイートし、 「これに関連して、拙著『教育は何を評価してきたのか』では、「道徳の授業が好き」な中学生ほど性別役割分業意識が強いという分析結果を示しています。
因果でなく相関ですが」 というコメントを寄せていた。

道徳が好きな中学生ほど「父は外で働き、母は家庭で家事をする」といった価値観が強いのはなぜだろう。
道徳教育が子どもに与えた影響に興味を持ち、『教育は何を評価してきたのか』 (本田由紀/岩波新書/2020年3月19日発行)を手に取った。(文:篠原みつき)

「垂直的序列化」と「水平的画一化」が日本人を生きづらくする 人々の一般的なスキルは国際比較において高い水準にあるにも関わらず、賃金がそれに伴っていない日本。
若者の自己肯定感も他国に比べて低いという。
本書は、こうした日本の低迷や閉塞感の原因は、「垂直的序列化」と、「水平的画一化」が強い教育の構造にあるとして、戦前から現在に至るまでの教育システムの変遷を、膨大な資料をもとに分析。人を評価する際に当たり前に使われてきた「能力」「資質」「態度」という言葉に疑問を突きつけ、日本の教育が抱える問題点をあぶり出している。

なお、「垂直的序列化」とは相対的で一元的な「能力」に基づく選抜・選別・格付のことだ(著者はこれを「日本型メリトクラシー」と呼ぶ)。
しかも近年では、「生きる力」や「人間力」といった、学力面以外の評価基準(「ハイパー・メリトクラシー」)も重要視され、新たな序列化が生じているという。
「水平的画一化」とは、ある団体に対して特定のふるまい方や考え方を求めることで、戦前の「教育勅語」が皇民を作り上げようとしたケースが典型例だ。
近年では教育についての法律や公的な目標において「能力」「態度」「資質」という言葉を重要視し、人々の精神に影響を与えようとしているという。
本書ではこれを「ハイパー教化」と呼び、「道徳」の教科化や、「ブラック校則」「二分の一成人式」なども、形を変えた水平的画一化だと警鐘を鳴らす。

道徳の教科化で男女不平等に?
「道徳」について書かれているのは、第6章と最終章だ。
道徳が「特別の教科」になったことで、学ぶべき項目が「正直、誠実」「節度、節制」など、指導の観点とともに細かく定められ、個々の児童生徒の評価がなされるようになった。
著者はこれに、次のような危機感を示している。

「学習指導要領では「道徳」の授業では「考え」「議論する」ことを求めているが、実際には「指導の観点」に適合するような「態度」を示すことが、授業及び評価というルートを通じて明示的・暗示的に強く求められているのである。
これは、児童生徒の心のあり方を一様に規定する水平的画一化の最たるものと言える。(p188〜189)」

つまり、子どもが良い評価を得るために、教師の求める考えに(集団で)合わせてしまう、合わせない子は評価されないという、かねてより危惧されていることが起こるのだ。
現場の教師の力量次第といった面が大きいが、多様性が叫ばれる中、そもそも「望ましい考え方・態度」が基準として明示されていることに違和感を覚える。

本書は、すでに子どもたちが道徳教育の影響を受けつつあると示唆していた。
都内のある区の公立中学校10校の生徒約1800人を対象とした調査で、次の4つの意識が、どんな生徒に強いか検証されている。
「国を愛することは大切だと思う(愛国心)」
「ルールを守らない人は厳しく罰した方が良いと思う(ルール順守)」
「自分の考えよりも先生や先輩の指示に従うべきだと思う(上位者への服従)」
「"女性は家庭で家事や育児を行い、男性は働いて家計を支えるのが普通だ"と思う(性的役割分業意識)」

結果として、「校内成績」が高い生徒は「ルール順守」意識が強く、「クラス内影響力」が高い生徒と「道徳の授業内容が好き」という生徒は、「愛国心」「ルール順守」「性別役割分業意識」のすべての意識が強いと分かった。
つまり、どちらかといえば、教師から高く評価される子どもに、その傾向が強いと言えそうだ。
背景として政権による右傾化が指摘されており、これら4つの意識は言わずもがな、過度なナショナリズムや盲目的な前例踏襲、男女不平等や女性の社会進出の停滞など、さまざまな弊害をもたらすと著者は指摘する。

前述の、ツイッターでジェンダーバイアスを懸念した人も、同様の危機感を持っていただろう。
何よりも問題なのは、これらの意識が、若者たちに閉塞感や無力感をもたらしている恐れがあることだ。
著者はこうした弊害を打破するために、「水平的多様化」が優勢となる解決策を具体的に示している。
少しでも実現することを望むばかりだ。

模範的な子どもを育てようとすれば、どこかに歪みが生じる
本書を通じて、教育は時代や政権・経済に左右されると分かることも興味深い。
子どもたちにどういう教育を施すかという方針には、良かれ悪しかれ、その国の社会が「どんな人間を求めているか」が表れる。
しかし誰かにとって都合の良い、模範的な子どもや有能な人材を画一的に育てようとすれば、どこかに歪みが生じるものだろう。
親に限らず、他人を教育・評価する立場にある人は、本書が訴える諸問題を一度は認識しておくべきだと感じた。
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2021年06月09日

教職員組合に諫言 「平和や憲法は大事でも、実務がこれでは…」

教職員組合に諫言 「平和や憲法は大事でも、実務がこれでは…」
2021.6.8 Diamondオンライン
ダイヤモンド編集部 松野友美:記者

『週刊ダイヤモンド』6月12日号の第1特集は、「教師大全 出世・カネ・絶望」です。
絶望を深める過酷な現場とともに、出世や人事、給与の面で教師の実態に迫り、彼らが抱える問題を多方面からえぐり出しました。

若い教師は「日教組に入るな」 と親から言われている 
――教師の労働組合(公立では教職員団体)には、長い歴史を持つ日教組、そこから分裂した全日本教職員組合(全教)、最近では私学教員ユニオンなど、いろいろな組合があります。
しかし加入率はどんどん下がり、今や非加入が7割(公立学校教職員の加入状況)で「組合離れ」が起きています。
A先生のエリアは組合がパワーを持っているんですか。

九州の公立学校教師A 組織率はとても低くなっていますけどね。

――どちらの組合?

教師A 日教組です。私はイデオロギーが入っていて選挙活動もバリバリやる。
市、県、国などに議員を出すことを目指します。
 でも、職場ではそういう話はできません。
田舎で保守的な土地柄なので。若い教師からは「日教組に入るなと親から言われています」とか「組合って政治活動ばっかりしているんですよね」とか言われます。
実際にパワハラに遭った人とかは加入してくれるんですが。
 私自身も組合に助けてもらった経験があります。
組合員は職場の小さな声を拾って組合上層部に上げていく活動を続けているし、歴史が長い分、培った知識は生きてはいます。
 世の中に出回っている組合のネガティブな話を耳にした若い人たちが「組合って駄目なんだな」と思い込んで参加してくれないままだと、衰退していくよねと思ったりします。

――A先生自身や周囲は職場の労働環境改善にも取り組んでいるにしても、日教組に限らず年配の組合幹部にはイデオロギーの活動ばかりの人がいませんか。

首都圏の私立学校教師C 現場の中で感じるのは、失礼ながら先輩幹部たちの実務的な能力が弱いこと。
労働協約(使用者と労働組合の間の取り決め)なんて結ばなくたって口約束で大丈夫だと言ってきたり、就業規則や法律系の知識がない。恐ろしいぐらいに。
 介護のために短時間勤務できるはずなのに、組合員に対して、「いや〜、就業規則にないから駄目ですね」と言って退職させちゃうなんてことが起きているんですよ。
 平和だとか憲法だとかは大事でしょうが、実務の力がこれでは「何だよ、職場の労働問題も解決できないのに」と見られてしまう。
同僚たちから信頼を得られない。

学校の労働問題に詳しい労働組合(労組)関係者D 
それはまっとうなお話なんじゃないですか。
私は組合の人に言ったことがあるんです。
平和だとか憲法問題で国家権力と闘っているけど、もっとわがままに自分や身近な仲間を守る闘いをすればいいじゃないかって。嫌みでなく、本心から。
 あのときは私、誤解していました。大きい敵だから彼らは気楽に物が言えたんですよね。
身近な敵と闘ったら、攻撃を食らってしまう。

首都圏の公立中学校教師B Dさんの言う通りなんですよ。
私はアウトロータイプでつるむのが好きではなくて組合に入っていないんですが、私がパワハラに遭っているとき、組合の人は見て見ぬふりでした。
日教組も頼りにならなくて、校長や管理職とつながって私に嫌がらせをする人もいました。

教師C 若い子たちは組合ってなんか怖いなと思っている一方で、頼れるものが欲しいとも思っています。
「教職員組合はアカだ!」みたいに悪く宣伝する勢力もあるけど、そんなものを乗り越えられるぐらいに、職場で教師が生きるために必要な存在であると認識してもらえるか。そこが勝負どころだと私は思います。

非正規はへつらわないと 正規になれない圧力
学校の労働問題に詳しい労組関係者E 若者の視線で言えば、非正規雇用の教員が増えており、組合がその受け皿にどれだけなっているのかというのも大事ではないですか。
今の私立学校では、卒業後にストレートで専任(正規職員)になれる道は細くて、4割が非正規雇用。
正規雇用というニンジンをぶら下げられながら働き、合理的な理由もなく雇い止めされて学校を転々としています。

教師C うちの組合は、ハラスメントがあってもすぐに辞めないように相談を受けたり、職能を身に付けて正規の登用試験に受かるようにサポートしたりしている。
そうした経験を経た教師は、非正規の人たちに対する良いまなざしを持っていますから、一緒に非正規の問題に取り組んでくれる。そういう戦略でやっています。

教師B 若い非正規教師は、常にへつらっていないと正規になれないなっていう圧力を感じていると思います。
校長の推薦があれば正規になりやすいですから。

教師C 教師のブラック問題の構造って、この座談会で出てきた昇給の査定だとか、非正規から正規になれるか否かとか、そういうところでしっぽ振り競争をするような構造が出来上がっている。
特に非正規教師はしっぽを振らないとご飯を食えないから、いやが応でもなびいて、無理して働かざるを得ません。  
労働組合はそれに対して力を発揮できているかというと、うまくできていない感じがします。

労組関係者E 正規だと年功処遇で安定しているけれど、非正規は同じ仕事をしているのに年収で200万円ぐらいしかもらえなかったりする。
若い世代が切実なのはそういうところにあります。
ここの受け皿になるのが労働組合を再生するきっかけにもなるんじゃないでしょうか。

――労働問題を抱えながらも、お三方はなぜ教師を続けるのですか。

教師A 私はもともと子どもが好きで、子どもたちと一緒に楽しくやっていきたかったので。
教師って業務の範囲が広いから、忙しいけれど楽しめる面もある。

教師B 私が就職した当時、教師は裁量労働制が一番進んだ労働形態でした。
部活指導やデスクワークの残業も多くて、時には深夜まで働くこともあった。
それでもテスト期間の午後とか夏休みとか、裁量労働で休めました。
ところが今は、「勤務時間を守りましょう」となった。
残業代も出ないのに。もっと給料が良くて首にならない仕事があるならそっちをやりますよ。

教師C 教師は社会的に意味のある仕事という認識があるのと、仕事としてやっぱり面白い。
教え方を工夫すると子どもの反応が良いものも悪いものもいろいろ出てくることにすごく面白みを感じるんです。
先輩たちがいろんなものを積み重ねて、実践や手法を編み出したのを学ぶのも楽しかった。
 今、大変な中でも続けているのは、子どもたちは教師の鏡みたいなところがあると感じるから。大変でも自分で手を動かしてやっていくということを、教師がしっかりやらなくちゃいけないと考えています。
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2021年08月04日

消えた工場、桑畑…地図記号の廃止・誕生の背景にある「社会の変化」

消えた工場、桑畑…地図記号の廃止・誕生の背景にある「社会の変化」
2021.8.3 Diamondオンライン(山岡信幸)

世の中の変化とともに、子どもの頃に学んだ「地図の常識」が大きく変わっている。
風車や老人ホームといった新たな地図記号が登場する一方、電話局や桑畑の地図記号は消えた。
社会の変化を移す鏡ともいえる地図。その興味深い変化を見てみよう。
※本稿は、山岡信幸著『激変する世界の変化を読み解く 教養としての地理』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

POINT
★地図記号は産業・社会の変化を反映して、廃止・追加されている
★地図の世界は、紙の上からコンピュータやネット上にお引っ越し
★登山好きにお馴染みの「三角点」が、その役割を終えようとしている

新たな地図記号と廃止された地図記号 見えてくる「社会の変化」とは?
 中高生の頃、地理の授業に地図帳を忘れて、隣のクラスに借りに行ったことのある人はいませんか?
 私の講義では、つねに地図帳を開いて受講するようにお願いしています。
地理を学ぶうえで地図は不可欠のツールです。
ところで、地図帳もそうですが、日本で用いられる地図の多くは、国土交通省に属する国土地理院という機関が作った地図(地形図・地勢図・国土基本図など)を基にしています。

この地図の世界も近年大きく変化しています。
「地図の変化」というと、よく話題になるのが地図記号の変化です。
地図記号もまた、社会の変化を表しています。
地図記号 新.jpg地図記号 新.jpg
「風車」は風力発電をはじめとした再生可能エネルギー(自然エネルギー)の普及、「老人ホーム」は人口の高齢化、「自然災害伝承碑」は地球温暖化などによる災害の増加を背景にしています。
地図記号 廃止になったもの.jpg
「電報・電話局」の記号は、電話と電報を意味する Telephone&Telegramの頭文字を図案化しています。
1985年、中曽根内閣の行政改革の一環で、公営企業の電電公社(日本電信電話公社)が民営化されてNTTになりました。
民間企業を特別な記号で表す必要はないということでしょう。
ただし、1987年に日本国有鉄道(国鉄)が民営化されてJRとなりましたが、路線を表す地図記号(白黒のシマシマ)は、今も私鉄路線(ゲジゲジ)とは区別されています。

 また、産業の変化も地図記号に反映されます。
 製塩業は、かつて塩田(塩浜)を利用して行われていました。
砂浜海岸に設(しつら)えられた広大な塩田に潮の干満を利用して海水を引き入れ、天日で蒸発させて鹹水(塩分濃度の高い水)を得て、これを濾過して釜で煮詰めるのです。
これが江戸時代に始まった入浜式塩田です。
晴天が続く必要があるため、年間降水量の少ない瀬戸内地方でとくに発達しました。
この地域では、日本列島に雨をもたらす季節風(モンスーン)が南北の山地(四国山地・中国山地)に遮られるために年中少雨となります。
「忠臣蔵」で知られる浅野内匠頭の赤穂藩(兵庫県南西部)も塩づくりが盛んで、全国的なブランド「赤穂の塩」は藩の専売品でした。
 塩は、日露戦争後の1905年には国の専売品となって財政を支えます。

第二次世界大戦後の1948年頃から、もっと効率的な流下式塩田(表面に粘土を張った流下盤や、竹を組んだ枝条架に海水を流して、太陽熱と風で水を蒸発させる)への切り替えが進みます。
そして、1972年に天候に左右されない工場内で行うイオン交換膜法(電気を使った海水の透析)が導入され、塩田は不要になったのです。
しばらくして、地図記号も不要になりました。

塩田の跡地は一部で工業用地に転用され、瀬戸内工業地域の形成に役立ちました。
最近はメガソーラーの建設用地にも活用されています。

 桑畑の記号が消えたのは、繊維産業の変化を示しています。
昔は日本中の農村で桑の木を見かけました。
生糸を作る製糸業、それを支える養蚕業は農家にとって重要な収入源でした。
とくに、水田耕作に向かない扇状地の斜面などには桑畑が広がっていました。
 しかし、戦後に生活の欧米化で日本人が絹織物の和服を着る機会が減り、化学繊維の発達や輸入生糸の利用もあって国内の養蚕業は衰退しました。
繭を作る蚕の餌となる桑の葉も不要になったのです。

扇状地の土地利用は、果樹園などに変化しました。
扇状地は粒子の大きい砂礫が堆積した地形ですから、水はけと通気性が良く、傾斜があることで日当たりも良くなるため果実の栽培に向いているのです。
扇状地の多い甲府盆地(山梨県)ではぶどうや桃、山形盆地では桜桃(さくらんぼ)、といった特定の果物の栽培に力を入れ、特産品に育
 さて、ごく最近まで地図てあげました。

デジタル化する地図づくり 役割を終える「三角点」
以前は地図=紙でした。
ところが人工衛星やインターネットの発達は、地図の世界も大きく塗り替えました。
「ぐるなび」で検索した居酒屋の場所も、スマホで確認した取引先へのルートも、カーナビで見た渋滞情報も、デジタルデータ化されて端末などに表示されています。
国土地理院の地図もデジタル化されており、ウェブサイト「地理院地図」で閲覧できます。

従来の地形図が表示されるだけではなく、縮尺も自由に変更できるし、古い地形図や各時代の空中写真、衛星画像、陰影をつけた起伏図なども簡単に表示できます。
地形を分類した土地条件図、活断層図などは防災にも役立ちます。これらの重ね合わせも可能です。

 複数の静止衛星から電波を受信して、現在地の緯度や経度を正確に測ることのできる GNSS(全球測位衛星システム)による正確な位置情報は、地図づくりにも活用されています。
誤解されやすいのですが、有名なGPSはアメリカ合衆国が運営するGNSSの一固有名詞にすぎません。
ロシアのGNSSはGLONASS(グロナス)、EU のGNSSはGalileo(ガリレオ)といった具合です。

 全国約1300カ所に置かれている電子基準点はGNSSの電波を受信し、かつての三角点に代わって地形図製作の基準となっています。
 三角点といっても、三角形の“何か”があるわけでなく、花崗岩などでできた柱石です。
三角点は、「三角測量」という測量方法に由来する名前なのです

三角測量をごく単純化して説明すると次の図のようになります。
地図記号 三角点.jpg
 明治の初めに、イギリスからのお雇い外国人に指導を受けながら東京に13カ所の三角点を設置して以来、三角点は全国10万カ所に置かれ、正確な地形図づくりに活かされてきました。
しかし、GNSSや航空測量の発達に伴って地上での測量作業は行われなくなっています。

工場の地図記号が使われなくなったのもこれに関係するようです。
中小工場は現地に出向かないと利用実態がわからないため、航空測量による作図では省略せざるを得ないのです(大きな工場は工場名を文字で記入しています)。

 2014年8月、国土地理院の検討委員会は「10年後には三角点は測量の基準としては使われなくなる」と発表しました。
しかし、登山をしていると山頂などの見晴らしの良い場所で見つかる三角点には親しみを感じる人も多く(私もその1人です)、すべての三角点が撤去されることはなさそうです。
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2021年09月30日

小6女児いじめ自殺 校長の“仰天言い訳”

小6女児いじめ自殺 校長の“仰天言い訳”
2021年09月29日 文春オンライン

 東京都町田市の小学6年生の上野香織さん(仮名)が、2020年11月30日、いじめを訴えて自殺した問題で、児童が持つタブレット端末のチャット上に書き込まれた悪口が「ハッキング」で消されたと、小学校の校長(当時)が遺族に説明していたことが「週刊文春」の取材で分かった。
小誌が入手した、香織さんの両親が昨年12月25日に校長と電話した際の音声データ(音声は 「週刊文春 電子版」 で公開)に残されている。

■加害児童がチャットへ書き込んだ悪口が消えていた
 香織さんの学校では児童一人に一台のタブレット端末が配られており、先進的なICT教育で知られていた。
このICT教育をけん引していたのが、当時の校長だった。
だが皮肉にもこの端末のチャット上で、香織さんへの「きもい」「死ね」などの悪口が複数の児童によって書き込まれていたのだ。

 彼女の死後、学校側は加害児童などへの聞き取り調査を行っていたが、なぜか加害児童二人がチャットへ書き込んだ悪口が消えていたことが判明した。
これについて、昨年12月25日に両親が校長と電話した際の音声データでは、両親は「香織のチャットは全て閲覧できたのに、なんで(加害者)二人のチャットは消えちゃってるんですか?」と疑問を呈している。

■「分からない」「不可解」を連発
 しかしその疑問に対して校長は、「私たちもそこがすごく疑問に思ったんですよ。香織さんのは全部遡って見れてましたよね」と返答。
加害児童が消したのではないかという質問に対しても、「私たちは分からないんですけども」「なぜ消えたかっていうのはそこが私たちもすごく不可解なところなんですけど」などと、ひたすら「分からない」「不可解」を連発。
 しまいには、こんな弁明が飛び出した。
校長 「なんかですね、あのその友達の中に、入り込むみたいな動きがちょっとあったんですよ」

■証拠が消えた理由は、ハッキング
両親 「入り込む?」
校長 「つまりですね、ハッキングっていうんですか。つまり何かお助け隊じゃないんですけども、誰かの中に入り込むような、誰かが見たとか見ないとか、何か急にそんな話になったので。(チャットを)止めました。全部使えないようにしたんですよ」

 つまりいじめの証拠が消えてしまった理由は、ハッキングだというのだ。
 ICT教育推進者とは思えない“仰天言い訳”のみならず、校長はこれまで両親に対し、不誠実な対応を続けていたという。
だが今年の春、ある区の教育長に“栄転”していたのである。

■イラスト付きで“殺し方”を記したノートを作っていた
 そこで校長に事実関係を確かめるべく取材を申し込んだが、事実確認には応じず、文書で「市の第三者委員会の調査には全面的に協力する」などと回答。
さらに電話取材を申し入れたが、最後まで守秘義務を盾に、何も答えなかった。

 校長は今年3月の保護者会まで、いじめと自殺に因果関係はないとの説明を繰り返し、いじめは「解決済みだ」との認識を示していた。
だが、いじめがまったく解決などしていなかった証拠が存在する。
 加害児童たちが<香織のころしかた>という、イラスト付きで“殺し方”を記したノートを作っていたのである――。
 いったい、小学校に何が起きていたのか。

 9月29日(水)16時配信の 「週刊文春 電子版」 および、9月30日(木)発売の「週刊文春」では、このほか「殺し方ノート」に書かれていた中身、香織さんが残した「遺書」の内容、校長や学校が両親に行ってきた数々の対応を詳報。
また 「週刊文春 電子版」 では両親と校長の12月25日の電話の音声データの一部を公開している。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2021年10月7日号
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2021年12月06日

中3刺殺事件 14歳少年の「心の闇」と「学校の対応」の違和感

中3刺殺事件 14歳少年の「心の闇」と「学校の対応」の違和感
12/5(日) FRIDAY

14歳の凶行が、日本中を震撼(しんかん)させた。
11月24日、愛知県弥富市の市立中学校で、3年生の伊藤柚輝(ゆずき)くん(14)が同級生の男子生徒Aくん(14)に刃物で襲われる事件が発生した。
愛知県警はAくんを殺人未遂で現行犯逮捕。
伊藤くんは搬送先の病院で死亡した。

捜査関係者が語る。
「凶器となったのは刃渡り20pの刺身包丁。
一突きで肝臓を貫通しており、強い殺意が窺(うかが)えます。
犯行動機はいじめ。
『友人と話している時に割って入ってこられて嫌だった』
『伊藤さんが役員に立候補した昨年9月の生徒会選挙で応援演説を押し付けられた』など、嫌がらせを受けたと証言しています。

最後の決め手は11月中旬の修学旅行。
Aくんは禁止されていたスマホを持ち込み、没収されています。
本人は同級生からリークがあったと話しており、疎外感を感じたようです」

しかし、取材を進める中で浮かび上がってきたのは凄惨な事件とは縁遠い、純朴な人物像だった。
「Aくんはオンラインゲームが好きな大人しい子でした。部活はバレー部に所属。小学校時代はサッカー部で、伊藤くんと一緒のチームでした。
対して伊藤くんはクラスのリーダー的存在。大の阪神タイガースファンで、中学から入った野球部でも活躍していました」

(同じ中学校に通う生徒) 近隣に住む男性は、家族仲を明かす。
「家族関係は良かったと聞いていますよ。
兄が一人に、両親、祖父母、さらに曾祖母という7人家族です。
お祖父さん、お祖母さんとも元市役所職員。父親は4年前まで地元の自治会長を務めていた。近所ではちょっとした名家でしたよ」 裕福な家庭に育ったどこにでもいる少年。

そんなAくんが、なぜこのような犯行に及んでしまったのか。元埼玉県警捜査第一課警部補の佐々木成三(なるみ)氏が語る。
「たとえ小さな不満でも、大人と違い、人生経験の少ない子供は溜め込んでしまう。
近年の少年犯罪の傾向として、必ずしも加害者は過去に問題を起こしたり補導歴がある子ばかりではない。
むしろ大人しい子が突然、逸脱した行為を起こす”突発型犯罪”が増加しているんです」

◆「トラブルは把握していない」
事件発生当日の夜、学校側は緊急記者会見を開いた。
事件の経緯と共に焦点となったのは「いじめの有無」だ。
これについて、会見に臨んだ校長は「トラブルがあったことは把握していない」と説明した。
しかし、5日後の11月29日に開かれた記者会見で、その発言は覆(くつがえ)される。
「今年2月に行った生活アンケートで、Aくんが『いじめられたことがある』と回答していたことがわかったんです。
さらにその事実を市の教育委員会に伝えていなかったこと、動機として挙がっている昨年9月に行われた応援演説の翌月に実施されたアンケートを紛失したことも発表されました」(全国紙社会部記者)

会見では「適切な指導で対応できた」と繰り返した学校側。
だが、実は同中学校でいじめ問題が表面化するのは、今回が初めてではない。
’09年、別の男子生徒が同級生から暴力行為を受け、右腕に大怪我を負うトラブルが発生した。
生徒はいじめを学校側に訴えていたが無視され、負傷した右腕には後遺障害が残った。
この事件は’12年7月に2171万円の損害賠償請求に発展。’13年12月に弥富市が和解金100万円を支払うことで決着した。

2度目のいじめ事件が発生した同中学校。
29日の会見翌日、学校へ向かうために自宅を出た校長に声をかけた。

――当初、事件の原因について思い当たる節がないと発言されたのはなぜですか。

「最初に読んだ資料にはそういった事実は見当たりませんでした。担任も事情聴取中で、確認ができなかったんです」

――アンケートはなぜ無くなったのか。

「会見前日に職員総出で探しました。見つかってないこと以外、答えられない」

――改めて学校側の指導は適切でしたか。

「そうです。対策は間違いなく適切でした」 教育学や少年犯罪を研究する、東京電機大学の山本宏樹准教授は学校側の対応について、こう指摘する。
「弥富市が定めるいじめ防止基本方針には、教育委員会への報告義務や、アンケート調査の保存義務が書かれていますが、今回、学校側はそれらを達成できていない。
これは明らかな落ち度です。
今後は第三者委員会が組織され、教育委員会を含めて、どこに問題があったか調べられていくのではないでしょうか」
一刻も早い真相究明が求められる。

    『FRIDAY』2021年12月17日号より
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2021年12月14日

昭和の小学校に必ずあった「家庭訪問」が知らぬ間に姿を消したワケ

昭和の小学校に必ずあった「家庭訪問」が知らぬ間に姿を消したワケ
12/12(日)  Ulm

家庭訪問と保護者のパフォーマンス
子どもの小学校生活で保護者が最も緊張したり、慌てたりする日――といえば、やはり家庭訪問でしょう。
 地域によって異なりますが、家庭訪問は 「4月下旬〜5月」 にかけて行われることが多く、先生と保護者の顔合わせの意味合いもあります。
先生は移動時間を短くしようと、住所が近い家庭への訪問日を同じ日にまとめるなど、努力しています。
 家庭訪問期間は下校時間が早くなるため、子どもにとってはうれしい行事でしたが、多くの保護者にとっては神経をとがらせるものでした。

 家庭訪問の「副作用」は、家庭の生活ぶりが分かってしまうこと。
そんなわけで家はいつも以上に掃除され、普段は食卓に登場しないような高級洋菓子が用意され、保護者は 「わが家はしっかりしている」 を、先生にさりげなくアピールしていました。
家庭訪問とは単に先生と家で話をする以上の、「見栄」としての存在価値があったのです。
昭和生まれの筆者にとっては、懐かしい風景です。

 そんな家庭訪問ですが、
・平日の日中に行われる時間制限性
・コロナ禍という社会状況 などの観点から、その存在は風前のともしびとなっています。

 2011(平成23)年3月に公開された「三鷹市教育委員会定例会会議録」では、家庭訪問が議題として取り上げられ、当時の三鷹市内の公立小中学校では既に一律の家庭訪問を行っていないことが記されています。
昭和スタイルの家庭訪問は10年前に姿を消しつつあったのです。

概念は明治時代からスタート
 家庭訪問は昭和30年代以降に定着したイメージがありますが、その概念は明治時代にまでさかのぼります。
 1891(明治24)年に公布された「小学校教則大綱」には 「学校ト家庭ト気脉ヲ通スルノ方法ヲ設ケ相提携シテ児童教育ノ功ヲ奏センコトヲ望ム」 と書かれています。
要は、学校と家庭がしっかりと連絡を取り合うことが、子どもの教育にプラスになるというわけです。

 学制(学校教育に関する制度の規則)が発布されたのは1872年ですから、20年もたたないうちに上記の方針が打ち出されていたことが分かります。
小学校教育の黎明(れいめい)期に、このようなことがあったのは注目に値します。

 小学校教則大綱が公布された1891年当時、
小学校の就学率は ・男子:66.7% ・女子:32.2% と、決して高いものではありませんでした。

 当時は就労している子どもや就学への理解を持たない大人も多く、通学を働きかけるには、家庭に出向いて説得するしか術はありませんでした。
 2013年に発表された「戦前日本の「家庭又ハ其ノ他」における教育」(東北大学大学院教育学研究科研究年報・第62集・第1号)には、明治40年代、町・村長や学務委員、学校長らが不就学児童に対して家庭訪問を行い、就学を勧める話が記されています。

現在は「戸口訪問」「児童の住居確認」
 教職員らが明治期から家庭訪問を行い、不就学児童の様子をチェックするという流れは、戦後の混乱期を経て、脈々と受け継がれてました。
近代的な学校制度が全国に浸透する過程で、家庭訪問は 「学校と家庭の距離を縮めるの手段」 として捉えられてきたのです。ある意味、行われるのが当たり前な環境だったということになります。

 時は流れ、共働き世帯は増加。
保護者が平日に休みをとって家庭訪問に備えることは時代にそぐわなくなってきました。
さらに学習指導要領の改訂で授業数も増え、先生が家庭訪問に時間を割くことも難しくなっています。

 その結果、21世紀に入り
・戸口訪問(玄関先で保護者とあいさつ程度)
・児童の住居確認(特にコロナ禍) へと次第に変化してきました。

 もちろん個別に相談がある場合は、夏季休業中の学校で保護者面談を行うなど、先生は対応していますが、かつてのような「家に先生を入れる」機会は激減しています。
 ちなみに文部科学省も家庭訪問を義務化、強制しておらず、生徒指導等に関する「人権教育の指導方法等の在り方について[第二次とりまとめ]」内の「第2章第1節 3家庭・地域との連携及び校種間の連携」にも、 「家庭訪問などによって、児童生徒の家庭や地域での生活実態と生活実感を把握しておくこと(なお、その際はプライバシー等に配慮することが必要である)」 と書かれています。
 というわけで、特別な事情がない限り、現在の小学校では全児童を対象に昭和スタイルの家庭訪問を行うことはほぼありません。

高級洋菓子を食べかかった記憶
 家庭訪問の概念は1890年代から誕生し、100年以上に渡って、日本の学校教育に根付いてきました。
 しかし人々の生活様式は日々変化し、保護者にとっても家庭訪問の「優先順位」は低下しています。
昭和スタイルの家庭訪問が復活する可能性は、もう低いでしょう。

 先生に出された高級洋菓子のおこぼれに預かろうと、筆者は 「先生がどうにか手を付けないように!」 と、ユリ・ゲラー(こちらも昭和スタイル)ばりに陰から念じていましたが、そんな経験も令和の子どもたちにとっては何のことやら? なのでしょう。

日野京子(エデュケーショナルライター)
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2021年12月25日

教諭の9割「教頭なりたくない」 アンケートで目立った理由とは

教諭の9割「教頭なりたくない」 アンケートで目立った理由とは
2019/7/12  神戸新聞

 兵庫県豊岡市がこのほど、市内の小中学校の教諭にキャリアを尋ねるアンケートを初めて実施したところ、9割が教頭などの管理職に「なりたくない」と回答した。
敬遠する理由には長時間労働が大きく影響しているとみられ、育児や介護との両立への不安が目立った。(石川 翠)

 アンケートは「学校教員のキャリアと生活に関する調査」。
ウェブ上で回答する形式で、5月下旬、小学校29校、中学校9校の計全38校に依頼し、教諭278人(52・2%)から回答を得た。
 「将来、管理職になりたいと思うか」との問いに「あまりなりたくない」「絶対になりたくない」と回答したのは239人(86%)。
理由を尋ねる項目(複数回答)では、現場の魅力を理由にした「担任を持って子どもと接していたい」(119人)も多かったが、「労働時間が長い」(89人)や「労働時間が増えると自分の家庭の育児や介護等との両立が難しい」(93人)なども目立った。

 市は、長時間労働による敬遠を理由とする点を問題視する。
市によると、昨年の超過勤務時間の1カ月平均は、教諭が46時間23分だった一方、教頭は67時間32分だった。
 市は今後、男女差や要因などを詳細に分析する方針。

現在の対応策としては、教頭が担当する「学校日誌」を含む出欠や成績といった情報を一括管理できる「校務支援システム」の導入などで業務の効率化を図っている。
 6月には経済協力開発機構(OECD)が、日本の小中学校の教員の勤務時間が加盟国・地域などの中で最も長いとする調査結果を発表したことで、改めて教員の長時間労働の問題が注目され、国も改善を急いでいる。
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2022年01月20日

山田花子、“さすが”と思った長男のテストの答案用紙を公開「あなたには笑いがあるわ」

山田花子、“さすが”と思った長男のテストの答案用紙を公開「あなたには笑いがあるわ」
1/19(水)  アメバーニュース 

山田花子子供テスト.jfif
クリックで原寸大に

この日、山田は「お仕事も保育園もお休み」と切り出し「久しぶりに座って朝ご飯食べれます」と朝の様子を説明。
「今日は、味わえるわ〜」と述べ「サラダ以外は、残り物」と朝食の写真を公開した。
続けて「長男の音楽のテスト!!二学期のファイル整理してたら出てきた」と長男の音楽テストの答案用紙を発見したことを報告。

「さすが、トランペット奏者の息子!トランペットしか合ってない」と述べ、金管楽器の名前を問われている問題に対する長男の回答を公開した。
また「オーストリアの音楽家は?」という問題に「モーキャト」と回答していることに対して「モーツァルトやで!!」とツッコミ。
「音楽家の息子は、音楽の授業が嫌いらしい…」と述べつつ「音楽がダメでもあなたには笑いがあるわ!!」とお茶目にコメントした。

最後に「舞台お休みのママの分までお友達を笑かしてきてね〜」とつづり、ブログを締めくくった。

この投稿に読者からは「難しいテスト」「トランペットあってるだけでも凄い」「笑いの才能は天下一品」などのコメントが寄せられている。

  お笑い芸人の山田花子が19日に自身のアメブロを更新。
“さすが”と思った長男の音楽テストの答案用紙を公開した。
この日、山田は「お仕事も保育園もお休み」と切り出し「久しぶりに座って朝ご飯食べれます」と朝の様子を説明。
「今日は、味わえるわ〜」と述べ「サラダ以外は、残り物」と朝食の写真を公開した。

続けて「長男の音楽のテスト!!二学期のファイル整理してたら出てきた」と長男の音楽テストの答案用紙を発見したことを報告。
「さすが、トランペット奏者の息子!トランペットしか合ってない」と述べ、金管楽器の名前を問われている問題に対する長男の回答を公開した。
また「オーストリアの音楽家は?」という問題に「モーキャト」と回答していることに対して「モーツァルトやで!!」とツッコミ。

音楽家の息子は、音楽の授業が嫌いらしい…」と述べつつ「音楽がダメでもあなたには笑いがあるわ!!」とお茶目にコメントした。
最後に「舞台お休みのママの分までお友達を笑かしてきてね〜」とつづり、ブログを締めくくった。

この投稿に読者からは「難しいテスト」「トランペットあってるだけでも凄い」「笑いの才能は天下一品」などのコメントが寄せられている。
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2022年02月13日

「おかしな文章を書いてしまう人」と「文章がうまい人」の決定的な差

「おかしな文章を書いてしまう人」と「文章がうまい人」の決定的な差
2022年02月12日 Diamondオンライン

『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』著者の読書猿さんが「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に回答。
今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。

読書猿さんのマシュマロはこちら
[質問]
 趣味で小説みたいなものを書いていて、自分で読み直したのですが、助詞や句読点の書き方が違うせいか、他の人のネット小説や本屋にある小説のようなつっかえずに読める文や情景が想像しやすい文にできませんでした。
 小説に限らず、自分で文を書く時にルールというかしばしば正しいとされている文するにはどうしたらよいのでしょうか。

■好きな文章を「文節」「単語」に分解してみてください
[読書猿の回答]
 書き言葉を操るには訓練が心要ですが、その柱は3つ、入力、分析、出力です。
まず読まない人間は書けるようになりません。
しかし、ただ読み流しても定着効率は高くありません。
効率を高める鍵は分析(分解)であり、そのための工具が文法です。

 まずは他人の書いた文章の一部を取り出し(文章を読んでいて「これはいい」と思ったのを使うとよいです)、一文を文節に、そして単語に分解し、その品詞を明示し、助詞や助動詞の機能を確定し、単語の間の関係を矢印で結ぶワークをやりましょう。
他人の文章で文章分析の経験を積むと、自分の文章に対してもできるようになります。

 あらゆる技能がそうですが、まずゆっくりと意識的にできるようになった後、さらに訓練を重ねることで、意識せずに速度を上げてできるようになります。
 文法的におかしな文章を書いてしまう状態、言い換えれば、意識しないと文法的に正しい文章を書けない状態では、せっかくの貴重な認知資源をそこに費やしてしまい、「うまく書く」ところまでなかなかいけません。
 これは、書くことを楽しんだり、表現を磨いたり、よい言い回しを思いついたり、思い描いた情景を過不足なく伝える工夫を考えたり、全体の構成と細部の表現をマッチさせたりという、よい文章を書くことに回せる認知資源が減ってしまうからです。
これでは、今うまく書くことが難しいだけでなく、将来に渡って、文章を書く技能の向上を妨げます。

 地味な文章分解は、今のうちにやっておけば、一生モノです。
『独学大全』やおちこぼれのチャーチルがノーベル賞までとった文才を磨いた教えの記事にもその効用を書いてあります。
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2022年04月09日

PTA退会で子どもへの不利益をにおわされたら親が取るべき行動

「一人だけ登校班から外れてもらう」PTA退会で子どもへの不利益をにおわされたら親が取るべき行動
2022年04月08日 PRESIDENT Online

いまだに“ブラックPTA”と呼ばれるようなコンプライアンス無視のPTAは多い。
退会するにはどうすればいいのか。
長年、PTAの改革と適正化を訴えてきたノンフィクションライターの大塚玲子さんが、子どもが犠牲にならない賢い退会のしかたを紹介する――。
※本稿は、大塚玲子(著)、おぐらなおみ(イラスト)『さよなら、理不尽PTA!』(辰巳出版)の一部を再編集したものです。

■入会後に適正化を求めるなら会長と校長に手紙を
子どもが在校生の場合、または新入生でも、既に会費を納めたり活動に参加したりしているときは、改革・適正化を求めるのはいつでもよいわけですが、新学期前後は、管理職の先生も役員の保護者も忙しいので、可能なら避けたほうがいいかもしれません。
伝える方法は、校長先生と会長さんに、同じ手紙を送るのがよいかと思います。
教育委員会やP連が出した手引き(下記参照)や通知を添えるのもおすすめです。
学校評価アンケートや、PTAからのアンケートに意見を記入することもできます。

参照用サイト
奈良市PTA連合会「PTA運営の手引き」
横須賀市PTA協議会「任意加入Q&A」

■PTA総会で発言すれば問題を広く共有できる
校長先生や会長さんに手紙などで要望を伝えるだけでなく、可能なら、PTA総会に出席して、改革・適正化を求めるのもいいと思います。
というのは、手紙や文書だけだと、他の人たちに問題が共有されづらいからです。
総会の場で発言すれば、いろんな保護者や教職員に聞いてもらえますし、そのときは改善がなかったとしても、その場にいる誰かが覚えていて、何年か後に動いてくれる可能性もあります。
文書に考えをまとめて、総会のとき、みんなに配布するのもいいでしょう。
おそらくその場で結論が出ることではないので、総会では問題提起にとどめ、期限を区切って、会長や校長先生に回答を求めると、シンプルに進みます。

難しいのが、やはり発言のタイミングです。
総会は基本的に「例年通り」に行われる前提なので、出席者からの発言や提案は、あまり想定されていません。
事業や決算に関する質問を受け付ける時間はあっても、それ以外のこと、たとえば「意思確認が必要だから、入会届を配ってほしい」とか「必ず○人という委員決めをやめて、手挙げ方式にしてほしい」といった運営の適正化については、発言のタイミングが見当たらないことが多いのです。
そのため「いつ言おう?」と思っていると、そのまま終わってしまいがちです。
終わる寸前に「ちょっと待った!」と手を挙げるのもいいですが、できれば事前に会長や役員さんに相談して、発言のタイミングを用意してもらうとよいでしょう。
誰にでもできる方法ではないかもしれません。

筆者も、毎年のように一般会員として総会で適正化を求めてきましたが、「めんどくさい保護者」という視線や空気(気のせいも含め)には、いまだに決して慣れません。
でももし「面白そうだ」と思った方は、ぜひ、チャレンジしてみてもらえたらと思います。
なお、PTA総会のおたよりは、よく「欠席する場合、委任状を提出」とのみ書かれていますが、委任せず欠席する場合は提出不要です。
欠席のみ伝えたい場合や、記載された委任者以外の人に委任したい場合は、そのように書き入れて提出してもいいでしょう。

■退会は改革を促すひとつの意思表示になる
これまでPTAは「全員必ず入る」ことを前提にしてきたため、なかなか変わることができませんでした。
どれほど運営方法に問題があっても、泣く人が出ても、会員が減らなかったからです。
保護者や教職員が「賛同できなければやめる、または入らない」という選択をすることは、PTAの改革・適正化を促すためにも、大切なことです。
退会は、いつでも可能です。
希望しないのに役員にされたときでも、集まりに欠席した友人が悪口を言われたときでも、どんなタイミングでもかまいません。
会長さんか校長先生、または両方に退会届を出すなどして、退会の意思を伝えましょう。
稀に会長が「退会できない」と言うことがありますが、少なくとも校長は、PTAが任意で参加する団体であることを知っていますから、退会を認めざるを得ないはずです。

■退会によって子どもに不利益があったときは?
もし「記念品をあげない」「登校班からはずれてもらう」など、子どもへの不利益を提示されたときは、なるべく書面やメールで、校長先生&会長とやりとりするのがいいでしょう。
自分も「仕方なく我慢してやっている」という会長や役員さんは、感情的に非会員を敵視してしまうことがありますが、PTAという団体が学校施設を優先的に使うことを認めている校長は、非会員家庭の子どもの排除を止めなければならない立場です。
大体の場合、校長先生が会長や役員さんにその旨を説明すれば、子どもへの不利益は起きないはずです。

ただ、うまくいかないこともあります。
ときどき、校長まで非会員家庭の子どもの排除を認めてしまうことがあるのです。
そのときは教育委員会に相談して、校長先生に話をしてもらう必要がありますが、教育委員会も稀に、校長と同様、非会員家庭の子どもの排除を認めてしまう場合があります(「教育委員会からは指導できない」という言い方をされることが多いのですが)。
こうなるともう、あとは粘り強く話し合うくらいしか、できることはないでしょう。

教育委員会の手引きや通知を見せるのもおすすめです。
もし、子どもの「いじめ」につながるような場合には、文部科学省に相談してください。

■個人情報の扱いについては法令を根拠に主張を
個人情報の取扱いの問題については、まずは校長先生に指摘し、改善を求めるのがいいと思います。
何度も説明してきたように、そもそも正しく管理すべき個人情報を不適切な形でPTAに使わせているのは学校だからです。
話をする際はあらかじめ、個人情報保護法や、自治体の個人情報保護条例に目を通しておきましょう。
書籍『さよなら、理不尽PTA!』でも詳しく説明しています。

ただし、たまに「当自治体では、PTAへの個人情報の提供は特別に認められている」と言い出す校長先生がいます。
そういったときは教育委員会から校長先生に話してもらう必要がありますが、こういう校長先生がいる自治体は、教育委員会も同じことを言う可能性が大です。
教育委員会もダメなときは、自治体の個人情報保護を管轄する部署(総務課)に相談してください。
ここで「やっと、初めて話が通じた!」となることは、意外とよくあります。

教育委員会に対し、正しい情報の取扱いを促してもらいましょう。
ただ、残念なことに、この部署にも教育委員会から圧力がかかり、話がひっくり返ってしまうことがあります。
こうなるとあとは、粘り強く話し合うのみです。
他の教育委員会が出した手引きの、個人情報の取扱いの項目を見てもらい、それでもダメなら、地元の議員さんに相談するのもよいかもしれません。
もしそれでも改善がない場合は、学校ではなく、PTAの側の個人情報の取扱いの問題に踏み込むしかないでしょう。
そのときは、個人情報保護委員会(PPC)という行政機関に相談することも可能です。

相談の際は、PTAは学校と別の団体であることを最初に伝えておきましょう(ときどき知らない方がいます)。
なお、教育委員会等に「校長先生に対して、個人情報を適切に扱うよう指導してほしい」と相談すると、「任意の団体であるPTAに対して、行政は指導できない」と言われることが多々あります。
PTAではなく「校長先生に指導してほしい」、とこちらは言っているのですが……。
この回答には、筆者も納得しかねるところです。

■「PTAのやり方はおかしい」と思ったときに声を上げよう
一般会員や非会員の立場からPTAの改革・適正化を促す方法として、筆者が思いつくのは、ひとまずこんなところです。
なお、ここでは保護者のことしかふれませんでしたが、教職員の人たちも、可能であればぜひ声をあげてもらえたらと思います。
「PTAに入りません」「退会します」と言ったって、もちろんよいのです。
もちろん、これまでPTAが長年引き継いできたやり方について、今の役員さんたちを責めるべきではありませんが、少なくとも「おかしい」と感じたときに声をあげることは、むしろすべての人に求められる責務のようなものではないかと思います。

「おかしい」と思いながらも黙って従えば、そのやり方を認めることになります。「おかしい」と感じたことを「おかしい」と言えることが、PTAが変わるための、最初の一歩になるはずです。
書籍『さよなら、理不尽PTA!』では、PTAの役員になって適正化・改革するための具体的な情報も掲載しています。

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大塚 玲子(おおつか・れいこ)
ノンフィクションライター、編集者
1971 年生まれ。
東京女子大学文理学部社会学科卒業。PTAなどの保護者組織や、多様な形の家族について取材、執筆。著書は『ルポ 定形外家族』(SB新書)、『PTAをけっこうラクにたのしくする本』『オトナ婚です、わたしたち』(太郎次郎社エディタス)ほか。共著は『子どもの人権をまもるために』(晶文社)、『ブラック校則』(東洋館出版社)など。東洋経済オンラインで「おとなたちには、わからない。」、「月刊 教職研修」で「学校と保護者のこれからを探す旅」を連載。ひとり親。
定形外かぞく(家族のダイバーシティ)代表。
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2022年06月21日

「性教育」を毛嫌いする日本が抱えている大問題

「性教育」を毛嫌いする日本が抱えている大問題
女性の権利に対する意識低下につながっている
阿古 真理 : 作家・生活史研究家
2022/06/20 東洋経済オンライン

アメリカで中絶をめぐる激しい議論が巻き起こっている。
きっかけとなったのは、人工中絶の権利を認めるアメリカ最高裁の判決「ロー対ウェイド裁判」が覆る可能性があるという情報が漏えいしたことだ。
近く最高裁の最終意見が出るとみられる中、アメリカでは著名人も巻き込んだ「プロチョイス(人工中絶擁護派)」と「プロライフ(中絶反対派)」の戦いが激しくなっている。
一方、日本では人工中絶には配偶者の同意が必要とする母体保護法に対する批判が強まっている。

アメリカを含む多くの国では、女性が妊娠、出産、中絶など性や子どもを産むことを選択・決定できる「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)」が認められているが、日本ではまだこの意識は低いと言わざるをえない。 アメリカでの論争はけっして日本人に関係がないことではない。

本稿では日本でリプロダクティブ・ヘルス/ライツに対する理解や議論が深まらない理由が、性教育を毛嫌いする教育現場にある可能性について、作家の阿古真理氏が論じる。

中絶に配偶者の同意なぜ必要?
人工妊娠中絶ができる飲み薬2種類について、厚生労働省が「投薬や服薬には配偶者の同意が必要」という見解を5月17日の参議院厚生労働委員会で明らかにしたことに対し、批判が広がっている。
これらの薬は、昨年12月にイギリスの製薬会社から日本での使用を認めるよう申請されている。
日本では現状、中絶の方法は手術しかないが、すでに70以上の国と地域で経口中絶薬は承認されている。
厚生労働省子ども家庭局母子保健課に発言の意図を問い合わせたところ、母体保護法に基づいたとのこと。

法律を確認すると、第14条で、母体の健康を著しく害するおそれがある、あるいは暴行などで妊娠した場合は、「本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる」とある。
ただし、「配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき、又は妊娠後に配偶者がなくなったときには本人の同意だけで足りる」ともある。

批判の焦点は、レイプその他で相手と連絡を取りたくない、相手がわからない場合もあるのに、なぜ配偶者の同意が必要と言うのか、ということにある。
しかし、母体保護法はそういう場合の例外も、きちんと記している。
発言とその内容に関する報道からは、その例外が見えにくい、あるいはそれ自体がきちんと周知されていないことが問題だったと言える。
法律は時代に合わせて変えていける。
今は、中絶の前提として、配偶者の同意が必要と、法律の条文の最初に書く必要があるかを考える時期なのではないだろうか。

厚労省からは、「国民の価値観・家族観を注視しながら、今後も適切な運用を心がけていきます」という回答が得られた
問われているのは、私たち国民の価値観である。
そこで、中絶の権利を含むリプロダクティブ・ヘルス&ライツ(性と生殖に関する健康と権利)とは何か、改めて考えてみたい。

性に関する意識や制度が遅れている日本
自分の体は自分のモノ、とするリプロダクティブ・ライツは、1970年代のフェミニズム・ムーブメントのときから強く主張されている。
1994年にカイロで開かれた国際人口開発会議で提唱されるなどした、国際的に確立した女性の権利である。
日本では、生殖に関わる過程で健康な状態にあることを指す「リプロダクティブ・ヘルス」と組み合わせ、「リプロダクティブ・ヘルス&ライツ」という概念がよく使われる。

2000年の男女共同参画基本計画で、このリプロダクティブ・ヘルス&ライツは、女性の人権の1つとしている。
しかし、性に関する意識や制度が遅れがちな日本で、リプロダクティブ・ヘルス&ライツは本当に確立した権利になっているのだろうか。
「中絶するかしないかは女性の権利で、この問題についてはちゃんと考えないといけないと思います」と話すのは、東京都足立区立中学校で保健体育教師として長年、性教育の授業に携わってきた樋上典子氏だ。
「授業では、いい悪いは一切言いません。中絶するなら、母体保護指定医師がいる病院をちゃんと選ぶこと、初期のほうが体にもお財布にも負担がかからないという話はします」

しかし、日本の教育現場では、中絶の権利以前の問題が山積している。
学習指導要領が「妊娠の過程は扱わないものとする」と歯止め規定を設けてきたため、性交によって妊娠することを教えない学校が多いからだ。
しかし、樋上氏は長年、性交によって妊娠することをきちんと教えている。
段階を追って性は大切なこと、と男女共修の授業で教えているため、生徒たちは恥ずかしがらずに受け止めるという。
樋上氏は、別の中学校の男性教師から「『なんで精子と卵子がくっつくんですか』と聞かれて、『高校生になったら教わります』とごまかしてしまいました」と言われたことがある。

しかし、高校でも"歯止め規定"は有効だ。
樋上氏は関東学院大学でも非常勤講師として「性の健康学」を教えており、選択授業だが400人がオンラインで受講している。
授業でアンケートを取ると、「性についてちゃんと学んでいない学生が多く、『男はこうあるべき』『女はこうあるべき』という考えが見え隠れすることがある。
しかし、多くの学生が関心を持って履修してくれ、授業を受けることで変容することがうかがえる感想がたくさん届くので、うれしい」。

恋愛が自分事として切実な大学生は、束縛しようとする相手にも合わせたいと考えがちだが、「中学生は恋愛経験が少なく、客観的な恋愛観を学ぶことができます。
どっぷり恋愛に浸かる前に考えさせるのは、大切なことです」と語る。

授業で高校生カップルを想定した議論
学校で性教育をきちんと教えなければ、妊娠するリスクも、そのリスクを避けるために避妊や中絶があることも教えられない。
それゆえ、生活力もなくパートナーシップも十分に育めないまま妊娠すると、人生がゆがんでしまうこと、そして、それを防ぐにはリプロダクティブ・ヘルス&ライツが重要なこと、までたどり着けない。
樋上氏は中学校で高校生のカップルを想定した授業で、セックスで妊娠したらどうするかを議論させ、最初と最後にアンケートを取る。
高校生になるとセックスの体験者が増えるので友だちから相談されるかもしれない、と話すと生徒たちは真剣になる。
議論でさんざん悩ませた後に、避妊と中絶の方法を伝えると、より深く理解すると言う。

「コンドームは、けっこう皆知っていますね。
低用量ピルも4、5年前は2割ぐらいしか知らなかったんですが、最近は報道が多いので知っている生徒が増えました。
日本では手術で中絶することを知らない生徒が6割近くいます。
手術可能な時期が限定されていることを知っている生徒になると、20%以下しかいない。
私は必ず『時期があるんだ!』と強調します」

授業前は、2人が合意すればセックスをしてもいいと思っていた生徒たちが、授業後は慎重に考えるようになる。
正しい知識をもとに適切な性教育を行えば、生徒たちはちゃんと受け止めて考えるようになるのだ。

「寝た子を起こすな、とよく言いますが、上手に起こしてあげることが大事。放置していたら、AVなどで学ぶしかない」と樋上氏。
また、「授業で同級生たちの意見を聞くことは、教師が教えるより説得力を持って心に響く」と話す。

学習指導要領が肝心な点をぼかしてきた理由
小中高校生に早いと考えるなら、いつなら教えても大丈夫なのだろうか。
地方では、高校を卒業してからほどなく結婚する人もめずらしくない。
社会人を全員集めて性教育を行うのもほぼ不可能だろう。
リプロダクティブ・ヘルス&ライツを知っていようがいまいが、望まない妊娠をする、あるいは妊娠させるリスクに、子どもたちはさらされている。

なぜ学習指導要領は、肝心な点をぼかしてきたのか。
性教育の歩みを確認してみよう。樋上氏は40年ほどの教員生活の中で、性教育の変化のただなかにいた。
1980年代後半、HIVの世界的な感染拡大を背景に、性教育ブームが起こる。
足立区では、性交を含めた授業を小中学校連携でどのように進めるか検討する、性教育資料作成委員会が結成された。
1992年には小学校でも保健の教科書ができ、性に関する指導が盛り込まれるなどしたことから、「性教育元年」と言われた。 ところが、2000年頃からバックラッシュが始まり、性交を教えることへの批判が起こる。

2001年に母子衛生研究会が作成した中学生向けの教材『思春期のためのラブ&ボディBOOK』は翌年、自民党の山谷えり子衆議院議員(現在は参議院議員)が国会で「行き過ぎたジェンダーフリー教育」と批判し、全国でテキストを回収するきっかけを作った。
その翌年には東京都立七生養護学校(現東京都立七生特別支援学校)の性教育が、古賀俊昭東京都議などから批判され、教員が処分される。
この影響で、「私も何度か教育委員会に呼ばれ、危険な性教育をしないよう言われました。
一緒に実践を検討してきた指導主事に言われたときはさすがに驚き、怒りがこみ上げました。
でも、指導主事も立場上、苦しかったでしょうね」と、樋上氏は明かす。
学校現場が萎縮していった様子が、こうした話からうかがえる。

七生養護学校事件は裁判になり、2013年に最高裁で原告側が全面勝訴している。
そのあたりから風向きが変わり始めた、と樋上教諭は感じている。
2015年、文科省主催で行われた性に関する学習の講習会を受講したところ、あおもり女性ヘルスケア研究所所長で産婦人科医の蓮尾豊氏がピルについてパンフレットに書いていたので驚き、「先生は中学生に避妊・中絶について教えることをどう思いますか」と手を挙げて質問したところ、「絶対に必要です」と断言された。
そこで、仲間や校長に「文科省が変わった!」と資料を送った。

2018年には、再び古賀都議が性交を教える樋上教諭らの教育を問題視し、都教育委員会が足立区教育委員会に介入するなどしたことが、朝日新聞などで大きく報道された。
この事件はしかし、メディアが大きく報じたことで、現状の性教育の不足についての関心を高める結果になった。
#Me Too運動が盛り上がり、性の問題に対する関心度が高い時期になっていた。
樋上氏がバックラッシュの時代でも、正面から性に向き合う教育を行ってこられたのは、周囲の理解があり、仲間がいたことが大きい。

バッシング前によく授業の見学に来た校長は、「性に対する考え方が変わった。子どもたちにとって、絶対に必要な授業だ」と称賛し、教育委員会にも見学に来てもらうなどしていた。
樋上氏の中学校の性教育プログラムは、授業見学に来た教師たちから称賛はされるが、歯止め規定の影響で実施は広がらない。
公務員のままでは声も上げられない、と正規職員の立場を今春、樋上氏は手放した。
世の中を変えるために、仲間と作った性教育の本を7月に刊行し、そうした性教育を広げる活動をしようと考えている。
来年度には、性暴力根絶を目的とした文科省のプログラム「生命(いのち)の安全教育」が全国の学校で行われるようになるが、ここでも性交については記されていない。

「なぜ性器が大事なのか、なぜ無断で人の体を触ることがいけないのか、という科学的なことを伝えないで、『守りましょう』だけでは、子どもたちへの説得力に欠けるのではないでしょうか」と樋上氏は批判する。
このままではいけない、と危機感を持った人々が近年、家庭向けの性教育本を次々と刊行している。
しかし、それだけでは一部の人しか、子どもへの伝え方を学ぶことはできない。

学習指導要領で性をきちんと学校で教えることを妨げるのは、日本が1994年に批准した子どもの権利条約が定める、子どもが学ぶ権利とあらゆる暴力・虐待・搾取から守られる権利を守っていないことになるのではないか。

性についてわからなければ権利もわからない
性交をきちんと教えなければ、リプロダクティブ・ヘルス&ライツについて、理解することもできない。
性教育をきちんと受けられなかった大人たちは、性が豊かな人生と人間関係を育てるものだと理解できていないのかもしれない。
「配偶者の同意が必要」といった、女性の自分の体に対する権利を侵害する言葉に敏感に反応する世論からは、リプロダクティブ・ヘルス&ライツに関する知識があり、人権意識が高い人たちが増えたことが見えてくる。
同時にその反応からは、まだ女性の体を「子どもを産む器」とみなす人がたくさんいることもうかがわせる。

何しろ、性交についてすら、教育現場で教えられない期間が長いのだから。性交も学ばず、宿した命を奪うかどうかという決断をする重みを考えることは難しいだろう。
産む、産まないについては、一緒に生きている、あるいはその予定のパートナーがいる場合は、2人で話し合って決める必要がもちろんある。
しかし、そういう相手の子でない場合は、本人に決める権利がある。
先進国の大半は、日本と違って性交を含めた包括的性教育を実践している。
性についてきちんと知ることもできず、リプロダクティブ・ヘルス&ライツに関する知識も身に着かなければ、本当の意味で豊かな人生を送ることはできないだろう。
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2022年07月25日

眉毛整えもブラジャー着用も禁止 理不尽校則、子どもを管理対象とみなす日本の危険性

眉毛整えもブラジャー着用も禁止 理不尽校則、
子どもを管理対象とみなす日本の危険性
7/23(土)  GLOBE+

先日、福岡県久留米市の公立中学校が「眉毛を整えていた」という理由から女子生徒に対して3日間の別室登校を課したことが発覚し、市議会で「行き過ぎた指導ではないか」と問題になりました。
同じ女子生徒が、ある日ポニーテールをして登校したところ、先生から「はねた髪の毛が後ろの人の目に入る危険がある」と髪形についても注意を受けたといいます。

今春には、都立高校の話ではありますが「新年度から下着の色の指定や頭髪に関する校則が撤廃される」というニュースが話題になったばかりで、筆者は「日本の学校も少しずつ多様になっていくのだな」と思っていましたが、そうとは言い切れないようです。
なぜ日本では長年にわたり理不尽な校則が問題視され、定期的に話題になっているにもかかわらず、全面的な見直しについて一進一退なのでしょうか。

在日外国人らに衝撃 最高裁「頭髪指導に違法性なし」の判断
理不尽な校則は、地域を問わず日本全国で見られます。
大阪ではかつて府立高校に通っていた女性が「地毛の茶髪を黒く染めるよう強く指導されたことが原因で不登校になった」として、大阪府に損害賠償を求める裁判を起こしていました。
一審で、大阪地方裁判所は、女子生徒の机の教室からの撤去、座席表や名簿からの氏名の削除といった学校側の対応は許されないとし、府に対して慰謝料など30万円あまりの支払いを命じたものの、指導自体に関しては「学校の裁量の範囲内であり、頭髪指導が違法だとは言えない」と判断しています。
二審の大阪高等裁判所も同じ判断であったため、女性側は上告をしていましたが、最高裁(菅野博之裁判長)は今年6月15日付で「学校側の黒染め校則や指導に違法性はない」とし、元生徒側の上告を退けました。
この高校はかつて、原告の女子生徒の代理人弁護士に対して「たとえ金髪の外国人留学生でも規則で黒染めさせることになる」と説明しており、日本に住む外国人や外国にルーツのある人から「あまりにも差別的」と非難の声が上がっていました。 今回、最高裁が学校の黒染め指導について違法性はないと判断したことで、司法までもが多様性に否定的だということが明らかになり在日外国人の間で動揺が広がっています。

「小学生らしさ」「中学生らしさ」とは?
昨年、ある小学校の「体操着の下に(ブラジャーも含む)肌着を着てはいけない」というルールが理不尽だとメディアで話題になりました。
小学生が肌着をつけることに反対する理由として「運動時の皮膚の鍛錬」「汗でぬれた下着を着たままだと風邪をひく」という声があります。
しかし、成人した女性に対して、たとえその女性が身体を動かす必要のある仕事に就き、汗をかくことが想定されていても、「風邪をひくからブラジャーをつけるのは禁止」といったルールが課されることはありません。
もしそのようなルールがあったら、セクハラだと言われてしまうことでしょう。

では、なぜ大人の女性に対して課さないルールを、女児に課しているのでしょうか。
そこには「小学生の女の子なら、身体がそこまで発育していないはず」「小学生ならブラジャーなど必要ではないはず」といった、ルールを作る大人側の「子供とはこうあるべきだ」という思い込みがあるとみてよいでしょう。

小学生であっても胸の発育した子はいますし、ブラジャーが必要な子もいます。
そういったことを考慮せずに「子供にはこうあってほしい」「子供には子供らしくあってほしい」「だから子供にブラジャーはそぐわない」というような大人側の願望がこのルールからは見て取れるのです。
ルールを作った側に「間違った前提」があったといえるでしょう。

眉毛に関する校則についても、「眉毛を整えるのは中学生らしくない」という考えに基づいてルールを作ったのだと想像します。
しかし、相手に「らしさ」を求めることで幸せになる人はいません。 「女性だから女性らしくふるまうべき」「男性だから男性らしくふるまうべき」…そういったことが近年「時代遅れ」だと見なされ見直しが行われつつあるのに、なぜ学校現場では子供に対して昔ながらの「小学生らしさ」「中学生らしさ」を求め続けるのでしょうか。

校則がないドイツの学校
ドイツでは外国籍の子供にも就学の義務があるなど、就学に関する規定が厳しく、病気を除いて「学校に通わない」という選択肢はありません。
不登校になった子供についても、学校が医師からの診断書を求めるなど、大変厳しいものとなっています。
その一方で、ドイツの学校には日本の学校でいう「校則」は存在しません。
基本的に髪形も服装も自由です。

筆者が10代のころ、ひざに穴が開いているジーンズがはやっており、多くの同級生が穴だらけのジーンズで授業を受けていました。
アクセサリーも自由で、同級生の耳元には大ぶりのイヤリングが揺れていました。
今思い返してみても、生徒が自由な格好をしていたことが勉強に支障をきたしていたとは思いません。
前述のように、ドイツでは「学校に通うこと」は重視されますが、「学校でどんな格好をしているか」については基本的に自由です。

教育関係者も含むドイツの大人の中に「子供といえども、人間には好きな格好をする自由がある」という共通認識があるからです。
日本では一部の教育関係者の「子供は管理をしなければいけないもの」という認識が目立ちます。

「自由を奪う」以外にもある 校則の重大な弊害
校則には「子供の自由が奪われる」ということ以外にも弊害があると筆者は考えます。
たとえばブラジャーの色を規定する校則があると、先生はそれに違反した生徒を指導するわけです。
長年の学校生活のなかで「下着などの女性のもっともパーソナルなことについて、他人が言及しても仕方ない」と子供たちに思わせてしまうことは大きな問題です。
世界経済フォーラム(WEF)による今年の「男女格差(ジェンダーギャップ)報告書」で、日本は146カ国中116位でした。 日本で女性の地位が低いのは明らかです。

そんな状況を変えるためには、生徒(特に女子生徒)が将来社会に出たとき積極的に様々なことに取り組めるように学校で子供に自信をつけさせることが大事であり、細かい校則で生徒を縛り付けるのは根本的に間違っていると言わざるを得ません。
(サンドラ・ヘフェリン=コラムニスト)
朝日新聞社
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2022年08月08日

親に向かって「お前」「ババァ」「うざい」…反抗期の子供が憑きものが落ちたように素直になる魔法の言葉5

親に向かって「お前」「ババァ」「うざい」…反抗期の子供が憑きものが落ちたように素直になる魔法の言葉5
2022年08月06日 PRESIDENT Online

親が「おはよう」と言っても無視する、「お前」「ババァ」「うざい」などと汚い言葉を吐く……。
反抗期のわが子に苦慮する親は少なくない。
育児本も手がける東京学芸大学附属世田谷小学校教諭のぬまっち先生こと、沼田晶弘さんは「親がマインドセットを変え、子供に向けた話し方・言葉掛けを変更するだけで、子供の言動は変わる」という――。
※本稿は、『プレジデントFamily2022年夏号』の一部を再編集したものです。

■「うるせぇ、クソババァ!」にどう切り返せばいいか
可愛らしかったわが子が、親を避けるようになったり、汚い言葉を使い始めたり……。
「先生、うちの子、反抗期になりました」と相談に来られる保護者が、これまで小学校高学年を担当したときにもいらっしゃいました。
でも、専門書には反抗期という言葉はありません。
「反抗的」というのは、あくまでも親目線の見方です。
世の中で「反抗期」といわれている時期は、子の「自己主張期」なのです。
せっかく子供が自己主張を始めたのに、親はそれを反抗だと誤解して悲しみ、完封しようとする。
完封されまいと必死で自己主張を続ける子は「反抗的なヤツだ」と叱られる。
ところが社会人になると、今度は「日本人は自己主張ができないから世界に通用しない」なんてダメ出しをされる。
子供も大変ですよね。
親が「反抗期」だと思う時期について、わかりやすく説明すると図表1のようになります。

■一緒に暮らしている“別の人”と思ったほうがいい
図にある大きな円は「親の常識」だと考えてください。
親の常識は中心点から少しずつ広がっていって、このような円になっています。
この親に子供が生まれました。
偶然にもタイプのよく似た親子だった場合、子供の常識は親の常識と同心円で大きくなるので、ハミ出すことはありません。このケース、世間的には「ウチの子には反抗期がなかった」ということになります。
それを心配する保護者の方もいるけれど、心配は無用。たまたま、親と子のタイプがよく似ていたというだけのことなんです。

ところが、図のように、子供が成長するにつれ、親の円からハミ出した場合、世間では「反抗期が始まった」と言うのです。 でも、子供にしてみれば自然に成長してきただけのことであって、文句を言われる筋合いはない。
親の常識にとらわれず、自分の価値観をもって歩み出しているので、親としては喜ぶべき姿です。
とはいえ、突然、返事をしなくなったり、汚い言葉を使うようになったりした子供を目の前にすると、親としてはショックを受けますよね。
売り言葉に買い言葉で、親子ゲンカに発展するケースも多いはず。
「うるせぇ、クソババァ!」 「親に向かって、クソババァとは何よ!」 言い合いをしてスッキリするならいいですが、場合によってはお互いの心に深い傷やしこりが残ってしまいます。

また、毎日毎日同じバトルの繰り返しは、時間の無駄でもありますし、不毛です。
特におなかを痛めて産んだお母さんは、子供を「自分の分身」だと思いがち。
だけど、子供は決して親の分身ではありません。
遺伝子が1個違っただけで別の生き物になってしまうんです。
そう、子供は成人するまで一緒に暮らしている“別の人”と思ったほうがいいですよ。
そんな冷たい親子関係は嫌だ、という保護者の方は、ちょっと思い出してみてください。
「親ってうざいよね」なんて言っていた、思春期の自分の姿を……。

さて、ここでは自己主張期に入った子供との不毛な言い合いを避ける言葉掛けの秘訣を紹介します。
参考にしてみてください。

■場面1:「おはよう」「いってらっしゃい」の挨拶をしても無視される
言いがちな言葉「挨拶ぐらいしなさい」 ↓ 言い換えの言葉「おはよう」「いってらっしゃい」を元気に明るく言い続ける挨拶を無視される理由は単純で、「挨拶をしてもいいことがなかったから」です。
せっかく挨拶をしたのに「声が小さい」「もっと元気に」なんて文句を言われ続けてきたら、誰だって挨拶したくなくなるでしょう? 
そんなことなら黙っていたほうがトク。だから、黙るんです。
無視されたくなかったら「挨拶するとトクをする」経験を積ませてやればいい。

近所のおじさんやママ友に、子供が挨拶してきたら褒めてやってくださいと頼んでおくのも手ですよ。
親自身が元気に明るく挨拶し続けて、小さな声でも返事が返ってきたら、「嬉しいなあ」なんて、挨拶されると気持ちいいということを伝えてみてください。

■場面2:「お前」「クソババァ」「うざい」など汚い言葉を発する
言いがちな言葉「そんな言葉遣い、やめなさい」
↓ 言い換えの言葉「それは傷つくな〜」
親って指図が多いでしょ。
早くお風呂に入りなさい。宿題したの? 早く寝なさいって。子供はそれ、全部やらなきゃいけないことだとわかっているんです。
でも、目の前にゲームだの漫画だの誘惑が多くて、やらなきゃいけないことができない。
そんな自分にうんざりしているところに親が先走って言ってくるから、ついつい「クソババァ」とか「うざい」という表現になる。
まあ、子供がやるまで待てない親の気持ちもわかるので、「指図するのも親の役目なの」と言っておくのもいい。
そして、別個の人間としては、親だって子供の言葉に傷つくことがあることはしっかり伝えましょう。

■場面3●家族と一緒に出掛けなくなった
言いがちな言葉「勝手にしなさい」 ↓ 言い換えの言葉 デートに誘うように「今度の休みはどこに行こうか」親と一緒に行動しなくなるのは、親子の蜜月からハミ出してきた証拠。成長の証しです。
友達にも「お前、親と遊んでんの? ダサッ」なんて言われているんでしょうね。
それでも一緒に出掛けたかったら、恋人を誘っていると思えばいいんです。
デートに誘うなら、恋人にどこに行って何をしたいか聞くでしょう? 子供に対しても同じです。
「出掛けたくない」と言うなら仕方のないことなので引き下がりましょう。
「出掛けるから早くしろ!」「なんで親の言うことが聞けないんだ」なんて圧力をかけて詰問するのは、パワハラになってしまいますよ。

■場面4:洋服や文房具など親が選んだものを嫌がる
言いがちな言葉「何が気に入らないの?」 ↓ 言い換えの言葉「どんなのが好きなの?」これも親とは価値観や美意識が違ってきているから起こる当然の現象です。
いつまでも自分の好みがないなんて、逆に心配です。
「本物を与えたい」「親の趣味で買った洋服を着せたい」というのは、親の身勝手でしかありません。
でも年に1度だけ、身勝手じゃなくなる日がある。そう、クリスマスです。
なぜならサンタは、親の満足じゃなくて「子供の夢をかなえる」存在だから。
手紙まで書かせてほしい物をリサーチするのは、そのためです。
まずは、子供に好きなものを聞いてやってください。
サプライズがしたいなら、徹底的に子供の好きなものをリサーチすることです。
要するに、一年中サンタになればいいってことですよ。

■場面5●学校の話をしなくなる
言いがちな言葉「今日どうだった?」 ↓ 言い換えの言葉「給食の○○ってメニュー、どんな料理だった?」会社勤めの配偶者に「会社どうだった?」って聞くと、たいてい「いつも通り」って答えますよね。
学校だって職場と同じで、毎日、そんなに特別なことなんてない。
だから会話を膨らませたいと思ったら、おおざっぱな聞き方をせずになるべく具体的な質問をするといいですよ。

【親】「給食のABCスープって何?」
【子】「アルファベット形のマカロニ」
【親】「Aから食べるの?」
【子】「なわけないじゃん(笑)。でも、ベーコンが入っていて美味しかった」
雑具体的な質問なら、会話も膨らみますよ。

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沼田 晶弘(ぬまた・あきひろ)
東京学芸大学附属世田谷小学校教諭
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2022年08月12日

プロが実践!「勉強する気」をひねり出す5つの手

プロが実践!「勉強する気」をひねり出す5つの手
指導者が使っている10のメソッド(前編)
石田 勝紀 : 教育デザインラボ代表理事、教育評論家
2022/08/11 東洋経済オンライン

中1男子と小5男子の子どもがいます。
2人とも、勉強へのやる気がなく、やらせることに日々イライラが募り、どうしていいかわかりません。
子どものやる気を引き出す適切な方法がありましたら教えてください。

仮名:橋本さん 勉強へのやる気がない状況を子ども視点で見ると 「子どもが勉強しない」「勉強に対して前向きではない」「点数がいつまでも伸びない」──。
筆者のもとに届く親御さんの悩み、ご相談が後を絶ちません。
「そろそろ時間でしょ」(指示) 「学校から帰ってきたらまずは宿題をやること!」(命令)
「そんな状態だと勉強ついていけなくなるよ!」(脅迫) などと親は強引にやらせようとしますが、それでは効果は限定的です。
一時的に行動したとしても、自主的でなく無理やりだからです。
効果が持続しないからと何度も言い続け、子どもとの関係が悪化する親も多くいます。

一方、この状況を子ども視点でみるとどうでしょうか。
「やる気が起こらない」 「勉強をやる意味が感じられない」 「勉強のやり方がわからない」 といった状態でしょうか。
このようにわざわざ言語化して親には言いませんが、ふてくされる、反発する、無視するという態度で示したりします。
こうなるといくら親が言っても平行線です。
そこで、こうした事態を打開する、子どものやる気を引き出す10のメソッドをご紹介します。

これは筆者を含め、さまざまな指導者たちがよく使う方法をまとめたものです。
数が10に及びますので、前編と後編に分けてご紹介します。
今回は前編の5つです。(ご紹介する順番は重要度順とは関係ありません)

10のメソッドと家庭でできる方法を紹介 <指導者が使う「子どものやる気」を引き出す10のメソッド【前編】>

(1)勉強の前に「勉強モード」に入りやすい行動・動作を入れる
塾で子どもたちに勉強を教えるとき、いきなり「はい〇〇ページ開けて」とはやりません。
やる気がある子だけなら問題ないかもしれませんが、基本的に子どもたちは、勉強しなければいけないからとしぶしぶやっていたりします。
そうした状態で教えても、大して頭に入りません。
そこで、塾などでは雑談という名の「呼び水」を向け、徐々に勉強の話に切り替えていったりします。

では家庭ではどうすればいいでしょうか。
スムーズに勉強に入れるような“動作・行動”を入れることを勧めてみてください。
例えば、「机の上を片付ける」「お気に入りの勉強道具をそろえる」「スケジュール表を書く」「頭を使わない作業から始める(漢字練習など)」といったことです。
大人でも机に座っていきなり仕事モードに入れることは少ないのではないでしょうか。
子どもも同じです。
いきなり勉強はやりたくありません。
そこで、ワンアクション入れてみると、かなり気持ちが切り替わります。

(2)必ずできることから「積み重ねる」
子どもが勉強がイヤになる原因の1つに、「わからない問題にあたる」ことがあります。
好奇心があり、意欲が高い子は、わからない問題が出てくるとワクワクして、チャレンジしていきますが、大抵の子は一気にモチベーションが下がります。
逆に、できる感覚、わかる感覚というのは、ある意味で快感です。
この心地いい感覚が作れるようにサポートします。
例えば、小5の算数でつまずいている子がいたとします。
まずは、その子がどの部分でつまずいているか調べます。
すると小3で学ぶ分数でつまずいていることがわかったとします。
では、分数からやろうと思うかもしれませんが、そこからは教えません。
もう1つ前の“できている部分”から始めます。
それが掛け算の九九だとしたら、その計算から始めるわけです。
すでにできている部分をなぜ改めてやる必要があるのか。 考えてみてください。
小5の算数ができない子が、学年をさかのぼって小3の分数からわかっていなかったとわかったときの心の状態を。 そうとうやる気がない状況にあると思います。
その状態で、前向きに小3で習う内容を勉強するでしょうか。
そこで“できている部分”までさかのぼり、小さな成功体感を積み重ねていくわけです。

具体的には次のように話をします。
「これ(九九)できるのか! なら大丈夫。ただ少し訓練しよう。いかに早く解けるかが大事だよ」 簡単な問題だと子どもはバカにしてやらないこともあります。
ですから「いかに早く正確に解けるか」を目指していきます。
そろばんや百ます計算は、まさにこれをやっていると言えます。
すると、わからない問題は1つもなく、早く解くことに意識が向かいますので、やる気が出てくる可能性が高くなります。
できる感覚がつき、飽きてきたら次の分野に向かいます。
すると「できる」という感覚を持ったまま、次に進めるため、「できるはず」という意識で前向きに問題に取り組んでいけたりもします。

勉強の現在位置と目標が見える状態にする

(3)進捗の「見える化」
プロの先生たちの多くが行っているのが、どこまで勉強が進んでいるのかの進捗を可視化することです。
例えば授業のはじめに「じゃ、目次開けて。今、第2章の第3節まできていて、今日は第4節をやるよ。ここまでくると、全体の3分の1まで終わったことになるからね」と言ったりします。
逆に「今日は〇〇ページをやります」から勉強が始まったら、子どもたちはどう思うでしょうか。今、自分はどこにいて、これからどこに向かうのかということがわからず、先が見えずに途方にくれたりもするでしょう。
ですから、現在位置と目標が見える状態にしておくと、やる気につながることがあります。

家庭で行うとしたら、例えば次のようなことをしてみてください。
小学校で漢字の宿題やテストがあると思いますが、小5の漢字一覧をプリントアウトして、壁に貼り、終わったら赤ペンで消していく作業をしてください。
これで覚えるべき漢字が残りいくつかが「見える化」されます。

ゴールが見えないときと見えるときでは、見えたときのほうがやる気になると思いますので、ぜひ試してみてください。
勉強を始めるときの心理的ハードルを下げる

(4)中途半端に終わらせておく
この方法は、勉強ができる子たちが自学自習時によく使っている方法の1つですが、あまり知られていない方法のようです。 中途半端に終わらせるとは、例えば、問題集をキリのいいところで終わらせるのではなく、問題が(10)まであれば(8)で終わらせることや、12ページで完結する場合、11ページで終わらせておくということです。
なぜ、このような方法を取るかといえば、キリよく終わらせてしまうと、次にやるときは“始めから”になり、強いモチベーションが必要になります。
しかし、残り2問で終わる、残り1ページで終わる状況から始めるとなると、すぐにキリがいいところがやってくるため、心理的ハードルが下がります。
また、勉強ができる子たちの中には、勉強が終わったら、問題集やノートを片付けずに、そのまま開いた状態にする子がいます。
なぜなら、次に机に向かったときに、勉強道具を用意するのが面倒だからです。
その面倒さが勉強へ向かう気持ちを遮ってしまうため、いちいち用意せず、いつでも始められる状況を作っているのです。 「すぐに取りかかれる」状況を作っておくことはかなり有効です。

(5)言葉によってやる気を引き出す
「どういう声かけをすれば、子どもはやる気になりますか?」とよくお尋ねいただきます。
しかし、声かけ1つでやる気にさせることは実は極めて難しいです。
親からの言葉はとくにそうです
ときに逆に作用することもあるため、親は勉強面にはむしろ触れないほうが望ましいとお答えすることもあります。
先生という立場であれば、問題が正答できたらOKを出し、解けない問題が出てきたら、「学びの過程なのだから問題ない。結果的に理解できればいいよ」など声をかけたりしますが、親は先生ではないため、言葉がけ云々では大してうまくいきません。

親ができる子どもの自己肯定感を上げる言葉かけ
そこで親としては、「子どもの自己肯定感」を“勉強以外”で上げる言葉かけをお勧めしています。
筆者は『子どもの自己肯定感を高める10の魔法のことば』という書籍を出していますが、そこでは次の10の言葉を紹介しています。
「すごいね」
「さすがだね」
「いいね」
「なるほど」
「知らなかった」
「ありがとう」
「嬉しい」
「助かった」
「大丈夫」
「〇〇ちゃんらしくないね」

それぞれ使用には多少の注意点もありますが、要するに、承認、関心、感謝、安心といった言葉を使っていくと考えてください。
すると「心が満たされることで、本来やらなければならないと自覚していること(勉強)をやり始める」ことがあります。
これまでの事例で言えば、1週間程度使い続けることで行動が変わったというケースがあります。
自己肯定感を満たすことで、行動が変わるという方法もありますので、ぜひお試しください。
以上、今回は10のメソッドのうち5つを紹介しました。

もちろんすべてができなくてはならないものではありません。
いくつかを軽く試していただけたらと思います。
   (次回、残りの5つについてご紹介します)
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2022年09月13日

「正しさに依存させる」のがカルトの恐ろしさ

【お寺の掲示板102】
「正しさに依存させる」のがカルトの恐ろしさ
2022年09月12日 ダイヤモンドオンライン

戦前の宗教弾圧の歴史もあって、日本ではカルト規制に及び腰に見えます。
カルトの恐ろしさは、洗脳により正しさに依存させることにあります。
この陥穽(かんせい)にはまらないための教えが、仏教には含まれています。(解説/僧侶 江田智昭)

■よりどころは、法(教え)と自(自分)の両方に
 今回は、真宗大谷派僧侶の安田理深師(1900〜82)の言葉です。
 政治と宗教の問題が連日、新聞や雑誌、テレビのニュース番組やワイドショーでクローズアップされています。
お釈迦さまのおっしゃる通り、人生は「一切皆苦」(自分の思い通りにはならない)。
そのため、いつの時代も苦悩を抱え、宗教に救いを求める人が後を絶つことはありません。

 宗教と関わる際に覚えておいてほしいことは、どんな宗教に入ったところで悩みが完全に消えることはないということです。
『仏説無量寿経』の中に「身自ら之を当(う)くるに、代わる者あることなし」という言葉があります。
これは、「人生の中で苦しみに出合っても、決して誰も引き受けてはくれず、自分で引き受けなければならない」という意味であり、結局のところ、何にすがったとしても、苦悩から完全に逃れることは困難なのです。

 ところが、生真面目な人ほど人生の明確な目的や完璧な正しさを模索し、苦悩の完全な解決を求めます。
これらの課題に対する明確な答えを提示する宗教もあるかもしれませんが、そのような宗教を信仰するのは、ある意味、「他者の正しさ」に深く依存することだといえます。

 絶対的な正しさを信じさせる洗脳に近い宗教は、いつの世も存在します。
私は以前、ドイツのデュッセルドルフにある惠光寺で働いていました。
ヨーロッパ内では、特にフランスなどでカルト(フランスではセクト)に対する強い規制がありました。
 日本脱カルト協会でも活動している僧侶の瓜生崇師が、著書『なぜ人はカルトに惹かれるのか――脱会支援の現場から』(法蔵館)の中で次のようにおっしゃっていました。

思えば人生は迷いと選択の連続で、今まで様々なことに迷い、そのたびにその自分の決断を喜んだり、悔やんだり、苦しんだりしてきた。
決断はそれが重いものであればあるほど苦しいものである。
そして、自分の決断はすべて自分の人生の中で責任を取らなければならず、代わってくれる人はいない。

ところがカルトに与えられた答えによって「正しさに依存」すると、この決断の責任を自分で取らなくてもよくなるのだ。  人間は追い詰められれば追い詰められるほど、どうしても現実逃避したくなります。
そして、自ら考えて選択を行うことが嫌になり、何かに依存したくなる気持ちは理解できます。

 お釈迦さまは亡くなる直前、弟子たちに向かって、「自灯明(じとうみょう)法灯明(ほうとうみょう)」の教えを説きました。
これは、「自分(自)」と「教え(法)」をよりどころにして生きていきなさいということです。
教え(法)をよりどころにすることは当然説くとして、「自分もよりどころにしなさい」とおっしゃったのは大変興味深いことだと思います。
 煩悩から離れられない自分をよりどころにすることは危険を伴います。
ですから、仏教の教え(法)をよりどころとして、常に自分の姿と向き合い、改めることが大切です。
もちろん、このことによって、今までとは違った新たな苦悩が発生するかもしれません。
しかし、たとえ悩みから離れられなくても、仏さまが見捨てることはありません。

「共に悩めることが救いです」――安田理深師は、自分の悩みそのものを引き受けて、そのままの私を救う仏(阿弥陀仏)の存在をこの言葉で示唆しています。
つまり、完全に悩みを消滅させるのではなく、悩みを抱えた私をそのまま温かく救ってくれる仏がいることを伝えているのです。

 ですから、人びとに安心して共に悩む場を提供することが仏教やお寺の役割の一つだといえるかもしれません。
ちなみに、日本の仏教界では「自死・自殺に向き合う僧侶の会」など、人びとの苦悩に応えるための会が多数存在し、さまざまな宗派の僧侶が熱心に活動しています。
大きな悩みを抱えている方は、そのような場で相談してみてはいかがでしょうか。
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2022年10月03日

実は危ない?あの「酸素」の知られざる怖い性質

実は危ない?あの「酸素」の知られざる怖い性質
学校では教えてくれない「ヤバい物質・現象の話」3選
るーい : YouTuber
2022/10/02 東洋経済オンライン

世の中には、知ると驚くような不思議なことがたくさんあります。
宇宙の天体や、恐ろしい生物、世界の壮大な現象など、数えるときりがありません。
しかし、その多くは学校で習うこともなく、生活していても耳にすることはあまりないはずです。 ここでは『学校では教えてくれない ヤバい科学図鑑』(るーい/著、左巻健男/監修)から、「酸素」「爆薬」「衝撃波」の「ちょっとコワくて不思議な話」を科学でひもといていきます。ぜひ、お楽しみください。

@実は危険な気体だった「酸素」
●気中の酸素は窒素より少ない
人間は空気中の酸素を吸い込み、二酸化炭素を吐き出しています。
人間が生きていくためには酸素が絶対に必要です。
そんな酸素ですが、実際には私たちのまわりにある空気の中には酸素や二酸化炭素以外にもいろいろな気体があります。
実は空気中でいちばん多いのは窒素(78%)で、酸素は21%しかありません。
空気中にある酸素は、窒素より少ないのです。

●酸素が多すぎると?
酸素の量が減ると人間の体は危険になりますが、逆に酸素の量が多いとどうなるのでしょうか。
もし窒素と酸素の割合が逆だったら、もっと楽に息ができたり、たくさん動けたりするのでしょうか?
実はそうではなく、酸素が多すぎても人間の体は危険になり、吐き気やめまい、けいれんなどを起こすことがあります。これを酸素中毒といいます。

●酸素が多いと燃えやすい
1967年、アメリカのアポロ1号宇宙船が地上でのテスト中に燃えて、宇宙飛行士3人全員が亡くなりました。
アポロ宇宙船の中の酸素はとても高い濃度であったため、電気の配線から出た火が勢いを増したとされています。
このように、酸素が多いということはとても危険なことでもあるのです。
人間には絶対に必要な酸素ですが、その扱いには注意が必要なのです。

●酸素はもともと猛毒だった
太古の地球では生物にとって酸素は猛毒でした。
35億年前まで地球の大気にはそもそも酸素は存在しておらず、生物たちも酸素を使わない呼吸をしていました。
しかしその後、光合成によって酸素を作り出す生物(シアノバクテリアラン藻)が誕生したことで、猛毒の酸素が地上にばらまかれ、たくさんの生物たちが死んでしまったのです。

Aなぜ爆薬は一瞬で爆発するのか?
●一瞬で燃えつきる
木や炭は火をつけても燃えるだけなのに、爆薬はなぜ爆発するのでしょうか。
炭に火をつけると、熱やガスを出しながらゆっくりと燃えます。
ところが爆薬は、火をつけると一瞬ですべてが燃えつきるのです。
そのため、炭が何時間も燃えることで出す熱やガスを、爆薬は一瞬のうちに出してしまいます。
一瞬で燃えつきるこの現象を、爆発と呼んでいるのです。

●なぜ一瞬で燃えるのか
ではなぜ爆薬は一瞬で燃えつきるのでしょうか。
ふつうはものが燃えるときには空気中の酸素が必要です。
そのため、火をつけると空気に触れているものの表面から少しずつ燃えていきます。
しかし、爆薬は爆発するのに酸素が必要ない構造になっています。
このため、爆薬に火をつけると、表面だけでなくその内部も同時にすべて燃えてしまうのです。

●火薬と爆薬も違う
火薬は銃の弾丸を打ち出したり、ロケットを飛ばしたりと、ものを動かしたり飛ばしたりすることに使われます。
それに対して爆薬は、爆弾など、ものを壊すために使われます。そのため、火薬よりも爆薬のほうが爆発力も大きいのです。
爆薬は火薬よりも反応が速く伝わり、短い時間の中でエネルギーが出るため、同じエネルギーでも火薬より爆発力があるのです

Bすべてを破壊する衝撃波の正体とは?
●音とは何か?
空気中で、音よりも速く進むものは、衝撃波を発生します。衝撃波とはそもそも何でしょうか。
そしてなぜ発生するのでしょうか。
実は衝撃波が発生する仕組みは、音が生まれる仕組みと似ています。
音は空気が振動することで伝わりますが、それは空気が詰まっているところとあまり詰まっていないところの圧力の差が波のように伝わるためで、衝撃波ももともとの原理は同じなのです。

●スピードを上げると?
音も衝撃波も、圧力の変化で生まれる「圧力波」の一種です。
例えば、止まっているジェット機からは、エンジンなどの音はまわりに360度広がります。
しかしジェット機が飛び始めてスピードを上げていくと、ジェット機の後ろに出ていく音の波は後ろのほうにどんどん広がっていきます。
一方、ジェット機の前に出ていく音の波は、ジェット機に追いつかれてしまい、押しつぶされていきます。

●音速を超えると?
ジェット機がどんどんスピードを上げて音と同じスピードになると、音の波はもうジェット機の前に飛び出せず、ジェット機といっしょに進んでいくことになります。
そのため、ジェット機の正面では空気の圧力が一気に高くなりますが、その少し後ろでは逆に圧力が一気に低くなるため、圧力の大きな差によって、とても大きな圧力波が生まれます。これが衝撃波の正体なのです。
私たちが聞くあの「音」も衝撃波だった

●衝撃波は爆風を生む
ジェット機が音の速さ以上のスピードで飛ぶと、ジェット機の正面の空気の圧力が高まり、空気は音の速さを超えるスピードで押し出されます。
これはものすごい風になり、これを爆風と呼びます。
爆弾の爆発やガス爆発などで家が吹き飛ばされたり、ガラスが割れたりしますが、このような爆風が起きるのも、衝撃波によるものなのです。
核爆発ともなればすさまじい衝撃波が発生します。

●意外に身近な衝撃波
衝撃波はとても大きな圧力の波ですが、すぐに弱まってしまい、ソニックブームと呼ばれる大きな音に変わります。
例えば打ち上げ花火では、花火が爆発することで、衝撃波が発生します。その衝撃波が弱まってソニックブームになったものが、私たちが聞いている花火の音なのです。
また、雷の音もソニックブームの一種です。
衝撃波は私たちの身近なところでも生まれているのです。
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2022年11月25日

「いやがおうにも期待が高まる」は間違いだった? 誤用しやすい慣用句12選

「間髪を入れず」誤読多く
2022年11月24日 All About

■「いやがおうにも期待が高まる」は間違い!
間違えやすい慣用表現 「歯に衣着せず」「サバを読む」など、普段の会話の中で、何気なく使っている慣用表現。
意味をきちんと理解して使えているでしょうか。
耳で覚えた表現を、意味や読み方を確認しないまま覚えていませんか?
よく使いながらも、ちょっと自信がないという表現があれば、これを機に確認してみてくださいね。

■「耳ざわりのいい表現」はいいの? 悪いの?
音は似ているけど意味が違う」「似た言葉と混同している」など、間違いに気付かないまま使っている慣用表現は、結構あります。
▼×取りつく暇もない○取りつく島もない
「話しかけても、ちゃんと答えてくれる余裕がないほど忙しい」という状態を「取りつく暇もない」と覚えている人、いませんか?
正しくは「取りつく島もない」です。
航海中に遭難したときに寄航できるところで「島」という意味。
「島」は、頼りや助けになるもの。
つまり「頼りになるようなところがなく、どうしようもない」という意味。

▼×大目玉をいただく○大目玉を食う
上司に叱られたのだし、「食う」なんて、下品な言葉を使うなんてと「大目玉を食う」を「いただく」と丁寧語に変えてはだめ。
「大目玉を食う」という決まった言い方なのです。

▼×あたりさわらずの意見○あたりさわりのない意見
聞いたことがあるような、ないような表現ですが、これは「あたりさわりのない」と「あたらずさわらず」の2つの言葉が、混同されていると思われます。
両方「物事の核心にふれず、ほかの人やものへの影響が少ない」という意味なので、似ているのですが、言葉としては別のものですから注意しましょう。

▼×的を得た発言○的を射た発言
「得る」と「射る」は、音が似ているのでよく間違う表現ですが、「的」は「射る」もの。
「的を射た」が正しい表現です。
「得た」を使って「当を得た発言」とすれば、同じ意味でこれも正しい表現です。

▼×間髪(かんぱつ)入れずに○間髪(かん、はつ)を入れずに
「カンパツ入れずに答えた」などという風に使う人が多いと思います。
「すぐに、とっさに」という意味はあっているのですが、読み方が違います。
「間髪を入れず」は、もともと“間に髪の毛1本も入る隙間もないほど、(事態が)非常に切迫していてゆとりがない”状態という意味。
「かん、はつをいれず」が正しい読み方。

▼×いやがおうにも、期待が高まる○いやがうえにも、期待が高まる
「いやがおうにも」を漢字で書くと「否が応にも」。
意味は「なにがなんでも、有無を言わせず」。
「いやがうえにも」は、「弥が上にも」で、「さらにますます、その上に」という意味。
さらに期待が高まるという意味では、「いやが上にも、期待が高まる」が正しいです。

▼×照準を当てる○照準を定める
あわせる 「照準」は、銃の弾丸が的に当たるように、ねらいを定めることが元々の意味なので、照準そのものを標的に当てるという表現は間違い。
「照準を定める、あわせる」が正解です。

▼×汚名挽回○名誉挽回、汚名返上
これも、名誉挽回と汚名返上の2つの言葉を混同したものでしょうか。
「挽回」は、取り戻すという意味ですから、汚名挽回だと、汚名を取り戻すということになります。
「失った名誉、汚名を回復する」という意味で使うなら、名誉挽回・汚名返上が正解です。

▼×微に入り細に入り○微に入り細を穿ち
「とても細かいことについてまで質問された」というようなときに使う表現ですが、「微に入り」と「細に入り」をなんとなくリズムで使ってしまっている人が多いのではないでしょうか。
実は「細に入り」が間違いで、「細を穿ち」が正しい表現です。
ちなみに「穿つ」というのは、穴を開けること。
「微に入り細を穿ち」は、「細かいところにまで及ぶ」という意味です。

▼×耳ざわりのいい○耳に心地いい
「耳ざわりのいい言葉」という風に使う人が時々いますが、「耳ざわり」は、漢字で書くと「耳障り」。
「聞いていて不快、嫌な感じ」がするという意味ですから、「耳障りがいい」とは、全く矛盾した言葉になります。
聞いていて気持ちがいいのは、「耳に心地いい」。

▼×太鼓判つき○太鼓判を押す
絶対に確実という意味で、「○○編集長の太鼓判つき!」という表現を雑誌などで時々見かけることがありますが、「折り紙つき」と混同したものと思われます。
「太鼓判を押した」「折り紙つき」なら正解です。

▼×波紋を投げかけた○波紋が生じた
そもそも、静かな水面に物を落としたときに生じるのが波紋。波紋そのものを投げることはできませんから、「波紋を投げかけた」は間違い。
何かの発言、行為などによって影響・動揺を与えたことについては、「波紋が生じた」または「波紋が広がった」とするのが正しい表現です。

いかがでしたか? あらためて日本語って難しいと感じる方も多いのではないでしょうか。
無理に慣用句を使う必要はありませんが、間違いやすいとされている慣用表現をさらっと使いこなせたら、オフィスでのあなたの評価もグンとアップするはずです。

     (文:美月 あきこ(ビジネスマナーガイド))
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2022年12月23日

産毛剃り禁止!「ナゾ校則」が日本にはびこる真因

産毛剃り禁止!「ナゾ校則」が日本にはびこる真因
島沢 優子 : フリーライター
2022/12/21 東洋経済オンライン

もはや冗談のような「ブラック校則」はいつまで続くのか。
11月、福岡県久留米市の公立中学校に通う中学3年の女子生徒が“眉毛を剃ったのは校則違反”だと、理不尽な指導を受けたことが報じられた。
地元放送局「RKBオンライン」によると、女子生徒は「眉毛と眉毛の間の産毛を剃っただけで、校則違反ではない」と訴えたが、教員からは「それも眉毛だ」ととがめられたそうだ。

筆者も中学生のころ眉毛がつながっているのが嫌で、眉間部分の産毛を剃っていた。
産毛を剃ったくらいで校則違反なのか?と大いに驚かされた。

校則を調べられるサイトが立ち上がった
ブラック校則とは、ブラック校則とは人権や健康などを脅かす恐れのある不合理な校則のことだ。
最初に注目されたのは2017年。大阪府に住む生まれつき茶髪の女子高校生が、校則で髪の黒染めを強要されたとして学校を提訴、市民団体が3日間で約2万人の署名を集めた件が発端だ。
その後『ブラック校則』をタイトルにした映画も生まれるなど認知が広がってきたが、まだまだ撲滅には至っていない。
こうした中、学校の校則を調べられるサイトを立ち上げた人がいる。
ITコンサルタントの植山良さん(39)だ。

まずは自身が住む千葉県内にある121の全県立高校のうち、生徒の外見や行動の規制が確認できた119校の校則を公開した。自治体の情報公開制度を使い、入手した校則を細かく分類。
サイトを「School Rules Database」と名付け、誰でも無料で閲覧できるようにした。
仕事の傍ら制作に10カ月を費やした。

「多様性とか主体性が大切といわれている時代におかしいと感じ作りました。
今後は全国の全公立学校にある校則をデータベース化したい」
そう話す植山さんが作ったサイトは、校則を「服装」「装飾品」「頭髪」「化粧」「乗り物」「校外活動」「その他」と7つのカテゴリーに分け、それぞれに「下着規制」「ツーブロック禁止」「黒染め強要」などとさらに細分化されている。
これらの項目をクリックすると、該当する高校の校則が表示される。

校則の内容と学校名の2つの検索機能を備えている。
校則はより厳しくなっている 「学校名の検索は中学生向けです。高校選びの参考にしてほしい。ブラックな校則がある学校とそうでないところがチェックできます。
校則の種類(検索)は、ネット民に向けて。ヘンなのをどんどん見つけてもらってSNSなどで取り上げてもらえたらと考えました」(植山さん)

入手した校則には
「運転免許証の取得禁止」(89校=全体の75%)、
「アルバイト禁止」(66校=55%)、
「スカート丈規制」(69校=58%)と昔ながらのものが広く残存するうえ、
「Yシャツの下に下着を着用する場合は無地の紺黒白とする」といった「下着規制」が8校(7%)ある。

さらには大阪府で問題になったような髪の黒染め強要、地毛証明書提出のような人権に関わるものもあった。
ほかにも、レッグウォーマー、ルーズソックス、ニーハイソックス、ツーブロック、編み込みなど今時な高校生アイテムを禁止している。

男子の髪型規制は「前髪は男子は前髪は目にかからず、後ろはシャツの襟より長く、横は耳の半分以上にならないように」といった細かすぎるものも。
生徒たちが「マジか?」と突っ込む姿が目に浮かぶ。

昔の感覚で作られた校則が残り、時代とともに新たに増えていく。
植山さんが「(校則は)もっと厳しくなっている」と言った意味がよくわかる。
このままでは校則を掲示する生徒手帳は年々分厚くなっていきそうだ。
「新たに出てくる若者たちの楽しいアイテムを、学校はどんどん規制しているわけです。いたちごっこにしか見えません」 そう嘆く植山さんが挙げた最も「ヘンな校則」は「旅行規制」(81校=68%)。

宿泊する場合「保護者の了承を得たうえで、許可を校長に願い出なくてはいけない」などとするもの。家族旅行も含まれるようだ。
男女で旅行に行かないようにといった規制を敷きたいのだろう。
「校則チェックや許可書類のやり取りが先生方の長時間労働の一因になっているのでしょうね。
119校中81校も旅行を規制していることに驚くし、教師側が管理しやすい環境にするための校則が多いような気がします。

茶髪にしたり化粧したら、悪い人と付き合って非行に走るんじゃないか。近隣の住民からクレームが来ないよう、できるだけ規制を厳しくして問題を起こさせないようにしたいのかもしれません」(植山さん)

日本教育の歪みの象徴「ブラック校則」
3年前に定年退職した元教員の藤原明夫さんは「明治以来の上から締め付ける教育観がずっと変わっていないのが問題。ブラック校則は日本教育の歪みの象徴だと思います」と話す。
「旅行許可の申請は、出せとは言うけれど、出した生徒には学割を与えて終わり。
男女で行こうが僕らは何も気にしなかった。
そもそも校則は守られなかったし、あってないようなものでした」
そう話す藤原さんによると、校則はそもそも「生徒心得」なので生徒が作らなくてはいけないのに、大人が作ってしまったのが問題だという。

「そこが間違いだった。本来は時代に応じて生徒が変えるべきです。
生徒心得なのだから、自分たちで何を心得るか考えてもらえばいい。
生徒会が合議制で決めて、職員会議にかけてもらえばいいのです」
これに対し、千葉の県立高校に通う現役高校生の息子がいる40代の女性は「今の子どもたちは、私たちのころ以上に先生に抑圧されている」と話す。

息子の学校は「スマホ禁止」だが、調べる必要のある授業での「スマホ検索」はOK。
だが、その必要のない時間にいじっていた生徒が教員からこう怒られた。
「次やったら殺す」
学校に相談窓口はあるものの、言われた生徒も目撃した息子もこのことを伝えなかったという。
「先生が怖いのではないでしょうか。上に私立高と県立高に通った兄たちがいますが、進学校だと理不尽な校則はなくて自由だし、先生も抑圧的じゃないよねと思う。
偏差値が上の学校ほど自由で、下がると締め付けが厳しくなるという実感があります。
要は、親や教師に子どもの意思でやらせるという大人の覚悟がないんです」(女性)

これと同じ感覚が、筆者にもある。
子ども2人が数年前に都立高校を卒業した。思えば高偏差値の高校は自由服で校則がなかったりするのに、低い学校には厳しい校則が敷かれていた。

校則を盾に管理しようとするのは、教師が子どもを信用できないからだと感じる。
つまり、ブラック校則は大人の不安の表れなのだ。

日本社会の、子どもの権利への消極的評価
どうすればブラック校則をなくせるのか。
千葉県内の公立中学校の校則を調査した弁護士の1人は「植山さんの活動は、不合理な校則が可視化されることで、外部の批判を受けたり、入学者の減少がもたらされたりすることを通じ、学校の内部改革が促されるとの目的があるとお見受けした。大きな意義があると思う」と話す。

弁護士によると「子どもも権利の主体である」という意識を、大人(教員)も子ども(生徒)ももつことが、不合理な校則をなくすために必要だという。
大人側は、子どもは未熟だからしつけのため制限があるのは当然であるという意識が強い。
弁護士会の有志が行った公立中学校の校則調査で、校則の趣旨を尋ねたところ「中学生らしさを保つため・中学生には不要」といった紋切り型の理由で、服装、髪型、私生活等にわたる校則を一括して正当化する傾向が見て取れたという。

しかし、子どもも人間である以上、人権を保障される程度は大人と違いはない。
加えて、校則制定の趣旨について「厳しく制限をすることは保護者・地域からの要望でもある」といったものもあった。
現場の教員のみならず、保護者や周囲の大人にも、子どもには厳しいしつけが必要という意識は根強く「子どもにも権利がある」という意識は薄いように思われた。

「日本の社会には、子どもが自分の希望を言う、つまり、意見表明権という立派な権利の行使をすることを『生意気』と消極的評価をする風潮すら感じる。
子どもも権利の主体であることを多くの人が意識できるようになることが第一歩でしょう」(弁護士)
その歩を進めるアクセルになるのが、植山さんの活動だろう。
すでに千葉県内の市立中学校の教員から「進路指導のプリントで生徒たちに紹介したい」と問い合わせも受けた。
すでに10の都府県から校則データを回収したが、情報公開を求めた自治体はいずれも協力的だという。
47都道府県の校則を1つのサイトで一覧できる日はそう遠くなさそうだ。

植山さんは「英語版も考えています。海外の人にも日本の課題を知ってほしい。大変ですねとよく言われますが、お金にならなくても、人生で1つくらい社会的価値があるものをやってみたい」と未来を見据えた。

【植山良さんによる校則分析】
生徒の外見や行動を規制する校則が確認できた千葉県内の119の県立高校が対象。数字は規定がある高校数と対象全体に占める割合「School Rules Database」
・髪染め禁止 108校(91%)
・パーマ禁止 106校(89%)
・制服あり 105校(88%)
・装飾品禁止 100校(84%)
・化粧禁止 95校(80%)
・指定ブレザー・ジャケット 89校(75%)
・指定スカート 89校(75%)
・運転免許証の取得禁止 89校(75%)
・男女の制服区別 87校(73%)
・靴下規制 87校(73%)
・ピアス禁止 83校(70%)
・靴規制 81校(68%)
・旅行規制 81校(68%)
・指定ズボン 78校(66%)
・指定ベスト 74校(62%)
・指定シャツ 72校(61%)
・指定上履き 70校(59%)
・スカート丈規制 69校(58%)
・指定ネクタイ 68校(57%)
・指輪禁止 67校(56%)
・アルバイト禁止 66校(55%)
・コート規制 64校(54%)
・タイツ・ストッキング規制 64校(54%)
・ネックレス禁止 64校(54%)
・制服加工禁止 63校(53%)
・指定リボン 63校(53%)
・シャツ規制 53校(45%)
・マニキュア禁止 52校(44%)
・指定セーター 51校(43%)
・セーター規制 49校(41%)
・エクステンション禁止 44校(37%)
・頭髪加工禁止 41校(34%)
・かばん規制 39校(33%)
・バイク通学禁止 32校(27%)
・パーカ禁止 31校(26%)
・髪の長さ規制 31校(26%)
・カラーコンタクト禁止 30校(25%)
・ベスト規制 29校(24%)
・ベルト規制 29校(24%)
・奇抜な髪形禁止 29校(24%)
・眉毛加工禁止 28校(24%)
・色付きリップ禁止 28校(24%)
・自動車通学禁止 28校(24%)
・カーディガン規制 27校(23%)
・校外の団体加入規制 26校(22%)
・着崩し禁止 25校(21%)
・ルーズソックス禁止 24校(20%)
・イヤリング禁止 23校(19%)
・ブレスレット禁止 22校(18%)
・そりこみ禁止 22校(18%)
・口紅禁止 18校(15%)
・ひげ禁止 18校(15%)
・指定体操服 16校(13%)
・ヘアアイロン禁止 16校(13%)
・カーディガン禁止 15校(13%)
・男性の長髪禁止 14校(12%)
・指定ポロシャツ 13校(11%)
・ツーブロック禁止 13校(11%)
・携帯使用禁止 13校(11%)
・スウェット禁止 12校(10%)
・サンダル禁止 12校(10%)
・指定カーディガン 11校(9%)
・アンクルソックス禁止 11校(9%)
・ニーハイソックス禁止 11校(9%)
・長い髪は結ぶ 11校(9%)
・指定体操靴 10校(8%)
・タトゥー禁止 10校(8%)
・飲食規制 10校(8%)
・腰ばき禁止 9校(8%)
・レッグウォーマー禁止 9校(8%)
・下着規制 8校(7%)
・ヒール禁止 8校(7%)
・指定靴下 7校(6%)
・スカートの下のズボン着用禁止 6校(5%)
・授業中の防寒着着用禁止 6校(5%)
・屋内での防寒具着用禁止 6校(5%)
・つけまつげ禁止 6校(5%)
・つけ爪禁止 6校(5%)
・レインコート規制 5校(4%)
・モヒカン禁止 5校(4%)
・授業中の飲食禁止 5校(4%)
・校外の集会開催規制 5校(4%)
・ポロシャツ規制 4校(3%)
・かつら禁止 4校(3%)
・部活の強制入部 4校(3%)
・式典中の防寒着着用禁止 3校(3%)
・マフラー規制 3校(3%)
・セーター禁止 2校(2%)
・サスペンダー禁止 3校(3%)
・指定かばん 3校(3%)
・装飾品規制 3校(3%)
・一部だけ極端に長さの違う髪形禁止 3校(3%)
・指定スカーフ 2校(2%)
・かばんの加工禁止 2校(2%)
・指定運動靴 2校(2%)
・地毛証明書提出 2校(2%)
・校外の金品募集規制 2校(2%)
・ジャージー禁止 1校(1%)
・指定コート 1校(1%)
・レギンス禁止 1校(1%)
・げた禁止 1校(1%)
・マスカラ禁止 1校(1%)
・マニキュア規制 1校(1%)
・ペディキュア禁止 1校(1%)
・編み込み禁止 1校(1%)
・黒染め強要 1校(1%)
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2023年01月04日

意外と知らない「七福神」のルーツ

七福神ってなあに?」 ・・・
2023.1.3  
田中英道<ルネサンス編集部>メルマガ

七福神.jpg七福神.jpg
七福神ってなんでしょうか?
すごく身近で誰もが知る存在ですが、 一体どういう神様なのか分かりますか?
日本神話に出てくるのでしょうか。
今日はそんな、 意外と知らない「七福神」のルーツを 解説していただきました。

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ From:田中英道
七福神で注目すべきことは、 恵比寿をのぞく六福神が 外国の神様だということです。
大黒天、弁財天、布袋、福禄寿、寿老人は いずれも中国の神、毘沙門天はインドの神です。

仏教に取り入れられたり、 中国の道教や禅僧の神々で宝船に乗り込んだ姿は、 まさに「呉越同舟」です。
いずれも福の神なので、 七福神と呼ばれますが、 「笑う神」というのも珍しい存在です。

室町時代までは、 日本人にとっての世界は天竺(てんじく)、 支那と日本で成り立っていました。
そして、それらの神々が日本にやってくると、 日本の神々と融合しました。

例えば、 大黒天は大国主(おおくにぬし)と、 弁財天は天宇受賣(あめのうずめ)と 融合しました。
いったいこうしたバラバラの神々が なぜみな「笑いの神」なのでしょうか。 また「福の神」なのでしょうか。

その答えは簡単です。 日本人は人間の性格はもともと善であり、 陽気なものと考えました。
『万葉集』ではすでに大伴旅人が このように詠っています。
《この世にし らしくしてあらば 来む生には  虫にも鳥にも われはなりけむ》 仏教が入り、死後、六道の畜生道に回されても、 この世の楽しさを享受しようというのです。

仏教の教えを深刻に考えなかった証拠です。
人間はもともと自然の一部であって、 自然は心変わりがあっても、 基本は幸福に生きることにある、ということです。
この日本人の楽天性が室町時代以後、 仏教的戒律から解き放たれた日本人、 特に商人を中心にして、 自分たちの神々を作り出したのです。

すでにその元の姿を忘れて、 それぞれ日本人の善意のあふれる 福の神々を作り出し、 それが七福神の姿になったと いってもよいでしょう。
私はこれにキリスト教の日本伝来が マリア観音の形をとって融合し、 さらに近代ではサンタクロースという 子どもにプレゼントを持ってくる キリスト教の聖人が神となって、 「クリスマス」という祝日と 結びついたと考えています。

日本の「クリスマス」は八福神の一神、 サンタクロースの祭りなのです。
さらに付け加えれば、 2月にチョコレートを贈る バレンタインを入れてもいいのかもしれません。
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2023年02月15日

「苦手」は克服できる…絶大な効果を発揮する4つの方法

「苦手」は克服できる…絶大な効果を発揮する4つの方法
2023年02月14日  ダイヤモンドオンライン

誰しも悩みや不安は尽きない。
寝る前にイヤなことを思い出して、眠れなくなるなんてことも……。
そんなときの助けになるのが、『精神科医Tomyが教える 1秒で不安が吹き飛ぶ言葉』から生まれた小説『精神科医Tomyが教える 心の執着の手放し方』(ダイヤモンド社)だ。
ゲイのカミングアウト、パートナーとの死別、うつ病の発症……苦しんだ末にたどり着いた、自分らしさに裏づけられた説得力ある言葉。とても読みやすいオムニバス形式の短編集は、アナタの心が落ち込んだとき、そっと優しい言葉を授けてくれる。
YouTube「精神科医Tomyの人生クリニック」の“言葉の精神安定剤”で、気分はスッキリ、今日がラクになる!

■苦手を克服する技術
苦手でやりたくないことでも、やらなければならないことってありますよね。
たとえば、勉強や仕事。
楽しく思えればいいのですが、そう思えない人も多いでしょう。
本来は自分のやりたいことだけをやって、人生を送ることができれば最高ですが、そうもいかないこともあります。

苦手でやりたくないことをやるということで頭に浮かぶのは、受験勉強。
アテクシにとって大学の受験勉強は、とてもしんどい思い出です。
数学がかなり苦手で、悩みの種でした。
医学部受験で数学は重要科目ですから、数学の克服は必須です。
でも、数学が大嫌いなのですから、

このときに「苦手を克服する技術」を身につけました。
そのコツをお伝えしたいと思います。

■コツ@ 疲れたらすぐ休憩
1時間やろうとか2時間はやろうとか、時間的なノルマを自分に課してしまうとダメなんです。
体調は一定ではありませんから、やっているうちに集中力が途切れて疲れてきます。
そんなときに嫌なことを無理やり続けるようなことをすると、逆効果です。
「自分は嫌なことをやっている」というのが、自分に刷り込まれてしまうだけです。
だから、疲れて集中力が途切れたら、無理せずに休憩をとる。けっして「無理しない」ということです。
嫌なことを続けるのは、実際のところ20〜30分くらいが限界だと思います。
その都度、お茶を飲んだりして、短い休憩を挟みながら続けるようにしたほうがいいでしょう。

■コツA どこまで進めるかを決めておく
嫌なことだからこそ、1日にやるべき負担を減らしましょう。
全体のやるべきことを小分けして、作業の工程表をつくって“見える化”するのです。
無理せずできる範囲で小分けして、意外と負担が少なくて済むことがわかると、やる気が湧いてきます。
たとえば、試験対策の勉強をするとき、得意科目を1週間前からはじめるとすれば、苦手な数学は2〜3週間前から余裕をもってとり組む。
そして、1日にやるべき勉強量を得意科目に比べて半分とか3分の1に減らして、1日あたりの量を減らしてあげます。
これは「1日にここまでは進めよう」という最低ラインを決めておくことでもあります。
ゴールが見えているとモチベーションが高まりますから、どこまで進めるかは決めておきましょう。

■コツB 苦手なことをやるときは楽しいことも用意
アテクシの場合、現代文や英語が得意だったので、そうした科目を勉強するのは、わりと楽しめました。
だから苦手な数学を勉強するときは、そうした得意科目も織り交ぜながら進めるとやる気の維持につながりました。
丸ごと1日、苦手な数学の勉強で埋めてしまうと、そもそもやる気が湧いてきません。
気が滅入って疲れてしまいますから、苦手なことと好きなことを組み合わせます。
あるいは、好きなものを食べる、散歩に出かける、図書館にいく――など、ちょっとした息抜きになるイベントを用意しておくことも効果的です。
そのときのコツは、苦手なことをしてから楽しいことをする。順番が逆では効力を発揮しません。
「苦手なことのあとに、楽しいことが待っている」という組み合わせにしてあげる。
いずれにしても、全部苦手なことで固めないということがポイントです。

■コツC 苦手なことをやるときは元気なとき
いまもそうなのですが、いちばん元気なのは学生時代から「朝」でした。
心に余裕があって頭もしっかりまわるので、朝いちばんに数学をやっていました。
苦手なことを後まわしにしていると、「このあと苦手なことをしなくちゃいけない」と心に引っかかったままになりますが、元気な朝いちばんに苦手なことに挑み、達成したら好きなことに進むようにすると、好循環が生まれたのです。

――いかがでしょうか?
これらのコツを実践するとともに、“小さな達成感”を味わうことも大切です。
苦手なことをするには、やることを小分けして1回あたりの負担を減らす工夫をしつつ、それを達成したら、毎回“小さな達成感”を味わってください。
それも好循環をもたらしてくれます。
本稿は『精神科医Tomyが教える 心の執着の手放し方』(ダイヤモンド社)の著者が日々お届けする“心のサプリメント”です。
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2023年02月17日

同じ時間が流れているはずなのに…大人になると1年があっという間に過ぎていく本当の理由

同じ時間が流れているはずなのに…大人になると1年があっという間に過ぎていく本当の理由
リサ・ブローデリック.経営コンサルタント、作家
2023年02月15日 PRESIDENT Online

年を取るたびに時間が速く進んでいくように感じるのはなぜだろうか。
経営コンサルタントのリサ・ブローデリックさんは「体が老化するにつれて、脳による『画像処理』の速度が遅くなることが影響している。
時間が一定の速度で、一方向に進んでいくという常識は、必ずしも真実とは言えない」という――。
※本稿は、リサ・ブローデリック『限られた時間を超える方法』(かんき出版)の一部を再編集したものです。

■時間は物理法則の影響を受けている
時間は、あなたの人生における最大の問題になるかもしれないが、それと同時に、今日の科学における最大級の問題でもある。
時間は、どんな状況でも同じ振る舞いをするというわけではないので、物理学者たちにとっても時間の正体の少なくとも一部は、いまだ謎のままだ。

わかっているのは、時間には科学者が測定できる「物理的な要素」があるという点だ。
たとえば、時計の動きで時間を計ることができるし、地球の運動は24時間である1日や、季節の移り変わりをつくりだして時間を前進させる。
その意味では、時間の物理的要素を最もわかりやすく定義づけるのは、地球や宇宙の動きにまつわる私たちの経験だといえるだろう。
私たちが時間を物理的に捉えられるのは、自分や物が動いているからだ。
それは地球が場所によって、昼だったり夜だったりすることを考えればわかる。

ニューヨークとシドニーで時差があるのは、地球が運動しているからだ。
地球における現実として、時間は物理法則の影響を受けている。

■アインシュタインの画期的な論文
なかでも最大の影響を及ぼしているのは重力だ。
地上の物体から惑星にいたるまで、私たちを取り巻く世界のほぼすべての物の運動は、重力に支配されている。
重力は「物質」と「空間」の副産物なのだ。
より詳しくいえば、物質が重力をつくりだしている。
地球が太陽のまわりを回るのも、月が地球のまわりを回るのも、重力によるものだ。
また、重力は時間の流れに多かれ少なかれ関与している。

一方、時間は相対的なものでもある。
100年以上前、当時26歳だったアインシュタインは、「特殊相対性理論」という画期的な論文を発表した。
彼の天才的な洞察は「時間はゴムひものように伸び縮みするものであり、運動している物体と、それとは異なる速度で運動している物体とでは、時間の進み方が異なっている」というものだった。

具体的には、あなたが空間内を速く動けば動くほど、あなたよりもゆっくり動いている人に比べて、時間の進み方がより遅くなるということだ。

■年を取るにつれて時間の流れが速く感じられる
10年後、アインシュタインは「一般相対性理論」を発表し、時の経過は重力の影響も受けていることを示した。
「時間の遅れ」として知られるこの現象は、地球でも起きることがわかっている。
研究者たちは、原子時計のおかげで、地球でのわずか30センチの標高差が時間の経過に影響を及ぼすことを実証できた。
つまり、そうしたきわめて精度の高い時計を「エベレストの頂上」と「ロサンゼルス」にそれぞれ置いておくと、2つの時計はやがて異なる時刻を示すのだ。

時間は物理的要素に加えて、「時が経つという感覚」によっても計ることができる。
「主観的時間」としばしば呼ばれる時間のこの側面についても、これまで大々的な研究が行われてきた。
たとえば大多数の大人は、年を取るにつれて時間の流れが速く感じられる。
子どものころは夏が永遠に続く気がしていたが、大人になるとあっという間に年月が過ぎていくように感じるというものだ。

■時間の感じ方には脳の画像処理能力が影響している
デューク大学の研究者が最近発表した説によると、小さいころの記憶のほうが大人になってからのものよりもずっと長く残っている理由は、人間の体が老化するにつれて、脳による「画像処理」の速度が遅くなるからだそうだ。
つまり若いときは、経験したことが急速に画像化されるため、思い出として残る画像数が多い。
したがって、それらの出来事が起きていた期間が長く感じられる。

一方、脳の画像処理能力は年々低下するため、大人になってからの思い出の画像数は少なくなる。
だから大人のときの記憶は短時間で次々に辿れるので、時間が速く進んでいるかのように感じられるという。

時間についてのここまでの話は、何を意味しているのだろう?
それは「時間は、私たちが思っていたものとは異なる」ということだ。
それでもなお、私たちは時間について「予測どおりに例外なく、一方向にまっすぐ進んでいくもの」と考えてしまいがちだ。

ひとたび経験したら、もはや後戻りできない過去になる一連の「いまこの瞬間」を進んでいくかたちで、時間の流れを感じているからだ。
そして、矢を前方に向けて放つのと同様に、放つ前の過去に戻ることも、過去を変えることもできなければ、矢が向かっている先である将来を確実に知ることもできないと思っているのだ。

■歴史の中で時間の捉え方は変化してきた
だが歴史のなかでは、時間が常にそう思われてきたわけでは決してない。
ウィリアム・ストラウスとニール・ハウは著書『フォース・ターニング 第四の節目』(ビジネス社)で、時間の概念が人類の歴史のなかでいかにしてつくられてきたかを、非常にわかりやすく解説している。
その内容を簡単に紹介すると、人間はこれまで次の「3つの異なるかたち」で時間を捉えてきたことがわかる。

1.無秩序なもの人間は数十万年前ごろから社会集団を形成するようになったが、それ以前の初期の人類は時間を無秩序なものとみなしていた。
すべてのことは偶然に起こり、そこには原因も結果もなければ、理由も根拠もなかった。

2.周期的に巡るものその後、社会集団が発達し、自然についての知識が多少増えてきた約4万年前ごろから、人間は時間を周期的に巡るものとみなすようになった。
時間の歩みは太陽(周期1日)、月(1カ月)、星座(1年)の動きのように永遠に周期を繰り返すものとされ、毎日、毎月、そして季節ごとに繰り返される人間の生活に反映された。

3.一方向に進むもの作家たちが「歴史は前に進むことでつくられる」と著していたように、ほぼ全世界で「時間は永久に前に進むもの」との見方に変わっていった。
そのため、16世紀には「一方向に進展する出来事」という発想が、時間の概念としてすっかり根づいた。

■時間は常に前に進むものなのか
人間の時間の概念が時代とともに変化していったのは、決して不思議なことではない。
私たち人間が、宇宙と時間の実体についての新たな知識を常に増やしつづけているなら、そうした変化はむしろ当然のことだ。
それはつまり、この先時間についてのさらなる知識が増えれば増えるほど、私たちの時間の概念がふたたび変化する可能性が、よりいっそう高くなることも意味している。
私たちはなぜ「時間は永久に前に進んでいくものだ」と、こんなにも強く信じ込んでいるのだろう

物理学者ブライアン・グリーンは著書『時間の終わりまで物質、生命、心と進化する宇宙』(講談社)のなかで、将来への時間の流れを「変わることなく一方向に進むもの」とみなす今日の私たちの考え方が、「熱力学の第2法則」と「エントロピー」の発想に、いかに関係しているかを解説している。

エントロピーの考え方とは「物質(少なくとも、私たちが感知できる物体)は常に『消失、減少、自然崩壊』の道を辿り、そしてより無秩序になる」というものだ。

■あらゆる法則は解釈のひとつにすぎない
その結果、氷が溶けたり、蒸気が消散したり、生物が成長して老化したりするといった、世間一般の物が時間とともに秩序立った状態から無秩序な状態へと変化するのを、常に目の当たりにしている。
そして私たちは、時間を「常に前に進むもの」と何の抵抗もなく思い込むようになる。

その一方で「熱力学の法則は、疑いや疑問を抱くまでもなく、宇宙の仕組みについての証明済みの揺るぎない事実だ」と思っている科学者も、なかにはいるかもしれない。
だが実は、「熱力学の一連の法則は、物質界で物がどのように運動するかの予測を生み出すためのもの」だというのが、物理学者たちの本音だ。
これらの法則は、物事の仕組みの妥当な単純化によって、現実世界をきわめてうまく説明しているが、それはあくまで単純化やひとつの解釈にすぎない。
グリーンは蒸気機関を例にして、加熱された水分子の振る舞いを一般化することはできても、一つひとつの水分子が蒸気に変化するときのそれぞれの動きを予測するのは、今日の最高性能のコンピューターでさえ不可能だと指摘している。
そういうわけで、統計的予測の科学的な手法が注目を集めるようになった。

■科学の方程式は時間が進む方向とは無関係
個々の物ではなく、大きな集合体を調べることで、その後の振る舞いが早い段階からかなり正確に予測できる。
こうした大量の数にまつわる数学が生み出す予測力は、たとえ何人かの客が大当たりしても、十分に稼げるとカジノ側がある程度見込めたり、エントロピーなどの物理法則が、不変かつ不可逆に思えたりする理由でもある。
「つまるところ、粉々に割れたガラスが自然に元の状態に戻るのを、誰も見たことがないのだから」とグリーンは指摘する。

ただし、留意しなければならない点がある。
それは、この不可逆性が仮定されていながらも、ニュートンの「物理科学」、マクスウェルの「電磁気学」、アインシュタインの「相対論的物理学」、そしてボーアとハイゼンベルクの「量子物理学」も含めた科学の主要分野はみな、「時間の前進を必要としない数式」にもとづいて成り立っているということだ。
つまり、私たちの世界を司る科学の方程式は、時間が進む方向とは無関係なのだ。

ということは、これらの基本的な方程式は、時間が後ろに進んでいる状態でも、時間が前進しているときと同様に、うまく成立するはずである。
そして一部の物理学者までが、「きわめてまれかもしれないが、何かが無秩序状態から秩序ある状態へと変化して元に戻ることを意味する『エントロピー自体の縮小』が起こりうる」と主張している。
この説は、エントロピーの「不変性」と「不可逆性」、そしてさらには「時間は常に前に進む」という見方に、疑問を投げかけるものではないだろうか。
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2023年02月21日

「勉強の成果が出ない人」のNG行動・ワースト3

「勉強の成果が出ない人」のNG行動・ワースト3
2023年02月20日 ダイヤモンドオンライン

毎日4時間は勉強しているのに知識が頭に入らない……。
大学受験、語学学習、キャリアアップのための資格試験。
本来、「学び」は楽しいはずのものだが、なかなか結果に反映されないと、苦しくなってきてしまうだろう。
そこで参考にしたいのが、受験大国・韓国で社会現象になった50万部のベストセラー『勉強が面白くなる瞬間』だ。
著者・パク・ソンヒョクは、塾さえない環境で周囲より遅れて勉強を始めたが、「心」を鍛えれば環境や頭脳は何の問題にもならないと固く信じて勉強。
その結果、韓国トップのソウル大学法学部をはじめ、延世(ヨンセ)大学経営学部、東新(トンシン)大学韓医学部にも同時合格するという快挙を達成した。
学生の98.4%がこの本を読んで「勉強をしたくなった」と証言したという本書。
なぜ、勉強をしなかった人たちが勉強に夢中になるのか? 勉強の本質とは何か?
本稿では、本書より一部を抜粋・編集して、「学習効率を低下させてしまう習慣」を紹介する。(構成:川代紗生)

■今すぐ見直そう!学習効率を下げる3つの「NG習慣」
 時間をかけても成績が伸びないとき、3つの学習習慣を見直してみよう。
 受験大国・韓国の大ベストセラー『勉強が面白くなる瞬間』の著者、パク・ソンヒョクによれば、効果があると思ってやっていることが、学習効率を下げている可能性があるという。
 集中力を上げ、勉強の生産性を上げるには、どうすればいいのだろうか。 「学習効率を下げる3つの習慣」を知り、どんな習慣に置き換えればいいか考えてみたいと思う。

■今すぐやめるべき習慣@
  音楽を聴きながら勉強
 好きなアーティストの曲を聴きながら勉強をしている人も多いかもしれない。
 しかし、パク・ソンヒョクは、「ながら勉強」は脳を混乱させてしまうと語る。
「ながら勉強」の問題はそれだけではない。
「勉強そのものを楽しむ気持ちを奪ってしまう」のも大きなリスクだ。

「無理にでも机に向かうために、音楽を聴きながらでないとやっていられない」 「何か楽しいことで味付けしないと、やっていられない」
 このように、「楽しくない」勉強をやるために、他の「楽しい」何かをしながらやる、という行為は、はじめのうちは効果があるかもしれないが、長期間続けることによって、「勉強は嫌なものである」という刷り込みが強化されてしまう恐れがある。
「ながら勉強」に慣れている人は、まずは3週間、雑音のない静かな部屋で勉強してみよう。

■今すぐやめるべき習慣A
 体のコンディションに無頓着
 次に、無理をして、へとへとになるまで勉強するのもやめたほうがいい。
 真面目な人は、具合が悪くても寝不足でも「休んではいけない」と思い込み、薬も飲まずに勉強を続けてしまう。
 しかし、勉強は1日、2日の短期決戦ではない。
「今日がんばる」ことよりも、長期的に勉強できる体づくりをしよう。

 本書でおすすめされている具体的な対策は、「体温管理」だ。
「当たり前のことじゃないか」と思うかもしれないが、「体温計で体温を測る」という行為をルーティン化すること自体がポイントだ。
「自分の体をケアする」という指針を、毎日忘れずに思い出すことができる。
体温測定は、健康管理のリマインダー機能だ。
「今日はなんとなく調子が悪いな」などの体感ももちろん大事だが、「平熱より高い/低い」という数字は、無理しすぎたときにブレーキをかけてくれるだろう。
 体温が急変すると免疫力も変動する。

体調を崩したせいで1週間をムダにした……なんてことがないよう、毎日、体の声を聞いてあげるようにしよう。

■今すぐやめるべき習慣B
  「点数の目標」を立てる
 本書では、勉強に没頭するための「目標の立て方」についても解説されている。
 もちろん、知識がどれくらい定着したのか点数で検証することも重要だ。
 しかし、「順位」「数字」「偏差値」のように、ライバルのがんばりによって左右されてしまう「結果目標」にばかり囚われると、「自分ではどうしようもないこと」に振り回され、勉強がますます辛くなってしまう。

「具体的に何をどうするか」という「行動目標」なら、自分の努力を可視化しやすく、達成感を得やすい。
結果目標より行動目標に集中しよう。
 学びは、人生を豊かにしてくれる。

しかし、一度「勉強=辛いもの」という固定観念が脳に刷り込まれてしまうと、それを塗り替えるのは難しい。
 勉強を楽しむ「心」を整えることが、結果的に学習効率の向上につながるのだ。

 モチベーションを上げてくれる画期的な独学本『勉強が面白くなる瞬間』。学習習慣を見直したいという人は、手に取ってみてほしい。
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2023年02月22日

理想的な睡眠時間は8時間ではない…20年前とは決定的に違う"快眠"の新常識

理想的な睡眠時間は8時間ではない…20年前とは決定的に違う"快眠"の新常識
角谷 リョウ スリープコーチ
2023年02月21日 プレジデントオンライン

仕事のパフォーマンスを高めるには、どのくらい睡眠を取るのが適切か。
スリープコーチの角谷リョウさんは「日本人に多い『寝ないで頑張ることが美徳』という考え方は危険だ。
質より量が仕事の成果に直結した時代は、睡眠時間を削ることに合理性があった。
しかし今の時代は集中力や想像力、コミュニケーションが重視される」という――。
※本稿は、角谷リョウ『働くあなたの快眠地図』(フォレスト出版)の一部を再編集したものです。

■睡眠を削ることの意味は時代によって変化する理由
よく「時間は有限だからお金より大切」といいます。
さらには、「1日はみんな同じ24時間だから、寝る時間を削って活動時間を増やしたほうが得」という発想に至ります。
特別な才能やコネがある場合を除いて、ビジネスパーソンとして周りから認めてもらうためには、どうしても仕事や勉強に時間を多く割かないといけなくなります。

人生は短いですから、仕事以外も楽しんで人生を充実させようと思うと、何も生み出さない睡眠を削ろうと考えがちです。
実は私も役所で働いていた時は全くその発想で生きていて、5時間以上の睡眠を取った記憶がないくらいでした。
今から20年以上前になりますが、その時代は「何をすれば成功するのか?」「何を学べば上に行けるのか?」がある程度分かっていた時代です。
良くも悪くも「質より量」の時代だったので、どれだけ知識があるとか、どれだけハードな仕事に耐えられたかが重視されていました。

■無料で頭の中のゴミを出し、メンタルや体を回復させる
しかし、今では知識はオープンになり、誰にでも手に入るようになりました。
ある程度のレベルの仕事はAI(人口知能)やコンピュータがしてくれるのが当たり前の時代です。

そのような状況において最も重要になってくるのが「仕事をしている時の状態(集中や想像がしやすい良好な心身状態)」や「仕事をチームで行う際の良好なコミュニケーション」です。
このジャンルは睡眠の最も得意分野となります。

ご存じな方も多いと思いますが、睡眠は無料で頭の中のゴミを出し、記憶を整理し、メンタルや体を回復させてくれます。
今の時代のビジネスに最も必要な要素を、睡眠はタダで毎日作り出してくれるのです。
以前は寝ている時間を「無駄」な時間と捉えている人が多かったのですが、海外では「トレーニングの時間」「パワーチャージの時間」と捉えるのが普通になってきています。

何よりもともと人は寝ることに幸せを感じる生き物です。
寝ること自体を楽しみ、さらに寝ることでたくさんの効果が得られるので、本当に良い睡眠は取らないと大損なのです。

■「8時間眠れていないので不調」は大間違いである
私は睡眠セミナーをするとき、必ず「厚生労働省が推奨する睡眠時間はどれくらいでしょうか?」という質問をするようにしています。
いつも5択の選択式で行うのですが「8時間」と答える人が半分以上です。
実際にいろんな研究でよく出てくる中央値は7時間から7時間30分くらいですが、おそらくマスコミの影響で多くの人が「8時間が最もよい睡眠時間だ」と思っているようです。
ところが実は、厚生労働省が推奨する睡眠時間は「人それぞれ」です。
これは厚労省がいい加減なわけではなく、研究調査を重ねて出た答えが「人それぞれ」だということなのです。

基本的に人間は個体差がありますから、必要な食事量や体重などあらゆることが人それぞれです。
しかしそうは言っても基準がないと困るので、一応平均値や安全範囲を決めているのです。
睡眠時間も最初は基準を決めようという話もあったそうです。
ところが調べてみると、睡眠に全く問題のない健康な人の睡眠時間は、なんと3時間から10時間以上と7時間以上も幅があったのです。
このような事情から、厚労省は推奨睡眠時間や範囲を決めないほうが良いと判断しました。

とはいえ、世の中では「8時間睡眠がベスト」と思っている方が多いので、「8時間眠れていないので不調」ということになるわけです。
実際に睡眠指導の現場では、50代になると平均で最適な睡眠時間が6時間といわれているのに、7時間しか寝れずに困っているとおっしゃる方がよくいらっしゃいます。
最近は遺伝子研究がかなり進んできていて、少し前まで20個といわれていた睡眠関連の遺伝子が351個にまで増えました。
あと少しでほぼ解明できるところまで来ているそうです。

人はそれぞれ生まれ持った遺伝子で、ある程度最適な睡眠時間が決まっているのですが、その基本時間は年齢でどんどん減っていきます。
季節や気温、日照時間でもかなり変化しますし、その日どれだけ体や頭を使ったかでも変わります。
繁忙期などのアドレナリンが出やすい時期は短眠傾向になることも分かっています。
ウェアラブル装置の進歩もあって、近い将来には誰でも簡単に自分の最適睡眠時間がわかるようになるでしょう。

■日本人は「睡眠時間を削って頑張ることが美徳」と思いがち
寝ずに頑張ることが美徳という文化が日本ではまだかなりあるように感じます。
さすがに徹夜を賞賛するような風潮はなくなりましたが、ビジネスパーソンの睡眠相談では「夜もつい仕事をして、眠れなくなる」「仕事をして家事や育児をしていたら睡眠時間が4時間しか取れない」などの相談が最も多いくらいです。
実際にそういった相談をされる方々が忙しいのは事実なのですが、それ以上に「睡眠時間を削って頑張ることが美徳」という固定概念が強いのがカウンセリングから透けて見えてきます。

日本人はなぜか、遺伝なのか風土なのか「頑張らないと生きている資格や価値がない」と思い込んでいる人が多いように感じます。
私も(かなりマシになりましたが)かなりその傾向が強いです。
そうなると一番分かりやすいのが「寝ずに頑張る」というやり方です。
しかし、このやり方は実は危険で、睡眠が足りていないことを理由に、たとえ失敗しても「こんなに頑張ったから仕方がない」と諦めて改善しない傾向があるそうです。

■「寝ずに努力する」ではなく「寝ることに努力する」
これはまさに自分も何度も経験があり、寝ずに頑張ると、頑張ったこと自体に満足してしまってゴールを見失ったり、最も重要な改善する意欲やアイデアが出てこなくなるのです。

人は基本的に不安を感じたり、やる気を出すのは実は簡単です。
生き延びるために逃げたり戦うモードになる「交感神経」というスイッチが、たったの0.2秒で反射的に入るからです。
それに対して、快眠に効果的なリラックス状態に導く「副交感神経」はかなり意識的にコントロールする必要があるのに加えて、慣れていないとスイッチが入るのに5分ほどかかります。

つまり、快眠でリラックスするというのは、意識的に努力しないと自然には起こらないというわけなのです。
仕事で失敗してもこれまで通り「寝ずに努力」するのか、「寝ることに努力」して、ハイパフォーマンスを上げるのか。
あなたはどっちを選びますか?
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2023年03月27日

親が子に伝えたい勉強の話

親が子に伝えたい勉強の話
2023年03月26日 ダイヤモンドオンライ      ン

韓国で50万部の超ロングセラーが発売から7年、いよいよ日本に上陸。
韓国で社会現象を巻き起こした『勉強が面白くなる瞬間』。
この本を読んで、学生の98.4%が「勉強をしたくなった」と証言!
なぜ、勉強をしなかった人たちが勉強に夢中になるのか。
10代〜70代の世代を超えて多くの人が共感。そこにノウハウは一切ありません。
ただ、この本を読んだ人にはわかることでしょう。
執筆に8年かかったとされる『勉強が面白くなる瞬間』から、その驚くべき内容を紹介する。
今回は、『おうち遊び勉強法』の著者・ぎん太氏とお母さまにインタビュー。
『勉強が面白くなる瞬間』は、韓国の進学校に通う生徒の必読書といわれている。この本がどう映ったか、現役の開成高校生と親御さんに聞いてみた。

■勉強は成績を上げるためにするんじゃない
――私自身、パズルをやることがありますけど、無心になれる効果があると実感しています。
『おうち遊び勉強法』でも紹介されていましたが、パズルは勉強に効果的でしたか?

ぎん太 
僕は忍耐力はないんですけど、集中力はあります。なぜ集中力があるのか考えてみると、スポーツや遊びに集中した経験が生きているのだと思います。
上の弟はパズルが大好きで、長時間夢中でやっていました。
 勉強やテストに長時間ミスをせず集中して取り組めるのは、小さい頃、遊びやパズルで身についた集中力が勉強でも生きているからだと感じています。

――子が集中しているとき、親が中断させるのがよくないという話を聞きます。

ぎん太母
 遊びに集中していたとしても、少しは待ちますが、「帰るよ」「ご飯だよ」「寝るよ」という場面では普通に中断させます。

ぎん太
 やめさせられても、悔しいので後でやります。
邪魔されて集中が途切れても、「面白い」「やりたい」と思っていればまた始めるし、集中できますしね。

――語彙力を増やすために意識したことはありますか?

ぎん太母
ええ 赤ちゃんのとき、まず教えたのは身体の部位です。
それから「痛い」「熱い」「冷たい」「暑い」「寒い」「かゆい」などの身体の感覚。病気やケガなど、私やお医者さんに病状を伝えられるようにと思って。
それから感情や状況を説明する言葉に気をつけました。
 ぎん太が幼い頃、マイナスの感情を全て「嫌な気持ち」と言っていました。「嫌だった」ことは伝わるけど、「悲しい」のか「悔しい」のか……「さみしい」「羨ましい」「理不尽だ」「腹が立つ」「失望してる」など、どう嫌なのか、子どもの気持ちが知りたかったし、私が見ていない間に何が起こったのか説明して欲しかった。
だから、語彙力をつけるように意識していました。

ぎん太
 僕は四字熟語や慣用表現、それを知ったら、すぐ使うようにしていました。
とにかく使うことで、習慣になっていったと思います。
 使っていると、身につく。語彙力を伸ばすには、実際に使って、自分のものにするしかないですからね。

――語彙を増やす一方で、絶対に言わないと決めていた言葉はありますか?

ぎん太母
 本人の好きなことや、やりたいことを止めたり、否定したりする言葉は絶対に言わないようにしていました。
 ぎん太が「俺、バンドマンになる!」と言ってきたとき、夫は「えっ……『勉強したいから開成に行かせてくれ』と言っておきながら、バンドマン?」と言いかけましたが、「全力で応援するから、そのために今、何をすればいいのか一緒に考えよう」と答えました。
 本人はジョークだったみたいですが、「ダメ」とか「無理」といった言葉は言いませんでした。
私は子どもの頃「獣医さんになりたい」と言ったとき、親に「あんたなんかになれるわけない」と言われて一気に勉強に対してだけでなく、人生に対してもやる気を失ったことがあります。
自分の子どもには同じ思いはさせたくないので、これからも何をしても、応援しようと思っています。

――「死なせない」という子育ての目標も印象的でした。

ぎん太母 
 子どもを産んでから「生きててよかった、幸せだな」と思えるようになりました。
子どもたちをいっぺんに失ったら、次の日自分も死ぬだろうと思います。
幸せをくれて感謝しているから幸せにしてあげたいし、絶対に私より先に死なないで欲しい。
何をするにも、その考えが軸になっています。

ぎん太 
「生き延びるチャンスを増やすには……」と教えられることが多かったので、自分が後輩などに何かを教えるときにも極端に悪い例えを出してアドバイスすることが多いみたいで、「教え方が独特」と言われることがあります。
母の影響かな(笑)

ぎん太母
 小学3年生のとき「何をしているときが1番楽しい?」と、お友達のお母さんに聞かれて、「本を読んでいるときが1番楽しい。
楽しいだけじゃなくて身についた知識のおかげで危険な目に遭ったときに助かるかもしれないから」と答えていたんです。  同じように勉強したいという思いに繋がったのだと思います、勉強は成績を上げるためにするんじゃなくて、より良く生きるためにするのだと理解していました。
勉強も読書もスポーツも、すればするほど武器が増えていくイメージです。
みなさんにもそう思って欲しい。最強の装備を身につけて生き抜いて欲しいです。

――親の思いが子に伝わっているのでしょうか。

ぎん太
 『勉強が面白くなる瞬間』の最後の章はよかったですね。
親が子に対する思い、わかるようでわからない。
けれども、親がどういう気持ちか、わかった気がします。
まるで、僕のために言ってくれているように感じました。
 僕に対する両親の想いを、これからはかみしめて生きていかなければと思いました。

ぎん太母
 なぜ『勉強が面白くなる瞬間』がベストセラーになったのかわかる気がします。
親が子に伝えたいことが詰まってると思いました。
 昨夜、『勉強が面白くなる瞬間』の感想を話し合っていて、「ぎん太は中学に入ってから何年も、授業中もゲームしたり居眠りしたり、課題出さないし、夜中まで友達とおしゃべりしてゲームして遅刻しまくってた。
ぎん太が毎日遊んで暮らしているそのお金は、パパがプライドを傷つけられて理不尽に耐えて、家に帰れず時間を切り売りして稼いだお金だね。
ぎん太は半月も休みなしで、1日14時間も働いてるパパのことをどう思う?
パパは自分1人のためだったら、こんなに大変な仕事しなくてもいいのに、家族のためにずっと働いてる。
ぎん太は昨日2時間勉強して『今日すっげー頑張った!』って言ってたけど、1日14時間「ぎん太は頑張ってる」って信じて頑張ってるパパのこと、どう思うの?」って、泣きながら聞きました。 ぎん太 「マジで勉強しようと思う」って言いました。言葉では理解していたけど、本を読んで話し合って、身に染みました。
「あのとき、こうしていれば」って考えている暇があるなら今すぐやるべきだと思いました。
 この本は、勉強へのモチベーションを上げてくれる内容なので、その日の勉強を始める前に、または朝、自分を鼓舞するために読んだらいいんじゃないかなと思います。

    (取材・構成/編集部 武井康一郎)
(本原稿は書籍『勉強が面白くなる瞬間 読んだらすぐ勉強したくなる究極の勉強法』をベースにした、インタビュー記事です)
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2023年03月28日

学びをそれっぽい一般論で終わらせない方法

学びをそれっぽい一般論で終わらせない方法
思考停止をやめて2ミリの差分を積み重ねる
荒木 博行 : 学びデザイン社長
2023/03/27 東洋経済オンライン

昨今の激しい市場環境の変化や、長寿化によって職業人生が長くなることにともない、リスキリングが注目されている。
商社の人事部で、個々人のキャリアアップについて考え、ビジネススクールで教鞭を執り、数々のビジネスパーソンの悩みに耳を傾けてきたVoicyの人気パーソナリティでもある著者が、「知」を消費するのではなく、自分の一部とする独学について語る。
「今、何か学んでいることはありますか?」
もし、あなたがこんなことを聞かれたらなんと答えますか。
ちょうどスクールのような場所に通っているような方であれば、胸を張ってそのスクールの名前やそこで教えられている学問の名前を答えるかもしれません。
もしくは、オンラインコミュニティに参加している方であれば、そこでの主要テーマを答えるかもしれません。

もちろん、そういった明確な目的があり、誰かが設計したカリキュラムがあるような場は「学び」としてすぐに想起しやすいでしょう。
しかし、実は私たちが多くのことを学んでいるのは、日常の些細な場面です。
平凡な一日こそが、貴重な「学び」の場といえるのです。

その学びは本当に知らなかったことか?
では、ここで言っている「学び」の定義とは何でしょうか。
それは、一言で言えば「経験の前後の差分」です。
つまり、とある経験をする前の自分(A)と、その後の自分(B)の差分(BーA)こそが「学び」の正体に他なりません。
それを聞けば、何ら意外性はなく、まあその通りだと感じるかもしれません。
しかし、この新鮮味のない学びの定義も、実践の現場ではそれほど当たり前ではありません。

ビジネススクールや研修の現場などで多くの方と接していて感じた実感知として、多くのケースで、前後の差分のないものを「学び」と言ってしまっているからです。
たとえば、もし身近にセミナーや講演に参加した人がいれば、「そのセミナーで何を学んだの?」と聞いてみてください。
おそらく、大半のケースは、その参加者がセミナーを受ける前から知っていたはずの内容を語るはずです。
たとえば「組織には心理的安全性が大事だってことを学んだ」とか「DXができない会社は負けていくんだよね」とか……。 そんなことをどれだけ熱く語っても、先ほどの「経験の前後の差分」(BーA)という定義に照らし合わせれば、その内容は「学び」ではありません。

なぜならば、その回答は単なる(A)、つまりセミナーに参加する前から知っていたことだからなのです。
一般論で片づけては、何も見いだせない もちろん、そのセミナーから何も学ばなかったはずはありません。経験したことには必ず差分が発生していたはずです。
しかし、このような凡庸な「学びもどき」が出てきてしまう背景の一つには、「それっぽい一般論」の力があります。

たとえば、事例に挙げたような「心理的安全性」とか「DX」のような「それっぽい一般論」は、私たちを何か学んだ気にさせてくれる力があります。
そして、それと同時に、本来私たちが追求しなくてはならない「差分」の追求の動きに蓋を閉じてしまうのです。
もし私たちが何かを学ぼうと思うのであれば、このような「それっぽい一般論」をそのまま放置してはなりません。
そういう一見きれいでまとまった言葉を排除して、知的な負荷をかけながら、「自分にとって」何が新しい発見だったのか、ということを突き詰めていく必要があります。

ポイントは、隣の人が絶対語れないこと、昨日の自分が語れないことを探すこと。
つまり先ほどの経験を経て、今この瞬間の自分だけしか語れない具体論は何か、ということを削り出していくのです。
この「自分だけの具体論」というのは、おそらくいろいろな前提条件がついた形となり、それほどキャッチーでもなく、無骨な言葉になるはずです。でもそれでいいのです。それこそが、経験から抽出される学びの本質なのです。
そして、この過程を丁寧に重ねていくことで理解することは、「大きな学び」というものはたいてい幻想にすぎない、ということです。

もし私が新入社員で、職場に配属された初日だったとしたら、目にするもの全てが学びになるでしょう。
初日はその学びの大きさに圧倒され、疲労困憊したはずです。
しかし、同じ仕事を10年続けていたとしたら、一日の学びはどれくらいでしょうか。
おそらくほとんどが既知のことで、学びはほぼ存在しない、と言ってもおかしくありません。

つまり、ここまで長い人生経験を積んできた人にとっては、真に新たなことを経験できる機会は少なく、ほとんどの瞬間が既知の枠内だということも言えるのです。
どんなに素晴らしい経験をしたとしても、所詮は誤差の範囲。

「前後の差分」という意味における学びというのは大きくなりようがないのです。
学びは些細な2ミリの積み重ね しかし、たとえそれが「大きくならない」とか「誤差の範囲」であっても、「まったくない」ということではありません。
似たように見えて、一日一日は異なり、一瞬一瞬のその経験には必ず何かの変化があります。
つまり、まったく同じ経験があり得ない以上、どれだけ小さくとも必ず学びを生み出す「差分」を見いだすことはできるのです。
私はそのニュアンスを伝えるために、「2ミリの学びを削り出せ」という言葉を使っています。

「2ミリ」というのは当然比喩ですが、本質的な学びというのは、それくらい些細なことだということです。
大仰な言葉で既知の感想を並べるのではなく、些細だけど具体的な学びを重ねていく。
成長というものは、このように「塵も積もれば山となる」という慣用句のごとく、日々の2ミリ程度の学びを積み重ねていくことに他ならないのです。
しかし、いつでも「2ミリの学び」を削り出せるわけではありません。
学びを拒否してしまう心境というのは誰にでもあります。
そういう際には無理して適当な言葉にして取り繕うのではなく、一時の感情によって学びを変質させないための行動が必要になります。

その点を補足しておきましょう。
皆さんには、感情がネガティブに振れるような経験をしたことが少なからずあるでしょう。
たとえば、イベントがとてもつまらなかった、とか、見た映画のクオリティが低かった、とか。ライバルと思っていた人のプレゼンテーションがとても良くて嫉妬の感情が湧きあがった、といった経験もあるかもしれません。

本来、このような経験こそ、「前後の差分」をしっかり削り出して、次につなげたい場面です。
しかし、そのような経験は、得てして「あんなプレゼンは大したことない」とか、「自分はなんてダメなんだ」という極端な感情論に終始し、示唆が得られない可能性があります。
感情が高ぶるような経験、特にネガティブな感情に囚われるくらいの大きな経験は、「前後の差分」の宝庫です。
しかし、それは心のあり方として学びを得るのにふさわしくありません。
感情が学ぶことを拒否して、2ミリ単位の微妙で繊細な「前後の差分」を削り出すことまで至らないからです。

ノイズを減らす「寝かせる」ことの効果 ではどうすべきなのでしょうか。
常に余計な感情を取り除いて、クリアな頭で学びに向き合うことができればそれに越したことはないのですが、人間はそんな器用ではありません。
そんな中でノイズを低減させるには、経験と学びの間にインターバルを作ることが重要です。
つまり、あえて一拍(もしくは数拍)置くのです。
しかしインターバルを空ければ、その経験の瑞々しい記憶が薄れてしまいます。

そこで、私がおすすめしたいのは、その経験についての事実を描写して残しておく、ということです。
イベントに参加したのだとしたら、その時に起きた出来事を丁寧に描写しておくだけにとどめる。
本を読んだのなら、そこで重要だと思った箇所を抜き出すだけにしておくのです。
そこからの「経験前後の差分」という解釈は、その時点では保留状態にしておく。
そして、感情が抜け落ち、その経験の意味を深く考えられるような環境になった時に言葉にすればいいのです。

コラムの冒頭で、平凡な一日こそ貴重な学びの場だというメッセージをお伝えしました。
その意味するところは、つまり、講師がいなくとも、カリキュラムがなくとも、経験の前後に発生した些細な差分を削り出すことができれば、その経験は学びの場になる、ということです。

そして、皆さん自身も、この章を読む前と読んだ後で、「2ミリの差分」は生まれているはずです。
その正体は何か。それを「自分だけの具体論」で表現してみましょう。
そうすれば、この「差分」を通じた独学の意味がより理解できるはずです。
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2023年04月18日

三流は、いきなり頭が真っ白になり、二流は、いきなり説明しはじめ、一流は、いきなり何をする?

三流は、いきなり頭が真っ白になり、二流は、いきなり説明しはじめ、一流は、いきなり何をする?
2023.4.17 ZUU Online

本記事は、桐生稔氏の著書『説明の一流、二流、三流』(明日香出版社)の中から一部を抜粋・編集しています。

■ 話しはじめにやること
三流は、いきなり頭が真っ白になり、二流は、いきなり説明しはじめ一流は、いきなり何をする?
人前で話しているとき、聞き手が興味なさそうにしている、説明を聞かずに資料をペラペラめくりだす、眠たそうにしている……こんな経験はありませんか?
せっかく気合を入れて準備したのに、こんな状態だと心が折れるかもしれません。

しかし、これはやむを得ないこと。
人間は自分にとって興味があることしか聞かないからです。
心理学者コリン・チェリー氏が提唱した「カクテルパーティー効果」を簡単に解説します。
騒がしいパーティーでは、誰が何を話しているかなど、まったく耳に入ってきません。
しかし、自分が気になるワードがでた瞬間、急に耳に入ってきます。
自分の名前がでた瞬間、「えっ、私のこと?」と振り返ったりします。

不要なものには耳を傾けないし、必要なものには聞き耳を立てる。これが人間の特性です。
それを踏まえると、本題に入る前に必ずしなくてはいけないことがあります。
それは、「この説明は自分にとって重要である」と認識させること。
つまり聞いてもらう態勢を作ることです。
聞いてもらう態勢を作るには、人間の「快楽原則」にアプローチします。

快楽原則とは、心理学者グスタフ・フェヒナーが作りあげ、フロイトが取り入れた概念で、人間は、「快楽を得るために」または「苦痛を避けるために」行動するというもの。
快楽とは、楽しいこと、うれしいこと、得すること。
苦痛とは、嫌なこと、恐怖を感じること、損をすること。

人前での説明に当てはめると、こうなります。
快楽=自分にとって得する情報 苦痛=聞かないと損失をこうむる情報 これを本題に入る前に聞き手に認識してもらうのです。 例えば、最近よく聞く、「ビッグデータ」という言葉。これを説明する際、「ビッグデータは、データベースソフトウェアが把握し、蓄積し、運用し、分析できる能力を超えたサイズのデータを指すもので、事業に役立つ知見を導出するためのデータとして問題解決や業務の付加価値向上を……」 なんてはじめられたら、おそらく聞き手は興味を失います。
聞く態勢を作るには、こんな感じです。

○ 快楽=自分にとって得する情報 「ビッグデータを使うと、コンビニなら1時間かけて売れ筋商品を分析して発注していたのが、1分で済むようになります。余った時間は、接客に力を入れたり、商品のポップを作ったりと、売上を上げる施策に使えるようになります」
○ 苦痛=聞かないと損失をこうむる情報 「多くの企業がビッグデータを活用しています。その結果、人件費を1,000万円削減し、削減したコストで新商品を開発しています。これからの新商品は、ビッグデータを活用している企業が80%を占めるという予測もでています。活用しない企業は完全に取り残されます」

話しはじめのほんの1、2分のトーク。これがあるかないかで、聞き手の前のめり感が変わってきます。
だからこそ一流は、冒頭に全集中します。
まずは注目してもらい、聞いてもらう態勢を作ること。
そして、聞いてもらう態勢ができたら説明を開始する。
これが身につくと、あなたの説明はいつもの何倍も相手に届くようになります。

□ Road to Executive 一流は、聞いてもらう態勢を作る 話しはじめに快楽原則にアプローチする

桐生稔
株式会社モチベーション&コミュニケーション代表取締役
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2023年04月29日

「神」「ヤバい」…現代人の言葉の貧困化が招く末路

「神」「ヤバい」…現代人の言葉の貧困化が招く末路
言葉が「減っていく」ことは何を意味するのか
奥野 宣之 : 著作家・ライター
2023/04/28 東洋経済オンライン

「神」「ヤバい」――。
日々無数に投稿されるSNSだが、実は同じような言葉であふれかえっている。
言葉が貧困化する先には何があるのか。
本稿では出版社・新聞社勤務を経て、読書や情報整理などを主なテーマとして執筆や講演活動などを行う奥野宣之氏が、「読むこと」を通して言葉を育てる重要性について説く(本稿は、『ちゃんと「読む」ための本』より抜粋・編集を加えたものです)。

「1984年」で描かれた世界
「難しい話なんてわからなくても大丈夫。スマホで検索すればいい」と主張する人がいます。
私はこの意見に反対です。
使える言葉が少なくなれば「考えられること」も少なくなっていくから。
よって、知識や語彙は増え続けるよう、学びながら生きていかねばならない。
でなければ、そのうち検索ワードすら思い浮かばなくなってしまうでしょう。

もう少しだけ言葉をめぐる現代社会の問題について考えてみましょう。
『1984年』という有名な小説があります。
1948年にイギリスの作家ジョージ・オーウェルが、(年号の下2桁を入れ替えた)未来社会を描いたものです。
1984年のオセアニア国では、独裁者のビッグ・ブラザーが「テレスクリーン」という機械で家の中まで見張っている。
そして寝言ひとつ漏らすだけで思想警察に逮捕される。
よく「現代のIT監視社会を先取りしていた」と評価される作品です。

作中のオセアニアでは、ニュースピーク(新語法)と呼ばれる「言語」が使われています。
特定の言葉の使用を禁じたりするのは古今東西の専制国家がやってきたことですが、ビッグ・ブラザーは、検閲どころか言語体系を丸ごと作り替えようとしているのです。
目的は国民の肉体だけでなく精神まで支配すること。

「ニュースピークは思考の範囲を拡大するのではなく縮小するために考案された」(『1984年【新訳版】』)というわけです。

私は、今の社会を考えるうえで注目すべきなのは「テレスクリーン」ではなく、こちらの「ニュースピーク」だと思っています。
ニュースピークの基本原理は、言葉を徹底的に刈り込んで最小化することです。
たとえば、作中でニュースピークの辞書を作っている真理省調査局の担当者は、「bad」という言葉は不要だと指摘しています。
理由は「good」に否定の「un」を付けて「ungood(よくない)」と言えばいいから。同様に「excellent」も「amazing」も不要です。
「plusgood」「doubleplusgood」と言えばいい。

「自由という言葉」がなくなれば「自由という概念」もなくなる。
そうなると民主化を求めるデモや大衆運動も起こりえない。
究極の全体主義は、監視や洗脳ではなく言語によって完成する――。

オーウェルはべつに未来を予言したかったわけではありません。
ただ、元ジャーナリストの作家として、こう忠告したかったのでしょう。
言語と思考は、じつは同じもの。
つまり表裏一体であって、「言葉を大切にしないと何も考えられなくなるよ」と。

SNSで使われている言葉の大問題
さて、ここで現代のSNSに目を移せば、膨大なユーザーの書き込みで埋め尽くされています。
パッと見たところ自由で豊かな言語空間のように感じます。
ところが、実際に1つひとつ見ていくと、内容や表現のバリエーションは意外に乏しいのです。
商品やサービスの評価は「神」か「ヤバい」か。
ニュースのコメント欄も一見すると「議論」に見えるものの、実際のところバズワードをみんなでぐるぐる回しているだけだったりする。

幸いにして、現代にビッグ・ブラザーはいません。
少なくとも日本では、インターネット上に明らかな情報統制や検閲、監視システムはなく、表現や思想の自由があります。
にもかかわらず、私たちは自ら進んで言葉を刈り込み、思考の範囲を縮小する道を選んでいるように見える。
ある意味で『1984年』より恐ろしい状況です。

それでも、ネットニュースやSNSのトレンドと無関係に生きていくのは難しい。
そのため一日中、インターネットばかり見ている。
これではじっくり何かを読みながら考えたり、街を歩き回って見聞を広めたりする時間はありません。
先日も「書き手として、こんなことでいいのでしょうか」と相談されたのですが、いいわけがない。
ネット空間で受信と発信を繰り返しているだけでは、言葉が貧困になり、思考も衰退する――。

情報社会で遭難しないためにも、私たちは「ちゃんと読む」習慣を身につける必要があるのです。
ここで、「言葉を扱う力」を伸ばしたいなら、ブログやSNSを「書く」ほうがいいんじゃないの? と思う人もいるかもしれません。
もちろん書くのはいいことです。言語能力が鍛えられるのは間違いない。
ただ、毎日の習慣にするのはハードルが高すぎるのでは? というのが私の意見です。
すみずみまで神経の行き届いた文章を書くのはひじょうに骨が折れるし、だからといって手抜きではトレーニングにならない。
また本気を出すには、題材も「書くに値すること」である必要がある
そんなものを毎日のように見つけられるのか。 というわけで、「××でランチを食べた」とSNSに投稿したり、月に何回か「△へ行った話」といったブログを書くより、毎日コツコツと「ちゃんと読む」ことを習慣化したほうが、効果が望めるのです。

  また「書く力」は、読むことで養えます。
アウトプットの土台に「読む」があり、表現に優れた人はちゃんと読む習慣を持っているーー。
ライター志望者向けのセミナーで講師をやっていると、このことを痛感します。
たとえば、受講生の中にはライター志望ではない人がちらほらいる。
「書くスキルを業務に役立てたい」と考えている会社員などです。
彼らは発信したいわけではないから、ブログやSNSもやっていなければ、文章を書いた経験もほぼありません。
ところが、そういう人に限ってライター志望者より味わいのある文章を書くのですね。
で、少し話してみると、その人から私も聞いたことがないような書き手の名前がポンポン出てくる。

つまり、腕の立つ読み手は「いい書き手」の予備軍なのです。

読む人のほうが仕事ができる
仕事においても、ちゃんと読む人のほうがデキる印象です。
私の業界でいうと、メジャーな雑誌で活躍しているライターや全国紙でコラムを書いているような記者は、ネット上のトレンドに限らず、幅広くいろんなものを読んでいます。
しかもただの情報通ではなく、しっかり腹に入れて自分のものにしている。

私もたまに取材やインタビューを受けるのですが、雑談ひとつでも引き込まれて、つい話に熱中してしまいます。
組織を率いる人にも同じことが言えそうです。
土曜日の『日経新聞』には、トップが愛読書を語る「リーダーの本棚」という連載が載っています。
それを見ていてよく思うのは、やはり「やり手」は読んでいるなあ、ということ。
普段から経済誌のインタビュー記事などで「この社長はちょっと違うな」「この人は何か持っていそう」といった感じで名前をチェックしていた人物は、だいたいバックボーンに独特の読書遍歴があります。

愛読書リストの中に、有名な歴史小説だけじゃなく大学時代の恩師に勧められたアカデミックな文献が紛れ込んでいたりする。
「ああ、どうりで」と膝を打つわけです。
つまり、「書く」前に「読む」が大切なのです。
何かを書いたり話したりするためのもっとも基本的なトレーニングは「ちゃんと読む」ことであって、書かなくても土台は固められる。
「読む」をすっ飛ばして表現しようとするのは、相撲取りが四股を踏まずに番付を上げようとしたり、ボクサーがロードワークをサボってタイトルを狙うようなものです。
言い換えれば、自分の感じていることや考えたことをSNSに書いたり、だれかに話したり、人前でプレゼンしたりといった「発信」は、後回しでいい。
「読む」というトレーニングを通じて力を付け、自分の軸を作り上げてからでいいのではないでしょうか。

読みたいものを読めばいい
ここまで読んで、「読み方を身につけないといけない理由はわかったけれど、じゃあ何を読めばいいの?」と戸惑う人も多いでしょう。
読む対象は、身の回りにある普通のものでOKです。
「××新聞じゃないとダメ」「この名著リストを上から順番に」なんて、うるさいことは言いません。
ただし、手に取るなら「本気で書かれたもの」にしてください。
つまり、だれかが頭をひねり汗をかいて作り上げた文章です。

本でもネットでもいいけれど、「手抜き仕事」にはなるべく関わらないようにする。
目の前にあるテキストは、自らの時間とエネルギーを費やして読むに値するものかどうか――。
この意識をつねに持ち続けてください。

そのうえで、これから皆さんにやってもらいたいのは、日常的に触れる文章との関わり方を変えることです。
ちゃんと読むことで表現の土台となる「文字を扱う力」を養っていくのは、同時に何かを真剣に考えることでもあります。
最終的な目標は、自分の頭の中にあることを自分で納得のいくかたちで表現できるようになること。
何か文章を書いたり、人前で考えを発表したりといったとき、「自分で考えたことを自分の言葉で表現できた」と思えれば、それで十分です。

「いいね」や閲覧数より、自らの感覚を大切にしてください。
「今回の表現は、以前より確実に前に進んでいる」 「目的に合わせて中身のある発言ができたと思う」 「ほんとうに書くに値することを自分の言葉で書けた」 このような手応えが得られれば、間違いなく自信になる。
そんな意識や心の余裕は、読む側・聞く側にも伝わるもので、周囲の反応や評価も変わってきます。
このことは、私たちを取り巻くネット空間の知的退廃、それにSNSでの受信と発信の繰り返しに空虚や閉塞を感じ取っている人にとって、「人生が変わる」といっていいほどのインパクトがあるでしょう。
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2023年06月10日

日本の教育は"授業以外"が多すぎる…部活に掃除当番、行事の山で「学校=友達」になってしまう弊害

日本の教育は"授業以外"が多すぎる…部活に掃除当番、行事の山で「学校=友達」になってしまう弊害
鶴見 済 フリーライター
2023年06月08日 プレジデントオンライン

大勢の写真や集まりに惹かれるのはなぜか。
フリーライターの鶴見済さんは「人間は、進化の過程で集団になり生き延びてきた遺伝子からか、大勢をうらやましいと思ってしまう。
しかし、大勢の世界を押し付けられる息苦しさもあり、そうした世界から逃げ出したい子供たちは増加している」という――。
※本稿は、鶴見済『人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方』(筑摩書房)の一部を再編集したものです。

■なぜ大勢の写真はうらやましく思えるのか
十人二十人という大勢でワーッと盛り上がっている写真。
知り合いがそれをSNSにアップしているのを見れば、「ああうらやましいな」と思うだろう。
数人でならよく人と会っていたとしても、この「大勢でワーッ」にはかなわない。
その交際だけでは足りないような、どこか負けているような、寂しい気がしてしまう。

本来広くつきあうか、少人数が好きかという、人づきあいのタイプの違いに過ぎないはずなのに。
ああいうものは、なぜそれほど心に迫ってくるのだろう?
ハッキリ言えば、人間は仲間の数が多いほうが強い。
これはどうしても言えることだ。
近所を歩いていて、学校帰りの子どもが道端で大勢で盛り上がっていることがよくある。
仮にそれが小学生であっても、そのそばを歩いて通り過ぎるのは少し怖い。
何か冷やかしの言葉を飛ばされたりしないかと警戒してしまう。
実際にそうされたことが何度もあるので。

けれどもこちらに数人でも仲間がいたら、もう怖くない。
海外旅行で危なげな街を見物する時など、ひとりでいるのと複数でいるのとでは、まったく気分が違う。
あれは本当に不思議なものだ。

■野生の世界では数が多いほうが強い
人間には鋭い牙もなければ、イノシシのように速く走れる足もない。
もともと自然界で、他の獣のような強い存在ではなかった。
だから生き延びるためには、集団になる必要があった。
こうした遺伝子が生き残ったので、今も集団に入っていたい欲求がある。
これが進化心理学という分野からの説明だ。
確かにある局面では、今でも人数が多いほうが強いと言えるのだろう。
SNSなどで誰かと言い合いになった時は、加勢してくれる人がひとりでも多いほど力は格段に強くなる。
さらにSNSではフォロワーや友達の数が、はっきりと表示されている。
それが多ければ多いほどいいような気がますますしてきてしまう。

けれどもここは野生の世界ではないのだから、友人の数が多いほど何でもメリットが大きいとは言えない。
大勢でワーッとなっている人たちを見ると負けた気がしてしまうのは、我々の古い脳がそう叫んでいるかららしい。

■世界的にも友だちが多い日本の子ども
そもそも仲のいい友人は、何人くらいいるのが普通なのだろう?
日本の我々が想定する必要な友人の数は、少し多めに設定されているように思う。
「友だち百人できるかな」で有名な「一年生になったら」は、今でも幼稚園の卒園式で歌われる定番の曲なのだそうだ。
ある国際アンケートで仲のいい友人の数を聞いてみたら、日本の学校に在学している人では平均9.6人もいた。
これは先進7か国のなかでも、しかもフルタイム労働者、アルバイトなど様々な立場の人の場合と比べても、飛びぬけて多い数字だった。
ちなみに「学校に通う意義」を聞くと、「友だちとの友情をはぐくむ」が日本では群を抜いて世界一多かった。
他の国で多かったのは「知識を身につける」だったのに(※1)。
日本の学校とはつまり、勉強よりも友だちのためにある場所なのだ。
それが「大勢でワーッ」に対する我々の感覚に影響していることは、十分にあり得る。

■人間関係の訓練をしている日本の学校
なぜ日本では「学校=友だち」になってしまうのか。それには理由がある。
親しい友だちかどうかは、ある程度顔を合わせる時間や回数で決まってしまうものだ。
その後の人生に比べれば学校時代は、ずいぶんたくさんの人間が、よかれ悪しかれ強く心に焼きついていた。
まず授業以外に中学、高校では部活動がある。
運動会や文化祭、合唱コンクール、遠足、修学旅行といった年中行事がある。

クラスには、掃除当番、給食当番があり、班、係などの日々の活動がある。
こんなに人と一緒に何かやっていたら、近く感じる人が増えるのは当たり前のことだ。
けれども授業でもないこうした活動は、考えてみれば奇妙だ。
これらは“特別活動”と呼ばれていて、世界でも珍しい活動なのだ。

「日本式教育」「海外では一般的に行われていない」と教育関係者は自画自賛している。
あるドイツ人の女性と話す機会があったので、そちらには部活はあるのかと聞いてみた。
彼女によれば部活はなく、放課後になったらみんな帰るそうだ。
それだけのことにすっかり感心したのを憶えている。
毎日の印象がどれだけ違うことだろう。

文科省が発表している特別活動の目標をネットで見てみると、「望ましい人間関係を形成する」と何度も何度も書かれていてうんざりしてしまった。
我々は学校で、人間関係の訓練をさせられていたのだった。
放課後どころか、場合によっては土日、授業前の朝まで練習をしていたら、学校にいる時間が長すぎて、半分寄宿制の学校に入っているようなものだ。
もちろんそこには、しつけの意味もあるだろう。
自分が開いている「不適応者の居場所」には、いつも30〜40人ほどの人が集まる。
ちょうどひとクラス分くらいの人数だ。
この集まりで何か共同作業でも頻繁にやれば、もっとたくさんの人と近くなれるだろう。
けれども近すぎるがゆえの摩擦も同時に増えていく。
そうまでして何かをやったほうがいいとは思えない。

■大勢の世界から逃げ出す子どもたち
今日本では、通信制の高校が何かと注目を集める。
学校の数は急激に伸びていて、生徒数も増えている。
通信制では週一日程度の登校日以外は、自宅で勉強するのだ。
また、家庭で独自に勉強をするホームスクーリングをしている子どもも増えていると言われる。
ホームスクーリングは日本では正式には認められていないけれども、アメリカ、イギリス、カナダなどでは教育として公認されている。
またフリースクールに通う子どもや、不登校の子どものための居場所も増えている。
こうした動向を見ると、それ見ろと思ってしまう。
大勢でワーッと騒いでいる世界から逃げたい子どももたくさんいたのだ。
「大勢でワーッ」という写真を見て、「ああうらやましいな」と思う気持ちはいつまでもなくならないだろう。
自分などこの年齢になっても、しかも自分でもそこそこ大きな集まりをやっているのに、やはりそう思うのだから呆れてしまう。
だからと言って、そのためだけに友だちの数を増やそうとしたり、わざわざ集まって集合写真を撮って、SNSにあげたりするのはやめにしたい。
なぜなら、そういうことをするのは美しくないから。単に自分の美意識からそう思う。

※1「世界青年意識調査」第8回(2008年)、第9回(2013年)、内閣府
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2023年06月27日

スマホ片手の現代人がそうなるのは必然だった…ネット世界がやたらと攻撃的になる4つの理由

スマホ片手の現代人がそうなるのは必然だった…ネット世界がやたらと攻撃的になる4つの理由
2023年06月26日 PRESIDENT Online

なぜネットでは頻繁に「炎上」が起きるのか。
心理学博士の榎本博明さんは「スマホだといつでもどこでも瞬時に反応できるため、衝動のままに攻撃的な内容を書き込めてしまう。
ネットに限らず現実世界でも、衝動的に行動する人が増えている」という――。
※本稿は、榎本博明『思考停止という病理』(平凡社新書)の一部を再編集したものです。

■ネットになると攻撃的になってしまう人たち
そもそもネット空間には攻撃的なやりとりが非常に多いと言われる。
実際、ツイッターを使っている人たちは、攻撃的なツイートをしている人をよく見かけるという。
自分の書き込みに対して攻撃的な批判や中傷的な書き込みが返ってきたという人も少なくない。
自分自身も、ネットになるとつい攻撃的なことを書き込んでしまうという人もいる。
ネット空間でのやりとりを見ていると、相手の反論を許さないような雰囲気が漂う。
建設的な議論によってより良い結論にたどり着こうとか、気づきを得ようといった感じではなく、相手を打ち負かすことで自分の優位を誇示しようといった感じがある。
また、普段は遠慮気味でおとなしく穏やかな感じの人物が、ツイッターやオンラインゲームになると、口汚くののしったり、攻撃的な発言をしたりするというのも、しばしばあることだ。

■「幻想的万能感」と「自己誇大感」で好戦的に
ネット空間でつい攻撃的になってしまう理由として、
まず第一に、ネット上のやりとりでは相手に配慮する必要性が低いということがあげられる。
対面の場合は、こちらが攻撃的なことを言った場合、相手の傷ついた様子や腹を立てた様子、困った様子、あるいは悲しそうな様子が、表情や声の調子で伝わってくるし、言い返してくることもある。
だが、ネット上のやりとりでは、相手の様子が伝わってこない。
まずは一方的にこちらの言いたいことを書き込むだけである。
目の前に相手はいないので、対面と比べたら、相手をそれほど意識せずに言いたいことを言いやすい。

第二に、ネット上では幻想的万能感をもつ人たちが発信していることが多いということがあげられる。
ネット社会になって、その気になればだれもが不特定多数に対して発信することができるようになった。
不特定多数への発信は、社会的に大きな影響力をもつため、自分は大きな影響力を行使できる、自分は何でもできる、といった幻想的万能感をもつ人たちが出てきた。
また、ネットで積極的に発信している人は、幻想的万能感をもち、自己誇大感を抱えているため、自分が絶対正しいと思い込み、人の意見に耳を貸さない傾向がある。
そのため、反論されたりすると、ムキになって応戦する。

■スマホが冷静さを取り戻す時間を奪った
第三に、匿名性が保たれるということがある。
自分がだれだか相手にも周囲にも知られないわけだから、自分は安全な場所に身を置きながら人を攻撃できる。
匿名性が攻撃行動を促進するというのは、だれもが経験的に納得できるはずだが、心理学の実験によっても証明されている。

第四に、スマホによって瞬時にネット上で反応できるようになったことがあげられる。
パソコンの時代には、ネット環境があっても、家に帰ってパソコンを起動しないと書き込めなかった。
そのため、学校や職場で、あるいは帰り道とかで腹立たしいことがあって、「書き込んでやりたい」「こき下ろしてやりたい」という攻撃的衝動に駆られても、その場ではどうにもならず、帰ってからということになる。
だが、家に着くまでに頭が冷えて、「もう、いいや」といった気分になる。あるいは忘れてしまう。

パソコンの時代には、いやでも冷静さを取り戻すための時間が与えられていたのである。
ところが、スマホの時代になって、攻撃的な書き込みをしてやりたい衝動に駆られたら、その瞬間に書き込んで発信することができるようになった。
冷静な判断抜きに衝動に任せて発信してしまうため、現実的な配慮を欠くことが多く、衝動的かつ攻撃的な発信がそこらじゅうで猛威を振るうようになっている。

■現実世界でも自己中心的な行動が目立つように
ネット炎上がしばしば話題になるが、そのような衝動的に反応する傾向が、ネットのみならず現実世界でもよくみられるようになってきた。
幼稚園や小学校の運動会などで、わが子や孫の晴れ姿を撮影しようとする保護者たちの最前列の場所取りが過熱化したり、後ろの人に配慮せずに三脚を立てて撮影していてトラブルになったりと、自己中心的な行動が目立つようになってきた。
そんななか、学芸会や校内合唱などで、わが子が主役に抜擢されないと、 「なぜ、ウチの子が主役じゃないんですか?」 「どうして、ピアノの担当はウチの子じゃないんですか?」 などとクレームをつける保護者が増えてきたため、幼稚園も学校も、みんなが主役となるような演出に配慮するなどといったおかしなことが起こっている。

■桃太郎を16人の生徒が演じる不思議
たとえば、学芸会において、何人もの主役が入れ替わるというような不自然なやり方がとられることもある。
桃太郎を16人の子が演じたといったケースさえある。
それは、「なぜ、ウチの子が主役じゃないんですか?」といった保護者のクレームを恐れてのことだという。
でも、だれもが主役でなければならないのだろうか。
サポート役は負け犬であり、犠牲者なのか。
主役になれなかった人の人生は価値がないのか。
そうだというなら、そのような価値観が多くの人たちに挫折感を抱かせることになる。
そうした価値観でいけば、俳優のなかでも主演俳優だけが価値があり、脇役の俳優はみんな負け組で価値がないということになる。
演劇や映画の世界でも、俳優や監督だけが価値があり、それをサポートする道具係や照明係、メイク担当などの裏方は価値がないというのだろうか。

スポーツ観戦に行くと、応援団もチアガールも必死に応援している。
主役はあくまでも選手だし、いくら応援団やチアガールが頑張ったところで、チームの勝敗には関係ないかもしれない。
たとえ勝っても、選手と違ってヒーローにもヒロインにもなれない。
だが、一生懸命に応援している人は、自分が主役かどうかといった自己中心的な構図でものごとを見ているわけではない。
そんな打算よりも、一体感と役割意識で充実し燃焼している。
そのように冷静に振り返ってみれば、わが子が主役に抜擢されなかったからといって大騒ぎする必要などないことに気づくはずだ。

■わが子を注意するより学校にクレームをつける
夏になると、どこの学校でも熱中症になる生徒が出てくる。
そこで、一定の温度より気温が高いときは戸外での運動をやめるとか、水分補給を心がけるなどの対策を取るところが多い。それでも、たまに熱中症気味の生徒が出ることがある。
その保護者が冷静であれば、本人に水分補給に気をつけるように注意したり、家でも塩分の補給を心がけたりといったことをして、いちいち学校にクレームをつけるようなことはない。
クレームをつけるとしたら、部活の先生や先輩が部活中の水分補給を許さないとか、炎天下で長時間運動させるというような特別な事情がある場合に限られる。

ところが、そんな特別な事情もないのに、わが子が熱中症気味になったといって学校にクレームをつける保護者がいる。
すると、学校側は、とくに落ち度があったとは思えないのに、戸外での部活を制限したりする。
一人、あるいはほんの数人が熱中症気味になったというだけで、何の問題もなくふつうに部活をしていた数百人の生徒たちの行動が制約を受けるのである。
このような学校側の対応も、まさに過剰反応と言ってよいだろうが、保護者からの過剰反応とも言えるクレームを恐れるあまり、過剰な対応をしてしまうのである。

■「子どもが可哀想」で田植え体験をやめてしまう
ゲームやインターネットなど、人工的な空間で遊ぶことが多い今どきの子どもたちは、自然から離れた生活を送っているため、自然体験を与えるのは非常に大切なことである。
自然体験教育の一環として、田植えを経験させたり、芋掘りを経験させたりということが、しばしば行われている。
だが、そこでも保護者の過剰反応があり、それに対して幼稚園や学校側も過剰な対応を取りがちとなっている。
たとえば、田植え体験に対しても、うちの子は泥水に入るのを嫌がっているから、このような活動はやめてほしいといったクレームや、あんな足腰を酷使する重労働をさせる必要はないだろう、可哀想だといったクレームがつくことがある。
そんな軟弱なクレームにいちいち屈することはないと思うだろうが、 「教育委員会に訴えるぞ」 というような脅し文句を、保護者だけでなく生徒までが口にする時代であり、保護者からのクレームを過剰に恐れるため、田植え体験という貴重な教育をやめてしまう学校が出てくる。

■保護者も学校側も思考停止状態になっている
芋掘りというのは、田植えよりもっと多くの子どもたちが昔から体験してきたものであろう。
ところが、芋掘り体験に対しても、保護者からのクレームがあるようなのだ。
たとえば、子どもによって掘って家に持ち帰る芋の大きさが違って不公平だといったクレームがあるらしい。
わが子が持ち帰った芋が小さすぎて不満なら、 「もっと大きいのを掘れなかったのか。今度一緒に行って芋掘りのコツを教えてやろう」 などと、わが子に言うべきであって、先生に文句を言うようなことではないだろう。

だが、今の幼稚園も学校も、保護者の過剰反応的なクレームにも過剰に対応する。
困った先生から相談を受けた農家の人が、つぎからはそのような不公平が起こらないようにと、小さな芋を間引きし、できるだけ均一な大きさの芋を掘れるように配慮することさえあるようだ。

このように、非常識で自己中心的な保護者からの理不尽なクレームがまさに思考停止による過剰反応であり、それに対して学校側が過剰に対応することも思考停止と言える。
ごく少数の非常識なクレームにビクつき、いちいち対応するために、過剰反応的なクレームが後を絶たず、それによって良識ある多くの生徒たちに不利益が生じることになるのはいかがなものか。
そこには思考停止による不適切な反応の連鎖がみられる。

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榎本 博明(えのもと・ ひろあき) 心理学博士
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2023年08月04日

大量退校、玉砕美談…防衛大で今何が起きているか 教授が実名告発

大量退校、玉砕美談…防衛大で今何が起きているか 教授が実名告発
2023/8/3 毎日新聞

 新入生の大量退校、多発する不祥事やハラスメント、極右論者の浸透……。どこの話かと思えば、これが日本の安全保障の要、幹部自衛官を育てる防衛大学校(神奈川県横須賀市)で起きていることだというから衝撃である。
防大の等松春夫教授が実名で告発した。
防大で何が起きているのか?【構成・吉井理記】

新1年生の約20%が退学  
――毎日新聞のインタビューに先立ち、集英社オンライン上で論考「危機に瀕する防衛大学校の教育」を公表しました。
学校運営の硬直化や教官・教育の質の低下が多くの退学者や不祥事を生んでいる、日本の安全保障にとって危機的だ、と警鐘を鳴らすものです。

なぜ実名で告発を?
◆いくつか理由はありますが、ここ3年ほど、アジア・太平洋戦争中の最悪の戦いの一つ「インパール作戦」の戦史の英訳の仕事をしていたことがあります。  

――1944年に旧日本陸軍が北ビルマとインド東部で展開した作戦ですね。
苛酷な戦場の実情を無視した軍司令官の作戦指導が、膨大な犠牲者を生みました。

◆英訳の過程で資料を大量に読み直したのですが、きちんとしたリーダーがいないことがどれほど悲惨な結果を招くか、改めて痛感したのです。
防大は将来の自衛隊のリーダーを育てる学校ですが、防大の現状を思うと、自衛隊もいずれ同じことをやりかねない、と思いました。
これまでも内部で問題提起をしてきましたが、改善の兆しはない。
まともな組織になってほしい、という願いで世論に訴えました。  

――最大の問題は少なからぬ学生が防大や自衛隊に背を向けてしまっていることだ、と。どういうことですか?  

◆少し説明しましょう。
防大を卒業した学生は、自衛官に任官し、さらに陸海空の各幹部候補生学校で学んで部隊に配属されます。
毎年、メディアは自衛官にならなかった卒業生を「任官辞退者」と報道しますが、卒業段階の数字だけ取り上げてもあまり意味はない。

 ――昨年3月の卒業生479人のうち72人が任官を辞退し、自衛隊を去ったことは驚きをもって報じられましたが……。  

◆それも大変な問題ですが、実情はもっと深刻だからです。
昨年で言えば、4月入学の新1年生488人のうち、1年以内に約20%、100人近くが退学してしまったのです。
2、3年生で退学する学生も相当いますし、任官して幹部候補生学校に進んでから間もなく退校する者も少なくありません。  
――読売新聞3月2日付朝刊では「今の若者は打たれ弱いから」などと理由が説明されていますね。

◆とんでもない。防大の現役教官として申し上げるが、それは違う。
体力もあって努力もいとわず、良きリーダーや指揮官になるだろう、と思われる若者ほど幻滅して辞めるのです。
私も彼らの悩みをじかに聞いてきました。
そんな人材が辞めるのは自衛隊にとって由々しき事態です。

――それほど熱意のある学生がなぜ退学を?  

◆大別して二つの理由がある。
まず「学生舎」の問題です。
学生は学生舎と呼ばれる建物で1〜4年生の8人が1部屋で暮らし、上級生が下級生の生活を指導(学生間指導)します。
善良な上級生なら良いですが、悪質な3、4年生のいる部屋もある。
いじめて退学させたり、「指導」と称して私用を言いつけたりする上級生もいますし、2020年には上級生が下級生を巻き込んでトランプ賭博事件を起こし、警務隊が動く事態になりました。
13年には学生たちがウソの負傷申告をして保険金を不当に得た事件も発覚しています。  

――賭博は違法行為です。上級生に逆らえないのですか。  

◆学生間指導のあしき結果で、下級生は上級生に無条件で従う、という「空気」が醸成されてしまうのです。
これは本来はおかしい。
幹部自衛官は上官の誤りを制止するのも責務です。
そのまともな感覚を持ち続ける学生ほどあきれて辞めてしまう。
学年別の部屋にする、学生間指導をやめるなど、学生舎のあり方の見直しは必須です。

衝撃の「エア通訳」  
――ではもう一つの理由とは?

◆防衛学教育学群の一部の教官と科目の質があまりに低く、学生の期待に応えられないのです。
防大は「日本で唯一防衛学を学べる学校」であることを強調しています。
実際、私も面接で志望者から「防衛学を学びたい」という声をたびたび聞いてきました。
防衛学とは諸外国でいえば軍事科学であり、体系性を持った学問です。ですが……。  

――現実は違う?.  

◆同群の教官40人のうち専任は10人で、残り30人は自衛隊のローテーション人事で制服自衛官が務めます。
中には優秀で熱心な教官もいますが、そうでない人も少なくなく、真に防衛学に値する授業が少ないのです。
例えば「リーダーシップ教育」と称して、旧日本軍の将軍や提督を持ち出し、彼らがどう部下を統率したか、あるいはいかに勇敢に戦って玉砕したか、といった精神論のような話を聞かせる。
科学的に安全保障や軍事を考える防衛学と呼べるシロモノではない。
学生から何度も「あんな授業で良いのか」という声を聞きました。  

――旧軍の偉人談を聞かされても……。  

◆さらにあきれるのは、教官が偏った思想の論者らを自分の授業の枠内でゲストスピーカーとして招き、講演をさせることです。
私が実際に見たケースで言えば、最晩年の英国人ジャーナリスト、故ヘンリー・ストークス氏(22年死去)がいます。
彼を招いたのは海自3佐の准教授です。

――補足すると、若い頃は三島由紀夫と親交を持ち、「ニューヨーク・タイムズ」東京支局長を務めた著名ジャーナリストですね。
晩年は極右論壇でもてはやされ「大東亜戦争は日本が勝った」といった著書で「大東亜戦争肯定論」を唱えました。
陰謀論や歴史修正主義的な本もある。
ただし、息子のハリー杉山さんがNHKの番組などで公表したところによると、12年ごろからパーキンソン病と認知症を患っていたそうです。  

◆問題の講演を聞いていて、驚きと不審の念を持ちました。
というのは、ストークス氏には「通訳」と称する男性が付き添ってきた。
ストークス氏は英語を中心にスピーチをして、男性が「通訳」するのですが、私の記憶では、ストークス氏が英語で話していないことまで、日本語で「通訳」していたのです。  

――「エア通訳」ですか。すごい光景ですね。  

◆それでも防大自体では学校としてトンデモ論者を招いたことがないのでまだましですが、幹部候補生学校や幹部学校など他の教育機関では、組織として公式に招いてしまっているんです。  

――20年には陸自の幹部候補生学校が、日本の近隣国について「韓国はゆすりたかりの名人」「韓国の民度が低いというのは単なる事実」といった言動を著書などで繰り返してきた作家の竹田恒泰氏に講演させましたね。  

◆防大時代の教え子で、幹部候補生学校に在学していた若い自衛官からこんな話を聞きました。
竹田氏の講演を聞かされ、感想文の提出を求められた教え子は、竹田氏の言ったことのどこが間違いかを列挙して提出した。後で教官に「失礼だ。書き直せ」と命じられたそうです。  

――失礼って……。自衛隊のエリート養成機関で、そんな講演がまかり通るのはなぜでしょう。  

◆防大でも、文民の教官は一般大学同様の審査を経て採用されますが、多くの自衛官教官は前述の通り、自衛隊のローテーション人事です。
学校教育とは全く別のことをしていた人でも、防大では1佐は教授、2・3佐は准教授という肩書がつく。
修士や博士の学位を持ち、論文や研究書を書いて指導や研究に熱心な教官もいますが、多くはそうした学位もめぼしい論文も指導経験もなく、教員の適性を欠いていると言わざるを得ない。  

――それで教えることができるのですか。  

◆代々受け継がれてきたマニュアル本に沿って授業をするんです。
だから空虚な紋切り型の学習に陥りやすく、中には現在は否定された古い学説を用いて教える人もいる。
のみならず、偏った言説に染まって問題のある論者を招く教官も出てくるのです。  

――そんな授業や学生舎内の理不尽さに学生は幻滅して退学してしまうわけですね。
なぜ優れた人を教官にしないのでしょうか。  

◆一般企業も同じかもしれませんが、自衛隊でも一線部隊が花形で、後方の教育部門は二流の配置だ、という意識があります。
何より一線で能力的にも人間的にも秀でていると評される自衛官は一線が手放さない。
人も金も限られる自衛隊は、第一線に優れた人材を集中させたい、と考える傾向もあります。  

――ならば防大に来る自衛官は?  

◆パワハラや服務に問題のある人が少なくないのが実情です。
一線部隊に問題のある人物を置いておくと、大きな事故やトラブルを招きかねない。
だから仮に不祥事があっても、学内で封じ込められる防大はそんな人物の都合の良い異動先になるのです。
実際、パワハラで知られ、在米大使館の防衛駐在官時代に部下を蹴っとばすという暴行事件を起こし、「ケリー将軍」というあだ名をつけられた陸将が教授に収まりました。
19年には前任地で金銭トラブルを起こした海自3佐の准教授が防大で多数の学生を巻き込む補助金詐取事件を起こし、懲戒免職になっています。  

――問題は根深い。一朝一夕で改善とはいきませんね。  

◆防衛省も自衛隊も、幹部自衛官の教育の何たるかを真剣に考えていないと言わざるを得ません。
でもいくつか手はある。
防大に来る自衛官の人事権は学校長ではなく、自衛隊の幕僚監部が持っています。
教官としての能力や適性に疑問があっても、学校長は実際問題としてその人事を拒めません。
学校運営を担う事務官ら官僚の人事権の大部分も、やはり防衛省の内局が握っている。  

――人事は組織の基本ですが……。  

◆防大に送られてくる官僚の中には、本省への復帰のため、自分の在任中の「事なかれ」ばかりを考えるような人もいます。これでは長期的な視野で、防大の教育はどうあるべきかを考えることはできません。
最低でも校長に人事の協議権は必要です。
自衛官教官も学識や適性を外部機関がチェックして、クリアした人だけを教官にするなどのフィルタリングは欠かせません。  
   *      *  
等松教授の指摘に対し、防大の久保文明校長は「過去に教官・学生によってあってはならないことが起きたことは事実」だが、現在はさまざまな努力によって改善してきているとして、「過去の事案で現在の防大をも象徴するかのように決めつけるのは公正さに欠ける」などとする反論を公表している。

とうまつ・はるお
防大人文社会科学群国際関係学科教授。
専門は国際関係史
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2023年08月29日

「電車はいろんな状況の人が乗っています…」 修学旅行の児童たちを行儀よく振る舞わせた先生の言葉が胸に響く

「電車はいろんな状況の人が乗っています…」 修学旅行の児童たちを行儀よく振る舞わせた先生の言葉が胸に響く
8/27(日) まいどなニュース

電車で修学旅行や遠足の学生と出くわし、あまりのやかましさに閉口したことがある方は多いと思う。
そんな時、脳裏をよぎるのは「引率の先生は何をしているんだ?」という言葉。
実際は先生もどうにか行儀よく振る舞わせようと四苦八苦しているはずが、たまのイベントに浮かれる子供たちに言って聞かせるのは並大抵のことではないのだろう。
今、SNS上でそんなシーンで大きな効果を発揮しそうな"ある先生の言葉"が大きな注目を集めている。

「今でも覚えているんですが、小学校の修学旅行の時、新幹線に乗ったんですね。
当時の先生がみんなに… 電車というものは、いろんな状況の人が乗ってます。
楽しく旅行に向かう人、これから仕事に行く人…もしかしたら、ご家族が急病で、そこへ駆けつける人…お葬式の帰りの人もいるかもしれません。
君たちは、楽しい旅行ではあるかもしれませんが、そんな人達がいるかもしれない、そんな気持ちを心の片隅に置きながら行動してください。 と言ったんです。
ちょっと荒れた学校だったけど、ギャーギャー騒ぐ生徒は一人も出なかった記憶。 きちんと説明することが大切。」 と自身が小学生の頃のエピソードを紹介したのは鉄道タレントの古谷あつみさん(@railway_atsumin)。

圧をかけるのではなく、学生ひとりひとりの心に訴え、「もし自分の立場だったらどう思うか」を想像させてくれる思慮深い先生の言葉。
この言葉を受け、古谷さんたちは自然と行儀よくふるまうことができ、楽しく旅行できたのだという。

古谷さんの投稿に対し、SNSユーザー達からは 「ただむやみに押さえつけるだけじゃなく、理由をわかるように話すことってホント大事ですね」
「人生において何が大切なのかを教えれる先生は偉大 教科書に書いてあることを読むことなんて誰でもできる」
「同じ場にいても自分のメガネを通してみる景色と相手に見える景色は全く違うことを学べるときっと優しい大人になれると思います。」
「『想像させる』って大事。 そうやってキチンと説明してもらうと、子供だって思いやりの気持ちになるんですね。」 など数々の共感の声、感動の声が寄せられている。

古谷さんにお話を聞いた。

ーー当時の先生のご年代、お人柄についてお聞かせください。

古谷:
当時の年齢で40代後半だったかと思います。隣のクラスの男性教諭でした。
厳しかったのですが、ドラマに出てくるような鬼教師ではなく、何かあった時いつも冷静にみんなを諭すような先生でした。凛としていて、素敵な先生です。

ーー生徒たちから慕われていた先生だったのですね。

古谷:
今回のポストの先生のお言葉にはちょっとした背景もあります。
私たちの修学旅行の行き先は広島でした。テーマは「平和学習」です。
修学旅行に出かける前から、広島や長崎に起きた悲惨な過去を何時間もかけて丁寧に教わりました。
修学旅行は、原爆ドームに行ったり、実際に被爆した方のお話を伺いに行くようなスケジュールで、宮島での観光もありましたが、ほとんどが戦争について学ぶ内容でした。
私は戦争体験者の祖父母に育てられたので、どこか修学旅行は楽しいピクニックに行くような感覚ではなく、日頃学んだことを実際にこの目で体験し勉強しに行く、とても大切なものだという認識がありました。
ですので、より先生の言葉がすんなり入ってきたのかもしれません。

ーー古谷さんたちは先生の言葉をどのように受け止めたのでしょうか?

古谷:
私は当時小学生でしたので、新幹線イコール旅行に行く人が乗るものという認識が少なからずありました。
ビジネスマンだけでなく、先生が言うような状況の人が乗るなんていうところまで、想像力が追い付いていなかったように思います。
私は、祖父母がすぐ近くにいましたし、実家に帰省するなどというイベントもないのです。
子供の世界観はそんなものです。
なので、先生に諭され「そっか!いろんな人がいるよね。それは私たちがうるさくしていたら、きっと嫌な気持ちになるだろうな。」とわかりました。
他の児童たちの気持ちはわかりませんが、車内でトランプをしていた時に、友人がふと大声を出しそうになったけど「はっ」とした顔をして落ち着いたので、きっと私と同じように考えていたと思います。

ーー今振り返り、先生のお話のされ方についてどのように感じますか?

古谷:
私は、独身ですし、子供もいませんので、子育ての大変さはわかりませんし、小学校の教員の大変さもわかりません。
ですが、高校と専門学校の講師をしておりましたので「子供に伝えることの難しさ」は少しわかる気がします。
「こういうふうに伝えたい」と思っても、自分の意図と全然違うふうに伝わってしまうこともあります。
子供を持つ親や、先生方は日々とても苦労されていると思います。
しかし、先生は諦めずに丁寧に説明してくださり、なおかつ「心の片隅に置きながら行動してください」と、私たちの判断に委ねてくださったのです。
これは「どうせ言っても伝わらないだろう」「自分の真意は伝わらないだろう」ではなく、しっかり説明すれば伝わると信じてのことだと思います。
こういう思いは子供は敏感に感じ取ります。
結果、今回お話した修学旅行のような結果につながったのだと思います。

◇ ◇
言葉は使いようで人を傷付けもすれば、逆に励まし、人間的成長をもたらすこともある。
古谷さんの先生のような伝え方は誰にでも真似できるものではないが、相手の心に向かい合って話しようという心構えはぜひ見習いたいものだ。

なお古谷さんは9月3日に横浜市西区のNaked Loft Yokohamaで鉄道トークイベント「てっけん!#3」に出演。また現在、これまでに出演したMONDO TVの鉄道番組「鉄道ひとり旅〜女子鉄編〜」が一挙再放送中なのでご興味なる方はぜひチェックしていただきたい。


古谷あつみ(ふるや・あつみ)さんプロフィール
松竹芸能所属、鉄道タレント

小学生の頃、社会見学で近くにある車両基地へ行ったことを機に、鉄道ファンとなる。
新幹線の車内販売員を経てJR西日本の駅員となった後、芸能界デビュー。
現在はタレント活動のほか、執筆活動もしている。

(まいどなニュース特約・中将 タカノリ)


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2023年09月09日

【軍隊教育?】まるで子供達の行軍…大豪雨なのに「登校せよ」学校現場の命に関わるナンセンスなルール

【軍隊教育?】
まるで子供達の行軍…大豪雨なのに「登校せよ」
学校現場の命に関わるナンセンスなルール
9/8(金)  FORZA STYLE

日本列島の広範囲にわたって線状降水帯が幾度となく発生し、浸水や土砂災害などの大規模被害をもたらしている昨今。
この季節は台風が多く発生し、一年の中でも最も危険度の高いシーズンだ。
今回は6月に起きた豪雨で、愛知県内で被害が大きかった地域にお住まいのお二人MさんとKさんに、小中学校の対応に関するお話を聞いた。

災害級の雨となることが大きく報じられていたわけだが、Mさんはお孫さんの小学校が、Kさんはお子さんの中学校がそんな状況下でも休校とならなかったことに対し、大きな疑問を感じている。
「大雨の前日から、”災害級の雨だ””備えをしておけ”とニュースで言っていたので、私もお水や食糧を買い込んだり、家のまわりの物を片付けたりしておいたんです。
うちは娘夫婦が朝早くから仕事なので、私が孫の世話をしているんですが、今回の大雨については小学校から前日にメールを受け取りました。
明日は午後から雨がひどいようなので、午後の授業はとりやめて下校させますと」

災害級の雨なのに孫を登校させるのか、午後からひどくなる予報なら午前から備えるべきではないのか、と戸惑いを覚えたMさん。
しかし、最近は「何十年に一度の〇〇」という予報があっても、フタを開けてみたら想像よりも大したことはなかったというケースが多かったので、油断もあったという。
「学校が言ってきたことに従う、という癖がついているというのもあると思います。
その姿勢がいけないわけじゃないけど、こんなふうに危険が迫っている場合は、もっと主体的に”いや、うちは休ませます”と私が言っても良かったんですよね」 Mさんはそう自分を責めた。

「結局、今回の雨は私たちの想像を上回るひどさでした。
私が子どもの頃は、うちの辺りはよく冠水していたんですよ。
それ以前の私の親世代はもっとひどくて、どの家も水害に備えて小舟を常備していたという話も伝え聞いています。
ですが、何十年とそんな被害もなく、水害対策に力を入れてきた成果もあるのかしらと高をくくっていましたね」
Mさんのお孫さんは、おばあちゃん思いの優しい子だという。
学校から「今回は保護者が迎えに来ても良い」という知らせが来たため、「おばあちゃんが迎えに行ってあげる」と申し出たものの、お孫さんは「歩いて帰るからお家にいて!」と答えたのだそう。
「ですが、後で聞いた話では、多くのお子さんがお迎えで帰ったとのことです。
うちの孫たちは通学班担当の先生が付き添ってくれたとはいえ、かなりの少人数で帰ってきました。
途中でもし何かあったら、先生お一人でも子どもたちを守り切れるかどうかわかりませんよね」

Mさんは、市から示されている休校に関する従来のガイドラインを、今すぐに見直す必要を強く感じている。
「最近は天気の予想がつきづらく、深刻な事態になることも多いんですから、予報が出たら結果はどうあれ、早めに休校を決めるべきではないでしょうか。
市では大雨警報では原則通常どおりに登校となっていて、無条件に休校となるのは暴風か暴風雨警報が出た時のみです。
最近の雨の降り方を見てれば、こんなルールはすぐに見直さなければダメですよね」
Mさんは、自分たちで判断すべきだったという自戒の念も持ちつつ、そう語ってくれた。

確かに昨今の異常気象から考えれば、該当する警報が発令された時のみの休校措置では危険を回避できない場合もあろう。
今回の被害を教訓に、早急な見直しが求められる。

今回お話を伺った2人目のKさんは、愛知県内にお住まいの会社員。
居住地域には床上浸水の被害も多数出たという。
「こんなひどい雨は生まれて初めて経験しました。
激しい雨がまったくゆるむことなく長時間続いて、まさに命の危険を肌で感じましたね」
しかし、Kさんは夫ともども今回の豪雨でも仕事を休むことはできなかった。
子どもが通う中学も休校とはならず、部活のみ取りやめとなる旨、事前に学校から連絡があったそうだ。
「その報告も二転三転したんです。前日までは部活もやると聞いていました。
それで豪雨当日に部活中止が決まり、下校時間が変更されたんです」

被害が拡大した当日は、朝早くから雨がひどかった。
後で友人から聞いた話では、子どもを送ってきた保護者の車両で、中学校付近も大渋滞していたらしい。
「雨で視界が悪いなか大渋滞なんて危ないし、うちみたいに親がもう出勤しちゃって送れない子はズブ濡れで登校するんですよ。
そもそも不公平ですよね。
そんな不公平な登校となること自体、公立中学ではあってはならないのではないでしょうか」

しかし、Kさんがもっと問題視しているのは、休校措置が取られなかったことだという。
「うちのあたりは避難指示が出たんです。
私の職場でも帰宅命令が出ましたが、それよりも前に子どもの中学からまたメールが入って、やっぱり下校時刻を早めると言ってきたんです」

そもそも仕事中にメールをよこされても、見られないことの方が多い。
緊急連絡が必要な状況などは、可能な限り避けるべきだとKさんは思う。
「下校時間が何度も変更になったうえ、”迎えに来たい保護者は来てください”って。めちゃくちゃじゃないですか?」
Kさんの憤りはさらに熱を帯びる。

それは、避難指示が出ている最中に、学校が通常通りの下校をさせたからだ。
衝撃の後編に続く。

    取材・文 中小林亜紀
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2023年09月16日

四年で学んだ諦めること。世の中には頑張っても報われないことがある

四年で学んだ諦めること。
世の中には頑張っても報われないことがある
2023.9.15 2033 view

私は今、大学4年生だ。
2019年、私は受験勉強に必死だった。
とある教授のもとで勉強したくて、来る日も来る日も受験勉強に精進していた。
当時の私は、そこで学べないなら、大学に行く必要はないとまで思っていた。
結果は虚しく、私は周りの大人に説得されて出願していた後期の大学に入ることになった。
今までの自分が全て否定されたような気持ちになったし、新しい目標も見つけられなかった。

◎ ◎

私はもぬけの空になりたかった。
誰とも会いたくなかった。4
しかし、私はきょうだいがたくさんいる家庭の長子で、家族に心配をかけるわけにはいかない。
両親が共働きなので、家事をこなす必要もあった。
私は普通に振る舞わないといけなかった。

自分の部屋はもちろんないから一人になれない。
ほんとはもっと泣きたかったし、誰かに今までの努力を認めてほしかった。
私には強くなる必要があった。
幸か不幸か、2020年春、世の中は大きく変わった。
コロナ感染症が広まり緊急事態宣言が出されるなど、行動が大きく制限されることとなった
描いていたような大学生活のかけらは一ミリたりともなかった。

◎ ◎

2020年のゴールデンウィークくらいに得点開示がきて、合格ラインまで数点だったことを知った。
もちろんこの数点にたくさんの人がいるのかもしれないが、人生がこの数点、センターの問題一問でうまく行っていたと思うととても悔しかった。
私は自分の生まれ持った才能が皆無だから努力するしかないと信じていた。
勉強をすれば学校のテストや模試の結果は良くなったから、努力は報われると信じて疑わなかった。
私の努力不足かもしれないが、世の中には頑張っても報われないということを学んだ。

私は受験の失敗やコロナ感染症拡大というこの四年間の大きなイベントから、諦めることを学んだ。
そして、受験が終わるまで、勉強をやっていたおかげで他に趣味はなく、空っぽな人間だということに気付かされた。
そして、真面目に向き合うことができていた勉強にも「どうせやっても無駄」という思いがどこからか生まれてしまい、それまでのように真面目に取り組むことができなくなった。

授業を聞く分には知的好奇心が刺激されて良いのだけれども、知識の定着をする勉強にしっかりとは取り組めなくなった。
こんなに適当でも生きていけること、成績も悪くはなりはしないことが不思議だった。
容量のいい人はもっと早くに気づいて、余暇を充実させて生きていたのかもしれない。
私は昔の自分が馬鹿馬鹿しく思える。

  ◎   ◎

それまでの私は、本当に諦めが悪い(よく言えば一途に粘り強い)人間だった。
自分が怠けてるからよくないことが起きる のだと信じていた。
周りが見えていなかった。
しかし、それはとても傲慢な考えだと思った。

私みたいは何の才能もない人間が、努力だけで何でもできるようになるんだったら、世界中の才能に溢れた人たちが、どんな困難をも穏やかに乗り越えてきただろうし、世の中をもっと良くしていたはずだ。
それがそうはなっていない。

大人に近づくということは、選択していくこと。
裏返すと、自分の限界を見出し、諦めていくことなのかもしれない。

子どもの頃、キャラクターになりたいなどと憧れていた自分が懐かしい。

■ぷにたんのプロフィール
都内在住の大学生 
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2023年09月18日

99%と100%が決定的に違う理由

99%と100%が決定的に違う理由
2023年09月17日 ダイヤモンドオンライン

頑張っているのに成果が出ない。
どうすればいいのか、途方にくれる人も少なくないだろう。
そんな人におすすめなのが、『1位思考──後発でも圧倒的速さで成長できるシンプルな習慣』。
「週刊ダイヤモンド」「トップポイント」など数々の書評で絶賛。創業9年目で売上300億円にしたアンカー・ジャパンCEOの猿渡歩氏、初の著書だ。
猿渡氏は「適度にサボると生産性は上がる」という。
コンサル→ファンド→27歳アンカー・ジャパン入社→33歳アンカーグループ最年少役員→34歳アンカー・ジャパンCEOになった著者が、参入したほぼ全製品カテゴリーでオンラインシェア1位になった秘密は、シンプルな6つの習慣にあった。
本書の一部を抜粋しながら急成長の秘密を明らかにしていこう。

■99%と100%は何が違う?
 99%と100%は「1%しか違わない」と思う人が多い。
 だが、本当にそうだろうか。
 私にとってこの差はものすごく大きい。  正直、「1%以上に大きい」と感じている。

 ここでいう100%には2つの意味がある。
 一つは周囲から見て完璧な状態を目指すこと。
 もう一つは自分なりの100%を目指すこと。

 まず、前者の話をしていきたい。
 本書で何度か触れてきたが、私たちが扱っている製品は、ほとんどが後発だ。
 空飛ぶ自動車のような特別な新製品をつくってきたわけではない。
 充電器、バッテリー、ケーブル、イヤホンなど、どれも新たに製品カテゴリーをつくったわけではない。

 私たちはレッドオーシャンに船を漕ぎ出した。
 すでに競合が多数存在し、競争が激しくなっている市場に後から進出した。
 レッドオーシャン市場は、競合が多いことから新規参入でのシェア拡大は困難で、価格競争が起こりやすいことから、資本力がない企業は難しい市場とされている。
 それでもシェア1位を獲得した。

■最後の最後で効いてくる習慣
 なぜ1位になれたのか?
 本書では第4章まで 「全体最適」 「バリューを出す」 「学ぶ」 「因数分解」  という4つの習慣を話してきた。
 ここからは「1%にこだわる」という第5の習慣を紹介する。

 これが実は、シェア1位になるために、最後の最後で効いてくる習慣だ。
 アンカー・ジャパンの急成長を見て、「特別なこと」をやったと思っている人が多いかもしれない。
 だが、ウルトラCは私個人の感覚では一度もない。
 当たり前のことを積み上げてきただけ。
 だからこそ再現性があるといえる。
(本稿は『1位思考』の一部を抜粋・編集したものです)
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2023年11月18日

PTAはほんとうに必要?…「事実上の強制加入・教室のカーテン洗濯まで肩代わり」「保護者の声を学校や行政に届ける役割」

[The論点]
PTAはほんとうに必要?…「事実上の強制加入・教室のカーテン洗濯まで肩代わり」「保護者の声を学校や行政に届ける役割」
2023.11.17 読売新聞

■ 子どものために家庭と学校が協力しようと、学校ごとに作られている組織がPTAです。
ただ、「仕事や育児で忙しい」「無理に委員をさせられるのが嫌だ」と敬遠する保護者もいます。
忙しい家庭が増えている時代に、保護者が負担に感じるようなPTAは必要なのでしょうか?

◇ A論か、B論か。多様な意見に触れて「情報的健康」を保ちましょう。

■[A論]共働き家庭増えているのに、見直しなく
 入会は任意なのに事実上の強制だったり、学校の業務を肩代わりしているだけだったりするようなPTAについては、「いらない」という声が聞かれました。
 大阪府の会社員女性(41)は昨年5月、子どもの小学校のPTAから「委員に決まった」という通知を受け取りました。委員に立候補したことはありませんが、この小学校のPTAには、保護者全員が会員となり、一度は役職を務めるというルールがあるためです。
役職の免除には、会員の前で理由を発表して承認を得る必要があるため、やむを得ず引き受けたものの、「強引すぎる」と憤ります。
また、保護者全員を自動的に会員にして、「委員は2ポイント」などと役職ごとの配点を決め、卒業までに一定ポイント分の役職を担うことを義務づける「役職ポイント制」を導入しているPTAもあります。
 本人の意思を考慮せずに役職を割り振る運営には特に反発が強いため、奈良市PTA連合会は「PTA活動は『できる人が、できる時に、できる事を』」「全ての会員が平等に仕事をする団体ではない」という手引を作り、入会も活動も任意だと呼びかけています。
 専業主婦が多かった時代は、母親がPTAの業務の多くを担っていました。
ただ、夫婦共働きの家庭が増えている今でも、業務を見直さず、前例を踏襲している運営方法に疑問を持つ保護者もいます。  千葉県の会社員男性(47)は2年前、「やりたい人がいないなら役員を減らせばいい」と会合で提案しました。
拍手が起きましたが、役員の人数は見直されず、「共働きが増えてなり手がいないのに、変わろうとしない」と振り返りました。

 「教室のカーテンの洗濯」「教室の空調設備費を負担」など、本来は学校が行ったり自治体の予算を充てたりするようなことを、PTAが肩代わりするケースに疑問を持つ保護者もいます。
 このようなPTAの姿に、PTAに関する著書もあるフリーライター、大塚玲子さんは「PTAは、学校に言われるままに業務を引き受けるお手伝いになっている。
本来は、保護者同士で情報交換したり、時には学校に厳しいことを言ったりする組織であるべきではないか」と疑問を呈します。
 PTAの問題に詳しい文化学園大の加藤薫教授は「PTAがなくても、学級懇談会で担任としっかり意見交換できれば、保護者の声を学校に伝えられる。
学校が保護者の手伝いを必要とするなら、その都度、協力を呼びかければいい。保護者にお金と労力を使わせるだけの組織であれば必要ない」と指摘しています。

■[B論]保護者の意見、学校や行政に伝える役割
 学校や教育委員会は「閉鎖的」「内向き」と批判されることも少なくありません。
このため、さいたま市PTA協議会会長の郡島典幸さん(49)は「PTAには、保護者の声を学校や行政に伝え、困りごとを地域で解決するという役割がある」と強調しています。

埼玉県では10月、自民党県議団が、子どもだけでの留守番などを「虐待」として禁止する条例改正案を県議会に提出しました。
預け先がなかったり保護者が働いていたりするために、子どもだけで留守番をしている家庭は多いのが現実で、成立すれば多くの家庭が条例違反となりかねません。
 同協議会は、改正案に反対する意見書を自民党県議団長に手渡し、約2万9000人分の署名を提出しました。
このような反対の動きが強まり、自民党は改正案を取り下げたのです。
郡島さんは「保護者を代表するPTAという組織だからこそ、意見を聞いてもらえ、取り下げのきっかけを作れた」と振り返っています。

 近年、学校現場は業務の多さと教員の忙しさが深刻化しています。
2022年度の文部科学省の調査では、小学校教諭の64・5%、中学校教諭の77・1%が、国の指針で定める「月45時間」の上限を超える時間外勤務(残業)をしていました。
 この状況から、兵庫県姫路市の荒川小学校PTA会長、三木貞徳さん(46)は「学校は人手不足で、先生だけでは子どもや行事に対応できない」と、PTAが学校をサポートせざるを得ないと感じています。
最近も、農業を体験する行事が行われた時、移動する子どもを案内するなどの活動をPTAの会員が行いました。
 地域での交流が少なくなり、保護者が知り合う機会も減っています。
このため、全国PTA連絡協議会代表理事の長谷川浩章さん(61)は「PTAは保護者同士が結びつき、学び合う場として必要な組織だ。
PTAで培われたつながりが、地域の結びつきの基礎にもなっていく」と話しています。
さらに、子どものために、保護者と教育行政が対等に協力や連携をする組織としても重要だと訴えます。

 PTAの活動の支援サービス「PTA’S(ピータス)」を運営する「さかせる」の増島佐和子さんは、PTAに求められている役割として「人手不足と業務過多で多忙を極める教員をサポートし、教員が児童と過ごせる時間を増やすことだ」と指摘します。
また、「保護者の間で、子どもへの性教育やキャリア教育、金融教育などのニーズは高い。このような講演を企画して、教育現場に多様な視点を投じることもPTAの役割だ」と話しています。

■「希望者のみ」へ改革も
 日本にPTAが誕生したのは、戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が、民主的な教育を普及させようと設立を奨励したことがきっかけです。
現在、日本PTA全国協議会の会員は750万人に上ります。
 この巨大な組織にも変化が表れ始めています。
東京都PTA協議会は3月、日本PTA全国協議会から退会しました。
それまでは会員として会費を納め、開催される事業や会議に慣例的に参加してきました。
東京都PTA協議会会長の岡部健作さん(50)は「本当にやりたいのは、学校単位のPTAを支援することだ」と話します。
都内の公立小学校と小中一貫校全校を対象に、PTA活動の効率化を支援するセミナーや、役員を対象にしたオンラインのお悩み相談室などを行っています。

 改革に取り組むPTAも増えました。
千葉県流山市の小山小学校のPTAは、人手が必要な時は、ウェブでボランティアを募る形式に変更しました。
広報紙の発行もやめ、ブログで発信しています。
 千葉県柏市の大津ケ丘第二小学校のPTAは強制加入と役職ポイント制をやめました。
児童数は約300人ですが、今年度の会員は、会長の山口晃一郎さん(37)と校長のほか、希望して入会した3人だけです。
ただ、山口さんは「やりたい人がやれることだけをすれば十分です」と、卒業生から体操服を集めて新入生や在校生に配ることを計画しています。

(生活部 宮木優美、金来ひろみ、木引美穂)
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2023年11月20日

誠と忠義に生きた新選組 結成160年、京都でゆかりの寺院巡る

誠と忠義に生きた新選組 結成160年、京都でゆかりの寺院巡る
11/19(日) 毎日新聞

 幕末の動乱期、藩主が京都守護職だった会津藩の預かりとなって、京都の治安維持に当たった新選組。
1863年の結成以降、尊攘(そんじょう)派を襲撃した池田屋事件などで名を上げた。
「誠」と「忠義」に生きた男たちは、どんな景色を見たのだろうか。
京都市内にある、ゆかりの寺院を巡った。【塩路佳子】

 新選組の屯所だった「壬生」から、会津藩の訓練場があった「聖護院」、京都守護職の本陣が置かれた「黒谷」へ向かった。
この3地域にある壬生寺、聖護院門跡、金戒光明寺は2021年に「京都守護職 新選組巡礼会」を設立。
新選組の結成160年となる23年は、11月21日から隊士が着たとされる「だんだら羽織」を連想させる特別なご朱印台紙を用意して幕末ファンを迎える。

 阪急大宮駅から西南へ歩を進めると、新選組が訓練場として使った壬生寺に着く。
境内の壬生塚には近藤勇の胸像や髪を祭る遺髪塔があり、初代局長の芹沢鴨や池田屋事件で命を落とした隊士の墓が並ぶ。
7月には土方歳三の胸像が完成した。
土方と言えば洋装の肖像が有名だが、像は和装で、男前の総髪姿だ。
「壬生にいた頃の姿を思い描いてほしい」と松浦俊成・録事(25)は話す。

 新選組は毎月6日間(4と9の付く日)、剣術などの訓練に励んだとされる。
馬での乗り入れや大砲の使用は禁止されていたが、大砲の衝撃で本堂の瓦が落ち、障子も破れるなど守られていなかった実態も浮かぶ。
寺側が訓練の改善を御所に訴えた嘆願書が残っている。
沖田総司が境内で子どもと遊んだり、隊士が池のスッポンを力士に振る舞ったりした逸話も伝わる。

 聖護院門跡までは市バスで約30分、祇園を抜けてバス停「熊野神社前」で降りた。
草分俊顕・庶務主事(39)は「寺の北西に位置する鴨川沿いに会津藩の訓練場があった」と話す。
広さは約12万平方メートル。
かつての寺領に当たり、寺には「会津藩に練兵場の敷地として渡した」とする書面が1枚残っている。
 会津藩主・松平容保(かたもり)は当初、京都守護職の就任を固辞したが「徳川家への忠誠」から拝命。
1862年12月、1000人の藩士を率いて入京した。
練兵場では、洋式兵法の訓練が行われていたとされる。
長州藩と砲火を交えた「禁門の変」では、京の町が大火に包まれたことが知られる。

 聖護院門跡から東へ徒歩約10分。金戒光明寺を訪ねると、なぜここに京都守護職の本陣が置かれたかがわかる。
小高い地形は自然の「要塞(ようさい)」のようで、町を一望できる巨大な山門がそびえていた。
御所にも近く、当時は1000人が泊まれる大小あまたの宿坊があったというから驚きだ。

 新選組隊士も目にした山門を抜け、橋本周現・執事長(67)に大方丈(1934年に焼失、36年再建)を案内してもらった。容保が近藤や芹沢らと会った「謁見の間」は、いわば新選組発祥の地。
上覧試合をした前庭も再現され、歴史の中に身を投じた感覚になる。
 境内には会津藩の殉職者墓地があり、容保の石像が立つ。

橋本執事長は、新政府軍から「賊軍」の汚名を着せられた会津藩の運命に心を寄せ「最後まで武士道を貫いたのは立派だった」とたたえた。
容保は晩年、徳川家康を祭る日光東照宮の宮司になっている。
 新選組が活動したのは実質5年ほど。
にもかかわらず、今なお人々を引きつける理由は何なのか。
巡礼会の広報担当、古賀文子さん(44)は「若い人たちが私利私欲の為でなく、国の未来を思って立ち上がり、潔く散っていった。その崇高さに引かれる」と熱っぽく語っていた。  

◇京都守護職 新選組巡礼会
 壬生寺(075・841・3381)▽聖護院門跡(075・771・1880)▽金戒光明寺(075・771・2204)――の3カ寺を中心に結成。特別ご朱印の台紙は各寺で受け取れ、ご朱印代込み1500円。
1863枚限定。
A5サイズのクリアファイルが付く
。詳細は巡礼会のホームページhttps://www.kyotoshugoshoku-shinsengumi.com/で。
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2023年11月22日

ハチミツが白く固まった時、どうしたらいい? メーカーの回答が冬に役立ちそう!

ハチミツが白く固まった時、どうしたらいい? 
メーカーの回答が冬に役立ちそう!
2023年11月21日 grape

冷えると白く固まってしまう、ハチミツ。
常温保存が基本ですが、うっかり冷蔵庫に入れてしまったり、気温が下がったりして、固まったらどうすればいいのでしょうか。
固まったハチミツを元に戻す方法を、『サクラ印のハチミツ』で有名な株式会社加藤美蜂園本舗(以下、加藤美蜂園本舗)に聞きました。

■ハチミツは冬場は固まりやすくなる!
――ハチミツが冷えると白く固まってしまう理由は?

ハチミツの主成分はブドウ糖と果糖の2つで、冷えるとブドウ糖がハチミツ中に含まれている花粉や気泡などの小さな粒子を核として固まります。
はじまりは白い斑点のように増え、次第に白く大きな塊に変化します。これがハチミツの結晶化現象です。

――常温でも固まることはある?

結晶化現象は、純粋なハチミツ特有の自然現象です。
外気温が15〜16℃以下になると結晶化が起こりやすいことから、特に冬場は固まりやすいといわれています。
しかし、外気温が低くなるだけではなく、ハチミツの中に気泡がある、振動が加わる、保管場所の気温差が生じる、長期保管をしているなど、さまざまな要因が重なることでも結晶化は起こります。
また、ハチミツの種類によって、結晶化するスピードも異なり、上記の要因に当てはまっていても結晶しないことがあります。
特にアカシアハチミツは、冬場でも結晶しにくいハチミツの代表です。

■固まったハチミツはじっくりと湯煎する
――白く固まったハチミツは問題なく使える?

白く固まっても品質上に問題ありません。
固まってしまったハチミツは、スプーンですくってトーストに乗せたり、温かい飲み物に溶かしたりしてお使いください。

――元に戻す方法は?

固まったハチミツは、鍋でじっくり時間をかけて湯煎することで、元の液状に戻すことができます。
まず、雪平鍋のような底が深い鍋の底に、平らな耐熱の小皿を置きます。その上に結晶化したハチミツを、キャップを外してから置いてください。
固まっている部分が温まるように鍋に水を入れて、コンロの火をつけます。
鍋のフチに小さな泡が出てきたら、火を止めて結晶を溶かしましょう。
水温は50〜60℃が目安です。
お湯が冷めてきたら、再度コンロの火をつけてハチミツを溶かします。

――ハチミツを溶かす際に注意することはある?

結晶化したハチミツは流動性がないため、容器の中心までなかなか熱が通りません。
容器の形状にもよりますが、キャップを取り外し、竹串や菜箸などで結晶を砕きながら湯煎をするのがお勧めです。
また、一度溶かしても、ハチミツはいずれ結晶化します。
結晶を溶かす際に、小さな結晶の粒が残らないように最後までしっかり溶かしてください。
そうすることで、再度結晶化するまでの時間を伸ばすことができます。

寒い時期は常温保存していても、部屋の温度が下がって結晶化してしまう可能性があります。
もしハチミツが冷えて白く固まってしまったら、加藤美蜂園本舗に教えてもらった方法で元に戻してみてください。
また、結晶化したハチミツもシャリっとした食感が楽しめるので、元に戻す前に食べてみるのもいいかもしれませんね!

[文/デジタル・コンテンツ・パブリッシング・構成/grape編集部]
出典 株式会社加藤美蜂園本舗
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2024年01月03日

「新年の誓いを1年中ずっと続ける方法」ベスト1

「新年の誓いを1年中ずっと続ける方法」ベスト1
2024年01月02日  ダイヤモンドオンライン

「新年の誓いを1年中ずっと続ける方法があります」
そう語るのは、SNSの総フォロワー数は300万人を超え、YouTube動画の月間再生数は3億回を超えるなど、日本中で大ブレイクを巻き起こした、ひろゆき氏。
「シンプルな考え方を知れてラクになった」「目からウロコが落ちまくった」と話題を巻き起こした彼の著書『1%の努力』『99%はバイアス』では、「どうすれば影響力を持てるのか?」「口のうまい人がトクする世の中で、どう生きるべきか?」などをマジメに語っている。
そんな彼に、この記事では、「習慣のコツ」について聞いてみた。(構成/種岡 健)

■99%の人は「続かない」
 あなたは新年の目標を決めましたか?
「今年こそ痩せる」 「貯金をする」 「副業を始める」 「ブログを書く」……  など、いろいろなことを始めるかと思います。
 しかし残念ながら、99%の人は、続けることができません。
 じゃあ、どうやって継続させればいいのか。その方法について述べましょう。

■「時間」を決めておく
 目標を決めたら、具体的な行動を決める必要があります。
 ダイエットであれば、「夜は少なめにする」。  
貯金であれば、「月5万円を貯める」。  というように、細かな行動を立てます。
 そして、時間や締め切りをセットにしましょう。

「20時以降に食べないようにする」 「給料日の翌日までに、貯金用の口座に5万円を振り込む」  というように、スケジュールに組み込みます。
 ここでちゃんと「時間」が設定できているかどうかがカギなのです。

■「スタートする時間」が重要
 もしくは、「英語を勉強する」「日記を書く」というように、毎日やるものを目標にする人もいるでしょう。
 その場合も、 「20時半になったら英語のテキストを開く」 「23時になったら日記を書き始める」  というように、スタートする時間を明確に決めておくことがコツです。
 これを、「今日中にやる」「週末にまとめてやる」というように、時間の幅で考えてしまうと、どんどん億劫になっていきます。
 さらに継続させるコツは、終了の時間までを決めておくことです。
 英語の勉強は30分だけにしておく。日記は20分以内に書き終える。  というように、ゴールも設定します。
それにより、時間の質が上がると思います。

(本稿は、『1%の努力』の著者・ひろゆき氏へのインタビューをもとに構成したものです。)
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする