2026年08月18日

「1日1万歩」神話、そろそろ手放してもいいかもしれません。脳が喜ぶのは実はもっと手前でした

「1日1万歩」神話、そろそろ手放してもいいかもしれません。脳が喜ぶのは実はもっと手前でした
8/16(日) ライフハッカー・ジャパン

長年、「1日1万歩」が健康のための目安として語られてきました。
ですが、認知症に関する新しい研究によると、脳への恩恵はその手前、もっと少ない歩数から始まっているようです。

7万5,000人以上の成人を対象にした研究が、査読付き学術誌『JAMA Neurology』に掲載されています。
それによれば、歩くことと認知症リスクの関係において、恩恵が現れ始めるのは、あの馴染み深い「1万歩」という目標よりもかなり手前だったとのことです。

「最大の誤解は、認知症リスクを意味のあるレベルまで下げるには、高いフィットネスレベルや激しい運動が必要だという考え方だと思います」

この2022年の研究の著者の一人で、マドリードのウニベルシダー・エウロペアでシニア研究者を務めるボルハ・デル・ポソ・クルーズ博士は、Inc.の取材にそう語っています。

「私たちの研究では、ほとんどの人ができる『歩くこと』が、認知症の発症リスクの低下と強く結びついていることがわかりました。
そしておそらく一番重要なのは、その恩恵が従来言われてきた1万歩よりもずっと手前から始まっていたという点です」

同氏によると、1日およそ3,800歩で、認知症リスクがおよそ25%低下することと関連していたそうです。
そして、認知機能への恩恵が最大になるのは、およそ9,800歩あたりだったといいます。

ペースも関係していました。「どれだけ歩くかだけでなく、どれだけ目的を持って歩くかも、脳の健康にとって重要かもしれません」と同氏は付け加えています。

別の研究者は、さらに低いラインを示しています。
ブリティッシュ・コロンビア大学で健康な加齢研究のティア1カナダ・リサーチ・チェアを務める教授、テレサ・リュー=アンブローズ博士(PhD, PT)は、Inc.の取材に対し、1日7,000歩が認知症リスクの38%低下と関連していると語りました。「多くの成人にとって、これはだいたい60分のウォーキングに相当します。あるいは、毎食後に20分ずつ歩く、という形でも構いません」

なぜ「強度」より「継続」が効いてくるのか

「『使わなければ失う』ということなんです」とリュー=アンブローズ博士。

「強度と継続、どちらが大事かと言えば、エビデンスが示しているのは継続、つまり時間をかけて定期的に身体活動を続けることのほうが重要だということです。
何もしないよりは、何かをするほうがいい」

同氏によれば、障害になっているのは2つの誤解だといいます。
ひとつは、脳を守るには何か極端なことをしなければならないという思い込み。
もうひとつは、認知機能の低下は避けられないものだという思い込みです。

「定期的な身体活動を含む生活習慣が、加齢に伴う脳の健康を支えうるという、かなり強力なエビデンスが今では揃っています。
課題は、そのエビデンスを人々の日々の習慣にどう落とし込んでもらうか、という点です」

と同氏はいいます。

歩くことが「脳に」していること

ハーバード大学医学大学院で神経学の教授を務め、マスジェネラル・ブリガムのマッキャンス脳健康センターのディレクターでもあるルドルフ・タンジ博士は、運動は「脳の健康、特にアルツハイマー病のリスクを相殺するという点で、非常に大きな役割を果たしている」と語っています。

同氏の研究では、マウスにおいて、運動が海馬──アルツハイマー病に対して最も脆弱な、記憶を司る領域──での新しい神経細胞の生成を促すことが示されています。
また、身体を動かすことは、症状が現れる何十年も前から蓄積し始める有害なタンパク質、ベータアミロイドの分解も引き起こすといいます。

「これを実現する良い方法のひとつが、安静時心拍数が50%上がるくらいの運動を、1日20〜30分行うことです」と同氏は話しています。

仕事の1日が、脳にとって一番の敵かもしれない

南カリフォルニア大学のデイヴィッド・ライクレン博士は、最大の脅威は「仕事の1日そのもの」だと語っています。

「私たちは、1日を通して小刻みに体を動かす時間を、長時間座り続ける時間に置き換えてしまいました。
目指したいのは、座ること自体をなくすことではなく、何時間もじっと動かないままの状態を避けることです」

電話中に立つ、歩きながらのミーティング、短い休憩中の軽い運動──同氏によれば、こうした工夫のほうが、座りっぱなしの1日を1回の運動でまとめて相殺しようとするより、長続きしやすいといいます。

エビデンスの強さで言えば、ウォーキングがもっとも裏付けの厚い選択肢ではあるものの、それだけで完結させるのではなく、ほかの健康的な習慣と組み合わせてこそ、効果を発揮するとのことです。

▼歩くってすごいんだ!
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年08月17日

もっと寝たいのに...「朝早く目覚めてしまう」睡眠の悩みを解決するには?

もっと寝たいのに...「朝早く目覚めてしまう」睡眠の悩みを解決するには?
8/17(月) PHPオンライン

朝早く目覚めてしまう「早朝覚醒」を解決するには? 精神科医の保坂隆氏が解説します。

眠るのに時間がかかる、深夜や早朝に起きてしまう、熟睡ができない...。
60歳以上の3人に1人が「不眠に悩む」といわれ、睡眠のストレスを抱えるシニアが増えています。
本稿では、書籍『精神科医が教える 毎日がスッキリする「老後の快眠術」』より、"早朝覚醒"を改善する方法についてご紹介します。

※本稿は、保坂隆著『精神科医が教える 毎日がスッキリする「老後の快眠術」』(PHP文庫)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

「長く眠るにもパワーが必要」 体力の衰え、脳の衰え

寝不足を抱えながらも、仕事に励むのが働き盛りの時代だとすると、そろそろ定年が視野に入る中高年期になれば、睡眠自体もだんだん変わってきます。
脳の機能が弱まるとともに、「覚醒」も「睡眠」も長時間続けるのが難しくなって、早寝早起きの習慣が崩れがちになるのです。

こんな声を聞きます。

「長時間起きているのがつらくて夜は早い時間に眠くなるけれど、早めに寝ても今度は眠る力が弱いので、朝早く目覚めてしまうから困る」

よく「長く眠るには体力が必要」などといわれますが、たしかに若い頃のようにぶっ続けで長時間寝るためには、それなりのパワーが必要なのでしょう。

そして、「早く眠くなっても長時間眠ることができない」ケースでは、必然的に早寝早起きのサイクルがつくられるようになります。
しかし、これを「年をとったから早起きになる」という定説で片づけるのは気が早すぎますね。

こうした中高年の早寝早起きの習慣は、日中の疲労や過度の運動が影響しているわけではなく、脳の衰えによるもの。
それならば、ここで睡眠サイクルをしっかり見直して睡眠の質を高めれば、高齢になってもよい睡眠習慣はキープできるはずです。

早朝の目覚めは、加齢で「体内時計のサイクル」が早まるから

高齢の人に多い「早朝覚醒」や、夜中に何度も起きてしまう「中途覚醒」は、体内時計のリズムの乱れによって引き起こされます。

高齢になると、以前より時間に余裕ができるとともに、日中の活動量がぐんと減ってしまい、メリハリのない生活になりがちです。
これが早朝覚醒や中途覚醒の増えるもとなのですが、目が覚めるたびに「今日も早く目が覚めた」「また夜中に起きてしまった」と、いちいち気にするのは逆効果です。

一番いいのは、若いときより睡眠量が減るのは"自然なこと"だと考えて、大らかに受け止めることでしょう。

もし睡眠時間が少なくなっても、「起きている時間が増えてラッキー」というふうに考えられたら、不眠に対する不安もぐっと軽くなるでしょう。
ただ、そうはいっても、60歳以上の三人に一人が不眠に悩んでいるという報告もありますから、やはり適切なケアは必要ですね。

高齢者が不眠を感じる大きな原因は、どんなに眠っても"充足感"が得られないからといわれています。

睡眠中の熟睡度を比較してみると、若い世代では就寝中に深く眠る時間の割合が4割ほどなのに対して、高齢者では1割にも満たないので、眠っている間に深い睡眠になっていないとわかります。

高齢者の睡眠の悩みには、なかなか寝つけない「入眠障害」やぐっすり眠れない「熟眠障害」、夜中に何度も目が覚める「中途覚醒」や早朝に目が覚める「早朝覚醒」などがありますが、どれも共通しているのは「熟睡感のなさ」と「眠りの浅さ」です。

とくに高齢だと朝早く目覚めてしまって悩む人が多いのですが、これも熟睡できず、眠りが浅いために起こること。

ところが、早起きには一般に健康的なイメージがあることから、「年寄りは朝が早い」というのをプラスに捉える人がほとんどです。
そのため、なかには「早起きは三文の徳といいますし、いいことですね」などと言われて、逆にため息をつく人も少なくないでしょう。

もちろん早く起きて、その後も快適に一日を過ごせるならまったく問題ないのですが、一日中気分がスッキリしないままの状態が続くとしたら、とても健康的とはいえません。

実は、この「早朝覚醒」は、人間の体内時計に関係しています。生理学上、人間の体内時計は24時間よりも少し長めに設定されているのですが、このサイクルが加齢によって年々早くなり、24時間より短くなっていくと、自然と朝早く目が覚めることになります。

もちろん、体内時計の変化は生理的なものですが、体内時計を正常に戻すように努力することも大事です。

そのために有効なのは、光をうまくコントロールすること。
これが体内時計の正常化には効果的です。
体内時計は2500ルクス以上の強い光に反応する特徴がありますから、これを利用するといいでしょう。
遮光カーテンなどで部屋を暗くして、とにかく強い光を見ないことです。

反対に眠気が増す夕方になったら、今度は光をしっかり取り込んで、部屋をできるだけ明るくします。
夕方、強い光を浴びて体内時計を後ろにずらすことができれば、睡眠サイクルを修正して正常な状態に近づけられます。
この方法では、目から入る光を意識的にコントロールすることが最大のポイントです。

工夫を凝らしながらこの方法を続ければ、早朝覚醒の改善にきっと役立つはずです。

保坂隆(精神科医)
posted by 小だぬき at 13:56 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「原爆投下はウソ」にNHKが警告、荒唐無稽なデマを信じる人が生まれる“スキマ”とは…「8月だけ戦争を語る」メディアの功罪

「原爆投下はウソ」にNHKが警告、荒唐無稽なデマを信じる人が生まれる“スキマ”とは…「8月だけ戦争を語る」メディアの功罪
8/15(土) 東洋経済オンライン

終戦記念日に前後して、「広島・長崎への原爆投下はウソである」といったSNSでの主張が目立っている。
言うまでもなく、完全なデマだ。
しかしながら、一部のネットユーザーはこれらの主張を支持し、その考えを強めている。
なぜ事実無根だとわかるような情報を信じてしまうのか。
その背景を考えてみると、情報接触における問題点が浮き彫りになってきた。

■SNS上で散見される「原爆投下そのものがウソだ」という投稿

 今年も8月15日の終戦記念日を迎えた。
6日には広島、9日には長崎の原爆投下の日を迎え、1945年に終結した第二次世界大戦について、SNSでも言及が相次いでいる。
戦中を知る人々が続々と鬼籍に入るなか、「語り継ぐ」ことの意味は高まっている。
そんな中、「原爆投下そのものがウソだ」といった主張がSNS上で散見され、これに対するNHKの検証報道も注目されている。

 8月8日にNHKニュースで出された、「『原爆はデマ』荒唐無稽なフェイク拡散 実相と異なるAI動画も」と題する記事は、Xで約1.2万リポスト、約2万いいねを記録。
「なぜこんなことを信じるのか」といった声が寄せられた。
NHKの記事でも書かれているように、原爆投下は科学的見地からも、事実だと言える証拠が十二分にある。
にもかかわらず、原爆はデマだと言い切ってしまう背景には何があるのだろう。

 一つ考えられるのが、インターネット上で拡散される、いわゆる「陰謀論系」のコンテンツだ。
特に大きな影響を与えているとされるのが、とあるYouTubeチャンネルに、2026年4月に投稿された一つの動画である。

 そこでは、近現代史の研究者を名乗る人物が、「原爆投下は事実ではない」と言及。
広島や長崎に投下されたものは原爆ではなく、被害も放射線によるものではないといった持論を展開していた。
この動画が4カ月の時を経て、再び注目されているのだ。

 多くの読者が「そんなデマを信じる人などいるのか」と思うだろう。
筆者も同様の考えだ。
しかしながら、それを信じる人々を一蹴することは、根本的な解決につながらない。

 ここで考えるべきは、主張の荒唐無稽さではなく、「定説から大きく異なる言説でも、信じてしまう人がいる」ことについてだ。
その存在を無視してしまえば、毎年夏の風物詩的に、こうしたデマが出回ることとなるだろう。

 デマが広がる背景には、メディア、とくにマスメディアに対する不信感が考えられる。
「“オールドメディア”にはダマされないぞ」「政府や報道機関が隠している真実がある」といった疑念が、真偽不明な言説の支持につながるのだ。

 そこでカギを握るのは、「モヤモヤをキッパリと言語化してくれる存在」だ。
明快であればあるほど、スカッとする。
「もしかして原爆の被害などなかったのでは」と思う人の前に、「『もしかして』じゃなくて、ホントになかったんだよ!」と言い切ってくれる人が出てくれば、わらをもつかんでしまうのだ。

 そこには「主張が正しいか、間違っているか」より、優先される基準がある。
いわば「あなたの疑問は間違っていないよ」と、お墨付きを与えてくれるか否か。
自ら検証する前に、先回りで“答え”を示されれば、飛びつく気持ちもわかる気がする。

■「わからないこと」には、わからないだけの理由がある

 百歩譲って、原爆投下に「解明されていない点」があるのは事実かもしれない。
しかしそれは、大量の犠牲者の発生や、終戦の混乱などで、被害の全体像が把握できない状況だったことに要因がある。

 また、被爆者も、世間からの偏見や、「自分だけ生き残ってしまった」という後悔の念などから、多くを語らない人は多い。後年になるまで、人によっては生涯を通して、その体験談を語るのに積極的でない人もいる。
情報がつまびらかになっていないことには、理由があるのだ。

 しかしながら、それらの理由も「建前だ」と思ってしまう人がいる。
そういった人々にとって、「ウソだ」と喝破してくれる存在は魅力的だ。
そこに来ての変化が、情報の受け取り方だ。
今までは、マスコミが報じたものを一方的に受け取ることが一般的だった。
だがSNSの登場により、各個人が発信できるようになった。

 同じような考え方を持つ人々が、連帯を強めていく。
そして、「自らの考え方が、社会に受け入れられていない」というもどかしさが、つながりをより強固にするのだ。

 そもそも歴史認識をめぐっては、イデオロギーによって、意見が対立することが少なくない。
もっとも知名度の高い論争は、日中戦争下における中華民国(当時)の首都・南京での日本軍の振る舞いについてだろう。

 外務省の公式サイトには「日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。
しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています」と記されている。

 しかし、こうした政府見解があるにもかかわらず、その人数の多寡については、保守・リベラル双方が、長年、「どちらの主張が正しいか」といった議論を繰り返している。
この論戦はSNSの普及前から続いているが、歴史問題において、「持論を補強するために、より主張が先鋭化する」ことは珍しくない例と言えるだろう。

■「デマ認定」が逆効果になるという難問

 だからこそ、公的機関やメディアが科学的知見と一次資料を示すことには意味がある。

 今回、NHKが報じた内容も、歴史的経緯を振り返りつつ、被爆の当事者や研究家に対する取材を通して、81年前に何が起きたかの全体像を伝える内容だった。
このように、公共放送がしっかりと真正面からデマだと断じ、正しい歴史認識を書き残すことは非常に有益なことだと感じる。

 一方で、筆者個人は「デマ認定による弊害」も考える必要があると思う。
明確な誤情報を取り上げ、正面から否定するべきか。それとも、注目を集めないよう黙殺するべきか。これは単純な二択ではない。
偽ニュースや陰謀論を含む誤情報であっても、「大手メディアから反論された」ことを理由として、むしろ真実らしく受け止められる可能性がある。
「政府による火消しだ」と反発し、かえって結束を強めていく人々もいるかもしれない。

 とはいえ、完全に黙殺すれば、「オールドメディアにとって都合が悪いから取り上げない」と受け取られかねない。
取り上げても疑われ、取り上げなくても疑われる。となると、メディア側に打てる手はないのだろうか。

 いや、そんなことはない。
ここで重要なのは、日頃から「情報」に触れられる環境をつくることではないか。
2026年は、戦後81年にあたる。
厚生労働省が2026年7月に公表した数字では、被爆者健康手帳所持者は9万1105人で、平均年齢は86.66歳(3月末時点)。直接の体験を聞ける機会がなくなってしまう前に、一人ひとりが心の中に、“先の大戦に対するアンテナ”を立てる必要がある。

■スキマを空けているのは、メディアの側ではないか

 メディア業界には、「8月ジャーナリズム」という言葉がある。
終戦記念日のある8月になると、戦争と平和を考えるコンテンツが集中するが、それ以外の時期には扱いが薄くなる−−。
そのような報道のあり方は、以前から批評の対象になってきた。

 年に一度、集中的に伝えること自体が悪いわけではない。
ただ、8月以外の戦争報道は、訃報や慰霊、法廷闘争といった「出来事」があったときに限られがちだ。
裏を返せば、出来事がなければ触れられない。
年間を通じて戦争を扱う枠は、多くのメディアに存在しない。

 だから普段は歴史に触れる機会が乏しく、8月近辺にのみ情報が押し寄せる。
その空白に、「隠された真実」を名乗る物語が入り込む。
つまりデマは、発信者と信じる人だけが生んでいるのではない。
空いた場所に、誰かが物語を置いただけだ。
そのスキマを空けてきたのは、私も含むマスコミではないか。

 日頃は十分に伝えず、「ニュースバリューのあるタイミング」のみ積極的に報じる。
そこから不信感が育まれているのだとすれば、「なぜあんなデマを信じるのか」と問う前に、問うべき相手がいる。

城戸 譲 :ネットメディア研究家・コラムニスト・炎上ウォッチャー

posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする