2018年12月08日

「こういうことはこれからもある」元BC級戦犯が残したもの

こういうことはこれからもある
元BC級戦犯が残したもの
11/30(金) Yahoo!ニュース 特集編集部(武馬怜子)

この8月、ようやく連絡先を探し当てた高齢の男性はスマートフォンの向こうで言った。
「(父をめぐる出来事は)忘れました。
ほっといてください。
何も言いたくないんです」。
懇願するような声だ。
「本当に覚えていないんです。分かってくださいますか」……。
敗戦国・日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)は1945年の末から「戦犯」を次々と捕らえ、裁判にかけた。
電話の主は、元被告の遺族の1人である。
広く知られた A級戦犯の「東京裁判」ではなく、捕虜の斬首や虐待などの罪に問われたBC級戦犯の「横浜裁判(横浜軍事法廷)」。
戦勝国・米国によって1000人以上が起訴されたその法廷は、ちょうど70年前の今ごろ大詰めを迎えていた。
(文:武馬怜子/Yahoo!ニュース 特集編集部)
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BC級戦犯1000人超 
捕虜の殺害や虐待で法廷へ
「蛮行、死刑に値す」――。
敗戦の年、1945年12月19日の読売報知新聞はそんな見出しを掲げ、前日に始まった「横浜裁判第1号」の様子を伝えている。
「蛮行」とは、日本軍による捕虜の殺害や虐待を指す。
敗戦濃厚だった時期、日本国内の捕虜収容所では、米兵らの首を斬り落とす「処刑」をはじめ、捕虜をいためつける「虐待」が多発していた。
横浜裁判が始まった当時、ほんの数カ月前まで「軍」を賛美し、戦争を煽ったメディアは既に大きく方向を変え、戦犯となった元軍人らへのバッシングを強めていた。

横浜裁判を主導するのは米国。
合計で1039人が起訴され、有罪率は実に82%。
「絞首刑」判決も123人に達し、実際に51人が絞首刑を執行されている。
スマホの向こうで「覚えてませんから」と取材を拒んだ高齢男性の父親も、そうしたBC級戦犯の1人だった。

戦時中は、中部地方にあった捕虜収容所の監視員。
そこで捕虜の米兵を虐待死させたなどの疑いをかけられ、裁かれたのである。
求刑は死刑、判決は終身刑。
1951年に釈放されて故郷に戻っている。

絞首刑や終身刑を言い渡されたBC級戦犯でも、再審での減刑や釈放によって社会に戻った人たちは少なくない。
そうした元戦犯たちは身内や周辺に何かを語ったのだろうか。
次世代に伝えたいものがあったのだろうか。

「絞首刑」を言い渡された父の日記 文具品などを販売する株式会社「TOHJI(とうじ)」の事務所は、福岡市繁華街・天神の真ん中にある。
ビルの2階でエレベーターを降りると、白い扉が一つ。
今年9月中旬、その扉を開けると、同社会長の冬至克也さん(64)が待っていてくれた。

克也さんの父・冬至堅太郎氏(故人)は、BC 級戦犯として被告席に立たされた元陸軍大尉である。
堅太郎氏が裁かれた事件は「西部軍事件」と呼ばれ、横浜裁判の中でも際立つ存在だった。
日本刀などを用いて「処刑」した米兵の数、起訴された日本軍関係者の数。
そうした「数」の問題だけでなく、誰が誰に「処刑」を命じたかといった責任の押し付け合いも法廷の内外で続いた。

その父の日記を公開することに決めたのだという。
どこかに寄贈したいとの思いもある。
「日記は前からあったんですけど、経年しているので紙が劣化しています。
全部で9冊です。
公開は今年になって、初めて外部に見せました。
貴重な資料なんで」 克也さんが日記を広げてくれた。

青い表紙のファイルが8冊、クリアファイルが1冊。
それぞれにトレーシングペーパーや和紙が綴じこんであり、どの紙にも几帳面な文字がぎっしりだ。
英語やイラスト、新聞記事の切り抜きを貼った箇所もある。

日記の最初は1946年8月13日だ。
堅太郎氏はその数カ月前、GHQの指令で動いた警察に逮捕され、東京の巣鴨プリズンに移送。
横浜裁判では「絞首刑」の判決を受けた。
その後、再審で終身刑に減刑。
さらに、日本の主権回復に伴って1956年に釈放され、郷里の福岡に戻った。

日記はそうした日々の中で記されたものである。
斬首によって米兵を「処刑」したときのこと、法廷で感じたこと、巣鴨プリズンでの暮らし……。
聖書や仏教について論じている箇所もある。
最後は1952年10月。およそ3000ページにもなるという。

敗戦間際 捕虜の米兵を斬首で「処刑」
「西部軍事件」とは、九州地方などを管轄していた旧日本陸軍西部軍管区の軍人らが引き起こした事件で、横浜裁判の審理は、70年前の1948 年10月に始まった。
米軍機の搭乗員だった捕虜約33人を3回にわたって「処刑」したという内容だ。
陸軍の定めた捕虜に対する裁判「軍律会議」を経たかどうかなどが焦点となり、日本側は処刑執行人ら32人が起訴された。

国立公文書館などに残る横浜裁判の資料によると、第1事件は1945年6月20日だった。
現在は小学校となっている福岡市内の場所で、日本刀で首を斬り落とすなどして捕虜8人を殺した。
第2事件は敗戦5日前の出来事で、犠牲者は捕虜8人。空手や袈裟斬り、斬首などによって殺害した。
第3事件は敗戦を告げる「玉音放送」の後に起きている。
それまでの処刑に関する証拠隠滅のためだったとされ、捕虜16〜17人が斬り殺された。

日記を残した冬至堅太郎氏は第1事件に関わっており、米兵4人を斬首した。
いったい、堅太郎氏はどんな行為に手を染めたのか。
公開されている裁判記録や横浜市が保存している「桃井_次家資料」などによると、こんな様子だった――。

1945年6月19日、福岡市は米軍の激しい無差別爆撃を受けた。
「福岡空襲を記録する会」の資料によると、焼失面積は12.5平方キロメートル。
朝鮮半島と結ぶ要衝だった博多港では建物の30%が焼失し、市内全域で1000人以上が死亡・行方不明になったという。

福岡市内の西部軍司令部にいた堅太郎氏は翌朝、母を捜して市内を歩き回った。
遺体のほとんどは老人、女性、子ども。
無残な亡骸の中からついに変わり果てた母を見つけた。

横浜裁判の後、堅太郎氏は当時の心境を後にこう記している。
母は総(すべ)ての人から親しまれ、誰よりも熱心に戦争の終わることを祈っていたのでした。
母は惨死しました。
真心を以(もっ)て母を愛している人であったならこの時の私の悲痛と敵愾心(てきがいしん)の混じった深酷且(かつ)複雑な興奮はよく想像して頂けると思います =「再審嘆願書」、作成年月不明

息子の克也さんによると、「鬼畜米英」と教え込まれていたにせよ、「父は実際にそう思ったことはなかったのでは」と振り返る。
写真や絵画に親しみ、外国人の写真を撮って交流することも珍しくなかったという。
堅太郎氏は母の遺体と対面し、その後、西部軍司令部に戻る。
すると、広場では既に数人の「処刑」が始まっており、数人の捕虜は穴の中で死体となって横たわっていた。
堅太郎氏は進み出た。
「私は処刑者として最もふさわしい者だ」と突差に考えました。
そして眼の前に法務部長や参謀が居ましたから、自分の職、官位、姓名を告げ理由を言って処刑者を志願しました =堅太郎氏本人による「検事側にせる口述書及提出書の内容」、1948年2月20日 母を殺されたばかりの自分こそが「処刑の執行者として最もふさわしい」という申し出である。
自分の軍刀(日本刀)を持参していなかった堅太郎氏は、周囲の軍人らに日本刀を借りたいと言う。
一人の見習い士官がすぐに貸してくれました。
この時、曹長が(捕虜の米軍)飛行士を穴のふちに膝をつかせました。
私は軍刀を水で清めてもらった後、飛行士の横に立ち、軍刀を振り上げました。
この時、背後にいました将校が、よく狙いをつけるように注意しました。
呼吸が静まるのを待って軍刀を振り下ろしたところ、首は九分通り斬れ、そのまま前に倒れて、穴の中に落ちました =同 堅太郎氏はこのあと続けて3人を斬り、計4人の米国人を「処刑」した。

「処刑」の責任
 押し付け合う上官たち
堅太郎氏らを裁く「西部軍事件」の取り調べ過程では、思わぬことも発覚した。
1945年の3月と5月、東京の陸軍省は西部軍参謀長に宛て、「敵機搭乗員は現地軍において適宜処分すべし」「(捕虜は)その地域で処理をするように」という電報を発している。

西部軍司令部は「適宜処分」などの解釈について議論を繰り返したが、結論を出せぬまま時間を費やす。
そして結局、一連の「処刑」は、軍律会議という軍の「裁判」を経ぬまま、実行されたことが分かったのである。
西部軍事件に限らず、BC級戦犯に問われた上官たちの中には、事件の隠蔽や責任の押し付け合いに走った者も少なくない。
堅太郎氏に「処刑」を命じた上官は「別の上官に言われたことにしてくれ」と懇願してきたという。
部下に責任を押し付け合う西部軍の上官たち。
そのさなかにあった父・堅太郎氏の心境を思い、克也さんはこう話す。

「(それらの行動は)よくある姿かもしれません。
戦争の中でやってきているから(やむを得ない)と。
下は命令されたからやったんだし、上にしたら(さらに上層部の)命令か指示なのか分からないようなものを自分なりに解釈してやった。
こういうことはこれからもずっとあるでしょう

横浜裁判では、地元の弁護士たちが戦犯の弁護人として活動を続けたことが知られている。
横浜弁護士会(現・神奈川県弁護士会)は1998年に特別委員会をつくり、横浜裁判の実態を調査。
いくら戦勝国による裁判であったにしても、正当な「法の支配」はあったのかどうかを検証している。
その中心メンバーだった間部俊明弁護士(73)は西部軍事件について、こう振り返る。

「実にやりきれない事件です。
被害と加害の連鎖です。
そしてこれは、日本国憲法前文の『戦争の惨禍』という言葉にもつながるんです」
われわれは戦後、新しい憲法を施行したけど、『戦争の惨禍』とは何かということを知らされてこなかったわけですよ。
原爆(の被害)は言われてきました。
沖縄戦も。
しかし、敗戦末期のこの事件のことはほとんど知らされていない。
これをどう総括するかですよ」 間部弁護士はさらに続けた。

「横浜裁判は勝者による裁きであり、認められないという人もいます。
一方的に勝者が敗者を裁いた、あってはならないひどい裁判だ、と。
じゃあ、どういう視点でこの事件を論じたらいいのか。
私は『戦争の惨禍』、たった5文字だけど、それを具体的に知らなきゃいけないと思うんですよ。
残念ながら国は、それを知ろうとする人に(実態を)見せないようにしてきた
国立公文書館で調べても、(戦争裁判記録の多くは)黒く塗りつぶされていて、努力してもそこで終わっちゃうんですよね」

郷里・福岡に戻り、「戦犯」から父へ 釈放された堅太郎氏は福岡市に戻り、文具店を営んでいた。
終のすみかとなった住宅は、今も同市西区に残っている。
急斜面の細い坂道を上り切った、博多湾を見渡せる高台。
眼下にはJR筑肥線が走り、リゾート施設も見える。
1983年に68歳で亡くなるまで、堅太郎氏はここで過ごした。
息子の克也さんはそのころの父をよく覚えている。
「英会話を勉強してました。(学習用のカセットテープを文具店の)事務所で聞いて、しゃべって。韓国や東南アジアからの留学生の面倒をよくみていました。
家に招いて食事して」

孫に当たる冬至竜介さん(45)もこう言った。
「なぜ、留学生を世話するのか。
(祖父は)罪滅ぼしだ、と言っていました。
アジアを日本人が攻撃して悲惨な目に遭わせた。日本では(加害の実態があまり)報道されないけれども、せめてもの償いだ、と。そう言っていました」

高台の住宅の庭には4体の地蔵が置かれていた。
自らの手であやめた“敵国”の若者と同じ数だ。
その鎮魂のためであり、実際に堅太郎氏は毎日、地蔵に手を合わせていたという。
克也さんが述懐する。
「地蔵は4体と小さいのが1個あったんですよ。
『恐らく自分が手にかけた米兵にもお子さんがおったかもしれん。
そういう人たちもすこやかに育つように、と思っているんだ』と。
そう言ってましたね」

「短い命を更に縮めるような
      小細工はなさるな」
堅太郎氏の死後、4体の地蔵は福岡市城南区の油山観音に寄進されている。
この9月、4体の地蔵を探すため、油山に向かった。
人影はほとんどない。
本堂の周りには地蔵がいくつもあり、冬至家の地蔵はどれか、なかなか判別ができない。
寺に調べてもらい、ようやく4体を確認できた。

実は米軍に連行される前、堅太郎氏は自決を志し、この油山観音の和尚に相談した。
そのやりとりも堅太郎氏は書き残している。
「なぜ自決なさるのですか」と問う和尚に向かって、堅太郎氏は「敵に捕らえられ罪人として殺されるのは厭(いや)ですし、あとに残る家族の名誉のためにも軍人らしく自決したほうがいいと思います」と答えた。
すると、和尚はこう諭したのだという。

「ハハハ……そんな見栄はおすてなさい。
敵とか味方とか、一家の名誉とかそんなものにとらわれなさるな。
武士道なども仏の途にくらべると随分せせこましいものですよ。
仮にあなたが生き永らえたとしてもせいぜいあと5、60年の命でしょう。
天地の悠久に比べると誰も彼も一瞬の命にすぎません。
その短い命を更に縮めるような小細工はなさるな」 =『油山の歴史と伝説』に収録されている堅太郎氏の『苦闘記』

堅太郎氏はその後、巣鴨プリズンの中で仲間たちと共に、「世紀の遺書」という遺稿集の編纂(へんさん)に携わった。
横浜裁判や東京裁判だけでなく、中国や東南アジアなどで行われた戦争裁判で戦犯となった日本人たちの遺書も収められている。
その出版収益金によって1955年、東京駅に「アガペの像(愛の像)」が設置された。

堅太郎氏は、自分の子どもたちや次世代の人々に何を伝えたかったのだろうか。
冬至家が保存していた日記をめくると、1949年6月8日の日付にはこう記されていた。
日本人は自分自身で考えるという大切なことにかけている。
お父さん自身もそうだった。
どんな人の言葉も盲信してはいけないし、頭から否定してもいけない、必ず、自分でよく味わい、吟味しなくてはならないのだ 


武馬怜子(ぶま・れいこ)
1980年、愛知県生まれ。
フォトジャーナリストの中村梧郎氏に師事。
2013年から被災地をテーマに写真展を各地で開催。
2014年、上野彦馬賞入選。
伝統芸能や動物、ロヒンギャ難民などを幅広く取材。
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2018年12月07日

なりふり構わぬ金バラマキ 安倍政権が慌てる新元号大不況

なりふり構わぬ金バラマキ
安倍政権が慌てる
      新元号大不況
2018/12/06 日刊ゲンダイ

 本当に「増税対策」だけが目的なのか。
来年10月の消費増税による景気冷え込みの緩和策として、安倍政権が狂ったような大盤振る舞いだ。

 中小小売店でキャッシュレス決済した買い物客へのポイント還元率は当初、経産省などは増税幅と同じ2%で検討していたが、安倍のトップダウンで「5%還元」に拡大。
その結果、必要な予算は1000億円強から3000億円程度に約3倍も膨らむ見通しだ。

 加えて公明党が要望した「プレミアム商品券」の発行や、自民党が要望したマイナンバーカードにたまる「自治体ポイント」の加算も丸のみ。
消費増税とは関係の薄い「国土強靱化」のための公共事業の執行も、増税開始の来年10月以降に集中させるというから、もう何でもアリ。

 本来なら、低所得者ほど負担が重くなる「逆進性」が消費税の大きな課題なのに、ポイント還元は高い買い物をすればするほど恩恵が大きくなる。
そんな金持ち優遇の矛盾もお構いなしで、安倍政権はなりふり構わず金をバラまく。

 自動車の排気量に応じて毎年かかる自動車税を恒久的に引き下げ、2020年末までに住宅を購入した人の住宅ローン減税の控除期間を現行10年間から13年間に延長と、さらなる金持ち優遇策を盛り込む予定だ。

 日銀の試算によると、今回の増税による家計の負担増は5.6兆円だが、すでに「軽減税率」や「教育無償化」などで事実上、税収増は2.2兆円でしかない。
さらにブレーキ役不在のバラマキ策の予算規模は2兆円を超え、増税に伴う実質増収分の2.2兆円すら上回る可能性もあるという。
税金を使った赤字覚悟の出血セールもどきとは、ムチャクチャだ。

「来るべき高齢化時代を見据えた社会保障の安定財源の確保に、財政健全化という消費増税の本来の目的を大きく逸脱しています。
過去の統計では消費税率が上がると、必ず実質賃金は低下するのです。
それなのに、安倍政権は実質賃金の低下に苦しむ庶民から増税で吸い上げたカネを、金持ちにだけ大盤振る舞いする。
徹底した庶民イジメです」(政治評論家・本澤二郎氏)

 4年前に消費税率を8%に引き上げた際、安倍政権は年8.2兆円の家計負担増に対し、5.5兆円規模の対策を実施したが、景気は腰折れした。
そのトラウマだけで、増税対策に名を借りた常軌を逸したバラマキに走るものなのか。
そもそも消費増税に難色を示していたとされる安倍が、早くから引き上げを表明し、拙速にバラマキ策を打ち出すのも、不自然だ。

 ドタバタ景気対策の裏側に一体、何が隠されているのか。

「外交のアベ」の無策が招く
   4重苦景気の惨状
 来年10月の消費増税の前には、夏に参院選が実施される。
与党は危機感を強めており、安倍の周辺では野党に不利となる衆参ダブル選案もささやかれている。
 むろん、無節操なバラマキ策は選挙対策の側面もある。

「結局、この政権は国民を愚弄しているのです。
カネさえバラまけば喜んで票につながるとナメ切っています。
参院選の前には新天皇の即位もあり、トランプ米大統領まで招いて祝賀ムードをあおる。
そうしてモリカケ疑惑など、あらゆる不正にフタをし、選挙を乗り切るハラでしょう。
勝てば官軍の意識で、バラマキと天皇の政治利用によって3分の2議席を制圧すれば、あとは好き勝手できると、国民をバカにしきっているのです」(本澤二郎氏=前出)

 その上、アベノミクスのイカサマ政策も色あせ、すでに化けの皮が剥がれている。
先月発表の今年7〜9月期の実質GDPは前期比0.3%減。
年率換算でマイナス1.2%と、市場予想の中心値(年率1%減)を大幅に超える落ち込みようだ。
個人消費も民間の設備投資も輸出も全滅で、そろってマイナス。
住宅投資のみ5四半期ぶりにプラスに転じたとはいえ、前年同期と比べると、6.4%減というマイナス幅のすさまじさだ。

7〜9月期のGDPは速報値から、さらに下方修正されるとの見方も出ており、日本経済は目もあてられない状況である。  GDPの落ち込みについて、政府は7月の西日本豪雨や、9月の北海道地震など自然災害のせいにしているが、もはやアベノミクスの崩壊は明らか。
加えて年明けから本格化する日米通商交渉、事実上のFTA交渉が重くのしかかってくる。

■対米自動車輸出の削減で
  日本経済は大打撃
「安倍政権は国民には明らかにしていませんが、日米通商交渉で日本経済が大打撃を受けると覚悟しているのではないか。
その危機感の裏返しが、無節操な大盤振る舞いなのだと思います」と言うのは、経済評論家の斎藤満氏だ。
こう続ける。
「トランプ政権が日本に対米輸出約7兆円の黒字削減を迫ってくるのは、間違いありません。
総額1兆円をかけてステルス戦闘機『F35』を100機追加購入しても穴は埋まらず、米国の農産品を市場開放しても、その額はタカが知れています。

必ずターゲットになるのは、日本の対米貿易黒字のうち4兆円を占める自動車輸出です。
すでに自動車輸出を最大100万台減らせ、と迫っていますが、昨年の対米輸出台数は174万台です。
100万台も削減すれば、日本のGDPは約1%ほどダウンします。
自動車産業は裾野が広いだけに、日本経済に与えるダメージは計り知れません。
とても自動車税の恒久減税くらいでは穴埋めできない大きな痛手となります」

 さらに米中貿易戦争のリスクもつきまとう。
先の米中首脳会談では「一時休戦」で合意したが、火種はくすぶったまま。
トランプが関税引き上げ猶予の条件に挙げた中国の「不公正」な貿易慣行の見直しを巡る交渉期限は、たったの90日。
交渉は難航必至で物別れに終われば世界経済に深刻な影響を与え、日本経済ものみ込まれていく。
まさに「新元号大不況」の到来だ。

「来年秋の消費増税の頃には、東京五輪に向けた公共事業の需要もピークアウトします。
増税、対米FTA、貿易戦争と合わせた4重苦で、日本経済は手に負えない惨状となりかねません。

その大きな要因は安倍首相の外交姿勢です。
“外交のアベ”といっても、世界中にカネをバラまくだけで尊敬はされていない。
トランプ大統領を散々もてなしても、相手は『金づる』くらいにしか思っていないでしょう。

安倍首相の外交無策が日本経済を直撃し、庶民の生活を苦しめるとは、本当に怒りが込み上げてきます」(斎藤満氏=前出)  

経済アナリストの菊池英博氏の試算によると、2013〜17年の5年間の実質賃金は年平均15.8万円もダウン。
5年間の累計で79.2万円もガタ減りした。
ただでさえ、アベノミクスの失敗で実質賃金の低下に苦しむ庶民にとって、消費増税はまさしくトドメだ。
来年には前回の増税時に続き、2番底のような惨憺が待っている。
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2018年12月06日

18年版「ブラック企業大賞」

18年版「ブラック企業大賞」
9社ノミネート
野村不動産、スルガ銀、財務省など
2018/12/05 ITmedia ビジネスオンライン

 ブラック企業大賞企画委員会は12月5日、“今年1番のブラック企業”を決める「第7回ブラック企業大賞」のノミネート企業を発表した。
今回は野村不動産、スルガ銀行、財務省など9社が挙がった。
「大賞」「業界賞」などの各賞は12月23日に発表される。

 労働環境の悪さなどが問題となった企業を毎年選出し、皮肉を込めて“賞”を送るというコンセプトの企画。
長時間労働、セクハラ・パワハラ、いじめ、低賃金、コンプライアンス違反――などの観点から、弁護士やジャーナリストなどで構成される企画委が評価する。

 2016年は女性新入社員が過労自殺した電通、17年は男性営業社員をシュレッダー係に左遷するなどした「アリさんマークの引越社」(引越社グループ)が大賞を受賞していた。

 18年のノミネート企業と、主な選定理由は以下の通り。

・野村不動産
:「裁量労働制」が違法適用されており、16年9月に50代の男性社員が過労自殺していたことが18年3月に発覚。
同社は05年に、会社の中枢で経営企画の立案や情報分析を行う社員を対象に、「企画業務型裁量労働制」を導入していたが、本来は適用対象とならないマンションの営業担当など約600人にも適用していた。
 亡くなった社員もこれが適用されており、1カ月の残業時間が180時間を超えるなど長時間労働を強いられていた。

・スルガ銀行
:18年5月に破産手続きを開始した不動産会社「スマートデイズ」が展開していたシェアハウス投資を巡り、一般投資家に不当な融資をしていたことが判明。
第三者委員会がこの背景を調査した結果、同行が行員に過大なノルマを押し付け、達成できない人に悪質なパワーハラスメントを行っていたことが分かった。
 第三者委がまとめた報告書によると、行員からは「(従業員の)首をつかんで壁に押し当て、顔の横の壁を殴られた」「数字が(達成)できないなら、ビルから飛び降りろといわれた」などの声が挙がっているという。

・財務省
:18年4月、財務省の福田淳一事務次官(当時)がテレビ朝日の女性記者に対し、取材中に「抱きしめていい?」などのセクハラ発言を行っていたと報じられた。
その後、同省の顧問弁護士もセクハラがあったと断定した。
ただ、福田氏は事務次官を辞任したものの、セクハラを否定。
麻生太郎財務大臣も「セクハラという罪はない」「男を番記者にすればいい」などと発言し、事態を軽視していることをうかがわせた。
 公的機関がノミネートされるのは、14年の東京都議会に次いで2度目。
「『女性活躍』をうたう政府の中枢機関で起きたセクハラ事件に対して、その対応がお粗末であったと言わざるを得ないため、民間企業ではないが特別にノミネートした」(企画委の佐々木亮弁護士)という。

●三菱電機、日立製作所など著名企業も
三菱電機
:14〜17年にかけて、男性社員5人が長時間労働に起因する精神障害や脳疾患を発症し、相次いで労災認定されていたことが発覚した。
このうち3人には裁量労働制が適用されており、その中の2人は過労自殺を遂げていた。
 自殺した男性の1人は技術職についており、システムの不具合を修正するため月100時間を超える残業を数カ月繰り返していた。

・日立製作所、
日立プラントサービス
:13年に日立製作所に新卒入社し、のちに日立プラントサービスに出向した20代社員が精神疾患を患っていたことが発覚。同社員は富山県の工事現場で設計・施工管理監督を行って居た際、月に100〜160時間もの時間外労働を余儀なくされた。

また、上司から「いらない」「目障りだから帰れ」「仕事辞めてしまえ」などの暴言も吐かれていた。
 また、山口県の笠戸事業所で、数百人のフィリピン人技能実習生を不正に働かせていたことも発覚。
本来は配電盤や制御盤などの電気機器組み立てを任せるはずが、実際は窓・排水パイプ・カーペット・トイレなどを鉄道車両に取り付ける作業をさせていた。
在留資格の更新ができないことを理由に、すでに99人の技能実習生が解雇されていることも分かっている。

・ジャパンビジネスラボ
:同社は都内で語学学校を運営している。
14年、英語講師を務めていた正社員の女性が、育児休暇中に子どもを通わせる保育園をみつけられず、休暇の延長を求めた。

これを受けた同社は「正社員への契約変更が前提」とした上で、週3日・契約1年の有期雇用への転換を条件に延長を認めた。  

女性は1週間後に保育園をみつけ、職場復帰を希望したが、同社は正社員への復帰を拒否。
15年には「期間満了」を理由に雇い止めをした。
女性は面談で上司から「俺は彼女が妊娠したら、俺の稼ぎだけで食わせるつもり」などの言葉を掛けられた。
18年9月、東京地裁は、同社の雇い止めを無効とする判決を下した。

・ジャパンビバレッジ東京
:ある支店の支店長がクイズを出し、正解者のみに有給休暇の取得を認める“有給チャンス”と呼ばれるパワハラを行っていたことがネット上で話題になった。
「事業場外みなし労働時間制度」を違法適用しており、社員に月間100時間を超える時間外労働を課していたことも発覚した。

・ゴンチャロフ製菓
:神戸市に本社を置き、チョコレートや焼き菓子を製造している同社は、16年6月に当時20歳の男性社員が電車に飛び込んで自殺。
のちに長時間労働と上司によるパワハラが原因であることが発覚し、18年6月に労災認定された。
 同社は製造に失敗した菓子を牧場に送り、動物のえさとして再利用しているという。
そのため男性はミスをすると、上司から「牛のえさ、つくりに来とんか」と責められ、辞意を申し出ると「お前の出身高校からはもう採用しない」と言われていた。
また、この男性は月約80〜100時間の長時間労働も余儀なくされていた。

●「笑笑」「魚民」のモンテローザも
・モンテローザ
:「白木屋」「魚民」などの居酒屋チェーンを展開する同社は、17年6月に福岡市で「笑笑」の店長だった男性が開店準備中に倒れ、不整脈で死亡した。
 この男性は生前、友人とのLINEで
「午後3時から深夜3時まで勤務し、午前6時台の始発まで帰れない。午前8時前にやっと帰宅できるが、正午には起きないといけない」「地獄だ」などと漏らしていたという。

 各賞は今後、企画委内の議論と、同委公式Webサイトで行うWeb投票によって決定する。
同委の担当者は「亡くなられた方もおり、非常に痛ましい事件が多い」と話している。
posted by 小だぬき at 11:14| 神奈川 ☔| Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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