2017年09月11日

連合、「残業代ゼロ法案審議」で問われる覚悟、臨時国会で関連法案の審議が始まるが・・・

連合、「残業代ゼロ法案審議」で
問われる覚悟
臨時国会で関連法案の審議が始まるが・・・
2017年09月11日 風間 直樹 : 東洋経済 記者

今秋の臨時国会で、いよいよ「残業代ゼロ法案」が審議されることになりそうだ。
政府は一定の年収以上の専門職を労働時間規制から外す「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」と、「働き方改革」の柱である残業時間の上限規制を一本化した労働基準法の改正案を、臨時国会に提出する方針だ。

幻となった政労使合意 組合員数は約680万人に達する日本労働組合総連合会(連合)も内憂外患を抱えている
すでに政府は高プロや裁量労働制の拡大などを盛り込んだ改正法案を、2015年4月に国会に提出済み。
ただ、野党や日本労働組合総連合会(連合)から「残業代ゼロ法」「過労死促進法」と批判され、いまだ審議に至っていない。

8月末から開かれた、厚生労働省の労働政策審議会の分科会では、労働側委員はそろって高プロを批判し、残業時間の上限規制との一本化反対を主張した。
だが、労使双方の主張を受けた末、荒木尚志分科会長(東京大学教授)は一本化が適当だと結論づけた。
こうした結論に至った背景には、ほかならぬ連合が高プロの審議を前提に、その内容の修正を求めていたという経緯がある。

7月、連合の神津里季生会長は安倍晋三首相と会談し、高プロ対象者の健康確保措置を強める修正を要請している。
首相も応じ、政府、経団連と同月内にも「政労使合意」を結ぶ手はずだった。
だが加盟組織からは「一貫して反対運動をしてきたのに信頼を失う」などと異論が続出。
結局、執行部は組織内をまとめきれず、政労使合意は見送られた。
官邸幹部は、「政府も経団連も連合の要請を受けて動いたのにこの結果。
いかがなものかと思う」と話す。

負い目に加え、連合執行部にはようやく築いた政労使合意というチャネルを失いたくない事情がある。
第2次安倍政権は当初、政府の産業競争力会議や規制改革会議で雇用規制を「岩盤」扱いするなど緩和一辺倒。
連合など労働者側は完全に排除されていた。

政労使合意の呪縛 だが、2015年の一億総活躍国民会議の発足時から風向きが変わり始める。
働き方改革では政労使合意の枠組みで、残業時間の上限規制、同一労働同一賃金など労働者寄りの政策が打ち出された。
「逢見直人事務局長が修正要請を主導したのは、政労使合意の枠組みを守ろうとしたため」(連合幹部)とされる。
政府は取り込みの一方で、揺さぶりもかける。
7月末、労政審の新部会「労働政策基本部会」が開催された。
塩崎恭久厚労相(当時)の肝いりで発足しており、「旧来型の労使の枠組みにとらわれず、有識者が個人として自由闊達に意見を言う場」と説明している。

実際、会議では従来の労働政策の枠組みを抜本的に変えるべきとの主張が相次いだ。
連合はらち外に置かれかねない。
内憂外患を抱える連合。
「労働者の代表」として、正念場を迎えている。

当記事は「週刊東洋経済」9月16日号
<9月11日発売>からの転載記事です
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「広く浅い」人間関係の方が人は幸せになれる。適度の刺激とストレスが幸福のカギ

「広く浅い」人間関係の方が
人は幸せになれる
適度の刺激とストレスが幸福のカギ
2017年09月10日 中村 陽子 : 東洋経済 記者

よく言うポジティブシンキングが、ネガティブ感情を排除するやや行きすぎの前向き思考なのに対し、
ポジティブ心理学はポジティブな自分とネガティブな自分を両方認め、よりよく、幸せな状態を目指す学問だという。
その神髄について、『実践 ポジティブ心理学』を書いた慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科前野隆司教授に詳しく聞いた。

病気になりにくい体を作ることの“心版”

――よく「幸せは気の持ちよう」といいますよね。

心理学や認知科学、脳科学が発達していなかった昔は、気の持ちようだと根性論で語るしかなかった。
最近はもっと科学的に、いくつかの条件を整えれば「well-being」(心身ともに充実したよりよい状態)を目指せることがわかってきた。
病気になりにくい体を作ることの“心版”なんです。

――人生が好転していく黄金比率はポジティブ感情とネガティブ感情が3対1、という説を紹介されています。
ポジティブ100%というのもまたいけない?

ポジティブに振り切るとヒトラーの全体主義みたいになってしまう。
心の中の批判的感情を抑えるとそれがストレスになる。
ネガティブは決して悪い面だけじゃないんです。
実際社会の役にも立つ。
日本人は世界一、不安遺伝子を持つといわれますが、
「この点がまだダメだ」というネガティブ感情が緻密なものづくりやすし、工芸に見る研ぎ澄まされた美学を完成させたともいえる。
嫌な上司がいたら愚痴も言いつつ、前向きに対応策を考えるとか、いい部分も探してみるとかしたほうが幸せ感は上がる。
要はバランスです。

――本当に幸せな状態になるには、ある程度の負荷、よいストレスをかけることが必要なのだとか。

ストレスがないと成長がない。
変化していく爽快感や、刺激を受け成長することは幸せ因子のひとつ。
悪いストレスに至らない範囲でよいストレスをかけるのが大事です。
よく幸せというと、お花畑の中で心安らかに座ってる場面を想像したりしますが、調べてみるとそうじゃないんですよ。
初めて見る花を発見して喜ぶとか、何かウキウキと新しい刺激のあるほうが人間幸せに感じるよう脳ができているんです。
ただ変化にはストレスが付きもの。
好きな花の写真を撮るにも、どのアングルで撮ろうとか、風で揺れてなかなか決まらないとか、気にならない程度の小さな小さなストレスがある。
そういうのをいいストレスと呼びます。

――家族・親友のような狭く深い関係より、親戚・友人のような広く浅い関係のほうが人の幸せに寄与するというのは面白いですね。

あの研究結果は面白いですよね。
普通に考えると、心の通じた親友との密な付き合いのほうが幸福度も高そうに思えますが、統計的には違う。
薄い人間関係をバサバサ切っていくような人は幸せ度が下がる。
たとえば、立ちを話する顔なじみの店員さんとかがそこここにいる弱いつながりでいい。
そんな関係が広く多くあったほうが幸福度が高い。
安心感があるというか、これから先、長く薄くたくさんの人が支えになると感じるほうが幸せなように人間はできてるんですね。
多様であれば新しい刺激があり、多様だから小さな差が気にならない。
私は私、彼は彼と楽観的になれる。

自分のためより、
他人のために使うほうが幸せ
――他人の利益のために行動できる利他的な人は利己的な人より幸せ、という結果も意外でした。

 おカネも自分のためより、他人のために使うほうが幸せを感じるという結果が出ている。
人間は利他的なとき、セロトニン、オキシトシンなどの“幸せホルモン”が分泌されるんです。
たとえば電車で困ってる人に席を譲ると、優しい気持ちになれますよね。
譲るべきだと思いつつ寝たふりするのは逆にストレスになる。
ちょっと頑張って席を譲ったときにほんのりいい気分になる。
それが幸せになり、幸せになると創造性も上がり、仕事も好回転する。
無理に寝たふりして罪悪感でモヤモヤしたまま仕事するより、パフォーマンスは上がります。
利他的といってもそんな小さなことからでいいんです。
落ちていた紙くずを拾ってゴミ箱に入れるとか、ちょっとした利他。
利他的だと幸せになり、幸せだと利他的になるという双方向性も確認されています。

――幸せになれる「幸せの4つの因子」も1500人アンケート調査の結果から割り出されました。

「やってみよう!」という自己実現と成長
「ありがとう!」と他者とつながり感謝の心を持つ
「何とかなる!」という前向きと楽観
そして「ありのままに!」と他者と比較せず自分らしさを持つ、の4つの因子です。
コンピュータがはじき出した結果を見たとき、ストーンと納得感がありました。

僕の研究ではありませんが、テレビのチャンネルを頻繁に切り替える人は幸福度が低い。
つねに最良の選択を追求する人より、そこそこで満足する人のほうが幸福度が高いという傾向です。
夢も大きすぎないほうが幸せ。
山に例えると、遠くにそびえる高い山を目指す人よりも、目の前に小さな山をちょこちょこ置いて目標を刻む人のほうが幸せという研究もあります。
パフォーマンスを上げる研究でもある

――ポジティブ心理学というのは、パフォーマンスをベストに引き上げるためではなく、あくまでも幸せを感じるにはどうすればいいかを追究する学問ですよね。

そう、幸せをベストに引き上げるにはどうすればいいか、です。
本では実践できるエクササイズを紹介したので参考にしてください。
でも幸せな人は創造性が3倍になり、生産性が1.3倍になるという研究結果があるんです。
だからパフォーマンスを上げる研究でもある、実は。
心が整って幸福度が上がっていくと、ワクワクしながら多様な仲間に囲まれ、パフォーマンスも上がってしまう。

――話題の「働き方改革」についても、一言おありですね。

社員の幸せにも注目しないとマズイと思うんですよね。
時短だ、10時消灯だと、とにかく就業時間減らせの一本やりで眉間にシワ寄せても、たぶんチマチマした改善案しか出ないんじゃないかな。
幸せは創造性を上げ生産性を上げ、結果、時短につながる。
ある会社では朝礼を1時間以上やるんです。
みんなで徹底的に話すことで課題や各人の抱える問題が共有され、スピード感をもって仕事が進む。
一見ムダに思えることで幸せ度を高めるとその結果が時短になる。
幸せが時短を呼ぶことは実証されてもいます。
社員の幸せこそを中心に据えないと、真の働き方改革にならないと思うんです。
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2017年09月10日

ごみ屋敷の住人は「セルフネグレクト」 推定1万1000人、氷山の一角 SOS見逃さないで

ごみ屋敷の住人は
「セルフネグレクト」 
推定1万1000人、
氷山の一角
SOS見逃さないで
9/10(日) 9:00 西日本新聞配信

 大量のごみを自宅にため込んだ「ごみ屋敷」。
その住人は、周囲の指摘に耳を貸さない変わり者と思われがちだが、認知症や生活意欲の喪失が原因となっている場合がある。
何らかの理由で身の回りのことをしなくなり、SOSの発信力も低下した「セルフネグレクト(自己放任)」の状態に陥ってしまった人たち。

東邦大(東京)看護学部の岸恵美子教授(公衆衛生看護学)は「地域のさりげない見守りなど一歩前に進んで手を差し出すことが大事」と指摘している。

 ■推計約1万1000人
 聞き慣れない「セルフネグレクト」は「ネグレクト」に「セルフ(自分)」を付けた造語。
他者の世話や介護、育児などを放棄するネグレクトではなく、自分自身の世話を放棄してしまう状態のことだ。

「心身の安全や健康が脅かされ、人権も侵害されている状態。
放置すれば孤独死する可能性が高く、緩やかな自殺の入り口だ」と岸教授。
不衛生な住環境の「ごみ屋敷」もこの一つという。

 内閣府の2011年の調査によると、セルフネグレクトに陥っている高齢者は推計で約1万1千人。
ただこれは氷山の一角で、岸教授は先進国の米国の調査事例を基に「200万〜300万人がセルフネグレクトの可能性がある」との見方も示した。

■配偶者の死でも
 なぜセルフネグレクトに陥ってしまうのか。
岸教授はこれまで関わった事例を紹介した。
 息子と暮らす女性は年を取るにつれ、ごみ出しや炊事が面倒になってきた。
息子から「おまえは役立たずだ」と繰り返しののしられ、次第に「自分は価値のない人間」と考えるようになり「枯れるように死にたい」と望むようになった。
これは息子に遠慮、気兼ねして声を上げることができなくなったケースだ。

 ある男性は分別して出したごみに対して、近所の女性に分別方法が悪いと指摘された。
次第にごみを出すのが怖くなり、気が付けば家の中はごみまみれ。
近隣住民とのトラブルが引き金だった。

 岸教授によると、認知症や物忘れ、精神疾患など病気に起因するのが約3割。
そのほか、配偶者など親しい人を亡くす、リストラ、地域からの孤立、世話になりたくないというプライドや迷惑をかけたくないといった日本人特有の考えが邪魔するケースなど、理由はさまざまだ。
そしてこう指摘する。
これは誰にでも起こりうることです

■信頼関係築いて
 ごみ屋敷を巡っては自治体が相次いで条例を制定、15年には京都市が全国で初めて行政代執行でごみを撤去し、話題になった。
 自分から支援を求めない人、SOSの発信力が低下した人をどう救うか。

岸教授によると、セルフネグレクトに陥った人は、訪ねても会おうとしない
▽雨戸やカーテンが閉め切ったままになっている
▽外で姿を見掛けなくなった−などさまざまな「サイン」を出しているという。

 「地域住民や地域包括支援センターの職員がアンテナを高くして、早く見つける。
定期的な訪問を続け、助けを求めない理由を探り、信頼関係を築いて必要な支援につなぐことが大事だ」と岸教授。
「さりげない見守り」「ちょっとした声掛け」「少しのおせっかい」を心掛けて、手を差し伸べれば「孤立死を防ぐと同時に、地域コミュニティーの再生にもつながる」と話した。
posted by 小だぬき at 11:47| 神奈川 ☁| Comment(2) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

安倍首相を痛烈批判 15年寵愛のNHK美人記者“反旗”の衝撃

安倍首相を痛烈批判
15年寵愛のNHK美人記者
     “反旗”の衝撃
2017年9月9日 日刊ゲンダイ

 なにがあったのか――。
安倍首相が寵愛してきた美人記者が反旗を翻し臆測を呼んでいる。
NHKの岩田明子解説委員が、最新号の文芸春秋に「安倍総理<驕りの証明>」という一文を寄稿しているのだ。

 12ページの長文は、大部分が普通の政治解説だが、随所に痛烈な安倍首相批判がちりばめられている。
<なぜここまで凋落してしまったのか。
十五年間にわたり安倍首相を取材してきた私には、その原因が安倍首相の「驕り」にあると思えてならない>
<ジョン・アクトンは「絶対的な権力は絶対に腐敗する」という金言を残した>
権力は、時が経つと疲弊し変質する>と、バッサリ切り捨てているのだ。

 岩田解説委員は、8日夕方の「シブ5時」というニュース番組の中でも、「支持率低下の要因は政府の緩みとある種の驕り」
「一時的な現象ではなく政府が変質していった結果」と、冷たく言い放っている。
 国民からすればまっとうな“安倍批評”だが、周囲から「御用記者」と揶揄されるほど安倍首相ベッタリだった岩田解説委員が、文芸春秋で<驕り><権力は腐敗する>などと書いたことで、安倍首相周辺に衝撃が走っている。

 岩田解説委員は、わざわざ安倍首相の私邸近くに引っ越すほど、入れ込んできた。
15年間、蜜月だった2人の間になにがあったのか。
「文芸春秋の原稿は、岩田さんの方から『書きたい』と急に言ってきたようです。
どうやら、アッキーの秘書だった谷査恵子さんに対する対応について苦言を口にしたら、安倍首相にけむたがられ、それ以来、関係がこじれたようです。

これまで岩田さんは、必ずと言っていいほど安倍首相の外遊に同行していたのに、今回の訪ロには同行していない。
関係が悪化しているのでしょう」(自民党関係者)

 安倍首相の周辺では、総理の側近中の側近である今井尚哉首相秘書官も、記者とのオフレコ懇談で<(安倍首相に)驕りが出てきたのは、総裁の任期が3期に延長が決まったところからだ>などと、安倍首相を批判している。
さらに「日本版NSC」の谷内正太郎局長も辞任を願い出たという話が伝わっている。

 ここまで周囲の人物が次々に離れていくのは異常だ。政権末期の様相である。
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2017年09月09日

150年目に「明治維新」の見直しが始まった

150年目に
「明治維新」の見直しが始まった
2017.9.8 東洋経済オンライン
武田 鏡村「薩長史観の正体」著者

 最近よく聞かれるようになった「薩長史観」という言葉がある。
明治維新を成し遂げた薩摩・長州(薩長)の側からの歴史解釈ということである。
要は「勝者が歴史をつくる」ということであり、
「薩長=官軍=開明派」「旧幕府=賊軍=守旧派」という単純な図式で色分けされた歴史観だといわれる。
明治以来、政府の歴史教育はこの薩長史観に基づいて行われ、国民の「通史」を形作ってきた。  

ところが、ここにきて、この薩長史観に異議を申し立て、旧幕府側にこそ正義があったとする書籍が相次いで刊行されている。
原田伊織著『明治維新という過ち』を皮切りに、『三流の維新 一流の江戸』『明治維新という幻想』『明治維新という名の洗脳』『大西郷という虚像』『もう一つの幕末史』『明治維新の正体』といった書籍がさまざまな著者により刊行され、ベストセラーになっているものも多い。
雑誌でも『SAPIO』(小学館)9月号が「明治維新 150年の過ち」という大特集を組んでいる。  

来年の「明治維新150年」を前に、反「薩長史観」本がブームになっているわけだが、そもそもこの「薩長史観」とは何なのか。
なぜここに来てブームになっているのか。
このたび『薩長史観の正体』を刊行した武田鏡村氏に解説していただいた。

「薩長史観」により
偽装された幕末維新史  
薩長史観――明治維新から太平洋戦争の敗戦まで日本人の心を支配し続けてきた歴史観のことである。
それは、薩摩と長州が中心となって成しとげた明治維新は、頑迷な徳川幕府を打ち破って文明開化をもたらし、富国強兵によって世界に伍する国家を創り上げた、とするものである。

 だが、薩長史観は明治新政府がその成立を正当化するために創り上げた、偽装された歴史観であることは、意外に知られていない。

 それは、薩摩や長州が幕末から明治維新にかけて行った策謀・謀反・暴虐・殺戮・強奪・強姦など、ありとあらゆる犯罪行為を隠蔽するために創られた欺瞞に満ちた歴史観である。
 そこには、天皇が住む御所を襲撃したという事実や、あるいは天皇を毒殺したのではないか、といった疑問がいっさい封印されている。
 それにもかかわらず、明治新政府は、かつて自分たちが蔑(ないがし)ろにした天皇を絶対化し国民に忠誠を誓わせることで、血にまみれた犯罪の数々から目をそらさせ続けたのである。

 しかも薩長史観では、日本は現人神(あらひとがみ)である天皇が治める神の国であり、天皇への絶対的な忠誠を示す愛国心こそが日本人の誇りであり、死をもって天皇に仕えることが日本人であるとする。
これを徹底させたのが「教育勅語」であった。

靖国神社には
「賊軍」兵士は祀られない
 さらに薩長史観は、起こす必要のなかった国内戦争である戊辰戦争を、薩長などの「官軍」が行った正義の戦争と見なし、反抗した者を「賊軍」として排除し続けた。
 偏狭な愛国心と排外主義は表裏するものであるが、それを象徴するのが薩長によって創り上げられた「靖国神社」である。
 靖国神社には「官軍」の戦死者は祀られたが、「賊軍」は排除されて、今日に至っている。  

薩長は靖国神社を、愛国者を祀る「死の祭壇」とすることで、官軍の戦死者だけではなく、近隣諸国への侵略によって戦死した兵士たちを誇らしく祀り、国民皆兵による軍国主義の拡張を正当化したのである。
それは太平洋戦争の敗戦まで続く。

 ちなみに昭和天皇は、A級戦犯として処刑された東条英機らが靖国神社に合祀されたことを不興に感じられて参拝を取りやめられたが、薩長史観の信奉者たちは天皇の意向を無視して、相変わらず参拝を続けている。
 これは、明治維新のとき、尊皇といいながら孝明天皇の意向を無視して武力討幕に走った薩長の軌道と重なるものがある。

 では、明治維新から現代に至るまで「薩長史観」によって欺かれている歴史とはどのようなものだったのか。
薩長にとって都合が悪く、あまり表立って語られることのなかった歴史の真実とはどのようなものなのか。

 以下に象徴的なものを挙げる。  
●吉田松陰は松下村塾でテロリストを養成して、近隣諸国への侵略主義を唱えていた。  
●高杉晋作は放火犯で、テロの実行を煽(あお)っていた。  
●木戸孝允は、御所の襲撃と天皇の拉致計画を立てていた。  
●初代内閣総理大臣の伊藤博文は殺人者で、放火犯であった。  

●西郷隆盛は僧侶を殺めた殺人者で、武装テロ集団を指揮していた。  
●西郷隆盛は平和的な政権移譲を否定して、武力討幕の謀略を実行した。  
●三条実美(さねとみ)は天皇の勅許を偽造して、攘夷と討幕運動を煽っていた。  

●薩摩と長州は何食わぬ顔で攘夷を放棄して、代わりに尊皇主義を旗印とした。  
●岩倉具視は女官を使って孝明天皇に砒素(ひそ)を飲ませて毒殺させたとうわさされていた。  
●大政奉還でなされた「慶応維新」は評価すべきものだったが、薩長による武力討幕の前に粉砕された。  

●「討幕の密勅」といわれる天皇の宣旨(せんじ)は完全に偽造されたものである。  
●坂本龍馬の暗殺は、薩摩の大久保利通らが指令を出していた可能性がある。  
●西郷隆盛は「薩摩御用盗(ごようとう)」を指揮して江戸市中を騒擾させ、軍用金を強奪させた。  

●鳥羽・伏見の戦いで掲げられた「錦の御旗」は偽造されたものであった。  
●戊辰戦争は薩長によって強引に引き起こされたものであった。  
●大村益次郎は上野にいた彰義隊を不意に砲撃し、「官軍」は戦死者の肉を食ったとうわさされた。  

●「官軍」は国際法を無視して捕虜や負傷者を惨殺した。  
●「官軍」は会津などで強奪と強姦の限りを繰り返していた。  
●帝国陸軍に君臨した山県有朋は、越後長岡戦争では裸同然で敗走していた。  
●明治維新がなければ日本は外国の植民地になっていたというのは完全なうそである。

 薩長史観は、こうした真相を隠蔽し続けて、現在に至っている。

なぜ「反薩長」本が
ブームになっているのか
 ここにきて、薩長史観に異を唱える反「薩長史観」本ともいうべきものが続々と出されている。
これは、明治維新から150年という時間が経過し、ようやくタブーなく歴史の真実を語れるようになったためかもしれない。
ようやく国民が、明治政府の「洗脳」から解放されてきたといえるのだろう。
 そもそも、上に挙げたような「真相」の数々は、特に異説でもなんでなく、歴史の事実を追えば容易にわかることなのである。

 それが、明治以来の歴史教育により、知らず知らずのうちに「薩長=官軍=開明派」「旧幕府=賊軍=守旧派」という“刷り込み”が国民になされてきた。
いわゆる「司馬史観」でさえもその呪縛にとらわれており、薩長史観の影響は現代に及ぶと指摘する声もある。

 ところが、最近続々と出される反「薩長史観」本により、ようやく反対側(旧幕府)からの歴史観に初めてふれることになり、多くの人々が新鮮な驚きとともに共鳴しているのではないだろうか。
それまで「明治維新」に対してモヤモヤ感じていた疑問が、すっきり解消したという人も多いようである。
 また、イギリスのスコットランド独立投票に見られるような、世界的なローカリゼーションの流れも関係あるかもしれない。

 今まで「賊軍」側とされてきた東北や新潟の人々が、官製の歴史観とは違った、自分たちの郷土の側に立った歴史の見方を知り、溜飲を下げたのではないだろうか。
そして、自分たちの郷土に、それまで以上に誇りを持つようになってきているように思える。
実際、会津や仙台などで、こうした反「薩長史観」本の売れ行きがいいと聞く。

 本来、歴史の見方は多様であるはずである。
戦争の勝者=権力者の側からの歴史観だけが正しいわけではない。
地域ごとの歴史の見方があって然(しか)るべきではないだろうか。
 いまはやりの地方創生も、こうした地元の歴史に対するリスペクトといったソフトパワーを抜きにしては語れないと思う。

 今後、地域ごとの歴史の見直しの動きは、ますます加速していくのではないだろうか。

「薩長史観」の呪縛から解き放つ
 そしてもう1つ、近年の歴史修正主義的な動きも背景にあるのではと思う。
 明治維新から太平洋戦争の敗戦まで日本人の意識と思想を形成していたのは、薩摩と長州を中心としてつくられた絶対的な天皇主義、軍国主義、愛国心であった。
それが、身の丈を超えた侵略主義、帝国主義へとつながっていく。
そして、そのバックボーンとなったのが「薩長史観」なのである。
 それはやがて日本を壊滅的な敗北に導いた。その反省から日本は徹底した民主主義と平和主義に徹するようになったのである。

 だが近年になって、教育勅語の見直し論に見られるように歴史修正主義が台頭し、またぞろ薩長が唱えていた国家観が息を吹き返しているようである。

いずれ稿を改めて書きたいが、歴史修正主義的な傾向の強い安倍晋三首相は「長州」出身であり、その言動には「薩長史観」が深く反映されている。
 そんな風潮に対して、そもそも薩長が行った明治維新とはいったい何であったのか、という根源的な疑問が提示されるようになってきた面があるのではないか。
そこを解明しないかぎり、日本の近現代史を正確に認識することはできない、という考えが「反薩長」本ブームの背景にあるように思えてならないのだ。

 今、明治維新の歴史の事実と向き合うことは、薩長史観の呪縛を解き放つことにつながり、自由で活気ある平和な民主国家を追求する一歩となるのである。
 そんな思いから今回、『薩長史観の正体』を刊行した。
来年、「明治150年」を迎えるのを機に、新たな歴史の見方を知っていただきたいと思う。
posted by 小だぬき at 03:37| 神奈川 ☁| Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする