2026年06月18日

「8時10分前」は「7時50分」? 異なった“若者の認識”に狩野英孝が驚き「なるほどね」

「8時10分前」は「7時50分」? 異なった“若者の認識”に狩野英孝が驚き「なるほどね」
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お笑いタレントの狩野英孝が、5月13日夜に自身の公式YouTubeチャンネル『EIKO!GO!!』を更新。
現代の若者の“時間の感覚”に、驚く様子を見せていた。

■「納得いってない」

この日の企画は、スタッフが狩野に「時間の感覚」について尋ね、それが世間一般の常識とどれだけ離れているかをチェックする、というものだ。
たとえば「少し遅れる」と言うとき狩野は「5分まで」らしく、これはスタッフらの見解である「1桁分」と一致。

一方で「1時間弱」と言うとき、世間一般的には「1時間よりちょっと前」、つまりだいたい50分〜59分程度を示すが、狩野はかつて「1時間+弱」だと思っていたらしい。
「1時間強」が狩野の言う「1時間弱」だと知ると、「納得いってない」と頭を抱えていた。

■「8時10分前」はなんと…

また、よく集合時刻などを示す際に使われる「8時10分前」といった表現。
狩野のなかでは「7時50分」であり、スタッフとしても「そうですよね」と納得の回答なのだが、現代の若者の間では違うらしい。

どうやら「8時10分」の「前」、つまり「8時8分や、9分」という意味になるようだ。
狩野はこれを聞き、驚きつつも「なるほどね」「あ〜、言ってる意味は分かります」と語った。

■常にスマホがあるため…

現代の若者の感覚が大人世代と異なる理由について、スタッフいわく「スマホなどで正確な時間が常に出ている」点が関係しているとのこと。
たしかに、基本的にはいつでもどこでも分単位の時間が分かる現代では、このような理解が適当なのかもしれない。

平成1桁台の筆者は、最初の問いを聞き、当たり前のように「7時50分」と思ってしまった。
だがたしかに紛らわしいと言われればそうで、「7時50分」と伝えたいなら「7時50分」と最初から伝えればいいのかもしれない。

この記事は2026年5月15日に公開された記事を編集して再掲載しています。
posted by 小だぬき at 09:26 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『一人で頑張ることが正しい』と信じていたあの頃の私。【上司の厳しい一言】で気づいた本当の問題とは

『一人で頑張ることが正しい』と信じていたあの頃の私。【上司の厳しい一言】で気づいた本当の問題とは
2026.6.17 ftnews.jp

真面目な人ほど、「他の人に迷惑をかけてはいけない」と、一人で無理をしがちです。
しかし、その責任感の強さが、時として自分自身を追い詰めてしまうことにもなるようです。
今回は、筆者の友人の体験談をお届けします。

一人で抱え込むのが当たり前

私は昔から、「自分の仕事は最後まで一人でやり切るべき」と思っていました。
誰かに頼るのは甘えのように感じていたのです。

明らかに自分のキャパシティを大きく超えたタスクを前にしても、「まだ大丈夫」「自分でやった方が早い」と抱え込み、たとえ周囲から「手伝おうか?」と言われても、「いえ、平気ですから」と反射的に断っていました。

結果的に一番迷惑をかけた

でも、ある時ついに限界が来ました。

複数の案件の締め切りが重なり、過労のあまり体調を崩した私は、確認漏れやミスを連発。
結局、納期にも遅れてしまい、同じ部署のメンバーに総出でフォローしてもらうことになったのです。

「迷惑をかけたくない」と頑張っていたはずなのに、一番大きな迷惑をかけてしまった……。

その時点でかなり落ち込んでいたのですが、さらに上司から言われた言葉が、私に大きな衝撃を与えました。

相手へのリスペクト

「君が一人で抱え込むことは、周囲を信用していないのと同じだよ。チームの成長の機会を奪うな」
そう言われた瞬間、雷に打たれたような衝撃を受けました。

私は自分の弱さを見せまいと必死になるあまり、後輩が経験を積む機会を奪い、チーム全体の連携を妨げていたのです。

頼ることも信頼のひとつ

弱さを見せ合い、互いの得意な分野で補い合うことで、逆にチームが動きやすくなることもあるのだと、その時初めて気づきました。

私はそれを理解しようともせず、“責任感が強い自分”に酔っていただけでした。

それ以来、私は意識して周囲に相談したり、「お願いしてもいい?」と言葉にするようになりました。

最初は「人に頼る=敗北」のような気がして怖かったですが、頼ったことで関係が悪くなるどころか、むしろチームの空気が良くなった気がします。

今では、誰かが困っていたら自然に手を貸せるようにもなりました。

自分の限界を認めて、人と支え合えるようになり、ようやく一人前に近づけた気がしています。

【体験者:40代・女性会社員、回答時期:2026年5月】


※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。


FTNコラムニスト:藍沢ゆきの
posted by 小だぬき at 06:00 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「蛍光ペン」は引けば引くほど、忘れていく…頭のいい人は知っている"大事なところに線を引く"本当のメリット

「蛍光ペン」は引けば引くほど、忘れていく…頭のいい人は知っている"大事なところに線を引く"本当のメリット
6/17(水) プレジデントオンライン

本や資料を読んでも翌日には忘れている、そんな経験はないだろうか。
確実に記憶に残すにはどうすればいいのか。
下関市立大学教養教職機構の佐々木淳准教授は「蛍光ペンに頼る人は多いと思うが、マーカーを引くことの意味が誤解されている。
覚えるために使うのではなく、忘れるために使うのが正解だ」という――。

 ※本稿は、佐々木淳『科学的根拠+αで成果を出す 戦略的勉強法』(あさ出版)の一部を再編集したものです。

■「科学的に正しい」に注意すべき理由

 近年は、「科学的に正しい」勉強法を数多く見かけるようになりました。
しかし「科学的」という言葉には注意が必要です。
その理由は、科学的な結果のほとんどは「特定の条件下」「特定の対象」に対して得られた結果だからです。

 例えば、オックスフォード大学やハーバード大学、スタンフォード大学といった有名な大学の研究結果。
それらの結果は確かに価値がありますが、文化や教育の背景が異なる日本人に、そのまま当てはまるとは限りません。
実際、私自身が自衛隊で教育を行った際にも、それらがうまく当てはまらなかったエビデンスがありました。

 また、心理学や教育分野では「再現性の危機」と呼ばれる問題が指摘されており、過去の有名研究の多くが再実験して同様の結果(統計的に有意な結果)にならなかったのです。

 データに頼れないとなると自分の「手応え」を信じることになりますが、そこにも落とし穴があります。
厄介なのが、「学習の錯覚」です。
わかりやすい講義を受けると、私たちは「今日はたくさん勉強した」「よく理解できた」と満足しますが、このときの「満足が曲者」です。

 2019年のハーバード大学の研究をはじめ、多くの実験で、「学べたと感じる方法」が「実際に成果が出る方法」とは限らないことが示されています。
詳しくは本書でお話ししていますが、特に動画を見るだけ、講義を聞くだけの学習がこの典型です。

■「蛍光ペンで線を引く」に意味はあるのか

 効率的な勉強やエビデンスのある勉強を取り入れている人も多いと思います。それが間違いではありません。
しかし、正解だけを追い求めると、知らず知らずのうちに、先ほど述べたような効率性にブレーキをかけるNG行為などの失敗もやってしまいます。

 私たちの記憶容量には限りがあります。
そこで、大事なことを記憶するためには「覚えるべきもの」と「そうではないもの」を分ける必要があります。
その際によく使われるのが、蛍光ペンなどで重要な部分に線などを引いて目立たせるハイライトではないでしょうか。

 しかし、ハイライトについては、近年では誤解があり、「効果がない」「意味がない」と指摘しているものを見かけます。
しかし、本当にハイライトは「意味がない」「効果がない」のでしょうか。
もしそうだとしたら、なぜ多くの人が今でもハイライトを続けているのでしょうか。
この疑問を手がかりに、ハイライトについてもう一度、考えてみましょう。

 勉強や読書のときなどにハイライトをする方がいると思います。
最近の勉強法本では、「ハイライトは非効率」「科学的に効果が薄い」という主張を見かけるようになりました。

 実際、2013年に発表されたダンロスキー教授らの調査・分析では、ハイライトを単独で用いた場合の効果は低いと指摘されています。
この結果を根拠に、「ハイライトはダメ」と断言する本も少なくありません。

 では「ハイライトの効果が低い」と主張する本は、どんな方法を使っているのでしょうか。

■「効果なし」を謳いながら、ハイライトする解説本

 きっとハイライトとは異なる特別な方法を取り入れているに違いありません。
私も興味本位で、それらの主張をしている方の本や記事を読みました。その結果、違和感しかなかったのです。
なぜなら対案がないのです。
それどころか、「ハイライトは効果がない」と主張する本が「ハイライト」を用い、重要な部分を太字にしていたり、囲み線が引かれていたり、見出しが強調されているのです。

 なかには、ダンロスキー教授らの結果を紹介している著者自身が「実は私もハイライトをよくしています」と正直に書いているものもあります。

 これらの著者の主張をまとめると「ハイライトは科学的に効果が低い、そこで、私はハイライトをする」となります。これは矛盾しています。
画期的なことを述べようとして、空回りした結果です。

 ハイライトに関する研究をもう少し丁寧に見ていきましょう。

 ポンセら(2022)の分析では、学習者自身がハイライトする場合には小〜中程度の記憶改善効果があり、教材側で要点を示したハイライト(提供シグナリング)は、記憶・理解ともに中程度の効果が確認されています。

 つまり、「ハイライトの効果が低い」と一括りに断言することはできないのです。

■「覚える」には不向き、あくまでも復習のため

 ここで問題になるのは、ハイライトを何のために使っているのかという点です。
そもそもハイライトの目的は何でしょうか。
線を引いたら覚えられるのでしょうか。そんなことはありません。
本来ハイライトは、膨大な情報の中から重要な箇所、復習する場所を「選別」するために行う目印のはずです。

 目印をつけることで、後で復習する際の「検索時間」が短縮でき、「あれもこれもブルドーザーのように片っ端から復習するのではなく、重要な部分に集中して復習ができる」のです。
つまり、ハイライトには記憶することとは別の目的があるのです。

 しかし、いつの間にかハイライトの目的がすり替わっているのです。
「線を引くこと」自体が「覚えるための行為」だと思い込まれてしまったのです。
目的を理解していなかったら、成果が出るはずがありません。

 ハイライトの「勘違いされた目的」に効果がないことは容易にわかります。
それをデータで示したのがダンロスキーらです。
つまり、ダンロスキーは「ハイライト」自体を否定したのではなく、線を引くことがゴールになりがちな「脳を使わないハイライト作業」では学習効果が出にくいと指摘したのです。

■ハイライトすると「記憶から消えやすい」

 ではハイライトの目的はなんでしょうか?

 脳のくせを考えると、ハイライトは記憶には適しません。
むしろハイライトをすると、その内容が記憶から消えやすくなることが指摘されています。

 だから脳のくせを逆手に取って、「覚えるため」ではなく、一旦「忘れるため」にハイライトを使うのです。

 人間のワーキングメモリは非常に小さく、心理学者のコーワン(2010)の研究によると同時に保持できる情報は約3〜5個程度しかありません。
そのため文章を読みながら、意味を理解し、他の知識と関連づける作業を頭のなかだけで行うのは難しいのです。

 例えば、何でも目だけで学習する人がいるとします。
ノートを取らない姿が逆にかっこよく映る場合もありますが、多くの人にとっては効率的ではない玄人用の方法なのであまりお勧めできません。

 玄人ではない私たちが効果的に結果を出すために、ハイライトを活用します。
すなわち、重要な情報に印をつけ、「ここは後で見返せる」と知識を「一時的に脳の外にお預けする」のです。
このように脳内の情報を一旦脳の外に保存して、脳の負担を軽減する行為を「認知的オフローディング」といいます。

■全体の5%程度に絞る、初読では線を引かない

 モリソンら(2020)の研究でも、脳内の情報を外に預けることで短期的な課題において成績が向上することが示されています。
ハイライトは、ワーキングメモリを空けて、効率的な勉強を図る手段なのです。

 これまで述べたことをまとめて、実際にハイライトを効果的に使用する具体的な方法をお伝えしましょう。

 @量を絞る

 全体の5〜10%、本当に必要なところだけに引く

 A「あとでハイライト(あとハイ)」方式

 初読では線を引かない。二読目でも「大事」と思ったところを選ぶ

 B余白のメモを添える

 関連付ける内容を余白に書き込む

 C思い出すためのきっかけにつなげる

 ハイライト部分から問題を作り、隠して答える

 D間隔をあけて再テスト

 翌日、数日後、1週間後と分散してチェックする

 ちなみに、Cはカーピックとブラント(2011)の研究でも、思い出す練習は、理解を深める効果があることが示されています。

■あくまでも“重要情報への目印”

 なお、ハイライトには落とし穴もあります。

 「どうせ線を引いてあるから、覚えなくていい」と思ってしまうと、知識は定着しません。
人間は「後で調べられる」とわかっていると、情報そのものではなく、「どこにあるか」という情報の場所を覚えるようになってしまいます。

 ハイライトも同様で、思い出すためのきっかけにつながらなければ、ただの塗り絵になって効果が得られません。
そのため、ハイライトは後で復習するための印として活用するのです。

 もうひとつ重要なのは量です。派手に塗りすぎると、何も目立たなくなります。
ハイライトは、重要ポイントを探す手間を省く行為ですから適量にしましょう。

 先述したように、目安は全体の5〜10%。段落につき1文程度に絞ることで、ハイライトは「重要情報への目印」として機能します。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする