2026年02月01日

「なぜ日本人は劣化したのか」再考    香山リカ

「なぜ日本人は劣化したのか」再考    香山リカ
1/30(金)  創

 私が『なぜ日本人は劣化したのか』というタイトルの新書を書いたのは、2007年のことだった。
少し前の時代と比べながら、新聞の劣化、政治の劣化、職場における姿勢の劣化などを取り上げて分析した。
もし今ならそんな表題の本を出そうものなら、「日本を貶(おとし)める気か」「劣化したのはおまえだ」などと炎上してたいへんなことになりそうだが、当時は重版もかかりそれなりの評価を受けた。

 この本を書こうと思ったきっかけは、ふたつの“手抜き事件”だった。

 ひとつは、1999年の東海村JCO臨界事故だ。
これは茨城県東海村にある核燃料加工施設で発生した原子力事故だが、多量の中性子線を浴びた作業員3名中、2名が死亡、1名が重症となるなどの人的被害が出た。

 私がショックを受けたのは、その被害の甚大さもさることながら、同施設が国へ届けた本来の作業手順書とは別に「裏マニュアル」を作り、さらにそれさえ省略化させてずさんなやり方をしていたことだった。
報道によれば、本来は「ウラン酸化物粉末」と「硝酸」を溶解塔という密閉されたタンクに投入して混ぜ、パイプを通して沈殿槽に移すべきところを、よりにもよってステンレスのバケツで原料を混ぜ、手作業で沈殿槽に移していたというのだ。

 もうひとつは、2005年に姉歯建築設計事務所が、マンションなどの耐震強度の計算書を改ざんしていた問題が発覚したものだが、全国12都府県で55もの偽装物件が報告された。
姉歯事務所が設計に関わった建物はホテルなど全国に多数あるものがわかり、マスコミは「震度5強でも倒壊のおそれ」などと連日、報じて衝撃が広がった。
また、ここまで改ざんが広がった背景として、本来、行われるべきはずの民間検査機関や自治体のチエックが機能していなかったことも指摘された。
さらには国交省の検査機関への監督体制も十分でなかった。

 それまで「日本人は融通はきかないがまじめで緻密」「頭は固いが道徳的、倫理的ではある」などとよく言われていたのに、このふたつの事件は、「日本人もチェックされていなければいくらでも手を抜き、ずさんなことをする」ということを明らかにした。

もし、日本人からまじめさや緻密さ、倫理観がなくなったとしら、いったい何が残るというのか。
そもそも独創性やアイディア力、デザイン力は欠けているといわれているのに、その上、手抜きもするとなれば、良いところはひとつもないということになる。
このままではいわゆる国力はどんどん落ちていくばかりではないか。

 約20年近く前、『なぜ日本人は劣化したのか』に私はそんなことを書いた。

 いま、残念なことに私の予想は当たってしまったと言わざるをえない。
“劣化”はありとあらゆる分野において目につくが、私が身を置く医療の世界でも明らかだ。
しかも“劣化”のスピードは大きく、もうすぐまともな医者”はいなくなってしまうのではないか、と思われるほどだ。
医療崩壊も間近なのではないか。
ひとつの例をあげてみよう。

 購読している医師向けのメールマガジンには、求人広告がくっついてくる。
あるとき「銀座×痩身、問診のみ」という広告を見た。
「痩身? 私がやっている総合診療科、略して総診”の誤植かな」と思ったのだが、本当に「痩身」のようであった。
命の危険があるような病的な肥満を保健診療中心に治療するいわゆる「肥満外来」ではなく、本人が「やせたい」と望んでいる人に食欲抑制、体重減少の効果があるとされる薬を自由診療で処方する。
それを行うのが「痩身」と呼ばれる科のようだ。

 驚くのは、そこでうたわれている報酬だ。
へき地診療所でのフルタイム労働で、さらに週に何回かの当直もこなしている私のような医者の年収の2倍近い額が記されている。
もちろん当直や救急外来もない。
定時勤務というよりおそらくはオンライン診療が中心で、「もっとやせたいんです」と言って来る人に、既往歴、服用薬、アレルギーや食生活、運動習慣などの問診を行い、本来は糖尿病で使用され、食欲抑制効果があるとされる薬を処方するのだろう。

 これだけ見るときちんと問診をするなどまだまともな医療”に見えるが、そうとは言い切れない可能性もある。
保険診療の場合は薬が処方できる肥満の基準もあり、背景に糖尿病などの疾患がある場合はその治療も必須だ。
ところが、多くの「痩身科」は自由診療のため、本人が自己責任で薬の処方を希望すれば出すことになるだろう。

 実際に私の診察室で「やせる薬を別の医者から処方してもらって飲んでいる」という人たちに会ったことがあるが、いずれもまったく肥満体型ではなかった。
しかもひとりはその薬の使用で低血糖と思われるめまいやふらつきを起こしてもいた。
「やめた方がいいですよ」と言うと、「でも体重が落ちるのはうれしいから」と言った。

 知人の医師にこの求人広告の話をし、「痩身”で働きたい医者なんて本当にいるんですかね」と聞くと、「そりゃいるでしょ。たくさんお金がもらえるんだから」とのことだった。
「でもその人の健康には寄与していると思えないし、それどころか健康を損ねる可能性だってあるじゃないですか。
医者として空しくないんですかね」とさらに聞いたが、「中には“やせてうれしい”と感謝する人もいるだろうから、空しいってことはないでしょう」との答えと次のような言葉が返ってきた。

「医者ならやりがいを求めて過酷な労働、不十分な報酬にも耐えるべきだ、というのは“やりがい搾取”でしょ?
 医者もいつまでも黙って搾取され続けるべきじゃないですよ。」

 それはその通りかもしれないが、医者たちが「これ以上、“やりがい搾取”されると思ったら大間違いだ。
“痩身”じゃ定時の勤務、問診だけのラクな業務で年に何千万円もの報酬が手にできている。
このまま搾取されるならそっちに移るぞ」と反旗を翻し行動に出たら、あっという間に現在の医療体制は崩壊するだろう。

 実際に、若い研修医たちの一部は、何年もの苦労と試験を乗り越えて専門医資格を取ったところでそれほどの収入は得られず酷使されるばかりだから、ということで、美容皮膚科や痩身クリニックに早々と転身する。
前にもこのコラムで書いたが、初期研修2年が終わったらすぐに、中には初期研修さえ途中で切り上げて美容に進む“直美”が話題で、おそらくこれからは“直痩”なども出てくるはずだ。

 ところが一方では、高市総理の「働いて働いて…働いてまいります」が流行語大賞を受賞するなど、条件など度外視で猛烈に働くのが美徳という時代逆行的な風潮も高まっている。
だとしたら、この動きを評価する人たちからは、高収入を求め長時間労働を忌避して「痩身」の道を選ぶ医者などもってのほかと断罪されてもおかしくないのだが、そうはなっていない。
地域医療や外科など苦労の多い道に進まずに「ラクで高収入」を選ぶ若手医師にも「あたりまえでしょ」と言い、高市総理が唱える「働いて働いて…」に対しても「いいことだ」と肯定しているのだ。

 ここに見られる傾向を、文筆家の木澤佐登志氏は「権威主義的リバタリアニズム」と喝破する。
2019年に上梓した『ニックランドと新反動主義』(星海社新書)に加筆した『加速主義〈増補新版〉』をこのたび刊行した木澤は、加筆部分で言う。抜粋しながら紹介しよう。

現在の憂慮すべき緊急事態を打開するためには、鈍重で非効果と見なされる民主的な意思決定プロセスを否定し、スタートアップのCEOに象徴される専制君主めいたトップダウン型の意思決定にもとづいてリベラルな国民国家とその制度を一気に破壊しなければならない、といった思想に至ると、みずからを『個人の自由を重視するリバタリアン』や『現状を破壊する反逆者』と認識しながら一種の権威主義的政治を支持することになる。

 権威主義はリバタリアンの対極に位置づけられるはずだ。
しかし、現在のテックエリートにしばしば見られるのはいわば反対物の一致、すなわち権威主義的リバタリアニズムという矛盾めいた奇形的イデオロギーに他ならない。」(前掲書)

 もちろん、高市総理が唱えれば「働いて働いて…」という昭和的価値観を賞賛し、一方で「ラクで高収入」の道を選択しようとする若手医師のことも肯定的に評価する、という現象の裏には、「権威主義的リバタリアニズム」などというご大層な政治思想などないのかもしれない。
ただ、そういう呼び方をしなくとも、「保守的で“偉い人”の言うことならなんでも賞賛し、金儲けに余念がない人たちにも尊敬の眼差しを向ける人が増えている」と言えば、理解してもらえるのではないだろうか。

 問題は、この権威主義的リバタリアニズムやそれに近い傾向は、社会の進化なのかそれとも退行や劣化なのかということだ。
私はそれを劣化と見なすのは前半でも指摘した通りだ。
効率化や合理化のための手順の省略、コストパフォーマンスの良い方の選択などは、たいていは手抜きから事故につながるか、全体のモラル低下により品質が著しく下がるかだからだ。
また権威主義はいつの時代も「お上に逆らってはいけない」という空気を醸成し、全体主義につながる危険性を帯びる。

 いや、2007年に「日本人の劣化」を問題にしていたのに、それから20年近くたち、意外に長くもっているではないかという考え方もできる。
ただ、前述したようにここに来て劣化の速度はどんどん上がっているようだ。
歴史の否定、学術の否定、さらにはジャーナリズムをオールドメディアと呼んで否定するなど、とにかく誰もが知ることや考えることを忌避しようとしている。

 2026年はどんな年になるのだろう。
明るい展望はないが、流れに身をまかせるほどの諦観も持ち合わせていない。
とりあえずはこのままあれこれ考えて、少しずつ書いていくしかないだろう。
posted by 小だぬき at 00:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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