イラン戦争は「主権ゲーム」のなれの果て
6/17(水) 中央公論
『石油が国家を作るとき』(慶応義塾大学出版会)の著書がある向山直佑・東京大学准教授が、「主権」と「石油」をキーワードにイラン戦争を歴史的文脈に位置づける――。
(『中央公論』2026年7月号より抜粋)
2026年2月28日にアメリカ・イスラエルによる大規模攻撃によって始まったイランとの戦争は、イスラエルによるレバノン攻撃、イランによる湾岸諸国への攻撃などに伴って地域全体を巻き込んだ紛争へと発展しつつある。
また、米軍が中東へと重点的に派遣されることによるヨーロッパやアジアでの力の空白は、ウクライナ戦争、あるいは東アジア情勢への危機感をも高めている。
日本にとっても明らかにこの戦争は他人事ではない。
原油輸入の90%以上をホルムズ海峡経由の海運に頼っている日本にとって、イランによる同海峡の封鎖は破壊的な影響をもたらす。
政府や関係企業は代替ルートでの原油の確保に奔走しているが、どこまでの量を確保できるかは不透明であり、またたとえ日本が全量を確保できたとしても、それでハッピーエンドになるわけではない。
世界経済は連動しており、より石油供給の逼迫している東南アジア諸国など、日本以外の国々も十分な原油を得られなければ、日本を含む世界経済全体への影響は不可避である。
報道レベルでは日々不安なニュースが飛び交っているものの、今のところ日常生活に明確な逼迫感が波及しているわけではない。
ただ、当たり前の生活を続けていける状況ではないにもかかわらず、ギリギリのところまで問題がないかのように振る舞っていれば、あるとき突然急速な生活条件の悪化が起きる可能性が
ある。
今の静けさが「嵐の前の静
けさ」でないことを願うばかりである。
仮にも国際政治の研究者を名乗っている者が「願って」いるだけでよいのかという問題はあるのだが、しかし今回の戦争の行く末は見通すのが本当に難しい。
イランに対する攻撃はイスラエルがこれまでも度々アメリカの歴代政権に持ちかけ、その度に退けられてきた危険なアイデアであり、それに軽々に便乗してしまうのがトランプ政権らしいと言ってしまえばそれまでだが、この戦争ほど合理的な計算や影響への慎重な評価なしに、大統領個人の感情や見栄、実績のアピールといった内的な理由から「見切り発車」で始められたように見える戦争にはあまり出くわさない。
理解しがたい理由で始められた戦争は、理解しがたい理由で中断され、再開される。もちろん終わるときも同様なのだろう。
こうした事情から本稿では、一歩先も見通すことが困難な中東情勢や日本への影響を細かく追うよりも、大局的な観点からこれをより広範な歴史的文脈に理論的に位置づけることを目的とする。
その際、キーワードが二つある。「主権」と「石油」である。
主権のダブルスタンダード
愚かな戦争と言う他ない今回のイラン戦争だが、トランプ政権の対外行動、特に敵対的な他国の政権への行動を繋げていけば、そこに一つのパターンを見出すこともできる。
特に、直接的にイラン戦争と関連づけることができるのが、本年1月に起きたベネズエラに対する攻撃と大統領であるマドゥロの拘束である。
イラン戦争の陰で早くも記憶の片隅に追いやられつつあるこの事件だが、他国の主権を完全に無視して軍事介入し、体制転換を直接的に促す試みという意味で、ハメネイ師の殺害で始まったイラン戦争の先例となっており、実際にこれがトランプにとっての成功体験となったという分析も多い。
同じようにキューバに対しても介入を示唆する発言がなされている。
また、トランプ政権は他国と摩擦0が生じる度に関税を威圧の手段として用いてきた。
カナダ・メキシコへの麻薬・移民対策の要求、コロンビアへの移民受け入れ強制、デンマークへのグリーンランド割譲要求など、経済的要求にとどまらない政治的目標の達成手段として、意に沿わない他国を関税で脅して政策変更を迫るという行動を繰り返してきたのである。
さらに、トランプ政権は第一期から一貫して、戦後国際秩序を支えてきた多国間協調の枠組みを敵視し、その解体を意図的に進めてきた。
イラン核合意からの離脱、パリ協定・WHO・ユネスコ・国連人権理事会からの脱退、INF条約の破棄、WTO裁定の無視といった第一期の「実績」を土台に、第二期ではその規模と速度が一段と増し、就任直後にパリ協定・WHOから再離脱し、2026年1月には大統領令一本で66の国際機関から一括脱退、国際刑事裁判所への制裁発動、USAID(米国国際開発庁)の事業停止などを相次いで行っている。
自国を中心とした軍事同盟であるNATOに対してもこれを「張り子の虎」と呼んで欧州駐留軍の大幅削減を進め、イラン戦争への参加を拒んだ同盟国を「テストに失敗した」と断じてNATO脱退を示唆するなど、矛先は同盟国にも向かっている。
つまり、トランプ政権は、自国の主権は絶対視し、その適用範囲を拡大解釈する一方、自国の短期的な利益の妨げとなる制度や国家に対しては極めて敵対的な行動を取る。
国際機関や多国間の協調枠組みといった一国より大きな権威への主権の移譲は認めず、また他国、特に軍事力や経済力において自国よりも劣後する国々の主権を軽んじる。
既に多くの論者が指摘しているように、第二次世界大戦後の主権平等の原則、そしてアメリカ自身がデザインしてきた国際的な協調の枠組みを否定するのが、トランプ政権の特徴である。
一方で主権を絶対視しておきながら他方で主権を軽んじるというのは、一見矛盾のようだが、そもそも「主権」という概念自体が帝国主義と密接に絡んで、植民地帝国による「支配の口実」として確立してきた歴史的経緯を考えれば、実は何も驚くようなことではない。
(『中央公論』7月号ではこの後、主権概念の歴史をたどり、帝国主義や石油などの天然資源との関係性を明らかにするだけでなく、「建前」を失い「本音」が剥き出しになる国際秩序のゆくえについて論じている。)
向山直佑(東京大学准教授)

