2017年04月12日

新幹線の不都合な闇…住民の足・在来線を破壊、JR繁栄を支える国民の税金負担

新幹線の不都合な闇…
住民の足・在来線を破壊、
JR繁栄を支える国民の税金負担
2017.04.11 Business Journal

文=横山渉/ジャーナリスト

 国鉄が分割民営化されてJRグループが発足してから、4月1日で30周年を迎えた。
JR東日本など本州3社は株式上場するなど、高収益企業に生まれ変わった。
昨年10月25日にはJR九州も上場した。

 国鉄時代に開業した新幹線は東海道、山陽、東北(盛岡まで)、上越の4路線だったが、JRになってから開発が加速し、九州や北海道にも延伸した。
2022年には九州新幹線の長崎ルート、23年には北陸新幹線が敦賀まで、31年には北海道新幹線が札幌まで延伸される計画だ。
だが、現在のJR繁栄の陰には、今なお続く国民負担がある。

 分割民営化当時、国鉄の累積債務は37兆円に達し、利払いだけでも年1兆円を超えていた。
JRに移行した際、これらの巨額な債務を引き受けるために設立されたのが、特殊法人の国鉄清算事業団だった。
このスキームにより、JR各社は身軽な状態で民間企業として新たなスタートを切ることができた。
 同事業団は国鉄が所有していた土地とJR各社の株式を売却した収益で長期債務を返済し、余剰人員の再就職促進という後始末を行ってきたが、1988年に解散した。
解散時に残った債務は、国の一般会計に引き継がれた。
気になるのは、その国鉄長期債務の残高だ。
財務省発表によれば、98年度末で24兆98億円だったが、2014年度末時点では17兆9784億円になったとされる。

 元横浜市長の中田宏氏によれば、年間約5000億円が元本償還および利払いに充てられていると推察されるという。
支払い財源については、郵便貯金特別会計からの特別繰入(02年度まで)、たばこ特別税収、一般会計国債費などによって手当てされてきた。
 もちろん、1987年のタイミングで大幅な人員削減と合理化で分割民営化していなかったら、国鉄の債務ははるかにひどい状態になっていただろう。

新幹線は地方を幸せにするのか
 中田氏は昨年4月に、「新幹線は地方を幸せにするのか」と題する論文を発表した。
そのなかで指摘しているのが、整備新幹線と赤字垂れ流しの並行在来線の問題だ。
70年の全国新幹線鉄道整備法に基づき事業化された路線が整備新幹線であり、東海道や山陽、上越は整備新幹線と呼ばない。
 整備新幹線は73年に政府が整備計画を決定し、89年から着工された。
昨年3月に開業した北海道新幹線もそのひとつだが、43年も前に決められた計画なのである。
43年前といえば、全国的に人口が増えていた時代で、日本全体が高度経済成長に沸いていた。
だが、バブル崩壊後に日本経済は低迷し、日本はすでに人口減少社会に入った。
計画当時とは想定された社会環境がまったく変わってしまった。

 整備新幹線の問題は、その建設費自体が巨額であること、そして建設コストに見合った収益が上げられるのかということだ。
例えば、北海道新幹線は開業からこの1年、平均乗車率はたったの32%である。
 鉄道が開業することで、人が住み、職場ができ、新たな経済圏が生まれるといったバラ色の未来を描きがちだが、そんな時代はとうの昔に去ってしまった。
 整備新幹線が開業すると、並行在来線はJRの経営から分離されて、地元自治体が出資する第三セクターが受け皿となる。
しなの鉄道(長野県)、青い森鉄道(青森県)、肥薩おれんじ鉄道(熊本県・鹿児島県)など、数多く存在する。
北陸新幹線開業時には、えちごトキめき鉄道(新潟県)ほか2社の運行が始まった。
 並行在来線は沿線住民の日常の足であり、自治体が維持・存続させようとするのは当然だ。
しかし、少子高齢化で利用者が減り続けるなか、メインは通勤・通学の利用者となり、運賃収入で売り上げを伸ばすのは至難の業である。
どの並行在来線も経営は苦しく、しかも運賃はJR時代に比べてアップしている。

 民間企業のJRからすれば、整備新幹線を引き受ける代わりに、お荷物路線を切り離してほしいと要求するのは当然だろう。
90年に「建設着工する区間の並行在来線は、開業時にJRの経営から分離することを認可前に確認すること」が政府・与党申し合わせで合意されている。
 並行在来線の赤字は地元自治体の財政で補填されることになる。
中田氏は「その財政負担に耐え切れなくなった各地方自治体はやがて国に補助金等の陳情に走る」という。
 メディアは北陸新幹線のときも北海道新幹線のときも、観光名所やグルメ情報など、華やかな部分だけを紹介する。
しかし、地元も国民も新幹線の開通の裏側に潜む大きな問題を考えなければならない。
そうでなければ、“第2、第3の国鉄”を生み出しかねないのである。
(文=横山渉/ジャーナリスト)

ニュースサイトで読む:
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2017年04月11日

緊急事態条項という罠

週のはじめに考える 
緊急事態条項という罠
2017年4月9日 東京新聞「社説」

 「大災害で国会議員が不在になってもいいのか」。
もっともな議論に聞こえますが、憲法改正の道を開く取っ掛かりにしようとの意図が透けて見えます。
 先月開かれた衆院憲法審査会で「緊急事態条項」を新たに憲法に盛り込むべきか否かが議論になりました。
緊急事態条項とは、大規模災害や外国からの武力攻撃などの緊急事態が起きた場合、政治空白をつくらないための手続きを定める項目を指します。
 現行の日本国憲法には、そうした条項がないとして、憲法を改正して新たに定める必要がある、と自民党が提唱したのです。

◆自民が改憲項目に提案  

現行憲法は衆院議員の任期を四年、参院は六年と定めています。
国政選挙の直前に大規模災害などが起きて選挙が行えなくなった場合、国会議員の一部が不在となる可能性はなくはありません。
 憲法五四条は、衆院が解散された後に緊急の必要がある場合、内閣は参院の緊急集会を求めることができる、と記していますが、自民党は、衆院解散から特別国会が召集される最大七十日間を想定した制度であり、憲法を改正して国政選挙の延期や議員任期の延長を新たに盛り込む必要があると主張しているのです。

 もっともな議論のように聞こえるからこそ、要注意です。
 安倍晋三首相(自民党総裁)は三月五日の党大会で「憲法改正の発議に向け、具体的な議論をリードする。
この国の背骨を担ってきた自民党の歴史的使命だ」と強調しました。
かつては、自らの「在任中に成し遂げたい」と、改正への意欲を述べたこともあります。
 かといって、自民党が一九五五年の結党以来、訴え続けてきた戦争放棄の九条改正は、国民の間で抵抗感が依然根強く、ハードルが高いのが現実です。

◆戦争中にも衆院総選挙

 安倍氏の党総裁としての任期は先の党大会での党則改正により、最長で二〇二一年九月まで延長されましたが、自らの在任中に党是である憲法改正を実現するには、九条よりも、緊急事態条項を理由にした方が国民の理解を得られるのではないか、安倍氏がそう考えても不思議はありません。
 緊急事態条項は、安倍氏が在任中の憲法改正を成し遂げるための手段のようにも受け取れます。
 緊急事態条項を定めておかなければ国民が著しい損害をこうむる恐れがあるのならまだしも、改憲の突破口を開くための罠(わな)にされてはたまりません。

 それだけではありません。
自民党が一二年にまとめた改憲草案では、緊急事態宣言時には国会議員任期の延長に加え、首相に権限を集中させ、内閣が法律と同じ効力を持つ政令を制定できることや一時的な私権制限も可能にすることが盛り込まれています。
 国会議員任期の延長を理由にしながらも、緊急事態発生時に国会から立法権を奪い、基本的人権を制限することが真の狙いではないのかと勘繰りたくもなります。

 全く同じと言いたくはありませんが、かつてのナチス・ドイツでヒトラーが独裁を築いたのも、国家緊急権による基本権の停止と、内閣に無制限の立法権を与えた全権委任法でした。
 そもそも緊急事態発生時に選挙はできないのでしょうか。
 東日本大震災が起きた一一年に被災地で地方選が延期された例はありますが、太平洋戦争真っただ中の一九四二年四月には衆院で総選挙が行われました。
戦争という国家にとって最大の非常時ですら国政選挙が行われた歴史的事実に注目する必要はあるでしょう。
 一方、衆院議員の任期は一度だけ延長されたことがあります。
旧憲法下の四一年、対米関係が緊迫する中、国民が選挙に没頭するのは適切でないという理由でした。
 しかし、軍部に批判的な議員が当選する機会を奪う狙いもあったのでしょう。
結局、国民が政治に民意を反映させる機会は奪われたまま戦争が始まります。
議員任期延長の弊害でもあります。

◆国民の自由奪った末に

 憲法は主権者たる国民が権力を律するためにあります。
現行憲法に著しい不備があり、国民から改正を求める声が澎湃(ほうはい)と湧き上がっているのならまだしも、そうした状況でないにもかかわらず、改憲を強引に推し進めるのなら「改憲ありき」との誹(そし)りは免れません。

 大災害や戦争を理由にされるとその方向に誘導されがちですが、自民党が主張する緊急事態条項の本質を見抜き、主権者として正しく判断しなければなりません。
戦前、戦中には非常時を理由に国家総動員体制が敷かれ、国民の権利や自由が奪われました。
その結果が無謀な戦争への突入です。
今を生きる私たちが、同じ轍(てつ)を踏むわけにはいかないのです。
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2017年04月10日

がん治療の“武器”はどう探す? 不安な患者の情報戦

麻木久仁子の明日は明日の風が吹く
がん治療の“武器”はどう探す?
 不安な患者の情報戦
2017年3月22日 yomiDr.

意外と知られていないがんの知識
 いまや国民の2人に1人が、生涯の間にがんに 罹かか るのだそうです。
そんなにがんは身近なのかと思われるかもしれません。
自分自身ががんになるばかりではなく、大切な家族や友人ががんになり、ともに手をとって立ち向かうこともあると思えば、一生がんと無縁で過ごせる人はよほど幸運と言えそうです。

一方、多くの人ががんになるものの、治療もまた進歩しています。
いまだにドラマや映画にがんの登場人物がでてきたら、その人はエンディングまでに(たいていは)亡くなってしまいますが、実際にはがんを克服し、治癒、もしくはがんが検査で見つからない寛解となって、社会復帰する人もたくさんいるのです。

 がん、と一口に言っても、どの臓器の、どのステージのがんなのか。
どんな性質のがんなのか。
その患者さんの年齢や体力、生活習慣病などほかの持病の有無、などなど、一人一人の病状はさまざまです。
その様々な病状にあわせた幅広い知識となると、がんが“身近”だというわりには、がんに関する知識はそれほど知られているとは言えないかもしれません。

玉石混交の情報で右往左往
 私自身、自分ががんになるまでは「がんと言ってもいろいろで、自分の病状に即した知識が必要である」ことなど、わかっていませんでした。
人間ドックで精密検査の必要を告げられた時、初めて「えっ?わたしが、がん、かもしれないの?」と衝撃を受けました。
その後、専門病院を紹介されて、予約を取り、また一からあれこれ検査をし、その結果を待って、と、がんが疑われてから確定診断が出るまで、それなりに時間がかかります。

その間、まさか自分がという不安を抱えた状態で、あわてて、やみくもに、付け焼き刃で情報を探しました。
 いまはネットなどもあって、その気になれば情報量だけはいくらでも出てきます。
大きな本屋さんにいけば、「がん」という棚があり、がん関連の本があれやこれやと並んでいます。
が、基礎的な知識もないまま、しかも不安な精神状態で玉石混交な大量の情報に触れてしまうのは、いま思い返すとあまり良いことではなかったと感じています。
なにしろ不安で心が弱っていますから、あるときは悲観的な情報ばかりにのめりこみ、暗い気持ちになってしまいます。
かと思うと今度は「これ一つで治った!」という類いの、楽観的な情報ばかりを見て自分を慰めたりします。

情報の取捨選択が、客観的な基準によることなく、主観的なものに偏ってしまうのです。
テレビやラジオの情報番組の仕事をいくつもさせていただき、それなりに情報の選び方に自信があるつもりでいましたが、 脆もろ いものでした。
不安で不安定な精神状態の時には、そんなにクールに客観的にはなれないものなのです。
「自分で思うほど自分は強くなかった」。
いま、しみじみ思います。

 そうやって雑多な情報に触れながら、素人判断で「ああでもない、こうでもない」と 悶々もんもん としていた私でしたが、主治医の先生の丁寧な説明を聞くことで、やっと得心がいきました。
主治医は「その患者さんのデータをもっとも詳しく知る専門家」です。
本やネットには「がんはこう治せ」「がんにはこれが効く」「がんにはこの治療」という類いがあふれていますが、それはいったい誰の、どんな病状のがんのことを言っているのでしょうか。

もちろん参考になることもありますが、「私のがん」をもっとも良く知るのは「私の主治医」なのです。

主治医、書籍、友人、医療サイト――何を信じれば?
 第一の情報源は主治医。
主治医の言うことを理解し、ときには適切に質問するためには主治医以外の情報源も必要。
場合によってはセカンドオピニオン(ほかの医師の意見)もとっていいでしょう。
ですが「がんの多様性」を無視したような情報、がんにはこの治療をすべきとか、すべきでないとか、「がんは……」とがんをひとくくりにしたような情報は頼りにはならないと思います。

とある本屋さんの「がんの棚」の前でため息がでたことがあります。
残念ながら、「がん治療はこうしろ」「これをするな」「これで治る」というものがほとんどでした。
本屋さんもたいしたもので、「〇〇治療をせよ」という本と「〇〇治療はするな」という本が並んでいたりします。
あわよくば2冊売れるということでしょうか。

 友人知人が自分の家族のときはこうだった、と教えてくれることもあります。
が、それが5年前、10年前の話となると、情報としては少し古くなっている可能性もあります。
がん治療も日進月歩なのです。

 手術すべきか、しないべきか。抗がん剤を使うべきか、使わないべきか。
放射線治療はどうか。
副作用にどう対処するのか。
治療後のリハビリはどうなるのか。
自分の場合はどうなのか。
いやはや、考えることが多くて大変です。

まずは情報収集の初めの一歩として、信頼できるがん専門医療機関の情報サイトを活用することをおすすめします。
たとえば国立がん研究センターなら、がん対策情報センター「 がん情報サービス 」というサイトがあります。
がんの「標準治療」(科学的根拠のある最良の治療法)がどういうものかを、まず知る。
それを基準にしてほかの情報を見ていく。
がん治療の拠点病院などには相談窓口が設けられていることもあります。
その病院にかかっていなくても相談に乗ってくれる場合もありますので、問い合わせてみるといいかもしれません。

不確かな情報で寄り道はしないで
 比較的に早期にがんを発見して標準治療で十分な効果を期待できる状態だったのに、どんな情報に触れたのか「違う治療をします」といって病院にこなくなってしまい、悪化してから戻ってくるという例もあると聞きます。
克服する人が増えたとはいえ、がんが私たちの命を脅かす手強い病気であることに変わりはありません。
不確かな情報のために寄り道をしたことで治療の機会を失ってしまうことほど残念なことはないと思うのです。

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2017年04月09日

「共謀罪、心の萎縮招く」「今抵抗しないと」 作家ら声上げる

「共謀罪、心の萎縮招く」
「今抵抗しないと」
 作家ら声上げる
2017年4月8日 東京新聞  

「平和のために言論、表現の自由を守る」
「四度目の廃案を目指す」−。
国会で審議が始まった「共謀罪」法案に七日、作家や若者らから相次いで「NO!」の声が上がった。
 日本ペンクラブ(浅田次郎会長)は七日夜、東京都文京区の文京シビックセンターで「共謀罪は私たちの表現を奪う」と題する集会を開いた。
作家や漫画家、写真家ら十四人が登壇して一人ずつ発言し、約三百人の市民らが耳を傾けた。
専修大教授の山田健太常務理事が司会を務めた。

 作家の浅田会長は
平和のために言論、表現の自由を守っていくことが使命で、共謀罪は看過できない大問題。
人間には命があっていずれ死ぬが、法律は死なない。
子や孫の代にこの法律がどう使われるか。
今が大事なときです」と強調した。
 日本ペンクラブは二月、「共謀罪によってあなたの生活は監視され、共謀罪によってあなたがテロリストに仕立てられる」などとする声明を発表している。

 共謀罪は組織的犯罪集団の活動として、二人以上で犯罪の実行を計画し、そのうちの一人でも物品の手配など準備行為をした場合、全員が処罰される。
政府は二〇〇〇年に署名した国際組織犯罪防止条約を締結するため、犯罪に合意することを処罰する「共謀罪」と趣旨が同じ「テロ等準備罪」を創設する組織犯罪処罰法改正案を今国会に提出。
対象犯罪は二百七十七に上る。

◆浅田次郎さん(作家)
 ペンクラブの使命は平和のために言論、表現の自由を守ることだ。
人間には命があっていずれ死ぬが、法律は死なない。
子や孫の代にこの法律がどう使われるか。
今が大事なときだ。

◆雨宮処凛さん(作家)
 沖縄で運動の弾圧が進んでいる。
共謀罪ができたらどうなってしまうのか不安。
普通の人は「こんなことを言ったら共謀罪になるかもしれない」と萎縮する。
自由を奪われたくない。

◆内田麟太郎さん(絵本作家)
 父はプロレタリア詩人で、戦前、治安維持法があり大変苦労した。
私は革命的でも反抗的でもないが、子どもたちに喜んでもらいたいし、萎縮しないでアホなことを描きたい。

◆江成常夫さん(写真家)
 二・二六事件の年に生まれた。
日本人は戦争の過ちをないがしろにしてきた。
必要のない共謀罪が出てきたのは、なぜか。
過去からの日本人の精神性を問うことが必要ではないか。

◆金平茂紀さん(テレビキャスター)
 まだやっていないことが取り締まりの対象になる共謀罪は特別に危ない法律だ。
沖縄で基地反対運動のリーダーが逮捕されたが、これは共謀罪を先取りした予行演習だ。

◆香山リカさん(精神科医)
 メールやツイッターをするだけでも、もしかしたらまずいんじゃないかといちいち忖度(そんたく)していくと、考えることすらいけないんじゃないかとだんだんなっていく。

◆田近正樹さん(日本雑誌協会)
 共謀罪によって、いつでも捜査ができるような状況が、市民を萎縮させ、社会を変えてしまう。
さらに単独テロ対策のために1人で計画することも犯罪になるかもしれない。

◆ちばてつやさん(漫画家)
 日本は今、ゆっくりとした大きな渦の淵にいる。
戦争とかどす黒いものがたくさん入っていて、その渦に巻き込まれるかどうかの境目だと思うので、非常に危惧している。

◆中島京子さん(作家)
 今回も強制採決されるというあきらめの気持ちもあり、反対の声がどこまで形になるかわからないが、慣らされることに抵抗しないといけない。
4度目の廃案になるよう発言していく。

◆長谷部恭男さん(早稲田大教授)
 犯罪というのは、やり終わったものを裁くのが基本原則。
それが277の大量の罪について計画段階で捜査の対象になる。
市民生活に直接にかかわるもので危険性も高い。

◆ビッグ錠さん(漫画家)
 これほど危機感を覚える時代はない。
一般の人はどうしたらいいか分からないあきらめがある。
過去に、そうやって戦争に入っていったではないか。
一度法律ができると手遅れだ。

◆森絵都さん(作家)
 東日本大震災のとき、国には国民一人一人を守るような力はないと感じた。
それ以降も日本人の心の中に国への依存や期待が残っていて、そこを国につけこまれるのではないか。

◆森達也さん(映画監督)
 人は誘惑に負けることもあるが反省もする。
共謀罪は、それをも許さない。
一人一人を見ないで、全体をレッテル貼りし、排除しようとする社会まで秒読みとなっている。

◆山口勝広さん(写真家)
 写真は、時代を残す記録。
萎縮して撮ることを恐れてはいけない。
表現者として抵抗し、実情を知らせる義務がある
社会の窓、目となる表現を閉ざすことがあってはならない。

◇「国民を縛るな」
元SEALDsら 若者も叫ぶ  

安全保障関連法に反対し、昨年に解散した若者グループ「SEALDs(シールズ、自由と民主主義のための学生緊急行動)」の元メンバーらが結成した「未来のための公共」などが七日夜、「共謀罪」法案に反対する集会を国会周辺で開き、参加者らがラップ調の掛け声に合わせて廃案を訴えた。
 マイクを握ったメンバーの大学三年馬場ゆきのさん(20)は「国家権力を守るために、国民を法律で縛るのは間違っている」と批判。
大学三年の奈良みゆきさん(20)は「与党は強行採決する恐れがある。
おとなしく通過させてはいけない」と訴えた。
 集会には高校生を中心とした十代のグループも参加。
「安倍政権に反対する金曜国会前抗議」と銘打ち、より多くの市民や団体を巻き込んで、毎週恒例の開かれた抗議の場にしていくという。
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2017年04月08日

今村担当相の「自己責任」発言 復興を語る資格はない

今村担当相の「自己責任」発言
 復興を語る資格はない
毎日新聞「社説」2017年4月7日 東京朝刊

 本音が出たと言うべきだ。
 今村雅弘復興相が東京電力福島第1原発事故で自主避難した人たちの帰還問題について「本人の責任、判断だ」などと語った。
 実情を理解しているとは思えない発言だ。
抗議の声や辞任を求める声が広がっているのは当然である。

 事故後、避難指示の対象区域以外から家を離れた自主避難者は福島県の集計で2万数千人に上る。
しかし福島県が続けてきた避難先での家賃負担は今春から打ち切られた。
 これを踏まえ、記者会見で「自主避難者に対する国の責任をどう感じているか」と記者が質問したのをきっかけに発言は飛び出した。

 今村氏は帰還するかどうかは「本人の判断」と語ったうえで、
「帰れない人たちには国は責任を取らないのか」との質問に対して「(不満なら)裁判でも何でもやればいい」と言い放った。もはや開き直りだ。
 問い続ける記者に対し、今村氏が「出て行きなさい」「うるさい」と激高した姿にも驚くばかりだ。
 これが復興相の発言だろうか。

 そもそも自主避難者は好んで逃れたのではない。
事故の被害者だ。
 家賃負担の打ち切りは避難者の帰還を促すのが目的という。
ただし避難先での仕事や子供の学校の事情で帰還しない人もいる。
苦しい生活を強いられている家庭も多い。
放射能への不安が残る人もいるだろう。
 こうした複雑な事情を顧みず、勝手に避難して帰らないのなら仕方がないと言わんばかりに、冷たく自己責任論を口にする。
被災者に寄り添っているとは到底言えない。

 避難住民らが起こした集団訴訟で前橋地裁は原発事故に対し国の過失責任を認める判決を出している。
一方、自主避難者に対して独自予算で支援を続ける自治体もある。
避難者間に格差が広がる可能性がある。
 国が調整してサポートするのは最低限の責務だろう。
にもかかわらず結局、早く切り捨てたいのが国の本音と受け止めた人は多いはずだ。

 元々、安倍内閣では復興相ポストは重要視されていないように見える。
先月開かれた東日本大震災の政府主催追悼式では、安倍晋三首相は原発事故という言葉を式辞で使わなかった。
今村氏の発言は政権全体の原発事故軽視姿勢の表れでもある

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