今日は、県庁に「傷病手当金」の申請にいきます。
本来は、15日締めなのですが、14日が診察日だったのでしかたなくです。
就労不能状態で退職したので、休職期間に受給出来るはずだった「傷病手当」を 退職後、「退職共済会」に加入して受給しています。
いつ「就労可能」になるか メドが立たないので 少しでも毎月の入金があれば恩の字というところ。来年9月でそれも切れるので なんとかそれまでには「就労可」になりたいのですが・・・。
主治医が「障害者手帳」更新用診断書を 躊躇なく書いてくれることになったので、長期戦を覚悟しなくてはならないようです。
初発症の時、3ヶ月の休職で「職場復帰」を10ヶ月経過しての再発症なので 拗らせてしまったようです。
「うつ」病の仲間達に 伝えたいのは、主治医の許可がでるまで「職場復帰」を焦らないでください。
私の主治医も「再発症」は 時間がかかることを覚悟してね。職場復帰を認めた私の判断があまかったのです。と、「再発症のとき」謝ってくれました。
私の「職場復帰」後の仕事にムリがあったのを 断り切れなかったのが主な原因なのですが・・・・。
前任者が長く一人でしょっていた「視聴覚主任」「安全指導主任」を任され 管理職すら「わからない」、対外折衝などを意地だけでこなしていたのと、ベテランの名のもとに引き受けた仕事のムリがたたったようです。
最後の任地になった学校では、算数TT→拠点校初任者指導教員(自校と他校、各2名)・視聴覚主任→特別支援級担任(弟の入院)・初発症→算数TT・2年生病休代替、安全指導主任→休職1年→退職 との道のりでした。
今から考えても 30年近く 学級担任をしていたので、初めてづくしの仕事ばかりでした。
自分の能力を客観的にみて「断るべきことは、誰がなんといっても断るべきだった」と再発症の時に反省したものです。
幸いにも市の学務課・学校事務・県福祉課の助言と援助のおかげで 退職即路頭にということはなく、傷病手当て制度・障害者年金申請の道を知り、現在に至っています。
精神科外来は、変な意味ではなく「いい人」ばかりです。何か内科受診より精神科外来の方が ラクに患者同士の会話が楽しめます。
今の時代、「自分を大切にして生活しなければ」という時だと思います。
ムリして心身を壊す前に 診断書があれば 無慈悲な企業のリストラに対抗できます(まだ、労働法制では 十分な対抗措置の道は残されています。)
決して 焦らず・ムリせずに うつという病気と共生できるようにすればいいと今は思います。
2009年11月16日
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それが一番です
娘も最近、そう思っているようです
たまに、「治らないの?」と不安になる事もあるようですが・・・
娘の大学の大学院も、予算カットの煽りを受け、研究室の統廃合が行われているそうです
その影響で、娘が一番信頼し、尊敬していた感染症の世界的権威である教授が、統合に納得できず、今年度いっぱいで退職されるらしいのです
当然、その後は海外へ・・・
娘は大ショックで、一時、希死念慮が復活しておりました
現在は、少し落ち着きましたが
まさか、国の予算編成が娘の鬱状態にまで影響するとは!?
正直、私も驚きのできごとでした
一体、この仕分けはなんだろうと疑問ばかりです。
自立支援医療証もまだ国の見通しがわからず役所も困っているようです。
何か役人の選択した仕分け事業は、利権のないものばかりという気もします。
基礎研究や臨床、基礎技術を疎かにする仕分けは、「亡国」への第一歩ですね。
娘さんには 尊敬する教授に会えなくても論文で再会できるし、人材流出のダメージを政府に思い知らせるという居直りで、ショックを乗り越えてとお伝えください。
私は娘さんの大学教授の「君はまだうつか、私みたいに統合失調にまでなるとラクだよ」という言葉が辛い時、おかしなことに励みの言葉になっています。
その教授が、退職されるらしいのです・・・
今朝、川崎駅前の再開発(?)が予算カット対象工事だと言っておりました
我が市の駅前も、同様です
あのまま中途半端で取り残されるのか・・・?
一応、中核都市とは言え、地方の中核都市には工事を続ける財源などありません
唯一ある大企業は、鉄鋼会社で、それも、CO2削減で、工場を海外へ移すとか・・・
地方にとっては、益々厳しい時代になりそうです・・・
川崎駅前も中途半端で歩行者にとって、今の状態ですと大変な迂回路を通ることになります。
工事中のものを中途半端に削減するのなら 初めからやるな!!と言いたくなります。
何かおかしいと多くの人が感じはじめているようですね。
自分の給与や政党助成金をムダといわないのは おかしいですよね。