2019年02月12日

嘆きとユーモア…サラリーマン川柳

嘆きとユーモア…平成経済を綴ったサラリーマン川柳
株式会社 産経デジタル 2019/02/11

 新元号の発表まであと約2カ月。
ユーモアを交えて世相をつづってきた第一生命保険の「サラリーマン川柳」(サラ川)も昨年末に平成最後の作品が発表された。
バブル崩壊からデフレに突入、実感の乏しい戦後最長の景気拡大に至るこれまでの約30年。
会社での働き方や技術の進歩、人間関係のありようをどう表現してきたのか。

優秀句に選ばれた2900句にものぼる川柳から平成経済を振り返ってみた。

バブル期、モーレツ社員
 現在、定年にさしかかったサラリーマンが、若手として一線で働いていた約30年前。
平成始めはバブル景気に沸いていた。
そんなころの働き方は、今でいうならブラック企業のような状態だったかもしれない。  

「ビジネスマン 24時間 寝てみたい」(ボーナス 平成2年)
 当時は、栄養ドリンクのCMソングの一節、「24時間戦えますか」というフレーズが流行していた。

「終電車 座ったばかりに 乗りすごし」(オジサン 2年)

「頑張れよ 無理をするなよ 休むなよ」(ビジネスマン 4年)

 長時間労働が当たり前だった時代。バブルを象徴した地価の高騰は尋常でなかった。  

「一戸建 手が出る土地は 熊も出る」(ヤドカリ 2年)  
「一戸建て まわりを見ると 一戸だけ」(貝満ひとみ 3年)  
一般のサラリーマンが都心にマイホームを持つのは夢物語のようで、郊外には住宅団地が次々と開発されていった。

バブル崩壊、成果主義台頭
 土地取引融資にかかわる規制が2年に強化され、バブル崩壊が始まる。
不動産価格は暴落し、投資資金の焦げ付きとともに景気がいっきに冷え込む。
新卒採用は絞り込まれ、就職氷河期が到来、企業では人員削減が加速した。  

「この不況 人事ばかりが やる気みせ」(信天翁 6年)  
「少数に なって精鋭  だけが欠け」(凡夫 7年)  
「休みくれ 永久に休めと 肩たたく」(嫌味言太 11年)

 9年には山一証券が自主廃業、北海道拓殖銀行が、都市銀行として初めて破綻した。
金融システム不安が高まる中、企業倒産、再編も相次いだ。  

「行員も そっと他行へ 貯金する」(読み人知らず 9年)  
「コストより 先に会社が ダウンをし」(福の神 10年)  
「一生を 賭けた会社に 先立たれ」(怒りのヒラ 11年)

 不良債権問題は16年ごろまで沈静化せず、「失われた10年」と呼ばれた。
 活力をどうすれば取り戻せるのか。バブル崩壊の打撃を引きずる企業は、日本に根付いていた終身雇用と年功序列型賃金の見直しに踏み切る。
成果主義賃金へのシフトだ。  

「恩忘れ すぐにかみつく 部下とジョン」(貧乏くじ 7年)
「成果主義 成果挙げない 人が説き」(詠み人甚吉 15年)

 社歴よりも、実力が社員の評価軸として一段と重視される。

IT化、上司と部下の関係に影響
 リストラと歩調をあわせるように企業が急いだのが、IT化だった。
1990年代後半から職場のいたるところにパソコンが導入され、サラリーマンにはITスキルが不可欠となる。
 第一生命経済研究所の的場康子主席研究員は「インターネットに慣れ親しんだ若い世代と、そうでない世代ではITスキルにギャップがある。
上司が部下に教えてもらう構図を生み、関係性を変える影響を与えたかもしれない」と話す。  

「ぼくに出す メールの打ち方 聞く上司」(ホワイトエンジェル 平成10年)  
「パスワード アスタリスク(*)を打つ上司」(薩摩はやと 11年)  
「ドットコム どこが混むのと 聞く上司」(ネット不安 12年)

 IT音痴の上司には、職場では冷ややかな視線が向くようになった。

延びる定年、働き方改革、そしてAI…  
バブル崩壊の痛手から抜け出した日本だが、いまは生産年齢人口の減少を背景とした低成長時代の真っただ中にある。
リストラを懸命に進めてきた企業も、うって変わって人手不足の問題に直面。
人材確保が大きな悩みとなっている。
 25年には年金支給開始年齢の引き上げを背景に希望者全員の65歳までの雇用確保を企業に原則義務付ける改正高年齢者雇用安定法が施行された。  

「人生の 余暇はいつくる 再雇用」(年金未受給者 30年)  
「再雇用 昨日の部下に 指示仰ぐ」(白いカラス 30年)

 定年を迎えたものの嘱託などの待遇で働かねばならない還暦サラリーマンの哀愁がにじむ。
 安定雇用につながる定年制廃止や定年引き上げは一部の企業に限られ、厚生労働省の30年調査では、定年後の再雇用などの継続雇用制度が8割近くを占める。

「たたき上げ 育てた女子が いま上司」(そらみみ 28年)  

50歳半ばで役職を後輩にゆずり、給与が大幅にダウンするサラリーマンも多い。
 また、ここ数年、急速に広がっているのが仕事と家庭の両立、過重労働の防止を目指す動きだ。
30年には働き方改革関連法も成立。
ワークライフバランスの実現に向けて試行錯誤が続いている。  

「人減らし 『定時であがれ 結果出せ』」(まろちゃん 29年)  
「削減だ 改革起こすと 仕事増え」(一生船乗り 30年)  
「終業後 家に帰れば  家事始業」(ワンオペ育児 30年)

 的場主席研究員は「働き方が変わってきても、会社の仕事の量そのものが減るわけではない。
働く女性が増えているが、女性が家事や育児の大半を担う状況も変わっていない」という。

 平成最後の発表となった川柳には、業務効率化と業績向上の切り札とされる人工知能(AI)を織り込む句も目立った。  

「ライバルが 去ってAI現れる」(ひぐらし 30年)  
「人事異動 オレの後任 人工知能」(A.I.30年)

 苛烈な社内競争を勝ち抜いてきたサラリーマンにも危機感が漂う。
これまでの上司、部下、同僚をはるかにしのぐ、手ごわい相手と向き合う時代がやってきたようだ。
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2019年02月11日

日本の「精神医療」は患者をダメにしているのか

日本の「精神医療」は患者をダメにしているのか
2/10(日) 筒井 幹雄 :東洋経済 記者

「患者のため」の身体拘束が招く死。
処方薬の影響で体中に入れ墨をした女性、万引を繰り返した会社員や衰弱後に突然死した自閉症患者。
担当医は患者家族から逃げ回り、「親の代わりに殴った」と開き直る。

半世紀前と変わらない医療現場がある。
『なぜ、日本の精神医療は暴走するのか』を書いたリサーチャーの佐藤光展氏にその実態を聞いた。

■リアルな患者の姿を見せていない

 ──にわかには信じられないような事例だらけです。

 1970年に朝日新聞の記者だった大熊一夫さんが精神病院内での患者への暴力をルポして、社会問題になりました。
1987年に精神衛生法が精神保健法へと改正され、改善されたと思っていたが、医療担当記者として取材していると、誰も開けない扉がある。
好奇心から開けたら人がばたばたと倒れている。
自分では“蘇生”できないので「これ、おかしいでしょ、助けませんか」という気持ちで書いています。
臭い物にふたは一般的ですが、精神医療には社会のひずみが凝縮していると感じます。  

──昨年8月に毎日新聞が、精神病院に50年以上入院している人が1773人いると報じました。

 こうした状況を、多くの人はおかしいと感じるはずですが、そうなっていないのは、まさに患者を病院に閉じ込めて、リアルな患者の姿を見せていないから。
ある精神科医に言わせると、従順ないい人だから何十年も入院しているわけで、世間が考える突然暴れ出すような人たちなら、暴動が起きて病院は潰れている。  

──これだけひどいと、「極端な例だ」という声もあるのでは。

 そういう反応は必ず出ます。
ただ、メディアが取り上げるのは何であれ極端な例がほとんどです。
殺人事件は年間約300件で年々減っていますが、報道しなくていいという話は聞きません。
事件の背景にある社会の問題や被害者の命の重さは伝えなくてはいけない。
それが、精神疾患の患者の場合なら、虐げられても一部だからいい、というのは理解できません。  

──なぜ、考えられないような医療が続いているのでしょう。

 医療は医者の見た目(視診)と検査の数値に基づいて行われますが、精神科は見た目がすべて。
iPS細胞による治療がスーパーカーなら、精神医療は人力車。
人力車だからダメ、ではないんです。
患者の話を聞いて癒やせればいい。
例えば「眠れてますか」に始まって、「そんなに仕事が大変なら会社と交渉しましょうか」というのが本来の精神科です。
ところが、ろくすっぽ話も聞かずに「眠れない?  じゃあ薬飲んで」となっちゃう。
ここに大きな問題がある。

■患者が半減してもやっていける  

──話を聞かないのは診療報酬制度にも問題があるようですね。

 お金に困ってない精神科の重鎮が開業して、1時間かけて患者の話を聞くと、大して薬を使わなくても1〜2カ月でうつ病が著しく改善したりします。
じっくり患者に向き合っても報酬は変わらないので、ある種ボランティア。
ここに矛盾があるのは確かですが、1人当たりの診察時間を5分から10分にして患者が半減してもやっていける報酬はもらっているはずです。
逆に、稼ごうと思ったら数をこなして投薬になる。  

──治さずに薬漬けにしたほうが儲かる構造ですね。

 ほとんどの精神科医は治したいと思っている。
ただ、検査や手術という方法がなく、あるのは薬だけ。
また、医療の質を問う場合、どれだけ治したかという評価基準が必要ですが、精神疾患は何をもって治ったとするかが難しい。
うつ病だと社会復帰でしょうが、会社に行ったらまた症状が出たという例は身近にあると思います。  

──製薬会社による「うつは心の風邪」といううつ病の啓発活動が安易な受診を助長すると批判されたことがありました。  

あのフレーズは、今思うとある意味正しかったという気がします。
風邪の発熱などが体を休ませるための指令なら、脳の活動の低下も同じように疲弊した体を休ませるための指令かもしれない。
 問題は、心の風邪や、それ以前のちょっと疲れていて眠れば回復するような人まで病気と診断して投薬してしまうことです。
本当に必要な休息を取らないで薬だけ飲んでも治りません。
その結果、「よくなりませんね、重症ですね」と薬が増え、副作用で患者が本来できることもできなくなってしまう。
副作用に鈍感な医者はとことん鈍感で、症状の悪化と投薬の関係を疑ったりしません。  

──医師の処方内容をチェックすべき薬剤師は機能していない? 

 もっと医者に「この処方はおかしい」と言わなきゃいけないけれど、門前薬局なんかは医者に干されるおそれがあって言えないというのはまだあります。
また、睡眠薬などは長期間服用すると適正量でも薬物依存になりますが、処方が適正量だと言いにくいと思います。  

──短時間診療に過剰投薬。患者を人として扱っていませんね。

 精神医療関係者が患者をバカにしているというのは感じます。
本書に書いた、夫のDVから逃れようと110番通報した女性が、精神錯乱者とされて、措置入院(編集部注:知事などの権限による強制入院)させられたのは好例です。
警察官、保健所員、精神科医の誰もまともに女性の話を聞かず、レッテル貼りをして病院に入れてしまう。

■犬猫のほうが大事にされている  

──精神科医のうち一人は「措置というほどではありませんね」と言いながら「要措置」としました。

 石郷岡病院において、暴行がもとで患者が死亡したと看護師が起訴された裁判員裁判では、意味不明な理由により罰金30万円で終わり。
医療現場のひずみを社会が正さないのです。
精神疾患患者への社会の薄情さが医療現場に反映されている。
犬猫のほうが大事にされていると思います。  

──状況を変えるには? 

 患者やその家族が声を上げるしかないでしょう。
部外者の私がいくら声を上げても「極端な例だ」と言われてしまう。
無力感があるのかもしれないが、社会にいちばん響くのは彼ら彼女らの声です。
医療にめちゃくちゃにされた患者はそれどころじゃないでしょう。
それでも声を上げる必要がある。

 精神科の診断基準は、その症状によって本人の社会生活に著しい影響があるかを必ず問題にしています。
要は本人が困っていなければ病気ではないのです。
発達障害で顕著ですが、変わった人がいて困っているのは周囲の人ではないのか。
社会の受け入れ方次第で患者自体が減ると思います。
posted by 小だぬき at 00:00| 神奈川 ☁| Comment(0) | うつ病について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月10日

日本人はもっと「食事を残す勇気」を持ってもいい!?

日本人はもっと「食事を残す勇気」を持ってもいい!?
2019年02月09日 All About
(文:平井 千里(管理栄養士))

■「残さず食べる」日本人の美徳
「食事を残してはいけない」と、両親や学校できつく教えられたという人も少なくないと思います。
食材をつくってくれた農家の人や、調理をしてくれた人を想う日本人の美徳です。

提供する側が食べる人の適量を知っていて料理を出した場合は、「残す必要がない」=「残してはいけない」という状況もあります。
例えば、小学校の給食などはその年齢の子供さんに見合った量を提供しています。
成長や体調の違いもありますので、絶対にいけないとまでは言いませんが、基本的には残さずに食べることが望まれます。

しかし、外食など自宅以外の場所で食事をする場合、食べる人にとっての適量が提供されない場合もあります。
そして「残してはいけない」という美徳にとらわれて、必死になって残さず食べきってしまうことも多いものです。

実は食べ過ぎは疲労を生み出し、老化を早めてしまうなど、体に悪影響を与えることが知られています。
もし美徳を守ることで将来の健康が危ぶまれるのであれば、勇気を持って破ってしまうことも大事なことのように思います。

■「食事を残す勇気」を持つには
食事を残すことができる人とできない人の差は、「一食分」の食事をどのように考えるかという、定義の差です。

食事を残すことができる人は、「一食分」を自分の胃袋の容量に見合った量として考えることができます。
食べ終わったときの自分の感覚で「もうちょっと食べられるけれど、体調が悪くなっては意味がない。
このくらいでやめておこう」というように、身体との対話で食事を終わらせることができるのです。

逆に、食事を残すことができない人は、出された皿に乗っている量が「一人前」なので、自分の適量に見合っていないとしても、周りの目を気にして何とかして食べきろうとしてしまいます。
「残してはいけない」という美徳や、料理・食材に関わる方への感謝を持つことは大切ですが、食べた人が美味しく楽しく食事をしなければ、それらの考え方も本末転倒です。

また、諸外国には恵まれない子供たちがいて、彼らは満足な食事を食べることはできないのだから……と考える方もいらっしゃいますが、残念ながら目の前にある食事を諸外国に届けることはできません。
確かにもったいないと思いますが、無理をして食べて肥満や生活習慣病を助長するよりも、健康を守って元気に働き、1円でも多く収入を得られれば、その中から恵まれない子供たちに少しでも寄付すると良いでしょう。
その方が本当に恵まれない子供たちを守ることにつながるのではないでしょうか。

■勇気が持てないときはどうするか
食事を残す勇気を持つことができないとしたら、当たり前ですが、最初に残さなくて済む量をオーダーすることが必要です。

特に、外食ではおかずの量を調節することは難しいことが多いので、米飯やパンなどで調節することになります。
ありがたいことに、最近では外食産業でも細かく「小盛」「大盛」などのオーダーをきいてくれるお店も増えてきました。
このような背景が出てきたのは、「残したくない」というお客様の要望が強くあることをお店側でも察知していること、そしてお店側でも食べ残しがあるより、気持ちがいいということではないでしょうか。

また、自宅で購入する食材の量も、「安い」からではなく「食べきれる量」を購入するようにします。
自宅では、食卓で料理を残すこと以上に、冷蔵庫の中に食材を入れっぱなしにしたまま忘れてしまい、ダメにしてしまうことも多いと思います。
冷蔵庫の中は常に整理整頓をして、何が入っているかがひと目で分かるようにしておきましょう。

冷蔵庫にある材料を全部使い切りたい、と言って大量に作ってしまうことも往々にしてあるようです。
冷凍保存できる料理は小分けにして冷凍保存すればよいですが、保存が効かない料理の場合は食べきれる量だけを作るようにしてください。
いずれの場合も、食事を残さなければならないのが辛いことは間違いありません。

しかし、“食事を残す勇気”を持つ必要があるシーンでは、食べ物と自分の身体のどちらが大事かという二択になります。
この二択は恋と仕事を比べるというように、どちらとも選び難いものとは違います。
食べ物は代わりがあっても、自分の身体にはスペアはないのです。
日に何度も行うので軽い選択のようではありますが、チリも積もればなんとやらです。
ぜひ、賢い選択をしていきましょう。
posted by 小だぬき at 19:59| 神奈川 ☁| Comment(2) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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