2026年07月10日

刑事はサラリーマンじゃない?『踊る大捜査線』青島俊作と『相棒』杉下右京を分けた決定的な違い

刑事はサラリーマンじゃない?『踊る大捜査線』青島俊作と『相棒』杉下右京を分けた決定的な違い
7/9(木) ダイヤモンド・オンライン

 「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!」。
『踊る大捜査線』の青島俊作が熱く正義を叫んだ名セリフは、いまなお多くの人の記憶に残っている。
一方、『相棒』の杉下右京は、巨大な権力を相手にしても正義を声高に語ることはない。
同じ警察組織の理不尽と戦いながら、なぜ杉下右京は青島俊作のように熱く正義を語らないのか。

※本稿は、社会学者の太田省一『「相棒」大全 25周年を迎えた傑作刑事ドラマ大研究』(星海社新書)の一部を抜粋・編集したものです。

● 捜査権が認められていない 特命係という設定の妙

 警察ドラマの視点から刑事の世界を描いたのが『踊る大捜査線』である。
そこでは主に、警視庁キャリアの室井と所轄署ノンキャリアの青島の関係を軸に、警察組織内の厳格な上下関係がもたらす壁の厚さ、だがそれを超える友情が描かれていた。

 そういう意味では、同じ警察ドラマであっても『相棒』はかなり違う。
右京は元々警察庁に入ったキャリア。
警察内の出世ルートに乗らなかったのは、自分の意思だ。
だから事件の捜査に当たっても、青島のように所轄署の悲哀を味わうことはない。

 では、警察ドラマという意味で『相棒』をユニークなものにしている根本はなにか?それは、「杉下右京は刑事ではない」という設定だろう。

 特命係に捜査権は認められていない。
だから厳密には右京たちは「刑事」ではない。
殺人事件が起こった際に捜査権があるのは、あくまで捜査一課に所属する刑事たちだ。
劇中でも、呼ばれてもいないのに事件現場にやってくる特命係に呆れかえり、邪魔をするなと釘を刺す伊丹や三浦ら捜査一課の刑事たちの姿が描かれる。

 しかし、それもまったく効き目がなく、右京たちは当然のように現場検証に参加し、独自の捜査を続ける。
それが強引すぎて波紋を巻き起こすことも。

 すると、その話を聞きつけた刑事部長の内村完爾(片桐竜次)と参事官の中園照生(小野了)に呼び出される。
「余計なことをするな」などと叱責され、捜査に関与しないように命令される特命係。
時には謹慎処分も受ける。
組織の規則から言えば、当然の対応である。

 しかし、そのようなことがあっても、右京たちは捜査をやめない。
内村たちは、組織上厳密に言えば上司であって上司ではないからだ。
便宜上は甲斐峯秋(編集部注/警察庁次長。Season16にて特命係の指揮統括を任されるようになった)などが特命係の上司的立場であったりするが、その権限は曖昧だ。
その結果、ひとつの事件に対して捜査一課と特命係の捜査が同時進行することになる。

 当然、行く先々で両者は遭遇する。
伊丹たちに「またかよ」と露骨に嫌な顔をされながらも右京はどこ吹く風で動じない。
関係者に聞き込みをしても、「さっきもう違う刑事さんにお話ししましたけど」と怪訝な顔をされる。
だが右京はにこやかに微笑みながら「部署が違うものですから」などと適当にごまかし、改めて話を聞く。

● 『相棒』は刑事のことを サラリーマンとは捉えない

 こうした独断専行が特命係に許されるのはなぜか?
もちろん現実問題としてはありえないが、物語的に可能になっているのはなぜか?
そのあたりは、『踊る大捜査線』とのコンセプトの違いを考えてみるとわかりやすいだろう。

 『踊る大捜査線』は、「刑事もサラリーマンと同じ」という発想が出発点だった。
脚本の君塚良一は、警察関係者に取材した際に次々と飛び出すエピソードに驚く。

 たとえば、若い刑事が、重要参考人の家の前で張り込みをしていたにもかかわらず、「ぼく、今日デートなんで帰ります」と言って本当に帰ってしまったという話、またやはり若い刑事が尾行中にお腹が空いたのでパンとジュースを買ったのはよいが、領収書をもらおうとして犯人を見失いかけた話などである(君塚良一『テレビ大捜査線』、22頁)。

 こうした逸話を聞いた君塚は、「刑事もサラリーマンである」という事実に思い至る(同書、22頁)。
実際、『踊る大捜査線』は当初「サラリーマン刑事」という仮タイトルだった。
こうして、「刑事も組織の一員。サラリーマンと同じ」という『踊る大捜査線』のコンセプトが生まれた。

 それに対し、『相棒』のコンセプトは「刑事も組織の一員。だがサラリーマンではない」と表現できるだろう。

 確かに、刑事といえども組織の一員であり、正義のヒーローなどではない。いわば一介の公務員である。
組織の規律を乱したり、上司の命令に従わなかったりすれば、内部規則に基づいてペナルティを受ける。そこは『踊る大捜査線』と同じだ。

 だが警察は、同じ組織でもサラリーマンが勤める一般企業のように営利を目的としているわけではない。
法律をもとに社会秩序を守るという公共の目的のためにある組織だ。
そしてそこに、『踊る大捜査線』との方向性の違いも自ずと出てくる。

 たとえば、『踊る大捜査線』の第1話。青島が湾岸署に赴任して早々、事件が発生する。
早くも念願の捜査ができるとワクワクする青島は、急いでパトカーで現場に駆けつけようとする。
だが担当の係から、規則なのでパトカーを出すには所定の書類への記入と上司のハンコが必要だと言われる。
捜査よりも経費の管理が大事。まさに「警察=サラリーマン」の世界を彷彿とさせる場面である。

 『相棒』には、そのような場面は登場しない。
裏返せば、そのことが同じ組織であっても警察が一般企業とは別物であることを自ずと示している。

● 島流しされた右京が 大活躍するカタルシス

 このことを踏まえ、『相棒』における警察の描きかたにもう一度目を向けてみよう。

 一般企業にせよなににせよ組織と呼び得るものには、そこに役職などの固定された階層関係がある限り必ず権力関係が生じる。
人事などの権限を盾に異分子を抑え込み、上に立つ者は自らの力を維持しようとする。
それに付随して、派閥間の権力闘争も起こる。

 警察という組織も例外ではなく、そのような権力構造がある。
特命係という部署の存在自体がその産物だ。
「島流し」と呼ばれる特命係への異動は、左遷の極致である。
そしてそのことを逆手に取った特命係の八面六臂の活躍が、既存の権力関係を覆す『相棒』の物語的カタルシスの源になっている。

 このへんは、『踊る大捜査線』でも描かれていた。
東北大学出身の室井慎次が、東大閥が支配する警察のなかで出世を目指し、苦闘する。

 しかし、警察と権力の話は、警察内部だけのことでは終わらない。
一般企業とは異なり、警察はより強大な権力を付与されているからだ。

 それはいうまでもなく、犯罪者を逮捕するなど犯罪を取り締まる権限である。
一組織でありながら社会全体に対して行使することを許されている警察特有の権力であり、いくつかの例外はあるがほかの組織は基本的に有していないものだ。

● 権力は市民を傷つける刃にも 大物を守る盾にもなり得る

 ただしそれゆえに、誤認逮捕からの冤罪のような権力の濫用につながる問題も起こり得る。

 逮捕する場面や取り調べの場面において、警察は強圧的であってはいけない。
かつての刑事ドラマの世界では、そうした場面で刑事が犯人に手荒なまねをしたり、恫喝したりするようなこともあった。

 しかし最近は、たとえば取り調べも密室化するのではなく透明化が図られている。
『相棒』にもこの問題を扱った回があるし、『緊急取調室』(テレビ朝日系、2014年放送開始)などは取り調べの透明化の流れを踏まえて生まれた作品だ。

 その一方で、逆に権力を行使すべきときに行使しないという問題も起こり得る。

 典型的なのは、政治家がかかわる場合である。
汚職や不正を働く政治家が、警察との太いパイプを使って自らに捜査の手が及ばないようにする。
『相棒』にも、初期から現在に至るまでよくそうした大物政治家が登場する。
1話完結が基本の『相棒』だが、こうした政治家が事件に絡む場合、その回だけでは逮捕されずに終わることもある。
根本的にはこれも、警察が犯罪に対する強い権力を委ねられているがゆえに起こる展開である。

 そうした権力の暴走や不作為に歯止めをかけるものがなければ、その社会は息苦しく生きづらいものになる。
その歯止めとなるのが、法律である。
民主主義社会において市民の基本的人権を保障する法は、本来一般市民の味方、後ろ盾になってくれるものだ。

● 『相棒』が突きつけるのは 社会秩序とは何か?という問い

 『相棒』を見ていればわかるように、杉下右京は明らかにその法律の側に立つ存在であり、常に公平なジャッジであろうとしている。

 罪を犯した人間は、社会的地位・身分や貧富の差、出自の違いなどにかかわりなく法律に定められたことにのみ従って粛々と裁かれ、そして罪を償わなければならない。
だから、警察官としてたとえ大きな権力を与えられているとしても、それを行使することは必要かつ最低限の範囲にとどめる。銃を持つことへの右京の忌避感は、この考えから来るものだろう。

 他方で、貧困などどんなやむを得ない事情があったとしても、犯人に同情することがあってはならない。
また逆に、どんなに凶悪で狡猾な犯人であったとしても、怒りに任せて我を失ってもならない。
法律は特定の人格を擁護したり排除したりするためにあるのではなく、誰にも平等に適用されるものであるべきだからだ。

 こうして、体制内反体制派とも言える特命係を置くことによって、『相棒』においては警察という組織が持つ限界と可能性はなにか?
そして社会秩序を守るとは結局どういうことなのか?というテーマが自ずと浮かび上がる仕組みになっている。
正解を示すのではなく、事件解決を通して根本的問いを提示する。
その点にこそ、警察ドラマとしての『相棒』の真価はある。

 シーズン8第5話「背信の徒花」では、高速道路建設計画をめぐる利権絡みで殺人事件が起こる。

 被害者は、国土建設省の官僚・三島(村井克行)。
官製談合の存在を知り、建設計画を食い止めようとひとりで抵抗した末に殺された。
事件解決後、それでも建設計画が中止されず存続することを知った神戸(編集部注/杉下右京の2代目相棒・神戸尊)は、三島の抵抗は無駄だったのかと嘆く。
それに対し右京は、「誰もがそう思うからこそ誰かが抗わねばならない」と答える。

 その言葉に神戸は「杉下刑事も同じ思いだったんでしょうか?」と問いかける。
「はぁいー?」といつもの口調で返し、「僕はただ真実に興味があっただけです」と冷静を保つ右京。

 警察ドラマという側面から見た『相棒』での右京の立ち位置がよくわかる場面である。

太田省一

posted by 小だぬき at 01:00 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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