「人に迷惑をかけたくない」「ピンピンコロリで逝きたい」と言う人が周りの負担を劇的に大きくしてしまう“納得の理由”
9/7(月) 文春オンライン
「人に迷惑をかけたくない」「ピンピンコロリで逝きたい」――老後についてそう願う人は多い。
しかし厚生労働省のデータによれば、平均寿命と健康寿命の間には約10年もの、人の手を借りて生きる期間が存在する。
誰の世話にもならずに老いて死ぬことは困難。
それにもかかわらず「迷惑をかけたくない」という遠慮をしていると、周囲の負担を大きくしてしまうこともしばしばだ。
では、どうすればいいのか。ライフネット生命保険の創業者、出口治明氏の著書『 老いと死をファクトで考えてみた 』(扶桑社新書)より一部を抜粋して紹介する。
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「人に迷惑をかけたくない」は、無理です
なぜ、僕たちは「老いること」に過剰に反応してしまうのでしょうか。
すると、必ずと言っていいほど出てくる言葉があります。
それは「人に迷惑をかけたくないんです」という一言です。
体が不自由になれば、当然生活に支障が出てきます。
子どもに迷惑をかけたくない。配偶者に負担をかけたくない。介護で誰かの手を煩すくらいなら、ぽっくり逝きたい。
周囲の人から、この種の言葉をおっしゃる人は、数え切れないほどいるでしょう。みなさん、じつに切実にそう考えているのだと思います。
なにしろ、理想の自分の最期を尋ねると「ぴんぴんころり」を選びたいという人も少なくありません。
死ぬ直前まで元気に暮らして、ある日ころりと逝く。たしかに見事な死にざまではありますが、データを見れば、そう都合よくはいきません。
厚生労働省の調べによれば、2022年度の日本人の平均寿命は、男性が81.05歳、女性が87.09歳です。
一方で、健康寿命というものがあります。
健康上の問題で日常生活が制限されることなく暮らせる期間のことで、こちらは同年の調べでは、男性が72.57歳、女性が75.45歳です。
平均寿命と健康寿命のあいだには、男性でおよそ9年、女性でおよそ12年の開きがあります。
つまり平均像で言えば、人生の締めくくりには、10年前後の「人の手を借りて生きる期間」が、あらかじめ組み込まれているのです。
ぴんぴんころりは宝くじのようなものです。
当たれば幸運。しかし、当てにして人生の設計を立てるようなものではありません。
では、話を戻して、「人に迷惑をかけたくない」という願いに、僕はどう答えるか。いつも同じ一言です。
「それは、無理です」
冷たく突き放しているように聞こえるかもしれませんが、違うのです。
これは意地悪ではなく、歴然たる事実だからです。
どの年代でも他人に頼って生きるのが人間
人間は、誰にも頼らずに老いて死んでいくことが、そもそもできない生き物なのです。
できないことを目標に掲げるから、苦しくなる。
登れない山を「登らなければ」と思い込んでいる人には、まず「その山は誰にも登れませんよ」と教えてあげるのが親切というものでしょう。
考えてみてください。
あなたは人生の入り口で、どうやって生きていましたか。
生まれたばかりの赤ん坊は、100%、他人に頼って生きています。
おむつを替えてもらい、乳を与えてもらい、夜泣きをしてはあやしてもらう。
あなたも僕も、例外なくそうやって生き延びてきました。誰ひとり、自力で育った人はいません。
では、大人になってからはどうでしょう。
自立して、誰にも頼らず生きてきたつもりかもしれませんが、本当でしょうか。
あなたが食べてきた米は誰かが作ったものですし、着ている服も、住んでいる家も、通った道路も、全部他人の仕事です。
病気になれば医者に頼り、法律のもめごとがあれば専門家に頼る。人間はどの年代でも、他人に頼って生きています。
老後に人の手を借りることは、その延長線上にある、ごく自然なことにすぎません。
人生の入り口で100%頼ってきたのですから、人生の出口で100%誰かに頼ったからといって、何の不都合があるのでしょうか。
だから僕は、はっきりこう言います。頼っていいのです。
それも、遠慮がちに2割や3割程度頼るのではなく、必要なら100%頼っていい。
人は順番に支え合う
また、人の世話をするという営みには、負担と同時に、意味や張り合いが宿ります。
ご自身のお子さんを育てたときに、はたまたご自身の親を介護したとき、あるいは周囲の友人を看病したときに、「迷惑をかけられた」などとは思わなかったはずです。
だとすれば、こんどはあなたが世話される側に回ったとき、相手にはただ「迷惑」だけが残る、と考えるのは、いささか相手に失礼な想像だと思いませんか。
あなたが周囲から張り合いを受け取ったように、あなたの世話をする人も、何かを受け取るのです。
支え合いには、もうひとつ大事な性質があります。
時間差で成り立つ、ということです。
逆にいえば、あなた自身も、家庭や仕事を通して、誰かの人生を手助けして生きてきたといえるでしょう。当たり前のことですが、人は一人では生きられませんから。
人は同時にではなく、順番に支え合います。
子どものときに世話になり、働き盛りに支える側に回り、老いてまた受け取る側になる。
今のあなたが誰かの手を借りることは、長きにわたって繰り広げられてきた「順送り」のようなものなのです。
「頼るにしても、せめて相手の負担にならないように、何か気をつけることはありませんか」と聞かれることもあります。
僕はいつも「何もありません」と答えています。
頼り方の作法を考えて身構えるより、ありがとうと言って、にっこり笑っている方が、よほどお互いのためになります。
払ってきた介護保険料に応じた当然の権利
もうひとつ、日本には介護保険という制度があります。
40歳を過ぎたら、あなたも僕も、毎月保険料を払ってきたはずです。
保険というのは、みんなで少しずつお金を出し合って、困った人が出たときにそこから支払う、支え合いの仕組みです。
つまり介護保険を使うことは、「迷惑をかける」ことではなく、払ってきた保険料に応じた当然の権利を行使することです。
火事になったのに、遠慮して火災保険を使わない人がいたらどう思いますか。
「もったいない、何のために払ってきたの」と言うでしょう。介護もまったく同じです。堂々と使えばいいのです。
そもそも保険というのは、人類のじつに優れた発明です。
中世ヨーロッパの職人たちはギルドという組合を作り、仲間が病気になったり亡くなったりしたとき、みんなで積み立てたお金から支払う仕組みを持っていました。
大航海時代には、船の沈没に備える海上保険が生まれました。
一人では抱えきれないリスクを、大勢で薄く分け合う。
「お互いさま」を制度の形にしたもの、それが保険です。
ですから、保険を使って生きることは、人類が何百年もかけて磨いてきた知恵の、正しい使い方にほかなりません。
保険を生業にしてきた人間として、これだけは自信を持って言えます。
結論は一つ、「早めに、軽いうちに、頼る」
「でも、使う人が増えたら制度が持たないのでは」と心配する人もいるでしょう。
それは、順序が逆というものです。
使われない制度は育ちません。需要がはっきり見えるからこそ、そこに人も予算もついていくのです。
遠慮は、制度のためにもならないのです。
少し怖い話もしておきます。「迷惑をかけたくない」という言葉には、実害があるのです。
この言葉が口癖の人ほど、助けを求めるのが遅れてしまいます。
体の異変を我慢し、一人で無理をして、家の中のことを抱え込む。その結果どうなるか。小さな不調が大きな病気になってから見つかる。
転ばなくてもいい場所で転んで骨を折る。老老介護の共倒れも、多くはこのパターンです。
早めに頼っていれば軽く済んだことが、遠慮のせいで重くなる。
つまり「迷惑をかけたくない」という遠慮は、めぐりめぐって、周りの人の負担をいちばん大きくする選択なのです。
皮肉なものだと思いませんか。
周りを本当に思いやるなら、結論は一つです。早めに、軽いうちに、頼ることです。
迷惑をかけないことを、あきらめてください。
あなたが人の手を借りて生きることは、迷惑ではありません。
みんなが通ってきた道であり、みんながこれから通る道なのですから。

