2026年04月16日

大紛糾・れいわ臨時総会 元看護師の地方議員が山本太郎代表に“決死の質問

“崩壊寸前”れいわ新選組の臨時総会実況中継 「電波が悪い」とZoom画像を切った山本太郎代表 「海外逃亡」を勘繰る声も
4/15(水) デイリー新潮

「結党以来最大のピンチを迎えているというのに、山本代表は党の仲間に画面上の姿すら見せようとしなかった」。
こう語るのは、れいわ新選組の地方議員である。
4月9日に開催されたれいわの臨時総会は怒号が飛び交う大荒れの展開。だが、雲隠れ中の山本太郎代表はついにZoom画面からも姿を消し、“天の声”だけの登場だった。(全3回の第1回)

“大戦犯”の大石晃子共同代表を続投

 党内闘争の発端は、総選挙直前、病気を理由に参院議員を辞職した山本代表が、大石晃子共同代表を“2代目”として後継指名したことだった。

 そのまま選挙戦に突入すると、大石氏は党の顔として報道番組や党首討論に出演。
だが、制限時間を守らず、口汚く与党批判を喚き散らすばかりで、世間の大顰蹙を買ったことは周知の通りである。

 結果、党は220万票を失い、おこぼれの1議席しか獲得できない大惨敗を喫した。
にもかかわらず、執行部は2月16日に開かれた1回目の臨時総会で大石氏の続投を発表。
納得できない地方議員たちからは「なぜ“戦犯”を続投させるのか」との批判が噴出した。

 しかし執行部は、その声に耳を傾けようとはしなかった。

「山本代表は反対意見を述べた地方議員に『だったら代案を今すぐ出せ』とパワハラさながらに詰め寄って黙らせた。
大石氏も『批判と悪口が原因で票を減らした』と指摘した女性議員に対し、『私の代わりにテレビに出られる?』と小馬鹿にするような言葉を浴びせた」(前出・地方議員)

30人以上の地方議員が「山本・大石独裁体制を放置していたら党の行く末はない」と団結

 地方議員らの予想以上の反発に危機感を強めた執行部は、3月6日に2回目の臨時総会を開催。
しかし、そこでも大石氏の姿勢は変わらなかった。
一向に敗戦の責任を認めなかったばかりか、フランスで起きた「火炎瓶闘争」を支持すると演説。
反執行部の地方議員たちは「いつからこの党は過激左翼に変質したのか」とさらに反発を強めた。

 そこへ新たな火種として加わったのが、3月中旬から始まった新潮社の報道だった。
所属国会議員の秘書給与を党が組織的に詐取していた疑惑に始まり、山本氏の「オービススピード違反問題」、告発した元党職員への「公益通報潰し文書」、大石氏の夫である大阪府職員が「大石事務所秘書」の“偽名名刺”を用いながら、こっそり党の政策立案に関与していた問題――。

 疑惑のオンパレードに、30人を超える地方議員が「これ以上、山本・大石独裁体制を放置していたら党の行く末はない」と団結。再度の臨時総会開催を要請する事態に発展したのである。

 そして開かれた3回目の臨時総会。山本代表が「音声のみ」で参加したことに、地方議員たちは愕然とした。

謎の言い訳で「顔すら見せず」

「ほとんどの執行部役員が会場に来てリアル参加しているのに、毎回山本代表だけはZoom参加。
しかも今回は5分以上も遅刻したうえ、『電波が悪くて画像は出せない』という謎の言い訳をして、冒頭から画像をオフにしたのです。
遠方の地方議員はやむなく30人ほどがZoom参加でしたが、顔を出さなかったのは山本代表だけ。
あまりに不自然だったため、『海外でサーフィンバカンス中なのではないか』『ラフな服装やこんがり焼けた肌を見られたくなかったのではないか』と勘繰る声まで出ました」(同)

 トップがこの体たらくでは、党内融和などできるはずもない。
会の冒頭では、6人しか残っていない国会議員の一人、大島九州男参院議員からいきなり執行部批判が展開される事態となった。

「テレビってのは一般の人が見るからね。そういう一般の人が見るときに何をやるかっていうのは考えて選挙戦略を立てないといけない」(大島氏)

「やはり山本太郎代表がこのれいわを立ち挙げた時の原点に戻らなきゃいけない。これでも我々は政治家だから。活動家じゃないから」(同)

「ルールは守る。だから、3分と言われりゃ3分で話を終える。
一般の人が見てそうだよね、って思うような基本的なことができなければ、いくら良いこと言っても誰も理解をしてくれないし、そういう政党を国民は支持しないんです。
その結果が出た以上、そこをしっかり受け止めて改革すべき」(同)

大石氏の反論

 名指しこそしなかったが、明らかに大石氏へ向けた批判であり、大石氏を信任している山本氏への“反旗”でもある。
これに対して大石氏はこう反論した。

「前回の総会でもありましたように、確かに『大石がテレビで批判ばかりしていた』とか『時間を守らなかった』という形での炎上はしておりますが、批判ばかりだというのは事実に当たりませんし、大島さんも、ぜひ、これはこういう表現であるべきだったと言っていただけないと次に進めないのかなと思います」(大石氏)

「『時間以内にやるべきだ』。これは論評としてそうだなと思います。
だから、賛否は分かれると思います。
ただ、時間を私があえて大幅に越したものはテレビではありません。
山本太郎の原点に戻るべきだとおっしゃいましたが、山本太郎自体は国会の中でフィリバスターをやりましたね。
その原点と私が時間を過ごしすぎたインターネットでの討論番組ですが、出過ぎたことは、あの原点から外れることなのでしょうか。
私は外れないと思いました。以上です」

 だが大島氏の批判はまだ序の口だった。この後、会場は怒号が飛び交う修羅場になっていくのである。

デイリー新潮編集部


「なぜ太郎さんは病気で議員を辞めたのに党の代表にだけは居座るの?」れいわ臨時総会でとうとう飛び出た「山本太郎への反旗」に大石晃子共同代表が泣いた

 4月9日に開かれたれいわ新選組の臨時総会。
ついに山本太郎代表に向かって、「なぜ病気で議員辞職したのに代表だけは続けているのか」と真正面から問いただす地方議員が現れた。(全3回の第2回)

これからは「反軍演説」が必要

 第1回で伝えたように山本代表はZoom画面を切ったまま”天の声”で参加。
冒頭、大島九州男参院議員による大石体制批判で幕を開けると、堰を切ったように改革派の地方議員たちが挙手した。

 トップバッターの女性議員は、大石氏の選挙区の大阪で選挙総括した時、大石氏が自分に向けられた「言葉が悪い」という指摘について「嘘です」と言い切っていたことを明かし、「批判を“嘘”と断じてしまえば言論の萎縮を招き、正しい総括ができなくなる」と訴えた。

 それに対し、大石氏はこう反論した。

「そういう時は『事実ではない』とか『事実認識が違う』とか、そういう言い方をするようにしています。
もしかしてうっかり言ってしまったのかもしれませんが、ただ、『あなたの言ってることは嘘です』とは、ほぼ言わないと思います」

 そして、従来通り「自分には敗戦の責任はない」とする持論を展開した。

「私、1人の言論人で政治家だし、一生懸命自分のベストを尽くしました」

「政権徹底批判について、私は何も悪いものだと思っていません。
誇りを持って、そういう表現がこの社会で許されるべきだと、必要だと思っています。
なぜならば、これから反戦活動家、そして反戦を言う政治家、反軍演説っていうのが大弾圧されていくからです。
そういう時代だから。だからその表現を守らなければいけなくて、私はそれで必死に答弁したのかもしれません」

「これから反軍演説などもれいわ新選組としては必要になります」

れいわそのもの自体が私自身である

 大石氏が繰り返した「反軍演説」という言葉は、ほとんどの改革派議員たちにとって初めて耳にした言葉だった。

「まさに極左が使う言葉。前回の『火炎瓶闘争支持』に続き、またもやヤバい発言が飛び出したと騒然となりました」(改革派地方議員)

 続く男性地方議員も、「最高責任者である代表、共同代表がそのまま居座っていること。これが僕はあり得ないと思っております」と発言。
大石氏が繰り返してきた「私以外にはできない」「私が辞めたらこの熱量を継承できない」という説明は主観に過ぎず、「客観的な評価は衆院選で壊滅的敗北を喫した結果そのものだ」と訴えた。 

 この指摘に、山本氏が黒いzoom画面の向こうからこう噛みついた。

「ルールに則って、選挙で公正に選ばれた代表が、その代表を補佐する立場として共同代表を決めたり、副代表を決めたり、それぞれの役職者を決めていくって当然のことです」

「旗を立てた私、れいわそのもの自体が私自身である。私はそう思ってます。だからこそ、リーダーとして選ばれた」

 この発言に黙っていられず、「今の太郎さんの発言を受けて、ちょっと疑問に思いました」とマイクを握ったのは別の女性議員だった。

「自分が決めたから全部聞け」というのはちょっと違うか

「確かに山本太郎っていう人は代表に選ばれましたけども、そもそも代表戦の時は参議院議員の山本太郎であり、元気だった山本太郎にみんな投票してるんですよ。
そこがまず違うと思います。
それを反故にしておいて、参議院も辞めておいて、代表として今仕事もできない中で、『自分が決めたから全部聞け』というのはちょっと違うかと思いますが、いかがですか」

 ここから会場のボルテージは一気に上がった。山本氏は猛反論。

「『自分が決めたんだから全部聞け』なんて一言も言っていません。
代表の選任事項である、代表の決定事項であることに関して、代表は決めました。それ以上でも以下でもない話です」

「議員としての100パーセントの仕事が自分自身としてできないのであるならば、一旦横に置くべきだという決断をしました。そんな簡単な結論ではないですよ」

「国会の中で現職議員として自分がいれないということの歯痒さを感じながら、代表として党務を中心にやっていくということを決めてやっている」

 しかし、女性議員は引き下がらなかった。

大石氏が泣き出した

女性議員「申し訳ないですけど。太郎さん、申し訳ないですけど、参議院議員としてやめておいて代表として残るっていうのは、そこはどうなんですか。
できないと思って参議院を辞めたんじゃないんですか。なぜ代表は居座るんですか」

ヤジ「その通りだ!」

山本氏「居座るっていう話ではないです。だって、れいわ新選組の代表ということで、私が議席を有していない時もありましたよ。
議席があるってことが必ずしも要件にはならないです」

ヤジ「詭弁やな!」

 ここで大石氏が口を挟んだ。

「ちょっと、いくら代表と言っても……。体が健康なのを選んだだけだって、そういうの…、それはおかしくないですか」

 涙声になって“病気のことを持ち出すなんてひどい”と訴えかけたのだが、その悲痛な声は、

「おかしくないでしょ!」

「じゃあ、代表が亡くなったら誰がやるんですか!」

「そういう規約だって決めてないでしょ、あなたたちは!」

 という男性議員たちの激しい怒鳴り声にかき消されてしまった。

 そして、続いてマイクを握った女性議員がこれまで誰もが口にできなかった「禁断の質問」を切り出したのである。

デイリー新潮編集部


大紛糾・れいわ臨時総会 元看護師の地方議員が山本太郎代表に“決死の質問”「多発性骨髄腫“一歩手前”であってもみんな治療をしながら仕事しています」
2026年04月15日 ディリー新潮

 改革派の地方議員たちの執行部批判で大紛糾した、れいわ新選組の臨時総会。怒号が飛び交う中、看護師出身の女性地方議員が「誰もが言い出せなかった質問」を山本氏に投げかけた。(全3回の第3回)

 ***

「すごく疑問だったんです」と語り出した女性議員

 議論が白熱する中、ある女性議員がマイクを握り語り出した。

「私、元看護師なんですけれども、代表が多発性骨髄腫の前段階で参議院議員を辞職するという話を聞いた時に、えっと思ったんですね」

「普通のお仕事、全然継続できるんですよ。
多発性骨髄腫であっても治療をしながら皆さん仕事しています。
代表だったらそういった状況においてもしっかりと国会議員を全うするのではないかというふうに思って、すごく疑問だったんですね。
幹部の方たちへの発表の時にも、泣いてる人もいて、神妙な顔も皆さんされてるんですけれども、なんでだろうと思ってたんですね」

「もしかしたら別のところから命をもう狙われてる状況なのかなというふうにも思ったんです。
今、党の代表としてもほぼ姿を見せず、こうしてzoomも顔を出せないっていうのは電波の関係でっていう風におっしゃってましたけれども、何か別に理由があるのではないかなという風に思いました」

 この発言に対して山本氏はこう訴えた。

「多発性骨髄腫というものになってしまった場合には、やっぱりより厄介になってしまうわけです。
前段階っていうことで、その前段階のまま進まない人も中にはいらっしゃるそうです。
けれども、私が国会でやっている活動っていうのは、皆さん、同じように議会の中でギリギリやってくださってますか。
山本太郎が国会の中でやっているようなギリギリの戦いっていうものを、皆さん各議会で…」

「だったらもう社民党でいいんじゃないですか」

 この言葉が火に油を注いだのは言うまでもない。

「やってますよ! 地方議員馬鹿にしないでくれよ!」

「1日2時間しか寝ないで議会やってんだよ、こっちは。秘書もいねえんだよ! 甘ったれてんじゃねぇぞ!」

 山本氏は「大丈夫ですか。いつ馬鹿にしましたか」と平静を装って応じていたが、ついにはこう言い放った。

「だったらもう社民党でいいんじゃないですか。どうしてれいわなんですか。
次の選挙の心配されていました。一刻も早くれいわから離れるべきじゃないでしょうか」

「それ言ったら終わっちゃうだろ全部! 全部違う意見みんな排除するってことだろ!」

 約3時間続いた質疑の中では、執行部支持の声も少なからず出た。

「この会議の内容を外へ流している人がいるみたいなので、どんな正義感か知りませんけど、軽蔑いたします。
そして、同じ内容の会話がずっと何回も繰り返されていることをがっかりしてます。
それと、先ほど恫喝した方、大声を挙げて恫喝した方、即刻反省してください」(執行部派の地方議員)

「今回、特に選挙で大石さんが前面に出て、メディアとかsnsとかで言葉遣いを叩かれる構図って、これも完全にミソジニーだと私も思うんです」(同)

 総会のメンバーは90人いるが、地方議員によると執行部側と反執行部側はの勢力ほぼ拮抗しているという。

失墜したカリスマ性

 結局、議論はまとまらないまま終了。
改革派議員たちは審議の継続を訴え、4回目の臨時総会開催を執行部に要求していく構えだ。
どう見ても、党が分裂するのは時間の問題だろう。

 山本氏にはその覚悟はあるようだ。締めの挨拶でこう語った。

「今こうやってる間にも戦争に向かって前に進んでいるわけですよ。
このれいわというリソースをどのようにそういったものかっていうことに関して、私たちは今、党内のもの、それだけじゃなくて、ある意味でのこの先、国策捜査に繋がりかねないような状況、そして国会内での戦い、この3つを同時進行するっていうのはかなり大変なことなんですよね」

「私がやるべき1丁目1番地は何かつったら、この対戦争の話なんですよ。
申し訳ない。この戦争の話と、そして私たちの身の潔白を証明していくってことが優先順位の第1位になります。
選挙の総括ももちろん重要かもしれないけれども、そうは言っても今戦争はどんどん前に進んでいくばかりだし、そして私たちの、逆に言えば潔白であるものを黒だという話にされてしまうということも進んでいっている」


 「デイリー新潮」はこれまで3回開催されたれいわ臨時総会を取り上げてきた。
はっきりしたのは、現執行部が外部からのみならず、身内からの批判に対しても「絶対に非を認めようとしない姿勢」を貫いていることだ。改革派の地方議員はこう指摘する。

「彼らは『謝ったら死んじゃう病』にかかっているんですよ。
この部分は悪かった、改めようとかそういう姿勢は皆無。こんな偏狭な姿勢では二度と支持を得られることはない」

 そして、かつて“れいわフィーバー”と呼ばれたムーブメントを巻き起こし、国会で衆参14人を擁するまで党を拡大させた山本氏のカリスマ性が、いまや大きく失墜していることも確かだ。

「姿すら見せられないなんて、病気だけでは説明がつかないでしょう。
偶像を崇拝しろと言われているようなものです。
いったいいつまでzoom画面の中で雲隠れを続けるつもりなのか」(同)

 デイリー新潮HPでは、大石氏の「過激発言」が飛び出した第2回臨時総会の音声を公開している。


デイリー新潮編集部
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2026年04月15日

《世界幸福度ランキング》日本が55位に沈む深刻理由 「失敗を許さない」「レールから外れることを恐れる」強固な同調圧力

《世界幸福度ランキング》日本が55位に沈む深刻理由 「失敗を許さない」「レールから外れることを恐れる」強固な同調圧力
4/14(火) 東洋経済オンライン

日本は世界第5位のGDPを誇る経済大国でありながら、国連の世界幸福度ランキングでは55位(2025年)と先進国では最低水準に位置しています。
ここから見える現代日本社会が抱える深刻な構造問題について、チャンネル登録者数100万人を突破(2026年1月現在)する人気YouTubeチャンネル「大人の学び直しTV」のすあし社長が解説します。

※本稿は『この国の「なぜ?」が見えてくる日本経済地図』から一部抜粋・再構成したものです。
また、2025年12月時点の日本経済、世界情勢に基づいて執筆しています。

■日本の「幸福度」は、どこが低いのか

 日本は経済的豊かさと幸福感の深刻なずれが存在します。

 世界幸福度ランキングは「一人当たりGDP」「社会的支援」「健康寿命」「人生の選択の自由」「寛大さ」「腐敗の認識」という6つの指標から算出されます。

 確かに、国連の幸福度指標は「個人の自律」を最優先する欧米的な価値観に基づいており、「協調」や「義務」に重きを置く日本社会の実情を完全には反映していないという指摘もあります。
例えば、日本人は「他者に迷惑をかけないこと」「秩序の維持」に幸福を見出す傾向がありますが、これらの要素はランキングの指標には含まれにくいのです。

 しかし、それを差し引いても「人生の選択の自由」や「寛大さ」のスコアの低さは無視できません。
日本社会が「失敗を許さない」「レールから外れることを恐れる」という強固な同調圧力によって、国民の精神的自由を制約している側面があることを客観的に示しています。

 G7各国と比較しても日本の「自由度の欠如」と「寛大さの低さ」は際立っています。

 そもそも、日本の教育制度が「減点主義」であり、「失敗を許さない文化」が自己肯定感を削いでいるという見方もできます。

 実際に学校教育では「正解を早く見つける能力」が重視され、試行錯誤や失敗を通じて学ぶプロセスが軽視されがちでした。
テストで満点を取ることが評価され、挑戦して失敗することは「恥」とみなされる風潮があります。
こうした環境で育った若者は「自分には価値がない」「他人と比べて劣っている」という感覚を抱きやすくなります。

 内閣府の調査でも「自分に満足している」と答えた若者は45.1%で、アメリカの87.0%やドイツの80.9%と比べて極端に低い状態です。

 さらに、日本人の7割以上が将来に不安を感じており、「年金制度への不信感」「雇用の不安定化」「少子高齢化による負担増」への懸念が、幸福感を押し下げる要因になっています。
「人生100年時代」という言葉が浸透しても、未来像を明るく描けないのが日本社会の現実です。

 特に深刻なのは、若年層の経済的不安です。

 非正規雇用の増加により安定した収入を得られない若者が増えています。
厚生労働省のデータによれば、15歳から34歳の非正規雇用率は約3割に達しており、結婚や子育てといったライフイベントを諦める若者も少なくありません。
将来の見通しが立たない」という不安が、日本人の幸福感を大きく損なっているのです。

 そして経済的不安は「民主主義が揺らぐ」事態まで発展していきます。

■経済格差で深まる溝は、どのように現れるのか

 経済格差の拡大で、国民感情が偏る動きがあります。

 厚生労働省のデータによれば、国民の所得の中央値の半分以下しか持たない「相対的貧困率」は15.4%。
実に7人に1人が貧困状態にあり、G7先進国のなかでも高い水準です。
特にひとり親世帯の貧困率は44.5%と、半数近くが経済的困窮にあえいでいます。

 この「見えない貧困」の放置が、社会の底流に澱むルサンチマン(恨み)を醸成し、現状打破を掲げる過激なポピュリズムや陰謀論への支持へと直結している側面があります。

 内閣府の調査によれば、政治への信頼度は先進国のなかで最低水準です。
「政治が自分の生活を良くしてくれない」という諦めが、既存の権威に反発するポピュリズムや、複雑な現実を単純な因果関係で説明する陰謀論への傾倒を生み出しています。

 実際に、近年の日本では「政治家は既得権益を守っているだけだ」「マスコミは真実を隠している」といった言説がSNSを通じて拡散されています。
こうした言説は複雑な社会問題を「悪者」と「被害者」という単純な構図で説明し、人々の不満や怒りを特定の対象に向けさせます。

 SNSの普及により、特定の思想や陰謀論が「エコーチェンバー(閉鎖的なコミュニティ内で同じ意見や情報が反響し、増幅される現象)」として増幅される環境も整っています。
「フィルターバブル(SNSやインターネットのアルゴリズムにより、自分の好む情報や意見だけが優先的に表示される現象)」により、自分の信じたい情報だけがくり返し表示され、異なる意見に触れる機会が失われているのです。

 その結果、「自分の考えが絶対に正しい」という確信が強まり、異なる意見を持つ人々を「敵」とみなすようになるのです。こうした状況は、社会の分断をさらに深刻化させています。

 政治的な対立は感情的なものになり、建設的な議論が困難になっています。
民主主義の基盤である「多様な意見を尊重し、対話を通じて合意を形成する」という原則が、大きく揺らいでいるのです。

■タイパによって失われる「幸福度」とは

 「タイパ」とは、時間対効果を最大化しようとする価値観であり、急速に浸透しています。
動画を倍速で視聴し、書籍の要約サービスを利用し、効率的に情報を摂取する――こうした行動様式は、一見、合理的に見えます。

 タイパという言葉が注目されるようになった背景には、情報過多の時代における時間の希少性があります。
インターネットの普及により、膨大な情報が瞬時に手に入るようになった一方で、人間が処理できる情報量には限界があります。
そのため、「いかに短時間で多くの情報を得るか」が重視されるようになったのです。

 これを単なる「若者の浅薄化」と切り捨てるのは早計です。

 むしろ、「膨大な情報量」と「失敗できない」という経済的プレッシャーに晒された現代人が編み出した、過酷な環境を生き抜くための「生存戦略」と捉えるべきでしょう。

 しかし、効率を追求し「無駄」を排除した結果、人間関係や文化体験といった「数値化できない豊かさ」まで削ぎ落としてしまっている。
それが皮肉にも精神的な孤立と閉塞感を招いている可能性は否定できません。

 実際に、書籍の要約サービスといったコンテンツは人気を集めていますが、これらは本来数時間かけて読むべき内容を極限まで圧縮したものです。
その過程で、著者の思考のプロセスやニュアンス、行間に込められた意味が失われてしまいます。

 情報に接する入り口としてはよいのですが、結果として、表面的な知識は得られても、深い理解や洞察には至らないのです。

■「孤独な合理的弱者」にならないように

 さらに、人間関係もタイパの対象になっています。

 「この人と付き合っても自分にメリットがない」と判断されれば、関係を切ることが合理的とみなされます。
しかし、人間関係の価値は必ずしも即座に目に見える形では現れません。
何げない会話や共有する時間のなかから、思わぬ発見や心の支えが生まれることもあります。
効率だけを追求する姿勢は、こうした「無駄に見える豊かさ」を失わせているのです。

 国立社会保障・人口問題研究所の調査では、日本の単独世帯(一人暮らし)は2040年には約4割に達すると予測されており、「つながりの希薄化(人間関係や地域共同体の絆が弱まり、社会的なつながりが失われていく現象)」は加速する一方です。

 また、タイパ至上主義は文化や芸術の衰退にもつながりかねません。

 音楽、映画、文学といった芸術作品は、時間をかけて味わうことでその真価を発揮します。
しかし、「時間がもったいない」という理由で、こうした体験が敬遠されるようになれば、文化的な豊かさは失われていくでしょう。

 「タイパ」とは、時間対効果を最大化しようとする価値観であり、現代を生き抜くための生存戦略です。
しかし、効率を追求するあまり人間関係や文化的体験という「一見無駄に見える豊かさ」まで排除することは、社会の孤立化を招きます。

 損得のみでつながりを選別する姿勢は、他者への不寛容を生み、異なる価値観を持つ人々との社会的分断を加速させます。また、時間をかけて文脈を味わう文化・芸術の衰退は、他者への想像力(共感性)を枯渇させ、精神的な幸福度を著しく低下させる危うさを孕んでいます。

 効率の果てに、我々が「孤独な合理的弱者」とならないよう、あえて「非合理的な時間」というものの価値も見直す必要もあるのではないでしょうか..
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2026年04月14日

高校無償化で得するのは誰か? 財源は税金だというのに「私立校が恩恵を受ける」教育政策の歪み

高校無償化で得するのは誰か? 財源は税金だというのに「私立校が恩恵を受ける」教育政策の歪み
4/13(月) All About

高校無償化が抱える構造的な欠陥を、橋洋一氏が鋭く指摘。
私立高校の優位性が高まる一方で公立校が苦境に立たされる現状や、教育投資としての「教育国債」の重要性について紹介します。 

期待された「高校無償化」が、実は私立高校を太らせるだけの結果を招いているとしたら。善意の政策が教育現場に歪みを生んでいる実態とは。

数量政策学者・橋洋一氏は著書『60歳からの知っておくべき政治学』のなかで、大人世代が身に付けておきたい政治知識を解説しています。

本書から一部抜粋し、無償化によって恩恵を受けるのは誰か、また無償化の財源として税金は不適切である理由について紹介します。

◆無償化は私立校を太らせるだけの愚策

教育の機会均等を確保し、家庭の経済的負担を軽減する目的で高校の教育無償化が決まった。
大阪や東京ですでに実施されているが、果たしてメリットがあるのか。

率直に言えば、評判はあまり芳しくない。
なぜなら恩恵が最も大きいのは私立高校だからだ。
私立高校が勝手に授業料を引き上げても、その分が補助で賄われるため、実質的には税金で利益を得ているような状態となる。
実際、私立高校の優位性が高まり、公立高校の志望者が減少する現象が、東京や大阪で見られるようになった。

こうした制度は結果として、外国人が多く在籍する私立高校への補助が拡大することにもつながり、「外国人に税金を投入している」という批判も出てくる。

◆本来であれば学生に渡すべき補助金

全国に制度を広げることに対する批判が生じる中、教育無償化は本当に必要なのかという声もあるが、仮に制度を広げるなら、どんな方法が望ましいのか。
教育への財政支援を行う際には、いくつかの基本原則が存在する。

その1つが「バウチャー制度」だ。
授業料などにのみ使用できる利用券を学生に配布し、それを使って任意の学校に通うという方式である。
日本では、このバウチャー制度がほとんど議論されないまま、学校に直接補助金を配る方式が採用されている。
これが、私学偏重・外国人優遇との批判を招く一因でもある。

大学の私学助成も同様の構造で、本来であれば学生に補助金を渡し、学生がその補助金で授業料を支払うかたちが本筋だ。
ところが、日本では最初から学校側に資金を投入するかたちとなっており、教育政策としての合理性を欠いている。

◆教育無償化の財源が税金では不自然

教育無償化については、筆者は初年度予算が2000億円程度と見込んでいたが、実際には1000億円であった。
通年換算でもおそらく5000億〜6000億円程度にとどまり、金額的には小粒である。

そもそも、教育無償化の費用は税金で賄うべきものではない。
教育とは本来、将来への投資である。もし、その投資によって子どもたちの所得が向上し、将来的に税収増が見込めるのであれば、これは本来「教育国債」で対応すべきだろう。

教育国債であれば、将来の増税懸念を払拭しやすく、制度的にも筋が通る。
卒業生の数に応じて必要額が明確になり、20〜30年で償還することもできる。

支援対象の高校を考える場合、普通科よりも手に職がつくような専門学科、たとえば工業高校や商業高校、農業高校などへ重点的に資金を投じるほうが社会的意義が大きい。

現実には、これらの学校はイメージが悪かったり、人気が低かったりするが、実用的スキルを身につける場としての価値は高い。
そうした分野への支援こそが、本来の教育投資のあり方ではないか。
学生ローンの問題にしても、奨学金をバウチャー的な仕組みに改め、教育国債で財源を調達すれば、奨学金返済に苦しむ若者を減らせる。

現在の教育政策は、金額面でも中身の面でも中途半端で説得力に欠ける。
個人の感情や経験に依拠した施策ではなく、データと論理に基づいた設計が求められる。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする