2018年12月03日

重病サインを見逃す医師の無知と患者の過信

病サインを見逃す
医師の無知と患者の過信
2018/11/25 東洋経済ONLINE

北原 雅樹 : ペインクリニック専門医、麻酔科医

長引く体の痛み(慢性痛)の特徴の1つとして、医療機関を受診したくなるような強い痛みを患者さんが感じているにもかかわらず、痛みの原因となるような異常が見つからず、なぜ痛いのかがよくわからない、ということがある。

慢性痛は直ちに命が危険になるような病気ではないのだが、毎年500人以上の患者さんを診ていると、すでに何らかの病気にかかってしまったことで、慢性痛とは別の原因で痛みが生じているケースに遭遇する。
そのようなときには、もっと前に見つけられていれば……と忸怩(じくじ)たる想いにとらわれる。

痛みの原因がよくわからない
「やっと先生にお会いすることができました。
この半年間は特に痛くて痛くて……。
なかなか予約が取れなかったんですよね〜」
部屋に入ってイスに腰掛けるなり、患者さんは期待感を弾んだ声にこめて話しだした。
軽く日焼けしているような、やや褐色の肌をした60代前半の女性である。
身長160センチはあるだろうが少し痩せ気味だ。
言動は活発だが、どことなくやつれているように感じられた。

長くお待たせしたことをお詫びした後、いつもどおり、「何がいちばんお困りですか」と質問を始めた。
「仕事の関係から、パソコンの前に座って作業していることが多く、ずっと前から背中の中ほどが凝って痛かったんです。
それが、1年くらい前から段々痛みがひどくなって、半年くらい前からほぼ毎晩、寝ていても痛みで目が覚めるくらい痛みが強くなりました」

女性は、この日一緒に来ていた60代の旦那さんと2人で会社をずっと経営してきた。
女性は税理士の資格を持っていて経理を担当しているため、パソコン仕事が多いという。
もう数年したら仕事をたたんで悠々自適の生活に入ろうと考えている。
そうしたら身体も楽になると頑張ってきたが、あまりにも痛みがひどいので当科を紹介してもらったとのことである。

今まで、大学病院を含む複数の医療機関を何回か受診したことがあるが、背中の痛みの原因はよくわからないといわれてきた。
「1年位前からのひどい痛みにはロキソプロフェンがよく効いて、飲んでから30分もすると痛みは半分以下になって楽になります。
そこで、身体に悪いとはわかっていたのですが、ロキソプロフェンを1日6回も7回も飲んでしまって……。
そうしたら胃が痛くなって血を吐いてしまい、副作用で胃潰瘍になっていると診断されて内科の先生から叱られました。
アセトアミノフェンに替えて胃潰瘍は治まったのですが、前ほどは効かなくて困っています」

「ヤバイ徴候」が満載
胸と腰とのちょうど間の背骨のあたりに鈍い痛みはつねに感じていて、ひどくなるとそこから身体の前のほう(上腹部)に広がって差し込むような痛みとなるという。
食欲が落ちたわけでもないのに、この半年くらいで体重が3kgくらい減った。
若いときから風邪さえもほとんどひいたこともないくらい健康であり、かつ個人事業で忙しいので、必要だとは知りつつも、がん検診を含む健康診断は過去数年間受診していない。
このような話を聞いているうちに、自分の気分が少しずつ沈んでいくのを感じていた。

痛みの原因が「ある」ことを示す「ヤバイ徴候」が満載だったのである。
ひと通り診察を終えた後、内臓に原因がある可能性が高いことを夫婦にお伝えして、すぐに消化器内科に院内紹介状を書いて受診してもらった。
数時間後に返ってきた返信は、私のいやな予測が当たっていたことを示していた。
「膵臓がんの可能性が高いため、直ちに入院精査します」と書かれていた。

薬が効かないこともある
痛みに何か原因がありそうなヤバイ徴候としては、まず、強い痛みのために寝ていても目が覚めてしまう、ということがあげられる。
ここで重要なのは、痛みが原因で目が覚めるということであり、目がさめたら痛みを感じた、のではない。

つまり、ほかの事(トイレだとか隣に寝ている旦那さんのイビキだとか)で目が覚めたら痛みも感じた、とか、以前から寝つきが悪かったり眠りが浅かったりしていたので寝ている間も痛みが気になってしまう、というのとは異なる。
あくまでも、強い痛みがきっかけで目が覚めてしまう、ということである。
すなわち、痛みで眠りが妨げられるというのは慢性痛ではまずありえないことなのである。
慢性痛患者さんほぼ全員が、たとえ睡眠薬などを使用してでも、一度寝てしまえば痛みは気にならない、と話す。

一般的に使われている睡眠薬には鎮痛効果はない。
また、薬そのものの作用もそれほど強いわけではなく、縫い針一本を刺しただけでも目を覚ませる程度である。
鎮痛薬、特に非ステロイド系抗炎症薬(NSAIDs、ロキソプロフェンやジクロフェナクなど)がよく効くのも「ヤバイ徴候」の1つだ。
よく効く、というのは服用してから30分くらいしてから効果が出始めて、痛みが半分以下になるというような場合である。

医師でさえも誤解している人がいるのだが、NSAIDsは「抗炎症薬」であって、鎮痛薬ではない。
怪我や病気で起こる炎症を抑えることで、炎症に伴う痛みが間接的に良くなるのである。
つまり、炎症がなければ理論的にNSAIDsは効果がない。
そして慢性痛はほとんどの場合に炎症を伴わない(あってもごくわずか)ので、NSAIDsを飲んでも効果はあまり感じられない。

なぜ「ヤバイ徴候」が見過ごされるのか
慢性痛でも効果を感じるように思うのは、いわゆるプラセボ効果によることが多い。
また、「平均への回帰」も効果があったように思う一因となっている。
慢性の痛みのほとんどでは、痛みは強くなったり弱くなったりを繰り返す。
つまり、痛みが極めて強くなったら、そのまま何もしなくても自然に痛みは弱くなる。

その一方で、痛みに対して薬を使うのは痛みが強くなった時なので、たとえ薬の効果がほとんどなくても、自然と痛みが弱くなるため、薬が効いたと思ってしまうのである。
さらに、この患者さんの場合には特に思い当たる理由がなく体重が急に減っている。

中高年以上では、原因不明の急な体重減少は内臓などに癌などのなんらかの大きな異常があることを疑わせる「ヤバイ徴候」である。
自信過剰で「ヤバイ徴候」が見過ごされがち ではなぜ「ヤバイ徴候」が見過ごされるのだろう。

見過ごされやすいのは、以前から慢性痛があった部分に新しい痛みがかぶってしまった場合である。
痛みの性質が以前とは変わっている(この患者さんの場合、以前よりもはるかに痛みが強くなり、かつ腹部まで痛みが広がってきた)にもかかわらず、患者さん自身で「前からの痛みがひどくなっただけ」と理解してしまう。

特に、痛みの性質が変わる以前に大きな病院で精密検査を受けたことがあると、「どうせまた、何もないと言われるだけだ」と考えて、医療機関を受診することもない。
また、慢性痛についての医師への教育が日本はアメリカやヨーロッパなど先進国に比べて大きく遅れているため、ほとんどの医師は慢性痛について十分な知識や経験がない。
そのため、痛みの性質の変化や、痛みによる睡眠障害、NSAIDsが効き過ぎること、などの重要な情報を患者さんに問診することもほとんどなく、見過ごしてしまいがちになる。

さらに、この患者さんのように自分の健康に過剰な自信を持っていて、定期的な健康診断などを受けていない場合は、さまざまな「ヤバイ徴候」が見過ごされがちになる。
そして、この患者さんの場合、ただでさえ症状が出にくくて発見が遅れがちになる膵臓がんの中でも、特にわかりにくい膵尾部癌であったことが不運だった。
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2018年12月02日

「自己責任論」の前提と限界、・人の尊厳・被害者・貧困・・・

起源は江戸時代の「自己責任論」
 論者が分析するその姿
2018.12.01 NEWSポストセブン

 ここまで世論が極端に割れることは、珍しい。
内戦下のシリアで、武装勢力に拘束されたジャーナリストの安田純平さん(44才)が10月末、約3年4か月ぶりに解放されて帰国したことについての、日本社会の反応である。

 日本政府による渡航自粛要請を無視して現地入りした後、武装勢力に拘束されて多額の身代金を要求された安田さんを待っていたのは、助かってよかったという安堵の声と、激烈なバッシングだった。
どちらかというと、後者の方が声が大きく、「国に迷惑をかけるな」「われわれの税金を無駄遣いするな」などという「自己責任論」が吹き荒れた。

 影響力の大きな人たちはこんな発言をした。
ビートたけし(71才)は登山家が山で遭難したケースを挙げ、「成功すればいい写真や名誉を得られるけど、失敗した場合は救助隊にお金を払うでしょ? この人は失敗したんじゃないの?」と指摘。

橋下徹前大阪市長(49才)はネットテレビで、「そこは結果責任で、税金を使って政府の国際テロ情報収集ユニットを使って労力をかけたんだから、帰ってきた時には『すみません、結果出せませんでした。ごめんなさい』と言うのは当然だと思う」との意見を表明した。

 一方で擁護派も現れた。
ダルビッシュ有選手(32才)は「自己責任なんて身の回りに溢れているわけで、あなたが文句をいう時もそれは無力さからくる自己責任でしょう」とツイート。
辛坊治郎キャスター(62才)がテレビ番組で自己責任論に対し、「こんなこと普通、議論にならないレベルの話」と指摘すれば、
アルピニストの野口健(45才)は、「安田さんへの過剰な又は感情的なバッシングはこれからの報道姿勢を抑圧してしまう」とツイートした。

 渦中の安田さんは帰国後に開いた会見で、「私自身の行動によって、日本政府が当事者となってしまったことを申し訳なく思います」と頭を下げ、「自己責任」が叫ばれる日本社会の現状について「批判、検証をいただくのは当然。紛争地に行く以上は自己責任であると考えている」と述べた。
 海外メディアから「謝罪の必要があるのか」との質問が出ると、こう答えた。
「私の行動にミスがあったのは間違いないのでお詫びを申し上げた」

「自己責任」をめぐる侃々諤々の議論が起こるのは、安田さんのような戦場取材のケースに限らない。

 2012年にお笑い芸人の親族が生活保護を受給していたことが発覚した際には、自民党の片山さつき参院議員(59才)が、「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です」とツイートし、国会議員として生活保護の削減に取り組む意向を示した。
生活が困窮しても国を頼るな、自分の責任で何とかしろ、という主張である。

 2015年に中学1年生の男女が早朝の街で連れ去られ、遺体で発見された寝屋川市中1男女殺害事件や、2017年にネットを媒介にして9人の男女が殺害された座間9遺体事件などの凶悪犯罪でも、「子供が真夜中に出歩くのはおかしい」「見知らぬ男の家に行くのも悪い」などと、“被害者の落ち度”を責める自己責任論がネット上にあふれた。

◆攻撃性を帯びる「自己責任」
 作家の北原みのりさんは、「自己責任論は弱い立場の人たちに対して言われることが多い」と指摘する。

「顕著な例がわいせつやセクハラ問題です。
例えば東大男子学生3人が起こした強制わいせつ事件(2016年)の際は、『被害女性が東大生を狙っていた』とバッシングされましたし、
ジャーナリストの伊藤詩織さんが元テレビ局記者にレイプされたと訴えた際(2017年)も、『夜遅くに男とデートした彼女もそのつもりだったんだろう』と叩かれました。

 またシングルマザーなどをめぐる貧困問題でも、『結婚相手を見極めなかった女が悪い』『貧乏なのは努力が足りないから』と自己責任を口にする人が多いことに驚きます」

 弱い立場にある女性に向けられる自己責任論に、北原さんは忸怩たる思いを抱く。
「“女は男に従うもの”“女は責任を取らなくていい”という時代が長く続き、自立を果たせなかった女性にとって、“自分の人生は自分で決める”ことを意味する『自己責任』という言葉には、とても尊い価値がありました。

 ところが最近は、窮地に陥った女性に対し、“自己責任だから仕方ない”という声が投げかけられるようになった。
自己責任という言葉が、人の尊厳を奪って被害者を苦しめるものになっています」
北原さんが指摘するように、自己責任という言葉は近年ますます攻撃性を帯びている。

 日本社会における自己責任論の起源はどこにあるのか。
「その兆しは、江戸時代にうかがえます」 と指摘するのは、著書に『貧困と自己責任の近世日本史』(人文書院)がある奈良大学文学部教授の木下光生さんだ。

「江戸時代は、わずかな武士などを除くほとんどの人が農業を中心とした自営業で、“自分のことは自分で行う”という意識や慣行が根づいていました。
もちろん当時は『自己責任』という言葉は存在しなかったでしょうが、作物づくりに失敗した農家が、“自分の責任だ。
村には迷惑をかけられない”という恥の意識にさいなまれて、夜逃げするケースなどがありました」

 ただし、現在と大きく異なる点もある。
それは、自己責任が村による「救済」とセットだったことだ。
「貧しくて年貢が納められない農民がいれば、村が肩代わりするなどして救済していました。
けがや病気、天候不順などでの失敗(不作)のリスクは、すべての村人に隣り合わせのことであり、“困った時は、お互いさま”という意識も強かった。

 その代わり、助けられた農民は物見遊山などのぜいたくが禁じられたり、村に名前を張り出されるといった社会的制裁を受けた。
自営業者としての縦のラインと、村という横のつながりがセットになって、相互扶助を行うシステムが機能していたんです」(木下さん)

 戦後になると、村などの地域共同体は次々と消失した。
「それとともに農業を中心とした自営業者は減り続け、サラリーマンを中心とした賃金労働者が大半を占めるようになりました。
誰かに雇われる立場にあるということは自立度もリスクも低くなる。
同時に、江戸時代のように村などの共同体が個人を救済する横のつながりが希薄になっていき、
結果として、トラブルが起きても“自分のことは自分で行い、他人を頼らない”という自己責任ばかりに重きを置く社会になったのです」(木下さん)
      ※女性セブン2018年12月13日号
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2018年12月01日

【日産ゴーン逮捕】日本には「推定無罪」という法治国家の原則が欠如、世界中に恥さらし

【日産ゴーン逮捕】
日本には「推定無罪」という
法治国家の原則が欠如、
世界中に恥さらし
株式会社サイゾー 2018/11/30
文=小笠原泰
/明治大学国際日本学部教授、フランス・トゥールーズ第一大学客員教授)

またしても“ガラパゴス日本”の象徴的出来事が起きている。
フランス人の大物カルロス・ゴーン氏の逮捕なので、日本人はさぞや世界中で盛り上がっていると思っているであろうが、筆者の知る限り盛り上がっているのは日本だけという状況である。
筆者は現在フランスの大学の客員教授として同国在住であるが、ご当地では、まったく盛り上がっていない。

 東京地検特捜部が11月19日、夕刻に羽田空港に着いた日産自動車元会長のカルロス・ゴーン氏に任意同行を求め、午後8時に金融商品取引法違反の疑いでゴーン氏を逮捕したと発表した。
以降、新たな事実が判明するたびにメディアを賑わせているが、ゴーン氏について、職業人の域を逸脱して、本人の私生活にまで及んで、あることないことを粗探ししている状態である。

今回の件のワイドショー化は、筆者にはかなり異常に思えるのだが、成功者といってさんざん持ち上げたあとに引きずり降ろして足蹴にするのは、日本社会の典型的な行動である。
俗にいう集団的掌返しである。

 ことの重大性を否定する気はまったくないが、欧米居住経験者として見るに、まだ起訴でもなく、当然有罪が確定したわけでもないので、一斉にゴーン氏を有罪の悪人、人格に問題のある人物のように扱う世論には強い違和感がある。

 日産の西川廣人社長は、日本的形式に則り国民感情を考慮して、19日の逮捕後早々にゴーン氏を会長職から解任する意向を表明し、22日の取締役会で正式に解任した。
一方、ゴーン氏が会長兼CEOを務める仏ルノーの取締役会は20日、ゴーン氏を解任せず、会長・CEOとして留任させると発表。
逮捕されて身柄を拘束されているので、フィリップ・ラガイエット社外取締役を会長代行に、ティエリー・ボロレCOOをCEO代行に任命している。
ルメール経済・財務相も言うように、推定無罪という法治社会の原則に則った冷静な処置である。

 ある日本の新聞は、「取締役会がゴーン容疑者の解任を見送ったのは、ルノーの筆頭株主であるフランス政府の意向に配慮したためとみられ」と報じたが、これはまったくの憶測である。
ルノーの判断の背後にあるのは、ルメール経済・財務相も述べているが、推定無罪の原則である。
推定無罪とは「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という、近代法の基本原則だが、日本ではまったく機能していない。
逮捕された人物は犯罪者とみなされる。
この推定無罪が機能しない状態は、他の先進国からみると極めて異様、前近代的である。
 2014年、欧州連合(EU)と日本が貿易自由化に向けた経済連携協定(EPA)と同時並行で締結交渉を行っている戦略的パートナーシップ協定(SPA)では、人権侵害や民主主義に反する事態が起きた場合は協定を停止できるとの「人権条項」を設けるようEUが主張したが、日本政府が猛反発して顰蹙をかった。
日本における人権保護は国際的に信用がない。

 安倍政権は、基本的人権と法の支配という点において基本的価値観を欧米諸国と共有していると主張している。
しかし、当の欧米諸国の評価は、2014年に出された国連人権高等弁務官事務所からの勧告にある通りなのだが、政府に、その勧告に真摯に向き合う積極的な姿勢はうかがえないのが現状である。
ご興味ある方は、報告書を参照されたい。
多少の問題はあるが消極的評価は概ね妥当であり、耳を傾けるに値するであろう。  
 そして、政府の改善が見られないので、日本弁護士会も2017年に国連人権高等弁務官事務所にたいして、「国際連合人権高等弁務官事務所が作成する 日本に関する人権状況要約書のための文書による情報提供」という資料を提出している。
これが、欧米社会における日本における人権擁護の現状理解である。
今回のゴーン氏逮捕後の日本の対応は、この信用のなさに拍車をかけかねない

●日本の信用失墜に手を貸すマスコミ
 日本のマスコミは、ルノーがゴーン会長・CEOを解任しなかったことについて、推定無罪の観点から理解するのではなく、フランス政府の介入のせいにしている。
「ゴーン氏は悪人」という国民受けの良いシナリオに固執しているのかもしれないが、日本の国際社会での信用失墜に手を貸している。
 これを後押しするかのように、三菱自動車は26日の臨時取締役会でゴーン会長を解任した。
その理由として、すでに日産の信認を失っていること、逮捕によって会長としての業務遂行が困難になったことを挙げている。
しかし、最初の理由は推定有罪を前提にしている。
2つ目の理由は、ルノーのように代行を置けばよい話であって解任の理由にはならず、これも推定有罪が前提である。

 取締役会後に記者会見で益子修CEOは、「(解任しなければ三菱自を)レピュテーションリスク(評判を落とす恐れ)にさらすことになる」と述べた。
これは明らかに日本市場を意識したものであろう。
しかし、日本市場の販売台数(17年度)は全販売台数の1割程度であり(その半数は日本でしか売れない規制で保護された軽自動車)、欧州と北米の売り上げは30%を超えている。
これにオーストラリアを加えると販売台数の4割近くに達する。
推定無罪が前提の地域である。

これでは、むしろ解任するほうが三菱自をレピュテーションリスクにさらすことになるのではないか。
三菱自にとってどちらが重要な市場かは明白であるが、やはり日本社会の空気は怖いのであろう。
そうであれば、わざわざレピュテーションリスクなどと英語を使わず「日本での評判にかかわる」と正直に説明すればよかったのではないか。

 三菱自もやはり日産と同様に推定無罪を尊重しない解任決定をしたということが、国際社会での日本のレピュテーションリスクになるが、それをまったく理解していないように思える。

日産と三菱自は、日本市場の販売台数が全販売台数の1割程度という明らかに海外市場に依存しているのだが、その両社の経営者が日本しか見ない行動を取るとは、まさにグローバル社会に反する日本社会の現れである。
次回予告略
posted by 小だぬき at 00:00| 神奈川 ☀| Comment(2) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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