健康な時は 想像もできなかった段差や歩道橋などがどれだけ 負担になるか・・。通院時の駅の乗降客との交差歩行にどれだけ神経を使うか・・。
介護保険のディーサービスも介護認定度で 回数が限定される。
その立場になってみないと解らない困難や制度の複雑さがあるものです。
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香山リカのココロの万華鏡:高齢者こそ町へ出よう
毎日新聞 2012年10月16日 東京地方版
東京都世田谷区の住宅地で、80代の男性が60代の女性を殺害したとされる事件が起きた。
男性は自殺したためくわしいことはわかっていないが、植木やネコの扱いをめぐってのいわゆる“近隣トラブル”が関係していたと言われる。
診察室にも、近隣に住む人たちとの問題で頭を悩ませ、不眠などに陥って相談に来る人がときどきいる。
激しく苦情を言ってきたり、いやがらせを仕掛けてきたりする“加害者”の多くは、60代以降の人たちだ。
おそらくこの中には、老人性の認知症によって怒りっぽくなっていたり妄想を抱いていたりするケースもあると思う。
ただ、より広く考えれば、そこには日本特有の高齢者事情も関係していそうだ。
仕事を引退したり子どもを育て上げたりした人たちは、それから何をして老後を暮らすのか。
カルチャー教室や家庭菜園などを楽しみにする人もいるだろうが、日ごろから社交的ではない、あるいは家に菜園を作るほどの庭はない、という場合は、どうしても家にこもりがちとなる。
とくに日本の場合、高齢の人たちがバーでお酒を傾けながらおしゃべりに興じたり、ドレスアップしてコンサートに出かけたり、といった文化は育っていない。
知人の内科医も、訪問診療に出かけると都心の一等地の住宅でひとり、テレビを友だちに生活する高齢者が多いのに驚かされる、と話していた。
「食事は宅配サービスを利用して、あとは誰にも会わずに話すこともなく、いちにちじーっとしているんだよね」
そういう引きこもりの高齢者にとっては、近隣とのささいな問題も見逃しがたい重大事に感じられる。
生活雑音や玄関先の植木鉢、裏庭の洗濯物なども気になり、がまんできなくなってつい怒鳴りこんで行ってしまったり、いきなり過激な行動に出てしまったりする場合もある。
そこから思わぬトラブルに発展したり、相手もしくは自分に心身の不調が生じたりすることになるのだ。
もちろん、すべての高齢者が外に出て社交的にすごすべきだとは思わないし、そうできる状態にある人が少ないのもわかる。
ただ、なるべく「この狭い家がすべて」となってしまわないように、社会が「外に出ようとする高齢者」を温かく迎え入れることも大切なのではないだろうか。
「書を捨てよ、町へ出よう」と若者に呼びかけたのはかの寺山修司だが、高齢者にこそ「町へ出ようよ」と誘い出してみてはどうだろう。

